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Channel: たそがれオヤジのクタクタ山ある記
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ちょいと寄居の城址めぐり―花園城と鉢形城。

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◎2016年1月24日(日)

 城址めぐりに特別な趣味や造詣があるわけでもないのだが、先週、虎が岡城址を見たこともあって、今回はその行きがかり上といったところもある。鉢形城址には、一昨年の<外秩父七峰縦走ハイキング大会>に参加し、ゴールとして鉢形城公園が設定されていて、その際に通過したことがあるだけで、実際には見て歩いたこともない。ただ、鉢形城だけでは、ただの散歩にしかならないだろうし、これに、花園城址と金尾山城(要害山城)を加えてみることにする。
 ところで、先週、羅漢山の先にある御嶽山という石碑だらけの山に立ち寄ったが、後で調べると、あそこには御嶽城というのがあったらしく、それを知っていたら、特別に何かを調べたり確認したりするわけでもないのだが、歩く気分も少しは変わったのになぁと、残念なところもある。だが、今日のついでに改めて行くというつもりはない。自分の城めぐりもそのレベルだ。
 予定では、鉢形城公園に車を置いて、花園城と金尾山城を歩くつもりでいたが、出がけに犬の散歩をすると、風は冷たく強い。犬が同じところで長々とクンクンしているのを待っているのもつらく、最後はワンコにイラつく始末だった。これでは、街中を延々と歩くのもどんなものか。車移動にするしかあるまい。花園城あたりは、どこに車を置いていいのかも知らず、行き当たりばったりだろうからと、軽で行くことにする。

(花園城址に向かう。諏訪神社が見えている)


(諏訪神社)


 まずは花園城址だが、善導寺並び先の諏訪神社の裏手から入れるらしい。少林寺の駐車場に一旦は車をとめたが、この寒さでは、ここからの歩きはどうも遠い。改めて善導寺を目指し、諏訪神社の前の路上に車を置いた。かろうじて車が行き交える道幅になっていて、ここは車もめったに通らないだろう、短時間で済むはずと、身勝手に判断して駐車したが、軽でなかったら、大型でも来たら障害になるのは必定。今思うと、善導寺は観光スポットになってもいるようだし、拝観付きで寺に駐車した方が無難だったかもしれない。

(見上げるとこんな絵が)


(裏には石碑が7~8基ほどあったか)


 諏訪神社にも石碑が並んでいた。神名を記した石碑はさほど古いものではないようで、興味もそそられなかったが、拝殿(というほどの大げさなものでもないが)の天上板に描かれた百人一首の絵札のような絵は何なのだろう。武者、公家、姫、鶴の絵だ。古いものだろうか。これは気になった。左隅の絵に落款が入っているようで、どうも慶應二年と読めなくもないのだが。

(こんな道もすぐに消える)


(堀の跡を上に向かった方が確実)


(城の石垣跡だろうか)


 裏手から上がる。明瞭な道はない。テープはあちこちにあって、むしろ忠実に追えそうにない。上に向かえばいいだけのことだが、一週間前の雪が残っていて、ヤブに入ると長靴でも滑る。はっきりした踏み跡を見つけて辿ると、やがてはうやむやに消える。
 そのうちに、掘のようなものが見え、これは竪堀とでも言うのだろうか、これを辿ると、石積みを見たりしながら、あっさりと上に出られた。平らになっているところからして曲輪でもあったのだろう。周囲には堀もある。

(明瞭な堀切を渡って)


(山頂)


(山頂の石碑)


 西側の高いところに移動する。堀を渡って、急なところを登ると、ここが山頂部になるのだろう。端にはアンテナが置かれ、その先には割りと広い平地になっている。そして、石碑みたいなものも置かれている。
 石碑には「花園城址」とあった。これを見たら、後は用事なしといったレベルの城址めぐりだ。そそくさと下りにかかる。それにしても、立派な石碑を設置するくらいなら、この城址に至る道をもっと整備したらいかがかと思ってしまう。このままでは堀も痛むだろうに。

(帰路は堀切跡を忠実にと思いながら下ったが)


(竹ヤブにはまってしまった)


 竪堀がいくつか並行して下っている。それに空堀やら畝(土塁?)のようなものが横切る。どこを登って来たのか、さっぱりわからず、雪の上の自分の足跡さえ探せない。ヤブに入り込み、腐りかけの竹林に突っ込んでしまった。先には民家が並んで見える。先日の四津山下りと同じパターンになっている。それよりはマシか。
 竹にビシバシやられながら竹ヤブを出ると、畑に出た。人の姿も見える。気づかないふりをして畔道を行くと、目の前に1m幅の水路が流れている。先般はこれを避けて遠回りしたが、この場を避けると、民家の庭先に出てしまう。仕方ない。ジャンプ。何とかうまくいった。こういうことはあまりしたくないものだ。

(こんなところに出てしまった)


 車まで150m以上は歩いたか。かなり遠回りに歩いてしまったようだ。長靴は泥んこになっていた。一服して靴を履き替え、鉢形城公園に向かう。相変わらず風が冷たい。

(順路にしたがって園内を探索。城址のイメージは薄い)


(道標も整備されている)


 公園に着くまでの間、リュックを背負ったハイカーを5人ほど見かけた。寒い中、ご苦労さまといったところだが、自分とて同じようなもの。ズルをして車を転がしている。風は昨日の方がまだマシだったろうが、ここのところ土曜日は通院ディになってしまい、日曜日しか自由がきかなくなっている。歩きのコースも、自然、それに合わせた間に合わせなものになる。こんな状態がいつまで続くのか。
 公園の駐車場の先には鉢形城歴史館があった。今日は何をやっているのか。「出土品から見た寄居の歴史」か…。歴史好きとはいっても、古代史にはあまり興味はない。まして、地元ではなく他所の町の古代史だ。なおさら。
 整備された公園だ。案内板に合わせて歩いてみた。御殿曲輪、二・三の曲輪と続く。探索している人は5人くらいか。

(寄居町指定天然記念物・桜「エドヒガン」とあった)


(城山稲荷神社)


(よく整備されているが)


(きれい過ぎのきらいも)


(この石垣は不自然に見えた)


(諏訪神社)


 45分くらいかけて一回りした。城山稲荷神社と、ここにもあった諏訪神社にも寄ってみた。この鉢形城、大きな城郭だったのだろう。天守閣のみ再建して売り物にしている城址に比べたら、敷地のみでも格段の差だし、太田の金山城の何倍もあるのではないのか。城址公園の中にはお花畑もあるらしい。
 ただ、整備され過ぎの不自然さはぬぐえない。戦国期の城跡と呼ぶには無理もある。石積みの状態も整然とし過ぎている。これを見て、金山城も同じようなもの、むしろ、金山城の方が手を加え過ぎているのではと思いもする。往時のままのものが手も加えられずに残っている…、そんなことはあるわけないか。放りっぱなしか整備かのいずれでしかないのだろう。

(梅は乾燥して、終わりかけにも見えた)


 順番として次は金尾山城ということになるが、車に戻って、タバコを吹かしていると、身体がぞくぞくとしてきた。金尾山はもういいか。あそこはツツジのきれいなところらしい。こんな寒い時に行ってもしょうがないだろうと言い訳をする。

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