◎2015年4月29日(水)
駐車地(7:17)……畑之沢堰堤(7:23)……大滝(8:18)……唐風呂林道(9:02)……999m標高点(9:23)……堰堤手前広場着地(9:52)……駐車地(9:56)
3日前に今倉沢を遡行した際、ダメならの別案、もしくは寄り道で考えていた「畑の沢大滝」に下から行ってきた。
沢の名称は地図では「畑沢」。雪田爺さん氏は「畑の沢」。岡田敏夫氏と増田宏氏は「畑ノ沢」と記されている。だが、堰堤の銘板には「畑之沢砂防堰堤」とあった。国土交通省発行のプレートだから、正確には「畑之沢」だろうか。しかし、沢の様相からすると、上流部はやさしげでいやし系の沢であることは確かで、その印象から「畑の沢」の表記が気分的には似つかわしいかもしれない。自分が「塔ノ峰」よりも「塔の峰」を選んでしまうのと同じような感覚だ。
先日の今倉沢ともに、餅ヶ瀬川の支流である。沢屋さんには不向きなマイナーな沢だ。ここに大きな滝がなかったら、目の端にも入れない沢だろう。
(ここから先、車は入れない)
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(壊れた社)
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(広場。以前はここまで車が入れたのかも)
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畑沢集落を通る林道が堰堤まで続いているのは下調べで知っていたが、堰堤までは車で入れず、その手前500mほどのところでチェーンが垂れて進入禁止になっていた。林の中の空いたスペースに車を置く。
林道を歩く。左下には畑の沢が流れている。ここから無理に沢に入ってバシャバシャすることもないだろう。林道を進むと、左に打ち捨てられた木の小社やら、廃屋らしき建屋、放置した車が見えてくる。そして、ちょっとした広場になり、右に「畑之沢砂防堰堤付替歩道」の看板。この「歩道」は工事用のものだ。林道の脇を道型が続いている。
(畑之沢砂防堰堤)
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(歩道。そのうちに踏み跡になる)
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そして、目の前に砂防堰堤が現れる。大がかりな堰堤だ。これが「畑之沢砂防堰堤」で、6年前の完成のようだ。砂防ダムが設けられるくらいだから、荒れた沢なのだろう。ここは、踏み跡を辿って、右から越える。
(いい感じ)
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踏み跡(歩道)は、しばらく左岸側の高みを巻くように付けられているが、やがて沢に接するようになる。大きな石がごろごろしている。水量、勢いともにさほどのものではなく、沢を歩いても問題はなさそうだが、石や岩にはコケが随分と付いていて、滑りそうなので、無理をせずに歩道を進む。足は今日もただの長靴だ。沢靴を持参してはいたが、沢を見て、先日の今倉沢並みだろうと、長靴にした。
この沢にもハンターのゴミやら工事の残骸が目につくし、今のところ、沢そのものの景観も決して美しいとは言えない。まして、右岸側は植林だ。大きな丸みのある四角い石があちこちにある。ここは、石切り場でもあったのだろうか。
(炭焼き窯跡)
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(石が次第に大きくなる)
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(石をジャンプしながら歩いて行くのもまた楽しい)
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やがて小滝が出てきた。今倉沢よりは水量が多いようだ。そして、平地には大概、炭焼き窯の跡がある。こういう景色は、秩父の山に似たところがあっていい感じだ。
小滝がいくつか続く。いずれもこじんまりしている。水に入ったり、大石を越えたりしてしばらく遊び気分で遡上する。踏み跡はすでに不明瞭になったが、時たま、右岸側に現れたりする。それもそのはず。シカ除けのフェンスが右岸側に出てきた。取り付けの踏み跡だろう。暑くなってきたのでヤッケを脱ぐ。
(ほぼ現役っぽいが)
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(やがて巨大な石になってくる)
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(沢を振り返る)
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まだまだ使えるのではないのかと思えるような炭焼き窯跡があった。覗くと中は明るい。天井部を見ると穴が開いていた。いつの頃のものなのかは知らないが、足尾で炭焼きが盛んだったという話は聞いたことがない。
沢がおとなしくなって、巨大な石がゴツゴツと出てくる。そして、その先に白い一条の筋が見えた。あれが大滝ではないのか。周囲の景観が滝の存在で一気に変わった。これまでのなだらかさは消え、周辺が急峻なものになった。左右ともに急斜面。左岸側に至っては、大岩がテラス状に続いている。雪田爺さん氏はここでお遊びしたらしい。おっそろしぃの一言だ。
(そして大滝に着いた)
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(滝壺というほどでもないが)
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大滝を見ながらしばらく休んだ。この時期は水量も少ないのだろうか。初心者の思いでは、この時期は雪解け水で豊富な感じはするのだが。真ん中の岩が水でテカテカしているところを見ると、水の多い時は、中段あたりから二条、もしくは広がる落ち具合になるのだろうか。素人ゆえ、形状の記述がどうも怪しげで失礼。
もともと、滝見に関しては、さほどの造詣もないし、積極的に足を運ぶ方ではないが、こういう大きな滝を眺めていると、滝もいいものだなとつくづく思う。今度は梅雨時にでも来てみようか。ここまで駐車地から1時間程度のものだ。労せずに来られたし。紅葉の時期はどうだろうか。周囲は痩せた樹ばかりで、色づいたとしても滝の見栄えがさらに良くなるとは思えない。
滝の下の標高は925m。後で落ち口を覗き込んだ位置が950mだったから、落差は少なくとも22~23mはあるだろう。正直のところ、この畑の沢には不釣り合いな感じがしないでもない。
(右岸側の斜面を登る)
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(斜面から)
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さて、目的の滝を見たからと、このまま引き返すわけにはいくまい。予定では、唐風呂林道に出て、999m標高点から南東に下る尾根(右岸尾根といったところだ)を使うつもりでいたが、途中から見上げた尾根は急で、下るには無理がいくのではないかと思うようなものであった。どうするか迷っている。とりあえずは林道まで出よう。
左岸の岩場を這い上がるのは論外なので右岸の斜面を登る。ちょっと行くと、右下に溝のようなものが見え、それを越えると滝の頭に出られそうだ。途中でズルっと滑り、危うい思いはしたが、難なく滝の上に出た。
(大滝の落ち口)
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参考までにと、落ち口を覗く。こういうところは、下が見えても見えなくとも恐いところだ。さっさと切り上げる。
(大滝の上で)
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(また振り返る。水量も少なくなっている)
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(しつこく。自己満足はこれくらいで)
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しばらく沢伝いに登る。小滝がいくつかあり、炭焼き窯の跡も続く。炭焼きは一か所でやらず、転々としてやったものなのだろうか。それにしても多い。いい感じだ。たまに、動物が死んで腐ったような臭いがするが、その出どころは敢えて探して目に入れないようにしよう。今日も暑いから、見てしまったら後の祭になってしまう。
なかなか林道に出ない。地図では水線の記載はすでに消えている。そのまま北西に向かうものと思っていたが、いつの間にやら北東に進路を変えていた。目立つ二股はなかったと思うが…。
(林道が見えてくる)
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ようやく向きが北西に戻り、林道に出た。ここで腹ごしらえ。大滝では、滝の音にかき消されて、突然、四つ足が出てきたらどうしようなんて思うと落ち着かず、腹ペコなのに、食事をするような気分的な余裕はなかった。
ここまで来たら、予定どおり999mから急そうな右岸尾根を下るとするか。チェーンスパイクだけは持参していたから、そうなったら付ければいい。まさか、今倉沢まで大迂回していたら、駐車地まで戻ることになる。ここからさらに畑の沢を遡上するプランは念頭にまったくない。もしそのまま遡行していたら、1425m標高点ピークに達するようだったろうか。となれば、また巣神山ということになっていた。あいにく、山名板は用意していなかった。
3日前に歩いているから、またかといった感じでうんざり歩きの林道になった。途中で左に入って平地の999m標高点に到着。
(右岸尾根を下る。左にフェンス)
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(いくつか見たが、もう終わりかけだ)
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(どうみても道だ)
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999mからコンパスを合わせて南東に下る。左にフェンスが続いていた。そして、何と、尾根伝いに道があった。ラッキーといえばラッキーだが、興ざめ感が半分だ。しっかりした道で、ヤセ尾根部分では消えるが、また続く。溝状になったりもする。この溝状の道は、以前、巣神山からの下り、唐風呂林道末端から南に尾根伝いに下った際にも目にしている。何か意味のある掘りなのだろうか。
(石祠。畑沢の集落を向いている)
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(溝状の道)
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石祠を見かけた。ここはどうも古道っぽい。彫られた字を見ると、うっすらと「天」だけは確認できた。天明か天保だろうか。天正はあり得まい。まさか「天」ではなく「大」だったら大正だ。石祠といえば、二子山から餅ヶ瀬川に下った際にも見かけたが、この辺は古くから集落があったのだろう。
(林道に降り立つ)
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(取り付きはここ。ここから左に。道を辿れば999m)
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駐車地に出るには、途中から左の小尾根に入る。道もその分岐までだろうと思っていたら、そちらにまでお付き合いとなっていた。道から逃げようとして斜面を下ったら、道はしっかりと巻いて待っていた。仕方ない。そのまま堰堤前の広場に降り立った。おかげさまで、急な下りにならずに済んだわけだ。
(駐車地)
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5分もかからずに駐車地に到着。出発から2時間40分。半端で物足りなさはあるが、週半ばのこれまた半端な休日だ。このままおとなしく帰るとしよう。車で往復3時間だから、今日は乗車時間の方が長かった。
午前中に家に着き、ビールを飲んで昼寝する余裕。おかげで、今夜は寝られなくなって、明日の午後からは睡魔のパターンだろう。
駐車地(7:17)……畑之沢堰堤(7:23)……大滝(8:18)……唐風呂林道(9:02)……999m標高点(9:23)……堰堤手前広場着地(9:52)……駐車地(9:56)
3日前に今倉沢を遡行した際、ダメならの別案、もしくは寄り道で考えていた「畑の沢大滝」に下から行ってきた。
沢の名称は地図では「畑沢」。雪田爺さん氏は「畑の沢」。岡田敏夫氏と増田宏氏は「畑ノ沢」と記されている。だが、堰堤の銘板には「畑之沢砂防堰堤」とあった。国土交通省発行のプレートだから、正確には「畑之沢」だろうか。しかし、沢の様相からすると、上流部はやさしげでいやし系の沢であることは確かで、その印象から「畑の沢」の表記が気分的には似つかわしいかもしれない。自分が「塔ノ峰」よりも「塔の峰」を選んでしまうのと同じような感覚だ。
先日の今倉沢ともに、餅ヶ瀬川の支流である。沢屋さんには不向きなマイナーな沢だ。ここに大きな滝がなかったら、目の端にも入れない沢だろう。
(ここから先、車は入れない)

(壊れた社)

(広場。以前はここまで車が入れたのかも)

畑沢集落を通る林道が堰堤まで続いているのは下調べで知っていたが、堰堤までは車で入れず、その手前500mほどのところでチェーンが垂れて進入禁止になっていた。林の中の空いたスペースに車を置く。
林道を歩く。左下には畑の沢が流れている。ここから無理に沢に入ってバシャバシャすることもないだろう。林道を進むと、左に打ち捨てられた木の小社やら、廃屋らしき建屋、放置した車が見えてくる。そして、ちょっとした広場になり、右に「畑之沢砂防堰堤付替歩道」の看板。この「歩道」は工事用のものだ。林道の脇を道型が続いている。
(畑之沢砂防堰堤)

(歩道。そのうちに踏み跡になる)

そして、目の前に砂防堰堤が現れる。大がかりな堰堤だ。これが「畑之沢砂防堰堤」で、6年前の完成のようだ。砂防ダムが設けられるくらいだから、荒れた沢なのだろう。ここは、踏み跡を辿って、右から越える。
(いい感じ)

踏み跡(歩道)は、しばらく左岸側の高みを巻くように付けられているが、やがて沢に接するようになる。大きな石がごろごろしている。水量、勢いともにさほどのものではなく、沢を歩いても問題はなさそうだが、石や岩にはコケが随分と付いていて、滑りそうなので、無理をせずに歩道を進む。足は今日もただの長靴だ。沢靴を持参してはいたが、沢を見て、先日の今倉沢並みだろうと、長靴にした。
この沢にもハンターのゴミやら工事の残骸が目につくし、今のところ、沢そのものの景観も決して美しいとは言えない。まして、右岸側は植林だ。大きな丸みのある四角い石があちこちにある。ここは、石切り場でもあったのだろうか。
(炭焼き窯跡)

(石が次第に大きくなる)

(石をジャンプしながら歩いて行くのもまた楽しい)

やがて小滝が出てきた。今倉沢よりは水量が多いようだ。そして、平地には大概、炭焼き窯の跡がある。こういう景色は、秩父の山に似たところがあっていい感じだ。
小滝がいくつか続く。いずれもこじんまりしている。水に入ったり、大石を越えたりしてしばらく遊び気分で遡上する。踏み跡はすでに不明瞭になったが、時たま、右岸側に現れたりする。それもそのはず。シカ除けのフェンスが右岸側に出てきた。取り付けの踏み跡だろう。暑くなってきたのでヤッケを脱ぐ。
(ほぼ現役っぽいが)

(やがて巨大な石になってくる)

(沢を振り返る)

まだまだ使えるのではないのかと思えるような炭焼き窯跡があった。覗くと中は明るい。天井部を見ると穴が開いていた。いつの頃のものなのかは知らないが、足尾で炭焼きが盛んだったという話は聞いたことがない。
沢がおとなしくなって、巨大な石がゴツゴツと出てくる。そして、その先に白い一条の筋が見えた。あれが大滝ではないのか。周囲の景観が滝の存在で一気に変わった。これまでのなだらかさは消え、周辺が急峻なものになった。左右ともに急斜面。左岸側に至っては、大岩がテラス状に続いている。雪田爺さん氏はここでお遊びしたらしい。おっそろしぃの一言だ。
(そして大滝に着いた)

(滝壺というほどでもないが)

大滝を見ながらしばらく休んだ。この時期は水量も少ないのだろうか。初心者の思いでは、この時期は雪解け水で豊富な感じはするのだが。真ん中の岩が水でテカテカしているところを見ると、水の多い時は、中段あたりから二条、もしくは広がる落ち具合になるのだろうか。素人ゆえ、形状の記述がどうも怪しげで失礼。
もともと、滝見に関しては、さほどの造詣もないし、積極的に足を運ぶ方ではないが、こういう大きな滝を眺めていると、滝もいいものだなとつくづく思う。今度は梅雨時にでも来てみようか。ここまで駐車地から1時間程度のものだ。労せずに来られたし。紅葉の時期はどうだろうか。周囲は痩せた樹ばかりで、色づいたとしても滝の見栄えがさらに良くなるとは思えない。
滝の下の標高は925m。後で落ち口を覗き込んだ位置が950mだったから、落差は少なくとも22~23mはあるだろう。正直のところ、この畑の沢には不釣り合いな感じがしないでもない。
(右岸側の斜面を登る)

(斜面から)

さて、目的の滝を見たからと、このまま引き返すわけにはいくまい。予定では、唐風呂林道に出て、999m標高点から南東に下る尾根(右岸尾根といったところだ)を使うつもりでいたが、途中から見上げた尾根は急で、下るには無理がいくのではないかと思うようなものであった。どうするか迷っている。とりあえずは林道まで出よう。
左岸の岩場を這い上がるのは論外なので右岸の斜面を登る。ちょっと行くと、右下に溝のようなものが見え、それを越えると滝の頭に出られそうだ。途中でズルっと滑り、危うい思いはしたが、難なく滝の上に出た。
(大滝の落ち口)

参考までにと、落ち口を覗く。こういうところは、下が見えても見えなくとも恐いところだ。さっさと切り上げる。
(大滝の上で)

(また振り返る。水量も少なくなっている)

(しつこく。自己満足はこれくらいで)

しばらく沢伝いに登る。小滝がいくつかあり、炭焼き窯の跡も続く。炭焼きは一か所でやらず、転々としてやったものなのだろうか。それにしても多い。いい感じだ。たまに、動物が死んで腐ったような臭いがするが、その出どころは敢えて探して目に入れないようにしよう。今日も暑いから、見てしまったら後の祭になってしまう。
なかなか林道に出ない。地図では水線の記載はすでに消えている。そのまま北西に向かうものと思っていたが、いつの間にやら北東に進路を変えていた。目立つ二股はなかったと思うが…。
(林道が見えてくる)

ようやく向きが北西に戻り、林道に出た。ここで腹ごしらえ。大滝では、滝の音にかき消されて、突然、四つ足が出てきたらどうしようなんて思うと落ち着かず、腹ペコなのに、食事をするような気分的な余裕はなかった。
ここまで来たら、予定どおり999mから急そうな右岸尾根を下るとするか。チェーンスパイクだけは持参していたから、そうなったら付ければいい。まさか、今倉沢まで大迂回していたら、駐車地まで戻ることになる。ここからさらに畑の沢を遡上するプランは念頭にまったくない。もしそのまま遡行していたら、1425m標高点ピークに達するようだったろうか。となれば、また巣神山ということになっていた。あいにく、山名板は用意していなかった。
3日前に歩いているから、またかといった感じでうんざり歩きの林道になった。途中で左に入って平地の999m標高点に到着。
(右岸尾根を下る。左にフェンス)

(いくつか見たが、もう終わりかけだ)

(どうみても道だ)

999mからコンパスを合わせて南東に下る。左にフェンスが続いていた。そして、何と、尾根伝いに道があった。ラッキーといえばラッキーだが、興ざめ感が半分だ。しっかりした道で、ヤセ尾根部分では消えるが、また続く。溝状になったりもする。この溝状の道は、以前、巣神山からの下り、唐風呂林道末端から南に尾根伝いに下った際にも目にしている。何か意味のある掘りなのだろうか。
(石祠。畑沢の集落を向いている)

(溝状の道)

石祠を見かけた。ここはどうも古道っぽい。彫られた字を見ると、うっすらと「天」だけは確認できた。天明か天保だろうか。天正はあり得まい。まさか「天」ではなく「大」だったら大正だ。石祠といえば、二子山から餅ヶ瀬川に下った際にも見かけたが、この辺は古くから集落があったのだろう。
(林道に降り立つ)

(取り付きはここ。ここから左に。道を辿れば999m)

駐車地に出るには、途中から左の小尾根に入る。道もその分岐までだろうと思っていたら、そちらにまでお付き合いとなっていた。道から逃げようとして斜面を下ったら、道はしっかりと巻いて待っていた。仕方ない。そのまま堰堤前の広場に降り立った。おかげさまで、急な下りにならずに済んだわけだ。
(駐車地)

5分もかからずに駐車地に到着。出発から2時間40分。半端で物足りなさはあるが、週半ばのこれまた半端な休日だ。このままおとなしく帰るとしよう。車で往復3時間だから、今日は乗車時間の方が長かった。
午前中に家に着き、ビールを飲んで昼寝する余裕。おかげで、今夜は寝られなくなって、明日の午後からは睡魔のパターンだろう。