◎2018年11月11日(日)
自衛隊道路路肩駐車地(8:50)……大坊山(10:28~10:44)……あわぎ山(11:24)……天道山(11:45~11:53)……あわぎ山(12:11)……駐車地(12:45)
紅葉の見ごろはもう標高900m前後だろうか。自分の今の足の状態で行ける山は限られてはいるが、低い標高ながらも相応に手ごろな山が見つからない。見ごろがもっと下りてきてから桐生あたりの里山に行くことにして、今回は紅葉度外視で、軽いハイキングを楽しむことにする。
特別な理由もなかったが、ネットで探していると、何となく足利百名山のことが気になった。天道山というのがある。先ずは天道山に行き、あとはあっさりと、その周辺の大月山やら、丸山、西大平山、東大平山、浅間山、そして福徳山、荒神山(羅列過ぎでしつこいか)をぶらぶらとハイキングというのもいいか。地元の方には失礼な発言になるだろうが、何というか、いずれもどうでもよい山といったイメージがあるし、こういう体調でなければ行きたいとも思わないだろう。この中のいくつかの山は通過したことがあるはずだ。律義に山名板が置かれていないのでは特定もできないでいる。天道山には行くにしても、あくまでも他の山は足の状況次第だ。天道山に特別な思いはないが、そこから天満宮に至る間に石碑や石仏を見ることができるらしく、それが強いて言えばの選択の理由だ。
天道山をネットで調べると、それぞれの記事で、あちこちの山の位置が一致していないことに混乱した。結果として天道山に至る分岐にある山が「あわぎ山」だったり、「大月山」だったりする。ここでは「あわぎ山」としたが、『やまの町桐生』では、肝心な天道山の位置が、自分が思う大月山(大坊山ルートから北に外れた200m級ピーク)の次の北のピークになっていたりしている。これは明らかな間違いかと思うが、今回の山名の表記にミスがあったとすればご容赦願いたい。だからといって、他人様のせいにするわけではない。正式な山名板が置かれていない以上はしかたのないことなのだから。
(自衛隊道路。車が横付けされたところから入る)
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過去に長林寺起点で大坊山に登ったことはあるが、今回の目的は天道山だったし、恥ずかしながら大坊山まで歩ける自信はなく、出発地は長林寺ではなく、その上の、いわゆる自衛隊道路の路肩に駐車して歩くことにする。長林寺までは0.5KM、大坊山2.8KMの標識が置かれている。
ハイキングマップの看板が置かれた入口にはアルファードが横付けされていて、こちらのジムニーを置けるスペースがない。仕方なく少し下って、縁石を乗り越えたやや広い所に車を置いた。アルファードも、もっと縦置きの配慮をしてくれればよかったのに。ちなみに埼玉県ナンバーだった。
途中からの合流とはいえ、6年前の記憶はほとんどない。改めてその時の記事を読み直ししたりしている。そういえば…てなもので、今日は初めてのコースを歩くような感覚でいる。こうなったら、健忘症に拍車がかかるのも時間の問題だろう。それでいて、何十年も前に受験勉強やらで一所懸命に覚えたことや、かなり古いことはいまだに忘れていないんだよなぁ。昨日の夕食はラーメンだったけど、一昨日は何だっけ? 特別な物を食べていれば覚えているということにしておこう。
(足にやさしい歩道)
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林道状の歩道歩きが待っていた。地図上は、この先、174m経由で尾根通しの破線路になっているが、大坊山への標識はこの歩道沿いを指している(地図には表記のない道)。左上の尾根は見るからに急で、わざわざこだわることもあるまい。どうせリハビリ歩きなのだから。先々週の榛名富士に感じていた足底筋膜炎の再発、瀑泉さんから、不具合の歩きでそうなるものだとコメントをいただいたが、痛みもここ数日の間にかなりやわらぎ、この歩道歩きも至って快適だ。
この足底筋膜炎にはあきれた話がある。アマゾンで肩凝り用のハンディマッサージを購入し、風呂上りに足裏をブルブルやっているが、この手のマッサージ器、実は表向きはそれ用と装ってはいるが、買ってから調べると、本来の(?)使い方は、凝った部分のツボを刺激するのではなく、女性のツボを刺激する利根書店系の扱いグッズだった。どうも形からして怪しいなとは思っていた。だから調べた。利根書店のことは敢えて記すこともあるまい。北関東の道路沿いに「男のDVD333円~」の看板があるし、自宅から徒歩2分のところにもショップがある。出来たばかりの頃に本屋の感覚で入ってみたら、エロ本しか置いていなかった。以降、中に入ったことはないが、看板で、取り扱いはDVDだけではないことはわかっている。その種の物も豊富に揃えているようだ。
このアマゾン荷物の到着にはややこしいことがあった。息子がアパート暮らしのため、宅配便は自宅宛てに送付されてくる。妻はその荷物を息子宛ての物と思い込み、息子の部屋に入れていた。こちらは「配達済み」のはずの荷物が自分の手に渡らない。何でかなぁと思いつつ、2日後にそれに気づいた始末で、ヘタすれば、家に帰って来た息子がそれを開けたら、いい年こいた骨折オヤジがいったい何を考えているんだか、変態じゃねぇのかということになっていただろう。だが、このグッズ、一人寝とはいえ、いつまでもベッドの枕元に置いておくわけにもいくまい。治ったら、早々に始末するつもりでいる。いずれまた使うかもと隠しでもしたら輪をかけておかしなことになる。アマゾンの購入履歴からはすでに削除した。ところで、この購入領収証は医療費控除の対象になるのか? 税務署ではそうは見ないだろうな。
余談が長すぎた。つまりは、ブルブルの効果もあるのか、いきなりの歩道歩きは苦痛のないやさしいスタート、序盤戦でもあった。これがいきなりの急登だったら、まずはあっさりと途中で撤退になっているはずだ。
(山道になり)
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(健脚者コースを行く)
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楽な歩きは長くは続かない。12分歩いて終点となり、上りの山道になった。そして、道が分岐する。「健脚者コース」と「初心者コース」。ここはためらわずに健脚者コースを選んだ。たいした違いはないはず。桐生の吾妻山の男坂、女坂の比のようなものだ。まして、天道山の分岐のあわぎ山まではそれほどの距離でもない。少しはきつい思いをするのもいいだろう。帰路で初心者コースを使えばいい。現時点でのネックは下りなのだ。実は、せっかく榛名山で上りに少しの自信を持てたのに、一週間後の足尾で打ち砕かれていて、上りに関しても疑心暗鬼なところがある。
健脚者コースを甘くみていたが、すぐに岩場が見え出し、安全のためにストックをダブルで出す。当たり前のことだが慎重に歩く。一歩、二歩と、岩場でもさほどに左足に負担は感じないで登って行ける。足首にはプレートとボルトが入っているのだから、何も感じないわけではない。普段の歩きにしても、常に左足首に鉄の輪がグルリと埋め込まれた感覚がある。この登りにしても、そんな嫌な気分を除けば、意外にスムーズな足の運びができる。やはりなぁと思う。健脚者向けとはいっても、登山道のあるところの歩きはこうも違うわけだ。岩場とて同じ。足尾の山のコースなしに二の足を踏んでも当たり前だ。
(これから本格的に色づいていくのだろうが…)
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(まだ健脚者コースは続いている)
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(正面からの道が初心者コースなのだろうが、その標識はなかった)
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周囲の景色を見ると、紅葉はまだまだ先だが、色づきの葉を見るとやけにきたない。やはり、楽しみにしている低山の方が夏の暑さで余計に焼けていて、あまり期待できないのかなと気になってしまう。
右下から登山道が合流。来た方向には健脚者コースの標識。つまりは、ここで初心者コースと合流なのだろうが、そちらに標識はない。下りは初心者コース辿りと思っていただけに、果たして、これを下ってさっきの分岐に合流するのかは標識がない以上は不明で、下りの際に、やはり悩み、健脚者コースを下ることになってしまった。
(ここは展望地かと思うが、標識にばかり気をとられ、肝心の赤城山は確認し忘れていた)
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足利の町がよく見える。少し登るとベンチが置かれている。標識には斜めにカットして「赤城山」とあるところからして、赤城山の展望地と解釈する。現に、その上には富士山とある。霞で富士山は見えない。さらに「光」の字だけが残って逆さに垂れ下がり、板の上半分が紛失している板もある。これは残りの文字のかすれからして日光白根山だろう。歩き出してから30分も経っていない。今のところ足の運びは順調だ。立ち休みをしただけで続行。
(次の健脚、初心の分岐。岩峰が見えている)
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(これが正体だが、たいした高さはないし、足場は豊富だ。濡れていなければだれでも簡単に登れる)
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(登って来た方向)
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(あれが大坊山かと思うが)
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(岩場のピーク)
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(位置的に遠望は金山だろう)
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また健脚、初心者分岐になった。ここも健脚を選ぶ。目の前には岩場がある。この程度なら問題なかろう。ザレたりガレたりもしていない。やはり危うい思いをすることもなく登りきった。普通、こんなところはストックを収納するものだが、ストックのあて場もかなりあり、むしろ、これに助けられた。素手で登っていたら、滑って却って恐い思いをしたかもしれない。ただ、これは上りだからできたことで、下りだったら、逆にストック持ちは危険だ。
結果的には大坊山まで行くことになったが、駐車地の標高は95m。大坊山は285m。単純な差し引きでは190m。ところが、後でカシミールのグラフを調べると、累積標高差は650mもあった(これには天道山往復も加わっているし、カシミール情報が誤っていなければのことだが)。それだけ、歩いたコースの起伏が多かったということになるが、この岩場というか岩峰も一つのピークであり、つまりは、引き続きの下りが待っている。
(岩場ピークからの下り)
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ザレた感じのところを慎重にストック頼りで下る。大丈夫かなと思ったが、知らずのうちに左足が軸足としても使えるようになっていた。これにはうれしかった。だが無茶はできない。まだ術後三か月も経っていない。初心者コースに合流した時にはほっとしたし、やはり気温が上がってきていることもあってか、冷や汗混じりの汗が出た。次は足尾の山にも行けるかなと思ったが、これはあくまでも夢想だ。そんなに甘くはない。現に、家の階段の下りは一段一歩ながらもつい手すりにつかまってしまうではないか。
大月町に下る分岐を通過。進行方向左手、つまり標識は南西向きになっている。地図にその手の破線路はない。ヤブがかかって細いが道型は明瞭。この辺、地図の破線路に気を遣うと混乱してしまう。その先で合流するはずの破線路にしても、それらしき道も標識も見あたらなかった。
手袋と中に着込んだベストを脱ぐ。できれば、両膝にあてたサポーターも外したいが、これだけは我慢するしかない。足首の故障はどうしても膝に出てしまう。膝の次は腰となる。
(あわぎ山。山名板は見あたらなかった)
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汗が頭から落ちてきたところでベンチのある小ピークに着いた。これがあわぎ山かと思う。9時39分。ここが目的の天道山分岐となるのだが、さっきの岩峰下りやここまでの歩きで気を良くしたせいで、すでにこのまま大坊山に向かうつもりになっていた。天道山は帰り道にして、分岐は素通りする。ここまでたかが知れた歩きだし、出発から50分だ。休んで一服したい気はまだ起きない。
(静かなところはこんな感じの道が続く)
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(見上げて。まだまだだねぇ)
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里山の一般登山道はこうでなきゃなぁと今さらにして思う。何年、いや何十年も堆積して土に戻った落葉の上は歩きやすいし、健脚コースを敢えて選ばない限りは、上り坂でも身体に無理はいかない。気持ちよく歩いている。紅葉前の焼けた葉は惜しいが、半分オレンジ色かかった葉には期待もそそられる。陽が入り込む雑木の中の、ちょっとアップダウンを繰り返す歩き、付け加えるなら、今のところだれにも会わない静かな歩きは何物にも代えがたいものがある。これが、今の不具合な身体で無理にヤブの急尾根を無理に歩いていたらどうだろうか。おそらくは、登れたとはしても、周囲は何も見えまい。視覚ではなく気分的な問題だ。
またゴツゴツした登り道になった。巻き道の初心者コースはない。上から直射日光が当たるようになり暑くなった。上にベンチが見えている。ピークに立って、歩いて来た尾根を眺める。久しぶりに山を歩いているという実感が湧いてくる(とその時は思ったが、実際は、目の前に広がる尾根を歩いて来たわけではなく、かなり南側から迂回していた)。たかが大坊山ハイキングと笑われるかもしれないが、今の自分には最高の気分でいられるのがうれしい。このまま徐々に回復に向かっていくのを祈りたい。今のところ、足に痛みもないし、歩きのもどかしさも感じていない。ただ、しばらくは無理もできまいな。こんな歩きを積み重ねて歩くのが一番だろう。
(あれを大坊山と勘違いしていた)
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(実はこちらが大坊山)
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右手前方に大坊山が見えてくる。と思っていたが、これは勘違いで、大坊山はその先だ。しばらくは、そのピークを大坊山とばかりに思っていた。先に数人の声が聞こえる。こんな山でも、グループにはあまり会いたくないなと虫の良いことを考えている。
下っては登るを繰り返す。右向きに通行止めの標識。鹿嶋園温泉に下る破線路だ。スマホで鹿嶋園温泉を調べると、ホームページの周辺マップには、温泉から大坊山ハイキングコースに出られるようになっている。何で通行止めなのか。崩壊箇所があるようには思えない。ふと、ここから温泉に下って出歯亀やっているのがいたんじゃないのかとくだらないことを想像してしまう。
(ゴルフ場)
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ここでようやく大坊山を間違えていたことに気づく。陽射しを浴びた三角形のピークが見える。そして、左にはゴルフ場。さっきの声はゴルフ場からのものだったのだろうか。
間違いピークを見上げると、下りのオジサンがオレを待機していた。スミマセンネ。コチラ、ソンナニ早ク歩ケナインデスワ。実ハ、私、本日カラハイキングヲ始メタバカリノ駆ケ出シ者ナノデスヨと、虚心坦懐になっている気持ちを心の中でつぶやきながら、オハヨウゴザイマスとあいさつ。オジサンからはコンニチハと返った。確かにコンニチハの時間帯だったか。
(もっと深まればきれいだろうか)
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ピークには大坊山まであと0.4KMの標識。もう目の前だから、ここも休まずに大坊山に向かう。また下る。歩いて来た尾根は右の正面に見えてきて、視界もまた広がった。それなりの満足感はある。
(大坊山への上りから手前ピーク)
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(改めて。焼けている)
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岩場を登り上がる。周囲の木々の葉は幾分色づきも深くなったが、ここもまた焼けている。大坊山に到着。出発からここまで1時間40分か。後で確認すると、6年前は自衛隊道路を通過してから1時間15分で着いている。休みなしで25分オーバーというのも情けない話だが、身体の状態、6歳の年齢経過からして気にすることもあるまい。
(大坊山山頂)
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(狛犬と)
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(ここはだれでも撮る)
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山頂には意外にもだれもいなかったが、一服している間に空身の二人連れが大山祇神社からの階段を上がって来た。石に腰かけ、コンビニで買ってきたカステラ風味のパンを食べる。大分暑くなっている。上のジャンパーを脱いで、シャツ一枚になった。汗拭き手拭いもかなり汗を吸っている。
(振り返って)
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(本日、唯一、きつく感じた登り)
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下る。起伏続きだったから、下りの練習も十分に積んでいた。さりとて楽観視はできない。やはり岩混じりでは手をついて腰で下りるところもあったし、どうしても下りの部分は長くなるから、ストック頼りになるのはどうにもならない。また、そろそろ足に負担がかかってきたのか、登り歩きにつらさを感じるところも出てくる。
途中、単独のネエチャン、二人連れに出会いながら、あわぎ山に到着。単独氏がベンチに腰をかけていた。天道山はここから西の尾根を下るが、長林寺方面は南だ。ここで西に折れたら、単独氏に間違っていますよと言われかねないので、わざわざ地図を取り出し、さも目標は西にある体を装って西の尾根に入り込む。里山歩きではこんな小細工も必要だが、単独氏からは何も言われなかった。そちらに向かうのもかなりいるのだろう。現に、しっかりした小道が下っていたし。
(天道山への下り。踏み跡は明瞭だ)
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(ここが天道山かと思っていた)
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(一服しながらあわぎ山を振り返る)
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ヤブっぽいが、尾根通しで道もあるので、ここで間違えたら大恥だろう。下って行くと岩場。小さな岩峰で、直登したが特別な問題はなし。実はここが天道山とばかりに思い込み、一服して休憩したりしていた。だが、どうも、ネットで見た天道山はこんな感じじゃなかったなと、GPSで確認すると、まだ先じゃないか。
(月の宮)
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(山頂の日の宮)
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(このボロ板は山名板)
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また下って登り返すと、石の社が見えてくる。これが「月の宮」らしい。比較的に新しい。そして、すぐの山頂には「日の宮」と建立碑。昭和五十八(?)年に再建されたようだ。こう新しくては感慨はさほどに湧いてこない。むしろ、朽ちかけの手書き山名板「足利百名山45天道山」に魅かれてしまう。文字もかすれている。ここにはかつて小さな社殿があったらしい。その面影は、その残骸らしい骨組みの一部が放置されていることからもわかる。合わせて日月神社というようだ。
タバコを吸って休憩しながらふと思った。太陽のことを、死語になりかけてはいるが敬って「おてんとさま」という。漢字で記せば「御天道様」となる。なるほど、「天道山」はそこから由来するのだろう。
この先に下ると、神社の遺物を見られるらしい。それを見るつもりでもいたのだが、実は、あわぎ山から下りながら、下の騒音がやたらと大きく耳に届いていた。どこかの施設で歌謡ショーをやっている。女性の演歌歌手のボリュームがすごい。行く気がしなくなりかけているところに、今度は別の方向から太鼓の連打音が響いてきた。鼓笛隊の太鼓ではなく、確実に和太鼓で、どうも宗教施設もあるようだ。あわぎ山に戻ることにする。いつか機会があったら、下からでも登ってみることにしよう。
(勘違いの天道山ピークにはこんなものが置かれていた。何だろうか)
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あわぎ山に戻り、そのままハイキングコースを下る。下りはさほどでもないが、登りになるとかなり応えてきている。もうどこかに寄り道をする気分にはなれない。しばらくはこの繰り返しだろうな。
(初心者コースの下り。確かに楽だ)
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(ラストの下り)
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(歩道に出て)
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(自衛隊道路に出る)
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初心者コースを辿って岩峰を巻く。次の分岐は、前述のように果たして元の歩道に出られるのか不明なので健脚コースを下る。歩道に出た時にはほっとした。4時間弱のハイキングだが、何とか何事もなく歩き通せた。
アルファードはまだ置かれたまま。勝手な想像だが、もう一台は大小山の下にでもデポしたのではないだろうか。もしかして、往路で大坊山の方から聞こえた複数の声のグループがそれだったのかもしれない。
駐車地に戻り、トレッキングシューズを脱ぎ、ようやくここで膝サポーターを外してほっとした。靴も幅広のリハビリシューズに履き替えて、ほっと一服した。
(本日の軌跡)
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「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
これで帰宅というわけではない。今日の歩きを足利の山にしたのには、他の思惑もあってのことだったし、他に寄るところがあった。
数日前、職場から家に帰ったら、いつもならよぼよぼと出迎える愛犬の姿が見えない。探したら、自分の寝床で天に召されていた。18歳。正確に言えば18歳10か月(18.8歳)。小型犬の人間比較年齢の公式があるようだ。<24+(犬の年齢-2年)×4>。これでいくと、愛犬は人間の年で91歳になる。老衰ともいえる。
長女の誕生日に合わせて飼い出したミニダックスで、家に迎えたのはまだ生後一か月ばかりの時だった。名前は娘がつけた。自分にとっては、子供たちの思い出がこの犬と共にある。一番かわいがったのは下の娘で、娘とこの犬を連れて、足利や桐生の山に何度もハイキングに出かけたものだ。
愛犬を家の敷地に埋める、墓に入れる、庭に散骨することも考えたが、そういうことはよろしくないらしい。専門の業者に遺体を引き取ってもらい、共同供養の墓地に入れてもらうことにした。その供養してもらう寺がたまたま足利だった。遺体はまだ業者の冷凍室にでも入れられているようで、来月早々に火葬されて供養となる。
その寺がどんなところなのか、見に行った。松田ダムの方にあった。普通の墓地の傍らにペット墓地と供養塔があり、墓地には、人間並み、いやそれ以上と思われる墓もあって驚いたが、共同供養塔を見て、一応は安心した。これなら、愛犬を入れてもいいだろう。卒塔婆くらいは立ててもらうことにしよう。
最後に一言。大坊山程度の4時間ハイキングで長々とした記事になってしまったこと、本音ではできるなら掲載したくないといった気恥ずかしい気分もあった。だが、負傷者にとっては、何とか歩けたことにうれしさを感じてしまった。
いつまでもだらだらと足の負傷をまじえての記事はこれを最後にするつもりだ。自己満足的なものにもなってしまう。自分で読んでも痛々しさを感じるし、第三者ならそれ以上だろう。自分の足の不具合をPRするのもここまでにしよう。あとは、初心者の山歩きの記事になるかもしれないが、読んでいただいている方には、しばらくはそんな状況で歩いている。もしくはそこまで回復したのかといった目で読んでいただければ幸いだ。まさか、いくら悲観的になったとしても、この大坊山ハイキングの域から出られないということはないだろう。
自衛隊道路路肩駐車地(8:50)……大坊山(10:28~10:44)……あわぎ山(11:24)……天道山(11:45~11:53)……あわぎ山(12:11)……駐車地(12:45)
紅葉の見ごろはもう標高900m前後だろうか。自分の今の足の状態で行ける山は限られてはいるが、低い標高ながらも相応に手ごろな山が見つからない。見ごろがもっと下りてきてから桐生あたりの里山に行くことにして、今回は紅葉度外視で、軽いハイキングを楽しむことにする。
特別な理由もなかったが、ネットで探していると、何となく足利百名山のことが気になった。天道山というのがある。先ずは天道山に行き、あとはあっさりと、その周辺の大月山やら、丸山、西大平山、東大平山、浅間山、そして福徳山、荒神山(羅列過ぎでしつこいか)をぶらぶらとハイキングというのもいいか。地元の方には失礼な発言になるだろうが、何というか、いずれもどうでもよい山といったイメージがあるし、こういう体調でなければ行きたいとも思わないだろう。この中のいくつかの山は通過したことがあるはずだ。律義に山名板が置かれていないのでは特定もできないでいる。天道山には行くにしても、あくまでも他の山は足の状況次第だ。天道山に特別な思いはないが、そこから天満宮に至る間に石碑や石仏を見ることができるらしく、それが強いて言えばの選択の理由だ。
天道山をネットで調べると、それぞれの記事で、あちこちの山の位置が一致していないことに混乱した。結果として天道山に至る分岐にある山が「あわぎ山」だったり、「大月山」だったりする。ここでは「あわぎ山」としたが、『やまの町桐生』では、肝心な天道山の位置が、自分が思う大月山(大坊山ルートから北に外れた200m級ピーク)の次の北のピークになっていたりしている。これは明らかな間違いかと思うが、今回の山名の表記にミスがあったとすればご容赦願いたい。だからといって、他人様のせいにするわけではない。正式な山名板が置かれていない以上はしかたのないことなのだから。
(自衛隊道路。車が横付けされたところから入る)

過去に長林寺起点で大坊山に登ったことはあるが、今回の目的は天道山だったし、恥ずかしながら大坊山まで歩ける自信はなく、出発地は長林寺ではなく、その上の、いわゆる自衛隊道路の路肩に駐車して歩くことにする。長林寺までは0.5KM、大坊山2.8KMの標識が置かれている。
ハイキングマップの看板が置かれた入口にはアルファードが横付けされていて、こちらのジムニーを置けるスペースがない。仕方なく少し下って、縁石を乗り越えたやや広い所に車を置いた。アルファードも、もっと縦置きの配慮をしてくれればよかったのに。ちなみに埼玉県ナンバーだった。
途中からの合流とはいえ、6年前の記憶はほとんどない。改めてその時の記事を読み直ししたりしている。そういえば…てなもので、今日は初めてのコースを歩くような感覚でいる。こうなったら、健忘症に拍車がかかるのも時間の問題だろう。それでいて、何十年も前に受験勉強やらで一所懸命に覚えたことや、かなり古いことはいまだに忘れていないんだよなぁ。昨日の夕食はラーメンだったけど、一昨日は何だっけ? 特別な物を食べていれば覚えているということにしておこう。
(足にやさしい歩道)

林道状の歩道歩きが待っていた。地図上は、この先、174m経由で尾根通しの破線路になっているが、大坊山への標識はこの歩道沿いを指している(地図には表記のない道)。左上の尾根は見るからに急で、わざわざこだわることもあるまい。どうせリハビリ歩きなのだから。先々週の榛名富士に感じていた足底筋膜炎の再発、瀑泉さんから、不具合の歩きでそうなるものだとコメントをいただいたが、痛みもここ数日の間にかなりやわらぎ、この歩道歩きも至って快適だ。
この足底筋膜炎にはあきれた話がある。アマゾンで肩凝り用のハンディマッサージを購入し、風呂上りに足裏をブルブルやっているが、この手のマッサージ器、実は表向きはそれ用と装ってはいるが、買ってから調べると、本来の(?)使い方は、凝った部分のツボを刺激するのではなく、女性のツボを刺激する利根書店系の扱いグッズだった。どうも形からして怪しいなとは思っていた。だから調べた。利根書店のことは敢えて記すこともあるまい。北関東の道路沿いに「男のDVD333円~」の看板があるし、自宅から徒歩2分のところにもショップがある。出来たばかりの頃に本屋の感覚で入ってみたら、エロ本しか置いていなかった。以降、中に入ったことはないが、看板で、取り扱いはDVDだけではないことはわかっている。その種の物も豊富に揃えているようだ。
このアマゾン荷物の到着にはややこしいことがあった。息子がアパート暮らしのため、宅配便は自宅宛てに送付されてくる。妻はその荷物を息子宛ての物と思い込み、息子の部屋に入れていた。こちらは「配達済み」のはずの荷物が自分の手に渡らない。何でかなぁと思いつつ、2日後にそれに気づいた始末で、ヘタすれば、家に帰って来た息子がそれを開けたら、いい年こいた骨折オヤジがいったい何を考えているんだか、変態じゃねぇのかということになっていただろう。だが、このグッズ、一人寝とはいえ、いつまでもベッドの枕元に置いておくわけにもいくまい。治ったら、早々に始末するつもりでいる。いずれまた使うかもと隠しでもしたら輪をかけておかしなことになる。アマゾンの購入履歴からはすでに削除した。ところで、この購入領収証は医療費控除の対象になるのか? 税務署ではそうは見ないだろうな。
余談が長すぎた。つまりは、ブルブルの効果もあるのか、いきなりの歩道歩きは苦痛のないやさしいスタート、序盤戦でもあった。これがいきなりの急登だったら、まずはあっさりと途中で撤退になっているはずだ。
(山道になり)

(健脚者コースを行く)

楽な歩きは長くは続かない。12分歩いて終点となり、上りの山道になった。そして、道が分岐する。「健脚者コース」と「初心者コース」。ここはためらわずに健脚者コースを選んだ。たいした違いはないはず。桐生の吾妻山の男坂、女坂の比のようなものだ。まして、天道山の分岐のあわぎ山まではそれほどの距離でもない。少しはきつい思いをするのもいいだろう。帰路で初心者コースを使えばいい。現時点でのネックは下りなのだ。実は、せっかく榛名山で上りに少しの自信を持てたのに、一週間後の足尾で打ち砕かれていて、上りに関しても疑心暗鬼なところがある。
健脚者コースを甘くみていたが、すぐに岩場が見え出し、安全のためにストックをダブルで出す。当たり前のことだが慎重に歩く。一歩、二歩と、岩場でもさほどに左足に負担は感じないで登って行ける。足首にはプレートとボルトが入っているのだから、何も感じないわけではない。普段の歩きにしても、常に左足首に鉄の輪がグルリと埋め込まれた感覚がある。この登りにしても、そんな嫌な気分を除けば、意外にスムーズな足の運びができる。やはりなぁと思う。健脚者向けとはいっても、登山道のあるところの歩きはこうも違うわけだ。岩場とて同じ。足尾の山のコースなしに二の足を踏んでも当たり前だ。
(これから本格的に色づいていくのだろうが…)

(まだ健脚者コースは続いている)

(正面からの道が初心者コースなのだろうが、その標識はなかった)

周囲の景色を見ると、紅葉はまだまだ先だが、色づきの葉を見るとやけにきたない。やはり、楽しみにしている低山の方が夏の暑さで余計に焼けていて、あまり期待できないのかなと気になってしまう。
右下から登山道が合流。来た方向には健脚者コースの標識。つまりは、ここで初心者コースと合流なのだろうが、そちらに標識はない。下りは初心者コース辿りと思っていただけに、果たして、これを下ってさっきの分岐に合流するのかは標識がない以上は不明で、下りの際に、やはり悩み、健脚者コースを下ることになってしまった。
(ここは展望地かと思うが、標識にばかり気をとられ、肝心の赤城山は確認し忘れていた)

足利の町がよく見える。少し登るとベンチが置かれている。標識には斜めにカットして「赤城山」とあるところからして、赤城山の展望地と解釈する。現に、その上には富士山とある。霞で富士山は見えない。さらに「光」の字だけが残って逆さに垂れ下がり、板の上半分が紛失している板もある。これは残りの文字のかすれからして日光白根山だろう。歩き出してから30分も経っていない。今のところ足の運びは順調だ。立ち休みをしただけで続行。
(次の健脚、初心の分岐。岩峰が見えている)

(これが正体だが、たいした高さはないし、足場は豊富だ。濡れていなければだれでも簡単に登れる)

(登って来た方向)

(あれが大坊山かと思うが)

(岩場のピーク)

(位置的に遠望は金山だろう)

また健脚、初心者分岐になった。ここも健脚を選ぶ。目の前には岩場がある。この程度なら問題なかろう。ザレたりガレたりもしていない。やはり危うい思いをすることもなく登りきった。普通、こんなところはストックを収納するものだが、ストックのあて場もかなりあり、むしろ、これに助けられた。素手で登っていたら、滑って却って恐い思いをしたかもしれない。ただ、これは上りだからできたことで、下りだったら、逆にストック持ちは危険だ。
結果的には大坊山まで行くことになったが、駐車地の標高は95m。大坊山は285m。単純な差し引きでは190m。ところが、後でカシミールのグラフを調べると、累積標高差は650mもあった(これには天道山往復も加わっているし、カシミール情報が誤っていなければのことだが)。それだけ、歩いたコースの起伏が多かったということになるが、この岩場というか岩峰も一つのピークであり、つまりは、引き続きの下りが待っている。
(岩場ピークからの下り)

ザレた感じのところを慎重にストック頼りで下る。大丈夫かなと思ったが、知らずのうちに左足が軸足としても使えるようになっていた。これにはうれしかった。だが無茶はできない。まだ術後三か月も経っていない。初心者コースに合流した時にはほっとしたし、やはり気温が上がってきていることもあってか、冷や汗混じりの汗が出た。次は足尾の山にも行けるかなと思ったが、これはあくまでも夢想だ。そんなに甘くはない。現に、家の階段の下りは一段一歩ながらもつい手すりにつかまってしまうではないか。
大月町に下る分岐を通過。進行方向左手、つまり標識は南西向きになっている。地図にその手の破線路はない。ヤブがかかって細いが道型は明瞭。この辺、地図の破線路に気を遣うと混乱してしまう。その先で合流するはずの破線路にしても、それらしき道も標識も見あたらなかった。
手袋と中に着込んだベストを脱ぐ。できれば、両膝にあてたサポーターも外したいが、これだけは我慢するしかない。足首の故障はどうしても膝に出てしまう。膝の次は腰となる。
(あわぎ山。山名板は見あたらなかった)

汗が頭から落ちてきたところでベンチのある小ピークに着いた。これがあわぎ山かと思う。9時39分。ここが目的の天道山分岐となるのだが、さっきの岩峰下りやここまでの歩きで気を良くしたせいで、すでにこのまま大坊山に向かうつもりになっていた。天道山は帰り道にして、分岐は素通りする。ここまでたかが知れた歩きだし、出発から50分だ。休んで一服したい気はまだ起きない。
(静かなところはこんな感じの道が続く)

(見上げて。まだまだだねぇ)

里山の一般登山道はこうでなきゃなぁと今さらにして思う。何年、いや何十年も堆積して土に戻った落葉の上は歩きやすいし、健脚コースを敢えて選ばない限りは、上り坂でも身体に無理はいかない。気持ちよく歩いている。紅葉前の焼けた葉は惜しいが、半分オレンジ色かかった葉には期待もそそられる。陽が入り込む雑木の中の、ちょっとアップダウンを繰り返す歩き、付け加えるなら、今のところだれにも会わない静かな歩きは何物にも代えがたいものがある。これが、今の不具合な身体で無理にヤブの急尾根を無理に歩いていたらどうだろうか。おそらくは、登れたとはしても、周囲は何も見えまい。視覚ではなく気分的な問題だ。
またゴツゴツした登り道になった。巻き道の初心者コースはない。上から直射日光が当たるようになり暑くなった。上にベンチが見えている。ピークに立って、歩いて来た尾根を眺める。久しぶりに山を歩いているという実感が湧いてくる(とその時は思ったが、実際は、目の前に広がる尾根を歩いて来たわけではなく、かなり南側から迂回していた)。たかが大坊山ハイキングと笑われるかもしれないが、今の自分には最高の気分でいられるのがうれしい。このまま徐々に回復に向かっていくのを祈りたい。今のところ、足に痛みもないし、歩きのもどかしさも感じていない。ただ、しばらくは無理もできまいな。こんな歩きを積み重ねて歩くのが一番だろう。
(あれを大坊山と勘違いしていた)

(実はこちらが大坊山)

右手前方に大坊山が見えてくる。と思っていたが、これは勘違いで、大坊山はその先だ。しばらくは、そのピークを大坊山とばかりに思っていた。先に数人の声が聞こえる。こんな山でも、グループにはあまり会いたくないなと虫の良いことを考えている。
下っては登るを繰り返す。右向きに通行止めの標識。鹿嶋園温泉に下る破線路だ。スマホで鹿嶋園温泉を調べると、ホームページの周辺マップには、温泉から大坊山ハイキングコースに出られるようになっている。何で通行止めなのか。崩壊箇所があるようには思えない。ふと、ここから温泉に下って出歯亀やっているのがいたんじゃないのかとくだらないことを想像してしまう。
(ゴルフ場)

ここでようやく大坊山を間違えていたことに気づく。陽射しを浴びた三角形のピークが見える。そして、左にはゴルフ場。さっきの声はゴルフ場からのものだったのだろうか。
間違いピークを見上げると、下りのオジサンがオレを待機していた。スミマセンネ。コチラ、ソンナニ早ク歩ケナインデスワ。実ハ、私、本日カラハイキングヲ始メタバカリノ駆ケ出シ者ナノデスヨと、虚心坦懐になっている気持ちを心の中でつぶやきながら、オハヨウゴザイマスとあいさつ。オジサンからはコンニチハと返った。確かにコンニチハの時間帯だったか。
(もっと深まればきれいだろうか)

ピークには大坊山まであと0.4KMの標識。もう目の前だから、ここも休まずに大坊山に向かう。また下る。歩いて来た尾根は右の正面に見えてきて、視界もまた広がった。それなりの満足感はある。
(大坊山への上りから手前ピーク)

(改めて。焼けている)

岩場を登り上がる。周囲の木々の葉は幾分色づきも深くなったが、ここもまた焼けている。大坊山に到着。出発からここまで1時間40分か。後で確認すると、6年前は自衛隊道路を通過してから1時間15分で着いている。休みなしで25分オーバーというのも情けない話だが、身体の状態、6歳の年齢経過からして気にすることもあるまい。
(大坊山山頂)

(狛犬と)

(ここはだれでも撮る)

山頂には意外にもだれもいなかったが、一服している間に空身の二人連れが大山祇神社からの階段を上がって来た。石に腰かけ、コンビニで買ってきたカステラ風味のパンを食べる。大分暑くなっている。上のジャンパーを脱いで、シャツ一枚になった。汗拭き手拭いもかなり汗を吸っている。
(振り返って)

(本日、唯一、きつく感じた登り)

下る。起伏続きだったから、下りの練習も十分に積んでいた。さりとて楽観視はできない。やはり岩混じりでは手をついて腰で下りるところもあったし、どうしても下りの部分は長くなるから、ストック頼りになるのはどうにもならない。また、そろそろ足に負担がかかってきたのか、登り歩きにつらさを感じるところも出てくる。
途中、単独のネエチャン、二人連れに出会いながら、あわぎ山に到着。単独氏がベンチに腰をかけていた。天道山はここから西の尾根を下るが、長林寺方面は南だ。ここで西に折れたら、単独氏に間違っていますよと言われかねないので、わざわざ地図を取り出し、さも目標は西にある体を装って西の尾根に入り込む。里山歩きではこんな小細工も必要だが、単独氏からは何も言われなかった。そちらに向かうのもかなりいるのだろう。現に、しっかりした小道が下っていたし。
(天道山への下り。踏み跡は明瞭だ)

(ここが天道山かと思っていた)

(一服しながらあわぎ山を振り返る)

ヤブっぽいが、尾根通しで道もあるので、ここで間違えたら大恥だろう。下って行くと岩場。小さな岩峰で、直登したが特別な問題はなし。実はここが天道山とばかりに思い込み、一服して休憩したりしていた。だが、どうも、ネットで見た天道山はこんな感じじゃなかったなと、GPSで確認すると、まだ先じゃないか。
(月の宮)

(山頂の日の宮)

(このボロ板は山名板)

また下って登り返すと、石の社が見えてくる。これが「月の宮」らしい。比較的に新しい。そして、すぐの山頂には「日の宮」と建立碑。昭和五十八(?)年に再建されたようだ。こう新しくては感慨はさほどに湧いてこない。むしろ、朽ちかけの手書き山名板「足利百名山45天道山」に魅かれてしまう。文字もかすれている。ここにはかつて小さな社殿があったらしい。その面影は、その残骸らしい骨組みの一部が放置されていることからもわかる。合わせて日月神社というようだ。
タバコを吸って休憩しながらふと思った。太陽のことを、死語になりかけてはいるが敬って「おてんとさま」という。漢字で記せば「御天道様」となる。なるほど、「天道山」はそこから由来するのだろう。
この先に下ると、神社の遺物を見られるらしい。それを見るつもりでもいたのだが、実は、あわぎ山から下りながら、下の騒音がやたらと大きく耳に届いていた。どこかの施設で歌謡ショーをやっている。女性の演歌歌手のボリュームがすごい。行く気がしなくなりかけているところに、今度は別の方向から太鼓の連打音が響いてきた。鼓笛隊の太鼓ではなく、確実に和太鼓で、どうも宗教施設もあるようだ。あわぎ山に戻ることにする。いつか機会があったら、下からでも登ってみることにしよう。
(勘違いの天道山ピークにはこんなものが置かれていた。何だろうか)

あわぎ山に戻り、そのままハイキングコースを下る。下りはさほどでもないが、登りになるとかなり応えてきている。もうどこかに寄り道をする気分にはなれない。しばらくはこの繰り返しだろうな。
(初心者コースの下り。確かに楽だ)

(ラストの下り)

(歩道に出て)

(自衛隊道路に出る)

初心者コースを辿って岩峰を巻く。次の分岐は、前述のように果たして元の歩道に出られるのか不明なので健脚コースを下る。歩道に出た時にはほっとした。4時間弱のハイキングだが、何とか何事もなく歩き通せた。
アルファードはまだ置かれたまま。勝手な想像だが、もう一台は大小山の下にでもデポしたのではないだろうか。もしかして、往路で大坊山の方から聞こえた複数の声のグループがそれだったのかもしれない。
駐車地に戻り、トレッキングシューズを脱ぎ、ようやくここで膝サポーターを外してほっとした。靴も幅広のリハビリシューズに履き替えて、ほっと一服した。
(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
これで帰宅というわけではない。今日の歩きを足利の山にしたのには、他の思惑もあってのことだったし、他に寄るところがあった。
数日前、職場から家に帰ったら、いつもならよぼよぼと出迎える愛犬の姿が見えない。探したら、自分の寝床で天に召されていた。18歳。正確に言えば18歳10か月(18.8歳)。小型犬の人間比較年齢の公式があるようだ。<24+(犬の年齢-2年)×4>。これでいくと、愛犬は人間の年で91歳になる。老衰ともいえる。
長女の誕生日に合わせて飼い出したミニダックスで、家に迎えたのはまだ生後一か月ばかりの時だった。名前は娘がつけた。自分にとっては、子供たちの思い出がこの犬と共にある。一番かわいがったのは下の娘で、娘とこの犬を連れて、足利や桐生の山に何度もハイキングに出かけたものだ。
愛犬を家の敷地に埋める、墓に入れる、庭に散骨することも考えたが、そういうことはよろしくないらしい。専門の業者に遺体を引き取ってもらい、共同供養の墓地に入れてもらうことにした。その供養してもらう寺がたまたま足利だった。遺体はまだ業者の冷凍室にでも入れられているようで、来月早々に火葬されて供養となる。
その寺がどんなところなのか、見に行った。松田ダムの方にあった。普通の墓地の傍らにペット墓地と供養塔があり、墓地には、人間並み、いやそれ以上と思われる墓もあって驚いたが、共同供養塔を見て、一応は安心した。これなら、愛犬を入れてもいいだろう。卒塔婆くらいは立ててもらうことにしよう。
最後に一言。大坊山程度の4時間ハイキングで長々とした記事になってしまったこと、本音ではできるなら掲載したくないといった気恥ずかしい気分もあった。だが、負傷者にとっては、何とか歩けたことにうれしさを感じてしまった。
いつまでもだらだらと足の負傷をまじえての記事はこれを最後にするつもりだ。自己満足的なものにもなってしまう。自分で読んでも痛々しさを感じるし、第三者ならそれ以上だろう。自分の足の不具合をPRするのもここまでにしよう。あとは、初心者の山歩きの記事になるかもしれないが、読んでいただいている方には、しばらくはそんな状況で歩いている。もしくはそこまで回復したのかといった目で読んでいただければ幸いだ。まさか、いくら悲観的になったとしても、この大坊山ハイキングの域から出られないということはないだろう。