◎2016年12月24日(土)
金園橋手前民家駐車地(7:38)……465.4m三角点(8:26)……458m標高点付近(9:04)……502.9m三角点(9:27~9:43)……522m標高点付近(10:20~10:28)……521.9m三角点(10:33)……釜ノ沢五峰からのコース合流(11:00)……文殊峠(11:25)……538.6m三角点・竜神山(11:48)……兎岩(12:13)……林道(12:23)……(昼食)……法性寺(12:59)……大日峠(13:26~13:32)……林道(13:53)……(休憩)……駐車地(14:08)
年内の山行もせいぜいあと2回か。締めは足尾の山にでも行くとして、先日歩いた伊豆沢左岸尾根を終えると、どうしても右岸尾根の方が気になってくる。左岸尾根の様子からして、右岸尾根とてアップダウンが多いだけの面白味のない尾根であることは想像できるが、両方を歩いておかないとどうも気分的に示しがつかない。早いとこ片付けてしまおうと、ここのところ足向けが続く秩父にまた出かけることにした。
余談だが、前記事で仮面林道ライダーさんからコメントをいただき、この期に及んで「累積標高差」なるものが気になり、調べてみると左岸尾根歩きは1,373mだった。地形図を見る限り、右岸尾根の方が起伏は多いようだ。結構、苦労するかもしれないが、破線の逃げ道はかなりある。泣きが出てきたら、これを利用してさっさと下ることにしよう。
今回のコース、品刕はカットし(もう行かずともによいだろう)、釜ノ沢五峰でおかしな歩きをして行きそこねた兎岩のある尾根を体験し、大日峠を経て戻るという算段だ。車道歩きが長そうな気がするが、駐車地に歩いて戻るとなるとこれしかあるまい。
事前にストリートビューを確認すると、赤平川にかかる金園橋手前にちょっとした広場のようなものが見え、車をそこに置くつもりでいたが、着いてみると、広場どころか休耕畑だった。これでは車が置けない。橋の先の林道には車を置けそうな路肩もなかったし、橋の下の河川敷に下れそうだったので、様子を見に行くと、道の崩れを石で補強したりで車を持って行くにはかなりつらい。それどころか、自分の車の場合、途中で勝手にブレーキがかかってしまい、先に進まなくなってしまいそうだ。仕方ない。取り付きの尾根を変えるかと、地図を広げていると、脇を犬の散歩のオバちゃんが通った。「すみません。山歩きなんですが、この辺に車を置けそうな空地あります?そこに置けると思って来たんですけど」。「いやぁ、ないわね。そこは畑だし。どれくらい置くの?」。「7~8時間くらいになるかと思うんですけど」。「じゃ、いいわよ。ウチのとこに置いて」。「それじゃ、いくら何でも…」。「そこの門の前に置いて。私が通れる分あけてもらえばいいから」。「いいんですか。ありがとうございます。じゃお借りします」。気のいいオバちゃんで幸いしたし、タイミングが悪かったら、こうはいかない。その間、こちらは黒い大きな犬にじゃれられていた。
(金園橋。尾根末端は右側)
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(ズルズルの斜面を登る)
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尾根の末端は岩場で川に落ち込んでいるので先に回る。荒れた感じの急斜面から取り付く。やたらと滑る。立ち木につかまって登るも、腐りかけの木が大半だ。四つん這いになっていると、下から声が聞こえた。見ると、ハイカーが3人。まさか同じことを考えてんじゃあるまいなと思ったが、そのまま林道奥の方に向かって通り過ぎて行った。木立に身が隠れ、何かに憑りつかれたようなこちらの痴態は気づかれなかったようだ。彼らは大日峠から法性寺、釜ノ沢五峰といったコース歩きだろう。もしくは巡礼道ハイキングか。
(尾根に上がる。眼下に小鹿野町)
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(いい感じの尾根になった)
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(何の残骸か。神社でもあったのかと思ったりしていたのだが)
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10分ほどジタバタして尾根に出て、小鹿野の町を見下ろす位置に立った。何の変哲もない尾根だが、右手の北側は切れ落ちている。前回の左岸尾根は植林尾根といったイメージが強く残ったが、そのうちに左が緩斜面になり、広葉樹も広がり、のんびり尾根といった風情になってくる。小さな社のトタン屋根だったのか、それだけが放り出されているのが目についた。何の残骸だろう。
下って登る。やはりここも早々に起伏が出てきた。小鹿野の町が離れていく。心づもりはあったが、左岸尾根で経験していただけに、その後も上り下りの繰り返しに関してはさほどのプレッシャーはかからなかった。そういう尾根伝いなのだと思えば、またかとうんざりすることもない。今日は最後まで苦痛の感覚は出てこなかった。
(465.4m三角点ピークにある石祠)
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(傍らのこれが気になったのだが)
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最初の三角点、465.4mに到着。北西方向から踏み跡が続いているような気配。石祠があった。年代は元文となっているから古い。それでいながらコンクリート製に見えるはどうしてだろう。小鹿野の中心部を向いている。「古田(吉田?)和泉守政重御代小鹿…」という字も見える。その先は消えかかっている。帰ってから調べると、吉田政重は後北条氏の家臣だったらしい。息子と孫は直江兼続、結城秀康に仕え、後に小鹿野に住み着いたようだ。名胡桃城主だったという説もある。地図を眺めると、秩父周辺の地名に吉田が付くところが多いが、この吉田政重と関係があるのだろうか。
この石祠だが、伊豆沢両岸尾根を歩いた方が、石祠を20基ほど見かけたとネット記事に記されている。先日の左岸尾根で見た数からして、この右岸尾根では少なくとも10基以上は見られるかなと楽しみにもしている。
定番の両神山と二子山が北西側に見えてくる。これに武甲山を加え、ここのところずっと同じ景色の中の歩きになっている。またかと少々飽きもきているが、やはり両神山の存在感は他の山を圧倒している。奇怪なお姿は何とも立派だ。あれを見ていると、足尾の盟主様のお姿が懐かしくなる。
(何かが乗っかっていたんだろうけど)
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意味不明の鉄製の支柱が8本。何の残骸か。南西側から破線が入り込むところで、方向は南西から南向きに屈曲する(というか、別尾根に乗り換えるといったところだ)。間違いやすいポイントで、ボーっとして歩いていればそのまま通過してしまいそうだ。南西側の破線とはいってもしっかりした道になっているわけではなく、尾根が下っているだけのこと。今歩いているところとて、さっきの三角点からずっと破線路にはなっているが、道型が通っているわけではない。長年にわたって歩かれ、踏み固められているといったところだろう。
(458m標高点へ)
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(458m標高点付近)
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植林に入り込む。間伐放置が目につく。この先ずっと通しても、植林の中の歩きはさほどなく、その植林もまたすぐに終わる。大方は雑木林が続いている。登り上げて458m標高点付近。この辺から、岩というほどのものではないが、コケ付きの大きな石が集中しているところを目にする。
(巡視路らしき木の簡易階段)
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(502.9m三角点直下。右からゴチャゴチャしたところを登った)
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植林のヘリを歩いていると東電ポールがあった。黒部幹線650号とある。今日は巡視路活用をモットーにしているので地図には鉄塔ナンバーを書き込んでいる。ポールの指し示す方向は西に下る破線路にあたる。ということは、歩いているところもまた巡視路を兼ねているということになるのか。先に下ると、階段状に木が埋め込まれている。やはりだ。
先の小ピーク手前で巡視路は迂回した。ここまでのアップダウンにさほどの嫌気がさしているわけでもないのでここは巡視路の利用はしない。もしかして石祠があるかもしれないし。何もなかった。引き続き、502.9m三角点への登り。ここでも巡視路が迂回している。直進する。間伐が重なり、えらく歩きづらく、ピークに達した時には全身、木クズだらけの状態になっていて、背中にも入り込み、落ち着いたところで下着の裾を出し、背中に手を這わせて叩いた。
(三角点ピーク)
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(歩いて来た尾根が手前に見えている)
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(これから向かう尾根続き)
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三角点峰は伐採地のピークで、ここは展望が良い。菓子パンを食べてしばらく休憩する。ここにも石祠はない。何だか話が違うなといった気分がそろそろ出てくる。この先、文殊峠までの間に慌ただしく9基の石祠が出てくるとは思えないのだ。この辺がネット情報の一方通行といったところだろう。
方向がまた変わる。地図を確認すると、三角点からは南西方向の尾根伝いになる。ここまでと同方向に歩くと、大日峠に下ってしまう。地図を確認しないままで歩き出していた。ちょっと方向感覚もおかしくなり、あれが左岸尾根だなと眺めていたのは、これから進む尾根続きだった。同行者がいたら笑われている。
(この中に基準点が置かれている)
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(黒部幹線・鉄塔651号)
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(ここのところのいつもの風景。両神山を眺め)
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(反対側には武甲山)
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この先にもピークがあり、巡視路があるのにわざわざ行くまでもないのだが、気になって行ってみると、小鹿野町の図根点が置かれ、傍らに「公共基準点」と記されたマンホールの蓋のようなものがあり、蓋を持ち上げて覗くと、中には小鹿野町基準点。大事なものなのだろう。この先も図根点標やマンホールの蓋をよく目にするようになるが、いずれも最近の設置のようだ。
ヤブをかき分けて下ると、階段付きの巡視路に出、その先に鉄塔651号。黒部幹線は現役のようだ。周囲は刈り払われている。東側に武甲山がよく見えている。この先の尾根は鉄塔設置で削られたのか、引き続きは攀じ登るようで、ちょっとばかり慎重になる。先の開けたピークには地籍図根三角点。初めて聞く用語。これもまた小鹿野町。5分ほど休憩。ここも伐採されている。
(頻繁にこの標柱を見た)
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(522m標高点には直進して左か)
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(522m標高点付近)
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落葉で滑る斜面を慎重に下って登る。ここは植林帯。登る先には左側に平らな尾根が覗いている。地図を見ると、南向きから南東に変わって522m標高点に至る。あの平らな尾根に乗ればいいのだろう。ピークから実際は平らでもない尾根を下ってまた登る。522m標高点ピーク。ここにも地籍図根三角点が置かれている。地理院三角点やら地籍図根三角点があちこちに置かれ、鉄塔に着く度に周囲は開ける。それはそれでありがたい。休憩スポットが多いということにもなる。だが、見える風景はアングルを変えただけの両神山といったところで、仕方なく二子山をアップで撮ってみたりする。改めて見ると、向かい側の山腹の鉄塔の数に圧倒される。
(521.9m三角点)
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(安曇幹線・鉄塔302号)
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安曇幹線302号のポールが出てきた。521.9m三角点の南側でクロスする鉄塔が302号のはずだ。反対側に301号→の手書きが付記されている。先に見えるピークが三角点ピークで、その後ろに鉄塔が見えている。ここもまた巡視路を使わずに三角点ピークに登る。
521.9m三角点の標石はヤブの中にひっそりとあった。四等三角点の標石があるだけで、小鹿野町の基準点は置かれていない。写真だけ撮って鉄塔に下る。302号鉄塔。送電線は撤去され、高い火の見櫓のようになっている。この鉄塔もいずれは撤去されるのだろうか。秩父の山に関しては、目印テープ類よりも鉄塔、電線が最高の目印にもなるのだが。
今日は地図を2枚にして持ってきた(前回は4枚だった)。①、②、③と書き込み、①と③は共通図面だ。右岸尾根に関しては後半部に入っているので、ここで地図②を取り出す。後はずっと南下だ。コンパスも文殊峠分岐まではセットせずともいいだろう。
(町有林地標柱)
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(撮るものもなく二子山をアップで)
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(これが先々でやたらとあって)
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(休憩)
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またヒノキの植林に入る。小鹿野町町有林地の標柱が置かれている。伊豆沢宇東沢と地名が書かれているから、西側から宇東沢というのが突き上げているのだろう。伐採地ピークに出ると、ここにも地籍図根三角点。何やら三角点だらけの尾根を歩いている。図根点は、歩きのマークにもならず、自分にはどうでもいい存在だ。
さて、事前の地形図チェックで問題だったのはここのところで、521.9m三角点から先、釜ノ沢五峰からのコースが合流するあたりまでの区間は尾根型が消えている。ここはトラバース区間で、問題なく歩けるものなのかと疑問だったが、その辺は地図読みの甘さだった。この区間は東西から標高線が突き上げていて、自然と尾根状になっている。問題なく尾根型を辿ってコース合流点下まで歩くことができた。
(釜ノ沢五峰からのコースにあのピークで合流する。後は一般道歩きになる)
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(合流点の標識)
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目の前に合流点ピークが見える。ここも伐採地になっていてハイカーの姿が見える。スズを2個付けて歩いているから、音も聞こえたろう。こちらに気づいているようだ。
右に「金精神社」、左は「鉄塔を通り伊豆沢へ」の手書き標識が目に入った。自分が登って来た方向を指しているのか、釜ノ沢五峰方面が「鉄塔を通り伊豆沢へ」なのか微妙なところだが、前者だとしたら、わざわざ標識をつけるほどの歩くハイカーがいるのかいささか疑問だし、後者だとすれば、布沢峠経由ということになるのか。それだとして、どこから伊豆沢に下るのか疑問も残る。やはり、自分の歩いて来た方向を指しているのだろうか。ここまで標識はまったくなかった。手書き以外にもしっかりした標識が置かれ、それには釜ノ沢五峰、文殊峠の方向が記されている。
ここにも小鹿野町の基準点が置かれている。のんびりと休憩したかったが、ハイカーは若い二人連れで、これから休憩に入ろうとしている様子にも見え、妙に落ち着かなく、標識を数枚撮っただけで金精峠に向かう。展望が良かっただけにちょっと残念だ。それにしても、ここは北風が音を立てて吹きさらしになっている。
(下る)
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(ぼろぼろの石祠)
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ここからはいわゆる登山道というかハイキングコースの歩きになる。釜ノ沢五峰を登って、兎岩を経由して下る場合はこのコースになる。鞍部に石祠があった。バラバラになったのを集めて組み立てたのか、屋根の支えは塩ビのパイプになっている。胴体をビニールテープで巻いている。それでも賽銭が置かれている。ここでようやく本日2基目の石祠となったが、以降、文殊峠まで石祠を見ることはなかった。石祠は左岸尾根に集中していて、20基というのは真に受ける数値ではなく、それほど多くの石祠を見かけたという表現だろう。どうも不思議だなとは思ってはいた。
クマだかイノシシのフンがあった。ここまでシカのフンを数か所で見かけただけだったから、むしろハイキングコースの方が遭遇率は高いかもしれない。
一般コースなのにおかしなミスをした。小ピークをそのまま直進して下ってしまった。ここは地図でも微妙なところで、乗り上げたら左に行かないといけないのだが、そのまま下っていた。元に戻るのが面倒でついトラバースしてしまったが、このトラバースはなかなか厳しく、ヤブの急斜面で、復帰するべき尾根が見えた時には心底ほっとした。戻れば良かっただけのことなのに、余計な労力を使うことになってしまった。後日談だが、自分がトラバースした区間のコース上に「モミの巨木」という名物があったらしい。見逃してしまった。やはり、ピークに戻ってコース通りに歩くべきであった。
(中ノ沢分岐。ここで一旦、金精神社に向かう)
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(金精神社)
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(文殊峠)
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(天文台)
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(天文台から。手前に伊豆沢左岸尾根)
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中ノ沢分岐。このまま兎岩の方に向かってもいいが、ちょっと下るだけだから金精神社に寄り道する。この時点では、文殊峠は神社のさらに先とばかりに思っていたから、金精神社のあるところは文殊峠になっていて、天文台(長若天体観測所。私設)まで峠にあったのには得をした気分だった。神社の脇に荷を下ろして周辺をぶらつく。舗装林道がここまで来ている。天文台はちょっとした高台にあり、左岸尾根を歩いた際に小さく見えていた。360度とまではいかないが、西と東側の展望は良好だ。ここにもマンホール型の公共基準点が置かれている。神社の由来板には、日光の金精神社を勧請したとある。ご神体は残念ながら覗けないが、後で同じようなご神体を拝むことになる。
(間違いやすいところはないと記したいが、自分は手前でミスをした)
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(538.6m三角点。竜神山)
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分岐に戻って中ノ沢、竜神山方面に向かう。竜神山とは538.6m三角点ピークの山名のようだ。しばらく植林の中を下る。途中の伐採地には地籍調査三角点。こう三角点だらけになると、もううるさい感じになる。中ノ沢に南下するコースを右手に分け、さらに下ると竜神山山頂の標識。ここだけは開けて明るい。本日4つ目の地理院三角点だ。小鹿野の三角点は置かれていない。
この兎岩尾根はスポットが多くて飽きることはないが、基本的にどんどん下っているから、いずれ登り返しとなるラストの大日峠のことが気になってくる。70~80mほどの標高差があるはずだ。前回の品刕への登り返しの気分と似ている。
(あそこを登るのといった気分だったが)
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(大岩出現)
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(賽ノ洞窟)
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広い伐採地に出ると目の前に鉄塔があった。送電線無しだから安曇線。どうもあの鉄塔に出ないといけないようだが、土壌がむき出しで不安定。恐い感じがしたが、あそこをだれでも登っているんだろうと思うと尻ごみもできない。恐々と何とか登った。この先は岩場やら、足元が不安定なところが続きそうな気配。フィニッシュが兎岩ということだろう。
大岩が立ちはだかった。右下に巻きがある。岩の基部に凹んだところがあって、これが「賽ノ洞窟」。岩肌がハチの巣状にボコボコになっている。この手の岩の内部の形状は、釜ノ沢五峰を歩いた際に法性寺にも間違いルートの大岩にもあった。ロープを伝って、大岩から抜ける。
(大岩ゴロゴロ)
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(兎岩下りの入口)
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(途中から釜ノ沢五峰)
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(出口。下から)
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この先も丸い大きな岩がいくつかあって、その間を下るのだが、通過にちょっとばかり緊張する。左手には釜ノ沢五峰の尾根が見えてくる。
雑木の落葉斜面を下って行くと兎岩。こういうところを下るのはあまり好きではないが、怖いもの見たさの気持ちだけはあった。左右にポールとクサリが続いているので、見た目ほどの恐怖心は出てこないが、下りになっているので、滑ってコテッといったらそのまんまといったところだろう。幸いにも滑りもせずに無事に通過した。岩の表面はザラザラしていて滑り止めの役割を果してくれる。この尾根は見どころがあって、短時間ながらもなかなかおもしろかった。それだけ伊豆沢右岸尾根の方は退屈だったとも言えようか。
(林道に出る)
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(文殊峠分岐)
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(石仏や石碑を見ながら)
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(釜ノ沢五峰入口)
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尾根を避け、ダラダラと踏み跡を追って下ると林道に出た。ほっとしたが、後は法性寺に置いている車に戻るだけといったパターンではないだけに解放感はない。陽のあたった林道わきに腰をおろしてランチタイムとする。スズはとりあえず外す。
車道をテクテク歩く。左手に林道布沢線が分岐する。ここから文殊峠まで歩いて90分と記した標識。石仏や字の読めない石碑、古い墓地が道端に続く。そして釜の沢五峰登山口。法性寺から来ると、途中から車道に出て、ここから登るのが正解コースなのだろうが、無駄な歩きに思えなくもない。長若山荘とかいうこぎれいな旅館がある。
法性寺方面に左折。ここに「巡礼道」という標識が置かれている。その時はさして気にはならなかった。
(弁財天碑)
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(秩父大神社)
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(法性寺)
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秩父大神社を探索して法性寺駐車場。車が12台。山歩きの車が何台かはわからないが、兎岩を下っている時、釜ノ沢五峰で休んでいるハイカーが見えたし、途中で出会った二人連れの車もまたこの中にあるのだろう。
門前のトイレ横のベンチに腰かけ、地図③を取り出して眺めながら一服していると、トイレの中からバタンとドアを閉める大きな音がして、女性が出てきた。ちょっと警戒気味の顔で見られた。おかしな性癖を持った男と見られたら不本意なので、さっさと腰を上げて大日峠に向かう。ここに案内の張り紙があったが、それには大日峠まで0.7kmとある。意外にも近い。
(巡礼道を大日峠へ)
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(この辺は巡礼道っぽい)
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車道から離れて山道に入る。標識には「大日峠を経て小判沢地区へ1.9km」と記されている。分岐にはかなり古い地蔵が置かれている。すぐに巡礼道の札が垂れている。ここが巡礼道であることをようやく気づいた。スズを再びつける。
しっかりした山道を登る。急なところはないが、着実に登っている。これが本日最後の登り道かと思い、かみしめるようにゆっくりと歩く。と言うと聞こえはいいが、実際はかなりくたびれていてさっさと歩けない。この巡礼道、図根点やら境界杭が点々と続いていて、ちょっと興ざめなところがある。
(大日峠)
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(ちょっと頼りない)
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(こちらは作業道といったイメージ)
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大日峠には石仏が2体。ここで峠の「大日」は「大日如来」であることを知る。傍らに大正時代に置かれた石柱があって、「小鹿野道」「從是東南秩父郡長若村」と記されている。峠の西側には尾根伝いに踏み跡が上っている。地図を見ると、これが502.9m三角点に続く破線路だろう。東側にも425.8m三角点があるが、ここから標高差30mほどのものながらも、三角点ついでに行ってみたいという気持ちはまったく起きない。
ここから北に下る。しばらく北風が吹き上げてきて寒く、外していた手袋を履きなおしたが、5分ほどで風はあたらなくなった。
大日峠から先は道が細くなり、ずっと沢沿いになる。沢を渡るところもあり、橋は設けられてはいるが、渡らずに沢に下りた方がいいような橋もあるし、架け替えの橋もある。沢の流れはチョロチョロだ。一帯は植林で、巡礼道というよりも作業道といった感じで、橋のないところでは、その先に首を傾げるところもあるが、南無観世音菩薩の赤い旗が目印にもなる。薄暗い時に歩くにはちょっとした勇気が必要な峠越えの巡礼道だ。
(小判沢集落に出る)
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左上に民家の屋根が見えてきた。小判沢地区に出たようだ。車道に出るところに石仏と弁財天の碑(「辯才天」となっていたが)、石祠が置かれている。その後ろは古い墓地。出たところは小判沢集会所の前。向かい側に広場があって、何だここに車を置けたじゃないかとちょっとがっかり。ストリートビューでは、この広場に黄色のポールが並び、中に入れないようになっていた。今、そのポールはない。今さらと思いながらここで休憩。スズを外して残った菓子パンを食べる。
今日もまたラーメンセットを持ってきていたが、作って食べたいという気持ちにはなれなかった。つい先を急ぐ歩きになってしまっていた。つまり、余裕のない歩きをしている証しだろう。
休みながら、終点が近づき、このまま手ぶらであのオバちゃんにありがとうございましただけの挨拶でいいのかといった思いが改めて出てくる。一期一会の一方通行では失礼だろう。とはいっても、遠回りしてコンビニで気の利いたものを買うのもおかしいし、現金ならさらに失礼だ。ここは丁重な挨拶だけで済ますしかないか。
(こんせい宮。性神という範疇に入るらしい)
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(金園橋を渡って終わり)
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道端に「こんせい宮」という小さな神社があった。ご神体が真ん中に鎮座している。文殊峠の金精神社とのつながりがどうなのかは知らないが、後で調べると個人の神社のようだ。ちゃっかりと丸い石が左右に置かれている。今さらお参りしても…ということで、眺めるだけにした。
金園橋が近づく。今朝がた無理に登った取り付き斜面を見上げたが、何もそこまでせずとも、もっと先に行けば楽に尾根に出られるところがあった。これもまた余裕のない歩きといったところだろう。
駐車地をお借りしたオバちゃんに挨拶に行くと、開口一番「あら、早かったわね」。ちょうど柚子を採っていたところらしく、持って行かないかと言われたが、ウチにも柚子の木があって、冬至に使ったこともあったので、これは心苦しくもお断わりさせていただいた。今度は犬に吠えられてしまった。「ここでよかったらいつでも車を置いていいわよ」とまで言われたが、ここからあちこちに行くベースキャンプにするには、さほどの魅力あるエリアとはいいがたい。
これで伊豆沢の両岸尾根歩きは終わった。こんな尾根にこだわるのも何だが、満足感だけは残った。右岸尾根を歩いてみて、やはり品刕を加えなかった分、そして、起伏の多さを覚悟していただけに、さほどの疲れは残らなかったし、泣きも出なかった。むしろ、左岸尾根に比べて楽だったともいえる。ちなみに、今日の累積標高差は1,186mで左岸尾根歩きに比べると200mほど少なかった。それでいて、出だしの標高は地図に記された241mで、最高点はハイキングコースと合流する地点の570m。これだけの標高差ではせいぜい330mほどのものなのだが。
小鹿野のこの周辺も一通り回ったからもういいだろう。
帰路、利根川を渡ると赤城山がすっきり見えた。一角が白くなっている。黒檜山もそろそろ雪山の季節か。
(本日の軌跡)
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「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
金園橋手前民家駐車地(7:38)……465.4m三角点(8:26)……458m標高点付近(9:04)……502.9m三角点(9:27~9:43)……522m標高点付近(10:20~10:28)……521.9m三角点(10:33)……釜ノ沢五峰からのコース合流(11:00)……文殊峠(11:25)……538.6m三角点・竜神山(11:48)……兎岩(12:13)……林道(12:23)……(昼食)……法性寺(12:59)……大日峠(13:26~13:32)……林道(13:53)……(休憩)……駐車地(14:08)
年内の山行もせいぜいあと2回か。締めは足尾の山にでも行くとして、先日歩いた伊豆沢左岸尾根を終えると、どうしても右岸尾根の方が気になってくる。左岸尾根の様子からして、右岸尾根とてアップダウンが多いだけの面白味のない尾根であることは想像できるが、両方を歩いておかないとどうも気分的に示しがつかない。早いとこ片付けてしまおうと、ここのところ足向けが続く秩父にまた出かけることにした。
余談だが、前記事で仮面林道ライダーさんからコメントをいただき、この期に及んで「累積標高差」なるものが気になり、調べてみると左岸尾根歩きは1,373mだった。地形図を見る限り、右岸尾根の方が起伏は多いようだ。結構、苦労するかもしれないが、破線の逃げ道はかなりある。泣きが出てきたら、これを利用してさっさと下ることにしよう。
今回のコース、品刕はカットし(もう行かずともによいだろう)、釜ノ沢五峰でおかしな歩きをして行きそこねた兎岩のある尾根を体験し、大日峠を経て戻るという算段だ。車道歩きが長そうな気がするが、駐車地に歩いて戻るとなるとこれしかあるまい。
事前にストリートビューを確認すると、赤平川にかかる金園橋手前にちょっとした広場のようなものが見え、車をそこに置くつもりでいたが、着いてみると、広場どころか休耕畑だった。これでは車が置けない。橋の先の林道には車を置けそうな路肩もなかったし、橋の下の河川敷に下れそうだったので、様子を見に行くと、道の崩れを石で補強したりで車を持って行くにはかなりつらい。それどころか、自分の車の場合、途中で勝手にブレーキがかかってしまい、先に進まなくなってしまいそうだ。仕方ない。取り付きの尾根を変えるかと、地図を広げていると、脇を犬の散歩のオバちゃんが通った。「すみません。山歩きなんですが、この辺に車を置けそうな空地あります?そこに置けると思って来たんですけど」。「いやぁ、ないわね。そこは畑だし。どれくらい置くの?」。「7~8時間くらいになるかと思うんですけど」。「じゃ、いいわよ。ウチのとこに置いて」。「それじゃ、いくら何でも…」。「そこの門の前に置いて。私が通れる分あけてもらえばいいから」。「いいんですか。ありがとうございます。じゃお借りします」。気のいいオバちゃんで幸いしたし、タイミングが悪かったら、こうはいかない。その間、こちらは黒い大きな犬にじゃれられていた。
(金園橋。尾根末端は右側)

(ズルズルの斜面を登る)

尾根の末端は岩場で川に落ち込んでいるので先に回る。荒れた感じの急斜面から取り付く。やたらと滑る。立ち木につかまって登るも、腐りかけの木が大半だ。四つん這いになっていると、下から声が聞こえた。見ると、ハイカーが3人。まさか同じことを考えてんじゃあるまいなと思ったが、そのまま林道奥の方に向かって通り過ぎて行った。木立に身が隠れ、何かに憑りつかれたようなこちらの痴態は気づかれなかったようだ。彼らは大日峠から法性寺、釜ノ沢五峰といったコース歩きだろう。もしくは巡礼道ハイキングか。
(尾根に上がる。眼下に小鹿野町)

(いい感じの尾根になった)

(何の残骸か。神社でもあったのかと思ったりしていたのだが)

10分ほどジタバタして尾根に出て、小鹿野の町を見下ろす位置に立った。何の変哲もない尾根だが、右手の北側は切れ落ちている。前回の左岸尾根は植林尾根といったイメージが強く残ったが、そのうちに左が緩斜面になり、広葉樹も広がり、のんびり尾根といった風情になってくる。小さな社のトタン屋根だったのか、それだけが放り出されているのが目についた。何の残骸だろう。
下って登る。やはりここも早々に起伏が出てきた。小鹿野の町が離れていく。心づもりはあったが、左岸尾根で経験していただけに、その後も上り下りの繰り返しに関してはさほどのプレッシャーはかからなかった。そういう尾根伝いなのだと思えば、またかとうんざりすることもない。今日は最後まで苦痛の感覚は出てこなかった。
(465.4m三角点ピークにある石祠)

(傍らのこれが気になったのだが)

最初の三角点、465.4mに到着。北西方向から踏み跡が続いているような気配。石祠があった。年代は元文となっているから古い。それでいながらコンクリート製に見えるはどうしてだろう。小鹿野の中心部を向いている。「古田(吉田?)和泉守政重御代小鹿…」という字も見える。その先は消えかかっている。帰ってから調べると、吉田政重は後北条氏の家臣だったらしい。息子と孫は直江兼続、結城秀康に仕え、後に小鹿野に住み着いたようだ。名胡桃城主だったという説もある。地図を眺めると、秩父周辺の地名に吉田が付くところが多いが、この吉田政重と関係があるのだろうか。
この石祠だが、伊豆沢両岸尾根を歩いた方が、石祠を20基ほど見かけたとネット記事に記されている。先日の左岸尾根で見た数からして、この右岸尾根では少なくとも10基以上は見られるかなと楽しみにもしている。
定番の両神山と二子山が北西側に見えてくる。これに武甲山を加え、ここのところずっと同じ景色の中の歩きになっている。またかと少々飽きもきているが、やはり両神山の存在感は他の山を圧倒している。奇怪なお姿は何とも立派だ。あれを見ていると、足尾の盟主様のお姿が懐かしくなる。
(何かが乗っかっていたんだろうけど)

意味不明の鉄製の支柱が8本。何の残骸か。南西側から破線が入り込むところで、方向は南西から南向きに屈曲する(というか、別尾根に乗り換えるといったところだ)。間違いやすいポイントで、ボーっとして歩いていればそのまま通過してしまいそうだ。南西側の破線とはいってもしっかりした道になっているわけではなく、尾根が下っているだけのこと。今歩いているところとて、さっきの三角点からずっと破線路にはなっているが、道型が通っているわけではない。長年にわたって歩かれ、踏み固められているといったところだろう。
(458m標高点へ)

(458m標高点付近)

植林に入り込む。間伐放置が目につく。この先ずっと通しても、植林の中の歩きはさほどなく、その植林もまたすぐに終わる。大方は雑木林が続いている。登り上げて458m標高点付近。この辺から、岩というほどのものではないが、コケ付きの大きな石が集中しているところを目にする。
(巡視路らしき木の簡易階段)

(502.9m三角点直下。右からゴチャゴチャしたところを登った)

植林のヘリを歩いていると東電ポールがあった。黒部幹線650号とある。今日は巡視路活用をモットーにしているので地図には鉄塔ナンバーを書き込んでいる。ポールの指し示す方向は西に下る破線路にあたる。ということは、歩いているところもまた巡視路を兼ねているということになるのか。先に下ると、階段状に木が埋め込まれている。やはりだ。
先の小ピーク手前で巡視路は迂回した。ここまでのアップダウンにさほどの嫌気がさしているわけでもないのでここは巡視路の利用はしない。もしかして石祠があるかもしれないし。何もなかった。引き続き、502.9m三角点への登り。ここでも巡視路が迂回している。直進する。間伐が重なり、えらく歩きづらく、ピークに達した時には全身、木クズだらけの状態になっていて、背中にも入り込み、落ち着いたところで下着の裾を出し、背中に手を這わせて叩いた。
(三角点ピーク)

(歩いて来た尾根が手前に見えている)

(これから向かう尾根続き)

三角点峰は伐採地のピークで、ここは展望が良い。菓子パンを食べてしばらく休憩する。ここにも石祠はない。何だか話が違うなといった気分がそろそろ出てくる。この先、文殊峠までの間に慌ただしく9基の石祠が出てくるとは思えないのだ。この辺がネット情報の一方通行といったところだろう。
方向がまた変わる。地図を確認すると、三角点からは南西方向の尾根伝いになる。ここまでと同方向に歩くと、大日峠に下ってしまう。地図を確認しないままで歩き出していた。ちょっと方向感覚もおかしくなり、あれが左岸尾根だなと眺めていたのは、これから進む尾根続きだった。同行者がいたら笑われている。
(この中に基準点が置かれている)

(黒部幹線・鉄塔651号)

(ここのところのいつもの風景。両神山を眺め)

(反対側には武甲山)

この先にもピークがあり、巡視路があるのにわざわざ行くまでもないのだが、気になって行ってみると、小鹿野町の図根点が置かれ、傍らに「公共基準点」と記されたマンホールの蓋のようなものがあり、蓋を持ち上げて覗くと、中には小鹿野町基準点。大事なものなのだろう。この先も図根点標やマンホールの蓋をよく目にするようになるが、いずれも最近の設置のようだ。
ヤブをかき分けて下ると、階段付きの巡視路に出、その先に鉄塔651号。黒部幹線は現役のようだ。周囲は刈り払われている。東側に武甲山がよく見えている。この先の尾根は鉄塔設置で削られたのか、引き続きは攀じ登るようで、ちょっとばかり慎重になる。先の開けたピークには地籍図根三角点。初めて聞く用語。これもまた小鹿野町。5分ほど休憩。ここも伐採されている。
(頻繁にこの標柱を見た)

(522m標高点には直進して左か)

(522m標高点付近)

落葉で滑る斜面を慎重に下って登る。ここは植林帯。登る先には左側に平らな尾根が覗いている。地図を見ると、南向きから南東に変わって522m標高点に至る。あの平らな尾根に乗ればいいのだろう。ピークから実際は平らでもない尾根を下ってまた登る。522m標高点ピーク。ここにも地籍図根三角点が置かれている。地理院三角点やら地籍図根三角点があちこちに置かれ、鉄塔に着く度に周囲は開ける。それはそれでありがたい。休憩スポットが多いということにもなる。だが、見える風景はアングルを変えただけの両神山といったところで、仕方なく二子山をアップで撮ってみたりする。改めて見ると、向かい側の山腹の鉄塔の数に圧倒される。
(521.9m三角点)

(安曇幹線・鉄塔302号)

安曇幹線302号のポールが出てきた。521.9m三角点の南側でクロスする鉄塔が302号のはずだ。反対側に301号→の手書きが付記されている。先に見えるピークが三角点ピークで、その後ろに鉄塔が見えている。ここもまた巡視路を使わずに三角点ピークに登る。
521.9m三角点の標石はヤブの中にひっそりとあった。四等三角点の標石があるだけで、小鹿野町の基準点は置かれていない。写真だけ撮って鉄塔に下る。302号鉄塔。送電線は撤去され、高い火の見櫓のようになっている。この鉄塔もいずれは撤去されるのだろうか。秩父の山に関しては、目印テープ類よりも鉄塔、電線が最高の目印にもなるのだが。
今日は地図を2枚にして持ってきた(前回は4枚だった)。①、②、③と書き込み、①と③は共通図面だ。右岸尾根に関しては後半部に入っているので、ここで地図②を取り出す。後はずっと南下だ。コンパスも文殊峠分岐まではセットせずともいいだろう。
(町有林地標柱)

(撮るものもなく二子山をアップで)

(これが先々でやたらとあって)

(休憩)

またヒノキの植林に入る。小鹿野町町有林地の標柱が置かれている。伊豆沢宇東沢と地名が書かれているから、西側から宇東沢というのが突き上げているのだろう。伐採地ピークに出ると、ここにも地籍図根三角点。何やら三角点だらけの尾根を歩いている。図根点は、歩きのマークにもならず、自分にはどうでもいい存在だ。
さて、事前の地形図チェックで問題だったのはここのところで、521.9m三角点から先、釜ノ沢五峰からのコースが合流するあたりまでの区間は尾根型が消えている。ここはトラバース区間で、問題なく歩けるものなのかと疑問だったが、その辺は地図読みの甘さだった。この区間は東西から標高線が突き上げていて、自然と尾根状になっている。問題なく尾根型を辿ってコース合流点下まで歩くことができた。
(釜ノ沢五峰からのコースにあのピークで合流する。後は一般道歩きになる)

(合流点の標識)

目の前に合流点ピークが見える。ここも伐採地になっていてハイカーの姿が見える。スズを2個付けて歩いているから、音も聞こえたろう。こちらに気づいているようだ。
右に「金精神社」、左は「鉄塔を通り伊豆沢へ」の手書き標識が目に入った。自分が登って来た方向を指しているのか、釜ノ沢五峰方面が「鉄塔を通り伊豆沢へ」なのか微妙なところだが、前者だとしたら、わざわざ標識をつけるほどの歩くハイカーがいるのかいささか疑問だし、後者だとすれば、布沢峠経由ということになるのか。それだとして、どこから伊豆沢に下るのか疑問も残る。やはり、自分の歩いて来た方向を指しているのだろうか。ここまで標識はまったくなかった。手書き以外にもしっかりした標識が置かれ、それには釜ノ沢五峰、文殊峠の方向が記されている。
ここにも小鹿野町の基準点が置かれている。のんびりと休憩したかったが、ハイカーは若い二人連れで、これから休憩に入ろうとしている様子にも見え、妙に落ち着かなく、標識を数枚撮っただけで金精峠に向かう。展望が良かっただけにちょっと残念だ。それにしても、ここは北風が音を立てて吹きさらしになっている。
(下る)

(ぼろぼろの石祠)

ここからはいわゆる登山道というかハイキングコースの歩きになる。釜ノ沢五峰を登って、兎岩を経由して下る場合はこのコースになる。鞍部に石祠があった。バラバラになったのを集めて組み立てたのか、屋根の支えは塩ビのパイプになっている。胴体をビニールテープで巻いている。それでも賽銭が置かれている。ここでようやく本日2基目の石祠となったが、以降、文殊峠まで石祠を見ることはなかった。石祠は左岸尾根に集中していて、20基というのは真に受ける数値ではなく、それほど多くの石祠を見かけたという表現だろう。どうも不思議だなとは思ってはいた。
クマだかイノシシのフンがあった。ここまでシカのフンを数か所で見かけただけだったから、むしろハイキングコースの方が遭遇率は高いかもしれない。
一般コースなのにおかしなミスをした。小ピークをそのまま直進して下ってしまった。ここは地図でも微妙なところで、乗り上げたら左に行かないといけないのだが、そのまま下っていた。元に戻るのが面倒でついトラバースしてしまったが、このトラバースはなかなか厳しく、ヤブの急斜面で、復帰するべき尾根が見えた時には心底ほっとした。戻れば良かっただけのことなのに、余計な労力を使うことになってしまった。後日談だが、自分がトラバースした区間のコース上に「モミの巨木」という名物があったらしい。見逃してしまった。やはり、ピークに戻ってコース通りに歩くべきであった。
(中ノ沢分岐。ここで一旦、金精神社に向かう)

(金精神社)

(文殊峠)

(天文台)

(天文台から。手前に伊豆沢左岸尾根)

中ノ沢分岐。このまま兎岩の方に向かってもいいが、ちょっと下るだけだから金精神社に寄り道する。この時点では、文殊峠は神社のさらに先とばかりに思っていたから、金精神社のあるところは文殊峠になっていて、天文台(長若天体観測所。私設)まで峠にあったのには得をした気分だった。神社の脇に荷を下ろして周辺をぶらつく。舗装林道がここまで来ている。天文台はちょっとした高台にあり、左岸尾根を歩いた際に小さく見えていた。360度とまではいかないが、西と東側の展望は良好だ。ここにもマンホール型の公共基準点が置かれている。神社の由来板には、日光の金精神社を勧請したとある。ご神体は残念ながら覗けないが、後で同じようなご神体を拝むことになる。
(間違いやすいところはないと記したいが、自分は手前でミスをした)

(538.6m三角点。竜神山)

分岐に戻って中ノ沢、竜神山方面に向かう。竜神山とは538.6m三角点ピークの山名のようだ。しばらく植林の中を下る。途中の伐採地には地籍調査三角点。こう三角点だらけになると、もううるさい感じになる。中ノ沢に南下するコースを右手に分け、さらに下ると竜神山山頂の標識。ここだけは開けて明るい。本日4つ目の地理院三角点だ。小鹿野の三角点は置かれていない。
この兎岩尾根はスポットが多くて飽きることはないが、基本的にどんどん下っているから、いずれ登り返しとなるラストの大日峠のことが気になってくる。70~80mほどの標高差があるはずだ。前回の品刕への登り返しの気分と似ている。
(あそこを登るのといった気分だったが)

(大岩出現)

(賽ノ洞窟)

広い伐採地に出ると目の前に鉄塔があった。送電線無しだから安曇線。どうもあの鉄塔に出ないといけないようだが、土壌がむき出しで不安定。恐い感じがしたが、あそこをだれでも登っているんだろうと思うと尻ごみもできない。恐々と何とか登った。この先は岩場やら、足元が不安定なところが続きそうな気配。フィニッシュが兎岩ということだろう。
大岩が立ちはだかった。右下に巻きがある。岩の基部に凹んだところがあって、これが「賽ノ洞窟」。岩肌がハチの巣状にボコボコになっている。この手の岩の内部の形状は、釜ノ沢五峰を歩いた際に法性寺にも間違いルートの大岩にもあった。ロープを伝って、大岩から抜ける。
(大岩ゴロゴロ)

(兎岩下りの入口)

(途中から釜ノ沢五峰)

(出口。下から)

この先も丸い大きな岩がいくつかあって、その間を下るのだが、通過にちょっとばかり緊張する。左手には釜ノ沢五峰の尾根が見えてくる。
雑木の落葉斜面を下って行くと兎岩。こういうところを下るのはあまり好きではないが、怖いもの見たさの気持ちだけはあった。左右にポールとクサリが続いているので、見た目ほどの恐怖心は出てこないが、下りになっているので、滑ってコテッといったらそのまんまといったところだろう。幸いにも滑りもせずに無事に通過した。岩の表面はザラザラしていて滑り止めの役割を果してくれる。この尾根は見どころがあって、短時間ながらもなかなかおもしろかった。それだけ伊豆沢右岸尾根の方は退屈だったとも言えようか。
(林道に出る)

(文殊峠分岐)

(石仏や石碑を見ながら)

(釜ノ沢五峰入口)

尾根を避け、ダラダラと踏み跡を追って下ると林道に出た。ほっとしたが、後は法性寺に置いている車に戻るだけといったパターンではないだけに解放感はない。陽のあたった林道わきに腰をおろしてランチタイムとする。スズはとりあえず外す。
車道をテクテク歩く。左手に林道布沢線が分岐する。ここから文殊峠まで歩いて90分と記した標識。石仏や字の読めない石碑、古い墓地が道端に続く。そして釜の沢五峰登山口。法性寺から来ると、途中から車道に出て、ここから登るのが正解コースなのだろうが、無駄な歩きに思えなくもない。長若山荘とかいうこぎれいな旅館がある。
法性寺方面に左折。ここに「巡礼道」という標識が置かれている。その時はさして気にはならなかった。
(弁財天碑)

(秩父大神社)

(法性寺)

秩父大神社を探索して法性寺駐車場。車が12台。山歩きの車が何台かはわからないが、兎岩を下っている時、釜ノ沢五峰で休んでいるハイカーが見えたし、途中で出会った二人連れの車もまたこの中にあるのだろう。
門前のトイレ横のベンチに腰かけ、地図③を取り出して眺めながら一服していると、トイレの中からバタンとドアを閉める大きな音がして、女性が出てきた。ちょっと警戒気味の顔で見られた。おかしな性癖を持った男と見られたら不本意なので、さっさと腰を上げて大日峠に向かう。ここに案内の張り紙があったが、それには大日峠まで0.7kmとある。意外にも近い。
(巡礼道を大日峠へ)

(この辺は巡礼道っぽい)

車道から離れて山道に入る。標識には「大日峠を経て小判沢地区へ1.9km」と記されている。分岐にはかなり古い地蔵が置かれている。すぐに巡礼道の札が垂れている。ここが巡礼道であることをようやく気づいた。スズを再びつける。
しっかりした山道を登る。急なところはないが、着実に登っている。これが本日最後の登り道かと思い、かみしめるようにゆっくりと歩く。と言うと聞こえはいいが、実際はかなりくたびれていてさっさと歩けない。この巡礼道、図根点やら境界杭が点々と続いていて、ちょっと興ざめなところがある。
(大日峠)

(ちょっと頼りない)

(こちらは作業道といったイメージ)

大日峠には石仏が2体。ここで峠の「大日」は「大日如来」であることを知る。傍らに大正時代に置かれた石柱があって、「小鹿野道」「從是東南秩父郡長若村」と記されている。峠の西側には尾根伝いに踏み跡が上っている。地図を見ると、これが502.9m三角点に続く破線路だろう。東側にも425.8m三角点があるが、ここから標高差30mほどのものながらも、三角点ついでに行ってみたいという気持ちはまったく起きない。
ここから北に下る。しばらく北風が吹き上げてきて寒く、外していた手袋を履きなおしたが、5分ほどで風はあたらなくなった。
大日峠から先は道が細くなり、ずっと沢沿いになる。沢を渡るところもあり、橋は設けられてはいるが、渡らずに沢に下りた方がいいような橋もあるし、架け替えの橋もある。沢の流れはチョロチョロだ。一帯は植林で、巡礼道というよりも作業道といった感じで、橋のないところでは、その先に首を傾げるところもあるが、南無観世音菩薩の赤い旗が目印にもなる。薄暗い時に歩くにはちょっとした勇気が必要な峠越えの巡礼道だ。
(小判沢集落に出る)

左上に民家の屋根が見えてきた。小判沢地区に出たようだ。車道に出るところに石仏と弁財天の碑(「辯才天」となっていたが)、石祠が置かれている。その後ろは古い墓地。出たところは小判沢集会所の前。向かい側に広場があって、何だここに車を置けたじゃないかとちょっとがっかり。ストリートビューでは、この広場に黄色のポールが並び、中に入れないようになっていた。今、そのポールはない。今さらと思いながらここで休憩。スズを外して残った菓子パンを食べる。
今日もまたラーメンセットを持ってきていたが、作って食べたいという気持ちにはなれなかった。つい先を急ぐ歩きになってしまっていた。つまり、余裕のない歩きをしている証しだろう。
休みながら、終点が近づき、このまま手ぶらであのオバちゃんにありがとうございましただけの挨拶でいいのかといった思いが改めて出てくる。一期一会の一方通行では失礼だろう。とはいっても、遠回りしてコンビニで気の利いたものを買うのもおかしいし、現金ならさらに失礼だ。ここは丁重な挨拶だけで済ますしかないか。
(こんせい宮。性神という範疇に入るらしい)

(金園橋を渡って終わり)

道端に「こんせい宮」という小さな神社があった。ご神体が真ん中に鎮座している。文殊峠の金精神社とのつながりがどうなのかは知らないが、後で調べると個人の神社のようだ。ちゃっかりと丸い石が左右に置かれている。今さらお参りしても…ということで、眺めるだけにした。
金園橋が近づく。今朝がた無理に登った取り付き斜面を見上げたが、何もそこまでせずとも、もっと先に行けば楽に尾根に出られるところがあった。これもまた余裕のない歩きといったところだろう。
駐車地をお借りしたオバちゃんに挨拶に行くと、開口一番「あら、早かったわね」。ちょうど柚子を採っていたところらしく、持って行かないかと言われたが、ウチにも柚子の木があって、冬至に使ったこともあったので、これは心苦しくもお断わりさせていただいた。今度は犬に吠えられてしまった。「ここでよかったらいつでも車を置いていいわよ」とまで言われたが、ここからあちこちに行くベースキャンプにするには、さほどの魅力あるエリアとはいいがたい。
これで伊豆沢の両岸尾根歩きは終わった。こんな尾根にこだわるのも何だが、満足感だけは残った。右岸尾根を歩いてみて、やはり品刕を加えなかった分、そして、起伏の多さを覚悟していただけに、さほどの疲れは残らなかったし、泣きも出なかった。むしろ、左岸尾根に比べて楽だったともいえる。ちなみに、今日の累積標高差は1,186mで左岸尾根歩きに比べると200mほど少なかった。それでいて、出だしの標高は地図に記された241mで、最高点はハイキングコースと合流する地点の570m。これだけの標高差ではせいぜい330mほどのものなのだが。
小鹿野のこの周辺も一通り回ったからもういいだろう。
帰路、利根川を渡ると赤城山がすっきり見えた。一角が白くなっている。黒檜山もそろそろ雪山の季節か。
(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」