大場谷地駐車場(7:45)……夜明島渓谷の沢に出る(9:39)……前衛滝(9:50)……茶釜の滝(9:58)……沢に復帰(10:10)……雲上の滝(10:25)……沢離脱(10:50)……下り開始(12:44)……駐車場(13:23)
昨夜はちょっと飲み過ぎた。頭が重い。追加の冷酒1本は余計だった。5時に風呂に行く。今日はだれもいない。
ラジオ体操はやめにして、外を軽く散歩した。寒暖計は22℃。昨日よりも4℃高い。今日の「茶釜の滝」、クマの生息地だとか、三大難攻滝の一つだとかの形容がつき、さらに垂直のハシゴを登らないとたどり着けないらしく、ずっとひるんでいたし、こっちに来てからも行くべきかどうか悩んでいた。
気持ちとしては、夜明島渓谷を泊滝から歩いてみたいところだが、そこに行くまで、荒れた林道を10km以上も走らないといけないようだ。これではストレスもたまるし、自分の運転では無理。それ以前に、林道が通行止めになっていたり、崩壊している可能性もある。
となると、山越えルートで大場谷地から行くしかないが、この山越えルートも、大場谷地そのものがクマの生息地で、水芭蕉の花を食べに出没するらしい。クマを3頭も見て、滝見をあきらめた人もいる。さらに、往路は標高差200mの登りで済むが、復路は400mの登りになる。この400mはこの時期としてはつらい歩きになりそうだ。昨日よりも暑いのが気になるところ。朝食もとらずにさっさと出かけたいが、早ければ早いほどにクマとの遭遇率も高くなるだろう。昨夜、酒の力で怪気炎を上げたわりには、今朝はちょっとしぼんでいる。
一昨日の曽利の滝駐車場の前を通り過ぎ、大場谷地の駐車場に着くと、すでに暑くなっていた。昨日の出発時のような曇天ではなく、真っ青な空に陽がギラギラと照っている。案内図板を見ると、「至茶釜の滝(難路)」とあり、「単独での入山は大変危険ですのでご遠慮ください…ガイドを同伴するように…」と記されている。まぁ、自分の場合、今さらながらといったところだから、これは見なかったことにするしかない。
(大場谷地に入る)
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(ここは「展望台」となっている。大方の行楽客はここで引き返す)
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(あの山を越えることになる)
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湿原の中にしばらく木道が続く。ところどころで木道は崩れ、左右から大型の葉が覆い被さり、木道を隠している所もある。この荒れようからすると、奥まで入り込む人はあまりいないのだろう。周囲は開けているので、クマがいればすぐにわかるだろうが、念のため、ホイッスルを鳴らしながら歩く。
(前日と同じで?)
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(これも自分には?がふさわしい)
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(大分焼けた感じの葉が多い。そういう種類なのかは知らない)
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(木道終点。左から来た)
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(登り開始)
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(繰り返しの沢渉り)
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ここの大場谷地湿原、干からびた感じの湿原で、枯れた葉が繁茂しているし、当然、水芭蕉には花もない。10分ほど歩くと、一直線の木道は消え、林の中、か細い踏み跡が上に続いている。この踏み跡、沢沿いに付いていて、沢を何度も渉ることになる。沢の水量は少なく、水没することはない。ちなみに、今日は布製の登山靴を履いて来ている。
(これでも結構急だ)
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(注意深く歩かないと踏み跡を見失う)
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次第に傾斜が急になったので、ストックを2本出して支えにする。無論、クマと出会ったら形ばかりの防御の役割もある。クマといえば、こんなことは滅多にしたことはないが、クマ撃退スプレーをザックの脇に括り付けている。果たして、いざという時に、スムーズにスプレーできるかどうかは疑問が残る。身が固まってしまうのがオチのような気がする。ヘタすれば、冷静さを失い、自分に向けて噴射する可能性すらある。
踏み跡が消えかかっては復活する繰り返しとなり、上がるに連れ、倒木が道を隠したり、葉に覆われて道型が不明瞭なところが出てくる。慎重に歩いたため、今回は一度として踏み跡を失うことはなかったが、暗い時に歩いたら、まずは迷うだろう。
(ギンリョウソウ。これは確定でしょう)
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(? ブドウみたいだか)
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200mを登りきる。すでに汗が吹き出していた。今、1160mあたりにいる。ちなみに、大場谷地の駐車場には965m標高点がある。地図を見ると、この先しばらくは緩い下り傾斜になるはず。本格的な下りは1124m標高点西側を巻いたあたりからで、さらに過激な下りになるのは1050mあたりからのようだ。下りきった沢付近に731m標高点がある。したがって、400mの下り(=登り)とはいっても、正確には430mほどということになる。
この地図、ヤマレコにアップされた軌跡図を刷り出してルート図として持参したもので、実際の歩きとはずれてもいるだろうが、数値の目安に大きな差はないだろう。
(徐々に下っている)
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スズは2個付け、ホイッスルも相変わらずに5分間隔くらいでけたたましく鳴らしている。今日はひとり言はつぶやかない。大声を出す分、体力も消耗しそうだ。直射日光はたまにあたる程度のものだが、風が通わず、とにかく、無性に暑く、すでに手拭いは一本使えなくなっている。
(こういうところは、その先の続きに要注意。巻かずに突っ込んだ方が良い)
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(太いブナの倒木)
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太いブナの樹が続く。木肌に彫った落書きも目にする。新しいものはなく、字は読み取りづらくなっているが、昭和の字がかろうじて読める。ここのルート、おそらく、以前は多くのハイカーに使われていたのだろう。その頃は道型も明瞭だったろう。今は廃道化しつつあり、たまに古いテープを見かけるといった具合だ。いずれにしても、倒木を避けただけで簡単に道を失ってしまいそうだ。
(急になるが、しばらくはジグザグの踏み跡になっている)
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次第に急になってくる。尾根通しの下りのうちはよかったが、北東から北西に方向転換するようになると、傾斜はさらに増す。ここで念のために手袋を履き、ストックをしまう。だが、樹に抱きつきながらの下りといったほどのものではなく、実は、先人の記事を読みながら、相当にひどい急坂だろうと思っていただけに、この時点ではちょっと拍子抜けの感がある。まぁ、普通の急坂といったレベルだ。まして、この先にある崩壊地(これもまた実際は崩壊という言葉が適当かどうか疑問になった)までは、道型もしっかりと復活していて、クネクネとし、傾斜を緩めた道になっていた。沢音も次第に近づいてきている。ここまでは、楽観的になっていた。何だこのなものだったのかって。
(足元にトラロープ。これでは気づかない)
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(あの白いロープに向かう)
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(振り返って。ここが崩壊地らしいが、よくわからない)
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倒木、枝折れ、ヤブが加わってくると、足元にトラロープが現れた。下葉に隠れ、注意していないと気づかない。大分、水が流れ込んでいる。もしかして、ここが崩壊地か。だが、周囲には大きなフキやらが繁茂して、全容が見えない。ここで進行方向を間違いそうになった。トラロープがおかしな方向に張り出してあったりする(もしかすると、崩壊地をそのまま下るロープだったかも)。正面にボンボリ状になった白いロープが見え、そちらに行くと正解だった。踏み跡復活。
(ヤセ尾根下り)
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(クサリも有り)
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(沢は見えているのだが、ここからが超難関&危険エリア。滑りまくる)
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一旦、ヤセた尾根を下る。これは今まで以上の傾斜だが、ロープとクサリがあって助かる。これがなかったら、相当にきつい。ロープ頼りに下っていたら、気持ちの余裕も失せていたのか、右下に見えるはずの雲上の滝も見逃してしまっていたが、この時は、この時期だし、緑が深いから見えないのだろうと思っていた。
(このヤブの中の下りが最悪だった)
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(沢に出る)
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崩壊地から先はかなりきつい状態になったが、小尾根から崩壊地の下に移ってからがさらに面倒だった。沢はすぐそこに見えているのに、すでに楽観気分は飛んでいる。ズルズルの急斜面になった。水気も相当にある。そこに頼りないトラロープが添えてある。周囲に木枝の類はなく、つい、すがるものがなくフキの茎に手を出してしまった。ポキッと折れてズルッと滑った。このトラロープを使うしかないようだ。両足を突っ張って、何とかふんばりながら沢に出た。
沢で石に腰かけ、最初に思ったことは、滝見を済ませたら、このまま夜明島渓谷を下ってしまおうかということだった。だが、そうもいくまい。いくつかの滝を越え、崩壊林道を10km以上歩き、その先に光明があるわけでもない。ここを戻るしかないのだ。
ぐったりしていた。沢の水もがぶ飲みした。まして、ここはジリジリと暑い。落ち着いたところで、沢靴に履き替え、汚れた手拭いを洗って頭に巻いてヘルメットをかぶった。ストックと登山靴、帽子はこの場に置き、まずは下流の茶釜の滝へ。
(これと)
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(これの脇を下る)
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まさかと思ったが、予定外の5~6m級の小滝を2つ越える。いずれも、脇にロープがあったので、しっかりと利用した。なかったら、先には進めない。
(そして、あの小滝のテラスに上がる)
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(茶釜の滝の前衛滝。左に垂直ハシゴ)
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3つ目の小滝の上にすり抜けると、左から沢が合流してくる。これだな。先に行くと、茶釜の滝の前衛滝が見えた。そして、左の岩壁には、ウワサの垂直ハシゴ。上はヤブになって、その先の様子がよくわからない。
(こんなところを登る)
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ハシゴに取り付く。自分はこういうのは大の苦手で、庚申山のハシゴですら嫌いなのに、ここは垂直で、途中でハシゴの乗り換えが何度かある。ハシゴもまた、足先に余裕スペースがなく、岩にベッタリとくっついているところもある。とにかく、下だけは見ないように一歩一歩足をかけて登った。
(滝名板)
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傾斜が緩み、周囲も広くなったが、ハシゴは消えない。ヘタに勝手に歩いたらとんでもないことになりそうなので、そのままハシゴを伝って登り上げると、「茶釜ノ滝」の手書き標識があった。ようやく茶釜の滝に出会えた。ここは2人で立っているには狭いが、1人なら余裕だ。確かに、自分には難攻の滝であった。
(茶釜の滝。狭いところからの撮影につき、このアングルしかない)
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(滝の上部)
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(滝の下部。滝に打たれている人の姿のようなのが見える)
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豪瀑だ。『あきたの滝』には推定落差100mとある。そんなにあるとは思えないが、ズルズルさせながら見にやって来ただけの価値は十分にある滝だ。しばらく眺めていたが、滝の頭が南側にあるため、どうしても、写真を撮ると頭が白くなってしまう。これは残念だ。後で見る雲上の滝もまた同じ条件になってしまった。
ところで、どこが「茶釜」だったのか、眺めながらいろいろと思考錯誤したが、とうとうわからずじまいだった。
(下る)
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ゆっくりして、ハシゴを慎重に下る。登りと違って、下りの方が足元が見えないので、乗り換えに気を遣う。着地した時にはほっとし、ノドがカラカラになってしまった。
(雲上の滝)
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(上)
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(下)
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(改めて)
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引き返して、荷物デポ地を素通りして雲上の滝へ。こちらの方は予期せぬ障害もなくたどり着いた。こちらは品の良い滝だ。『あきたの滝』推定落差20m。茶釜の滝がこれの5倍の落差があるとも思えないが、実際のところはどんなものなのだろうか。
茶釜の滝と雲上の滝を比較し、自分の好みは雲上の滝の方になるが、豪瀑としての良さは茶釜の滝だろうな(何を言っているのか自分でもよくわからない)。とにかく満足できた。
(登り返し区間にはペンキの目印等がいくつかある。大方が下にあり、この時期は要注意か)
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そろそろ戻るか。靴を登山口に履き替え、ヘルメットは外す。チェーンスパイクを巻こうと思ったが、思っただけで終わった。ここからの登り返しの400m、特に、このすぐ先は嫌だなぁといった気分的なものもあるのか、もしくは炎天下をほっつき歩いたせいか、熱中症の気配を感じる。頭もぼーっとして、どうでもいい気分。身体も熱い。気分的なものだろうが、念のため、ワークマンで買っておいた塩熱サプリなるものをかじった。
では出発。今度は最初からトラロープ頼りに登った。とにかく、崩壊地までの半端でない急斜面だけは無理してでも早いとこ済ませてしまおう、後は千鳥足の登りになっても構わない。
(小尾根から雲上の滝)
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小尾根に立つと、左に雲上の滝が見えた。何だ、やはり見えたじゃないか。よほどに気持ちの余裕がなかったようだな。ここからの眺めなら、紅葉の時期が秀逸だろう。
崩壊地を通過。この先は、完全に登っては休みの繰り返しになり、トータルして休みタイムがオーバーになってしまった。風がまったく通らず、沢で入れ替えた2リットルの水も、登りきるまでの間にあっさりと1リットルは飲んでしまった。
(ブナの樹の落書き)
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(変化のないところをずっと歩くので、こんなのがちょっとした変化にもなる)
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(200mの下りになる。かなりほっとしている)
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(休憩)
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ほぼ2時間近くかけて上り部分を歩き通し、ようやく下りになった。後は道を間違えたり、この期に及んでクマに出会わなければいい。途中、沢辺で腰をおろし、冷たい沢水をゴクゴク。あぁうめぇ。
(モミジカラマツ?)
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(木道歩きに復帰)
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(この辺まで来る人はまれだろう)
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(サワギキョウ?)
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(この湿原もまた良い展望だが)
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(ワタスゲ。今回は出番が多い)
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(帰り着く)
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(ちなみに今日のクマ対策グッズ)
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木道をテクテク歩いて大場谷地湿原入口の東屋で休んだ。ここは日陰で少しは直射から解放される。ベンチがたちまちのうちにズボンの汗で濡れた。どうせならと、ここでまたラーメンを作って食べた。周囲には、湿原にちょっと入り込む行楽客が4~5人。皆さん、100mも歩かずに戻って来る。暑いだけで、たいして見る物もなかったのだろう。
宿に帰って部屋替えとなったが、移された部屋は安いとはいえ条件が悪く、西日の射し込む部屋だった。風通しがなく、えらく暑い。温泉に入り、扇風機を強にし、横になって缶チューを飲んでいても汗がダラダラと流れる。たまらずに「必殺」だけを見て、もう一度風呂に入り直し、後はロビーでアイスを食べたりコーヒーを飲んだり、本を読んで夕食までの時間をつぶした。
さすがに疲れていたのか、夕食では生ビールと冷酒を1本だけで済ませ、部屋に戻って、メールなんかしていたら、8時過ぎには寝てしまった。
(本日の軌跡。右側に一昨日の「曽利の滝」)
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「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
【そして後日談】
翌日22日。早く寝たせいで、2時半に目が覚めた。風呂に行くと、同類のお早い目覚めのオッサンが入っていた。
夜が明けるまで、寝床で本を読んでいた。
6時に散歩に出かける。気温は20℃。今日の予定は、まずはサクッと八幡平歩きだったが、上空の雲が黒く、今にも雨が降りそうな気配になっている。部屋に戻ってテレビで天気予報を見ると、今日明日と前線が秋田、岩手に停滞して大雨・雷・洪水警報が出ている。午後からの雨どころか、すぐにでも降り出すだろう。こりゃダメだな。昨日のうちに情報収集しておけばよかった。
もう、このまま帰るか。
だが、母親から、叔父の見舞いに行って来てくれと頼まれていたので、北秋田市の病院に行かざるを得ない。だったら、墓参りもしないわけにもいかないな。
朝食後、精算を済ませてすぐに出発、ここから鹿角八幡平インターまで出ることになるが、高速に乗った途端に土砂降りになり、大館に着くと、周囲は真っ暗で、ひっきりなしの雷鳴が轟いていた。コンビニで見舞い袋を買おうと、傘も出さずにほんの5~6歩ダッシュだけでずぶ濡れになった。
早いとこ帰らないとまずいことになるんじゃないのかと危惧したが、ここまで来たら行くしかない。予定通りの行動を急いでとることにする。
見舞いに行ったオレの存在がわかっているのかわからないのか、こちらには不明な様子の、天皇陛下と同じ年の叔父を見舞い、阿仁に寄って墓参り。この雨では線香なぞ立てられるわけもなく、手を合わせただけで終了。
そのまま田沢湖経由で盛岡インターに向かった。雨は一時的に小止みになったりしたが、基本は豪雨。さて、インターに入る前に給油をしないとまたムダ銭を使うことになると、スタンドを探し回ったが、盛岡方面左側にスタンドはなく、ようやく見つけたのがインター直前のスタンド。ここはリッター120円のセルフだった。安すぎるので気になったが、JAでやっているスタンドだから混ぜ物はないだろう。
岩手県を抜けるまで土砂降りは続いた。ワイパーは忙しく、ライトは点灯のまま走った。
宮城で雨は上がったが、その後も集中的に降るところがあって、郡山と宇都宮でも豪雨となり、ノロノロ運転になった。
雨に追いかけられながらの帰宅。あと2~3日は秋田で適当に遊ぶつもりでいたが、これはできなかった。後一日でも出発が遅れていたら、山どころの話ではなくなり、秋田県から出られない状態になっていたろう。まぁ、毎日が日曜日だから、切迫感はなかったろうが。
取り残し分は、いずれまた、紅葉の時期にでも行きたいものだが、果たして、その時の自分がどういう立場になっているのか。それが問題だわなぁ。相変わらず日曜日続きということもあり得るし。
昨夜はちょっと飲み過ぎた。頭が重い。追加の冷酒1本は余計だった。5時に風呂に行く。今日はだれもいない。
ラジオ体操はやめにして、外を軽く散歩した。寒暖計は22℃。昨日よりも4℃高い。今日の「茶釜の滝」、クマの生息地だとか、三大難攻滝の一つだとかの形容がつき、さらに垂直のハシゴを登らないとたどり着けないらしく、ずっとひるんでいたし、こっちに来てからも行くべきかどうか悩んでいた。
気持ちとしては、夜明島渓谷を泊滝から歩いてみたいところだが、そこに行くまで、荒れた林道を10km以上も走らないといけないようだ。これではストレスもたまるし、自分の運転では無理。それ以前に、林道が通行止めになっていたり、崩壊している可能性もある。
となると、山越えルートで大場谷地から行くしかないが、この山越えルートも、大場谷地そのものがクマの生息地で、水芭蕉の花を食べに出没するらしい。クマを3頭も見て、滝見をあきらめた人もいる。さらに、往路は標高差200mの登りで済むが、復路は400mの登りになる。この400mはこの時期としてはつらい歩きになりそうだ。昨日よりも暑いのが気になるところ。朝食もとらずにさっさと出かけたいが、早ければ早いほどにクマとの遭遇率も高くなるだろう。昨夜、酒の力で怪気炎を上げたわりには、今朝はちょっとしぼんでいる。
一昨日の曽利の滝駐車場の前を通り過ぎ、大場谷地の駐車場に着くと、すでに暑くなっていた。昨日の出発時のような曇天ではなく、真っ青な空に陽がギラギラと照っている。案内図板を見ると、「至茶釜の滝(難路)」とあり、「単独での入山は大変危険ですのでご遠慮ください…ガイドを同伴するように…」と記されている。まぁ、自分の場合、今さらながらといったところだから、これは見なかったことにするしかない。
(大場谷地に入る)

(ここは「展望台」となっている。大方の行楽客はここで引き返す)

(あの山を越えることになる)

湿原の中にしばらく木道が続く。ところどころで木道は崩れ、左右から大型の葉が覆い被さり、木道を隠している所もある。この荒れようからすると、奥まで入り込む人はあまりいないのだろう。周囲は開けているので、クマがいればすぐにわかるだろうが、念のため、ホイッスルを鳴らしながら歩く。
(前日と同じで?)

(これも自分には?がふさわしい)

(大分焼けた感じの葉が多い。そういう種類なのかは知らない)

(木道終点。左から来た)

(登り開始)

(繰り返しの沢渉り)

ここの大場谷地湿原、干からびた感じの湿原で、枯れた葉が繁茂しているし、当然、水芭蕉には花もない。10分ほど歩くと、一直線の木道は消え、林の中、か細い踏み跡が上に続いている。この踏み跡、沢沿いに付いていて、沢を何度も渉ることになる。沢の水量は少なく、水没することはない。ちなみに、今日は布製の登山靴を履いて来ている。
(これでも結構急だ)

(注意深く歩かないと踏み跡を見失う)

次第に傾斜が急になったので、ストックを2本出して支えにする。無論、クマと出会ったら形ばかりの防御の役割もある。クマといえば、こんなことは滅多にしたことはないが、クマ撃退スプレーをザックの脇に括り付けている。果たして、いざという時に、スムーズにスプレーできるかどうかは疑問が残る。身が固まってしまうのがオチのような気がする。ヘタすれば、冷静さを失い、自分に向けて噴射する可能性すらある。
踏み跡が消えかかっては復活する繰り返しとなり、上がるに連れ、倒木が道を隠したり、葉に覆われて道型が不明瞭なところが出てくる。慎重に歩いたため、今回は一度として踏み跡を失うことはなかったが、暗い時に歩いたら、まずは迷うだろう。
(ギンリョウソウ。これは確定でしょう)

(? ブドウみたいだか)

200mを登りきる。すでに汗が吹き出していた。今、1160mあたりにいる。ちなみに、大場谷地の駐車場には965m標高点がある。地図を見ると、この先しばらくは緩い下り傾斜になるはず。本格的な下りは1124m標高点西側を巻いたあたりからで、さらに過激な下りになるのは1050mあたりからのようだ。下りきった沢付近に731m標高点がある。したがって、400mの下り(=登り)とはいっても、正確には430mほどということになる。
この地図、ヤマレコにアップされた軌跡図を刷り出してルート図として持参したもので、実際の歩きとはずれてもいるだろうが、数値の目安に大きな差はないだろう。
(徐々に下っている)

スズは2個付け、ホイッスルも相変わらずに5分間隔くらいでけたたましく鳴らしている。今日はひとり言はつぶやかない。大声を出す分、体力も消耗しそうだ。直射日光はたまにあたる程度のものだが、風が通わず、とにかく、無性に暑く、すでに手拭いは一本使えなくなっている。
(こういうところは、その先の続きに要注意。巻かずに突っ込んだ方が良い)

(太いブナの倒木)

太いブナの樹が続く。木肌に彫った落書きも目にする。新しいものはなく、字は読み取りづらくなっているが、昭和の字がかろうじて読める。ここのルート、おそらく、以前は多くのハイカーに使われていたのだろう。その頃は道型も明瞭だったろう。今は廃道化しつつあり、たまに古いテープを見かけるといった具合だ。いずれにしても、倒木を避けただけで簡単に道を失ってしまいそうだ。
(急になるが、しばらくはジグザグの踏み跡になっている)

次第に急になってくる。尾根通しの下りのうちはよかったが、北東から北西に方向転換するようになると、傾斜はさらに増す。ここで念のために手袋を履き、ストックをしまう。だが、樹に抱きつきながらの下りといったほどのものではなく、実は、先人の記事を読みながら、相当にひどい急坂だろうと思っていただけに、この時点ではちょっと拍子抜けの感がある。まぁ、普通の急坂といったレベルだ。まして、この先にある崩壊地(これもまた実際は崩壊という言葉が適当かどうか疑問になった)までは、道型もしっかりと復活していて、クネクネとし、傾斜を緩めた道になっていた。沢音も次第に近づいてきている。ここまでは、楽観的になっていた。何だこのなものだったのかって。
(足元にトラロープ。これでは気づかない)

(あの白いロープに向かう)

(振り返って。ここが崩壊地らしいが、よくわからない)

倒木、枝折れ、ヤブが加わってくると、足元にトラロープが現れた。下葉に隠れ、注意していないと気づかない。大分、水が流れ込んでいる。もしかして、ここが崩壊地か。だが、周囲には大きなフキやらが繁茂して、全容が見えない。ここで進行方向を間違いそうになった。トラロープがおかしな方向に張り出してあったりする(もしかすると、崩壊地をそのまま下るロープだったかも)。正面にボンボリ状になった白いロープが見え、そちらに行くと正解だった。踏み跡復活。
(ヤセ尾根下り)

(クサリも有り)

(沢は見えているのだが、ここからが超難関&危険エリア。滑りまくる)

一旦、ヤセた尾根を下る。これは今まで以上の傾斜だが、ロープとクサリがあって助かる。これがなかったら、相当にきつい。ロープ頼りに下っていたら、気持ちの余裕も失せていたのか、右下に見えるはずの雲上の滝も見逃してしまっていたが、この時は、この時期だし、緑が深いから見えないのだろうと思っていた。
(このヤブの中の下りが最悪だった)

(沢に出る)

崩壊地から先はかなりきつい状態になったが、小尾根から崩壊地の下に移ってからがさらに面倒だった。沢はすぐそこに見えているのに、すでに楽観気分は飛んでいる。ズルズルの急斜面になった。水気も相当にある。そこに頼りないトラロープが添えてある。周囲に木枝の類はなく、つい、すがるものがなくフキの茎に手を出してしまった。ポキッと折れてズルッと滑った。このトラロープを使うしかないようだ。両足を突っ張って、何とかふんばりながら沢に出た。
沢で石に腰かけ、最初に思ったことは、滝見を済ませたら、このまま夜明島渓谷を下ってしまおうかということだった。だが、そうもいくまい。いくつかの滝を越え、崩壊林道を10km以上歩き、その先に光明があるわけでもない。ここを戻るしかないのだ。
ぐったりしていた。沢の水もがぶ飲みした。まして、ここはジリジリと暑い。落ち着いたところで、沢靴に履き替え、汚れた手拭いを洗って頭に巻いてヘルメットをかぶった。ストックと登山靴、帽子はこの場に置き、まずは下流の茶釜の滝へ。
(これと)

(これの脇を下る)

まさかと思ったが、予定外の5~6m級の小滝を2つ越える。いずれも、脇にロープがあったので、しっかりと利用した。なかったら、先には進めない。
(そして、あの小滝のテラスに上がる)

(茶釜の滝の前衛滝。左に垂直ハシゴ)

3つ目の小滝の上にすり抜けると、左から沢が合流してくる。これだな。先に行くと、茶釜の滝の前衛滝が見えた。そして、左の岩壁には、ウワサの垂直ハシゴ。上はヤブになって、その先の様子がよくわからない。
(こんなところを登る)

ハシゴに取り付く。自分はこういうのは大の苦手で、庚申山のハシゴですら嫌いなのに、ここは垂直で、途中でハシゴの乗り換えが何度かある。ハシゴもまた、足先に余裕スペースがなく、岩にベッタリとくっついているところもある。とにかく、下だけは見ないように一歩一歩足をかけて登った。
(滝名板)

傾斜が緩み、周囲も広くなったが、ハシゴは消えない。ヘタに勝手に歩いたらとんでもないことになりそうなので、そのままハシゴを伝って登り上げると、「茶釜ノ滝」の手書き標識があった。ようやく茶釜の滝に出会えた。ここは2人で立っているには狭いが、1人なら余裕だ。確かに、自分には難攻の滝であった。
(茶釜の滝。狭いところからの撮影につき、このアングルしかない)

(滝の上部)

(滝の下部。滝に打たれている人の姿のようなのが見える)

豪瀑だ。『あきたの滝』には推定落差100mとある。そんなにあるとは思えないが、ズルズルさせながら見にやって来ただけの価値は十分にある滝だ。しばらく眺めていたが、滝の頭が南側にあるため、どうしても、写真を撮ると頭が白くなってしまう。これは残念だ。後で見る雲上の滝もまた同じ条件になってしまった。
ところで、どこが「茶釜」だったのか、眺めながらいろいろと思考錯誤したが、とうとうわからずじまいだった。
(下る)

ゆっくりして、ハシゴを慎重に下る。登りと違って、下りの方が足元が見えないので、乗り換えに気を遣う。着地した時にはほっとし、ノドがカラカラになってしまった。
(雲上の滝)

(上)

(下)

(改めて)

引き返して、荷物デポ地を素通りして雲上の滝へ。こちらの方は予期せぬ障害もなくたどり着いた。こちらは品の良い滝だ。『あきたの滝』推定落差20m。茶釜の滝がこれの5倍の落差があるとも思えないが、実際のところはどんなものなのだろうか。
茶釜の滝と雲上の滝を比較し、自分の好みは雲上の滝の方になるが、豪瀑としての良さは茶釜の滝だろうな(何を言っているのか自分でもよくわからない)。とにかく満足できた。
(登り返し区間にはペンキの目印等がいくつかある。大方が下にあり、この時期は要注意か)

そろそろ戻るか。靴を登山口に履き替え、ヘルメットは外す。チェーンスパイクを巻こうと思ったが、思っただけで終わった。ここからの登り返しの400m、特に、このすぐ先は嫌だなぁといった気分的なものもあるのか、もしくは炎天下をほっつき歩いたせいか、熱中症の気配を感じる。頭もぼーっとして、どうでもいい気分。身体も熱い。気分的なものだろうが、念のため、ワークマンで買っておいた塩熱サプリなるものをかじった。
では出発。今度は最初からトラロープ頼りに登った。とにかく、崩壊地までの半端でない急斜面だけは無理してでも早いとこ済ませてしまおう、後は千鳥足の登りになっても構わない。
(小尾根から雲上の滝)

小尾根に立つと、左に雲上の滝が見えた。何だ、やはり見えたじゃないか。よほどに気持ちの余裕がなかったようだな。ここからの眺めなら、紅葉の時期が秀逸だろう。
崩壊地を通過。この先は、完全に登っては休みの繰り返しになり、トータルして休みタイムがオーバーになってしまった。風がまったく通らず、沢で入れ替えた2リットルの水も、登りきるまでの間にあっさりと1リットルは飲んでしまった。
(ブナの樹の落書き)

(変化のないところをずっと歩くので、こんなのがちょっとした変化にもなる)

(200mの下りになる。かなりほっとしている)

(休憩)

ほぼ2時間近くかけて上り部分を歩き通し、ようやく下りになった。後は道を間違えたり、この期に及んでクマに出会わなければいい。途中、沢辺で腰をおろし、冷たい沢水をゴクゴク。あぁうめぇ。
(モミジカラマツ?)

(木道歩きに復帰)

(この辺まで来る人はまれだろう)

(サワギキョウ?)

(この湿原もまた良い展望だが)

(ワタスゲ。今回は出番が多い)

(帰り着く)

(ちなみに今日のクマ対策グッズ)

木道をテクテク歩いて大場谷地湿原入口の東屋で休んだ。ここは日陰で少しは直射から解放される。ベンチがたちまちのうちにズボンの汗で濡れた。どうせならと、ここでまたラーメンを作って食べた。周囲には、湿原にちょっと入り込む行楽客が4~5人。皆さん、100mも歩かずに戻って来る。暑いだけで、たいして見る物もなかったのだろう。
宿に帰って部屋替えとなったが、移された部屋は安いとはいえ条件が悪く、西日の射し込む部屋だった。風通しがなく、えらく暑い。温泉に入り、扇風機を強にし、横になって缶チューを飲んでいても汗がダラダラと流れる。たまらずに「必殺」だけを見て、もう一度風呂に入り直し、後はロビーでアイスを食べたりコーヒーを飲んだり、本を読んで夕食までの時間をつぶした。
さすがに疲れていたのか、夕食では生ビールと冷酒を1本だけで済ませ、部屋に戻って、メールなんかしていたら、8時過ぎには寝てしまった。
(本日の軌跡。右側に一昨日の「曽利の滝」)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
【そして後日談】
翌日22日。早く寝たせいで、2時半に目が覚めた。風呂に行くと、同類のお早い目覚めのオッサンが入っていた。
夜が明けるまで、寝床で本を読んでいた。
6時に散歩に出かける。気温は20℃。今日の予定は、まずはサクッと八幡平歩きだったが、上空の雲が黒く、今にも雨が降りそうな気配になっている。部屋に戻ってテレビで天気予報を見ると、今日明日と前線が秋田、岩手に停滞して大雨・雷・洪水警報が出ている。午後からの雨どころか、すぐにでも降り出すだろう。こりゃダメだな。昨日のうちに情報収集しておけばよかった。
もう、このまま帰るか。
だが、母親から、叔父の見舞いに行って来てくれと頼まれていたので、北秋田市の病院に行かざるを得ない。だったら、墓参りもしないわけにもいかないな。
朝食後、精算を済ませてすぐに出発、ここから鹿角八幡平インターまで出ることになるが、高速に乗った途端に土砂降りになり、大館に着くと、周囲は真っ暗で、ひっきりなしの雷鳴が轟いていた。コンビニで見舞い袋を買おうと、傘も出さずにほんの5~6歩ダッシュだけでずぶ濡れになった。
早いとこ帰らないとまずいことになるんじゃないのかと危惧したが、ここまで来たら行くしかない。予定通りの行動を急いでとることにする。
見舞いに行ったオレの存在がわかっているのかわからないのか、こちらには不明な様子の、天皇陛下と同じ年の叔父を見舞い、阿仁に寄って墓参り。この雨では線香なぞ立てられるわけもなく、手を合わせただけで終了。
そのまま田沢湖経由で盛岡インターに向かった。雨は一時的に小止みになったりしたが、基本は豪雨。さて、インターに入る前に給油をしないとまたムダ銭を使うことになると、スタンドを探し回ったが、盛岡方面左側にスタンドはなく、ようやく見つけたのがインター直前のスタンド。ここはリッター120円のセルフだった。安すぎるので気になったが、JAでやっているスタンドだから混ぜ物はないだろう。
岩手県を抜けるまで土砂降りは続いた。ワイパーは忙しく、ライトは点灯のまま走った。
宮城で雨は上がったが、その後も集中的に降るところがあって、郡山と宇都宮でも豪雨となり、ノロノロ運転になった。
雨に追いかけられながらの帰宅。あと2~3日は秋田で適当に遊ぶつもりでいたが、これはできなかった。後一日でも出発が遅れていたら、山どころの話ではなくなり、秋田県から出られない状態になっていたろう。まぁ、毎日が日曜日だから、切迫感はなかったろうが。
取り残し分は、いずれまた、紅葉の時期にでも行きたいものだが、果たして、その時の自分がどういう立場になっているのか。それが問題だわなぁ。相変わらず日曜日続きということもあり得るし。