◎2017年9月15日(金)
丸沼温泉駐車場(7:15)……湯沢峠(8:45~9:05)……2045m標高点付近(10:00)……2083m標高点付近(10:46)……燕巣山(12:33~13:00)……四郎峠(13:45)……丸沼温泉駐車場(14:59)
3日(日)に温泉ヶ岳と湯沢峠の間の県境稜線を歩いたら、その先の湯沢峠・燕巣山区間をさっさと済ませたくなってしまった。さりとて、あっさりと歩ける区間ではなく、長時間の獰猛なヤブとの戦いになるようだ。そんなことを承知の上で、10日(日)に出向くつもりでいたが、前日にみー猫さんから大岳尾根のお誘いメールをいただき、つい迷ってしまった。結局、翌朝になってから大岳尾根歩きに加えていただくことに決めたものの、5時半バスに間に合わないようなら、湯沢峠にするつもりでもいた。
当日、まだ夜中の3時だし、近所にガラガラ音は失礼かと、半開きにした門扉のままに車を出そうとしたら、見事に門扉に車をこすってしまった。ガリッとした低い音からしてたいしたことはあるまいと、しっかり確認をせぬままに高速に乗ったが、やけに気になり、PAに入り込み、ライトの下でよく見ると、かなり広範囲のひどいキズになっている。山歩きをする気分はすっかり失せ、先のインターで下りて家に戻ったが、終日、ブルーな気分で過ごすことになった。
車の修理はまだ終わっていない。急な持ち込みで、代車はなかったが、息子のジムニーは使える。改めて湯沢峠と燕巣山の間の県境を歩くことにする。週末は台風の影響もあるようだしと、金曜日に決行する。
丸沼駐車場に車を置き、では出発といったところに携帯のJアラーム。北朝鮮がミサイル発射とのこと。またかいな。車に戻ってラジオのニュースを聞いた。散々待たされ、太平洋上に落下したことを確認してから歩き出す。先月の29日に棒ノ嶺に行った時もそうだった。あの時は運転中のラジオで聞いた。破滅に向かいつつある国のやらかすことは滅茶苦茶だ。表現は不適だが、二度にわたって原爆を落とされた日本は標的にもしやすいと思われても不思議ではない。まして北鮮からの距離も近く、命中率も高いだろう。実質、自衛権しか持たない日本、果たして頼りにしているらしいアメリカが本気になってくれるのか。グアムどころか、日本は案外に手頃な攻撃対象国にしやすいのではないのか。それにしても、NHKの発する警告はお粗末だな。窓から離れろか。それも、北海道から北関東にかけての広い範囲だった。その間にミサイルは日本を飛び越えている。今回の歩きの主題でもないので、突っ込みはこの程度におこう。それにしても、三代目が企業を滅ぼすとよく言われるが、北鮮にも当てはまる例えではないのか。
(出発。燕巣山。帰路は、普通は左から下って来るものだろうが、道失いで右側から下って来ることになる)
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(先日はこの沢で戯れた)
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(結構、しんどい歩き)
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丸沼温泉から湯沢峠の歩き。あっさりしていそうで標高差は530mもある。結構きつい。一人歩きだから余計にそう感じる。先日は下り使用だったが、見覚えのある景色の中の登りもそれなりにつらい。早速、足にきた。太ももに痛みが走って痙攣の兆し。これがまた、太い倒木をまたぐ際に頻発する。ストックを出し、何度も休みながら登った。湯沢峠に近づき、ようやく痛みは治まったが、その先のヤブ越えがかなり気になってしまった。
燕巣山から湯沢峠までの下り歩きを考えもしたが、どうも、それでは幾分楽そうで、満足感には浸れないような気もして、自分には、ここは登り使用にこだわってしまった。さりとて、逆の場合は丸沼温泉から燕巣山までの標高差も800mほどはある。湯沢峠起点はあくまでも気分的な問題で、体力の消耗は同じようなものだろう。
(そろそろ湯沢峠か)
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(湯沢峠)
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湯沢峠まで1時間30分かかった。コースタイムは1時間40分になっていたからこんなものだろう。足の痛みどころか便意で時間をとられもした。ネットで見ると、1時間6分で歩いたというのがあった。まぁ別格だろうな。いずれにしても、先日は前半部でかなりいかれてしまったが、今日は一人歩きだし、いつもの適当に休んでは登るのパターンで、峠から燕巣山までは先人の登り使用の記録を参考に(烏ケ森の住人さんと数件のネット記事しか確認はできず、大方は下り使用か残雪期だ)3時間半から4時間とみている。それでいて、峠から燕巣山までの単純標高差は260m程度のもの。いかに激ヤブかということくらいは数字からも理解はしている。
ひとまず湯沢峠で休憩。地図上の湯沢峠と、実際の今の湯沢峠の位置は違う。区界線の北側の最初の点部分が湯沢峠になっている。さて、ハイトスさんのおっしゃるヤブ装備が必要というのはよくはわからないが、足はスパイク地下足袋が適当だとそれにしていたが、ゲートルをどうするかで悩んだ。トレパンズボンの裾は中に入れ込み、枝葉クズの入る余地はないようだし、このままでもいいだろう。チタンだかアルミフレームの軽いメガネは外れやすいのでやめにし、締まりのきついサングラスにした。メガネベルトは持参していたが必要あるまい。以前、甲子山、旭岳を歩いた際、旭岳の南尾根でメガネをヤブにさらわれ、見つけられなかったことがあったので、注意だけはしよう。ウィンドブレーカーは着た方がいいだろうし、ストックは収納すると、先がヤブに引っかかるだろうから、このまま持ち歩きで様子見かなぁ。あとはいつもの格好だ。この程度が自分流のヤブ装備だ。軽く腹を満たし、タバコを一本吸う。
グズグズしていないで、さっさとヤブ入りすればいいのだが、この先のウワサの熾烈なヤブを想像すると、つい尻込みもしてしまう。戻るかといった発想は出てこないが、昨日拝見した、あにねこさんが丸沼ペンション村から四郎岳を往復されていた記事に出ていた唐沢山が脳裏をかすめたりもしている(実際、地図を持ってきていた)。太平洋に落下した北朝鮮ミサイルではやめる理由にもならない。
(ヤブに入り込んでちょっとばかり歩いた後の光景。背丈超えのヤブが続いている。尾根型ははっきりとわかるが、ここまではヤブに埋もれて先が見えなかった)
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先日、ちょっとばかり下見した際、みー猫さんが入り込んだところには踏み跡らしきものが見えたとおっしゃっていた。その右に探りを入れたこちらはいきなり背竹越えのネマガリタケに身動きがとれない状態になっていた。みー猫さんの入り込んだ方を覗いてみる。背丈超えは致し方ないがヤブの密度は薄そうだ。
コンパスをセットしていざ突入。すぐに身が没した。ササの幹が下向きになっていて容易に進めず、スパ地下でも安心しきっていると、あっさりと滑る。懸命にヤブ薄のところを選んで進んだが、どうも尾根からは左寄りに外れた歩きをしている気配がある。尾根に復帰しようともがいていると、ヤブ下にうっすらとした光明が見えた。踏み跡。これがかつての登山道なのかシカ道なのかは知らないが、遠目で見たところで、そこだけ若干の窪み状が続いているわけでもなく、ヤブに潜らないとわからない代物だ。しかし、これは一種の突破口だろうな。
(苦戦。急斜面になっている。樹があるだけでも助かる)
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(右手に根名草山)
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(湯沢峠方面を振り返って。下るとなるとしんどいかも)
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ストックは邪魔なので、手首に垂らしたままで、両手で左右のヤブをかき分けながら登る。そのうちに幾分の歩きのコツを覚えた。だが、最初から最後まで倒木や腐った樹がやたらと横倒しになっていて、それを越えると、また踏み跡探しといった状態が続く。がむしゃらにヤブをかきわけるよりも、道筋らしきものを追った方が何十倍も楽に決まっている。10分くらい進んだところで後ろを振り返る(10分経過とはいっても、ほとんど進んでいず、距離にしても70mくらいのものだろう)。これは、下り使用にしても簡単に湯沢峠には戻れないかもしれない。尾根は広く、すでにどこを歩いて来たのかもわからない状況になっている。この辺はGPS頼りとなってしまっても仕方がない。
太い樹が生きているようなところの周辺は一時的にヤブも薄く、明瞭な踏み跡らしきものも残っている。だが、それを過ぎるとすぐにヤブは密になる。
(まぁ、こんな中の歩きがしばらく続く。ここに同行者の姿でも写っていればわかりやすいが、おそらく頭だけになるかも)
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(たまにこんなスポットもあり、この前後には踏み跡らしいものも残ってはいる)
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(一応、こんなところを左右にかき分けて登るのだが、写真ではわかりづらいが、ひっそりとした窪みが続いている)
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(燕巣山)
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(急な登り。左下に黄色のテープが見えている)
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次第に傾斜が増してくる。きつい。前方に燕巣山が見えるようになった。湯沢峠に出るまでの間に見た燕巣山は近いものだったが、ここからは何と遠いことか。ここで古ぼけた黄色のテープを見た。こんなヤブの中にテープがあってもなぁ。こんなところの歩きにセオリーなんかあるわけがない。
(ようやくヤブが薄くなり、右から尾根が来ているのが見えてくる。このレベルなら普通のヤブ山だ)
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(2045m標高点付近。何かがあるわけでもない)
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ふんばりながら登って行くと、傾斜が緩みだし、ヤブも薄くなり、腰高程度になった。2045m標高点が近いようだ。やがて右方向から尾根が合流し、方向を西向きに変える。平坦になったとはいえ、ヤブと倒木は続いている。GPSを確認する。この辺が2045m標高点付近か。湯沢峠からの標高差はほぼ80m。55分費やした。ここで休憩したいところだが、区間としてはまだ1/4。まだまだ先が続いている。首筋にくっついた枝葉を落とし、シャツを外に出し、背中のゴミをはたいた。メガネを拭うと、サングラスに2か所ほどキズが付いていた。顔面も3回は打たれた。
(北側の風景。物見山と鬼怒沼山だろう)
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(そして、こちらは燕巣山の先。奥が2099m三角点ピーク、手前が2100級ピークかと思う)
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休憩もそこそこに、次の2083mにコンパスをセットし直して歩きを続行。この2045m付近だが、下りで使う場合は要注意個所だろう。素通りしてそのまま東に下ってしまいそうだ。ここに目印らしきものはない。
ササが低く、疎になった分、とはいっても、通常の山ではヤブ山状態だが、あちこちに踏み跡らしきものが見えるようになるが、先は続かない。実際は、これ、倒木でササが倒れただけのことで、踏み跡に見えるだけのこと。尾根型は広く、自分は、できるだけ北側を歩くようにした。その方が安心だろう。樹間から物見山と鬼怒沼山、そして、燕巣山の先のコブ状のピークが2つ見える。展望地としてはこんな視界の狭いスポットがいくつかあるだけだ。
この辺から、ホイッスルを15分間隔くらいで鳴らすようにする。2045mまでは密なヤブだったのでクマの心配もなかったが、この先どこかに潜んでいたり、木登りしている可能性はある。針葉樹主体の尾根とはいっても安心はできない。
この、少しはましな歩きやすさがしばらく続くことを願ったが、実際は気楽に一辺倒で歩き続けて行けるところは少なく、ヤブに隠れた倒木越えや、一時的に密度のあるヤブが頻発し、なかなかやっかいな歩きは続いている。それでも、さっきよりはましだ。
先の小ピークを乗り越える。このあたりからシャクナゲがちらつくようになるが、歩行の妨げになることもなく、ひっそりと暮らしているといった状態だ。
(2083mへの登り。ここを正面から行ってしまい苦闘した)
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(ちらりと白根山)
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2083mへの登りが始まった。また背丈超えのヤブになった。ここでまばらに立っている樹の側を歩けば良かったようだが、ここまで明瞭な踏み跡が続いてわけでもなく、強引に中央突破を図ってしまった。これは失敗。湯沢峠直後と違って傾斜は緩いながらもササはかなりの密状態で背も高い。シカ道すらなく、先にさっぱり進まない。濡れていたらかなりやっかいだったろうが、乾いていたので何とか強引に登りきる。その間、えらく果てしなく感じていた。
(ヤブが低くなると、何となく踏み跡らしきものが薄っすらと見えてくる)
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(燕巣山はまだ遠い)
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(こんなものが捨てられていた)
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(ここでテントでも張ったのか)
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なだらかになり、またヤブは低くなった。ふと、空瓶を目にした。ニッカウイスキーの角瓶。ラベルは剥がれていて、ニッカの銘柄は蓋でわかった。ここまで、最初に見かけたテープ以外に標識も見ることはなく、初めて見かけた人工物といったところだが、ペットボトルならまだしも、こんなものを片付けがてら持ち帰るつもりはない。この先に、ちょっとしたテン場に適したササのない平地があったので、大方、ここでグループがキャンプでもしたのだろう。いつの事かは想像もつかないが。
(2083m標高点付近)
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再び低い密藪を乗り越えると、小高いピーク。おそらく、ここが2083m標高点だろう。ヤブに覆われている。この先は下りになっている。10分ほど休憩し、空腹を満たし、ようやく一服つけた。ここでやっと半分か。吹き付ける風は冷たい。ここまで来てしまったら戻れないし、戻れる自信もない。
(2083mから下る。ヤブはさほどのものではない)
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(展望スポットから四郎岳)
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(そして、白根山から錫ヶ岳方面)
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(尾根が細くなる。どう見ても、これは踏み跡だろう)
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ホイッスルを鳴らして下る。倒木がさらにうるさくなった。ヤブは薄い。左手に展望地。下は急斜面になっているが、四郎岳もさることながら、白根山から錫ヶ岳の先まで見える。眼下には丸沼と大尻沼。ここの展望は、ずっとヤブ続きの中では一級だなぁ。
このまま左手の展望を楽しみながら歩ければヤブ漕ぎしていても癒されるものだが、すぐに左手のカーテンは下ろされ、四方ヤブの殺風景に変わった。尾根幅は一時的に細くなり、そのせいか、この先は、かろうじて、踏み跡のようなものを拾って歩くことができる。また、この先、地図では読み取れない小ピークが3つか4つほど続く。各小ピークへの登り上げでは決まってヤブが密になる。
(ナゲさんが参戦してきた)
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いよいよ石楠花がササに混じって邪魔になってくる。さほどのものではないが、ストックの輪がひっかかり、ザックのベルトに枝がはさまったりして、余計な時間がとられてしまう。燕巣山もようやく目の前に大きくなってきた。いよいよ後半戦だ。だが、あとせいぜい130mほどの標高差でもヤブが延々と続いているらしいのを見ると、どうしてもげんなりとしてしまう。
(目についた2つ目のテープ。この辺は尾根外しで左寄りに歩いては尾根中央の右に戻ったりしている)
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2つ目のテープを目にした。1つ目から随分と間隔がある。樹に巻かれた古い黄色のテープ。燕巣山までの間に、烏ケ森さんの記録には標識板を3~4回、そして赤テープも見かけたとあったが、自分が目にしたのはこれまでの2つの黄色テープと、その先で、これまた古ぼけたオレンジテープ(かつては赤だったのか)。そして燕巣山直下の黄色テープの計4つ。標識板は気にもなっていたので、これまで頻繁に振り返って見たりもしたが、見ることはなかった。10年の歳月で落ちてしまったのか、あるいは自分がおかしな歩き方をしていたのか、ただの見落としか。標識やテープも、ここを登りで歩いている限りは必要性は感じないが、下り使用だと、かなりの安心感が出てくるだろう。
ヤブを歩いているうちに、ここでもまた歩き方のコツを会得した。尾根を律義に登って行くと、どうしてもヤブ払いになってしまうが、すぐ下の左手南側はヤブも薄くて歩きやすい。踏み跡もまたそちらにあったりする。これを利用しながら、尾根外れ、尾根合流の繰り返しに心がけるとかなり歩きやすい。
(燕巣山が目前に。この先、右手から回り込むようになる)
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(マリモのようなこれはコケか? とくちゃんのブログでも見かけたなぁ)
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(そろそろ色づいてもいる)
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燕巣山が目前となった。そのせいか、左右の展望も次第に開けてきた。そろそろ直下だ。最後の休憩で一服したいが、平らなところはなく、むしろ、次第に急になってきている。これはあきらめるしかない。黙々と堪えながら登り続ける。
(次第に開けてくる。だが、高いヤブは依然として続いている)
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(また改めての展望。360度とはいかない)
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(北側の展望)
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ササもさることながら、今度はシラビソ主体の針葉樹が前進を妨げるようになり、かなりうっとうしい登りになってきた。それを越えると、広葉樹が出てくる。そのせいか、ヤブは幾分おとなしくなった。
(シラカバだかダケカンバが出てくる。ここは比較的に歩きやすいが、見た目以上に急だ)
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(ササ斜面が広がる。これでも背丈超え。左手に逃げる)
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(燕巣山はすぐそこだが山頂が見えない。フィニッシュはもがきながらの登りになった)
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(振り返ると、燕巣山から湯沢峠に下ろうと思う人が先ずは目にするテープ。大方はこの先を見てはひるんですごすごと戻る)
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真上の山頂が見えなくなった。高度計を見ると、2195m。あと30mで終点だ。だが、そう簡単にはいかない。右手が背丈を隠す広いササ斜面になり、そちらには行けないなと、まだ続くまばらな樹のある左側を登ったが、それが途切れると、どうしても、ササ斜面に突っ込むしかなくなった。ここまではかろうじて薄い踏み跡を辿れたが、その先に踏み跡はない。まして、山頂直下だ。人の心理としててんでにあちこちを登るだろうし、歩く人も物好きの部類なら、ここに踏み跡を期待すること自体が無理なこと。
(燕巣山。苦労して登って来ると、三角点があるわけでもなく、ただのシケた山頂にしか見えない)
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(くどいようだが、北側の展望。どうしても同じような写真になってしまう)
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(そして南側。男体山がかすかに見える)
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滑りまくりでようやく山頂に飛び出した。出迎えしてくれるハイカーはいなかった。これはちょっと残念。同時に二度とこの区間は歩くまいと思った。これが率直な感想だ。付き合って欲しい、案内して欲しいと言われても絶対に断わる。それほどの強烈な印象の稜線区間だった。湯沢峠からほぼ予定通りの3時間半かかった。
山頂にはだれもいないので、上半身裸になって、木クズをはたいた。足袋はどうなっているのかと、コハゼを外していくと、次々に挟まった葉のカスが落ちていく。中には侵入していず、ゲートル巻きはやはりするまでもなかった。ここまで汗はほとんどかかなかったのが不思議なくらいだ。
おにぎりを食べ、水を飲み、立て続けにタバコを2本吸う。生き返った感じがするのが何ともうれしい。陽があたって暑い。ここでウィンドブレーカーを脱いでセルフ写真撮り。ついでに踏み跡をつい追ってしまい、物見山の方を見に行く。視界に広がるササヤブは低いが、この先は、別に行かずともにいいだろう。車利用だとアクセスも悪すぎる。今回の区間を下り使用にせよ繰り返すつもりはさらさらない。
(下る)
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一般道を下る。四郎岳に行く気はない。しかし、ここの燕巣山と四郎岳も好き者が歩く山だ。せいぜい、前者は栃木百名山、後者は群馬百名山と、百名山ねらいが目的で登るに過ぎないような感はある。いきなりの急下りになっていた。両山ともに9年前に丸沼温泉から登ったことがある。その時に比べて体力はかなり落ちているが、あの時も休み休みで登った。以前、記したことがあったかもしれないが、四郎岳で、これから燕巣山に登り、湯沢峠に下ると言っていたジイサンに出会った。そのジイサンを四郎岳の下りで追い越し、できれば、自分もまた湯沢峠経由に同行しようかと思いながら、燕巣山でしばらく待機していたが、待てど暮らせどなかなか登って来ない。もうあきらめて登って来た道を下ると、ようやく、ぜいぜいしながら登って来るジイサンに出会った。あの様子では、湯沢峠下りは無理だったろう。
(正面に四郎岳)
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(1891m標高点付近。ここでとうとう足が攣る)
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どんどん下る。登山道の状況は決して良くはない。さりとて、さっきまでの歩きに比べたら雲泥の差だ。かくも登山道歩きは何と楽なことか。ここもまた展望がないのが残念だ。下りきり、1891m標高点へのちょっとした登りになる。ここで両足が攣ってしまった。太腿がパンパン。あの急激な下りからいきなりの登りでは仕方もあるまい。木株に腰かけ、一服しながら芍薬甘草湯を含んだ。即効性があるのかすぐに痛みは治まったが、これは薬のせいなのか、四郎峠からの下りでまたしても痛みが走ったから、これは休憩して痛みが一時的に治まっただけのことだろう。
(四郎峠。ここから左に下る)
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(北側に続く踏み跡)
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四郎峠に出た。何とも目立たない道型が丸沼方面に下っていた。標識があったので、ここが四郎峠とはわかった。9年前にここに来た際、北側に続く作業道のようなものが気になっていたが、まだ明瞭に残っている。これを使うと、ただ大薙沢に出る道というだけのものなのだろうか。相変わらず気になった。ネットで調べても、これを歩いた記録は見かけなかった。
(ササをかぶった登山道。燕巣山、四郎岳いずれに行くにしても、ここから菅沼の区間が人通りが一番多いはずだが)
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(こんなヤブトンネルもある)
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クネクネした、条件の悪い道になった。ところどころでササに隠れたりしている。左右からササが突き出している。四郎峠までの下り道の方がまだ質が良かった。ヤブ漕ぎを延々とやった後には、しっかりした登山道を歩いて下りたいと思うのが人情だろうが、今日の歩きの条件では、この程度のササヤブを見ただけでもううんざりとしてしまう。まして、倒木でその先のテープを探したり、石ゴロで足裏が痛くなったりしてきた。
(小沢に出る)
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(標識。4か所くらいで見かけた)
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(四郎沢で一服)
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小沢に出た。沢沿いに道が続いている。この沢をテープに合わせて渉ったり戻ったりしたが、そのうちに両側が沢の間の小尾根を下り、左の四郎沢に出た。あとは四郎沢沿いに下るようだが、この四郎沢、ショボい沢のようでいてナメが続いているようだ。上部はどうなっているのか。見ごたえのある滝でもあるのだろうか。確か、コース外れの上流に6m滝だったかがあったと瀑泉さん記事で見た記憶がある。ここで10分ほど休憩するが、地下足袋の布はすでにさっきの沢で水を吸いこんでしまっている。
沢を渉っている間に次第に道が不明になり、頼りはテープだけになった。倒木の先下に穴のようにヤブの中に続く道があったりする。
(堰堤を越えるオッチャンが見えた)
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スズというよりも、バケツを叩いているような音が聞こえてきた。何だろうか。先に堰堤が見え、その堰堤を乗り越えるオッチャン3人組が目に入った。あの人たちの音だったのか。堰堤でご挨拶。向こうはキョトンとしている。そりゃそうだろう。四郎岳、燕巣山の両方を登ったとしたら、当然、行き会うはずだ。ペンション村から登って来たのかと聞かれた。湯沢峠から登って来ましたよと言うと、大変だったねと言われたが、少しは状況をおわかりの気配。追い越しながらも、バケツを叩くような音は聞こえていたが、別にバケツを持って歩いている様子はなく、あれはいったい何だったのだろうか。あれ欲しいなと思った。
(堰堤を渡ったりもする)
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(ここまでは問題なく歩いて来たが)
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(道を見失って、こんなところを歩いてしまった。コース外れのハイカーも多いようで、踏み跡はあちこちにあった)
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(丸沼温泉駐車場に無事に帰還)
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いくつか堰堤を越えたり、その上を歩いていると、道を失ってしまった。とうとうヤブ歩きになってしまった。沢沿いに歩いているから問題はなく、駐車場も遠くかすかに見えている。道探しはヤメにしてそのまま駐車場に向かうと湯沢峠に向かうゲートの脇に出た。
何とも気分的に長い歩きだった。湯沢峠と燕巣山の区間、懲り懲りしたといった感じでもう歩くつもりもないが、温泉ヶ岳と湯沢峠の間の周辺はもう一度歩いてもいいかなと思ったりもしている。あの程度の適度なヤブの方がむしろ自分にはふさわしいようだ。ただ、同じコースで歩くのではなく、ちょっと逸脱した歩きをしてみたい。菅沼の半島部にある「八角堂」というのがどんなところなのか、どんな施設なのか、どうも気になって仕方がないのだ。それでいて道があるようにも思えない。
幸いにも天気に恵まれ、今回はうまく歩けたが、雨が降り出したり、朝露でササが濡れていたら、かなりの泣きが入ったのではないかと思う。その点は満足な歩きができたが、当初期待した満足感に浸れるといったほどのものはなく、登り切った時にはしばらく呆けた気分になっていたし、特別な感動も覚えることはなかった。
汗もほとんどかかなかったので、前回同様に風呂にも寄らずに帰宅したが、帰ってから風呂に入ると、両足に大小合わせて35か所ほどの打ち身の痕があった。どこかで激打して痛い思いでうずくまったということはなかったのだが、知らない間に倒木に打ち付けていたのだろう。そして翌日、目が覚めるとすんなりと起き上がれない。全身が痛かった。久しぶりに歩いた時でさえ、こんなことは久しくなかったことだったのだが。
(本日の軌跡)
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「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
丸沼温泉駐車場(7:15)……湯沢峠(8:45~9:05)……2045m標高点付近(10:00)……2083m標高点付近(10:46)……燕巣山(12:33~13:00)……四郎峠(13:45)……丸沼温泉駐車場(14:59)
3日(日)に温泉ヶ岳と湯沢峠の間の県境稜線を歩いたら、その先の湯沢峠・燕巣山区間をさっさと済ませたくなってしまった。さりとて、あっさりと歩ける区間ではなく、長時間の獰猛なヤブとの戦いになるようだ。そんなことを承知の上で、10日(日)に出向くつもりでいたが、前日にみー猫さんから大岳尾根のお誘いメールをいただき、つい迷ってしまった。結局、翌朝になってから大岳尾根歩きに加えていただくことに決めたものの、5時半バスに間に合わないようなら、湯沢峠にするつもりでもいた。
当日、まだ夜中の3時だし、近所にガラガラ音は失礼かと、半開きにした門扉のままに車を出そうとしたら、見事に門扉に車をこすってしまった。ガリッとした低い音からしてたいしたことはあるまいと、しっかり確認をせぬままに高速に乗ったが、やけに気になり、PAに入り込み、ライトの下でよく見ると、かなり広範囲のひどいキズになっている。山歩きをする気分はすっかり失せ、先のインターで下りて家に戻ったが、終日、ブルーな気分で過ごすことになった。
車の修理はまだ終わっていない。急な持ち込みで、代車はなかったが、息子のジムニーは使える。改めて湯沢峠と燕巣山の間の県境を歩くことにする。週末は台風の影響もあるようだしと、金曜日に決行する。
丸沼駐車場に車を置き、では出発といったところに携帯のJアラーム。北朝鮮がミサイル発射とのこと。またかいな。車に戻ってラジオのニュースを聞いた。散々待たされ、太平洋上に落下したことを確認してから歩き出す。先月の29日に棒ノ嶺に行った時もそうだった。あの時は運転中のラジオで聞いた。破滅に向かいつつある国のやらかすことは滅茶苦茶だ。表現は不適だが、二度にわたって原爆を落とされた日本は標的にもしやすいと思われても不思議ではない。まして北鮮からの距離も近く、命中率も高いだろう。実質、自衛権しか持たない日本、果たして頼りにしているらしいアメリカが本気になってくれるのか。グアムどころか、日本は案外に手頃な攻撃対象国にしやすいのではないのか。それにしても、NHKの発する警告はお粗末だな。窓から離れろか。それも、北海道から北関東にかけての広い範囲だった。その間にミサイルは日本を飛び越えている。今回の歩きの主題でもないので、突っ込みはこの程度におこう。それにしても、三代目が企業を滅ぼすとよく言われるが、北鮮にも当てはまる例えではないのか。
(出発。燕巣山。帰路は、普通は左から下って来るものだろうが、道失いで右側から下って来ることになる)

(先日はこの沢で戯れた)

(結構、しんどい歩き)

丸沼温泉から湯沢峠の歩き。あっさりしていそうで標高差は530mもある。結構きつい。一人歩きだから余計にそう感じる。先日は下り使用だったが、見覚えのある景色の中の登りもそれなりにつらい。早速、足にきた。太ももに痛みが走って痙攣の兆し。これがまた、太い倒木をまたぐ際に頻発する。ストックを出し、何度も休みながら登った。湯沢峠に近づき、ようやく痛みは治まったが、その先のヤブ越えがかなり気になってしまった。
燕巣山から湯沢峠までの下り歩きを考えもしたが、どうも、それでは幾分楽そうで、満足感には浸れないような気もして、自分には、ここは登り使用にこだわってしまった。さりとて、逆の場合は丸沼温泉から燕巣山までの標高差も800mほどはある。湯沢峠起点はあくまでも気分的な問題で、体力の消耗は同じようなものだろう。
(そろそろ湯沢峠か)

(湯沢峠)

湯沢峠まで1時間30分かかった。コースタイムは1時間40分になっていたからこんなものだろう。足の痛みどころか便意で時間をとられもした。ネットで見ると、1時間6分で歩いたというのがあった。まぁ別格だろうな。いずれにしても、先日は前半部でかなりいかれてしまったが、今日は一人歩きだし、いつもの適当に休んでは登るのパターンで、峠から燕巣山までは先人の登り使用の記録を参考に(烏ケ森の住人さんと数件のネット記事しか確認はできず、大方は下り使用か残雪期だ)3時間半から4時間とみている。それでいて、峠から燕巣山までの単純標高差は260m程度のもの。いかに激ヤブかということくらいは数字からも理解はしている。
ひとまず湯沢峠で休憩。地図上の湯沢峠と、実際の今の湯沢峠の位置は違う。区界線の北側の最初の点部分が湯沢峠になっている。さて、ハイトスさんのおっしゃるヤブ装備が必要というのはよくはわからないが、足はスパイク地下足袋が適当だとそれにしていたが、ゲートルをどうするかで悩んだ。トレパンズボンの裾は中に入れ込み、枝葉クズの入る余地はないようだし、このままでもいいだろう。チタンだかアルミフレームの軽いメガネは外れやすいのでやめにし、締まりのきついサングラスにした。メガネベルトは持参していたが必要あるまい。以前、甲子山、旭岳を歩いた際、旭岳の南尾根でメガネをヤブにさらわれ、見つけられなかったことがあったので、注意だけはしよう。ウィンドブレーカーは着た方がいいだろうし、ストックは収納すると、先がヤブに引っかかるだろうから、このまま持ち歩きで様子見かなぁ。あとはいつもの格好だ。この程度が自分流のヤブ装備だ。軽く腹を満たし、タバコを一本吸う。
グズグズしていないで、さっさとヤブ入りすればいいのだが、この先のウワサの熾烈なヤブを想像すると、つい尻込みもしてしまう。戻るかといった発想は出てこないが、昨日拝見した、あにねこさんが丸沼ペンション村から四郎岳を往復されていた記事に出ていた唐沢山が脳裏をかすめたりもしている(実際、地図を持ってきていた)。太平洋に落下した北朝鮮ミサイルではやめる理由にもならない。
(ヤブに入り込んでちょっとばかり歩いた後の光景。背丈超えのヤブが続いている。尾根型ははっきりとわかるが、ここまではヤブに埋もれて先が見えなかった)

先日、ちょっとばかり下見した際、みー猫さんが入り込んだところには踏み跡らしきものが見えたとおっしゃっていた。その右に探りを入れたこちらはいきなり背竹越えのネマガリタケに身動きがとれない状態になっていた。みー猫さんの入り込んだ方を覗いてみる。背丈超えは致し方ないがヤブの密度は薄そうだ。
コンパスをセットしていざ突入。すぐに身が没した。ササの幹が下向きになっていて容易に進めず、スパ地下でも安心しきっていると、あっさりと滑る。懸命にヤブ薄のところを選んで進んだが、どうも尾根からは左寄りに外れた歩きをしている気配がある。尾根に復帰しようともがいていると、ヤブ下にうっすらとした光明が見えた。踏み跡。これがかつての登山道なのかシカ道なのかは知らないが、遠目で見たところで、そこだけ若干の窪み状が続いているわけでもなく、ヤブに潜らないとわからない代物だ。しかし、これは一種の突破口だろうな。
(苦戦。急斜面になっている。樹があるだけでも助かる)

(右手に根名草山)

(湯沢峠方面を振り返って。下るとなるとしんどいかも)

ストックは邪魔なので、手首に垂らしたままで、両手で左右のヤブをかき分けながら登る。そのうちに幾分の歩きのコツを覚えた。だが、最初から最後まで倒木や腐った樹がやたらと横倒しになっていて、それを越えると、また踏み跡探しといった状態が続く。がむしゃらにヤブをかきわけるよりも、道筋らしきものを追った方が何十倍も楽に決まっている。10分くらい進んだところで後ろを振り返る(10分経過とはいっても、ほとんど進んでいず、距離にしても70mくらいのものだろう)。これは、下り使用にしても簡単に湯沢峠には戻れないかもしれない。尾根は広く、すでにどこを歩いて来たのかもわからない状況になっている。この辺はGPS頼りとなってしまっても仕方がない。
太い樹が生きているようなところの周辺は一時的にヤブも薄く、明瞭な踏み跡らしきものも残っている。だが、それを過ぎるとすぐにヤブは密になる。
(まぁ、こんな中の歩きがしばらく続く。ここに同行者の姿でも写っていればわかりやすいが、おそらく頭だけになるかも)

(たまにこんなスポットもあり、この前後には踏み跡らしいものも残ってはいる)

(一応、こんなところを左右にかき分けて登るのだが、写真ではわかりづらいが、ひっそりとした窪みが続いている)

(燕巣山)

(急な登り。左下に黄色のテープが見えている)

次第に傾斜が増してくる。きつい。前方に燕巣山が見えるようになった。湯沢峠に出るまでの間に見た燕巣山は近いものだったが、ここからは何と遠いことか。ここで古ぼけた黄色のテープを見た。こんなヤブの中にテープがあってもなぁ。こんなところの歩きにセオリーなんかあるわけがない。
(ようやくヤブが薄くなり、右から尾根が来ているのが見えてくる。このレベルなら普通のヤブ山だ)

(2045m標高点付近。何かがあるわけでもない)

ふんばりながら登って行くと、傾斜が緩みだし、ヤブも薄くなり、腰高程度になった。2045m標高点が近いようだ。やがて右方向から尾根が合流し、方向を西向きに変える。平坦になったとはいえ、ヤブと倒木は続いている。GPSを確認する。この辺が2045m標高点付近か。湯沢峠からの標高差はほぼ80m。55分費やした。ここで休憩したいところだが、区間としてはまだ1/4。まだまだ先が続いている。首筋にくっついた枝葉を落とし、シャツを外に出し、背中のゴミをはたいた。メガネを拭うと、サングラスに2か所ほどキズが付いていた。顔面も3回は打たれた。
(北側の風景。物見山と鬼怒沼山だろう)

(そして、こちらは燕巣山の先。奥が2099m三角点ピーク、手前が2100級ピークかと思う)

休憩もそこそこに、次の2083mにコンパスをセットし直して歩きを続行。この2045m付近だが、下りで使う場合は要注意個所だろう。素通りしてそのまま東に下ってしまいそうだ。ここに目印らしきものはない。
ササが低く、疎になった分、とはいっても、通常の山ではヤブ山状態だが、あちこちに踏み跡らしきものが見えるようになるが、先は続かない。実際は、これ、倒木でササが倒れただけのことで、踏み跡に見えるだけのこと。尾根型は広く、自分は、できるだけ北側を歩くようにした。その方が安心だろう。樹間から物見山と鬼怒沼山、そして、燕巣山の先のコブ状のピークが2つ見える。展望地としてはこんな視界の狭いスポットがいくつかあるだけだ。
この辺から、ホイッスルを15分間隔くらいで鳴らすようにする。2045mまでは密なヤブだったのでクマの心配もなかったが、この先どこかに潜んでいたり、木登りしている可能性はある。針葉樹主体の尾根とはいっても安心はできない。
この、少しはましな歩きやすさがしばらく続くことを願ったが、実際は気楽に一辺倒で歩き続けて行けるところは少なく、ヤブに隠れた倒木越えや、一時的に密度のあるヤブが頻発し、なかなかやっかいな歩きは続いている。それでも、さっきよりはましだ。
先の小ピークを乗り越える。このあたりからシャクナゲがちらつくようになるが、歩行の妨げになることもなく、ひっそりと暮らしているといった状態だ。
(2083mへの登り。ここを正面から行ってしまい苦闘した)

(ちらりと白根山)

2083mへの登りが始まった。また背丈超えのヤブになった。ここでまばらに立っている樹の側を歩けば良かったようだが、ここまで明瞭な踏み跡が続いてわけでもなく、強引に中央突破を図ってしまった。これは失敗。湯沢峠直後と違って傾斜は緩いながらもササはかなりの密状態で背も高い。シカ道すらなく、先にさっぱり進まない。濡れていたらかなりやっかいだったろうが、乾いていたので何とか強引に登りきる。その間、えらく果てしなく感じていた。
(ヤブが低くなると、何となく踏み跡らしきものが薄っすらと見えてくる)

(燕巣山はまだ遠い)

(こんなものが捨てられていた)

(ここでテントでも張ったのか)

なだらかになり、またヤブは低くなった。ふと、空瓶を目にした。ニッカウイスキーの角瓶。ラベルは剥がれていて、ニッカの銘柄は蓋でわかった。ここまで、最初に見かけたテープ以外に標識も見ることはなく、初めて見かけた人工物といったところだが、ペットボトルならまだしも、こんなものを片付けがてら持ち帰るつもりはない。この先に、ちょっとしたテン場に適したササのない平地があったので、大方、ここでグループがキャンプでもしたのだろう。いつの事かは想像もつかないが。
(2083m標高点付近)

再び低い密藪を乗り越えると、小高いピーク。おそらく、ここが2083m標高点だろう。ヤブに覆われている。この先は下りになっている。10分ほど休憩し、空腹を満たし、ようやく一服つけた。ここでやっと半分か。吹き付ける風は冷たい。ここまで来てしまったら戻れないし、戻れる自信もない。
(2083mから下る。ヤブはさほどのものではない)

(展望スポットから四郎岳)

(そして、白根山から錫ヶ岳方面)

(尾根が細くなる。どう見ても、これは踏み跡だろう)

ホイッスルを鳴らして下る。倒木がさらにうるさくなった。ヤブは薄い。左手に展望地。下は急斜面になっているが、四郎岳もさることながら、白根山から錫ヶ岳の先まで見える。眼下には丸沼と大尻沼。ここの展望は、ずっとヤブ続きの中では一級だなぁ。
このまま左手の展望を楽しみながら歩ければヤブ漕ぎしていても癒されるものだが、すぐに左手のカーテンは下ろされ、四方ヤブの殺風景に変わった。尾根幅は一時的に細くなり、そのせいか、この先は、かろうじて、踏み跡のようなものを拾って歩くことができる。また、この先、地図では読み取れない小ピークが3つか4つほど続く。各小ピークへの登り上げでは決まってヤブが密になる。
(ナゲさんが参戦してきた)

いよいよ石楠花がササに混じって邪魔になってくる。さほどのものではないが、ストックの輪がひっかかり、ザックのベルトに枝がはさまったりして、余計な時間がとられてしまう。燕巣山もようやく目の前に大きくなってきた。いよいよ後半戦だ。だが、あとせいぜい130mほどの標高差でもヤブが延々と続いているらしいのを見ると、どうしてもげんなりとしてしまう。
(目についた2つ目のテープ。この辺は尾根外しで左寄りに歩いては尾根中央の右に戻ったりしている)

2つ目のテープを目にした。1つ目から随分と間隔がある。樹に巻かれた古い黄色のテープ。燕巣山までの間に、烏ケ森さんの記録には標識板を3~4回、そして赤テープも見かけたとあったが、自分が目にしたのはこれまでの2つの黄色テープと、その先で、これまた古ぼけたオレンジテープ(かつては赤だったのか)。そして燕巣山直下の黄色テープの計4つ。標識板は気にもなっていたので、これまで頻繁に振り返って見たりもしたが、見ることはなかった。10年の歳月で落ちてしまったのか、あるいは自分がおかしな歩き方をしていたのか、ただの見落としか。標識やテープも、ここを登りで歩いている限りは必要性は感じないが、下り使用だと、かなりの安心感が出てくるだろう。
ヤブを歩いているうちに、ここでもまた歩き方のコツを会得した。尾根を律義に登って行くと、どうしてもヤブ払いになってしまうが、すぐ下の左手南側はヤブも薄くて歩きやすい。踏み跡もまたそちらにあったりする。これを利用しながら、尾根外れ、尾根合流の繰り返しに心がけるとかなり歩きやすい。
(燕巣山が目前に。この先、右手から回り込むようになる)

(マリモのようなこれはコケか? とくちゃんのブログでも見かけたなぁ)

(そろそろ色づいてもいる)

燕巣山が目前となった。そのせいか、左右の展望も次第に開けてきた。そろそろ直下だ。最後の休憩で一服したいが、平らなところはなく、むしろ、次第に急になってきている。これはあきらめるしかない。黙々と堪えながら登り続ける。
(次第に開けてくる。だが、高いヤブは依然として続いている)

(また改めての展望。360度とはいかない)

(北側の展望)

ササもさることながら、今度はシラビソ主体の針葉樹が前進を妨げるようになり、かなりうっとうしい登りになってきた。それを越えると、広葉樹が出てくる。そのせいか、ヤブは幾分おとなしくなった。
(シラカバだかダケカンバが出てくる。ここは比較的に歩きやすいが、見た目以上に急だ)

(ササ斜面が広がる。これでも背丈超え。左手に逃げる)

(燕巣山はすぐそこだが山頂が見えない。フィニッシュはもがきながらの登りになった)

(振り返ると、燕巣山から湯沢峠に下ろうと思う人が先ずは目にするテープ。大方はこの先を見てはひるんですごすごと戻る)

真上の山頂が見えなくなった。高度計を見ると、2195m。あと30mで終点だ。だが、そう簡単にはいかない。右手が背丈を隠す広いササ斜面になり、そちらには行けないなと、まだ続くまばらな樹のある左側を登ったが、それが途切れると、どうしても、ササ斜面に突っ込むしかなくなった。ここまではかろうじて薄い踏み跡を辿れたが、その先に踏み跡はない。まして、山頂直下だ。人の心理としててんでにあちこちを登るだろうし、歩く人も物好きの部類なら、ここに踏み跡を期待すること自体が無理なこと。
(燕巣山。苦労して登って来ると、三角点があるわけでもなく、ただのシケた山頂にしか見えない)

(くどいようだが、北側の展望。どうしても同じような写真になってしまう)

(そして南側。男体山がかすかに見える)

滑りまくりでようやく山頂に飛び出した。出迎えしてくれるハイカーはいなかった。これはちょっと残念。同時に二度とこの区間は歩くまいと思った。これが率直な感想だ。付き合って欲しい、案内して欲しいと言われても絶対に断わる。それほどの強烈な印象の稜線区間だった。湯沢峠からほぼ予定通りの3時間半かかった。
山頂にはだれもいないので、上半身裸になって、木クズをはたいた。足袋はどうなっているのかと、コハゼを外していくと、次々に挟まった葉のカスが落ちていく。中には侵入していず、ゲートル巻きはやはりするまでもなかった。ここまで汗はほとんどかかなかったのが不思議なくらいだ。
おにぎりを食べ、水を飲み、立て続けにタバコを2本吸う。生き返った感じがするのが何ともうれしい。陽があたって暑い。ここでウィンドブレーカーを脱いでセルフ写真撮り。ついでに踏み跡をつい追ってしまい、物見山の方を見に行く。視界に広がるササヤブは低いが、この先は、別に行かずともにいいだろう。車利用だとアクセスも悪すぎる。今回の区間を下り使用にせよ繰り返すつもりはさらさらない。
(下る)

一般道を下る。四郎岳に行く気はない。しかし、ここの燕巣山と四郎岳も好き者が歩く山だ。せいぜい、前者は栃木百名山、後者は群馬百名山と、百名山ねらいが目的で登るに過ぎないような感はある。いきなりの急下りになっていた。両山ともに9年前に丸沼温泉から登ったことがある。その時に比べて体力はかなり落ちているが、あの時も休み休みで登った。以前、記したことがあったかもしれないが、四郎岳で、これから燕巣山に登り、湯沢峠に下ると言っていたジイサンに出会った。そのジイサンを四郎岳の下りで追い越し、できれば、自分もまた湯沢峠経由に同行しようかと思いながら、燕巣山でしばらく待機していたが、待てど暮らせどなかなか登って来ない。もうあきらめて登って来た道を下ると、ようやく、ぜいぜいしながら登って来るジイサンに出会った。あの様子では、湯沢峠下りは無理だったろう。
(正面に四郎岳)

(1891m標高点付近。ここでとうとう足が攣る)

どんどん下る。登山道の状況は決して良くはない。さりとて、さっきまでの歩きに比べたら雲泥の差だ。かくも登山道歩きは何と楽なことか。ここもまた展望がないのが残念だ。下りきり、1891m標高点へのちょっとした登りになる。ここで両足が攣ってしまった。太腿がパンパン。あの急激な下りからいきなりの登りでは仕方もあるまい。木株に腰かけ、一服しながら芍薬甘草湯を含んだ。即効性があるのかすぐに痛みは治まったが、これは薬のせいなのか、四郎峠からの下りでまたしても痛みが走ったから、これは休憩して痛みが一時的に治まっただけのことだろう。
(四郎峠。ここから左に下る)

(北側に続く踏み跡)

四郎峠に出た。何とも目立たない道型が丸沼方面に下っていた。標識があったので、ここが四郎峠とはわかった。9年前にここに来た際、北側に続く作業道のようなものが気になっていたが、まだ明瞭に残っている。これを使うと、ただ大薙沢に出る道というだけのものなのだろうか。相変わらず気になった。ネットで調べても、これを歩いた記録は見かけなかった。
(ササをかぶった登山道。燕巣山、四郎岳いずれに行くにしても、ここから菅沼の区間が人通りが一番多いはずだが)

(こんなヤブトンネルもある)

クネクネした、条件の悪い道になった。ところどころでササに隠れたりしている。左右からササが突き出している。四郎峠までの下り道の方がまだ質が良かった。ヤブ漕ぎを延々とやった後には、しっかりした登山道を歩いて下りたいと思うのが人情だろうが、今日の歩きの条件では、この程度のササヤブを見ただけでもううんざりとしてしまう。まして、倒木でその先のテープを探したり、石ゴロで足裏が痛くなったりしてきた。
(小沢に出る)

(標識。4か所くらいで見かけた)

(四郎沢で一服)

小沢に出た。沢沿いに道が続いている。この沢をテープに合わせて渉ったり戻ったりしたが、そのうちに両側が沢の間の小尾根を下り、左の四郎沢に出た。あとは四郎沢沿いに下るようだが、この四郎沢、ショボい沢のようでいてナメが続いているようだ。上部はどうなっているのか。見ごたえのある滝でもあるのだろうか。確か、コース外れの上流に6m滝だったかがあったと瀑泉さん記事で見た記憶がある。ここで10分ほど休憩するが、地下足袋の布はすでにさっきの沢で水を吸いこんでしまっている。
沢を渉っている間に次第に道が不明になり、頼りはテープだけになった。倒木の先下に穴のようにヤブの中に続く道があったりする。
(堰堤を越えるオッチャンが見えた)

スズというよりも、バケツを叩いているような音が聞こえてきた。何だろうか。先に堰堤が見え、その堰堤を乗り越えるオッチャン3人組が目に入った。あの人たちの音だったのか。堰堤でご挨拶。向こうはキョトンとしている。そりゃそうだろう。四郎岳、燕巣山の両方を登ったとしたら、当然、行き会うはずだ。ペンション村から登って来たのかと聞かれた。湯沢峠から登って来ましたよと言うと、大変だったねと言われたが、少しは状況をおわかりの気配。追い越しながらも、バケツを叩くような音は聞こえていたが、別にバケツを持って歩いている様子はなく、あれはいったい何だったのだろうか。あれ欲しいなと思った。
(堰堤を渡ったりもする)

(ここまでは問題なく歩いて来たが)

(道を見失って、こんなところを歩いてしまった。コース外れのハイカーも多いようで、踏み跡はあちこちにあった)

(丸沼温泉駐車場に無事に帰還)

いくつか堰堤を越えたり、その上を歩いていると、道を失ってしまった。とうとうヤブ歩きになってしまった。沢沿いに歩いているから問題はなく、駐車場も遠くかすかに見えている。道探しはヤメにしてそのまま駐車場に向かうと湯沢峠に向かうゲートの脇に出た。
何とも気分的に長い歩きだった。湯沢峠と燕巣山の区間、懲り懲りしたといった感じでもう歩くつもりもないが、温泉ヶ岳と湯沢峠の間の周辺はもう一度歩いてもいいかなと思ったりもしている。あの程度の適度なヤブの方がむしろ自分にはふさわしいようだ。ただ、同じコースで歩くのではなく、ちょっと逸脱した歩きをしてみたい。菅沼の半島部にある「八角堂」というのがどんなところなのか、どんな施設なのか、どうも気になって仕方がないのだ。それでいて道があるようにも思えない。
幸いにも天気に恵まれ、今回はうまく歩けたが、雨が降り出したり、朝露でササが濡れていたら、かなりの泣きが入ったのではないかと思う。その点は満足な歩きができたが、当初期待した満足感に浸れるといったほどのものはなく、登り切った時にはしばらく呆けた気分になっていたし、特別な感動も覚えることはなかった。
汗もほとんどかかなかったので、前回同様に風呂にも寄らずに帰宅したが、帰ってから風呂に入ると、両足に大小合わせて35か所ほどの打ち身の痕があった。どこかで激打して痛い思いでうずくまったということはなかったのだが、知らない間に倒木に打ち付けていたのだろう。そして翌日、目が覚めるとすんなりと起き上がれない。全身が痛かった。久しぶりに歩いた時でさえ、こんなことは久しくなかったことだったのだが。
(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」