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Channel: たそがれオヤジのクタクタ山ある記
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他人様の花見の宴の雑用をした後に慌てて一人花見を楽しみに出かける。

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◎2018年4月1日(日)

 今日は会社の近くの老人会の花見の宴に参加した。別にこちらが老人会に入っているわけではなく、会社として日頃の付き合いがあっての、缶ビールのケースやら一升瓶を抱えての参加だ。一種の奉仕活動のようなもの。
 年寄りの飲みっぷりはすごい。一升瓶はあっという間に空になった。一昔前までのイメージのご老体はあまりいなくなった。案外、自分がそれに近づいているからかと思うとぎょっとする。「老人」という言葉に見合った年寄りは確実に少なくなっている。
 年寄り・老人会だから、別に日曜日にせずとも静かな平日の公園でやればよいとは思うが、それに参加する民生委員さんのご都合らしい。自分と年が同じくらいの民生委員のオバチャンは、平日はわがままな年寄り(と、ストレートに言ったわけではないがニュアンスでそう理解できた)がどうしても多くて多忙になり、日曜日しか空いている時間がないとこぼしていた。
 おかげで、こちらは休日出勤になってしまった。とはいっても花見は午前中いっぱいだけのことで、それが終われば解放だから、後日の丸一日代休ということはなく、さりとて金銭に代えることができるようでもない。代償は平日の午前半休。こんな行事で丸一日つぶすことになったのでは、半休を取ったところで気分が晴れるわけがない。まして、昨日も今週の土曜日もまた通常の出勤日になっている。ずっと出勤続きだ。
 やりたい事、やらねばならない事が山ほどある。病院にも行きたいし、床屋にも行きたい。だが、その時間がとれない。洗濯は夜にやるようになった。家の車のタイヤの履き替えも、暗がりの中で3台は自分でやった。もう1台は点検時と思っているが、ディーラーに行ける日が定まらない。日曜日はお断わりと言われている。結局は、老いた親の世話と山歩きは後手になる。仕事はむしろヒマ。コンビニの駐車場に社用車を止め、アイスコーヒーを飲みながら読書をしたりしている日々だ。終業タイムの17時15分になれば即、帰る。ただ、拘束される日数が多過ぎる。隔週の土曜休みではこういうことになるんだなぁ。長らく完全週休二日で働いていただけに、それが当たり前で隔週の想定も何十年前の感覚に逆戻りできなかった。
 花見も気楽でいいが、来賓で招かれる市会議員のように、挨拶をして乾杯の後はいつの間にやらいなくなっているといった存在ではなく、片づけを手伝い、ブルーシートの土ぼこりと花びらを落としてたたんでからようやく終了。長い花見だ。中には、引き続き、同僚が酔っ払ったジイサンを家まで送り届けることもある。
 余計な愚痴をこぼしてしまった。6月に入って有給休暇を取れるようになれば少しは変わるだろう。変えなければなるまい。

 数日前から桜も散り始めているが、仕事がらみの花見が続いている。先週の木曜日は自分も練習に参加させられているグランドゴルフグループの花見会だった。終わってからカラオケに付き合わされた。このグループは、太田市でも田園調布のようなところに住んでいるような方々が集まっているクラブでそれなりに気をつかった(笑)。
 そして今週は水曜日に別のグランドゴルフ会の花見。こちらは主に自営や農家の方々が主体だが、逆に排他的なところもあって会話も難しい。土曜日はこれもまた別の老人会の花見。もうその頃には桜も散ってしまっているのだろうが、日程がそう決まっているのでは、こちらがどうこう言う立場にはない。また一升瓶を持って行き、ブルーシートをたたむだけ。
 今日、上司から聞いてびっくりしたが、明日は会社の前橋の本部に行って、ちょっとした儀式の後に花見だそうな。参加するのも気の重い花見がこう立て続けになると、もううんざりしてしまうが、勤務日の花見だからまだ我慢もできる。今日のような休日の花見は例外だ。仕事だからと言われればそれまでだが、もう御遠慮願いたい。

 前置きが長くなった。今日は、高木から花見に呼ばれていた。何度か一緒に山行したことのある連中との飲み会だそうで、老人会の花見が終わったら行きたいところだったが、昨日の夜桜だったらともかく、明日は仕事。我慢した。

 花見の片づけが終わり、家に向かいながら、そういえば、金山山麓の水芭蕉はどうなっているのだろうかと気になった。ちょっとの寄り道ルートだ。時間つぶしで水芭蕉を見に行って来ようか。帰ってからやれることといったら、せいぜい、買ってからそのままにしているFMアンテナをベランダに取り付けるくらいのこと。そんなのは1時間もあれば足りる。
 今日も陽が昇るとやはり暑くなった。さっきまで薄手のジャンパーを着ていたがもう脱いだ。

(水芭蕉群生地。青葉になっているけど終わり?)


(よく見ると咲き残っているのがあった)


(ここのところの陽気でツツジも顔出しのようだ。山のツツジも早いかも)


(改めて)


(お祭りは終わっていたが、このポスターの<第1回>というのが気になった)


(未練残して)


(やはり桜に目が行く)


(金龍寺前の駐車場)


 ということで、水芭蕉見物は出向くのが遅かった。ここで頭を切り替える。多々良沼の桜はまだ見られるだろうか。去年は行けなかったが、きれいな桜が続いていた光景を思い出す。行ってみよう。

(最初はここのスポットに行った。一昨年に行ったところとは違う。人はあまりいない)


(場所を変えて。駐車場の脇の公園で)


(行きたかったのはここだった。さっきのは勘違いしていたところ)


(かなり賑やかな咲きっぷり)


(多々良沼をバックに。この辺でベトナム人のグループが20人ほど車座になって飲みながら騒いでいた。日本人グループはこじんまりと花見)


(満足して別のスポットに移動)


(実は、桜よりもこちらを見たかった。ちょっと早かったかなぁ。一昨年はもっとうるさい程に密に、そして高く咲いていた)


(それでも癒される気分)


(紫の群生もあったり)


(近々また来ようかな。朝のうちは出勤前にも来られるし)


(帰り道で車から降りて。何とか満開には間に合った)


 ということで、花見続きの延長で一人花見をしてしまったが、一人花見の方が良かったに決まっている。来年もまたこの時期に気後れ参加の花見が続くのかなぁと思うとうんざりする。

ぶなじろうさんの追っかけで、奥武蔵にツツジ見物に出かけたが、低山の花見は時すでに遅しだった~金ヶ岳から小林山。

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◎2018年4月14日(土)

【唐突で山歩きとは関係のない長い前口上】(ここは読まないでカットしても構いません)

 1日は花見の付き合いでせっかくの休日をふいにしていたから、8日の日曜は何としてでも山に行くつもりでいたが、予期せぬことが起きてしまった。6日に眼の手術後一か月経過の診察を受けに行ったところ、途中から深刻な顔になった医師に「かくかくしかじかな状態になっています。すぐに『処置』をします」と言われた。そのかくかくしかじかの内容は理解できたが、それがどんな事態なのかは飲み込めず、むしろ、夕方の、仕事の外回りの帰り道、社用車で立ち寄っての検診でもあったので、「処置」がどの程度のものなのか、国語的にはただの「手当て」のことだとは思うが、時間がかかれば遅い帰社理由の言い訳に苦しむ。早いとこ帰社できるのかということだけが気になり、「処置」にどれくらいの時間がかかるのかを尋ねると、20~30分で済むとのこと。ならいいかと、有無を言わせずの「処置」を受けることになったが、何ということはない。「処置」とは「再手術」のことで、45分もかかった。先の手術は20分程度で済んでいたが、今度はその倍の時間。十分な準備もないいきなりの手術だったため、麻酔の効果は薄く、痛みの伴う手術だった。出血もかなりあったらしい。
 術後に医師から、縫合したからもう大丈夫でしょうと言われた。あぁそうですか。ありがとうございましたと返したものの、いったい何をどう縫合したわけ? 縫ったら後日の抜糸もあるの? だが、痛みの中でも手術中に頭にあったのは、今、何時かなぁ。20~30分は確実に過ぎているし、遅い帰社の言い訳はどうしようかなぁといった目先の思いだった。
 結局は、術後すぐに会社に電話を入れ、畑地に車を置いたら脱出できなくなり、JAFを呼んだらなかなか来なくて…と、術中に考えていた偽りの連絡を入れることになったが、手術した左眼は視界が真っ白で、つまりは何も見えずにやたらに痛い。頼りは不都合のない右眼だけ。薬局でさらに待たされ、すでに退社時刻はオーバー。明らかにやってはいけない運転(前回は女房に送迎してもらっていた)で会社に戻り、年下の上司に「すみませんでした。まだあの車に慣れていないもので」なんて苦笑いを浮かべ、何食わぬ顔をして退社した。半端な麻酔が切れた眼の痛みはズキズキで、すでにこの時点で山歩きどころではなくなっていたし、明日、明後日のことなんか考えられる余裕はなく、自宅まで15分の運転だけが恐かった。女房に迎えを頼むにしても、彼女は仕事。自分が東京に通っている時でさえ、自分より遅く帰宅する毎日だった。車の中で2時間近くも横になって迎えを待っているわけにはいかない。さっさと帰らないと日課の犬の散歩もできなくなる。
 翌日の7日。考えてみれば、この日は老人会の花見会だった。これに付き合っていたらとんでもない事態になりそうだ。冷えたビールと一升瓶を差し入れるだけで済ませよう。再び保護メガネをかけて出勤する。同僚に問われれば前回同様に、花粉症が体の良い理由になる。痛みはようやく半分になり、真っ白な視界もシルエット状になっていた。それでもまずい片目運転での出勤、外回り。わかりきってはいたが、花もすでに落ちている花見会の会場をそそくさと辞して眼科に向かい術後の受診。改めて医師の説明を受けた。あのまま放置していたら、細菌が入り込んで眼内炎になり、あげくは失明に至るところだったらしい。だから医師も慌てたのか。何か力んだり、ぶつけたりしたことがあるかと問われ、せいぜい自分で3台分のタイヤ交換した際のタイヤの持ち上げか、山での急坂登り程度のものだが力むレベルではなかった。トイレでもしかりだ。いつもすんなりいかなければ、気張るような無理はしない。医師にすれば、目を強く打ったことが原因ということにしたいらしく、それはなかったと否定した。この一か月、眼にはかなり気を遣ったから、こちらの落ち度はないはず。思うに、市内でもベテランで通る医師なりの驕りによる単純ミスでの手術失敗ではなかったのか。自らそれを騒ぐつもりはないが、だれかに相談を受けたら、あそこの眼科だけはやめた方がいいんじゃないですか。現に私も…と言うだろう。
 ネットで調べると、今回の眼の手術で眼内炎になる率は1/2000程度のものらしい。いずれにせよ、診察を先延ばしにしていたら、2000人の1人に近づいていたわけで、かなり危うい状態であったことは確かのようだ。
 考えてみれば、先月の25日に道志まで行って眺めた富士山は、眼内炎になりつつある目で見ていたということになる。あくまでも絶景の富士山だったが、運が悪ければ最後の冨士見になっていたかもしれない。
 まぁ、そんなわけで、眼の手術も振り出しになり、山に行く予定でいた8日の青空を見ても、一週間前の花見仕事の日とは違い、何ら惜しい気持ちすら起きなかった。今は、果たしてまた繰り返しにならないことを心底願っている。その後一週間が経ち、昨日13日に検診に行ったが、医師から経過は良好という言葉は出なかった。最初の手術の時には「順調です」と言われていた。さらに、普通なら、次は術後一か月目の検診となるのに、二週間後に来てくれと告げられた。それがえらく気になって楽観的にはなれないでいる。まして、何で情報を小出しにするのか、この場で虹彩だったかの一部を切除したことも知った。しかし、今日からは洗顔、洗髪はOKとのことだから、こちらから細々したことは敢えて聞かず、普通の生活を営んでも良しと解釈することにした。ただ、深刻で苦しい笑いになるが、しばらくは力んだり眼をぶつけないよう注意しないといけない。
 今さら隠し立てしてもしょうがない。恥ずかしながら敢えて記す。手術とは白内障の手術だった。自分の場合、年齢的にかなり早くから歯よりも眼の老化の方が進んでいて、7~8年前から世の中が白っぽく見えていた。最初は眼鏡レンズの汚れかと思い、しきりにレンズをきれいにしていたが、その割には白い世界は消えず、眼科に行って白内障であることを知って驚いた。その時の眼科医からは「見えづらくなったら手術」と言われたが、夜の雨降りの日の車の運転は最悪で、3年前にまずは右眼の手術をした。手術そのものは水晶体を人工レンズに代えるだけのことで、もう一般的な手術になっているし、術後のトラブルもまったくなく済んだ。今回は左眼の手術だった。地元で評判の眼科を選び、一年半近く待たされた揚げ句の結果がこれだった。現に今もそうだが、しばらくしても見えづらい状態が続くようなら、別の眼科に変えて再々手術ということになろう。ただ、ややこしい二度目の手術を受けているからどういうことになるのやら。

 いつもよりも長い前置きになった。こういう話は人の性で、ついだれかに聞かせたくなってしまうもの。ましてやこちらの顔が見えないブログでの話題だ。だから、大腸内視鏡を受けた時のようにむしろ書きやすくもなる。同情は不要だ。とにかく、当面、今や貴重になってしまった休日。山に行くにせよ、少なくともあと一か月は要注意でおとなしいコース歩きに徹した方がいいだろう。ここのところずっと、自分が志向するマイナーでちょいと危うい歩きからは遠ざかっているが、今回のトラブルでさらに縁遠くなってしまった。「復帰」という言葉は嫌いだが、しばらくはきつい歩きはできない。人様のご活躍ブログも、ここのところ、ずっとタイトル次第では中を読まないようにしている。まさに目の毒なのだ。まぁそんなことで、この時節だし、ハイキングがてらにだれでも難なく見られるありきたりのツツジ見物といった歩きが無難ということになってしまうか。


【そしてようやく本文】

 以下、ようやく今回の歩きに入る。ただ、下を見ても、休憩込みの5時間24分の歩きだ。たかが知れた歩きだが、少なくとも前置き部分よりは長くしなきゃいけないな。

長瀞町役場駐車場(7:25)……車道を離れて金ヶ岳北西尾根に向かう(7:46)……春日神社・金ヶ岳(8:29~8:39)……植平峠(9:25)……葉原峠(9:30)……小林山・大平山(9:43~9:57)……371m標高点付近(10:48~11:04)……312m標高点付近(11:21)……北西尾根を下りきる(11:43)……何かの施設跡の近くで休憩(12:07~12:16)……車道(12:17)……法善寺(12:29)……役場駐車場(12:49)

 とはいっても、今回の歩き、すんなりと行き先が決まったわけではなかった。ぶなじろうさんが7日に奥武蔵(今は北側は「北武蔵」として区分けされているようなので、以降は北武蔵とする)に行かれた記事を拝見し、数日しか経っていないことだし、花もまだ見頃だろうと、その周辺を歩くつもりでいたが、昨日の夜の時点で、眼の件の興奮もさめやらぬ状況であったためか、ヤケになってもいて、どうせなら、三度目の正直で、角力場経由で根本山、熊鷹山を周回するつもりになっていた。皆さんのブログを覗けば、今年のアカヤシオの開花と速度は早いらしい。もう標高は1000mを超えているかもしれない。周回するにしても、わけのわからぬ角力場以外にきついところはないだろう。
 ところが、出がけに熊鷹山周辺の天気予報をチェックすると、6時時点ですでに雨が降っている気配。これではダメか。即、雨降りの可能性のない北武蔵プランに切り替えた。
 2月に歩いた北武蔵コースと、ぶなじろうさんが歩かれたルートは一部かぶってはいるが、2月は殺風景な景色だったのに、この時季はあんなに色彩あふれる風景になるのはちょっと想像しがたい。もう一度行くにせよ、極力、長い車道歩きだけは避けたいし、岩根神社の「ミツバツツジの群落」(昭文社マップの記載)とて、1000円出してまで不自然なものは見たくもない。覗き見するとしたら、歩道らしき実線の南側のちんまり尾根を歩けば良いようだが、これでは車道歩きが長くなる。神社北側の371m標高点を通る尾根歩きならどんなものだろうか。覗き見よりも遠望に近いだろうが(実際には木立で神社すら見えなかった)、小林山に行った際、その先の尾根には興味があった。ツツジを間近に見られずとも春の彩りを体験できればそれで良し。眼にもやさしいだろう。既存のコース歩きからは外れてしまうが、地図で等高線を追う限り、力むことはなさそうなルートではある。ついでに、少々変化をつけるべく、金ヶ岳(=春日神社)にも北西の尾根を使って登ってみることにした。果たして歩ける尾根なのかどうかはわからない。ダメなら、戻ってダイレクトに371m標高点尾根に上がることにしよう。
 余計な話。自宅を出る際にトイレに入ると下痢ピーだった。出発前まで3回トイレに入り、こりゃダメかと思い、一応、ストッパーを飲んで出かけたが、念のために立ち寄った川本の道の駅のトイレではすでに薬の効果で小康になっていた。まぁ大丈夫でしょう。

(金ヶ岳。今日は左側から登ってみる)


(県道に面して。標識にしたがって入り込む)


 長瀞町役場に車を置き、国道と線路を渡り、県道に至るまでは前回と同じ道筋。今回は県道を北に向かい、岩根神社に至る林道のカープから金ヶ岳北西尾根に取り付く予定でいる。前回は、岩根神社から林道(=現役の車道)をずっと下って戻った。今日の足は今年初の地下タビのつもりでいたが、考えてみれば、車道歩きはどうしても避けられず、普通の登山靴にした。後で後悔することになるが、地下タビのつもりでズボンは裾細のトレパンにしていたため、靴上の隙間からかなり土が入ることになる。スパッツは当然持って行かなかったし。
 そろそろ林道が分岐する手前の右手に「岩根山歩道入口」という標識があった。これは、前に来た時には気づかなかった。これを使えるかと入り込む。コンクリ道だったがすぐに土の道になった。尾根の末端からは離れてはいるが、途中から乗れそうだ。

(ここは、神社の右脇から入った)


(本日最初のツツジ。何だか寂しい)


(ササヤブを越えて尾根に向かう)


 道は間もなく三股になった。その間には小さな神社。標識はないが、左は岩根山方面だろう。右はどこに行くのやら信用できないところもあるのでこれは敬遠して、神社の裏に続く道に入る。だが、この道もすぐに右下に逸れて行った。
 目標尾根に乗るには左上に行かねばならないが、結構、密なササヤブ。ケモノ道を見つけては登る。眼にあたらなければいいがと、メガネをかけながらもつい左眼をつむってしまう(これは帰着するまで続いた)。そのうちに明瞭な踏み跡が左から右に通っていたりするのが目に入る。尾根まではまだある。右に行けば、先ほどの右分岐道につながっているのだろうか。ここで赤いツツジを見た。これはレンゲツツジだろうか。花2つだけだがほっとする。

(いくらか賑やかになって)


(ピンクも出てきた)


(以降、しばらくお目にかかれない)


(緑以外の色が遠望できない宝登山)


 目的の尾根が見えてきた。またヤブこぎをして今度はまた10花(「株」とは言い難い)ほどのツツジ。周囲を見てもここだけ。そして尾根に乗る。またしても踏み跡。明らかに人為的な道だ。しっかりした道があるのを知っていれば、ヤブこぎをする手間もなかった。岩根山に向かうハイキングコースから出ているのだろうか。
 やがてピンクのツツジも現れ、ちょっとばかりこの先を期待したが、実際はここだけが賑やかで、この先は続かなかった。部分的に見晴らしは良く、ここから宝登山がよく見えたが、緑色はよく見えるものの、ピンクや赤系、白系の色はその山肌には見えなかった。やはり、低山の花の彩りは終わってしまったようだ。もうこの時点で期待感は持たず、未踏尾根の歩きの楽しみに徹することにした方が無難のようだ。とはいっても、頭の片隅には、上での彩りに多少の期待は残している。

(道型が明瞭)


(やがて右に迂回したので)


(直登する。上に岩が見えている)


 道型はストレートに尾根上に付いているわけではなく、その下を通っている。尾根そのものはヤブが続いている。山頂が近づいたあたりで、道は右に旋回した。これを辿っても行けそうだが、ここは道から離れて直登することにした。
 ヤブが少なめになり、ちょっとした急登になる。ふと、足元を見ると、アカヤシオの花びらがかなり落ちている。やはりダメかと思いつつ、先を登って行くと、岩場が現れた。左手から小尾根が上がってきていたので、そちらに乗り移ろうかと思ったが、尾根はちょっと急な感じだ。やはり岩場登りがよろしいかとそのまま直進。幸いにも、岩場は右からあっさりと巻くことができた。

(神社下も直登)


(春日神社)


(神社の裏手が金ヶ岳山頂)


 岩場を越えると、右手から道が入り込んだ。さっきまでの道だろうか。それとも、先日進入禁止になっていた破線路なのかは不明。もう神社の屋根がかすかに見えている。だが、この道も、神社の先方向に迂回している。まだるっこしいので、手ごろな木を見つけて杖にして直に登る。また道が合流して神社に出た。何だか、いつものように、随分とショートカットにもならない余計な歩きをずっとしてしまったようだ。
 2月の風景に変わるところはなかった。色物はなく、せいぜい緑が濃くなって程度のもの。裏の高台(これが金ヶ岳山頂と思う)に上がり、チョコレートを食べて、早速の一服。北側斜面にヤマザクラが見えている。あそこまで下るのはきつい。まして、曇天だからか、真っ白ではなく、くすんだ色になっていて、見る価値もなさそうだ。ふとSLの汽笛が聞こえた。秩父鉄道のSL、土日、祭日は運行だったな。

(金ヶ岳からの下り)


 さてと下るか。この先、葉原峠まではハイキングコースで間違えようもなく標識も多数なのだが、前回はなぜか南下して車道歩きになってしまった。その検証をせねばなるまい。今日は釜伏山方面まで行く予定はない。あちらは彩りも少しはあるかもしれないが、長時間かつ車道歩きは避けたい。この先、少なくとも小林山までは植林歩きもあるし、その種の期待はあまりない。やはり、ここでも花びらが散乱している。ヤマザクラのようだ。入れ違いにオッサン3人組が上がって来た。この3人が、本日唯一出会ったハイカーだった。
 道に沿ってずっと進んで行くと、見覚えのない風景が加わった。もしかして、前回はこの手前で間違ったのかと思ったが、すぐに秩父農工の杭を目にし、ここは前にも歩いていた。

(岩根神社方面をアップで。すぐ下の尾根からは覗き見できそうだ。赤いのはツツジではなく紅白の垂れ幕)



 左手が伐採地になり。その先に岩根神社が目に入った。遠目で周辺を観察する。確かに、こちら寄りの小尾根からならツツジ園を見下ろす形になりそうだ。どうも彩りはすっきりしない。その小尾根にピンクが数株見えてはいる。そして、紅白の垂れ幕がグルリとめぐらされているのを目にしたら興ざめになった。いずれにしても、一週間前のぶなじろうさんのブログに出ていたすごい咲きっぷりの色づきをここからでは確認できなかったが、立ち寄るまでもないだろうと判断した。

(無駄歩き。何もない小ピーク)


(前回、ここを左から来て右に行っていた)


 道は目の前の小ピークを避けて左に迂回している。ここでまた余計なことをして意味もなくピークに取り付く。あっ、そういえば、春日神社の手前で拾った杖代わりは、山頂に置き忘れてきた。代替えを探し、丈夫そうな枝を見つけた。これは最後まで同行してもらうことになる。今日の歩きは、等高線が詰まったところはなかったのでストックは持ち合わせていなかった。
 やはり、ただの小ピークに過ぎなかった。ツツジを期待したりしていたのがアホらしい。さっさとヤブ斜面を下って道に復帰した。ここには標識が置かれていて、上から見ると、道が二分している。そうか、ここで前回は間違えたのか。この辺は峠が多く、まして地理感覚もない。葉原峠経由で行きたかったのに、つい塞神峠方面に向かってしまい、結果は車道歩きが待っていたということになる。今日は、当然、左向きの「至岩根山・葉原峠」方面となる。

(左下に道が現れた。下には行かずにそのまま右側の道を行く)


(この辺はこんなのを撮るしかなかった)


(ヤマザクラを見上げる)


 登り気味になって下りかけると、左下に未舗装の作業道のような林道が見えた。地図を見ると、この林道は、葉原峠を通って岩根神社の前を経由する林道に出る道のようだ。岩根神社に出るには近道だろう。歩いているハイキングコースに接することはなかった。
 また登り気味になり、塞神峠、仙元峠方面から続く尾根が前に見えてきた。ここで、左のヤブに入り込む。大きな樹のヤマザクラが見えたからだが、青空があれば、少しは映えてはいたろうが、やはりくすんだ感じだ。こんなのを見るのですらヤブに入り込まなきゃならないのが何とも侘しい今日の歩きだ。

(植平峠。相変わらずに薄暗いところだ)


(葉原峠)


 植平峠に到着。植林の中の峠。ここの石標にあった「みかん山」、前回はどこかなと気になっていたが、最近の昭文社マップには「風布みかん山」として記載されている。
 この先、葉原峠・林道を越えて小林山(大平山)に至る記載は、前回の記事に記してあるので省略。違っているのは林道の雪はなく、周囲の緑が少し濃くなった程度のもので、相変わらず、白やらピンク系の色は地面以外に存在しない。

(小林山山頂)


 小林山でしばらく休憩し、おにぎりを食べる。三角点と山名板があるだけで、緑の濃さも感じない。立て続けの発砲音が聞こえる。これは射撃場からのものだろう。話は横道に逸れるが、12日の上毛新聞に、赤城・鍋割山の三角点標石が消えた記事が出ていた。設置は明治32年、長さ80cm、うち70cmが地中だったが、長年の風雨で次第に露出し、倒れかかっているところから撤去されたとのこと。重量80kgを四分割して降ろしたそうだ。これは添え書きだが、今は人工衛星を使っての測量が主流になり、三角点の重要度はなくなり、更新の際には標石も撤去されているとのこと。あるはずの三角点標石がどこを探しても見あたらないというケースはままある。中には、鍋割山のケースのように、撤去というのもあるのだろう。ヤブの中の三角点探しの楽しみが消えてしまうのは寂しいが、その頃にはもう自分自身が歩けないか、この世に存在しないかのいずれかだ。10年くらいですべて撤去ということはあり得ない。それでいてハイカーが多い山(思うに三百名山あたりまでだろうな)の三角点標石は更新続けるというのだから、行政のやることは理解に苦しむ。

 さて、ここからちょっと先が難解だ。地図を見ると、尾根が複雑に入り込んでいるわけではなく、広がっているので方向が取りづらい。やや明瞭な南西に下る尾根に乗ってしまうと岩根神社に出てしまい、長い車道歩きになってしまう。ここからストレートには下れないので、先の台地上のところから371m標高点にコンパスを合わせて下るしかないだろう。371m東側で尾根型も明瞭になるはず。ここで早々にコンパスをセットしておく。

(右下に作業道が見えた。これを使ってみる)


(町境の尾根を北に向かう。しっかりした踏み跡がある)


(バリケードみたいになってはいるが、ここで左手・西に下る。町境尾根はそのまま直進)


 早速、やらかした。一旦北西に行くべきところを北東に向かっていた。何をしてんだか。左手に見える小ピークから西に下るのを承知していたのにだ。この方向音痴も情けなくなる。迂回して、町境に戻って小ピークに向かう。
 右下に広い作業道が見えた。まだ明瞭な尾根にもなっていないので、どんなものかと辿ってみると、秩父農林振興センターの看板があり、道はここから右に逸れている。ここは無視してそのまま北に向かう。薄い踏み跡が続き、町境の小高い530m級ピークに着いた。ここから西に下る。改めてコンパスをチェック。南西の等高線の出っ張りに合わせ直そうかと思ったが、それをやると、気づいたら岩根神社の屋根が見えたとなったらお話にならないので、そのまま371mセットにこだわる。小林山で合わせた向きを微調整する。踏み跡はそのまま521m標高点の方に続いていた。

(まずはヤブ)


(そして整然とした植林下り。ここはコンパスに合わせて真正直に下っている)


(植林が終わり、よっ久しぶりといった感じ)


(ちょっとは続いたが)


(間近では見られたものではなくなっている)


 すぐにヤブになったが、時間もかからずに植林の中を下って行くことになる。たまに踏み跡があったりするが、これに惑わされたら岩根神社方面になると思っているから無視する。コンパスを信じてひたすらに下ると植林から抜け出し、次第に尾根型が判別できるようになって一安心。この木立では南側の岩根神社方面はさっぱり見えない。ここからのツツジ園の覗き見は失敗だった。ただ、散発的にツツジが出はじめ、幾分、気持ちは和らいだ。
 何とも不思議な尾根で、ここは作業道としても使われているのか、長くはないが、踏み跡が続いたり、横切ったりしている。そしてヤブになったりもする。ちょっとした岩場の脇を通過すると、前方に371m標高点ピークが見えてくる。

(371m標高点付近の小ピーク。ここで靴のゴミを出す)


(明瞭になったのが、自分にはちょっとがっかり)


(確かに春めいた景色だが、もう新緑に向かいつつある)


(そして312m標高点付近)


(312m小ピークにはこんなのがあった。いったい何のためのものだろうか)


 371m標高点ピークは何の変哲もない小ピーク。ここで一服する。靴にかなり土が入ってしまい、靴を脱ぐと、白い靴下は茶色になっていた。これから裾位置に注意して歩くことにしよう。
 どこから来たのか、371mを下ると、尾根上の踏み跡が明瞭になった。方角としては、岩根神社方面から上がって来ている。ちょっとがっかりしたが、歩きやすさと安心さが出てはくる。小林山から371mまでは方向を誤らないように注意しながら歩いたので時間もかかったが、312m標高点まではたいした時間もかからなかった。基本は平坦な踏み跡歩きだった。312mからは、等高線通りの緩い尾根下りだが、こちらの方にむしろ手こずった。

(312mを過ぎ、安泰な歩きはまだ続いていたが)


(尾根通しの先はこれ)


(ちらりと226m標高点ピークが見えた)


 かなり古いブルーシートが散乱したところを通過すると、いつの間にか踏み跡は消え、背高で細いササヤブに突入。踏み跡は、おそらくは作業道だから、別の方向に消えたのだろう。尾根型も不明瞭になり、312mで尾根末端に合わせたコンパス通りにササを強引にかき分けて下る。紺のトレパン下はすぐに白くなった。
 左手に226m標高点ピークが見えてきた。予定では、ここを下り切り、226mに登り、そこから南東に下る破線路を使うつもりでいたが、考えてみれば、この期に及んで末端からさらに90mの登りはしんどい。そのまま南に窪地状のところを行った方が良いのではないのか。
 ヤブこぎ再開。しかし、こう、先が見えない下りも困りものだ。ヤブも薄いところがあればいいが、周辺はすべて密になっている。どこを歩いても同じ。右下から野球だかサッカーをやっている小学生らしき歓声が間近に聞こえる。グランドでもあるようだ。

(尾根の終点が見えてきた)


(こんなところに出た。左は破線路)


 ヤブが薄くなり、下に平地が見えた。ようやく尾根を下りきった。周囲は、以前は畑か田んぼでもあったのか、人の気配はないし、見える人家も遠い。目の前に小高い山が見えている。あれなら簡単に登れるかと思ったが、右手にちらりと見える送電線鉄塔の位置からして226mピークはさらに奥だ。やはりやめておこう。
 幸いにも、地図にはここから南側に途中切れの破線路が付いている。途切れまでの等高線は平坦だ。これを使って車道に出られるのではなかろうか。

(地図上の破線路はもう終わっているが、この先から登りになっていた)


 破線路はずっと続いていた。地図上の終点になってもヤブめいてはいるが続いている。だが、やがて窪みの道型になり、登りがかかってきた。これではどこに行くのか、あるいは下って来た尾根に戻る可能性もあるので、道型に見切りをつけて西に下り、窪地状のところを行くことにする。

(窪地に下ると、見た目は歩きやすそうだった)


(湿地に、よく見かけるのがかなりあった)


(水が出てくる)


 またヤブこぎになって窪地に出た。やはり、ここは予想通りに沢地になっていて、ぬかるんでいる。乾いたところを選んで歩けるから問題はないが、そのうちに小さな沢というか水の流れが出てきて、沢はヤブの中に吸い込まれている。このまま行くのには、またヤブかといったところがあり、右手に、226mから下ってくる尾根らしき高台が見えたので、そこに這い上がる。タイヤや瓶が斜面に転がっている。ということは、車道も近いということか。

(破線の延長だろうが、高台が見えたので登る)


(その先にはこんな風景があった)


(そしてこんなのも)


(ここで見かけた。満開だった。左下はトイレの屋根。どうしてもこれが入ってしまった)


 高台に出て見えた先は打ち捨てられた広場のようになっていて、ここは何かの施設でもあったのか、鉄柱が錆びた照明施設もある。広場を横切ると、バリケードされた池(プールか?)もある。その先にはホテルのような建屋。現役ではないのは明瞭。左にコンクリ施設が見えたので、そちらから出られるかと行ってみると、それはトイレだった。便器が4つ並んでいる。かつて、ここはスポーツ関係の施設だったのではないだろうか。確認しに中に入ってみたかったが、そこまでの廃墟好きでもないので、一時的な興味は抑える。せめて看板類はないか探したが、眼に入る視界にそんなものはなかった。

(施設に向か道だったのだろう)


(ここで休憩。向こうに岩根神社につながる林道が見える)


 トイレの下にコンクリートの道があった。その先には閉ざされた門扉があり、岩根神社からの林道が覗いている。地べたに腰をおろしておにぎりを食べる。ここまで世話になった杖とはここでおさらばとする。

(もしかして、これが「舟くぼ」?)


(県道と林道の分岐にある釣り堀)


 門扉とはいっても足で越えられる高さだ。門のすぐ脇に、見えづらいが手書きの古い「舟くぼ」という観光スポット案内板が置かれていた。どこがそれなのか知らないが、この真下の河原だろうか。すぐ隣には釣り堀がある。こちらは家族連れで賑わっている。

(県道沿いで。もしかして、これが今日一番の盛りのツツジだったかも)


(法善寺のしだれ桜。色はもうあせている。陽が出てきてはいたがこれだ。見頃はすでに一週間から10日前には終わっていたはずだ)


(長瀞の河原と宝登山)


 何だか物足りない歩きだった。時間的にも体力的にももう一山歩けそうだが、自分にそんな趣向はない。終わったら風呂にも入らずさっさと引き上げる。まして、この花の咲きっぷりからして、この近辺、どこに行ってももう花いっぱいの景色に接することはできまい。標高が低くて、ツツジも先週いっぱいで終わってしまったということだろう。
 せっかくだから、法善寺のしだれ桜がどんな按配か立ち寄ってみる。桜はまだ残っていたが、かなりくたびれた色になっていた。見物客は自分以外にだれもいなかった。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

 しかし…と、今回は車道歩きを嫌い、ここならだれも歩かないだろうと思ったルートで歩いてみたのだが、さすがに北武蔵(というか、奥武蔵全般だろうな)の山は、地図にもない道だらけで、その大半は作業道だとは思うが、至る所から入り込む人がいるものだなと感心してしまった。里山だから仕方もないし、ましてこちらは他所者だ。気分的にはちょっとがっかりしたのはお門違いなことかもしれない。

羊山公園で芝桜見物。

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◎2018年4月26日(木)

 秩父の羊山公園の芝桜は有名らしい。以前から知ってはいたが、その時季になると、国道140号線は秩父市内で渋滞になり、秩父の山からの帰り道はいつも辟易としていた。
 元々、自分は、草花に対する興味も造詣もない。花の名前を覚えたところですぐに忘れる。人それぞれの向き、不向きだろう。それでいて、山の四季の移ろいだけは感じたく、その象徴として、この時季ならアカヤシオを追っかけるのが季節感だろうなと思いながら山を歩き、それに触れなかったら残念なでしたで終わる。もう一週間早ければ…といった悔しさは、敢えて文章化はしても本音のところ覚えることはない。
 まして、羊山公園の芝桜といったら、きわめて人工的で公園化されたものだ。そんな芝桜を渋滞覚悟で出かけてまで見て、どこが楽しいのだろうなとずっとすねた横目で眺めていた。

 ちょっとばかり気が変わって芝桜見物に行ってみたくなった。山を歩けなければ、せめて羊山公園で春を感じたかったといったところか。だが、そんなところに連休中の混雑時に行くつもりはなく、ちょっと早いかなとは思ったが、仕事を休んで行くことにした。
 日常的になりつつある、仕事中に病院やら床屋に寄るのとはわけが違う。秩父では休まざるを得ない。自分の場合、今は、<休暇=欠勤=一日分の給金減額>といった図式になり、正直のところ切実な次元だ。
 まぁ、そんなことまでして見に行った芝桜ではあったが、病んだ眼にもやさしく、それなりに満足して帰宅した。課題の春を感じる趣意云々はともかく、横目で見ていたところに行ってみるといった自分なりの違和感、ちぐはぐさといった認識も、自分の感覚の中ではすでにあやふやになってしまった。

 今回は余計なことは記さず、順不同の写真の羅列だけで留めておくことにする。自己満足の花見でしか過ぎないのだし。まして、羊山公園の芝桜に興味のある方にはホットな状況にもなろう。自分の思いを入れた余計な文章は不要だろう。
 ちなみに、写真の一部は普通の広角レンズで撮ってみたが、結果として、自分には、コンデジと一眼の出来具合の違いはわからないままだ。使い慣れたコンデジ写真のアップの方が多くなっている。

 余計な話だが、現地でかかった費用は駐車代500円+入園料300円だった。二人で行けば一人あたり400円といったところか。これが高いかどうかはわからない。地元の芝桜は駐車代500円で入園料は無料だが、見に行ったこともないので比較のしようもない。
 明日は眼科に行っての検診。医師から状況報告を言われるだろうが、その話によっては、地元の芝桜見物に出かけることにもなるだろう。もはや、山のアカヤシオどころではなくなっているかもしない。





























 平日の見物客の多さもさることながら、雑草取りをしているジイチャンたちの姿が目に付いた(不思議にバアチャンは別の作業現場なのか視界には入らなかった)。おそらく連休に向けての整備だろう。公園化すれば、それなりのメンテのコストもかかるもの。まして入園料を取っている。花をよく見ると、その下には雑草避けネットが張り巡らされていた。それでも雑草は出るようだ。
 しかし、広く草も花もないところやまばらなエリアが結構目に入った。あれは、これから出て来るのか、移植でもするのか。チラシの写真は一部の隙間もない咲き方になってはいる。

 それと、外国人観光客、ことに中国語の大声がやたらに耳に入ったことが気になった。集団になって写っているのは中国語のグループだ。台湾か香港か中国かは知らないが、こんなところにも押し寄せて来るのかと、ちょっと驚いた。




芝桜づいて今度は地元の公園に出かけてみたがまるでダメ。その足で大間々小平のカッコウソウを見に行き春うららを感じて帰る。

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◎2018年4月28日(土)

 週休2日が当たり前の方には理解できないかもしれないが、この年齢で隔週休みとなると、ヒマな仕事をしてはいてもどうしても週末は疲れが残り、続きの休みの時には、土曜日は出歩くのが億劫で遅くまで寝ていたりしたくなってしまう。そんな単純明快なことを最近になってようやく知った。しかしこの3連休はありがたい。山は明日にでも行こうか。
 今日は目覚ましもかけずに7時に起きた。いつもより一時間遅い起床だ。天気は良い。起きるなり、せいぜい近くにでもドライブがてらに出かけたくなった。地元・太田の芝桜はどうなっているのだろう。ネットで情報を見ると、市の広報に「今年度は播種エリアにおけるスイートアリッサム等の開花状況が芳しくないため駐車料金は無料となります。なお、芝桜エリアに関しては順次開花予定です」とあった。「順次開花」とはいっても、<おおた芝桜まつり>は6日で終了だ。何とも期待含みの表記だが、一週間の間に見頃にでもなるというのか。つまりは今年の咲きは良くないので、いつもなら徴収する駐車料金(つまりは=入園料だろう)はタダだということだけは事実だ。ちなみに「入園料」は元から無料。
 タダに越したことはなく、地元の芝桜がどんなものかを見に行くことにしよう。これまで行ったことはない。今日は用事も何もない。一応、女房にお誘いの声をかけた。当然、行くとは言わないことはわかっている。声をかけたのは、後になってから「好き勝手なことばかりやっていて…」と責められたくないがためだ。予期していたように答えはNO。犬の散歩と洗濯を終え、朝食をとって出かける。開園は9時からだから余裕だ。

 会場の太田北部運動公園(「八王子山公園」と名称を変えたようだが)に着いたのは9時。みんな、開花の状況は良くないことを知っているのか、スムーズに一番手前の駐車場に入れられたが、次々に車がやって来る。ではさっそく拝見しましょう。

(駐車場の脇で。これで一応は期待したのだが)


(まぁ、こんなものだった)


(赤い色づきだけは感じる)


(むしろ、こちらや)


(こちらを見ていた方が救われるといった感じ)


(ポスターの写真とは大違い)


(撮影の場所選びが大変だ)


(一応…)


(そしてアップで。くたびれているのもある)


 一昨日に見た羊山公園の芝桜の光景がどうしても頭から離れず、そのイメージとつい比較してしまう。比較の次元ではないのだが。むろん、中国語の会話は聞こえない。

(鯉のぼり。チビッ子用のイベントの準備中)


(むしろ、こちらの方がきれいだったりして)


 ここで意外なことを知った。唐沢山の登山口が車道沿いにあった。かつて、こちらから歩こうとして、ヤブを漕いで撤退ということがあった。まだ北部運動公園もなく、今のようなハイキングコースが整備されていない頃の話だ。いずれここから歩いてみることにしよう。

(唐沢山ハイキングコースの入口)


(金山か?)


 まぁ、いつもならこんなに見事な感じだろうと、最後のトイレの入口の壁に貼られたポスターを参考までに入れてみた。今日の状態との違いは歴然だ。それを撮っていたら、側にいたオバチャンに笑われた。
 これで駐車代金を取られたら市民が怒るわねぇ。

(ポスター)



 これで終わりにしてさっさと帰宅するはずがない。自分の足で歩くわけではなく、足は車だ。次のプログラムはすでに用意してある。実は、明日は手軽そうな熊鷹山にでも行こうかと、ネットで記事検索をすると、ここ一週間の記事の中に「小平のカッコウソウ」が出ていた。おそらく、記事の目次に熊鷹山があっての更新だから出てきたのだろう。
 自分には、「カッコウソウ=鳴神山」といったイメージしかなかったが、小平にも見られるスポットがあるのか。大間々奥の小平は好きなところだ。何せ、古の石碑や石仏が豊富にある。迷わずに予定の小平に向かう。

 小平にはわけなく行けても、いったいどこでカッコウソウが見られるのかは知らず、とりあえず「小平の里」に車を置いて、中に入った。沢沿いの「湿性植物園」で見られるとばかりに思い、先に行くと、鍾乳洞入口になり、この先は入場料310円が必要だった。受付のオバチャンに、ここから植物園に行けるのかと聞くと、そうだと言う。そして、こちらはカメラを首にぶら下げているから早々に勘違いを悟ったらしい。
 「カッコウソウですか?」と聞くのでそうだと答えると、植物園でも少しは見られるがと、おもむろに新聞記事を出し、この記事のカッコウソウならさらに車道先ですよと道順まで教えてくれた。ありがとうございます。
 何ということはない。かつて来たことがある大杉の分岐を右(林道小平座間線)に入るようだ。分岐からしばらく行くと、駐車場(とはいっても10台くらいのスペースに石灰で線引きしているだけ)は満車。案内係のジイチャンに100m先に別の駐車場があるから、そちらに止めてくれと言われる。100mどころか400mくらいはあったが、ここも路肩駐車場で2台分空いていた。場所的には岩穴観音前の空地になっている。
 林道を下ると、先の駐車場のこちら寄りに受付があり、見上げると、カッコウソウエリアは植林の中の狭い空間だ。芳名録とはいっても名前とアバウトな住所を記すだけだが、記帳して中に入る。入場料は無料。

(カッコウソウの「自生地」? はこの斜面)


(クマガイソウというらしい)


(点々とカッコウソウ)


(カッコウソウ1)


(カッコウソウ2)


(カッコウソウ3)


 なるほど、これがカッコウソウか。いつか見てみたいとは思っていたが、こんな絶滅危惧種の花を鳴神山に行かずとも小平で見られただけでもラッキーだ。名前だけは残っても、姿、形はすぐに記憶から離れてしまうだろうが。

 募金箱に寄付金を入れ、林道を駐車地に向かう。周囲に人はいない。ホトトギスや小鳥の鳴き声に沢のせせらぎが加わり、やはり春だなぁと、ここでようやく季節を実感する。
 そのまま帰るのではもったいない。岩穴観音を見物し、後は定番の大杉、道端のツツジだか何だか知らない色鮮やかな花を見て、フィニッシュは浅原の百観音で締めた。

(岩穴観音で)


(車を止めて1)


(車を止めて2)


(車を止めて3)


(車を止めて4)


(百観音)


 ドライブだか散歩だかはっきりしない今日の探索歩き。半日で終わったが、北関東の春爛漫の気分は十分に味わえた。

 前記事に瀑泉さんからコメントをいただき、井戸湿原のアカヤシオが見頃らしい。お薦めをいただいた。井戸湿原、去年はすっかり肩透かしを喰らっていた。そのためか、井戸湿原の印象はムダ歩きをした感じがしてすこぶる悪い。気にはなるが、その気にはなれない。明日は課題の残る根本山に行き、ついでに熊鷹山か。アカヤシオに出会えればラッキーということで。

終わりかけのアカヤシオを愛でに根本山から熊鷹山、丸岩岳を周回。目的の「角力場」は下から登れるようなところではなかった。

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◎2018年4月29日(日)

駐車場(7:04)……不死熊橋(7:08)……休憩(8:17~8:27)……女坂・男坂分岐(8:38)……角力場(8:58~9:01)……休憩(9:15~9:26)……行者山(9:37)……根本山(10:06)……十二山根本神社(10:18)……十二山(10:34)……熊鷹山(11:01~11:14)……丸岩岳(11:57~12:07)……標高1000mあたりの尾根分岐(12:28)……休憩(12:40~12:48)……林道(13:12)……不死熊橋(13:30)……駐車場(13:36)

 12月に続けざまに根本山下の「角力場」なるところを目指した。ハイトスさんの記事に興味が湧いて出向いたのだが、一回目は上から下り、尾根の分岐の選択に迷って退却。角力場のある小尾根(勝手に「角力場尾根」としているが、以下これで通す)の特定ができた二度目は、ある程度までは行ったが、急なヤセ尾根が凍てついているかも知れぬ恐怖に襲われて撤退。その時は、男坂の途中から危うい思いで角力場尾根に攀じ登った。
 三度目がダメならもうあきらめよう。自分にはおかしなこだわりがあって、行きたいところを済ませてしまわないとどうしても落ち着かず、他の山に行っても、その場は楽しめても、後で、例えば帰り道でも、次はどこに行こうかと考えながら、そのわだかまりをつい思い出してしまう。ネット情報もなかった足尾の小足沢右岸尾根もしかりだ。直登ばかりにこだわって二度も恐ろしい思いをした。仏の顔も三度まで。これで角力場に行かれなければ、力量不足、技術不足、自分の限界、高望みという結論にしよう。気力だけではたどり着けない所も多々にある。
 ということで、今回は、前回のような男坂の途中からの登りといった無謀なことはせず、そのさらに手前の、手ごろに登れそうなところから入ってみることにする。その先は、根本山に登るのは無論ながら、アカヤシオの咲き具合によっては、熊鷹山まで行ってみようか。
 熊鷹山からの下山は、戻って中尾根コース下りも良いが、20年ほど前のこの時期に、熊鷹山から林道歩きをして、タラの芽をかなり採ったことがあり、時節的にはちょっと遅いかもしれぬが、あのタラの芽の再現も良いかと思っている。一応、その時のためにと針金を持参する。単純な発想だ。ストック先に針金の輪を巻き、それを枝に引っかけて引き寄せての収穫といった手順になる。20年前には手前のしか採れず、その奥やら上のタラの芽はどうにも手が伸びなかった。道端に落ちた木の枝を使っても引っ掛けができずにダメだった。<針金+ストック>は自分なりに考えた採集手段だ。

 根本沢の歩きをまたくどくどと記しても、読んでいただく側にはまたかと飽きるだけのことだろう。根本沢の写真と解説はさらりと流すことにする。まして、その筋の方には、角力場にどうやって行ったのだろうといったことが関心事だ(とはいっても、興味津々は瀑泉さんとハイトスさんくらいだろうが)。自分もまた今回はその辺りをメインに記したい。総じてダラダラとした記述は省くことにする。
 なお、今回の足は久しぶりにスパ地下。つまりスパイク付き地下タビ。おそらく、普通の登山靴だったら、角力場尾根下部はあっけなく滑落、転落していたかもしれない。このスパ地下には、帰路のおかしな急斜面ルートも含め、大助かりだった。もうスパイクが減りはじめている。そろそろ替え時なのだが、これが足に馴染み、他の2足は未使用の状態に近い。買うかどうかはちょっと悩むところだ。
 念のためロープも簡素なレスキュー用のロープ(息子が何年か前に自衛隊見学に行き、売店で買ってきたやつ)を持参したが、使うことはなかった。下りで使うならしっかりしたロープは必携だろうが、固定する樹はともかく、地盤が脆いから、ハイトスさんの記事にもあったが、長いロープが必要となろう。また、自分はヘルメットを持たなかったが、これは後で考えると失敗というか無謀だった。

(緑が濃くなりつつある)


(いつもの不死熊橋と根本沢コースの入口)


 駐車場には4台ほどの車があった。東京ナンバーの車でやって来たオッチャンが歩き出したところだ。隣の車はゴソゴソやっている気配。オッチャンはこの先で一回出会うだけだが、仮に「練馬さん」とでもしておこう。実は、ナンバーを見て、視力はまだ回復していない自分には「群馬」に見えたが、近づくと「練馬」だったわけだ。これは余談だが、夕暮れ時のかすれた目には福島が群馬に見えたりもする。
 不死熊橋の手前にあるポストで練馬さんは登山届を書いていた。自分も書かなきゃと思ったが、練馬さんは時間がかかりそうなのでパス。いつもなら、自分の部屋の机上に歩きコースメモを置いて出かけるのだが、今日は失念していた。出がけにまだ寝ていた女房には、オレがどこに行くのかも知らせていない。ちょっと不安が残った。今日のルートはただのコース使用の根本山ではないのだから。遭難したとして、駐車場に置き去りの軽の四駆が不審がられるのはせいぜい数日から一週間後のことだろう。
 沢コースに入り込む。見下ろすと、練馬さんも登って来る。おそらく、沢コース、中尾根コースの周回とお見受けする。

(先ず目に入ったツツジ。赤はまだ新鮮だ)


(沢の流れも新鮮に感じる)


(あのピークは1091m標高点ピークだろう。ここでも新緑を感じる)


(ようやくアカヤシオ)


(つい入りたくなる)


(そろそろ休憩に入ろうか)


(ちなみに今日の足)


(階段を登って)


(籠堂跡が先に見えてくる)


(そして坂の分岐。左が一般向けの女坂。右が男坂になっている。今日は両坂を無視して手前から右に登ることにする)


 籠堂跡を通過して男女坂の分岐に着いた。その手前で10分の休憩を入れた。ここまで出発から休憩込み1時間34分。前々回は1時間55分、前回は1時間51分だった。スパ地下のせいか、もしくはもう沢コースに慣れたのか、ブランク歩きが続いていても今のところは順調な歩きになっている。実は、自分はジイチャン、バアチャンに交じって週三回のグラウンドゴルフをやっている。決して好きでやっているわけではなく仕事の一環なのだ。そのため、運動不足という事態には至っていない。

 さてと、肝心なのはここから先だ。男坂に入り込む前に周辺を眺める。少なくとも、ここまで右手にたやすく登り詰められるようなところはなかった。地図上の破線路は南西に向かい、途中から尾根に乗り上げて南に向かう。そもそも実際の現場には該当する踏み跡はなく、これがその破線路の入口かと思われる沢の先は厄介そうな岩場になっていて、水も流れ、すんなりと行けそうにはない。だが、この破線路を忠実に行ったとしても、乗り上げる尾根からさらに角力場尾根に乗り換えないとならない。どうせなら、地図で何となくわかる微妙な角力場尾根の末端から登ってみたい。だが、末端部は垂直に近い岩場でこれは無理。
 結局、男女坂の分岐すぐ脇から取り付くことにした。こことて脆そうな急斜面だが、男坂を先延ばしするほどに急斜面になることは前回のことで体験済みだ。たやすいルートとしては、女坂を登って神社に出、男坂側に下る。そこから角力場尾根に取り付くことだろうか。ただ、簡単に取り付けるかは疑問だし、三度目ともなると、自分には意味のない登り方だ。角力場を見られればそれで良しというわけにはいかないのだ。

(取り付き部を正面から。何ともないただの斜面だが、傾斜はそれなりにある)


(ちょっと登って下を見る)


 岩場ながらも、土中にしっかりと収まった岩と岩との間には隙間があって、樹の根や岩角につかまって何とか10mほど登ってみたが、すでに下は見えていない状態になった。下からここは見えているようだが、練馬さんはまだ来ていないのだろう。来ていたら声をかけられるはずだ。

(ケモノ道のような跡。ここでシカフンを見た)


(すでに下は見えていない。つい高度感をご理解いただくために上からの写真提示になってしまう)


 シカフンを見てほっとした。こんなところにまでシカが来ているのかと思うと安心した気分にもなるが、前回もまたシカフンに騙されている。四つ足と二本足では違い過ぎなのだ。まだまだ落ち着ける場所が出てこない。もう下は恐くて覗けない状態になっている。樹のぐらつきを確かめては力づくで這い上がる。周囲は依然として貧相に痩せ、前方以外はストーンと落ち込んでいる。

(角力場尾根に乗ったようだ。ここはまだ急だが、少しは息もつける)


 少し傾斜が緩み、斜面も広くなって休憩できそうな落ち着いたところに出た。どうやら角力場尾根に乗ったようだ。だが、ここで休憩というわけにはいかない。この先がどうなっているのかまだまだ気を許せない。まして、ここまで来て、この先で撤退することにでもなったら、命がけの下りになりそうだ。ずっと緊張し続けている。息を整えただけで前進続行。アカヤシオが目に入ったが、暢気に見ていられるような余裕はない。

(平穏のようになっているが、実際はこちらもあちらも切れている。ただ、上にだけは行ける)


(ごちゃごちゃした岩場が出てくる)


(登って来た方向。下は何も見えていない。おかしなアングルだが、正面も左も谷を挟んでいて、緑がつながっているわけではない)


(少しは余裕が出てくる)


(とはいっても、下を見るとまったく落ち着かない)


 四つ足からようやく二本足歩きになったところで、目の前に岩場が出てきた。これに樹の根や枝が右往左往にへばり付きかなり厄介そうだ。そろそろ角力場も近づいているはず。ここは慎重に岩に手をかけ、ポロリとならないところにつかまり、さらに足場も何度も確認しては足を乗せた。再び四つ足になってしまった。
 無事に岩場を通過。ここでようやく落ち着きを取り戻し、周囲の景色を撮ったりする余裕が出てきた。振り返ると、とんでもないところを登ってきたのは一目瞭然。ここは素手では下れない。

(きっと、あそこが角力場だろう)


(命からがらに駆け込んだ気分で角力場に着いた)


 岩場は散発的にまだ続く。しかし、危うさはさほどに感じることがなく、先に見える岩、おそらくあの岩場の上が角力場だろうと確信めいたものを出てきて、岩の脇の窪みを上がると、果たしてそこが角力場だった。
 石祠の屋根だけが置かれている。ハイトスさんの写真通りだ。その後にだれかが訪ねたことでもあるのか。こんなところを見るために、わざわざこうしてとんでもない歩きをして登って来たとは何ともお目出度い話だ。このガレキの高台にこだわり続けていたのも我ながら何をかいわんやだ。それはさておき、ようやく落ち着いたところで、ノドが異様にカラカラで、全身汗だくになっているのに気づいた。前回はノドカラにはならなかった。水をがぶ飲みする。取り付きからたかが20分間の出来事だったが、自分には一時間以上にも感じた。

(少し下ると左手に神社の屋根が見える)


(下の鞍部から角力場)


 この先の鞍部に出て右下を覗く。沢型の破線路部分は接近し、あそこからならあっさりとここに登れそうだ。今さらのことだが、自分の転落しかねないルートよりも、最初の岩をクリアできれば、安全に角力場に出られそうだ。今度来ること、おそらくそれはないだろうが、その時は破線路通しに歩いてみるか。鞍部からは谷越し真正面に、木立の間から根本山神社本社の屋根がちらりと見えた。
 しかしながらとふと思う。「角力場」とはどういう修行をするところなんだ。角力=相撲ではあるまい。こんな狭くて切れ落ちたところで相撲していたら命がけだ。「力比べ」という意味合いなら、末端から登ることに意義でもあるのか。何とも不思議な空間だ。そもそもここは「スモウバ」なのか「カクリキバ」なのか、ハイトスさん教えてくださいな。

(角力場から離れる)


(見下ろして。前回はここでおののいて逃げ帰った。この時期なら、特別な危険は感じない)


 長居しているような場でもなく、そろそろ根本山に向かうか。頭を切り替えて今度はアカヤシオだ。相変わらずヤセてボロボロの角力場尾根を登る。

(ツツジをようやく意識できるようになった)


(日光白根山だろう)


(足場の悪い歩きはまだ続く)


(あそこで休憩にしよう)


 前回、下るのをためらって徹底したところも登りなら問題ない。岩場はなおも続いているが、角力場までの登りを思うと、何ら苦労はないが、とにかく休みたい気分になっている。角力場ではどうも落ち着かなかったし、休みタイムは入れていない。右下の沢筋とそのさらに向こうの尾根が合流したところで倒木に腰かけて休憩。ここでようやくほっとした。
 神社から鐘の音がする。練馬さんが叩いているのだろうか。ここまでツツジは見かけてはいても、大方の花が落ちている。花を付けたのとて、大分しおれている。やはり、一週間は遅かったようだ。これなら、根本山まで行って、中尾根を下るのもありかなぁ。
 暑くなりそうだ。出発時にひんやりして着込んだウインドブレーカーはすでに脱いでいる。手も汗をかき出し、手袋も外した。菓子パンを食べて一服して出発。課題の角力場は終わった。休んだら、気分も落ち着き、ノドカラ危機の余韻もすでにない。

(さも見頃に撮るのも難しい。アップではとてもとても)


(遠望の皇海山をバックに入れてみたのだが)


(行者山)


 残り少ないアカヤシオを見ながら行者山のロープを越えて登山道に出た。そのまま根本山方面に向かう。標高がじわりと上がっても、満開のアカヤシオはない。たまに下斜面にきれいなのを見かけるが、あれは遠距離だからそう見えるだけのことだろう。近づけば残念な思いになるのは必至。

(日光白根山から袈裟丸連峰の一部まで)


(屋根だけの石祠)


 鳥屋場を過ぎると登りになった。別に歩くのがしんどかったわけではないが、ストックを1本取り出して歩く。最近になって、2本よりも1本の方が歩きやすいところもあることを知った。前の北武蔵で太い枝を杖にして歩いてから考えも変わった。元々、ストック歩きは嫌いで、ダブルで歩くようになったのはごく最近のことだ。老化ハイカー現象かなと思ったりもしていたのだが。

(根本山山頂はすぐそこだが、人だかりが見える)


(結局、山頂で撮った写真はこれだけだった)


 中尾根十字路には向かわず、そのまま尾根を直登。やがて十字路からのコースに合流すると、山頂の方から大勢の人声が聞こえる。ドラ声も耳に響く。最初は中国人の団体が根本山まで来たのかと思ったりしたが、純粋な日本語だ。それも栃木訛りの。どうも、根本山の山頂に自分の居場所はないようだ。ここまでだれとも会うことはなかっただけに、えらい山歩き気分の落差を感じる。
 やはり30人ほどの我が物顔の団体がいた。山頂はごった返しで、標石に腰かけているのもいて、山頂の写真撮りなんかできやしない。栃木弁の騒音がおぞましい。団体はちょうど休憩が終わり、出発しかけるところだったが、非常に不快になった。個人ハイカーの自分なんか、だれ一人として目に入らないのだろう。大声で「開けてください」と連呼して、根本山山頂から逃げ出すようにして下った。根本山に来てこんな目に遭ったのは初めてだし、これまでの山行でも滅多になかったことだ。事実、リーダーに蹴りを入れたい衝動にかられたが、そんな思いにも無理がある。団体で来ていれば、どこに行っても、自然とそうなるもの。こちらは、団体を一つの塊でしか見ていないのだ。これがもし、登山道の途中で出会っていたとしたら、気を利かせたラストのサブリーダーなりが声を上げて道を譲ってくれることもある。山頂で出会ったというのがタイミング的にまずかった。

(とっとと熊鷹山に向けて下る)


(こんなレベルでも時間が取られてしまう)


 足は自然に熊鷹山に向かった。時間はまだ10時を過ぎたばかり。中尾根を下るのではまだ早過ぎる。まして、このツツジの咲き具合では、中尾根歩きもルンルン歩きにはならないだろう。ここでちょっと懸念した。まさかあの団体、熊鷹山まで行くことはないだろうなと。自然、足早になるが、このあたりから、少ないながらも終わりかけのアカヤシオが目に入るようになり、その都度足を止めては写真撮りの状態になってしまう。だが、後で写真を見ると、終わりかけはやはりそれなりの画像になっている。やたらと撮ったわりには鮮やかに写っているのはなかった。やがて、大声は右下の方から聞こえた。ということは、団体は中尾根を下って行ったようだ(その時はそう思っていた)。
 アカヤシオを見ながら平坦な県境稜線をのんびりと歩いて行く。もう咲き具合は知ったからそれ以上は期待せず、レベルを下げて満足している。ただ、広がって下に落ちている花びらがうらめしい。

(十二山根本神社)


 何人かのハイカーと行き交った。十二山根本神社で休憩しているのは三人組。ここは陽が直接あたって暑い。早々にパスするが、この辺から、幾分まだ見られるとはいっても、明日来ればくたびれているだろうアカヤシオが目につくようになった。密なところもある。足の運びが一段とのろくなった。この時点では、まだ、熊鷹山からの下りは林道歩きのタラの芽採りの予定になっている。時間は十分にある。この林道歩き、冬はバカにできないものがあり、一度、熊鷹山に向かおうと林道歩きをしたら途中でヒザ越えラッセルになったことがあり、いい加減に嫌になって戻ったこともある。
 下って来る単独ニイチャンに、この先のツツジはいかが? と尋ねると、「ところどころは良いですけどねぇ」といった返事。やはり芳しくはないらしい。

(しつこく見頃過ぎが続く。これは良い方だが、明日はダメだろう)


(また石祠)


 十二山で光線がきつくなってサングラスをした。不思議にアカヤシオがきれいに見え出した。だったら、早くにサングラスに交換しておけばよかった。
 氷室山の分岐。置かれた石祠の年号は文化。ウイスキーのダルマ瓶が横になっていた。立てかけたが、中は空。趣味が悪いとしか言いようがない。こういう定番コースにはゴミ捨ても平気な輩がいるんだねぇ。
 前方左に熊鷹山らしきピークが見え出した。もう消化試合の気分になっている。しかし長かった。平坦過ぎる。その平坦路ですら、十二山のちょっとしたピークを踏むハイカーはまれだ。十二山に登ったところでさしたる満足はない。トラバース道を歩くハイカーをボーっと眺めているだけ。

(この標識が以前からずっと気になっている)


 これもまた話が前後するが、十二山を過ぎたところで、右方向に「車道40分・国有林ゲート3K・梅田ダム9K」の手書き標識が出てくる。いつもこれを見ながら不思議に思っている。地図上に線はない。林道から分岐する支線林道にでも出るコースなのだろうか。わざわざ確認に出かけるつもりはないが、気にはなる。

(熊鷹山が見えてくる)


(熊鷹山山頂はあそこ)


(大きなツツジの樹の下で)


 熊鷹山への登りになった。何だか先がつかえている感じがしないでもなかったが、これは、山頂直下のツツジの大きな樹を眺めているだけのことだった。
 山頂には7人くらいいたか。ここの山頂も狭いので、だれも登っていない櫓にそのまま向かった。春の匂いがムンムンする。下はピンクの花が散らばっている。また悔やむ。一週間早かったらなぁと。

(山頂から)


(淡いピンクになっているが、一週間前なら賑やかだっただろうに)


(だれもいなくなったところで山頂の標識)



 下に降りて、オニギリを食べる。だれもいなくなったところでタバコを吹かす。すると、さっき、ツツジの開花状況を聞いたニイチャンが上がって来た。このニイチャン、どういうコース取りをしているのか。敢えて聞くことはせずに、お互い「どうも」で済ませる。
 嫌な先回りの予感がした。もしかして、このニイチャン、団体がやって来たので、引き返して来たわけではあるまいな。そうなると、普通は引き返さずに団体を見やって、先に行くものだろうに。

(来たぁ~)


(逃げるようにして下る)


 予感は的中した。大声が聞こえて来た。中尾根を下ったとばかりに思っていた団体は熊鷹山に向かっていたのだ。オレの耳もかなり悪くなったものだ。先頭のリーダーが掛け声を上げている姿が見えた。その後ろにぞろぞろと列になっている。根本山よりも狭いスペースに30人も入られ、さらに大声ではたまったものではない。暑苦しさも倍増する。さっさとタバコを消して急いで下山する。
 しばらく歓声が聞こえていた。こうなったら、おそらく団体は林道歩きになるだろう。追いつかれることはないだろうが、どうも気分的に嫌だ。タラの芽はあきらめる。丸岩岳まで逃れよう。

(ここでも山頂のどよめきは聞こえていた)


 傾いた鳥居の先でそのまま直進。丸岩岳・野峰方面になる。右は林道に下る。さて、丸岩山まで行くのはいいが、その先はどうすんだい。まさか林道歩きというわけにはいくまい。長くなる分飽きてもくる。さらに団体との遭遇率が高くなるだけだ。
 刷り出しの地図を広げてみる。残念ながら野峰まで入り込んだ広域地図ではないが、丸岩岳なら載っている。じっと見ていると、山頂から北西に下っている尾根が使えそうだ。末端は、ぎりぎり林道側になっていて、川に落ち込むことはない。また、ここだけは、林道の擁壁マークも切れている。そううまく事は運ばないような気はするが、少なくとも地図上は尾根型も明瞭だし、注意は末端部だけだ。それで行こう。

(一気に静かになってのんびり歩きを再開する)


(こんな平坦な道が続く)


 根本山から熊鷹山の区間は平坦で長く感じたが、ここもまたえらく長く感じる。だらだらとアカヤシオも続き、時間がどんどん経っていく。途中、メールが入った。ただの広告メール。用はないが、もしかして携帯が通じるのかと、女房にメールする。何せ、林道歩きの下りならまだしも、不可思議な尾根下りを選択した。せめて、本人はわけがわからずとも「丸岩岳から北西に尾根を下って林道に出る」と知らせれば、地元の人なら、捜索範囲も絞り込める。だが、携帯は通じなかった。「サービスはありません」と出た。いよいよ慎重にならざるを得なくなった。

(しつこく続いたところで)


(丸岩岳に到着)


 くたびれたアカヤシオに飽きたところでようやく丸岩岳に到着。熊鷹山の鳥居の下からここまでだれとも会わなかった。塩飴をなめて塩分補給。食欲はない。ついでに一服。スズをもう一個追加し、ストックをダブルにする。

(北西尾根を下る)


(じきに林道の横切り。左が尾根続き)


 ここから林道までは問題はないが、明瞭な尾根だ。またアカヤシオに邪魔される。林道が真下に見えた。簡単に降りられそうにはない。目の前以外に手ごろな降り口は見つからず、ストックを林道に投げ、細い枝を頼って着地した。最後はズルっといった。トレパンの尻が土で汚れた。スパ地下でも、こういう緩いところは苦手で効果は薄かった。
 ここから林道歩きというよこしまな考えも復活したが、寸断された尾根先が目の前にあるのにそれは邪道というもの。気分も体力もまだ残っている。改めて尾根に復帰する。

(ピンクテープがひらめく)


(この尾根にも残っている)


(西に分岐する尾根を覗く)


 歩きやすい尾根。目障りなツツジも次第に数も減っていった。これで下り歩きに集中できるか。コンパスをしっかりとセットしてはいたが、同じピンクでも、こんどはテープが現れた。やはりなぁ。歩く人はいるようだ。テープの間隔は極めて短い。明瞭な尾根なのに目障りでしょうがなかったが、自分のエリアでもないので掃除係を買って出るつもりはない。
 標高1000m付近で尾根が分岐。樹にグルグル巻きの黄赤のテープが4本。さっきからのピンクテープも含め、西に誘おうとしている。オレは直進のつもりだが、このまま行くと植林に入り込む気配がする。左は自然林が続いている。そしてツツジもチラホラ覗いている。このまま誘惑にかられて西に行ったらどういうことになるのか。906m標高点のある県境尾根を下ることになる。もしくは石鴨神社前に行き着く。どちらにしても、桐生川をどうやって越えるのか。両岸ともに急斜面で、簡単に林道には這い上がれまい。ここは賢く予定通りに北西に。コンパスを改めてセッティング。

(植林交じりの尾根)


(やがてこうなって急下降)


(赤ペンキマーク。やがてこれも消えていく)


 尾根は左自然林、右植林になっていたが、ついにはヒノキの植林に吸収されてしまった。同時に急になった。テープは完全に消えたが、代わりに、樹に赤ペンキが付くようになった。周辺に赤ペンキは見えず、おそらく、作業用の下りマークかと思う。半信半疑だが、これを頼ることにする。
 地図ではわかりづらい細かい尾根が分岐する。こうなると、その都度にGPSに頼るしかなくなる。890m付近で直進してしまい、あれっと思ってGPSを見ると、正解は左。だが、次第に尾根の起伏が薄れてきた。GPS頼りもここまで。GPSを拡大して現在地を特定し、コンパスを林道合流部に合わせ直した。矢印に従って下る方が良いだろう。

(右下に林道が見えてくる)


(こんなところを下って来た)


(そろりそろりと右下に)


 川音が近づいてきた。そして、林道が右下に見えた。だが、それまでの斜面の中間部が見えていない。つまり急だということ。ここに来て、川に転がり落ちたら様にならない。ストックは収納し、樹に抱きつきながらの下り。間隔のあるところはかなり厳しい。
 ようやく林道との接点が見えた。普通、こういうところは下が平らになって作業道になり林道に至るものだが、ここは斜面状のままに川に落ち込んでいる。進行右寄りに下って林道に出た。ため息が漏れた。ドンピシャで橋の手前に降りていた。橋には「2号橋」とあった。

(林道歩き)


(林道脇のツツジ)


(不死熊橋に着いた。出発から意外に時間はかからなかった)


 あとは林道歩きだ。沢で顔を洗いたかったが、眼のことがあり、濡らした手ぬぐいを絞って顔を拭いた。すっきりした。
 そのうちに中尾根コースからの林道に合流。道脇には「根本沢林道」の銘板があったが、自分がずっと記してきた「林道」は「石鴨林道」と思っていたから、この根本沢林道にはちょっと混乱した。中尾根コースに分岐する林道が根本沢林道ということだろうか。だったら、こんなところに置かずとも良いのに。

(駐車場には大型バス)


 不死熊橋を過ぎると、駐車場の方に白ワイシャツとネクタイの男性がうろうろしている姿が見えた。だれかを待っている運転手さんといった感じだ。練馬さんの車はまだある。
 やはり、大型バスが置かれていた。他に6台ほどの乗用車。バスの頭のプレートには「日光山歩会」とあった。帰り支度をしながら運転手氏と話をした。総勢30名。2時半帰着予定だそうな。目的はツツジ見物。しかし、あの大型バスはどうやってここまで来たのだろう。まさか桐生側からではあるまい。三境隧道側の道幅はよくは知らないが、あんな大型バスでも通れるのだろうか。バスはみどり市側に頭を向けていたが。

 今日の歩きの目的は三度目の正直となる角力場見物。再び危うい思いをしてようやく到達できたが、自己満足といったらそれまでのこと。そこまでして行くのを薦めるようなところではない。やはり行くのなら、上から下って向かい、帰路は上に戻るのが無難だろう。沢筋ルートは詳細に見ていないので触れないでおく。
 当初からついでだったアカヤシオ。見られたら幸いと思っていたが、終わりかけながらも楽しめた。標高1100m台でこうだから、もう見頃は1500mを超えているのではないだろうか。今日あたりの袈裟丸山周辺は混んでいたろうな。
 蛇足だが、20分ばかりの短い角力場尾根での格闘、これはかなり効いた。翌日、目が覚めると、ことに腕を中心に全身が痛くなっていた。

(本日の軌跡。核心部は消して直線になっているが、過去の記事やハイトスさんマップでおおよそは見当がつくでしょう)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

◎「角力場」に興味をお持ちの奇特な方は、今回と前回の私が歩いたルートの後追いはくれぐれもお避けください。どうしても角力場を見たいという方はハイトスさんのお歩きをお薦めいたします。繰り返しになりますが、私の歩いたルートは、自分のレベル的には危険でした。

地元の唐沢山に行き、まさか帰路の里ヤブでえらい目に遭うとは…。

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◎2018年5月3日(木)

太田市北部運動公園(10:55)……北金井キャンプ場分岐(12:24)……休憩(12:29~12:33)……菅塩峠分岐(12:39)……唐沢山(12:42~13:04)……北金井キャンプ場駐車場(13:26)……ゴルフ場ゲート・退却(13:49)……ヤブ区間(13:51~14:14)……運動公園入口(14:26)……駐車場(14:35)

 今日の午前中は天気が良くないらしいし、妻が下の娘と泊りがけで宝塚観劇に出かけるので、最寄りのJR駅まで送って行かなければならず、天気予報が外れになっても山行は無理な話だ。宝塚とは東京宝塚劇場ではなく兵庫県の宝塚大劇場の方だ。何でそんなところまで行くのかというと、妻の教え子(つまり、妻は教員なのだが)が地元の女子高校を卒業後に宝塚音楽学校に入学し、晴れて星組からデビューすることになり、舞台で口上を述べることになったとのこと。先生には…という本人のたっての希望があって、親経由での観劇の依頼があり、急に行くことになったわけだ。
 一人で行けばいいものを、東京に住む娘を誘い出しての観劇だ。自分が誘われたらお断わりする。第一、興味がない。それ以前に、オレよりも娘を同行させるのにためらいはない。オレに声をかけることはなかった。妻は若い頃から宝塚が好きで、東京にはよく観に行っていた。宝塚大劇場なら本望だろう。娘の魂胆は宝塚よりもUSJであることはわかりきってはいるが、あぁ行って来なよと、心とは裏腹に取りつくろって送り出した。
 余計な話だが、妻は仕事やら、その延長、そして遊びで、ことに連休になるとあちこちに出かける。大方は新聞社関係の催し事への参加だ。その都度にこちらは不便な暮らしになる。なぜなら飼っている4匹の犬はすべて自分が見なきゃならなくなるし、食事もオールコンビニ弁当になるからだ。しかし、妻も生徒の新聞作りの指導にかけてはそれなりに一角の存在感があるようで、新聞の全国紙やら上毛新聞にも顔写真付きでよく掲載される。載るのは文化教養面だから、地味な記事だし、三面記事ならともかく、特別に目を引くことはない。大概は飛ばし読みするコーナーだ。そのためか、これまでにも、一般的とは思えない名字からして「これ、奥さんじゃない?」と言われたことは一度もない。こちらは休みの日は好きなことをやっている。だから妻も好きなことをする。お互い様だろうが、犬のために延べ三日しばられるのもまたつらいものがある。

 そんなことで、今日は山歩きはせず、昼から酒を飲みながら本でも読み、夜は映画でも観に出かけるつもりでいたが、9時半過ぎあたりから天気は良くなった。予報の強風すらない。なら、28日に太田の芝桜を見に行った際に見かけた、北部運動公園からの唐沢山ルートでも歩いてみようかとなったわけである。

(さらに色物はなくなっている)


 ネットの市の広報を見ると、すでに1日時点で「芝桜はほぼ終わりです」となっているにもかかわらず芝桜見物目当ての車が多い。そもそも、その広報を見直すと、見頃はあったらしく、それは4月上旬から下旬にかけてで、28日に行った時にはすでに終わりだったわけで、今年はダメだったということではないらしい。それでいて「しば桜まつり」だけは今日もやっている。ということで、車は上の方に回された。

(コースの案内図。右からの回り込みになっている。途中、この画像でコースを確認しようとしたが拡大の方法がわからずに役をなさなかった)


(こんなところを行く)


 コースの入口看板まで坂を下って入り込む。この時点で、このコースは大迂回コースであることは知らないし、「八王子丘陵ハイキングコース」の看板を見ても、ただ「約5.5キロ 90分」とあって、それなら平坦なようだし、1時間ちょいで行けるだろうと軽く考えていた。帰路は北金井キャンプ場に下り、車道を歩き、休憩込みで2時間30分程度だろうと思っている。明日はそろそろ足尾方面にでも考えているし、前日の手ごろな歩きとしては最適だろう。

(ゴルフ場)


(鹿島宮)


(コースはこんなところを歩くようになっている)


 山裾の歩道をずっと行く。標識は置かれていて、距離も記されている。ゴルフ場の脇を通過し、このまま山の中に入って行くのだろうと思っていると、鹿島宮という神社を過ぎてから怪しくなってきた。なぜか一旦里に戻り、民家の脇を通って再び山に入り込む。これを二回ほど繰り返したか。ここで地図でも持っていれば、状況も変わった歩きをしたろうが、ハイキングコースを歩くのが目的でもあったし、ハイキングマップすら持たず、まして、この辺は私有の山が多いようで、コースから外れないようにと記された看板も置かれている。そうなると、標識通りに歩くしかなくなる。早々に先が見えない歩きになってしまった。尾根通し、沢伝いのコースならどんなにわかりやすいことか。

(ようやく山の中に入る)


(整備されている)


 野良作業をするオバチャンの姿を見てようやく山道になった。その間、すでに2kmは歩いている。しっかりしたハイキングコースはずっと続いている。坂道には歩幅が手ごろな階段も設えてある。
 そろそろ汗が出てきた。風はなく、湿気もかなりある。全身、べっとりとした感じになっている。雨上がりのため、今日の足は長靴にしたが、これは失敗で、長靴の中もすでに蒸れ出してきている。こういう不潔な感じの歩きはどうにも嫌だ。
 左に高いピークが見え、あれが唐沢山かなと思ったが、コースは右手にどんどん向かい、ピークからは遠ざかる。唐沢山ではなかったようだ。今度は下りになった。そして登る。右手には尾根が見え、コースのルートを知っていればあれを歩きたいところだ。我慢、我慢。

(尾根歩きをしてみるがヤブで濡れる)


(ハイキングコースに戻る)


 やはり登りきると尾根に合流し、ベンチが置かれていた。コースはここから尾根を外れて左下に下っている。とうとう我慢が出来ずに尾根伝いに直進してみる。どうせまた、この先で合流するのだろう。尾根には薄い踏み跡もあった。
 次第にヤブになり、踏み跡もあやふやになった。雨露を含んだ葉が身体にびっしりとあたるようになると、このまま行くのはあきらめて歩道に出た方が無難かと、左斜面を下って歩道を目指す。
 なかなか歩道に出ない。ヤブだから見えないだけだろうとも思ったが、ようやく歩道に出た時にはほっとした。後でGPS軌跡を見ると、このまま尾根伝いに下ると砕石場らしき上を通って町に下っていたようだし、尾根の分岐を左に下ればコースに降りられもしたろうが、そんなことはこの時点ではわからない。いずれにせよ、復帰まで時間もかかり、もうこんなことはやるまい。だが、このミス、帰路の里の中でもやってしまう。
 登ったり下ったりを繰り返す。唐沢山2.5km・運動公園3.0kmの標識。中間点は過ぎたが、歩き出しから55分経過している。予定の「1時間ちょい」は確実に無理。

(断層案内図)


 この先に「太田断層案内図」というのが樹に貼られていて、断層はどうでもいいが、その中に「太田断層地域(小さい稲荷様が2個ある)」と記されていた。この稲荷様が気になった。見てみたい。その時は、このコース沿いに置かれているものとばかりに解釈していたが、後で案内図写真をアップで見ると、余計歩きの尾根の先にあったようで、そうとは気づかずに、左右を注意しながら歩いて行き、つまりは稲荷様を見ることはなかった。こうして実際に歩いてみたコースだ。地理感覚もある程度はつかめたし、いつかは見に行ってみよう。

(一時的な林道歩き)


(竹林)


 唐沢山2kmになったところで林道のような幅広の道に出た。ここにも断層案内図がある。そこまで見て欲しいなら、標識を出せば良いのになと思うのだが、それはさておき、道の脇には軽トラが置かれていた。林道はここで終わっている。ナンバーを見ると地元ではなく隣県のナンバーで、何となく怪しげな感じになる。この先には竹林も続いていたし。考え過ぎか。
 登り下りはまだ続く。とはいっても低山だからたかが知れている。カシミールでの累積標高(+)は600mもない。今日はハイキングのつもりだったので軽装で来ていて、手ぬぐい、タオルすら持っていず、あるのはタオル地のハンカチ2枚。1枚はぬぐった汗でグッショリになっていて、ポケットからその汗が染みだし、ズボンも濡れている。もう1枚は下り用だ。せめて風が欲しい。
 1.1kmになったところで手書きの「⇒近道」板を見た。またひどいことになるのもためらわれるので、これは無視。上から覗き込むと、たいした近道でもなく先で合流した。

(北金井キャンプ場からのコースに合流)


(送電線鉄塔)


 北金井キャンプ場との分岐に到着。帰路はここから下るが、キャンプ場までは0.9km。5.5kmとは雲泥の差だ。過去に2度ほど歩いたことはある。
 鉄塔に出る。周辺は刈られているが、展望に恵まれているほどのものでもないが、正面にピークが見えるところから、あれが唐沢山だろう。もう少しだ。1kmは切っている。この先で少し休憩する。

(菅塩沼へのコース分岐)


(本日唯一の)


 菅塩峠の分岐を過ぎると、下って来るハイカーの声が聞こえる。青年2人だった。一人は普通のハイキングスタイルだが、もう一人はなぜかネクタイをしてジャケットを着ている。そしてまったくの手ぶら。一人が行くというから、車で待っているつもりが気が変わったのだろうか。

(唐沢山山頂)

(ベンチに付いた汗。左は尻、右はザックの背中。さすがに背中を後ろにあてるのは気持ちが悪かった)


 一等三角点と東屋のある唐沢山山頂に到着。だれもいない。東屋のベンチに腰かけて長い休憩。持参したのは水だけ。食べ物はない。ここまで1時間47分かかった。案内図板には1時間30とあったが、大幅な遅れだ。今日は息切れもせずにむしろ軽快な足取りだったんだけどなぁ。余計な尾根歩きをしたとしても、さほどの時間が取られたわけでもない。きっと自分の歩きレベルが遅過ぎなのだろうな。

 さて、下る。北部運動公園からのコースは何となくわかった。後は、家に帰ってから、カシミールの地図上で見ることにしよう。次に歩く時はそのアレンジと見逃した稲荷様だ。

(キャンプ場へ)


(北金井コースの起点駐車場)


(鴨が2羽泳いでいた)


 オッチャンが登って来た。今日出会ったハイカーはこれで3人。以上だ。鉄塔に出て、北金井キャンプ場に向かう。こちらはあっという間だ。林道に出て、左にゴルフ場を見て、ほどなくキャンプ場の駐車場に出た。陽が出てきて、かなり暑くなった。ここでもう1枚のハンカチに変える。後は長々と車道歩きになる。メインの車道に出れば問題もないだろうが、これでは遠回りにもなり、車が走っている脇を歩くのも嫌だ。こうなると、長靴歩きもうっとうしいものになる。地図がなければ頼れるのはGPSだけ。これを見ながら、近いルートで行くことにする。

(運動公園に戻る)


(工事中。太田スマートインター?)


(ゴルフ場につき入れません)


 曲がり曲がりで道を歩いて行くと、ゴルフ場ゲートに行く手をふさがれた。この先には行けずにUターンだが、このまま長い距離を戻るのもためらわれ、少し戻って破線路に入る。先にはヤブの丘が見えているが、GPSでは丘の反対側まで破線路が続いている。問題ないだろう。

(最初はこう)


(続きが消えた)


(かなり強烈)


 破線路はある程度まで行くと踏み跡になり、完全に消えた。どこを探しても続きはない。強引に突っ込むか。
 かなりの熾烈なヤブだった。とにかく先がまったく見えない。幹の太いササは密で、背も高い。始末が悪いのは、枯れたヤブが固まっている所で、それを越えるのに往生した。とにかくなかなか先に進まない。
 何とか、丘の上に出たが、ヤブが薄くなったわけでもなく、どうせなら西にある107.3m三角点を見に行こうかなと思ったが、そちらの方はさらにヤブが濃い。そのまま下る。踏み跡が現れ、ほっとしてそれを辿ると、その先は掘り返しの穴だらけ。つまりはイノシシ道だった。

(ヤブがおとなしくなって)


(墓地に出る)


(道に出た)


(向こうからこちらにやって来た)


 幾分、ヤブが薄くなったら、墓地が見えてほっとした。古い墓地だ。お参りに来る人はもういない状態だろう。その先にようやく道が見えた。この道はどこから来ているのか。まさかさっきの道の延長ではなかろう。いくら探して続きは見つけられなかったし。もしかすると、ゴルフ場から出ているのかもしれない。それを知ったとて使えはしなかったろう。
 悲惨な格好になっていた。汗みずくで泥があちこちに付いている。身体の中に入り込んだ木くずと泥はある程度叩いたが、近寄ると薄汚れているのは一目瞭然。あとは、なるたけ人の目に触れないように駐車場に戻るしかない。しかし、ヤブ区間は長靴で正解だった。

(ゴルフ場入口)


(運動公園に戻った)


(コイノボリは相変わらず)


(舞台ではダンスショーをやっている)


 行き止まり、引き返しを2回やって、ようやくゴルフ場入口が見え、その先に運動公園の看板が見えた。

(駐車場はまだ出入りが多かった)


 さて、もう3時近くになっている。2時間半のちょい歩き予定では終わらず3時間40分のげんなり歩きになってしまった。ここで明日の山行予定は中止にした。
 さて、腹が空いている。こんな格好で気にせずに入れる店といったら吉野家か山田うどんぐらいしかない。ラーメン屋はお休み時間だ。TSUTAYAにも用事があるので、行きがてらの吉野家ということにしよう。

 遅すぎる昼食をとり、家に帰って、シャワーを浴びて着替えて洗濯。ついでに犬の散歩をしていたら時間の余裕がなくなった。イオンシネマのe席リザーブは6時半にとってある。急いで映画館に向かうと、途中で土砂降りになった。
 観た映画は『ペンタゴン・ペーパーズ』。こういう社会派の映画は日本では人気がないのだろうか。以前から観に行くつもりでいたら、いつのまにか上映スケジュールから消えていた。昨日、たまたまチェックしたら、また上映復活したのか今日が最終日だった。
 前に劇場に来た際に予告を見て、観たいと思った映画だったが、スピルバーグの監督作品とは知らなかった。内容を記してもしょうがないが、ラストの民主党本部盗聴侵入のシーンは印象的だった。いうなれば、これが結末だ。

 明日はヒマになってしまった。平日ならグラウンドゴルフの練習会に参加している日だが、こちらは休みだし、行くつもりはなかったが、いっしょに練習に出ている同僚のオバチャン(とはいっても一歳上だが)に、自分も行くから、オレにも来てくれと誘われてはいた。行くことにしようか。年寄りとの会話は気楽なものだ。同年代のオジチャン、オバチャンとなったら、特に普通のオバチャンあたりは孫の自慢話ばかりして、もう聞き飽きたよ、それしかないのかよと言いたくなるものだが、ジイチャン、バアチャンあたりになると孫も高校生以上になり、小遣いをせびられた程度のことしか言わない。肩やら腰、足が痛いだのといった話はむしろ同情してしまうし、何とも身近な存在に感じてしまう。感覚がそれに近づいているということだろうか。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

塔の峰にツツジ三昧の目論みで出かけたが、見頃のはずの花は雨でかなり落ちていて、何とも物足りない気分で終わった。とはいっても、祭り会場だけはしっかりと見て満足。

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◎2018年5月5日(土)

かじか荘上駐車場出発(7:24)……丸石沢の橋を渡る(7:33)……1286m標高点付近(8:41~8:53)……1456m三角点(9:40~9:50)……日ヶ窪峠通過(9:52)……塔の峰(10:51~11:35)……1528m標高点付近(12:10~12:17)……熊ノ平(13:17~13:31)……車道に出る(14:03)……鳥獣観察舎(14:04~14:11)……駐車場(14:35)

 半年ぶりの足尾の山。迷うことなく塔の峰にした。以前は定番のように庚申山が好きでよく行ったものだが、今や塔の峰に行く回数の方が多くなってしまった。庚申山は特別な理由もなく飽きた。栃木百名山になってから設置されたらしい、いやらしく目に付く真新しい人工の金属梯子や渡し、ロープのせいだろうか。さりとて中倉山と沢入山はいつの間にかブナの樹のおかげで俗っぽくなり、積雪期以外はとても普通のコースで歩く気にはなれない。それを思うと、塔の峰に行くハイカーは知れたもの。静かな山歩きを楽しめる。コースというかルートも地図を見ながらの思案次第で豊富に作成可能だ。まして、舟石新道というユニークな荒れた歩道が山腹を通っている。だが、これも今のところの話で、孤高のブナから始まった足尾の山人気が塔の峰やら小法師岳の方面にまで及ばないことを願いたい。
 余計な本音をついでに記す。恒例の四月から五月にかけての植樹行事。自分は他人事として受けとめている。協力したいとも思わない。足尾の荒れた山肌、崩れかけの尾根と沢。公害の原点、縮図とはいっても、歩く立場、少なくとも自分には一連の無謀な近代化の結果として風化されつつある今の山の姿に魅力を感じている。人も住まない地で「足尾に緑を」をPRするなら、旧松木村エリアだけではなく中倉山尾根、石塔尾根も緑化すればいいだろう。それどころか町の中から望める備前楯、金龍山、有越山しかりだ。孤高のブナもいつまでも孤高のままにしておくのか。それどころかロープで囲んで名勝になっていたりする。NPOだかがやっていることは矛盾が目につき、きれいごとに過ぎない感じになる。「あそこは古河の土地だから、山だから」では済まされないのではないのか。一度でも足尾に住んでいれば、松木の植樹はお祭り的な行事に見えるのが普通の感覚だろう。これはあくまでも自分の私見だ。植樹の参加者それぞれにいろんな思いもあるだろう。これに関して議論するつもりはない。

 いつもの長い口上はさておき、今日の塔の峰の目的は二つ。一つは山名板のメンテナンス。二つ目は、あわよくばツツジ三昧。ツツジは標高的にこのくらいかと、それなりの期待を寄せている。標高1700mはまだ早かったとしても、その途中で見られるだろう。

(雨上がり待ちの状態)


 今日は午前中の数時間、9時くらいまで雨の予報だった。気にも留めずに出かけたが、やはり足尾に入ると小雨になり、駐車場に着いた時にはとても外に出られないような降りになっていた。しばらく車の中でタバコをふかして待機する。車は他に7台くらいあるが、自分と同様に車内で様子見をしている人もいるし、すでに出発しているらしい車、引き返す車もある。さて、このまま雨ならどうしよう。その時のために用意していた野峰周辺の地図を眺めていると、雨は上がり、青空が出てきた。早速、出発する。他の車からもハイカーが出て来て準備を始めている。雨が長引かずにラッキーだった。
 今日のコース、下りは1528m標高点経由の南東尾根にすることだけは決めていた。あれは4年前の5月10日のことだったが、塔の峰の山頂でみー猫さんと偶然に出会い、南東尾根を下った。ツツジがきれいだった記憶がある。去年の4月28日の丸石沢右岸尾根は時季が早過ぎたのか下で見ただけだった。実際はどんなものかは知らないから、確実な南東尾根を選んだ。ツツジを見ながらの登りよりも、見ながらの下りが良いに決まっている。
 問題は上りのコースだ。仁田元沢からドンピシャ尾根の手前か先の尾根を登ってみたいところだが、まだ沢水は冷たく多かろう。悩んだ末に選んだのが、庚申林道の丸石沢の出合いから真西に向かい1286m標高点に至る尾根だ。そのちょっと北側の小尾根は歩いたことがある。1286mの様子を見たくわざわざ下ったりした。ここはまだ歩いたことがないような気がする。ふみふみぃさんも瀑泉さんも歩かれていた記事の記憶はある。とにかく、庚申林道側からはあちこちから登っているので、そろそろネタ切れのところだ。

(まずはこれに迎えられる)


(丸石沢の橋)


(いつもなら右だが、今日は左に入る)


(なかなかの急斜面)


 林道ゲートの脇には雨上がりのせいか色鮮やかなヤマツツジが咲いていた。この先が楽しみだが、別に赤いヤマツツジが目的で来たわけではなく、上ではピンク、紫、白のツツジが咲き誇っていることを期待している。
 丸石沢の橋を渡ってすぐに取り付く。いつもなら、ここを右に登って、いわゆる丸石沢右岸尾根となるのだが、今日は左に向かう。いきなりの急な植林尾根になっている。ちょっと登っただけで息が上がったので早々にダブルストックにする。幾分楽になった。

(尾根伝いにアカが続く)


(アカをアップで)


(必然的に歩きが遅くなる)


 植林はすぐに終わり、ヤマツツジが左右の斜面に出てくる。赤いのが散らばって咲いている。地面にはピンクや紫の花がかなり落ちている。まだ新鮮なところからして、ここも数日来るのが遅かったか。赤も、近づくと、雨があたったせいかしおれ加減だが、左右に彩りを感じながら登って行くのは気分も良い。たまに息づいた感じの新鮮なのを見ては写真撮り。足は遅くなるが、手ごろな休憩タイムというかノロ足の都合のよい理由にはなる。こんな調子で登って行く。緑はもう新緑になっている。
 右側が開け、そうか、以前はあの尾根を登ったのかと納得。そちらに色づきはない。ここで紫だかピンク系のツツジが出てくるが、それきり。赤が依然として主流だが、そろそろまばらになってきて、どうもこれからといった感じになってきている。ここで、ちょっとしたコメントになるが、ツツジに関しては、明らかに紫の場合は問題ないが、これが薄いとピンクに近くなり、ピンクとすればいいのか紫と記せばよいのか迷うところがあり、正確な色彩表現に苦しむ。この記事でも、その場限りの主観表現だと見逃して欲しい。

(大岩が出現する。見た瞬間ドキッとした)


 こうしてのんびり歩いていると、標高1070m付近で、目の前に大きな大岩が通せんぼう状態で出現した。ちょっと手ごわそうだ。まずは巻きを考えたが、左右は急斜面だ。むしろ水を含んでズルっといくかもしれない。正面に出ると、登れなくもなさそうだ。直登するか。手足をかける段差はある。ストックを収納しようかと思ったが、そこまでするまでもなく、手首にストックのバンドを提げたままで難なく登りきれた。これもまたスパ地下の威力だろうか。

(ちょっと見えづらいが、中央右寄りに黄赤のプレートが写っている。この写真は尾根が急な様子を撮ったものだったのだが、この時点ではプレートに気づいていない)


 低い岩ゴロ地帯が続く。ピンクの花が集団で落ちているのを見かけると悲しくなる。これは一週間前の花だろうか。端が変色している。赤いのもそろそろまばら状態から消えかかってきた。これで気兼ねなく登れるなとほっとしていると、散発的に出てくるピンクがどうも邪魔になる。ここで、その時は気づかなかったが、後で尾根を振り返って撮った写真を見ると、黄赤のプレートが写っていた。下り方向側に向けて付けられていたようで、他にもあったのだろう。かつてはここも暗黙了解のルートになっていたのかもしれない。ピンクテープよりは自然に溶け込んでいる。ちなみに、この尾根でテープを見かけることはなかった。

(今度はムラサキになってきた)


(1286m標高点付近)


(シロを見かけた)


 紫の花が増え出し、また歩程が遅くなる。ただ近づけない。近づいたら幻滅してしまいそうだ。一回の接近でやめた。
 小高い1286m標高点の台地に到着。ここに来たのは3度目だ。南西の944m標高点から登って来たこともあるし、前述した、この尾根の北側尾根から登って、わざわざここまで下りて来たこともある。ここで休憩。色づきは殺風景で、ゆっくりできる。せいぜいひっそりと咲いた白いのが数株あるだけ。ここまで着てきた合羽の上を脱いで一服。雨はもう大丈夫だろう。青空も広くなっている。急斜面区間はここまで。あとは緩斜面になるが、塔の峰までは450mの標高差がある。

(光線の具合かピンクに近づきつつある)


(またアップ)


(塔の峰が見える)


 さて、この先、そのまま1456m三角点に向かうつもりでいたが、2年前に大石沢右岸尾根から派生した踏み跡を追いかけ、途中で打ち切ってしまった続きを歩いてみるという手もあるなと余計なことを思い出す。あの時は、先でこの尾根に合流しそのまま横切った。あやふやな踏み跡で、上から下ってきた踏み跡に出会ってほっとしたものだが、いずれその派生部分を確認しなきゃなとは思っていた。しかし、今日はツツジ見物が目的だしと踏み跡続行のプランを捨ててしまうと、踏み跡合流の鞍部すら気づかず、その先の派生部探しすら忘れてしまった。つまりは、再びピンクやら紫が賑やかになり、他のことを思い浮かべる頭の余裕はすでになくなっていた。今季にツツジ追いかけの歩きを続けていたらそういうことにもならなかったろう。その穴を埋めようと、しおれたツツジを見てもガツガツした状態になって冷静さを欠いていたということだ。

(次第に目ざわりになってきたりして)


(不細工なケルンを積む)


(右はお隣の尾根)


(変化はあるのだが、ちょっと退屈)


 やがて尾根は広い斜面になった。そして地味な登りが続く、自分にはこういうのがたまらなくつらい。そして、ちょっとした沢型を挟んで右手に別尾根が見える。いずれはここと合流する。そちらが自然林も少し密で日陰になって歩きやすそうだ。過去に誘惑にかられてそちらの尾根換えをしてみたことがある。最後はヤブで急だった。そのことを覚えていて今回はじっと我慢した。たまに振り返る。こんなところを歩くハイカーがいるわけがないのはわかってはいても振り返る。

 ここでいつもの余談。新しい職場で他部署の方も含めた昼食会をしたことがある。そこで「Mさんは山歩きが好きなんだって。M子さんも山、歩くんだよね」と紹介された。すると、その一回り以上は年下で、頭が良さげで冷たい感じの美人のM子さんは「私、道のあるところは歩かないから」とポツリとおっしゃった。周囲もいたので話はそれで終わりだが、どうも自分がGB隊所属のハイカーと思われたふしがある。それはそれで結構だが、いつか、彼女にどんなところを歩いているのか聞いてみたいと思っている。スリムな体形からして、岩や沢登りをしているかもしれない。だが、そういう場合は「私、岩登り専門だから」と答えるはず。「歩かないから」とは言わないものだ。そんな彼女とて、まさかこんなところは歩かないだろう。根本山の角力場を下から登るような無茶なことはするまい。ブスならともかく美人には似合わない。これってセクハラかいな。

(いつものこれを見て)


(1456m三角点)


 風景の色彩は緑と茶色になり、見かける花は地面に落ちたピンクだけといった状態になった。かろうじて取り残された花がポツンと枝に付いている程度だ。なだらかになって岩ゴロになる。そして、いつも気になる打ち付けられたブリキ板(ステンレス?)を見て三角点到着。
 1456mに至って、ツツジもここまでは終わりか終わりかけであることを知った。遠くから見てきれいでも、近づくとくたびれているのではお話にならない。それでいて、ツツジを見ては相当に撮っては時間を費やしていた。この上はいったいどうなっているのだろう。期待してよいものなのか…。それでいて、頭の中では、塔の峰山頂はツツジの楽園の風景を思い描いている。ピンク、赤、そして白がいっぱいだろうなと。あと300mだ。

(舟石新道を突っ切って塔の峰に向かう。色物は見えないが)


(この程度は目にした)


(何だか賑やかそうな気配だが)


(ちょっと寂しい)


(下は満開)


 すぐに日ヶ窪峠。舟石新道もかなり踏み跡が薄くなっている。やはり物好きな者の世界のままだ。だが、廃れて見失うことになったら困る。勝手ながら、この道だけは、物好きなハイカーには維持してもらいたい。
 ピンクをちらりと見ただけで低いササ原の登りになった。この辺はツツジがないところだと割り切れば、登りに専念できる。と思っていると、剥き出しになった地面にピンクの花が落ちて広がっていた。見上げると、花の付いた木はない。そんなところがいくつかあった。期待感はかなり色あせてきた。目的の一つが消えたか。
 ピンクの花を付けたのがちらほらと視界に入る。ヤブこぎしてまで見に行くような咲きっぷりではない。

 もうすでにあきらめていた。頭の中には山名板のメンテしかない。前に、よく確認せずに持参したニススプレーをかけたら白だったという、当人には笑えない苦い思い出がある。おかげで山名板を作り直した。今回は百均で買ったのとは違い、ホームセンターで買ったアサヒペンの「透明(クリア)」を持ってきている。これを吹きかけるだけのことだが、少なくとも時間を置いて2回は塗ろう。できれば3回。回数は山頂での滞在時間による。

(もしかしてこれで今日は終わりかなと思って)


(またアップで撮ったりした)


 そんなことを考えながらササヤブを漕いで行くと、何やら前方にピンクの集団が見えてきた。時計を見ると、1580mの標高が出ている。岩の周辺にはきれいなピンクが咲いていた。だが、ここは咲いている花よりも落ちている花びらの方が多い。それも新しいから今朝の雨かもしれない。やはりこういうことになってしまったようだ。暗い気分になった。

(また見掛け倒しにだまされるかも)


(近づくとどうも気配が違う)


(お祭り会場だった)


(完全に)


(足が止まった)


(しつこく)


(そして何度も名残惜しく振り返る)


 がっかりしながら登って行くと、次の岩の先がピンクが賑やかな雰囲気だ。期待をかけずに行くと、そこは本日のお祭り会場になっていた。地面にも大量に花が落ちてはいるが、まだまだ見頃に咲いている。あるいは今日が最終日かもしれない。
 ため息をつきながらお祭り会場をグルグルと回った。そして、できるだけ地面は見ないようにした。一昨日、唐沢山で余計な歩きをしていなければ昨日のこの時間にここにいた。その後の明け方に強い雨が降った。何とも悔やまれる。ここで見られたからまだ良いかと思いながらも、塔の峰の山頂での期待がふくらんだりしている。

(目の前はこうでは)


(つい振り返ってしまうんだよな)


 お祭り会場が過ぎると、また無色のササヤブになった。ツツジの木を見るとまだツボミ。というか、下に落ちた花がないからそう思っただけのことだが、風が強くて吹き抜けになってきていたから、単に飛ばされただけのことかもしれない。左右に展望が広がる。いつ来ても良い眺めだ。自己満足で、やはりオレ好きの山だなぁと思ったりする。

(地道な登り歩きになった)


(ヤブは深いが踏み跡だかシカ道が続いている)


(この辺になるともう色は完全に消えている)


 下り予定の南東尾根と合流する。あれっ、その先もまた色はない。目立つのはさっきのお祭り会場のピンクだけ。やはりダメか。ここで下りはいつもの丸石沢右岸尾根に変更しようかなと思ったりしたが、あそこの尾根、どうも下部の植林帯が気に入らない。結論出しはまだ先でいいか。

(そして塔の峰山頂に到着)


 塔の峰山頂に着いた。瞬時にがっかり。色とりどりの楽園ではなかった。遠くに赤とピンクが2株見えるだけ。あきらめた。

(お笑いネタになったスプレー)


(まぁ、今日のメンテは手ぬぐいで拭くだけでよいだろう)


 とにかくメンテを先にしよう。山名板を手ぬぐいでゴクロウサマと言いながら拭く。メンテは必要ないようだが、せっかく持参したスプレーニス缶を取り出してプッシュ。あれっ? 出ない。何度押してもニスは出ない。ダンマリのまま。詰まっているのかなと頭を外して針金を穴に通す。手の甲を舐めて頭に息を吹き込むと冷たい。つまり、空気は通っている。今度は、本体直結のノズル管が詰まっているのかもと針金を入れてゴシゴシ。何だか先が詰まっている気配がある。ペンチを使って、針金を強く押し込んでもストップがかかる。頭を入れてもう一度プッシュ。相変わらずうんともすんとも反応なし。前回は白を吹きかけ、今度はウンスンか。アサヒペンにだまされた。百均がマシだった。
 こんな作業を長々としていられない。というのも、山頂は寒く、音を立てた強風が流れている。ブルブルと震えて、身体を動かしていないととにかく冷え込む。どうせメンテの必要もないようだし、作業は終わりにする。手ぬぐいでワルイナ、後でまた来るよと言いながら拭く。このスプレー缶、家に帰ってから、もう一度針金で強く押して何とか通気状態にさせた。そしたら、今度はノズルどころか脇からもニスが噴き出し、着ているシャツにまで飛び散った。もう二度と使うまい。百均の小型の透明に戻ることにしよう。できれば3回塗りのつもりが0回で終わった。
 この顛末を妻に話すと、白スプレーの件を知っているだけに大笑いされた。

(改めて盟主様。敬意を表さないと)


 腹も空いていた。震えながら菓子パンとオニギリを食べる。それでいてタバコを吹かすことだけは省略しない。ストックを山頂に置いて、視界に入る2株のツツジだけでも見ておこうと下る。

(下に探索に行って見たツツジ。これだけかと思っていたら)


(なんとまぁ)


(下って来て良かった)


(まずは庚申様と盟主様を並べて)


(盟主様のみをバックにしてみたり)


(オロ様をバックにしてみたり)


(かなり密で賑やかだ。そして花も大きい)


(袈裟丸様も忘れてはならない)


(きりがないので山頂に戻りつつ)


(日光白根方面)


(ここもしつこく1)


(しつこく2)


(こちらは殺風景。ただの尾根だ。出したくはなかったが定番で)


(山頂にようやく戻った)


 実際は2株どころではなかった。上から窺えなかった庚申山に向かう尾根伝いに点々とピンクが続いていた。これからなのか判断に苦しむところだが、下に花は落ちてはいない。吹きさらしのことを考えれば、落ちた瞬間に飛ばされても不思議ではない。このまま庚申山まで行こうかなと思ったが、この先はうっそうとしていて、ピンクも赤も見えない。期待しての徒労の可能性もあるのでやめて山頂に引き返す。とはいっても、実は、ハイトスさん、みー猫さんと行った仁田元沢だが、その際、源頭から尾根に上がったところにちょっとした広場があり、その時は時節外れではあったが、あそこはツツジもきれいじゃないのかといった思いがあって、行ってみようかと迷ったが、結局は山頂にストックをそのまま置いていたので、それを都合の良い理由にして行かなかったというところもある。

(余韻を残しながらの下り)


(南東尾根。期待していたがこんなものだった)


(まさにポツリポツリだった。終わりだったのかなぁ)


 山頂に何やかやと45分もいた。とにかく寒かった。もはやこれまで。南東尾根のツツジに期待して下る。
 南東尾根、こちらもポツリポツリと咲いてはいたが、地面の方が見頃な状態になっていた。唯一の収穫はナゲさん花を見られたことだろうか。今が盛りのようだ。赤とピンクと白。

(たまにはいい感じも見かける)


(1528m標高点付近)


(一時的に色は消えた)


(ナゲさん1)


(ナゲさん2)


(これがピンクの最後か)


 ここの下りもまた少ないながらも時間をとられた。遠くに見えれば出向き、がっかりしては戻る。そして?となってどこの尾根を下っていたんだっけとなる。これを繰り返す。結果的に、この尾根にお祭り会場はなく、せいぜい、神社に続くロウソクが灯された石燈籠といった感じだ。むしろ、仁田元沢に落ちる斜面にピンクがやたらと目立っていた。ドンピシャ尾根の東西尾根のことを悔やんでも仕方がない。こうやって来て見なければわからないし、まして、もう少し前、そして雨が降らなかったら、あちこちで盆踊りをやっていたかもしれないのだし。

(ムラサキ種になってしまった)


(主流になった)


(岩場の下り)


(熊ノ平)


 岩場の前に出る。ここは何回か通ってはいるが、前回は、この岩場の通過は無理とあきらめ、右の沢型を下りてしまい、元の尾根に復帰できずに危うい尾根を通って林道に出た。今回は左側に下ってみようとしたが、何ということはない。特別に危険のないところを通って岩場を通過できた。
 熊ノ平に出た。もうフィニッシュ状態になっている。一応の儀式として残置スコップの確認のつもりでいたが、今回はどこにあったのか見つけられずで終わり。平らになったところで倒木に腰かけて休憩。ストックは収納し、手袋も外す。こちらの尾根、清掃が行き届き、テープ類を見かけたのは数か所。あれば安心と思えたので外すことはしなかった。同じ樹に2本も巻き付けてあったのは1本外した。悪しからず。

(舟石新道)


(今度はアカ種になった。当たり前だが往路とは逆になる)


(これが最後のプレートだと思うのだが)


(いきなりこんな塊を見て)


(林道に出た)


(何だか知らないが一応入れておく)


(瀑泉さん、ピンはこんな状態なのですが…)


 舟石新道を下る。ツツジはピンクが薄紫になり、ついには赤が主体になった。赤も群がって咲いているときれいだ。
 舟石新道の最後らしきプレートを見て作業道に入るとすぐに林道に出た。ここで休憩というわけにもいかず、先の鳥獣観察舎の東屋で休んだ。後は車道歩きだけ。今日は汗をかかなかった。一昨日の唐沢山の件があったから、手ぬぐいを2枚持参したが、一度も汗を拭うことはなかった。せいぜい、メガネを拭いただけだ。

(林道下りで)


(この擁壁の上はアカが連なって咲いていた)


(下斜面も賑やかだ)


(駐車場が見えてきた)


(象山は新緑の世界)


 道々でヤマツツジを眺めながら下る。右手の斜面にはかなり咲いている。今が見頃の時なのだろうか。
 駐車場に戻ると、出発時と同じ配列で8台置かれていた。ゲート前には4台。これは出がけには見ていない。途中、だれにも会わなかったから大方は庚申山方面なのだろうが、自分が出発してから7時間以上は経過している。ナンバーを見ると、ほとんどが東京方面からのようだ。明日も休みだし、庚申山荘に泊まって皇海山往復といったハイカーもいるのだろう。下りは、どうせなら、六林班峠経由で歩いていただきたい。踏み跡もかなりあやふやになっているところもあるし、あの道型だけは消えて欲しくない思いもある。
 新設なったかじか荘。見たのは今日初めてだ。館内の様子を見に入りたいところだが、汗もかかないのでは風呂には用事もない。まして、今朝は犬の散歩も省略していた。そのまま帰路に就いた。

 今回はツツジの拙い写真をやたらと自己満足で入れ込んでみたが、それなりの理由もあった。おそらくはまともに見る今季初で最後のツツジだろうと思ったからだ。赤いヤマツツジを追いかけるのはさほどに興味はない。見たかった見事なピンクのお祭りを、半端ながらもここで味わった。今季はツツジ見物とは縁遠い山歩きが続いたというか、山行の回数そのものが少なかった。だからというわけでもないが、自分には塔の峰のツツジを見たことでもう十分だ。
 引き続き、足尾や秩父の山歩きといきたいところだが、自分には似合わない山域で、ちょっと歩いてみたいところがある。それが済んだら、足尾や秩父の山も、彩りを気にせずに黙々と地地道に歩ける状態になっているだろう。むしろ、それが自分には見合った歩きかなと思ってもいる。

サルギ尾根で大岳山。ついでに御岳山と日の出山。

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◎2018年5月12日(土)

養沢神社先駐車地(6:20)……809m標高点付近(7:31~7:36)……高岩山(7:56~8:12)……展望台(8:40~8:44)……上高岩山(8:47)……芥場峠(8:58)……大岳山(9:39~9:57)……鍋割山(10:39~10:48)……奥の院(11:01~11:05)……武蔵御嶽神社(11:42~11:54)……日の出山(12:36~13:09)……林道合流(13:54~13:59)……駐車地(14:22)

 奥多摩は自分にはあまり似合わない山域だ。秩父側から奥多摩の山をかすめ歩くことはあるが、東京側から入ることは滅多にない。埼玉にでも都心寄りに住んでいる頃にはよく行った。結婚する前のことだ。群馬に引っこんだら億劫になった。静かな山を楽しみたくて歩いているのに、今さら、わざわざ人混みの山に行ってもしょうがないだろう。だから積極的には行かない、自分には似合わない山域ということになる。
 ただ、以前から、サルギ尾根だけは歩いてみたいと思っていた。昭文社マップでは今は実線ルートになっているが、以前は破線ルートで、登山口までは車でも行きやすく、歩くハイカーもあまりいないだろうと思っていたからなのだが、それもしばらく忘れていた。
 最近、浅田次郎の『神坐す山の物語』を文庫本で読んだ。浅田の母親の実家が御嶽神社の神官で、宿坊も営んでいたようで、その浅田本人の、行き来していた少年期の体験を元に書いた小説だ。ヘタな感想と筋書きは避けるが、その、舞台となっている御岳山の仙境の雰囲気を味わいたくなったというわけだ。余計なことだが、この本はお薦め。双葉文庫。
 御岳山はケーブルカーで行ける山といった程度のことしか知らない。ここでサルギ尾根のことを久しぶりに思い出した。新しいマップを買ったら実線になっていたことをここで知る。正直のところちょっとがっかりした。すでに一般ルートになっているようだ。
 それはともかく、サルギ尾根を使って大岳山に登り、それから御岳山に行く。余力があれば日の出山にも寄ってみようか。奥多摩の山の事情には疎い。大変かなとは思ったが、日の出山どころではない余裕になっていたら、七代の滝でも見て林道を下ることにする。
 ちなみに、後で知ったことだが、このサルギ尾根コース、かつては破線ルートだったため、それなりに厳しいコースかと思っていたが、吉備人出版の『奥多摩登山詳細図(東編)』には、あっさりと「一般向」と記されている。この『詳細図』、見開きの新聞紙面以上の大きさで携行にはかなり不便だ。昭文社マップだけで十分だったが、地形図以外に、念のため『詳細図』の御岳山周辺だけをコピーして持参した。

 駐車地にはネットで事前に調べていたので迷うことなく着いた。養沢神社手前で左の林道大岳線に入ってすぐの右。5~6台のスペースがある。車はなかった。ここまで養沢川に入る釣り人をかなり見かけていて、もしかすると空きスペースがないのではと心配していた。上流沢の釣り人もさることながら、整備して実線にはなっても、サルギ尾根を登るハイカーもあまりいないのだろう。

(養沢神社。右脇から入り、後ろの尾根を登る)


(すぐそこから植林帯になっている)


(杉の植林の中)


 車道に出て大岳橋を渡って神社に入る。今日は無事にと手を合わす。大正四年の創立だから、さほどに古くはない。神社見物は帰ってからにしよう。神社の脇に高岩山方面への標識があり、それに従う。その上には「上高岩山方面3km」の標識。何で「高岩山」ではなく「上高岩山」なのか不思議なところ。地形図には高岩山はあっても上高岩山の山名は記されていない。
 登り出しから急な尾根だった。見上げると、その先は杉の植林が続いている。早々に気が滅入る。植林の中を何も考えずにひたすらに登る。道はしっかりしていて標識もある。標識にはかじられたか砕かれたような跡が付いている。登山口にも注意看板が置かれていたが、クマの目撃情報があるようだ。クマを見ずともにこれを見ればいることはわかる。
 登りがずっと続く。少しは緩くなったが、途中からストックを一本、杖にして歩いている。景色もなく、ただ黙々と。

(大名子ノ頭)


 歩き出しから35分後にちょっとした平らなところに出た。山名板のようなのが高いところにあり、「大名子ノ頭656m」と書かれている。地形図にそんな標高点はない。この「子」とは「ネ」なのか「コ」なのか。帰ってから調べると「オオナコノアタマ」だそうだ。板は最近の設置のようで、杉の樹の3mほどの高さのところに針金で結わえてあるが、地元の方がハシゴを担いで設置したとしか考えられない。クマなら簡単に登って行けそうな気もするが。ここから尾根は西に向かい、歩行もかなり楽になった。汗もかいたので、途中でシャツ一枚になる。

(炭焼き窯跡)


(岩場が続く)


(標高809mピーク)


 登り返すと、岩がゴツゴツし出し、自然林が混じったりするが、主役はあくまでも杉だ。平らなところに、これもまた真新しい「炭焼き窯跡」の標識が置かれている。つい、石で築いた窯を想像するが、ここのは地面を掘って石積みにしている。別に炭焼き跡は珍しくも何ともないが、標識が置かれるくらいだから、東京の山中では珍しいのだろう。
 また急になった。今度は自然林と半々だ。地形図を見ると、809m手前から南側がガケ状になっている。そのためか、尖った岩がゴロゴロ出てくる。コースは最初はそれを避けて付けられているが、やがては吸収され、岩の間を登るようになる。危険はない。登りきると標高809m地点に着いた。

(左が御岳山、右が日の出山だろう)


(こんなのを見て)


 ここには木材を使ったベンチが置かれている。ここで休憩。少し展望が利き出し、北側に見える山は御岳山のようだ。ということは、その右に見えるのは日の出山ということになるのか。御岳山の山頂はなぜかチョボチョボとなっていて、何でああなのかちょっと不思議。人工的な刈り込みにも見える。あそこに御嶽神社があることはまだ知らない。
 杉の植林は消えた。同時に左の展望も利くようになった。大きなピークがいくつか目に入ってくる。大岳山は位置的に右端だろうか。だとすれば、樹の陰になって、良く見えない。

(馬頭刈尾根。大岳山は右端に見えるはずだが、ここからではまだすっきりしない)


(高岩山)


 尾根が少し細くなって、また岩ゴロ。周囲は新緑になって、咲き遅れのツツジがチラホラ目に入る。ようやく明るい気分の歩きになったなと思ったところで、南側が開けた高岩山に到着した。
 休憩して、菓子パンを食べ、初めての一服。ここまで出発から1時間35分か。足取りは重くはなかったから、20分ほどの貯金はできたろうと昭文社マップを見る。えっ、1時間20分?! ウソだろ。これじゃ15分借金になってしまう。ましてこの1時間20分とはGBタイムだろう。いくら何でも、そこまで焼きが回ってはいないつもりだ。念のため『詳細図』で確認する。やはりなぁ。2時間30分とあった。これはかかり過ぎのタイムだとは思うが、自分としてはこちらを標準タイムとして選びたい。しかし、同じところを歩いて、何でこう1時間10分も違うんだ? 昭文社は地元の足慣れた青年に歩かせたのだろう、が想定できる結論。

(ここで大岳山)


 自分都合に解釈し、落胆から気を転じてまだまだGに至ってはいないわぃと思うことにした。ここで、大岳山らしき姿の全容が見えた。左にコブが見えるけど、あれが山頂だろうか。その延長の左はずっとなだらかな尾根になっている。さっきまで見えていたいくつかのピークは馬頭刈尾根の延長にあるピークだったようだ。この尾根もいいが、あの尾根を歩くのもまた良さげだ。
 陽射しが強くなってきた。メガネをサングラスに変える。出がけに見たネットの天気予報では、この辺はずっと雲量が90%超えになっていた。だから、はなから大岳山からの富士山見は期待もしていない。青空も覗いている。これでは、もしかすると富士山を見られるかも。そんな淡い期待も生まれたが、元からこのサルギ尾根を歩いて大岳山に行くのははあくまでもついでだ。本望は御岳山にあったから、さほどに今日のところはというか、奥多摩からの富士山に期待はしないで来ている。

(サルギ尾根はここで左からの尾根に合流する)


(鉄骨の休憩舎)


 どんどん下る。これまでの苦労が水の泡かといった気分になった。70~80mほど下って鞍部。そして登り返し。これがまたつらい。プロトレックの高度標示を見ながら、高岩山の標高に戻り、さらにオーバーになってようやくほっとした。左からの尾根が合流して、それに乗る。南に922m標高点のある尾根だ。つまりは、正確にいえば、サルギ尾根はここで終了ということだろう。ここには直角になった標識があるだけで、922m方向は倒木で進路をふさいでいる。
 進路を北西に変えて登って行くと、目の前に赤い鉄骨が見えた。がっかりしたのは当然だ。回り込むと、神社かなと思っていたのは東屋のような休憩舎だった。むしろびっくりしたのは、反対の向こう側から歩いて来たオジサンとほぼ同時に着いたことだった。まして、ここまでだれとも会ってはいない。

(展望台から大岳山)


(都心方面。手前が御岳山と日の出山。視界が良い日は相模湾が見えるらしい)


 休憩舎は展望台だった。オジサンに声をかける。地元の方、つまりは東京人のようで、よくこちらにいらっしゃるようだ。こちらが反対側から来たから、すぐにサルギ尾根から登って来たとわかったらしい。サルギ尾根はきつかったでしょうと言われる。どちらからですか?と尋ねると、養沢神社のさらに先の林道から登って来たとのこと。地理には不案内なので詳しいことは聞かなかったが、後で地図を見ると、どうも林道御岳線の終点から七代の滝を経由して上高岩山に至る破線路があるから、そのルートなのかなと思ったりしている。
 せっかく休もうとしたのに、相方がいのでは、ついこちらは立ち話スタイルになる。オジサンはここの展望台がお好きなようで、ベンチに腰掛け、いつもならここからスカイツリーと相模湾が見える。今日はダメだなとおっしゃる。ということは、この板張りの屋根付きの展望台にテントを張って、東京の夜景を見ながら酒を飲むというのも一興か。この展望台の利用者は滅多にはいないだろう。贅沢な夜を過ごせるかもしれない。ついでに、見える範囲の山の名前を聞く、大岳山はやはりアレだった。これからどちらに? と伺うと、大岳山から御岳山を回ってお帰りとのこと。では、大岳山でまたお会いしましょうと言って別れたが、もう会うことはなかった。この間、オジサンの視線はこちらの足元にチラチラと向いていた。後で思うと何ということはない。こちらの足が地下タビだったからだ。

(ちょっと登って)


(上高岩山山頂)


 上高岩山はすぐそこだよとオジサンはおっしゃっていたが、確かに、すぐにロックガーデンの分岐標識10歩ほど先、ピークらしからぬ小高いところに上高岩山の山名板がひっそりとあった。

(上高岩山を下ると、標識がやたらと増えてくる。行き先は同じだが、経由が違っていたりで、その都度に地図を確認しないと遠回りになってしまう)


(芥場峠)


 ようやく大岳山のエリアに入ったようだ。先で尾根道と巻き道が分岐する。ここは余計な歩きはしない方が良いだろうと巻き道を選ぶが、尾根上を見ながら歩いても大した標高差があるわけでもないようで、すぐに先で合流した。
 ここまではまだ静かな山歩きだった。実際に会ったのは展望台で鉢合わせのオジサンだけだったし。だが、ここからが事情が変わってくる。オジサンに大岳山に行くのは初めてだと言うと、大岳山は人が多いよ。この時間ならまだ少ないけどとおっしゃっていた。間もなく、前方右手からハイキングコースが合流するところに5~6人のハイカーがたむろしている姿が見えた。マップを見ると、ここは綾広の滝方面からの道が合流するところだ。ということは、ここが芥場峠というところか。まだ9時前とはいっても、どうも、早いとこ大岳山に登って御岳山に行った方が賢明のようだ。後で調べると、ケーブルの始発は7時半。ちょうど、そんなタイミングだったのかもしれない。人出が多くなるのはこれからの時間帯だったようだ。ハイカーが上がって来た方向の標識には、「ロックガーデン 御岳山」とある。帰路はこちらを下ってもいいが、今のところ、この先から鍋割山に登ってみたい。

(明瞭な道が続いている)


(そして岩場の道)


(大岳山荘)


 鍋割山分岐を過ぎる。林道状ではないが、しっかりと踏み固められた道が続いている。何人かのハイカーを抜く。クネクネ道になっている。どうも、このハイキングコースは岩場状の尾根を巻きながら山頂に至る道になっているようだ。岩場が出てくる。クサリも現れる。つかむほどのレベルではない。やがて岩の間を通るようになる。もう下って来るハイカーも数人。岩が消えると、左手に山小屋が見えてくる。あれが休業中の大岳山荘のようだ。

(大岳神社)


(ずっと巻き道状になっている)


(岩場を上から見下ろす。実際はそれほどでもない)


(終わりかけのツツジ)


(大岳山山頂はそこだ)


 杉の巨木が目立つようになって、右手に鳥居。奥には人の気のない神社。大岳神社か。ここは昼のうちはよいが、夜に一人で歩くには恐い感じになるだろう。後で思うに、『神坐す山の物語』の風景は、御岳山よりもこちらのイメージの方が似合っている感じがする。
 再び現れた岩の道を登って行く。そろそろ疲れたなと思っているところで大岳山の山頂に出た。ハイカーの姿は6~7人か。まだ空いている。すぐに目についたのは富士山の姿だった。期待していなかっただけに正直うれしかった。サルギ尾根登りへのご褒美といったところだろうか。山梨あたりから見る富士山に比べると一回り小さく、従える山並みの景色もさほどのものではないが、満足して、あちこちから写真を撮る。

(大岳山山頂)


(山頂から富士山)


(少しアップで。雪の部分が大分少なくなった)


(ハイカーが増えてくる)


 富士山に無心状態になっていたら、知らぬ間にハイカーは増え、10人以上になっていた。石に腰かけてチョコレートを食べ、離れたところに行って一服する。ここからの風景、南側は開けているが都心方向の東側は木立でふさがれている。その点がちょっと残念だ。

(大岳神社の狛犬。まさにコマ犬といった感じだ。ハイトスさんのレポではウリ坊と犬を足して2で割った感じと記されている)


(戻った分岐を鍋割山に向かう)


(鍋割山山頂。何もなし)


 ハイカーも増えてきたのでそろそろ下山する。グッドタイミングで山頂に滞在できた。途中、大岳神社を見物。説明板もなくそっけない神社だが、狛犬が特徴的だった。これはオオカミだろう。ここもまた御嶽神社同様に「おいぬさま」信仰なのかもしれない。
 コンニチワの繰り返しになってきた。大方は愛想も良いが、無辺も数人いる。分岐から鍋割山に向かうと、ハイカーは一気に少なくなり、さらにその先の分岐からはだれにも会わずに鍋割山に到着。標識があるだけの、ヒノキの植林の中の山頂。ここで休憩して一服。だれもいないからタバコも気兼ねなく吸える。
 次第に位置関係がややこしくなって、地図を見てもどこを辿れば御岳山に行けるのかよくわからない。標識は、この先、「奥ノ院・御岳山(長尾平)」となっている。地図を見る限りは、どこを歩いても御嶽神社には行けるようだが、御嶽神社=御岳山なのか? とにかく、目先らしい奥ノ院を目指そう。

(ここが奥ノ院かと思ったが、正確には奥ノ院上のピーク)


(奥ノ院)


(途中で。チョボチョボの御岳山はすぐそこだ。ここからだと見下ろす形になる)


 各方面からいろいろな道が交差する。その都度に標識はあるが、奥ノ院だけを追う。歩くハイカーは少ない。ここもまた岩ゴロ地帯を登って行くと、石祠があるだけの山頂に着いた。オバチャンが二人休んでいる。この先の標識はあったが、標識のない方向に下る道もあり、オバチャンに「この道は先でそっちに下る道と合流するのですか?」と聞くと、キョトンとしている。どうも「合流」の意味がおわかりでないらしく、言葉を変えて「合わさるのですか?」と聞くと、そうだとのこと。だったら、わざわざ標識のない道に入ることもないので、標識に合わせて下ると、すぐに神社。これが奥ノ院ということらしい。建て替えの神社で、たいした感慨はない。

(太い杉が続く)


(天狗の腰掛け杉)


(食い物か飲み物を買い求める行列)


 御岳山方面の標識に合わせて下る。太い杉の樹が連なってくる。樹にはそれぞれに番号札が打ち付けられている。
 鳥居が見えた。そして巨木を撮影しているハイカーが多数。何かと思ったら、「天狗の腰掛け杉」とあった。静けさを選ぶことができたこの辺りまではまだよかった。
 そろそろ自分が場違いな所に迷い込んでいる気分になってきた。道を歩いて行くと、店先に列ができている。甘酒の幟が出ているが名物なのだろう。どこを歩いても、人、人、人。さらにやたらと犬連れが目に付く。山の中にいる気がまったくしないし、仙境の雰囲気からは程遠い。地下足袋スタイルで歩いている自分はかなり異色の存在のようだ。さりとて、周りは自分のことに夢中で、他人を見ているような人はいない。学生時代、東京で一人暮らしをして覚えた都会の孤独。それがここに蘇ると記したら大げさか。逃げ出したくなったが、御嶽神社だけでも見ておきたい。

(ここを上がればよかったのに、前のハイカーにくっついて右に行くと)


(石段を登ることになった)


 道を間違え、遠回りして御嶽神社に出た。ここはむしろハイカーは少なく、行楽客が圧倒している。犬連れが多く、中にはチワワを抱いて神社に詣でる姿も見てしまう。おいぬさまのご利益があるのだろうが、ケーブルカーは犬同乗も可能なのだろうか。中国語の大声も聞こえる。喧噪の世界だ。ここの神社も古さは感じない。東京を眼下に眺めるが、雲が大分増えてきて、視界は悪い。せいぜい八王子までくらいの視界だろう。

(御嶽神社)


(獅子のような)


(このでかい犬、ケーブルに乗せてきたのだろうか。こんな犬を飼える東京人は暮らしが豊かな家だと思うよ)


(ではオサラバ)


(まるで里の門前のようだ)


(これで浅田次郎の世界を夢想するには無理がある)


(チョボチョボを振り返る)


 ささっとお参りを済ませ、喫煙所に行って、石に腰かける。これで今日の用事は済んだ。御岳山とはこういう山だったのか。『神坐す山の物語』の世界とはえらく違うものだ。地元の金山に登って新田神社にお参りしている方が、自分にはまだ見合っている。
 日の出山に逃げることにする。神代檜を見て、売店通りを抜ける。呼び込みに声をかけられる。つい、その匂いからしてソバでも食べたくなったが、ここはこらえる。きっと後悔する。

(日の出山に向かう)


(こちらにも鳥居が)


 騒音からようやく抜けたが、何だこの道は。山道とは思えない。軽トラなら通れるくらいの幅があって、地面は平らになっている。御岳山の延長だからこんなものだろう。それでも、視界に入るハイカーはさほどではない。さっきまでの御岳山を思えば、静かな山だ。
 鳥居が見えた。御嶽神社の鳥居だろうと思ったら、やはりそうだった。つまり、御嶽神社は出雲大社同様に、神々が集まるところであり、鳥居もまた、四方八方に置かれるものなのだろう。古来の信仰の道も、あちこちから御嶽神社につながっているということだ。
 関東ふれあい道の標識があった。「日の出山0.8km 上養沢バス停4.1km」とある。その先にはまた上養沢バス停、金比羅山への巻き道ルートの分岐標識。自分は上養沢バス停を目指せばいいのだが、ここまで来たなら、日の出山に行く。

(階段を登っていくと)


(シャクナゲや)


(ツツジを見てというか、前のハイカーに追いつきそうになったので時間つぶし)


 階段を登って行くと岩ゴロになった。青梅市と日の出町の境の標識を過ぎる。ハイカーの姿はまばらだ。シャクナゲやら、よく知らない花が咲き誇っているのを右に見る。風景は、登っているのに、山から下りて、里を歩いている感じになった。嫌な予感がした。

(日の出山に到着)


 石段を登って着いた日の出山の山頂はハイカーで賑やかだった。ざっと50人はいる。さすがに犬はいない。東屋の中には座れるスペースがない。日の出山というのは、そんなに人気の山だったのか。知らなかった。桐生でいえば吾妻山、太田の金山といったところか。安心してタバコを吸えるようなところはないし、煙が立っているのも見えない。

(都心方面は雲の量が多くなって、八王子すら見えていないかも)


 御岳山よりはまだマシと、山頂を回って、景色を眺める。展望盤も置かれているくらいだから、眺望は良い。都心は相変わらず見えない。御岳山の方を眺める。ここからも山頂がチョボチョボに見える。目を凝らすと、チョボチョボの下に神社の屋根が見えた。やはり、御嶽神社=御岳山だったのか。奥多摩の山は一望のようだが、こちらに知識はない。まして富士山が見えるところでもない。おにぎりを食べてここも早々に退散か。石に腰かける。

(まぁ、こんな状態で)


(東屋の方はこれだ。都民の山といった感じ)


 あれは何山かしら? 隣で女性の声がした。それに応える声はしない。ふと見ると、オバチャンの一人歩きだった。あっちは丹沢の方ですよ。そして、地図を広げ、展望盤まで行って確認して、あの山は生藤山ですねと教える。一人者どうし、何だか、いろいろと話をした。オバチャンは二俣尾駅から歩いて来たそうだ。自分が歩いて来たコースを地図で説明した。地下タビに興味を持ったようなので、裏を見せもした。
 オバチャンはつるつる温泉に寄って、五日市駅に出たいとおっしゃる。その時は、ここからつるつる温泉に下るコースがあるのも、別路線のバスが通っているのも知らなかった。だから、上養沢バス停まで下りて、後はバスで行くしかないと思いますよ。ただ、バスはそんなに本数はないでしょうねと答える。つるつる温泉は、来る途中で見た看板で知ってはいた。携帯でバス時刻を調べようとしたが、微妙な位置でネットは受信できない。オバチャンのご要望に合わせると、つまりは、一緒に下って、つるつる温泉に送って行くことになる。それをやったら微妙な立場になる。最後は、オレもつるつる温泉に入って、五日市駅まで送る形にならないか。これは気の回し過ぎというものだが、思考はそこまで飛躍した。それは避けねばと、「御岳山に行って、ケーブルを使って御嶽駅に出た方が無難じゃないですか」と促した。「その方がいいかもね」とオバチャン。
 オバチャンと別れて、上養沢バス停の標識に従って下ろうとしたら、すぐ上に「金比羅尾根・つるつる温泉」の記載があった。この先で分岐するようだ。こりゃまずいと振り返ると、すでにオバチャンの姿はなかった。知りもしないで余計なことを言ってしまった。だが、あのオバチャン、日の出山はよくダンナさんと来ていたとのことだったから、知っていて知らぬふりをしていたのなら、こちらが内心笑われていたということになる。

(日の出山からの下りで)


(手前から御岳山、奥ノ院ピーク、大岳山、馬頭刈尾根だろう)


(ここは横の行列でも歩けそうだ。ちなみに「関東ふれあい道」)


 やけに道幅が広い階段を下って行く。「三室山3.3km・二俣尾駅6.3km」の分岐標識が現れた。マップを見る。アタゴ尾根とある。さっきのオバチャンはここを登って来たのか。ということは、山頂下でつるつる温泉の標識も目にしていたわけだ。だからつるつる温泉に寄ってと言ったのか。自分の一人相撲にあきれてしまった。

(こちらも分岐だらけ)


(あれは、金比羅尾根の麻生山だろうか。この先で上養沢分岐になる。しかし、電信柱があるんだよねぇ)


 この先でつるつる温泉道は本道になり、上養沢バス停に下る道が分岐する。その先にも分岐があった。やたらとハイキングコースが入り交っている。地理に不案内で地図を持っていても役立たず。標識に注意しないとおかしなところに出てしまいそうだ。最後の分岐の本道は金比羅尾根コースだった。また、ここからでも御岳山への直通ルートがあるようだ。標識に書かれた「白岩の滝」が気になった。ここまで来ると、いずれのコースも静かな山道風情になっている。

(これでも、ここまでの道に比べたら細い)


(上養沢バス停への下り)


(こんなところの歩きだ。必然的に沢が出てくる)


(そして、鳥も寄りつかない感じの巣箱)


 最終的に上養沢バス停に下る道は、普通の貧相な登山道になった。もうハイカーの姿は消えた。杉の植林帯をどんどん下る。そして定番で沢が出てくる。こんなところの水の付いた平たい石はスパ地下では結構滑るんだよな。注意しないとなと思っていた矢先で滑って尻もちをつく。
 ほぼなだらかになったところに手書きの古い案内板がある。ここには養沢鍾乳洞というのがあるらしく、現在閉鎖中とのこと。マップを見ると、他に大岳鍾乳洞というのが記載され、養沢鍾乳洞は「養沢鍾乳洞跡」となっている。
 植林がまだ続いている。たまにベンチを目にする。これに腰掛けたら尻が汚れそうだ。そして、巣箱があちこちに置かれてある。この道は以前ははやったのだろう。今は歩く人はさほどにいないようだ。ここまで木の橋をいくつか見かけていたが、それがコンクリートの橋になり、上に車が見えた。林道に出たようだ。

(林道に出る)


(林道歩き。車がすれ違えないような狭いところはなかった)


 この林道、先は「七代の滝」の標識がある。やはり、展望台のオジサンはここかこの先に車を置いて歩いたのだろう。車は3台ある。石に腰掛けてタバコを吸っていると、人の気配がする。車に戻ってきた釣り人だった。あきるの市役所からの手書きの連絡書が貼られている。山の栗が不作で、クマが里に下りて来るかもしれませんとある。

(弘化年号の石碑)


 さて、もう帰るか。林道を下る。この林道、舗装されていて、スパ地下の足には痛い。端の木クズや葉の堆積したところを歩く。車がやって来ては戻っていく。「御嶽道」と記された石碑があった。弘化四年物。幕末に近いか。この御嶽道、下ってきた道ではなく、おそらく七代の滝経由で御岳山に出るのだろう。

(行けない神社跡。手前に柵と川がある。橋はない。お札が道路沿いに置かれていた)


(サルギ尾根)


 地図を見ると、川を挟んだ左側に鳥居マークがあったので、その神社に立ち寄るつもりでいたが、川を渡る術がなく、そこには石灯籠が数基置かれているのが見えただけだった。
 里に入った。ふれあい道の案内板と上養沢のバス停があった。日の出山から今下って来た道は「杉の木陰の道」というらしい。御嶽神社から表参道を下って御嶽駅に出るコースのようだ。あの神社に集まる人たちを見る限り、わざわざ表参道を歩く人は少ないのではないか。
 バス時刻を見た。ここは始発だ。東京では田舎の地ではあっても、五日市駅行きが一日9便もあった。余計なこととは思ったが、ネットで調べるとつるつる温泉からだと16便だ。この時間だと、40分も待てばバスに乗れる。養沢神社の探索でもしていれば時間つぶしにもなる。オバチャンのことで取り越し苦労をするまでもなかった。

(道々で1)


(道々で2)


(養沢神社の鳥居)


(龍だろうな)


 道沿いには石仏やら石碑。これも信仰の道の遺物だろう。養沢神社を改めて見物する。特別な神社でもないようだが、普通の狛犬とは別につがいの龍の置物がある。これは珍しい。後で知ったことだが、「養沢」の地名は、日本武尊が東征の際、この地で静養し、病が癒されたことに拠るらしい。これと龍の像がどう関係するのかはわからない。

(ちんまりのかわいい感じのトイレットだったが…)


(駐車地)


 神社前に見た目はかわいいトイレがあった。入ってみたが使わずにすぐに出た。獰猛な臭いがするペーパーもない地獄溜め便所だった。
 駐車地に戻った。他に車はなく、増減は朝のまま。ここは木陰になっていて涼しいが、ちょっと湿っぽいところだ。汗もかいた。つるつる温泉にでも寄りたいところだが、下着を替えたらその気もなくなり、あの日の出山の混雑では風呂屋も混んでいるだろうと、体の良い理由ができたことを喜んだ。

 サルギ尾根はともかく、大岳山から御岳山(御嶽神社)を経由して日の出山まで歩くのは実際にはさほどのものではなかった。むしろ、肝心の御岳山と日の出山は行かずとも良かったかな、自分が来る山ではなかったようだといった軽い残念な思いもある。そんなことも、自分の足で歩いてみないことにはわからない。登る以前の批判、講評は無責任だと思っている。だが、大岳山はともかく、神々しさのかけらも感じなかった御岳山には二度と行くことはあるまい。そして、浅田次郎の書いた御岳山の世界は昭和三十年代前半期のことで、求めた雰囲気は人混みの中で歩く限りはすでにないといったところだろう。まぁ、くどくど言わずに、自分には似合わない山だったが、良い経験をしたということにしておこう。
 だからといって御岳山を一概に奥多摩の代表の山にして批判するわけにもいかない。御岳山と日の出山がたまたまそうだったということで、他の山々もまた、コース取り次第では静かな探索もできるだろう。次に歩く時には、そういった面から歩いてみたいと思っている。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

地元にもこんなところがあったとは…。

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◎2018年5月27日(日)

 先日、車で通りがかりにふと一面が赤い花に埋もれているのを目にした。どうもポピーらしい。大方、花好きな農家の方が、休耕田か畑にでも植えたのだろう。
 ずっと気になっていたので、朝早く出かけてみた。やはりポピーだった。今盛りらしい皆野町の<天空のポピー園>には比べようもないだろうが、混んでいるポピー園に出費と時間をかけてまで行くほどの花好きでもない。自分にはこれで十分だ。
 ここの存在はあまり知られていないらしく、朝早い時間帯でもあったためか、散歩中のご夫婦が眺めているだけだった。
 地元の芝桜には失望していただけに、整備はされてはいないが、自然のままに植えられ、良い目の保養になったし、楽しませていただいた。

(こんな感じのポピー畑)


(金山をバックにして)


(こちらは警察署と消防署)


(こんな花も入り込んでいた)


(十分に楽しめた)


 今日はクリーン作戦で、帰ってから町内の清掃。隣組の組長ではさぼるわけにもいかない。朝食後、イオンシネマに出かけて『蚤とり侍』を観てきた。それなりに面白かった。夕方には嫌な仕事関係の会合に呼ばれている。
 昨日はちょっときつい山歩きをしたせいか、どうも全身が痛い。好きなことをやっているうちは痛みも感じないが、その会合を思い出すと、けだるさと痛みで身体も気分も重くなってしまう。

(秩父)大平山の北尾根は他とはちょっと勝手が違う尾根だった。

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◎2018年5月26日(土)

駐車地(6:07)……ネイチャーランド(6:17)……大久保林道(6:30)……林道終点・バイク置場(6:42)……作業小屋上(7:09)……725m休憩(7:23~7:32)……廃作業小屋(7:49)……つぶれた作業小屋(7:53)……810m国有林看板(7:55)……730m沢に出る(8:02)……720m北尾根取り付き(8:08)……900m休憩(8:41~8:50)……1160m休憩(9:31~9:38)……1350m休憩(10:12~10:21)……1580m一般コース合流(11:05)……1603m大平山(11:08~11:39)……大クビレ(11:46)……1480m林道に出る(11:52)……1270m林道終点(12:54~13:10)……800mつぶれた作業小屋(13:56~14:12)……作業小屋(14:37~14:44)……休憩(14:51~14:58)……550m林道終点(15:17)……430m駐車地(15:45)
※都合9時間38分となるが、うち、休憩に1時間28分費やし、さらに無数の立ち休みが加わっている。山中で吸ったタバコは計8本。結構なストレス歩きになった。

 大平山の北尾根。先行予約だけ入れておいて、いつまで経ってもグズグズして歩かないのでは、同じく北尾根に興味を持つHIDEJIさんとふみふみぃさんに対して失礼だろう。そろそろ重い腰を上げようか。実のところ、挙手はしたものの、まったく自信がないのが本当のところで、前日に改めて十津川村さんの『秩父藪尾根単独行』を読むと(ここでは「フキアゲ沢左岸の尾根」としてあるが)、取り付きは「えげつないほどの急斜面だ」と記されていた。読まなきゃよかった。実はこの北尾根、いつかはと思いつつ10年経過になっていた。そういえば、ハイトスさんも北尾根を歩いてみたいとおっしゃっていたなぁ。
 気負ったせいか、4時起床のつもりが2時半に目が覚め、睡眠時間は3時間。それきり寝られずの睡眠不足。これでは前夜の酒も抜け切らず、歯磨きしても酒臭い。体調はすこぶる悪い状態で4時半前に家を出る。すぐにコンビニに寄ってコーヒーを飲み、幾分、気分的には目覚めたが、今度は下り調の腹具合が追い打ちをかけてくる。途中の道の駅に2回寄る。運転しながら、引き返しの言い訳を考えたりもしたが、手ごろな理由はボーっとした頭には思い浮かばない。皆野の「天空のポピー園」でごまかそうかとまで考えた。それでいて、今日は、北尾根から大平山に出たら、帰路のルートは赤岩ノ頭の先から北東尾根(『藪紀行』では「東尾根」)を下ってみようか、なんて調子の良いことを思ったりもしている。

 いつもなら閉じているネイチャーランド方面のゲートが開いていた。これはラッキーだ。ゲートから歩くのでは地味な上りが続き、相応にムダな労力になる。さらに渡った橋(大久保橋?)の先の路肩に駐車し準備をする。今日は水を2リットルも持ったから普段よりも荷が重く感じる。ついでだが、瀑泉さんの熊除けスプレー。物欲の塊の自分は早速、アマゾンから入手し、いつでも噴射できる態勢にと、ヒモを付けてシャツにフックし、ボタンの隙間から腹に入れた。遭ったら恐いが、早速に試してみたい思いはある。これまでのスプレーでは、ザックから取り出す手続きをしている間に一撃、二撃されて亡き者になっている。今日はクマさん、来い、来いに近い感覚だ。

(何も考えずにネイチャーランドの方に向かって歩いている)


(早速やらかした)


(正解はあちら)


(荻の久保トンネルの出口前に出ることになった)


 何も考えずにゲートを越えてネイチャーランドの方に向かう。頭の中には、初めての歩きでもないのに、なぜかその先に大久保林道の分岐があると思い込んでいる。下って行くわりには右手に大久保林道の分岐は出てこない。右手を見上げると、高いところにガードレールが見える。はて? と思っているうちに、いつもなら見下ろすはずのネイチャーランドの建屋が目線の前というか、ちょっと高いところに見えている。早速、やらかしてしまった。
 このまま戻るつもりはない。適当に斜面を這い上がる。斜面工事をしたところなのでかなり足場は悪くやっかいだ。上はヤブだった。80mは登ったろうか。荻の久保トンネルの出口前に出た。駐車地から上に行かねばならなかったところをネイチャーランドに下ってしまった。この初っ端の80m上がりはかなり効いた。早速、ゼイゼイしている。芳しくない体調にさらに輪がかかった。これでは、北尾根の途中撤退もありだろう。何せ急斜面続きのようだし、それ以前に、果たして破線路終点から尾根取り付きまですんなり下って行けるのかがずっと気になっている。

(林道は部分的に崩れている)


(バイク小屋。定番写真)


(ワンコにうろんな顔を向けられた)


 林道終点の先にあるバイク小屋。以前見た時は戸が開いていたが、今日はゴムバンドで締めている。興味本位に外して覗くと、現役のバイクが2台ある。70ccも導入したようだ。戸を閉めて先に行こうとすると、何やら黒い塊がいる。ワンコだった。ロープにつながれ、ピクリともしない。死んでんのかなとじっと見ていると、目を開けてうるさそうに顔をこちらに向けた。立ち上がりはしなかったが、このワンコ、自分のウンチを枕にして寝ている。しかし、飼い主も飼い主だ。それなりの理由があってここに置いているのだろうが、エサと水は毎日運んでいるのだろうか。水だけはあるが、エサ入れの容器は空っぽになっている。犬飼いとしては気にもなる。犬にかまけてもいられないので先を急ぐ。この破線路作業道、途中までは歩いたことはあるが、地図上の終点まで行ったことはない。

(しばらくは整地された道になっている)


(ここを歩く方は必ず写真に入れる作業小屋)


 作業小屋のあるところまでは良かった。バイクが走っているだけに整地もされている。問題はその先で、石がゴロゴロして、地下タビの足には、往路はさほどに感じなかったが、帰路がえらく苦痛だった。ここの作業小屋エリアで確認しておきたいことがあった。どうせ戻ってここを通ることになる。その時でいいだろう。ネイチャーランドで余計な体力を使ったから、しばらくは余計なことはせずに体力を温存させないといけない。時間ももったいない。

(この雰囲気が秩父らしくて何とも好きだ)


(沢沿いもある)


(かなり細くなってきた)


 道は次第に細くなっていく。バイクを転がすのも無理そうなところもあるが、作業道としては立派な部類で、橋も架かっていて、崩壊の所はない。石垣や機械の残骸を見ては、ここで大規模な治山事業が行われていたことが窺い知れる。うっかりして、帰路で下る予定の赤岩ノ頭北側からの北東尾根の末端を確認することを忘れてしまった。まぁ、成り行きで下れるだろう。

(マツマラ沢左岸尾根)


 歩き出しから1時間15分経過。そろそろ休憩タイムか。平たい石に腰かけて一服。ついでにウィダーインを一つ。ここまで単調な歩きが続いているが、高度計を見ると林道終点(逆向きだと始点になるか)から175mの標高差になっている。地味な登りになっていたわけだ。風景に変化はない。植林の中に長い作業道が続いているだけの景色。歩いたことのある作業道区間は作業小屋のこちら寄りですでに終わっている。今日は今のところどんよりした天気になっているが、このままの状態が続いて欲しい。北尾根とはいっても、上から陽を浴びるのは避けられまい。これに微風でもあれば助かるが、風はなく、すでに汗もかいている。
 歩き続行。周囲がヒノキの植林だらけで視界はないが、ちらりと左の視界が覗いた。尾根が正面に見える。あれはふみふみぃさんが3月に歩いた(とはいっても途中からの合流だったらしいが)マツマラ沢の左岸尾根だろうか。ここから見る限りはかなりな高度の登り上げの感がある。

(崩れてはいるが際どいところではない)


(こんなのが転がっていた)


(廃作業小屋)


 作業道は次第に荒れてきた。滑車のような残骸を目にして廃作業小屋が現れた。ここは「奥の小屋」と呼ばれているらしいが、中はかなり荒れている。バイクが放置され、ヘルメットも転がり、汚れた布団も外にはみ出している。足の踏み場もない荒廃ぶりだ。周囲には無数のビンやドラム缶が転がっている。なぜかUHFのアンテナがあるから、電気は通っていたのだろう。ここで、事前にしっかりと仮面林道ライダーさんの記事を確認しておけばよかったが、後の祭りで、向かいの尾根上に石祠があったらしい。これは見逃した。
 余談だが、自分の母方の祖父の話。営林署に勤めていて、こういう作業小屋に寝泊まりする日々が続く山仕事をしていたらしい。夜はランプの下でもっぱら酒を飲んで過ごすしかなく、結局は肝臓を壊し55歳で亡くなった。今でいえば65歳くらいの感じだろうか。だから、こういった廃作業小屋の周辺で一升瓶を大量に見ると、祖父のことをつい思い出してしまう。小学生になる前に手をつないで魚釣りに行ったことだけが記憶に残っている。芦田伸介そっくりの祖父だった。

(そしてつぶれた作業小屋。地図上の破線路はここまで)


(部分的にこうなる)


 道はさらに荒れ、ほどなくしてつぶれた作業小屋に着いた。地図上の破線路はここで終わっているが、沢を挟んで、この先は「道」から「踏み跡」になっている。このつぶれた作業小屋、石垣の上に屋根だけが残っているから、探索をする状況にはない。周囲にゴミが少ない分、勝手な想像だが、それほどの期間使われてはいなかったようだ。
 実は、帰り道、この付近でかなり往生することになる。これもまた後で知った仮面林道ライダーさんの記事によるが、ライダー氏はこの先の看板から尾根に登って天目山林道終点に問題なく向かっている。自分はその逆コースで下ったのだが、尾根末端近くですんなりとはいかず、あらぬところを下ってしまい、最後はこのつぶれた作業小屋の屋根を見て命拾いをしたかのようにほっとすることになる。事前にこれを拝見していたら、右往左往することもなかったろう。

(国有林看板)


(この先、またしっかりした道に復活した)


 大久保谷に下るのは国有林看板の裏手からということはネット記事で知っていた。沢を渉ると、踏み跡は元のようなしっかりしたものになり、ここに件の看板があった。しつこいが、帰路の下りでここに出て来るのが正解だったわけだ。作業道に復帰した道はさらに続いている。いつかは探索してみたいもの。さて問題は、ここからの大久保谷への下りだ。こちらは左・沢側への下りになる。北尾根の起点にどうやって行けるのか、すっきりしないままでいる。

(テープを追いかけて小尾根を下る)


(沢に出る)


 看板の裏は小尾根状になっていて、何ということはない、テープとマークがあった。小尾根が消えると、地形は読み取れなくなるが、テープが導いてくれる。右下に沢が見えてくる。まずは沢までは出ないといけない。ところで、ここ、下りだからテープを追えるが、上りで使ったら、テープの間隔もあって、ヘタをすればうまく上の作業道に出られない可能性がある。まして80mほどの標高差もある。実は、北尾根の上り使用はきつかろうと、ちゃっかりと赤岩ノ頭北東尾根を上りで、北尾根を下りでと思ったりもしたが、自分なら、冷静にテープを見つけて登らないと、えらい目に遭うかもしれない。

(あれが北尾根らしい)


 さて、沢に出たはいいが、どうもここは沢の合流部になっているようで、目の前の立ち塞ぎの岩の左すぐの下流部で合流している。その合流する沢がフキアゲ沢なのだろう。その間にもろい感じの乗っ越しがあって、それが右上まで続いている。ということは、目の前の沢は大久保谷の本流で、間の、岩場状になっているのが北尾根の末端部ということらしい。それ以外に考えようがない。いよいよかと緊張する。しかし、ここまで2時間かけて今日の第一目的の取り付きに到達とはちと長い。もっとも、足尾あたりなら、皇海山の南尾根の取り付きにしても、少なくとも歩き出しから2時間半から3時間はかかるか。
 本流は簡単に渉れそうだったが、慎重になり過ぎてジャンプをしなかったばかりに左足を水没させてしまった。地下タビの本体は布だ。事前に防水スプレーをかけてはいたが、裏のコハゼの合間から水が入り込んでいた。そんなことを気にかけているわけにはいかない。先ずは目先のもろい斜面に上がらねば。

(フキアゲ沢)


(尾根に乗る。「急斜面」感覚が伝わらないのは残念だ)


 とにかく沢沿いの斜面は滑る。少しばかり腕力を使って尾根上に乗った。左下をフキアゲ沢が勢いよく流れている。
 尾根を見上げる。こりゃダメだと思った。確かに「えげつないほどの急斜面」になっている。ストックなしではきつい。ザックからストックをダブルで出す。尾根は思っていた感じとは違っていた。急斜面=植林帯といった感覚がいつもあり、ここもまた薄暗い植林尾根とばかりに思い込んでいたが、自然林がずっと続いている。これから900mほどの登りか。地図の等高線を見る限り緩んでいるところは山頂付近しかない。うんざりする。

(これならいくらか急に見えるか)


(見下ろして。これがヤセ尾根だったら危険の一言だろう)


 この尾根、作業人がかなり入り込んでいる(いた?)。赤ペンキ、赤い見出標プレート、そして何の意味か知らぬが石標が続いている。それなりの安心感はあるが、この急登はストレートには登れず、ジグザグに登るしかない。たまに樹につかまることもある。バランスを崩したら最初からやり直しになる。その場合、おそらく帰ることになる。狭い尾根でないだけでも幸いだ。しかしきつい。何度も立ち休みを繰り返す。3時間で行けるだろうか。これでは無理かもなぁ。遠くで春ゼミのガシガシとした鳴き音が聞こえる。不思議にこの尾根上でセミは鳴いていない。

(この辺からいくらか緩くなった)


(太い倒木が目に付く)


 部分的に左からヒノキの植林が押し寄せては去っていく。急斜面は相変わらずだが、850m付近で幾分緩くなった。というか、普通の急な尾根になった。だが、この尾根、目の前に続く斜面と、登って来た斜面の景色しか見えない。左右は無表情な木立ちだけ。普通ならアップダウンを繰り返し、それぞれのアップに景色の変化を感じるものだ。
 900m付近で休憩。取り付きからまだ30分くらいしか経っていない。何だか早々にエンドレスの気分だ。いったい、いつまでこの単調な急登りが続くのだろう。いっそのこと放り出して逃げたい。危険な個所はないが、精神的な面での試練尾根だ。一服すれば、先が苦しくなるのはわかっているが、どうしても一服したくなる。陽が出ていたら、おそらくもうバテている。ここは決して夏向きの尾根ではない。逆に雪でもあったら、滑りまくりでさっぱり進まないだろう。

(尾根幅は次第に狭くなるが、これで普通の尾根レベルか)


(この石標がずっと続く。不思議にいずれも赤ペンキを垂らしている)


 登り再開。この分では頻繁に休みタイムが出てきそうだ。休憩時に虫除けスプレーを顔面にかけたが、まったく効かず、途中から集まった羽虫は依然としてつきまとって、これが山頂までのお付き合いとなる。蚊やアブでないだけでもまだまし。うっとうしい。
 ただ黙々と歩き、20mほど登っては立ち休みの繰り返しが続く。あそこまでは休むまいと思っても、その間に2回は立ち休みとなる。錆びたオイル缶、ジュース缶、ワイヤーが出てくると、確実にこれはクマのだろうと思われる新しい足跡が尾根を登っているのが目に入る。いよいよ、スプレーの出番か。早速試してみたいといった当初の思いはすでにない。
 尾根はただ単調なだけではない。倒木も結構ある。太い樹が横倒しになったりする。少し平らなところがあって、ここで2回目の休憩。1160m。取り付きから1時間半経過。ようやく北尾根の半分に達した。やはり自分の足では3時間だな。
 半分に至って、少しは気持ちの余裕ができたのか、下りルートの算段を考えている。予定の七跳山まで行って赤岩ノ頭に抜けるのは無理だろうな。最悪、大ドッケ経由で栗山尾根か。だがあそこは2回ほど歩いたことがあるし、ヤバい岩場通過がある。もっと他のルートはないか。まぁ、今はいい。残り半分を終えてから考えよう。

(樹もいくらか細くなってくる)


(右下を覗く)


(この程度だが、ここの尾根幅が一番狭かったか)


 尾根は幾分ヤセた。右手は切れているが際どい狭さではない。すぐにまた広くなった。死滅したスズタケを踏みつけて登る。左の視界がチラリと見えた。並行した尾根が上に向かっている。あれはフキアゲ沢右岸尾根(正確にはフキアゲ沢右俣右岸尾根だろう)か。こちらよりも獰猛そうに見える。地図を見る限りは、その右岸尾根、フキアゲ沢を遡行しないと尾根末端に届かないようになっているが、あんな尾根を登る人はいるのだろうか。向こうから見ると、こちらもまたそう見えるのかもしれない。だが、この北尾根も、作業用の赤ペンキと石標は続いているし、ワイヤーが放置されていたりする。あの右岸尾根とて、作業の人たちも入っているのだろう。ということは、尾根につながるしっかりした踏み跡が沢沿いに付いているのかもしれない。

(これにワイヤーを通したのだろうか)


(フキアゲ沢右岸尾根が見えている。すっきりはしない)


 この先でもたまに見える右岸尾根、結局はこの北尾根から上の様子、つまりは大平山が見えない状態での登りが続いたため、右岸尾根の高度と、先の曲がり具合がよい目安になって、山頂までのしんどさを何となく推測できた。今は新緑だが、秋なら葉も落ち、右岸尾根の姿もすっきり見えるだろう。だが、その頃には熊除けスプレーがいくつあっても足りない状況になっているかもしれない。ここはブナ、ミズナラ、ダケカンバも生い茂る広葉樹の世界だ。クリのイガは見あたらないからまだ安全地帯かもしれないが。

(北尾根唯一の下り部分)


 再びきつい登りになった。下ほどではないが、まだまだ安心できない状態が続いている。1340m付近で、登り一辺倒から突如として下りになった。下りとはいってもせいぜい5mくらいのもので、すぐにまたきつい登り返しになっている。この下り、北尾根唯一の下り部分だろう。これまで歩いた尾根でも、下り部分はそこそこにあるものだが、この北尾根ではここが唯一だった。
 この先、登り上げの1350mあたりの平地で3回目の休憩。あと250mだ。気分的な余裕もできた。チョコレートを食べて一服。陽が出てきた。汗を拭いていた手ぬぐいも薄汚れてきている。ここまで来れば、陽のあたりもさして気にはならなくなっている。

(ここは左手から登って来た。先へはカーブになる)


(あちこちに枯れきったスズタケが散乱している。しかし、いつまで経っても先の景色が見えないままだ)


 地図上は微妙にカーブしているが、実際は、この休憩スポットから左に80度ほど尾根型が曲がっている。他の尾根やら沢が合流するスポットではない。
 ヒノキ植林が入り、また広葉樹。傾斜は大分緩くなった。尾根幅が広がり、左の、派生不明の尾根が見え、やがて合流した。1520m付近。ようやく100mを切った。

(左から尾根が合流してきて尾根幅もまた広くなった)


(左尾根との合流地点)


(平坦になって)


(一般道に合流する)


(山頂はすぐそこ)


(大平山山頂。「大平山に行ってみたい」を第一目的にして行く人はいないだろう。普通は歩いてみたい尾根やらコースとセットしてここに至る。あくまでもついでの山だ)


 かなり緩やかになり、尾根は広い斜面状になった。目安にしていたフキアゲ沢右岸尾根はもう見えなくなり、木立の先に、何となく、あれが大平山の山頂と思しきシルエットが見えている。
 斜面はとうとう平坦になり、テープの巻かれた樹を目にすると、明瞭な踏み跡に出た。一般道との合流だ。山頂はすぐそこ。ほっとした。北尾根を途中で撤退することなく登り詰めることができた。自分の最近の間に合わせの歩き続きにしては快挙とも言えよう。かなり重くなった身体を前に出し、だれもいない、相変わらずに展望もなく冴えない大平山山頂に到着した。もうぐったりだ。

 手持ち無沙汰に山頂で30分ほど過ごした。だれも登って来ない。こんな展望もない地味で寂しい山頂が自分にはぴったりかもしれないなと思いながら、おにぎりを食べ、タバコを2本吸った。
 さて、問題はこの先の帰路ルートだ。大クビレまで下り、当初予定の七跳山まで登るとなると、標高差は120m。30分の休憩をとったはいえ、今の自分には無理のようだ。蒸し暑くもなってきている。相変わらずの無風。どうしようかと悩む。どうせなら歩いたことのないルートで下りたい。七跳山まで登ったとして、昭文社マップを見る。七跳山から坊主山。坊主山から北に赤岩ノ頭まで、えっ、2時間50分もかかるのか。これを自分の足と休憩で3時間半とみて、今は11時半を過ぎている。赤岩ノ頭から早くて1時間半下りで作業道に合流したとして、ちょっとおかしな歩きをすれば危うい時間帯での下山になる。まして、上空を見れば、灰色の雲も浮かんでいる。大ドッケ経由の栗山尾根は前述のように避けたい。

 考え出した結論は天目山林道歩き。大クビレから東側は起点まで歩いている。西側の終点までは歩いたことがない。いつか歩いてみたいとは思ってもいた。何ということはない。大クビレから七跳山まで30分とし、3時間20分のコースタイムを林道歩きで大幅に稼ごうという算段だ。ただ問題は、林道終点から赤岩ノ頭までの標高差180mを、林道歩きで体力を回復したとして果たしてできるだろうかということ。気力も体力もなかったら、林道終点から東に破線路の終点に下るしかない。その見当で歩くとするか。林道終点がさらに延びて、北東尾根に接しでもしていたらもっけの幸いということにはなるが期待は薄かろう。天目山林道歩きのネット情報は少なく、たまに終点から赤岩ノ頭に登った記録を見る程度だ。

(大クビレに向けて下ると)


(今回の歩き唯一の紫。すでにアップでは堪えられない)


(むしろこれが続く。青空だったらもっと映えた白だったろう。こんな写真ばかりだから代表で一枚だけ)


(大クビレ)


(久しぶりに眺める三ツドッケ)


 ここまで裏返し使用を繰り返していた手ぬぐいから2枚目に替え、大平山山頂から大クビレに向けて下る。ここでシロヤシオが目に入った。空がどんよりしていると目立たないが、終盤を迎えている。このシロ、あちこちに点在していて時間がとられた。大クビレに着いてまた悩む。これなら七跳山まで行けるんじゃないか。だが、ここは目をつぶるとしよう。いずれHIDEJIさんがやってくれるだろう。というか、もうすでに歩かれていたっけ? 携帯マーク看板があったので早速調べてみる。やはり一昨年に歩かれている。北東尾根はないが、大クビレから赤岩ノ頭まで2時間半かかっている。やはり自分には3時間以上だな。もう今日は考えまい。無理をすれば危険度も高くなる。大クビレからは三ツドッケがよく見えた。あそこもしばらく行っていないなぁ。

(林道ショートカット)


(ここを滑り落ちた)


 さて、大クビレから林道は一時的に戻る形で大回りしている。素直に歩くつもりはなく、林道には向かわず、大クビレから北の斜面を下る。その先で林道に合流するはずだ。
 ルート取りに失敗した。ヤブの斜面を下って行くと、予想どおりには林道に緩くつながってはいず、ほぼ45度超えで土壁3mになっていた。土はかなりもろい。そーっと細い木に伝って降りようとしたが、最初の2本はよかったものの、3本目の木があっさりと根こそぎに抜けてしまった。そのままズルズルと尻で林道まで流された。2.5mほどの滑落だ。林道に尻をしたたかに打ち突けて泥だらけになっただけで済んだが、帰ってからシャツを見ると、3か所ほど裂けていた。

(林道歩き)


(杖を拾う)


 こんなことはよくあることだし動揺はしていない。すぐに気を持ち直して林道を終点に向かう。大クビレをピークにして下り調だから助かる。この林道、昔のネット写真を見るとかなり荒廃しているが、今歩いている林道は整備されて幅も車がすれ違えるほどだ。
 歩きながら、材質の堅い、きれいに加工された杖が落ちていた。この先の友にしようと、ストックは収納する。もとからストックは邪魔になっていたし、ストックを持っていたばかりに気に取られて滑落したという節もある。杖突きで林道を歩いていると水戸黄門ぽくなるが、良い支えになる。

(坊主山から分岐する矢岳尾根。結構な凹凸だ。林道はその中腹を通っている)


 ここの林道は眺望が良い。開けたところからは武甲山も望めるし、部分的だが大平山も見える。大クビレがあって、その右には七跳山に至るピークか。進行方向の左には矢岳に続く尾根。ボコボコしたピークが続いている。しかもかなり高い位置にある。やはり、あれでは途中でへこたれていたろう。仮面林道ライダーさんの記録にも、地図にないアップダウンが続くとあった。

(雪の塊。これ、仮面林道ライダーさんのブログに出ている場所と同じだろう。雪はここだけだったし)


(大平山。中間の窪みが大クビレ)


(武甲山。標高はここの方が高いはずだが高く見える)


 残雪を見たところで、擁壁に「18.0KM」と手書きされた赤ペンキ文字が記されていた。これは林道起点からの距離だろう。左に流れ落ちる細い沢を見たりと、多少、風景に飽きてきたところで、大平山が大きく見えるようになった。だが、目の前の木立で北尾根の全容は望めない。

(何をする重機なのかわからない。林道はすでに整地されている)


(改めて大平山。しつこいか。やはり北尾根の下が見えない)


(作業小屋。窓は割れて中が荒れている。使っていないようだ)


(下った尾根)


(林道終点)


 現役の重機が置かれている。この先は一部、水たまりがあったりするが、すぐに整備林道に戻る。右に作業小屋を見て先に行くと、下り予定の尾根が見えて林道終点となった。やはり、林道終点は地図通りでその先は存在していない。淡い期待は消えた。大クビレからここまで1時間少々だった。左手・西側には赤岩ノ頭に導く赤テープが垂れている。
 赤岩ノ頭に登り返す気力は復活せず、ここから東に下る尾根を歩くことにする。北東尾根には未練がある。別の機会に歩いてみよう。矢岳尾根の南側部分、長沢背稜の七跳山と長沢山区間は未踏のままだ。酉谷山だけには登っている。酉谷避難小屋にも泊まってみたい。いずれ、うまくつなげて歩いてみることにしよう。空を見上げると雲の色は濃くなり、武甲山もまたぼんやりとしつつある。撤退するには丁度良いタイミングだろう。

(左に行くと赤岩ノ頭。この画像もよく見かける)


(赤岩ノ頭か。この時点ではすでに尾根下りのモードになっていて、敢えて行こうかとは思いもしなかった)


 この下り尾根、天目山林道の終点と、大久保谷沿いの地図上破線路終点をつないでいる。これは偶然なのか。以前はここに明瞭な踏み跡が通じているものと思っていたが、それはなかった。ただ、薄い踏み跡とフェンスが置かれていたりして、かなりの人為的な気配はある。まさか、この時点で、末端部分でかなりの苦労をするとは思ってもいず、地図を見ては、末端近くになったら北に向かえば、自ずと破線路末端に至るはず。まして、往路では、破線路はかなり先まで続いているようだったし、わざわざ北に向かわずともに作業道にぶつかるだろうと思っている。念のため、コンパスを破線路末端に合わせる。下に行く間に尾根分岐が数か所ある。この辺で方向を失ったら、勝手知ったところでもない。かなり往生するだろう。自然、慎重な下りになる。人工物を見たとて安心してはいられまい。

(尾根を下る)


(明瞭な尾根)


(右手にフェンス)


(何の看板だったのか。これだけでも、以前はこの尾根を歩くハイカーがそれなりにいたことがわかる)


(そして残材)


 実のところ迷うようなところはなかった。右手に大平山を見ながらの下り。左は急なヒノキの植林斜面。右下は見えていない。かなりガレた斜面になっているのではないか。尾根はヤブっぽい。踏み跡はところどころで植林の中に入り込む。テープもあるが、作業用のもあるだろうし、あまり信用はしない方が良いだろう。そのうちに、右手にフェンスが張り出してきて、文字の消えた看板やフェンスの残材がうるさくなる。

(どうもこの辺から間違った歩きをしたようだ)


(沢が真下に見える。こんなはずがない。冷静さを欠き、つぶれた作業小屋の先に沢があったことはすでに忘れている。まさにその沢だった)


(薄い踏み跡を追いかけたり)


(こんな急斜面ヤブを滑りながら下ったり)


(最後はここを下って)


(ようやくつぶれた作業小屋に至った。遭難するかと思った)


 尾根は左寄りになり、植林の中に入り込んだ。どこで見失しなったのか、目の前の踏み跡は消えた。そもそも植林の中に入り込んで良かったのか。尾根上を歩いていることは確かだ。沢音が近づいてくる。GPSを取り出すと、往路で通った赤線はすぐそこにある。
 尾根をトラバースしている踏み跡があった。これで助かったと思ったが、これは逆方向に登っていた。引き返すと踏み跡はもう消えた。下に平らなところが見え、作業道だろうと、ヤブの草木をつかみながら急斜面を下る。何回も転んだ。平らなところに道はなかった。ここに至って遭難になったら情けない。下に沢が見えてはいるが、そこに至るまでがかなり厳しく、沢に出ていいものやらも疑問。ふと、沢の下流側につぶれた作業小屋の屋根が見えた。これで助かった。巻きながら慎重に沢に出た。小屋は沢の対岸だ。また何度も滑って転び、小屋の脇に腰かけた時にはほっとした。どうやら下流方面に出るべきところを上流側に下ってしまったようだ。おそらく、植林に入るのが早かったのだろう。未踏尾根の下りは恐いものだと改めて認識する。
 新潟の親子もそうだが、登山道を見失ってパニックになると、人間の心理として、標高の低いところ=沢に出てしまいがちになるものだ。今回は沢は沢で正解なのだが、もっと上流だったらかなり厳しかっただろう。注意しないと。
 小屋の脇の沢で顔を洗った。絞った手ぬぐいは真っ黒になっていた。せっかくだからきれいに洗って首に巻く。ほっとして一服。そして、残ったおにぎりを食べる。ふと、あれっ、あの杖はどうなった? 手元にはない。どさくさで手放してしまったようだ。せっかく、家に帰ってからもっと使いやすいように加工するつもりでいたのに。

(帰路に就く)


(これがやたらと咲いていた)


(これまで上から見ていた作業小屋を間近に)


(この橋を渡って引き返す)


 来た道を戻るだけだ。特記すべきことはない。杉の植林に囲まれた作業道を下って行く、ここは上がヒノキで、下は杉のようだ。往路では感じなかった足裏が痛い。これはそれなりの緊張感があったからだろう。今は気分的にだらけてしまっているから痛い。
 現役の作業小屋に下ってみる。何を確認したかったのか。それは、地図上でここから電光型に実線が出ているからだ。その道を確認しておきたかった。栗山尾根を下った際、その実線林道の終点が尾根をかすめて終わっていた。それ以来気になっていた林道だ。その起点を見るだけのこと。その先からふみふみぃさんはマツマラ沢左岸尾根に取り付いたつもりでまた林道歩きに復活されたりしている。人のことは笑えない。自分も同じようなことをやっている。
 最初の橋を渡ってすぐに引き返した。車の轍が見えた。どうも現役使用の林道らしいが、自分には、大久保林道先の作業道をバイク以外の車が走れるとは思えない。ネイチャーランドの車道の延長が電光型にどこかで交わっているような気がしてならないのだが(これは、十津川村さんからいただいたコメントであっけなく否定されてしまった)。

 先で休憩する。手ごろな材木が山側の横に設えてあった。これが谷側だったら敬遠する。ここまで来て転落したのではシャレにもならない。ちょうどここで1リットルの水を飲み干した。都合2リットルあるからと安心した分、今日は水の消費が多かった。今度からこのくらいの歩きでは1.5リットルにしようかと思ったが、そういうわけにもいくまい。今日はかんかん照りの中の歩きでもなかったし。

(ヤバい感じの栗山)


 ここから正面に見える栗山。壁のように見えている。そしてその先は落ち込んでいる。実際はそうでもないのだが、秩父の山は概して、こう険しく迫って見える。
 水場を過ぎてワンコ小屋。今度は起きているが、吠えもしないし警戒もしない。やたらとウンチが散らかっているところからして、枕どころか敷布団代わりにしている気配もある。エサ入れにはエサもなく、今日はご主人様も来なかったのか。気の毒にと思い、菓子パンをちぎってやると見向きもしない。どこかの山のキツネはハイカーの食い物をあてにしてさまよっているようだ。それに比べたら、この犬は孤高だ。しかし、このワンコ、ここをクマも通るだろうに、その場合はどういうことになるんだ。ロープでつながれているから無抵抗だろう。

(ネイチャーランドを見下ろす。苦い顔になっているはずだ)


(これも定番のトンネル内画像)


 林道になり舗装道になった。途端に足裏の痛みは消えた。ネイチャーランドを見下ろし、来る時には通らなかった荻の久保トンネルに入る。このトンネル、真っ暗で不気味だが、もし通路に穴ぼこでもあったらたまったものではないだろう。出ると銘板が埋め込まれ延長252mとある。意外と長かった。このトンネル、使われているのだろうか。林道はすぐ先で終わっている。

(解説不要のサル)


 通行止めの柵を越えると、下から子犬の鳴き声がする。気になった。捨て犬か? 下はヤブで見えない。降りようと試みたが、とてもじゃないがロープでもなければ無理。かわいそうにと思っていたら、別方向から同じ鳴き声がした。擁壁の上にサルがいた。何だ犬ではなくサルか。余計なことをしてケガでもするところだった。

(到着。バックは栗山)


(今回は使うことのなかったスプレー。お世話になりたくはない。使用期待感はもはやない)


 ダム側の道路は相変わらず通行止めになっている。駐車地に着いたが、何となく気になった。浦山大橋のゲート、まさか閉められていないだろうな。着替えをさっさと済ませて橋に向かうと、ツーリングのバイクがやって来た。ほっとした。締め出しになっていたら、一旦は警察に電話を入れた方がいいのかと考えたりしていた。

 この期に及んでといってはなんだが、今になって元気が復活した。これはあくまでも気分的なレベルだろうが、大クビレから都県境に出て、坊主山から赤岩ノ頭に歩く気力になれなかったことを後悔しだした。それは今さら仕方もない。体力が追いつかなかったのだから。気持ちもそれに同化していた。今さら本音の気分が前面に出て勝手なことを言いだしても、もうどうにもなるまいて。

 皆野町の天空のポピーが見ごろのようだ。秩父市内も渋滞だろうなと思っていたが、案外スムーズな流れだった。芝桜ほどの人気がないのか、もう4時を過ぎてもいたし、ピーク時間は過ぎていたのだろうか。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

(付録画像。例のワンコ。帰路の立ち寄りで。まぁ、想像はつくでしょう。ク●まみれだった)

ゴケナギ沢中間尾根からオロ山へ。「ウォーリーを探せ」になってしまうとは…(笑)。

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◎2018年6月9日(土)

銅親水公園駐車場(5:10)……ウメコバ沢前河原・休憩……小足沢合流……ゴケナギ沢出合い……ゴケナギ沢二俣……尾根に乗る……中倉尾根……オロ山……オロ山北の大地をうろつく……沢入山……中倉山……一般コース下り……林道……駐車場(16:40)
※それぞれの時間はみっともなく遅いので記しません。休憩、うろつきを含めて11時間30分の歩きです。

 オロ山北尾根というか「北の大地」。地理的には「高原状」「台地」とすべきだろうが、通称「大地」で通っているから、今後ともに「オロ山北の大地」とする。前置きはさておき、そこに用事があった。松木川奥に自分の課題は山積している。瀑泉さんが先週歩かれた皇海山の東尾根もしかりで、その用事をさっさと済ませたい。用事はちょっとばかり自己満足的に自分の面子に係わるレベルのものだが、済ませないと他に目が向かない。自分の頭には、多指向性のアンテナが配備されていないのだ。
 その用件の内容はさておき、ルート取りで悩んだ。過去に、オロ山だけというのを除いて、北の大地に出るのに3ルートを使っている。ゴケナギ沢左岸尾根(正確には「ゴケナギ沢本流(=右俣)左岸尾根」)、ゴケナギ沢右岸尾根(これもまた正確には「ゴケナギ沢支流(=左俣)右岸尾根」)、そして、ガレ沢ルートだ。ここまできたら、地図を見た感じ、松木川側から素人が登れそうなところは大ナギ沢出合い近くの吊橋跡あたりから「適当に」となるが、足尾のRRさんによると、期待する作業道はなく、過酷なザレ場を歩くことになるらしい。これでは素人には無理。もっとも、中倉尾根から覗き込むと歩けそうにもないザレ尾根が何本も見えるだけで、むしろ歩いたガレ沢がやさしく見えるほどの異次元の世界だ。すでに歩いたところを歩きたくはないしなぁと、地図をじっくり見ると、ゴケナギ沢の右俣(本流)と左俣(支流)の間に尾根が続き、これが中倉尾根に乗り上げ、すぐにオロ山山頂に出られるようになっている。
 Geogleで「ゴケナギ沢 オロ山」で検索すると、トップは雪田爺さんのゴケナギ沢ルートが出てくるが、雪田爺さんはゴケナギ沢の本流を遡上して危うい小尾根に取り付いてオロ山に出られている。この中間尾根に目を付けたネット記事は見あたらない。ということはラッキーとも言えるか。そこを登ることにしよう。

 親水公園の駐車場に下りかけると、単独ハイカーがゲートに向かって行く。この時間だ。自分同様に少しはロングルートだろう。中倉山歩きの時刻には早過ぎる。さりとて、松木奥の県境稜線タイムには遅いだろう。少なくともこの時間ならウメコバ沢の出合いあたりにはいたい。駐車場には他に7台の車。一台、ゴソゴソやっているだけでもう出払っている。隣の軽には寝袋がそのままになっている。一晩、ここで明かしたようだ。
 念のためヘルメットをザックに括り付け(結局は一度としてかぶることはなかった)、熊除けスプレーを腹に入れる。地下タビのコハゼをささっと差し込んで出発。ここに戻るのは、この暑い時節の歩きだし、過去の経験からして15時半頃になるだろう。

(ここのゲート越えは自転車も不可ということになっている)


(例のトイレ。これは仮設なのか半永久なのか。後者なら例のNPO法人だかの管理になるのだろうね)


 松木沢沿いの崩壊林道の様子をいつものようにダラダラと記しはしない。自分にはただの苦痛でムダな歩きにしか思えない。きりんこさんのように楽しみながら歩くことはできない。目新しいものといったら、林道終点先の工事現場にトイレが置かれていたこと。この存在は瀑泉さん記事で知ってはいたが、予備のトイレットペーパーは2個あった。使ってみたいところだが、大間々で用事は済ませたし、途中で立ちションもしているから覗いただけ。帰りに寄るとすれば、オロ北で疲れ果て、ゴケナギ沢右岸尾根を下るケースになる時だろう。

(最初の歩きなら珍しくもあるだろうが、自分には苦痛以外の何ものでもない)


(ここで休憩)


 休みなしで歩いている。今朝の雨上がりの地面に先行者の足跡が残っていた。一人分。歩き出し1時間後くらいの休憩を考えていたが、どうも崩壊地だったりで落ち着かず、結局、ウメコバ沢出合いの河原に降りての休憩になった(6時39分)。河原で休憩している方がもう一人いた。50mほど離れた先で石に腰かけたが、どうもあの方、駐車場に入る時にすれ違った単独ハイカーさんらしい。タバコを吸いたいところだが、自分が風上になるので遠慮した。
 ウィダーインを口に入れ、どうせここからは水もかぶるだろうと、沢靴に履き替える。単独さんが脇を通りかかる。休憩タイムが終わったのか。コンニチワと声をかけられ、同類の親近感でどちらまで? と伺うと、小足沢の右岸尾根を通ってシゲト山の西側に出て、黒檜岳経由、大平山の南東尾根を下る予定とのこと。それって、ふみふみぃさんが歩かれたルートで、自分もいずれ後追いするつもりではいるが、この時間に大丈夫だろうかと気にはなった。聞けば、小足沢のリンゴだかサクランボマークに行くのは初めてらしい。取り付きも様子見次第のようだ。いろいろと話をしていると、先日、皇海山の東尾根を登られたとのこと。倒木が多くて参ったとおっしゃる。瀑泉さんの記事には倒木のことはなかったような気がする。その普通ではないお歩きからしてさぞかし名のある方だろう。自分はYマップ所属とおっしゃっていた。ヤマレコではなかったよなぁ。
 こちらは何となく決定打には欠けそうな自分のコースを言いづらく、恥ずかしながらのゴケナギ沢を口に出したが、単独氏にゴケナギ沢、はて? といった素振りはなく、ブログでも? と聞かれたので、これもまた恥ずかしながら、どうせご存知ないだろうと「たそがれオヤジ」を口に出すと、ふみふみぃさんと私メのブログをよくご覧いただいているらしい。これはこれでうれしいし驚きもした。ご自身も名乗られたが、沢音でかき消され、聞き取れない。後で調べればわかる。ふみふみぃさんとはYマップのお仲間のようだし。つい、余計なこととは思ったが、ここで、わざわざ気安くも、ゴケナギ沢の尾根経由でオロ北に行く必要の証拠を見せてしまった。
 帰ってから調べると、この方、どうも「Xさん」のような気がする。Xさんとしたのは、現時点で小足沢の記事がアップされていないからなのだ。憶測でお名前を出せば失礼にもなるし、こちらの恥にもなる。だから、以降、Xさんと記す。
 そのXさん、小足沢右岸尾根に直接登れませんかねとおっしゃる。かつての自分の思考と同じ。直登は無理だろうと、すぐ脇から急斜面を登ったが岩場を越えられずにすごすごと退散している。2回目にしても、ちょっと上流から強引に登り上げ、さらに急斜面の岩尾根が待ち受けていた経緯があったので、直登は無理でしょうと答えた。三沢からのルートもあるようだけどと一応は少ない知識を披露する。

(先行して行ったXさん。例のXさんなら、半端歩きの方ではない)


(昨晩雨降ったわりには水量が少ない)


 Xさんが去った。背中にヘルメットが見えた。ゆっくりとここで一服して出発。いつもならウメコバ沢を覗き見するのだが、おしゃべりタイムがあったので先を急ぐ。松木川の水量は少ない。水流は細く、河原が広く感じる。これなら沢靴を早々に履く必要もなかったが、履いてしまった以上は余計な水に濡れない徒渉を考えずにジャボジャボと渉る。先行するXさんの姿はすでに見えない。
 六号ダムを定番で左岸側から越える。本番前にあまり余計なことはしたくない。三沢に入り込んだり、小足沢の前衛滝を見たりと、いつもならやることはしなかった。とにかく時間が惜しい。そういえば、丹平治沢もスルーしていた。

(ガレ河原で見かけたヤマカガシ。ふみふみぃさんも見かけている。足尾には多くなったのだろうか)


 小足沢の尾根先にXさんの姿が見えた。休んで取り付きを探っているご様子。さて、どこから登るのだろうか。歩いて行くと、ヤマカガシ。今度はこれに時間をとられた。全長70センチくらいか。こちらが立ち止まって見ていると、威嚇の姿勢に入ったのか、コブラのように頭部側を広げ出した。これはまずいと先に行く。
 Xさんがいたのは、小足沢の大滝を見に行くのにどこだったかのグループが入り込んだ、ちょっと細いガレ沢になっているところだ。やはりネットでお調べだったのだろう。ここは、自分が二度目に登った際、すぐ右から登ったのだが、いずれは岩尾根の先で合流する。大滝に行くだけなら便利だが、尾根を登りつめればリンゴマークまでは急斜面になる。余計なおせっかいで、サワヤさんならともかく、よした方がいいですよと、さらに上流部をお薦めする。いずれ歩くつもりの瀑泉さんルートをと思ったりしたが、自分で瀑泉さんに偵察をお願いしながら、さっさと歩かずに第三者に押し付けるのもまた考えものだ。無責任な指南はやめておこう。
 Xさんはタバコをふかしていた。何だ愛煙家かと、その間、こちらも安心して気兼ねなくタバコを咥えて話をしていた。
 それにしても、沢靴も履かずにズボンの裾も汚れていないのには驚いた。自分はもう膝下は水浸しになっている。いくら松木川の水が少ないからとはいっても、水を避けてここまで来られるものなのだろうか。器用な歩きをされる方はどこにもいるものだ。沢靴を持ってきて失敗したともおっしゃっていた。
 先の道すがらの会話でおもしろい話を聞いた。沢水の件。キツネのいる山域で沢水を飲むと、今はともかく、10年後に発症してポックリとなり、北海道あたりでは沢水を飲まないように小さい時から指導しているらしい。それを最近知った。ついては自分もたそがれさんも沢水をよく飲むでしょうと、こりゃまたよく細部まで読んでいらっしゃると感心もしたが、沢水を飲むのが恐くなったとおっしゃる。確かに、自分はここまで松木川の水を手にすくって2回飲んでいたし、都合2リットル分をペットボトル2本に入れてきた水も、この先で半分を捨て、尾根に登る前に沢水を入れるつもりでいた。この件、気になって帰ってから調べると、エキノコックス症のことだった。興味のある方は調べたらよいだろうが、自分には今さらといった思いもある。

(Xさん、お気をつけて行ってらっしゃい。これでシゲト山に行かれたとしたら、相当な方だろう。後追いは考え直しになる)


 Xさんに、私、前回はここから登りましたよと教える。緩いかと聞かれたので、隠し立てはせずに、ここもまた急ですと答えて別れる。Xさんはそこを登って行かれたが、この時間だし、オオナギ沢の尾根の方に出るかも知れないとおっしゃってもいた。どうも、小足沢の石垣だけは見ておきたい様子があった。趣向が自分に似ているようだ。あんな石垣を見て何が面白いのだろうと思うのが普通の感覚だ。

(やはり水が少ないねぇ。今日は暑そうだからと、ちょい派手な水ジャブを楽しみにしていたのだが)


(奥の隙間の通過なんかあっけなかった)


 上流に向かう。水は相変わらず少ないが、左右の渉りが多いので沢靴でないと無理な姿勢になる。しかしダラダラと長い。水量は少なくとも浸っている時間が多くなってきたためか、水から上がる際に、足の攣りが出てくる。早めに芍薬甘草湯エキスを飲む。いつもなら沢水で腹に流すが、あんな話を聞いた後だけに水筒の水にした。以降、足が攣ることはなかった。
 松木奥の崩壊は進んでいる。右岸の吊橋跡も気づかなかった。左岸側のそれはわかったのに。そして、ガレ沢にしても、両サイドの樹々が少なくなっていて(つまりはその分土砂で削られたのだろう)、あれっ、ここだっけかといった始末だった。

(以前から、ここで泳いでみたいと思っている)


(盟主様が覗く)


(ゴケナギ沢の出合い)


 水が少ないからと気がそぞろになっていたのだろう、ふと足を滑らせて尻もちをついた。下半身がびしょ濡れに。そんなことを気にしているわけにもいかず、ようやくいつもの淀みを右から高巻き、沢が幾分静かになったところでゴケナギ沢出合いに着いた。時刻は8時23分。やはり出発から3時間超えになってしまったか。まぁ予定どおりではある。これから皇海山東尾根となったら、下りはおとなしくもみじ尾根経由でニゴリ小屋泊りになるのは必定だが、明日は確実に雨。沢も増水するだろう。

(ゴケナギ沢は凡な沢? 水量の関係だろうか)


 休まずにゴケナギ沢に入る。ここもまた水量は少ない。これではショボ沢の部類だ。沢靴はもう必要もないが、せめて、先ほどの尻もちで濡れた下半身が乾くまではこのままでいたい。やはりここまでの疲れがそろそろ出たてきたか、空腹を満たしたくもあって10分ほど休憩。ここの沢、春ゼミがかなりいるようで、沢音よりもガシガシと鳴いている音の方が大きく聞こえる。この先、分岐までは雪田爺さんのレポもあったので楽観だが、尾根がどういうものか知らないから緊張感はある。地図を見る限り、1450mのボコボコマークが尾根本体まで近づいているのが気にはなっている。後で気づくが、そこは特別な配慮もなく通過していたようだ。
 ガレ沢歩きが続き、右手前方に左岸尾根の1650m標高点ピークが見えている。あれが右手真横に見えるようになれば中倉尾根も近い。それが当面の目標にもなる。

(左から支流が入り込み、その間に結果的に見せかけの尾根末端があった)


 分岐になった。とはいっても、地図上では水線そのものが1160mで途切れている。水流は続いている。左俣のちょっと先に15mチムニー滝があるとM氏の『皇海山と足尾山塊』に紹介されているが(沢は「丸石沢」となっている)、雪田爺さんが見つけられなかった滝をわざわざ確認に出向くまでもない。おそらく崩壊したのだろう。分岐正面にはこんもりとした尾根が出張っている。
 ストックを出し、気を張って尾根に取り付く。足尾のRRさんが歩かれたことがあるかは知らないが(実際にケルン積みは見なかった)、こんな貧弱な尾根でも、少なくともネット記事に出ていない尾根を歩くというのも気分が良い。

(見せかけの尾根はやがて左俣の沢に同化する。右が本尾根だった)


(こんな感じの尾根で、部分的に急だが、植林帯でないだけでも助かる)


(振り返れば、早速、釜五峰のご登場だ)


 尾根末端と思ったのは見せかけで、すぐに平坦になって、盛り上がりの地形はすぐに左俣の沢に溶け込み、小沢を挟んだ右手に尾根型が登場した。首を傾げたが、このまま先を行くのは不正解で、あれが中間尾根だろう。そちらに乗り移る。尾根型は先に行くに連れて明瞭になった。見晴らしは良く、すぐ右手先に左岸尾根のザレた小ピークが見え、その奥に皇海山の頭が出てきた。なかなか良い雰囲気の尾根に感じるが、ちょっとばかり急で、右手下は見えずに切れている。さりとてヤセではなく、左下は余裕の傾斜になっている。振り向けば釜五峰が望まれる。

(右手に盟主様と併行する左岸尾根)


(これだもんね)


 登るに連れて皇海山は大きく、すそ野も露わになってくる。瀑泉さんの東尾根記事を拝見し、今回はここから東尾根を眺めて取りあえず我慢することにしていたが、先でもっとすっきりと見えるだろう。そして左手にこれも間近に右岸尾根。いずれは右も左も視界から遠くなって行くはず。こんなルンルン気分で登っていたが、いつまでもこんな安穏が続くわけはない。予想通りにここで邪魔が入った。1230m。言わずと知れたナゲの集落だ。
 左右を見るがともに急になっていて、四つ足ならともかく、ここは正面突破しかない。いくらか薄いところを選んで突入。さっぱり進まない。ストックを引っ張られ、ザックも枝に引っかかる。身体が通過出来ないところを強引に進む。かなり深い。帽子は何度も取られた。ヘルメットにすればよかったと後悔しても遅い。それでも10分もかからずの格闘でクリア。

(抜け出すと第二陣)


(そして、お待ちしておりましたと第三の陣。すでにこの時点でナゲのおイタにやられていたようだ)


 ほっとしたのも束の間。まだ生き残りが数本目につき、嫌な予感はしたがやはり第二陣が待っていた。同じことの繰り返し。手足の自由が効かない。花も終わっているのか、花の付かないナゲなのかは知らないが、その分図々しいというか、可愛げの無さが憎らしくなる。抜け出してほっとして、はい、次、第三陣。もう終わりだろう。先にナゲらしきものは一本もない。一時は、これが続いたら、もはや先に進む気力は失せ、下るしかないかとまで思った。あるいは危ない思いをして大巻きするかだ。

(もうないだろう。ここを人間が歩くのは久しぶりだろう。作業の痕跡すらない)


(第一ケルン。簡単そうで、平たい石はそうないのだ)


 ほっとしたところでケルンを積む。1300m。たまたま石がゴロゴロしていたからだが、こんな手ごろなガレやザレ場が所々にあって変化がある。危険さは感じない。
 左手にオロ北突端部が見えてくる。そして、皇海山の東尾根もほぼ丸見え。そうか、こちらに向かいつつ、途中から右手に下るわけか。ということは、1468m標高点はあのあたりか。ザレたところがあるが、尾根下斜面だから、尾根上には及んでいないようだ。Xさんによれば、倒木だらけか。しかし、あそこをすんなりと下れるとは思えない。幾筋もの尾根が下がっている。自分なら下りではなく上り使用が間違いはないだろう。

(暗く映っているが、陰気な感じはしない尾根)


(盟主様の東尾根が見渡せる)


(樹の根がはびこる)


 1330m過ぎから急になった。とはいっても、先々週の秩父・大平山の北尾根に比べればあっという間のものだ。尾根の樹々は雨のせいか、まばらながらも土が流されて根が張り出している。その間にシカ道かケモノ道が続いている。ここにもクマがいるのか、土の上に大きな足跡が続いていたりしている。

(奥の丸いピークが左岸尾根の1650m標高点だ)


(第二ケルン。というかただの石積み)


 そろそろ、左岸尾根の右手前方すぐに1650mの手前ピークが近づいている。あそこを4年前に登ったんだなと思うと、ガレ沢歩き同様に何となく他人事のように覚えてくる。皇海山の姿も堂々と近づき、神々しくも見える。
 急斜面を登りきる。目の先に落ち着けそうなところがあるが、ここは石ゴロ地帯なので、せっかくだしと第二のケルン積む。1390m。たちまちのうちに崩れるだろう。さりとて、今日は未踏尾根歩きが目的ではないので、ねんごろなケルンを築くといった意識にはなれず、単に石を積んだだけのことだ。台風でも来ればあっさりだろう。
 砂礫になり、足がとられる歩きになって、休憩しようと思ったところで、先下が鞍部になっている。せいぜい5m下りだ。鞍部の方が落ち着ける。そこで休憩にしよう。

 ザックを下ろして驚いた。ザックの上蓋ではなく本体の口が全開になっていた。ナゲの悪ふざけだろう。慌てた。中身をポロポロ落としながら登って来た可能性がある。食い物ならともかく、財布やら車のキィを入れた巾着がなくなっていたら一大事だ。ほっとした。ナゲにかすめ取られたものはなかった。巾着がなかったら下ることになる。しかし、ようやるわ。ファスナーとはいってもダブルのチャックだ。両サイドから引っ張ったのだろう。いつもセンターで結んでいるが、もう片側下で合わせることにする。しかし、ナゲの悪戯はこれだけでは済まない。この先でもう一度受難することになる。
 休憩して、ここでようやく沢靴から地下足袋に履き替える。トレパンはもう乾いている。靴の履き替え、特に二股の靴下の場合、履き替えを丁寧にやらないと、親指が攣ってしまうことがたまにある。しっかりと腰を平たい石に置き、足を自然に伸ばして履き替えた。コハゼを差し込んで一応の屈伸。OK。ついでに菓子パンと一服。今、9時40分。11時半までには中倉尾根に出られるだろうか。標高差は400m近くある。

(このナゲはあっさりと左から巻いた)


 忘れかけていたナゲ群が出てきた。そういえばと思い出す。オロ山はナゲに囲まれた山だった。ここは、残念ながら、左から簡単に巻いて先に出られた。ナゲはポカンとしている。
 なぜかガレ場は展望が良い。もう皇海山は自然体でのアップになり、左岸尾根の1650mもそろそろ右手前方から右寄りになり、その手前ピークが真横になりつつある。あの尾根、離れて行くはずなのに、地図を見ると、左岸尾根は直進。左寄りに離れて行くのはこの尾根だった。この見晴らしの良いところは湿った砂地になっていて、昨夜の雨のせいか足がとられて歩きづらい。

(正面にオロ山が見えるようになると)


(1650mも同位置に近づいてくる)


(振り返って)


(第三ケルンと盟主様)


 正面先に三角形のピークが見えた。10時10分。標高1470m地点。歩いているこの尾根を登り続けると、あのピークに一旦は至るようだが、地図を見る限りはそんなピークはない。何ということはない。あれがオロ山だった。この尾根は地図上ではあのオロ山の右肩寄りに出るわけだが、視界の範囲に尾根型は見えず、オロ山の後ろに中倉尾根が控えている。どうもよく納得できないが、このまま行くしかない。ここで意味もなく、またケルンを積む。第三ケルン。ケルンはこれでおしまいだ。記念にケルンを入れて皇海山を撮る。何とも不細工なケルンだ。

(こんなところもあるが、左側は安泰で、危険なく登れる)


 改めて急になり、岩場になってくる。歩行に差しさわりはない。ここに至っても、左岸尾根の1650mはなかなか右横になってくれない。じらされている。それは仕方がない。こちらが離れて行っているのだから。

(そして低いササが出てくる)


(岩場を抜けて。ここは簡単)


(オロ山北尾根。つまり右岸尾根)


(この尾根のハイライトはここだろうな)


(こうすれば感じもわかるでしょう)


 1450mあたりから低いササが出てくる。傾斜は緩やかで、この尾根のハイライトはこの辺だろう。オロ山はまだ正面に見える。1650mにようやく並びかけた。360度の展望だ。オロ北は左後ろに去っている。風が適度に流れ、汗ばんだ身体に心地よくあたる。このままの登りが続いたら何ともありがたい。だが、ナゲ同様に、そう簡単にはいかない。

(せっかくの良い気分もこれで終わり。後は途切れ途切れに見える風景だけ)


(天気が良かったせいか、ここまでほとんど気づかなかった)


(コメツガの中は結構急だった)


 今度、行く手をさえぎったのはコメツガ主体の林だった。標高1610m。結局はこの林は中倉尾根までの標高差160mほど途切れながらも続いた。右の1650mは確認できなくなり、黙々と荒んだコメツガの中を登った。たまに開けるところもあるが、皇海山方面は見えず、知らぬ間にオロ山が左手前方に位置を変えていた。そして、オロ北尾根がこちらに近づいている。トラバースで行けなくもないだろうが、ここまで来て、不確実な歩きはやめておこう。
 ボーっとして歩いていたら、コメツガの枝に右耳を取られ、痛いっと思った時にはすでに遅く、手を当てると血が出ている。すぐに手ぬぐいをあてがうと、結構、出血している。しばらく押さえてから、カメラで自分の耳を撮ってみた。内側にかぎ裂きのような傷ができている。虫刺されと筋肉痛以外の薬はないので(バンドエイドはあったのだが、それを貼ることには気づかなかった)、ツバを何度も付けていたら、そのうちに出血も収まり、早々にかさぶた状(ただ血が固まっただけのこと)になってくれた。

(オロ山が近い。やはり、この尾根は右肩に向かっている)


(そして、1650mが真横になり、鋸山も見えるようになった)


 再び視界が開けた。1650mはすでに真横になっている。こちらの標高は1750m。一応の目標の目安は達成し、オロ山までの標高差は70mになった。三度目のコメツガ林に入る。もうコメツガは疎らで、隙間から中倉尾根が見えている。ここで安心し、つい痒くなった右耳に手をあてて余計なことをしてかさぶたを取ると、また出血。まったく治っていない。またつばをつける。早いとこ耳を洗いたいが、こんなことで水をムダにしたくはない。

(最後のコメツガ林を抜けて)


(中倉尾根に出る)


(オロ山直下)


(山頂の写真はこれだけ。狭い山頂ではオッサンの身体の一部がどうしても入ってしまうが、写真を撮ろうとしたら、気遣いもされなかった。無粋な人たちだ)


 11時16分。中倉尾根に出る。オロ山には12時前には着きたいと思っていたから、まずまずだろう。
 胸高のササの間にある踏み跡を追う。赤いリボンも目に入る。山頂はすぐそこだ。話し声が聞こえる。ハイカーがいる。ちょっとがっかり。オロ山に到着。11時28分。オッサンが二人いた。庚申山から来たのかねと聞かれ、いや、松木川からあの尾根を登って来ましたと答える。ここから中間尾根がすぐそこに見えている。へぇーでおしまい。お二人は中倉山から来たとのことだが、以降の会話はない。こちらは地下タビにヘルメットを背負っているから、普通のハイカーとは思われてはいないはずだ。
 ネット記事を何気なく見ていると、ここのところ中倉山も騒々しくなり、自分の登る山ではなくなりつつあるようだなぁといった思いがしてくる。ハイカーの趣向を見ると、中倉山からその先が歩きレベルの尺度になっている気配があり、沢入山はともかく、オロ山まで行けたら上出来、庚申山なら御の字といった傾向があるようだ。こうなると、もう自分の歩きスタイルはお呼びではなかろう。

(名物の山名板はあそこに垂れ下がっていた)


(手前の低い尾根が中間尾根で、奥が左岸尾根だ)


(ここで二度目の受難)


 早いとこタバコを吸いたいので、ナゲを漕いで東側に移動するが、途中で見た例の青い明大ブリキ山名板はいつもの場所から遠ざかった位置に裏返しになって垂れ下がり、ナゲが山頂領域をさらに狭めているような気がしてならなかった。
 二人の声だけが聞こえるところで休憩する。ここのナゲは花があるからまだ見た目の獰猛さを感じさせないが、悪ふざけはブラックユーモアで、オロ北に下るべく東に移動して行くと、片方のストックのスノーバスケットとキャップが消えていた。戻って探したが、ナゲヤブで見つかるのはまず不可能。あきらめる。一方は突き抜け、片方は抑え込みではストックのバランスも悪いので、無事なストックのバスケットとキャップを外したが、使いづらくなった。地面に吸い込まれてしまう。

(オロ山山頂を振り返る)


(オロ北大地へ)


(明瞭な踏み跡)


(盟主様をつい見てしまう。目標にして登った1650mは後方に去った)


 オロ北に適当に下ると、どこからともなく明瞭な踏み跡が出てきた。おそらく山頂からのものだろう。ここのところ、オロ北に行くハイカーも多いようだ。踏み跡を追いながら下って行く。やがてコメツガ斜面の傾斜も緩くなった。そして広い自然林の中の歩きになったが、なぜか踏み跡はそのヘリ、つまり西側に向かっている。おそらく、小高い小ピークを避け、歩きやすいところをということだろう。そんな歩きは望みたくもないので、踏み跡から離れ大地のセンターをヤブ漕ぎで行く。ところどころに踏み跡はあるが、どうも一定した踏み跡ではない。

(自分の標高板を探しながら歩いたが見あたらないまま)


(突端に出てしまった)


 先が見えてきた。そろそろだ。ここで自分が取り付けた標高板を探しながら先に行ったが、見つけられぬままに突端に出てしまった。まぁいいか。帰り道でいいだろうと、展望をしばらく楽しんだが、標高板のことがやたらと気になっている。
 実は、今回のオロ北大地にやって来た目的は標高板の交換なのだ。3月だったかにここを歩かれたふみふみぃさんの記事に、自分の標高板が随分とみすぼらしくなっているようなことが記されていた。設置から4年経過している。その間に場所を移し替えたりもした。山名板も標高板も、言うなれば我が分身のようなもの。そのまま放っておくわけにもいかない。だから、メンテというよりも、新しいのを作って持って来た。耐久性を考え、何度もニスを塗り重ね、その間に外で雨と陽にさらしもした。少なくともこれで2年は持つ仕上げにはしてある。本当は突端に「オロ山北の大地」とでも記して設置したいところだが、それをやると、あまりにも俗っぽくなる。「孤高のブナ」と何ら変わるところがない。

(大地突端から1)


(大地突端から2)


(大地突端から3)


 その分身が見あたらないのでは困った。何度も行ったり来たり、グルグルと回った。見つからない。ネットでもつながれば自分の取り付け記事の写真で確認できるし、とぼけた話だが、ふみふみぃさんの電話番号でも知っていれば、「つかぬことをお伺いしますが…」と確認できるが、ふみふみぃさんとて、こちら同様に今は圏外にいるだろう。さりとて出直すわけにもいかない。GPS地図をアップにした。標高点のある付近だったはず。だが見つからない。GPSもこんなものなのか、居場所が絶え間なくずれる。同じような姿の樹がやたらと続く。頼りは、瀑泉さんが記されていた「高いところ」だ。樹々は白っぽく、板は黒ずんでいる。同化しているわけではない。陰になっているところもつぶさに目を向けた。やはりない。

(ジャ~ンといきたいが、古いのはどこに隠れちまったのか)


(念のため。この位置にありますので。高さは低い位置ですわ。目印はサンバに合わせて踊っているような樹ですかね。また来てウォーリーを探すことになったら、だれかがいたずら移動したということになるだろう)


 探しながら、子供が小さい時、一緒に絵本でウォーリーを探したことを思い出す。群衆の中に複数いるウォーリー。不思議に子供は全部見つけ出すのが上手だった。今、そのウォーリーを探し出せないでいる。あんなものを取り外すハイカーがいるわけはない。オレも随分と焼きが回っちまったなぁ。あきらめた。新しいのを設置した。旧板は今度来た時に改めて探すことにしよう。

(引き返す。また来なくちゃいけなくなったなぁ。もう無謀ルートしか残っていないが)


(あそこの登りがきつそうに感じるよ)


(ショートカットルートで)


 オロ北に長居してしまった。突端に戻り、もう一度絶景を眺め、左右に目を配りながら中倉尾根に引き返すことにする。またオロ山山頂に戻るわけにもいかず、ショートカットルートとなるが、このルート、随分とテープが少なくなり、結果として見かけたテープは2本だけ。正直のところ、この踏み跡でよかったっけと疑問になる始末だった。以前にも記したが、初めての人なら、大方は心配になり、あきらめて山頂に戻るかもしれないし、北東寄りに下ってしまったらウメコバ沢の真上で立ち往生になるだろう。ここで唯一、コンパスを使う歩きになった。

(中倉尾根に出たが、何だこの暑さは。まして無風状態だ)


(まぁ行くしかない)


 中倉尾根に出た。13時14分。えらく暑くなっている。しかも無風。これは快適な山歩きの環境ではないな。すぐに樹林に戻って日陰で休憩する。そしておにぎりを食べる。標高板を見つけられなかったことにいくらか気落ちをしている。そして、赤倉山も銀峯の山名板も同様にひからびているだろうな。今のやり方で仕上げた板にそろそろ交換しないといけないなぁなんて思ったりもした。

(相変わらずの別天地尾根だ。途中でだれにも会いたくない)


(オロ北大地)


(庚申、オロ、盟主)


(オレも忘れるなと塔の峰)


 この先はいつものありきたりの歩きだ。あのXさんは今頃どこを歩いているのだろうか。対岸の展望を楽しみながらも沢入山方向に向かって稜線を歩いて行く。この暑さの中で、あの小足沢左岸尾根をシゲト山に出たとしたらたいした方だと思う。涼しい時季ならいいけど…。
 次第にバテてきた。ノロ足、立ち休み頻発、タバコふかしが多くなった。ここで、今さらながらのサングラス着用。すでに遅い。沢入山までが何とも遙かに感じてきた。果たして鞍部からの80m登りがこなせるだろうか。以前も、暑い時季に歩いてヘロヘロ状態で沢入山に到着した。あの時と同じだ。もうだれも歩いていないからいいが、一人でもハイカーの姿が目に入っていたら、あおられの焦りも加わり、かなりバテバテになってしまったろう。13時59分。

(ようやく沢入山)


(そして沢入山山頂。曲者の山名板。この先でもっと俗な山名板を見ることになる)


 山頂は相変わらず無風。身体はびっしょり。そろそろ臭いも出てきている。このままでは熱中症になりかねないと、塩分チャージタブレットなるものを2個、口に入れた。これは効いた。だが、このタブレットの袋をザックにしまおうと何気なく見ると、賞味期限は先月で切れていた。でも、いくらかしゃきっとしたことは確かだ。

(ようやく終盤が見えてきた)


(盟主様を載せたら、日光の盟主様も入れないことには)


(近づく)


 中倉山への下りはたいした負担はかからない。とはいっても、立ち休みは依然として続いている。中倉尾根を俗っぽい尾根にしてくれた象徴のブナを見て中倉山山頂に到着。14時48分。こんな時間だ。当たり前にだれもいない。ここで1リットル入りのペットボトルの水を飲み干した。あと1リットルある。

(なっ、なっ、なっ、なんだこれは…)


(おかげで、好きな構図の写真が撮れなくなったわぃ。RRさん、よろしくお願いしますよ)


 ここで見てはいけないものを見てしまった。いや、いやがうえにも目に入ってしまった。中倉山の象徴のあの山名板の脇、2mほど離れたところに真新しい、一回りは大きい立て棒付きの山名板が差し込まれていた。ご丁寧にもがんじがらめに大きな石を積み上げて固定されている。裏を見ると、先月の新設だ。引っこ抜いて、場所を移動させようとしたが、これがまた抜けない。何でこんなことをするのだろうか。山名板がすでにあるのに、不要だろうに。ハイカーだけではなく、山名板も加えて賑やかにするつもりか。お笑いだが、この山名板には「1499.6m」と記されている。この標高数値は南東の三角点(これとて、基準点名は「上向」だ)の数値であって、山頂の標高は1530mほどのものだ(山名事典には1539mとある)。地図も読めない方が恥ずかしげもなく設置したのだろうがまったくおかしなことをする。おかげで、東側から、あの従来の山名板を入れて写真を撮ろうとすると、どうしても障害物になってしまう。
 山名板といえば、あの沢入山の無粋なまな板のような縦長の山名板。わざわざ、チャリのチェーンを付けてカギまでかけている。何だか、来る度に、嫌な風景が加わるようになってしまった。一昔前は歩くハイカーもまれで、オロ山や庚申山まで足を延ばすのは覚悟物だったし、休日でも十分に静かな歩きを楽しめた中倉尾根も、今や様変わりだ。何度も記すが、ただのブナの樹に「孤高の」という冠をつけたばかりにこうなった。ブナの樹をバックにピースをして写真に収まるネット記事を見るのもフツーになった。

(下山にかかる。おとなしく一般ルートで)


(緑で暗い)


(来る度に道幅が広くなっているような気がする)


 落胆半分で下山する。当初はドーム尾根とやらを下ってみようかなと思いもしたが、やはり、それは上りで使ってみてからの下りにしよう。だれもいない平日を選んで。こんな気分ではえらい目に遭いそうだ。
 結局、一般コースでの下りになった。暑苦しい井戸沢右岸尾根を下りたくはない。一般コースもハイカーがどんどん入るので歩きやすくなった。道も太くなった。尾根を外れてからも、踏み跡はしっかりしていて、間違いやすいところにはロープも張られている。ただ、その分、滑りやすいところも多くなっている。かつて自分がテープを整理してから、付け加える人もいない。結局は、一度きり登ってテープをゴミとして残し他の山に移動しただけのことだろう。
 しかし、この一般ルート。今は緑が濃く、全体が薄暗い。サングラスのせいだろうか。風もまったく通わず、蒸し風呂の世界になっている。
 騒がしい声が聞こえた。前方を12人くらいのファミリーグループがばらばらになって下っていた。小さい子が多く、小学生にもならないような子も何人かいる。みんな礼儀正しく、地下タビで下るジジイを脇に寄って待機してくれる。ただ、こんな時間だ。この時季だからいいが、秋なら、親水公園に着く頃には暗くなっているはずで、少し無謀だなと思った。トップを抜いてしばらくは歓声も聞こえていたが、5分も経つと、再び静寂になった。

(中倉山の登山口。登山道の工事でもしたのだろうか)


(こちらは相変わらずだが)


 林道に出る。15時41分。もう身体はベタベタだ。臭いも強くなっている。林道歩きになると、自然に足裏も痛くなる。今やりたいこと。早いとこ井戸沢に出たい。井戸沢で顔を洗い、耳の血を流し、ついでに身体を冷たい水を浸した血の付いてない予備手拭いで拭きたい。そして、できるなら、股間とケツも清めたい。さっぱりしたところで、下着の上下は脱ぐ。車に替え下着はある。そんな段取りが頭にある。

(井戸沢の水は少ないだろうと予想はしていたが、無に等しい)


(洗面器一杯分の水では全身を洗えない)


 左手の井戸沢右岸尾根が下ってきて、ダムが見えてきた。ショートカットして井戸沢に出た。何と水が流れていない。見えたのは伏流の溜まった小さな水たまりだけ。水は静かに流れてはいるものの、下半身を優先すると、顔は洗えなくなる。仕方なく、血の付いた手ぬぐいをきれいに洗い、それで顔を拭き、上半身を拭くだけに済ませた。どうもすっきりしない。下着はそのままだ。どうも股ぐら周辺部が汗ばんで不快でしょうがない。
 今日は最近名物になったらしいキツネを見たかった。せめて帰りがけでもと思ったが、見ることはなかった。暑さのせいで夜行に戻っているのだろうか。キューゾーのケーン、ケーンだけは元気に雄たけびをあげている。

(いつものこれがやたらと咲いていた)


 途中の広場で朽ちかけた丸太に腰をおろす。朽ちかけどころではなかった。尻がそのまま音もたてずに沈んでしまった。それはそれでいい。座り直しもせずに最後の一服。何だか長かったなぁ。中倉尾根に至って、暑さでバテてしまった。せめて風が欲しかった。
 今日の目的は標高板の取り替えだった。それはかなわずに増設で終わってしまった。失策だった。いずれ古い物は撤去するつもりでいるが、今日の秘策のゴケナギ沢の中間尾根は正解だった。ナゲとコメツガは予想もしなかったが、その間の歩きは、展望の良い気持ちの良いものだった。中倉山の山頂の俗化を見たのは余計だったが、一応の満足としよう。

(いい加減に疲れて)


(もはや暑苦しい西日の中倉山。まだギラついている)


(この中にXさんのお車はあるのか)


 駐車場に入った。車は10台ほどある。隣の軽もそのままだ。Xさんはどうされたのだろうか。お車はまだあるのか。この時点で、あの方がXさんらしきことはわかっていないから車のナンバープレートで特定ができるわけもない。
 車載の温度計は28℃になっている。暑いわけだ。すぐにエンジンをかけてエアコンを入れた。下着を取り替え、気分的に半分はすっきりだが、下半身はパンツを取り替えても生ぬるい感じが続き、ケツにべたりとへばり付いている。替えズボンを忘れてきたから余計に不快だ。
 冷たい生ビールを一気にあおりたい心境だが、今夜は『万引き家族』の予約を入れている。おとなしく家路に就いた。

(後日談)
 ここで記した「Xさん」だが、ふみふみぃさんのコメントによれば、やはり予想通りに「きたっちさん」だった。確証はなかったのでよほどに「Kさん」にしたかったがそれは控えた。これもふみふみぃさんからのコメントによれば、あれからシゲト、黒檜、大平山、さらにとんでもないルートで下られたらしい。もしかしたら、三沢に接した尾根末端に出られたのかも。そんなことをおっしゃってもいたし。やはりすごい方だ。
 ご本人を前にして小足沢尾根の直登をすんなりと「よした方がいいですよ」と言ってしまったが、これは大変、失礼なことだったようだ。むしろ背中押しをして登っていただければよかったと後悔している(笑)。

赤倉山南尾根の下部はしろうとレベルの域ではなかった。まさか戻れない状況のままに必死になって登ることになろうとは…。

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◎2018年6月23日(土)

県道上駐車地(6:14)……南尾根取り付き(6:34)……1004m北の南尾根に復帰(8:17)……1325m標高点付近(9:28)……赤倉山(9:54~10:34)……1314m標高点付近(10:57)……1166m標高点付近(11:13)……半月道・深沢古道(11:22)……深沢左岸尾根(11:49)……1155.5m三角点(12:14)……945.2m三角点(13:06)……引き返し(13:09)……林道(13:25)……駐車地(13:37)

 赤倉山の山名板のメンテナンスをしなきゃいけないなとずっと気になっていた。設置から3年の間そのままにしている。果たしてメンテレベルで済むのかどうかも怪しい。赤倉山の山行記事の写真を拝見する限り、板はかなりみすぼらしくなっているようで恥ずかしくなる。
 赤倉山に行くからには、歩いたことのないルートで行ってみたい。県道側から派生する尾根を使って登ってみたいものだが、一度失敗しているし、見るからにボロボロの尾根ばかりだ。さりとて、工事用の階段を使うのもどうかなぁと思ったりする。ふと、山名板の取り付けの際、南尾根の1004mと1325m標高点の中間あたりに南東側から登って出たことを思い出した。下には歩きやすそうな明瞭な尾根型が通っていた。もっとも、地形図を見る限り、しっかりした尾根型になるのがどの辺りからなのかはわからない。1004m標高点までどうやって行くのだろうかというのが素朴かつ直面する問題だ。
 あの南尾根(正確には南南西と記すべきだろうが、面倒なので以下、南尾根とする)、末端から登れやしないか。地形図では下部はゴチャゴチャと入り組み、岩場マークやら砂防ダムらしきものが豊富にあるし、崩壊地もありだ。すっきりした尾根型になってはいない。あっさりと登れるわけはない。西側のボコボコの回廊のような狭苦し気な尾根にマーカーを入れてみた。ゴチャゴチャを避けながら1004mの北側に出られそうだが無理かなぁ。
 南尾根、ネット記事に2件ほどあった。1件は仮面林道ライダーさん。途中で撤退している。もう1件は、それなりの方だから、自分には参考にもならないし、ヤマレコ記事だ。詳細なレポにもなっていない。両氏ともにやはり、自分が考えたルートだった。それしかないのだろう。ライダーさんの記事写真に、撤退場所からの「正解だと思われるルート」が記されている。これを刷り出してみる。行ってみるか。どうでもいいことだが、この時、ライダーさんは赤倉山、半月山、茶ノ木平を経由して細尾峠に出る計画を立てていらしたようだ。自分には途方もないコースに思えた。そこまでのタフネスを自分は持ち合わせていない。

(17日撮影。1004m標高点と思う。ピークのように見えるが、地形図では、後ろは一旦下ることもなく尾根がそのまま登り上げている。後ろに10mに満たない下りでもあるのか)


 実は先週の17日にも来ていた。足尾は霧雨だった。雨の上がる気配はなく、引き返して映画を観に行った。雨では岩場も滑る。ヘタすれば死ぬ。家族談として山名板がどうこうと言っていましたけどね…と新聞にでも出たら笑われる。この日、HIDEJIさんは晴れ渡った中禅寺湖南岸尾根を歩かれていた。時間的に赤倉山に着いてから晴れてもしょうがない。問題は今の雨だった。

 郵便局脇の道を上がってすぐの空地に車を置く。末端からでは人家もあって無理だし、落石の巣のような斜面にも見える。脇から尾根に取り付くしかない。まして、今日の下り予定は、以前、途中から逃げた深沢左岸尾根を末端まで行って下るつもりでいる。車を置くなら、ここがちょうど良い。すぐ目の前に降り立つことになる。駐車地の件で横道に逸れるが、Googleマップを見ると、赤倉郵便局のちょっと親水公園寄りにPのマークが記されている。ここは深沢にかかる橋の先の右手の空地かと思うが、ここに車を駐めて問題ないのだろうか。いつも気になっている。
 足は悩まずに登山靴にした。岩場通過は避けられない。地下タビのスパイクで引っかけでもしたらヤバいことになりそうだし、岩場登りにはどうも不安定な気がする。瀑泉さんレベルまでスパ地下を使いこなせてもいない。ヘルメットをかぶると一応は緊張もする。ザックの中には30mロープ。さりとて、ハーネスやら金具類も持ちはしない。あくまでも、下る際にロープを樹にでも引っかけて素手で使うだけのことだ。ハイトスさんから教わったロープワークはすでに忘れているし、改めて修得する気持ちはさしてない。先に行けなかったら戻る。それが基本だ。もっとも、戻れればの話だ。こう敢えて記したのも、後でそうではなくなったからなのだが。

(南尾根の末端部ちょい上。正面から取り付く)


(斜面はわりとゴチャゴチャしている)


(尾根に乗る。ヤブ尾根だった)


 まずは目の前の柵を越えて深沢を渉らないとならない。柵を越えると、高い石垣があって、すんなりと沢には降りられない。上流に向かうとヤブ。下半身はすっかりと濡れた。遅まきながら、ここでスパッツを巻き、時間をとられる。スパッツは通気が良くないので嫌いなのだが、今日は、結局、最後まで付けていた。
 沢に出ると、音を立てているわりには水はほとんどなく、濡れずの河原歩きで尾根に向かう。シカ道を辿り、さらに、この辺は植林やら護岸工事の作業道らしきものがあり、一部ズルズルもあったが特別な支障もなく尾根に乗った。真下に赤倉の集落が見える。60mほどの標高差だが、尾根の斜面は見えていない。石を転がしたら、菓子折り持ってスミマセンでしたでは済むまい。

(見下ろす。尾根は見た目よりもかなり傾斜が強かった)


(ヤブも少しは低くなる)


 尾根はヤブで荒れている。工事関係者が歩いた踏み跡らしきものはあるが、すでに相当に日が経っているようだ。ここの標高、せいぜい750mからでは、左の視界の中倉山も横場山が立ちはだかり、頭しか見えていない。
 カヤぼうぼうの中を登る。右手からは朝陽が昇り、今日は暑くなりそうだが、足元は草露でさっきよりもびっしょりになっている。シカ道だか作業道の細い跡を登って行く。あちこちに錆びたワイヤーが散乱している。中倉山も上半分が見えてきた。

(早速のお出まし)


(1004m標高点。その後ろ、二段構えの尾根が見える。手前が下り予定の尾根で、奥が田元まで続く長い尾根だ)


 正面に1004m標高点らしきピークが迫る。地図上は、その1004m先も上り続きになっているが、ここからでは屹立したピークに見える。こちらもそろそろ岩場歩きになってきた。やけにお出ましが早い。目の前に小さな岩峰が2つ。これを越えるのに問題はなかろう。むき出しの岩峰ではない。右を見ると、深沢左岸尾根の945.2m三角点から南に分岐する尾根が長く続いている。末端は国道122号線がカーブする田元の交差点になるが、いずれは歩いてみたいと思い、先日来た際に、県道側(間藤側)にうやむやながらも下りられそうだったのは確認した。肝心の今日の下り予定の尾根は、下部は問題なくなだらかのようだが、上部はちょっと急で、ザレたところも見えている。あそこの下りは試練かもなぁ。

(精錬所跡の後ろの高台にあるのはソーラーパネルだった。中倉山も次第に姿を出してくる)


 精錬所跡の後ろに貯水池のようなものが見えている。あれは何だろう。沈殿池ではあるまい。浄化施設か。実はこれ、後で写真をアップで見るとソーラーパネルだった。何十年も前に秋田の山あいの町から足尾町に移り住んだ際、最初の印象は、何て日照時間が少ないところなんだろうというものだった。冬だったから余計にそう感じたのだが、その印象はいまだに持っている。ソーラーパネルの施設を設けても、効率良く蓄電できるとは思えない。まして西側には山が迫っている。午前中だけの太陽光の吸収だろう。下を見ると、かなりの高度感があり、斜面は省略されて見えず、真下に人家の屋根が続いているといった具合になっている。

(大岩。ここを直登したわけではない。ただ、半ノドカラ状態にはなりつつある)


(下を覗く。先に進んでいた感じにしては町がまだ真下に見えている。足元の大石を転がせばどういうことになるのやら)


 目先の小さな岩峰だが、大岩の下には石垣も築かれていて、そちらに関心が向いたからだろうか、あまり恐い感じはしないで歩いた。別に楽勝気分で歩いているわけではない。左は切れているし、右転落にしてもかなり落ちそうだ。ところどころにザレもあって、足場は安定していない。ノドがそろそろ乾き出している。ここからならまだ戻れる。撤退するなら、せめてライダーさんが行ったところまでは行っておきたい。

(ザレもある)


(前掲の写真と同じような構図になってしまったが、足尾の山好きな方には相応に感じていただける風景だろう)


(あそこに行くのは厳しいかと)


(ここを下って巻こうとした)


 1004mがどんどん近づく。真正面に見ると、やはり岩峰じゃないか。あそこをああ行ってこう行って1004mと、シミュレーションは可能だが、この先は下っての鞍部になっているようで、1004mは別山といった感じがする。下った先から直登するには途中に岩場の横並びがあって、素人にはかなりきつそうだ。よく見ると、1004mの裾の右には砂防ダムがある。あれをうまく使えばといったプランもあるだろうが、そこにすんなり行ける保証はない。

(1004mの全容が見えてくる)


(まばらだが、うっとうしい存在であることはナゲと同じだ)


(そして、結局は厳しいところを巻いて下る。そこが鞍部だ)


 小さな松がヤブになって歩行の邪魔になる。こうなるとナゲと変わるところがない。目の前にまた岩峰。その先はストーンとでもしているのか。ナビを見ると、今、例の狭苦しい回廊に入り込んだばかりの位置にいる。実は、さっきの岩峰からすでに中盤だろうとばかりに思っていた。どうも、ここからが正念場らしい。
 正面の岩峰、巻けやしないか。先の下りが恐そうだ。右下を見ると、シカ道らしい踏み跡が岩峰の先に続いている。ではそれを使いましょうかとなったが、なぜか、結局は下って登って岩峰の上に出ていた。そして、またシカ道で大回りして、岩峰を越える形になった。ムダな足運びをしたようだ。鞍部に到着。余計なことをして体力を消耗しただけのことだったらしい。

(鞍部から1004mを正面に見る。下に堰堤がある。上部には岩壁があるが、溝を登れば行けそうな感じはした)


(振り返って。これが地図上の細い回廊)


(鞍部から。写真では楽勝ぽいが無理。左手からの大回りになる)


 休憩する。水をガブ飲みして一服。ここならまだ戻れる。つかまる樹々もあったし。GPSを見て地図と照合する。回廊はここで終わっている。ということは、これから左側を迂回して1004m上に出るといった形になる。ここから1004mを眺める限り、砂防ダムも近くなっているし、周囲の岩尾根を避けるなら、砂防ダムから緩そうなガレ沢を登り詰めるか、その左の溝を行けば、岩にはぶちあたらない感じだが、1004m直下がどういう状況になっているのか。思案の結果は、ライダーさんの「正解だと思われるルート」もしくは、もうお一方のルートで行くことにしたが、後で、撮った写真をアップで見ると、やはり、岩峰群の間の溝を通って、正面から1004mに登った方が無難だったかもしれない。それなら地下タビでも行けたはず。ただ、場合によっては、1004m目前で、戻れずにセミになっていた可能性もあるだろうけど。

(こんなのを右上に眺める。どうも、最終的にあそこを登ったようだ。もう気もそぞろになっていた)


 正面から離れて左に行く。右手にはゴツゴツと岩場が続く。運よくトラバースのシカ道が続いていて、これを頼る。ただこれも危ういもので、どんどん西側に向かい、隣の谷の際に出てしまった。これでは行き過ぎだが、このガレ谷は意外に緩く、エスケープで下れるかもしれない。はるか下に重機が見えている。戻らずともに、ここから撤退できるわけだ。一応、ここからの退去ルートは確保できた。ただ、崩壊しつつある赤倉山のガレ沢の下りは半端なものではないだろう。以前、体験もしている。非常に恐かった。

(右手。オレの世界ではないね。素通り。といっても気楽にトレッキングしているわけではない。足元の左はかなり転げ落ちそうになっている)


(これは中倉山を撮ったわけではない。左手・西側の尾根が何ともうらやましく感じている。もっとも、あの下部もまたザレ尾根で近づけやしない)


(あのシカ道を下って来たようだ)


 進路を右側に修正すると、岩場に突入した。左に並ぶ尾根が緩やかに見えるが、ここからでは谷超えになっていてあっさりとは至れない。さて、この先の岩場だが、地形図の岩場マークはもう頼りにならないにせよ、さっきの鞍部から眺めている限りは、そんなゴツゴツしたところには見えていなかった。こんな低い岩場は地図には反映されないのだろう。
 すでにライダーさんがマークされた「正解と思われるルート」はどれがどうなのかわからなくなっている。ひたすらに、シカ道を追いながら左から右上に向かっている。そのシカ道すら消えてしまった。
 実はこの先、行ってまだ日も浅いのに、あまり記憶が鮮明ではない。それだけ登り上げに必死になっていたせいだ。撮った写真を見ては、あぁ、こんなところあったなぁといった調子で、どうも詳細を思い出せないし、文字で記すこともかなわない。岩の間を通ったり、急斜面のザレ場をトラバースしたり、岩を登ったりで、結局は、もう後戻りできない状態になっていた。一時的にほっとした時には、すでに1004mの位置よりも上がっていたし、左手に赤倉山が顔を出していた。
 1004mからの尾根が右手に近づいたことで、ほっとし、そちらに移動しようと考えもしたが、まだそう簡単には行けそうにはない。間に挟まる谷間は急で、ここから谷間に行くにはロープを出さなきゃいけないようだ。ただ、引っ掛けて安心できそうな樹はないし、大きな石にでも巻いたら、もろ共になりそうだ。

(ラストの岩場登り。ここから見る限りは楽に登れそうだが、それは危険性のない平地から登った場合の話だ)


(中断から見下ろすと、登った岩そのものが見えていない。さらに先まで行って確認する気にはなれない)


 正面に20mほどの岩場が現れた。壁みたいになっている。これがラストであって欲しい。幸いにも、この岩場はノッペリしたものではなく、ゴツゴツしていて手足がかりに悩むところはなさそうだ。だが、ボロボロのところもあって、しっかりと確認してからでないと、手足を預けられないし、場所によっては根が強く張った草に頼るところもある。もう腕力の世界になっている。中段で一息入れる。下は見えていない。完全に退路を断たれてしまった。もう上に行くしかないようだ。

(1004mから続く尾根がすぐそこにある。早いとこあそこに逃げたい)


(そして赤倉山。深沢側からのルートとはえらい違いだ)


(ようやく近づいた尾根に向かう)


(ここでお呼びでもないケルンを積む)


 願ったとおりにラストの岩場だった。右手の1004mからの本尾根が平らな斜面で続いている。クマにでも襲われない限りは五体満足で帰れる。ついさっきまで、町が遠くに見えるから携帯もつながるだろうし、救助要請も可能だなと思ったりしていた。このルートで来ることはもうないが、記念にケルンを積む。1020m。見下ろす。自分がどういうルートでここに至ったのかからきしわからない。ただ、家に帰ってからカシミールで軌跡を確認すると、ほぼ事前に地図に書き込んだマーカールートと一致していた。
 本尾根に合流して15分ほど休憩。ぐったりした。もう、赤倉山からは一般ルートで下り、そのまま深沢古道から帰ることにしようか。ヘルメットを脱いで帽子にする。そして、ストックを出す。身体はもうベタベタになっている。風が少しでもあれば気持ちも良いだろうが、風はまったくない。

(改めて備前楯山と)


(中倉山。下には銅親水公園が見えている)


 菓子パンチョコを食べて一服。ここまで2時間かかった。さも長そうに感じるが、単に文章がダラダラになっただけのこと。出がけは青空が覗いていたのに、空に青味はすでにない。この先は雨になってもいい。途中、どこからでも東に逃げられる。ここまでの間に雨になっていたら…。考えただけで恐ろしい。岩場のプロには物足りないところかも知れないが、アマの自分には十分に無謀で限界超えだった。また髪の毛が抜け落ちた気がする。これはヘルメットと汗で髪の毛がペタリとしているせいか。
 中倉山はもう丸見えになっている。銅親水公園も見えた。駐車場をズームで撮って再生する。10台くらい駐車している。中倉山のブナの樹、そして2週間前に新設の山名板を見て以来、中倉山が自分から離れてしまった存在になりつつある。若い頃なら、恋人が何やかやの理由をつけて徐々に離れていった時の複雑な気分か。さりとて自分本位に恋人を恨むのでは中倉山自身にしても不本意だろう。自分は変わらずとも、相手は周囲の環境で変わっていくのだ。あの10台のうち、何台分かのハイカーは中倉山に行っているのだろうが、果たして、2枚の並んだ山名板を見て何か感じるだろうか。初めての中倉山なら、何も感じないだろう。こんな泣き言を記してもしょうがないか。でもしばらくは足尾の山に行く度に同じ思いが続きそうだ。

(この先、かなりおとなしくなった)


(振り返る。町はまだ見えている)


 先はかなりほっとした歩き気分だ。もうちょい行けば、以前歩いたルートにぶつかる(記事では認識不足のままに「南西尾根」としている)。3年前に先で合流した際には、天気が晴れてはいても、木立や緑でちょっと暗い感じのする尾根だった。

(飽きもせずにケルン積み)


(やはり薄暗い尾根に入り込むことになった。恐怖心はもう消えるだろう)


(普通の、どこにでもあるとしか言いようがない尾根)


(崩壊地だが、危険な感じはない。ここ一か所だけ)


 樹林帯に入る手前1125m付近で再びケルンを積む。地図上の小ピーク。ここはザレた平地だった。左に赤倉山はまだ見えている。なるほど、歩きやすい尾根だ。登り使用のためか、迷うところはない。尾根幅も狭くはなく、両サイドが切れているところもない。特徴のない尾根といったらそれまでのことで、下部の獰猛さに比べると至っておとなしく、地味な尾根といった具合だ。一か所、左が崩壊しているところがあった。これとて、問題なく通過できるし、誤って転落したとて、相当に流されることはないだろう。

(障害はなく歩きやすい)


(3年前、この辺でこの尾根に合流していた)


 そろそろ、前回の合流点にさしかかる。1160mあたりでの合流だった。あの時と時季的にはさほど変わらない。この先、同じようなことを記しても意味もないので割愛するが、違ったことといえば、確かケルンを積んだ記憶があるが、それがバラバラになっていたこと。そして、クマと思しき足跡が多かったことぐらいだろうか。この尾根、アカヤシオの時季に来れば、かなり楽しめるらしい。

(相変わらずに変化のない尾根を進む。ヤブでないだけでも助かる。ナゲとてない)


(左手視界。青空は消え、雲も低くなってきたようだ)


(赤倉山山頂が近づく)


(赤倉山山頂)


 ということで、中略して、踏み跡も明瞭になった赤倉山に到着した。早速、山名板メンテの作業にかかろうとしたが、その前に、これまでの山頂のイメージと違った感じがした。三角点の周辺のササは刈られてすぐにわかったし、あちこちに踏み跡のあった北側へのルートも刈り払われていて、高いササの間の明瞭な道になっている。随分と訪れるハイカーも多いのだろう。ひなびた足尾の赤倉山が静かに存在感を示しているのもまたうれしいものだ。

(何ともはやの山名板)


(取りあえずメンテ用具を一揃い出す。シートに座って、じっくりとやるつもりでいた。ちなみにこのシート、別に自分の趣味ではない。子供が小さい頃に使っていた物だ)


 山名板は想像以上に具合が悪くなっていて、ニスどころか、焼いて焦がした表面の黒そのものも消えていて、板に裂け目も入り込んでいた。この3年の間に、多くなったハイカーにこの山名板を見られたり、撮られていたとしたら、本当に恥ずかし限りだ。これ、メンテは無理だろう。交換だろうな。さりとて、新品を用意して来てはいない。
 メンテ用具をシートに広げ、固定用の針金をペンチで切っていると、南東の方角、これもまた刈り払いされた道の方からガサゴソと音がして、こりゃマズいと、腹に入れた熊除けスプレーを手に握る。ヤブから顔を出したのはネエちゃんだった。引き続きはいない。単独の女性ハイカー。本当に驚いた。こんな山に女性一人で来るとは。
 作業中の姿を不審に思われたくなく、事情を説明し、三角点はそこにあるよと言うと、それカシて、カシてとおっしゃる。何をするのかと眺めていたら、オンボロの山名板と三角点を並べ、スマホで写真を撮っていた。
 ネエちゃんは、今度来た時に山名板が新しくなっているのが楽しみだと言っていたが、どこをどう歩いて来たのかを聞くと、半月道っていうのかなぁ? とどうも釈然としない。半月峠から来たのかなと思ったら、郵便局の脇から入って来たと言う。ここで半月道は深沢古道であることを思い出した。じゃ、白い車を見たでしょと言うと、その脇に駐車して歩いて来たそうだ。
 スマホを出して、これで来たのと見せてもらった記事は『オッサンの山旅』の赤倉山紀行だった。ここは圏外だ。事前にスマホにネット記事を保存できるのかどうかは知らないが、それを頼りに来たらしい。もしかしたら、地図も持たずに来たのかと思い、地図を広げて説明すると、やはり、自分の歩いて来たルートはぴんとこないらしい。赤倉山も中倉山レベルになりつつあるようだ。
 これからどうするの? と聞くと、やはり自重しているというか、わきまえているのか、そのまま登って来たルートを下るとのこと。その点は賢明だ。

(こんにちは。さようなら。気をつけて下りな)


(山名板は撤去の運びとなった)


(三角点周辺はきれいになっている。一時期、ヤブの中を探し回ったこともあった)


 ネエちゃんは山頂に10分もいなかった。こちらが作業をしようとしていたから遠慮でもしたのか。別れ際に引き止め、後姿をブログに出すから写真を撮らせてと言うと、こちらに正面を向けてしまった。そのまま載せるわけにもいかないので顔はぼかしたが(笑)。
 さてと、取り外した山名板のメンテ作業に入ろうとしたが、やはり、これではどう対処してもメンテで済むはずがない。撤去するしかない。いずれ、足尾の山好きなだれかが、山名板を新設してくれるだろう。一応、今度来る際には新しい山名板を用意はするが、あったら、取り付けはしない。今の板とて、山部氏やら栃木山紀行氏の板がなくなったから取り付けただけのことなのだ。今回もまたまともなメンテナンス活動はできなかったか。
 メンテ用具を片付け、食事をしていたら、山頂に30分以上もいてしまった。その間、絶えず羽虫が寄ってきてまったく落ち着かなかったが、中に蚊ではないブヨか毒虫もいたようだ。左手首を刺され、その場はキンカンを塗ってごまかしたが、夜になると腫れ上がっていた。ちなみに、タバコを吸い出すと、羽虫もどこかに消えてしまった。

(下る。すっきりした道になっていた)


(いつもながらの好きな風景1)


(いつもながらの好きな風景2)


(いつもながらの好きな風景3)


(深沢古道への下りはヤブ道)


(このヤマイチの古河マークの石標、最初から最後までやたらと目にした。赤倉山は古河の所有地なのだろう)


(1314m標高点付近)


(そして1166m標高点付近)


(深沢古道に出て休憩)


(やはり馬車道でもあったのか)


(左岸尾根への登り)


 深沢左岸尾根に出るかどうか迷いながらの下り。茨倉山方面への踏み跡は道になっている。先のピークから、3年前同様に、1314m、1166m標高点を経由して深沢古道に出た。こちらに明瞭な踏み跡はなく、入口にテープがあるだけだった。
 古道出合いで休憩したが、このままに車に戻りたいのが本音のところで、実は雨が降り出すのを期待していた。だが、恵みの雨は降らず、仕方なく、この先から左岸尾根に登った。南尾根の岩場で体力を使い果たしてもいたので、80mの登り返しはしこたまつらかった。

(左岸尾根に出る)


 雨がポツリときたのは、左岸尾根真下に来てからのことで、もうすでに遅い。尾根に出て、石にペタリと座り込み、ここで0.5リットル入りのペットボトルの水を飲みほす。水はあと1リットルある。さて、雨が降ってきたからには、前回、右に下る作業道の存在が気になってもいたので、それを辿ってみようか。逃げの口実ができた。しかし、雨はいつまで経っても本降りにはならず、気持たせのポツリポツリがずっと続いているだけだった。

(尾根伝いは左上に直進。気になっていた作業道は右。これを選び、さっさと下に出るつもりでいた)


(結局は防火線)


 以降のことも前回の記録に記しているので割愛するが、1150m級ピークの手前にあった作業道、これはただの巻き道で、巻き終えたところで、尾根の防火線に合流しただけのことだった。何とも残念。このまま歩き続けなければならなくなってしまった。

(1155.5m三角点)


(途中で消えかけたが、防火線の終点・始点はここらしい。広場のようになっている)


 1155.5m三角点を通過して下る。広場のようなところに出て、前回、西に逃げたところにさしかかる。ここまで来たら、気分はもう予定通りに945.2m三角点経由での下りになった。その先は地図ではゲジゲジ状に取り囲まれている。下れないようなら、三角点から戻って鞍部から北西に80mも下れば林道に出られるはず。フィニッシュが急斜面のザレ場下りになるようなら、潔くあきらめよう。自分の車を右下に見ながらの滑落ではサマにならない。ただ、少なくとも出発時に見た末端の感じではすんなりと下れそうだった。

(右にフェンスが出てくる)


(ここはちょっとした展望地だが、見るべきほどの展望はない)


(フェンスを越えて見えた945.2m三角点峰)


 右手にフェンスが出てきた。それに沿って緩やかに下る。展望地らしきところに出ると、シカ除けの柵であると記された説明板が置かれている。こんなものがあってもなくともシカ除けであることは理解できるが、「森の緑を取り戻すために、云々」と書かれているところからして、左はヒノキの植林だ。フェンスの向こう側に幼木が目立つから、西側の斜面に植樹をしているのだろうが、シカはどちらにもいるし、まして、フェンスはあちこちで倒れたりしている。設置位置としてはまったく意味のないフェンスになっている。この展望地、地図では崩壊地に接しているところだ。簡単にフェンスから出てみたが、下を覗き込むことはできなかった。かなりの急こう配だ。ここで一服する。ここから、先の945.2m三角点ピークが見えている。くたびれた感覚と身体には、かなり高く見える。

(鞍部にさしかかる。気持ちの良い疎林の広場といった感じになっている)


 明瞭な作業道が続く。左の植林は遠ざかり、疎らな自然林が広がる。尾根型は不明瞭になったが、右手側を歩いている限り、迷うことはない。また植林が復活し、一時的に消えたフェンスもまた現れる。雨は依然としてポツリポツリ。
 鞍部を通過。ここに戻って林道に下るかもしれないと、下を観察する。結構緩やかで、険しい感じはない。そして、疎林の中の下りだ。安心して下れそうだ。

(945.2m峰への登り返し)


(フェンスが右に続いているから作業道の跡だろうな)


(ちんまりと三角点の石標)


 上りになった。本日最後の登りになる。ぜいぜいしながら945.2m三角点に到着。広い草むらに小さな石標が置かれている。四等・点名「深沢」。いよいよ、ここからの下りがラストの課題だ。先に行くと、いきなりシカの親子が飛び出してきて、こちらの存在を確認するや逃げ去った。びっくりした。どうも、向こうから上がって来たようだが、四つ足なら問題なく歩けるのだろう。二本足ならどうなのか。やはり四つ足にならなきゃいけなくなるのか。

(本気モードで先に行くが、かなり不安になっている)


(どうも自分の世界ではないようだ。ここで退却。すでにフェンスはない。フェンスは田元側に続いているのだろう。少なくともフェンスがあれば行っていた)


 当初、駐車地から下り予定尾根を眺めた(「見上げた」ではない)際には、なだらかに見えていたが、ここに至って、どうもそんな状況にはない気配を感じている。というのも、945.2m三角点から左に分岐して南の田元交差点に続く尾根は緩やかに先まで見えているのに、こちらの直進尾根は、右は切れ、直進の先がまた見えていない。ちょっと先まで行ってみた。近づいても見えているのは、その先がどうなっているのかわからないコブと、その先の県道沿いの家の屋根で、かなりの落差がある。ここで撤退の決定打となったのは、右下に見えるザレたコブのピークだった。そこを通るわけではないが、おそらく、直進もあのコブのようになっているのだろう。よく見えていないから、余計な想像をしてしまう。
 また髪の毛が抜けそうだなと思った。案ずるより産むが易しとは言うが、この先の末端まで行って、下の様子を覗く気にはなれない。おそらく、一時的ながらもザレた急斜面になっているのだろう。こりゃ撤退だな。

(鞍部に戻り)


(石垣を見たりして)


(適当に下ると、ずっと先に林道が見えた)


(林道に出た)


 鞍部に戻って下る。ヤブは低く、どこからでも下って行ける。ほどなくして先に林道が見え、あっという間に林道に出た。後は林道歩きだ。歩きながら、せめてあの尾根の先を覗くくらいはすれば良かったかなと思ったりしたが、恐怖心があったのではどうにもならない。いずれ、下から登ってみることにしよう。意外とあっけない尾根だったかもしれない。まぁ、こうして、安全策でドキドキで下ることがなかっただけでも幸いだ。

(林道から。右が1004m。左の凸凹を歩き、向こう側に巻くような形で1004m上に出た)


(下る予定尾根の末端部。ここは何も問題はない)


(まして、末端はこうすんなりとなっている)


 林道を10分少々下ると駐車地に着いた。雨のポツリの間隔は短くなりつつある。赤倉山で出会ったネエちゃんの車はすでにない。四角く乾いて残った駐車跡の路面はない。
 身体を水に浸した手拭いで拭きたかったが、近くに水場はない。荷物整理をし、着替えしようとしているとようやく雨の降りが強くなった。後ろのドアを開け、その上に傘を開いて着替えをした。雨でもう涼しくなっているので、タオルで身体を拭って着替えをしただけでも、ある程度はさっぱりした。この間のように、替えズボンを忘れることもなかったし。

(ようやく本降りになった。これがもっと早かったら、今日の歩きは変わっていた)


 そろそろ帰るかと車のエンジンをかける。ちょうど2時だ。ほぼ同時に雨が本降りになった。

 今日の歩き、南尾根の下部には本当に参った。ある程度の予想はしていたものの、自分レベルで戻れない程とは思ってもいなかった。そして、帰路の三角点からの下り。この駐車地からすぐ上のことだ。下る以前に尻込みをしてしまったが、実際はどんな状態なのか確認もできなかった。短時間で済みそうな上りだ。ついでの時にでもここを登ってみることにしよう。その時は、田元までの周回をしてみようか。ついでの赤倉山ということはないだろう。

東北の山に涼を求めて…なんてさわやかなものではなかった船形山。

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◎2018年7月15日(日)

旗坂キャンプ場駐車場(6:30)……鳴清水(7:40)……三光の宮(8:35)……大滝コース合流(8:40)……鳥居(9:00)…升沢小屋(9:23)……千畳敷分岐(10:35)……船形山(10:53~11:26)……千畳敷分岐(11:37)……蛇ヶ岳(12:13)……瓶石沢・合流(12:45)……駐車場(14:30)

 宮城の山までわざわざ出向いたのは他でもない。孫の顔を見たかっただけのことで、船形山はついでにと旅程に入れ込んだだけの話だ。泉ヶ岳でもよかったが、群馬から出かけて泉ヶ岳では何となくもったいない。船形山は200名山らしい。行ったことはない。じゃ、それにしようと思って選んだ山で、紅葉は北東北の山と決めているから、南東北の山の情報はあまり詳しくはなかった。ところが、この山に行ってみると、かなり紅葉がきれいになる感じがしたので、帰ってからネットで調べると、やはり、紅葉が絶品の山となっている。どうも歩く時期を間違えてしまったようだ。
 東北の山だし、少しは涼しいかなと期待もしていたが、それは甘かった。山歩きのブランクもあり、暑さにバテバテの歩きになってしまった。樹林の中にたまに通う風、山頂の強い風は心地良いものだったが、終始、汗だくの不快な歩きが続いた。紅葉の時期にまた改めてとなると、一般コースながらも「登山口から登り7.6km、4時間30分」ではどうも…と考えてしまう。

 娘の嫁ぎ先は仙台市ではないが、隣接しているところなので以降はアバウトに仙台としておく。東日本大震災の時には津波がモロに押し寄せたところだ。現に、娘の亭主のジイチャン、バアチャンがともに亡くなっている。さて、その娘、愚かなことに、こちらの反対を押し切って先方の家に同居してしまった。それ見たことかと姑との確執が始まり、子供が生まれると加速度的になり、結局は最近になってアパート住まいになった。定職にも就いて子供は保育園。それがきわめて当たり前の結末だが、こちらにしてみれば、娘の住むアパートに気兼ねなく泊まれるというメリットにもなった。これまで嫁ぎ先の家に何回か行ったことはあるが、日帰りか夫婦して近くのビジネスホテルに泊まっていた。
 せっかくの三連休だしと妻に誘いをかけると、こちらは町内会のお祭りのお札配りがあるとのこと。身体を使う方の雑用でもないからオレの出番でもない。一人で行くことになった。娘の亭主は酒飲みだ。妻がいなけりゃ気楽に飲める。とはいっても、もう限界をわきまえた飲み方しかできなくなっているからほどほどのものだ。

 14日の土曜日の朝に出発。8時過ぎだったが、来月の盆を前にしての三連休の高速は渋滞することもなくスムーズに流れていた。アパートに着いたのは1時前。これが秋田の山間部だったらさらに4時間はプラスされる。
 久しぶりに会った娘はいきなり「オトウサン、痔になったんだって~」と軽く聞いてきた。妻が余計な電話かメールを入れたようだ。ストレスなのか、確かに外イボになってしまっている。大菩薩以来だから7年ぶりの痔だ。同じ7月。痔は暑い頃になりやすいのか? 痛みはなく、車の運転も苦痛ではないが、ボラギノールを塗っている関係で肛門付近の感触はあまりよろしくなくヌルヌルだ。ただでさえ風通しの悪いところだ。このボラギノール、アオキで買った時は以前と違って、まったくためらいも恥じらいもなかった。むしろ、あり得ないことではあるが、この年でコンちゃんでも買ったら、レジのオバチャンの視線が気になってかなりの勇気がいるだろう。
 肝心の孫は、こちらの存在に泣きはしないものの、不思議な顔で見ていて、記憶にもないようだ。一緒に遊んで、散歩して、風呂に入って、あとは娘の亭主と酒を飲み、暑さと疲れも手伝って早々に孫を隣にして寝てしまった。ベランダに出てタバコを吸い、ジイタン、ジイタンと探し回われたのは帰る日の朝になってからのことだった。

(旗坂キャンプ場駐車場)


 本題に入る。船形山、仙台から近いとはいっても、アパートからは高速を乗り継いで2時間近くかかった。県道区間も長かった。自宅から奥日光の山に行くような距離感覚だ。夜中に雨が降ったらしく、海岸沿いの仙台東部道路は深い霧に包まれていた。これで山歩けるのかなと気になったが、やはり二百名山の人気か、旗坂キャンプ場の駐車場には8台くらいの車があり、千葉県ナンバーの車から二人連れが出て行ったところだ。他のハイカーはとっくに出払っている。6時半とはいえ、自分の出発は遅い口のようだ。ガスが濃い。この旗坂とは別に大滝キャンプ場というのがあって、そこからだと船形山も楽勝らしいが、この先の林道は舗装もされていないし、昭文社マップには「一般車通行止」とある。別林道で行くと、かなりの距離になってしまうので、どうしてもこの「升沢コース」が選択肢になってしまう。

(林道に入って登山口。ここに㉚の標識が置かれている)


 さて、ここからどうやって行くのか。案内板を見てもわからない。さっきの二人連れはこっちに行ったようだったなと、そちらに行くと、林道に出て、すぐに<㉚>と記されたマークがあり、その脇に朽ちかけた案内板があった。「船形山登山道入口」。上には階段付きの歩道が続いている(階段はすぐに消えた)。マップにはここの標高が560mとあるから、単純に1000mは登らないといけない。始点が㉚なら、終点の山頂が①だろう。ということは、距離が7.6kmならと、携帯を出して計算する。等間隔なら、割る29で262m置きの標識ということか。こういう細かい数字の標識を見ながらの歩きもつらい。むしろ合目標識の方が数も少なくて励みになる。半分の⑮で果たしてどんな状況にあるのか。事前情報では、地味な登りがずっと続き、升沢小屋から先はえらく長い感じのする沢歩きとあった。念のため、沢靴も用意をしてみたが、沢靴に履き替えての登りをする人の情報はなく、すでにザックから沢靴は取り出している。むしろ、地下タビにするか迷ったが、登山靴にした。結果的にはこれで正解だった。正直のところ、せっかくだし、沢靴で歩いてみたいという気持ちがかなりあった。

 余談だが、今回の虫除けはハッカ油を調合して作ってみた。ネットの記事を参考にエタノールと精製水を混ぜた。ハッカ油の分量が多過ぎたのか強い刺激臭がしたが、今回は出発時の一回だけのスプレーで済んだ。元から羽虫の少ないところなのだろうか。汗で早々にハッカ油の効果は失せているはずなのに、最後まで虫に寄り付かれることはなかった。むしろ、なぜかトンボがずっと付きまとってきたのには閉口した。

(結果として、こんな中の歩きがずっと続くことになる)



 事前情報通りに樹林の中の地味な登りが続く。周囲はブナの原生林になっている。急な登りはない。周囲のガスは切れず、先が見えないのもまた不気味なものがある。道は幅広のしっかりしたものだが、あちこちで泥濘になっていて歩行に気を遣う。登山靴はすぐに泥んこになった。ここで地下タビにしなくてよかったと思った。
 標識が㉘になった。㉙の存在は気づかなかった。帰りにでも確認しておこう。この標識、律儀に山頂までナンバープレートを確認するつもりでいたが、最初からこんな状態だったし、途中で目にしてもさしてこだわりの感情も起きなくなってしまった。半分の⑮だけは意識にあり、それは気持ちの持ち方からだろう。「残り半分」と「まだ半分も歩いていない」のでは気分的にも大きな違いがある。
 ガスが消えていき、たまに陽射しも入り込む。樹林帯の歩きは変わらないから、あくまでも先が見えないままだ。汗を相当にかき、シャツはびっしょりになった。ハッカの香りは消えてしまっている。またスプレーしようかなと思ったが、やはり百均で買ったレベルの容器だ。最初のスプレー時にボタボタと脇から落ちてきていた。あの不快感が嫌で、虫が寄ってきたらやることにしよう。泥濘は散発的に続く。改めて記すまでもなく、おそらくケツの穴の周辺もボラギと汗でドロドロの状態だろう。

(文章が長いわりに、ここで旗坂平。陽射しが出てきたが)


(樹林帯の中はまだ霧のところもある)


 ほどなく「旗坂平」というところに出た。標識を見るとまだ800mしか歩いていない。標識では山頂まで6.7km。合計7.5mとなる。冒頭に記した7.6kmというのは、おそらく三光宮往復を加えた場合の距離だろう。この旗坂平だが、別に広くなった平地でもない。すぐ先に㉗標識がある。思い出したようにここでストックをダブルで出す。

(一群平の標識)


(空身の単独A氏にさっとかわされる)


 再びガスが出てきて消えた。黙々の樹林帯の中の歩きは先がまったく読めない。この先に開けた中での歩きを期待できるのだろうか。確かに、そんな登山道では数字の標識が有効だろう。㉕を過ぎると「一群平」。ここにもまた「平」の字が出てきた。ここで後ろから来た単独A氏に抜かれる。あれっ、ザックはなく水筒だけの荷物だ。その時は、地元の方で、しょっちゅうここを往復しているのだろうなと思った。

(最初の休憩は水気もない鳴清水)


 やがて「鳴清水」というところに出た。ここに沢が通っているわけではないが、以前はあったのか。ここまで出発から1時間10分。樹の切り株が何本も置かれていたのでここで休憩をとる。ここには㉑の標識が置かれている。まだ1/3にも達していない。帰路でもまたここで休むことになる。何だかうんざりしてきた。こういうダラダラとした長い登りは意外に応える。どうせなら、急登の一発勝負で済ませたいもの。狭く覗いた空を見上げる。青空になっている。あれでは今日も暑くなりそうだ。樹林の中では直射日光にさらされないだけでもましというものか。チョコレートを食べ、タバコを吸い、つい10分以上も長居してしまった。気持ちの良い風も通っていたし。しかし、駐車場で見かけた二人連れをとっくにかわしていてもいい頃だが、それがない。今日のオレもかなりの鈍足になってしまっているようだ。これが普通になっている。ここのところそうだから、今さら気にもかけないであきらめの心境になっている。実際に場数をこなさなくなっているのだから。
 ちょっとグズグズした岩場まじりを通ったが、何とか半分の⑮に至った。8時半か。「残り半分」の気分になった。ここまで来たら行かなきゃなるまいが、相変わらず先は樹林帯のまま。立ち休みをしていると単独B氏に抜かれた。もう後ろにはいまい。いたら先に行っていただくだけのこと。どうも身体が重い。汗も粘った感じのものになっている。トレパンの左右のポケットに入れた手拭い、右はすでに絞れるほどになり、左はメガネ拭きにしていたが、これもまた吸い込んだ汗でメガネが曇るようになってしまった。

(この標識を見て、左に登山道を外れて少し登る)


(三光宮は岩場の小ピークといったところだった)


(三光宮の石碑)


(船形山方面。右のピークが船形山だろうか)


 倒れた標識に「三光宮入口」とある。距離は30m。樹林の景色にも飽きてきていたので立ち寄ることにした。岩場に出た。石碑が置かれている。それに描かれた太陽、月、星。なるほど、これが三つの光ということか。ガイドブックによれば、ここから船形山、三峰山、泉ヶ岳が見渡せ、遠くに松島、金華山も見えるとある。上空はようやく晴れ出したといった感じで、松島や泉ヶ岳は見えないが、船形山らしき山は見えている。まだまだ遠いわ。ここから見ても、先はずっと樹林帯だ。ただ、船形山がどう船の形になっているのだろうかと首を傾げる。
 三光宮から下りかけると、登ってくる方がいる。あれっ、さっきのA氏じゃないの。待機してくれたA氏が言うには、ここから20~30分ほど先に白木の鳥居ができたというので、今日はそれを見に来たのだそうだ。以前にも倒れた鳥居があったとか。ということは、船形山山頂には神社でもあるのか。いずれにせよ、やはりA氏はここによく通っていらっしゃるようで、「今日は暑くなりそうですから注意して行ってください」とアドバイスを受けて別れた。オレが危なそうな感じにでも見えたのだろうか。

(写真では右から来た。左からの登りが大滝キャンプ場からのコース)


(突如として現れた大鳥居)


(ササヤブの中に⑪の標識)


 少し下り調子も加わるようになり、大滝キャンプ場からのコースに合流した。そして標高1240mあたりのところにその白木の鳥居があった。柱には、建立は先月、黒川森林組合と奉納・船形山山岳会とある。元の鳥居の残骸はないのか探したが、撤去されたのかそれらしきものは見あたらない。その先に、ササに隠れた⑪の標識があった。コースの標識、上からでも下からでも見えるようになっていて、つまりは2枚組なのだが、この落ちた⑪も2枚合わせて置かれている。
 涸れた沢を通過。この先に左から下って来る道があって、そこには「瓶石沢」の標識も置かれていたはずなのだが、往路時で撮った写真にはそれがない。つまりは気づいていないわけで、かなり無気力な歩きになっていたのではないだろうか。下りはその道を使って瓶石沢標識に出た。この付近で下山者に会う。2人組と単独。時間からして鳥居目的ではあるまい。山頂の小屋に泊まってご来光かと思う。

(升沢小屋。ようやく空が出てきたといった感じだ。この先の標識にはただ「山小屋」とだけあった)


(ちなみに小屋の中)


(案内図板)


 升沢小屋に到着。さも東北の山の避難小屋といった風情で、比較的に新しい。中に入ってみた。熱気でむっとしたが、きれいに管理され、トイレもまたドッポンであるのは無論だが清潔で、トイレットペーパーまで袋に入っている。ここに泊まるのは快適だろう。
 小屋から先は空の面積も広がったが、依然として船形山山頂らしきピークをとらえることはできない。ここからうんざりした長い沢歩きになるという。案内図を見る。距離が記されたコース案内図だが、この距離が1メートル単位まで記されていて、後で撮った写真を計算すると、キャンプ場から山頂までは7,489mとなる。ちなみにここから山頂までは1,669mで、標識には1.7kmとあった。

(沢に入る。これがコース名由来の升沢かと思う)


(樹林帯と違って空が出ている分、かなり暑くなっている)


 沢の水量はごく普通。その辺の沢の水量で、小滝を期待できるレベルではない。ここで、持参の水の半分近くを捨ててしまった。というのは、どうせここを下りで使うだろうし、なくなったら、ここで汲めばいいだろうと思ってのことだが、持参水はペットボトル2本の計2ℓ。まだ200㎖も飲んでいず、使ったペットボトル1本分の水を空けてしまった。この後に沢歩きになるが、ふと、そういえばと思い出し、結局、沢で水を汲み直し、ザックの重さを水を捨てる以前よりも重くしてしまった。この沢を下るのではなく、別ルートで下れることを思い出したからだ。沢の水はぬるかった。この先にキツネはいないだろう。ぬるくて良かった。冷たかったらゴクゴクと飲んでしまい、エキノコックスもさらに身近なものになる。
 沢はちょっと紛らわしかった。分岐もある。ここを行っていいのだろうかと思うところもある。テープが頼りだ。水に濡れることはなく、ほとんど石伝いだ。沢靴の履き替えで悩んだのが滑稽だった。先行で歩いた人、具体的にはB氏ということになろうが、石の上に濡れた足跡がないのが気にはなる。倒れた⑨標識を見る。ようやく一桁数字になった。

(汗で汚れ切った手拭いをここで洗って顔を拭く。さしてすっきりとはしなかった)


(そろそろヤブの中に沢という状況になる)


 すでに樹林帯からは抜け出している。周囲は疎らな灌木の間にヤブの組み合わせになった。陽射しが強くなり、確かにこれではやたらと長く感じもするだろう。沢自体に変化がない。ヨイショッとするところもない。ただ、梅雨時や雪解け時には水量もあるのか、ナメ滝調の黒ずんだ痕跡も確認できる。次第に水は少なくなり、水たまりで右ポケットの手拭いを洗い、顔を拭いて首に巻く。そして、左ポケットの手拭いを右に移動する。首巻きはいずれ乾いたら左ポケットに戻ることになる。

(水は消え、ただの窪みになった)


(そして、ただの登山道になった)


 上に三角の山が見え出し、1370m付近で水流は消えた。視界が良くなると、一気に暑くなった。ただ、程よい風が流れている。ヤブの中に④標識が転がっている。このあたりから、この山は紅葉がきれいだろうなと思うようになっていた。

(一休みして左手・南側の山並みを眺めている)


(さらにその先は雲海になっている。泉ヶ岳方面だろう)


 ③を確認して休憩。沢からは離れた。塩アメを2個、口に入れる。かなりの汗をかき、空腹なのに食欲がまったくない。水を飲んで一服したら、ようやく落ち着いた。さて出発するかと思ったら、下からゴソゴソ上がって来た単独C氏。こうなったら先に行ってもらいましょう。だが、そのC氏もまたここに腰をおろしてしまった。船形山には40年前に来たことがあるそうだ。神社と避難小屋があったとか。出発は7時で、こちらよりも30分も遅い。出発直後に何人か抜き、あとはここまで誰とも会わなかったとのこと。健脚なのか普通なのか今の自分にはわからない。
 C氏は小休止後に出発。引き続き間を取るべく一服してこちらも出発。15分ほどの休憩になってしまった。C氏の上半身が緑の中から見えている。ここでふと、ストック先が石にぶつかる音が金属的になっているのに気づき、ストックを見ると、両方ともに先端ゴムのキャップが取れていた。いつも思うが、キャップは決して安くはない。どのメーカーも、わざと取れやすくした構造にしているような気がしてならない。まぁ、それはそれでメーカー側の収支面での都合もあることなのだろう。

(先に進む)


(千畳敷の分岐。左から登って来た。帰路は右に行く)


 相変わらずになだらかなまま。ただ、標高1500mの山なのに高山風な植生があって、ハイマツでもないのだが、ハイマツモドキのやや高いマツの群集が見られる。何というのかは知らない。まさかハイヤーマツとは言うまい。とにかく雰囲気は良い。

(しつこいか。つい振り返る。この辺が紅葉になったら素晴らしいだろうな)


(樹林帯の中の延々とした歩きの景色ははころっと変わった。船形山がようやく見えてきた。写真では出ていないが、この辺が千畳敷というのだろう)


 千畳敷。ここが、このまま沢を下らずともに迂回して元コースに戻れる分岐だった。帰りはここから蛇ヶ岳経由になる。振り返る。これなら間違いなく紅葉は絶品だろうなといった景色が広がっている。おそらく、この目の前の緑は真っ赤になるだろう。
 直進で船形山と思っていたが、右手前方に避難小屋と露岩が見えてくる。あそこが船形山の山頂のようだ。こちら側の山腹もまた一面に紅葉だろうな。やはり、この時期に来る山ではなかったみたい。ここに至って後悔してもはじまらない。紅葉は予定通りに八幡平周辺ということにしておこう。

(やはり振り返る。東北的ななだらかな山容が続いている。中のピークは後髭山だろうか。帰路に立ち寄る蛇ヶ岳も見えているわけだが、わからん)


 トンボがやたらと飛んでいる。オレに群がって来るように思えるのは思い過ごしというものか。おかしなことを思い出した。仕事関係の集いでオバチャンから聞いた話だ。地元の樹々には随分とカブトムシが集まるそうだが、カブトムシはカラスの好物になっていて、メスは丸ごと飲み込むが、オスには角があって、それがノドに引っかかるので、カラスはオスの頭部だけは下に落とすそうだ。へェー、そんなものかと思い、自分のいた桜の樹の下を見ると、まさにクワガタの角だけが残った残骸が2個あった。これもまた気づいていなが深慮もしなかった知識だ。

(②の標識)


(ハイマツのような回廊を行く)


(こんな視界が広がっている)


(そして、こんな花が一面にあった)


 ②標識が倒れている。ここは船形山の肩といったところだろう。風が強くて気持ちが良い。展望も抜群。おそらく自分は北西側を向いて歩いている。ボコボコした山並みが正面に見えている。その奥に月山やら鳥海山があるのかもしれない。勝手違いな南東北の山からの展望の特定はできない。白い花びらを広げた花がやたらとある。そして飛び交うトンボ。

(山頂まではほぼ水平になった)


(山形ルートを合わせる)


(もうすぐそこ。C氏の姿が見える)


(直下の神社)


(そして、山頂の避難小屋。これは2階建てのようだ)


 山頂まではほぼ水平になった。先を歩くC氏の姿が見えている。観音寺コースという山形側からコースが左から合流する。山頂はもうすぐそこだ。左に小さな社がある。まずはそこに参拝。これが神社だろう。船形山神社とでも言うのか。やはり①標識があった。

(船形山山頂)


(三角点)


 山頂には10人ほどいるだろうか。入れ違いに単独B氏が下山して行った。出発時に見かけた二人連れの姿も見える。セントバーナードらしき犬を連れて歩いて来た女性ハイカーもいる。犬がいてもまったく違和感のない風景だ。これがパグだったらどうなのか。展望も含めてなかなかの山頂だ。樹林帯と長い沢歩きをしたせいか、こんな素晴らしい高台にようやく飛び出せたといった感もある。帽子を押さえるほどの強い風が気持ち良い。

(山頂から1)


(山頂から2)


(山頂から3)


 展望を眺めていたら空腹感がようやく出てきた。おにぎりを2個食べる。食後の一服に時間をかける。ターボライターだし着火に問題はない。まして風があるから煙も素早く流れていく。やはり思う。ここは紅葉がきれいだろうなって。大の字になって寝ころんだ。飛ばされそうな帽子を脱いで頭に巻いた濡れ手拭いも、汗みずくのシャツも乾いた。これもまたいずれ元に戻るが。
 ハイカーがあちこちからのルートで登って来る。数はたかが知れている。山頂が混みあうことはない。わがままで自分勝手なGB隊もいない。下山前に避難小屋の中でも見て行こうかと小屋に向かおうとしたら、オバチャンがトイレでも使うのか先行されたので、小屋覗きはやめにした。

(下りにかかる)


(振り返る。山小屋の目立つ山頂だ)


(次第に遠ざかる。C氏の姿が入っている)


 そろそろ下るか。何度も振り返っては写真を撮る。良い展望の山だった。紅葉目的なら山形側からのルートが時間的にたっぷり堪能できるような気がする。
 C氏も下山しかけている。C氏はどこを下るのか。この沢は下るのは嫌だと言っていたので、こんなルートがありますよと、紹介だけはしておいた。オレはこの先から蛇ヶ岳経由で升沢コースに復帰するつもりでいる。

(蛇ヶ岳に向かっている)


(振り返りの船形山は右端に遠のいた)


 千畳敷分岐から蛇ヶ岳に向かう。先にその蛇ヶ岳が見えているはずだろうが、どのピークか特定はできない。船形山よりもちょうど100m標高が低い山だ。稜線伝いにこのまま長倉尾根を下ると泉ヶ岳に出られるようになっているようだ。さらに奥には蔵王も見えるはずだが、あいにくそちら方面には雲がかかっている。

(C氏に先行を譲る)


 ヤブの中の明瞭な道をずっと行く。船形山からはどんどん離れていく。不安になってきた。GPSを見るとルートは合っている。ほっとする。どうも目の前のなだらかな尾根に出てさらに奥に行くようだ。GPSの電池交換をしていると、C氏がやって来た。彼も不安だったらしい。GPSで確認すると、あのピークが蛇ヶ岳のようだから、もうちょっとです。升沢コースに出るには、蛇ヶ岳を回り込んですぐのところに分岐があると思いますよと教える。実はここでグズグズしていたのも、彼に先行してもらいたかったからで、気持ちが狭量だから、後ろに付かれると自分ペースの歩きもできなくなってしまう。

(蛇ヶ岳直下から。確かに船を引っくり返したような形ではある。それよりも、ここが紅くなったらきれいだろうな)


(蛇ヶ岳山頂。去年の八幡平にもこんな山頂があった)


 振り返ると、船形山はやはり船をひっくり返したような形をしている。荒船山を想い出した。あんなゴツゴツした山ではない女性的でなだらかな山だ。だが、後で調べると、この山、船の形というわけではなく、船形権現信仰から由来する山名らしく(とはいっても、自分にはどういった信仰なのかよくわからない)、山形側からは御所山と呼ばれているようだ。
 あっけないピークらしくない蛇ヶ岳山頂。標識がなければわからない。図根点が置かれている。C氏もこんなところに長居は不要と、さっさと下ったのか姿はすでにない。回り込んだ先には泉ヶ岳まで13.5km、そして「草原をへて升沢へ至る 6.0km」の分岐標識が現れる。この「草原」というのは何なのか。「ソウゲン」と「クサハラ」ではイメージが違ってくる。昭文社マップには、この区間に「イワカガミ」と記されている。

(分岐。右は泉ヶ岳方面。ここは左に折れて下る)


(なんだ。こんな道かよ)


 視界が消え、また早々に樹林帯に戻るのかとがっかりしたが、ヤブを越えると、湿地帯のような世界が広がっていた。渡された木道は腐っていて、あてにはならない。靴を濡らさないように歩いても、たちまちに泥んこになった。前方に人影が見えた。C氏だ。彼もここの歩行に苦労しているようだ。立ち休みして間を取る。こちらなりの気遣いでもある(笑)。

(池塘というよりも池だか水溜まりが一つあった)


 次第に「クサハラっぽいソウゲン」に近づいている。感じの良いスポットだがここもまた暑い。風通しが悪い。靴の中に入った泥を取ろうと、靴を脱いだ瞬間に足が攣り出した。休憩にしよう。漢方を飲んで一服。ついでに塩アメ。また汗みどろの状態に戻ってしまっている。いつも着て歩いている快適に汗を放出するシャツは先日の足尾の山で穴だらけになり、今日はユニクロ製を着ているが、このシャツは汗を中に閉じ込めてしまい、その分、下着に汗を溜め込んでしまう。この暑い時期にはまったく不適なシャツだ。せめてトレパンの外に裾を出したいが、そうなると、腹で押さえている熊除けスプレーがダラリとなってしまう。ポケットは満杯だ。このまま我慢するしかない。クマが現れないという保証がないのだから。手拭いは2本ともにグッショリで、とうとうザックの中からタオルを取り出してメガネを拭いている。

(まぁ、ソウゲンだろうね)


(いい感じ)


(さっきからちらちら見えた山は千本松山かと思う)


(途中で見た花)


 ソウゲン風になってきた。正面に見える山は千本松山だろう。このままの歩きを続けたいが、間もなく終わって樹林帯の中の歩きになる。イワカガミに注意しながら歩いて来たが、目に付いたのは白と黄色の小さな花だけだった。青年が登って来た。12時半をすでに過ぎている。山頂の避難小屋にでも泊まるのだろうか。それもいいだろうな。

(瓶石沢に出てしまった。これから先が長いだろう)


 再び泥の道になって「瓶石沢」の標識に出た。ここで升沢コースに合流だ。振り出しに戻った感じがする。
 気分的にも長い、長い下りになった。もう風通しも悪くなっている。下るだけとはいっても、ちょっとした登りになっているところもあって、かなり疲れるし、地味な緩い登りと思っていた往路も、この復路では急になった感じすらする。

(往路で一回歩いただけなのに、標識は見飽きた感じがする)


 後で損をした感じになるが、マップを見ると「石の堂」というのが記されている。一般道歩きだったためあまり地図は見なかった。当然、「石の堂」には気づいていない。標識もなかったようだ。あれば気になる。その「石の堂」は登山道からちょっとヤブ入りしたところにあるようで、岩に薬師如来が彫られているらしい。この摩崖仏見学をし損なったことだけは今回の失敗だった。
 大滝コースの分岐で休もうとしたが、二人連れが休んでいた。山頂では見かけなかったから、これから登るのか。何だか冷えたスイカを食べているようで、生唾が出てしまった。

 ⑮の先で休憩。以降、だれとも出会うことはなく、10分以上の休憩を繰り返した。退屈しのぎにまた改めて番号札を確認して行く気にもなれない。ただ、数字が大きくなるに連れ、ほっとする状態になってきた。ことに⑳を過ぎてからは。

(先に見えている黒っぽい路面。これが泥濘。ところどころにあってうんざりする)


(かなり惰性の歩きになっている)


(往路で確認できなかった㉙標識)


(ようやく林道が見えた)


 往路で見そこなっていた㉙を確認。ようやく終わりだと思っているうちに下に駐車場が見えてきてほっとした。とにかく長い升沢コースだった。泉ヶ岳からのピストンも考えなかったわけではなかったが、往復16、17kmでこれではなぁ。駐車場から車のエンジン音が聞こえた。きっとC氏が帰るところなのだろう。

(疲れ果てて駐車場到着。ここまでは県道になっているようだ)


 10台ほど駐まった駐車場に着くと、まっすぐにトイレに向かった。とにかくケツの穴からボラギのぬめりを拭い去りたかった。幸いにも、女性トイレにはペーパーがなかったが(つまり、間違えて女性用に入ってしまった)、男性トイレにはあった。そして水洗。これでは、下流では水も飲めないな。
 ケツ部がすっきりしたところで、蛇口で頭をじか洗い。ノーシャンプー。そして手拭い2枚に水を浸して全身を拭いた。下着を取り替えたところで人心地が付いたが、汗は依然として噴き出ているし、着ていたものはすべて汗でズシリと重かった。そのままビニール袋に入れ、臭いが車内にあふれないようにきつく縛った。靴は泥んこのままだ。
 車のエンジンをかけ、エアコンを強くしてしばらく涼んだ。その間に4人ほど下山して来たか。隣の千葉県ナンバーの二人も戻って来てうろうろしている。車の形からして、これからまたどこかの山にでも向かうのだろう。見た目の年齢からして相当に元気だねぇ。ところでここの旗坂キャンプ場はどこにあったのだろう。駐車場とトイレはわかったが、キャンプ場の管理所らしき建屋は見なかった記憶だが。
 温泉にでも寄りたかったが、途中見かけた温泉マークは一軒だけで、それも見るからに風呂が狭そうな感じがしてパス。そのまま娘のアパートに向かった。
 町に近づくと30℃超えの気温になっていて、決して涼しいものではない。コンビニに寄って、買った濃い茶をがぶ飲みしても足りなかった。

 娘のアパートには亭主がいなかった。同窓会の飲み会で出かけたそうだ(帰って来たのは夜中の3時だったらしい)。カレーを食べたいと言うと、買い出しに連れて行かされた。戻ってようやく風呂に入ったところで牛タンをつまみにチューハイに氷を入れて飲む。これもまたがぶ飲みだった。亭主がいなけりゃいないで他人がいないことだから勝手もできるし、ムダな会話をせずにくつろげるというもの。
 食後は孫の風呂入れをさせられ、「西郷どん」を見て、布団に寝そべって孫と遊んでいたら、そのまま寝てしまった。

 翌日の帰り、できるだけ午前中に家に着きたいと、7時半にアパートを出る。東北道では2件の事故渋滞があった。1時間ほどのロス。運転しながらずっとサザンの『戦う戦士(もの)たちへ愛を込めて』を繰り返し聴いていた。先日観た『空飛ぶタイヤ』のテーマソングがこれで、お気に入りだったのでネットでダウンロードした。何度聴いても日本語がしかとわからないところが多かったが、カラオケにでも行けば、こんな歌詞だったのかと思いながらスムーズに唄えはするだろう。ちなみに、映画そのものは、原作の池井戸潤の小説は食わず嫌いで読んだことがなく、あまり期待はしていなかったが、自分にはお薦めの映画だった。
 自宅に戻ったのは1時過ぎ。何だこのクソ暑さ。車載の温度計は39℃を示していた。結局、家に帰って洗濯をすると何もやる気も起きず、エアコンを効かせて昼から飲んでしまった。

(今回の軌跡)

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「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

参考までに→http://blog.livedoor.jp/yamasone/archives/1061504689.html

この異常な暑さ続きの中、足尾の900m級の尾根歩きは短時間でもバテバテだった。

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◎2018年7月19日(木)

間藤駅脇駐車場(8:50)……取り付き(9:05)……945.2m三角点(10:09~10:30)……南に尾根を下る……車道に出る(11:39)……駐車場(11:45〉

 18、19日と二連休だった。これは会社で慰安旅行があり、参加しない者は休暇を取って休めというお達しがあったからだ。こういう催しに、こちらはさらさら興味はないが、宴会の席で一人ずつ芸を披露しなけりゃならないという話を聞くと、慰安旅行そのものをいまだに実施していることと併せ、あきれてしまう。こんなものを続けているのでは、会社と職員の質が知れるといったところが個人的な思いだ。実のところ、参加するのはほんの一握りの職員だ。行きたくもないのに行かせられるお気の毒な職員もいる。
 グルーブ企業のオーナーは九州人で、趣味はワンゲル上がりの登山らしい。年に一度はアルプス歩きをするそうで、社員が尾ひれになってくっついて行く。これもまた、いろいろと計算して参加するのもいるだろう。オレが酔狂で立候補でもしたら、すぐにトレパンと地下タビスタイルでは却下されるだろう。そんな気はないが。
 まぁ、そんなことで、この二連休は酉谷山避難小屋に泊まってブラブラ歩きをするつもりでいた。ところが、船形山に行って夏バテ歩きをしてしまい、この猛暑続きではゆっくり歩いてもかなりきついだろうと判断。結局どうしようかと迷うことになった。
 持ち帰った赤倉山の山名板は新しいのができていた。されど、赤倉山は暑かろう。決して風通しの良い山ではない。ふと、新装なった「かじか荘」の風呂に入ってみたくなった。だが一回の入浴で二連休終わりでは何とも寂しい。船形山同様についでの歩きを探す。短時間・未踏の条件だけで結構。これに涼しさを加えたら沢歩きになるし、「短時間」限定にひずみが出てくる。暑さ以外の冷や汗はかきたくもない。
 目を付けたのは、先日の赤倉山からの下りのラストで、ヤバそうなのでいそいそと退却した岩場っぽい尾根の歩き。あれを下から登ればどういうことになるのか。それに945.2m三角点から田元に南下する尾根をつなげればまさに短時間・未踏の条件に一致する。歩くコースに名前のある山がないことだけは残念だが、足尾の地味尾根へのこだわりという面からは満足もできよう。
 せいぜい2時間も歩けば周回できると踏んでいた。ほどよい汗をかき、かじか荘の庚申の湯にゆっくり浸かれると算段していた。だが実際に予定のコースを歩き、気持ち良く温泉に浸かれはしたものの、「ほどよい汗」にはほど遠く、歩きに2時間どころか3時間もかかってしまうことになる。
 初日は母親の世話やら、網戸修理で一日つぶしていた。映画も観たいのはやっていなかった。二日目の木曜日に雑用は何もない。早朝に出たとして、かじか荘の風呂には10時半にならないと入れない。ゆっくり家を出て行こう。だが、朝からの暑さがそんな気持ちの余裕をかき消してくれた。連日、寝不足が続き、頭はどんよりとしている。犬の散歩の後はシャワーを浴びて着替えをした。車に荷物を積んではまた汗をかく。

 足尾は太田よりも3~4℃は低かろうと思っていたが、足尾に入っても車のエアコンを切ることはなく、間藤駅脇にある観光者用駐車場に置いた車から出た時には、何だこの暑さは、太田と同じじゃないかといった塩梅で、前の工場の稼働する機械や重機の騒音がさらに蒸し暑さ気分に拍車をかける。もし足尾が涼しかったら、山名板取り付けもありかなと思っていただけに、これじゃダメだなと、山名板はザックから取り出した。
 今日はスパ地下にしたが、コハゼタイプでは通気も悪いだろうと、マジックテープ留めの『朝霧』にした。この地下タビ、スパイクがかなり減っていて、履くのも久しぶりになる。自分の場合、ズボンの裾をどうしても中に入れてしまうので、風通しの面では朝霧にしたとてあまり通気の効果はなかった。

(間藤駅)


(下り予定の南尾根を眺める)


(上りの西尾根)


 車道を歩いて行くと、おかしな手書き標識があった。「中宮祠足尾線3km右」。もしかして、半月道のことを指しているのだろうが、ここから3キロどころか2キロもないだろう。もっと別な道が先にあるのか。
 この通りには、発電所跡だの、車通過では気づかない遺物もあるが、自分にはあまり趣味の域ではない。アパートの上に、これから歩く尾根が見えている。凹凸状になっているが、岩場の尾根には見えていない。だが、これは逆光でよく見えなかっただけのことで、後で撮った写真を見ると、岩場状になっていた。やはりなぁ。
 赤倉郵便局の先を右に曲がる。945.2m三角点峰真西末端部に着いた。左には、先日車を駐めた空地がある。ここまで15分。ゆっくり歩きだから、3キロには無理がある。すでに、シャツは汗でぐっしょりになっている。

(西尾根末端部。脇から登って行く)


(見下ろす)


 末端の石垣は落石を保護というか抑えの役割なのだろう。間近で見ると、前回チラ見した以上に急だ。石垣からの攀じ登りは無理なので、手前から登って石垣の上に出る。
 四つ足までにはならなかったが、シカ道か細い作業道を頼りに登れる。一息ついたところで真下には人家の屋根。10分も経っていないのにメガネのレンズに頭から汗のしずくが落ちてきた。とにかく無風で暑い。左ポケットの手拭いでレンズを拭う。右の手拭いではレンズも曇ってしまう状態だ。これは2時間コースでは無理のようだな。気力に体力が伴ってこない。とにかくちょっと登っては休むの繰り返しになった。こんなに暑くなかったら、さっさと先に行けている。

(見た目はヤブ尾根)


(共同アンテナ)


(明瞭な踏み跡が通っている)


(ここの幼木は保護ネットで囲われている)


 ヤブになって、左にはシカ除けのフェンスが出てき、共同受信のアンテナが見えてくる。VHFタイプだから、すでに使われてはいないだろう。
 ヤブの中に踏み跡がずっと続く。それも幾筋も。尾根に特別な障害はない。あくまでもヤブ尾根だが、樹に巻かれた金網やら石垣を見ては人為的な足跡もずっと続いているので安心はできる。落石の心配はない。まして、ここは町の上にあって、何かがあっても簡単に携帯はつながる。ありがたいことではあるが、里山レベル未満の裏山を歩いている感じになる。車道側を走る車のエンジン音は最後まで聞こえていた。この安心感がいつまで続くのだろう。三角点の真下はきっと岩混じりの急ザレになっているのではないのか。

(1008m標高点)


(こんなコンクリートの基礎があった)


(鉄パイプが通っているので水道施設だったのだろう)


(こんなのも)


 左に1004m標高点が見えてくると、尾根の周辺にいろんな機械の残骸やら、ワイヤー、そして何かのコンクリートの基礎部分が出てくる。フェンスは続いているから、かつては治山工事も行なわれていたのだろう。

(ゴツゴツした感じのピーク)


(松木川の対岸尾根。左手下の白い建屋が旧・本山小学校)


 やがて先にピークが見えてくる。まだ三角点ピークではない。その手前ピークだ。依然、危ういところはなく、普通の尾根を登っている感覚だ。先に進むと、左手に赤倉山南尾根のボコボコピークが見えてくる。こうして見ると、やはりヤバそうな感じがする。
 岩がちになったところで水を飲む。ふだんこういう飲み方はしないがゴクリゴクリだった。緊張感よりも暑さによるものだ。
 松木川を挟んだ対岸に備前楯に続く稜線が見えている。左から金龍山、脊戸山、石垣山。脊戸山が今一つわからない。鞍部のすぐ手前左だろうか。通洞側からを除き、旧本山小学校起点であの稜線に登ったことが2010年2015年の2回ある。あんなところにも「学校口コース」というルートがある。それを辿ったのが2015年だが、2010年はそこを歩こうとして冒険コースになり、石垣山の手前に出た。あの時は長靴を履き、戻るに戻れない状態で四つん這いになって登った。下に旧本山小学校が見えるから、その時の岩尾根はここから見えているはずだ。特定はできていない。

(先日越えた尾根の岩峰2つ)


(ザレ場もある)


(中倉山方面)


 低いマツが出てくると、南尾根のコブも2つ見えるようになった。前回記事には、下の砂防ダムからの直登が可能のようなことを記したが、あれではダメだな。こちらから見ると、かなりの険峻だ。やはり回り込みが正解だろう。
 ザレが出てくる。そろそろか。だが、散発的に出てはすぐに消えた。そして、下り予定の三角点南尾根も顔を出し、正面の石垣山や中倉山も含め、ここからの景観はなかなかのものだ。そして1004mの奥には赤倉山が見えてくる。赤倉山南尾根や中倉尾根からの眺めも良いが、ここからの眺めも狂暴的なものが潜んでいて気に入った。

(こんなのを上の三角点までよく見かける。その上に防火線があるということだ)


(945.2m三角点ピークが近づく)


(南尾根の一角も見える)


 石垣を左に見ながら登ると多少の岩場も出てくるが、問題なく通過できる。ここにケルンでも積んでみたいが、今は使われていないらしい作業道ルートにケルンを積んでもあまり意味はない。
 グズグズの岩混じりを通過すると、左先に、先日の下りでそれを見てしまってひるんで退却した小さな岩の突起(その時は、上からでは岩峰に見えていた)が現れる。ここまで来ると、どうもここの尾根下りが恐ろし気に感じたのは取り越し苦労だったようだ。
 もう問題はないだろう。ここで休憩する。三角点はすぐ先だ。レーズンを食べ、塩アメを舐めて水ゴクリ。そして一服。

(大岩か?)


(右から巻ける)


(もう少し)


(前回、上からこの正面の岩の塊を見て、こちらもそうなっているのだろうと想像して退却となった)


(またザレ)


(前回の退却地点。やはり見栄えは悪く、下れるとは思えない)


 雑然とした灌木混じりを登ると、大きな岩が登場。これは登れない。左は切れかかっているが、右巻きなら問題なし。また展望地。そろそろ、南尾根までトラバースして行けるようになった。ここは945.2m三角点までこだわることにする。前回の退却地点に出た。確かにここからでは、その先が切れ落ちているように見える。もっと先まで行って観察していればよかったが、あの時は、戻って林道に出るまでがなだらかな斜面だったし、あれはあれで後悔はない。

(あのテラスには何が置かれていたのか)


(北西尾根沿いのフェンス)


(945.2m三角点ピークに到着)


(日陰で休憩)


 前回気づかなかったものが結構見えてくる。平らにはめ込んだような石。これは何かの土台だったのだろう。そして、三角点から先は途切れたと思っていたフェンスは北西尾根伝いに下っていた。
 945.2m三角点に到着。取り付きから1時間か。かかり過ぎだ。30分で登れる。暑くなければ。ここは休むには暑く、南尾根の木陰に移動したが、そこは風通しが悪かった。もう一回移動して休憩。低い草原に寝ころびたかったが、マダニに付かれても困るので腰位置の高い木株に腰をおろした。まず水を飲む。ここで500㎖入りのペットボトルは空になった。やはり、今日は水の摂取が普段の3倍近くになっている。
 さて、食事でもしようかとザックに手を入れると、途中のコンビニで買ったおにぎりと菓子パンの姿が見えない。あさったがない。ザックに入れるのを忘れてしまった。仕方なく非常食に手を出した。残りのレーズンとチョコレート。結局は使うことがなかったヘルメットだけはしっかりとザックに結わえてある。

 あとはここから南尾根を下るだけ。おそらく、ここにも作業道は延びているだろう。西側は岩場マークが続いている。その下には人家やらアパートがある。落石を避ける治山工事が入っていないわけがない。と、勝手に思っているが、実際にそうだった。三角点西尾根、南尾根ともに、ヤブ志向には物足りないところだろう。それ以前に、こんなところを歩こうとすること自体が不可思議で、おそらくは、だれも一顧だにしないルートだ。さりとて、地味というには違和感がある。ちょっとはスリリング。まぁそんな感じだ。

(三角点峰南尾根を下る)


 下る。ちなみに下りに1時間10分かけている。こことてせいぜい45分だ。ということは、自分の歩きタイムは、思わぬ3時間だったが、気温も含めての障害がなければ、当初予想の2時間どころか1時間15分ほどのものだと思う。これでは、わざわざ足尾にやって来てまで歩くバリルートではあるまい。こちらは庚申の湯のついでもあったが、ついでがなければ、あくまでも945.2m三角点経由の歩きとして参考にしてくれれば結構だ。
 最初のうちは、この辺ならどこでも見かける草原状の尾根。なだらかで特徴はない。ただ、下るに連れ、右も左も車の騒音が近づいてくる。左は国道122号線。右は県道が真下になっていて、廃品回収車の巡回アナウンスが明瞭だ。工場の稼働音も聞こえる。だからか余計に暑く感じる。

(場所柄、つい対岸の山肌に魅入ってしまう)


 石垣山を右に見ながらの下りになった。自分がかつて迷い込んで登ったザレ尾根はどこだろうか。やはり気になってしまう。旧本山小学校の真上だったから、V字の谷間左右のいずれかだ。よくあんなところを長靴でといったことになるが、別に当初から狙い撃ちしたわけではなく、なぜかそうなってしまっただけのことだ。

(草原状とはいっても、これがずっと続くはずはない)


(振り返ると西尾根が見える)


 下り出ししばらくの尾根の感じは良い。ケルンを積んだ人でもいるのか、それは残骸としてバラバラになっている。繰り返しになるが、こんな作業道のついたところにテープを垂らすのは愚かな行為だが、ケルンを積んでも、バラバラになると、通りすがりにとっては、ここで焚火でもしたのかといった感じになってしまう。石標があった。ここも古河の社有地なのかと思ったが、頭のマークは<+>で、測量標石なのだろう。結局の今日の歩きで古河マークの標石を見ることはなかった。
 振り返ると、登って来た西尾根が見え、尾根幅も広がった。この辺は注意を要するところだが、左にシカ除けフェンスが現れ、東側に下れないようになっているから、フェンス沿いに下れば問題はない。

(やはり草地は消え、石ゴロの尾根になった)


(鉄塔)


(鉄塔から西側を覗く)


 910m級のピークに登り返すあたりから草地はなくなり、いわゆる普通の尾根になった。つまり、歩いていてもそれほどに楽しい気分にはならない。ここで、また、さっきの廃品回収車のアナウンスが気になりだしたから、ここまでしばらくは良い気分で下っていただけのことだろう。
 880mには地図通りに高圧線が通った鉄塔が置かれている。鉄塔はこじんまりしたものだ。西側を覗くと、高圧線に沿って窪地になっている。この先でヤバくなったら、ここに戻って下れば車道にすんなりと出られるだろう。地図を見てもゲジゲジも岩場マークもない。現に、100mばかり下には車も駐まっているのが確認できる。

(フツーの尾根下り)


(おそらく、この辺の左右下は岩場になっているのではないだろうか)


(シカが軽々と越えて行ったフェンス。これではフェンスの意味がない)


 おとなしい尾根の下りになった。地図を見る限りは東側に砂防のマークがあるが、ここからではフェンスの先で見えない。ただ、国道122号線はしっかりと見えている。突然、シカが2頭、右から現れ、フェンスを飛び越えて左に下って行った。フェンスの高さは160cmはある。よくもそんな高さを余裕で飛び越えられるものだ。この辺のシカは慣れたものなのだろう。以前、フェンス網に角を引っかけてもがいているシカを助けてやったことがあるが、飛び越えた瞬間、久しぶりにまた手助けかと思ったりしていた。

(機械操作小屋?)


(ここも石垣が多い)


(変化はある)


(しつこく石垣山。少しは角度も変わった)


 工事用の残骸が集まったところを通過。物置のようなものがあり、戸が開いたままの中を覗くと四角いアンプのようなものが2台あった。鉄索も放置されているから、その操作用のものだろうか。ただ、尾根上に伐採の跡はない。もっぱら、まだ植林状態なのか。
 石ゴロになってきた。そして岩も出てくる。やはりなぁ。下から眺めた限りではあっさりと下れはしまいとは思っていた。マツが出てきて、露岩帯のようなところを歩くようになる。右下に町は丸見えで、ちょうど、間藤駅の上あたりにいる。

(目の前に岩峰。奥に850m級ピーク)


(岩峰直下から)


 900m未満なのにかなりの高度感がある。先に見えているピークは850mだろうか。このすぐ先にはもろそうな岩峰。この尾根のハイライト部分だ。岩峰は越えられるのだろうか。この辺から、落石用の金網が張り巡らされるようになった。この金網も、落石防止の安全対策ではあろうが、スパ地下には危険度が高い。スパイクを引っかけたら転落だ。まだ登山靴の方が無難な歩きになる。むしろ、スニーカーやズック靴の方がベターかもしれない。
 ガレ場を行くと正面に岩峰。たいして高いものではない。正面突破は難しくはなかろう。だが、ここまで作業道らしきものがずっと通っていた。右は切れ落ちだから、左に活路があるかもしれない。やはりあった。この小岩峰も金網に囲われていて、簡単に登れそうにもなかった。

(岩峰を振り返って)


(この金網が何とも嫌らしい)


(アップで)


(850m級ピーク)


(歩いて来た南尾根。右下に国道122号線日光方面)


(850m級ピークに到着)


 巻きをして尾根先に出る。左下はすぐに国道になっている。右よりもこちらの傾斜がきつい。工事も左側の方に集中しているようだ。
 あとは850m級ピークを越えれば終わりだ。見た目ほどの険しさはなく、フェンスに沿い、草むらを登りきれば850mピークに到着。大休止。
 ここから下はさほどのものではないと思っている。末端まで行ってしまえば、擁壁で下りられずに戻ることになる。適当なところから右下に出た方が良いだろう。ただ、工事の石垣やらで苦労はするかもしれない。前回の下見では、石垣が段々になっていた。すんなりと車道に出られればよいが。

(下る)


(傾斜がちょっときつくなる)


(こんなところまで。確かにこれまでしないと、豪雨時に東西の土砂崩れを起こすかもしれない)


(右下に車道が見え、ここを下る)


(見上げる)


(車道)


(タイミングが良過ぎた)


 カラマツのなかを下ると再び草むらになる。そして石ゴロ。右下に車道が見えてきた。もう先に行かずともよいだろう。ここの谷を下る。
 やはり石垣の段差があった。ここまで来てこけているのではさまにならないので慎重に石垣を越える。目の前に車道。ラストの石垣かと思ったが、その上に踏み跡があり、それを追うとすんなりと車道に出た。場所は鉄橋下の田元交差点寄りのところ。目の前を間藤駅行きの気動車が走って行った。

(こんなのを汗を垂らしながら見て)


(駐車場に戻る)


 陽が陰っているのに暑いままだ。また汗が頭から落ちてくる。5分ほど歩いて駐車場に着いた。ここの観光者用駐車場、平日なのに、車を置いてはすぐに戻って来る観光者が多い。おそらく、駅舎と気動車を撮るのが目的なのだろう。
 汗びっしょりで不快だったが、地下タビだけを履き替え、そのままかじか荘に向かった。やはり車の中に昼食の入った袋が残されていた。

 さすがに船石峠の駐車場に車はなかったが、かじか荘上の駐車場には4台。この暑さでも遠距離を歩くハイカーがいるようだ。塔の峰も庚申山も暑いのに変わりはあるまい。
 かじか荘は新装できれいになっていたが、風呂そのものは多少の手を加えただけのようで、平日だからか、自分が入っているときに2人ほど入れ違いになっただけだった。低温サウナ室の存在は記憶にない。ここに入って汗を流しもした。ヌルリとした風呂にゆっくり浸かって座敷で寝ころんだ。館内はエアコンが効いて涼しい。元々、ここの温泉に入りたかったのは、効能に「痔疾」があったからなのだが(笑)。
 お腹も空いていたので食堂に寄る。栃木県民には馴染みらしい「ちたけ蕎麦」でもと思ったが980円と高い。一番安いのがラーメンとカレーライスで650円。ラーメンとソフトクリームで計1,000円也を注文する。さすがにインスタントではなかったが、スーパーで売っている生ラーメンとの味の違いは感じなかった。仕込んだスープとは思えないし、具乗せで650円だとしたら高い感じはする。
 ここの宿泊代、平日は2食付きで12,570円のようだ。高いか安いかは食事にもよるだろうが、同じ国民宿舎のサンレイク草木は2食付きで9,000円だ。それに比べたら高い。以前のかじか荘には、25年ほど前に勤め先の連中と4人で泊まったことがある。かなり安かった。そして食事はそこそこ。もう泊まることはないだろうなといった印象だったが、新装なったからとはいっても、近場の人なら、この高い宿泊代では泊まるまい。隣の旅館を選ぶだろう。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

 たかが3時間の歩きではあったが、このブログ原稿を書くのに、歩きタイム以上の時間をかけてしまった。今日もまた依然として暑い日が続いている。いったいどういうことになっているのだろう。チベット高気圧なんてのがあるのを知ったのも最近だ。この暑さの中では外出そのものが身体に悪いことはわかっているが、休日は家でじっとしていると余計に暑苦しく、結局、日曜日はさして観たいとは思ってもいなかった映画を観に行ってきた。終わって外に出ると、さらに暑くなっていた。涼んでは暑くなる。この繰り返し。身体に良いわけがない。

(参考:2010年に対岸から眺めた今回の西尾根と南尾根。誤ってザレ尾根を登っていた時の写真)


(参考:同上。これは南尾根の末端付近)

「この時季の赤城山は意外に涼しい」は本当だった。黒檜山から駒ヶ岳。

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◎2018年8月14日(火)

駐車場(8:18)……黒檜山登山口(8:21)……黒檜山山頂(9:26)……展望地(9:31~9:53)……駒ヶ岳(10:23~10:36)……駒ヶ岳登山口(11:04)……大沼(11:09)……赤城神社(11:23)……駐車場(11:34〉

 休暇で帰って来た息子に、どこか山に連れて行ってくれと言われ、すぐに思い浮かんだのが赤城山だった。瀑泉さんのご子息のように沢も嗜むのならともかく、うちの息子の山歩きはたかが知れているし、過去に一緒に行った山とて、地元の金山程度のものだ。まして、普段から山を歩いているわけでもない。
 数年前、赤城山の「意外な涼しさ」を、でんさんの記事で知った。それを感じてみたく、一年前の8月4日に行ったことがあったが、その日はあいにくの大沼も見えぬほどのガス日和で、むっとしていて最後まで涼しいのかどうかもわからぬままだった。涼しさを感じるには良い機会だろう。
 一瞬、赤城山よりも谷川岳でもと思ったりしたが、息子が音を上げるか、荒天だったらまずかろうと、やはり無難な赤城山にした次第。
 これもまた意外な話だが、最近、前橋在住の人から「太田よりも前橋の方が涼しい」と言われた。これは、赤城山と榛名山から風が通うからだそうだが、確かに、先日、前橋に仕事で行ってみると、昼過ぎのメチャ暑の時間帯でも出がけの太田よりも2℃ほど低く、車外に出ると、決して涼しいものではなかったが風が流れていた。冬は逆に厳しいかもしれない。

 姫百合駐車場には5台ほどの車があった。手っ取り早く鍋割山、荒山という選択もあるが、標高が高い方が涼しいに決まっているし、車でチョイ先に行けば良いだけのこと。赤城神社先の駐車場に着くと、車載の温度計は22℃になっている。やはり涼しい。ランニング、ハイキングの人がかなりいるし、バイクも自転車の通行も多い。
 一昨日のことだが、足尾の沢に行くつもりで出かけたら、大間々からずっと雨で、草木ダムには「水位上昇 ダム放流中」の電光掲示が出ていた。足尾で小やみにはなったが、小滝の里から見下ろした庚申川は大量の水でうねっていた。それを見て、早々に引き返したが(一年前にも同じことをやっている)、気温は7時半の時点で26℃と、雨のせいで蒸し暑く、ちっとも涼しさは感じなかっただけに、標高の違いもあるとはいえ、今日のこの涼しさはありがたい。じっとりした暑さもなくからっとしている。それでなくとも、息子からの誘いがなかったら、このくそ暑さの中、進んで尾根歩きなんかするわけがない。

 いつもの長い前置きはこれで終わりだが、今日の歩きは黒檜山に登って駒ヶ岳に下り、そのまま車道に出るといったオーソドックスなコースだ。特別に真新しい発見もなく、奇異な体験もしていない。適当な写真メインでの記事ということにしよう。

(黒檜山登山口。先行のファミリーがいきなり体操を始めた。待機していたら、先行を促された。「こちらは初心者なものですから」と言いはしたが、譲らずに先に行くことになった)


(息子がさっさと行き、先行者をさっとかわす。この時点ではぜーぜーしながらくっついて行った)


(猫岩手前の展望地から。正面は地蔵岳)



 息子の歩きは速かった。そんなに飛ばすなと言いながらもついて行った。自分にはオーバーペースの歩きで、こちらは大汗ダラダラ。次々にハイカーを抜いて行く。涼しさを感じているヒマもない。随所でオレを待ち続ける息子を先に行かせて、自分のいつものペースの歩きに戻した。

(スパ地下には、こんなところの歩きは滑りそうでつらい。アイゼンの引っかきらしき跡がやたらとあった)


(「アンテナ山の左隣りに富士山」という標識があったが…)


 年の差もさることながら、息子はボクシングのジムに通い、ボルタリングもたまにやったりと体力づくりに励んでいるようだ。こちらは、毎日のように、勤務先近辺のジイさん、バアさんとグラウンドゴルフを仕事としてやってはいるが、日焼けをしてたっぷりの汗をかいても、筋肉痛になるようなことは何もしていない。ただ、歩いて身体を動かしているだけのこと。この時季としては身体に悪い運動だろう。まして、山歩きからは遠のいている。歩きに差が開くのは当然のこと。息子について行けずとも深刻なことではない。

(山頂下はかなりきつい。こんな休憩をとりながら登っているが、息子の姿はすでにない)


(黒檜山山頂。この時は山名板を見ても特別に何も感じなかった)


 黒檜山山頂に到着。登山口から1時間半のコースタイムだが、息子を追いかけたおかげで、1時間5分で着いてしまったのは、最近の自分の歩きからしたら快挙だろう。
 さて、その息子、山頂に姿が見えない。間違って駒ヶ岳に行ってしまったのではと、一人で山頂にいた高校生ほどの女の子に息子の人相を伝え、見なかったかと聞くと、赤い服を着た人なら見かけ、展望地の方に行ったとのこと。息子がどんな格好をしていたのかからきし覚えてはいないが、決して赤ではなかったことは確かだ。そいつは違うな。

(展望地から1)


(展望地から2)


(展望地から3)


 息子は展望地の石に腰かけ、写メールを送っていた。まじまじと着ている物を見ると薄いピンク。周囲に赤シャツはいない。女の子のことを話すと、駒ヶ岳分岐で黒檜への道を聞かれたそうだ。そんなやり取りがあったのにピンクが赤とは、息子の印象も相当に薄いものだったのだろう。その女の子、後で両親と展望地にやってきたが、さっきはどうも、息子はここにいたよと言ったら、そのピンクを見て苦笑いしていた。
 展望地は涼しい風が通っている。汗をかいた身体には心地よい。ただ、瞬間に風がやむと、無性に暑くなる。これは仕方ない。今日の日差しは強い。腹ごしらえをして休む。そして、ハイカーも7人くらいいたので、離れたところでタバコを吸った。

(左は昨年見た山名板。右は今回)


 黒檜山山頂に戻ると、何となく違和感を覚えた。山名標識が「赤城山」とあって、その下に小さく「黒檜山頂1828m」とある。帰ってから昨年の写真を見ると、「赤城山」ではなく「黒檜山」がメインの山名板だった。新しいのに取り替えたのだろうが、何か特別な意図でもあるのだろうか。
 ここで、何回か前後しながら到着した単独氏に聞かれた。「いつも地下タビで歩いているんですか?」と。地下タビはどこの山でもまだまだ差別化なのだろう。こちらはジジイだし、さりとて貧相にも見られたくもないので「登山靴は持っていますけど、履き慣れると、こちらが歩きやすくてねぇ」と答えておいた。それ以上のことを聞いてもこなかったし。ただ、登りの岩がゴロゴロしたところでのスパ地下は結構滑り、下りでは引っかけて危ないかもしれない。この場では決して「歩きやすい」とは言えるものではなかったろう。

(左・東側に雲が湧いてきた)


(正面に駒ヶ岳)


 駒ヶ岳下りにかかる。東側の雲が黒ずんできているのが気になる。車道のバイクのエンジン音も気になってきた。せっかく涼し気に歩いているのに、あの音はどうしても暑苦しく感じてしまう。

(枯れない池)


(駒ヶ岳山頂。かなりガスが濃くなっている)


(この蝶、汗の臭いが好きなのか、帽子からなかなか離れなかった)


(黒檜山はガスの中)


 駒ヶ岳山頂には5人くらいいたか。山頂がそこにあるのに、タバコの煙の臭いが鼻についた。目の前でハイカーがタバコを吸っている。離れたところで吸っているつもりでいても、風向きはこちらだ。自分のことは棚に上げて、不快になった。オヤジさんよ、もっと深慮して吸えよと言いたくなる。こちらは、東尾根の方に入って一服。これなら臭いも届くまい。

(ここの下りはいつもこんな天気模様といった感じがする)


(見かけた花は大分ひからびていた)


 だらだらとした下り。息子は相変わらず快適に下って行く。たまに走りも加える。こちらからもどんどん登って来る。水筒も持たない空身もかなりいる。まさか黒檜まで行くつもりではないだろうな。オバちゃんのタオルだけの空身に「随分と身軽に歩いているね」と声をかけると、後ろのオッサンを振り向いて、「主人が荷物持ってくれているから」と笑いの返事が返ったが、そのダンナは重そうなザックを担いで、全身汗まみれ状態でかなりしんどい顔をしていた。

(この辺は整備されたのか、歩きやすくなった感じがする)


(駒ヶ岳登山口)


(大沼を見ながら一服している)


 車道に出ると、息子が待機していた。ここからは車道歩きで戻る。大沼にさしかかると、ここで待っていてくれと言う。湖畔のベンチに腰かけ、タバコをふかして景色を眺めていると、黒檜山が次第に雲に消えていく。そして、たまにポツリと雨が落ちてくる。黒い雲も一面に広がっている。やがて、息子が茶店から土産の菓子折りをいくつもポリ袋に入れて出て来た。職場への土産だそうな。それを見て、息子も苦労しているなと思った。
 オレの思いでは、職場への土産はつまりは人間関係の不要な義理にしか過ぎない。積極的に、どこそこに行って来たと赤の他人に近い職場の人間に伝える気持ちにはさらさらなれない。自分は、自分の旅行をブログには記しても、勤務先の人間が気づいているわけもなく、何十年もの間、職場への土産なんてものは、特別な思いのある同僚(もちろん上司なんてことはあり得ない)以外に贈ることはなかった。そういう同僚には旅先から送ったこともあった。旅行に行ったことはおろか、「皆さんでどうぞ」なんて気の利いたことは職場でしたことはない。
 その特別なお土産関係相手も、職場を辞めると同時に関係が消えてなくなった。落ち着いたらの送別会、忘年会、新年会と言われながらも、つゆぞ誘われることはなかった。部外者の取引先の人間ですら同じ。仕事を離れて割り勘やらこちら持ちで飲み歩いた関係もあっ気なく終わった。
 職を通じた人間関係なんて、深い付き合いをしたつもりでいても淡いもの。こちらにそんな意識がなくとも、相手にはそれなりの損得勘定もあったのだろう。勝手なこちらの思い過ごしに、忘年会の連絡はまだかいなと自らが振り回されていた。そんなことを体得しているからこそ、息子も苦労してんだなぁと思ったわけだ。そもそも、息子は職場や仕事の人間関係に対する考え方が素直というか実直なのだろう。オレの冷めた思いは息子には敢えて言いもしなかった。オレの偏屈に息子が混乱するかもしれないし、帰ってから妻にそんなことを話しでもしたら、立ちどころに批判、罵倒されるのはオレの方だ。
 自分は転職した今の職場に対しても、これまでと同じ思いでいる。ただ、困ったことに、今の職場は、小さなところで、ましてうわさ話好きなオバちゃん主体の会社だ。旅行に出かけるために休暇でも取ろうものなら、根掘り葉掘りどこに行くのか聞いてくるだろう。そうなったら、手ぶらでオハヨウゴザイマスの出社というわけにもいくまいな。まさに嫌悪していた人間関係が今になって生まれることになるかもしれない。

(赤城神社)


 赤城神社に寄って駐車場に向かう。神社では、昨日、肺水腫になって危篤な状態で入院してしまった愛犬の回復を祈った。あとは、帰りに覚満淵でも寄るつもりだが、この時季は花も何もないだろう。

(覚満淵)


(見かけた花はこれと、とはいっても去年のブログで出している)


(これだけ)


 地下タビのままに運転して覚満淵。息子はあまり乗り気もない様子だし、自分にとっても付録のようなもの。荷物もなく適当に先まで行って早々に引き返した。紅葉にありつけるわけでもなく、一周しただけでもムダな汗をかくだけだろう。

 帰路に就こうとしたらカンカン照りに戻った。メチャ暑い。それでいて涼しい風は流れている。
 息子はオレと同じに、帰りの温泉立ち寄りにさほどの興味もないようで、念のため聞くと、むしろラーメンを食べたいらしい。往路は大間々、新里経由だったが、復路は前橋に出て上武国道にしていた。国道伝いにたいしたラーメン屋はないが、自分が一回だけ行ったことのあるラーメン屋に寄った。息子はビールを飲んだが、こちらは運転だ。店を出てから、息子に聞くと、ラーメンはまずい部類ではないが、味が濃すぎたということだった。せめて、息子においしいラーメンを食べさせたかった。次は紅葉の谷川岳にでも連れて行ってやろうか。息子はさっさと早足で行くだろうが、それはそれで自然体だ。息子に気遣われる歩きをするにはまだ早い。

 翌日のことだが、短時間の歩きながらも、息子を追いかけた歩きをしたため、両足のふくらはぎがかなり痛くなっていた。
 何となくグチというよりも自分の思いの強い文章になってしまった。それはさておき、確かにこの時季の赤城山は意外に涼しかった。しかし、この暑さ、いったいいつまで続くのだろう。山なんかどうでもよく、涼しい国に海外旅行に出かけたい気分になっている。

事故の顛末

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◎2018年8月19日(日)

 日光市のホームページの<防災・安全>コーナー。その(過去の消防出動情報一覧)に、「8月19日午前11時28分頃 日光市日光地域足尾地内かじか荘付近にて山岳事故が発生し消防車が出動しました」と記されている。この出動した消防車にやっかいになり、救急車で日光市民病院に搬送されたのは、恥ずかしくも自分のことなのである。
 左足首の関節脱臼骨折。20日に手術を受け、22日に退院したが、この先しばらくは松葉杖歩きで、地元の整形外科に通わなければならない。当然、外回りメインの仕事はその間しばらくは休むことになるだろう。
 自分の恥さらし記事は出したくもないが、へぇーこんなこともあるのかと、頭の片隅にでも入れてもらえれば、それなりの事故防止、救助要請にはつながるかと思う。携帯も、圏外だからとついあきらめてしまいがちなものだが、決してそうでもないことはおわかりいただけるだろう。

 19日の朝は職場近くの公園で、ボランティアの清掃作業に加わった。これは仕事としての付き合いだ。6時からの開始で、2時間もかかったら、そのまま家に帰るつもりでいたが、もし短時間終了なら、足尾に向かうつもりでいた。それが1時間で終了。予定どおりにそのまま足尾へ。実は娘と孫が遊びに来ていて、前日は出勤だったし、いっしょに過ごした時間も少なく、結果としてはさっさと帰って、終日、孫と遊んでいた方も無難だったわけだが、その時点では、どうせ滝見だけだし、現地で往復3時間もとれば午後からいっしょに遊べるかという思いもあった。つまりは自分優先を選んだ。

(この時はウザイと思いながら、遭難後はこの天使たちを待っていた)


 かじか荘上の駐車場には車が4台ほど。自分の直後に1台入って来る。気温は16℃。かなり涼しい。早々に出発。同時に、かじか荘の方から子供と父兄だろうか、30人ほどの団体が上がって来た。庚申山か庚申山荘にでもハイキングだろう。時間は8時45分。庚申山だとすれば出発が遅過ぎる。その時はうざい連中だなと思いながら、さっと先に出て林道を歩いて行ったが、この父兄混じりの団体が、後で自分の支えになるとは思いもしていない。
 後ろから自転車に乗ったオッサンが来て、追い越して行った。オレの後に駐車場に入った方だ。

 今日こそは坑夫滝を見られると思っていた。12日に来た時の庚申川の水量、水流に比べたら、今日の庚申川はかなりおだやかだ。

(予定ではまだ直進だが、つい右に行ってしまうと、思わぬことが待っていた)


(テープもあり、踏み跡も明瞭だったし)


 林道の目的地に到着。9時4分。ここからガードレールを越える。先の下見はしてある。巨大堰堤の上の河原に急斜面の下りながらもすんなりと出られるはずだった。下って行くと、ふと、右に踏み跡が見えた。ここで安易な考えを持ってしまった。ここからでも河原に行けるんじゃないのか。黄色のテープも巻かれているし。だが、踏み跡は間もなく消えた。
 下に淵というか淀みが見えて、その先は河原。そして庚申川となっている。淵の深さはここからではわかりかねるが、元から本流は泳ぐつもりで来ているから、底に足が着く程度なら渡ってもいいかと、淵に向かって下る。かなり急だ。

(一応、沢靴に履き替えるが、ここは深過ぎ)


(ここをへつろうとしたが、自分には無理な話。落ちたらアプアプだ。すぐそこに河原と本流が見えている)


 淵が真下になった。これは無理だ。深さ2mはある。大岩をへつって巻けやしないかと、地下タビから沢靴に履き替える。このあたりから気がおかしくなっていたのかもしれない。
 右手の大岩には手がかりも足がかりもない。左手は当初から無理。底が見えていないし、流れもない。今度は、その大岩自体を高巻く算段に出た。少し戻って、岩の上に出て、反対側の下を覗く。淵は切れてはいるが、5~6mの垂壁になっている。ダメ。戻る。9時24分。
 下って来たところをそのまま戻り、予定の下見ルートに足を向ければ良いのに、もしかすると、踏み跡の続きに出られるかもしれないと、斜めに下ったところを真上に向かう。左下はガレ沢になっているようだ。

(建設省時代の石柱。何を貸し付けたのかはわからない)


(これが悪夢へとつながる)


 歩きづらいところを登って行くと、「建設省貸付」と記された石柱と、その脇に直径2cmほどの鉄索2本がガレ沢に垂れているのが見えた。これを使えば下りられそうだ。この「そうだ」が、こんなところでは禁物だが、下りられると思っている比重の方が大きい。どちらを使うか迷ったものの、左右の手でそれぞれをつかんだ。周囲はヤブで、下はよく見えていない。

(右から落ちた。鉄索がチョン切れで垂れている)


(ここを下れば、すぐに河原だった。これくらいのガレなら何とか下れた)


 下ると、すぐに岩場になった。慎重に足の置き場を確認しながら下る。そのうちに、岩はオーバーハング状になって、足の置場がなくなり、そのままストーンとガレ沢に落ちて身体も一回転。特に身体に痛みはなく、出血もない。ヤレヤレと思いながら、すぐ下に河原が見えている。ここを下ればすぐに河原に出られる。最初から、このガレ沢を下ればよかったみたいだな。
 ふと、左足が不自然に外向きになっていて、腫れ上がっているのに気づいた。立ち上がってみた。やはり左足に感覚はなく、支えになっていない。脱臼でもしたかな。もう滝見どころではないな。落ちて来た鉄索を見上げると高さ2.5mほどのところで千切れていた。そして、反対側にも千切れた鉄索。おそらく、これは以前はつながっていて、輸送用の鉄索だったようだ。9時35分。
 こうなったら、これからどうすんべえ。携帯は圏外であることはわかっている。まして谷間だ。ハナから携帯のことは頭になかった。ふと思う。このガレ沢を登って行けば、少しでも林道に近づく。林道真下で待機していれば、あの団体さん、自転車のオッサンの帰路に気づいてもらえるだろう。
 ザックからホイッスルを出して、ヒモを首に巻く。このままでは歩きづらくて血の巡りも悪いだろうと、もはやチャックでは外せなくなっている左足の沢靴を、ナイフで切って靴下だけになり、右足は地下タビに交換。上州屋で買った、釣り用の沢靴のデビューではあったが、そんなことを気にしている場合ではない。

(林道に向けて、ガレ沢を攀じ登る)


 緩やかなところは左膝と右足で、急なところは腹這いになって登る。少し緩んだところで休憩。上にかすかに林道のガードレールが見える。もっと上がろう。あそこからでは、こちらの姿は見えまい。まして、上下ともに緑色の衣類だ。せいぜい目に付くのはオレンジ色のヘルメットくらいだろう。
 休憩して、一応、圏外であることがわかっていて119番に通報しようとしたのは10時24分。つながるわけがない。うんともすんともない。それでも繰り返しかけてみた。やはり、林道直下でホイッスルしかないか。これは後で気づいたことだが、携帯の発着信履歴を見ると、10時29分から立て続けに4回、見知らぬ固定電話から着信があったようだ。そんなことは、圏外だから、着信音が鳴るわけでもないので気づいてもいない。この番号、後で調べると、日光市消防本部通信指令課からのものだった。つまり、無言の圏外119番は別次元のところでつながっていたわけだ。

(ガレ沢を見下ろす)


(擁壁の真下から。健康体なら、問題なく右から脱出できた。レスキューさんも右から下りて来た)


 登り続行。ホイッスルは吹き続けている。ようやく、林道下のコンクリート擁壁下に出た。この擁壁は2段か3段で、高さはそれぞれ2~3mほど。この壁下では、オレの姿も音はすれども見えはしまいと、また下がってみるが、もしかして、この壁は脇から越えられやしないかと、また上に戻って試みる。擁壁の上に一旦、ザックを載せ、空身で攀じ登ろうとしたが、健康体なら問題ないが、片足では、どうやっても無理。そして、反対側から壁を巻いて登る手もあるかと、じっくり観察するが、どうもこの身体では滑落して、さらに悪い状況になりそうだ。結局、元に戻って、タバコを吹かす。何を考えていたかというと、攀じ登って、林道に横たわることを想定していた。そうすれば、いやがうえにも目に入る。
 上を車が走って林道先に向かう気配があった。川音が強いから、錯覚かもしれないなと思いながらもホイッスルを立て続けに鳴らす。やはり錯覚か。
 万策が尽き、手持無沙汰になったところで、携帯を取り出してまた119番。つながりはしないが、今度は「現在位置を確認中…」といったような文字が出てくる。…???…。そして、数分前に登録なしの携帯番号からの着信があったのを知った。それにかけてみると、相手が出た。だれかも知らないが、ただ「救助要請」とだけ大声で言った。相手の反応はないままに切れた。また同じ番号から2回着信が続いた。とっても通じないまま。救助はあり得ないと思い込む。もう正午に近づいている。家には午前中に帰れるだろうと言い残して出てきたから、一応は連絡を入れたいが、連絡のしようがない。
 この後の時間感覚がほとんどない。子供たちが上を通るのは何時頃だろうかと思っていると、上から「〇〇さんいますか」と、大声で聞き覚えのある名前を呼ぶ声がする。最初は何のことかわからず、ただ、ホイッスルを鳴らしたが、冷静になると、自分の名前を呼んでいることがわかった。今度は「〇〇さん、どこにいますか」となった。見上げると、レスキュー隊員らしきヘルメット姿が2人見えた。思わず手を振ると、相手もようやくこちらの場所を特定してくれた。

 何とも奇妙な展開だった。携帯はつながらなかったのに、微弱な電波で場所を特定してくれたのか。そして、その番号から、こちらの名前も知ったのだろうか。ただ、ただ、これで助かったの一言。
 レスキュー隊員がロープで降りて来た。無線で上と連絡をとっている。そして、「間もなく防災ヘリが到着します」と言われ、身体をロープで巻かれた。その間、何で場所を特定できたのか、素朴な疑問を発したが、職務上の秘密なのか、教えてはもらえなかった。ただ、場所がよくわからなくて、林道先まで行ったとのこと。やはり、あれは車のエンジン音だったらしい。レスキュー隊員は、オレと同じ、ホームセンターの手袋を使っていた。自分のと同じだなと自分のを改めて見ると、さっきまでの荒行を物語るかのようにボロボロで穴あきだらけになっていて、右手の薬指先ははみ出し、爪が剥け、皮膚が深くえぐれていた。
 しばらく確保されたままで待たされ、ようやくヘリがやって来て、上空でホバリング。どうも木立でうまく動きがとれないようだ。下に近づくと、プロペラの起こす風にあおられ、上からこぶし大の石が落ちてきてヘルメットを叩く。こうなると救助する方もされる方も命がけだ。無線を交わしながら、これ以上近づくと危険とのことで、ヘリ救出は断念。ちょうど、赤薙山でも遭難があったようで、ヘリは赤薙山に向かって行った。
 ヘリの上空滞在は15分くらいだったろうか。また待たされた。そのままロープで引っ張ってもらえば、私、片足だけでも林道に出られますよと言ったが、これは聞き入れてもらえず、代わりにプラスチックの担架が下りてきて、これに結わえ付けられ、引き揚げとなった。
 林道に横たえられてほっとした。待っていたのは消防車。もう2時にはなっていたと思う。足の痛みはなく、相変わらず外を向いて腫れているが、片足で後部座席に自力で座った。脇を子供たちが興味津々に覗いて行く。オレはまさかレスキュー隊に救助されるとは思いもかけず、この子供たちの通過を待っていたのだ。ホイッスルに子供が気づき、大人が出て来て、上から声をかける。そこで、遭難したことを告げる。大人はかじか荘に知らせて、ようやく救助活動となっていたはずだ。圏外での119番通報。どういうしくみになっているのか、いまだによくわからないでいる。これがさらに奥の庚申山とか皇海山の中腹だったらどうだったろう。山頂なら、見通しも良く、たまにつながるものだが、中腹なら微弱電波をとらえることができたろうか。
 消防車で林道を下ると、パトカーも待機していて、後ろを付いてきた。そして、林道ゲートを出ると、今度は救急車に移動して、ストレッチャーに仰向け。警官に口頭で調書を取られる。その間、救急隊員は医療機関と連絡をとり、足尾の双愛病院と日光市民病院がありますが、双愛病院ではレントゲンが撮れないようでどうしますかと聞かれた。ここは迷わず市民病院にしていただいたが、本音のところでは、せめて大間々か桐生の病院に運んでもらいたかった。その方が家に近いし。足尾が足尾町のままだったらそれも可能だったかも知れないが、日光市に組み込まれた以上は、県境越えの搬送はあり得ないのだろう。
 ところで、この時点では、まだ脱臼だけだと思っていた。救急隊員の診たてもそうだったし。だから、長引くまいなと思ってもいた。

 車に揺られているうちに、痛みを覚えるようになった。これまでの緊張感から安堵感に変わったからだろう。病院までの道のりがとてつもなく遠く感じる。窓はなく、外も見えない。サイレンを鳴らしてはいるものの、速度感はなし。しばらくして曲がったので、今、田元あたりですかと聞くと、ようやく122号に出たところだった。
 病院に入ったのは3時半頃だったろうか。当日は日曜で休診日。在院の内科の先生にレントゲンを撮ってもらうと、どうも骨折もありそうだとのことで、整形外科の先生に携帯で写真を送ると、やはり、踝の部分に2か所の骨折があると返事があった。とほほだ。
 入院が決まると、救急隊員が引き上げた。ありがとうございました。おかげさまで命拾いをしました。こんな不手際なハイカーに引き回されて大変ですねぇ。
 内科の先生の簡単な診察を受けていると、下腹部に爪楊枝のようなものが腹を上下に貫いていた。これ、何でしょうねと、とってもらうと、針金だった。

(この結末。我ながら笑えずに情けなかった)


 病室に運ばれて5時。ようやくここで妻に連絡を入れた。瞬間、交通事故にでも遭ったと思ったようだ。かじか荘上の車は、不用心だから娘と取りに行くとのこと。そこまでしなくとも良いとは言ったが、結局、着替えを持ち、孫まで連れて病院にやって来た。
 妻はかじか荘上の駐車場というのがどこにあるのか知らず、かじか荘に入って、登山者用の駐車場はどこにあるのか尋ねたらしい。その際、マネージャーらしき方から、世間話として、今日は滑落事故があって、80m滑落して、70m這い上がった人がいると言われたとか。70mの這い上がりはまだしも、80mの滑落はどこから出た話なのだろうか…。実際に落ちたのは2.5mほどのものだったが。

 痛みの2晩が続いた。一睡もできなかった。手術は脱臼はすぐに戻したが、骨折部にはボルト締めをしたりと、3時間の手術になってしまった。なんとしても耐えられなかったのは尿道に差し込まれた管で、これを外してもらえない限りはベッドから脱出できない。翌日の昼近くにようやく外れてほっとした。その間、500㎖の点滴液を13袋ほど入れられたのでは、確かに尿瓶で間に合うはずもない。
 手術の翌日から早速、リハビリ。自分の場合、日光の病院には長逗留もできない事情もあって、あとは地元でリハビリに通うようにと、松葉杖をうまく使えることだけがリハビリの目的になった。階段歩きは厳しかった。平地歩きすら、室内を一周しただけで汗が噴き出し、すごい息切れがあった。これが3週間(そう言われた)も続くのかと思うとぞっとする。まして残暑も厳しい。

 まぁ、こんな事故の顛末だ。病室に来た看護師のオバチャンとおしゃべりをしていたら、救助を待っている間にクマに遭わなくてよかったねと言われた。オバチャンは地元の方で、今でこそ日光にもクマが出るようになったが、以前は、クマといったら足尾の山といったイメージだったらしい。それはともかく、確かに不自由な状態でクマにでも襲われていたらとんでもなかったろうな。
 ふみふみぃさんのように、泌尿器科で一月の山ナシというのも、お気の毒にと思ったものだが、まさか、自分が山の事故でこうなるとは想像すらしなかった。まして、ここのところ山歩きの回数がめっきり減っていて、冒険のような歩きからは遠ざかりもしていたし。
 この顛末記は一つの事例だ。うまく救助された例とも言えるだろう。林道から離れていなかったから助かったのかもしれない。さらに奥だったら、今回のようにうまく見つけてもらえたろうか。あの日、小学生集団という、気持ちの支えがあったからある程度は這い上がることもできたが、それがなく、まして自転車のオッサンもいなかったら、携帯も圏外だし、早々に観念していたかもしれない。家にコースを記し残してきたとはいえ、妻が気になって通報するのは夜になってからだろうし、そうなると、翌日の捜索となって、発見さてもかなり衰弱していたろう。
 一つの教訓として、携帯が圏外だったとしても、遭難場所にもよるが、あきらめずにかけていれば、いずれは救われるチャンスも訪れるということだ。

 また改めて坑夫滝…。ということはもうあり得まい。せいぜい、これまで同様に、冬枯れの頃に林道から滝をちらりと拝んでおしまいだ。

※ピンボケの写真は気が動揺して撮った写真と理解していただいて結構です。

足尾<坑夫滝>。つれづれ雑記。

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◎2018年8月30日(木)

 退院から一週間が経った。多くの方からお見舞いのコメントをいただきうれしかった。ことに、実体験をもとにいただいたアドバイスはかなりの励みにもなっている。
 今、地元の整形外科に通っている。つくづく、右足でなくてよかったと思う。右足なら車の運転もできやしないし、妻の手と時間を煩わすことになる。
 毎日が長い。松葉杖では何もできない。通院以外の外出はしない。終日、ベッドに横になって本を読んでばかりいる。幸いにも未読の本が15冊もあったし、息子の漫画本もある。テレビは元からあまり見ず、せいぜい、昔のサスペンスか時代劇を眺めているくらいだがすぐに飽きる。
 松葉杖歩きは不安定だ。手には何も持てず、家の中でも必要物を入れたバッグを首に提げて移動している。病院の帰りにコンビニに寄り、タバコを買い、右手に袋を持ってレジから離れようとしたらふらつき、店のオネエちゃんに「大丈夫ですか?」と言われてしまった。今朝もまた、コーヒーをカップに入れたまではよかったが、イスに至るまでに半分近く床にこぼしてしまった。そして拭き取るのに体力を消耗してぐったり。
 同じ姿勢でずっといるのがつらく、パソコンの前でもしばらくすると苦痛になってくる。何といっても厳しいのが二階との往復。寝室と自分の部屋が二階にあり、これはどうにもならず、一日四~五回ほどの往復になる。松葉杖の階段歩きは危ういもので、転落しそうになって、今は安全策で尻で昇り降りしている。これがかなりの重労働で、片道だけでも汗だくになる。おかげで、腕、胸、腹の筋肉だけは衰えることはなさそうだ。
 専用の防水足入れ袋をアマゾンで購入したから、シャワーとトイレだけは問題なく済ませている。ただ、こんな生活が少なくとも一か月は続くのかなと思うと、かなりげんなりしてしまう。辛抱するしかないことは重々承知なのだが、ここのところ涼しくなってほっとはしているものの、今日のようなぶり返しの暑さの中では気持ちも萎えてくる。

 滑落事故のあった19日。当日は何も考えていなかったが、退院して家で落ち着いたら、あれっ、そういえばと思い、手帳で調べると、奇しくもこの日は三年前に亡くなった父の命日であった。それに気づいた時、複雑な気持ちになった。そして、良いように考えるようにした。父が死んでいたかもしれないオレを脱臼骨折だけで済ませてくれたのではないのかと。
 あまりこんなことにこだわるタイプではない。こだわっていたら、命日だから山に行くのはやめにしようということになっていたし、それ以前に命日がそろそろだなと思っていたくらいのことで、当日とは思ってもいない。こんな因果はこじつけのようなものでしかないのだが、何となく因縁めいたものを感じる。

 「坑夫滝」にはちょっとしたこだわりがあった。この滝の名称の由来だ。
 足尾にも滝はたくさんあるが、そのほとんどが「○○沢の大滝」とか「〇m滝」で、固有名称のある滝は坑夫滝と小滝くらいではなかろうか。その小滝とて、あの滝のことだろうと推定されているだけの滝だ。いろいろ調べても、坑夫滝の名称の由来は、結局はあやふやなままだったが、滝を間近に見れば、何となしのレベルではあっても、「悲話」の感慨を少しは持てるかなといった思いがあった。

(坑夫滝の看板)


(坑夫滝がチラリ)


 庚申林道を歩いて行くと、嫌が上にも目に入る看板。<坑夫滝(光風の滝)>。滝はそれらしき音はすれども木立に隠れて見ることはできない。冬枯れの時季にちらりと一角が見えるだけの滝だ。この看板に添えられた「悲話を秘めた」という言葉がいまだにずっと気になっている。
 何十年も前にここを歩いて、この「悲話」がどんなものか調べたことがある。確か、前後関係は忘れたが、亡くなったか、失恋した鉱夫を慕って娘が身を投じて死んだということだったような気がする。実のところ、当時、確かに自分で調べたのかどうか、それが実話だったのかも、今になって思うと怪しいところがある。
 この看板を見る度に、この、自分で勝手に作り上げたのかもしれない逸話を想起していた。

 ここ一年ばかりのことだが、坑夫滝を間近に見てみようと思うようになると、その悲話のことがやたらと気になり出し、改めてネットで調べてみた。
 情報は皆無に近いが、やはりその悲話に興味を持った方がいて、「調べたら、重労働に倒れた多くの坑夫がまだ生きながらにして葬られた」とあった。あながち、これが正解なのかもしれない。葬られたのは、おそらく、大陸、半島の人たちのことだろうことは想像に難くない。だが、ここに娘は登場しない。
 手持ちの本を調べてみる。『銅山の町 足尾を歩く』や『足尾銅山 歴史とその残照』を読んでも悲話はおろか坑夫滝のことには何も触れられてはいない。銅山そのものに関係ないからなのか、山歩き方面には疎い著者だからなのか…。
 岡田氏の『足尾山塊の沢』には「光風滝…元の名は鉱夫滝と呼ばれ、足尾銅山で働いていた鉱夫が一命を落したという、悲話が伝えられている」とある。どうも、悲話は、鉱夫の死に絡んでいることに間違いはないようだ。
 ちなみに、M氏の『皇海山と足尾山塊』では「この滝は足尾銅山の坑夫が体を洗ったという謂われから…」とあるが、失礼ながら、水浴に悲話なんぞあるはずはないだろうし、自分の狭い見識では、あの辺に坑口や飯場があったという話も聞いたことはない。ただ、その先に根利につながる索道が築かれていたことは事実ではあるが。
 結局、ネットでも本でも、確たる悲話に接することはできず、どうも釈然としなかった。娘の件は、自分の勝手な想像だったのか。どうしても、悲話=女性がらみ、恋愛がらみといった設定は世間の悲話によくあることだし。
 つまりは、こうして滝の名称の由来は未解決のままになっている。

 脈絡もない話だが、夏目漱石の『坑夫』に、悲話のヒントはないものだろうかと読んでみた。
 この小説の舞台は足尾銅山らしい。「らしい」というのは、小説を読んでも、足尾の「足」の字すら出てこないからだ。足尾らしきところに向かう道中の描写に出てくる唯一の地名は「板橋街道のような」の表記だけ。そして、「銅山」の注解に「この小説の舞台になったのは足尾銅山」とはあるが、漱石自身が記したものではない。
 この小説、かなり前に岩波文庫で読んだことはあるが、たいした印象は残っていなかった。あらすじだけは覚えていた。
 先日、新潮文庫で改めて読み直してみた。そしてようやく自分のレベルで深読みすることができた。こんなことは往々にしてある。『罪と罰』を岩波で読むと苦痛を伴って、さっぱり内容がわからないが、新潮だとストーリーの展開がスムーズに理解できる。岩波は、やはり自分にはアカデミック過ぎて難解で胃が痛くなる。翻訳の堅苦しさ、文章のレイアウト、注解の多さもあるのだろう。

 それはさておき、実はタイトルの「坑夫」という言葉に違和感があった。何で「鉱夫」ではなく「坑夫」なのだろうと。「坑夫」では鉱山というよりも炭鉱系の言葉に感じてしまう。
 余談だが、自分の父は東京生まれの東京育ちだった。戦争から復員すると、片親の母(自分には祖母)は実家のある秋田に疎開していた。下町の空襲でパーマ屋を営んでいた家が焼け落ちたのではしょうがない。父は秋田に向かい、そこにあった企業の阿仁鉱山に勤めた。鉱山の直接社員、つまりは、「鉱員」、「鉱夫」の身分なのだが、何回か試験を受けて晴れて阿仁鉱山ではなく古河鉱業の正社員になった。正社員になったからといっても、穴の中の勤務に変わりはなかった。だが、社員になった以上は転勤もある。阿仁から院内、足尾、小山、さらに終わらずに阿仁、小山へと舞い戻った。小山だけは穴から外に出ていた。
 父は永年の穴の中の仕事で軽い珪肺に冒されていた。鉱山、炭鉱労働者に珪肺はつきものだ。咳き込みながら亡くなった。ついこんなことをわざわざ記したのは、自分の事故日が父の命日と重なっていたからだ。
 話が横道に逸れ過ぎた。こんなことから、自分にとっての鉱山の雇人は「坑夫」ではなく「鉱夫」というのが認識だ。「坑夫」は炭鉱労働者だと。だが、「坑道」という言葉は炭鉱でも鉱山でも同じく「掘削地に向かう穴道」のこと。そういう意味では「坑夫」=「鉱夫」なのだろう。岩波で読んだのはまだ若い頃で、そんな区別なしの言葉づかいにちょっとした反発を覚えて読んだものだから、中身をよく理解しようとしなかったといった面があったのかもしれない。とにかく当時はタイトルが気に入らなかった。

 これも余談。家には父のカンテラがあり、中には白い粉の塊が入っていて、これに水をかけるとガスが出た。つまり<CaC2+2H2O → C2H2+Ca(OH)2>でアセチレンということなのだが、子供の頃にはよくこれで火遊びをした。今でも、このカーバイトの臭いをたまに嗅ぐと、よく父に連れられて入った坑道の中の臭いを思い出す。自分には懐かしい、ひんやりとした鉱山の臭いだ。不思議にこの化学反応式は、文系の頭にもいまだに残っている。

 『坑夫』そのもののストーリーは単純だ。ひ弱で甘っちょろいタイプの青年が、今にしてはたいしたことでもなさそうな男女関係の気分的なもつれから自棄になって当てもなく東京を飛び出し、道中で出会った手配師に鉱山に連れて行かれ、なすがままに鉱山の穴に入ってはみたものの、自分には苦痛で華厳の滝で自殺した方がましと思いながら、本音のところでは死にたくもない。いざ坑夫になろうと診察を受ければ肺病があって坑夫になれず、事務賄いをすることになるといったもので、こういった青年だからこそ、青年の心理描写に期待するものはないが、坑道の事細かな描写には驚いた。
 当然のことながら、漱石は足尾で取材し、関係者にもいろいろと話を聞いたのかと思っていたら、文庫本の裏表紙には「漱石宅に押しかけてきた青年の告白をもとに綴る衝撃の異色作」とだけ記されていて、末文の三好某氏の解説にすら取材のことはおろか、足尾銅山が舞台云々のことは記されていない。漱石は足尾には行かずにこれを聞きかじりで書き上げたわけだ。それにしても、坑道の描写は微に入り細に入りだった。ことに、真っ暗な竪坑の階段の昇り降りの表現は体験した者でなければ記せないだろう。何とも不思議だった。

 この小説が書かれたのは1908年(明治41年)。興味本位で調べてみると、この頃の足尾町の人口は35,000人近くで歴代のピークを迎えている。古河は三代目になっていて、すでに財閥になっている。原敬を役員に迎え、大正デモクラシーの風潮も近づき、当局も社会運動に目を光らせている時世だ。すでに地元の松木村、久蔵村、仁田元村は廃村になり、渡良瀬川下流地域では鉱毒被害も顕著になってきていて、田中正造が明治天皇に惨事を直訴しようとしたのはその7年前だ。
 小説は新聞連載だったらしい。足尾銅山とは書けない漱石の立場もあったのではなかろうか。まして、その頃は、中国やら朝鮮から大量の強制労働者が全国の坑道の中で働いてもいる。
 後年の『坊ちゃん』や『猫』に比べたらまだまだ未熟な小説かもしれないが、『坑夫』もまた新潮文庫で読む限りはあっという間に読んで楽しめた。さりとて、これをお薦めするわけではない。ヒマなら読んでみたらとも記せない。その筋に興味がなければ面白くもなんともない退屈な小説だろう。

 まぁこんなところで読書感想文は終わりだが、つまるところ、『坑夫』を読んでも何ら滝の名称の由来に近づくことはできなかっただけのことで、小説にそれを見いだそうとしたこと自体に無理があった。
 悲話にこだわっていてもしょうがない話だが、この悲話、いずれはどんなものだったのか真相を知りたい。果たして知ることができるだろうか…。
 不思議に思う。庚申山荘に向かう、水ノ面沢ルート沿いには看板の置かれた名所がいくつかある。猿田彦神社跡、大忍坊碑、鏡岩等々。それぞれに解説板も置かれている。鏡岩に至っては、「孝子別れの場」という悲話が解説されている。だったら、何で「坑夫滝」の看板は「悲話を秘めた」だけで終わっているのだろう。
 やはり、坑夫滝には、あまり伝えたくない、知られたくない銅山の歴史の暗部というか恥部があるからではないだろうか。強制連行による慰霊碑が置かれているのに、今さら隠すこともなく公に記せばよいのになぁと思うのだが。

 読み返すと支離滅裂な文章だが雑記ということで出すことにする。どうせ、山行記事は当分の間はアップできないし、その間の穴埋めくらいにはなるだろう。

<Mamma Mia ! Here We Go Again>。これは映画の話で、つれづれ雑記再びといったところ。

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◎2018年9月5日(水)

 もう10年も前のことだろうか。山手線で劇団四季の『マンマ・ミーア』公演のつり革広告を見たことがある。ロングランだったようだが、あまり舞台劇方面には興味がなく、ミャンマーの難民の話かなと思ったりした。何でそんな連想になったのか。タイトルの語呂と広告に描かれていたイラストからの勝手なイメージだったのだろう。同じ四季の『ライオン・キング』あたりはディズニーのアニメをすでに見ていたから、ストレートにアレだなとわかった。
 今年の春頃からまともな休みがとれず、山に行ける時間もなく、自然に映画を観に行く回数が多くなっていた。映画なら丸一日も必要ない。せいぜい半日で済む。まして天気に左右もされない。
 映画館に行く度に流される最新映画の予告編。この中に<Mamma Mia ! Here We Go Again>をいつも目にしていた。マンマ・ミーア? ここで10年前のことを思い出した。何だ、元は洋画のミュージカルだったのか。ミャンマーとはまったく関係ないじゃないか。
 もっと驚いたことがあった。バックに流れているのはABBAの曲。自分はABBAが好きで、車の中でもよくABBAのCDを聞いているが、一曲、一曲の曲名なんてのは知らないし、知ろうともしなかった。改めてアルバムに記された曲名を見ると、その中に<Mamma Mia>という曲があった。なるほど、この曲を元にしたミュージカルで、<Here We Go Again>はその続編か。そういえば、以前、次女が「マンマ・ミーアはつまらなかった」とか言っていたなぁ。
 映画の予告そのものはお祭り騒ぎのような感じがしたが、ABBAの曲が流れているのなら自分の趣味かも知れない。封切りになったらすぐに観にいくつもりでいた。そして、事故で延び延びになった。

 前のブログで、毎日が長く、ベッドで本を読んでばかりいるようなことを記したが、本も10日で7冊も読んだりしていると飽きてくる。最近は、ウォークマンを聴きながら寝そべっている時間が多くなった。リハビリに移行したとはいえ、松葉杖はそのままだ。果たして、映画館に出向いて、他人様の迷惑にならなきゃいいがと思ったりしたが、平日の午前中なら、土日ほどには人もいず、松葉杖も目障りにはならないだろう。思い切って出かけることにした。ただ、昨日の病院帰りにヒマつぶしでヤマダ電機に寄ったら、売り場をかなり歩くことになり、それだけでも疲れ、ようやく車の座席に戻った時には汗だくでぐったりし、息切れもすごいものだった。
 前の記事に、K女さんからツタヤ劇場のお薦めコメントをいただいた。それもいいかもしれない。だが、ツタヤの中をグルグルと松葉杖で歩き回ってDVDを探すような体力的な自信はない。ましてお目当てのDVDを手にすれば荷物にもなる。車イスなら楽だろうが、店舗にあったとしても、それを使う勇気はない。まして家の中でのDVD鑑賞よりも映画館に行く方が健全な気がする。
 映画館とはいってもイオンのミニシアターだ。果たして松葉杖で駐車場から自分の指定席まで行けるかどうか。それが唯一の心配事だ。

 シネマ館までは難なく入れた。車は正面すぐに駐められたし、エスカレーターで戸惑うこともなかった。チケットも事前予約の受け取りだけだ。問題はシアターに入ってからだった。足を延ばせるようにと、わざとシアター端の2人並び席をとったが、そこに至るまでの階段の間隔が不揃いだった。2か所ほどで歩程のリズムが崩れてぐらついた。これは帰りもまた同じ。ただ、帰りの場合は条件が悪かった。だれももういないだろうと、立ち上がって階段を下って行くと、後ろに二人が付いた。先に行ってもらおうと脇に寄ったら、抜いてくれずに待機している。こうなったら山歩きと同じでいらつくパターン。本音では有難迷惑。後ろから見られているという意識もあって、歩を早めると、すんでのところでひっくり返りそうになった。
 観客は10人もいなかった。田舎のミニシアターはこんなものだろう。直近では、トム・クルーズの<Mission:Impossible Fallout>を観たが、その時もこんなものだった。せっかくだからこの<ミッション・インポッシブル>のことをちょっと記すが、こちらとしては、トム・クルーズが来日してまで宣伝した映画だ。さぞ面白いだろうと観に行ったはいいが、前半部のストーリーがまったくわからなかった。それもそのはず。この映画はシリーズになっていて、前から続くその手の組織系統、人間関係を知っていないと、話の展開がさっぱりわからない。そんなこととは知らなかった。単発の映画とばかりに思っていた。総じてアクションまじりで面白くはあったが。帰宅してからツタヤに行き、旧作を探したが、新しいものはレンタル中で、かなり古いのを2枚借りたが、事故で見ずのままに返した。

 さて<マンマ・ミーア>。ヘタな感想をダラダラと記してもしょうがないし、個人個人のとらえ方だの問題だ。自分には、単純明快、一部荒唐無稽といった感が残った。ミュージカルなんてものはそんなものだろう。自分にとって内容ともに楽しめたミュージカル映画は<サウンド・オブ・ミュージック>と<メリー・ポピンズ>、そして<南太平洋>くらいのものだ。
 別に<マンマ・ミーア>を酷評しているわけではない。絶えず流れるABBAの曲にぴったりと合ったストーリーの展開。ロケ地の風景の美しさだけは印象に残った。キャストを流した後のとぼけたライトのシーンもまたユニークだった。
 長々と前置きしたわりには、この程度のあっけない感想だ。映画を趣味にする方の趣向はいろいろ。感想もまた十人十色。自分の感想を長々と記しても一人よがりの文章になるだけだ。

 以下から、まったく話の方向が変わる。さっと読み飛ばしていただければ幸いだ。独り言でもあるし、読まずとも結構だ。

 お気づきの方もいたろうか。ここのところ、山記事の中に映画のことをちらっと入れることが多くなった。自分が新たな趣味に映画を入れたというわけではない。以下はその弁明みたいなものである。

 映画鑑賞を趣味にするようになったのは高校一年の時だった。生物の先生が映画好きで、いろいろと名画の内容をプリントしては割引券付きで推薦してくれる。当時の桐生には映画館が多かった。通学する足尾線は2時間に一本。列車の待ち時間を図書館での勉強に当てたのはほんの数か月。自然、時間つぶしで映画館通いが始まる。金はあまりかからなかった。学割で入ったし割引券もあった。中でも決定的だったのは、友人の母親が映画館の受付をやっていて、その友人とよくタダで映画を観に行けたこと。これが三年まで続く。彼とはクラスがずっと一緒だった。
 進学した際のアパート探しは西武池袋線の椎名町にした。学校までは一時間以上かかったが、池袋、高田馬場、大塚と、安い映画館が並ぶ街には至って近く、池袋には通学途上の一駅、高田馬場は歩いて行けた。椎名町を選んだのはそんな理由があった。三年、四年になると、学校よりも映画館に行く回数が多くなっていた。せっせと観ては、せっせと感想をノートに記した。

 映画は何でも好きだった。いわゆる名画に限らず、ピンク、ポルノ、団鬼六もありで、一時期、大蔵映画にはまったこともあったし、池袋の日勝地下劇場で<ディープ・スロート>を観た時は、ボカシだらけで、字幕だけを読んで終わりといった思い出もある(後日、ある女史が友達に誘われるがままに映画館に行き、ディープ・スロートをボカシなしで観たとおっしゃっていた。もちろん、日本でのことではない。今になって思うと、あんなもの…といった感がある)。
 こんな学生生活を送ると、就職先の希望は自然とその業界志向になる。学校推薦で受けたNHKはあっさりと落ち、映画配給会社二社に合格となった。悩むところだ。一社は配給だけではなく、映画、テレビ番組、CF制作、吹替まで手広くやっていて、そちらに決めた。ちなみに、蹴った一社は、今日観に行った<Mamma Mia ! Here We Go Again>の配給元になっていた。老舗の配給会社だ。
 たまたま入社試験で英語の成績が良かったためか、国際部なるところに配置となった。CF制作も含めた現場に行ったのは同期の半分以上。彼らがうらやましかった。
 毎日、海外のテレビ局、プロダクションが制作したテレビ番組や映画のスクリプトの翻訳をやらされ、生の番組をビデオで見ては、そのあらすじを文章にして営業に渡す。ろくに英語なんか理解できず、画面のシーンを見ては想像してあらすじを起こした。
 営業はこれを持って各放送局を回る。あまりに面白くない番組をさも面白そうな話に仕立てて渡したら、局が興味を示し、局の担当がビデオを見たらまったくお粗末なもの。後で営業に怒られたのは一度や二度ではない。
 そのうちに、営業もやらされることになった。お世辞も言えない口ベタな営業不向きの男が売ったのはアメリカNBCの特番で、日本の驚異的な経済成長を扱った番組が唯一のもの。NHKが高額で買ってくれた。その時の番組タイトルは今でも覚えている。<If Japan can, Why can't We>だった。あとは、フィルムのフーテージ(部分)使用やら、ヒラーといった穴埋め番組ばかりで、10万円、せいぜい高くて50万円のチビチビしたものだった。
 忙しい会社だった。退社時間はほとんど10時を過ぎていた。その後に赤坂見附というロケーションが災いした。金もないのに他部署の同期の連中との連日の飲み会が続いた。たまに行く二次会は六本木と決まっていた。
 休日は日曜日だけ。その日曜日ですら、会社の野球部やらの応援に行かされることもあったり、映画制作のロケ地にアメリカから来日した映画関係者を連れて行くことも頻繁だった。
 次第に、オレ、こんなことをいつまでもやっていていいものかと疑問が出てくるのは自然なこと。自分の時間がまったく持てない。本すら読めない。そのうちに、自転車を乗ってよろけ、脳震盪を起こして一週間の入院。在社中に取った唯一の有休休暇を取った。
 まぁ、こんなことがあって、会社は辞めた。あっけない二年間だったが、いまだに強烈な印象が残っている会社だった。

 新聞の求人広告で見つけて転職した昨年まで在籍した会社。ダラダラと何十年もいたが、残っているものは何もなく、仕事を通しての自分の成長もまるでなかった。いまでこそ社会的には知名度もある会社だが、その場しのぎの、その日暮らしのような仕事の日々の連続だった。会社そのものに展望、ビジョンというものもなかった。朝令暮改も日常的。上司も責任逃れ。それを責めると、二言目には決まって「オレもつらいんだ」と、飲みながらグチをたれる。そんなのが役員をやっていた。個人経営二代目、三代目ともなるとそんなものだろう。入社時の一代目には、その人間性に好感が持て、群馬でやった結婚式にわざわざ主賓で出席してもらったくらいだった。

 話がどんどんとおかしな方向にいってしまったが、そういえば、学校を卒業してから、映画館に足を運ぶということはしばらくはなく、ここのところよく行くようになって、ついこんなことを記してしまった。
 せいぜい、これからは、もうかつての名画はDVDに収まってしまい、ホームセンターでも売っているくらいだし、専門の上映館もないに等しいが、新作だけでもせっせと観ることにしよう。ツタヤ劇場もいいが、やはり臨場感からして映画館で見る映画に優るものはない。

 日光市民病院で手術を受けた際。医師は、何を根拠にそう言ったのかは知らないが、松葉杖は三週間と言われた。そして、こちらの整形外科に通うようになり、勤務先から診断書の提出を求められ、先生に相談し、一か月半くらいにしておいてくれと頼んだら、その通りに書いてくれた。実際は二か月くらいと言われていたのだが、今の勤務先、外に出られないのなら会社に出て来なくてもいいよといった扱いで、内勤で書類やら統計作成だのというのは、オレの仕事の範疇ではないようだ。さりとて、だれかがやっている様子もない。だったらそうしてやるよと、もう居直った状態になっている。何とも不思議な会社だ。田舎の会社は何でもありだ。

 昨日から、風呂に入れるようになった。だが、ギプスと松葉杖は欠かせない。事故から17日。汚れきった左足はすっきりし、手術口キズのかさぶたも消えつつある。だが、台風過ぎのこの暑さ、相変わらずたまったものではないなぁ。しばらくは、暑さとの戦いも続くことになりそうだなぁ。

東野圭吾の小説を読んで。

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◎2018年9月11日(火)

 東野圭吾の文庫本を続けて二冊読んだ。『ラプラスの魔女』と『人魚の眠る家』。一気に四日で読んだ。読み続けながら次第に気が重くなり、『人魚…』で頂点に達した。二冊読み終えてぐったりし、ようやく解放された気分にまでなった。ともに事故の前に買い込んでいた本で、読書三昧の日々では手持ち在庫もそろそろ少なくなり、楽しみは後回しということにして残しておいた本だった。
 買ったきっかけは、自分の場合の選択のパターンはいつもそうなのだが、裏表紙のストーリーの内容が面白そうだなといった程度のもので(これに裏切られたことは何度もある)、読みながら、何とも言えない圧迫感がずっと続くとは思いもしなかった。正直のところ、読後感はまったくよろしくない。さりとて、読まなきゃよかった、読んで失敗したということではない。これまでとは違った東野圭吾の世界に触れ、ましてその内容が何というか、一言で記せば、おそろしい人間の性(さが)の世界といったものだったからだ。
 気分転換に次の本は漫画にした。矢口高雄の『マタギ』。矢口高雄とはいえ、構えて読む必要もないし、さらっと流せる。

 いわゆる流行作家の中で自分の好みのダントツは東野圭吾で、次が乃南アサ、浅田次郎、宮部みゆきの順になる。この四人の少なくとも一人は、読書好きの方なら、年齢・男女問わずに、大方の好きな小説家の中に入れるのではないだろうか。乃南アサに関しては、その男性的な感覚も交えながらストーリーを展開させていくところが好きなのだが、先日読んだ『水曜日の凱歌』にも、そんなところがあった。
 東野圭吾物はこれまで新刊、文庫を含めて25冊ほど読んでいる。やや難解なガリレオシリーズを含め、ずっと気軽に読めたものだが、今度の二冊がこんなに重く感じるのは、年のせいで感性も衰えてきているせいなのか。それとも、東野圭吾自身に微妙な変化があるのか。自分には重苦しく漂った空気の中で読んでいるようなもので、ついていくのが苦しいだけだった。いまだに、頭がぼんやりとしている。
 大江健三郎の小説は、舞台に四国の森が出てくる頃から読むのがしんどくなり、以降はほとんど読まなくなった。タイトルだけで選んだ『河馬に噛まれる』も読み終えるのがつらかった。ノーベル賞作家と比較するのも何だが、今回の東野圭吾の小説から感じる気の滅入り方はまた別のものだ。読んだのは文庫本だし、新刊当時のここ3~4年の傾向なのだろうか。新刊本は買えないから、今のところはどう考えたら良いものやら苦慮している。ただ、面白かった、つまらなかったで済ませられればそれに越したことはないのだが…。
 とはいっても、東野圭吾は、これからも引き続き、文庫の新刊が出れば買っては読むだろうし、気が向いたら新刊でも買うだろう。

 今回の、東野圭吾の件は、下重暁子の『極上の孤独』、佐藤愛子の『九十歳。何がめでたい』なんてお気軽な本を読んだ後だからそう感じたのかもしれない。それは断定できない。ここで余計な感想を入れるが、『極上の孤独』。あんな本が何でベストセラーになっているのやら。金持ちで、社会的地位にも恵まれたバアチャンが好き勝手なことを言っているなぁと思いながら読んだ。そんな理想を具現化してやっているのもまたご立派だ。軽井沢だったかに、赤の他人扱いのご主人も知らない秘密の別荘なんかをお持ちになって、せっせと理想の世界に浸れてようございますわねといった思いがないわけでもない。これもまたベストセラーになったらしい『家族という病』を読んでもいないので、これ以上の批判めいたことは言えない。むしろ、『九十歳。…』の方がすんなりと気持ちよく読めた。もう開き直っている。これを読みながら、佐野洋子のエッセイを思い出した。彼女の後期のエッセイは死そのものを待ちわびているところがあって、今の佐藤愛子と共通の境地だと思った。

 ここで余計なことを記す。自分は村上春樹の小説は『ノルウェイの森』と『1Q84』しか読んだことがない。この程度だからヘタな感想は記さないが、二冊を読んだ限りでは、何でこの方が、毎年のようにノーベル文学賞の候補になるのか理解できないでいる。これが欧米人の感性には合っているのだろう。自分の趣味ではないというだけの話だ。

 これは個人の好き勝手な思いを記したブログであることをご承知願いたい。自分は文芸評論家でもない。こんなおかしな考えを持っている人もいるんだなと、さらっと流していただければ結構で、コメントで反論されても正直のところ困惑するだけの話だ。このブログの文面以上のことはおそらくは記せもしない。

 先日、高木からメールがあり、高校の同期生が本を出したということだった。その彼とはクラスで一緒になることはなかったが、学年が上がるに連れて一端のワルになっていて、シンナーで毎日ラリった状態で、長ラン、剃り込みで登校していたことを覚えている。大方の生徒は、廊下で目を合わせないように避けていた。そのまままっとうに高校時代を過ごしていたら東大も無理ではないはずの頭脳だったらしい。少なくとも高校入学までは。何でこうなったのだろうと不思議だった。
 アマゾンで本を取り寄せて読んだ。これまでの人生を振り返っている。どうも、野球部に入り、先輩から理由もないヤキを入れられ、それで野球部を辞めてから自暴自棄になっていったことはわかった。
 ただ、自分にはいろいろと物足りないところが多過ぎた。早稲田大学で過ごした学生時代のことはまったくのブランク。そしていまだに鬱を抱えて過ごしているようだが、それをテーマにしながらも、その鬱になっていく過程が記されていない。何とも中途半端な自伝だった。
 出版社からして自費出版をやっているところだから、おそらく、人生のけじめとして自費出版したのだろうか。高木にはその旨の感想を送った。彼も、今、その本を読んでいるはずだ。どう思いながら読んでいるのか。高木とは何かと接点もあったようだし。

 またくどい内容になってしまった。日常が読書とリハビリ通院で終わっているのでは仕方がない。
 今日の診察で、左足への体重負荷が1/3になった。一週間後には1/2になって、松葉杖は一本になるはずだ。丸三週間、左足を地に着かせることはなかった。徐々に回復はしているのだろうが、慣れない左足での歩行だ。自分の足という感覚がない。あせらず、じっくり、慎重にやるしかないだろう。

地元の常楽寺で彼岸花見物

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◎2018年9月18日(火)

 療養というか養生生活に入り込んで1か月。病院でのリハビリは欠かさずに毎日行ってはいるが、その効果の程は知れたもので、自己鍛錬で近くの公園を朝夕、散歩がてらにグルグルと回って歩いている。だが、どうしても日常の基本はベッドでの読書となり、映画は観たいのがないし、本は本屋に行かずともにアマゾンから仕入れられる。自然、外に出かける理由がなくなっている。
 知らぬ間に彼岸花の時季に入っていたようだ。ぶなじろうさんのブログを見ると、立て続けに彼岸花が登場している。彼岸花なら山に登らずともに見られる。ヒマつぶしにはこれも悪くないな。
 地元に彼岸花を見られるところはないかと調べると、宝泉地区に常楽寺という名所があるのを知った。伊勢崎の境町にも「早川渕 彼岸花の里」という見事なスポットがあるようだが、どうも松葉杖で気軽に見物というところではないようだ。川淵沿いだから、泥濘もあるだろう。リハビリ通院の後に常楽寺まで行って来ようか。
 常楽寺は古刹のようだ。新田氏一族の岩松経国が起こした田島氏の寺領が宝泉地区に点在し、明治に入ってから常楽寺として統合したらしいが、墓地には暦應四年(1341年)の宝篋印塔があるとか。これを知ったのは後のことで、足が治ったら、いずれは改めて見に行って来ようかなと思っている。

 昨日あたりからまた残暑がぶり返している。今日も暑い。汗をかくのはしんどいが、少しは気分転換にもなるだろう。
 彼岸花はちょっと色褪せた感じがしたが、それでもさほど広くもない境内で、無理な歩きにもならずに十分に楽しめた。ただ、ヤブ蚊が多く、帰り際にマツキヨに寄ってキンカンを買い、塗りたくる始末だった。






















































 何のコメントもなく写真を羅列した。寺のあちこちに置かれた羅漢像にインパクトはあるが、苔むしているわけでもなく最近のものだろう。ちょっとちぐはぐな感じはしたが、逆にこれがあったからアクセントになって彼岸花も映えて見えたのは確かだろう。
 つい、だらだらと写真を並べたが、自分には、彼岸花の咲きが見頃なのか、終わりなのか、これからなのか、まったくわからなかったのが正直のところだ。
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