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Channel: たそがれオヤジのクタクタ山ある記
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梅田の四山を周回。えらく地味な尾根歩きだった。

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◎2017年12月24日(日)

駐車地(9:13)……護国神社跡(9:23)……二渡山(9:41)……作網山(10:27)……伐採地上休憩(10:51~10:58)……地図上の破線路合流(11:02)……車道(11:25)……尾根取り付き(11:37)……筬沢山(12:19~12:27)……栗生山(13:10~13:18)……忠霊塔(13:35)……車道(13:38)……駐車地(13:45)

 暮れだからといって忙しいわけでもなく、さりとて時間を持て余しているわけでもない。ただ、ここのところ、山歩きに対して熱心になれない気分が続いているのは確かなことで、どこそこに行きたいといった積極的な気持ちがまったく湧いてこない。それでいて、唯一の運動といったところだし、できるだけ歩くことだけは続けたい。結局は、人様が4~5時間かけて歩いたところをそのまま歩いた方が何も考えずに無難という結論になってしまう。
 日曜日は、これもまたここのところ続いているハイトスさんの後追いだが、5年前記事『蕪丁唐松集落跡』を参考に石仏群を見に行くつもりでいたが、朝起きるとどんよりとした天気になっている。雨の心配はないようだが、こんな中で石仏を見ていたら、気が重くなりそうだ。場所を変えよう。
 去年の5月に梅田の護国神社に石仏探しに行った際(その時の記事はここの【番外編】にある)、神社裏手から先の尾根が気になっていたのだが、あにねこさんの記事によれば、二渡山とか作網山といった名前が付いた山があるようだ。あの尾根を歩いてみようか。あにねこさんと違って、こちらは単独歩きだし、先に車のデポもできない。今回は様子見で良い。碁場小路と市畑という地名を結ぶ破線路あたりから西側の車道に出ることにするか。地図を見ているだけでもかなりマイナーっぽいルートだが、感じが良かったら、いずれその先の歩きを繋いでみたいとも思っている。

(梅田の護国神社)


(鳥居脇の石仏)


(長い石段)


(社殿が消えていた)


 護国神社先の広い路肩に車を置いて出発。特別な意図もなく、今日もスパ長にした。鳥居の脇に石仏と庚申塔、そして石碑の欠片が散乱する。今日は横道に逸れて薬師三尊を見に行ったりはせず、そのまま長い石段を登る。
 驚いた。狛犬の間に見えるはずの神社が焼け落ちていて、後ろの石祠群が剥き出しに並んでいた。社殿の焼け焦げた木の土台はそのままになっている。幸いにも石祠や周囲の樹に焦げ痕は見られず、延焼はなかったようだが、何でまたこうなったのか。何となく記憶がある。新聞の群馬版記事で、梅田の神社が火事に遭ったことを知り、あの護国神社かと瞬間思ったことをかすかに覚えている。帰ってから改めて調べると、放火による全焼。今年の6月13日だ。再建話もあるようだが、その後はどうなったのか。火事場の跡片付けもされていない。出征兵士の武運長久を祈るお札があちこちに貼られていたことを覚えているが、放火犯の一人が陸自の兵士らしい。護国神社の創建意図からしても何とも皮肉な話だ。

(後ろの石祠群。少しは煤けているか)


(焼け跡は放置されている。火災から半年経っている)


(ここから尾根に上がる)


(「初日の出~」のサイン)


 後ろの尾根に入ると、また石祠が一基。これは黒くなっているから煙をかぶったのだろう。それでいて、囲んでいる樹は何ともない。ちょっと先に行くと、「初日の出7時35分」と記された木製、プラ製の札を見かけた。字体が違うし、それぞれ別人だろうが、ここは尾根の斜面だ。見える初日の出は樹々の枝に隠れ、ここまで来て見るには「?」といった感じがする。いずれにせよ、護国神社がああなったのでは、今度の正月は、初詣がてらの初日の出というわけにはいくまい。

(梅田の街並みを眺めながら)


(共同アンテナ)


(そして、関東平野に抜けている)


 右下には梅田の街並みと桐生川左岸側の山並みが見える。あるいは菱の山か。仙人ヶ岳も視界のうちだろうが、自分には特定もできず、ただ眺めて歩いているだけだ。
 現役らしい共同アンテナのある小ピークからは、今度は桐生の街並みが見えている。あそこから関東平野が抜けているというわけだ。その先に立ちはだかっているのは、電波塔らしきものが見えるところからして八王子丘陵だろう。これから見えるのは狭い一角だ。金山なんか見えやしない。

(二渡山山頂)


 倒木がごちゃごちゃしたところを過ぎて小ピーク。地図上は340mラインだが、標高点や三角点があるわけでもないただの雑木の丘。ここが「二渡山(ふたわたり山)」らしい。赤テープが樹に巻かれているだけで、他に山名板も何もない。こんなピークに山名を付けた理由を知りたいところだ。何かがあるから二渡山としたのだろう。何もなかったら、わざわざ名前なんか付けはしまい。

(基本はこんな感じの尾根が続く)


(ここは右手に行かねばならないところを直進してミス)


(この辺は踏み跡があるが、防火線になっているような感じもする)


 なだらかで起伏のある尾根が続く。気持ちの良い尾根といったところではないが、地形図通りに歩ける。ここは迷わなくて良いなと思っているところでミスをした。小ピークで南から北東に方向転換するところを、そのままの流れで北西に下ってしまった。随分と下るものだなと不審になり、GPSを見て気づいた。
 左右どもに植林、尾根上のみ空間といったところをしばらく進む。違和感があって足元を見ると、左右ともに長靴のゴムが裂けていた。今のところ小さく、歩行に支障はないが、いずれ亀裂は広がるだろう。この長靴、10年以上も履いている。今回の使用限りで引退だな。

(作網山)


(三角点)


(展望地から)


 そろそろ、作網山(さかみ山)に迂回するあたりだ。わざわざ正面ピークを経ずとも、迂回トラバースの道が付いている。これを行くと、すぐに三角点のある作網山に着いた。このピークにもまた山名板はない。ネット記事には「網」ではなく「綱」となっているのがあったが、ここは作網山が正しいだろう。ここもまた意味のある山名なのだろうが…。
 予定では、これで終了し、あとは北側の破線路下りということになるのだが、それではあまりにもあっけない。少しは時間つぶしも出来るかなと思っていたがそうでもなかったか。地図を見ると、車道を挟んだ西側に三角点ピークが2つある。ともに尾根伝いに続いているようだ。車道から登り返しになるが、せいぜい200mもあるまい。予定変更でこの先にくっつけることにするか。
 さて、作網山からの東側は展望地だった。とはいっても、見えるピーク、尾根はこちらと同様に地味な世界だ。双耳の山は高戸山か。この先、相変わらずアップダウンは続くが、至って歩きやすく、場所によっては踏み跡も明瞭で、間違えようのない歩きが続く。ところどころに展望スポットもある。

(植林帯を進んで行くと)


(伐採地に出た)


(石祠)


(伐採地から)


(同じく伐採地から)


(左側の双耳は高戸山だろう)


 伐採地に出た。東側の尾根沿いに下からシカ除けのフェンスが現れ、この尾根に続いている。フェンスの向こう側に石祠が一基。梅田の町を見下ろしている。晴れていれば気持ちの良いスポットだろうが、曇天で流れる風は冷たい。伐採地のピークで休憩し、おにぎりを食べる。今日は湯を持ってきてカップラーメンにでもしていれば良かった。

(左右に破線路の通る鞍部)


(適当に下るしかない)


 下るか。東側が伐採地のため、東西を通る破線がどれなのか特定できない。縦横に幅広の作業道が通っている。
 峠らしきところに出、左手・西側に下る破線路を探したが、明瞭なものは見あたらない。踏み跡はかなりある。地図を見る限りは、沢状のところをずっと下るようだし、下にはその沢型も見えている。明瞭な踏み跡はなくとも問題はないだろう。適当に下る。上部は意外と急になっていて、落ち葉がたまっていて、スパ長でもよく滑り、2回ほど尻もちをついたが、植林に入り込むと、傾斜は緩んだ。それでも落ち葉の堆積はヒザ下までくる。

(こうなったら踏み跡がなくとも明瞭に下れる)


(こんなところもある)


(チョロ滝)


(破線路の終点)


 間伐でちょっと荒れたところを通過すると、沢水が出てきた。崖状のところにはチョロ滝が流れている。
 先に人家が見えてきた。ここでスズを外す。このまま行くと、どうも人家のすぐ脇を通るようになりそうで、左にちょっとずれて下ると、すぐに車道に出た。ここに車が2台。南側から車が通れそうな林道跡のような道が合流する。

(高沢橋を逆から。あの家の脇に出た。手前の路肩スペースに見えるところが林道入口)


 高沢橋(こうざわはし)を渡ると、いきなり広場のようなところに出た。車道の一角だが、ここだけが広くなっている。ここで突っ立っていると、上の方から車が下って来て脇に止まった。窓を開け「この辺、何かありますか? ずっと上まで行っても何もなかったから」と聞かれる。こちらはこの辺のことはよく知らないが、相手は山目的ではないようなので、「何もありませんよ」と答えると、「やはりねぇ」と下って行った。

(林道に入る)


(こんな石像が。石仏なのだろうか。頭に平たい石を乗せるから余計に異様に見える)


 右手に林道が分岐する。分岐の奥まったところに、首欠けの石仏を見かけた。何なのかよくはわからなかったが、何となく不気味な像だ。胸に両手で何かを抱えている。それが赤子にも見えるし、ヘビにも見える。

(左に桐生市有地。正面から取り付くつもりでいたのだが)


(ここから取り付く)


 林道を行くと、左に林道が分岐。こちらは「市有地につき関係者以外立入禁止」とかなり厳しい警告が記されている。ここは分岐に入らず、すぐ先の尾根突端から登ることにする。スズを再び装着。

(尾根上から見下ろす。切り株の様子からして、ごく最近に伐採されたようだ)


(あの山の間を下ったわけだ)


 ヤブ尾根かと思ったら、脇に踏み跡が続き、そちらの方がヤブでもなく歩きやすい。登りながら、先ほどの市有地を眺める。分岐の林道かと思っていたが、盛土された台形状の区画になっていて、これから何かが始まるのか、施設を建てる予定なのか。だれもが思いつく太陽光パネルにしては、陽当たりは悪そうだから違うか。

(作業道が近づく)


(わりと急なところもある)


(なだらかになってからが長い)


(筬沢山の三角点)


 左からの尾根が合流すると、ちょっと急になる。ここはストックを出したが、一気に大汗をかいた。帽子を脱ぎ、手袋も外す。やがて、左から作業道が入り込み、尾根と並行したが、知らずのうちに離れて行った。
 ここが主尾根かと思っていたら、正面上に尾根が見え、あれが主尾根のようだ。地形図ではわかりづらい。主尾根に出ると緩やかになり、登るのも幾分楽になる。随分と遠いなと思ったところで三角点が見えた。これが「筬沢山(おさざわ山)」。山名は後で調べて知ったことだが、この筬沢山、作網山、二渡山と、何でこうもストレートには読めない漢字を当てるのだろうか。まして、「筬」なんて字を読める人はまれだろう。それほど命名に凝るまでのビークでもないのに。筬沢山には「堂平山」という別名もあるようだが、これには首も傾げたくなる。
 ちなみに、「筬」とは機織機械の部品らしく、糸の並びを整える役目をするようだ。確かに桐生っぽくもあるし、「作網」からもまた、そんなイメージが浮かぶ。

(落ちていた標高板を取り付ける)


 ここにトタン製の三角点標識があった。RKさんのかなと思ったが、署名もないし、別の方のだろう。落ちて裏返しになっていたので、残っている針金で樹に括り付けた。針金が足りず、この位置のままに持つかどうかは少し怪しいところだ。

(下り基調だが、登り返しも数か所)


(これが身体や顔にさわって歩きづらい)


 後は下りだけと思っていたが、細かい小ピークがあるし、紛らわしい尾根の分岐もある。都度にコンパスを合わせたから間違いはしなかった。
 途中、どでかい黒いシカが横切って行った。一頭だけ。あんな大きいのも珍しい。今日はハンターも入っているらしく、こちらにはいないが、菱の方から散発的に銃声が聞こえている。
 松の幼木のようなものが生える一帯を通過。この辺は歩きづらく、どうしても倒木やらヤブの枝の障害物は避けられない。

(随分と下って)


(栗生山)


 どんどん下ると、里の風景も間近になってくる。バイクの音も聞こえる。そして栗生山(くりゅう山)に到着。ここもまた特徴のないピークで、三角点とその標識以外のものはない。トタン板の標識がないか探すが、ここには見あたらない。

(里も近くなる)


(放置されたアンテナ)


(ここもまた滑る)


 下る。ここからは南東に破線路下りになるが、尾根型も道型も不明瞭。塔のようなマークを目指して下ればいいし、距離もさほどでもなく里は見えているから、おかしな方向に行くことはあるまい。ここもまた枝ヤブになっていて、落ち葉で滑りやすい。ヤブの薄いところを下って見上げると、やはり、これが正式なルートなのか、ぽかりと空間ができていた。

(フェンスをくぐって外に出る)


(三基の石祠)


(鳴神山に続く尾根)


 目の前に木組みのフェンスが現れた。この先はフェンス沿いに行くのか悩んだが、フェンスの先に石祠が並んでいるのが見え、そちらだろうとフェンスをくぐって外に出る。フェンス沿いの方向には踏み跡がついていた。
 石祠が三基あった。文字は見えず、いつ頃のものなのか。そういえば、伐採地で見た石祠や林道入り口に置かれていた石仏(?)にも文字らしきものは確認できなかった。ここでようやく陽が出てきた。ここは開けていて、自分でも特定できる吾妻山から鳴神山に続く稜線が見える。正面に見えるのは大形山だろう。

(またフェンスがあって、左に石造物が見える)


 そろそろ里に出る。スズを外し、ストックも収納。そのまま下って行くと、左下に石造物が見えた。だが、目の前がまた木組みのフェンスで、周囲はヤブ。おそらく、さっき見かけたフェンスの延長だろうか。右手の延長に道が続いているが、これを行ってしまえば、石造物の正体がわからない。ヤブをこいでフェンスから抜け出す。

(忠霊塔)


(中には何があるのか)


(以前は神社があったのかなぁ)


 「忠霊塔」とあった。こんなのが水道山にもあったような気がする。案内板も何もない。裏に回ると「陸軍大臣東條英機謹書」とある。ということは、日中戦争でも始まったあたりから、全国に「忠霊塔」が設けられたということか。戦後のことだったら、東條英機謹書にはなるまい。
 隣にはトイレ? と思っていたコンクリート製の建屋があったが、南京錠をかけられた倉庫のようなもので、鉄の扉の左右には菊とは違う桜の紋章のようなものが付いている。階段を下りると、ちょっとした広場で石灯籠や手水鉢があったりするから、神社跡にでも忠霊塔を建てたのか。

(車道に出る)


(梅田橋を渡って)


(駐車地に)


(付録。これは模様ではなく穴)


 さらに階段を下ると、もう車道が見えていて、脇には「梅田村忠霊塔」の石碑が置かれていた。
 桐生から梅田奥につながる車道に出た。すぐに鳴神山方面の分岐になって(標識では「鍋足」になっている)いて、ほどなく護国神社前を通って駐車地に着いた。出ていた陽はまた隠れてしまった。やはり、長靴の裂け口は2倍になっていた。
 正直のところ、作網山から先の破線路までの区間は実に単調なルートだった(それでもルートミスしたりしたが)。その先もそのままの単調な登りだろうか。あにねこさんの記録では窺い知れない。高芝山、持丸山という山が続くらしいが。どうも気分的にすっきりできないところもあって、いずれまた先を歩いてみることにするか。

 今日の歩き、こんな地味尾根の単調な歩きだったが、自分にはかなりつらいものがあった。というのは、ニコチンの禁断症状の中で山を歩いていたからだ。タバコをやめようとしているわけではない。胃系のとある薬を一週間飲み続けなくてはならず、医師からその間の禁酒、禁煙を言い渡されたわけでもない。2日目まではたまに紙巻きタバコを吸い、大方はアイコスで間に合わせていたが、この、山を歩いた3日目に至って、アイコスであろうが、タバコはやはり薬の効果に良くないのではないのかと、起き抜けから一本も吸っていない。そもそもが、家にずっといると必ずタバコを吸うことになるといった理由で梅田の山に出かけたのだが、やはり途中から禁断症状が出はじめた。
 とにかく、精神的にまったく落ち着かず、景色は上の空。頭に浮かぶのはそこここでタバコを吸っている我が姿だけだった。これもまた禁断症状を抑えるために、暑くもないのにやたらと水を飲んでごまかす。そういう状況の中、筬沢山への登りの伐採地で、吸ったこともないキャビンの吸い殻を目にした。シケモクとはいえ2服は吸えそうだった。フィルターの色はもう褪せていた。それでも手を出しそうになったが、とにかく堪えた。なぜかライターと吸い殻入れだけは持っていた。おそらく、さらに長歩きになっていたら、落ち葉をもんでメモ用紙に包んで巻き、タバコ代わりにしてふかして倒れていたろう。
 こんなタバコを吸えない日が木曜日まで続く。これを機に禁煙なんて甘いことは毛頭考えてはいない。とにかく目先の我慢しか視野にはない。ちなみに、翌日は禁断症状の最たるもので、自分のものではない身体が無意識のままに動き回り、勝手に食っては出しているといった感じが終日続いていた。排泄している物もまた大小ともに我が物とも思えない。さらに悪いことに、薬の副作用(寝不足になる場合あり)が出てか、この日の夜は山を歩いたのに一睡もできなかったし、翌々日には便秘になった。ニコチン切れによるものがあるのかもしれない。
 今回はそんな中での禁煙初日の歩きだった。いつもなら、この歩きタイムでは少なくとも4本はタバコを吸っていたし、このブログをアップするに至っては、延べ10本は費やしているはず。それでなくとも、9ミリタールタバコ20本/日が、失業を機に30本に増えていた。今はニコチネルをかみながらの3日続きの0本なのである。3日目にしてもふと脳裏に浮かぶタバコをふかす自分の姿は、どうにも彼岸にいる姿にしか思えないのである。そして、今の心持ちは、簡単にタバコをやめられそうでもあるし、あっさりと吸い出しそうでもあるといった複雑なレベルになっている。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

引き続き桐生・梅田の山へ。あと一回で取りあえずは終了か。今回通過した山は高芝山と持丸山。

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◎2017年12月30日(土)

駐車地(7:52)……西の作業道に入る(7:57)……前回の峠(8:32)……高芝山560m(9:01)……△651.5m(9:38)……722m標高点・持丸山(10:15~10:21)……林道(10:43)……大茂・車道(11:08)……寄日峠(11:38)……地図上北三叉路(12:09~12:21)……石祠(12:28)……地図上南三叉路(12:48)……石仏群(13:01)……忍山車道(13:22)……駐車地(13:40)

 先日24日の引き続きの歩きをした。前回戻った碁場小路と市畑を結ぶ東西の破線ラインのさらに北側に行ってみた。一回で座間峠の方まで行くのは自分には無理なので、どうしても小分けになってしまう。今日のところは大茂と鍋足を結ぶ破線路までだ。そして、次は本命の白萩山(岳山)をかけての周回、ついでに余裕次第で座間峠寄りと思っている。結果的に通しの歩きになればそれでいい。
 歩き方もそれなりに工夫はしているつもりだ。前回もそうだった。帰路の長い車道下りの歩きでは面白くもないし、できるだけ下った車道からまた登り返しで手ごろなところから尾根に乗り、下るようにしている。そして今日は、ハイトスさんレポで知った石仏群を見ての下りにすれば、車道歩きも短時間で済むだろう。
 ここのところ梅田詣でが続いている。根本沢歩きを加えると4回連続になる。ぶなじろうさんの昨日の記事を拝見し、富士山を間近に見に行きたいなと思ったりもしたが、目先の岳山・残馬山周回をしてしまうまではお預けということにしておこう。そもそも、富士山を眺めながらのからっとした歩きは自分にはどうも似合わない感じもする。今回もただの尾根歩きに過ぎないが、この時期の地味尾根歩きもまたハンターに注意をすればなかなか格別に気持ちの良い歩きになる。

 つなぎにこだわれば、先日下った市畑からの破線ルート登りになるが、これをやれば、気が変わって、だったら反対側の鳴神山に行っちゃうかとことにもなりかねない。それでは先々のことを考えれば意味もなく、敢えて東側の碁場小路から入るルートにした。そうすれば、下ってからの忍川左岸の尾根の歩きも可能になるだろう。

(車道を戻り、右に入って行く)


 破線路先の路肩に車を置いて、車道を一旦南下する。そして右折。破線路ながらも途中までは舗装林道になっている。もはや現役使用ではなく、やがて未舗装になり、作業道レベルになった。こうなると、道幅はあっても荒れてくるし、車の往来は無理だ。

(分岐は右)


(墓石だろう)


(石垣と墓地)



 作業道の分岐がいくつか出てくるが、メインの作業道は太くてわかりやすい。途中、右側に尾根末端が出てきたが、これを登ればショートカットになるだろうことはわかっていても、ひたすらに作業道を登る。どうしてもつなぎ歩きをしたい。右に文政年間の墓石を見たりする。かつては、ここにも集落があったのだろう。

(峠が見えてくる)


(峠に出る)


(フェンスの内側を行く)


 上に見覚えのある峠が見えてきた。先日、反対側に下ったところだ。作業道は巻いているが、ここは斜面を直登して峠に出た。なまじヤブならいいが、半端な刈払いをしている斜面で、切られた枝は太く、登りづらく、ここでストックを出した。ここからが今日の歩きになる。先日はフェンスの外側だったが、今回は内側になっていて、フェンスは右の尾根筋に下っている。ちょっと先に行くと人が通れるくらいのフェンスの破れがあり、ここからフェンスの外側に出た。ここでまた菱の方から銃声が聞こえた。続けざまに5発。あちらは本当に物騒だ。

(歩きやすい尾根)


(高芝山)


(桐生市基準点)


 まだ伐採地の延長だが、岩場になりかけ、細尾根になったりしたが、すぐにおとなしい尾根になった。広葉樹のなだらかな尾根。気持ちの良い感じの尾根が続いている。ちょっとしたピークに出ると、桐生市基準点NO.123が置かれていた。これは後であにねこさんの記事で知ったが、高芝山という山らしい。
 ここの尾根、先日の歩きまででは変化のない超地味な尾根といった印象が強かったが、ここは尾根型もしっかりし、雑木に囲まれ、さほどに起伏もなく、むしろのんびりと歩いて行ける。この先も、地形図を見る限りは急なところもなく、強いて要注意といえば、722m標高点の先から尾根外れで北東に下るところだろうか。尾根通しに行ってしまったら鍋足に下ってしまう。

(明瞭な踏み跡があったりする)


(左手前方に鳴神山)


(良い気分で歩ける)


 特徴のない尾根歩きが続く。傾斜は依然緩やかで雑木に囲まれている。左手には鳴神山が見えている。ここからではとにかく目立つ三角峰だ。すっきりした展望を期待したが、最後まで、どうしても樹の枝が邪魔をしてくれることになる。坦々とした尾根を緩やかに登って行く。この辺から、樹に塗った赤ペンキが目立つようになる。右斜面の植林帯にはそれがなく、ただの登山道のマーカーだろうか。どこから出てきたのか気づかなかったが、ところどころに明瞭な道が現れては消える。

(三角点で)


 651.4m三角点着。山名板はない。名無しのピークのようだ。RKさんの標識が三角点表示の杭とともに倒れていたので立て直すが、土の下は凍っていて、少しだけ差し込んで、周囲を石で囲んだ。冷たい風が吹きつけている。数日持つかどうか。ここで菓子パンを食べて小休止。いつもなら、この辺で一服となるが、今日もまた、前回同様にタバコの持参はない。結局、タバコはやめたということではない。薬の服用が終わった翌日からタバコは再開した。ただ、紙巻きタバコはやめて、アイコス、グロー一辺倒になってしまった。たまに、以前からたまに吸っていたパイプタバコや手巻きタバコも吸う。だからといって、山に持っていってまでといった状態ではなくなってしまった。5日間の禁煙の効果といったものか。それなりの進歩だろう。

(左手に伐採地。その上を歩く形になるのかと思っていた)


(持丸山山頂)


(残馬山)


 なおも左手に鳴神山を眺めながら陽あたりの悪そうな尾根を進む、樹々の葉はすっかり落ちている。ところどころで岩が混じる。歩行に差支えはない。
 正面に高いピークが見えて来る。あれが722m標高点ピークだろう。少し下って植林尾根を歩いて行くと、左手に伐採地が見えてくる。あそこからなら、さえぎるものがなく鳴神山を望めるかなと期待したが、伐採地に近寄ることはなく、遠巻きでやや急なところを登り詰めると722m標高点・持丸山に到着。
 ここもまた何もないピーク。小広くなっているだけのところ。あにねこさんのレポには、木立越しに残馬山が見えるだけとあったが、北東に見える山が1107m三角点峰の残馬山か。あそこには何度か行ったことがあるが、次回は岳山から残馬山まで行って、南下する予定でいる。多少、雪が付いているようだ。

(尾根伝いだと左に向かうが)


(ここは直進して下る)


 さて、ここから尾根伝いに西に行くと、前述のように鍋足に出てしまう。ここは北側に下らないといけない。その分岐が心配だったが、意外に迷うこともなく下りの小尾根に乗れた。すぐに右側から作業道が入り込んだ。この作業道を下れば楽だろうが、敢えてそのまま尾根を下った。

(作業道が並行する)


(このまま下って行っていいのかと迷うが)


(林道に出た)


 雪が付き、地面は凍っていて、少し急斜面。靴にチェーススパイクでも巻こうと思ったが、そのまま行けそうだったので、注意しながら下る。その間に作業道とまた出会う。
 尾根型が消え、植林に入り込む。不安になったが、下には林道が見えている。適当に下って行くと林道に出た。林道は舗装道になっている。

(地図通りだと、破線路はここを突っ切って下ることになる)


(下って行くと沢が見えてきた)


 ここで地図が読めなくなった。沢型の地形を下り、大茂に出られるわけだが、周辺は大規模な工事がされていて、真っ平に造成されている。何かの施設でもつくるのか。林道伝いに下れば大茂に至るのは明らかなようだが、それではおもしろくもない。コンパスを大茂に合わせて造成地を突っ切ってみた。
 ダムのような段差が続く斜面を下って行くと、沢状になった。これを行けばいいのだろう。

(沢から振り返る。砂防ダムなのか。意味のあるダムとは思えない)


(トタン板があちこちに散乱している)


(車道に出る)


(道脇の庚申塔と石仏)


 沢沿いには錆びたトタン板が散乱し、石垣もところどころにある。そして踏み跡が続く。間伐もあって、歩き心地は悪い。やがて人家が左に見え、車道に降り立った。
 当初、ここから少し南下して、小尾根を東に破線路まで登り上げるつもりでいたが、庚申塔と石仏のあるところまで行って、川向こうの斜面を眺めたが、どうも足場が悪そうで、引き返して、北側の破線路を辿ることにする。

(ここを右に登って行く)


(作業道は左にカーブするが、ここは直進して、あの鞍部を目指す)


 破線路は沢伝いになっていた。車道から離れた破線路はしっかりした作業道になっていて、これを使えばあっさり行けそうだ。杉の葉に覆われてはいるが、下はコンクリートの道になっている。
 下ってからの登り返しだ。さすがに息切れが続く。何度も休みながら行くと、破線路は左にカーブするようになる。その先は未舗装だ。ここは、そちらに行かず、沢沿いをそのまま登ってみる。上には尾根が見え、行き着くところは鞍部のようになっている。

(寄日峠だったらしい)


(尾根に乗る)


(さっきまで歩いていた方面)


 ヤブやら滑りで多少手こずって鞍部に出る。この時点では知らなかったが、ここが寄日峠のちょっと上だったらしい。ちょっと北に下れば石祠があったようだが、そんなことを知ったのは後のこと。次回、しっかりと確認することにしよう。
 この周辺、破線路が入り乱れているが、寄日峠からは南に向かう破線路を使う。登って行くと、右手に、さっきまで歩いていた持丸山の尾根が見える。天気はこれまでよりもどんよりとし、吹く風も冷たくなってきた。余計なこときせずにさっさと済ませて帰りたくなってきた。

(右手に迂回路がある)


(ここで休憩。ここは三叉路になっているはずだが、わからなかった)


 ここの破線路、起伏のある尾根伝いだ。明瞭ではないが、遠目で見れば踏み跡もしっかり見え、わざわざ小ピークを越えずとも、脇道を歩けるように付いている。
 破線三叉路のあたりらしいところに出た。ここで、一休み。カップラーメンに湯を注ぐ。熱いラーメンを期待したが、ポットの湯は大分ぬるくなっていて、まずいラーメンになってしまった。ここは風が吹き抜け長居は不要。
 ここからが少しばかり往生した。踏み跡に合わせて下ったつもりだったが、途中で踏み跡は消え、小尾根に乗ってしまった。コンパスの指す方向は左だが、そちら側は急斜面でとてもじゃないが下れそうにはない。このままこの尾根を下り、左が緩やかになったところでそちらに下るかと思案する。尾根をそのまま下ったのでは、唐松石仏群の北側を通過してしまう可能性がある。

(石祠。造りは立派だ)


 ふと、振り返って見上げると、真後ろに石祠があった。こんなところに石祠があるとは、以前、ここを歩かれていたということだろう。石祠の頭には「泉(衆?)頭山」、他に「天保二年」、「●土主村中」と彫られている。

(そろそろ沢に近づいたようだ)


(平らな広場だったのだろう)


 左寄りに下って行くと、植林の沢状になった。茶碗の欠片も見たし、錆びた一斗缶、そしてちょっとした広場。ここにかつて集落があったと言われれば、うなずけもする雰囲気だ。谷間の、陽も入り込まない狭い集落だったのだろう。

(朽ちた橋の骨組みがあちこちに見かけた)


(下から。ここの二股を右に行けば墓地があったらしい)


 沢筋に下って行く。周囲をキョロキョロ見ながらの下り。石仏群がどこにあるのか特定できていないのだ。沢はかなり荒れているが。不思議に木で組んだ梯子型の橋の残骸がやたらと目立つ。

(石仏群。倒れているのを立てて撮影)


(こんなのや)


(こんなのや)


(こんなのが)


 石仏群を見ないままに踏み跡を下って行き、何気なく右斜面を見上げると、10mほど上に石像物のようなものが見えた。もしかしてあれ? 斜面を這い上がると、これが石仏群だった。
 石仏、石塔が8基ほどあった。倒れている2基は起こして台座に乗せた。読みとれる年号は明和と安永。彫られている文字からして供養塔のようでもあり、戒名があったりもする。かつて、ここは墓地だったのかもしれない。今回の歩きの目的の一つでもあったから、これを見られただけでも満足だ。

(炭焼き跡)


(墓地)


 歩きづらい沢を下って行く。炭焼き跡も墓地も見ることができた。墓石は安永、明治、昭和もある。ハイトスさん記事によると、その手前の沢の分岐奥にも墓地があったらしいが、石仏は見ても、墓地を見てもしょぅがないのでこれはパスした。

(右手に人家が見えてきた)


(渡った橋。車道側から)


 人家が見えてきた。廃屋らしい。周辺は荒れている。そして目の前に忍山川。斜めになった危なげな木橋がかかっているが、重ね木の部分に足を乗せて難なく渡って車道に出た。

(車道歩き)


(温泉神社の鳥居)


 スズを外し、ストックを収納していると、観光客らしいファミリーが歩いて来た。年の瀬にこんなところに来てもなぁ。周囲は廃屋だらけだ。子供たちは楽しそうにしているが。
 駐車地に向かう。右手に鳥居。ここが温泉神社らしかったが、後であにねこさんの記事を読むまでは知らず、素通りしたが、ここに入ってみる価値はあったようだ。これもまた後日の楽しみにしておこう。その先にも鳥居があったが、ここは上がらずともに小さな神社が見えている。

(駐車地に戻る)


 車道歩きはほぼ20分。長くもなく短くもない。ここで陽が出てきたが、細かい雪が舞っている。ここでエンジンを温めながらアイコスを一本吸おうとしたが、寒いせいか、なかなか充電してくれない。こういうことはたびたびある。ようやく吸えたのは梅田の街を過ぎてからだった。
 ここまで歩いて、次回はようやく後半部だ。地図の距離から見て、時間がかかりそうだな。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

梅田の山もとりあえずはこれで一休みだが、北西からの冷たい風に絶えずあおられながらの歩きには参った。

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◎2018年1月2日(月)

大茂の駐車地(8:22)……大茂峠(9:01)……△847.8m燧石山(9:40)……赤粉山(10:06)……1003mキノコ岩山(10:32)……白萩山・岳山(11:04)……1008m標高点付近(11:26)……956m標高点付近(11:45)……△1107.5m残馬山(12:19~12:32)……886m標高点付近(13:18)……830m北沢山(13:43)……675m標高点付近(14:08)……寄日峠(14:26~14:36)……駐車地(14:50)

 気になることはさっさと済ませてしまいたい性分だ。桐生・梅田の山も先月の24日に護国神社から歩き出したのを手始めに今回で3回続きの尾根歩きとなる。これまでの2回とは違い、今回は長距離の歩きだ。高沢川と忍山川の中間尾根を登って白萩山(自分にはいまだに「岳山」なのだが)を経由して残馬山に至る。下りは忍山川の左岸尾根を使って寄日峠に出るといった算段でいる。
 7時間歩きにはなるだろうと想定し、さっさと出発したかったが、梅田から林道に入ると、あれっ、こんなところまで来たっけかと行ったり来たりを繰り返し、結局、出発が8時20分になってしまった。7時間予定がちょっとしたトラブルで8時間になったのでは暗くもなる。かなりあせってしまい、地下タビか登山靴にするかで悩んでいる時間すら惜しく、手っ取り早く長靴を履いて出発。先日の歩きで裂けた長靴は捨てた。スパイクのないただのゴム長だ。用心してチェーンスパイクだけは持った。

(破線路に入り込む)


 駐車地の前から破線路に入る。先日下って来た道だ。気づかなかった標識が立っていて、この道は「下巣越作線」となっている。平成二十六年度と添え書きされているが、その年に整備されたとは思えない。ここは荒れている。その先で沢は二股になり、左の沢沿いに登って行く作業道らしきものが現れる。これが下巣越作線の本道だろう。というのも、出がけに見た前回歩きの記事に、瀑泉さんからそれを辿れば、忍山トンネルの林道に出られそうなコメントが記されていて、そのつもりでいたが、出発時刻も遅くなっていたし、どうにも時間が余計にかかる気がしてやめにしてそのまま行ったのだが、木橋を渡ると、今度は「平成二十八年度大茂沢線」と標識が出てきたから、遠回りではあるが、時間に余裕があれば下巣越作線を行くのが楽かもしれない。

(堰堤の先、ここは斜面も急で足場も悪く歩きづらいが、おあつらえ向きに凍っていてズリ落ちることはなかった)


(舗装林道の先まで行ってみた)


(結局、ここからの登り)


 沢沿いを登って堰堤越え。初っ端から厳しい思いをして林道に出た。前回は目の前から林道に下って来たが、ここの急斜面を登るのには抵抗もあって、林道の先に行ってみた。興味本位なところもあって、忍山トンネルというのも見たかった。だが高い擁壁が続き、取り付けそうなところはない。結局戻って、植林の斜面を登る。時間をロスしただけだった。しかし、破線路を歩いたつもりでいても、植林の中に踏み跡なんてものはない。

(大茂峠)


(部分的に明瞭になったりする尾根道)


 植林斜面を登って大茂峠(だいもん峠)到着。峠に出ると、風がうなっていた。北西の強風はかなり冷たい。この冷たい風には最後まで悩まされる。結果としては、休むこともままならず、7時間予定が6時間半歩きで済んだのではあるが。
 植林の中を西の鍋足に下る踏み跡を確認。地図上の破線路だろう。峠からはすんなりと尾根に乗る。地形図では847.8m三角点の先までは破線路が続いてはいるものの、踏み跡はあっても、破線路というほどのレベルではない。それでいて、なぜか、左から作業道が入り込んでは左に下って行ったりしている。
 これまでの尾根の延長ではあるが、ちょっと様相が違っている。左に植林があったりするものの、尾根は広くて歩きやすい。それでいて紛らわしいところはない。なだらかなところはこれまでと同じだ。

(露岩が出てきたりする)


(燧石山)



 岩混じりになり、方向を北から北西に変えて登り上げると早々に三角点峰。三等三角点だ。ここは燧石山という山名があるようだが、今回の歩きの区間、山名板を見たのは白萩山と残馬山だけで、ここにも板はない。三角点表示の杭が倒れていたので地面に突き刺してみた、下は凍っていて入り込まず、半端な立てかけになってしまった。こんな作業に時間をかけているわけにもいかず、まして、風が強くて悠長なことをやってもいられない。先を急ぐ。

(こういう暗いところは土が凍っていたりする)


(岩峰出現)


(ここは左から)


(岩峰・赤粉山ピーク)


 地形図ではなだらかだが、尾根には変化が出てくる。破線路の西への分岐はわからず仕舞い。やさしい岩場が出てきたり、植林の歩きになったりと、細かい起伏が続くようになる。
 突然、目の前に岩峰が現れた。途中までは無理に登れなくもないようだが、その先はどうなっているのか。右手を見ると、かなり危うい感じだ。こんなところで体力と時間を費やしている余裕はない。左手に巻き道があったので、無難に岩峰を避ける。この岩峰、赤粉山という山らしいことは知っていたので、巻いた先から登ってみたが、岩の上には標識も何もなく、展望もまた枝木がじゃまで良くはなかった。

(あれはキノコ岩山かも)


(かなり欲求不満なのだろうか)


 幾分狭くなって明瞭になった尾根を行くと、正面に高いピークが見えてくる。あれが1003m標高点のキノコ岩山かもしれない。結構、標高差はありそうだが、地図を見ると70mくらいのものでしかない。
 尾根の途中で、生木がバリバリに裂かれているのを見た。こんなことをするのはあいつだけだろう。しかし、すごい力だ。裂け目からして新しく、昨日、今日のものだろう。今日はスズを鳴らしながら歩いていても、音は強風ですぐに消えてしまうだろう。要注意だ。要注意といえば、今日は銃声が聞こえない。正月早々の殺生はいくら何でも好んではやるまい。

(こんな岩を結構見かける)


(振り返って赤粉山)


(キノコ岩山の山頂)


 もろに吹き付ける風が我慢できなくなりウインドブレーカーを着込む。これで暖かくなるわけでもなく、ただの気休めだ。
 ところどころに露岩が出てくる。風景としては悪くはない。西側の景色を眺めながらの歩きになるが、この辺になるともう鳴神山は見えず、名無し山の連なりだけになっている。風がない時期ならゆっくり歩きたいところだろう。
 ピークに出ると、やはりここがキノコ岩山。岩峰とばかりに思っていたが、ただの小ピークだ。ここも何もない。ピークだけは開けているが、周囲の景色は樹々に妨げられてすっきりしていない。

(風さえなければ気分の良い歩きができそうなのだが)


(残馬山はまだ遠い)


 荒れた感じの尾根を歩いて行くとこじんまりした岩峰。ここも余計なことは考えずにあっさりと左を巻く。ここで足尾方面の山並みがちらりと見えてきた。真っ白になっている。ここでこの寒さだ。あちらはさぞ荒れているだろう。
 目の前にようやく白萩山らしきピークが見えてきたがまだ遠い。地図上は尾根が微妙にクネクネとしているが、別に迷うようなところはなく一本調子で歩いて行ける。樹はすっかり葉を落とし、尾根も広くなって、大分明るくなった。風さえなければ雑木の中の歩きを楽しめるところだ。そして、右手前方には残馬山。結構あるなぁ。歩き出しから2時間半経過している。残馬山までの区間のようやく半分だ、最悪、残馬峡に下って、車道歩きになるかもなぁ。
 男体山が見えてきた。こちらも真っ白で寒々として見える。休むと寒いだけだからと空腹も我慢してきたが、そろそろシャリバテ気味になってきた。急いで立ったまま菓子パンを食べ、水で流し込む。今日もまたカップラーメンとお湯を持ってきたが、そんな時間をかけていたら身体が冷え切ってしまう。

(これを登って)


(白萩山。山名板が左上に見えている)


(雪の上にはシカの足跡だけ)


 岩場を登って行くと白萩山に着いた。雪の上にシカの足跡が点々と続いている。展望も良くないただのピーク。
 休憩もそこそこに1008m標高点に向かう。座間峠から続く尾根に合流したが、人の足跡はない。こんな地味なところを正月早々に歩くハイカーは物好きとしか言いようがない。下って行くと、草木ダムが見えてきた。袈裟丸も白くなっている。

(1008m標高点ピーク)


 凍てついた尾根を登って行くと1008m標高点に到着。ちょっとここで見まわしたが、例の「三俣山へ」の標識は見あたらない。以前、落ちていたのを木株の間に差し込んだことがあった。飛ばされてしまったのだろうか。ここの名物だったのになぁ。ところで、この先、この1008m、956mと小ピークなのに山名がないが、これはどうしてなのだろうか。これまであっただけに不思議な気がする。

(正面に残馬山)


(残馬山への登り)


 正面に残馬山が見えてきた。随分と高く見えている。この先の956mからが曲者だろう。単純150mの登りになるからなぁ。
 956mが過ぎ、残馬山も近づいてくる。残馬山12時着予定はかなりきつい。この分では12時20分といったところだな。風がさらにきつくなった気がする。この尾根は北側に面しているから尚更だ。日光から足尾、振り返ると袈裟丸が見えるが、どうもすっきりした展望に恵まれない。

(残馬山ピーク下から。日光方面)


(中禅寺湖南岸尾根)


(皇海山から袈裟丸山)


 残馬山への登りに入る。中禅寺湖南岸尾根の様子が気になって、立ち止まっては眺めている。もっとも樹間を通してのこと。しかし、南岸尾根もまた真っ白だ。この時期としてはこんなものだろうか。あれでは、気軽に大平山というわけにはいくまい。
 結局、すっきりした展望は期待できないと納得したところでちらりとすっきり見えた。だが、後で見た写真はピンボケだった。何とも惜しい。

(最後の登り)


(残馬山山頂。相変わらずといった感じのピーク)


 相変わらず、寂しい感じの残馬山ピーク。ここでラーメンとでも思ったが、ここは陽があたらず、余計に寒い。また菓子パンを無理に押し込んで我慢し、セルフ撮り。
 さっさと下るかとコンパスを合わせたにも関わらず、あっさりと下り尾根をミス。2回も間違え、その都度に山頂に戻った。こうなったらあとはGPS頼りだ。尾根がなさげな方向に行ってみると、しっかりとした尾根が下っていた。その間、来たところをこのまま引き返そうかとまで思った。お笑いだが、その時の自分はかなり深刻な状態になっていた。後でGPS軌跡を見ると、お門違いな方向に進もうとしていた。かなりの方向音痴。

(ようやく見つけた尾根を下る)


(これを見てほっとする)


 しばらくは半信半疑でGPSを見ながら下ったが、そのうちに赤ペンキやテープを見て安心して下った。今回のルート、全体として目印は多かった。
 正直のところ、下り一辺倒で、面白い尾根下りとは言い難かった。大きな岩場も出てくるが、あっさりと巻ける。変化が乏しい。これなら、明るいうちに車に戻れそうで安心したが、かなり退屈な下りになってしまった。

(こちらにも岩場はあるが)


(下りが続く)


(886m北の破線路が出てくるあたり)


(886m標高点付近)


 こんな下り尾根に変化が出てきたのは、地図上の886m標高点手前で広い作業道らしきものがどこからか入り込んできてからだろうか。一旦広くなった道が細くなり、また岩場。広い道はあやふやになり、886m標高点付近に着く。

(ここは不思議な山稜帯になっていた。右下斜面の雰囲気はかなり良かった)


(桐生の町遠望)


 また尾根幅が広くなり、桐生の街並みを遠望する。同時に右手にフェンスが現れる。広大な伐採地だった。どんどん下って、先には830m標高点の北沢山らしきピークが見えている。フェンス際の尾根は急で歩きづらかったが、邪魔な樹々もなく登りで歩いた尾根が目の前に見えている。今回の歩きのハイライト区間といったところだ。

(伐採地と水沢山)


(ヤセ加減な伐採地尾根。ここは歩きづらい)


(振り返って)


(往路で歩いた尾根。三角峰は燧石山か赤粉山いずれかだろう)


(北沢山山頂)


 寒さも忘れ、気を良くしながら下って行った伐採地上も、北沢山の登りにかかると、元の植林帯に入り込んでしまった。そして北沢山に到着。
 ここは陽は入らないが、少しは風よけエリアになっていた。下りに意外に時間もかかりそうもないことがわかり、ここでようやくラーメンタイムにした。だが甘かった。ザックの中でアルミの容器に包んでいても、ポットの湯は舌が火傷するほどの温度からは程遠く、遠、湯を入れて3分後のラーメンはかなり固かった。とても我慢してまで食えるものではなく、穴を掘って、半分以上捨てることになった。口直しにおにぎりでもと思ったが、すでに固く冷たくなっていたのでやめた。

(実線路の起点)


(小規模伐採地。ちょっとした広場になっている)


(作業道の下り)


 半端な食欲のままでどんどん下る。また作業道が加わった。これは地図どおりで、実線になっている。起点は広場状でその先に続いてはいないようだ。
 半端な伐採地らしいところを通過。尾根通しに歩こうとしても、尾根は形だけ残し、すぐ脇が作業道になっている。ここは作業道を下るしかない。675m標高点は特定できるスポットはなく、この辺だろうかといったところだった。ピーク状にもなっていない。

(寄日峠への下り。そもそもこの時点で間違っていたのかもしれない。こんなところを下るわけがない)


(急な斜面だった)


 右側の削られた尾根が太くなり、ここで尾根に乗り移る。作業道は左に離れて行った。地図では実線と破線路が分岐するあたり。だが、途中からおかしなところを歩いたのか、踏み跡はなくなり、やがて急激な植林斜面の下りになってしまった。
 本来なら右手に下れば良かったようだが、寄日峠もすぐそこだからと、このまま樹に抱きつきながらの下りになってしまった。

(寄日峠が見えている)


 林道に降り立った時にはほっとしたが、ここは登り坂になっていて、寄日峠らしき鞍部までは100mはありそうだ。ここでの登りはつらく、平坦な林道とはいってもかなり応えた。

(寄日峠)


(石祠が2基。峠の道は向こう側)


 寄日峠に到着。ここには前回に来ている。息を整え、前回は知らなかった石祠の探索をする。これもまた出がけの瀑泉さんの情報で、峠の東側にあるらしいことを知っていたので、峠の東側、樹の裏側を見ると、そこに石祠が2基あった。これで、見るべき物も見たとほっとしたが、どういうわけか、本来の破線路の踏み跡がその前を通っているのにはショックを受けた。どこでどう間違えて東側に下ってしまったのだろうか。
 石祠には嘉永四年の年号が彫られていた。結論としては、これを見ただけでも満足。樹の裏に静かに佇んでいるといった感じだ。峠からは見えない。成り行きで気づくか意識して探さないとわからないかもしれない。

(またミス歩き。先日は、そもそもカーブなんてのはなかった)


 寄日峠からの下り、ここでまたミスを犯す。ほっとしたからもうなすがままにといったいい加減な気分になっていたのだろう。林道をそのまま下っていた。先日、ここを登った時には地味な直進道で結構やられたが、林道は車の運行に合わせるかのようにゆっくりとカーブしている。周囲の景色も先日のものではない。
 そのまま下ってからようやく、見覚えのある沢沿いの作業道が見えてきた。ショートカットをして下る。

(林道に出る)


 林道に出て駐車地に到着。出だしが遅かったわりには予想よりも早く下れ、形の上では余裕の歩きだったが、強風の中の歩き、精神的にも身体にもかなり応えた周回だった。

(温泉神社へ)


(ここから温泉が湧いていたのかなぁ)


(石仏と石塔)


(青面金剛像)


(本殿?)


(石灯篭)


(では下って帰途に就く)


 林道下りの帰路で先日見損なったというか、あにねこさんの記事で知った温泉神社に寄って石仏を拝見する。青面金剛像だそうだ。無知な自分には千手観音かと思ってしまった。本殿前の石灯篭には「江戸京橋」の願主名、「文化七年」の文字が見えた。桐生にはこんな物が至るところにある。それも中心部から離れた奥の方で。何とも不思議な町だ。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

(参考までに、3回分をまとめればこんな歩きをしていた)

赤城の鍋割山と荒山に雪遊びに行ってみたが、例年以上に雪が多いような気がした。

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◎2018年1月7日(日)

姫百合駐車場(7:39)……荒山高原(8:11)……鍋割山(8:47~8:58)……荒山高原(9:27)……荒山(10:27~10:32)……休憩舎(10:47~10:58)……棚上十字路(11:20)……荒山高原(11:34)……駐車場(11:54)

 予定では足尾の中倉山に登って、迫力のある荒涼とした白い風景を眺めるつもりでいたのだが、先日、残馬山の直下から見えた中禅寺湖南岸尾根はあまりにも白く、どうもこの時季にしては雪が多いような気がした。中倉山の山頂は吹きさらしで雪は少ないだろうが、あれでは下の積雪とて例外ではなく、とても行く気にはなれない。
 雪遊びはヤメにして、またどこかの地味尾根でも歩こうかと思ったが、せっかくその気にもなっていたので、赤城山にでも行ってみることにする。赤城山とて、こちらから見る分には大分白い。まして、大沼までの凍結路を運転する自信はない。上りは良い良い、下りが恐い。となると、鍋割山あたりが手ごろというもの。凍結路とてさしたる距離ではあるまい。
 ところが甘かった。大沼に向かう赤城南面道路は早々に手前から凍結していて、運転もかなり緊張し、姫百合駐車場に車を入れた時にはほっとしたが、今度は帰りの下りが心配になった。何せ、自分の車は四駆とはいってもDモードの下がLで、3rdも2ndもない。Sモードでエンジンブレーキ代わりにするしか手がなく、これでは効き目も弱く、どうしてもブレーキを踏むしかなくなる。対向車のいるカーブでそんなことをやっていたらどういうことになるのか。想像しただけでも恐ろしい。以前、那須で車が逆向きになったこともあったし、大沼への下りでスリップしてガードレールにぶつかりそうになったこともある。利平茶屋や船石峠に向かう途中では氷結路に乗り上げて止まり、恐る恐るバックした。凍結路、雪道の運転にはからきし弱い。結局、陽が出て凍結が緩くなるまで山中を歩くしかないということになる。この時点では荒山まで足を延ばすつもりはなく、かなり時間を持て余すことになりそうだ。

(駐車場は日陰で暗く、まだ閑散としている)


 駐車場には車が6~7台。準備中の方もいれば、なぜか下から上がって来て、そのまま下って行った車も数台。雪が多そうなので帰ったのか。自分も雪が多いかなと思ってはいたが、3年前の1月17日に鍋割山に登った際の写真を見ると、その時の方が駐車場の雪は多かった。準備をしていると単独氏に話しかけられる。黒檜山に登るつもりで行ったが、踏み跡がなかったので鍋割山に変更したそうだ。時間も早いし、だれも登っていなかったのだろう。
 今日はアイゼンだのスパッツだのと面倒くさく、わざわざ足を重くすることもなかろうとスパ長にした。このスパ長、岩礁80という優れものなのだが、標準のサイズよりも大きめで、スカスカで歩きづらくめったに履かない。今日は中敷2枚、靴下も薄目+厚手でカバーした。それでもやや緩めではあった。バンドで縛ったところであまり効果はない。早々にダブルストックで出発。

(スタート)


(夏道をそのままに歩く。道になっていて林道歩きのようだ)


 車の台数からして、この先を車3~4台分の人が入っているはずだ。トレースはその分明瞭で、下もまた締まっている。まして昨日の土曜日に歩いた人も多いだろう。こりゃ楽でいいわと思ったが、風の加減で、先行者が通過して間もないはずながら足跡がすでに消えてしまっているところも出てくる。しかし、荒山高原まではロープも張ってあったりして吹雪くことがない限りは迷いようもない。

(岩ゴロのところ。ロープが巡らされている)


(荒山風穴)


 今日は風が冷たい。まだ陽が昇っていないからそう感じるのか、そもそも、そういうところなのか。荒山風穴に寒暖計が2個あって、一方は-4.5℃、片方は-7℃を示している。実にいい加減だが、体感はこんなものではない。-10℃はありそう。
 優れもののスパ長とはいっても微妙に滑る。ことに下が凍っているところではアイゼンにはかなわない。むしろ、普通の長靴+6本爪アイゼンが手頃だろう。4本やチェーンスパイクでは同じように滑るだろう。先行者の中に用心深いのか、12本爪を着用している方がいるようだ。

(上が明るくなってきたところで)


(荒山高原)


(富士山が小さく見えている)


 後ろを振り返ると、単独ハイカーが登って来る。困ったパターンだ。さっさと追い越して欲しいものだが、どうも同じような歩程で差が縮まらない。駐車場で話しかけられた方とは違う。荒山高原に着いて、様子をしばらく見たが、姿は見えなかった。
 荒山高原は相変わらず強風が吹き荒れている。雪はたいして積もってもいない。大方が飛ばされ、雪煙を上げている。正面に富士山が見える。ぶなじろうさんではないが、すっきりした大きな富士山を見たくて、山梨山行もプランに入れてはいたが、何やかやと自分内で理由を作ってはヤメにしている。こんな小さな富士山を拝むのなら、目先の自己満足で山梨に行けば良かったかもなぁ。この小さな富士山、今日はずっと眺めることができた。せめてここから見える浅間山くらいの大きさの富士山を見たいものだ。

(鍋割山へ。溝状になっていて登山道は明瞭)


(こんな感じが続く)


 鍋割山に向かいかけると、もう下って来るオッサンがいる。ガチンコの完全装備でピッケルまで持っている。12本爪はあの方だろうか。こちらはフリースにウインドパーカーを着ただけの、いつもの地味尾根歩きスタイルだ。これでは寒いにきまっている。ホカロンも忘れてしまった。
 登山道は窪み状になっていて歩きやすい。樹の枝に積もった雪はきらめいている。この風景が何ともいえない雪の風情だ。これもここだけのことで、上に行くにつれて風で枝に雪がとどまっている状態ではなくなっていく。
 また単独氏が下って来た。この時間で鍋割山からの下りでは当然、荒山にも行くのだろうな。自分もどうすっかなと思うようになってきた。
 周囲の景色はすっきりとしている。朝陽を浴びた前橋市内がキラキラしている。浅間山も見えてくる。振り返ると荒山の左に地蔵岳。こちらは全山真っ白。でも気になるのはどうしても富士山だ。

(岩陰はこんな状態。先行者ヨロシクの世界だ)


 日陰や岩陰になると、トレースは消えてしまい、先行者の足跡の穴ぼこが残っているだけになるところも出てくる。軽くヒザを越える深さだ。みんなこれを使うのか、一人分のものしかないのが面白い。

(地味な登り)


(火起山)


 火起山通過。ここも風通しが良すぎて降雪は薄い。ここから鈴ヶ岳が良く見える。あそこも白くなっている。余談だが、帰りがけに国道17号から望んだ赤城山。左端に見える鍋割山と荒山だけは雪が付いていないように見えた。だが実際はこの積雪だ。遠望はあてにならないものだ。振り返ると、後続者の姿は見えない。あせり歩きをすることもないのが良い気分だ。

(振り返って鈴ヶ岳)


(こちらは荒山と地蔵岳)


(いつもは泥濘の道。ここは風通しが良好のようだ)


 いつもなら泥濘になっている通路は凍結路になり、竈山着。いつもながら、火起山も含め、鍋割山に至る間の小ピークといった感じがしない。
 下りになってじわりとした登りになる。ここにもいつもならの泥濘は凍結。左手のヌリカベのような岩もまたいつもなら真っ白だが、まだマダラ状だ。ここからヤブを下って大岩の下にある石祠を見に行ったことはあるが、この雪では時間つぶしの歩きにしても難がある。パス。

(鍋割山が見えてきて)


(ヌリカベの岩)


(間もなく鍋割山)


(鍋割山山頂)


 平坦から上りになり、鍋割山山頂に到着。出だしから1時間ちょい。何ともあっけない。山頂にはだれもいなかった。と思ったら、南側の斜面で休んでいる単独女性がいらした。そちらの方が展望が良いので、女性に挨拶し、先に行って、浅間山やら富士山を写真に撮る。こちら方面への下りにトレースは付いている。4日前にハイトスさんが登って来られたルートだ。

(浅間山)


(改めて富士山)


(山頂の石仏)


 山頂に引き返して菓子パンを一個。まだ9時前だ。どうすんべぇ。道路の凍結が緩む時間にはまだ早い。登って来た単独のオッサンと話をする。荒山に行かれるのかどうか聞くと、つい29日に登って来たばかりだそうな。その時はこれほど雪はなかったとか。やはり、お互いに下りの凍結路のことが気になっていて親近感を覚えたが、ここで、やはり荒山にも行くかという思いになった。オッサンはまだ悩んでいるようだったが、また荒山でお会いしましょうと別れた。結局、そのオッサンとはもう会うことはなかった。
 このオッサン、ここまでツボ足で来ていた。下りはアイゼンを付けるとのことだったが、こちらのスパ長に興味を示され、まぁ優れものだしと、ちょっとばかり解説した。そんなものにしか自慢できるものはない。オッサンがサングラスをしていたので、ここで思い出したようにサングラスに切りかえる。

(前橋の町を見下ろしながら)


(下る)


(これもまた改めて。これから登る荒山)


(谷川岳はすっきりせず。こんな繰り返しの写真、雪山だから何度も載せている。雪がなかったら一度で終わりだ)


 下る。単独女性が2人登って来た。2番目の女性はスパ長に簡易アイゼンを付けている。こういうのもありか。相変わらず、日陰の深みのところは足跡も増えていない。
 どんどん登って来る人たち。荒山高原に着くまで5~6人と行き会ったか。今日は入山者が多いようだ。鍋割山は雪山にしてはポピュラーな山だしな。谷川岳は? とそちら方面を見るが、すそ野がちらりと見えるが上は見えない。今日はあちらも吹雪いてでもいるのだろう。自分には縁がないな。

(どうしても雪のぼんぼりが気になる)


(荒山高原に戻る)


 結局、何となく荒山まで行くことになってしまったが、荒山高原からの直登は避け、反対側、棚上十字路側から回ろうかと思い、トレースのない窪みに入ると、ズボッと腿まで入り込んだ。これではラッセルだ。正当に南側から行くことにしよう。後で知ったが、そこを歩くハイカーはいないだけだったらしく、高原を歩いた先にしっかりしたトレースがあったようだ。

(荒山への登り)


 こちらもまた鍋割山のようなしっかりした道跡的なトレースはなかったものの、しっかりした踏み跡が続いている。ただ気になったのは、一方向、つまり上り向きの足跡しかないこと。これでは、まだ下って来ている人はいないのか、周回しているのか定かではない。出だしに踏み抜きをした感じでは周回はできそうもないとは思っている。ピストンならピストンになったらそれでもいい。元々、時間稼ぎが目的での荒山なのだから。

(こちらにもまた雪ボタン)


(モンスター風)


(鍋割山方面を振り返って)


(ちょいとばかりの雪庇)


 先行者が1人いるようだ。チラチラと先に見える。希望の広場の分岐で一人休んでいる。実は、荒山はやめにして、この辺から箕輪に戻ろうかなと思ったりしていた。何となく足が重くなっていた。そちらの方にトレースも続いていたし。だが、ここに休憩者がいたのでは考える暇もなくなった。そのままに登って行く。先行者はまだいる。さっきの休憩している方ではない。オジサンっぽいが、結構頑張っているなぁ。これ以上近づかないことが鉄則だ。向こうがこちらに気づいたら、どうぞお先にということになり、むしろこちらがあおられる状態になってしまう。

(荒山が近づく)


(緩やかな登りになっている)


(荒山山頂はもうすぐ)


 展望が効いてきて、そろそろロープ場のようだ。岩の間から、ピンクの上着を着た女性が下って来るのがチラリと見えたが、それきり。幻でも見てしまったかなと思ったが、その先でトレースが合流。どうも自分は遠回りのトレースを追って登って来たようだ。女性はそのまま直進で下ったのだろう。しかし、鍋割山でもそうだったが、単独の女性歩きが多いのには恐れ入る。やはり上州女かねぇ。
 2か所のロープ場はストックを使っていても難なく通過した。ロープそのものが凍っていてつかみようもない。荒山は鍋割山に比べて風もないのか、雪が枝に乗ったモンスターが目につくし、確かに風が弱まってか汗が出はじめている。しかし、一昨年に荒山に登った時に比べたら風は冷たく、山頂は遠く感じながら登っている。

(荒山山頂)


(ちょい先からの展望)


 荒山の山頂に着いた。居心地が悪そうにして二人の、それぞれ単独のオッサンが突っ立っている。一人は目の前をずっと歩いていたオッサンだろう。こちらもそのお仲間入りするのも何だしと、踏み跡もない山頂際まで雪を漕いで、黒檜山、地蔵岳の方を眺めに行った。山頂にあった寒暖計は-4℃になっていた。どうもあてにはならない気温だ。
 写真を撮って戻ると、オッサン一人は消え、もう一方は自分が来た道の方に下って行った。自分には、お二人がどちらに下るのか興味があったが、ひさし岩の方にトレースもしっかりとある。悩んでいると、別口のオッサンが登って来た。ここはいいやとひさし岩の方に下ることにする。その先にトレースがなかったら、戻ればいい。それだけでも時間稼ぎにはなる。

(荒山からの下り)


(ひさし岩)


(ひさし岩から)


(そして、その右側の光景)


 ここは下りの足跡がメインになっている。登りも目につく。ということは、この時季でも下りで使っている人が多いようだ。荒山高原にすんなりと行けるのか気にはなる。
 ひさし岩で展望を楽しんだが、荒山山頂から見た風景と同じようなもの。ちょっと見で下る。

(まさに蛇足だが、今日の足もと)


(隠れてカップヌードルを食べる)


 トレースはずっと続いている。安心して荒山高原まで行けるようだ。ほっとして休憩舎に寄ってカップラーメンを食べる。やはりかなり湯はぬるくなってはいたが、前回よりは幾分柔らかく、捨てることなく食べきった。ここの休憩舎は風避けにもなるところだが、食べて休憩している間、だれも通ることはなかった。ここから軽井沢峠に向かうルートもあるが、雪の上に踏み跡はなかった。

(トレースは明瞭に続く)


(東屋があって)


(棚上十字路)


(芝の広場)


 次のスポットは棚上十字路だ。傾斜が緩くなり、雪が深いわけでもないがかなり歩きづらくなった。気持ちが急いて歩いていても、足の動きが追いつかない。これは雪の抵抗のためなのだろうか。体調が悪いわけでもない。やはり緩いスパ長だろうか。登って来る単独氏二名と出会う。
 流れのない沢を渉ると荒山高原の看板が出てくる。そして、右手に東屋が見えると棚上十字路。ここからのトレースは均等に分かれる。荒山高原と森林公園駐車場だ。この森林公園の方から歩いたことはない。いつか歩いてみたいと思っている。その角にある「芝の広場」を覗いてみる。ここは不思議に雪のない世界になっている。

(すでに荒山高原エリアに入っている)


(本日三度目の荒山高原。定番コースを歩くとどうしてもこうなる)


 これまでよりも半分になったトレースを辿って行くと、鍋割山に向かう尾根が近づき、荒山高原に入った。やはり、当初、逆に歩こうとして入り込んだ手前から高原内に出るようになっていた。
 相変わらずの強風だが、陽が高くなった分、少しは暖かく感じる。5~6人が鍋割山から下って来て、うち一人がこちらに向かって来る。逆ルートの荒山周回だろう。残った人たちはグループのようで、騒がしく感じたから、休みたかったが、さっさと姫百合駐車場に下ることにする。

(下っている)


(雪の時、ここはいつも気分が良く感じている)


 もう12時近いのにハイカーがどんどん上がって来る。スパ長もいれば、ノーアイゼン、12本爪とさまざまだ。こんな時間にとは思ったが、鍋割山だけならゆっくり歩いてもせいぜい3時間往復だろう。今日あたりはむしろ楽な歩きができるかもしれない。
 荒山風穴の寒暖計の一方は-3℃。やはり少しは上がっている。ここのダラダラした登りは結構負担になるのか、道譲りにしても、逆に待たれてしまう。さっさと下らないと失礼かと、そういう時は急ぎ足で下る。上りでは少しは滑ったが、下りでは慎重に歩くまでもなく滑ることはなかった。この程度の積雪ではやはりスパ長が適当だろう。アイゼンなら岩にひっかける。

(出がけよりもさらに道らしくなって)


(姫百合駐車場に到着)


 姫百合駐車場が近くなってもまだ登って来る人がいる。大方は二人連れだ。荒山高原で終わりにしても、手ごろな雪遊びはできるだろう。
 駐車場に到着。車はざっと30台以上。ここから外れて林道に入り込む車も多いが、どこに何しに行くのか気になった。

 まだ12時だ。荒山に寄っても、凍結路を避けるにはちょっと早い時間の帰着だった。しばらくエンジンをかけっぱなしにしたが、しょうがないなと帰路に就く。凍結路は上り車線はかなり融けていたが、下り線は日陰のまま。意外と傾斜があって、Sモードにしてもすぐにスピードが上がる。結局、ブレーキを頻繁に踏む。幸い後続車はずっといないし、前にはトロトロ走っている車もいない。それでも凍結路解除エリアまでは緊張した。後続車がいてあおられでもしていたらどういうことになっていたことやら。こんなのでは、日光のいろは坂なんてのは夢の話だ。

 ということで、今季初の雪山遊びとなったが、たいした比較の経験はないが、例年よりも雪が多かったような気がする。鍋割山はハイカーがかなり入り込むところだ。まぁ、手ごろに短時間の雪遊びを楽しんだということにはなるだろう。ラッセルしてまでも楽しむつもりはないが。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

オレも富士山見たいと倉岳山と高畑山へ。

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◎2018年1月13日(土)

アオゲラの森キャンプ場下の駐車場(7:30)……立野峠(8:27~8:35)……倉岳山(9:08~9:27)……穴路峠(9:44)……高畑山(10:18~10:39)……楢峠(10:59)……大タビ山(11:11~11:20)……高岩(11:32)……雛鶴峠(11:55~12:02)……林道(12:09)……ランチタイム(12:24~12:39)……県道(12:41)……駐車場(13:16)

 この時季になると、青空をバックにした大きな富士山を見たくなる。7日に赤城の鍋割山から見えた富士山はちっぽけなもので、あれで満足というわけにはいかない。せめて浅間山ぐらいの大きさに見える富士山でなきゃ。数年前までは間近に見える山までよく行っていたから余計にそう思う。さりとて三ツ峠山から見える富士山ではでかすぎる。
 鍋割山と前後して、ぶなじろうさんが九鬼山、高畑山、扇山、百蔵山、そしてハイトスさんが不老山からの富士山写真をブログで見てしまい、どうしてもオレも行かなきゃと思うようになっていた。だが、足運びが近場で済ますようになっていると山梨は遠く感じる。
 出がけまで足尾か富士山見物にするかで決めかねていた。富士山見物2/3の気分で寝た。起き抜けに天気予報を調べると、大月あたりからでは富士山も午前中はバッチリと拝めるようだった。もう足尾の天気予報は調べずに山梨に向かった。明日の天気の保証はない。足尾なら天気次第でどこでも歩ける。
 実は、今回の倉岳山と高畑山だが、これに九鬼山を加えて縦走し、禾生駅あたりからバスで戻ることを検討した。以前は路線もあったようだが、今は禾生駅と無生野の間にバスは通っていない。あるのは無生野と上野原駅、本町三丁目というところを結ぶ路線のみで、本数も土日は3便だけ(平日は2便)。禾生駅と無生野の間は11km。タクシーがあるとは思えない駅だ。まして、駐車地予定は浜沢というバス停からすぐだが、無生野からは4つ目にすぎない。バス利用はとても現実的とは思えず、倉岳山と高畑山だけにとどめるしかないようだ。車道を挟んで朝日山、二十六夜山というプランも考えたが、それを歩ける自信はないし、富士山が見えるかも怪しいところだ。今日は見送る。
 余談だが、倉岳山と高畑山はいずれも大月市選定の秀麗富嶽12景になっている(不老山は上野原市だから対象外か)。この秀麗富嶽、調べると「12山」という意味ではなく12エリアの都合19山のようだ。この中で行ったことがある山は雁ヶ腹摺山、滝子山、本社ヶ丸、清八山の4山のみ。雁ヶ腹摺山に至っては、行ったはいいが、雲がかかってシルエットを拝んだだけで終わっている。この五百円札のモデル山、いつか改めて行かないといけない。

 アオゲラの森キャンプ場を目指して行ったが、ちょっと上がったところにグランドがあり、その脇が駐車場になっていた。そこに車を置く。他に車はない。自宅からここまでちょうど2時間。高速区間は東松山IC・上野原IC。実際に走ってみると、時間的には中禅寺湖に行くよりも近い。
 舗装道路歩きが長そうな情報なので、今日は普通の登山靴にした。舗装されていない駐車場は凍り付きガシガシと音を立てる。歩き出すとすぐ右手に二十六夜山の標識があった。十三夜は知っているが、二十六夜も信仰の対象になっていたのだろうか。ここに出て来るように歩くつもりでいれば、車道歩きをせずに良かったわけだが。

(駐車地から県道をまたいで北に向かう。駐車地の目印看板)


(立野峠への分岐)


(薬師堂)


(大ケヤキ)


 車道(県道35号線)を渡って北に向かう。道脇には「矢平山コース」とある。矢平山というのは知らず、昭文社マップを広げると、この先の立野峠から東にかなり行ったところに矢平山というのがあった。これでいいのかとは思ったがそのままで行く。帰ってから矢平山を調べたが、かなり地味な山のようで、山頂から富士山は見えないようだ。
 すぐに右路地に立野峠の方向を指す標識が見えた。入って行くと、神社が見えたので立ち寄る。神社というよりも薬師堂らしい。そこに「浜沢の大ケヤキ」というのがあった。看板には上野原市の天然記念物とある。

(石垣沿いに行くとこうなった。この時点ですでに道を外れている)


(ハイキングコースに復帰)


 ハイキングコースらしきところに戻って、立野峠に向かう。舗装道は狭くなり、すぐに山道っぽくなる。ここは沢状になっていて、左に石積みを見ながら登って行くと、次第に踏み跡は怪しげになり、このまま沢沿いに行っていいものやらと、反対側を見やると、道状になっている気配。そちらに行ってみると、しっかりした山道になっていた。早々に余計な歩きをしてしまった。

(ここがまた地味に急だ)


(あの尾根に乗るようだ)


(結局、トラバース道を行くことになる。立野峠が見えている)


(立野峠)


 薄暗い植林の中、沢沿いに窪み状になった作業道のような道を行く。ひんやりとして寒い。やがてじわりと地味な登りが始まり、ストックを出す。先に陽があたっているところが見え、植林からはすぐに抜け出すようだ。
 周囲は雑木になりつつ尾根に出る。葉はすっかり落ち、落葉の上の歩きは結構滑る。このまま尾根を登るのかなと思ったが、道は一時的に植林のヘリを歩いてはまた雑木の中に入り込む。最終的に雑木のトラバース道を行くと立野峠に出た。
 この峠、東西南北からの道が交差している。比較的新しい標識には、登って来た南方向に浜沢、これから向かう西は倉岳山、そして北は梁川駅、東は寺下峠とある。ここで早々に一服。一時的に無タバコ、アイコスになったりしたが、結果として紙巻きタバコに戻ってしまった。何ということはない元の木阿弥。

 ここの標識には倉岳山まで約35分とある。昭文社マップにも35分と記されている。結果として33分かかったが、普通の歩きをしていれば30分もかからないだろう。とにかく富士山を見たく、途中で樹間からすっきりしない富士山がチラリとでも顔を出せば歩きが止まってしまうのだ。

(立野峠からの登り)


(ここで富士山がチラリと)


(どんどん登る)


 峠からは通しの尾根歩き。これまでよりも風が冷たく感じてウインドブレーカーを着込んで出発。峠までは標高差350mほどの登りだったが、あと少なくとも150mの登りは続く。
 ここもまた地味な登りになっている。すぐの小ピークから左前方に富士山の姿をとらえるようになった。間近に見えてくる富士山に気持ちはガツガツ状態になる。早いとこ混じりけのないのを見たいの一心。まして、午後になったらお姿を拝見できないかもしれないから、余計にあせる。だが、コースを外れても枝木が邪魔になってすっきりとはいかないものだ。わかっていてそれを繰り返す。

(右手に大月市街だろう)


(倉岳山はもう少しだ)


 小ピークを下る。前方に倉岳山らしきピーク。右手に植林が合わさり、左手の雑木も密になってイラつき出す。富士山は消えた。今は用もない右手下の一角が見えた。大月市街だろう。盆地状になっている。つまりここは里山。ここからなら扇山も見えているのかもしれない。
 早いとこ倉岳山に出たいが、直下100mほどの登りはかなり応える。身体が追いつかない。クネクネ道をわざわざ直登しようとするから余計に休み回数も多くなる。この間にも枝木に邪魔された富士山は見えている。

(倉岳山に到着。富士山すっきり)


(確かに秀麗富嶽だわなぁ)


(ちょっとアップで。赤城山からではここまでは見られない)


 倉岳山に到着。まずは山頂写真やら標識の類、三角点を撮って、楽しみの富士山は後回し。律義な性格(笑)が手続きをそう踏ませる。落ち着いたところで富士山。いいね~。今日は来て正解だった。この後に天気が急変して高畑山で富士山が見られなくなってもいいように、じっくりと観察をしては富士山の写真を撮る。アップで撮ったら、どこからの富士山かもわからないのを承知の上で撮りまくる。ついでのセルフも忘れない。山頂の枝木も入り込んでしまうが、この程度なら許容だろう。鍋割山から見る富士山に比べたら格段だ。一人でバカ騒ぎ気分。

 落ち着いたところで看板を見る。「秀麗富嶽十二景について」の看板。ここには「十八の山頂」とある。あれっ、十九の山頂ではなかったのか。帰ってから調べると、「お伊勢山」が新たに加わったらしい。このお伊勢山、2009年版の昭文社『高尾・陣馬』には載っていない。岩殿山エリアの中ではあるが、かなり西の真木温泉の方にある山のようだ。
 菓子パンを食べて小腹を満たして一服。時間的にも早いのか、ここまでだれとも会っていないし、富士山一人占めといった気分だ。タバコを吸ってもだれに遠慮することもないのが最高だ。

 満足した。富士山周辺に雲のかけら一つもないうちに次の高畑山に向かうとする。

(では次は高畑山だな)


(いい感じだったが)


(こんな下りになった)


 ゆるゆると雑木の小道を行くと、いきなり左に下り出す。滑り止めのロープもある。登り返しがつらいなと思ったが、ぶなじろうさんの400m下りまではいかず、次のスポットの穴路峠まではせいぜい150m程度のもの。途中、樹間に見える富士山を執拗に追い続ける。

(穴路峠)


 傾斜が緩くなり、小岩混じりの尾根を下って行くと、穴路峠に出た。ここから北に鳥沢駅に下る道が分岐する。10時近い。電車で来るハイカーがそろそろ尾根に上がって来る時間ではなかろうか。この付近は電車で来ればアクセスの良いところだが、電車の乗り継ぎも群馬からでは悪すぎる。むしろ駐車地を確保した上で電車、バス利用をした方が無難だろう。
 「峠道文化の森」という看板が置かれている。この穴路峠、先ほどの立野峠ともに、古くから大月市と秋山村(現・上野原市)を結ぶ峠だったようだが、少なくとも立野峠に至るまでの間に見たのは薬師堂だけで、石碑の類は見かけなかった。古道というほどのものでもないだろう。

(天神山)


(改めて大月市街の展望)


 峠からは登りになる。後ろから話し声が聞こえる。トレラン風情の若い二人連れが早足で登って来る。ようやくハイカーに出会った。ちょうど目の前に小ピークがあったので、ここで先に行ってもらう。この小ピークには名前があり、標識には天神山とある。右手下には大月の町が広がっている。
 左植林の尾根を下って行くと、今度は反対側から単独氏がやって来た。時間的に、電車利用だとして、穴路峠からまずは高畑山、そして倉岳山といったルート取りだろうか。そんな人のことはどうでもいいが、この辺は植林、雑木で展望がきかず、富士山のことを気にせずに歩けるからいい。

(尾根上の小道といったところだ)


(急な登りになる)


(雛鶴峠への分岐ピーク)


 正面にこんもりとした高いピークが見えると、急斜面の登りが待っていた。果てしなく長く感じる。今度はあせらず、踏み跡に合わせてゆっくりとジグザグに登って行く。何度も休んでは振り返って見下ろす。他のハイカーの姿はないのを確認してはほっとする。こんなところで後続者がいたら嫌なものだ。上からまた単独氏が下って来る。
 登りきったところは高畑山ではなかった。まだ先があった。ここは雛鶴峠への分岐。帰路はここから下るつもりでいる。三人目の単独氏。この分では高畑山も混雑だろうか。

(高畑山山頂)


(高畑山からの富嶽景)


(あの樹が邪魔)


(ズームにしても入ってしまう)


 ちょっと行くと高畑山山頂。三人組がいた。何だか世間話をし、それが丸聞こえで雰囲気がよろしくない。こちらは無視を装って富士山を見とは撮る。ここからの富士山の展望も抜群だが、どうも左右の樹が邪魔で、倉岳山に比べると視野は狭い。ことに小さな樹が一本、センターに入り込んでしまう。あれさえなかったらなぁ。しかし、ここもやはり秀麗富嶽の眺めだ。
 ここでも写真をしつこく撮っている間に三人組は倉岳山の方に世間話をしながら下って行った。ネエチャン二人を引き連れたオッサンは破顔している。さぞご満悦だろう。そっと登って来たオレの存在すら気づかれなかったろう。同じ立場なら自分とてのべつまくなしでネエチャンたちを笑わせては破顔だろうが、そんな機会に恵まれることはあり得ない。
 一人になった。山頂付近をうろついては写真を撮る。菓子パンを食べてはまた富士山撮り。さっきまではなかった薄い雲が漂っているが、あとしばらくは持ちそうだ。あとは下山だけか。かなり物足りない。もっと富士山を別なところから望みたいがこの先に行くには無理がある。せめて大桑山までと思い、スマホで情報をチェックすると、木立に囲まれたピークで富士山は見えないようだ。やはり下るしかないか。

(雛鶴峠に下る)


(最初から尾根伝いの下りということを知っていれば間違いようもないが、知らないからこれでいいのかと思う。当初は穴路峠から下るつもりでいたし)


(標識を見てはほっとする)


 さっきの分岐に戻り、雛鶴峠に向かって下る。昭文社マップでは実線コースになってはいるが、あまり歩かれていないようで、踏み跡レベルになっているし、その踏み跡も落葉で隠れていたりする。テープ類は豊富で、地形図を持ってこなかっただけにこれには助かる。また気まぐれに標識もあったりする。
 やはり、右手の富士山が気になって仕方がない。だが、どこにもすっきりしたスポットはなく、それでいてあきらめきれずにうろうろして下るようになってしまった。枝木の隙間から撮ってもすっきりした写真にはなるわけもなく、無駄な写真ばかりが多くなる。当然、相当に時間もかかる下りになった。

 昭文社マップでは読み取れないが、このコースは尾根伝いに下るようだ。それを知ったのはしばらく行った後のことで、前半部は正直のところ不安な歩きになっていた。こんな尾根を歩くハイカーはいるまいと思っていたが、青年が登って来たのにはびっくりした。やはりどこにでもいるんだね。
 雑木の中の歩きだったのが左から植林が入り込む。ここも尾根で区分けされている。「発砲禁止」の看板が出てくる。雛鶴峠への分岐にも「特定猟具使用禁止区域(銃)山梨県」とあった。ここは禁猟区なのだろうがシカフンを見かけることはなかった。むしろイノシシのフンを2か所で見た。

(楢峠)


(右下にゴルフ場。里山には欠かせない存在)


 下って登る。その鞍部に黄色のテープが巻かれている。標識はない。テープに何やら字が書かれているが注意もしなかった。後で知ったが、この鞍部が楢峠だったようだ。
 結構な登りだ。石ゴロで凍結していて歩きづらい。右から人の声が聞こえる。何だろうと右下を見るとゴルフ場。安蘇の里山を歩いているような感じになる。登りきると「大ダビ山901m」の標識が2枚。地図には「大タビ山」とある。どちらが正しいのか。
 すっきりしない富士山が見えた。ここもまた樹間からアップで撮るしかない。雲はとれてまたすっきり富士に戻っているが、何となく富士山本体が薄くなってきた感じがする。周囲が白くなりつつあるのか。

(薄暗いところを歩いて)


(大タビ山)


(山名板は「大ダビ」と濁点付き)


 ここで狩猟に関してのおかしな看板を見た。「ハンターのみなさんこの付近にゴルフ場があります。狩猟に注意しましょう。山梨県」。どうやら、この先から禁猟区ではなくなっているのだろう。ゴルフ場はあっても「登山者がたまにいます」という表示はなし。むしろ登山者の方が間近で危険だと思うが。まして登山コースにもなっているわけだし。山梨県は「山があっても山なし県」なんだから、群馬、栃木以上にハイカーが多いだろう。もっとハイカーに気づかった看板があってもいいのになと一元のハイカーは思ってしまう。

(何とか見える富士山も頭だけになってきた)


(そして高岩山頂。ここから西に高取山、サイマル山方面に破線路があるはずだが確認はしなかった)


 大タビ山からは典型的な里山歩きの下りになった。ただ、起伏がかなりあって、下りとはいっても、高畑山が約982mでさほどの標高差を下ってはいない。また登って高岩。もうここまで来ると、富士山も頭部分だけになってしまう。それでもこの冨士見ハイカーは執拗に写真を撮る。やはり、富士山の姿は青い空をバックにしていても大分薄くなっている。

(左下に雲が出てきた)


(真下にリニアモーターカーの施設)


 ここの高岩だが、真下に工場のようなものが見える。名前に「岩」が付くだけに右下はスパっと切れている。あとで調べると、リニアモーターカー実験線の施設(車両基地?)のようだ。この施設なのかどうかは知らないが、リニア見学センターが出きたために、センター向けのバス路線を新設し、無生野経由のバス路線は部分廃止されたのではないだろうか。

(ゆっくりと雲が上がってきている)


 下りながら、いくらかすっきりした富士山を見た。すそ野から雲がわき出しているようだ。もうそろそろ里に出る。今日の富士山もこれで終わりだろう。
 しっかりロープが張られた岩っぽいヤセ尾根を下る。それでもしつこく富士山の頭は見えた。東側の下から雲が上がって来ているのがはっきりとわかる。やはり天気予報どおりだったかもな。

(明瞭な尾根道下り)


(鉄塔)


(鉄塔のあるところから。これで今日は最後の冨士山見だ)


 もう下り一方になった。道型は尾根伝いだからすでに明瞭。それでも見える富士山は左1/3が雲で隠れている。ここまで障害物がありながらも追い続けてきた富士山も、鉄塔に出るとはっきりと見えた。そうとわかっていれば、ちらつきの富士山は無視したのに。

(雛鶴峠)


 なおも下ると、峠のような分岐に出た。これが雛鶴峠。峠名の「雛鶴」のことは後回しにするが、標識は置かれていて、実は当初から気になっていたのだが、こちら方面の標識には「赤鞍・雛鶴峠」とあって、その「赤鞍」しいうのが気になっていた。ここで一服して地図を広げる。赤鞍とは「朝日山(赤鞍ヶ岳)」のことだろう。標識表記も「赤鞍ヶ岳」になってしまった。当初、それもありかなと思っていたコースだ。今は、別に行く気はない。実際のところ、「朝日山(赤鞍ヶ岳)」以外に、さらに東に「赤鞍ヶ岳(ワラビタタキ)」という山もあって、標識はいずれの赤鞍ヶ岳を指しているのか不明だが、もうそちらは道志の山の域に入ってしまう。
 一服してストックを収納し、ウインドブレーカーも脱ぐ。あとは明瞭な作業道のような道を林道に向けて下るだけだ。

(雛鶴峠からの下り)


(林道に出て)


(塞がれたトンネル)


 古い間伐がそのままになっているが、道はしっかりとクネクネと下る。また鉄塔に出た。こからの眺めに足を止めることはない。そして舗装林道に出た。ここで林道は終点になっているのか広場のようになっていて、傍らに「←ハイキングコース」の標識がある。この林道、ここでは林道としたが、どうも県道35号線の旧道らしく、地図を見ると、高いところを併行して走っているも道のようだ。広場を振り返ると、その先には閉鎖されたトンネルがある。雛鶴トンネルと呼ばれていたらしい。中を覗くと、先の出口が見えている。
 この林道をしばらく下る。県道に接近しては離れる。この林道は現役のようだが、トンネルで寸断されているから、せいぜい山仕事かハイキング用途だろう。落石もほとんどない。

(林道を歩いて)


(県道に出た)


 県道に出る前にカップラーメンでもと思って、腰かけ用の手ごろな石を探しながら歩いたが見あたらないままに、民家で工事でもしている手前までやって来てしまった。これでは食えないなと戻って、平らな地べたに腰を下ろしてランチタイム。
 民家を数軒通って行くと県道に出る。ここに「林道奈良山線」の看板があった。「林業経営のために開設された林道です」とあるから、旧道だったのか、当初からの林道なのかわからなくなった。
 さぞ車道歩きは長いだろうなと思っていたが、せいぜい35分ほどのものだった。下り基調で歩けたため、さほどの苦痛は感じなかった。こんなことを記してはなんだが、車道沿いに点在する民家、煙突の煙、田んぼ、古そうな石仏…。その風景はまさによく見かける田舎の落ち着いた風景だ。この県道、「旧鎌倉裏街道」とも呼ばれているようだ。

(雛鶴神社)


(雛鶴姫の像)


 神社があったので立ち寄る。これが雛鶴神社。ずっとこの「雛鶴」という地名が気になっていたところだった。神社の解説板を読む。あっさりと記すと、雛鶴姫は鎌倉時代末期の護良親王の寵妃。鎌倉にいた護良親王が暗殺される。それを聞いて京から鎌倉にかけつけた身重の雛鶴姫は追われる身となる。そして甲斐経由で京に逃れようとするが、この秋山の無生野を通った際に産気づく。折しも季節は冬。後難を避けた村人に見捨てられたまま、寒さと疲労で母子ともに亡くなり、ここに神社を建てて姫を祀ったというものだ。神社には雛鶴姫の像が建っている。

(道々で石仏)


(よくわからない石碑)


(町の中心部? 民家から薪ストーブの煙がたなびいたりしていた)


(こんなのを読んでいると面白い)


 よくわからない石碑がいくつかあったが、どこにでもある馬頭観音碑は一基しか気づかず、むしろ「百番供養塔」というのが目についた。
 この旧秋山村は「民話の里あきやま」というのをPRにしているのか、あちこちに秋山に残っている民話が案内されている。それを読んでいるのもまた面白かった。

(駐車場に到着)


(帰路で。こんな何でもない石仏と石碑、ネットで登場は初めてだろう)


 駐車場に戻る。中学校の野球部だろうか、グランドで練習し、それを何人かの父兄も眺めている。ただ、車が7~8台置かれているものの、ほとんどが東京ナンバーの車だ。自分の後に倉岳山と高畑山を登るハイカーが続いていたのだろうか。
 時間は早いが、近くに風呂屋はないか探しながら車を走らせたが、見つけられないままに中央高速に入ってしまった。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

長瀞の山をぶらぶらハイク。金ヶ岳から釜伏山、そして小林山。

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◎2018年2月10日(土)

長瀞町役場駐車場(6:58)……金ヶ岳・春日神社(7:56)……仙元峠(9:17)……塞神峠(9:38)……荻根山登山口(10:02)……釜伏山(10:27)……日本水(10:43)……釜伏山(11:13)……釜山神社(11:25)……釜伏峠・車道(11:34)……東屋(11:49~12:18)……塞神峠(12:28)……仙元峠(12:34)……植平峠(13:04)……葉原峠(13:08)……大平山・小林山(13:22~13:31)……葉原峠(13:36)……岩根神社(13:56~14:04)……休憩(14:34~14:39)……県道82号(14:44)……法善寺(14:54)……多宝寺(15:06)……役場駐車場(15:14)

 3連休は大月の山に富士山見物に出かけるつもりでいたが、金曜日夜時点の天気予報では、土曜日は晴れてはいても雲量が7割超えと多く、あっばれ富士山は期待できず、さらに日、月曜日は下り坂。となると、土曜日歩きしかできないが、雪の山を歩きたいという気持ちが今一つというよりもほとんど湧かず、手っ取り早いところで長瀞の山に行くことにした。今回の釜伏山にはいずれ行ってみなければと思ってもいた。こんな天気具合や気分の時には無難でいいだろう。
 だが、皮肉なことに、山から帰ってから天気予報を改めて見ると、日、月の予報はコロッと変わっていて、ことに日曜日は富士山の展望日和になっていた。腹立たしい思いにもなったが、まぁ、こんなものでしょうと今回は諦めるしかない。何せ、今日のブラブラ歩き、あっさりとはいかず、8時間歩きになってしまっていたから、体力的に明日は山梨というのは自分には無理な話なのだ。ちなみに、翌日曜日は多々良沼に白鳥見物ということになったが、残念ながら沼に着いたのが7時半だというのに、向かう途中で空を見上げると三々五々に白鳥が飛び立っていて、結局は10羽くらいしか見られなかった。

 漠然と釜伏山に行って日本水なるところを見て来ようといった思いしかなく、昭文社マップ(以下、単に「マップ」)と周辺の1/25000地形図(以下「地図」)を刷り出して持参しただけだ。他の方々のネット記事もろくに見ることもせずに出向いた。長瀞町役場の駐車場を選んだのも、以前、ハイカーにも開放されているここを利用したことがあったし、他の便利な駐車地を探すのも面倒で、マップをざっと見る限り、多少は長いが、役場からでも行けると思ったからのこと。頭の中に具体的なコースが描かれているわけでもない。
 駐車場には他に2台あった。車の中でマップを改めて広げ、とりあえず金ヶ岳経由で釜伏山に行ってみるかとコースを決めたところで、駐車場には次から次へと車が入って来た。今日の宝登山縦走コースは賑やかなようだなと思っていたら、車から出て来るのは膝までありそうな厚手のウインドブレーカー(正確には何というのか?)を着込んだ小学生と父兄ばかり。やたらとでかいバックを運んでいるところからして、大方、サッカーの試合にでも行くための集合だったようだ。見るからにハイカーというのは、準備中の2人連れのみ。釜伏山のようなマイナーな山に行くとは考えられない。長瀞アルプス歩きだろう。

(あれが金ヶ岳だろうか)


(高砂橋を渡る)


 目の前の国道140号線を渡り、アルプスとは反対側の東の山側に向かう。おそらくこれから先ずは向かう金ヶ岳は視界に入っているのだろうが、いくつかピークがあって特定ができない。おそらく、正面に見えている三角形の山がそれなのかなとは思う。線路が近づくと右手に野上駅。周囲はそろそろ明るくなっているが、写真で撮る風景はまだ薄暗い。右手後方に見えるのは宝登山だ。これならわかる。大きな山容だ。
 街の中を突っ切り、荒川にかかる高砂橋を渡ると県道(82号線)に出る。閑散としていたので、信号無視で渡ったが、帰りは、この県道、ダンプ街道になっていて、歩行者信号のボタン押すことになった。

(ここから入れば行けるようだ)


(雪が残っている)


 右手の「法善寺」というのが標識にあったので気になったが、ここは帰りに寄ることにしよう。寺の手前のすぐに左手に「村社(示すヘンに旁は木に土の字。「社」だろう)春日神社」と記された碑と鳥居があり、奥に道が続いている。これを行けばいいのか。鳥居の脇には案内板があり、ここから30分登れば(自分のノロ足では42分もかかったが)春日神社の小祠(=金ヶ岳)に着くと書かれている。そして神社の説明。ぶなじろうさんのブログでよく見かける武蔵七党の一つ「丹党」の根拠地だったらしい。そう詳しく記されても、自分にはとんと理解できないでいる。
 道に入ると、雪が出てきてすぐに消える。この先もずっとこの繰り返しになる。今のところは凍結しているところもあるが、チェーンスパイクを巻くほどでもなかろう。今日は軽アイゼンも持参したが、使うことはなかった。チェーンアイゼンにしても、少し雪が深いところではダンゴ状になってしまい、半端な積雪ではツボ足のままの方が良かったようだ。言わずもがなだが、チェーンスパイクは凍結路、グズグズ道限定の使い方が限界だろう。

(道はここで右にカーブする。直進は地図上の破線路。もう倒木が覗いている)


(これを越えて行ったが、すぐに戻る)


(カーブにある洞窟)


 道筋を登って行くと、右にカーブを促す古ぼけた標識があった。この道、地図上では破線路通しに沢型を行くと鳥居マークに至ることになっている。マップでは巻きルート込みの2コース表記だ。ただ、その沢型破線の方には標識とは別に「荒れ道のためお勧めできません」と看板に記されている。なら、その荒れ道を参りましょうかと入り込んでみたが、ちょっと行くと倒木地獄の気配。一つの塊を越えてみたが、先にも続いていそうで、歩く人もいないのかヤブめいている。すごすごと戻り、その時に気づいた傍にあった洞窟を覗き込んだりする。真っ暗で踏み入るのは何となく怖い。

(標識は随所に置かれている)


 おとなしく迂回路コースを登る。特段の特徴もない道を登って行く。ところどころに「ながとろハイキング 金ヶ嶽ハイキングコース 約2時間30分」の案内板が置かれている。整備されているのでは迷いようもない。ただ、この2時間半コースがどんなコースなのか知らず、案内板に記されたQRコードをスマホにかざしてみたが、アクセスはできなかった。このまま目的の釜伏山に導いてくれればいいが。

(春日神社)


(神社裏手の山頂)


 周囲が植林混在の地味な風景の中を登って行く。至植平・岩根山・葉原峠→」の標識分岐を過ぎてそのまま春日神社方面に向かう。今のところ春日神社はあっても「金ヶ岳」の標識は見ていない。間もなく先に物置のようなものが見えた。
 その物置のようなものが春日神社だった。神社名の入った扁額としめ縄がなかったら神社とは気づかない。神社の戸は閉ざされている。後ろに小高いところがあり、これが金ヶ岳の山頂だろうが、山名板も標識の類も何もないそっけないピーク。周囲は木立で展望はない。ここまでウインドブレーカーを着こんでいたが、陽も昇ってきたので脱ぐ。
 ここに長居していてもしょうがないので下る。その前に、荒れ道のためにお勧めできないという道がどこに上がって来ているのか確認する。ここからは見る分には普通の道だった。進入禁止のロープガードはなし。

(明瞭な道筋)


(左手に伐採地が見える)


 先ほどの分岐標識に従い、植平方面に向かった。途中、御嶽神社方面行き止まりの標識を見かけ(それはいいが、そもそも御嶽神社ってどこにあるの? マップには出ていない)、明瞭な踏み跡に沿って下る。地図の360m標高点付近を通過。だが、この辺、地図には実線も破線路もない。マップには東に植平峠に向かう直通ルートが記されているのだが。

(ここあたりはまだ正解歩きだったようだ。この「ながとろハイキング」の標識を以降しばらく見かけなかった。左に行くと岩根山とあるが、地図にそんなストレートな道はない)


(この辺は完全に間違いに気づいている。下っている)


 秩父農工高の観察林を過ぎる。そして左に伐採地。どうも気分的にすっきりしない。これ、間違って歩いているんじゃないのか。標識に合わせて歩いたつもりではいた。「植平・岩根山に至る」の標識も確認した。どうも東には行かず、南に下っている気配がある。GPSを取り出す。線も何もないところを歩いている。ただ、このまま行くと、植平峠ではなく植平という地区に向かいそうだ。気づかなかったが、どこかで分岐を通り過ぎてしまったようだ。遠回りになりそうだが、車道歩きを覚悟すれば釜ヶ岳に行けなくもないか。
 今回はコースの検討もせずにやって来たから、ここで座り込み、地図を広げる。今日はこの先どうやって歩こうか。早々におかしな状態になってしまったが、車道経由で釜伏山。そして日本水。戻って、植平峠に北上か。せっかくだし登谷山、皇鈴山までもと考えてみたが、せいぜい登谷山までだろうな。車道の往復が長くなるだけだ。

(民家が見え)


(あっさりと車道に出てしまった)


 そうと決めてこのまま下って行くと、標識は「至 二十二夜堂・植平・塞神峠」となり、やがて椎茸でも育てているのか、ホダ木が並び、墓地もある。そして人家が見えだすと、案の定、舗装された車道に出た。これは林道だろうか。車の往来はない。この道は地図でも確認できる。このまま進むと登谷山の方に続いている。釜伏山は途中でちょっと北に入り込む。いくら何でもこれではなぁと思ったが、分岐を見過ごしてしまった以上はこれを行くしかない。釜伏山に行ければいいんだし。だが、何だか面白い歩きには程遠くなってしまったなぁ。

(塞神峠分岐の標識)


(登って行くと)


(正解ルートが右から下って来ている。自分は左下から来た)


 車道を5~6分ほど歩くと、塞神峠への山道が分岐する。正直のところほっとした。このまま車道歩きになるかもなとおぞましく思っていた。
 少し荒れ気味の山道で、すぐに植林の中に入ったが、作業道ぼくなり、分岐のところに肝心の標識がない。上に尾根が見えるので、あれに登ればいいのだろうが。
 「日本水 釜山神社」の石柱が置かれているところからして、この辺は神社の領域ということだろう。やがて尾根伝いに左上から下って来た道に合流した。つまり、金ヶ岳から自然に植平峠に出られると思っていた道だった。遅ればせながらの予定コース歩きに入った。すぐ先が仙元峠。ここで「ながとろハイキング 金ヶ嶽ハイキングコース 約2時間30分」の案内板が復活したから、よほどに間抜けな歩き方をして標識を見逃していたみたいだ。いずれにせよ、帰路はここにまた戻ることになるから、重複歩きを少なくしたことにはなる。

(物置と標識)


(件の石標)


 峠には物置のようなものがあったが、これは何なのか。神社ではないようだ。ここから雪が少しばかり多くなってきた。せっかく持参してきたチェーンスパイクを巻く。登りだし、あった方が滑る心配をせずともいい。さて、ここあたりから石標状の標識を見かけるようになる。石標の四面ともに地名が記されている。たとえば、ここの石標のそれぞれの面には、「日本水、釜山神社」、「蕪木」、「葉原峠、みかん山」、「扇沢」とある。当初、ただの羅列かなと思っていたが、それぞれの方向に向いていることを理解するまで時間がかかった。何せ、このタイプの標識は初めてだったし。

(この程度の雪道なら大歓迎だ)


(傾斜も緩い)


(塞神峠。正面の尾根から下って来た)


(塞神碑)


 たいした起伏もない道を歩いて行く。雪の上には昨日までらしきトレースが複数。のんびり気分で歩ける。465m標高点付近を通過にして下りにかかると、また舗装車道が現れた。ここが塞神峠。これまでの山道を加えると十字路状になっている。
 この「塞神峠」、「さいじんとうげ」とでも読むのか。帰宅してから調べると、「塞の神(サイのかみ、またはサエのかみ)」は道祖神と同じで、悪霊、邪鬼が集落に入り込むのを防いでくれる神様だそうな。だが、周囲に神社や祠の類がないなと周辺を回ると、「塞神」と彫られた石が道端にひっそりと置かれていた。

(車道歩き)


 ここから車道歩き。チェーンスパイクをつけていたこともあって、最初のうちは車道端の雪のあるところを選んで歩いていたが、路面に凍結やら残雪はなく、結局は、チェーンスパイクを外して車道を歩いた。右手の展望が開けて日差しも降りそそぐ。暑いに近い暖かさだ。汗が出てくる。
 今日は下着もシャツも、試し着を兼ねての冬支度でやってきた。これまでのヒートテックが耐用年数に達したのかちっとも暖かくなく、下は「極暖」、上は「超極暖」なる少々高いヒートテックを買ってみた。さらに、シャツはモンベルの「メリノウール」とかいう素材のシャツを着ている。本当はウール地が欲しかったが、高いのであきらめた。さらに裏起毛地のズボンとあっては、この陽気では暖かさを通り越すのもあたりまえで、ちっとも試し着の状態にはならなかった。
 振り返ると単独氏が車道を登ってきた。まさかの車道の通しだろうか。先に行って欲しく、たまたま、左に迂回するような雪道が見えたので、グズグズとチェーンスパイクを巻いていると、オッサンは車道をそのまま歩いて行った。この先の釜伏山方面への分岐に足跡はなかったから、おそらくあのまま登谷山、皇鈴山にでも向かったのか。車道歩きでは面白くもないだろうになと思ってしまう。

(ここから左に入ってみると)


(こんなのがあって)


(東屋。右手が展望地になっている)


(展望地から。両神山が奥にうっすらと)


 迂回路とはいっても、右下には車道が見えたまま。左に建屋が見え、「FORT EDWARD AMERICAN GARDEN」と看板が立てられている。鉄線で囲まれて中を覗き込むことしかできないが、何の施設なのか、州の旗のようなものもひらめいている。そもそも、この「FORT」だが、人名なのか砦のfortなのか、建屋の想像はそれ次第といったところだ。
 門を過ぎると東屋があり、その先で車道に出てしまった。ここは展望地で展望板も置かれている。晴れて青空が半分以上あるのに浅間山すら見えない。うっすらと両神山といったレベルだ。

(なんだかなぁといった感じ)


(釜伏山へ)


 車道歩きに戻ると、右手にゴチャゴチャしたところが現れた。何やら、宗教のような、精神鍛えのような文字が記された板が並んでいる。ここを登れば聖地らしい「荻根山」というところに出るらしい。怪しげな感じがしたので自分はパスしたが、仮面林道ライダーさんの記録を拝見すると、山頂は591m標高点のあるところのようで、山頂の文字板も賑やかなところらしい。改めて行ってみることはないだろう。
 ちょい先に行くと、左に釜山神社の標識(「ふれあい道」付きだ)。ここに入ればいいのようだが、釜伏山の表示はない。「日本水」はあっても、釜伏山は相当にマイナーな山なのか。これまでの経験からすると、釜山神社の奥社が釜伏山にあるといった感じだ。ちょっと雪があるが、新しい踏み跡はない。やはり、さっきのオッサンは車道伝い歩きのようだ。

(こんな感じのところを歩き)


(正面に釜伏山)


 すぐに露出した木の階段になり、少し登ると、先に三角形をつぶしたような山が見える。あれが釜伏山か。確かに、釜のような山容になっている。なだらかになったところに標識があり、右下向きに「釜山神社」となっている。釜山神社に行くだけなら、ムダな登りをしている感じがしないでもない。道はなおも先に続くが、壊れかけた山名板には「日本水」とある。あくまでも釜伏山の標識はない。これは最初の金ヶ岳と同じだ。日本水も今日の目的の一つだし、悩まずにそちらに行く。

(天狗松休憩地)


 下って鞍部。「天狗松休憩地」というスポットらしい。標識には「この山を登り降り日本水へ」とあったが、「この山」そのものが釜伏山なのだろうが、ここで山名を明かすわけでもない。地元の方にとっては、ただの奥社であって、山名はどうでもいいのだろう。
 休憩地には鳥居があって、横に東屋らしきものがある。そして寄居町設置の防火水用のドラム缶が置かれている。このドラム缶。先々で見かけたが、「火の用心」と書かれてはいても、たまにバケツが備わったドラム缶もあるものの、中を覗くと天水が溜まってもいない。これではただの美観を損ねるドラム缶になっている。

(山頂の釜山神社奥社)


(彫刻が施されている)


(あったのはこれだけ)


 鞍部からの登りは、これまでの登りと違って、さも山歩きといった感じになる。距離は短いがチョイ岩場の登りになる。登りきって現れたのが「奥の院休憩地 日本水→」。ここに至っても釜伏山の名前は出てこない。
 山頂には奥社の社殿と狛犬が置かれている。手書きの山名板には「釜伏山582M」と記されている。そして石祠と石塔らしき丸い石、社殿とはいっても大きめの石祠だが、獅子らしい彫刻が施されている。時間の関係か日陰になっていて、のんびりできそうなところではない。

(見晴台休憩地)


(こんなのが立てられている)


(見晴台から。たいした見晴らしではない)


 ここで釜伏山には登ったから、次は日本水となる。マップではすぐ近くにありそうだが、実際は100mほど北に下ることになる。山頂からすぐに北がちょっとした展望スポット。標識が雪の上に裏返しに倒れていたので起こしてみると「見晴台休憩地」とある。山頂には、最初はアンテナかと思ったが、何というのか忘れたが、長い竹竿の先にワラの束を結わえたものを立ててあった(梵天と言ったかなぁ)。

(日本水に下る)


 日本水に向かって下る。北側だけあって、雪がちょっと深くトレースなし。チェーンスパイクは雪ダンゴ。岩ゴロ地帯になっていて、チェーンでガードされている。マップを見る限りはすぐだと思っていた。ちょっと一時的に傾斜が緩むところがあり、そこだろうと見当をつけたが、下からツボ足で登って来た2人組に日本水の場所を聞くと、まださらに下の鞍部に出てから先とのことだった。登り返しが嫌になりそうだ。
 雪が消えて鞍部。日本水方面には「岩盤の崩落が予想されるので立入禁止」と記された看板が置かれ、ロープが張られている。

(立入禁止地帯へのトレース)


(日本水)


(風布川の源流)


(崩落が予想される岩盤を入れて)


 ここでやってはならないことをした。さっきの2人組らしき往復4人分のトレースが雪の上に付いていた。同じことをする。
 何となく予想はしていた。ニホン水ではなくヤマト水と読むのだろう。そして、日本武尊にちなんだ水だろうと。まさにそうだった。解説板を読むと、ここは風布川の源流のようで、地元の人たちには古くから霊泉としてあがめられていたようなことが記されている。「沸かして飲んで下さい」とあったが、そのまま2口いただく。甘く深みのある感じの水だ。

(見上げるほどの登り)


 マップにはここから引き返さずにそのまま先ほどの展望スポットの東屋に出られる線が記されているが、果たしてそんな道は見あたらない。というか、それは後で地図を見て知ったことで、このまま釜伏山に戻るしかないと思っていた。だが、そういうルートがあれば気づくものだが、雪に隠れて見えなかっただけのことだろうか。この100mの登り返し、本日一番の難所であった(笑)。

(釜伏山からの下り)


(階段付きで整備されている)


 山頂手前の見晴台休憩地で一息入れ、菓子パンを食べて一服。山頂は素通りして釜山神社に向けて下る。鳥居を過ぎたところでアレっと思ったのは、あの2人組、このまま神社には向かわず、左に下っていることだ。マップにも地図にもそんな道はなく、むしろ、地図の方に車道幅状の道が南から来て、ここで南東に向かっている。車が通れるような道ではない。正解はカシミール地図。確かに、鞍部から南東に実線があった。2人組がこれを下って風布方面から周回したとすれば、えらく短いお歩きのようだ。

(釜山神社)


(鳥居)


(これがやたらとある。ヤマトタケルには付き物だ)


(そして長い参道)


 下って行くと神社が見えてきた。その時は普通の神社に見えた。社殿もそれほど大きなものではない。扁額に記された「釜山神社」、ふと、ここも朝鮮系の神社なのかなと思った。埼玉はそういうところが多いし。
 車道に向かって参道を歩く。えらく長い。長いと、いろいろと気になるところが出てくる。道路沿いに並ぶ狛犬や石造物が多い。それだけ寄進者が多いということだろうが、その台座には「釜伏神社」、「釜伏山」と記されているものもある。ということは、この一帯がやはり釜伏山なのか。

(釜伏峠に到着)


(また車道歩き)


(登谷山が見えている)


 次のポイントは車道が乗り入れる釜伏峠だが、頭の中では、登谷山に行くかどうか混在状態になっている。車道を歩いてもなぁといった気持ちと、車道歩きだから楽に行けんじゃないのと。そして、釜伏峠に出た。登谷山方面に行くのはやめにした。考えてみれば、4年前に外秩父七峰ハイキング大会に参加し、登谷山方面からここの峠を経由して寄居に下っていた。改めてその一部区間を歩くこともあるまい。
 車道歩きに復帰。軽トラと乗用車が各1台脇を通って行った。もうチェーンスパイクに用はないだろう。釜山神社の分岐から先はさっき歩いたところだ。

(ここでゆっくりランチタイム)


 FORT EDWARDのある東屋で休憩する。30分はゆっくりしたか。時間的にもランチタイム。微風でポカポカしていて気持ちが良い。だれに会うこともなく、このままベンチで寝転がりたいところだが、まだ先がある。この程度の車道歩きなら我慢もできるが、葉原峠から役場に至る車道歩きがコースタイムで最低70分はある。近辺の寺をいくつか見たら1時間半はかかる。
 塞神峠に向かって下る。ここに来たなら武甲山くらいは見ておきたいが、あいにくの木立の邪魔か、もしくは薄いガスのためか確認できなかった。
 ここから戻り道の様子をだらだら記しても仕方がないので省略し、一気に仙元峠に移動する。また金ヶ岳経由で戻るつもりはないし、往路で見落とし歩きをしてしまった植平峠を経由し、葉原峠から下ることにしている。

(植平峠に向かっている)


(石碑があって)


(石仏)


 仙元平に置かれた例の金ヶ嶽ハイキングコースの標識、改めてQRコードを読み込んでみたが依然として「ページが見つかりませんでした」となった。まぁどうでもいいやと、さっき気づいた二股を上に行く。
 植林の中を行くと「小御岳石尊大権現」と彫られた石碑があり、賽銭も置かれている。そしてその先には石仏。ここは釜山神社に至る信仰の道かと思ったところで植平峠、と思ったがそうではないらしい。標識によると、風布に下る道が分岐しているだけのスポットのようだ。

(ちょっと陰気な感じ)


(何もない小ピーク)


 だらだらと歩いて行くと、道は左の小ピークを迂回する。単調な歩きが続いているので、ついそのピークにヤブ漕ぎで登ってみたが何もなし。先で迂回路に合流。また日陰の雪が出てきたりしたが、チェーンスパイクはザックにぶら下げたまま。この時間だし凍結もしていない。ちょっと下るとようやく植平峠。仙元峠から20分のコースタイムだが30分近くもかかっている。これは石碑や石仏を見たり、余計なピークに登っただけの理由ではあるまい。本当にノロ足になってきてしまったようだ。コースタイムとてGBタイムなら情けない。

(この「みかん山」が気になった)


(葉原峠)


 峠に置かれた標石が気になった。葉原峠方面に「みかん山」というのが併記されている。このみかん山とは? 葉原峠の先にある大平山の別名だろうか。しかし、マップには「大平山(小林山)」とある。
 これまでの延長歩き、強いて言えば違いは右下に家屋のようなものを見たことぐらいか。ほどなく林道(「ふれあい林道葉原峠線」)に出た。ここが葉原峠。このまま舗装林道を下るのもなぁと、大平山に行ってみることにする。頭の中には、もしかすると小林山以外に「みかん山」の別称があると思ったからだ。

(物好きな方でなきゃ直進することはあるまい)


(小林山。左寄りに三角点)


(山名板)


 踏み跡を辿って行くと、本道らしい道は右に分かれて行く。ここは踏み跡の薄い尾根伝いだろうと直進。少々急で、ヤブっぽいが踏み跡はしっかりしていて山頂に出た。三角点が置かれ、「小林山」の山名板がある。みかん山ではないようだ。北側にもピークが続いているが、そこまで確認に行くこともなかろう。大方、下のミカン園の一帯をみかん山とでもいうのだろうと思うことにする。
 雪で腰をおろすところもなく、三角点標石に腰をかけて一服。陽が陰ると寒く、風も冷たくなってさっさと下山。

(下って)


(林道)


 長い林道歩きの開始となった。林道の雪は日陰部分だけだが、車の轍を歩くと滑ってしまう。むしろ雪の上を歩いた方が無難だ。
途中で左から林道が合流する。「葉原支線・起点」とあり、そちらの方向の標識は「至春日神社 塞神峠」となっている。春日神社とは金ヶ岳にあった神社で、金ヶ岳からの下りで間違って出てしまった車道に出る道なのだろうか。こう車道が入り乱れていると、地図を見てもどうも釈然としない。

(こんなのがあって)


(岩根(山)神社)


(裏の大きな丸い岩)


(岩をくり抜いて安置されている)


 墓地やら廃屋を見ながら歩いて行くと右手に神社が見えた。手前には東屋もある。岩根山神社というらしい。「長瀞八景」の案内板が置かれ、「例大祭(四月十七日)の頃、一千株超えるミツバツツジやヤマツツジ云々」とある。きっとここもまた一帯が岩根山なのだろう。ついでだし、この神社を探索する。本殿の後ろには丸い大岩があり、石碑や石像、祠がいくつかあった。
 林道歩きに戻って地図を見ると、この先は長い屈曲カーブになっていて、これはこれで当然、ショートカットの対象とするつもりだが、神社の手前に実線が記され、こちらの方がもっとショートカットになりそうなので戻る。来るときには気づかなかった。だが、その分岐の先には神の社務所になっていて、鉄の柵で閉ざされて入れないようになっている。これでは行けない。そもそも、柵を乗り越えたとして、社務所の後ろに引き続きの道があるのかも疑わしい。戻る。

(岩根山歩道入口)


 ちょっと厳しいショートカットをして林道に復帰すると、「岩根山歩道入口→」の標識が左手に延びていた。この入口は閉鎖されていない。ということは、社務所ではない別のところに出るようになっているのか。神社のもう少し上まで行ってみればよかった。勝手な想像だが、この歩道伝いにツツジが咲くような気がする。

(道路沿いの石仏)


(見上げると石碑群)


 車道歩きに飽きてきたが、傍らの石仏を見てほっとする。その先で右上を眺めると、石碑がずらりと並んでいる。往時には古道か里があったのか。
 ぼちぼちと民家が現れる。不思議に別荘だ。こんなところにといったら失礼か。続いて民家。洗車中の方がいる。日向で腰をおろして一服する。

(里に入り)


(県道が見えてきた)


(県道歩き)


 本格的に里の風景になり、釣り堀の脇を通ると県道に出た。ダンプが行き交って、騒音の世界になった。右手先に宝登山を眺めながら行くと、今朝ほどの登山口の鳥居に出た。ここからすぐ先に法善寺がある。別にこの寺に思いがあったわけではなく、案内標識があるくらいだから相応の寺だろうと思い、見たかっただけのことだ。

(法善寺)


 門前の説明版を読むと、特記するようなこともない普通の内容だが、正式には金嶽山法善寺で、寺の裏山が金ヶ岳という位置づけになっているようだ。中に入ってみたが、しだれ桜が有名らしい。自分には特別な思いは残らなかった。

(高砂橋から宝登山)


(多宝寺)


 そのまま役場に戻ろうとしたが、マップを見ると、高砂橋を渡って先を右に行くと「多宝寺」というのが記されている。法善寺がこんなものかと思っただけに余計に回り道をしたくなった。まして、道端の看板には、別名「秋の七草 桔梗の寺」とも書かれている。結果としては、まぁ、その時期に行けばきれいだろうなで終わってしまった。

(電車の通過を待ち)


(長瀞町役場に帰り着く)


 踏切で電車の通過を待ち、国道を渡って長瀞町役場に着いた。何ということもない8時間のだらだら歩きだった。別に自分の体調が悪いわけでもないが、普通の山慣れした人なら5時間程度のものだろう。こんな単調な歩きコースでも、自宅に帰ってからカシミールに入れてみると、累積標高差は1100mを超えていた。こういうのってあまりあてにはならないか。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

※今回の歩き、正直のところ冴えない歩きなのに写真が多くなってしまった。改めて見ると、どれもこれもといった感じ。表紙の写真からしてこれではなぁ。

笹子雁ヶ腹摺山。雲が多めの予報だったが、絶景富士山を楽しめた。

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◎2018年2月18日(日)

新中橋バス停脇駐車場(7:22)……1188m標高点付近(8:43)……笹子雁ヶ腹摺山(9:10~9:43)……新道分岐(10:07)……尾根道合流(10:37)……笹子峠(10:53~11:04)……林道ゲート(11:23)……矢立の杉(11:32)……ランチタイム(11:42~11:59)……車道復帰(12:07)……駐車場(12:29)

 本当はただの「雁ヶ腹摺山」に行きたかったのだが、自分で歩いてみたいと思っていた尾根ルートでは時間がかかり、日曜日の天気予報をチェックする限り、雲量が少ない午前中の早い時間帯での山頂到着は望めそうもなかった。二度目の幻の五百円札はご勘弁なので今回はパスして、確実に早い時間に到達できそうな「笹子雁ヶ腹摺山」に行くことにした。なまじ終日雲だらけの予報だったら、確実に映画にでも観に出かけたろう。こういう半端な雲行き情報を信じ込むと決断を鈍らせて混乱してしまう場合もある。
 雁ヶ腹摺山も、冬季通行止めが解除され、大峠まで車を乗り入れできるようになれば、楽で短い歩きも可能だが、それでは面白くもなく、行く気にもなれない。通行止めのうちに姥子山を含めて静かな歩きと秀麗富士山を楽しみたいと思っている。だがこれも、この時季だし、ころころ変わる天気予報にしばらくは翻弄されそうだ。
 大月市の『秀麗富嶽十二景』シリーズ、ここのところ、ぶなじろうさんと雪田爺さんが足繁く通っていて、自分なんかは三番煎じのようなものだが、10年前にある程度は集中して登ったこともあった。その中で、この笹子雁ヶ腹摺山に目を向けたことはなかった(というか避けていた)のは、「笹子」が付いただけで、雁ヶ腹摺山の間に合わせの存在のように感じたからで、詳しい情報調べも、今回行くと決めてからが初めてだった。矛盾した話だが、笹子と違って「牛奥ノ」と付くと、何やら気軽な気持ちでは行けない感じになってしまう。

 繰り返しになる。前の晩から天気もさることながら雲量予測がずっと気になっていて、起き抜けにネットで確認した雲量は、10時頃をピークに多くなり、一時的に70%。午後からまた薄れてくるというものだった。今日は日曜日だ。のんびりと昼過ぎまで富士山見物に浸っているわけにもいかない。出かけるのも一か八かのようなもの。他の山と違って、笹子雁ヶ腹摺山(山名が長いので、以下「笹雁山」とする。また、前回の釜伏山同様に、昭文社地図は「マップ」、1/25000地形図は「地図」)なら諦めもつくかといった気分もあった。見えなかったところで、改めて行く山でもあるまいと。
 高速に乗り、狭山から富士山が見え出し、相模湖あたりになると富士山も大きくなる。気があせるばかりだ。タッチアウトにはなりたくない。タイムリミットは10時だ。
 電車を使えば、米沢山、お坊山とかを経由しての周回が望ましいが、それができないから悲しい(これは、栃木の雪田爺さんとて同じだろう)。どうしても事前の駐車地探しから始まる。グーグルマップのストリートビューで当初見当をつけたのは、国道20号線沿いの自販機の置かれた広場だった。ここしか適当な場所は見あたらず、そこにとぼけて置くつもりでいたが、その広場を右に見て、もうちょい先に手ごろな広い路肩はないかと探りに行くと、笹子峠方面にストリートビューとは異なった新しい道ができていて、ちょっと入り込むと、バス停脇にしっかりと3~4台分くらいの駐車スペースがあった。これはありがたい。他に車はない。20号線はすぐそこに見えている。正面は人家だし、駐車するには安心だ。余談だが、当初予定の自販機広場、後で知ったことだが「天野自然公園」という公園の駐車場だったらしく、別にとぼけて置かずとも問題なく利用できる駐車場だった。

(新中橋バス停の駐車場。結論から言うと、そこの階段を登ればよかっただけのことだった)


 このバス停、「新中橋」というが、路線図を見ると、大月から来るバスは、この2つ先の「新田」が終点になっている。ちなみに、バス停の位置がマップとは微妙に異なっているようだ。バス停から取り付きまでは西に15分とあるが実際には北に0分。この15分が直後に誤解招きの歩きになってしまう。本当に西に向かってしまった。もしかすると、バス停位置が変わったのかもしれない。
 今日の予定コース、往路はマップにある1188m標高点経由の南東尾根。復路は地図の方にある破線路。これは送電線・鉄塔伝いにあるから巡視路だろう。この破線路は、途中までは尾根伝いになっている。笹子峠に下って長い車道歩きをするつもりはない(今は冬季閉鎖中)。
 往路尾根の標高差は700m。地図を見る限りは登り一辺倒のようで、コースタイムは2時間。一気の700m登りはつらい。2時間半かかったとして、今、7時15分だからタイムリミットの10時には何とか間に合うだろう。

(出だしからヘマをする)


(戻って破線路歩き)


(早々に尾根に乗る)


 準備をして出発。早々に酔狂な歩きをしてしまった。現実とは異なるマップ上の15分歩きを錯覚し、笹子峠の方に車道を歩いてしまい、次の「新田下」のバス停を見て、あれっ?自分は何をしてんだかと、振り出しに戻る始末。その間、犬散歩のオジサンに暢気にオハヨウゴザイマスなんて挨拶をしている。改めて駐車地脇の階段を登る。まったく正反対に歩いていた。これで貴重な10分はムダにした。10時にどんどん近づいていく。あせる。
 植林の中に踏み跡があった。標識のようなものはない。これだろうと追っていくが、どうも谷状のところに向かっている。地図を見ると、確かにこれで間違いはないようだが、いずれは尾根に乗らなきゃならないし、左手に尾根が見えている。さっさと尾根に上がることにしよう。尾根側にも踏み跡は続いていた。みんな同じことを考える。
 予想通りに急斜面の尾根。ジグザグに登り上げる。落葉が溜まって滑る。尾根の取り付きは大方こんなものだが、この尾根も今だけであって欲しい。右が植林で左は自然林というか雑木。薄暗くないだけ助かる。

(小さな神社)


 ジグザグがストレートになった。その分いくらか傾斜も緩んだようだが、普通の尾根の登りよりはつらい。しめ縄のある小さな木の神社というか小祠があった。柱はボロボロだが、屋根だけはトタンになっている。何ともアンバランス。しめ縄に巻かれた短冊、正式には「紙垂(しで)」というらしいが、真新しいところからして、正月用に代えたようだ。地元の方がいまだにお参りしているんだろうな。こういう存在は早々の休憩の体の良い理由にもなる。しかし、この登りがずっと続くのかなと思うとうんざりする。ゆっくり歩きたいがタイムリミットばかりが気になってしまう。せっかく高速を使って2時間かけて来た。富士山を見られないのではお話にならない。

(こんな尾根)


(実際の破線路が右手から)


(JRの送電鉄塔)


 気になって空を見上げながら登っている。うっすらと白っぽいが青空だ。これが10時過ぎにはさらに白くなるらしいが、どうも予報を信用できない気分が半分になりつつある。
 右から道が上がって来た。そして正面には送電線の鉄塔。ということは、その道は破線路ということか。それを使った方が楽だった、早かったかどうかは考えようだが、おそらくは植林の中の薄暗い中の歩きだろう。鉄塔にはJR東日本の看板があった。つまり電車運行用。てっきり、東電の送電線とばかりに思っていた。ここからの展望は良くない。小ピーク状になっているわけでもなく、周囲が広く刈り払いされてもいない。先を急ぐ。

(おなじみタイプの標識)


(結構きつい)


 笹雁山の標識が現れる。そういえば、登り出したところに標識は見かけなかったが、別のところに置かれていたのだろうか。ここでいきなり出てくるわけがない。
 標識が出てからまた傾斜がきつくなってきた。たまらずにストックを出す。手ぶら登りではしんどい。そしてヒノキの植林に入り込む。植林って、何でどこもこう急なんだろう。
 急だ、きついの繰り言で山頂まで終始してしまうわけにもいかない。その辺は控えることにするが、普通、尾根にも緩急の流れがあって、ちょっとした鞍部があったり一時的に平らなところがあるものだが、この先しばらくはそれがなかった。まさに地図通りになっている。
 地図の破線路が尾根から分岐するあたりを注意する。予定では、帰路はその巡視路らしき道を通って、この尾根に合流して下るつもりでいる。ところが左・西側に分岐する道に出合わない。GPSを取り出して拡大してみる。この付近のはずだがと、じっくり見ると踏み跡らしきものが目に入った。地図通りに左下に下っているようだ。「ようだ」というのは、植林の落ちた枝葉で踏み跡がはっきりしないからだ。これを使ってここに戻れるのかなぁといった不安がかすめる。尾根道でも沢筋でもないただのトラバース巡視路だ。目印は踏み跡だけだろう。地図を見ながら、状況によっては「矢立の杉」の東側で車道に接するところがあるから、そこから車道歩きになってもいいかなんて考える。

(1188m標高点ピークかと思う)


(ここで富士山現れる)


 植林から解放され、また尾根境の半々になった。黙々と登る。立ち休みの回数も多くなる。この先を回り込んだ左前方に小ピークが見える。地図をあてがうと1188m標高点のあるところのようで、台形状になっている。あそこは少しは平らになっているかもしれない。ここから100mほど登って1188mに着けば、あとは170mの標高差を我慢すればいい。そう思えば幾分気持ちも楽になる。もう標高差700mの半分以上は終わっている。
 次第に緩い部分も出てきて、緩急の繰り返しになってきたところで、休みがてら左を見ると富士の頭が見えた。周囲に雲はない。今8時半過ぎ。10時リミットはすでに半信半疑未満になっているが、今のうちに見ておかないと山頂では見られなくなってしまうかもの懸念は残っている。だが、雑木が邪魔で、どうにもすっきり頭にならない。スポットを探し回っての歩きだから遅々として先に進まなくなってしまった。
 そんな状態の時、下から人の気配。見下ろすと、青年とオッサンの中間年代単独氏。ストックも使わずに黙々と上がってくる。そのスピードが何とも速い。かなう相手ではなさそうなので脇に寄って待機する。「この尾根、きついっすね~」と素通りして行かれた。やはり、きついと思っているのは自分だけではなかったようだ。しかし、そう言いながらもすごい健脚だ。見通しの良いところに出ても、先に姿を見ることはもうなかった。

(ここでルートは右手にカーブする)


(1188m標高点付近)


 枝に邪魔された富士を執拗に見ながら登って行くと(当然、ゼーゼーしながらだ)、平らな尾根になって1188m標高点付近に近づいた模様。標識板が直角に二枚、下方向は笹子駅になっている。今8時40分過ぎ。10時前には笹雁山には着きそうだ。一服入れて、羊羹と干し柿を食べる。さっきの単独氏、ここで休憩もしなかった気配。
 ここで、爆音が聞こえた。上空をヘリが旋回している。出がけにブナジロウさんの前日の記事をちらりと拝見していた。遭難者が出たらしい(この件、雪田爺さんの記事にも記されていた)。それを思い出した。まだ見つからないのか。ヘリは周辺を2周して帰って行った。念のため今日も探してみるかといった感じか。

(笹雁山だろう。白いのは反射板か)


 歩き再開。雪が出てきたりするが、地面にへばりついている程度のもの。前方に笹雁山らしきピークが見えてきた。何やら、山頂の脇に反射板のような白い板状のものが見える。あれは何なのか。山頂部は雲一つない青空。その間、地図上の1188m標高点は通過している。
 また緩急の繰り返しになった。依然として左右植自林が続いている。富士は一旦隠れ、ようやく歩きに集中できると思ってほっとしていると、また雑木の合間から顔を出す。次第に見える部分も頭から鼻あたりまで低下した。そして、歩みがまた遅くなった。だからといってスッキリした姿は尾根を外れようが見えやしない。

(ラストのきつい登り。上から)


(そして反射板)


(山頂はそこだ)


 そろそろ終盤が近づいた雰囲気だ。ラストの急斜面の上には青空しか見えない。クネクネ道が復活し、最後は喘ぎながら反射板下に到着した。ここはもう山頂の一角だろう。山頂はすぐ上だ。一概に反射板とはいっても、何のためのものかも知らず、確認したかったが、有刺鉄線付きのフェンスで囲われ、「あぶない!!」の看板があるだけ。
 振り返って富士山を見た。雑木の枝がしつこく邪魔をしているが、かなり良く見えている。もうちょい上がってみると、今度は邪魔なものが消えた。オオっと気持ちの中で歓声とどよめきが上がる。素晴らしい富士山じゃないか。笹雁山からの富士もバカにならんわ。手前の山並みの鉄塔が2本ほど美観を損ねているが、おそらく三ツ峠山だろう。そうと思えば我慢もできる。

(見えた。右の枝がチョイと邪魔)


(少しアップで)


(笹雁山山頂)


 散々、富士を眺めては撮った後に山頂に向かう。狭い山頂。10人もいれば窮屈な感じ。西の白い山並みは南アルプスか。そして北寄りに見えるのが八ヶ岳か。先ほどの単独氏はすでにいない。他にハイカーはいず、自分一人だけ。風はないし陽気もグッド。雲量予測はどこへやら。リミット10時までは1時間ほどあるが、雲量が増えそうな気配はなく、せいぜい3~4割の停滞だ。惑わされて映画に行っていたら損した感じだったろう。

(山頂からの富士山)


(どうしても枝や木が入り込んでしまう)


(南アルプスと八ヶ岳)


 ここから改めて富士山を眺める。結果は△印。枝木が少なくなったものの、写真を撮ると、どうしても枝が入り込んでしまう。笹雁山の富士山スポットはやはり反射板のちょい上だ。
 だれもいないので、他人の目を気にすることはない。とはいっても痴態をさらしたり、大声でヤッホーをしたわけではなく、反射板と山頂を慌ただしく往復しただけのこと。その間、ベンチで暖かいコーヒーを飲んだり、タバコを遠慮することもなくふかした。30分の休憩は短く感じたが、その間に雲量が増えてくる気配はない。

(笹子峠方面に下る)


(急で滑る)


(そして落ち着く)


 さて下るか。単独氏はどちらに下ったのか。米沢山方面も笹子峠方面も雪はあるが凍っているのでトレースはわからない。雪の凍り方からしてチェーンスパイクよりも軽アイゼンの方が良いかなと思ったが、チェーンスパイクを選択。雪が少ないと、アイゼンだと反対足に引っ掛ける危険もある。
 やはり失敗した。チェーンスパイクでは半端なく滑ったし、ストックもただの邪魔物。ましてゴム先は付けたまま。アイゼンにチェンジしようかと思ったが、細い急斜面でそんな作業スペースはない。一歩一歩立木を頼りに着実に下るしかない。特に凍っていたのは山頂直下。陽があたるあたりは凍てつきも緩んでいるのでそのままチェーンスパイクで下る。
 名残り富士の段階に入った。つい左の富士山ばかりを気にしてしまう。だんだん顔が沈んで行く。それでいて、山頂では山陰で見えなかったところが見えてきたりする。それはそれでおもしろいが、最早すっきり富士は遠ざかって行く。そんな歩きをしていたら、ズルッと滑って、危うい思いをした。もういいか、もういいかと思っても、つい未練がましくなって枝ヤブから覗き見をしてしまう。どうせなら、すっぱりと見えなくなっていただきたい。やはり富士山は眺める山なんだねぇ。

(また鉄塔)


(鉄塔から)


(振り返って笹雁山)


 尾根はやがて緩やかになり、振り返ると笹雁山。尾根は相変わらず細い。場所によっては転げ落ちたらヤバいところもあるが、次第にそれもなくなった。ただ、幾分雪が深くなる。新しいトレースはない。
 送電鉄塔が目の前に出てくる。これはJRではなく東電だろう。鉄塔下に登り、富士山を眺める。どこから撮っても、鉄塔の脚と送電線が映ってしまう。もうこれで本日は見納めにしたいところ。十分満足な富士山を眺めることができたから、雪田爺さんではないがコンプリートだ。すでに10時は過ぎているし(笑)。

(近づいてもなかなか逃げない)


(分岐になった)


 さて、そのまましばらく行くが、雪のために道型は不明瞭になり、果たしてこれでいいのかと気にしていると標識が現れてほっとする。標識は同じ笹子峠に向かうも「尾根道」と「新道」の分岐表示になっている。ここは新道を選ぶ。特別な意味はないが、新道が内側(東側)を行くようだから、下り予定の破線路に早く接すると思ったところもある。

(新道はトラバース道)


(崩れたところもあるから要注意)


(「緑を大切に」の杭。何もないところにポツンと立っているわけがない)


(ラスト。もうすっきり姿は無理)


 新道とはいっても古くからあるトラバース道のようで、木に巻かれたテープの色は褪せている。落葉が堆積して不明瞭なところもあるが、慎重に先を追えば迷うところはない。ただ、一部、崩壊のところがあったりするから要注意だ。まだしつこく富士山が見えている。そのたびに足止めをくらう。すっきり富士でもないのにだ。
 「緑を大切に」の杭があった。うっすらと左手に下る踏み跡が見えた。その時は気にも留めなかった。そして次の鉄塔にぶつかる。ここでまだあったラスト富士。一休み。陽気が良い。ついのんびりしてしまう。

(尾根道と新道が合流。上に鉄塔)


 雪が幾分深くなってまた先に鉄塔が見えてくる。鉄塔手前に尾根道と新道分岐の標識が置かれていた。アレっ、GPSを確認する。やはりそうだった。新道からの破線路分岐はすでに過ぎていた。おそらく、「緑を大切に」の杭が分岐だったのだろう。そちら側を覗き込む。結構、険しい感じの谷合になっていて、踏み跡を素直に辿っては行けないような気がする。やはり笹子峠に出る方が無難だ。
 せっかく鉄塔があるのだからと、コース外の鉄塔下に雪を漕いで上がってみた。かすかに頭だけが見えた。

(笹子峠への下り)


(笹子峠が下に見えて)


(笹子峠)


 明瞭な尾根道を下る。ロープが廻らされている。ちょっとゴツゴツした感じで、一気に急になる。下には笹子峠が見えている。慎重にロープを使って峠に着地した。
 ほっとはしたが、これからの、予定外の車道歩きを考えるとうんざりする。笹子駅まで約2時間の標識がある。笹子駅まで歩くわけではないが、マップ記載のコースタイムは1時間30分。下り歩きではあってもうんざりする。まして、前回の釜伏山の引き続きにもなる。途中で「矢立の杉」という名勝があるから、立ち寄れば少しは気も紛れるか。
 この峠、十字路になっていて、標識では、北東・笹雁山、北西・かいやまと駅、南西・カヤノキビラノ頭(三境)、そして南東が笹子駅だ。このカヤノキビラノ頭、下の駐車場の登山案内図にもあったが、気になって後で調べると、マップにある中尾根ノ頭の次の1411mピークがカヤノキビラノ頭らしい。その大分先にボッコノ頭というのもある。これも同じ町境尾根のピークで、マップに登山道はない。こんなところを歩く人がいるから標識もあるのだろうな。意外と山梨通のノラさんあたりは歩かれているかもしれない。

(下って行くと)


(広場というか駐車場に出た。左に笹子隧道)


(笹子隧道)


 上よりも峠から下の方が雪が残っている。チェーンスパイクはそのままに山道を下る。5分も下ると広場らしきところに出た。ここが駐車場か。ここから歩くとすれば、案外楽かも。尾根道と新道を使えばただのピストンにもならない。
 ここが道路の起点かと思ったが、脇に文化庁登録有形文化財「笹子隧道」がある。解説板を読むと、この道路は旧甲州街道(20号線)だったようだ。通行止めになってもいない。地図を見ると、この先の西側にも続いているので、まだ通れるトンネルなのだろう。トンネルの中を覗くと、狭いが舗装されている。

(車道歩きとなる)


(今の時期でもここまでは車で入れる)


 ぼちぼちと車道歩き(県道212号線となっている)になる。最初のうちは雪があったのでまだ感じなかったが、路面が出て来るようになると、気が重くなる。残雪、剥き出しが繰り返され、最後はチェーンスパイクを外した。この時点で、標識には「国道20号線まで4.7km」とある。たっぷりと残り1時間以上か。
 ゲートを通過。この時期でも、ここまでは車が入れる。道幅は広くなっていて、5~6台の車は置けそうだが今日は車はない。次第に暑くなってきた。手袋を外し、帽子とウインドブレーカーは脱いだ。ついでにストックも収納。

(矢立の杉入口)


 適当にショートカットしながら下って行くと、やはり、同じことを考える人がいるのか、必ず同じところに踏み跡が残っている。面白いものだ。先のカーブに車が1台止まっている。そして何か看板がある。近づくと、「矢立の杉」入口だった。「この先100m」とある。車が看板の前に横付けされていて案内板がよく読めないが、なぜか杉良太郎の名前が書かれている。樹齢千年の杉であることはわかった。戦陣に出る武士がこの杉に一矢を放って、武勲を祈ったようだ。どうも杉良太郎の方がメインになっている気配だが、ここでは敢えて記すこともあるまい。

(こんなのが置かれていて)


(矢立の杉)


 下って行くと、二人連れが上がって来た。あの車の方だろう。挨拶をする。もうだれもいない。先ずは歌碑と地蔵。これが杉良太郎がらみ。脇にゼンマイ式音声ガイドがあって、ハンドルを20回すと、音声ガイドとメロディーが鳴るようになっているのだが、やってみると反応なし。「防犯カメラ作動中」と記されているから、それ以上の巻き上げはしなかった。
 巨大な杉だった。中は空洞。根の周囲14.8m、本体9m、樹高16.5mとある。途中で折れているらしいが、下からでは見えない。周囲にも杉の木はあるが、なぜか巨木はこれだけ。下は沢が流れている。

(遊歩道へ)


(石仏)


(三軒の茶屋跡? 石碑だか顕彰碑が置かれている)


(こんなのもあった)


 車道歩きに復帰するかと入口に戻る。そこにあった案内図を目にした。なんだ、ここから沢沿いに遊歩道があるんじゃないか。途中に庚申塔、三軒の茶屋跡、明治天皇御野立所跡とかいうのもある。矢立の杉に戻って、遊歩道を歩く。
 庚申塔には気づかなかったが石仏があった。そして明治天皇云々の碑と石垣。ここが茶屋跡だろう。木のベンチが置かれ、日向になっていたのでここでランチをとることにした。ランチとはいってもおにぎり2個とオニオンスープだけの簡素なものだ。デザート代わりにタバコをふかしてゆっくりする。

(そろそろ遊歩道も終わりのようだ)


(車道に出た)


(左斜面をショートカット)


 気持ちのよい遊歩道だったが、そう長くは続かない。車道に合流。もう見る物はない。まただれかがやった跡が残ったところをショートカット。20号線まで1.7kmの標識。遊歩道を選んだせいか、さほどに長くは感じない。

(こんなところに出てしまった)


 ショートカットはこれでおしまいではない。大きく湾曲しているところを素直に歩くつもりはない。植林の中に入り込む。作業道のようなものを見つけては下へ下へと追う。人家が見えてくる。嫌な気配。やはりフェンスがあった。だが心配は不要だった。物置のようなものが見え、そこの脇からスルーできた。

(石碑を見て)


(閑散とした里。テレビの音が聞こえてきた)


(駐車場に到着)


 県道に復帰すると、ほどなくして今朝ほど方向違いに来てしまった新田下のバス停を通過。車道歩きを長く感じることもなく駐車場に到着した。他に車はない。健脚の単独氏は結局どういうコースを歩いたのだろう。

 今日は雲量情報に惑わされながらの歩きだったが、結果的に笹雁山から絶景の富士山を眺めることができて幸いだった。次はどこからの富士山を眺めようか。ぶなじろうさんと雪田爺さんが行かれた百蔵山の、街並みも見える富士山の姿も見てみたいし、秀麗富嶽にこだわらずに、地味な道志方面の山もいいかなと思ったりしている。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

太平山のモミジを見がてらに晃石山と馬不入山を周回。

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◎2017年11月26日(日)

大中寺駐車場(7:44)……謙信平(8:24)……太平山神社(8:42)……太平山(8:53)……無線中継所(9:02)……晃石山(9:28)……桜峠(9:51)……馬不入山(10:19)……車道(10:44)……清水寺(11:21)……駐車場(11:59)

 もう5年前のこと。11月18日だった。太平山の紅葉を期待し、K女ら4人で出向き、半端な紅葉を見て名物の卵焼きを食べた思い出がある。紅葉も今はもう低山エリアに入りつつある。太平山もモミジ祭りをやっているようだ。それだけを見て帰るのもなんだし、ついでに晃石山、馬不入山を加えた定番コースを歩いてみることにした。
 今日は日曜日でもあるし日和も良い。混雑を予想して早めに家を出て大中寺の駐車場に車を置いたが、この時点ではまだ10台にも満たず、ちょっと予想外。この時間帯、ここから太平山神社まで歩いて行くほどの人は少ないようだ。

(山門をあとに出発)



 冒頭からミスをした。大中寺の門の内側から北東に向かう道がついているが、これは謙信平に通じていない(あるいは勘違いか)。なぜか謙信平のモミジはきれいだろうといった固定観念があり、この謙信平を経由して紅葉探索をしようと、地図上の実線、破線をつなげて歩くつもりでいた。
 門から出た早々に、ここは、左のこの細い道(つまり実線部)を行くのではないのかと思いはしたが、それは瞬時のことで、そのまま行って、左の道に入ってしまった。念のため、畑仕事をしているオバチャンに声をかけ、ここを行けば謙信平に行けますよねと聞くと、否定はせず、この先を左に曲がって云々と言われた。ここで、「この先」の解釈を誤り、つまりは、それが実線路に復帰する道だったわけだが、気づいた時には「この先」を「大分先」まで歩いてしまい、車が行き交う県道を歩く羽目になった。

(林道沿いの紅葉)


 ここまで来たらしょうがない。県道を歩き、直に破線路に向かうことにした。県道を謙信平分岐に入る。「林道ふれあい施設」の看板がある。林道とはいっても車の通行は可能で、ふれあい道のお仲間といったところだろう。
 舗装道を7分ほど歩くと大中寺からの道が左から入り込む。これが予定歩きのコースで、余計な歩きを10分以上はしてしまったようだ。

(落ち葉の積もった道)


 まもなく、左に上がる道が現れる。標識には「太平山神社2.4km」とある。上がって行くと、落ち葉に覆われた平坦な道になった。その下はアスファルト。オジサンが先行されていて、あっさりとかわす。こんなところでも息切れをして汗をかいている気配だ。
 左に階段が出てきて、標識はなかったが、迷いもなく階段を上がる。実はここ、初めての歩きではなく、過去に2回ほど歩いている。だから迷いもしなかったわけだが、この先で、また繰り返しのミスをしてしまった。道が分岐し、そのまま左に行けばいいのに右に入り込み、ちょっと行くと、先ほどのふれあい林道に出てしまった。戻る。その間に、息切れのオジサンに抜かれていた。何ともバツが悪いので、追い抜きもせず、距離を保ってゆっくりと歩いて行く。この辺はふれあい道のようだ。看板があって、年季の入ったベンチ、テーブルが置かれている。

(謙信平に着く)


(薄い雲がかかっている)


 謙信平に出た。確か関東平野一望の展望台があったはずだがどこだっけ。すぐに展望台のことは忘れた。早いとこ真っ赤なモミジを見たいと気が急いている。というのも、最初に目に入ったモミジは、真っ赤が1本、緑半分が1本の半端な状態だったためだ。頭の中は赤いモミジでしかなく、今回は神社下の見晴らし台にすら寄るのを忘れている。
 さっきのオジサンはここで休憩に入った。では先に行きましょうと、階段を登りかけると、今度は単独のネエチャン。狭い階段だし、真後ろを歩くわけにもいかず、距離を保つしかない。しかし、このネエチャン、結局、気づくと常に前を歩いていて、自分がストーカーハイカーのような気分にもなったが、行く人もあまりいない浅間神社の方まで先を歩いて行くので、たまらずに途中で抜いてしまった。こんなところは、自分には器用さがない。ただ、追い越しの際にコンニチワと声をかけたが返事なし。何か屈託でも抱えながらの歩きだったのか。

(その1)


(その2)


(その3)


(その4)


(その5)


(その6)


 話は前後したが、紅葉エリアに入った。この辺一帯が謙信平とでも言うのだろうか。だとすれば、自分は何か大きな勘違いをして歩いて来たような気がする。店がズラリと並んでいて、写真を撮るにしても、場所を選ばないとどうしても店の一角や幟が入り込んでしまう。紅葉はといえば、一週間前にここにいらしたきりんこさんの写真に見合ったモミジを拝むことはできなかった。やはり数日遅かったのかもしれない。
 この先の紅葉に期待はない。これで今日のメインの目的はあっさりと終わり、後はさらっと流し歩きということになる。

(太平山神社)


(奥宮)


(浅間神社)


 太平山神社に出る。20人ほどの人たちがいるが、見るからにハイカーの姿はまばらだ。神社の周囲にはモミジもほとんどないのでお参りだけして奥宮に向かう。苦痛げに階段を登って行く無荷物のジイサンを抜くと、前には例のネエチャンがいる。
 ネエチャンは奥宮に寄らないので、こちらは寄って時間稼ぎ。さりとて、それほどの時間稼ぎにはならない。コースに復帰すると、先に姿が見えている。浅間神社下の晃石山方面の分岐路に入る様子もないので、たまらずに追い越した次第。
 ここには何度も来ているので目新しく感じるものはない。神社裏手のピークを踏んで、そそくさと晃石山の方に向かう。ここで、そういえば展望台に寄らなかったなと思い出す。まぁいいか。この先にも展望地はある。

(晃石山へ)


(林道が左から入り込む)


(後ろに無線中継所)


(展望地から筑波山)


 浅間神社を下り、ハイキングコースを歩いて行くと、どこから歩いて来たのか、ハイカーの姿が目に付くようになる。この先、桜峠まで随分と出会ったが、その多くは逆方向からの歩きだった。トレランも3人ほど見かけた。
 左に林道のような道が現れ、並行し、やがて合流した。そして、また分岐。ハイキングコースは左下に向かっているが、今日は、右手に行ってみた。まもなく上に無線中継所が見えた。塔の真下に数人の姿が見えたので、寄るのはやめにしてそのまま直進。グズグズしたところを下ってハイキングコースに復帰する。
 前をオニイサンが歩いている。何だかもぞもぞとしている。どうしたのかと先を見ると、ご夫婦らしき二人連れが歩いていて、抜けずに我慢しているような様子だ。ついこちらも急迫してしまい、オニイサンと二人連れを追い越す。ここでようやく後ろのオニイサンにも気づいたのか立ち止まる。オニイサンを解放させてやり、先に行ってもらう。何だ、結構、元気な歩き方してんじゃないの。気が小さいんだね。彼女いるのかなぁと余計な心配をした。他人のことは言えないか。
 サクサクと歩くオニイサンを追いかけるように歩いたが、途中の展望地でオニイサンは休憩に入った。

(ここを登りきって)


(晃石山)


(かすかに富士山)


(日光方面)


 道が分岐して右に登ると晃石山。山頂には3人ほどいた。温度計が置いてあり、8℃を指している。風がないのでむしろ暖かく感じる。展望は全体が白っぽくて良くない。さっきの展望地でも雲上の筑波山がぼんやり見える程度だった。腰かけて休んでいたオジサンが、富士山見えるよと言うので、目を凝らすと、確かに薄っすらと見える。北側を見ると、日光連山の頭はみんな白くなっている。
 一服したかったが、周囲にハイカーがいるのでは吸えもしない。結局、今日は、馬不入山を下るまでタバコは吸えなかった。一服できないのでは仕方がない。腹も空いていないし、水も欲しくない。桜峠に向かってさっさと下る。前後して、南側の神社の方からハイカーが数人登って来た。

(ちらりと)


 下りながら、左手にチラリと黄赤の色づきが見えた。太平山を過ぎたので紅葉は期待していない。まして、何度か歩いたハイキングコースだ。つい、ハイカーの観察に目がいってしまう。あのオニイサンはその後どうしたのか、それきりだ。上下白の柔道着のようなものを着て黒帯を巻いた方が下って来る。足はスニーカーで何ともアンバランス。さらに走っているから、何かの修行でもしているのか。低山ならではのユニークなところだ。単独のオバチャン、オジチャンも結構いる。離れて歩いている2人が他人どうしかなと思うとご夫婦のようだったり。これはよくあることだ。

(次のピーク)


(きれいな尾根)


 桜峠手前の展望地。西側隣の尾根の色づきが良い。なぜかそこだけがダントツにきれいで、周囲も色はあるもののくすんで見える。ここから遠望する白いピークは浅間山だろう。

(下って)


(桜峠から)


(峠の東屋)


 桜峠への下りにかかる。階段付き。何だ、ここからも北側の紅葉がきれいに見えるが、どうも光線の加減のようだな。どうしても緑のあるところは余計に濃く見えてしまう。
 桜峠に着く。標識からすると、紅葉がきれいなのは村桧神社5.2km方面だ。東屋では3人ほど休んでいる。景色をチラリと眺めて馬不入山に向かう。清水寺の方からもハイカーが登って来る。時間的にこれからハイカーも多くなって、大方は太平山に向かってモミジ狩りといったところだろう。

(馬不入山へ)


(この辺は短いが変化のある歩きが楽しめる)


 馬不入山だが、向かいながら下り道のことを考えていた。馬不入山まで過去2回行ったことがある。1回目は南東に下る破線路を下るつもりでいたら、何だか入口が不明瞭で、桜峠に戻って下った。2回目は大明神山の方からやって来て、南西への破線路を下った。この時はさらに岩船山まで行ったからいいが、そちらを下ると、大中寺までは大回りになり、車道歩きも長く、一部、県道歩きは避けられない。今日は南東尾根伝いの破線路を辿るとしよう。以前のように入口が不明なら、ヤブこぎになっても構わない。まして、これまでずっとハイキングコースを歩いて来たから、この辺で変化をつけてもいいだろう。
 こちらもふれあい道になっていて、すぐにそれとわかる標識が置かれている。こちらの紅葉はこれからのようだが、モミジ系の赤いのはない。トレランのオバチャンに抜かれる。山頂まで0.4kmの標識を過ぎると、小岩が点在して変化が出てくるが、これもあっという間に過ぎ去る。

(立花ルートの標識)


(馬不入山山頂)


 そろそろ目的の破線路尾根だなと思っていると、「立花ルート」という標識が置かれている。その時は、これが破線路入口かなと思ったが、覗き込むと先は尾根型にはなっていない。ちょっと首を傾げ、左手に下る尾根型を探しながら行ったが、見つけられないままに馬不入山の山頂に着いてしまった。きっと、あの立花ルートが破線路だろう。
 欠けた古い石碑には明治時代の硬貨が賽銭で置かれていた。さっき追い越されたトレランオバチャンもいないし。一服つけようかと思ったら、南西ルートからガヤガヤと3人組が登って来た。タバコが吸えないのでは長居は不要。その破線尾根で改めて吸うことにしようと下る。

(ロープが張られている)


 やはりどうも破線尾根ルートはわかりづらくというか入口がわからずに、立花ルートに入り込んでみた。落ち葉の積もったコースだ。それでいて、ここではあやふやな尾根に登り上げするような雰囲気もなく、そのまま下っている。滑りそうなところには手すりロープもあって、その先には改めての標識。今度は「立花沢ルート」とあった。ここはやはり尾根コースの破線路ではなく沢筋ルートだった。
 踏み跡は明瞭で、そのうちに右を見上げると尾根筋が見える。おそらく、あれが地図上の破線路なのだろう。もう古い話になってしまうが、だれかのブログで、破線路のヤブを下った記事を見た記憶がある。尾根には登らずこのまま下るとする。

(ごちゃごちゃした感じだが、迷うところはない)


(立花沢ルートの出入口)


 立花沢ルートの様子はまったく悪くはない。ロープも引き続きで、迷うところはない。ちょっと荒れ気味の沢伝い(沢とはいっても水はない)に下っていくと、やがてはごちゃごちゃした景色になり、フェンスの先に車道が見えてきた。
 フェンスには出入口があり、ヒモを解いて車道に出た。振り返ると、標識があり「馬不入山入口→」と記されている。もう一般的なルートになっているのか。こうなれば、さらに尾根を下ればよかったかなといった気持ちも出てくる。次回は強引に尾根を下ってみよう。とはいっても、たかが知れた時間の歩きになるだろうけど。

(立花園を覗いて)


 ここでようやく一服する。ここの黄色の樹々はきれいだ。隣に、これまたフェンスに囲まれた「立花園」という看板があったが、そちらの紅葉はこれからで、見えるモミジはまだ7分くらいか。ここの立花園、フェンスで中に入って行けないが、それもそのはず。後で調べると、個人のブドウ園のようだ。

(車道歩き)


(また筑波山)


(車道沿いで)


(池もあったり)


 ここからが長い。舗装の車道歩きになる。まばらとはいっても、通過する車もある。適当に淡い紅葉やら関東平野の一角を眺めながら歩いたので、特に長いといった感じはなかった。こちらから眺める晃石山方面の山肌は、南からの陽射しのせいか、きれいに見えている。

(清水寺で)


(清水寺の前。これはきれいだった)


(正面に回って)


 途中のスポットは清水寺しかない。入ってみる。モミジがあった。色は真っ赤からはすでに過ぎ、黒ずんだ赤といった感じか。いくつか赤の残りがあって、それは楽しめた。ただ写真で見る限りはきれいで、そんなのを見ても不満足かと言われそうだが、今期は素晴らしいモミジを見ていないので(ブログ記事は前後したが、翌日に桐生の崇禅寺で見事な里のモミジを見た)、これは致し方もない。

(大中寺)


(駐車場隣の園地で)

 大中寺に戻って来た。駐車場はいっぱいになっていた。やはり、里に近い紅葉見物は、陽が高くなっているこの時間帯が最適なのだろう。
 駐車場には寄らず、そのまま大中寺に入った。ここは別にモミジの名所でもないが、庭師が脚立を使って松の剪定をしている。ベンチに腰掛け、何も考えずに仕事をじっと眺めていた。傍から見れば、こういう仕事もいいだろうなと思ってしまう。ただ、無造作に枝切りをしているわけでもなく、その立場での造形美もあるのだろう。それ以前に、植物の知識も相当なものだろうなと感心しながら見ていた。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

根本山を沢コースから中尾根で周回。所期の目的は達成できず。

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◎2017年12月3日(日)

駐車場(8:15)……沢コース分岐(8:18)……男坂・女坂分岐(10:10)……男坂の石祠(10:17)……分岐戻り(10:24)……根本山神社本社(10:38)……獅子岩(10:58)……奥社(11:10)……行者山(11:19)……行者山に戻る(11:56)……中尾根コース分岐(12:13)……根本山(12:22~12:44)……中尾根分岐(12:49)……根本沢林道(13:29)……二十一丁(13:40)……不死熊橋(13:46)……駐車場(13:50)

 4月に歩かれたハイトスさんのブログレポで、根本山の沢コースが整備されたことを知った。大分以前に、ここを一回だけ歩いたことはある。もう25年以上も前のことだ。沢沿いの雰囲気の良いコースだったが、ところどころでわかりづらく、神社への登りがクサリ付き急斜面できつかったことだけは覚えている。記事を拝見し、いずれ改めて行ってみようと思ったものだが、その中に記された「角力(すもう)場」なるスポットに興味を持った。行く際は、これも含めて歩くことにしよう。幸いにも、ハイトスさんの記事にはGPS軌跡も掲載されているので見当はつけられた(実は「つもり」だったが)。
 以降、それきりになっていたが、先日、瀑泉さんが沢コースを歩かれ、角力場に行くか時間的に躊躇され、結局行かずのままで終わった記事を拝見し、じゃ、オレが行ってみるかといった気分で今回行くことになったわけである。

 梅田奥の狭い道に入ると、いかにもハンターといった感じのグループや、路肩に止めた軽トラやらワゴンタイプの車を5、6台は見かけた。やはり、猟解禁を待ちかねていたのだろう。ぶっそうなものだ。ほとんどが地元群馬ナンバー。示し合わせて集合しているようだ。それでいて追い犬の気配はない。

(駐車地の後ろを見るとひっそりと)


 駐車場には他に車が1台。準備をしているともう1台入って来た。オニイサンっぽい感じ。今日の足は沢も渉るだろうと、久しぶりにスパ長(知らない方もいるだろう。改めて「スパイク付き長靴」のこと)にした。そして、瀑泉さんのブログにあった写真、各所に配置されている「周辺地図」。これを刷り出しして持ってきた。1/25000地形図に丁石やら古の石造物が書き込まれたマップだ。これは、根本沢の沢コースを歩くに際しては、貴重なガイドだろう。

(詳細な案内図板。結果的には、これを見ながら本記事を作成した)


(いつもの不死熊橋。沢コースは左上に行く)


 林道を歩いて不死熊橋。その手前にコース看板が置かれ、見ると「根本沢ルートは急峻で…危険。…自己責任で…」と記されている。そして隣には詳細な案内図。こちらは刷り出しで持参したものよりも詳しいが、角力場は敢えて記さなかったのか、スポットにはなっていない。いずれにしても、こんなものを見ると、その筋人ハイカーなら、危険であろうが中尾根ルートを予定変更して歩きたくなるのではないだろうか。
 橋を渡るとすぐに林道ゲートがあり、その手前左に「根本沢(上級者)→」という標識がある。「上級者」ならまだしも、これが「熟練者」だったら尻込みだ。この沢コースの入口、なぜか帰路でここを下って来ることになるとは何ともお笑いの後日談。

(こんな感じ。スパ長には最適な歩きができる)


(最初の整備された橋)


(二十丁石)


 スパ長のためか、登山靴なら慎重になりそうなところもサクサクと歩ける。まして、この時期だ。落ち葉の下は凍てついて滑る用心も必要だ。しばらく歩いて、その心配も今日に関してはスパ長を履いている限りは不要のようだ。そして、確かに目印も豊富で、かつてのように踏み跡頼みも必要なさそう。
 早々に沢徒渉。橋がかかっている。長靴だから橋を使う必要もないが、新しい橋のようで渡ってみる。滑ることもなく快適に歩ける。なぜかバケツがあったりして。これがもっと奥にあったら名物になるかも。すぐに二十丁の石を見る。案内図にない二十一丁と思ったが、よく見ると、「一」ではなくしっかりと「丁」の字になっている。
 ここで余計なことだが、1間≒1.82mとして、1丁=1町=60間≒182mとなるから、根本山神社本社まで20丁だとすれば、ここから3.64kmということになる。やけに短い感じのイメージにはなる。

(根本沢を見下ろすほどの高巻き)


 かつての標識と新しい標識が入り乱れて続く。スパ長で歩いている限りでは、こんなところ、沢通しに行けるのになと思っていても、道筋はかなりの高巻きになっていたりする。むしろ、その高巻き、ロープを敷設されていても恐く感じるところもあるが、ここは、律義に道筋を辿る。まして、この時期だし、水も少ない。多い時なら、沢通しで行けないかもしれない。
 ロープといえば、この大分先で、ロープを頼って岩トラバースをした際、固定されていると思って、頼りきって下りかけると、ロープがズレ動き、危うく岩から滑り落ちるところがあった。ロープが新しいと信頼しても、その辺は要注意だ。

(赤塗りの橋と石垣)


(こんな看板を目にするだけでも安心して歩ける)


 話が前後したが、先に赤いペンキ塗りの橋が見えた。ここは、橋よりも階段状の積み石に興味を覚え、階段を見ながら手前で沢を渉ったから、この橋は渡らなかった。この石積みは横に長いものだったが、針金が巻かれていたところからして、往時の遺物かどうかは怪しい。
 「根本山3.5km」の標識。これは従来の標識。紅葉後のかけらすらない。樹々の葉はもう落ち、沢の広い両岸ともに落ち葉が堆積している。その間を根本沢が流れている。これが、25年前に見て記憶のある風景だ。自分には懐かしくもあり、気持ちを新たにしても好きな光景だ。視界は広いから、動く黒い異物がいればすぐに大分先から用心もできる。そういえば、ここを初めて歩いた時にカモシカを見た記憶がある。

(簡単そうだが真下には行けなかった)


 左手に岩穴が見えた。何かありそう。もしかして石仏でも祀られているのかなと思い、岩に上がって覗き込もうとしたが、もう2歩の登りが無理。手がかりがなく滑りそうで退去したが、腕を伸ばして撮った写真を後で見る限りは中は黒く写り、ただの穴だったかもしれない。

(ここも高巻きだが恐怖感はない)


(十四丁石)


 明瞭な落ち葉の踏み跡を律義に沢を巻きながら歩いて行く。十四丁に出る。ヒラキデ沢の出合い。ここで瀑泉さんが撮られた周辺図を刷り出して持って来たことになる。ここは看板類の賑やかなところで、保安林やらコース標識もある。
 また橋を渡り、キツトヤ沢出合い。ここに十三丁石があったはずだが、写真では残っていなかったので見忘れていたのだろう。改めて不死熊橋手前に置かれていた案内図を見ると、十三丁石は「キツトヤ沢出合を過ぎた大岩の下」とあった。自分が持参した「周辺地図」よりも、こちらの方が解説付きでやはり詳しい。

(別に橋を渡る必要もないが)


(不可解な石積み)


(シオジ橋)


(十丁石)


(続いて九丁石)


 また橋。手書きの標識には「シオジはし」とある。左岸に渡ると苔むした石積みのようなものがあって、この辺は「シオジの森」と呼ばれているようだが、森というよりも岩壁沿いになっていて、この先で十丁石を確認。十一、十二丁石は流されたのだろうか。九丁石を見て、根本山2.5kmの標識。
 こういう見通しの良い沢沿いの風景が続くのもいいが、次第に飽きてもくる。ずっとなだらかな沢沿いの歩きだ。変化も欲しくなる。丁石もさることながら、もっと別の石造物を見たいもの。そういえば、後続のオニイサンは出発以来見ていないが、中尾根歩きだったのだろうか。こちらはゆっくり歩いている。振り返っても姿は見えない。

(実は次第に飽きてきている)


(六丁石)


(「魚止めの滝」か?)


 大割沢を通過。そろそろ沢コースの後半部にさしかかっている。六丁石。先で沢が左から入り込む。小割沢。本流には小滝が流れている。せめて、これくらいの風景の変化は欲しい。実はこれが「魚止め滝」のようだ。ここは橋を右岸に渡って高巻く。この滝の手前に五丁石があったらしくまた見逃している。

(振り返って。ここで、ロープのたわみで危うく沢に滑り落ちそうになった)


 ここの巻きは縦横にロープが張られていて、先ほど触れたが、ここで滑り落ちそうになった。むしろ、水量が少ない時は沢伝いの方がスパ長履きでは安全といえるかも。

(キノコ型の置物)


(そして円柱ポール)


(最初の石祠)


 ようやく、ここで石造物が現れた。コケに覆われたキノコ型の積み石。触りはしなかったからしかとはわからないが、積み重ねではないかもしれない。周辺地図にも、入口案内板にも、この石のことは触れていない。流されたかもしれない丁石代わりに置いたものだろうか。こういうところに来ると、ちょっとコケむした物でも遺物に見えてくる。
 この先には円柱状の石。岩の上に乗ってあるから、これもまた何かだろう。さっきのキノコ型と共に、案内図板には記されていない。ここには平たい石がある。ふと石祠が2基あるのに気づいた。ようやくお出ましか。案内図には「文政七年に寄進」とあったが、「文化」の間違いだろう。文「政」には読めない。柱も残っているから、石祠であっても神社だろう。ここで休憩し、菓子パンを食べて一服つける。

(二丁石)


(沢が合流する)


(平らな石と、意味ありげな石塔)


(岩の上の石塔)


 沢の空間が狭くなって二丁石。ここに木根畑沢が流れ込むが、水はチョロチョロだ。周辺地図には二丁石の先の一丁石はなく、次のスポットは「籠堂跡」となっている。これらの丁石は足尾の庚申山のように、個人の寄進のようだ。二丁には「桐生四丁目なにがし」の名前が彫られている。
 石段のような平らな石が出てきて石塔が現れる。彫られた字は消えている。そして岩の上にも石塔。雰囲気の変化が大分忙しくなってきた。これには「奉献根本山神宮 大天狗 小天狗」とあり、頭はなぜか窪みになっている。
 沢は石ゴロになりかけたが、ここにも低い巻き道が通っている。コンクリのような石柱があったりするが、これが古い物ではないだろう。

(石段があって)


(また石塔)


(この上に何かが乗っていたのだろう)


 十八段の石段を昇るとしっかり残った石塔。この辺が籠堂跡のようだ。石塔の側面には梵字とは違う篆書のような三文字が刻まれている。何と読むのか。なぜか錆びた鍬が立てかけられていたりしている。そして、これも石塔が載せられていたらしい台座だけが残っている。

(籠堂跡。横になった鉄梯子が見えている)


 籠堂跡にはいろんなものが配置されている。石塔以外にも石積みの跡、石灯篭らしきもの。そして男坂にあった天保十二年製の鉄梯子。これは昨年の8月に登山道整備の際に掘り出されたものらしい。置かれた案内板にそう記されている。
 そんなものを時間をかけて見ていると、オニイサンが上がって来た。やはり、こちらのコースを選んでいたか。先に行く。向こうも、ここで先行者がいたのに気づいたのではないか。

(男坂と女坂の分岐。まずは右の男坂に入ってみる)


(これが「不動の滝」か)


(しかと写っていないが不動明王像)


 男坂と女坂の分岐に差しかかる。コース標識は左の女坂を誘っているが、男坂には不動明王が置かれているらしく、先ずはそれを見に行く。「不動の滝 不動明王石像 →」の標識がある。
 不動の滝とはいっても水は浸み出ている程度のもので、滝のある気配はない。不動明王像は洞窟のようなところにあるのだが、そこに至るまでが足場は悪く、ロープが張られている。像を拝見する。ここは水量のある時は滝の中ということなのだろうか。

(さらに少し行くと石祠)


 ここで、普通は引き返すようだが、ちょっと上の様子を見に行くと、ここを登って行くのはしんどそうだなと思いながらも、新しいロープが張られていたりしているから、男坂を登り上げるのは無理でもないのだろう。見上げると、石祠のようなものが見えた。近づく。神社のようだ。この神社、案内図には出ていない。もしかすれば、男坂から角力場に行き着くルートがあるのかもしれない。

 結果的には、想定としてこのまま登って行けばよかったが、引き返して女坂に入る。さて、ここで記した「女坂」だが、同じ桐生の吾妻山のように女坂、男坂がコースとして分かれているわけではない。標識は基本的に女坂一通で、男坂不動明王像のあるコースから先に標識はなく、分岐に戻って左に向かうようになっている。さっき見た鉄梯子の説明板には「主参拝路は男坂(表坂)」に対し、「今も使われている女坂(裏坂)」という形で記されているから、表坂は険しいので、巻きの裏坂を使うようになり、今に至っていると解釈できる。男坂に果たしてどんな石造物があるのか予想もできないが、戻って女坂を歩いたところでは、石造物もあったし、江戸期の頃から女坂がメインで使われていたことが想像はできる。

(女坂の鉄梯子)


(石塔が続く)


 先ずは鉄梯子。この梯子も天保期の物のようだが、今なお現役で使われているとは、当時の鋳造技術もすごかったのだろう。とはいえ、全面的に信頼して使うにはためらいもあり、かなり神経を使いながら登る。こんな古い鉄梯子、どこかにもあったが忘れた。
 滑りそうな岩場(とはいっても傾斜は緩い)をロープ伝いに登って行くと、また石塔。案内図の解説によると、田沼講中から寄進された、根本山の最大の石塔だそうだ。頭には何か知らないが、鉄の四角いのが載っている。これにも大天狗と小天狗の文字が彫られ、飛駒の地名も彫られている。

(烏天狗像かと思ってしまった)


(そして根本山神社が右上に見える)


 その上には首欠けの地蔵。これ、安政年間の薬師如来像だそうだ。右手に杖だか錫杖、左手には丸い物を持っている。これが薬壺(というらしい薬箱)だとすれば、確かに薬師如来だろうな。こちら、その時はただの地蔵さんとばかりに思っていた。
 右手にようやく神社らしきものが見えてきた。この風景だけは記憶がある。あるいは、ハイトスさん記事で見たことがあるから頭に残っているのか。

 長々と記したのでこれからはあっさりと。それでいて失敗談はいつものように続く。

(クサリ場がでてきて)


(鐘楼堂)


(根本山神社本社)


(本殿)


(鐘楼堂の足場)


 日陰のためか霜柱が残る岩場の斜面にはクサリが垂れている。これも年代物か。ここは別にクサリを使わずともに登れる。目の前には鐘楼、奥には神社。これが根本山神社の本社らしい。危なげな板床を渡って本殿まで覗きに行ったが、ここは分岐したヤセ尾根の上にあり、何とも落ち着かないところだ。鐘撞堂の足場にしても、いつ崩れてもおかしくない状態だ。鐘撞堂といえば、だれかのブログに、鐘を叩きたかったが叩くものがないのでやめたと記されていた。よく見れば、しっかり木槌があるじゃないか。戻って樹の根に腰かけて一服。谷を挟んで向こうに見えるのが地図上は破線になっている尾根の一角だろう。

(知らずに男沢に下りかける)


(男沢を覗く)


 さてと腰を上げる。実はこのまま正面の尾根続きに乗れば良いだけの話だったのだが、尾根を離れた右下に踏み跡があったので、これがルートと勘違いして下る。ましてロープもあった。下ると、あれっといった感じで、右下に踏み跡とロープが続いてはいるものの、谷間の下りになっていて、左上には踏み跡すらない。ここを下るのはまずかろう。ふと思った。男坂を登ればここに出るのかと。
 正解尾根を見上げるとさっきのオニイサンが登っている姿が見える。籠堂跡で長時間休憩をとっていたのだろうか。探索していたにしては神社にも寄らないのもまたおかしい。人様の歩きのことはどうでもいいが、元に戻るのも何だから、正解尾根に直登して攀じ登ることにした。

(こんなところを四つん這いで登って)


(正規ルートに復帰)


(獅子岩)


(獅子岩から。三角山と奥に日光白根山)


 足場が悪く、かなり手こずったが、何とか、クサリが置かれた尾根に這い上がった。余計なことをしてしまったものだ。戻れば良かっただけのことなのに。
 獅子岩通過。岩の上に登ってみると、穴の開いた箱型の石造物があった。ここから正面に三角形の山が見える。この山は瀑泉さんのブログによると三角山(1091m)だそうだが、後で地図を見ると、桐生とみどり市の境界線上にあるピークだ。おそらく、あの辺はまだ歩いたことがないと思う。ここから見る限り、そして地図を見る限りは、根本山直下で迷わない限りは行けそうな気もする。ネット情報では、クサリやロープが設えているようだ。

(急斜面を登りながら)


(日光連山を眺める)


(途中に根本山神社の奥社)


 急斜面の鎖場を登って行く。ちょっと緊張する。積極的には歩きたくないところだ。登りながら男体山や白くなった日光白根を眺める。
 根本山神社奥社が置かれていた。傍に丸みを帯びた石を載せた台座のようなものがある。石灯篭でも置かれていたのか。

(行者山)


(これを突破して角力場に向かう)


 さらに登って行者山に到着。小高い丘といったところだ。さて、ここからが本日のメイン目的となる歩きになる。角力場は地図上の破線路を一旦下ることになる。不確かなのは、ハイトスさん軌跡では破線路から北東方向に分岐しているポイントだ。地形図では、何となく尾根になっている感じのところに向かうらしい。その分岐がわかればいいが。
 角力場の方向にはロープが張られ、通行止めになっている。間違って直進してしまう人もいたのだろう。本ルートはここで南向きから東に方向転換している。

(写りは悪いが明瞭な尾根筋)


(踏み跡もある)


(途中で。袈裟丸方面。右に三角山)


(次第に急な下りになり)


(ここで尾根が分かれる。この写真ではわからないが、左の直進尾根、間の谷間、右の小尾根となっている。実は写真がすべてピンボケでこれしか載せられなかった)


 明瞭な尾根は地図破線に合わせて西から北に向かう。部分的に荒れて細いところもあるが、概ね危うげなく歩いて行ける。踏み跡もあるし、ピンクテープもある。下り基調で部分的に登って下ると、次第に急になってきた。そろそろ破線路が尾根から外れて沢型に向かうあたりに着いた。ここにもピンクテープがある。
 尾根が二分していた。直進は明らかに北に向かって根本沢に出るだろう。そして右の尾根はどこに出るんだろう。男坂に向かっている感じもする。そして、その間の窪みが、おそらくは破線路の続きだろう。ここで悩んだ。ハイトスさんの軌跡を地図にマーカーを入れてきたが、拡大されたルート図でもないため、こんな感じだろうと書き込んだマーカーだった。ちょっとだけ破線路に入り込むのか、右尾根をそのまま下るのかまったくわからない。テープはこの先には目に入らない。そもそも何のためのテープなのかも不明なのに追うわけにもいくまい。それとも、もう少し直進尾根を下ってから方向転換するのか
 折衷案で、間の沢型を降りてみようか。というのも、直進尾根も右尾根もこの先がおそろしく急になっていたためだ。少し下ると、その先も見えてくる。ここも先がかなりヤバそうだ。むしろ、樹のある右尾根を下った方が無難のようだが、見た目、樹々は痩せている。登るには問題なかろう。四つん這いになるだけのことだ。あれを下るとなると、自分にはロープが必要だ。地形図を見る限りはそんなに急斜面とも思っていなかったので、お助けロープ10mしか持参していない。やめるか。オレには無理だな。あっさりと行者山に戻ることにした。

(行者山の南西尾根)


 途中、ハイトスさんが下った南西尾根も観察したが、ここもまた、自分には対象外の感があった。急斜面じゃないか。ここも無謀だな。しかし、ハイトスさんはすごいね。たいした方だ。真似できませんわ。

(根本山方面に向かう)


(中尾根十字路)


 今日は角力場が目的で来たから、当初から根本山に寄り道するつもりはなく、中尾根から下るつもりでいた。行者山の下りには太いクサリ場になっている。つかめば手袋が茶色になりそうだ。道は明瞭になり、左手から道が合流する。そして中尾根十字路に着いた。
 あ~ぁとため息をつきながら一服し、おにぎりでも食べて下るかと、石に腰かけると、考えてみれば何とも不自然。こんなところで食事をしているスタイルはちょっとおかしいんじゃないのか。

(結局、根本山に登ることになった)


(石祠)


(根本山山頂)


 仕方なく根本山に登って、山頂でランチにするか。もう紅葉の跡形もなくなり、樹々の葉はほとんど落ちている。胴体のなくなった石祠を見ていると、ネエチャンが下って来た。山頂には例のオニイサンがいるかもな。
 山頂にはだれもいなかった。風もなく、食事を済ませ、リンゴを食べながらぼんやりと陽だまりの中でくつろいだ。銃声が立て続けに2発聞こえた。勢田東方面からだった。それっきり。

(中尾根で帰路に就く)


(久しぶりの中尾根は、これまでのイメージと違っていた。葉が落ちたからだろうか)


(また石祠)


 下る。中尾根はヒノキの植林の中の下りが続くといったイメージがあったが、意外に開けていて雰囲気も良い。自分の記憶もあてにならないものだ。右手に行者山からの南西尾根が見えた。こうして見るとなだらかな尾根だけどなぁ。急なのは取り付きだけだったのかもね。

(植林に入り)


(林道に出る)


 オッサンを追い越し、石祠。じっくり観察したかったが、オッサンの姿が見えて来たので先を急ぐ。植林に入り、林道に出た。
 ここで錯覚をしていた。標識が置かれ、この写真もまたしっかりと撮っているのに、右に行ってしまった。標識には左「登山口 石鴨林道 不死熊橋」、右「根本沢コース」とあったのにだ。右に行くのは石鴨林道に出てからのこと。これも先入観。もっとも、左から女性が歩いて来たので、こちらもまたてっきり熊鷹山からの帰りだろう程度に思っていた。

(この標識できょとんとなっている)


(林道終点)


 林道が上りになっていておかしいと思ったが、そのまま行った。振り返ると、すでに女性の姿は見えない。それでいて間違っていることに気づいてもいない。「注意 この下登山道有」の標識。何だかわけがわからなくなってきた。そうしているうちに林道は終点になり、ここで初めて林道を左に下るべきところを右に上がってしまったことを知った。標識はないが、左に下る踏み跡とテープが見え、まぁいいかとここを下ることにする。それでいながら、沢コースに戻るとはまだ思わずに、いずれ不死熊橋に出る別ルートがあるんだなと思ったりもしている。こうなるとお目出たい。

(何だかよくわからずのままに沢に向かって下っている)


(何ということはなく二十丁石の橋に出てしまった)


(再び同じところを歩いて)


(不死熊橋)


 沢がどんどん近づいてくる。そのうちに左から踏み跡も下ってくる。おそらくさっきの「この下登山道」の道だろう。結果的に河原に出、橋を渡ると二十丁の標石があった。何ということはない。遠回りして下ることになっただけのこと。ここでようやく自分のやった事態を理解した。朝歩いた踏み跡を逆に辿って行くと、朝には気づかなかった「中尾根コース→」の標識を見て不死熊橋に出た。

(歩きながら、何でこうなったんだろうなんて思っている)


(帰着)


 橋の先には車が1台。埼玉県ナンバーの車だ。駐車地に戻ると他に車が2台。自分より早々に置かれていた車とオニイサンの車はすでにない。他の2台のうち1台は追い抜いたオッサンのだろうなと思い、帰り支度をしていたら、不死熊橋に置いてあった車が下って来た。何と、運転はそのオッサンで、助手席には林道で見かけた女性が座っていた。つまり、女性がさっさと下り、なかなかオッサンが下りて来ないので登山口に様子を見に戻ったという構図だったのだろう。この女性を見なかったら、遠回りの下りにもならなかったのかもしれない。
 帰りの車道、細いところもあって神経を使ったが、対向車はおろか、ハンターの車ももうなかった。早じまいしたのだろう。改めて角力場に行くことはないだろうが、今度行くのなら、男坂を登り上げてみたいなと思った。
※今回は記事のアップが遅れてしまっが、9日にハイトスさんが男坂経由で角力場に向かわれた記事が載っていた。やはり、同じようなことを考えてしまうようだ(そのレポは⇒これ)。これは後でじっくりと拝見することにしよう。

(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

飽きもせずに根本沢。男坂から角力場に向かってみたのだが…。

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◎2017年12月17日(日)

駐車場(8:03)……籠堂跡(9:43~9:53)……角力場尾根(10:25)……行者山西ピーク(10:52~11:02)……根本沢(11:36)……沢コース合流(11:43)……二十丁(11:55~12:01)……不死熊橋(12:07)……駐車場(12:11)

 3日に根本山に行った際、行者山から角力場に下ろうとしてあまりの急さにたじろぎ、さっさと退散してしまったが(もっともどこに「角力場」があるかは自分でも判然とはしていなかった)、実のところ諦めきれずにいて、下るのではなく登る分には問題なかろうと、いずれ下から歩くつもりでいた。おそらく取り付きは男坂がベースになるだろう。
 その男坂だが、難易度は高いと思っていた。先日、根本山神社から誤って男坂上部に下ると、見下ろす男坂は半端ではない傾斜に見えた。きっと無理だろうなとこれもまた諦め半分の気分。そんな折り、ハイトスさんご一行が9日に男坂をあっさりと登られた記事を拝見した。こんなことを記しては失礼だが、ハイトスさんならともかく、おK3さんまで登らるのなら、オレでも行けんじゃないのか。
 かくして、今回の目的はハイトスさんとは中身が違うが、同様に三つにした。①男坂から角力場に登り上がる。 ②ハイトスさんが残した川講中だったかの石柱の目印を見つけ、その石柱を探してみる。 ③行者山南西尾根を下ってみる。 以上。根本山と神社、女坂は今回は用なしとする。

 ハイトスさんブログの画像では根本沢もうっすらと雪がついていた。ああいう風景になっていたら嫌だなと思いながら準備をする。今日もまたスパ長だ。話は前後するが、今日もハンターらしき車が2台、前回と同じところに置かれていた。ただ、今日は最後まで銃声を聞くことはなかった。昨日はどうだったのだろう。
 駐車場には車が他に2台。うち1台から2人連れが出発し、遅れてこちらも出発。なぜか2人はすぐに戻って来た。挨拶はしたが、あるいは用心して軽アイゼンでも取りに行ったのか。今のところ、一時的な雪も消えたのか、白い物は見えていない。

 以降の歩き、籠堂跡までは2週間前とまったく同じ歩きなので、敢えてたいした写真も掲載しないし、歩きを改めて記しても意味がないだろう。前回見逃した十三丁石と五丁石も確認した。ただ、今回の目的の一つでもあったハイトスさんの川講中の木組みの目印だが、これをコース途上で目にすることはなかった。残念ながら、強風で離ればなれに飛ばされてしまったようだ。せっかくの楽しみが一つ消えた。
 今日は雪もずっと降ったりやんだりしていたが、雪が残っているところは角力場尾根(勝手にそう名付けさせていただいたが)だけだった。

(雪がちらついている)


(前回見逃した十三丁石)


(沢には氷柱があちこちにあった)


(これも見逃していた五丁石。十三丁石とともに、特別なところにあったわけでもなかった)


(魚止めの滝)


(2週間の間に随分と落ち葉が堆積していて、膝下まであった)


(前回、これは階段のステップかと思っていたが、倒れた石塔と思えなくもない。現に、もはや読み取れない文字の窪みがあったりする)


(籠堂跡)


 ということで、籠堂跡に到着。実は、男坂に入り込む以前に角力場尾根に取り付いた方がいいのではと周囲を物色しながら登って行ったのだが、確かに、ここなら何とかと思うところもあった。しかし、男坂を登ってみたいという思いも強く、この時点では、男坂の途中から角力場尾根に向かうことにしている。結果として、次に角力場に行く機会があったとしたら、おそらく手前から登るだろう。まして、その方が無難かとも思う。

(男女坂の分岐。今日は右の男坂をさらに上まで)


(やはりここも凍結している)


(不動様。今回はご尊顔を少しはクリアに撮れた)


(固定ロープは続いている。これを頼りに登る限りは問題なく登って行ける。上から見て)


(ブレブレの写真だが前回撮ったもの。石祠を境に左右に窪みがある。左が男坂。先ずは右窪みの右斜面を登ってみたのだが)


(石祠。2週間前はここで引き返して女坂を登っている)


 籠堂跡を少し登ると大きな岩尾根をまたいで左右に水無し沢が分岐。左は女坂。そちらは目もくれずに右の男坂に向かう。左岸側の斜面は凍りついている。試しにスパ長のスパイクをあててみると、どうも滑り止めには頼りない。用心してかかるしかない。
 不動様に手を合わせて上に行く。そして石祠。ここまでは先日確認したことだし、ロープもしっかりとあった。この石祠をはさんで、沢型はまた二分する。本来の男坂がどちらかは知らないが、左を覗き込むと、ロープが続いているから、今の男坂は左側なのだろう。どちらにしても、見える視界全体が露骨な岩場になっている。

(男坂の先。まだロープはある。結局はここを歩くことになるが、この時点では覗いただけのつもりでいた)


(ここを攀じ登る。写真ではたいしたこともないが、実際は手ごたえがあり過ぎた)


 今日も角力場見物が目的だから、ここは右。すぐに沢型は消えた。この右側斜面をとにかく登ってみよう。無難そうなところから取り付いた。かなり厳しい。しっかりした手がかりと足場がない。5mほど登ったところで断念。手にかける岩がポロポロと割れてしまうし、上は急斜面がずっと待ち受けている。自分の技術では無理だ。
 しかし、たかが5mとはいえ、下るのが恐かった。足元が不安定で、全体重をかけられない。よほど、一か八かこのまま腹ばい45度でずり落ちようかとまで思ったほどだ。何とか這う這うの体で石祠に戻っ時は、とりあえずは助かったといった心持ちだった。

(結局、男坂に復帰して登る)


(これがハイトスさんの言う「滝」だろうか)


(左手に神社が見える。今いる場所を挟んで対岸尾根に角力場があるはずなのだが)


 仕方ない。ロープのある男坂を登るしかあるまい。ロープを頼りに登って行くと、すぐ上に見覚えのある風景が見えた。先日、見下ろしたところだ。男坂は意外にあっけないなと思いながらも、このまま男坂を登ってしまったのでは角力場からどんどん離れてしまう。
 ふと、右手にナメっぽい滝状の沢型が出てきた。ハイトスさんからいただいたコメントにあったなぁ。「右側に迂回するように滝を登れば角力場への尾根に突端にいけそうだった」って。このことか。そこを少し登ると、左上に根本山神社が見えてくる。テープも見えているから、男坂からはあまり離れていない。

(ここの登りはさほどでもないが、ただの登山靴では滑るだろう)


(角力場尾根が見えた。あそこの台地がてっきり角力場とばかりに思ってしまった)


 沢状の路地を登って行くと、右手に尾根らしきものが見える。もしかしてあれが角力場尾根? GPSを見ると、神社から大分南側に出ている。ハイトスさんの軌跡図では、角力場は神社の真西だった。ということは、尾根に乗り上げても大分また北に下って行かないといけないようだ。まぁ、ここまで来てしまったら、目の前の壁を越えて尾根に登るしかあるまい。
 さっきの5m岩場よりはやさしい登りだが、別の厳しさがある。急斜面であることは相変わらずで、岩場でないだけでもまし。手がかり、足がかりはあっても、樹の間隔は広く、手も頼れない腐った樹も多い。こんなところにもシカフンがあったりで、なぜか安心したりもするし、気を落ち着ける場もいくつかある。さっきの岩場に比べれば極楽だ。

(目指した台地はこうなっていた)


 小ピークを目指して登り上げる。実は、その小ピークが角力場と思って登っている。登り切って角力場尾根に出ると、石祠のガレキらしいものはなかった。あるのはゴロゴロした岩。やはりさらに下か。あと標高50m下りといったところだろうか。

(ちょっと下ってみる。かなり急だが、まだ樹を頼りに下れる)


(先はこうなっていて、ヤセた尾根センターに樹はない。さらに激斜面で頼りない樹が続く。引き返す)


 落ち着いたところで尾根を下ってみる。先日の見た目の予想どおり、やはりヤセの急斜面が続いている。そしてすぐに先がすとーんとなった。尾根上は岩場ではなく道型っぽくなってはいるが、ここも樹の間隔が広く、樹につかまりながらの下りは抱きつきをやってもかなりきつい。まして、地面は凍っている。下手すれば左右いずれかに転落する。それでいて、冷静になって見分する限りは下からの登りだったら四つん這いで何とか登れるだろう。問題は目先の下りだ。今日は20mロープも用意して来ていたが、そこまでしてガレキ跡を見に行く価値があるのか疑問になってきた。しばし見下ろしながら思案した。危険を理由にヤメにするか。つまり、自分には無理という結論。

(袈裟丸は隠れている)


(角力場尾根を登る)


(かなり荒れたところもある。全体として角力場尾根は悪相の尾根だ)


(分岐が見えて来た)


(右が角力場尾根)


(今季初の雪を見る)


(行者山西側ピーク)


 断念して急なヤセ尾根を登って行くと、右手に尾根、下には沢地形が見えてくる。先日、いずれを下るかで迷ったところだ。そして、分岐に到着。まぁ、いいか。死ななかっただけでも幸いだ。いずれ、下から改めて、なんて気が起きなければいいが。そんなことをするよりも、根本沢を沢通しに歩いてみる方が、地味沢歩きで自己満足に浸れる気がしないでもない。
 行者山の西側ピークに到着。南西に下る尾根をよく観察すると、先日の南西尾根と見当つけた尾根は違う尾根だった。あれは北西尾根だった。あれをよくハイトスさんは下ったものだと恐れ入った次第だが、正解の南西尾根は見るからになだらか。ここでちょっと休憩。

(南西尾根を下る)


(こんな景色が続く)


(この辺はなかなか良い雰囲気でお薦めルート)


 単調と言えばそれまでだが、広い尾根で、さりとて尾根型は明瞭。倒木はあるが、のんびりと気分良く歩ける。目印の類は皆無。たまに大型動物の新しい足跡が残っていたりする。みー猫さんがこの尾根に興味を持たれたようだが、この時点では確かにお薦めしたい尾根だ。

(植林がちょっと入り込む)


(そして次第に急になり、先の見通しが悪くなってくる)


(早々に右に逃げる)


 左が植林のようで、その境目を歩くようになると、標高800m付近で一時的に植林に入り込むが、すぐに抜け、今度は針広樹が混在するようになる。しかし、全体としては明るい中の下りだ。
 安心しきって下っていたら、次第に急になってきた。沢が近づいている証拠だ。このまま下って行くのは危ないような傾斜になり、尾根から外れ、右手の斜面に逃げることにした。右手を選んだのは、ジグザグにシカ道らしいのが見えたことと、その斜面が広かったからで、左手斜面の様子は知らないが、後で思うと、そちらに逃げるか、しばらく下った方が良かったかもしれない。

(根本沢が見えてくる)


(そして根本沢)


 いつしかシカ道は消え、歩きやすいところを下って行く。根本沢はもう真下に見えている。だが、こことて急で、スパ長だったから滑らずに済んだが、登山靴ならチェーンスパイクくらいは必要だろう。

(南西尾根突端の左はこうなっていて、ここなら楽に下れたかも)


(そして、尾根の突端部。ここからではまず無理)


 沢に出て、しばらくは沢を下る。長靴だから、水に浸かっても問題はなく、歩きやすいところを選びながら歩く。そのうちに、南西尾根の突端が現れる。やはり、岩場がストーンと落ち込んでいるが、その左側はゆるやかな斜面になっているから、むしろ、我慢して尾根を下り、右手に逃げる手は使えそうだ。ハイトスさんは左手・南側のカヤデ沢の方に下ったようだ。

(沢コースに復帰)


(ここで一休み)


(今日も前回もまったくゲートを越える歩きをしていない)


 沢コースに復帰する。そのまま沢を下るかと、コースを無視して下ってみたが、左岸側30mほど上にコースが見え、このまま沢を下るとヤバいことになるんじゃないのかと、あっさりとコースに戻ってしまった。
 二十丁で休憩を入れる。また雪が落ちてきた。陽も隠れ、次第に冷え込んできた。腰を上げて不死熊橋に降りる。ここ2回続けて根本山周辺を歩いたが、ゲート先の石鴨林道を歩いていない。こんな歩きも珍しいか。

(帰着。うまく写ってはいないが雪が結構降っている)


 駐車場には他に3台。とはいっても、1台が消え、2台追加といったところだ。4時間歩き。あっさりとしたものだが、恐い思いは何度もした。
 梅田の居住地区に入ると雪もやんだが、山の方は雪も続いているのだろう。南西尾根から見えるはずの袈裟丸も雲にすっぽりと隠れていた。手持ち無沙汰を紛らわすため、里に出るまでの間に目に入った石仏やら石碑の写真を撮りまくりながら帰路に就いた。5か所くらいあったか。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

(付録1)


(付録2)


(付録3。ここは古道伝いの車道のようだ。意外に珍しい)

梅田の四山を周回。えらく地味な尾根歩きだった。

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◎2017年12月24日(日)

駐車地(9:13)……護国神社跡(9:23)……二渡山(9:41)……作網山(10:27)……伐採地上休憩(10:51~10:58)……地図上の破線路合流(11:02)……車道(11:25)……尾根取り付き(11:37)……筬沢山(12:19~12:27)……栗生山(13:10~13:18)……忠霊塔(13:35)……車道(13:38)……駐車地(13:45)

 暮れだからといって忙しいわけでもなく、さりとて時間を持て余しているわけでもない。ただ、ここのところ、山歩きに対して熱心になれない気分が続いているのは確かなことで、どこそこに行きたいといった積極的な気持ちがまったく湧いてこない。それでいて、唯一の運動といったところだし、できるだけ歩くことだけは続けたい。結局は、人様が4~5時間かけて歩いたところをそのまま歩いた方が何も考えずに無難という結論になってしまう。
 日曜日は、これもまたここのところ続いているハイトスさんの後追いだが、5年前記事『蕪丁唐松集落跡』を参考に石仏群を見に行くつもりでいたが、朝起きるとどんよりとした天気になっている。雨の心配はないようだが、こんな中で石仏を見ていたら、気が重くなりそうだ。場所を変えよう。
 去年の5月に梅田の護国神社に石仏探しに行った際(その時の記事はここの【番外編】にある)、神社裏手から先の尾根が気になっていたのだが、あにねこさんの記事によれば、二渡山とか作網山といった名前が付いた山があるようだ。あの尾根を歩いてみようか。あにねこさんと違って、こちらは単独歩きだし、先に車のデポもできない。今回は様子見で良い。碁場小路と市畑という地名を結ぶ破線路あたりから西側の車道に出ることにするか。地図を見ているだけでもかなりマイナーっぽいルートだが、感じが良かったら、いずれその先の歩きを繋いでみたいとも思っている。

(梅田の護国神社)


(鳥居脇の石仏)


(長い石段)


(社殿が消えていた)


 護国神社先の広い路肩に車を置いて出発。特別な意図もなく、今日もスパ長にした。鳥居の脇に石仏と庚申塔、そして石碑の欠片が散乱する。今日は横道に逸れて薬師三尊を見に行ったりはせず、そのまま長い石段を登る。
 驚いた。狛犬の間に見えるはずの神社が焼け落ちていて、後ろの石祠群が剥き出しに並んでいた。社殿の焼け焦げた木の土台はそのままになっている。幸いにも石祠や周囲の樹に焦げ痕は見られず、延焼はなかったようだが、何でまたこうなったのか。何となく記憶がある。新聞の群馬版記事で、梅田の神社が火事に遭ったことを知り、あの護国神社かと瞬間思ったことをかすかに覚えている。帰ってから改めて調べると、放火による全焼。今年の6月13日だ。再建話もあるようだが、その後はどうなったのか。火事場の跡片付けもされていない。出征兵士の武運長久を祈るお札があちこちに貼られていたことを覚えているが、放火犯の一人が陸自の兵士らしい。護国神社の創建意図からしても何とも皮肉な話だ。

(後ろの石祠群。少しは煤けているか)


(焼け跡は放置されている。火災から半年経っている)


(ここから尾根に上がる)


(「初日の出~」のサイン)


 後ろの尾根に入ると、また石祠が一基。これは黒くなっているから煙をかぶったのだろう。それでいて、囲んでいる樹は何ともない。ちょっと先に行くと、「初日の出7時35分」と記された木製、プラ製の札を見かけた。字体が違うし、それぞれ別人だろうが、ここは尾根の斜面だ。見える初日の出は樹々の枝に隠れ、ここまで来て見るには「?」といった感じがする。いずれにせよ、護国神社がああなったのでは、今度の正月は、初詣がてらの初日の出というわけにはいくまい。

(梅田の街並みを眺めながら。ここから初日の出?)


(共同アンテナ)


(そして、関東平野に抜けている)


 右下には梅田の街並みと桐生川左岸側の山並みが見える。あるいは菱の山か。仙人ヶ岳も視界のうちだろうが、自分には特定もできず、ただ眺めて歩いているだけだ。
 現役らしい共同アンテナのある小ピークからは、今度は桐生の街並みが見えている。あそこから関東平野が抜けているというわけだ。その先に立ちはだかっているのは、電波塔らしきものが見えるところからして八王子丘陵だろう。これから見えるのは狭い一角だ。金山なんか見えやしない。

(二渡山山頂)


 倒木がごちゃごちゃしたところを過ぎて小ピーク。地図上は340mラインだが、標高点や三角点があるわけでもないただの雑木の丘。ここが「二渡山(ふたわたり山)」らしい。赤テープが樹に巻かれているだけで、他に山名板も何もない。こんなピークに山名を付けた理由を知りたいところだ。何かがあるから二渡山としたのだろう。何もなかったら、わざわざ名前なんか付けはしまい。

(基本はこんな感じの尾根が続く)


(ここは右手に行かねばならないところを直進してミス)


(この辺は踏み跡があるが、防火線になっているような感じもする)


 なだらかで起伏のある尾根が続く。気持ちの良い尾根といったところではないが、地形図通りに歩ける。ここは迷わなくて良いなと思っているところでミスをした。小ピークで南から北東に方向転換するところを、そのままの流れで北西に下ってしまった。随分と下るものだなと不審になり、GPSを見て気づいた。
 左右どもに植林、尾根上のみ空間といったところをしばらく進む。違和感があって足元を見ると、左右ともに長靴のゴムが裂けていた。今のところ小さく、歩行に支障はないが、いずれ亀裂は広がるだろう。この長靴、10年以上も履いている。今回の使用限りで引退だな。

(作網山)


(三角点)


(展望地から)


 そろそろ、作網山(さかみ山)に迂回するあたりだ。わざわざ正面ピークを経ずとも、迂回トラバースの道が付いている。これを行くと、すぐに三角点のある作網山に着いた。このピークにもまた山名板はない。ネット記事には「網」ではなく「綱」となっているのがあったが、ここは作網山が正しいだろう。ここもまた意味のある山名なのだろうが…。
 予定では、これで終了し、あとは北側の破線路下りということになるのだが、それではあまりにもあっけない。少しは時間つぶしも出来るかなと思っていたがそうでもなかったか。地図を見ると、車道を挟んだ西側に三角点ピークが2つある。ともに尾根伝いに続いているようだ。車道から登り返しになるが、せいぜい200mもあるまい。予定変更でこの先にくっつけることにするか。
 さて、作網山からの東側は展望地だった。とはいっても、見えるピーク、尾根はこちらと同様に地味な世界だ。双耳の山は高戸山か。この先、相変わらずアップダウンは続くが、至って歩きやすく、場所によっては踏み跡も明瞭で、間違えようのない歩きが続く。ところどころに展望スポットもある。

(植林帯を進んで行くと)


(伐採地に出た)


(石祠)


(伐採地から)


(同じく伐採地から)


(左側の双耳は高戸山だろう)


 伐採地に出た。東側の尾根沿いに下からシカ除けのフェンスが現れ、この尾根に続いている。フェンスの向こう側に石祠が一基。梅田の町を見下ろしている。晴れていれば気持ちの良いスポットだろうが、曇天で流れる風は冷たい。伐採地のピークで休憩し、おにぎりを食べる。今日は湯を持ってきてカップラーメンにでもしていれば良かった。

(左右に破線路の通る鞍部)


(適当に下るしかない)


 下るか。東側が伐採地のため、東西を通る破線がどれなのか特定できない。縦横に幅広の作業道が通っている。
 峠らしきところに出、左手・西側に下る破線路を探したが、明瞭なものは見あたらない。踏み跡はかなりある。地図を見る限りは、沢状のところをずっと下るようだし、下にはその沢型も見えている。明瞭な踏み跡はなくとも問題はないだろう。適当に下る。上部は意外と急になっていて、落ち葉がたまっていて、スパ長でもよく滑り、2回ほど尻もちをついたが、植林に入り込むと、傾斜は緩んだ。それでも落ち葉の堆積はヒザ下までくる。

(こうなったら踏み跡がなくとも明瞭に下れる)


(こんなところもある)


(チョロ滝)


(破線路の終点)


 間伐でちょっと荒れたところを通過すると、沢水が出てきた。崖状のところにはチョロ滝が流れている。
 先に人家が見えてきた。ここでスズを外す。このまま行くと、どうも人家のすぐ脇を通るようになりそうで、左にちょっとずれて下ると、すぐに車道に出た。ここに車が2台。南側から車が通れそうな林道跡のような道が合流する。

(高沢橋を逆から。あの家の脇に出た。手前の路肩スペースに見えるところが林道入口)


 高沢橋(こうざわはし)を渡ると、いきなり広場のようなところに出た。車道の一角だが、ここだけが広くなっている。ここで突っ立っていると、上の方から車が下って来て脇に止まった。窓を開け「この辺、何かありますか? ずっと上まで行っても何もなかったから」と聞かれる。こちらはこの辺のことはよく知らないが、相手は山目的ではないようなので、「何もありませんよ」と答えると、「やはりねぇ」と下って行った。

(林道に入る)


(こんな石像が。石仏なのだろうか。頭に平たい石を乗せるから余計に異様に見える)


 右手に林道が分岐する。分岐の奥まったところに、首欠けの石仏を見かけた。何なのかよくはわからなかったが、何となく不気味な像だ。胸に両手で何かを抱えている。それが赤子にも見えるし、ヘビにも見える。

(左に桐生市有地。正面から取り付くつもりでいたのだが)


(ここから取り付く)


 林道を行くと、左に林道が分岐。こちらは「市有地につき関係者以外立入禁止」とかなり厳しい警告が記されている。ここは分岐に入らず、すぐ先の尾根突端から登ることにする。スズを再び装着。

(尾根上から見下ろす。切り株の様子からして、ごく最近に伐採されたようだ)


(あの山の間を下ったわけだ)


 ヤブ尾根かと思ったら、脇に踏み跡が続き、そちらの方がヤブでもなく歩きやすい。登りながら、先ほどの市有地を眺める。分岐の林道かと思っていたが、盛土された台形状の区画になっていて、これから何かが始まるのか、施設を建てる予定なのか。だれもが思いつく太陽光パネルにしては、陽当たりは悪そうだから違うか。

(作業道が近づく)


(わりと急なところもある)


(なだらかになってからが長い)


(筬沢山の三角点)


 左からの尾根が合流すると、ちょっと急になる。ここはストックを出したが、一気に大汗をかいた。帽子を脱ぎ、手袋も外す。やがて、左から作業道が入り込み、尾根と並行したが、知らずのうちに離れて行った。
 ここが主尾根かと思っていたら、正面上に尾根が見え、あれが主尾根のようだ。地形図ではわかりづらい。主尾根に出ると緩やかになり、登るのも幾分楽になる。随分と遠いなと思ったところで三角点が見えた。これが「筬沢山(おさざわ山)」。山名は後で調べて知ったことだが、この筬沢山、作網山、二渡山と、何でこうもストレートには読めない漢字を当てるのだろうか。まして、「筬」なんて字を読める人はまれだろう。それほど命名に凝るまでのビークでもないのに。筬沢山には「堂平山」という別名もあるようだが、これには首も傾げたくなる。
 ちなみに、「筬」とは機織機械の部品らしく、糸の並びを整える役目をするようだ。確かに桐生っぽくもあるし、「作網」からもまた、そんなイメージが浮かぶ。

(落ちていた標高板を取り付ける)


 ここにトタン製の三角点標識があった。RKさんのかなと思ったが、署名もないし、別の方のだろう。落ちて裏返しになっていたので、残っている針金で樹に括り付けた。針金が足りず、この位置のままに持つかどうかは少し怪しいところだ。

(下り基調だが、登り返しも数か所)


(これが身体や顔にさわって歩きづらい)


 後は下りだけと思っていたが、細かい小ピークがあるし、紛らわしい尾根の分岐もある。都度にコンパスを合わせたから間違いはしなかった。
 途中、どでかい黒いシカが横切って行った。一頭だけ。あんな大きいのも珍しい。今日はハンターも入っているらしく、こちらにはいないが、菱の方から散発的に銃声が聞こえている。
 松の幼木のようなものが生える一帯を通過。この辺は歩きづらく、どうしても倒木やらヤブの枝の障害物は避けられない。

(随分と下って)


(栗生山)


 どんどん下ると、里の風景も間近になってくる。バイクの音も聞こえる。そして栗生山(くりゅう山)に到着。ここもまた特徴のないピークで、三角点とその標識以外のものはない。トタン板の標識がないか探すが、ここには見あたらない。

(里も近くなる)


(放置されたアンテナ)


(ここもまた滑る)


 下る。ここからは南東に破線路下りになるが、尾根型も道型も不明瞭。塔のようなマークを目指して下ればいいし、距離もさほどでもなく里は見えているから、おかしな方向に行くことはあるまい。ここもまた枝ヤブになっていて、落ち葉で滑りやすい。ヤブの薄いところを下って見上げると、やはり、これが正式なルートなのか、ぽかりと空間ができていた。

(フェンスをくぐって外に出る)


(三基の石祠)


(鳴神山に続く尾根)


 目の前に木組みのフェンスが現れた。この先はフェンス沿いに行くのか悩んだが、フェンスの先に石祠が並んでいるのが見え、そちらだろうとフェンスをくぐって外に出る。フェンス沿いの方向には踏み跡がついていた。
 石祠が三基あった。文字は見えず、いつ頃のものなのか。そういえば、伐採地で見た石祠や林道入り口に置かれていた石仏(?)にも文字らしきものは確認できなかった。ここでようやく陽が出てきた。ここは開けていて、自分でも特定できる吾妻山から鳴神山に続く稜線が見える。正面に見えるのは大形山だろう。

(またフェンスがあって、左に石造物が見える)


 そろそろ里に出る。スズを外し、ストックも収納。そのまま下って行くと、左下に石造物が見えた。だが、目の前がまた木組みのフェンスで、周囲はヤブ。おそらく、さっき見かけたフェンスの延長だろうか。右手の延長に道が続いているが、これを行ってしまえば、石造物の正体がわからない。ヤブをこいでフェンスから抜け出す。

(忠霊塔)


(中には何があるのか)


(以前は神社があったのかなぁ)


 「忠霊塔」とあった。こんなのが水道山にもあったような気がする。案内板も何もない。裏に回ると「陸軍大臣東條英機謹書」とある。ということは、日中戦争でも始まったあたりから、全国に「忠霊塔」が設けられたということか。戦後のことだったら、東條英機謹書にはなるまい。
 隣にはトイレ? と思っていたコンクリート製の建屋があったが、南京錠をかけられた倉庫のようなもので、鉄の扉の左右には菊とは違う桜の紋章のようなものが付いている。階段を下りると、ちょっとした広場で石灯籠や手水鉢があったりするから、神社跡にでも忠霊塔を建てたのか。

(車道に出る)


(梅田橋を渡って)


(駐車地に)


(付録。これは模様ではなく穴)


 さらに階段を下ると、もう車道が見えていて、脇には「梅田村忠霊塔」の石碑が置かれていた。
 桐生から梅田奥につながる車道に出た。すぐに鳴神山方面の分岐になって(標識では「鍋足」になっている)いて、ほどなく護国神社前を通って駐車地に着いた。出ていた陽はまた隠れてしまった。やはり、長靴の裂け口は2倍になっていた。
 正直のところ、作網山から先の破線路までの区間は実に単調なルートだった(それでもルートミスしたりしたが)。その先もそのままの単調な登りだろうか。あにねこさんの記録では窺い知れない。高芝山、持丸山という山が続くらしいが。どうも気分的にすっきりできないところもあって、いずれまた先を歩いてみることにするか。

 今日の歩き、こんな地味尾根の単調な歩きだったが、自分にはかなりつらいものがあった。というのは、ニコチンの禁断症状の中で山を歩いていたからだ。タバコをやめようとしているわけではない。胃系のとある薬を一週間飲み続けなくてはならず、医師からその間の禁酒、禁煙を言い渡されたわけでもない。2日目まではたまに紙巻きタバコを吸い、大方はアイコスで間に合わせていたが、この、山を歩いた3日目に至って、アイコスであろうが、タバコはやはり薬の効果に良くないのではないのかと、起き抜けから一本も吸っていない。そもそもが、家にずっといると必ずタバコを吸うことになるといった理由で梅田の山に出かけたのだが、やはり途中から禁断症状が出はじめた。
 とにかく、精神的にまったく落ち着かず、景色は上の空。頭に浮かぶのはそこここでタバコを吸っている我が姿だけだった。これもまた禁断症状を抑えるために、暑くもないのにやたらと水を飲んでごまかす。そういう状況の中、筬沢山への登りの伐採地で、吸ったこともないキャビンの吸い殻を目にした。シケモクとはいえ2服は吸えそうだった。フィルターの色はもう褪せていた。それでも手を出しそうになったが、とにかく堪えた。なぜかライターと吸い殻入れだけは持っていた。おそらく、さらに長歩きになっていたら、落ち葉をもんでメモ用紙に包んで巻き、タバコ代わりにしてふかして倒れていたろう。
 こんなタバコを吸えない日が木曜日まで続く。これを機に禁煙なんて甘いことは毛頭考えてはいない。とにかく目先の我慢しか視野にはない。ちなみに、翌日は禁断症状の最たるもので、自分のものではない身体が無意識のままに動き回り、勝手に食っては出しているといった感じが終日続いていた。排泄している物もまた大小ともに普段の我が物とも思えない。さらに悪いことに、薬の副作用(寝不足になる場合あり)が出てか、この日の夜は山を歩いたのに一睡もできなかったし、翌々日には便秘になった。ニコチン切れによるものがあるのかもしれない。
 今回はそんな中での禁煙初日の歩きだった。いつもなら、この歩きタイムでは少なくとも4本はタバコを吸っていたし、このブログをアップするに至っては、延べ10本は費やしているはず。それでなくとも、9ミリタールタバコ20本/日が、失業を機に30本に増えていた。今はニコチネルをかみながらの3日続きの0本なのである。3日目にしてもふと脳裏に浮かぶタバコをふかす自分の姿は、どうにも彼岸にいる姿にしか思えないのである。そして、今の心持ちは、簡単にタバコをやめられそうでもあるし、あっさりと吸い出しそうでもあるといった複雑なレベルになっている。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

引き続き桐生・梅田の山へ。あと一回で取りあえずは終了か。今回通過した山は高芝山と持丸山。

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◎2017年12月30日(土)

駐車地(7:52)……西の作業道に入る(7:57)……前回の峠(8:32)……高芝山560m(9:01)……△651.5m(9:38)……722m標高点・持丸山(10:15~10:21)……林道(10:43)……大茂・車道(11:08)……寄日峠(11:38)……地図上北三叉路(12:09~12:21)……石祠(12:28)……地図上南三叉路(12:48)……石仏群(13:01)……忍山車道(13:22)……駐車地(13:40)

 先日24日の引き続きの歩きをした。前回戻った碁場小路と市畑を結ぶ東西の破線ラインのさらに北側に行ってみた。一回で座間峠の方まで行くのは自分には無理なので、どうしても小分けになってしまう。今日のところは大茂と鍋足を結ぶ破線路までだ。そして、次は本命の白萩山(岳山)をかけての周回、ついでに余裕次第で座間峠寄りと思っている。結果的に通しの歩きになればそれでいい。
 歩き方もそれなりに工夫はしているつもりだ。前回もそうだった。帰路の長い車道下りの歩きでは面白くもないし、できるだけ下った車道からまた登り返しで手ごろなところから尾根に乗り、下るようにしている。そして今日は、ハイトスさんレポで知った石仏群を見ての下りにすれば、車道歩きも短時間で済むだろう。
 ここのところ梅田詣でが続いている。根本沢歩きを加えると4回連続になる。ぶなじろうさんの昨日の記事を拝見し、富士山を間近に見に行きたいなと思ったりもしたが、目先の岳山・残馬山周回をしてしまうまではお預けということにしておこう。そもそも、富士山を眺めながらのからっとした歩きは自分にはどうも似合わない感じもする。今回もただの尾根歩きに過ぎないが、この時期の地味尾根歩きもまたハンターに注意をすればなかなか格別に気持ちの良い歩きになる。

 つなぎにこだわれば、先日下った市畑からの破線ルート登りになるが、これをやれば、気が変わって、だったら反対側の鳴神山に行っちゃうかとことにもなりかねない。それでは先々のことを考えれば意味もなく、敢えて東側の碁場小路から入るルートにした。そうすれば、下ってからの忍川左岸の尾根の歩きも可能になるだろう。

(車道を戻り、右に入って行く)


 破線路先の路肩に車を置いて、車道を一旦南下する。そして右折。破線路ながらも途中までは舗装林道になっている。もはや現役使用ではなく、やがて未舗装になり、作業道レベルになった。こうなると、道幅はあっても荒れてくるし、車の往来は無理だ。

(分岐は右)


(墓石だろう)


(石垣と墓地)



 作業道の分岐がいくつか出てくるが、メインの作業道は太くてわかりやすい。途中、右側に尾根末端が出てきたが、これを登ればショートカットになるだろうことはわかっていても、ひたすらに作業道を登る。どうしてもつなぎ歩きをしたい。右に文政年間の墓石を見たりする。かつては、ここにも集落があったのだろう。

(峠が見えてくる)


(峠に出る)


(フェンスの内側を行く)


 上に見覚えのある峠が見えてきた。先日、反対側に下ったところだ。作業道は巻いているが、ここは斜面を直登して峠に出た。なまじヤブならいいが、半端な刈払いをしている斜面で、切られた枝は太く、登りづらく、ここでストックを出した。ここからが今日の歩きになる。先日はフェンスの外側だったが、今回は内側になっていて、フェンスは右の尾根筋に下っている。ちょっと先に行くと人が通れるくらいのフェンスの破れがあり、ここからフェンスの外側に出た。ここでまた菱の方から銃声が聞こえた。続けざまに5発。あちらは本当に物騒だ。

(歩きやすい尾根)


(高芝山)


(桐生市基準点)


 まだ伐採地の延長だが、岩場になりかけ、細尾根になったりしたが、すぐにおとなしい尾根になった。広葉樹のなだらかな尾根。気持ちの良い感じの尾根が続いている。ちょっとしたピークに出ると、桐生市基準点NO.123が置かれていた。これは後であにねこさんの記事で知ったが、高芝山という山らしい。
 ここの尾根、先日の歩きまででは変化のない超地味な尾根といった印象が強かったが、ここは尾根型もしっかりし、雑木に囲まれ、さほどに起伏もなく、むしろのんびりと歩いて行ける。この先も、地形図を見る限りは急なところもなく、強いて要注意といえば、722m標高点の先から尾根外れで北東に下るところだろうか。尾根通しに行ってしまったら鍋足に下ってしまう。

(明瞭な踏み跡があったりする)


(左手前方に鳴神山)


(良い気分で歩ける)


 特徴のない尾根歩きが続く。傾斜は依然緩やかで雑木に囲まれている。左手には鳴神山が見えている。ここからではとにかく目立つ三角峰だ。すっきりした展望を期待したが、最後まで、どうしても樹の枝が邪魔をしてくれることになる。坦々とした尾根を緩やかに登って行く。この辺から、樹に塗った赤ペンキが目立つようになる。右斜面の植林帯にはそれがなく、ただの登山道のマーカーだろうか。どこから出てきたのか気づかなかったが、ところどころに明瞭な道が現れては消える。

(三角点で)


 651.4m三角点着。山名板はない。名無しのピークのようだ。RKさんの標識が三角点表示の杭とともに倒れていたので立て直すが、土の下は凍っていて、少しだけ差し込んで、周囲を石で囲んだ。冷たい風が吹きつけている。数日持つかどうか。ここで菓子パンを食べて小休止。いつもなら、この辺で一服となるが、今日もまた、前回同様にタバコの持参はない。結局、タバコはやめたということではない。薬の服用が終わった翌日からタバコは再開した。ただ、紙巻きタバコはやめて、アイコス、グロー一辺倒になってしまった。たまに、以前からたまに吸っていたパイプタバコや手巻きタバコも吸う。だからといって、山に持っていってまでといった状態ではなくなってしまった。5日間の禁煙の効果といったものか。それなりの進歩だろう。

(左手に伐採地。その上を歩く形になるのかと思っていた)


(持丸山山頂)


(残馬山)


 なおも左手に鳴神山を眺めながら陽あたりの悪そうな尾根を進む、樹々の葉はすっかり落ちている。ところどころで岩が混じる。歩行に差支えはない。
 正面に高いピークが見えて来る。あれが722m標高点ピークだろう。少し下って植林尾根を歩いて行くと、左手に伐採地が見えてくる。あそこからなら、さえぎるものがなく鳴神山を望めるかなと期待したが、伐採地に近寄ることはなく、遠巻きでやや急なところを登り詰めると722m標高点・持丸山に到着。
 ここもまた何もないピーク。小広くなっているだけのところ。あにねこさんのレポには、木立越しに残馬山が見えるだけとあったが、北東に見える山が1107m三角点峰の残馬山か。あそこには何度か行ったことがあるが、次回は岳山から残馬山まで行って、南下する予定でいる。多少、雪が付いているようだ。

(尾根伝いだと左に向かうが)


(ここは直進して下る)


 さて、ここから尾根伝いに西に行くと、前述のように鍋足に出てしまう。ここは北側に下らないといけない。その分岐が心配だったが、意外に迷うこともなく下りの小尾根に乗れた。すぐに右側から作業道が入り込んだ。この作業道を下れば楽だろうが、敢えてそのまま尾根を下った。

(作業道が並行する)


(このまま下って行っていいのかと迷うが)


(林道に出た)


 雪が付き、地面は凍っていて、少し急斜面。靴にチェーススパイクでも巻こうと思ったが、そのまま行けそうだったので、注意しながら下る。その間に作業道とまた出会う。
 尾根型が消え、植林に入り込む。不安になったが、下には林道が見えている。適当に下って行くと林道に出た。林道は舗装道になっている。

(地図通りだと、破線路はここを突っ切って下ることになる)


(下って行くと沢が見えてきた)


 ここで地図が読めなくなった。沢型の地形を下り、大茂に出られるわけだが、周辺は大規模な工事がされていて、真っ平に造成されている。何かの施設でもつくるのか。林道伝いに下れば大茂に至るのは明らかなようだが、それではおもしろくもない。コンパスを大茂に合わせて造成地を突っ切ってみた。
 ダムのような段差が続く斜面を下って行くと、沢状になった。これを行けばいいのだろう。

(沢から振り返る。砂防ダムなのか。意味のあるダムとは思えない)


(トタン板があちこちに散乱している)


(車道に出る)


(道脇の庚申塔と石仏)


 沢沿いには錆びたトタン板が散乱し、石垣もところどころにある。そして踏み跡が続く。間伐もあって、歩き心地は悪い。やがて人家が左に見え、車道に降り立った。
 当初、ここから少し南下して、小尾根を東に破線路まで登り上げるつもりでいたが、庚申塔と石仏のあるところまで行って、川向こうの斜面を眺めたが、どうも足場が悪そうで、引き返して、北側の破線路を辿ることにする。

(ここを右に登って行く)


(作業道は左にカーブするが、ここは直進して、あの鞍部を目指す)


 破線路は沢伝いになっていた。車道から離れた破線路はしっかりした作業道になっていて、これを使えばあっさり行けそうだ。杉の葉に覆われてはいるが、下はコンクリートの道になっている。
 下ってからの登り返しだ。さすがに息切れが続く。何度も休みながら行くと、破線路は左にカーブするようになる。その先は未舗装だ。ここは、そちらに行かず、沢沿いをそのまま登ってみる。上には尾根が見え、行き着くところは鞍部のようになっている。

(寄日峠だったらしい)


(尾根に乗る)


(さっきまで歩いていた方面)


 ヤブやら滑りで多少手こずって鞍部に出る。この時点では知らなかったが、ここが寄日峠のちょっと上だったらしい。ちょっと北に下れば石祠があったようだが、そんなことを知ったのは後のこと。次回、しっかりと確認することにしよう。
 この周辺、破線路が入り乱れているが、寄日峠からは南に向かう破線路を使う。登って行くと、右手に、さっきまで歩いていた持丸山の尾根が見える。天気はこれまでよりもどんよりとし、吹く風も冷たくなってきた。余計なこときせずにさっさと済ませて帰りたくなってきた。

(右手に迂回路がある)


(ここで休憩。ここは三叉路になっているはずだが、わからなかった)


 ここの破線路、起伏のある尾根伝いだ。明瞭ではないが、遠目で見れば踏み跡もしっかり見え、わざわざ小ピークを越えずとも、脇道を歩けるように付いている。
 破線三叉路のあたりらしいところに出た。ここで、一休み。カップラーメンに湯を注ぐ。熱いラーメンを期待したが、ポットの湯は大分ぬるくなっていて、まずいラーメンになってしまった。ここは風が吹き抜け長居は不要。
 ここからが少しばかり往生した。踏み跡に合わせて下ったつもりだったが、途中で踏み跡は消え、小尾根に乗ってしまった。コンパスの指す方向は左だが、そちら側は急斜面でとてもじゃないが下れそうにはない。このままこの尾根を下り、左が緩やかになったところでそちらに下るかと思案する。尾根をそのまま下ったのでは、唐松石仏群の北側を通過してしまう可能性がある。

(石祠。造りは立派だ)


 ふと、振り返って見上げると、真後ろに石祠があった。こんなところに石祠があるとは、以前、ここを歩かれていたということだろう。石祠の頭には「泉(衆?)頭山」、他に「天保二年」、「●土主村中」と彫られている。

(そろそろ沢に近づいたようだ)


(平らな広場だったのだろう)


 左寄りに下って行くと、植林の沢状になった。茶碗の欠片も見たし、錆びた一斗缶、そしてちょっとした広場。ここにかつて集落があったと言われれば、うなずけもする雰囲気だ。谷間の、陽も入り込まない狭い集落だったのだろう。

(朽ちた橋の骨組みがあちこちに見かけた)


(下から。ここの二股を右に行けば墓地があったらしい)


 沢筋に下って行く。周囲をキョロキョロ見ながらの下り。石仏群がどこにあるのか特定できていないのだ。沢はかなり荒れているが。不思議に木で組んだ梯子型の橋の残骸がやたらと目立つ。

(石仏群。倒れているのを立てて撮影)


(こんなのや)


(こんなのや)


(こんなのが)


 石仏群を見ないままに踏み跡を下って行き、何気なく右斜面を見上げると、10mほど上に石像物のようなものが見えた。もしかしてあれ? 斜面を這い上がると、これが石仏群だった。
 石仏、石塔が8基ほどあった。倒れている2基は起こして台座に乗せた。読みとれる年号は明和と安永。彫られている文字からして供養塔のようでもあり、戒名があったりもする。かつて、ここは墓地だったのかもしれない。今回の歩きの目的の一つでもあったから、これを見られただけでも満足だ。

(炭焼き跡)


(墓地)


 歩きづらい沢を下って行く。炭焼き跡も墓地も見ることができた。墓石は安永、明治、昭和もある。ハイトスさん記事によると、その手前の沢の分岐奥にも墓地があったらしいが、石仏は見ても、墓地を見てもしょぅがないのでこれはパスした。

(右手に人家が見えてきた)


(渡った橋。車道側から)


 人家が見えてきた。廃屋らしい。周辺は荒れている。そして目の前に忍山川。斜めになった危なげな木橋がかかっているが、重ね木の部分に足を乗せて難なく渡って車道に出た。

(車道歩き)


(温泉神社の鳥居)


 スズを外し、ストックを収納していると、観光客らしいファミリーが歩いて来た。年の瀬にこんなところに来てもなぁ。周囲は廃屋だらけだ。子供たちは楽しそうにしているが。
 駐車地に向かう。右手に鳥居。ここが温泉神社らしかったが、後であにねこさんの記事を読むまでは知らず、素通りしたが、ここに入ってみる価値はあったようだ。これもまた後日の楽しみにしておこう。その先にも鳥居があったが、ここは上がらずともに小さな神社が見えている。

(駐車地に戻る)


 車道歩きはほぼ20分。長くもなく短くもない。ここで陽が出てきたが、細かい雪が舞っている。ここでエンジンを温めながらアイコスを一本吸おうとしたが、寒いせいか、なかなか充電してくれない。こういうことはたびたびある。ようやく吸えたのは梅田の街を過ぎてからだった。
 ここまで歩いて、次回はようやく後半部だ。地図の距離から見て、時間がかかりそうだな。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

梅田の山もとりあえずはこれで一休みだが、北西からの冷たい風に絶えずあおられながらの歩きには参った。

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◎2018年1月2日(月)

大茂の駐車地(8:22)……大茂峠(9:01)……△847.8m燧石山(9:40)……赤粉山(10:06)……1003mキノコ岩山(10:32)……白萩山・岳山(11:04)……1008m標高点付近(11:26)……956m標高点付近(11:45)……△1107.5m残馬山(12:19~12:32)……886m標高点付近(13:18)……830m北沢山(13:43)……675m標高点付近(14:08)……寄日峠(14:26~14:36)……駐車地(14:50)

 気になることはさっさと済ませてしまいたい性分だ。桐生・梅田の山も先月の24日に護国神社から歩き出したのを手始めに今回で3回続きの尾根歩きとなる。これまでの2回とは違い、今回は長距離の歩きだ。高沢川と忍山川の中間尾根を登って白萩山(自分にはいまだに「岳山」なのだが)を経由して残馬山に至る。下りは忍山川の左岸尾根を使って寄日峠に出るといった算段でいる。
 7時間歩きにはなるだろうと想定し、さっさと出発したかったが、梅田から林道に入ると、あれっ、こんなところまで来たっけかと行ったり来たりを繰り返し、結局、出発が8時20分になってしまった。7時間予定がちょっとしたトラブルで8時間になったのでは暗くもなる。かなりあせってしまい、地下タビか登山靴にするかで悩んでいる時間すら惜しく、手っ取り早く長靴を履いて出発。先日の歩きで裂けた長靴は捨てた。スパイクのないただのゴム長だ。用心してチェーンスパイクだけは持った。

(破線路に入り込む)


 駐車地の前から破線路に入る。先日下って来た道だ。気づかなかった標識が立っていて、この道は「下巣越作線」となっている。平成二十六年度と添え書きされているが、その年に整備されたとは思えない。ここは荒れている。その先で沢は二股になり、左の沢沿いに登って行く作業道らしきものが現れる。これが下巣越作線の本道だろう。というのも、出がけに見た前回歩きの記事に、瀑泉さんからそれを辿れば、忍山トンネルの林道に出られそうなコメントが記されていて、そのつもりでいたが、出発時刻も遅くなっていたし、どうにも時間が余計にかかる気がしてやめにしてそのまま行ったのだが、木橋を渡ると、今度は「平成二十八年度大茂沢線」と標識が出てきたから、遠回りではあるが、時間に余裕があれば下巣越作線を行くのが楽かもしれない。

(堰堤の先、ここは斜面も急で足場も悪く歩きづらいが、おあつらえ向きに凍っていてズリ落ちることはなかった)


(舗装林道の先まで行ってみた)


(結局、ここからの登り)


 沢沿いを登って堰堤越え。初っ端から厳しい思いをして林道に出た。前回は目の前から林道に下って来たが、ここの急斜面を登るのには抵抗もあって、林道の先に行ってみた。興味本位なところもあって、忍山トンネルというのも見たかった。だが高い擁壁が続き、取り付けそうなところはない。結局戻って、植林の斜面を登る。時間をロスしただけだった。しかし、破線路を歩いたつもりでいても、植林の中に踏み跡なんてものはない。

(大茂峠)


(部分的に明瞭になったりする尾根道)


 植林斜面を登って大茂峠(だいもん峠)到着。峠に出ると、風がうなっていた。北西の強風はかなり冷たい。この冷たい風には最後まで悩まされる。結果としては、休むこともままならず、7時間予定が6時間半歩きで済んだのではあるが。
 植林の中を西の鍋足に下る踏み跡を確認。地図上の破線路だろう。峠からはすんなりと尾根に乗る。地形図では847.8m三角点の先までは破線路が続いてはいるものの、踏み跡はあっても、破線路というほどのレベルではない。それでいて、なぜか、左から作業道が入り込んでは左に下って行ったりしている。
 これまでの尾根の延長ではあるが、ちょっと様相が違っている。左に植林があったりするものの、尾根は広くて歩きやすい。それでいて紛らわしいところはない。なだらかなところはこれまでと同じだ。

(露岩が出てきたりする)


(燧石山)



 岩混じりになり、方向を北から北西に変えて登り上げると早々に三角点峰。三等三角点だ。ここは燧石山という山名があるようだが、今回の歩きの区間、山名板を見たのは白萩山と残馬山だけで、ここにも板はない。三角点表示の杭が倒れていたので地面に突き刺してみた、下は凍っていて入り込まず、半端な立てかけになってしまった。こんな作業に時間をかけているわけにもいかず、まして、風が強くて悠長なことをやってもいられない。先を急ぐ。

(こういう暗いところは土が凍っていたりする)


(岩峰出現)


(ここは左から)


(岩峰・赤粉山ピーク)


 地形図ではなだらかだが、尾根には変化が出てくる。破線路の西への分岐はわからず仕舞い。やさしい岩場が出てきたり、植林の歩きになったりと、細かい起伏が続くようになる。
 突然、目の前に岩峰が現れた。途中までは無理に登れなくもないようだが、その先はどうなっているのか。右手を見ると、かなり危うい感じだ。こんなところで体力と時間を費やしている余裕はない。左手に巻き道があったので、無難に岩峰を避ける。この岩峰、赤粉山という山らしいことは知っていたので、巻いた先から登ってみたが、岩の上には標識も何もなく、展望もまた枝木がじゃまで良くはなかった。

(あれはキノコ岩山かも)


(かなり欲求不満なのだろうか)


 幾分狭くなって明瞭になった尾根を行くと、正面に高いピークが見えてくる。あれが1003m標高点のキノコ岩山かもしれない。結構、標高差はありそうだが、地図を見ると70mくらいのものでしかない。
 尾根の途中で、生木がバリバリに裂かれているのを見た。こんなことをするのはあいつだけだろう。しかし、すごい力だ。裂け目からして新しく、昨日、今日のものだろう。今日はスズを鳴らしながら歩いていても、音は強風ですぐに消えてしまうだろう。要注意だ。要注意といえば、今日は銃声が聞こえない。正月早々の殺生はいくら何でも好んではやるまい。

(こんな岩を結構見かける)


(振り返って赤粉山)


(キノコ岩山の山頂)


 もろに吹き付ける風が我慢できなくなりウインドブレーカーを着込む。これで暖かくなるわけでもなく、ただの気休めだ。
 ところどころに露岩が出てくる。風景としては悪くはない。西側の景色を眺めながらの歩きになるが、この辺になるともう鳴神山は見えず、名無し山の連なりだけになっている。風がない時期ならゆっくり歩きたいところだろう。
 ピークに出ると、やはりここがキノコ岩山。岩峰とばかりに思っていたが、ただの小ピークだ。ここも何もない。ピークだけは開けているが、周囲の景色は樹々に妨げられてすっきりしていない。

(風さえなければ気分の良い歩きができそうなのだが)


(残馬山はまだ遠い)


 荒れた感じの尾根を歩いて行くとこじんまりした岩峰。ここも余計なことは考えずにあっさりと左を巻く。ここで足尾方面の山並みがちらりと見えてきた。真っ白になっている。ここでこの寒さだ。あちらはさぞ荒れているだろう。
 目の前にようやく白萩山らしきピークが見えてきたがまだ遠い。地図上は尾根が微妙にクネクネとしているが、別に迷うようなところはなく一本調子で歩いて行ける。樹はすっかり葉を落とし、尾根も広くなって、大分明るくなった。風さえなければ雑木の中の歩きを楽しめるところだ。そして、右手前方には残馬山。結構あるなぁ。歩き出しから2時間半経過している。残馬山までの区間のようやく半分だ、最悪、残馬峡に下って、車道歩きになるかもなぁ。
 男体山が見えてきた。こちらも真っ白で寒々として見える。休むと寒いだけだからと空腹も我慢してきたが、そろそろシャリバテ気味になってきた。急いで立ったまま菓子パンを食べ、水で流し込む。今日もまたカップラーメンとお湯を持ってきたが、そんな時間をかけていたら身体が冷え切ってしまう。

(これを登って)


(白萩山。山名板が左上に見えている)


(雪の上にはシカの足跡だけ)


 岩場を登って行くと白萩山に着いた。雪の上にシカの足跡が点々と続いている。展望も良くないただのピーク。
 休憩もそこそこに1008m標高点に向かう。座間峠から続く尾根に合流したが、人の足跡はない。こんな地味なところを正月早々に歩くハイカーは物好きとしか言いようがない。下って行くと、草木ダムが見えてきた。袈裟丸も白くなっている。

(1008m標高点ピーク)


 凍てついた尾根を登って行くと1008m標高点に到着。ちょっとここで見まわしたが、例の「三俣山へ」の標識は見あたらない。以前、落ちていたのを木株の間に差し込んだことがあった。飛ばされてしまったのだろうか。ここの名物だったのになぁ。ところで、この先、この1008m、956mと小ピークなのに山名がないが、これはどうしてなのだろうか。これまであっただけに不思議な気がする。

(正面に残馬山)


(残馬山への登り)


 正面に残馬山が見えてきた。随分と高く見えている。この先の956mからが曲者だろう。単純150mの登りになるからなぁ。
 956mが過ぎ、残馬山も近づいてくる。残馬山12時着予定はかなりきつい。この分では12時20分といったところだな。風がさらにきつくなった気がする。この尾根は北側に面しているから尚更だ。日光から足尾、振り返ると袈裟丸が見えるが、どうもすっきりした展望に恵まれない。

(残馬山ピーク下から。日光方面)


(中禅寺湖南岸尾根)


(皇海山から袈裟丸山)


 残馬山への登りに入る。中禅寺湖南岸尾根の様子が気になって、立ち止まっては眺めている。もっとも樹間を通してのこと。しかし、南岸尾根もまた真っ白だ。この時期としてはこんなものだろうか。あれでは、気軽に大平山というわけにはいくまい。
 結局、すっきりした展望は期待できないと納得したところでちらりとすっきり見えた。だが、後で見た写真はピンボケだった。何とも惜しい。

(最後の登り)


(残馬山山頂。相変わらずといった感じのピーク)


 相変わらず、寂しい感じの残馬山ピーク。ここでラーメンとでも思ったが、ここは陽があたらず、余計に寒い。また菓子パンを無理に押し込んで我慢し、セルフ撮り。
 さっさと下るかとコンパスを合わせたにも関わらず、あっさりと下り尾根をミス。2回も間違え、その都度に山頂に戻った。こうなったらあとはGPS頼りだ。尾根がなさげな方向に行ってみると、しっかりとした尾根が下っていた。その間、来たところをこのまま引き返そうかとまで思った。お笑いだが、その時の自分はかなり深刻な状態になっていた。後でGPS軌跡を見ると、お門違いな方向に進もうとしていた。かなりの方向音痴。

(ようやく見つけた尾根を下る)


(これを見てほっとする)


 しばらくは半信半疑でGPSを見ながら下ったが、そのうちに赤ペンキやテープを見て安心して下った。今回のルート、全体として目印は多かった。
 正直のところ、下り一辺倒で、面白い尾根下りとは言い難かった。大きな岩場も出てくるが、あっさりと巻ける。変化が乏しい。これなら、明るいうちに車に戻れそうで安心したが、かなり退屈な下りになってしまった。

(こちらにも岩場はあるが)


(下りが続く)


(886m北の破線路が出てくるあたり)


(886m標高点付近)


 こんな下り尾根に変化が出てきたのは、地図上の886m標高点手前で広い作業道らしきものがどこからか入り込んできてからだろうか。一旦広くなった道が細くなり、また岩場。広い道はあやふやになり、886m標高点付近に着く。

(ここは不思議な山稜帯になっていた。右下斜面の雰囲気はかなり良かった)


(桐生の町遠望)


 また尾根幅が広くなり、桐生の街並みを遠望する。同時に右手にフェンスが現れる。広大な伐採地だった。どんどん下って、先には830m標高点の北沢山らしきピークが見えている。フェンス際の尾根は急で歩きづらかったが、邪魔な樹々もなく登りで歩いた尾根が目の前に見えている。今回の歩きのハイライト区間といったところだ。

(伐採地と水沢山)


(ヤセ加減な伐採地尾根。ここは歩きづらい)


(振り返って)


(往路で歩いた尾根。三角峰は燧石山か赤粉山いずれかだろう)


(北沢山山頂)


 寒さも忘れ、気を良くしながら下って行った伐採地上も、北沢山の登りにかかると、元の植林帯に入り込んでしまった。そして北沢山に到着。
 ここは陽は入らないが、少しは風よけエリアになっていた。下りに意外に時間もかかりそうもないことがわかり、ここでようやくラーメンタイムにした。だが甘かった。ザックの中でアルミの容器に包んでいても、ポットの湯は舌が火傷するほどの温度からは程遠く、遠、湯を入れて3分後のラーメンはかなり固かった。とても我慢してまで食えるものではなく、穴を掘って、半分以上捨てることになった。口直しにおにぎりでもと思ったが、すでに固く冷たくなっていたのでやめた。

(実線路の起点)


(小規模伐採地。ちょっとした広場になっている)


(作業道の下り)


 半端な食欲のままでどんどん下る。また作業道が加わった。これは地図どおりで、実線になっている。起点は広場状でその先に続いてはいないようだ。
 半端な伐採地らしいところを通過。尾根通しに歩こうとしても、尾根は形だけ残し、すぐ脇が作業道になっている。ここは作業道を下るしかない。675m標高点は特定できるスポットはなく、この辺だろうかといったところだった。ピーク状にもなっていない。

(寄日峠への下り。そもそもこの時点で間違っていたのかもしれない。こんなところを下るわけがない)


(急な斜面だった)


 右側の削られた尾根が太くなり、ここで尾根に乗り移る。作業道は左に離れて行った。地図では実線と破線路が分岐するあたり。だが、途中からおかしなところを歩いたのか、踏み跡はなくなり、やがて急激な植林斜面の下りになってしまった。
 本来なら右手に下れば良かったようだが、寄日峠もすぐそこだからと、このまま樹に抱きつきながらの下りになってしまった。

(寄日峠が見えている)


 林道に降り立った時にはほっとしたが、ここは登り坂になっていて、寄日峠らしき鞍部までは100mはありそうだ。ここでの登りはつらく、平坦な林道とはいってもかなり応えた。

(寄日峠)


(石祠が2基。峠の道は向こう側)


 寄日峠に到着。ここには前回に来ている。息を整え、前回は知らなかった石祠の探索をする。これもまた出がけの瀑泉さんの情報で、峠の東側にあるらしいことを知っていたので、峠の東側、樹の裏側を見ると、そこに石祠が2基あった。これで、見るべき物も見たとほっとしたが、どういうわけか、本来の破線路の踏み跡がその前を通っているのにはショックを受けた。どこでどう間違えて東側に下ってしまったのだろうか。
 石祠には嘉永四年の年号が彫られていた。結論としては、これを見ただけでも満足。樹の裏に静かに佇んでいるといった感じだ。峠からは見えない。成り行きで気づくか意識して探さないとわからないかもしれない。

(またミス歩き。先日は、そもそもカーブなんてのはなかった)


 寄日峠からの下り、ここでまたミスを犯す。ほっとしたからもうなすがままにといったいい加減な気分になっていたのだろう。林道をそのまま下っていた。先日、ここを登った時には地味な直進道で結構やられたが、林道は車の運行に合わせるかのようにゆっくりとカーブしている。周囲の景色も先日のものではない。
 そのまま下ってからようやく、見覚えのある沢沿いの作業道が見えてきた。ショートカットをして下る。

(林道に出る)


 林道に出て駐車地に到着。出だしが遅かったわりには予想よりも早く下れ、形の上では余裕の歩きだったが、強風の中の歩き、精神的にも身体にもかなり応えた周回だった。

(温泉神社へ)


(ここから温泉が湧いていたのかなぁ)


(石仏と石塔)


(青面金剛像)


(本殿?)


(石灯篭)


(では下って帰途に就く)


 林道下りの帰路で先日見損なったというか、あにねこさんの記事で知った温泉神社に寄って石仏を拝見する。青面金剛像だそうだ。無知な自分には千手観音かと思ってしまった。本殿前の石灯篭には「江戸京橋」の願主名、「文化七年」の文字が見えた。桐生にはこんな物が至るところにある。それも中心部から離れた奥の方で。何とも不思議な町だ。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

(参考までに、3回分をまとめればこんな歩きをしていた)

赤城の鍋割山と荒山に雪遊びに行ってみたが、例年以上に雪が多いような気がした。

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◎2018年1月7日(日)

姫百合駐車場(7:39)……荒山高原(8:11)……鍋割山(8:47~8:58)……荒山高原(9:27)……荒山(10:27~10:32)……休憩舎(10:47~10:58)……棚上十字路(11:20)……荒山高原(11:34)……駐車場(11:54)

 予定では足尾の中倉山に登って、迫力のある荒涼とした白い風景を眺めるつもりでいたのだが、先日、残馬山の直下から見えた中禅寺湖南岸尾根はあまりにも白く、どうもこの時季にしては雪が多いような気がした。中倉山の山頂は吹きさらしで雪は少ないだろうが、あれでは下の積雪とて例外ではなく、とても行く気にはなれない。
 雪遊びはヤメにして、またどこかの地味尾根でも歩こうかと思ったが、せっかくその気にもなっていたので、赤城山にでも行ってみることにする。赤城山とて、こちらから見る分には大分白い。まして、大沼までの凍結路を運転する自信はない。上りは良い良い、下りが恐い。となると、鍋割山あたりが手ごろというもの。凍結路とてさしたる距離ではあるまい。
 ところが甘かった。大沼に向かう赤城南面道路は早々に手前から凍結していて、運転もかなり緊張し、姫百合駐車場に車を入れた時にはほっとしたが、今度は帰りの下りが心配になった。何せ、自分の車は四駆とはいってもDモードの下がLで、3rdも2ndもない。Sモードでエンジンブレーキ代わりにするしか手がなく、これでは効き目も弱く、どうしてもブレーキを踏むしかなくなる。対向車のいるカーブでそんなことをやっていたらどういうことになるのか。想像しただけでも恐ろしい。以前、那須で車が逆向きになったこともあったし、大沼への下りでスリップしてガードレールにぶつかりそうになったこともある。利平茶屋や船石峠に向かう途中では氷結路に乗り上げて止まり、恐る恐るバックした。凍結路、雪道の運転にはからきし弱い。結局、陽が出て凍結が緩くなるまで山中を歩くしかないということになる。この時点では荒山まで足を延ばすつもりはなく、かなり時間を持て余すことになりそうだ。

(駐車場は日陰で暗く、まだ閑散としている)


 駐車場には車が6~7台。準備中の方もいれば、なぜか下から上がって来て、そのまま下って行った車も数台。雪が多そうなので帰ったのか。自分も雪が多いかなと思ってはいたが、3年前の1月17日に鍋割山に登った際の写真を見ると、その時の方が駐車場の雪は多かった。準備をしていると単独氏に話しかけられる。黒檜山に登るつもりで行ったが、踏み跡がなかったので鍋割山に変更したそうだ。時間も早いし、だれも登っていなかったのだろう。
 今日はアイゼンだのスパッツだのと面倒くさく、わざわざ足を重くすることもなかろうとスパ長にした。このスパ長、岩礁80という優れものなのだが、標準のサイズよりも大きめで、スカスカで歩きづらくめったに履かない。今日は中敷2枚、靴下も薄目+厚手でカバーした。それでもやや緩めではあった。バンドで縛ったところであまり効果はない。早々にダブルストックで出発。

(スタート)


(夏道をそのままに歩く。道になっていて林道歩きのようだ)


 車の台数からして、この先を車3~4台分の人が入っているはずだ。トレースはその分明瞭で、下もまた締まっている。まして昨日の土曜日に歩いた人も多いだろう。こりゃ楽でいいわと思ったが、風の加減で、先行者が通過して間もないはずながら足跡がすでに消えてしまっているところも出てくる。しかし、荒山高原まではロープも張ってあったりして吹雪くことがない限りは迷いようもない。

(岩ゴロのところ。ロープが巡らされている)


(荒山風穴)


 今日は風が冷たい。まだ陽が昇っていないからそう感じるのか、そもそも、そういうところなのか。荒山風穴に寒暖計が2個あって、一方は-4.5℃、片方は-7℃を示している。実にいい加減だが、体感はこんなものではない。-10℃はありそう。
 優れもののスパ長とはいっても微妙に滑る。ことに下が凍っているところではアイゼンにはかなわない。むしろ、普通の長靴+6本爪アイゼンが手頃だろう。4本やチェーンスパイクでは同じように滑るだろう。先行者の中に用心深いのか、12本爪を着用している方がいるようだ。

(上が明るくなってきたところで)


(荒山高原)


(富士山が小さく見えている)


 後ろを振り返ると、単独ハイカーが登って来る。困ったパターンだ。さっさと追い越して欲しいものだが、どうも同じような歩程で差が縮まらない。駐車場で話しかけられた方とは違う。荒山高原に着いて、様子をしばらく見たが、姿は見えなかった。
 荒山高原は相変わらず強風が吹き荒れている。雪はたいして積もってもいない。大方が飛ばされ、雪煙を上げている。正面に富士山が見える。ぶなじろうさんではないが、すっきりした大きな富士山を見たくて、山梨山行もプランに入れてはいたが、何やかやと自分内で理由を作ってはヤメにしている。こんな小さな富士山を拝むのなら、目先の自己満足で山梨に行けば良かったかもなぁ。この小さな富士山、今日はずっと眺めることができた。せめてここから見える浅間山くらいの大きさの富士山を見たいものだ。

(鍋割山へ。溝状になっていて登山道は明瞭)


(こんな感じが続く)


 鍋割山に向かいかけると、もう下って来るオッサンがいる。ガチンコの完全装備でピッケルまで持っている。12本爪はあの方だろうか。こちらはフリースにウインドパーカーを着ただけの、いつもの地味尾根歩きスタイルだ。これでは寒いにきまっている。ホカロンも忘れてしまった。
 登山道は窪み状になっていて歩きやすい。樹の枝に積もった雪はきらめいている。この風景が何ともいえない雪の風情だ。これもここだけのことで、上に行くにつれて風で枝に雪がとどまっている状態ではなくなっていく。
 また単独氏が下って来た。この時間で鍋割山からの下りでは当然、荒山にも行くのだろうな。自分もどうすっかなと思うようになってきた。
 周囲の景色はすっきりとしている。朝陽を浴びた前橋市内がキラキラしている。浅間山も見えてくる。振り返ると荒山の左に地蔵岳。こちらは全山真っ白。でも気になるのはどうしても富士山だ。

(岩陰はこんな状態。先行者ヨロシクの世界だ)


 日陰や岩陰になると、トレースは消えてしまい、先行者の足跡の穴ぼこが残っているだけになるところも出てくる。軽くヒザを越える深さだ。みんなこれを使うのか、一人分のものしかないのが面白い。

(地味な登り)


(火起山)


 火起山通過。ここも風通しが良すぎて降雪は薄い。ここから鈴ヶ岳が良く見える。あそこも白くなっている。余談だが、帰りがけに国道17号から望んだ赤城山。左端に見える鍋割山と荒山だけは雪が付いていないように見えた。だが実際はこの積雪だ。遠望はあてにならないものだ。振り返ると、後続者の姿は見えない。あせり歩きをすることもないのが良い気分だ。

(振り返って鈴ヶ岳)


(こちらは荒山と地蔵岳)


(いつもは泥濘の道。ここは風通しが良好のようだ)


 いつもなら泥濘になっている通路は凍結路になり、竈山着。いつもながら、火起山も含め、鍋割山に至る間の小ピークといった感じがしない。
 下りになってじわりとした登りになる。ここにもいつもならの泥濘は凍結。左手のヌリカベのような岩もまたいつもなら真っ白だが、まだマダラ状だ。ここからヤブを下って大岩の下にある石祠を見に行ったことはあるが、この雪では時間つぶしの歩きにしても難がある。パス。

(鍋割山が見えてきて)


(ヌリカベの岩)


(間もなく鍋割山)


(鍋割山山頂)


 平坦から上りになり、鍋割山山頂に到着。出だしから1時間ちょい。何ともあっけない。山頂にはだれもいなかった。と思ったら、南側の斜面で休んでいる単独女性がいらした。そちらの方が展望が良いので、女性に挨拶し、先に行って、浅間山やら富士山を写真に撮る。こちら方面への下りにトレースは付いている。4日前にハイトスさんが登って来られたルートだ。

(浅間山)


(改めて富士山)


(山頂の石仏)


 山頂に引き返して菓子パンを一個。まだ9時前だ。どうすんべぇ。道路の凍結が緩む時間にはまだ早い。登って来た単独のオッサンと話をする。荒山に行かれるのかどうか聞くと、つい29日に登って来たばかりだそうな。その時はこれほど雪はなかったとか。やはり、お互いに下りの凍結路のことが気になっていて親近感を覚えたが、ここで、やはり荒山にも行くかという思いになった。オッサンはまだ悩んでいるようだったが、また荒山でお会いしましょうと別れた。結局、そのオッサンとはもう会うことはなかった。
 このオッサン、ここまでツボ足で来ていた。下りはアイゼンを付けるとのことだったが、こちらのスパ長に興味を示され、まぁ優れものだしと、ちょっとばかり解説した。そんなものにしか自慢できるものはない。オッサンがサングラスをしていたので、ここで思い出したようにサングラスに切りかえる。

(前橋の町を見下ろしながら)


(下る)


(これもまた改めて。これから登る荒山)


(谷川岳はすっきりせず。こんな繰り返しの写真、雪山だから何度も載せている。雪がなかったら一度で終わりだ)


 下る。単独女性が2人登って来た。2番目の女性はスパ長に簡易アイゼンを付けている。こういうのもありか。相変わらず、日陰の深みのところは足跡も増えていない。
 どんどん登って来る人たち。荒山高原に着くまで5~6人と行き会ったか。今日は入山者が多いようだ。鍋割山は雪山にしてはポピュラーな山だしな。谷川岳は? とそちら方面を見るが、すそ野がちらりと見えるが上は見えない。今日はあちらも吹雪いてでもいるのだろう。自分には縁がないな。

(どうしても雪のぼんぼりが気になる)


(荒山高原に戻る)


 結局、何となく荒山まで行くことになってしまったが、荒山高原からの直登は避け、反対側、棚上十字路側から回ろうかと思い、トレースのない窪みに入ると、ズボッと腿まで入り込んだ。これではラッセルだ。正当に南側から行くことにしよう。後で知ったが、そこを歩くハイカーはいないだけだったらしく、高原を歩いた先にしっかりしたトレースがあったようだ。

(荒山への登り)


 こちらもまた鍋割山のようなしっかりした道跡的なトレースはなかったものの、しっかりした踏み跡が続いている。ただ気になったのは、一方向、つまり上り向きの足跡しかないこと。これでは、まだ下って来ている人はいないのか、周回しているのか定かではない。出だしに踏み抜きをした感じでは周回はできそうもないとは思っている。ピストンならピストンになったらそれでもいい。元々、時間稼ぎが目的での荒山なのだから。

(こちらにもまた雪ボタン)


(モンスター風)


(鍋割山方面を振り返って)


(ちょいとばかりの雪庇)


 先行者が1人いるようだ。チラチラと先に見える。希望の広場の分岐で一人休んでいる。実は、荒山はやめにして、この辺から箕輪に戻ろうかなと思ったりしていた。何となく足が重くなっていた。そちらの方にトレースも続いていたし。だが、ここに休憩者がいたのでは考える暇もなくなった。そのままに登って行く。先行者はまだいる。さっきの休憩している方ではない。オジサンっぽいが、結構頑張っているなぁ。これ以上近づかないことが鉄則だ。向こうがこちらに気づいたら、どうぞお先にということになり、むしろこちらがあおられる状態になってしまう。

(荒山が近づく)


(緩やかな登りになっている)


(荒山山頂はもうすぐ)


 展望が効いてきて、そろそろロープ場のようだ。岩の間から、ピンクの上着を着た女性が下って来るのがチラリと見えたが、それきり。幻でも見てしまったかなと思ったが、その先でトレースが合流。どうも自分は遠回りのトレースを追って登って来たようだ。女性はそのまま直進で下ったのだろう。しかし、鍋割山でもそうだったが、単独の女性歩きが多いのには恐れ入る。やはり上州女かねぇ。
 2か所のロープ場はストックを使っていても難なく通過した。ロープそのものが凍っていてつかみようもない。荒山は鍋割山に比べて風もないのか、雪が枝に乗ったモンスターが目につくし、確かに風が弱まってか汗が出はじめている。しかし、一昨年に荒山に登った時に比べたら風は冷たく、山頂は遠く感じながら登っている。

(荒山山頂)


(ちょい先からの展望)


 荒山の山頂に着いた。居心地が悪そうにして二人の、それぞれ単独のオッサンが突っ立っている。一人は目の前をずっと歩いていたオッサンだろう。こちらもそのお仲間入りするのも何だしと、踏み跡もない山頂際まで雪を漕いで、黒檜山、地蔵岳の方を眺めに行った。山頂にあった寒暖計は-4℃になっていた。どうもあてにはならない気温だ。
 写真を撮って戻ると、オッサン一人は消え、もう一方は自分が来た道の方に下って行った。自分には、お二人がどちらに下るのか興味があったが、ひさし岩の方にトレースもしっかりとある。悩んでいると、別口のオッサンが登って来た。ここはいいやとひさし岩の方に下ることにする。その先にトレースがなかったら、戻ればいい。それだけでも時間稼ぎにはなる。

(荒山からの下り)


(ひさし岩)


(ひさし岩から)


(そして、その右側の光景)


 ここは下りの足跡がメインになっている。登りも目につく。ということは、この時季でも下りで使っている人が多いようだ。荒山高原にすんなりと行けるのか気にはなる。
 ひさし岩で展望を楽しんだが、荒山山頂から見た風景と同じようなもの。ちょっと見で下る。

(まさに蛇足だが、今日の足もと)


(隠れてカップヌードルを食べる)


 トレースはずっと続いている。安心して荒山高原まで行けるようだ。ほっとして休憩舎に寄ってカップラーメンを食べる。やはりかなり湯はぬるくなってはいたが、前回よりは幾分柔らかく、捨てることなく食べきった。ここの休憩舎は風避けにもなるところだが、食べて休憩している間、だれも通ることはなかった。ここから軽井沢峠に向かうルートもあるが、雪の上に踏み跡はなかった。

(トレースは明瞭に続く)


(東屋があって)


(棚上十字路)


(芝の広場)


 次のスポットは棚上十字路だ。傾斜が緩くなり、雪が深いわけでもないがかなり歩きづらくなった。気持ちが急いて歩いていても、足の動きが追いつかない。これは雪の抵抗のためなのだろうか。体調が悪いわけでもない。やはり緩いスパ長だろうか。登って来る単独氏二名と出会う。
 流れのない沢を渉ると荒山高原の看板が出てくる。そして、右手に東屋が見えると棚上十字路。ここからのトレースは均等に分かれる。荒山高原と森林公園駐車場だ。この森林公園の方から歩いたことはない。いつか歩いてみたいと思っている。その角にある「芝の広場」を覗いてみる。ここは不思議に雪のない世界になっている。

(すでに荒山高原エリアに入っている)


(本日三度目の荒山高原。定番コースを歩くとどうしてもこうなる)


 これまでよりも半分になったトレースを辿って行くと、鍋割山に向かう尾根が近づき、荒山高原に入った。やはり、当初、逆に歩こうとして入り込んだ手前から高原内に出るようになっていた。
 相変わらずの強風だが、陽が高くなった分、少しは暖かく感じる。5~6人が鍋割山から下って来て、うち一人がこちらに向かって来る。逆ルートの荒山周回だろう。残った人たちはグループのようで、騒がしく感じたから、休みたかったが、さっさと姫百合駐車場に下ることにする。

(下っている)


(雪の時、ここはいつも気分が良く感じている)


 もう12時近いのにハイカーがどんどん上がって来る。スパ長もいれば、ノーアイゼン、12本爪とさまざまだ。こんな時間にとは思ったが、鍋割山だけならゆっくり歩いてもせいぜい3時間往復だろう。今日あたりはむしろ楽な歩きができるかもしれない。
 荒山風穴の寒暖計の一方は-3℃。やはり少しは上がっている。ここのダラダラした登りは結構負担になるのか、道譲りにしても、逆に待たれてしまう。さっさと下らないと失礼かと、そういう時は急ぎ足で下る。上りでは少しは滑ったが、下りでは慎重に歩くまでもなく滑ることはなかった。この程度の積雪ではやはりスパ長が適当だろう。アイゼンなら岩にひっかける。

(出がけよりもさらに道らしくなって)


(姫百合駐車場に到着)


 姫百合駐車場が近くなってもまだ登って来る人がいる。大方は二人連れだ。荒山高原で終わりにしても、手ごろな雪遊びはできるだろう。
 駐車場に到着。車はざっと30台以上。ここから外れて林道に入り込む車も多いが、どこに何しに行くのか気になった。

 まだ12時だ。荒山に寄っても、凍結路を避けるにはちょっと早い時間の帰着だった。しばらくエンジンをかけっぱなしにしたが、しょうがないなと帰路に就く。凍結路は上り車線はかなり融けていたが、下り線は日陰のまま。意外と傾斜があって、Sモードにしてもすぐにスピードが上がる。結局、ブレーキを頻繁に踏む。幸い後続車はずっといないし、前にはトロトロ走っている車もいない。それでも凍結路解除エリアまでは緊張した。後続車がいてあおられでもしていたらどういうことになっていたことやら。こんなのでは、日光のいろは坂なんてのは夢の話だ。

 ということで、今季初の雪山遊びとなったが、たいした比較の経験はないが、例年よりも雪が多かったような気がする。鍋割山はハイカーがかなり入り込むところだ。まぁ、手ごろに短時間の雪遊びを楽しんだということにはなるだろう。ラッセルしてまでも楽しむつもりはないが。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

オレも富士山見たいと倉岳山と高畑山へ。

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◎2018年1月13日(土)

アオゲラの森キャンプ場下の駐車場(7:30)……立野峠(8:27~8:35)……倉岳山(9:08~9:27)……穴路峠(9:44)……高畑山(10:18~10:39)……楢峠(10:59)……大タビ山(11:11~11:20)……高岩(11:32)……雛鶴峠(11:55~12:02)……林道(12:09)……ランチタイム(12:24~12:39)……県道(12:41)……駐車場(13:16)

 この時季になると、青空をバックにした大きな富士山を見たくなる。7日に赤城の鍋割山から見えた富士山はちっぽけなもので、あれで満足というわけにはいかない。せめて浅間山ぐらいの大きさに見える富士山でなきゃ。数年前までは間近に見える山までよく行っていたから余計にそう思う。さりとて三ツ峠山から見える富士山ではでかすぎる。見たいのは手ごろな大きさの富士山だ。
 鍋割山と前後して、ぶなじろうさんが九鬼山、高畑山、扇山、百蔵山、そしてハイトスさんが不老山からの富士山写真をブログで見てしまい、どうしてもオレも行かなきゃと思うようになっていた。だが、足運びが近場で済ますようになっていると山梨は遠く感じる。
 出がけまで足尾か富士山見物にするかで決めかねていた。富士山見物2/3の気分で寝た。起き抜けに天気予報を調べると、大月あたりからでは富士山も午前中はバッチリと拝めるようだった。もう足尾の天気予報は調べずに山梨に向かった。明日の天気の保証はない。足尾なら天気次第でどこでも歩ける。
 実は、今回の倉岳山と高畑山だが、これに九鬼山を加えて縦走し、禾生駅あたりからバスで戻ることを検討した。以前は路線もあったようだが、今は禾生駅と無生野の間にバスは通っていない。あるのは無生野と上野原駅、本町三丁目というところを結ぶ路線のみで、本数も土日は3便だけ(平日は2便)。禾生駅と無生野の間は11km。タクシーがあるとは思えない駅だ。まして、駐車地予定は浜沢というバス停からすぐだが、無生野からは4つ目にすぎない。バス利用はとても現実的とは思えず、倉岳山と高畑山だけにとどめるしかないようだ。車道を挟んで朝日山、二十六夜山というプランも考えたが、それを歩ける自信はないし、富士山が見えるかも怪しいところだ。今日は見送る。
 余談だが、倉岳山と高畑山はいずれも大月市選定の秀麗富嶽12景になっている(不老山は上野原市だから対象外か)。この秀麗富嶽、調べると「12山」という意味ではなく12エリアの都合19山のようだ。この中で行ったことがある山は雁ヶ腹摺山、滝子山、本社ヶ丸、清八山の4山のみ。雁ヶ腹摺山に至っては、行ったはいいが、雲がかかってシルエットを拝んだだけで終わっている。この五百円札のモデル山、いつか改めて行かないといけない。

 アオゲラの森キャンプ場を目指して行ったが、ちょっと上がったところにグランドがあり、その脇が駐車場になっていた。そこに車を置く。他に車はない。自宅からここまでちょうど2時間。高速区間は東松山IC・上野原IC。実際に走ってみると、時間的には中禅寺湖に行くよりも近い。
 舗装道路歩きが長そうな情報なので、今日は普通の登山靴にした。舗装されていない駐車場は凍り付きガシガシと音を立てる。歩き出すとすぐ右手に二十六夜山の標識があった。十三夜は知っているが、二十六夜も信仰の対象になっていたのだろうか。ここに出て来るように歩くつもりでいれば、車道歩きをせずに良かったわけだが。

(駐車地から県道をまたいで北に向かう。駐車地の目印看板)


(立野峠への分岐)


(薬師堂)


(大ケヤキ)


 車道(県道35号線)を渡って北に向かう。道脇には「矢平山コース」とある。矢平山というのは知らず、昭文社マップを広げると、この先の立野峠から東にかなり行ったところに矢平山というのがあった。これでいいのかとは思ったがそのままで行く。帰ってから矢平山を調べたが、かなり地味な山のようで、山頂から富士山は見えないようだ。
 すぐに右路地に立野峠の方向を指す標識が見えた。入って行くと、神社が見えたので立ち寄る。神社というよりも薬師堂らしい。そこに「浜沢の大ケヤキ」というのがあった。看板には上野原市の天然記念物とある。

(石垣沿いに行くとこうなった。この時点ですでに道を外れている)


(ハイキングコースに復帰)


 ハイキングコースらしきところに戻って、立野峠に向かう。舗装道は狭くなり、すぐに山道っぽくなる。ここは沢状になっていて、左に石積みを見ながら登って行くと、次第に踏み跡は怪しげになり、このまま沢沿いに行っていいものやらと、反対側を見やると、道状になっている気配。そちらに行ってみると、しっかりした山道になっていた。早々に余計な歩きをしてしまった。

(ここがまた地味に急だ)


(あの尾根に乗るようだ)


(結局、トラバース道を行くことになる。立野峠が見えている)


(立野峠)


 薄暗い植林の中、沢沿いに窪み状になった作業道のような道を行く。ひんやりとして寒い。やがてじわりと地味な登りが始まり、ストックを出す。先に陽があたっているところが見え、植林からはすぐに抜け出すようだ。
 周囲は雑木になりつつ尾根に出る。葉はすっかり落ち、落葉の上の歩きは結構滑る。このまま尾根を登るのかなと思ったが、道は一時的に植林のヘリを歩いてはまた雑木の中に入り込む。最終的に雑木のトラバース道を行くと立野峠に出た。
 この峠、東西南北からの道が交差している。比較的新しい標識には、登って来た南方向に浜沢、これから向かう西は倉岳山、そして北は梁川駅、東は寺下峠とある。ここで早々に一服。一時的に無タバコ、アイコスになったりしたが、結果として紙巻きタバコに戻ってしまった。何ということはない元の木阿弥。

 ここの標識には倉岳山まで約35分とある。昭文社マップにも35分と記されている。結果として33分かかったが、普通の歩きをしていれば30分もかからないだろう。とにかく富士山を見たく、途中で樹間からすっきりしない富士山がチラリとでも顔を出せば歩きが止まってしまうのだ。

(立野峠からの登り)


(ここで富士山がチラリと)


(どんどん登る)


 峠からは通しの尾根歩き。これまでよりも風が冷たく感じてウインドブレーカーを着込んで出発。峠までは標高差350mほどの登りだったが、あと少なくとも150mの登りは続く。
 ここもまた地味な登りになっている。すぐの小ピークから左前方に富士山の姿をとらえるようになった。間近に見えてくる富士山に気持ちはガツガツ状態になる。早いとこ混じりけのないのを見たいの一心。まして、午後になったらお姿を拝見できないかもしれないから、余計にあせる。だが、コースを外れても枝木が邪魔になってすっきりとはいかないものだ。わかっていてそれを繰り返す。

(右手に大月市街だろう)


(倉岳山はもう少しだ)


 小ピークを下る。前方に倉岳山らしきピーク。右手に植林が合わさり、左手の雑木も密になってイラつき出す。富士山は消えた。今は用もない右手下の一角が見えた。大月市街だろう。盆地状になっている。つまりここは里山。ここからなら扇山も見えているのかもしれない。
 早いとこ倉岳山に出たいが、直下100mほどの登りはかなり応える。身体が追いつかない。クネクネ道をわざわざ直登しようとするから余計に休み回数も多くなる。この間にも枝木に邪魔された富士山は見えている。

(倉岳山に到着。富士山すっきり)


(確かに秀麗富嶽だわなぁ)


(ちょっとアップで。赤城山からではここまでは見られない)


 倉岳山に到着。まずは山頂写真やら標識の類、三角点を撮って、楽しみの富士山は後回し。律義な性格(笑)が手続きをそう踏ませる。落ち着いたところで富士山。いいね~。今日は来て正解だった。この後に天気が急変して高畑山で富士山が見られなくなってもいいように、じっくりと観察をしては富士山の写真を撮る。アップで撮ったら、どこからの富士山かもわからないのを承知の上で撮りまくる。ついでのセルフも忘れない。山頂の枝木も入り込んでしまうが、この程度なら許容だろう。鍋割山から見る富士山に比べたら格段だ。一人でバカ騒ぎ気分。

 落ち着いたところで看板を見る。「秀麗富嶽十二景について」の看板。ここには「十八の山頂」とある。あれっ、十九の山頂ではなかったのか。帰ってから調べると、「お伊勢山」が新たに加わったらしい。このお伊勢山、2009年版の昭文社『高尾・陣馬』には載っていない。岩殿山エリアの中ではあるが、かなり西の真木温泉の方にある山のようだ。
 菓子パンを食べて小腹を満たして一服。時間的にも早いのか、ここまでだれとも会っていないし、富士山一人占めといった気分だ。タバコを吸ってもだれに遠慮することもないのが最高だ。

 満足した。富士山周辺に雲のかけら一つもないうちに次の高畑山に向かうとする。

(では次は高畑山だな)


(いい感じだったが)


(こんな下りになった)


 ゆるゆると雑木の小道を行くと、いきなり左に下り出す。滑り止めのロープもある。登り返しがつらいなと思ったが、ぶなじろうさんの400m下りまではいかず、次のスポットの穴路峠まではせいぜい150m程度のもの。途中、樹間に見える富士山を執拗に追い続ける。

(穴路峠)


 傾斜が緩くなり、小岩混じりの尾根を下って行くと、穴路峠に出た。ここから北に鳥沢駅に下る道が分岐する。10時近い。電車で来るハイカーがそろそろ尾根に上がって来る時間ではなかろうか。この付近は電車で来ればアクセスの良いところだが、電車の乗り継ぎも群馬からでは悪すぎる。むしろ駐車地を確保した上で電車、バス利用をした方が無難だろう。
 「峠道文化の森」という看板が置かれている。この穴路峠、先ほどの立野峠ともに、古くから大月市と秋山村(現・上野原市)を結ぶ峠だったようだが、少なくとも立野峠に至るまでの間に見たのは薬師堂だけで、石碑の類は見かけなかった。古道というほどのものでもないだろう。

(天神山)


(改めて大月市街の展望)


 峠からは登りになる。後ろから話し声が聞こえる。トレラン風情の若い二人連れが早足で登って来る。ようやくハイカーに出会った。ちょうど目の前に小ピークがあったので、ここで先に行ってもらう。この小ピークには名前があり、標識には天神山とある。右手下には大月の町が広がっている。
 左植林の尾根を下って行くと、今度は反対側から単独氏がやって来た。時間的に、電車利用だとして、穴路峠からまずは高畑山、そして倉岳山といったルート取りだろうか。そんな人のことはどうでもいいが、この辺は植林、雑木で展望がきかず、富士山のことを気にせずに歩けるからいい。

(尾根上の小道といったところだ)


(急な登りになる)


(雛鶴峠への分岐ピーク)


 正面にこんもりとした高いピークが見えると、急斜面の登りが待っていた。果てしなく長く感じる。今度はあせらず、踏み跡に合わせてゆっくりとジグザグに登って行く。何度も休んでは振り返って見下ろす。他のハイカーの姿はないのを確認してはほっとする。こんなところで後続者がいたら嫌なものだ。上からまた単独氏が下って来る。
 登りきったところは高畑山ではなかった。まだ先があった。ここは雛鶴峠への分岐。帰路はここから下るつもりでいる。三人目の単独氏。この分では高畑山も混雑だろうか。

(高畑山山頂)


(高畑山からの富嶽景)


(あの樹が邪魔)


(ズームにしても入ってしまう)


 ちょっと行くと高畑山山頂。三人組がいた。何だか世間話をし、それが丸聞こえで雰囲気がよろしくない。こちらは無視を装って富士山を見とは撮る。ここからの富士山の展望も抜群だが、どうも左右の樹が邪魔で、倉岳山に比べると視野は狭い。ことに小さな樹が一本、センターに入り込んでしまう。あれさえなかったらなぁ。しかし、ここもやはり秀麗富嶽の眺めだ。
 ここでも写真をしつこく撮っている間に三人組は倉岳山の方に世間話をしながら下って行った。ネエチャン二人を引き連れたオッサンは破顔している。さぞご満悦だろう。そっと登って来たオレの存在すら気づかれなかったろう。同じ立場なら自分とてのべつまくなしでネエチャンたちを笑わせては破顔だろうが、そんな機会に恵まれることはあり得ない。
 一人になった。山頂付近をうろついては写真を撮る。菓子パンを食べてはまた富士山撮り。さっきまではなかった薄い雲が漂っているが、あとしばらくは持ちそうだ。あとは下山だけか。かなり物足りない。もっと富士山を別なところから望みたいがこの先に行くには無理がある。せめて大桑山までと思い、スマホで情報をチェックすると、木立に囲まれたピークで富士山は見えないようだ。やはり下るしかないか。

(雛鶴峠に下る)


(最初から尾根伝いの下りということを知っていれば間違いようもないが、知らないからこれでいいのかと思う。当初は穴路峠から下るつもりでいたし)


(標識を見てはほっとする)


 さっきの分岐に戻り、雛鶴峠に向かって下る。昭文社マップでは実線コースになってはいるが、あまり歩かれていないようで、踏み跡レベルになっているし、その踏み跡も落葉で隠れていたりする。テープ類は豊富で、地形図を持ってこなかっただけにこれには助かる。また気まぐれに標識もあったりする。
 やはり、右手の富士山が気になって仕方がない。だが、どこにもすっきりしたスポットはなく、それでいてあきらめきれずにうろうろして下るようになってしまった。枝木の隙間から撮ってもすっきりした写真にはなるわけもなく、無駄な写真ばかりが多くなる。当然、相当に時間もかかる下りになった。

 昭文社マップでは読み取れないが、このコースは尾根伝いに下るようだ。それを知ったのはしばらく行った後のことで、前半部は正直のところ不安な歩きになっていた。こんな尾根を歩くハイカーはいるまいと思っていたが、青年が登って来たのにはびっくりした。やはりどこにでもいるんだね。
 雑木の中の歩きだったのが左から植林が入り込む。ここも尾根で区分けされている。「発砲禁止」の看板が出てくる。雛鶴峠への分岐にも「特定猟具使用禁止区域(銃)山梨県」とあった。ここは禁猟区なのだろうがシカフンを見かけることはなかった。むしろイノシシのフンを2か所で見た。

(楢峠)


(右下にゴルフ場。里山には欠かせない存在)


 下って登る。その鞍部に黄色のテープが巻かれている。標識はない。テープに何やら字が書かれているが注意もしなかった。後で知ったが、この鞍部が楢峠だったようだ。
 結構な登りだ。石ゴロで凍結していて歩きづらい。右から人の声が聞こえる。何だろうと右下を見るとゴルフ場。安蘇の里山を歩いているような感じになる。登りきると「大ダビ山901m」の標識が2枚。地図には「大タビ山」とある。どちらが正しいのか。
 すっきりしない富士山が見えた。ここもまた樹間からアップで撮るしかない。雲はとれてまたすっきり富士に戻っているが、何となく富士山本体が薄くなってきた感じがする。周囲が白くなりつつあるのか。

(薄暗いところを歩いて)


(大タビ山)


(山名板は「大ダビ」と濁点付き)


 ここで狩猟に関してのおかしな看板を見た。「ハンターのみなさんこの付近にゴルフ場があります。狩猟に注意しましょう。山梨県」。どうやら、この先から禁猟区ではなくなっているのだろう。ゴルフ場はあっても「登山者がたまにいます」という表示はなし。むしろ登山者の方が間近で危険だと思うが。まして登山コースにもなっているわけだし。山梨県は「山があっても山なし県」なんだから、群馬、栃木以上にハイカーが多いだろう。もっとハイカーに気づかった看板があってもいいのになと一元のハイカーは思ってしまう。

(何とか見える富士山も頭だけになってきた)


(そして高岩山頂。ここから西に高取山、サイマル山方面に破線路があるはずだが確認はしなかった)


 大タビ山からは典型的な里山歩きの下りになった。ただ、起伏がかなりあって、下りとはいっても、高畑山が約982mでさほどの標高差を下ってはいない。また登って高岩。もうここまで来ると、富士山も頭部分だけになってしまう。それでもこの冨士見ハイカーは執拗に写真を撮る。やはり、富士山の姿は青い空をバックにしていても大分薄くなっている。

(左下に雲が出てきた)


(真下にリニアモーターカーの施設)


 ここの高岩だが、真下に工場のようなものが見える。名前に「岩」が付くだけに右下はスパっと切れている。あとで調べると、リニアモーターカー実験線の施設(車両基地?)のようだ。この施設なのかどうかは知らないが、リニア見学センターが出きたために、センター向けのバス路線を新設し、無生野経由のバス路線は部分廃止されたのではないだろうか。

(ゆっくりと雲が上がってきている)


 下りながら、いくらかすっきりした富士山を見た。すそ野から雲がわき出しているようだ。もうそろそろ里に出る。今日の富士山もこれで終わりだろう。
 しっかりロープが張られた岩っぽいヤセ尾根を下る。それでもしつこく富士山の頭は見えた。東側の下から雲が上がって来ているのがはっきりとわかる。やはり天気予報どおりだったかもな。

(明瞭な尾根道下り)


(鉄塔)


(鉄塔のあるところから。これで今日は最後の冨士山見だ)


 もう下り一方になった。道型は尾根伝いだからすでに明瞭。それでも見える富士山は左1/3が雲で隠れている。ここまで障害物がありながらも追い続けてきた富士山も、鉄塔に出るとはっきりと見えた。そうとわかっていれば、ちらつきの富士山は無視したのに。

(雛鶴峠)


 なおも下ると、峠のような分岐に出た。これが雛鶴峠。峠名の「雛鶴」のことは後回しにするが、標識は置かれていて、実は当初から気になっていたのだが、こちら方面の標識には「赤鞍・雛鶴峠」とあって、その「赤鞍」しいうのが気になっていた。ここで一服して地図を広げる。赤鞍とは「朝日山(赤鞍ヶ岳)」のことだろう。標識表記も「赤鞍ヶ岳」になってしまった。当初、それもありかなと思っていたコースだ。今は、別に行く気はない。実際のところ、「朝日山(赤鞍ヶ岳)」以外に、さらに東に「赤鞍ヶ岳(ワラビタタキ)」という山もあって、標識はいずれの赤鞍ヶ岳を指しているのか不明だが、もうそちらは道志の山の域に入ってしまう。
 一服してストックを収納し、ウインドブレーカーも脱ぐ。あとは明瞭な作業道のような道を林道に向けて下るだけだ。

(雛鶴峠からの下り)


(林道に出て)


(塞がれたトンネル)


 古い間伐がそのままになっているが、道はしっかりとクネクネと下る。また鉄塔に出た。こからの眺めに足を止めることはない。そして舗装林道に出た。ここで林道は終点になっているのか広場のようになっていて、傍らに「←ハイキングコース」の標識がある。この林道、ここでは林道としたが、どうも県道35号線の旧道らしく、地図を見ると、高いところを併行して走っているも道のようだ。広場を振り返ると、その先には閉鎖されたトンネルがある。雛鶴トンネルと呼ばれていたらしい。中を覗くと、先の出口が見えている。
 この林道をしばらく下る。県道に接近しては離れる。この林道は現役のようだが、トンネルで寸断されているから、せいぜい山仕事かハイキング用途だろう。落石もほとんどない。

(林道を歩いて)


(県道に出た)


 県道に出る前にカップラーメンでもと思って、腰かけ用の手ごろな石を探しながら歩いたが見あたらないままに、民家で工事でもしている手前までやって来てしまった。これでは食えないなと戻って、平らな地べたに腰を下ろしてランチタイム。
 民家を数軒通って行くと県道に出る。ここに「林道奈良山線」の看板があった。「林業経営のために開設された林道です」とあるから、旧道だったのか、当初からの林道なのかわからなくなった。
 さぞ車道歩きは長いだろうなと思っていたが、せいぜい35分ほどのものだった。下り基調で歩けたため、さほどの苦痛は感じなかった。こんなことを記してはなんだが、車道沿いに点在する民家、煙突の煙、田んぼ、古そうな石仏…。その風景はまさによく見かける田舎の落ち着いた風景だ。この県道、「旧鎌倉裏街道」とも呼ばれているようだ。

(雛鶴神社)


(雛鶴姫の像)


 神社があったので立ち寄る。これが雛鶴神社。ずっとこの「雛鶴」という地名が気になっていたところだった。神社の解説板を読む。あっさりと記すと、雛鶴姫は鎌倉時代末期の護良親王の寵妃。鎌倉にいた護良親王が暗殺される。それを聞いて京から鎌倉にかけつけた身重の雛鶴姫は追われる身となる。そして甲斐経由で京に逃れようとするが、この秋山の無生野を通った際に産気づく。折しも季節は冬。後難を避けた村人に見捨てられたまま、寒さと疲労で母子ともに亡くなり、ここに神社を建てて姫を祀ったというものだ。神社には雛鶴姫の像が建っている。

(道々で石仏)


(よくわからない石碑)


(町の中心部? 民家から薪ストーブの煙がたなびいたりしていた)


(こんなのを読んでいると面白い)


 よくわからない石碑がいくつかあったが、どこにでもある馬頭観音碑は一基しか気づかず、むしろ「百番供養塔」というのが目についた。
 この旧秋山村は「民話の里あきやま」というのをPRにしているのか、あちこちに秋山に残っている民話が案内されている。それを読んでいるのもまた面白かった。

(駐車場に到着)


(帰路で。こんな何でもない石仏と石碑、ネットで登場は初めてだろう)


 駐車場に戻る。中学校の野球部だろうか、グランドで練習し、それを何人かの父兄も眺めている。ただ、車が7~8台置かれているものの、ほとんどが東京ナンバーの車だ。自分の後に倉岳山と高畑山を登るハイカーが続いていたのだろうか。
 時間は早いが、近くに風呂屋はないか探しながら車を走らせたが、見つけられないままに中央高速に入ってしまった。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

長瀞の山をぶらぶらハイク。金ヶ岳から釜伏山、そして小林山。

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◎2018年2月10日(土)

長瀞町役場駐車場(6:58)……金ヶ岳・春日神社(7:56)……仙元峠(9:17)……塞神峠(9:38)……荻根山登山口(10:02)……釜伏山(10:27)……日本水(10:43)……釜伏山(11:13)……釜山神社(11:25)……釜伏峠・車道(11:34)……東屋(11:49~12:18)……塞神峠(12:28)……仙元峠(12:34)……植平峠(13:04)……葉原峠(13:08)……大平山・小林山(13:22~13:31)……葉原峠(13:36)……岩根神社(13:56~14:04)……休憩(14:34~14:39)……県道82号(14:44)……法善寺(14:54)……多宝寺(15:06)……役場駐車場(15:14)

 3連休は大月の山に富士山見物に出かけるつもりでいたが、金曜日夜時点の天気予報では、土曜日は晴れてはいても雲量が7割超えと多く、あっばれ富士山は期待できず、さらに日、月曜日は下り坂。となると、土曜日歩きしかできないが、雪の山を歩きたいという気持ちが今一つというよりもほとんど湧かず、手っ取り早いところで長瀞の山に行くことにした。今回の釜伏山にはいずれ行ってみなければと思ってもいた。こんな天気具合や気分の時には無難でいいだろう。
 だが、皮肉なことに、山から帰ってから天気予報を改めて見ると、日、月の予報はコロッと変わっていて、ことに日曜日は富士山の展望日和になっていた。腹立たしい思いにもなったが、まぁ、こんなものでしょうと今回は諦めるしかない。何せ、今日のブラブラ歩き、あっさりとはいかず、8時間歩きになってしまっていたから、体力的に明日は山梨というのは自分には無理な話なのだ。ちなみに、翌日曜日は多々良沼に白鳥見物ということになったが、残念ながら沼に着いたのが7時半だというのに、向かう途中で空を見上げると三々五々に白鳥が飛び立っていて、結局は10羽くらいしか見られなかった。

 漠然と釜伏山に行って日本水なるところを見て来ようといった思いしかなく、昭文社マップ(以下、単に「マップ」)と周辺の1/25000地形図(以下「地図」)を刷り出して持参しただけだ。他の方々のネット記事もろくに見ることもせずに出向いた。長瀞町役場の駐車場を選んだのも、以前、ハイカーにも開放されているここを利用したことがあったし、他の便利な駐車地を探すのも面倒で、マップをざっと見る限り、多少は長いが、役場からでも行けると思ったからのこと。頭の中に具体的なコースが描かれているわけでもない。
 駐車場には他に2台あった。車の中でマップを改めて広げ、とりあえず金ヶ岳経由で釜伏山に行ってみるかとコースを決めたところで、駐車場には次から次へと車が入って来た。今日の宝登山縦走コースは賑やかなようだなと思っていたら、車から出て来るのは膝までありそうな厚手のウインドブレーカー(正確には何というのか?)を着込んだ小学生と父兄ばかり。やたらとでかいバックを運んでいるところからして、大方、サッカーの試合にでも行くための集合だったようだ。見るからにハイカーというのは、準備中の2人連れのみ。釜伏山のようなマイナーな山に行くとは考えられない。長瀞アルプス歩きだろう。

(あれが金ヶ岳だろうか)


(高砂橋を渡る)


 目の前の国道140号線を渡り、アルプスとは反対側の東の山側に向かう。おそらくこれから先ずは向かう金ヶ岳は視界に入っているのだろうが、いくつかピークがあって特定ができない。おそらく、正面に見えている三角形の山がそれなのかなとは思う。線路が近づくと右手に野上駅。周囲はそろそろ明るくなっているが、写真で撮る風景はまだ薄暗い。右手後方に見えるのは宝登山だ。これならわかる。大きな山容だ。
 街の中を突っ切り、荒川にかかる高砂橋を渡ると県道(82号線)に出る。閑散としていたので、信号無視で渡ったが、帰りは、この県道、ダンプ街道になっていて、歩行者信号のボタン押すことになった。

(ここから入れば行けるようだ)


(雪が残っている)


 右手の「法善寺」というのが標識にあったので気になったが、ここは帰りに寄ることにしよう。寺の手前のすぐに左手に「村社(示すヘンに旁は木に土の字。「社」だろう)春日神社」と記された碑と鳥居があり、奥に道が続いている。これを行けばいいのか。鳥居の脇には案内板があり、ここから30分登れば(自分のノロ足では42分もかかったが)春日神社の小祠(=金ヶ岳)に着くと書かれている。そして神社の説明。ぶなじろうさんのブログでよく見かける武蔵七党の一つ「丹党」の根拠地だったらしい。そう詳しく記されても、自分にはとんと理解できないでいる。
 道に入ると、雪が出てきてすぐに消える。この先もずっとこの繰り返しになる。今のところは凍結しているところもあるが、チェーンスパイクを巻くほどでもなかろう。今日は軽アイゼンも持参したが、使うことはなかった。チェーンアイゼンにしても、少し雪が深いところではダンゴ状になってしまい、半端な積雪ではツボ足のままの方が良かったようだ。言わずもがなだが、チェーンスパイクは凍結路、グズグズ道限定の使い方が限界だろう。

(道はここで右にカーブする。直進は地図上の破線路。もう倒木が覗いている)


(これを越えて行ったが、すぐに戻る)


(カーブにある洞窟)


 道筋を登って行くと、右にカーブを促す古ぼけた標識があった。この道、地図上では破線路通しに沢型を行くと鳥居マークに至ることになっている。マップでは巻きルート込みの2コース表記だ。ただ、その沢型破線の方には標識とは別に「荒れ道のためお勧めできません」と看板に記されている。なら、その荒れ道を参りましょうかと入り込んでみたが、ちょっと行くと倒木地獄の気配。一つの塊を越えてみたが、先にも続いていそうで、歩く人もいないのかヤブめいている。すごすごと戻り、その時に気づいた傍にあった洞窟を覗き込んだりする。真っ暗で踏み入るのは何となく怖い。

(標識は随所に置かれている)


 おとなしく迂回路コースを登る。特段の特徴もない道を登って行く。ところどころに「ながとろハイキング 金ヶ嶽ハイキングコース 約2時間30分」の案内板が置かれている。整備されているのでは迷いようもない。ただ、この2時間半コースがどんなコースなのか知らず、案内板に記されたQRコードをスマホにかざしてみたが、アクセスはできなかった。このまま目的の釜伏山に導いてくれればいいが。

(春日神社)


(神社裏手の山頂)


 周囲が植林混在の地味な風景の中を登って行く。至植平・岩根山・葉原峠→」の標識分岐を過ぎてそのまま春日神社方面に向かう。今のところ春日神社はあっても「金ヶ岳」の標識は見ていない。間もなく先に物置のようなものが見えた。
 その物置のようなものが春日神社だった。神社名の入った扁額としめ縄がなかったら神社とは気づかない。神社の戸は閉ざされている。後ろに小高いところがあり、これが金ヶ岳の山頂だろうが、山名板も標識の類も何もないそっけないピーク。周囲は木立で展望はない。ここまでウインドブレーカーを着こんでいたが、陽も昇ってきたので脱ぐ。
 ここに長居していてもしょうがないので下る。その前に、荒れ道のためにお勧めできないという道がどこに上がって来ているのか確認する。ここからは見る分には普通の道だった。進入禁止のロープガードはなし。

(明瞭な道筋)


(左手に伐採地が見える)


 先ほどの分岐標識に従い、植平方面に向かった。途中、御嶽神社方面行き止まりの標識を見かけ(それはいいが、そもそも御嶽神社ってどこにあるの? マップには出ていない)、明瞭な踏み跡に沿って下る。地図の360m標高点付近を通過。だが、この辺、地図には実線も破線路もない。マップには東に植平峠に向かう直通ルートが記されているのだが。

(ここあたりはまだ正解歩きだったようだ。この「ながとろハイキング」の標識を以降しばらく見かけなかった。左に行くと岩根山とあるが、地図にそんなストレートな道はない)


(この辺は完全に間違いに気づいている。下っている)


 秩父農工高の観察林を過ぎる。そして左に伐採地。どうも気分的にすっきりしない。これ、間違って歩いているんじゃないのか。標識に合わせて歩いたつもりではいた。「植平・岩根山に至る」の標識も確認した。どうも東には行かず、南に下っている気配がある。GPSを取り出す。線も何もないところを歩いている。ただ、このまま行くと、植平峠ではなく植平という地区に向かいそうだ。気づかなかったが、どこかで分岐を通り過ぎてしまったようだ。遠回りになりそうだが、車道歩きを覚悟すれば釜ヶ岳に行けなくもないか。
 今回はコースの検討もせずにやって来たから、ここで座り込み、地図を広げる。今日はこの先どうやって歩こうか。早々におかしな状態になってしまったが、車道経由で釜伏山。そして日本水。戻って、植平峠に北上か。せっかくだし登谷山、皇鈴山までもと考えてみたが、せいぜい登谷山までだろうな。車道の往復が長くなるだけだ。

(民家が見え)


(あっさりと車道に出てしまった)


 そうと決めてこのまま下って行くと、標識は「至 二十二夜堂・植平・塞神峠」となり、やがて椎茸でも育てているのか、ホダ木が並び、墓地もある。そして人家が見えだすと、案の定、舗装された車道に出た。これは林道だろうか。車の往来はない。この道は地図でも確認できる。このまま進むと登谷山の方に続いている。釜伏山は途中でちょっと北に入り込む。いくら何でもこれではなぁと思ったが、分岐を見過ごしてしまった以上はこれを行くしかない。釜伏山に行ければいいんだし。だが、何だか面白い歩きには程遠くなってしまったなぁ。

(塞神峠分岐の標識)


(登って行くと)


(正解ルートが右から下って来ている。自分は左下から来た)


 車道を5~6分ほど歩くと、塞神峠への山道が分岐する。正直のところほっとした。このまま車道歩きになるかもなとおぞましく思っていた。
 少し荒れ気味の山道で、すぐに植林の中に入ったが、作業道ぼくなり、分岐のところに肝心の標識がない。上に尾根が見えるので、あれに登ればいいのだろうが。
 「日本水 釜山神社」の石柱が置かれているところからして、この辺は神社の領域ということだろう。やがて尾根伝いに左上から下って来た道に合流した。つまり、金ヶ岳から自然に植平峠に出られると思っていた道だった。遅ればせながらの予定コース歩きに入った。すぐ先が仙元峠。ここで「ながとろハイキング 金ヶ嶽ハイキングコース 約2時間30分」の案内板が復活したから、よほどに間抜けな歩き方をして標識を見逃していたみたいだ。いずれにせよ、帰路はここにまた戻ることになるから、重複歩きを少なくしたことにはなる。

(物置と標識)


(件の石標)


 峠には物置のようなものがあったが、これは何なのか。神社ではないようだ。ここから雪が少しばかり多くなってきた。せっかく持参してきたチェーンスパイクを巻く。登りだし、あった方が滑る心配をせずともいい。さて、ここあたりから石標状の標識を見かけるようになる。石標の四面ともに地名が記されている。たとえば、ここの石標のそれぞれの面には、「日本水、釜山神社」、「蕪木」、「葉原峠、みかん山」、「扇沢」とある。当初、ただの羅列かなと思っていたが、それぞれの方向に向いていることを理解するまで時間がかかった。何せ、このタイプの標識は初めてだったし。

(この程度の雪道なら大歓迎だ)


(傾斜も緩い)


(塞神峠。正面の尾根から下って来た)


(塞神碑)


 たいした起伏もない道を歩いて行く。雪の上には昨日までらしきトレースが複数。のんびり気分で歩ける。465m標高点付近を通過にして下りにかかると、また舗装車道が現れた。ここが塞神峠。これまでの山道を加えると十字路状になっている。
 この「塞神峠」、「さいじんとうげ」とでも読むのか。帰宅してから調べると、「塞の神(サイのかみ、またはサエのかみ)」は道祖神と同じで、悪霊、邪鬼が集落に入り込むのを防いでくれる神様だそうな。だが、周囲に神社や祠の類がないなと周辺を回ると、「塞神」と彫られた石が道端にひっそりと置かれていた。

(車道歩き)


 ここから車道歩き。チェーンスパイクをつけていたこともあって、最初のうちは車道端の雪のあるところを選んで歩いていたが、路面に凍結やら残雪はなく、結局は、チェーンスパイクを外して車道を歩いた。右手の展望が開けて日差しも降りそそぐ。暑いに近い暖かさだ。汗が出てくる。
 今日は下着もシャツも、試し着を兼ねての冬支度でやってきた。これまでのヒートテックが耐用年数に達したのかちっとも暖かくなく、下は「極暖」、上は「超極暖」なる少々高いヒートテックを買ってみた。さらに、シャツはモンベルの「メリノウール」とかいう素材のシャツを着ている。本当はウール地が欲しかったが、高いのであきらめた。さらに裏起毛地のズボンとあっては、この陽気では暖かさを通り越すのもあたりまえで、ちっとも試し着の状態にはならなかった。
 振り返ると単独氏が車道を登ってきた。まさかの車道の通しだろうか。先に行って欲しく、たまたま、左に迂回するような雪道が見えたので、グズグズとチェーンスパイクを巻いていると、オッサンは車道をそのまま歩いて行った。この先の釜伏山方面への分岐に足跡はなかったから、おそらくあのまま登谷山、皇鈴山にでも向かったのか。車道歩きでは面白くもないだろうになと思ってしまう。

(ここから左に入ってみると)


(こんなのがあって)


(東屋。右手が展望地になっている)


(展望地から。両神山が奥にうっすらと)


 迂回路とはいっても、右下には車道が見えたまま。左に建屋が見え、「FORT EDWARD AMERICAN GARDEN」と看板が立てられている。鉄線で囲まれて中を覗き込むことしかできないが、何の施設なのか、州の旗のようなものもひらめいている。そもそも、この「FORT」だが、人名なのか砦のfortなのか、建屋の想像はそれ次第といったところだ。
 門を過ぎると東屋があり、その先で車道に出てしまった。ここは展望地で展望板も置かれている。晴れて青空が半分以上あるのに浅間山すら見えない。うっすらと両神山といったレベルだ。

(なんだかなぁといった感じ)


(釜伏山へ)


 車道歩きに戻ると、右手にゴチャゴチャしたところが現れた。何やら、宗教のような、精神鍛えのような文字が記された板が並んでいる。ここを登れば聖地らしい「荻根山」というところに出るらしい。怪しげな感じがしたので自分はパスしたが、仮面林道ライダーさんの記録を拝見すると、山頂は591m標高点のあるところのようで、山頂の文字板も賑やかなところらしい。改めて行ってみることはないだろう。
 ちょい先に行くと、左に釜山神社の標識(「ふれあい道」付きだ)。ここに入ればいいのようだが、釜伏山の表示はない。「日本水」はあっても、釜伏山は相当にマイナーな山なのか。これまでの経験からすると、釜山神社の奥社が釜伏山にあるといった感じだ。ちょっと雪があるが、新しい踏み跡はない。やはり、さっきのオッサンは車道伝い歩きのようだ。

(こんな感じのところを歩き)


(正面に釜伏山)


 すぐに露出した木の階段になり、少し登ると、先に三角形をつぶしたような山が見える。あれが釜伏山か。確かに、釜のような山容になっている。なだらかになったところに標識があり、右下向きに「釜山神社」となっている。釜山神社に行くだけなら、ムダな登りをしている感じがしないでもない。道はなおも先に続くが、壊れかけた山名板には「日本水」とある。あくまでも釜伏山の標識はない。これは最初の金ヶ岳と同じだ。日本水も今日の目的の一つだし、悩まずにそちらに行く。

(天狗松休憩地)


 下って鞍部。「天狗松休憩地」というスポットらしい。標識には「この山を登り降り日本水へ」とあったが、「この山」そのものが釜伏山なのだろうが、ここで山名を明かすわけでもない。地元の方にとっては、ただの奥社であって、山名はどうでもいいのだろう。
 休憩地には鳥居があって、横に東屋らしきものがある。そして寄居町設置の防火水用のドラム缶が置かれている。このドラム缶。先々で見かけたが、「火の用心」と書かれてはいても、たまにバケツが備わったドラム缶もあるものの、中を覗くと天水が溜まってもいない。これではただの美観を損ねるドラム缶になっている。

(山頂の釜山神社奥社)


(彫刻が施されている)


(あったのはこれだけ)


 鞍部からの登りは、これまでの登りと違って、さも山歩きといった感じになる。距離は短いがチョイ岩場の登りになる。登りきって現れたのが「奥の院休憩地 日本水→」。ここに至っても釜伏山の名前は出てこない。
 山頂には奥社の社殿と狛犬が置かれている。手書きの山名板には「釜伏山582M」と記されている。そして石祠と石塔らしき丸い石、社殿とはいっても大きめの石祠だが、獅子らしい彫刻が施されている。時間の関係か日陰になっていて、のんびりできそうなところではない。

(見晴台休憩地)


(こんなのが立てられている)


(見晴台から。たいした見晴らしではない)


 ここで釜伏山には登ったから、次は日本水となる。マップではすぐ近くにありそうだが、実際は100mほど北に下ることになる。山頂からすぐに北がちょっとした展望スポット。標識が雪の上に裏返しに倒れていたので起こしてみると「見晴台休憩地」とある。山頂には、最初はアンテナかと思ったが、何というのか忘れたが、長い竹竿の先にワラの束を結わえたものを立ててあった(梵天と言ったかなぁ)。

(日本水に下る)


 日本水に向かって下る。北側だけあって、雪がちょっと深くトレースなし。チェーンスパイクは雪ダンゴ。岩ゴロ地帯になっていて、チェーンでガードされている。マップを見る限りはすぐだと思っていた。ちょっと一時的に傾斜が緩むところがあり、そこだろうと見当をつけたが、下からツボ足で登って来た2人組に日本水の場所を聞くと、まださらに下の鞍部に出てから先とのことだった。登り返しが嫌になりそうだ。
 雪が消えて鞍部。日本水方面には「岩盤の崩落が予想されるので立入禁止」と記された看板が置かれ、ロープが張られている。

(立入禁止地帯へのトレース)


(日本水)


(風布川の源流)


(崩落が予想される岩盤を入れて)


 ここでやってはならないことをした。さっきの2人組らしき往復4人分のトレースが雪の上に付いていた。同じことをする。
 何となく予想はしていた。ニホン水ではなくヤマト水と読むのだろう。そして、日本武尊にちなんだ水だろうと。まさにそうだった。解説板を読むと、ここは風布川の源流のようで、地元の人たちには古くから霊泉としてあがめられていたようなことが記されている。「沸かして飲んで下さい」とあったが、そのまま2口いただく。甘く深みのある感じの水だ。

(見上げるほどの登り)


 マップにはここから引き返さずにそのまま先ほどの展望スポットの東屋に出られる線が記されているが、果たしてそんな道は見あたらない。というか、それは後で地図を見て知ったことで、このまま釜伏山に戻るしかないと思っていた。だが、そういうルートがあれば気づくものだが、雪に隠れて見えなかっただけのことだろうか。この100mの登り返し、本日一番の難所であった(笑)。

(釜伏山からの下り)


(階段付きで整備されている)


 山頂手前の見晴台休憩地で一息入れ、菓子パンを食べて一服。山頂は素通りして釜山神社に向けて下る。鳥居を過ぎたところでアレっと思ったのは、あの2人組、このまま神社には向かわず、左に下っていることだ。マップにも地図にもそんな道はなく、むしろ、地図の方に車道幅状の道が南から来て、ここで南東に向かっている。車が通れるような道ではない。正解はカシミール地図。確かに、鞍部から南東に実線があった。2人組がこれを下って風布方面から周回したとすれば、えらく短いお歩きのようだ。

(釜山神社)


(鳥居)


(これがやたらとある。ヤマトタケルには付き物だ)


(そして長い参道)


 下って行くと神社が見えてきた。その時は普通の神社に見えた。社殿もそれほど大きなものではない。扁額に記された「釜山神社」、ふと、ここも朝鮮系の神社なのかなと思った。埼玉はそういうところが多いし。
 車道に向かって参道を歩く。えらく長い。長いと、いろいろと気になるところが出てくる。道路沿いに並ぶ狛犬や石造物が多い。それだけ寄進者が多いということだろうが、その台座には「釜伏神社」、「釜伏山」と記されているものもある。ということは、この一帯がやはり釜伏山なのか。

(釜伏峠に到着)


(また車道歩き)


(登谷山が見えている)


 次のポイントは車道が乗り入れる釜伏峠だが、頭の中では、登谷山に行くかどうか混在状態になっている。車道を歩いてもなぁといった気持ちと、車道歩きだから楽に行けんじゃないのと。そして、釜伏峠に出た。登谷山方面に行くのはやめにした。考えてみれば、4年前に外秩父七峰ハイキング大会に参加し、登谷山方面からここの峠を経由して寄居に下っていた。改めてその一部区間を歩くこともあるまい。
 車道歩きに復帰。軽トラと乗用車が各1台脇を通って行った。もうチェーンスパイクに用はないだろう。釜山神社の分岐から先はさっき歩いたところだ。

(ここでゆっくりランチタイム)


 FORT EDWARDのある東屋で休憩する。30分はゆっくりしたか。時間的にもランチタイム。微風でポカポカしていて気持ちが良い。だれに会うこともなく、このままベンチで寝転がりたいところだが、まだ先がある。この程度の車道歩きなら我慢もできるが、葉原峠から役場に至る車道歩きがコースタイムで最低70分はある。近辺の寺をいくつか見たら1時間半はかかる。
 塞神峠に向かって下る。ここに来たなら武甲山くらいは見ておきたいが、あいにくの木立の邪魔か、もしくは薄いガスのためか確認できなかった。
 ここから戻り道の様子をだらだら記しても仕方がないので省略し、一気に仙元峠に移動する。また金ヶ岳経由で戻るつもりはないし、往路で見落とし歩きをしてしまった植平峠を経由し、葉原峠から下ることにしている。

(植平峠に向かっている)


(石碑があって)


(石仏)


 仙元平に置かれた例の金ヶ嶽ハイキングコースの標識、改めてQRコードを読み込んでみたが依然として「ページが見つかりませんでした」となった。まぁどうでもいいやと、さっき気づいた二股を上に行く。
 植林の中を行くと「小御岳石尊大権現」と彫られた石碑があり、賽銭も置かれている。そしてその先には石仏。ここは釜山神社に至る信仰の道かと思ったところで植平峠、と思ったがそうではないらしい。標識によると、風布に下る道が分岐しているだけのスポットのようだ。

(ちょっと陰気な感じ)


(何もない小ピーク)


 だらだらと歩いて行くと、道は左の小ピークを迂回する。単調な歩きが続いているので、ついそのピークにヤブ漕ぎで登ってみたが何もなし。先で迂回路に合流。また日陰の雪が出てきたりしたが、チェーンスパイクはザックにぶら下げたまま。この時間だし凍結もしていない。ちょっと下るとようやく植平峠。仙元峠から20分のコースタイムだが30分近くもかかっている。これは石碑や石仏を見たり、余計なピークに登っただけの理由ではあるまい。本当にノロ足になってきてしまったようだ。コースタイムとてGBタイムなら情けない。

(この「みかん山」が気になった)


(葉原峠)


 峠に置かれた標石が気になった。葉原峠方面に「みかん山」というのが併記されている。このみかん山とは? 葉原峠の先にある大平山の別名だろうか。しかし、マップには「大平山(小林山)」とある。
 これまでの延長歩き、強いて言えば違いは右下に家屋のようなものを見たことぐらいか。ほどなく林道(「ふれあい林道葉原峠線」)に出た。ここが葉原峠。このまま舗装林道を下るのもなぁと、大平山に行ってみることにする。頭の中には、もしかすると小林山以外に「みかん山」の別称があると思ったからだ。

(物好きな方でなきゃ直進することはあるまい)


(小林山。左寄りに三角点)


(山名板)


 踏み跡を辿って行くと、本道らしい道は右に分かれて行く。ここは踏み跡の薄い尾根伝いだろうと直進。少々急で、ヤブっぽいが踏み跡はしっかりしていて山頂に出た。三角点が置かれ、「小林山」の山名板がある。みかん山ではないようだ。北側にもピークが続いているが、そこまで確認に行くこともなかろう。大方、下のミカン園の一帯をみかん山とでもいうのだろうと思うことにする。
 雪で腰をおろすところもなく、三角点標石に腰をかけて一服。陽が陰ると寒く、風も冷たくなってさっさと下山。

(下って)


(林道)


 長い林道歩きの開始となった。林道の雪は日陰部分だけだが、車の轍を歩くと滑ってしまう。むしろ雪の上を歩いた方が無難だ。
途中で左から林道が合流する。「葉原支線・起点」とあり、そちらの方向の標識は「至春日神社 塞神峠」となっている。春日神社とは金ヶ岳にあった神社で、金ヶ岳からの下りで間違って出てしまった車道に出る道なのだろうか。こう車道が入り乱れていると、地図を見てもどうも釈然としない。

(こんなのがあって)


(岩根(山)神社)


(裏の大きな丸い岩)


(岩をくり抜いて安置されている)


 墓地やら廃屋を見ながら歩いて行くと右手に神社が見えた。手前には東屋もある。岩根山神社というらしい。「長瀞八景」の案内板が置かれ、「例大祭(四月十七日)の頃、一千株超えるミツバツツジやヤマツツジ云々」とある。きっとここもまた一帯が岩根山なのだろう。ついでだし、この神社を探索する。本殿の後ろには丸い大岩があり、石碑や石像、祠がいくつかあった。
 林道歩きに戻って地図を見ると、この先は長い屈曲カーブになっていて、これはこれで当然、ショートカットの対象とするつもりだが、神社の手前に実線が記され、こちらの方がもっとショートカットになりそうなので戻る。来るときには気づかなかった。だが、その分岐の先には神の社務所になっていて、鉄の柵で閉ざされて入れないようになっている。これでは行けない。そもそも、柵を乗り越えたとして、社務所の後ろに引き続きの道があるのかも疑わしい。戻る。

(岩根山歩道入口)


 ちょっと厳しいショートカットをして林道に復帰すると、「岩根山歩道入口→」の標識が左手に延びていた。この入口は閉鎖されていない。ということは、社務所ではない別のところに出るようになっているのか。神社のもう少し上まで行ってみればよかった。勝手な想像だが、この歩道伝いにツツジが咲くような気がする。

(道路沿いの石仏)


(見上げると石碑群)


 車道歩きに飽きてきたが、傍らの石仏を見てほっとする。その先で右上を眺めると、石碑がずらりと並んでいる。往時には古道か里があったのか。
 ぼちぼちと民家が現れる。不思議に別荘だ。こんなところにといったら失礼か。続いて民家。洗車中の方がいる。日向で腰をおろして一服する。

(里に入り)


(県道が見えてきた)


(県道歩き)


 本格的に里の風景になり、釣り堀の脇を通ると県道に出た。ダンプが行き交って、騒音の世界になった。右手先に宝登山を眺めながら行くと、今朝ほどの登山口の鳥居に出た。ここからすぐ先に法善寺がある。別にこの寺に思いがあったわけではなく、案内標識があるくらいだから相応の寺だろうと思い、見たかっただけのことだ。

(法善寺)


 門前の説明版を読むと、特記するようなこともない普通の内容だが、正式には金嶽山法善寺で、寺の裏山が金ヶ岳という位置づけになっているようだ。中に入ってみたが、しだれ桜が有名らしい。自分には特別な思いは残らなかった。

(高砂橋から宝登山)


(多宝寺)


 そのまま役場に戻ろうとしたが、マップを見ると、高砂橋を渡って先を右に行くと「多宝寺」というのが記されている。法善寺がこんなものかと思っただけに余計に回り道をしたくなった。まして、道端の看板には、別名「秋の七草 桔梗の寺」とも書かれている。結果としては、まぁ、その時期に行けばきれいだろうなで終わってしまった。

(電車の通過を待ち)


(長瀞町役場に帰り着く)


 踏切で電車の通過を待ち、国道を渡って長瀞町役場に着いた。何ということもない8時間のだらだら歩きだった。別に自分の体調が悪いわけでもないが、普通の山慣れした人なら5時間程度のものだろう。こんな単調な歩きコースでも、自宅に帰ってからカシミールに入れてみると、累積標高差は1100mを超えていた。こういうのってあまりあてにはならないか。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

※今回の歩き、正直のところ冴えない歩きなのに写真が多くなってしまった。改めて見ると、どれもこれもといった感じ。表紙の写真からしてこれではなぁ。

笹子雁ヶ腹摺山。雲が多めの予報だったが、絶景富士山を楽しめた。

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◎2018年2月18日(日)

新中橋バス停脇駐車場(7:22)……1188m標高点付近(8:43)……笹子雁ヶ腹摺山(9:10~9:43)……新道分岐(10:07)……尾根道合流(10:37)……笹子峠(10:53~11:04)……林道ゲート(11:23)……矢立の杉(11:32)……ランチタイム(11:42~11:59)……車道復帰(12:07)……駐車場(12:29)

 本当はただの「雁ヶ腹摺山」に行きたかったのだが、自分で歩いてみたいと思っていた尾根ルートでは時間がかかり、日曜日の天気予報をチェックする限り、雲量が少ない午前中の早い時間帯での山頂到着は望めそうもなかった。二度目の幻の五百円札はご勘弁なので今回はパスして、確実に早い時間に到達できそうな「笹子雁ヶ腹摺山」に行くことにした。なまじ終日雲だらけの予報だったら、確実に映画にでも観に出かけたろう。こういう半端な雲行き情報を信じ込むと決断を鈍らせて混乱してしまう場合もある。
 雁ヶ腹摺山も、冬季通行止めが解除され、大峠まで車を乗り入れできるようになれば、楽で短い歩きも可能だが、それでは面白くもなく、行く気にもなれない。通行止めのうちに姥子山を含めて静かな歩きと秀麗富士山を楽しみたいと思っている。だがこれも、この時季だし、ころころ変わる天気予報にしばらくは翻弄されそうだ。
 大月市の『秀麗富嶽十二景』シリーズ、ここのところ、ぶなじろうさんと雪田爺さんが足繁く通っていて、自分なんかは三番煎じのようなものだが、10年前にある程度は集中して登ったこともあった。その中で、この笹子雁ヶ腹摺山に目を向けたことはなかった(というか避けていた)のは、「笹子」が付いただけで、雁ヶ腹摺山の間に合わせの存在のように感じたからで、詳しい情報調べも、今回行くと決めてからが初めてだった。矛盾した話だが、笹子と違って「牛奥ノ」と付くと、何やら気軽な気持ちでは行けない感じになってしまう。

 繰り返しになる。前の晩から天気もさることながら雲量予測がずっと気になっていて、起き抜けにネットで確認した雲量は、10時頃をピークに多くなり、一時的に70%。午後からまた薄れてくるというものだった。今日は日曜日だ。のんびりと昼過ぎまで富士山見物に浸っているわけにもいかない。出かけるのも一か八かのようなもの。他の山と違って、笹子雁ヶ腹摺山(山名が長いので、以下「笹雁山」とする。また、前回の釜伏山同様に、昭文社地図は「マップ」、1/25000地形図は「地図」)なら諦めもつくかといった気分もあった。見えなかったところで、改めて行く山でもあるまいと。
 高速に乗り、狭山から富士山が見え出し、相模湖あたりになると富士山も大きくなる。気があせるばかりだ。タッチアウトにはなりたくない。タイムリミットは10時だ。
 電車を使えば、米沢山、お坊山とかを経由しての周回が望ましいが、それができないから悲しい(これは、栃木の雪田爺さんとて同じだろう)。どうしても事前の駐車地探しから始まる。グーグルマップのストリートビューで当初見当をつけたのは、国道20号線沿いの自販機の置かれた広場だった。ここしか適当な場所は見あたらず、そこにとぼけて置くつもりでいたが、その広場を右に見て、もうちょい先に手ごろな広い路肩はないかと探りに行くと、笹子峠方面にストリートビューとは異なった新しい道ができていて、ちょっと入り込むと、バス停脇にしっかりと3~4台分くらいの駐車スペースがあった。これはありがたい。他に車はない。20号線はすぐそこに見えている。正面は人家だし、駐車するには安心だ。余談だが、当初予定の自販機広場、後で知ったことだが「天野自然公園」という公園の駐車場だったらしく、別にとぼけて置かずとも問題なく利用できる駐車場だった。

(新中橋バス停の駐車場。結論から言うと、そこの階段を登ればよかっただけのことだった)


 このバス停、「新中橋」というが、路線図を見ると、大月から来るバスは、この2つ先の「新田」が終点になっている。ちなみに、バス停の位置がマップとは微妙に異なっているようだ。バス停から取り付きまでは西に15分とあるが実際には北に0分。この15分が直後に誤解招きの歩きになってしまう。本当に西に向かってしまった。もしかすると、バス停位置が変わったのかもしれない。
 今日の予定コース、往路はマップにある1188m標高点経由の南東尾根。復路は地図の方にある破線路。これは送電線・鉄塔伝いにあるから巡視路だろう。この破線路は、途中までは尾根伝いになっている。笹子峠に下って長い車道歩きをするつもりはない(今は冬季閉鎖中)。
 往路尾根の標高差は700m。地図を見る限りは登り一辺倒のようで、コースタイムは2時間。一気の700m登りはつらい。2時間半かかったとして、今、7時15分だからタイムリミットの10時には何とか間に合うだろう。

(出だしからヘマをする)


(戻って破線路歩き)


(早々に尾根に乗る)


 準備をして出発。早々に酔狂な歩きをしてしまった。現実とは異なるマップ上の15分歩きを錯覚し、笹子峠の方に車道を歩いてしまい、次の「新田下」のバス停を見て、あれっ?自分は何をしてんだかと、振り出しに戻る始末。その間、犬散歩のオジサンに暢気にオハヨウゴザイマスなんて挨拶をしている。改めて駐車地脇の階段を登る。まったく正反対に歩いていた。これで貴重な10分はムダにした。10時にどんどん近づいていく。あせる。
 植林の中に踏み跡があった。標識のようなものはない。これだろうと追っていくが、どうも谷状のところに向かっている。地図を見ると、確かにこれで間違いはないようだが、いずれは尾根に乗らなきゃならないし、左手に尾根が見えている。さっさと尾根に上がることにしよう。尾根側にも踏み跡は続いていた。みんな同じことを考える。
 予想通りに急斜面の尾根。ジグザグに登り上げる。落葉が溜まって滑る。尾根の取り付きは大方こんなものだが、この尾根も今だけであって欲しい。右が植林で左は自然林というか雑木。薄暗くないだけ助かる。

(小さな神社)


 ジグザグがストレートになった。その分いくらか傾斜も緩んだようだが、普通の尾根の登りよりはつらい。しめ縄のある小さな木の神社というか小祠があった。柱はボロボロだが、屋根だけはトタンになっている。何ともアンバランス。しめ縄に巻かれた短冊、正式には「紙垂(しで)」というらしいが、真新しいところからして、正月用に代えたようだ。地元の方がいまだにお参りしているんだろうな。こういう存在は早々の休憩の体の良い理由にもなる。しかし、この登りがずっと続くのかなと思うとうんざりする。ゆっくり歩きたいがタイムリミットばかりが気になってしまう。せっかく高速を使って2時間かけて来た。富士山を見られないのではお話にならない。

(こんな尾根)


(実際の破線路が右手から)


(JRの送電鉄塔)


 気になって空を見上げながら登っている。うっすらと白っぽいが青空だ。これが10時過ぎにはさらに白くなるらしいが、どうも予報を信用できない気分が半分になりつつある。
 右から道が上がって来た。そして正面には送電線の鉄塔。ということは、その道は破線路ということか。それを使った方が楽だった、早かったかどうかは考えようだが、おそらくは植林の中の薄暗い中の歩きだろう。鉄塔にはJR東日本の看板があった。つまり電車運行用。てっきり、東電の送電線とばかりに思っていた。ここからの展望は良くない。小ピーク状になっているわけでもなく、周囲が広く刈り払いされてもいない。先を急ぐ。

(おなじみタイプの標識)


(結構きつい)


 笹雁山の標識が現れる。そういえば、登り出したところに標識は見かけなかったが、別のところに置かれていたのだろうか。ここでいきなり出てくるわけがない。
 標識が出てからまた傾斜がきつくなってきた。たまらずにストックを出す。手ぶら登りではしんどい。そしてヒノキの植林に入り込む。植林って、何でどこもこう急なんだろう。
 急だ、きついの繰り言で山頂まで終始してしまうわけにもいかない。その辺は控えることにするが、普通、尾根にも緩急の流れがあって、ちょっとした鞍部があったり一時的に平らなところがあるものだが、この先しばらくはそれがなかった。まさに地図通りになっている。
 地図の破線路が尾根から分岐するあたりを注意する。予定では、帰路はその巡視路らしき道を通って、この尾根に合流して下るつもりでいる。ところが左・西側に分岐する道に出合わない。GPSを取り出して拡大してみる。この付近のはずだがと、じっくり見ると踏み跡らしきものが目に入った。地図通りに左下に下っているようだ。「ようだ」というのは、植林の落ちた枝葉で踏み跡がはっきりしないからだ。これを使ってここに戻れるのかなぁといった不安がかすめる。尾根道でも沢筋でもないただのトラバース巡視路だ。目印は踏み跡だけだろう。地図を見ながら、状況によっては「矢立の杉」の東側で車道に接するところがあるから、そこから車道歩きになってもいいかなんて考える。

(1188m標高点ピークかと思う)


(ここで富士山現れる)


 植林から解放され、また尾根境の半々になった。黙々と登る。立ち休みの回数も多くなる。この先を回り込んだ左前方に小ピークが見える。地図をあてがうと1188m標高点のあるところのようで、台形状になっている。あそこは少しは平らになっているかもしれない。ここから100mほど登って1188mに着けば、あとは170mの標高差を我慢すればいい。そう思えば幾分気持ちも楽になる。もう標高差700mの半分以上は終わっている。
 次第に緩い部分も出てきて、緩急の繰り返しになってきたところで、休みがてら左を見ると富士の頭が見えた。周囲に雲はない。今8時半過ぎ。10時リミットはすでに半信半疑未満になっているが、今のうちに見ておかないと山頂では見られなくなってしまうかもの懸念は残っている。だが、雑木が邪魔で、どうにもすっきり頭にならない。スポットを探し回っての歩きだから遅々として先に進まなくなってしまった。
 そんな状態の時、下から人の気配。見下ろすと、青年とオッサンの中間年代単独氏。ストックも使わずに黙々と上がってくる。そのスピードが何とも速い。かなう相手ではなさそうなので脇に寄って待機する。「この尾根、きついっすね~」と素通りして行かれた。やはり、きついと思っているのは自分だけではなかったようだ。しかし、そう言いながらもすごい健脚だ。見通しの良いところに出ても、先に姿を見ることはもうなかった。

(ここでルートは右手にカーブする)


(1188m標高点付近)


 枝に邪魔された富士を執拗に見ながら登って行くと(当然、ゼーゼーしながらだ)、平らな尾根になって1188m標高点付近に近づいた模様。標識板が直角に二枚、下方向は笹子駅になっている。今8時40分過ぎ。10時前には笹雁山には着きそうだ。一服入れて、羊羹と干し柿を食べる。さっきの単独氏、ここで休憩もしなかった気配。
 ここで、爆音が聞こえた。上空をヘリが旋回している。出がけにブナジロウさんの前日の記事をちらりと拝見していた。遭難者が出たらしい(この件、雪田爺さんの記事にも記されていた)。それを思い出した。まだ見つからないのか。ヘリは周辺を2周して帰って行った。念のため今日も探してみるかといった感じか。

(笹雁山だろう。白いのは反射板か)


 歩き再開。雪が出てきたりするが、地面にへばりついている程度のもの。前方に笹雁山らしきピークが見えてきた。何やら、山頂の脇に反射板のような白い板状のものが見える。あれは何なのか。山頂部は雲一つない青空。その間、地図上の1188m標高点は通過している。
 また緩急の繰り返しになった。依然として左右植自林が続いている。富士は一旦隠れ、ようやく歩きに集中できると思ってほっとしていると、また雑木の合間から顔を出す。次第に見える部分も頭から鼻あたりまで低下した。そして、歩みがまた遅くなった。だからといってスッキリした姿は尾根を外れようが見えやしない。

(ラストのきつい登り。上から)


(そして反射板)


(山頂はそこだ)


 そろそろ終盤が近づいた雰囲気だ。ラストの急斜面の上には青空しか見えない。クネクネ道が復活し、最後は喘ぎながら反射板下に到着した。ここはもう山頂の一角だろう。山頂はすぐ上だ。一概に反射板とはいっても、何のためのものかも知らず、確認したかったが、有刺鉄線付きのフェンスで囲われ、「あぶない!!」の看板があるだけ。
 振り返って富士山を見た。雑木の枝がしつこく邪魔をしているが、かなり良く見えている。もうちょい上がってみると、今度は邪魔なものが消えた。オオっと気持ちの中で歓声とどよめきが上がる。素晴らしい富士山じゃないか。笹雁山からの富士もバカにならんわ。手前の山並みの鉄塔が2本ほど美観を損ねているが、おそらく三ツ峠山だろう。そうと思えば我慢もできる。

(見えた。右の枝がチョイと邪魔)


(少しアップで)


(笹雁山山頂)


 散々、富士を眺めては撮った後に山頂に向かう。狭い山頂。10人もいれば窮屈な感じ。西の白い山並みは南アルプスか。そして北寄りに見えるのが八ヶ岳か。先ほどの単独氏はすでにいない。他にハイカーはいず、自分一人だけ。風はないし陽気もグッド。雲量予測はどこへやら。リミット10時までは1時間ほどあるが、雲量が増えそうな気配はなく、せいぜい3~4割の停滞だ。惑わされて映画に行っていたら損した感じだったろう。

(山頂からの富士山)


(どうしても枝や木が入り込んでしまう)


(南アルプスと八ヶ岳)


 ここから改めて富士山を眺める。結果は△印。枝木が少なくなったものの、写真を撮ると、どうしても枝が入り込んでしまう。笹雁山の富士山スポットはやはり反射板のちょい上だ。
 だれもいないので、他人の目を気にすることはない。とはいっても痴態をさらしたり、大声でヤッホーをしたわけではなく、反射板と山頂を慌ただしく往復しただけのこと。その間、ベンチで暖かいコーヒーを飲んだり、タバコを遠慮することもなくふかした。30分の休憩は短く感じたが、その間に雲量が増えてくる気配はない。

(笹子峠方面に下る)


(急で滑る)


(そして落ち着く)


 さて下るか。単独氏はどちらに下ったのか。米沢山方面も笹子峠方面も雪はあるが凍っているのでトレースはわからない。雪の凍り方からしてチェーンスパイクよりも軽アイゼンの方が良いかなと思ったが、チェーンスパイクを選択。雪が少ないと、アイゼンだと反対足に引っ掛ける危険もある。
 やはり失敗した。チェーンスパイクでは半端なく滑ったし、ストックもただの邪魔物。ましてゴム先は付けたまま。アイゼンにチェンジしようかと思ったが、細い急斜面でそんな作業スペースはない。一歩一歩立木を頼りに着実に下るしかない。特に凍っていたのは山頂直下。陽があたるあたりは凍てつきも緩んでいるのでそのままチェーンスパイクで下る。
 名残り富士の段階に入った。つい左の富士山ばかりを気にしてしまう。だんだん顔が沈んで行く。それでいて、山頂では山陰で見えなかったところが見えてきたりする。それはそれでおもしろいが、最早すっきり富士は遠ざかって行く。そんな歩きをしていたら、ズルッと滑って、危うい思いをした。もういいか、もういいかと思っても、つい未練がましくなって枝ヤブから覗き見をしてしまう。どうせなら、すっぱりと見えなくなっていただきたい。やはり富士山は眺める山なんだねぇ。

(また鉄塔)


(鉄塔から)


(振り返って笹雁山)


 尾根はやがて緩やかになり、振り返ると笹雁山。尾根は相変わらず細い。場所によっては転げ落ちたらヤバいところもあるが、次第にそれもなくなった。ただ、幾分雪が深くなる。新しいトレースはない。
 送電鉄塔が目の前に出てくる。これはJRではなく東電だろう。鉄塔下に登り、富士山を眺める。どこから撮っても、鉄塔の脚と送電線が映ってしまう。もうこれで本日は見納めにしたいところ。十分満足な富士山を眺めることができたから、雪田爺さんではないがコンプリートだ。すでに10時は過ぎているし(笑)。

(近づいてもなかなか逃げない)


(分岐になった)


 さて、そのまましばらく行くが、雪のために道型は不明瞭になり、果たしてこれでいいのかと気にしていると標識が現れてほっとする。標識は同じ笹子峠に向かうも「尾根道」と「新道」の分岐表示になっている。ここは新道を選ぶ。特別な意味はないが、新道が内側(東側)を行くようだから、下り予定の破線路に早く接すると思ったところもある。

(新道はトラバース道)


(崩れたところもあるから要注意)


(「緑を大切に」の杭。何もないところにポツンと立っているわけがない)


(ラスト。もうすっきり姿は無理)


 新道とはいっても古くからあるトラバース道のようで、木に巻かれたテープの色は褪せている。落葉が堆積して不明瞭なところもあるが、慎重に先を追えば迷うところはない。ただ、一部、崩壊のところがあったりするから要注意だ。まだしつこく富士山が見えている。そのたびに足止めをくらう。すっきり富士でもないのにだ。
 「緑を大切に」の杭があった。うっすらと左手に下る踏み跡が見えた。その時は気にも留めなかった。そして次の鉄塔にぶつかる。ここでまだあったラスト富士。一休み。陽気が良い。ついのんびりしてしまう。

(尾根道と新道が合流。上に鉄塔)


 雪が幾分深くなってまた先に鉄塔が見えてくる。鉄塔手前に尾根道と新道分岐の標識が置かれていた。アレっ、GPSを確認する。やはりそうだった。新道からの破線路分岐はすでに過ぎていた。おそらく、「緑を大切に」の杭が分岐だったのだろう。そちら側を覗き込む。結構、険しい感じの谷合になっていて、踏み跡を素直に辿っては行けないような気がする。やはり笹子峠に出る方が無難だ。
 せっかく鉄塔があるのだからと、コース外の鉄塔下に雪を漕いで上がってみた。かすかに頭だけが見えた。

(笹子峠への下り)


(笹子峠が下に見えて)


(笹子峠)


 明瞭な尾根道を下る。ロープが廻らされている。ちょっとゴツゴツした感じで、一気に急になる。下には笹子峠が見えている。慎重にロープを使って峠に着地した。
 ほっとはしたが、これからの、予定外の車道歩きを考えるとうんざりする。笹子駅まで約2時間の標識がある。笹子駅まで歩くわけではないが、マップ記載のコースタイムは1時間30分。下り歩きではあってもうんざりする。まして、前回の釜伏山の引き続きにもなる。途中で「矢立の杉」という名勝があるから、立ち寄れば少しは気も紛れるか。
 この峠、十字路になっていて、標識では、北東・笹雁山、北西・かいやまと駅、南西・カヤノキビラノ頭(三境)、そして南東が笹子駅だ。このカヤノキビラノ頭、下の駐車場の登山案内図にもあったが、気になって後で調べると、マップにある中尾根ノ頭の次の1411mピークがカヤノキビラノ頭らしい。その大分先にボッコノ頭というのもある。これも同じ町境尾根のピークで、マップに登山道はない。こんなところを歩く人がいるから標識もあるのだろうな。意外と山梨通のノラさんあたりは歩かれているかもしれない。

(下って行くと)


(広場というか駐車場に出た。左に笹子隧道)


(笹子隧道)


 上よりも峠から下の方が雪が残っている。チェーンスパイクはそのままに山道を下る。5分も下ると広場らしきところに出た。ここが駐車場か。ここから歩くとすれば、案外楽かも。尾根道と新道を使えばただのピストンにもならない。
 ここが道路の起点かと思ったが、脇に文化庁登録有形文化財「笹子隧道」がある。解説板を読むと、この道路は旧甲州街道(20号線)だったようだ。通行止めになってもいない。地図を見ると、この先の西側にも続いているので、まだ通れるトンネルなのだろう。トンネルの中を覗くと、狭いが舗装されている。

(車道歩きとなる)


(今の時期でもここまでは車で入れる)


 ぼちぼちと車道歩き(県道212号線となっている)になる。最初のうちは雪があったのでまだ感じなかったが、路面が出て来るようになると、気が重くなる。残雪、剥き出しが繰り返され、最後はチェーンスパイクを外した。この時点で、標識には「国道20号線まで4.7km」とある。たっぷりと残り1時間以上か。
 ゲートを通過。この時期でも、ここまでは車が入れる。道幅は広くなっていて、5~6台の車は置けそうだが今日は車はない。次第に暑くなってきた。手袋を外し、帽子とウインドブレーカーは脱いだ。ついでにストックも収納。

(矢立の杉入口)


 適当にショートカットしながら下って行くと、やはり、同じことを考える人がいるのか、必ず同じところに踏み跡が残っている。面白いものだ。先のカーブに車が1台止まっている。そして何か看板がある。近づくと、「矢立の杉」入口だった。「この先100m」とある。車が看板の前に横付けされていて案内板がよく読めないが、なぜか杉良太郎の名前が書かれている。樹齢千年の杉であることはわかった。戦陣に出る武士がこの杉に一矢を放って、武勲を祈ったようだ。どうも杉良太郎の方がメインになっている気配だが、ここでは敢えて記すこともあるまい。

(こんなのが置かれていて)


(矢立の杉)


 下って行くと、二人連れが上がって来た。あの車の方だろう。挨拶をする。もうだれもいない。先ずは歌碑と地蔵。これが杉良太郎がらみ。脇にゼンマイ式音声ガイドがあって、ハンドルを20回すと、音声ガイドとメロディーが鳴るようになっているのだが、やってみると反応なし。「防犯カメラ作動中」と記されているから、それ以上の巻き上げはしなかった。
 巨大な杉だった。中は空洞。根の周囲14.8m、本体9m、樹高16.5mとある。途中で折れているらしいが、下からでは見えない。周囲にも杉の木はあるが、なぜか巨木はこれだけ。下は沢が流れている。

(遊歩道へ)


(石仏)


(三軒の茶屋跡? 石碑だか顕彰碑が置かれている)


(こんなのもあった)


 車道歩きに復帰するかと入口に戻る。そこにあった案内図を目にした。なんだ、ここから沢沿いに遊歩道があるんじゃないか。途中に庚申塔、三軒の茶屋跡、明治天皇御野立所跡とかいうのもある。矢立の杉に戻って、遊歩道を歩く。
 庚申塔には気づかなかったが石仏があった。そして明治天皇云々の碑と石垣。ここが茶屋跡だろう。木のベンチが置かれ、日向になっていたのでここでランチをとることにした。ランチとはいってもおにぎり2個とオニオンスープだけの簡素なものだ。デザート代わりにタバコをふかしてゆっくりする。

(そろそろ遊歩道も終わりのようだ)


(車道に出た)


(左斜面をショートカット)


 気持ちのよい遊歩道だったが、そう長くは続かない。車道に合流。もう見る物はない。まただれかがやった跡が残ったところをショートカット。20号線まで1.7kmの標識。遊歩道を選んだせいか、さほどに長くは感じない。

(こんなところに出てしまった)


 ショートカットはこれでおしまいではない。大きく湾曲しているところを素直に歩くつもりはない。植林の中に入り込む。作業道のようなものを見つけては下へ下へと追う。人家が見えてくる。嫌な気配。やはりフェンスがあった。だが心配は不要だった。物置のようなものが見え、そこの脇からスルーできた。

(石碑を見て)


(閑散とした里。テレビの音が聞こえてきた)


(駐車場に到着)


 県道に復帰すると、ほどなくして今朝ほど方向違いに来てしまった新田下のバス停を通過。車道歩きを長く感じることもなく駐車場に到着した。他に車はない。健脚の単独氏は結局どういうコースを歩いたのだろう。

 今日は雲量情報に惑わされながらの歩きだったが、結果的に笹雁山から絶景の富士山を眺めることができて幸いだった。次はどこからの富士山を眺めようか。ぶなじろうさんと雪田爺さんが行かれた百蔵山の、街並みも見える富士山の姿も見てみたいし、秀麗富嶽にこだわらずに、地味な道志方面の山もいいかなと思ったりしている。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

雁ヶ腹摺山から姥子山。帰路には憂鬱な長い車道歩きが待っていた。

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◎2018年3月4日(日)

林道真木小金沢線ゲート前・旧テニス場駐車場(7:17)……最初の休憩(8:16~8:24)……1356m標高点付近(8:35)……林道奈良子線(8:54)……1522m・吹切峰(9:33)……2回目休憩(9:37~9:43)……1516m標高点付近(10:07)……1615m標高点付近(10:31)……登山道合流(11:02)……雁ヶ腹摺山(11:40~12:12)……1651m標高点付近(12:35)……林道奈良子線(12:49)……姥子山(13:11~13:32)……林道奈良子線戻り(13:44)……ランチタイム(14:48~15:02)……林道離れる(15:18)~林道真木小金沢線(15:38)~駐車場(16:01)

 秩父の大平山に行きがてら、土日と陽気も良いのでもう咲いているかもしれないフクジュソウを見るのも一興かなと思ったりしたが、とにかく雁ヶ腹摺山を済ませて、道志方面の山にも足を向けてみたい気持ちがあって、当日の出がけまで迷っていた。起き抜けに雲量予測を見ると、富士山の南側の一角に前日来の降雪か降雨の塊が消えず、どんなものかと懸念したが、北側の午前中はどこも雲のない気配になっている。今回もまた一か八かで雁ヶ腹摺山に出かけることにした。この山、10年前に冬季閉鎖中の林道をテクテクと歩き、結果は薄いシルエットの富士山を見ただけだったという苦い思い出がある。あれは3月1日のことで残雪が豊富だったが、今年はあるにしても少ないだろう。
 今日は大峠まで2時間弱の林道歩きをするつもりはない。昭文社マップを見ると、大峠からの雁ヶ腹摺山のハイキングコースに南から合流する吹切尾根というのが記されていて、これを使うつもりでいる(別に、コースやら破線路になっているわけではない)。元々、雁ヶ腹摺山は、大峠まで車で入ればたいして苦労もせず1時間ほどで登れる山だ。むしろ、下から延々と歩くのはおめでたい歩きともいえるが、そんな山だからこそ、ハイカーのほとんどいない時期に時間をかけて登ってみたくもなる。10年前の林道通し歩きもまた同じような心境からだった。林道閉鎖が解除されてから賑わいの雁ヶ腹摺山に登ったところで、自分には感慨は少ないだろうと思っている。

 バスで行く場合は終点の「ハマイバ前」ということになるが、ここがハマイバ丸登山口のことと思っていた。ところが、前を通過すると「岩魚釣りセンターハマイバ」という釣り堀だった。林道の冬季閉鎖ゲートはまだ先で、ゲートの脇にテニス場の駐車場があることは10年前の記憶にある。駐車場に入る。「桑西駐車場」とあった。当時の写真を見ると「市営桑西テニス場」の看板が立っている。今その看板はなく、テニスコートもまた使われずに荒れたままになっている。他に車が1台。1日から釣り解禁でその筋の車だろう。すぐ側に湯の沢が流れている。

(林道ゲートを越え)


(この辺から取り付く。見るからに急)


(見下ろして。やはり)


 ゲートの少し先のところで右手に入り込み、尾根に取り付く。地図の等高線の詰まりからしてちょっときついかなと思っていたが、早々から半端ではなく、さらに地面下が落葉も加わり凍っていて滑る。これではお手上げとWストック。前回の笹雁山よりもきつい。たまにジグザグの踏み跡が見えたりするが、どうも尾根伝いのシカ道なのかあやふやで頼れない。結局は歩きやすそうなところを適当に上に登って行く。考えてみれば当たり前のこと。2時間歩きを我慢すれば林道を経由して大峠。何時間かかるかわからないような、ネット記事に載っていても数件の吹切尾根だ。それに至る枝尾根にしっかりした踏み跡があるわけがない。はなから期待はしていない。せめて、植林でないというだけでも気分的には救われる。いきなりの植林急登では気が滅入ってしまう。

(最初の尾根はこんな感じ)


(ようやく落ち着く)


 1時間近くあえぎ登りをすると標高1290m付近でようやく落ち着き、尾根幅も広くなった。地図通りだ。出発地点の標高がおおよそ900mだから、400m上がりに1時間を費やしている。西側の山並みがチラリと見え出し、正面に1356m標高点らしきピークが見える。ここから70m差もないのに高く見える。念のため振り返ると、雑木は密で、富士の白い峰はまだ見えない。
 雑木の間隔が広がってきて疎林の中の歩きになった。そして右から尾根が合流する。この尾根が本尾根っぽい。西側の見晴らしは幾分良くなった。地図を広げ、あれがハマイバ丸でその先が大蔵高丸だろうか。いずれあの稜線を大菩薩まで歩いてみたい。10年前にも林道を歩きながら同じことを思っていたはず。

(ここでスズタケが登場。通路がある)


(そして富士山が見え出す)


 ここでしっかりした踏み跡が現れたが、この先はスズタケが断続的に出てきて、シカ道らしき隙間を追って行ったので、果たして人為的な踏み跡かどうかはわからない。後ろにようやく富士山が見え出した。こうなるといつものように気があせる。そして、出がけに見なきゃよかった雲量予測が気になってくる。雁ヶ腹摺山からの五百円札富士山は三度目の正直という結果にはなりたくない。さりとて、気があせっても、身体が追い付いてくれるわけでもない。傾斜が幾分緩くなった。それにしても、ここのスズタケは秩父あたりのスズタケと違って元気だ。ビシバシと跳ね返っては顔面にあたる。
 ちなみに、今、歩いている尾根は本尾根とは記しても吹切尾根ではない。吹切尾根に向かっている尾根だ。吹切尾根はその発生がどこか知らないが、ここから北東の三角点峰・野脇ノ峰の方から上がって来て1522m標高点・吹切峰を経由して雁ヶ摺腹山へと向かう。吹切峰まではあくまでも枝尾根の一つに過ぎない。

(休憩するか。残置のワイヤーがある)


 傾斜がかなり緩くなったところで休憩する。菓子パンを一個。錆びたワイヤーが放置されている。地図上は、この先、雁ヶ腹摺山の登山道合流まで等高線が密になっているところはない。まさにそうであって欲しいと願う。その「雁ヶ腹摺山」だが、前回「笹子雁ヶ腹摺山」の山名が長いので「笹雁山」と略したが、笹子がなくとも他の山に比べると山名は長い。ここは「雁摺山」とでもしておこうか。山名で横道に逸れるが、後で寄ることになる「姥子山」。これまで「うばこやま」と読んでいたが、昭文社マップには「おばこさん」とヨミがふられている。山名事典では「うばこやま(さん)」となっている。ついでながら「3つの岩峰からなり、(中略)、山名は南東のお浄ヶ沢上部に人が立って入れるほどの大きな洞穴があり、それが姥の懐に幼子が抱かれている形に似ていることによる」とある。雁摺山については、雁が腹を擦る由来からと思っていたが「渡り鳥の飛ぶコースにあたるのでその名がある」となっている。まぁ、こんなことを調べていたらきりがない。きりがないついでに、笹雁山には山名由来の説明なし。牛奥ノ雁ヶ腹摺山には「大菩薩嶺周辺には雁ヶ腹摺山の名が3つあり、区別するために地名の牛奥をつけた」とあった。
 一服して歩き再開。どうしても振り返っては富士山を確認しながらの歩きになり、上に行けばすっきり富士なのに、樹間の見えづらい富士山についこだわってしまっては写真撮りとなってしまう。後で画像を見れば、こんな富士山を何で撮ったんだかということになる。フィルムの写真だったらまずは撮らない富士山だ。デジカメ写真はタダ。

(1356m標高点付近)


(のんびり歩きになってきた。高いピークが雁摺山かなぁ)


 雪が出てくる。平らになったところでちょっと先に行くと1356m標高点付近だ。疎林の台地といった感じで、汗もかいたことだしウインドブレーカーを脱ぐ。この陽気は春の暖かさだ。風もない。静寂そのもの。のどかな気分で先に行くと枝に巻いたピンクテープが見えた。古いものだが、ここを歩く人もいる(いた?)ようだ。その後、雁摺山の登山道合流までに3本ほど見かけた。いずれも、尾根の合流点とかといったところではないから、もしかすると、クリーンハイカーの見逃しかもしれない。

(いきなり危なっかしい所が出てくる)


(左の巻き道に入る)


 相変わらずの緩やかな傾斜を登るといきなりヤセになった。注意しながら先に行くと、今度は左右ともに切れ落ちている。GPSを見ると林道(奈良子線)が近づいている。まさか擁壁の上に出てここでUターンなんてことにはならないだろうなと恐る恐る渡る。と、正面はコンクリをまぶし固めしたような3~4mほどの壁になっていた。表面は凸凹になってはいても、これは登れない。無理をすれば転落。素足なら大丈夫かなと思ったが、すぐ左に巻きの踏み跡が見えた。これを使う。

(しっかりした踏み跡を辿ると)


(林道に出た)


(左手にずっと見えていた山。ハマイバ丸と大蔵高丸とばかりに思っていたが白谷ノ丸、黒岳だったようだ)


 しっかりした道型が続いている。作業用だろう。この道を先に行く。危ういトラバース道だが、振り返っていまだにすっきりしない富士山を写真撮りする余裕はある。危険地帯は脱したようだ。道なりに行くとすんなりと林道に出た。やはり舗装林道だった。林道を舗装にして無駄遣いだなと思ったが、この奈良子線と大峠に向かう真木小金沢線を車でフルに活用すれば3時間も歩かずに雁摺山と姥子山を制覇できるんだろうなと余計なことを思いつく。

(ここを登って尾根に復帰する。復帰するまで難儀した)


(右手の野脇ノ峰。予定に入れていたが、結局は行かなかった)


 地図では、この先はガケ状になっているから、擁壁だろうとは思っていたが、やはり高い擁壁がグルリと周っている。どこから尾根の延長に登ればいいのやら。取りあえず左に林道を下ると、果たして擁壁が切れてはいるが、見通しは危うい急斜面登りの尾根復帰になりそうだ。こういう場合は林道の高い方に行けば都合の良いところがあるはずと、さしたる根拠もなく右に行くと、大分回り込んだ先にここならと思える擁壁の切れ目があって、そこからあっさり登れそうだ。
 この時点で雁摺山山頂までの行程の1/3も終わっていない。残りの2/3で隠れ富士にならないでくれと願い続けている。前回同様に林道歩きをしていたら、あと15分ほどで大峠に着くはずだ。10年前と違って雪はなさげだからもう着いているかも。大峠からも絶景富士を拝めるらしい。失敗したかなと一瞬よぎったが、今日のオレの歩きはこれでいいんだと打ち消す。
 右手に1498.6m三角点峰の野脇ノ峰を眺めながらこれまでの延長尾根の上を目指す。野脇ノ峰には帰りがけに寄るつもりでいる。しかし、ここの登りはきつい。これは予定外だった。そして、下から車のエンジン音。ワゴンタイプの車と軽トラが姥子山方面に走って行った。ハンターだろうか。山仕事の時期ではない。ここまでシカの姿は見てはいないが、フンはかなり見た。今日は黒いフリースで来ている。失敗したかなぁ。

(尾根に復帰)


(いい感じになってきた)


(またスズタケ。通路を歩いても顔を叩かれる)


 やっとこさと尾根に復帰。これまでの延長で緩やかだが、雪とスズタケが増えた気がする。雪は深くても膝まではこない。スズタケの間にシカ道は見あたらず、かき分けながらの進行は顔を叩かれる回数も増えてくる。最初のうちは懐かしい快感じみたものもあったが、次第に不快になってきた。背丈を超えるところもある。たまにシカの通路を見つけるとほっとする。

(雪も目立つようになるが、この程度ならサクサクと歩ける)


(標高1522mあたり。吹切山。岩があったのはここだけ)


 ゆるゆるに登って行って1522m標高点。これが吹切山か。山名板らしきものはない。ここはちょっとした複雑な地形になっていて、メインはやはり南からの尾根で、ここで吹切尾根に乗ったことになる。大峠からの登山道合流部までようやく半分になった。林道を歩いていたら、おそらく雁摺山から富士山をゆったり気分で眺めている頃だろう。この先の平らなところで休憩。2個目の菓子パンを食べゆっくりとタバコをふかす。相変わらず静かだ。シカの鳴き声もしない。こんな尾根の一人占めも気分が良いもの。まして、上の雁摺山に出てもだれもいないだろうと思うと、つい気持ちも和んでなぜかにやけが出る。

(雪が多くなり)


(1516m標高点ピークが見えてくる)


(1516m標高点付近)


(赤テープには「大沢のワデ」)


 軽く下る。尾根は広くて要注意だが、正面に1516m標高点らしきピークが良い目標になる。さっきは1522mで今度は1516mで、それが高く見えるところからして、意外に下っての登り返しなのだろう。さほどの感覚はない。次第に雪が多くなってきた。とはいってもたかが知れていて、下からスパッツも付けずにずっとツボ足のままで歩いて来ている。
 1516m標高点付近は広く凸凹状になっていて、ここは山名はないのかなと思っていたら樹に巻かれた赤テープに「大沢のワデ」と手書きがあった。ワデとは? 頭のことかなと思ったが、帰ってから調べると、ここから南西に奈良子林道に下る尾根が「大沢尾根」と言うらしく、ワデは地元用語で「上手(ウワデ)」の略だそうな。ちょっと苦しい短縮だ。今回の歩き、家に帰ってからの学習が多い。ついそれを披露したくなってしまい、肝心の雁摺山になかなか到達しない。

(山腹に真木小金沢線が見える)


(1616m標高点ピーク)


 その雁摺山はまだ見えていない。左手遠くに真木小金沢林道が蛇行し、その上にはハマイバ丸と大蔵高丸らしき山。正面は1616mピークだろう。風景にさしたる変化はなし。スズタケ群を除けば本当に平穏な尾根だ。と思ったのも束の間。右手後方の至近距離でズドドーンと腹に響くような音がした。その一発が合図かのように、10発ほどの連続音。生きた心地が少し揺らいだが、自分を狙っているわけではあるまい。大がかりなハンティングをしているようだ。至近距離から少しでも離れないと安心できない。流れ弾もあり得る。シカやらイノシシはまだ見かけていないが、いるにはいるようだ。その後も散発的に破裂音が続く。

(雁摺山だろう)


(こんなのが2本だけあった。自然的か皮剥ぎなのか)


 1616m標高点ピークにようやく到着。山名板なし。ここまで来れば、雁摺山まで1時間程度のものかと思う。問題は登山道に入ってからの等高線の間隔だろう。振り返ると、これまで富士山の視界を妨げる樹や枝が多数あったが、かなり減っている。そして、1時間後に消えそうな気配はない。周囲はあくまでも青空だ。

(見下ろして。ここのスズタケ登りはきつかった。ハンター視点になっている)


 休みなしで登って行く。前に見えるピークは雁摺山に違いない。目の前にスズタケの密集地が出現する。シカ道なしで顔面ビシバシ。スズタケの隙間から見上げると人の姿。ハンターだ。登山道を外れたハイカーであるはずはない。肩にかけた猟銃が見える。じっとこちらを見ているが、こちらを獲物とは思わず、人間であることは承知しているようだ。そのハンター、さっさと行ってくれないかなと思ったがその場を動かない。むしろ、好意的にオレの到着を待っているかのようだ。ちょっとばかりあせって急ごうとするがスズタケヤブでは何とももどかしい動きになり、上がるのは息だけ。そして足をとられて転倒。
 ハンター氏に特別な言い訳をする必要はなかった。こんなところを歩くハイカーもごく稀にいるのだろうし、どうやってここに来たのかもご承知の様子。友好的な紳士といった感じだ。いろいろとお話を伺った。地元の方らしい。今日の狩りの仲間内には、イレギュラー歩きをしている登山者が一人いることを無線で伝えてあるから、黒い姿でも心配ご無用とのこと。もうシカを6頭仕留めたと笑みを浮かべている。あの時の連打音か。先日の遭難者(これは雪田爺さんとぶなじろうさん記事にも出ているが)はいまだに行方不明。御前山に向かった姿が固定カメラだかビデオには映っていたらしい。もうダメでしょうとも言っていた。ここで、地元の方ならと気になっていた姥子山の読み方を尋ねた。地元でもてんでバラバラだそうな。ウバコと呼ぶ人が多いようだ。後で知ったことだが、雁摺山から先の標識には「Mt.ubakoyama」とあった。まぁ、ハンターにとって山名なんてのはどうでもよいことだ。獲物さえいればいい。
 登山道はすぐ左に上がったところだ。地面が凍って滑る。自分もまたやっちゃったと笑いながら泥んこのヒザを見せてくれた。そして、注意して登れと言われて別れる。
 トラバース調に10歩歩いたら早速ズルリ。滑ってヒザを打つ。ズボンは泥んこ。ハンター氏に笑われているんじゃないのかと振り向くとすでに姿はない。ここでようやくチェーンスパイクを履く。

(登山道に合流する)


(そしてここのところお馴染みになった標識)


 登山道に合流。目印豊富、道型明瞭。残雪少々。この先、スズタケは薄れたものの新たな問題が出てきた。ここからは姥子山まで登山道歩きになる。登山道の日向部分はほとんどが泥んこ道になっていた。ただでさえ滑りやすいのに、スパイクが拾う泥もまた高下駄になるとは思わなかった。今日の陽気で雪が融け出し水となって登山道は泥濘となる。こんなことはだれでも承知していることだ。泥付きを回避しようと雪の上を歩いたり、寝たままのカヤトの上を歩きもしたがどうしても泥は付いてしまう。ここでサジ投げ。ひたすらの登山道歩きとなった。靴裏の泥が太くなってえらく歩きづらい。

(本当はこの雪のままに山頂に至るのを期待していた)


(さすがにお仕着せの登山道は悩むところがない)


 雪面が広がってほっとする。泥を雪で落とす。泥付きで山頂に立ちたくはない。すっきりしたところで雪面はあっさり終了してまた泥拾い。意味のないことをした。

(これだもんね。山頂直下で足止め食らいが頻発する)


(五百円札に近いかな)


(しつこく。アップも良いが、そのままで十分だ)


(黒岳、白谷ノ丸のようだ。あの稜線を歩いてみたい。大菩薩も含めたら泊まりだろうな)


 周囲が開けたところで振り返る。素晴らしい富士山が鎮座していた。ここで時間を取られてしまった。山頂に五百円札富士があるのに、なまじこんなところに展望地があるのは余計なお世話といった気がしないでもないが、せっかくだから楽しませていただく。結果的には、ここからの富士山が、山頂でズームで撮ったのに比べて障害物も少なく自然な富士山になっていたし、むしろ五百円札っぽかった。惜しむらくは、全体に霞が淡くかかっているところか。ここで時間つぶしもどうかと思い山頂に向かう。またスポット。時間をまた取られる。
 下と違って弱々しくなっているスズタケはまったく目障りにもならない。まして登山道だ。クサリが垂れているところを登る。そしてまた振り返る。そして今度は南アルプスの山並み。そして間近になった西側の山々が覗く。ハマイバ丸、大蔵高丸と思っていたのは、こうした位置関係になると間違っていたようだ。昭文社マップにあてがうと、黒岳、白谷ノ丸のようだ。となると、ハマイバ丸等はここからでは見えないのか? ネーミングに魅かれていた山なのだが。

(大きな、人工的に削ったような岩の脇を通過して)


(そこが山頂だ、ここの泥濘はひどかった)


(雁ヶ腹摺山山頂)


 人工的に削ったにも見える四角い大岩の脇を通ると雁摺山の山頂が見えた。そのちょい手前が姥子山への分岐。泥状の小道を行くと山頂に到着。

(早速の五百円札富士山。当時は下の木立がなかったのだろう)


 のどかな山頂だ。どんどん暖かくなっている。今日は水の消費も久しぶりに多い。1リットルで持参で足りるだろうか。なくなったら雪を水にすればいいか。山頂の記憶は10年前のままだが、富士山方面の景色はすっかり変わっている、なぜかと言うと、あの時は富士山も見えないに等しかったからだ。「五百円札に描かれた富士山」という形容がなかったら、おそらくは他の秀麗富嶽十二景同様にここまでこだわることはなかったろう。
 ここで「描かれた」と記したが、後で調べるとこれは絵ではなく写真だったようだ。写真を加工したのだろう。

(少しアップで)


(やや引いて。読んでいただく立場の方にはしつこいと言われそうだ)


 30分ほどゆったりした。良い眺めだ。だれもいない山頂。ありきたりの言葉だが一人占めだ。「たった1時間で富士の絶景」が謳い文句の大峠ルート。それもありだろうが、今日のような変化の富んだ4時間20分コースというのもある。ここから見る富士山の感慨もそれぞれだろう。

 疲れ切ったら、このまま大峠に下って林道歩きで帰着することも前提にあったが、まだ歩けるし、富士山もまた消える気配もない。予定通りに姥子山ということにしよう。地図ではずっと下りで、姥子山への登り返しもきつそうには思えない。ただ不安なのは、姥子山から下ってからの長い長い林道歩きだ。奈良子線から真木小金沢線に乗り換えることになる。2時間半以上は歩くことになるだろうか。未舗装ならともかく奈良子線は舗装だったし、真木小金沢線も大峠まで舗装されている。ここのところ車道歩きがつきまとっているとはいえ、登山靴での長時間歩きはつらい。予定では途中からの脇ノ峰に出て、往路で使った尾根に復帰して戻るつもりでいたが、どうもあの急斜面は下りたくない。となると、地図に他に手ごろな尾根が見あたらない以上、林道歩きが奥の手ということになる。ある意味、禁じ手コースだ。「たった1時間云々」を批判できる立場ではないな。

(姥子山に向かおうと名残り富士。これもこれで良いと思っている)


(どんどん下る)


 名残富士を撮って姥子山に向かう。林道までは400mほどの下りとなる。昭文社マップには、その間のスポットとして「白樺平」というのがある。「平」だから原っぱ状のところかなと思うが、1651m標高点先の等高線が緩やかになっているところだろうか。
 さほど急でもない雑木の中の下り。気分は良いのだが、ここもまた靴が泥んこになる。いっそのこと、チェーンスパイクを外そうかと思ったが、外すとまた手が汚れて始末が悪いし、泥付きのままでザックにぶら下げるわけにもいかない。また、等高線からして一気に急下降になりかねないし、そのまま用心するに越したことはないが、泥が塊になって滑りやすくなるのは何とも不快でしょうがない。

(後で見ると、ここが白樺平だったのかなぁ。ありふれた風景だが)


(岩がゴロゴロ地帯)


(金山峠分岐)


 日本庭園みたいな、コケ付きの岩がゴロゴロしたところに出た。ここだけ岩が集中している。ここが白樺平かなと思ったが、その名称には似つかわしくない。違うだろう。
 さして急斜面もないままに金山峠の分岐に出た。直進が金山峠経由の金山鉱泉で、左が姥子山。雪田爺さんは鉱泉上から登られ、残念ながら富士山はアウトだった。ここまで下って来たということは、白樺平はすでに過ぎているということだが、どこに白樺平があったのか気づかぬままに姥子山方面に下る。後で気づいたわけではなく、意識して下っていたのだが。

(姥子山が見え)


(林道に出る)


(余計な参考写真。林道を横切る際に靴から落ちた泥。これできれいに落ちたわけではない)


 前にコブ状の山が見え、あれが姥子山だろうと思ったところで階段が現れ、あっけなく林道に出た。どうも400mも下った気分になれないのが不思議。地図の等高線で改めて計算し直す。1874-1480=394とどうしてもなるのだが、気分的にはその半分だった。足泥に気をとられ過ぎていたからなのかもしれない。

(姥子山への緩やかな登り)


 林道から少し下って登り上げる。姥子山山頂までの単純標高差は計算が間違っていなければ約130m。これが今の身体では結構応えた。泥付きで踏ん張ったわけではない。むしろここは乾いていた。泥落としにはちょうどいいやと、チェーンスパイクはそのまま。岩場っぽい山とはいえ、特別に危うげなところはない。そろそろ疲れ出している。

(登って)


(最初のピーク。だったかなぁ)


(二番目のピーク。だったかなぁ)


(三番目の山名板のあるピーク。バックに雁摺山)


 ネットでは西峰、東峰とかといった記載はあるが、それぞれのピークにそんな標識があるわけではない。雁摺山で満足な富士山を眺めたからか、すでに気分は消化試合。写真もろくに撮っていない。そのためか、つい先日のことなのに記憶はほとんど消えている。2つのピークを経て3つ目に姥子山の山名板があった。前述の山名事典の(中略)としたところには「中央峰の肩に姥子祠がある」と記されているが、後でこれを見て、そういえばあったような気がする。事前に知っていればチェックしていたし、写真にも残したはずだ。ぼんやりと歩いていた。

(しつこく3枚並び。その1)


(その2)


(その3。それにしても白っぽいのが残念)


 それはともかくとして姥子山の狭い山頂に到着。おっ、ここからの富士山も絶品じゃないか。雁摺山からの眺めよりも良いんじゃないのか。ただ、さっきよりも霞の度合いが増えた分惜しい。視界全体が白っぽい。1時過ぎでは仕方もあるまい。朝一で眺めたら絶景だろう。全容をまだ見ていない雁摺山も直近だ。姥子山は岩峰のようなピークで余計な樹々やら枝が入り込まない分、展望が良好。大月市らしき街並みも見えている。
 霞だけが惜しいな惜しいなと思って眺めていたが、ここにきて、どうにも三ツ峠山が邪魔な存在に思えてきた。これまではちょっとした眺望ポイントの一つとして思っていた。姥子山からでは、あれがなかったら、さらに秀麗富士だろうに。

(大月の町が見える)


 もう十二分に堪能した。その分、タバコも吸い過ぎた。おにぎりも一個食べた。そろそろ帰ろうか。暖かいレベルから暑いくらいになっている。フリースを脱ぎ、ストックも収納。あとは気持ちがしぼみそうな長い林道歩きが残っているだけ。

(下って)


(林道歩き開始)


 林道に出ると、進行方向とは逆方向の日陰に残雪があった。ここでチェーンスパイクの泥を拭いザックにぶら下げ、さらに靴の泥も落とす。ついでにズボンの裾も雪でこする。これでうっとうしかった気分も少しは解消し林道歩きに集中できそうだ。集中しても長い歩きが短縮されるわけでもないが。
 ところがどっこい、この林道、下り基調とばかりに勘違いしていたが、微妙な登りが続き、歩いた時間の割には50mの標高差しか稼げなかった。まさか、途中で立ち休みを繰り返すことになるとは。

 林道には断続的に雪が出てきた。歩行の妨げになるわけではない。むしろ靴の泥も拭えて歓迎だ。旧型パジェロが1台置かれている。林道から尾根に上がる際、ワゴンタイプの車が見えたがこれだったか。右手の沢からおっさんハンターが下りて来る。しばらく行った先には軽トラが2台。傍らにハンターが3人、談笑している。荷台には黒いシートがかぶせてある。あれは本日の獲物だろう。3人の中の1人は雁摺山の直下で出会ったハンター氏だ。挨拶を交わしたが、さっきのハンターが帰って来るのを待っているようだ。ここまで林道歩き開始から10分ほど経過している。
 実は軽トラを見た瞬間に甘いことを考えていた。乗せてもらえるんじゃないかと。ただなぁ、沢を下って来たハンターはどう見てもパジェロではなく軽トラのお仲間だ。となると、4人で2台の軽トラでは自分の座るスペースがない。荷台で横たわったシカと一緒にというのもなぁ。そんな期待と心配は不要だった。先が長いから乗って行けと言われることはなかった。むしろ、滑るとこあるから注意しろと。軽いショック。

(あ~ぁ行っちゃった)


(振り返って姥子山)


 その30分後、パジェロを含めた車3台が追い越して行った。ブレーキランプすらつかなかった。残していた淡い期待はなくなり、孤立無援の林道歩き。登り気味になるといらいらする。轍も水たまりになり、夏靴はどんどん重くなる。
 1時間経過した。まだまだだ。上り時に横切ったところもまだ先。地図を見ると、ざっと1/3区間しか歩いていない。ということは、×2でまだ2時間は歩かなきゃならないということだ。乾いた地面に腰をおろし、うんざりしながら遅いランチタイムにする。
 この先の尾根やら沢を地図で検討する。このまま林道を歩いて行ったのでは、禁じ手とはいってもプライドのかけらもない何だかみすぼらしい歩きになる。登った尾根を下るのが嫌なら、せめてショートカットくらいできないものか。尾根は大方が途中で沢に合流したり、別方向になったりしている。沢の具合もわからない。やはりダメか。まてよ、ここなら行けんじゃないか。少なくとも30分は短縮できるだろう。ダイレクトで真木小金沢線に下れそうなルートがある。等高線も込み入っていない。やってみるか。

(本日最後のぼんやり富士。この富士山もまたgood)


 左にさらに霞が濃くなった富士山が見えた。やはり富士山は午前中の早い時間帯に限る。登り時に尾根復帰した取り付きポイントを通過。ここまで左下をずっと見ながら歩いて来たが、ここを下ってみようかと思うような気軽なところはなかった。ガードレールの下は切れている。やはりあそこしかないな。

(ここから左に下ってみる)


(上から見て。ロープがあって助かったが)


(その下はヤセ)


 カーブミラーのあるところ。ガードレールはない。覗き込むと尾根らしきものが続いている。だが急斜面になっている。どんなものだろうか。ダメなら禁じ手に戻ればいい。数歩下り、こりゃダメだなと思ったところにロープが垂れていた。これ、もしかして作業道か? だとすればラッキーだ。
 ローブを伝い、ヤセた尾根に乗る。ここは脆くて両サイドが切れていて緊張する。ほっとしたところで植林に入った。踏み跡は消えた。だが、植林の中には林道に出る作業道があるはず。

(植林の急降下)


(沢に逃げる)


 尾根に忠実にと思ったが、例外なく植林の急斜面。それにやたらと滑る。日陰で地面は凍っている。左手の沢筋にトラバースして逃げる。踏み跡が現れる。どこに出るか不明だが、ジグザグに沢に向かっている。

(明瞭な道型を辿る)


(真木小金沢線に出る)


 沢に出ると、少しゴチャゴチャとした感じではあったが、幅広の作業道が続いていた。おそらく真木小金沢線に出るのは間違いない。沢沿いの道だ。ところどころで雪がかぶっているが、道型は明瞭。そのうちに沢に水が出てきて擁壁もないままに林道に出た。確実に30分以上は短縮できたろう。頭の切り替えをしなかったら、ようやく林道乗り換え付近に着いていた頃だ。ただ、靴は元のように泥だらけになっていた。

(林道歩き)


(荒れ果てたテニスコート)


(疲れたわい)


 林道を20分ほど下るとゲートが見えた。そして駐車場着。休憩込みで8時間45分か。長かった。ちょっとくたびれたが、五百円富士山を2回目にしても見られたのはラッキーだった。発砲音を除けば静かでおだやかな山歩きを楽しめた。お薦めしたいルートだが、大峠から楽に行けるのにお薦めに乗る方はいまい。
 もう4時を過ぎている。中央道の渋滞にはまるのは確実だ。案の定、大月インターから入ってすぐに車の動きは低速になって止まった。断続的な渋滞は小仏トンネルまで続いた。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

(付録・肝心の五百円札)


 よくは知らないが、B号券とC号券があったそうで、これは後期のC号券。いずれも岩倉具視+雁摺山からの富士山がデザインされている。C号券は昭和44年から60年まで発行されていたらしい。

奥武蔵ハイキングで間にあわせのつもりだったが、なかなか手ごたえのある歩きになってしまった。<芦ヶ久保~日向山~丸山~川越山~正丸峠>。

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◎2018年3月18日(日)

道の駅果樹公園あしがくぼ駐車場(7:06)……芦ヶ久保観音(7:19)……琴平神社(7:48)……日向山(8:08~8:17)……道間違い引き返し(8:33)……何とか、山道に入る(8:49)……正規ルート合流(9:13)……丸山(10:09~10:30)……大野峠(10:54)……カバ岳(11:15)……休憩(11:38~11:46)……虚空蔵峠(12:14~12:21)……旧正丸峠(13:00)……川越山(13:15~13:30)……正丸峠(13:46)……正丸駅(14:28)・正丸駅発(14;47)─芦ヶ久保駅(14:52)……駐車場(14:59)

 土曜日、職場の窓から空を見上げ、何とも複雑な気持ちになった。真っ青な空。まさに富士山日和だった。雁ヶ腹摺山のあとは大月からちょっと離れ、都留方面から富士山を間近に眺めるつもりでいた。数日前から土曜日は仕事だしと日曜の予定にしていたが、明日の天気予報は晴れてはいるが雲量が多く、昨日の時点ですでにあきらめている。今日のこの晴天が何ともうらめしい。
 そんな天気具合だったから、日曜日は奥武蔵の山にでも軽くハイキングに行くことにした。最近買った2018年版の昭文社マップ『奥武蔵・秩父』を広げて見た。「丸山」という山に「奥武蔵随一の大展望 県指定名勝」と添え書きがある。随一とはどんなものだろう。旧版マップ(2008年版)には「展望良い」としかなかった。そういえば、11月に武川岳、伊豆ヶ岳に行った際、結果的には時間の関係で無理だったが、正丸峠の北にあるいわくありげな響きの「虚空蔵峠」という名前に魅かれていた。この峠とその丸山を加えて歩いてみるのもいいか。
 芦ヶ久保から日向山と丸山に登り、虚空蔵峠と川越山を経由して正丸峠から下れば前回の続きにもなる。今の自分には尾根をつなげて歩くといったこだわりはあまりない。その点では矛盾もするが、奥武蔵の軽いハイキングといった観点では、どうせならといった含みがあってもいいだろう。結果として前回歩きにつなぐことができ、後でのこだわりを残すこともなくなったが。
 ただ、今回のコース取り、帰宅してからHIDEJIさんの記事を拝見し、ザゼンソウを見られたかも知れないかなと思うと、ちょっと失敗したかもしれない。数日早いようだが、桜の開花も例年よりも早くなっている。草花に関心は薄いが、見方によっては卑猥げなあの花(草?)を見てみるのも一興だったかも(当日行かれた方のネット記事を拝見すると、開花は2株だけだったようで、何とも言えないが)。

 定番になっている<道の駅果樹公園あしがくぼ>に車を置く。駅至近、駐車代無料に過ぎたものはない。青空が広がっている。その時はやはり富士山が見られたかなと後悔もしている。
 左手前方に大きな観音像が見える。ああいうのは怪しげで近づきたくないなと思いながら国道を渡り右手に行く。出発早々に確証を持った歩きはしていない。この辺は標識だらけだし迷うこともないだろうと楽観している。確かに「ハイキングコース→」の標識を見かけ、地図看板もあった。コースの点線先には日向山と丸山も記されている。

(茂林寺。館林の茂林寺シリーズだろうか。気になったが、出発早々から寄り道をしていられない)


(標識だらけ。自分のような一見のハイカーに理解できるのは「芦ヶ久保駅」のみ)


(芦ヶ久保大観音と武甲山)


 すぐに白髭神社と茂林寺。先が長いので見学は省略。向かう方向には「六番峠ハイキングコース」と、「源寿院 高原パーク横瀬(風の道コース)」の標識があるが、「あしがくぼ山の花道」というのも出てくる。こうなるとこの辺の観光に精通していないとわけがわからなくなる。日向山の標識はない。このままでいいのだろうかといった不安が出た。舗装された坂道を登って行くと、案の定、さっきの観音様に出てしまった。バックに武甲山があってなかなかのロケーションだ。「芦ヶ久保大観音」というらしい。社務所のような建物が源寿院のようだ。特に怪しげな像でもなかった。向かい側には放置されたままの鳥居がある。そっちに行ってみようかと思ったがたいしたこともなさそうなのでやめた。そのまま道沿いに行くと広場。ここは駐車場か。
 ここから山道になっている。その前に、やはりさっきの鳥居が気になったので先にある階段を登ると、ただのヤブで細い道が続いている。鳥居の上の位置にあたるが、神社らしきものはない。戻る。

(これ、車道ではない。ハイキング道)


(この程度のハイキングコースなら歩いていても気分は良い)


 地ならしをしたかのような広いハイキングコースは橋を渡ると普通の登山道になった。せめてこれくらいの道を歩きたい。左手にはずっと武甲山が見えている。南側の空は霞んで視界は良くない。やはり今日の富士山はダメだったか。むしろほっとした。

 しばらく行くと、標識から、今歩いている道は「高原パーク横瀬」なる所に至る「風の道コース」であることを知る。「山の花道」と「六番峠ハイキングコース」はどこかで消えてしまった。標識にしたがって歩いていることは確かだが、北に向かっている。ここから頭が混乱する。というのも、地形図での日向山の位置がアバウトに記されている。日向山と書かれたところは北西に「二反沢」、南に「倉掛」という地名の間にあって、どこがピークかはっきりせず、おそらく南側の丸い550m級ピークとばかりに勝手に思っていて、それに合わせて地図に事前入れしたマーカー路線で歩くつもりでいたが、それでいくと、北東に向かうのが筋で、北に向かうのはおかしい。ましてや、地図にはこんな明瞭な登山道が記されていない。地図とGPSを見比べる。GPS地図にもこの道は載っていない。これは道を間違えたんじゃないのかと、今度は昭文社マップを取り出す。すると、この道は赤い実線で記されていて、さらに日向山のピークは二反沢側の633m標高点であることを知った。このまま進んで日向山に到着というわけか。

 戻る意味もなく、この道を行くしかないが、こういうハイキングコースが整備された里山は、ヘタに地形図なんかを見て歩かない方が無難かもしれないし、地形図を見ながらコンパス合わせで歩くようなところではない。極端に言えば、イラストの観光マップくらいで十分なところだ。少なくとも日向山と丸山に関しての話。標識に合わせて歩いた方が確実だが、その標識も、日向山というのが出てこない。たまに手書きの書き込みを見つけてはホッとしたりしている。
 こんなことをだらだら記していてもしょうがない。現実が目の前にある。この道を先に行かねば目的の日向山には着かない。

(ようやく標識に日向山の記載を見た)


(里の梅)


 ようやく標識に「琴平神社 日向山」が出てきた。右下は「農村公園」に至る道のようだが昭文社マップにもそのルートは出ていない。やはり、地図とにらめっこ式の歩きは混乱するだけのようだ。
 ハイキングコースを登って行くと、先に里が現れた。梅が咲いている。紅梅も見える。今季初の梅の花。舗装道を道なりに行くと地図にもある車道に出た。やはり車道歩きかとがっかりしたが、すぐに公衆トイレが目に入った。その脇には鳥居があり、案内地図看板。そして、ここに初めて「日向山山頂→」だけの標識が置かれている。高原パーク横瀬は別方向になっている。

(琴平神社の鳥居)


(琴平神社)


(これから階段が連発するようになる)


(階段を外した歩きをするとプチヤブになる)


 階段を登って琴平神社。左に向けてハイキングコースが続く。この先は地形図にもある実線になっている。このハイキングコース、分岐も出て来るが、結局は先で合流する。余計な階段が続くのでわき道に入ると、これはヤブ系の道で、フェンスが続いていて、大回りになったりする。階段ルートをよく見ると、だれしもがそうするのか、階段を避けた踏み跡が脇をずっと通っている。今日はこの先も最後までこんな階段が続くが、登り時は歩幅がまったく合わなかったり高かったりでむしろ障害になったし、下りも飛び跳ね歩きになってむしろ危ないし足に負担もかかる。

(あれが日向山のようだ)


(日向山山頂。だれもいない)


(山頂から)


 落ち着いた尾根道になると、正面にこんもりとした山が見える。あれが日向山のようだ。右に集合アンテナを見ながら登って行くと日向山に到着した。
 山頂には展望盤と展望台。そして何かよくわからないが長い棒が立っている。展望盤と視界を見比べる。浅間山が見えるはずだが、雲に隠れ、両神山はシルエット。やはり主役は武甲山。ここまで1時間。汗をかいた。これから暑くなるような陽気。もう上下のヒートテックは着ていない。それでいての暖かさ。ウインドブレーカーを脱ぐ。

(下る)


(ロウバイが目に付いた。自己満足的写真)


(あの駐車場にストレートに下るのが正解だった。ロウバイにこだわりのある撮り方)


 水を一口、タバコを吸って次の丸山へ向かう。入れ違いに2人連れが登って来る。相変わらず標識は多いが、これまでと違って新しい標識がない。下りながら「山の花道→」という標識が再び現れた。やはり、その分岐には気づかなかったようだ。
 典型的な里山歩き。間もなく下にトイレ完備の駐車場が見えてくる。そして人家。終わりかけのロウバイもある。駐車場には車が2台。うち1台はさっきの2人連れのか。

(気づきながらも丸山とは反対方向に下っている)


(カタクリ自生地ということだが)


 暢気に歩いていたのがわざわいした。ここは駐車場に下るのが正解だったのだが、それを敬遠して遠巻きで下った。階段を下っていると「山の花道」の案内看板が現れた。何の気なくなおも下る。カタクリの群生地らしくロープで囲われている。カタクリはまだ出ていない。さらに下ると道が荒れてきて、下に川が見え、その上には車道。丸山方向とは反対に北に下っている。「山の花道」を歩いてはおかしなところに出てしまう。戻る。ムダな時間と体力を使ってしまった。

(結局、駐車場に戻ることになった)


 ショートカットしながら駐車場に出ると、トイレの脇に「よこぜイラストマップ」の看板があった。だが、方向音痴の自分には、イラストに記された丸山にどうやって行くのかよくわからない。標識を探し回ったが、車道伝いに「県民の森→」があるだけ。果たしてこれでいいのか。とうとう、さっきから聞こうかどうかと迷っていた犬の散歩をしていたご婦人に道を尋ねてしまった。県民の森方面に車道を歩くと右に山道がある。そこを入ると神社に出る。神社を左に登って行けばいいとのこと。ご親切にも、山も方を指さして、あの尾根に乗れば丸山に行けますよとのこと。ありがとうございました。その間、散歩犬のビーグルにじゃれられていた。

(車道を歩いて)


(植林に入る)


 車道を少し歩いて右の薄暗い植林に入る。しっかりした道にはなっているが、標識には丸山の表示はなく、あくまでも「県民の森(山道)」だ。上の行に何かが記されていたらしいが消されている。この道は地形図にもないが、昭文社マップにはそれらしきルートになっている。地形図ではここより南側には破線路はあるが、766mあたりで合流するのだろうか。ご婦人のナビを信ずるしかあるまい。

(山ノ神)


 先に行くと三叉路になった。ようやくここで行く方向に「丸山・県民の森」の標識が出て、直進は「芦ヶ久保駅」になっている。この道は地図上の破線路かなと思ったがそうでもない。それでいて石の道標があって「正面 本村内道」、「左 横瀬村ヲ經テ秩父村ニ至ル」とある。ここは古道なのだろう。ここで「左」は登って来た方向で、「正面」は芦ヶ久保にあたり、実際に行こうとする左には記載がない。そのこだわりはともかく、すぐに鳥居付きの神社祠があった。「山ノ神」だろう。これを知ったのも、マップの『2017年版』にはないが『2018年版』には出ていたからだが、実は、2017年版を買ったはずなのにどこにいったのやら見あたらず、仕方なく2018年版を買ってしまった。直後に、山を歩く時にしか使わないようになった車の中にあったのを見つけ、ボケを再認識して愕然となっていた。雁摺山と大平山を歩くか迷っていた時に車に入れっぱなしにしていたようだ。
 ご婦人ナビに合わせ。ここは左に行く。あのご婦人、この辺も犬散歩で歩くのだろうか。ご婦人とはいっても自分よりはかなり若く教養もありそうな感じで、その辺のオバチャン風だったら、ためらいもせずにさっさと聞いていた。だからこそ意識して道を尋ねづらかった次第。確かに容姿に違わず端的明瞭なご案内だった。

(溝状に削ったような道)


(六番通りに合流する)


 えぐられたような道が続く。歩きづらいわけではない。溝の中を歩いている感じだ。そしてクネクネと登って行く。やがて、右手からの尾根に合流。ようやくここで地図の破線路につながったわけで、この先は一時的に迷うことはあっても、徘徊するような歩きをすることはなく済んだ。単純なハイキングコースも、自分には地名、スポットに疎いためか、さらに自分にはあやふやな標識のおかげでやたらと複雑な足取りと心境になって時間をとられてしまった。これからはピッチを上げなきゃなぁと気持ちだけはあせる。
 登って来た方面には「日向山」、合流尾根の下り方面には「芦ヶ久保方面」、そして尾根上りの方には「丸山 県民の森」の標識が置かれている。どうもこの「県民の森」というのがさっきからうさん臭く感じ、また惑わされる可能性もありそうだ。早いとこ里山エリアから離れないことにはコースミスが続発しそうだ。

(防火線とのことだが、果たしてこうなるとつい疑ってしまう。タイヤ痕はない)


(766m標高点付近)


 幅広の防火線(帯)が続いている。ここが「六番通り」(=六番峠ハイキングコース? いずれにしても六番とは札所六番のこと)というコースらしい。車も通れそうな道を登って行き766m標高点付近を通過。ゆるやかな登りは苦痛にもならないが、この防火線、次第に水気を含んで滑るようになり、脇の草付きを歩くようにした。2人連れが下って来て挨拶。今のところ出会ったハイカーはこれで2組4人。

(車道に出る。標識に丸山が登場)


(次の車道横切りから入り込む)


 防火線が終わり車道に飛び出した。ここは横切るだけ。標識にもしっかりと「丸山」が記載されるようになっているから安心できる。階段を登って行くとまた車道。さっきの車道の延長だろう。奥武蔵の山歩きはどうしても車道との接触が多くなる。これは仕方がない。だから余計に山歩きの達成感というのが沸いてこない。

(丸山だろうか。左奥に電波塔のようなものが見える)


(またかいな)


 「県民の森」エリアに入ったようだ。案内図看板もある。すぐ近くに駐車場もあり、あちこちにベンチも置かれている。丸山山頂には展望台もあるようだ。前方に小高い山が見える。あれが丸山のようだ。少し下ると左手に電波塔のようなものが見え出す。その奥が堂平山方面かと思う。
 また車道を横切って階段登り。この繰り返しだが、左手の電波塔が近くなるとコンクリートの建造物が見え出した。丸山の展望台のようだ。

(丸山山頂。展望台があるから「奥武蔵随一の大展望」なのか。考えてみれば、2008年版には「展望良い」だけだから、当時は展望台もなかったのか。自分には無粋な建造物に思える)


 丸山に到着。山頂は泥濘もあったりで落ち着かない。「展望広場」の看板が目に入る。そして「外秩父丸山の眺望(県指定記念物<名勝>)」の標柱。解説板には「丹沢、奥多摩、奥秩父、秩父盆地、関東平野北部、北アルプス、八ヶ岳連峰、中越山地云々」とあるが、ここからでは眺望の良さがわからず、すぐに展望台に上がってみる。

(展望台から堂平山方面)


(何だかすっきりしない。花粉が飛んでいるのかねぇ)


(両神山もこんな感じだ)


 なるほどなぁ。確かに展望は良い。良心的に無料の望遠鏡が4~5基設置されている。ただ、春霞のせいか遠望は効かず、白い峰々がかすかに見え、明瞭なのは堂平山。両神山はここでもシルエット。なるほどねぇ。霞がなかったらさぞきれいかもしれないが、「奥武蔵随一の大展望」をキャッチにするにはちょっと…といった感じ。
 展望台から下りて、乾いた日向のベンチで菓子パンを食べて一服。その間に単独のオッサンがやって来てすぐに展望台に上がって行った。正直のところ、ここに展望台がなかったらのんびりできるのになぁと思ったりした。展望台があるばかりに陰になるところは泥濘にもなるし、山頂は広いのに展望台がそれを窮屈にしている。もっとゆっくりしたかったが、南側から発砲音が散発的に聞こえて落ち着かなくなり腰を上げる。

(大野峠に向かう)


(伐採地から)


 次のポイントは大野峠。この辺にある標識も、縦走しようとするハイカーには不親切で、大野峠の書き込みはなく、やはり苦情でも出たのかパウチされた「大野峠 芦ヶ久保駅→」と書き込んだ紙が標識に貼られている。これがなかったらまた迷うところだ。
 左に伐採地とフェンスが続く。もう春の山の歩きの気分だ。風も暖かい。ここからの堂平山の眺めも良い。15人ほどの団体さんが上がって来た。GB隊ではなく老若男女混在のグループ。マナーを心得たグループだ。最近の光景として、挨拶も返さないハイカーが多くなっていて、その都度に気分が悪くなる。だったら、こちらから挨拶をしない方がいいだろうというわけにもいかない。一見にしろ、同じ趣味を持って、同じところを歩いているのだから。

(いつしか、ふれあいの道に入り込んだようだ)


 道が大分細くなって、次第に気分が乗ってきた。左の林の中に896m標高点があるはずだが、三角点ならともかくヤブに入り込んでも意味はないだろうと素通り。どうやらふれあい道に入ったようだ。標識もふれあいマークが付き、「関東ふれあいの道」と記されている。ようやく県民の森から離れたようで、標識に「大野峠」が入り込む。ちょうど白石峠の分岐だ。白石というと笠山、堂平山に登る白石車庫バス停があるが、そちらに向かう峠だろうか。外秩父七峰縦走ハイキング大会で同行のI男が脱落し、白石車庫からバスに乗って帰ったことを思い出す。

(パラグライダー発進地から)


(大野峠)


 パラグライダー発進地を通過。今日はだれも飛んでいない。斜面を削っているから見晴らしは良い。つい堂平山が気になってしまう。土嚢を間に挟めた階段を下って行くと車道が見えた。そして東屋には3人ほどの姿。大野峠のようだ。峠とはいっても、この辺の峠は車道乗り入れになっていて、古来の峠のイメージとはまったく異なっている。これでいくと、名前に魅かれた虚空蔵峠もまた同じようなものだろう。地図を見ると、確かに虚空蔵峠にも車道が通っている。

(標識を読み違えてここから入り込み戻る。指さしスタイルがユニークだ。このタイプの標識はしばらく続く)


 ここで2つほどのミス。東屋のハイカーを避け、さっさと「芦ヶ久保駅 赤谷」の標識のある林に入り込むと、どんどん下るようになっていて、マップを見ると芦ヶ久保への直接下りルートになっていてまた戻る。もう一つのミスは、後でマップを見ると、大野峠には「道標兼ねた馬頭尊あり」と赤字で記されていて、これを見逃してしまったこと。
 道路傍のハイキングマップを確認する。この先から「奥武蔵グリーンライン」なるハイキングコースに入るらしい。そして、この車道は林道であることを知る。

(見た目の感じは良いのだが、左下が林道で静けさはない)


(858m標高点付近)


 グリーンラインは林道に沿った山道で、車やバイクのエンジン音が近くに聞こえて、ゆったり気分での歩きは楽しめないところだ。これがしばらく続き858m標高点付近を通過して一旦林道に出る。引き続きの山道はすぐにあるが、大野峠を過ぎてから、やたらとアップダウンの繰り返しになったような気がする。これが累積すると大きなもので、帰ってからカシミールで累積標高(+)を出してみると1592mにもなっていた。この先の酷い登り返しは旧正丸峠から川越山までの100m登りだ。それまで体力を温存しないといけない。

(ここから少し登ると)


(カバ山)


 下る単独ハイカーに出会い、少し登り上げると平らなところに出た。ここがカバ岳。おかしな山名だが、山名事典にその言われは記されていない。おそらく樺岳だったのではあるまいか。ここにふれあい道の距離標石が置かれていて、正丸駅まではなんと9キロもある。うんざりした。少なくとも3時間半はかかるだろう。白石までは6.6キロとあるから、このふれあい道は白石と正丸駅を結んでいるようだ。今日のコース、ここまでようやく半分のようだから、都合18キロは歩くことになる。

(露岩帯が続く)


(樹の根の間に石が入り込んだのか、その間から樹が出てきたのか…)


(七曲り峠。もう車道に出ても何も感じなくなってきている)


 気を取り直して下る。露岩地帯に入る。しつこく続く。危ないところはないが、通過には気を遣う。進行方向の標識はすでに「刈場坂峠」になっている。ここも細かい上り下りが続き、見下ろしていた林道がやがて目の前に現れると「七曲り峠」。この峠も林道沿いだが、山道に七曲がりはなかった。古い峠だとすれば、旧道の上に林道ができたのだろうか。
 すぐにまた山道に復帰。尾根が切れているから車道に出るのは避けられない。「ワナ布設につき要注意」の張り紙。トラバサミだろうな。ヤブに入り込んだらとんでもないことになりそうだ。そういえば、発砲音はいつの間にか消えた。ネットで確認すると、狩猟期間は3月15日で終了になっている。長瀞に射撃場があるようだが、長瀞から発砲音がここまで聞こえるはずもない。たまに金属を叩く音が発砲音に聞こえることもあるけど、それだったのだろうか。ここは南側が開けている。しつこいようだが、これでは富士山はダメだったな。

(ここでちょっと休憩)


 登り上げて平らになったところで丸太に腰かけて休憩。まだ12時前だがそろそろ疲れてきた。秩父の国道140号線はなぜか土日は混んで、羊山公園の芝桜の頃には花園インターまで断続的な渋滞になることもある。早いとこ切り上げたい。
 重くなりかけた腰をよいしょっと上げて登りにかかると小ピーク。ハイカーが座り込んでラーメンを作っている。単独の外人さんだった。半袖のTシャツ一枚。いくら暖かくともここまでは…。素通り気味に刈場坂峠に向かいかけたが、待てよ、このままコースに合わせて狩場坂峠方面に行くよりも、867m標高点経由で下れば少しはショートカットになるんじゃないのか。トラバサミのことはすでに忘れている。

(ショートカットしようとしたら枝ヤブ尾根だった)


(あっさりと復帰。手短かなマニアックで終わった)


 枝ヤブの尾根だった。踏み跡、テープなし。歩きづらい。867mを過ぎたところで、効率的でもないことをやっていることに気づき小尾根をさっさと下って一般道に合流。3~4分の時間を稼いだ程度のものだった。

(虚空蔵峠の東屋)


(峠に置かれていた。やはりそれなりの逸話なり修験場があったのだろうか)


 半分植林の中を下って出たところは林道。「虚空蔵峠」の標識がようやく出てきた。ここからしばらくは林道歩き。200m程度のものだが、下山時の正丸駅までの区間を除けば、本日一番の長い車道歩き。道がカーブしたところに重機が置かれ、先に東屋が見えている。まさかとは思ったが、これが虚空蔵峠だった。東屋の裏手にコースが続いている。峠の名前に魅かれていたが、やはり車道の峠か。途中から予想はしていたががっかりした。虚空蔵といった、仏教感的な空しさにつながるようなイメージはまったくない。
 標識を見ると、正丸峠まで3.1キロ、正丸駅はまだ5.7キロもある。このまま林道沿いに正丸駅に下るのも可能なようだが、舗装林道ではなぁ。せめて旧正丸峠くらいは行っておいた方がいいんじゃないのか。
 周囲を見回したが、あるのは中に石仏らしき石像を収めた石祠だけ。金属プレートに2人の奉納者が記されている。「越生町」と「飯能市」となっているから近年の物だろう。東屋でタバコを吹かしていると、自分と同方向から単独氏が林道を歩いて来て東屋で休憩に入ったので、それを潮に正丸峠に向けて出発。

(東屋の裏手は急登りコースになっていた)


(登り上がるとベンチがあったりして)


 いきなり急な登りになっていた。ストックを出そうかと迷ったが、ここまでストックなしで来た。今日は久しぶりに無しで通すことにしよう。さっきの単独氏はダブルストックだった。

(ここ、左にしっかりと巻き道がある)


(だが、ここは直登しなければならなかった)


(見下ろすとこんなだ)


 ようやく登り上げたと思ったらすぐに下りになってなだらかに。目先にまた小ピーク。うんざりしたがしっかり左に巻き道がある。ここで律義なことはしない。活用する。右手に武甲山が見えて正丸駅まで5キロになった。引き続き、なだらかになって、目前の小ピーク(737m標高点)の巻きを繰り返す。ここまでは小ピーク越えを前提に、ふと左の巻き道に気づいて利用するといった段取りだったが、三番目はそうはいかなかった。しっかり登り上げる階段があつらえられていて、左に目を凝らしても巻き道なんてものは存在しない。ため息をつきながら登る。やはり急できつい登りになった。

(小休止スポット)


(おそらく川越山)


 ぜいぜいして息を整えがてらに小休止。やせ我慢せずにストックを使えばよかった。歩きを再開すると、また登って平らなところに出た。もう旧正丸峠まで下りだろうと素通りする。だが、正面に見える川越山(766.4m三角点峰)はここからでも高く見えている。ここから旧峠までは下りだ。見た目以上の登り返しになる。やはり旧峠から下るか。ここまで来たら、もう登り返しはなく正丸駅まで下り一辺倒の方が楽だ。川越山にこだわりはない。

(旧正丸峠。安易に記しているが、「旧」とは何なのか。車道が通っていないからか? だろうな)


 すぐに下りにはならず、歩きながら東側の706mに寄ろうかと思ったが、思っただけで終わり。正丸駅まで4キロのふれあい盤。階段を下ると旧正丸峠。ここを左に下れば正丸駅に至る。ここから下るつもりが土壇場で悩んでしまった。それもいいが、後になってから川越山に行く気が起きたらまずい。ここは100mの登り返しを我慢してすっきりした方がむしろいいんじゃないのか。

(ここの登りはつらかった。上から見下ろす)


 長いつらい階段が続く。下部は急だ。3世代ファミリーが下りて来る。何度も休んでは振り返る。振り返るにはわけがあって、もしかしたら、虚空蔵峠の単独氏が登って来るんじゃないかとおびえているからだ。ここで抜かれることになったら、相当にヤワということになる。もっとも、単独氏がこのルートをとるのかどうかはわからない。さう感じただけのこと。

(ようやく緩くなって)


(川越山。展望は乏しい)


 階段が終わり緩やかになった。ここまで何度も立ち休みをした。山頂はすぐそこだ。自転車の青年がやって来て、ここで自転車を担ぐ。さすがに階段脇を乗っては下れない。
 旧峠からたかが15分程度のものだったが30分ほどにも感じた。川越山は三角点のある小広い山頂だが、展望はたいしたものでもない。一服し、セルフを撮ったり遅い昼食をし、また一服していると人の気配。振り向くと例の単独氏が山頂にいた。単独氏は山頂に5分もいずに写真を撮ったりしている気配もなく「お先に」と下って行った。「正丸駅です?」と聞くとそうだとのこと。
 まぁ、これでだれにも抜かれずに済んだ。ゆっくり下るとするか。川越山にも登ったことだし、特別なことがなければこちら方面に来ることもない。あとは消化試合ということになる。

(まさかの登りが待っていた)


(もう登り歩きはないだろう)


(休憩スポットが随分と出てくる)


 一旦は下って、もう登りなしとばかりに思ったのが甘かった。さらに登り基調になり、地図を見ると、先に780mピークがある。川越山よりも高い。これには参ったが、これだけと思ってこらえてピークを通過。階段を下って行くと正丸駅まで3キロとなった。
 傾斜が落ち着いたところでベンチやら東屋が周囲に置かれているのに気づいた。こんな半端なところに来る人がいるのかなと思ったら、手すり付きのコンクリート階段の下に車が1台。そうか、正丸峠に着いたわけだ。

(正丸峠の茶店。左に「御展望記念碑」がある)


(そこからの御展望。おそらく埼玉県知事と飯能市長、横瀬町町長はご同行かと思うが、まさかこの景色でご満足とは思えない。茶店でジンギスカンをお食べあそばしたということはないだろう)


 正丸峠もまた例外なく車道の峠。前回、伊豆ヶ岳から下ったら、食堂のようなものが見え、やってんのかなと思ったりしたものだが、その店から良い匂いが漂ってくる。前回は裏を通っただけだったので店の正面は見ていない。<奥村茶屋・営業中>とあった。中で2人連れが食事中。あの車はあの方たちの車のようだ。店の横に「御展望記念碑」なるものが置かれ、ここから昭和天皇と現天皇が景色を眺めたらしい。とても奥武蔵随一の大展望といわけにはいかない。もしかして、すっきりしていれば富士山でも見えるのかねぇ。

(消化試合が始まった。この先は前回と同じところを歩いている)


(ハイカーが多い割りにはこんなところもある)


 店の裏に回って下る。後は前回同様の歩きになる。途中、正丸駅2.5キロの標示を見た。前のは3キロだった。やけに長い500mだ。周囲の景色も前回に変わるところはないが、「奥村茶屋 炭火焼のジンギスカン料理」の古い看板が目についた。そうか、あの匂いはジンギスカンの匂いだったのか。急に腹が空いてきた。あ~ぁ、冷たい生ビール飲みながらジンギスカン喰いてぇよ。

(里に出た)


(前回気になっていた石碑)


 里に出た。前回見ようとして後ろのハイカーが気になって素通りした石碑を、わざわざ石垣に上がって見る。ただの供養塔で、昭和34年の物だった。

(正丸駅に向かうハイカーが先にぞろぞろ)


(駅下の階段待ちの間に撮った)


(正丸駅に着く)


 前を歩くハイカーの姿が多くなる。ばらばらだがざっと10人以上はいる。伊豆ヶ岳からの帰りだろう。どんどん距離が縮まり、正丸駅下の階段で待機する状態になった。
 今14時28分。下りは47分だ。駅の前でタバコを吸ったり、おにぎりを食べたり缶ジュースを飲んだりと時間をつぶす。単独氏の姿はすでにない。下り電車に乗ったのは自分を含めて2人だけ。

(芦ヶ久保から。今日はあそこを歩いたようだ)


 長いトンネルを抜けて芦ヶ久保駅。道の駅は混んでいた。観光マップがないかと中に入ってみたが、ハイキング系のパンフレットはなかった。一緒に電車に乗った青年が自分の前を歩いて駐車場に向かっている。偶然にも隣の車だった。出発時にはなかったが大回りの伊豆ヶ岳コースだろうか。

 今回のコース、ざっと7時間20分コースになっている。ほぼ同タイムで歩いたが、途中の道間違いやらうろつき、休憩タイムを加えての時間だから、今の自分には上出来だろう。これがGBタイムでの7時間20分だとしたらちょっと落ち込むかもしれないが。

 やはり140号線は渋滞になっていた。この時期の秩父に何があるのだろう。花園インターにつながる外側車線は長蛇の列になっている。どうも関越道そのものが事故渋滞になっているようだ。お気の毒に。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

大月の気分で出かけた道志の山だったが、まさかの雪に難渋するとは。<ワラビタタキ~赤鞍ヶ岳>。

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◎2018年3月25日(日)

道志水源の森駐車場(6:56)……標識発見(7:08)……鉄塔(7:29)……林道横切り(7:34)……チェーンスパイクを履く・標高1010mあたり(8:19)……ワラビタタキ(9:21~9:34)……ウバガ岩(9:45)……標高1232m付近(10:10~10:17)……秋山峠(11:00)……赤鞍ヶ岳(11:08~11:11)……秋山峠(11:17~11:29)……979m標高点付近・入道山(12:00)……林道(12:22~12:35)……村役場・国道(12:51)……駐車場(13:02)

 大月の山よりももうちょい近くで、そして三ツ峠山に邪魔されない富士山を見たいと、道志方面の山に行くつもりでいたが、出発間際までそれなりに悩んでいた。先ずは行く日。土曜日予定でいたが、晴れてはいても雲が多めの土曜日よりも日曜日の方が快晴に近い。翌日の月曜日に疲れが残るかもと土曜日にしたのだが、行ったはいいが富士山を拝めないのでは意味がない。日曜の用事を土曜日に前倒しして日曜日に変更。肝心なのは歩くコースだ。これは道志からは外れて都留方面になるが、道坂トンネルから今倉山経由で二十六夜山往復。もう一案はマイナーっぽい感じがしたが、ワラビタタキから赤鞍ヶ岳を経由して菜畑山に至るコース。出発直前で後者にした。理由は自宅からのアクセス。道坂トンネルでは中央道で都留まで行かなきゃならない。後者コース選択なら一般道は長いが圏央道のまま相模原ICで済む。帰りの渋滞のことも考慮した。
 この時点では、道志の山は大月よりも南だし、まさか雪があるとは思いもせずに出向いた。まして今週は日を追うごとに暖かくなりそうだし、敢えて雪山装備の類といえば、用心用のチェーンスパイクを持っただけ。道志の山は初めてではない。9年前の12月に御正体山に行っていて、雪が積もる山塊といった印象は特に持ってはいなかった。

 ここで、今回の予定コースだが、その前提として「赤鞍ヶ岳」は2つある。一つは東側の、地図上は無名峰1256.8mの三角点ピーク。これは昭文社マップには「1257.0m 赤鞍ヶ岳(ワラビタタキ)」とあり、西側には1299m標高点に「朝日山(赤鞍ヶ岳)」とある。1299mの方はさらに「赤鞍岳」という別名があるらしいが、以下、区分けの意味で、前者は「ワラビタタキ」、後者は「赤鞍ヶ岳」とする。ワラビタタキと赤鞍ヶ岳を経由して菜畑山(「なばたけうら」と読むらしい)を周回するのが今回の予定コース。雪のことは頭にないから、春山気分に浸れると能天気になっている。ちょっと暑くなりそうだし、汗もかくだろう。持参手ぬぐいは2枚か。ヒートテックは不要だな。気になったのはそんな程度のこと。

 相模原インターを出て国道413号(道志みち)に入る。相模原の外れで後続車がコンビニに入ると、その後ろにいた車が急接近して来てずっとあおられ状態になった。狭くてカーブが連続し、上り下りを繰り返す国道だ。前の車とは普通の車間をとっている。真後ろの車はボンネットの前半分が隠れているくらいのくっつき方だ。対抗措置でしつこく急ブレーキを踏んだがその場しのぎですぐにまたあおってくる。それでいてクラクションを鳴らすやら追い抜きもしない。早朝から対向車も多く、先に行かす手ごろな路肩もないまま15kmほどこれが続いて「水源の森」駐車場に入れた。というか突っ込んだ。不快感でぐったりした。おかげで、駐車地手前の登山口入口の様子も確認できなかった。その間、道志村に入ると、道端に寄せた雪が多く、周辺の山々も白くなっていたことだけは印象に残っていて、これでは上はかなりの積雪かなぁと気になってはいた。そんなことより、このあおり運転、一般道で15km以上もやるとは、かなりのキチガイじゃないのか。おそらく、最初の後続車はコンビニに逃げ、次のターゲットは先行車だろう。

(コース入口が不明のままにここから上がってみると)


(執拗なヤブになっていて)


(道路に這い上がると富士山の白い頭が見えた。右の建物は小学校)


 気を取り直してようやく準備。さて、この先、どうやって登山口に行けばいいのか。あおりのおかげで周囲の様子を見る余裕はなかったので、取りあえずは国道を東に向かう。地図上は、大栗というところに短い実線が通り、その先が破線路になり、これを北上して行くようになっている。最寄りの破線路まで適当にショートカットしたいが、高い擁壁が続いている。運よくというか、しばらく歩いた先に擁壁上に出る階段があって、登ってみると、その先は激ヤブ地帯。踏み跡なし。上に道路らしきものが見えてはいるが、枝が邪魔してストックがひっかかったり、足にツルが巻きつくやらでさっぱり進まない。かなり強引に登るとあっけなく道路。すぐ先の国道から出てきているらしく、無駄なことをやってしまったようだ。早々に息切れがした。傍らには小さな社があり、道路からは富士山の白い頭が見えた。この先の期待感が高まって苦痛はすぐに消えた。

(相変わらず登山口がわからず徘徊する。上にガードレールが見える)


(ようやく標識に出会った)


 歩きルートがはっきりしないままに林道のような道を登って行くと左に人家。右に作業道のような踏み跡があったので登る。すぐに車道が見え、ガードレールをよじ登る。さっきの道がカーブしていただけのことらしい。さて困った。ここからどうやって行くのか。まさか林道をずっと行くわけではあるまい。そもそもこの林道は地図にはない。
 水道施設のようなものが見えたので何だろかと近づくと、ようやく「赤鞍ヶ岳登山口→」の標識が現れた。出発からここまでかなりの時間を費やしている。施設の脇の階段を登ると、その先は林の中に続く作業道のようになっている。ここから登山道が始まるようだ。

(最初は植林の中の作業道といった感じ)


(歩きやすくはある)


 地形図を見る限り、この先、等高線がつまったところはない。さりとてなだらかなわけではなく、普通の尾根の勾配といった感じだ。いずれ送電線を通過して林道を横切ることになっている。上は軽い残雪があるかもしれない。ストックを出し、珍しくスパッツを巻く。この時点では万全な雪対策だ。いざとなったらチェーンスパイクもある。
 樹林というか、植林混合の尾根になって、踏み跡に合わせてクネクネと登る。案外に歩きやすい。ところどころに雪がたまっていたりする。ダブルストックだと軽い傾斜も楽だ。樹間からチラチラと富士山が見える。今日はガツガツと慌てることはない。稜線に出れば青空バックの富士山を確実に楽しめる天気予報だ。それでいて、余計なチラ見富士を撮るまいと思っても、やはり撮ってしまう。

(鉄塔とこの先の尾根と稜線。右手の尾根から登って小ピークを越えてワラビタタキ。その左がウバガ岩だろう)


 鉄塔が見えた。普通の歩きなら、まず林道があって、その先に鉄塔といったパターンだが、ここは逆になっている。周辺が刈り払われた鉄塔のようだ。
 この先の尾根伝いが望まれる。正面にはワラビタタキらしきピーク。その右のピークに一旦出て稜線に乗るようだ。そして、左がウバガ岩か。ここからでは岩峰といった感じはないが、地図を見ると、その南北には岩マークが記されている。

(鉄塔からの富士山。ここに登って来るだけでも価値がある。送電線がなければさらに良し)


(ちょっと引くとススキが入ってしまう。でも、これが自然だろうな)


 話は前後するが、実は正面の尾根よりも左の秀麗富士を気にして見ていた。ワラビタタキの位置は二の次。あれっ、前回見た富士山よりも雪が多くなっている気がする。春分の日前後の雨は、こちらは雪だったのかなぁ。急いで鉄塔下に登り上げた。高圧線と目の前のススキが邪魔だが、なかなかの富士山だ。

(林道を越える)


(林道の上もまたスポットになってはいるが、今回のスポットのカウントには入れない)


 冨士山見に時間をとられた。先に行くと、ここで舗装林道を越える。標識を見かけたが、この先、稜線に出るまで標識を見ることはなかった。それだけ明瞭な登山道なのだろう。鉄塔は標高770mあたり。出発地点は500mくらいだから300mも上がっていないが、ここからワラビタタキまではゆるやかに500mといったところだろうから、そんなに先が長くは感じていない。昭文社マップでチェックする。大栗バス停からワラビタタキまで1時間40分とある。ここまで40分。ワラビタタキまでの1/5ほどの距離も歩いていない。激ヤブ、道間違いがあったとしてもかかり過ぎている。あと1時間であのピークに立つのは無理。尾根は緩やかだからそんなにオーバータイムにもなるまいが。

(非常に感じの良い尾根。道型もしっかりしている)


(この後、しばらくすっきり富士山はお預け)


 すっきりしなくなった富士山を見ながら登って行く。気持ちの良い緩やかな自然林の中の歩きが続く。つい、クリアな富士山が見えないものかとうろつく。この繰り返しで時間がどんどん経過していく。やはり今日は暑い。汗が出はじめ、ここでウインドブレーカーを脱ぐ。

(加入道山と大室山か)


(道志の街並み。東方面につき逆光)


 一時的に植林に入ったがまた自然林に戻る。稜線がだいぶ近づいてきた。歩いて来た尾根を見下ろすと、正面にどっしりと構えた山がある。あれが加入道山か。となると、左後ろは大室山か。あちらの歩きも魅力がある。いずれ歩きたいものだ。
 やがて、右下に道志の街並みが見えてくる。表記は失礼かもしれないが、谷あいの細長い町だ。この道志村、中心部が役場のあるところだとして、そこから駐車場に戻り、帰りは相模原に向かったが、県境近く、どこまでもポツリポツリと人家や施設が続いていた。

(雪が目立つようになる)


(ゴトウ石。どう見てもいわれのある岩には思えない。標識ならともかく大胆にもペンキで直書きとは恐れ入る)


 登山道は尾根中央を通っていたり、トラバースのところもある。上がるに連れて雪が多くなったかなと思ったところで、目の前に「ゴトウ石 平成十四年●月十八日」と白ペンキで手書きされた大石が現れた。大石とはいっても、極端に大きなものではないが、周囲に石がゴロゴロ転がっている地帯ではなく、何でこれだけと思うような石の存在ではあるが、このゴトウ石の書き込み、自分には落書きのようにも見える。

(ケモノの足跡が点々としているだけ)


 雪の上に足跡がないのが気になった。昨日も晴れていたはず。歩いたハイカーはいなかったのか。たまにケモノの足跡を見るだけだ。やはりマイナーなコースなのだろうか。左手の富士山が絶えず気になっているが、鉄塔以来、すっきり富士の再現はない。
 また植林帯に入り込む。自分は花粉症ではないのでよく知らないが、このヒノキとて、花粉症の方はこの中を歩いたらたまらないのではないのか。そんなことを考えていたら、やはり植林の中、残雪がやや深く、とはいってもくるぶし程度だが断続的になってきた。そろそろチェーンスパイクの出番としようか。せっかく持ってきたのだし。

(稜線は近いが急になってきた。登山道は消え、適当に登る)


(とうとうこうなった。一応、ヒザレベルだが)


 歩きは幾分快適になったものの、登り斜面が急になったような気がする。植林帯は左半分になったり右になったりするが、雪は次第に深くなってきて、場所によってはヒザまでもぐってしまうところも出てくる。登山道はすでに雪の下に隠れ、適当にジグザグに登って行く。チェーンスパイクの効果はすぐになくなった。登りだからこそまだ感じてはいないが、下りでこのチェーンスパイクに苦労することになる。やはり失敗したようだ。せめて6本爪のプレート付きアイゼンを持って来るべきだった。念のためのチェーンスパイクではあったが、実のところ荷造りの際にアイゼンがどこかに隠れてしまい、チェーンスパイクで十分だろうと、そのままで来ていた。探す手間を省いたのは失策だった。ただ、この湿り気を帯びた雪にアイゼンとてどの程度の効果があったのか怪しいところだ。

(右からの尾根が合流し)


(稜線の標識)


 なだらかになって最初のピークに到着かと思ったが、右からの尾根が合流しただけで、ピークはまだ先だ。雪がヒザ越えになったところでようやく標識が出てきた。右・東側は「巖道峠」、左手・西側は「赤鞍ヶ岳」となっている。とにかく稜線には出た。登りはまだ続いている。ここに至れば、トレースもあるだろうと甘い思いもあったが、東西のマイナールートを歩くハイカーはいない。ケモノの足跡すら消えてしまった。

(ワラビタタキ手前のピーク)


(下るとすっきりした富士山が見えた)


 正面にピーク。あれがワラビタタキの手前ピークだろう。さらにノロ足になって何とか到着。赤テープが細い木に巻かれているピーク(だったかと思う)。ここは薄暗いのでそのまま下りかけると、いきなり左手の視界が開けた。オッ、これは絶景富士山だ。また時間をとられてしまった。こんな時間のとられ方はむしろ好ましいが。道志の山からの富士山もやはり捨てがたい。鳥ノ胸山からの富士山も素晴らしいらしい。おそらく視界には入っているだろうが、鳥ノ胸山はどれだろう。しかし、ここのところ富士山を追いかける回数が多くなっているが、何度見ても飽きない山だね。これがドライブがてらに見る富士山なら、どんなに大きくともたいした感動も出てこないのだが。

(左下は切れ落ちている)


 先を急ぐ。左手が気になる。富士山も良いが、下は切れ落ちているから要注意。もう富士山も枝が邪魔になってきたのでしばらくはお預けだろう。それでもしつこく見てしまう。
 ワラビタタキが見えてくる。稜線伝いだから間違えることはないが、雪は依然としてヒザ。次第にチェーンスパイクが湿った雪の塊を作るようになってきた。足元もまた冬用でもないハイキング用の靴なので湿っぽくなっている。雪の中の歩きだから、特に気にはならないが歩みが遅くなるのはどうしようもない。ここで、一応の目的の一つであるワラビタタキに到着したら、装備不良でそのまま引き返すことも考えるようになっていた。ここまで富士山のビュースポットも2つあったことだし、一応は満足もしている。ワラビタタキ山頂からの富士山は期待できないようだし。

(雪が深くなったような感じはする)


(目の前にヤブ)


(ヤブの中は雪が深かった)


(この感じが自分には於呂俱羅山風情だった。右隠れが加入道山、正面が大室山、その奥に見えるのは丹沢の檜洞山か? 蛭ヶ岳ではないだろう)


 登りにかかるとササのヤブになった。これはスズタケか? 細い道が一本といったところだが、雪のおかげでさらに狭い回廊になっていて、ここは通過に苦労する。雪も深く、滑りもする。ここだけはヒザ越えになった。何だか、日光の於呂俱羅山に登っているような感じになった。長い。

(ワラビタタキの山頂が近づくとアンテナが見えた)


(後で知った雨量計施設)


(ワラビタタキ山頂)


(山名板と三角点標石を掘り起こす)


 ヤブが静まって平地。いきなり赤い「境界見出標」のブリキマーク。地図を見る。なるほど、ここの稜線は道志村と上野原市との境だし、西側は都留市との境になっている。大月の秀麗富嶽が入り込む余地はない。右手に何やらアンテナポールのような人工施設が見える。雪があるので、わざわざ確認に行くことはできないが、帰ってから調べると雨量計だったようだ。
 ワラビタタキ山頂に到着。ここまで2時間半近くかっている。コースタイム1時間40分に比べれば目もあてられないオーバータイムだ。道迷い、雪、冨士見にかけたロスタイムでは言い訳もつくまい。まぁ、いろんな状況もある。これはこれでいいでしょう。手ぬぐいを出して顔と頭の汗を拭く。山頂の雪を舐めてノドをうるおす。
 山頂は雪で断言できかねるが広い感じだ。山名板が雪で頭だけ出している。掘り起こすと隣に三角点標石があった。山名板には手書きの「赤鞍ヶ岳」。ここまで「ワラビタタキ」の標識はまったく見かけなかった。もはや死語の山名になっているのだろうか。ところでワラビタタキの由来は何だろう。ワラビをおいしく食べるか苦みを取るためにここで叩いたのか。自分の想像は貧相だ。

 山頂周囲は木立で富士山の姿は見えない。さて、どうしよう。この先、トレースもない。まぁ、あったからといって、せいぜいヒザまでの積雪だ。稜線伝いにずっと歩けるだろう。雪がさらに深くなるのはここまでの歩きで想定しにくい。だが、当初予定の菜畑山まで行くのはまず無理。となると、赤鞍ヶ岳の手前の秋山峠から南下して下るルートがある。尾根通しだから、トレースの有無は気にせずに下れそうだ。
 チョコレートと羊羹を腹に入れる。ここ、雪がなかったらゆっくりもできようが、シートも忘れ、座れる場所もない。一服して赤鞍ヶ岳に向かう。万一、雪が深くなったら戻ればいい。できれば戻りたくはない。足の裏に泥と雪のダンゴの塊りを付けての下りはかなり危ない。

(ワラビタタキを下る。正面に富士山の頭)


 尾根筋は明瞭。自然林がまばらで、雪がなければ気持ちの良い歩きができそうなところだ。右手の視界も開け、大月の町やその奥に八ヶ岳、南アルプスの白い峰々が見える。ただこれもまた樹間を通しての景色だ。ここで思い出したようにサングラスにする。実は数週間前に眼の手術をして、まだ山歩きをするには無理があるのだが、それを無理にやって来た。せめて紫外線の直射き避けねばなるまい。

(ウバガ岩)


(松を入れて)


(松を外して。左に山中湖に続く道志みちが見えている)


(しつこいが、道志みちはこちらがはっきり見えるか)


 尾根が狭くなり、岩がゴツゴツしてきた。先に松が数本あるピークがある。あそこは展望が良さそうだ。これが本日第3のスポット。ウバガ岩。雪で様子はよくわからないが、岩峰なのだろう。この先、秋山峠も含めて4つの富士見スポットがあったが、自分としては、ウバガ岩からの富士山が最高だった。松を入れてもグッド、松を消してもなかなかのもの。自分が気に入ったのは、道志みちが富士山に向かって走り、その周辺に里がずっと遠くまで続いている風景で、こういう抱き合わせの富士山を見たかった。あの先には山中湖があるのだろう。残念ながら山中湖は見えない。

(正面の一番高いのが赤鞍ヶ岳だろう)


 この稜線は今倉山で分かれ、御正体山までずっと続いているようだ。歩いてみたいと思っているが、今は雪でその気分になれない。せいぜい、この先の一番高いピークが赤鞍ヶ岳であることを確認するだけで十分だ。大満足して先に下る。やはり岩場のようで、注意しながらの下りになった。まだ尾根はヤセまではいかずとも細めだし、強風の時は要注意だろう。

(下る。雪の下はガレになっているのだろうか)


(この辺は岩場か。別に危険は感じないが)


(大菩薩嶺かと思った山)


 尾根はしばらくゴツゴツ地帯が続く。アップダウンも続く。右手遠くに見える高いピークは大菩薩嶺だろうか。大菩薩といえば、K女、I男らと下の宿に泊まった際、痔の軟膏と歯磨きを間違えて塗ってしまったことを思い出してはいつも苦笑する。次第に尾根幅も復帰し、少しばかり雪が深くなる。たまにヒザ上になるところも出てきた。もうツボ足歩きと同じになっていて、さっさと先に進まない。

(1232m標高点あたり)


 小高い、ちょっと広いところに出た。ここは1232m標高点あたり。棒状の小さな木の杭があった。これはせいぜい尻の面積の1/15をカバーする程度のもので、座りづらかったが、突っ立ったままよりはましと、これに腰をあてて菓子パンを食べる。地図を広げる。ワラビタタキから秋山峠までのコースタイムは55分か。ほぼ中間点のここまで35分ほどかかっている。極端な遅れではないが、やはり菜畑山は無理かなぁ。どうも、この辺では菜畑山がメジャーっぽいから、トレースもばっちりといった感じがするけど、やはりダメかなぁ。今日行けないと、また来なきゃならなくなる。悩むところだが、目先の赤鞍ヶ岳に行っての様子見か。こんなことを考えるようになったのも、このヒザレベルの積雪の歩きに慣れてきたせいもあるのだろう。だが、こんなところをチェーンスパイクで歩くのは無謀といえば無謀だ。雪崩の心配はないが、凍結でもしていたら滑落の危険もある。
 遠くから発砲音が聞こえる。ここにも、狩猟期過ぎの例外があるようだ。

(雪のせいか、行く先の尾根はきれいに見えている)


 ケモノの足跡が再び現れるが、単独行動のシカのようで頼りにはならない。目の前のピークが高く感じる。気温とともに雪は緩くなって、登り斜面の足元は不安定だ。ズルっといくところもある。雪はヒザ下に少なくなった。
 赤鞍ヶ岳まではまだまだある。小ピーク越えが続く。その間の富士山は待機してくれてはいるがすっきりしているところはない。どうしても樹が邪魔になる。もうこの辺になると、ウバガ岩から見えた道志みち沿いの谷あいの街並みは隠れてしまっている。御正体山が次第に大きくなっている。

(チラリと富士山)


(赤鞍ヶ岳だろうか。いや、あそこは秋山峠だったみたい)


(見づらいが、向こうからやって来て引き返したトレースが現れた)


 のんびり歩きになってしまった。チラ見の富士山を左に眺めながら、緩やかな起伏を歩いて行くのもいい気分だ。ここまで、あれか、あれかと思いながらだまされていた赤鞍ヶ岳も目前になった。秋山峠はもうすぐだ。
 何と、トレースが現れてびっくりした。ここで引き返している。往復分として3~4人分か。昨日のだろう。足跡にはしっかりとアイゼンの型が残っている。いずれも8本から12本。こうでなきゃなとは思っても、ここで引き返しているわけだから、根性がないんじゃないのか。何も予想せずにここまで来た立場だから言える。おそらく、秋山峠からワラビタキ方面に向かい、雪が深いからやめるか、といったところだろう。ということは、秋山峠からの下山道にはトレースがあるということだろう。菜畑山に行く云々はともかくも、ここで下山ルートは確保されているようだとほっとした。

(秋山峠)


 トレースがあったところで、この水気のある雪では大助かりになるわけでもない。ただ、気分的には楽だ。トレースを見てから3分後には秋山峠に到着した。
 「秋山峠」の標識はない。来た方向には「巖道峠方面」、先は「赤鞍ヶ岳方面」、そして左手の下山方向には「竹之本下山方面(道志村役場周辺)」とある。「ワラビタタキ」はない。「役場周辺」というのがアバウトすぎる。途中から適当に歩けということらしい。竹之本というのは、地図を見ると役場周辺の地名になっている。そちらを見ると、予想通りにトレースだらけでしっかりした雪道になっているが、結構、急そうだ。いずれにせよ、ここからは問題なく下れることはわかった。

(秋山峠からの富士山)


(赤鞍ヶ岳に向かう)


(赤鞍ヶ岳山頂)


 ここからの富士山が第4スポット。目の前のススキと枝ヤブがどうにも邪魔だが、撮り方によっては良い添え物かもしれない。道志みちはもう隠れてしまっている。またここに戻って来る確率は高いが、ヤブに入り込んでは何度も写真に収めたりした。
 赤鞍ヶ岳はすぐそこだ。雪もなければ5分もかかるまい。山頂に到着。標識があるだけの広い山頂だ。三角点峰ではないから標石を探すこともない。ここの標識は3方向。左に「菜畑山」、右は「棚の入山」、そして秋山峠方面はあくまでも「巖道峠」となっている。随分と律義だ。この「棚の入山」方面だが、倉岳山から高畑山を経由して下った際、雛鶴峠で南に向けた赤鞍ヶ岳の標識を見ていて、そんなことで赤鞍ヶ岳に興味を持ったということもあるのだが、そちらに下るルートだろう。

(菜畑山方面。やはりトレースなし。他人のことは言えない。この先は遠慮する)


 山頂からの富士山は樹間通し。すっきりと見えなきゃ長居は無用。さてと、菜畑峠の方面のルートを覗きに行く。トレースはなかった。何だ、昨日あたりのハイカーはみんな赤鞍ヶ岳往復でおしまいか。秋山峠から富士山を眺めて終わりではだらしがねぇなと思いつつ、トレースがないんじゃと、秋山峠にそそくさと引き返す。菜畑山は改めての訪問になった。

(秋山峠に戻って改めてちょいパチリ。実際はこれくらいの大きさに見えている。つい富士山は引いて撮る癖がついている。広角でも持っていればいいが)


 秋山峠でさっきと同じ繰り返し。しつこく同じような富士山ばかりを撮る。危なっかしく足跡のないところまで行っても、樹に登らない限り、目の前のススキやら枝が障害物になる。
 もうかなり暑い。フリースを脱いでシャツ一枚になる。ここも腰かけるところもなく、立ったままでおにぎりを食べ、そろそろ下山することにする。富士山も都合4スポット。途中で下山しようかと思ったりしたことを考えれば、今日の富士山見物も、まぁ満足でしょう。

(トレースバッチリの下り。少し先までは安泰だった)


(こうなると始末が悪い。泥を拾わないわけがない)


 予想はしていたが、いきなり、つらい下りになってしまった。この辺の雪はくるぶし程度で、さらに昨日あたりのハイカーが歩いている。そして、気温が高くなって、条件の悪い雪混じり状態での下りになった。なまじノートレースの方が良かったようだが、これしかないチェーンスパイクを外すには不安だ。
 触りの部分はまだ良かった。トレースの下に地面は出ていない。チェーンスパイクが土を拾うこともなかったが、こちらは雪が少ないのか、次第に草付きの地面が出てきてそのうちに泥化してきた。こうなると、雪が接着剤の役目を果たして、靴の下はダンゴ状になってくる。高下駄になって何とも歩きづらく、樹に足を叩いては塊を落とす。斜面は急で、ところどころにロープもあって、ロープ頼りの方がむしろ安全だ。

(もう雪の心配は無用か)


(植林の中にはまだある)


 こんな状態がしばらく続く。さっさとチェーンスパイクを外したいが、雪はまだ続いていて、今のところ泥だらけのチェーンスパイクに手をかけたくもない。
 植林帯に入り込む。雪はくるぶしほどになった。もういいだろう。チェーンスパイクを外してほっとした。最初からそうすれば良かった。アイゼンだったら、ここまでの苦痛もなかったろう。

(入道山なのだが、加入道山と何か関係があるのか? 山名のイメージから石祠でもありそうだが何もなかった)


 下り一辺倒が登りにかかる。979m標高点ピークのようだ。昭文社マップには、この山は「入道山」となっていて「巻き道」と記されている。巻き道は目に入らずにそのまま直登したが、何かがあるピークでもなく、ただの平凡なピーク。標識も山名板もない。
 尾根筋をどんどん下って行く。もう雪はない。ここもまた標識のないコースだ。はっきりした道筋もあって、紛らわしいところはない。ここからも富士山は見えてはいるが、枝木ですっきりした姿を望むことはもはやできないか。それでも、登った時と同様に、つい撮ってしまう。

(町が見えてくる)


(道筋は明瞭)


(アップにすれば、撮れはするが)


(急な下りになった)


(標識が出てきてコンニチワか)


(林道)


 植林の下部は急になっていて、道は先端部を巻いている。見下ろすと下れそうなのでそのまま下ったが、かえって手間と時間がかかってしまった。そして「赤鞍ヶ岳」への標識を見る。半端な位置にある。その下には鉄塔巡視路の標識。そして、真下に林道。林道の傍らにも赤鞍ヶ岳の標識があった。この辺は下から標識頼りに登ると紛らわしいところかもしれない。現に、地図の破線路に合わせて下るつもりでいたが、道筋通りの下りはならず、実線林道の西側に出てしまっていた。

(ここを下ってみたら)


(ヤブの先には堰堤があり)


(フェンスを開けて林道に出る)


 未舗装林道で大きな石にようやく腰をゆったりと落ち着かせて座ることができた。おにぎりを食べて昼食。さて、ここから林道を東に破線路合流までと思ったが、上りになっているので、適当なところから町に出ようと、右に歩く。すぐに左を覗き込むと緩い谷状になっている。入り込む。ショートカットのつもりでいたが、倒木が多くて歩きづらく、堰堤越えもあった。フェンスを開けて林道に出たのはいいが、余計に時間がかかったようだ。

(地図には鳥居マークがある。あれが神社の屋根っぽい)


(若宮八幡)


(路地を下ると)


(道志村役場に出た)


 よせばいいのに、神社のようなものが見えたのでまたショートカットをする。ここもまた簡単にはいかなかった。ヤブに遭遇して神社に出はしたが、最後は畑の中を歩いた。
 この神社、若宮八幡というらしい。隣接して神楽殿。階段下には鳥居。ここは路地になっていて、すぐに国道に出たが、右の建物は道志村役場だった。この前にも利用可能な駐車場はある。ただ、ちょっと見た限り、赤鞍ヶ岳に向かう標識は見かけず、やはり秋山峠にあった「道志村役場周辺」という標識は適格な表記なのかもしれない。

(国道歩き)


(さも「道志みち」といった風情だが、見た石仏はこれだけ)


(駐車場に帰着。暑い)


 国道を東に向かう。交通量は多い。陽気のせいか、バイクと自転車が目立つ。すぐに左手に小学校が見え、その隣の駐車場に到着。水源の森そのものは、もう閉鎖されているようだ。

 せいぜい6時間ほどの歩きだったが、今日は長く感じた。雪のせいか、暑さのせいなのか少しぐったりした。車載の温度計は17℃になっている。身体が汗でベタベタして不快。風呂屋に寄りたいところだが、あいにく立ち寄り湯の趣味がないため替え下着は用意していない。帰路も長いし、そのまま帰ることにする。
 帰り道、またあおられになったら嫌だなと思ったが、運よく先行車は制限速度で走っていて、後続車はいない。むしろ、細い道を走る自転車が目障りだがようやく周囲の景色を見ながら帰ることができた。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
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