◎2019年2月17日(日)
県営湖畔第一駐車場……二荒山神社からの正規ルートに合流……男体山山頂を目指す……2回の林道ショートカット……撤退のタイミングを何度も模索する……何とか男体山山頂……奥宮までは行ったが、男体山神社までは行かず……下る……正規コースで林道を歩いてみたが……結局ショートカットして……二荒山神社への分岐……駐車場
※歩きタイムは本文内容からして敢えて記しません。写真の陽射しかげんと文章表現で想像してください。ちなみに、昭文社マップでのコースタイムは往復で6時間30分。今回はそれに比べてかなりのお笑いタイムで歩いています。
男体山に行ったら、帰路途中で西側にある丸山なる山にトラバースして行ってみようか、帰り道で凍りついた竜頭の滝を観に行こうかといったそれなりの目論見があった。この時期の男体山は同ルートで10年前に登っている。この時は往路に3時間半、復路に2時間5分を費やし、計5時間35分で歩いた。この10年前の体力が10年後の今に維持されているわけがない。年毎に衰えていく体力は如何ともしがたい。10歳年をとり、体力が2、3歳落ちで済ませられればどんなにハッピーなことか。このことを忘れているわけでもないのだが、標準タイムで歩ければ丸山寄り道の目論見もまたすんなりいくだろうと思っていた。
数か月前のことだが、HIDEJIさんのブログに、「時期的に」男体山はあきらめたといった記載があり、いやそんなことはありませんよとコメントを入れた。そのことが頭にあったのか、秩父方面の予定は時間もかかりそうだし、もう少し先延ばしにして、軽く雪遊びが楽しめそうな男体山に行くことにした。社山でもよかったが、5月5日までは「入山厳禁」となっている男体山はハイカーが少ない穴場のはず。むしろ今が旬の時といえるかもしれない。
男体山には入山料を払って登ったことが一度だけある。35年前のこと。今は500円らしいが、当時はもっと多額の入山料を払ったような気がする。それ以降は北側やら西側から登り、財布を開いたことはない。入山料を取るのは、山そのものが二荒山神社の私有地(境内)である以上は仕方がない。だから、一回登れば、二回目以降は金のかからない登り方をするのが自然な発想になる。ただ、南側ルートは中禅寺湖やその南岸の山々、ちらりと覗く足尾の山々を眺めながら登って行けるという魅力があり、他のコースでは山頂までその期待はできない。となると、正面から堂々とではなく、脇からちゃっかりというルートができてしまう。神社側もそんなことは承知だろうが、見張り番を置いてまで監視するわけにもいくまい。
ということで、今回も10年前同様に県営湖畔第一駐車場に車を入れる。ここは出入りゲートが自動になっていて、出る際に代金310円を挿入するとゲートが上がる。この時期は奥日光の観光客も少ないせいか、8時だというのに他に車が2台あるのみ。うち宮城県ナンバーの車に乗って来た青年ハイカーが自分の到着直後に男体山に向けて出発した。彼を追いかける形になる(その時はそう思っていた)。追われるよりは追う方が良いに決まっている。
念のためワカンをザックに括り付けていたが、見上げる男体山に白いところは見えず、邪魔になるだけかもなとワカンは外した。今季の日光の山の雪は少ないようだという情報を知ってはいたが、上に雪がなかったらかなりがっかりだ。登り一辺倒なので早々にストックを出して出発。雪対策の装備としてはアイゼンとチェーンスパイクのみ。
(脇道は左下にあるが、人間の性というものか、罪悪感を抱いて離れて歩こうとするのか、こんな中途半端な踏み跡がたくさんある)
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(オノレもまた脇道歩きになってしまう)
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駐車場を出て「立入禁止」の札が下がったロープをまたぐ。なぜか発行人の名前は記されていない。瞬時、硫黄の臭いがして、源泉が流れる施設があるのかなと思ったが、確かに、先にある物置のような建物にはそれらしき社名の看板が掲げられている。ここから脇道はスタートするが、周囲に踏み跡があり、一番上が本道の上に出られそうだと、これを追うと途中で消える。これを何回か繰り返し、結局はヤブを越えてしっかりした脇道に下ることになってしまった。脇道には「入山厳禁 開山期間 開山祭(5月5日)より閉山祭(10月25日)まで」と書かれた立札が置かれている。「ここを通るな」ということではない。解釈のしようによっては、期間内ならば、神社側も暗黙の了解をしているということになる。ましてや立札はこちらに向いている。
(一合目の遥拝所)
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(足の悪い者には歩きづらい道。結局は、歩く多数の人間がこうしたのだろうが)
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本道との合流点には一合目の遥拝所がある。合流点から振り返ると、脇道もまた明瞭な道になっている。鳥居をくぐって樹林の間を見上げる。かなり先まで見渡せるが、先行者の青年の姿はすでにない。かなりの俊足のようだ。視界にだれもいなければ、自分のペースで歩けるし、むしろありがたい。ついでに、後ろからだれも来なければ最高だ。
だらだらした長い歩きづらい道。樹林の中を曲がりくねり、石はゴロゴロ。段差もある。これを避けようと、幾筋もの踏み跡があちこちに向かう。決して急ではないが、下った際には気分的なものなのか、急な感じがした。ここは、雨後は水が流れて歩きづらいところだろう。
(三合目。本来コースはここを直進だが)
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(ここから上がれた)
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(しっかりしたショートカットコース)
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石垣が見えて林道に上がる。二合目がどこにあったか気づかなかったが、ここが三合目。林道には雪が残っていて轍もある。そして、数人分の足跡。歩く人は意外にいる。これは昨日のものだと思う。10年前に歩いた時も6人のハイカーに出会っている。
昭文社マップではここから林道歩きになるが、合目石の裏手に明瞭な道があり、これを登ると、また石垣が見えて林道に合流。林道はここでカーブしていて、マップではさらに林道歩きを強いている。この辺までは体調もまだよかった。空は青く、流れる弱い風も心地よく、歩く気分に弱音を吐くほどのものはない。いつものように適当に立ち休みを繰り返して登って来ている。
(引き続きの林道)
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(ヤブめいた感じだが、ここを上がる)
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(おっ見えましたね。これを見たかったのです)
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またショートカットを続行。今度のショートカットは石垣の脇からササの中に入った。踏み跡は薄く、土の出ている所は凍結している。ここでチェーンスパイクを装着する。
このショートカットは成功だった。すぐに真下に青々とした中禅寺湖と社山が見えた。惜しむらくは木々の枝が邪魔することだが、この景色を眺めたくて正面ルートを登って来たことを考えれば、期待した満足域の半分は達せられた。と思っているのも束の間のこと。このショートカット、自分には少し無理があった。途中から一気にきつくなった。土台、地図を見ればわかることだ。林道はM字型に曲がってかなり長い。この上の1667m標高点で林道を離れることになる。その間をショートカットするわけだから、傾斜も急になっていて当たり前だ。むしろ林道に出てほっとした。かなりの息切れ状態になっている。はーはーしながら水を飲んで落ち着かせるが、息切れはおさまらない。
(四合目。本来コースは右手から林道を歩いて来る。この写真は、男体山登山記事の定番だ)
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ここは鳥居の立つ四合目。1667m標高点付近。置かれた石には「男体山々道」とある。この先の石段を見上げてうんざりし、10年前のことを思い出した。あの時も急な登り続きに辟易とした思いがある。山頂は遠かった。行程としてはここで4/10が終わったということではあるが、これからの上りの単純標高差はまだ819mもある。ここまで400mも登っていない。つまり、標高的には3/10にも達していないということだ。ここでいつもの余談だが、男体山の標高はニシハシで2484mと覚えていたが、最近の測量では2486mになっている。まさか剣の長さが加わってのことではあるまい(後日調べると、三角点は2484mで、山頂は2486mとなっていた)。隣組の女峰山(2483m)の下の二荒山神社からの標高差1800mに比べれば600mも少ない。何をそんな程度で軟弱なと言われたら反論のしようもないが、何と思われようと、今の身体で1200m登りはキツイとしか言いようがないのは事実。
(ここで記した単純標高差は垂直感覚での(高-低)の引き算であって、8年前に行者堂から女峰山を往復した時にはカシミールで2500mの累積標高+になっていて、この数値の信頼性はともかく、実際には700m余計な登りが加わっていた。参考までに、今回は1600m+であった)
そんなことを考えていれば、自然に、果たして山頂まで行けるのだろうかと自信もなくなってくる。歩き出しからまだ1時間15分しか経っていないが、この辺でやめて、滝見にでも行くのが賢いかもなんて誘惑も出てくる。ここで、どこで撤退すればきりが良いものになるのか考えてみる。やはり行程、標高的にも半分以上になってからだろうな。ここで下ったら恥かき以外の何物でもない。半分を超えれば、それなりの言い訳もできるというもの。
これから長い歩きになる。律儀に読んでいただく立場になれば息苦しくなるだけだろうから、その辺は適当に流して記すことにしよう。
(社山を見ると、こちらが上がっている様子はわかるが、周りがうるさくてどうもすっきりした写真にならない)
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(登山道の状況は良くない)
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(おまけに急だ)
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ここまでストックの先にはゴムキャップを付けていたが、これがやたらと滑るのでキャップは外した。これは大げさに記せば登山道の破壊につながることだが、先が地面に固定してくれないのでは危険だし転倒しかねない。登山道に犠牲になっていただくしかない。まぁ、ストック先に限らず、チェーンスパイク、アイゼンとて同罪だ。むしろ、石の引っかきキズがかわいそうに思えることもある。階段を登ると普通の登山道になり、雪も出てくる。いつもなら泥濘になるのか、鉄パイプとロープが続いている。
(五合目の小屋)
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かなりバテ気味で五合目に到着。久しぶりに見る小屋は新しい小屋になっている。興味本位で小屋の中を覗く気分はすでにない。ようやく半分になったとほっとしていると、ここで身体に異変が出る。なぜか、左腕の筋肉に力が入らなくなった。ストックを握る指先に感覚がなくなり、腕は意識に合わずに動かせない。筋萎縮といった感じだろうか。これはかなりヤバいんじゃないかと五十音を発声してみた。呂律はしっかり回っている。どうも脳梗塞の前ぶれではないようだ。ザックを肩からおろし、しばらく石に腰をかけてじっとして深呼吸を繰り返すと、次第に左手に力を入れられるようになった。ほっとしたと同時にがっかりもした。せっかくの続行中止の理由がなくなったと。どうもザックの担ぎ方、荷物の左右配分が悪かったようだ。改めて中の荷物を入れ替えてバランスをとる。ここで休みついでにタバコでもふかしていたら、ドクターヘリのやっかいになっていたかもしれない。さすがに一服の気分ではなかった。こんなことも今だから記せるが、その時はかなりやばい状態だなと深刻になっていた。
(この辺で社山と同じくらいの高さか。次第にすっきり見えるようになった)
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(ついでに半月山)
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歩き再開。そして、振り向けばまた中禅寺湖と社山が目に入る。確か社山の標高は1800mちょいだったか。だったら、引き返しも社山の標高に合わせてもいいか。それなら、社山には登れたと言える気分にはなる。高度計を見ると、すでに社山の標高を超えていた。一応は満足し、しばらく歩けそうだから先に向かうことにする。まだ中禅寺湖が青々としている。太陽は真南から東側にいる。次第に、あの青味が意地悪く見えるようになってきた。
(薙の歩き。これがずっと続く)
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薙・ナギ(地図には「観音薙」とある。一種のガレ)の歩きは何とも嫌らしい。歩きづらいの一言。足への負担もかかる。百歩歩いてはの立ち休みが、次第に五十歩、二十歩の間隔になり、やがては歩いているよりも立ち休みタイムが長くなる。とにかく息切れがひどい。いつもなら、これが峠といったところで落ち着くものだが、今日の歩きの息切れは容赦なく続いている。息を整えてもすぐに切れる。いずれにせよ、体調が万全なつもりでいても実際はそうでもなかったのか。気力以上に体力の衰えがあるのか。
一旦、樹林帯に入ってほっとしたと思ったら、また薙に連れ戻される。実は、ここからが本格的な薙登りになった。とにかく足場も悪くてきつい。ここで、12時の時点で先が見えないようなら撤退することにした。コースタイムで上り3時間半なら、12時だと4時間経過になる。無理して先に行ったら、下りはヘッデンのお世話になりかねないし、身体もいかれてしまう。とにかく身体が意識から遠く離れて動いてくれないのだ。
(ただ岩場を撮っただけのことだったが、岩の上に六合目の石が写っていた)
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(ちょっとだけ樹林帯の歩き)
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(つい何度も撮ってしまう。これからも続く。悪しからず)
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白い立札が見えた。六合目かと思ったが、記されたかすれた文字には「落石注意」。実はこの時点で六合目はすでに過ぎていて、岩の上にその合目石が置かれていた。これは下りで知ったこと。目先と振り返りしか見ていない歩き方をしていれば、真上の岩は視界外になってしまう。正確に記せば、上を見て歩くと、延々と続いているゴツゴツした登山道にうんざりするだけで、気が滅入る一方だから、つい下向き歩きになるということだ。
中禅寺湖とそれを取り巻く山々もまた上がるに連れて表情を変えていく。足尾の山々、そして県境の稜線も見えてくる。立ち休みもさることながら、こんどは景色を眺める時間が加わってくる。こんな歩きをしていたのではすぐに12時になってしまう。
(だらだらと続く薙の登り)
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(まぁご容赦を)
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(これだけ登っても湖畔の街並みは真下だ)
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(七合目の小屋と)
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(合目石)
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錆びたトタン板が目に入り、見上げると避難小屋のようだ。周囲をトタンで囲っただけの風通しのよさそうな小屋。中には杭にでも使うのか、束ねた角材が置かれている。ここは七合目だ。ようやく行程の7/10が済んだ。何とか行けそうか。ここで休みたかったが、腰掛けに手ごろな石もなく、もうちょい先まで行くことにする。
高度計2100mで休憩。お腹も空いている。シャリバテもあるのかなと、無理に菓子パンを食べて、初めての一服。人心地がついた気分になった。ついでにメガネをサングラスに変える。周囲の白い雪が反射してまぶしい。何やかやと15分も休んでしまった。あと400m弱か。何とか行けるかも。ゆっくり歩けば、また百歩間隔に戻るだろう。それは甘かったが。
(鳥居があって)
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(瀧尾神社)
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(神社の石碑)
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(こんなところにも小さな神社)
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(速いねぇ。中禅寺湖に向かって一早く下る青年。こちらはゼーゼーの登り。自分にもこんな時代があったはず)
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重くなった腰を上げて出発。ちょっと行くと鉄の鳥居があった。そして鉄の鎖。今は半端なところに垂れているが、以前はこれを頼りに登ったのだろう。見上げるとまた小屋がある。
小屋と思ったのは神社で、瀧尾神社の石碑が置かれている。聞いたことのある名前だなと思ったら、確か下の二荒山神社の奥、白糸の滝の上にもあった。上も下も二荒山神社にセットされた神社なのだろう。ここが八合目になっている。しかし、合目の間隔が長いような気がするが、バテバテで歩いているから余計にそう感じる。やっと八合目かといった思いだが、まだ12時前だし、山頂まで行ける目途も何とか立ってきた。やはり、「ここまで来たら」ということになってしまう。
ここで写真を撮っていると、上から、宮城県ナンバーの青年が下って来た。やはり速いものだ。いや、こちらが遅すぎるだけのこと。上りを3時間で済ませていれば、この時間にここに下って来てもおかしくはない。彼の足もとを見ると、やはりチェーンスパイクだった。この先はアイゼンに履き替えすることもないようだ。
(もううんざり)
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神社の上からまた中禅寺湖の光景を眺める。何度見ても飽きないのが不思議。やはり、ここのコースは、賑やかな開山期間中は避けて歩くべきだろう。男体山は元から雪の少ない山なのかどうかは知らないが、この程度の積雪なら、見下ろす風景にも手ごろなアクセントになって加わる。そんなことを記しながらも、歩いているその時はそんな気持ちにはなれず、ただ息切れにあえぎながらきれいだなと思っているに過ぎない。
(ようやく解放された)
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(雪は少ないが雪山風情であることは確か)
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(次第に樹が少なくなって)
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(ここまでが長かったが、山頂はまだまだ先だ)
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長い薙歩きから離れた。樹林の中に入り込む。急に歩きやすくなった。すぐに疎林になり、雪がなければ広い道になっているのだろうなと想像もつくような風景の中を歩くようになる。この区間は、後で考えるとお気に入りだった。幾分傾斜も緩くなった。地図を見ると、山頂直下の等高線はこれまで以上に広くなっている。
疎林を抜けると、ようやく山頂の一角が見えた。丸太の階段も見える。もう少しと思っても、歩程は相変わらずの20歩単位に戻っていて、少しも先に進まない。周囲に樹がなくなったせいか、風が強く冷たく感じる。左にちらりと男体山神社が見える。今日はあそこに行くことはない。山頂までがようやくだ。敷きつめられた火山礫に心地よく足が沈み込む。
(戦場ヶ原が見えてくる)
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(男体山らしい風景)
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(西は雲が多いが、奥に足尾の盟主様が控えている)
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(ようやく山頂が見えて)
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(奥宮に到着。閉山期間中は出雲にでもいらしているのかお休み中なのか…)
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終点は近い。ゆっくり登って行くと、今度は左手に戦場ヶ原と三岳、白根山方面の視界が開けた。あいにく、白根山は雲で隠れていたが、おそらくさっきまでは見えていたろう。どういう形の歩きになっても一時間早く出発すべきだった。代わりに足尾の山の盟主様が超然と鎮座している姿が見えた。今日の天気はラッキーだったとほくそ笑む。
ようやく山頂の奥宮に到着。こんなに苦労して登った男体山は初めてだ。身体がかなりいかれてしまった。到着時刻は敢えて記さない。笑われる。
(風で雪は飛ばされている)
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(あそこが2486mか。地図上は三角点が奥になっているが、以前見た三角点は手前だったような…)
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(「影向石」<ようごういし>と言うそうな。神様が降臨して御座すところとのこと)
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(この鳥居、大丈夫かねぇ。相当深く入り込んでいるのだろう)
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(一応、男体山神社の写真だけでもアップで撮る。行くべきだろうが、力尽きている)
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先ずは奥宮に参拝。入山料も払わず、さらに賽銭も入れずにお参りとは神様のご利益も知れたもの。逆に怒りを買うか。続いて周辺探索。なぜか日本武尊に似た二荒山大神像の周囲に雪はない。それでいて、神剣に向かうと、岩の下の雪はズボリと膝まで入り込む。山頂は強風にさらされて雪は飛ばされ、岩陰には雪だまりができる。セルフを撮って探索終了。後で見た我が顔に疲労感はなく、至って満足げな顔をしていた。
風が冷たいが、気分は最高。さっきまでの息切れのグウタラはどこに行ったのか。山頂にはだれもいない。今日の登山者は自分と青年だけだったわけだ。後から来るのがいたとしたらとっくに抜かれている。石に腰かけて遅いランチにする。食欲はさほどにない。おにぎり一個だけ。熱いスープの後はコーヒーを飲みながら一服。これで十分に満腹。
(山頂から1)
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(山頂から2)
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(山頂から3)
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(山頂から4)
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(山頂から5)
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(山頂から6。もういいか)
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じっとしていると寒いのでさっさと下る。という形をとりたいところだが、食後はあちこちまたうろうろして、結局50分ほどの山頂滞在になってしまった。ゆっくり下っても暗くなりかけの5時ということはないだろう。そこまで身体もいかれてはいない。筋肉弛緩が起きない限りは明るいうちに駐車場だ。だが、当初の添え物だった丸山と竜頭の滝は見送りせざるを得ない。どうせ、土曜日にまた日光に来る。目的は手術後半年経過の診察で日光市民病院だが、気分次第でいろは坂をまた上がってもいい。赤城の大沼への道に比べたら気楽に上がって行ける。
(下る)
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(ここまではよかったが)
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(うんざりの薙下り)
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下りにかかった時間は2時間30分。10年前の2時間5分に比べたら25分も遅いが、いまだに半分ビコタン歩きをしている身としてはどうしようもない。急坂下りでは、ことに薙の大石ゴロゴロの中を下るのには、足に力をかけられずにダブルのストックに頼り、一旦固定して、もどかしく尻をつきながら下るしかなかった。ツルンと滑って元の木阿弥で松葉杖に戻っていたのでは半年の療治も何だったのかということになる。
それと遅れた理由をもう一つ。上りで山頂に着いたと同時に、カメラをコンデジから一眼に変えた。この一眼、レンズも最近新しくしたもので、今回初使用。どんな写りになるものなのか興味津々で、つい、中禅寺湖を撮りまくってしまったが、結果はご覧のとおりのもので、カメラを使いこなす技量が伴なっていなければこんなものだ。ただ、中禅寺湖にやや西寄りの陽があたる時間帯だっただけに、午前中の青々と澄んだ湖ではなくダム湖のように写ったのは何ともしがたい。上りでは振り返るしかなかった光景も、それを正面に見下ろしながらの下りだったし、上りで見逃していた見事な風景も視界に入っていたと思うと何とも残念だった。
気温も上がってきたせいか、午前中はなかった泥濘があちこちに出てきて、靴底はチェーンスパイクとともに泥んこになった。抜け出しては雪で泥落としの繰り返しになる。
(この先にパワースポットでもあるのか)
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(一軒一軒が見えるようになる。鋭利的な角度だ)
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瀧尾神社の下で、左手に電球がコードで連なって延びている一角が見えた。ロープが張って、中には入れない。雪の上には踏み跡もないので、その下に道があるのかも窺い知れない。その先に何かがあるのだろうが、電球を点けてまで導かれるスポットにはどういう所なのか…。ここだけは不思議な世界だった。雪のない頃にここを通ることはあるまいから、おそらくは自分には謎のままで、それでいながら何日かすればこの事実もまた忘れてしまうだろう。
(もう逆光になってしまった)
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(四合目)
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息切れはなく四合目に到着。その間、10分ほどの休憩を入れていた。ここまでひやりとするところもなく下って来た。この先でのトラブルは避けたい。林道を歩いてみようか。林道歩きになった。
(林道歩き)
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(ここは下れない)
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(ここからショートカット)
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やはり長い林道だった。轍が歩きづらさを誘う。いたたまれず、M字の窪み部分でショートカットしようとしたら、下に林道は見えているのにとんでもなく急で、これは無理とあきらめ、その先のややなだらかなところでショートカットした。それでも時間短縮にはなった。
(これが名残惜しい見納め)
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(もう終点に近い)
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(最後の休憩)
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もう帰り道だ。先を端折ることにする。最後の中禅寺湖を眺め、林道から離れて二荒山神社方面に下る。樹林の中は日陰で、一部凍っているところもあって、チェーンスパイクはまだ付けたままだ。ふとカメラを見ると、レンズキャップがなくなっている。戻ろうと登りかけたが、もういいやとあきらめる。ゴミにしてしまった。一合目で大休止。陽射しは消え、じっとしているだけでも寒い。ここで携帯を取り出し、アマゾンにつなげてレンズキャップを注文する。523円也。考えてみれば、これが入山料代わりの出費だったか。ここでチェーンスパイクを外す。土と泥の塊りになっている。
(階段を下る)
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(脇道を歩いて)
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(駐車場には自分の車しかない)
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駐車場に到着。何ともご苦労さまでしたの一言。スパッツを外し、登山靴を脱いでスニーカーに履き替えてほっとした。しかし今日は長い歩きだった。もう陽は隠れつつある。
(もう夕日になっている)
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(あれを登ったわけだが、そんなに大騒ぎして登る山には見えない。健脚なら3時間もかからないで登れるのではないのか)
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この時期の奥日光、まして日曜日の夕方だ。人通りもなく、観光客を2~3人見かけたくらいで、信号もまた早々に点滅に切り替わっている。歌ヶ浜方面に向かい、一応、男体山を写真に収める。雪のかけらも見えない。積雪が目立つのは東側斜面のようだ。
いろは坂を下り、高速で帰るか迷ったが、そのまま右折して122号で帰路に就く。来る時は高速を使っていた。日足トンネルを抜けた瞬間に、地蔵滝が氷瀑になっているのがちらりと見えた。一瞬、ブレーキを踏んだが、夕暮れ時に写真に撮ってもろくな写真にならない。土曜日に早めに家を出て立ち寄ることにしよう。
自分も随分とげんきんなものだ。上りであれだけゼーゼーと登ったのに、下りから先はあっさりと自然体に戻っていた。我ながらあきれてしまった。しばらくはこれを繰り返すことになるだろう。
県営湖畔第一駐車場……二荒山神社からの正規ルートに合流……男体山山頂を目指す……2回の林道ショートカット……撤退のタイミングを何度も模索する……何とか男体山山頂……奥宮までは行ったが、男体山神社までは行かず……下る……正規コースで林道を歩いてみたが……結局ショートカットして……二荒山神社への分岐……駐車場
※歩きタイムは本文内容からして敢えて記しません。写真の陽射しかげんと文章表現で想像してください。ちなみに、昭文社マップでのコースタイムは往復で6時間30分。今回はそれに比べてかなりのお笑いタイムで歩いています。
男体山に行ったら、帰路途中で西側にある丸山なる山にトラバースして行ってみようか、帰り道で凍りついた竜頭の滝を観に行こうかといったそれなりの目論見があった。この時期の男体山は同ルートで10年前に登っている。この時は往路に3時間半、復路に2時間5分を費やし、計5時間35分で歩いた。この10年前の体力が10年後の今に維持されているわけがない。年毎に衰えていく体力は如何ともしがたい。10歳年をとり、体力が2、3歳落ちで済ませられればどんなにハッピーなことか。このことを忘れているわけでもないのだが、標準タイムで歩ければ丸山寄り道の目論見もまたすんなりいくだろうと思っていた。
数か月前のことだが、HIDEJIさんのブログに、「時期的に」男体山はあきらめたといった記載があり、いやそんなことはありませんよとコメントを入れた。そのことが頭にあったのか、秩父方面の予定は時間もかかりそうだし、もう少し先延ばしにして、軽く雪遊びが楽しめそうな男体山に行くことにした。社山でもよかったが、5月5日までは「入山厳禁」となっている男体山はハイカーが少ない穴場のはず。むしろ今が旬の時といえるかもしれない。
男体山には入山料を払って登ったことが一度だけある。35年前のこと。今は500円らしいが、当時はもっと多額の入山料を払ったような気がする。それ以降は北側やら西側から登り、財布を開いたことはない。入山料を取るのは、山そのものが二荒山神社の私有地(境内)である以上は仕方がない。だから、一回登れば、二回目以降は金のかからない登り方をするのが自然な発想になる。ただ、南側ルートは中禅寺湖やその南岸の山々、ちらりと覗く足尾の山々を眺めながら登って行けるという魅力があり、他のコースでは山頂までその期待はできない。となると、正面から堂々とではなく、脇からちゃっかりというルートができてしまう。神社側もそんなことは承知だろうが、見張り番を置いてまで監視するわけにもいくまい。
ということで、今回も10年前同様に県営湖畔第一駐車場に車を入れる。ここは出入りゲートが自動になっていて、出る際に代金310円を挿入するとゲートが上がる。この時期は奥日光の観光客も少ないせいか、8時だというのに他に車が2台あるのみ。うち宮城県ナンバーの車に乗って来た青年ハイカーが自分の到着直後に男体山に向けて出発した。彼を追いかける形になる(その時はそう思っていた)。追われるよりは追う方が良いに決まっている。
念のためワカンをザックに括り付けていたが、見上げる男体山に白いところは見えず、邪魔になるだけかもなとワカンは外した。今季の日光の山の雪は少ないようだという情報を知ってはいたが、上に雪がなかったらかなりがっかりだ。登り一辺倒なので早々にストックを出して出発。雪対策の装備としてはアイゼンとチェーンスパイクのみ。
(脇道は左下にあるが、人間の性というものか、罪悪感を抱いて離れて歩こうとするのか、こんな中途半端な踏み跡がたくさんある)

(オノレもまた脇道歩きになってしまう)

駐車場を出て「立入禁止」の札が下がったロープをまたぐ。なぜか発行人の名前は記されていない。瞬時、硫黄の臭いがして、源泉が流れる施設があるのかなと思ったが、確かに、先にある物置のような建物にはそれらしき社名の看板が掲げられている。ここから脇道はスタートするが、周囲に踏み跡があり、一番上が本道の上に出られそうだと、これを追うと途中で消える。これを何回か繰り返し、結局はヤブを越えてしっかりした脇道に下ることになってしまった。脇道には「入山厳禁 開山期間 開山祭(5月5日)より閉山祭(10月25日)まで」と書かれた立札が置かれている。「ここを通るな」ということではない。解釈のしようによっては、期間内ならば、神社側も暗黙の了解をしているということになる。ましてや立札はこちらに向いている。
(一合目の遥拝所)

(足の悪い者には歩きづらい道。結局は、歩く多数の人間がこうしたのだろうが)

本道との合流点には一合目の遥拝所がある。合流点から振り返ると、脇道もまた明瞭な道になっている。鳥居をくぐって樹林の間を見上げる。かなり先まで見渡せるが、先行者の青年の姿はすでにない。かなりの俊足のようだ。視界にだれもいなければ、自分のペースで歩けるし、むしろありがたい。ついでに、後ろからだれも来なければ最高だ。
だらだらした長い歩きづらい道。樹林の中を曲がりくねり、石はゴロゴロ。段差もある。これを避けようと、幾筋もの踏み跡があちこちに向かう。決して急ではないが、下った際には気分的なものなのか、急な感じがした。ここは、雨後は水が流れて歩きづらいところだろう。
(三合目。本来コースはここを直進だが)

(ここから上がれた)

(しっかりしたショートカットコース)

石垣が見えて林道に上がる。二合目がどこにあったか気づかなかったが、ここが三合目。林道には雪が残っていて轍もある。そして、数人分の足跡。歩く人は意外にいる。これは昨日のものだと思う。10年前に歩いた時も6人のハイカーに出会っている。
昭文社マップではここから林道歩きになるが、合目石の裏手に明瞭な道があり、これを登ると、また石垣が見えて林道に合流。林道はここでカーブしていて、マップではさらに林道歩きを強いている。この辺までは体調もまだよかった。空は青く、流れる弱い風も心地よく、歩く気分に弱音を吐くほどのものはない。いつものように適当に立ち休みを繰り返して登って来ている。
(引き続きの林道)

(ヤブめいた感じだが、ここを上がる)

(おっ見えましたね。これを見たかったのです)

またショートカットを続行。今度のショートカットは石垣の脇からササの中に入った。踏み跡は薄く、土の出ている所は凍結している。ここでチェーンスパイクを装着する。
このショートカットは成功だった。すぐに真下に青々とした中禅寺湖と社山が見えた。惜しむらくは木々の枝が邪魔することだが、この景色を眺めたくて正面ルートを登って来たことを考えれば、期待した満足域の半分は達せられた。と思っているのも束の間のこと。このショートカット、自分には少し無理があった。途中から一気にきつくなった。土台、地図を見ればわかることだ。林道はM字型に曲がってかなり長い。この上の1667m標高点で林道を離れることになる。その間をショートカットするわけだから、傾斜も急になっていて当たり前だ。むしろ林道に出てほっとした。かなりの息切れ状態になっている。はーはーしながら水を飲んで落ち着かせるが、息切れはおさまらない。
(四合目。本来コースは右手から林道を歩いて来る。この写真は、男体山登山記事の定番だ)

ここは鳥居の立つ四合目。1667m標高点付近。置かれた石には「男体山々道」とある。この先の石段を見上げてうんざりし、10年前のことを思い出した。あの時も急な登り続きに辟易とした思いがある。山頂は遠かった。行程としてはここで4/10が終わったということではあるが、これからの上りの単純標高差はまだ819mもある。ここまで400mも登っていない。つまり、標高的には3/10にも達していないということだ。ここでいつもの余談だが、男体山の標高はニシハシで2484mと覚えていたが、最近の測量では2486mになっている。まさか剣の長さが加わってのことではあるまい(後日調べると、三角点は2484mで、山頂は2486mとなっていた)。隣組の女峰山(2483m)の下の二荒山神社からの標高差1800mに比べれば600mも少ない。何をそんな程度で軟弱なと言われたら反論のしようもないが、何と思われようと、今の身体で1200m登りはキツイとしか言いようがないのは事実。
(ここで記した単純標高差は垂直感覚での(高-低)の引き算であって、8年前に行者堂から女峰山を往復した時にはカシミールで2500mの累積標高+になっていて、この数値の信頼性はともかく、実際には700m余計な登りが加わっていた。参考までに、今回は1600m+であった)
そんなことを考えていれば、自然に、果たして山頂まで行けるのだろうかと自信もなくなってくる。歩き出しからまだ1時間15分しか経っていないが、この辺でやめて、滝見にでも行くのが賢いかもなんて誘惑も出てくる。ここで、どこで撤退すればきりが良いものになるのか考えてみる。やはり行程、標高的にも半分以上になってからだろうな。ここで下ったら恥かき以外の何物でもない。半分を超えれば、それなりの言い訳もできるというもの。
これから長い歩きになる。律儀に読んでいただく立場になれば息苦しくなるだけだろうから、その辺は適当に流して記すことにしよう。
(社山を見ると、こちらが上がっている様子はわかるが、周りがうるさくてどうもすっきりした写真にならない)

(登山道の状況は良くない)

(おまけに急だ)

ここまでストックの先にはゴムキャップを付けていたが、これがやたらと滑るのでキャップは外した。これは大げさに記せば登山道の破壊につながることだが、先が地面に固定してくれないのでは危険だし転倒しかねない。登山道に犠牲になっていただくしかない。まぁ、ストック先に限らず、チェーンスパイク、アイゼンとて同罪だ。むしろ、石の引っかきキズがかわいそうに思えることもある。階段を登ると普通の登山道になり、雪も出てくる。いつもなら泥濘になるのか、鉄パイプとロープが続いている。
(五合目の小屋)

かなりバテ気味で五合目に到着。久しぶりに見る小屋は新しい小屋になっている。興味本位で小屋の中を覗く気分はすでにない。ようやく半分になったとほっとしていると、ここで身体に異変が出る。なぜか、左腕の筋肉に力が入らなくなった。ストックを握る指先に感覚がなくなり、腕は意識に合わずに動かせない。筋萎縮といった感じだろうか。これはかなりヤバいんじゃないかと五十音を発声してみた。呂律はしっかり回っている。どうも脳梗塞の前ぶれではないようだ。ザックを肩からおろし、しばらく石に腰をかけてじっとして深呼吸を繰り返すと、次第に左手に力を入れられるようになった。ほっとしたと同時にがっかりもした。せっかくの続行中止の理由がなくなったと。どうもザックの担ぎ方、荷物の左右配分が悪かったようだ。改めて中の荷物を入れ替えてバランスをとる。ここで休みついでにタバコでもふかしていたら、ドクターヘリのやっかいになっていたかもしれない。さすがに一服の気分ではなかった。こんなことも今だから記せるが、その時はかなりやばい状態だなと深刻になっていた。
(この辺で社山と同じくらいの高さか。次第にすっきり見えるようになった)

(ついでに半月山)

歩き再開。そして、振り向けばまた中禅寺湖と社山が目に入る。確か社山の標高は1800mちょいだったか。だったら、引き返しも社山の標高に合わせてもいいか。それなら、社山には登れたと言える気分にはなる。高度計を見ると、すでに社山の標高を超えていた。一応は満足し、しばらく歩けそうだから先に向かうことにする。まだ中禅寺湖が青々としている。太陽は真南から東側にいる。次第に、あの青味が意地悪く見えるようになってきた。
(薙の歩き。これがずっと続く)

薙・ナギ(地図には「観音薙」とある。一種のガレ)の歩きは何とも嫌らしい。歩きづらいの一言。足への負担もかかる。百歩歩いてはの立ち休みが、次第に五十歩、二十歩の間隔になり、やがては歩いているよりも立ち休みタイムが長くなる。とにかく息切れがひどい。いつもなら、これが峠といったところで落ち着くものだが、今日の歩きの息切れは容赦なく続いている。息を整えてもすぐに切れる。いずれにせよ、体調が万全なつもりでいても実際はそうでもなかったのか。気力以上に体力の衰えがあるのか。
一旦、樹林帯に入ってほっとしたと思ったら、また薙に連れ戻される。実は、ここからが本格的な薙登りになった。とにかく足場も悪くてきつい。ここで、12時の時点で先が見えないようなら撤退することにした。コースタイムで上り3時間半なら、12時だと4時間経過になる。無理して先に行ったら、下りはヘッデンのお世話になりかねないし、身体もいかれてしまう。とにかく身体が意識から遠く離れて動いてくれないのだ。
(ただ岩場を撮っただけのことだったが、岩の上に六合目の石が写っていた)

(ちょっとだけ樹林帯の歩き)

(つい何度も撮ってしまう。これからも続く。悪しからず)

白い立札が見えた。六合目かと思ったが、記されたかすれた文字には「落石注意」。実はこの時点で六合目はすでに過ぎていて、岩の上にその合目石が置かれていた。これは下りで知ったこと。目先と振り返りしか見ていない歩き方をしていれば、真上の岩は視界外になってしまう。正確に記せば、上を見て歩くと、延々と続いているゴツゴツした登山道にうんざりするだけで、気が滅入る一方だから、つい下向き歩きになるということだ。
中禅寺湖とそれを取り巻く山々もまた上がるに連れて表情を変えていく。足尾の山々、そして県境の稜線も見えてくる。立ち休みもさることながら、こんどは景色を眺める時間が加わってくる。こんな歩きをしていたのではすぐに12時になってしまう。
(だらだらと続く薙の登り)

(まぁご容赦を)

(これだけ登っても湖畔の街並みは真下だ)

(七合目の小屋と)

(合目石)

錆びたトタン板が目に入り、見上げると避難小屋のようだ。周囲をトタンで囲っただけの風通しのよさそうな小屋。中には杭にでも使うのか、束ねた角材が置かれている。ここは七合目だ。ようやく行程の7/10が済んだ。何とか行けそうか。ここで休みたかったが、腰掛けに手ごろな石もなく、もうちょい先まで行くことにする。
高度計2100mで休憩。お腹も空いている。シャリバテもあるのかなと、無理に菓子パンを食べて、初めての一服。人心地がついた気分になった。ついでにメガネをサングラスに変える。周囲の白い雪が反射してまぶしい。何やかやと15分も休んでしまった。あと400m弱か。何とか行けるかも。ゆっくり歩けば、また百歩間隔に戻るだろう。それは甘かったが。
(鳥居があって)

(瀧尾神社)

(神社の石碑)

(こんなところにも小さな神社)

(速いねぇ。中禅寺湖に向かって一早く下る青年。こちらはゼーゼーの登り。自分にもこんな時代があったはず)

重くなった腰を上げて出発。ちょっと行くと鉄の鳥居があった。そして鉄の鎖。今は半端なところに垂れているが、以前はこれを頼りに登ったのだろう。見上げるとまた小屋がある。
小屋と思ったのは神社で、瀧尾神社の石碑が置かれている。聞いたことのある名前だなと思ったら、確か下の二荒山神社の奥、白糸の滝の上にもあった。上も下も二荒山神社にセットされた神社なのだろう。ここが八合目になっている。しかし、合目の間隔が長いような気がするが、バテバテで歩いているから余計にそう感じる。やっと八合目かといった思いだが、まだ12時前だし、山頂まで行ける目途も何とか立ってきた。やはり、「ここまで来たら」ということになってしまう。
ここで写真を撮っていると、上から、宮城県ナンバーの青年が下って来た。やはり速いものだ。いや、こちらが遅すぎるだけのこと。上りを3時間で済ませていれば、この時間にここに下って来てもおかしくはない。彼の足もとを見ると、やはりチェーンスパイクだった。この先はアイゼンに履き替えすることもないようだ。
(もううんざり)

神社の上からまた中禅寺湖の光景を眺める。何度見ても飽きないのが不思議。やはり、ここのコースは、賑やかな開山期間中は避けて歩くべきだろう。男体山は元から雪の少ない山なのかどうかは知らないが、この程度の積雪なら、見下ろす風景にも手ごろなアクセントになって加わる。そんなことを記しながらも、歩いているその時はそんな気持ちにはなれず、ただ息切れにあえぎながらきれいだなと思っているに過ぎない。
(ようやく解放された)

(雪は少ないが雪山風情であることは確か)

(次第に樹が少なくなって)

(ここまでが長かったが、山頂はまだまだ先だ)

長い薙歩きから離れた。樹林の中に入り込む。急に歩きやすくなった。すぐに疎林になり、雪がなければ広い道になっているのだろうなと想像もつくような風景の中を歩くようになる。この区間は、後で考えるとお気に入りだった。幾分傾斜も緩くなった。地図を見ると、山頂直下の等高線はこれまで以上に広くなっている。
疎林を抜けると、ようやく山頂の一角が見えた。丸太の階段も見える。もう少しと思っても、歩程は相変わらずの20歩単位に戻っていて、少しも先に進まない。周囲に樹がなくなったせいか、風が強く冷たく感じる。左にちらりと男体山神社が見える。今日はあそこに行くことはない。山頂までがようやくだ。敷きつめられた火山礫に心地よく足が沈み込む。
(戦場ヶ原が見えてくる)

(男体山らしい風景)

(西は雲が多いが、奥に足尾の盟主様が控えている)

(ようやく山頂が見えて)

(奥宮に到着。閉山期間中は出雲にでもいらしているのかお休み中なのか…)

終点は近い。ゆっくり登って行くと、今度は左手に戦場ヶ原と三岳、白根山方面の視界が開けた。あいにく、白根山は雲で隠れていたが、おそらくさっきまでは見えていたろう。どういう形の歩きになっても一時間早く出発すべきだった。代わりに足尾の山の盟主様が超然と鎮座している姿が見えた。今日の天気はラッキーだったとほくそ笑む。
ようやく山頂の奥宮に到着。こんなに苦労して登った男体山は初めてだ。身体がかなりいかれてしまった。到着時刻は敢えて記さない。笑われる。
(風で雪は飛ばされている)

(あそこが2486mか。地図上は三角点が奥になっているが、以前見た三角点は手前だったような…)

(「影向石」<ようごういし>と言うそうな。神様が降臨して御座すところとのこと)

(この鳥居、大丈夫かねぇ。相当深く入り込んでいるのだろう)

(一応、男体山神社の写真だけでもアップで撮る。行くべきだろうが、力尽きている)

先ずは奥宮に参拝。入山料も払わず、さらに賽銭も入れずにお参りとは神様のご利益も知れたもの。逆に怒りを買うか。続いて周辺探索。なぜか日本武尊に似た二荒山大神像の周囲に雪はない。それでいて、神剣に向かうと、岩の下の雪はズボリと膝まで入り込む。山頂は強風にさらされて雪は飛ばされ、岩陰には雪だまりができる。セルフを撮って探索終了。後で見た我が顔に疲労感はなく、至って満足げな顔をしていた。
風が冷たいが、気分は最高。さっきまでの息切れのグウタラはどこに行ったのか。山頂にはだれもいない。今日の登山者は自分と青年だけだったわけだ。後から来るのがいたとしたらとっくに抜かれている。石に腰かけて遅いランチにする。食欲はさほどにない。おにぎり一個だけ。熱いスープの後はコーヒーを飲みながら一服。これで十分に満腹。
(山頂から1)

(山頂から2)

(山頂から3)

(山頂から4)

(山頂から5)

(山頂から6。もういいか)

じっとしていると寒いのでさっさと下る。という形をとりたいところだが、食後はあちこちまたうろうろして、結局50分ほどの山頂滞在になってしまった。ゆっくり下っても暗くなりかけの5時ということはないだろう。そこまで身体もいかれてはいない。筋肉弛緩が起きない限りは明るいうちに駐車場だ。だが、当初の添え物だった丸山と竜頭の滝は見送りせざるを得ない。どうせ、土曜日にまた日光に来る。目的は手術後半年経過の診察で日光市民病院だが、気分次第でいろは坂をまた上がってもいい。赤城の大沼への道に比べたら気楽に上がって行ける。
(下る)

(ここまではよかったが)

(うんざりの薙下り)

下りにかかった時間は2時間30分。10年前の2時間5分に比べたら25分も遅いが、いまだに半分ビコタン歩きをしている身としてはどうしようもない。急坂下りでは、ことに薙の大石ゴロゴロの中を下るのには、足に力をかけられずにダブルのストックに頼り、一旦固定して、もどかしく尻をつきながら下るしかなかった。ツルンと滑って元の木阿弥で松葉杖に戻っていたのでは半年の療治も何だったのかということになる。
それと遅れた理由をもう一つ。上りで山頂に着いたと同時に、カメラをコンデジから一眼に変えた。この一眼、レンズも最近新しくしたもので、今回初使用。どんな写りになるものなのか興味津々で、つい、中禅寺湖を撮りまくってしまったが、結果はご覧のとおりのもので、カメラを使いこなす技量が伴なっていなければこんなものだ。ただ、中禅寺湖にやや西寄りの陽があたる時間帯だっただけに、午前中の青々と澄んだ湖ではなくダム湖のように写ったのは何ともしがたい。上りでは振り返るしかなかった光景も、それを正面に見下ろしながらの下りだったし、上りで見逃していた見事な風景も視界に入っていたと思うと何とも残念だった。
気温も上がってきたせいか、午前中はなかった泥濘があちこちに出てきて、靴底はチェーンスパイクとともに泥んこになった。抜け出しては雪で泥落としの繰り返しになる。
(この先にパワースポットでもあるのか)

(一軒一軒が見えるようになる。鋭利的な角度だ)

瀧尾神社の下で、左手に電球がコードで連なって延びている一角が見えた。ロープが張って、中には入れない。雪の上には踏み跡もないので、その下に道があるのかも窺い知れない。その先に何かがあるのだろうが、電球を点けてまで導かれるスポットにはどういう所なのか…。ここだけは不思議な世界だった。雪のない頃にここを通ることはあるまいから、おそらくは自分には謎のままで、それでいながら何日かすればこの事実もまた忘れてしまうだろう。
(もう逆光になってしまった)

(四合目)

息切れはなく四合目に到着。その間、10分ほどの休憩を入れていた。ここまでひやりとするところもなく下って来た。この先でのトラブルは避けたい。林道を歩いてみようか。林道歩きになった。
(林道歩き)

(ここは下れない)

(ここからショートカット)

やはり長い林道だった。轍が歩きづらさを誘う。いたたまれず、M字の窪み部分でショートカットしようとしたら、下に林道は見えているのにとんでもなく急で、これは無理とあきらめ、その先のややなだらかなところでショートカットした。それでも時間短縮にはなった。
(これが名残惜しい見納め)

(もう終点に近い)

(最後の休憩)

もう帰り道だ。先を端折ることにする。最後の中禅寺湖を眺め、林道から離れて二荒山神社方面に下る。樹林の中は日陰で、一部凍っているところもあって、チェーンスパイクはまだ付けたままだ。ふとカメラを見ると、レンズキャップがなくなっている。戻ろうと登りかけたが、もういいやとあきらめる。ゴミにしてしまった。一合目で大休止。陽射しは消え、じっとしているだけでも寒い。ここで携帯を取り出し、アマゾンにつなげてレンズキャップを注文する。523円也。考えてみれば、これが入山料代わりの出費だったか。ここでチェーンスパイクを外す。土と泥の塊りになっている。
(階段を下る)

(脇道を歩いて)

(駐車場には自分の車しかない)

駐車場に到着。何ともご苦労さまでしたの一言。スパッツを外し、登山靴を脱いでスニーカーに履き替えてほっとした。しかし今日は長い歩きだった。もう陽は隠れつつある。
(もう夕日になっている)

(あれを登ったわけだが、そんなに大騒ぎして登る山には見えない。健脚なら3時間もかからないで登れるのではないのか)

この時期の奥日光、まして日曜日の夕方だ。人通りもなく、観光客を2~3人見かけたくらいで、信号もまた早々に点滅に切り替わっている。歌ヶ浜方面に向かい、一応、男体山を写真に収める。雪のかけらも見えない。積雪が目立つのは東側斜面のようだ。
いろは坂を下り、高速で帰るか迷ったが、そのまま右折して122号で帰路に就く。来る時は高速を使っていた。日足トンネルを抜けた瞬間に、地蔵滝が氷瀑になっているのがちらりと見えた。一瞬、ブレーキを踏んだが、夕暮れ時に写真に撮ってもろくな写真にならない。土曜日に早めに家を出て立ち寄ることにしよう。
自分も随分とげんきんなものだ。上りであれだけゼーゼーと登ったのに、下りから先はあっさりと自然体に戻っていた。我ながらあきれてしまった。しばらくはこれを繰り返すことになるだろう。