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Channel: たそがれオヤジのクタクタ山ある記
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何をしに足尾まで?といったところだが、結果的にこうなってしまった。

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◎2017年8月20日(日)

 ブランク続きの歩きが頻発すると、山に行きたいという気分も失せてくる。ここのところ雨降りが続き、その合間に法事があったり、半端な生活にもそろそろ飽きてきて、予定よりも早く就活に入ったりもしている。人様のブログを見ては、相変わらずよくやるなぁと感心したりもしているが、毎日が日曜日状態だというのに、どうも山歩きをしたい気分になれないままになっている。一時は行くつもりになっていた北アルプスもすっかり遠のいてしまった。
 これでは足腰も衰えるばかりだ。少しは歩かないとなぁと、苦し紛れに探し出した歩きの理由づけが山名板のメンテナンス。みー猫さんの記事写真で拝見した銀峯の板は何ともみすぼらしかった。ついでに庚申山にでも登って来ようか。くどいようだが、これでもあまり乗り気にはなれず、運動不足をカバーすることだけがメインの目的になっている。
 出がけにGPV気象予報を確認する。今日は雨にはあたらないようだ。むしろ、雨予報だったら行かずに済んだのにとちょっとがっかりした気分で出かける。

 大間々で霧雨になり、草木ダム近くになると、小粒の雨となって、霧も巻き出した。これはラッキーとばかりに途中で引き返そうかと思ったが、足尾に入ると雨は上がった。だが天気は不安定。いつ降り出してもおかしくはない(と思うようにしたといったところだが)。こんな天気では、山名板にヤスリをかけ、ニスを吹き付けて乾かすこともできやしない。銀峯に辿り着く前にヤブの露で全身グッショリにもなるだろう。思っただけでげんなりした。
 元々、銀峯、庚申山だけでは半端な歩きの感じがあって、帰りがけに、先日、きりんこさんが歩かれた爺ケ沢をちょっとばかり覗いてみるつもりでいた。どうせ濡れるなら、チョイ沢歩きで濡れていた方がまだマシかと、銀峯の山名板メンテはあっさりと放棄する。
 小滝の里の公園に車を置き、庚申川を覗きに行く。雨降り続きのためか、水量が多く、ゴーゴーと勢いよく流れている。こりゃ、ダメだな。念のため、先まで行って、爺ケ沢の出合いを確認する。こちらもまた急流になっている。庚申川の対岸に飛び石伝いに行くのはまず無理で、周辺を見回したが、腰まで浸かるのは必至。この水の勢いではヘタすれば流されかねない。爺ケ沢も今日は放棄だな。
 仕方がないので、今さらながらとは思ったが、周辺の廃墟跡をうろつく。敢えて登山靴に履き替えもせず、スニーカーのまま。カメラだけの手ぶら。だが、これも石垣だけずっと見ていては飽きるというもの。小学校跡を見て引き返すことにした。ちょっと歩いただけで、湿気でシャツがベットリとなった。
 元々、それ程の熱入れもなく、とりあえずはと足尾にやって来たはいいが、この体たらくで終わりとなった。少しでもやる気が出ていたら、ためらいもなく爺ケ沢にも入ったろう。帰りがけ、いつもなら、魔王山を見ては、いつか登ってみないとなと思うものだが、今日は、何も感じなかった。それでいて、これもまたきりんこさんの記事をネタ元に、雨にあたらなかったら、庚申林道から坑夫の滝に出る尾根を下ってみるとか、庚申七滝から庚申川に下りてみるつもりでもいたのだからあきれてしまう。

 足尾トンネルの出口にあった一軒家。今は撤去して更地になっている。以前、脇の尾根から二子山に行ったことはあるが、途中気になって、あの一軒家の裏手に古道の遺構らしきものは何かありはしないかと探し回ったが、何もなかった。あったのは短い作業道だけだった。
 足尾トンネルを抜けると、雨が降り出した。土台、今日は山歩き日和ではなかったのだと、とりあえず納得することにしたが、積極的に歩く気分にもなれない状態がいつまで続くものかと、ちょっとばかり不安にもなった。

(いつも見ている昔の小滝案内図看板だが)


(注意して見ると、左上に爺ケ沢を挟んで爺ケ沢地区があり、そこに「興亜寮」が記されている。この公園は広道路地区と呼ばれていたらしい)


(庚申川を覗く)


(爺ケ沢出合い。この写真では大した水量ではないが結構な勢いだった。上にチラ見の小滝が気になった)


(鉱盛橋の古い欄干。以前、ここを通っていたのだろう)


(だれもが見る坑夫浴場跡。これを見ていたら、ハイカーらしき車が下って来た。早々に引き返した口だろう)


(階段を登ってみた)


(選鉱か精錬所の施設だろう)


(崖っぷちの小道を行ってみたが、先は崩壊していた)


(結局は、こんなところを見るだけ。社宅跡だろう)


(これも精錬所跡か)


(小滝小学校・第三中学校跡に続く階段。第三ということは、当時は通洞、本山、小滝にそれぞれあったのだろう)


(校門だろうか)


(基礎のコンクリだけが残っている。ガラスの破片がやたらと多かった。割と広い敷地)


(学校裏の階段。先ほどの地図では鉱夫社宅に続いているようだが、そこまで行く気にはなれない)


(文象橋)


(文象沢。ここの右岸側を備前楯山まで行ったことはあるが、この道をずっと行ったことはない。どうせ行き止まりだろう)


(ここにもこんなのが。地図に合わすと発電所のようだ)


(明治四十二年、南無妙法蓮華経●とある)


(ここの砂防ダムの銘板にもぶんぞう沢とあった)


(旧古足尾橋。アーチ橋。昭和9年に架けられたらしい)


(ネットで調べると、専念寺小滝説教所跡らしい)


(朝鮮人強制連行犠牲者慰霊碑。先日寄った際にはなかった碑だ。裏の日付を見ると今年の八月五日建立となっていた。近くにハングル文字の卒塔婆が束になって立てかけられている)


(足尾トンネル前の石碑群)


(元あった一軒家の裏に回って探索したが、見たのはこれだけ)


板倉町で汗ダク散歩に興じる。

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◎2017年8月22日(火)

雷電神社──高鳥天満宮──群馬の水郷──三県境──渡良瀬遊水池

 一昨日、ぶなじろうさんが板倉町の雷電神社に行かれた記事を目にした。折しも、本日の予定はない(昨日とて雨樋を修理していただけのことで、毎日こんなものだが)。神社の彫り物だけでも一見の価値はあるとのこと。早速、行ってみることにした。記事には「夏向きではない」とも記されてはいたが、ぶなじろうさんの場合はご自分の足で歩かれての話であって、こちらは車利用だ。さほどに汗をかくことはあるまい。
 実は、板倉町そのものをよく知らない。隣の大泉やら邑楽、千代田町同様に、さして見どころがありそうな町とも思えなかったが、念のため、ネットで板倉町の観光案内を確認してみた。無知だったが、渡良瀬遊水池が入り込んでいた。ここも行ったことはない。
 ということで、雷電神社の後は、板倉町の観光スポットである高鳥天満宮、群馬の水郷(谷田川)、三県境、渡良瀬遊水池、行人沼を回ることにして出かけた。

(弁財天とタマゴ)


(その脇に)


(ナマズ様。小鬼がナマズを抱えている)


(こちらの鬼はナマズに乗っかっているが、角がない。河童じゃないよなぁ)


 まずは雷電神社。駐車場のすぐ隣に真新しい弁財天と卵が祀られている。解説板には「鶏の卵を供え、これを食せば種々の霊感ありとつたえられる」と記されている。道路を挟んだ向かい側に「なまずさん」の幟が見えたので行ってみると、小鬼たちに守られた銅製のナマズが横たわっていた。両方ともに見逃しても問題はないようなものだろう。

(雷電神社。見づらいが、雷マークとともに葵の御紋が見える)


(葵の御紋をアップして。ここでは3か所)


(龍と)


(花)


 神社の正面に回る。八幡宮稲荷神社社殿は国指定重要文化財とあった。この八幡宮は正面の社殿ではないようだ。なるほど、社殿の頭には葵の御紋があるわ。ぶなじろうさんのコメントでこれを知った時、舘林藩主だった綱吉がらみではないのかと思ったが、やはりそのようだ。
 確かに、龍や花、波、駿馬、鳳凰の彫り物が精巧で年代を感じる。これは十分どころか十二分に一見の価値有りだ。事前調べでは、左甚五郎10代目の親方、石原常八の作となっていたが、左甚五郎は知っていても、10代目ともなると、どの程度の技術者だったのか。まぁ、それはいい。その師匠の技なのだから、相応の彫刻家だったのだろう。

(弁財天社)


(伊奈良の沼)


(万葉歌碑。妻として迎えた今、以前、遠くから眺めていた時よりも強い思いが募ってきている。といった内容のようだが、今の世には通じないだろうね。普通は逆だから)


(公園を一周してみた)


 隣の弁財天社の脇に道があり、その先が薄暗くなっている。この辺がどうも気になった。どうせ時間もあることだしと、こちらを先行することにする。ひんやりしたところを抜けると板倉中央公園の看板があって、中に入ってみた。ここにも弁財天社があり、周囲には沼地が広がっている。看板には「伊奈良の沼」(今は縮小して雷電沼と言うらしい)とあった。万葉集にも詠まれている云々と記されている。
 沼を一周してみたが、見るべきものは特になく、蚊に刺されて汗をかいただけ。また神社前に出た。門前の食堂には「なまず天ぷら」の幟。沼地続きだからこの辺の名物なのだろう。

(雷電神社に戻る)


(その1)


(その2)


 改めて神社の由来説明板を読む。聖徳太子が通りかかった伊奈良の沼で禊をすると、雷神様の声を聞いた。太子はここに祠を建てて神を祀ったとある。弘法大師ならともかく、聖徳太子が何をしにわざわざ東国の地にやって来たのか気になった。余談だが、後で調べると、聖徳太子には飛翔伝説なるものがあるらしく、神馬に乗って天高く飛び、富士山を越えて信濃の国に至り、3日後には都に帰還したといったものだ。この話は西暦598年のことらしいが、ここの説明板にも祠を建てたのは奇しくも598年となっている。ということは、同年縁起で各地に太子伝説が残ってもいそうだ。
 雷電神社を回った。やはり彫り物がすごい。絵画的で、それぞれにストーリーがあり、それを彫ったかのようだ。

(奥宮)


(奥宮の彫り物)


(八幡宮)


(座敷童子に似た狛犬)


(八幡宮の彫り物。ちょっとタワシを使って水洗いしたいところだ)


(本殿に戻って。その3)


(その4。右下の金ピカが葵の御紋)


 裏に回ると、奥宮があって、大雷神を祀っている。そして、国指定文化財の八幡宮稲荷神社があった。群馬県最古の建造物と説明されている。社殿の素晴らしい彫刻を見た後だけに、今一つ感慨がわかない。狛犬も何だかなぁといった感じだし。
 神社をもう一周して、高鳥天満宮に向かう。雷電神社は満足した。

(高鳥天満宮)


(ここの彫り物。天神?)


(詳しくは知らないが、牛を持って受験に臨むのかと思ったが、身体の不具合を牛に託すといったもののようだ)


(裏の池。きれいとは言えない)


(天神の滝)


 前知識はなかったが、神社をさらっと見たところ、やたらと合格祈願の札が目についたので、由来解説板を読むと、やはり菅原道真を祀った神社だった。読む以前に、天満宮ならそうと思うものだが、まだまだ修行が足りないねぇ。ここにも龍の彫り物があったが、これも石原常八とあった。中の天井画に百人一首が描かれているということで、入って見たかったが、勝手に入るべからずとあり、これは残念ながらということになった。
 裏手に回ると、「努力一貫」と記された石碑があり、その下には池があり、脇には澱んだ感じの水路が通っている。ちょっと歩いただけでまた蚊に刺され、汗びっしょりになった。天神の滝を見て神社に引き返す。ここは、今さら学業成就でもないのでさして用事はなかったようだ。

(釣り堀エリア)


(水郷の揚舟)


 続いて群馬の水郷。何も知らぬままに行ったのだが、板倉町の案内図には、谷田川が流れ、「揚舟 谷田川めぐり」とあったから、ぶなじろうさんも行かれたところだろう。
 駐車場から歩き出す。公園のようなところに入ると、大きな沼があり、これが水郷かと思ったりしたが、先にも大きな沼があり、そこに行くと、釣り堀になっていて、沢山の釣り人が竿を並べていた。これじゃ面白くもないなと、迂回して車道に出ると、反対側に川が流れている。これが谷田川だった。岸辺に5艘の舟がもやっているだけで、人の姿はなく、今日は営業もしていないのだろう。
 こんな時期でなかったら、川辺をずっと歩きたいのだが、汗がダラダラと流れていて、もう手拭いもびっしょりになっている。まして、水が清流というわけでもなく止まっている。写真だけ撮って引き返すことにしたが、後で写真を見ると、釣りのジイさんが立ちションしている姿が映ってしまっていた。

 三県境とは、群馬、栃木、埼玉の県境が接するところ。平地で見られるのは全国でも珍しいようだ。ナビを「道の駅きたかわべ」にセットする。道の駅そのものは埼玉県加須市になっている。

(三県境へ)


(ご丁寧に)


(あそこらしいが、掲示板に記された竹林のある家は見えない)


(三県境)


(水路で区分けされている)


(こんなのも埋まっていた)


 道の駅に車を置いて歩く。手書きの標識が置かれている。途中で一回曲がって栃木市に入り、400mほどは歩いたろうか。周囲が田んぼの中に標識が置かれていた。
 それぞれの県境の間に田んぼの用水路が通っている。栃木の田んぼは休耕田だが、群馬と埼玉の稲穂を見ると、埼玉側の伸びが良いようだ。
 いい物を見たといった思いで道の駅に戻る。上の車道の県境も入り乱れている。標識が栃木県栃木市、群馬県板倉町、埼玉県加須市となって道の駅に戻った。

 お腹も空いたので、ここで昼食にでもしようかと思ったが、食堂入口にメニューがない。入ったら、カツどんしかないとなったらげんなりもするので、入るのはやめたが、すぐに手打ちうどん、そばの幟を見てしまい、戻ろうかなと思ったりもしたが、暑くて食べることそのものが面倒な気がして、車に戻って水を飲んで空腹感をごまかした。
 次は、渡良瀬遊水池だが、ここからなら歩いても行ける距離ではあるが、車で行くことしか眼中になかった。もう上下ともにびっしょりだ。

(谷田川)


 駐車場にJAFの車が置かれ、スタッフが一台の乗用車をいじっていた。駐車場は閑散としている。
 くどいが、それにしても暑い。車の外に出たくはないが、渡良瀬遊水池は初めてだ。足尾銅山がからんだ谷中村、そして田中正造のイメージしかない。
 看板には「渡良瀬貯水池(谷中湖)」とある。まさに、草木ダムに水没した草木集落と同じか。地図ではハート形の池になっている。橋を渡る。下を流れている川は谷田川のようだ。

(渡良瀬遊水池)


(橋に上がり、途中で引き返す)


(三毳山、大平山だろう)


 びっくりした。こんな広大な遊水池とは想像もしていなかった。これでは、ちょっとした湖じゃないか。東洋大学かどこかは知らないが、ボートの練習もしている。しばらく眺めていた。ここは確かに夏向きではないな。ずっと歩いてみたいが、この日照りでは無理な話。岸沿いの道を橋まで歩いてみた。遠くに、あれは、方角からしてぶなじろうさんが見られた三毳山と大平山だろうか。確かにそうかもしれないな。
 このまま歩き続けたかったが、橋の途中で戻る。脇を颯爽と自転車で行くオバチャンたちをうらやましく思った。いずれまた来ることにしよう。対岸は、栃木市はおろか、小山、野木、古河とも接しているらしい。今度は向こうから来てみるのもいいか。

 汗だくで戻る。車に着替えはない。このまま背中に汗を垂らしてエアコンつけて家に戻るしかない。行人沼も見ておきたかったが、いずれ、汗をかかない時期にということにしておこう。
 来た時に見かけたJAFの車、結局、レッカー移動に入っていた。キィをなくしたとか、そういうことではないようだ。故障車の主が助手席に乗っていたが、JAFもそこまでのサービスもするんだなと感心してしまった。

 途中で佐野ラーメンを食べに食堂に寄る。家まで歩ける距離なら、車を置いて、ためらわずに生ビールを飲みたい。注文待ちの間に歩数計を見ると、車移動とはいっても、1万歩ほど歩いていた。先日の小滝の里のぶらつきは3千歩もなかったろう。
 今日の歩き、印象に残るのは、やはり、雷電神社、三県境スポット、遊水池といったところか。しかし、暑かった、明日はもっと暑くなるらしい。今日、歩いておいて良かったようだ。板倉町もいずれは館林市に合併か。そうなると、板倉もさらに暑いところになるだろう(笑)。

名栗のしょっぱい沢を経由して棒ノ嶺。帰りの林道歩きはえらくつらかった。

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◎2017年8月29日(火)

下名栗・諏訪神社(8:04)……泉入入渓(8:28)……尾根に出る(10:21~10:26)……都県境稜線(10:40~11:10)……760m級小ピーク(11:33~11:47)……馬乗馬場(12:00)……黒山(12:20~12:30)……権次入峠(12:56~12:59)……棒ノ嶺(13:10~13:20)……権次入峠(13:28)……岩茸石(13:42)……林道歩き開始(14:01)……大松閣(14:58)……県道に出る(15:06)……神社前P(15:20)

 当初は、HIDEJIさんの記事を拝見し、歩き不足にはちょうどいいと、これに伊豆ヶ岳でもプラスして歩いてみようかと思ったりしていたが、昭文社マップを広げてみると、この辺の沢は「入」と呼ぶらしいことを改めて知った。たとえば、蕨山北東にある沢はワラビ沢ではなく「ワラビ入」といった具合だ。「入」の他に「ヤツ」という呼ぶところもあるらしい。チョイ沢というのもいいか。天気予報では連日のように明日から暑さも和らぐと言い続け、それを期待しながらも一向にその気配がない。沢なら少しは涼しいだろう。
 さっそく、名栗界隈にある「入」で、一人でも歩けそうな沢がないかネットで調べると、「泉入」というのがあり、これは倒木が多い沢のようだが、一人でもわけなく遡行できそうだ。ショボい沢のようでいて『日本登山大系』にも掲載されているらしい。調べてみる。自分には参考にもならずに放り出していた『東京近郊の山』P166にあった。5mだの8m滝を見られるようだ。自分には相応だろう。だが、この登山大系、20年前の発行で「やぶをこいで遡る」という表記はあるが、現実として「倒木だらけの沢」であったのだが、そんなことにまったく触れてはいない。横たわる苔むした倒木からして、原稿は30年以上前のものではなかろうかと疑ってしまう。
 この泉入、ネット情報では「和泉入」とも記されているが、下山して橋の欄干にあった標識には「いずみいりさわ」とあった。ネットでここを遡行する記事は数件で、登山大系にしても記載ルートはアバウトだ。これだろうなと地図にマークしてから出かける。ちなみに、地理院地図に泉入の名称は記されていず、青い水線すらない。名前のある入は湯基入と炭谷入くらいのものだ。

(諏訪神社)


 ナビで、泉入の起点となる下名栗・諏訪神社の住所をセットしようとしたが、該当する番地はなく、最寄りらしき番地にセットして出向いた。結局、手前で左折して小沢峠を越えて青梅市に入ったりしてしまい、しばらくさ迷ってから到着。だが、神社の境内に車は入れられず、隣の公衆トイレの脇に空きスペースがあったのでここに一旦は置いたが、看板が置かれていて、それには、トイレ利用以外の駐車は禁止とある。ここまで来てどうしようかと、県道沿いに手頃な路肩はないかと探し回る。そんなものはなく、神社に戻ると、道路を挟んだ向かい側に雑草だらけの広いスペースがあった。ここに置けやしないかと入り込むと、駐車場として利用されているらしく、石灰撒きで仕切りが残っていたりする。どこにも駐車禁止の表示はなく、警告の赤い三角ポールすら離れたところにあった。ここに車を置いても問題ないだろうと中に入れ、沢靴に履き替えて出発する。
 後の話になるが、ここの駐車場に戻って来ると、入口の真ん中に三角ポールが移動されていた。つまり、このスペース、普段は車を置いてはいけないところのようだ。もし、出発時点で近所の住民にとがめられでもしていたら、泉入はやめてHIDEJIさんコースに変更していたであろう。

(林道歩き)


(泉入の流れ)


(いい感じではあるが、左右の枝葉が低く垂れ、クモの巣だらけ。まだ入り込めない)


 地図には沢沿いに破線路が南西、西へと続いている。しばらくはこの道(林道)に沿って行けばいいらしい。諏訪神社にお参りして、脇の林道を歩いて行く。この未舗装林道は関係者以外の進入は禁止になっている。
 右手に泉入を眺めながら歩いて行く。すぐに汗ばみ、早々に沢に入ってしまいところだが、今のところただの小川だし、枝葉が低くかぶっているところが結構目につく。ましてクモの巣だらけだ。周囲はずっと植林帯になっていて、しばらくは林道沿いに行った方が無難だろう。
 左に作業道が分岐、その先標高260m付近で枝沢が左から入り込む。その先には堰堤が見えている。あちらではないだろう。やがて木橋の手前で沢沿いの道(直進方向)は怪し気なヤブ道になるが、本道は右手に登って行くので、念のためこれを行くとすぐに終点で、ここから作業道があちこちに分岐している。橋の手前に戻って、直進の踏み跡を追うことにした。

(入渓ポイントを探しながら右岸側の作業道を進む)


(ここからと思ったが、いきなり腰までではなぁ)


(ここから入ることにする)


 何度か、そろそろ沢に下りようかと思いながらも、踏み跡が続いているので極力これを辿ったが、そのうちにクモの巣も多くなり、踏み跡も斜面のトラバース調になり、間伐放置がうるさくなりもしたのでここで入渓とし、ヘルメットをかぶる。が、沢に下りると、2m近い小滝になっていて、真下は腰まで浸かりそうな淵。まして手がかり、足場もなく登れそうにもない。いそいそと戻って、さらに先から入渓。

(水遊びは楽しめる)


 さすがに水の中は気持ちが良い。ちょっと沢ジャブすると、3m級の細い滝。問題なく越えると、また作業道に出てしまった。沢を歩いたり、右岸側の作業道を歩いたりを繰り返すが、この時点で、この沢、あまり面白くないなぁといった印象が正直のところ。ショボ過ぎる。地味沢レベルにも達しない。足尾の滝沢の方がまだ楽しめた。これが続くなら、適当なところから尾根に出てしまった方がいいか。当初、選択に迷ったワラビ入にしておけば良かったかもと後悔したりもしている。

(枝沢の滝。真下に行くのが手間取りそうだ)


(沢は至っておとなしい)


 340m付近で左手から沢が入り込む。水量は少ないので枝沢だろう。奥にちらっと滝が見えたので入ってみる。倒木が絡みついた4mほどの滝だ。倒木を使って登れなくもなさそうだが、真ん中にかかった、水でテカテカしている木が嫌らしく、滑りそうだ。戻って本流を先に行く。
 次第に倒木がうるさくなり(実際は間伐放置だが、倒れた木でもあるし、以降は倒木とする)、大方が沢に横たわり、右岸側を巻くケースが多くなってくる。作業道の延長らしき踏み跡がか細く残っている。あるいは、巻いた踏み跡かもしれない。

(3段8mか?)


(かなりボケた)


(これは巻いた)


(巻きながら上から)


 ようやく楽しめそうな滝が見えてきた。これが登山大系にある3段8mか。今のところ歩きルートにミスはないようだ。ここは難なく直登できた。続いて2m。淵が深いので左から巻いた。そして4m。マッチ棒型の倒木が滝を支えている感じだ。ここは無理でしょう。左右ともに小巻きできる様子はなく、左岸から高巻く。

(これは少ない滝の中でも豪快だった)


(ゴチャゴチャしてきた)


 ようやく面白味が出てきたようだなと思ったが、上に行くに連れて倒木は増える一方だ。
 5mほどの滝。なかなか豪快な流れになっている。ここは左から小巻きで通過したが、沢靴に泥が付いてしまい、途中で滑って危うい思いをした。

(せめて、これくらいのでも先に続けばいいのだが)


 これを越えると、沢はおとなしくなった。せいぜい1mにも満たない小滝が続くようになる。勢いのある2mほどの小滝を見かけはしたが、倒木で入り込めず、上から眺めただけ。さて、このあたりで自分の位置を確認しようとGPSを見ると、手前に地図にはない破線路がGPS地図には示されている。360mあたりから都県境稜線に向かっている尾根上だ(軌跡図参照)。最終的にこの尾根に出ることになるが、これまでの林道、作業道の延長の役割を担っているのだろうか。さっき左に見かけた尾根かと思うが、確かに上に続くテープを見たような気がする。しかし、あれは急な尾根だった。とりあえず、このまま沢を行くことにする。

(これでは先に進めない。巻くしかない)


(先は二股になっている)


(右股というか本流というか。先があれでは、入り込んだら抜け出せないのではないのか)


(左股を選択して登る)


 2mほどの小滝を乗り越えたところで倒木地獄となった。左から大きく巻いて沢に戻ると、沢は小尾根を挟んで2股になっていた。420m付近。右手が本流かなと思いもしたが、水量は左手が若干多いような気がしたし、右手の先の倒木群はかなりゴチャゴチャしていて、近づくのもためらわれる。ここでGPSででも確認しておけば良かったろうが、この倒木地獄から早いとこ逃れたい気持ちもあったので、南西方向の左股に進路を切り替える。実は、この先でこれまで以上に苦労することになる。

(こちらも結局はこうなる。正面に岩壁。先に行くのがやっかいだ)


 5分ほど登ると水が細くなった。やはり、本流は右股だったな。そして、鳴りを潜めていた倒木が上がるに連れてまたうるさくなった。腐った木を踏み抜き、身体をスッポリと木の間に落としてしまい、這い上がるのに手間取ったりする。見下ろすと、意外と急斜面を登ってきている。やがて、正面に岩盤のようなものが張り出しているのが見えてきた。

(チョロ滝。水が多い時は大滝かねぇ。6mほどか)


 岩壁に近づく。これは立ち塞ぎかなと思ったが、左右から上に巻いて行けそうだ。岩伝いに水がチョロチョロと流れている。これが大滝かいなと思ったりしているが、それにしてはやけに水が少ない。しかし、岩盤下に至るまでがひどい倒木地獄だ。腐った木もかなり仲間入りしている。別にこんなチョロ滝にこだわる必要はないが、間近で見たくもなる。倒木の上をソロリ、ソロリと進む。踏み抜いたら、復帰するまでにさっき以上に手こずりそうだ。
 間近でチョロ滝を見たが、さして見るほどのものではなく、無視していれば、左岸側から無理なく上に出られたが、ここまで来たからには戻るのに苦労しそうで、そのまま右岸側のもろい斜面を登って上に出た。

(チョロ滝の上で休む)


 ここで休憩する。ちょっとしたナメになっている。ここからどうしようか。左手には水のない沢があるが、極めて急になっていてザレてもいる。選択対象外。左岸側の尾根に移ってもいいが、その間に厳しそうな倒木群もある。水流もまだあるしと、そのまま行く。
 ここはもう誰も歩いた様子がない。これまではまれに人間の足跡を見ることもあった。大方が右側の尾根に移るのだろうか。ここでようやくシカの警戒音が聞こえてきた。

(ダラダラと続く)


(まだまだ)


(ここで終わり)


(このまま行っても泥んこになるだけだろう)


 執拗に水の流れは続く。大きな一枚岩らしきところを水が流れていたりするが、次第に水流も細くなり、沢靴も泥んこになってきた。そして、水が滲み出したところで沢の終点。上には窪みは続いているが、もう追う必要もあるまい。
 左右、どちらの尾根に逃げるか思案した。この辺に来ると、倒木も邪魔にはならないレベルになっている。左側上の尾根は低く、上が開けているので尾根型は明瞭。右はそれがなく、急な植林が空の切れ間もなく上に続いている。ここは左に向かうとする。
 やっかいなトラバースだった。これは明らかに選択ミス。地面は見た目では感じなかったズルズルで、樹の間隔が結構開いている。そして急。樹の上の根元で休んでは息を整えて次の樹に向かう。

(地図にはない破線尾根に出る)


(左上が切れている。都県境の稜線だろう)


 ようやく尾根に登り着いた。ちょっと一休み。GPSで位置を確認すると、先ほど下で見た破線路の付いた尾根だった。やはり、本流ではない沢に入り込んでいた。ここで大休止としたかったが、後100mも標高を上げれば都県境に出られる。5分ほど休み、ストックを出して尾根を登る。
 テープが尾根伝いに続いている。右は広葉樹で、左はヒノキらしい植林。赤城山を歩いたのは25日前だ。その間にやったことはといえば、小滝の廃墟を見て、板倉町を散歩しただけのこと。地元の金山にすら行かず、山での歩きはまったくしていない。ここまでも厳しく感じてはいたが、緊張感の方が勝っていた。緊張が解けると、都県境の稜線に出るまでがかなりつらい。いつもなら普通に感じる傾斜も結構きつい。そして、今日は何と蒸し暑いことか。沢でもそうだったが、ここもまた風がまったく通らない。ここまでにしても、ヘルメットの下で頭に巻いた手拭い、泥が染み込んでしまった手持ちの手拭いを何度も絞っている。ハーハー、ゼーゼーと休んでは登る。左から稜線が緩やかに登って来ているのが間近に見えて、ようやくほっとした。

(稜線に出る。左東京、右埼玉)


(こんな標識が置かれていた。後ろの丸太に腰かけてヤレヤレだ)


 都県境の稜線に出た。出発から2時間半程度のものだが、かなり応えている。標識があった。青梅市で設置したものだ。「黒山・小沢峠間のコースNO⑤」とある。その標識の後ろに長い丸太が横たえてある。へなへなと座り込んだ。
 ヘルメットを外して水をガブ飲み。そして一服。続いて腹も空いていたので菓子パンを2個。塩飴も含む。上の着替えだけは持ってきていたので、泥の付いた長袖は脱ぐ。ついでに下着のシャツも脱いで半袖だけになったが、この着替えの半袖、化繊のためか肌触りが悪い。仕方なく下着は絞って改めて着直す。下半身は着替えなしだから、このままでいくしかない。ジャージにはかなりの泥がついている。着替えてもまったくすっきりしない。
 これもまた泥んこになった沢靴を地下タビに履き替える。靴下を交換する際に、両足ともに親指が攣ってしまったが、立ち上がって、両足で地面をトントンしているうちに治まった。落ち着いたところで2本目のタバコをふかす。

 さて、ここから先はどうすりゃいいんだい。稜線に出てからの疲れ具合で決めるとして、理想としては棒ノ嶺だろうなと漠然と考えていた。そんな状態でなかったら、反対・東側の小沢峠から下るつもりでいた。小沢峠から小沢までの区間は、車道歩きをせずともに登山道が脇を通っているようだ。
 これとは別に、小沢峠を越えて都県境をそのまま東に進み、埼玉エリアの大仁田山に出て北に下るというアイデアもあった。かなり前にぶなじろうさんが歩かれていて、都県境から大仁田山に至る歩道があるようで、その記事を拝見した際に、昭文社マップに線と「道有り」と書き込んでいた。ただ、これを歩くとなると、下での車道区間の歩きが長くなり、その間にバス停が少なくとも2つはある。今日はこれはやめておこう。暑い中の長い車道歩きはしたくない(だが、結果的に今日はそれ以上の車道歩きになってしまったが)。
 泉入にご満悦なら小沢峠からさっさと下り、さわらびの湯にでも浸かって帰ってもいいところだが、そうではなかったから困ったもの。予定どおりに棒ノ嶺まで足を延ばすことにする。せめて権次入峠(ゴンジリ峠)までは行こう。棒ノ嶺には過去に2回行ったことだし。
 何やかやと30分の休憩をしてしまったが、その間、だれとも会うことはなかった。平日だからというわけでもないようで、この先、下りまでの間に20人ほどのハイカーと出会っている。都民ハイカーはほとんどが黒山から東部分は歩かないのではなかろうか。
 座っていた丸太、腰かけた部分がぐっしょりと濡れていた。

 微妙なアップダウンが続く稜線だ。まして植林の中の歩き。展望なしで気分も滅入ってくる。ちょっとした登りに入ると、急激に足も身体も重くなる。汗もダラダラと流れている。

(760m級ピーク)


(この標識で悩んでしまった)


 760m級の小ピークに到着。ベンチが2つ置かれている。早速、休む。歩き出しから20分程度のものなのに早々の休憩。また水を飲む。今日はいつものように1リットルしか持ってきていない。足りるだろうか。少なくとも、沢の途中で一度補充もしている。残りは2/3ほどになっている。タバコを吸いながら、ちょっとうろつくと「大松閣に至る」の手書き標識が目についた。GPSを確認する。尾根伝いに短い破線が出ている。尾根伝いに464m標高点を経由して大松閣に下るというわけか。ここの手前にも尾根上に北東に下る破線が半端にあるがこれには気づかなかった。
 さて、どうしたものかとまた迷った。この歩きでは権次入峠も無理じゃないのか。ここを下ってしまおうか。尾根伝いだろうから迷うことはあるまい。地図を見る。464mの先で尾根がいくつか分岐しているが、ほぼ東に下る尾根を行けば、駐車地に近い車道に出られそうだ。しばらく悩み、誘惑にもかられた。結論はこのまま続行。都県境歩きにこだわりが生まれてしまっていた。せめて権次入峠までは行こう。これまでに特別になかったスポットも、黒山に行けばスポットにもなる。ここでの休憩タイムは14分。費やしのほとんどが悩みタイムでもあった。

(さすがに標識は整備されている)


(林道の終点)


 下っては登るの繰り返し。周囲の景色に変化はない。ずっと植林の中だ。「黒山・小沢峠間のコースNO④」の標識が出てくる。看板の概略図では黒山が近づいている。
 ちょっと下ると、左手に広場のようなものが見えた。776m標高点の少し手前。地図を見ると、青梅側から林道がここまで入り込んでいる。
 ビニール入りの手書きの説明書きが樹に結わえてあった。「あの鎌倉時代の名将、畠山重忠の軍勢が数度通過したこの地、馬乗馬場ですが! 平安時代の美女〇〇〇〇が一時逃れ住んでいたという説から呼ばれました」と記されている。〇部分は字が消えて読めない。裏をひっくり返すと、Wikipediaの<常盤御前>のページの刷り出し。重忠も常盤御前も知ってはいるが、ここにこんなものが何であるのか。せいぜい、ここが「馬乗馬場」というスポットなのかと思った程度のこと。

(この辺が馬乗馬場)


 ようやく植林から抜けたとほっとしていたら、再び植林に入り込んだ。すると、ここに手書きの「マノリババ」の標識があった。林の中ではあるが、ちょっとした平地になっている。さっきの説明書きと同じ筆跡で「マリノババ 昔武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で坂東武者の鑑とされた〇〇〇〇達が行軍の途中、ここで軍馬を休ませた場所と呼ばれている」とあった。この〇は畠山重忠だろう。さらに、別人の手書き標識があり、これには「馬乗馬場 マノリバンバ 平安時代の名将畠山重忠の軍勢達が鎌倉幕府への道の途中、ここで馬の調教を行ったとしるされている。居住地埼玉と鎌倉迄の遠距離を数多く往復した武士・郎党達、そして馬も大変な苦労であったろう」とある。
 ここは歴史好きなハイカーが訪れるところらしい。ご丁寧な説明でだいたいのことはわかった。つまり、古に、畠山重忠一行がここを通過する際に休んだり、馬の調教をしたところなのだろう。

(一時的に植林帯から抜け出す。)


(手頃な岩が出てくる)


 景色が変わって、岩が出てきた。植林が消えて広葉樹が左右に広がっている。ほっとした。名栗村設置の標識がある。黒山まで0.6kmだ。この標識の支柱に何やら書き込みがあった。消えかかってはいるが、「常盤尾根」とも読める。そういえば、常盤尾根というのをネット記事だったかでちらりと目にしたことがあっなぁ。林道終点からの常盤御前の疑問がここでようやく解消した。最初に見た説明書きは常盤尾根の説明だったようだ。

(黒山山頂)


(周囲にはこんなキノコが多い)


 岩がちなところを通って行くと、600mの半分も歩かずのうちに黒山に着いた。ここは三角点峰。標識には850mとあるが、手持ちの地図では842.3mになっている。ベンチもいくつかあって、八畳間ほどの広さがある。展望はない。水を飲み、タバコを吸って10分休む。水筒の水が半分になってしまった。地図を見る。この先、一旦下り、権次入峠までは90m近く登り上げるようだ。ちょっときついかなぁ。まぁ、今日の終点と思えば気持ちも楽だ。ちなみに、ここから峠までのコースタイムは30分とあるが、今日の体力、疲労度では40分はかかるだろうな。立ち上がったベンチ、相変わらずの腰部分は雑巾がけになっていた。それもさらに色濃くなっている。

(植林帯復活。じわりと暑くなってきた)


 下りかけて、塩飴をなめるのを忘れて荷を下ろして飴を出していると、峠の方からチャリンチャリンと音がした。ようやくハイカーに出会えた。単独のオッサンだった。背中にヘルメットなんか括り付けているから奇異な目で見られたろう。ただ、最近は、普通の山歩きでもヘルメット持参する心配性の方もいるし、その辺はどうなのか。
 気づかずの間に植林歩きが復活していた。ただ、植林も薄くなっていて、外側には雑木が混じり、陽も射し込んでくるようになった。これはこれでいいが、相応に体感温度も高くなりつつある。左側の各種の掲示板は、青梅市発行から奥多摩町発行の物になっている。

(権次入峠)


 遭難碑らしきものを見るふりをして休憩。権次入峠は先に見えている。休んでベンチに腰かけているオバチャンの姿も見える。権次入峠に到着。ヤレヤレだ。コースタイム30分を切る26分だ。今日の自分には快挙だろうな。
 挨拶はしたが、ベンチに腰掛け、疲れた表情でウチワを仰いでいるオバチャンとの会話は生まれない。周囲に他のハイカーはいず、自分としては、非常に居心地の悪い状況になっている。かなり重苦しい。さりとて、自分から気軽に話しかけられるような方ではないようだ。ここまでとは思っていたが、しばらく立ち休みをして、息を整えただけで、自然に棒ノ嶺の方に足を向けてしまった。歩き出したところで、埼玉側から単独のオッサンが息を切らせて登って来た。もう少しはいればよかったか。
 この「権次入峠(ゴンジリ峠)」だが、以前寄った際には、何も気にせずにおかしな峠の名前だなと思っていたが、「入=沢」と知ってしまえば、「権次入=権次沢」ということになる。権次は人名として、地図を見ると、名栗側からの一般道のちょい西側、もしくは離れた南側に谷地形が見られる。いずれかが権次入ではなかろうか。「入」である以上、奥多摩側ではあるまい。

(棒ノ嶺に向かう)


(ロープの右側が従来の登山道)


 都民ハイカーも多数訪れる棒ノ折山だ。しばらく林道のようなところが続く。登りになると、これまでのハイキング道は通行止めになっていて、その脇をロープが上まで巻かれ、その左側を登るようになっている。自然保護云々の理由によるようだが、確かに、これまでの道を覗くと、あちこちがズルズルになっていて、これでは、雨の日は滑って転倒して危険という判断だろう。

(棒ノ嶺山頂)


(これではなぁ)


 木の根が張り出したところを登る。コースタイムは峠から20分とあったが、10分ほどで棒ノ嶺山頂に到着。その間に下りハイカー5人ほどと出会った。
 山頂には7人ほどのハイカーがいた。いずれもお食事中で、ちょっと見る限り、単独氏は一人だけ。今日の展望はよろしくない。山のシルエットが見えるだけだ。風はかすかに流れてはいるが、備え付けの寒暖計は28℃をさしている。959mでこれだから、麓では35℃近いのではないのか。
 だれもいない東屋で水を飲んで一服する。県境に出て食べた菓子パン以来、食欲はない。ちょっと休んでさっさと下るとしよう。立ち上がると、ベンチは相変わらずベットリとなっていた。ここにだれもいなくてよかった。いたら誤解されかねない。東屋には百円ライターが落ちていた。着火したのでいただくことにする。権次入峠までの間に3人ほどと出会う。峠では2人休んでいたが、小沢峠の方に下って行った。

 権次入峠からの下り、コースの選択の余地はない。諏訪神社に戻るわけだから、この先の岩茸石から林道名栗線に向けて下るコースしかない。これを歩いたことはない。この時は、林道のショートカットコースもあるからと、林道歩きにさして苦痛を予想もしてはいず、長くなったとしても、最終的に棒ノ嶺を選んだわけだから、仕方もあるまいと思っている。天目山林道を延々と下ったこともあるし、それに比べれば時間も1/3程度のものだろう。

(峠から下る。この階段を利用するハイカーはいるのだろうか)


(ようやく階段から解放される)


 嫌らしい木の階段が下っていた。これを歩くことはしない。脇の踏み跡を下る。意外と急だ。8年前、K女グループを連れてここを登ったことがあるが、登っているよりも待っている時間の方が長かったことを思い出す。

(岩茸石。東京側に岩茸石山というのがあるが、関係はないだろうか)


 岩茸石着。3人の青年が戯れていた。向こうからコンニチワと声をかけられてしまった。これから登るところらしい。ここでコースは3つに分岐する。標識には、下って来た方向に「ゴンジリ峠・棒ノ嶺」があり、直進が「河又バス停」、右は「トウギリ林道へ」、左は「白谷沢登山口」となっている。ここは左に行きたいところだが、これをやるとバス停2つ分の車道歩きになってしまう。たかが2つとはいっても、この辺のバス停間隔は長いに決まっている。トウギリ林道(地図上は大名栗線)方面に下る。

(林道方面へ)


(標識でここから左に導かれる。後で気づいたが、破線ルートは直進だろう。それが証拠に、棒ノ嶺方面は手前から下っているのに右方面を指している。標識そのものを故意に移動したのだろうか。勝手な想像だ)


 こちらのコース、利用者はあまりいないのか、踏み跡は細い。植林の中をジグザグに下って行くと、ちょっとした鞍部に出たところに標識とベンチが置かれている。標識は一方向のみになっていて、左に下る方向に「名栗川橋へ2.8KM」とある。あと一時間弱だなと安心し、水筒の水も1/5ほど残すまで飲み、一服した。
 すっかり重くなった腰を上げ、標識に従って左手に下ると、ほどなく林道に出た。舗装林道だ。何だかおかしな感じがした。こんなに早く林道に出られるはずはない。下り予定は破線路で、一度林道を横切り、また山道を下り、改めて林道歩きになるはず。さりとて、林道の向かい側に続行ルートは見えず、ここにある標識は「↑棒ノ嶺」だけだ。しゃがみこみ地図を広げ、GPSを見ると、先ほどのベンチから左に下ってしまっていたが、あそこは直進すべきようだった。だが、そちらへの標識はなかった。まぁいいか。どうせこの先で破線路の延長部に出られもするし。

 立ち上がると、後ろから乗用車が2台やって来て、自分の脇に止まり、運転しているオッサンが「ここから1時間の歩きになるよ。乗らないかい?」と声をかけてきた。こういうことは滅多にないことだけにうれしかったが、自分の身体が相当に汗ばんで臭いこと、そして、破線路続きから下るつもりでもいたので、丁重にお断りした。「いや、歩いてみたいので。ありがとうございます」。2台の車は、自分が向かう方向に下って行った。

(林道歩き。かなり前に有間峠から逆川林道をジムニーで走った時は落石だらけのデコボコ道だったので、ここもまた未舗装林道とばかりに思っていた)


 破線路の入口はそろそろかなと周囲を見ながら歩いたが、やはり車に乗せてもらうべきだったかななんて考えていたりしていたせいか、気もそぞろになっていたのだろう。ショートカットの入口を見つけ出せないままに林道を下っていた。ここは、ショートカットルートは廃道になったのだろうと思い込むことにし、林道歩きに徹することにしよう。しかし、舗装林道とは知らなかった。地下足袋はスパ地下だったため、そのうちに足の裏が痛くなってきた。
 5分も歩いた頃に「3.0km」の標識を見た。これ、起点から3kmという意味か? ということは、ベンチにあった「2.8KM」とは何だったのか。ショートカットルートの距離だとすれば、標識の向きを45度ずらしたとしか思えない。確かにそれは頷ける。記された一枚板の棒ノ嶺方向は明後日方向になっていた。今や通って欲しくないコースなのだろう。ここまで歩いてしまった以上は、舗装林道をテクテクと歩くしかない。

(この上流にわさび田があるようだ。きれいな沢だった。泉入よりこちらの沢が幽玄の雰囲気だ)


 途中、右手にきれいな沢を見かけた。葉に隠れて手書きの「わさび田→」の標識。きれいな小滝が続いている。わさび田が上にあるとすれば、水もきれいだろうと、空になりかけた水筒に水を半分補充する。
 下に行くに連れて、暑さも増してきた。水を飲んだ分、そのまま汗で垂れ流し状態になっている。帽子をかぶっているのに、ボタボタと汗が落ち、そのたびにメガネに汗が付き、使い物にならない手拭いから転じて首に巻いて使っているタオルもまた濡れてしまい、メガネを拭いても曇り続けるだけだ。

(下から来れば、すんなりとここに入って行くだろう)


(熊野神社)


 「2.5km」の標識を過ぎ10分ほどで、左手に「棒ノ嶺↑」の標識が置かれていた。踏み跡は林の中に向かっている。入口だけは生きているということか。看板には「人工林の中を1.0KMで岩茸石。それから1.1KMの尾根を登ると棒ノ峰の頂上です」とあった。ここまで大迂回しながら林道を歩いて来た。改めて思うが、途中からのショートカット入口は単に見逃してしまっただけのことだろうか。
 ダラダラと歩いていると、左手に神社らしき建物が見えた。回り込むと、熊野神社。その前に参道らしき踏み跡が下に向かっている。ここでショートカットしようかなと思ったが、どこに出るやも知れず、林道歩きに復帰。

(林道ゲート。下から見ている。この先に手寄せできないゲートがある)


 「名栗川橋へ1.4KM」の標識を過ぎると、林道を遮る通行止めのゲートが置かれていた。二重になっていて、先のゲートはちょっとずらせば問題ないが、手前のこれは、関係者のカギでもなければ開閉できないものだろう。改めて地図を見る。名栗川橋に向かう林道はこれだけで、途中の分岐はない。奇特にも、このオレを拾おうとしてくれたオッサン達の車はどこをどう通って行ったのか。あるいはこの地域の関係者で、ゲートのカギでも持っていたのか。おそらくそうだろう。車道の水たまりの先には車輪の跡が残ってもいたし。そうとわかれば安心して小用も足せる。他に車は通るわけもない。

(右に湯基入を眺めながらの下り)


(森のこみち)


(大松閣)


 右手に湯基(とうき)入を見ながら下って行くと、ようやく大松閣のような建物が見えた。周囲は整備されていて、「森のこみち」やら「せせらぎのこみち」が整備されている。あの760m級ピークから下れば、やがては森のこみちにでも出るのだろうか。下の小川では家族連れが水遊びをしている。送迎バスのボディには創業大正3年とある。後で調べると、ここの日帰り入浴は1,500円。名栗辺りに泊まることはないだろうが、老舗旅館のことだ。宿泊代も高いだろうな。
 若山牧水の歌碑と、左に曹洞宗の古刹らしき寺を見てようやく県道が見えてきた。その前の何かの施設の前のコンクリ階段に腰をおろして水を飲む。いやぁ長かった。

(名栗川橋。埼玉県特定有形文化財とあった)


(県道歩き)


(左に名栗川の河原を見ながら)


 県道歩きもまた長く感じた。まして一本道だ。名栗川沿いのバイパス。河原ではバーベキューや水遊びを楽しむファミリーが結構いる。この辺の学校はすでに始まっているようなので、都心から遊びに来ているのだろう。

(あれっ、もうコスモス?と思ったが、別に秋の花というわけではないらしい。キバナコスモス)


(諏訪神社に到着。久しぶりの歩きで長く感じた)


 駐車地に着いた。ぐったりしている。足裏にもマメができてしまったようだ。冒頭で記した赤い三角ポールも入口に移動していたので、ここは長居は無用と、靴だけ交換してさわらびの湯に直行した。

 ここの温泉には一度来た記憶はあるようだが、定かではない。駐車場はガラガラ。本日休業では目もあてられないなと思ったが、風呂はさらに先だった。3時間800円。高いかどうかはともかく、3時間も一人ではいられないわと思いつつ、中に入る。ようやく人心地がついた。露天にも行きたかったが、ここの露天は狭く、せいぜい6人くらいといったところで、ずっと学生らしき若者が占拠していて、露天には入れなかった。
 風呂上り、自販機でレモンジュースとアイスクリームを買い、エアコンの効いた畳の休憩室で寝転がって口にした。腹も空いていないわけでもなかった。道中の食べ物は菓子パン2個だけだったし、おにぎりはそのまま残っている。今になっても、どうも食べるのが面倒な状態だ。

 往路は高速を使ったが、帰路は一般道にする。ちょうど通勤の帰宅時間に入ってしまい、家に着くまで3時間近くかかってしまった。水分を大量にとられたようで、途中、我慢できずにコンビニに寄り、冷たい茶を買い、あっという間に飲み干した。

 何だかよくわからないような歩きで終わってしまった。あの泉入は失敗だった。倒木に辟易してしまった。倒木がなかったら地味沢ランクにはなっていたろう。ただ、今回は本流ルートを外れてしまったが、倒木に苦闘しながら大系に載っている最後の15m大滝を見たとして、印象はどう変わったろうか。上に出ると、今度は日頃の歩き不足と暑さにやられてしまった。やはり、まめに歩くようにしないといけないなぁ。
 たかが休憩込み7時間15分の歩きだったが、ここのところ、まともなブログ記事もアップしていない。ついダラダラした長い話になってしまった。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

金精峠から丸沼温泉へ。湯沢峠までの県境稜線を歩いてみた。

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◎2017年9月3日(日)─みー猫さん、とくちゃん

金精トンネル前駐車場(6:40)……金精峠(7:04)……温泉ヶ岳(8:04~8:20)……念仏平避難小屋(9:16~9:34)……2326m標高点下(9:50)……つぶれた小屋(10:15)……2018m標高点付近(11:54)……2020m級小ピーク(12:27~12:58)……2001m標高点付近(13:15)……湯沢峠(13:36~13:56)……湯沢探索(14:48~15:16)……丸沼温泉駐車場(15:32)

 以前から、温泉ヶ岳と燕巣山をつなぐ群馬・栃木の県境稜線を歩いてみたいと思っていた。その北側の最終、物見山・黒岩山区間はすでに歩いてはいるが、燕巣山の先はまたいずれの話として、先ずは温泉ヶ岳・燕巣山区間を優先課題にしたい。残雪期に金精峠から物見山まで歩き、日光沢温泉まで日帰りで下られたきりんこさんのような方もいらっしゃるが、それは例外、参考程度として、自分の場合、温泉ヶ岳・燕巣山区間は、湯沢峠でせいぜい2回分割だろう。
 だが問題があった。温泉ヶ岳と湯沢峠の間、一人歩きとなると、どうしても高低差の関係で、丸沼温泉から登り、金精峠にチャリデポする形にせざるを得ない。しかし、そのチャリもまた、もう使わないだろうと、折り畳み式を粗大ごみで出して久しい。また今後ともに使う保証がないままにわざわざ買うわけにもいかない。
 そこで、地図を見ながら、湯沢峠から2001m標高点に戻り、2006.9m三角点を通る尾根を南下し、菅沼の脇に出て国道に這い上がる手を思いついたりしたが、末端に青い点線があったり、堰堤マークがあったりで、どういうことになっているのかまったくわからない。これとて、国道歩きが少しは緩和されるくらいのものにすぎない。燕巣山・湯沢峠区間を先行して、その辺は、帰りがけにでも確認してこようかと思っていた。
 ここでみー猫さんが出てくる。前回記事に意味あり気なコメントをいただいた。もしかしてお誘いかと思い、天気の良さそうな日曜日は湯沢峠付近の県境か大岳尾根を歩こうかと思っているとメールを入れる。何度かのやり取りで、最終的に、ここのところみー猫さんとのお歩きが多くなったとくちゃんを誘って、温泉ヶ岳・湯沢峠区間を歩くことになった。これで長い車道歩きからも解放されると思うとほっとする。難解な区間はさっさと済ませてしまいたい。
 だが、これですんなりと決まったわけではなく、問題は出発地点をどちらにするかだ。みー猫さんは丸沼からの登り基調コースにしたい気配があるが、自分としては、ずっとまっとうな歩きをしていないので、金精峠側からの下り基調で歩きたい。みー猫にはご容赦を願い、金精峠から入ることにしていただいた。ちなみに、今回のコース、後でカシミールで確認すると、累積標高が+で1,270m、-で1,610mになっていた、丸沼から登るとこの数値は逆になってしまう。
 実は、一昨年にここを燕巣山まで歩かれた烏ケ森さんや、昨年のきりんこさんの記事で、以前はトレイルランのコースとして使われ、踏み跡がしっかりしているらしきことを知ったので歩いてみる気になったのだが、帰ってから調べると、丸沼トレイルランはここ4年開催されておらず、50kmコースとして設置されたコースは、この付近、丸沼、湯沢峠を経由し、途中から下るというものであった。

 今回もまた、例によって長々とした前置きになってしまった。

 3時半に家を出て、沼田経由でみー猫さんとの待ち合わせ場所の丸沼温泉に向かう。待ち合わせは6時15分だったが、国道を走るようになってから、やけに到着時刻が早くなりそうで、時間調整をしながら丸沼に向かったが、それでも5時45分くらいに駐車場に着いてしまった。途中、車道をタヌキとシカの親子が横切るのを見る。すでにみー猫さんは到着されていた。さすがに朝早いのは平気な方だ。もっともこちらの方が出るのが30分早い。
 ひんやりしている。自分の車をデポし、みー猫さんの車に移る。車が表示する気温は12℃となっている。一気に朝が涼しくなったものだ。こんな気温での歩きは久しぶりだ。金精トンネルの駐車場に着くと、さらに気温も下がり、ウィンドブレーカーを着込んでしまった。今日のプランの中に沢歩きもあったが、沢は冷たいだろう。これは選ばずに正解だった。駐車場の車は15台くらいか。準備中の方もいる。
 とくちゃんとの待ち合わせは6時30分。時間を持て余し、周辺をぶらついたり、とくちゃんのことをいろいろとみー猫さんから伺う。歩きは遅いが粘り強い方だそうな。「歩きが遅い」。今の自分には何とも頼もしい言葉だ。
 とくちゃんが定刻に到着したところで初対面の挨拶を交わして出発。何だ女性だったのかと驚いたりはしない。女性であることは既に知っているし、彼女のブログを拝見したり、自分のブログにコメントをいただいたりもしている。まぁ、初対面の印象としては、あっけらかんというか失礼ながらアバウトというか(笑)。しかし、この方、本当に足が遅いのだろうかと思ったりしている。至って軽快な感じがするのだが。

(では出発)


(崩壊地通過)


(なかなか急だ)


(金精峠)


 金精峠までのいきなりの急登りには参った。息切れがひどい。最後を歩いたが、自分の漏らすハーハー、ゼーゼー音を、前を歩くとくちゃんに気づかれまいと、ちょっと離れて登る。ちらりと覗く白根山はガスで隠れ、温泉ヶ岳の方もまた雲が低くかかっている。男体山もちょっと頭にガス。
 金精峠に早々とヘロヘロ状態で到着。その間、自分だけ青年1人に抜かれる。標高差が300m以上もありそうな感じだったが、みー猫さんに笑われてしまった。実際のところ200mほどのもの。後で知ったが、ここのコースタイムは35分。それを24分で歩いている。お二人ともに息切れの気配はない。何だか今日は自分が足を引っぱりそうで、暗雲漂いの気分になってきた。汗をたいしてかかない涼しさだけが救いだ。とくちゃんから蒟蒻ゼリーをいただく。
 峠にジイチャン、バアチャンの2人連れがいらした。根名草山まで行かれるらしい。そんな情報も、早速聞き出したとくちゃんからのもの。それに比べると、自分とみー猫さんは至って寡黙といったところだ。ディダラボッチさんが「ヒマワリ娘のとくちゃん」と称されたのは、その底抜け的な明るさからきたのだろうなと思ったりする。

(振り返って金精山)


(控え目なナゲさん)


(三角ピークは外山。あそこに行ったことはなかったと思う)


(傾斜が増す)


(もっさりしたコケ)


(刈込湖と切込湖)


(白根山はまだ隠れている)


(この感じが好きだ)


 温泉ヶ岳に向かう。黄赤のプレートや森の番人のナゲさんが控え目に顔を出し、斜面にコケも目につくようになる。手ごろに開けたスポットで休むと、青空が次第に広がってきている。振り返ると、金精山が見えている。ここからでは白根山が見えないのか。ここを歩くのは25年ぶりだ。あの時は根名草山往復だったが、廃れかけの念仏平避難小屋しか記憶がない。
 樹林帯に入り、根名草山の分岐を左に登ると、ジワリと傾斜が増してきた。当然、こちらは遅れがちになる。あの二人、何でこう速いんだろう。オレが遅いだけか? いつもの、歩いては適当に休む繰り返しの自分流の歩き方ではどうしても無理がいく。

(温泉ヶ岳に到着)


(地理院三角点)


(根名草山方面)


(燕巣山と四郎岳。後ろに尾瀬の山々)


 温泉ヶ岳に到着。先行者が下るところだ。北と東側の展望が開けている。北側、根名草山がちょこんと頭を出し、左に燕巣山と四郎岳。後ろの燧ケ岳と黒岩山はガスに隠れている。東側は男体山から於呂俱羅山までしっかり見えている。自分はメガネをかけていても視力は弱い。とくちゃんに避難小屋が見えるよと言われるまで気づかなかった。ここから見る念仏平避難小屋、針葉樹に囲まれ、立地条件が良いとは思えないな。眺めながら一服する。今日はお二人ともに非喫煙者だしと遠慮して離れて吸っていたが、最後は目の前で吸うようになってしまった。
 山頂には御料局と地理院の三角点が2つ。地理院側の脇に聖護院行者一行と書かれたお札が置かれている。ここも修行、あるいは信仰の対象となる山なのだろうか。帰ってから調べると、三峯五禅頂の夏峯コースに「竜池ノ宿」というのがあり、金精峠・柴宿から温泉ヶ岳を経由して行くらしいことを知った。その先が金田峠の深山之宿ということになる。竜池ノ宿に向かうのは困難だから、ここで祈祷したのではあるまいか。

(ここを下るというのもどんなものだろう)


 ここから忠実に県境を行くとなると、北東に下らないといけないが、そちら方面をみー猫さんがじっと眺めている。笹ヤブが密になっていて、か細い踏み跡というか、笹の薄いところが半端に少し続いているだけ。どうします? やはり、一旦、分岐に戻りましょうということになった(実際、ハイマツとネマガリタケで背丈が没するらしい)。単独のオジサンが上がってきた。

(根名草山方面に向かう)


(左側先が2207m標高点ピークだろうか)


(中禅寺湖が見えてきた)


(温泉ヶ岳を振り返って)


(白根山が顔を出した)


 再び樹林帯に戻ったが、やがて斜面のトラバース道になって、東側を眺めて歩ける。暑くもなく気分良く歩ける。自分には、ようやく山歩きの季節が戻ったといった感じだ。右側に長い尾根が見えている。右端が2207m標高点ピークだろうか。竜池ノ宿はその手前にあるはず。
 あの金精峠の2人連れを追い越す。根名草山を先行するのだろう。あのバアチャンの方、強そうなジイチャンに引き回されている感じがしたが、意外とバアチャンも強そうだ。振り返ると、温泉ヶ岳の右にようやく白根山が見えてきた。もうガスはない。

(倒木が多くなり、コケもまた目立つようになる)


(食えまいだろう)


(沢を越えて)


(旧念仏平避難小屋跡)


 また樹林帯。樹は細く、古い間伐は苔むしている。ここもまたコケの宝庫のようだ。小さな沢を越えると狭い平坦なところに出た。ここに建て替え前の念仏平避難小屋があった。とくちゃんがおもしろいことをおっしゃる。ここでかつて心臓だったかの病で亡くなった方がいたそうだ。こういう話はどうも気になる。例によって後で調べた。1994年11月のこと。通りがかりのハイカーが小屋を覗くと、布団の中に遺体があり、警察では衰弱死と判断したらしい。県境の小屋ながらも、微妙に栃木県になっていて、最終的には通報を受けた群馬県警から栃木県警扱いになったとか。11月も後半のことだ。何日か発見されないままでいたのだろう。年齢は不明だが、こういうのは単独テント、避難小屋泊まりの怖いところだろうな。

 抜けるような青空を見上げる。これでは雨も落ちてくることはあるまい。温泉ヶ岳も背景は青一色だ。「小屋まで15分」の標識。そして最後の水場。樹林の中に入り、みー猫さんから砂糖をまぶした干したレモンの菓子(輪切りレモン?)をいただく。何でも、これでノラさんが元気百倍になったとか。こちらは、相変わらず、二人について行くのがようやくだが、息切れは大分解消し、いつもの歩きに戻りつつある。しかし、みー猫さんの弁、「とくちゃんの歩きは遅い」というのは何なのか。確かにみー猫さんよりは遅いだろうが、自分には十分に速いわ。ただのみー猫さんの主観に惑わされてしまっていたようだ。

(念仏平避難小屋)


 念仏平避難小屋に到着。温泉ヶ岳から見えていた針葉樹はシラビソとアスナロだった。早速、小屋の中を覗いてみる。築9年だが十分に新しくきれいだ。とくちゃんはここに泊まってビールを飲みたかったらしい。ノートを見ると、昨夜から今朝にかけて泊まった方がいるようだ。ここのところ気温は秋めいてきた。明け方は寒いだろう。まして、夜のビールは乾杯の一本だけで、あとは熱燗がいいに決まっている。

(撮影会が始まった)


 休憩し、適当に食べる。5分もじっとしていると寒くなり、途中で脱いでいたウィンドブレーカーを着込み、スパッツを付ける。とくちゃんが「ここでやっちゃおうかな」と、何をするのかと思っていたら、ザックから風呂敷のような布に包まれた物を取り出し、大事そうに開く。銭形警部のフィギアが出てきた。そして、小屋をバックに写真撮り。
 こういう趣味の方もいらっしゃるようだ。ちょっと考えづらい。とくちゃんのブログで、よくキャラクターの入り込んだ写真を見たりして、合成しているのかなと思ったりしていたが、こうして、フィギアを同行させては撮ったりしているようだ。出どころは大方がお子さん達の遊び道具だったらしいが。つい水曜日に、みー猫さんととくちゃんはヒライデ沢に行かれたようだが、沢にはどんなキャラを同行させたのか。撮影が終わると、これまた大事そうに包んでザックに入れ込んだ。まぁ、人生いろいろ、山歩きスタイルもいろいろだ。
 休憩が終わって出発。入れ違いにジイチャン、バアチャンが上がって来た。

(そろそろ突入だろう)


(ここが玄関)


 ちょっと登る。本日の核心部に入りつつある。事前調べでは登り上がったところで登山道から離れるらしい。先頭のみー猫さんが、ここから下りになりますよとおっしゃる。では、そこからでしょうね。薄い踏み跡があって、樹にピンクのテープが巻かれている。ここだろう。右上に2326m標高点ピークがすぐ近くにあるが、ヤブを漕いでまで律義に登ることもないだろう。

(つい、さっさと歩いてしまった)


(広いササ原。ここから樹林の中に入り込む)


 つい先頭になってしまっていた。ピンクテープと薄い踏み跡は続く。何だ、こんなものかと、その時はかつてのトレランコースがしっかり道型で残っているんだなと、少々、がっかりしたりしている。樹林から抜け出すとササヤブの原っぱが広がり、明瞭な道型は消えた。地図でも尾根型が広がっているところだ。だが、すぐに赤テープが目に入り、その先にはピンクテープ。どうもこの先、しばらくはテープ拾いの歩きになりそうだ。
 二人に笑われた。これまでの歩きとはうって変わって、えらく軽快な歩きになったと。さりとて、みー猫さんほどのその筋の体験は豊富ではない。ただテープを求めて歩いているだけのこと。

(こんな水溜まりがあちこちにずっと先まであった)


(今のところ、テープと踏み跡で歩ける)


 この先、原っぱを抜け出すと、しっかりとした道型が出てきたり、不明瞭になったりといった状態が続く。尾根型は相変わらずはっきりしない。ピンクのテープだけはずっと続いている。自然林の中の歩きになっても、ここは疎林に近く、左手に温泉ヶ岳がはっきり見えている。こちらはテープ追いで歩いているが、とくちゃんがGPSで確認すると、しっかりと県境歩きになっているようで安心もする。

(倒壊した丸太小屋)


(ここが入口らしい)


 ちょっと下りかけると、丸太の積み重ねが見えた。屋根にシートをかぶせたつぶれた丸太小屋だった。入口もあって、シートの覆いから中を覗くとゴミが散乱している。ペットボトルやらフライパン、一斗缶、中に入ったとくちゃんによれば酒瓶もあったようだ。ここで暮らしていた人でもいるのかなといった話になったが、他の方のネット記事を読むと、トレランのチェックポイントが置かれていたようなことを記されてもいる。
 後で調べると、トレランのコースは、実際に参加した方のレポによると、丸沼温泉→丸沼高原→白根山→前白根→金精峠→菅沼キャンプ村→丸沼温泉→湯沢峠→県境尾根→2237m標高点→菅沼→丸沼温泉といったややこしい走りのコースになっていた。累積標高差は3275mで距離50km。県境稜線に関しては、湯沢峠から入り込み、この丸太小屋あたりから2237m標高点を経由して南西に菅沼に出るようだ。これもまた山歩きスタイルいろいろということにはなるが、8月の暑い時期によく走れるものだと感心もする。それはさておき、チェックポイントがここにあってもおかしくはないが、ペットボトルはともかく、フライパンやら酒瓶は何なのだろうか。世離れしたこの地で仮住まいしていた人がいたとしても不思議ではない。

(下り斜面での展望地)


(菅沼が見えている)


(右手に根名草山の白ザレ斜面。この写真の左側の尾根を下って行くことになる)


 ヌタ場なのかよく知らないが、この辺から水たまりがよく出てくる。水そのものはきたない。倒壊小屋からは長い下りになる。ちょっと開けたところに出ると、左下に菅沼が見え、この先の尾根伝いが垣間見える。燕巣山と四郎岳の後ろに尾瀬の山並みが見えるのが、上州武尊、笠ケ岳、至仏山、燧ケ岳、自分にはどれがどのピークなのか、正直のところよくわからない。右手には谷間越しに根名草山南西斜面の崩壊地が続いている。ホシガラスがギャーと鳴いて飛んで行った。

(なかなか急だ)


(白テープの目印)


 この辺は雷もよく発生するところなのか、立ち枯れやら倒木が多い。よくこんなところをトレランで走れるものだなとつい思うが、横断する倒木には、滑り止めなのか、切れ目が入っている。そういえば、いつの間にか、色物から白く長いテープに変わってきている。かなり頻繁なマークだが、トレラン大会のブランクもあり、踏み跡は部分的に消えていたりヤブ化しているところもあり、結局はテープ頼りになるが、落ちていたり消えている区間が延びていたりして、3人でテープを探し回るのが多くなる。尾根筋に行けばいいだけのことではあるが、どうも地形が読み取りづらいところだ。

(落ち着いてきて)


(ちょっとばかりの展望。白根山がチラリ)


 200mほど下りきる。もう少しで、念仏平避難小屋と湯沢峠の半分あたりになる。地図を見る限り、あとは緩やかなアップダウンになっている。たまに左側からバイクのエンジン音が聞こえてきて、ちょっと興ざめな気分になる。
 ちょっとした展望地。とはいっても四方ともに山が迫ってはいるが、白根山の頭が見える。そろそろ汗が出てきたが、せいぜい顔に手拭いをあてる程度のものだ。涼しい。今日あたり、尾瀬の木道を歩いていたら気持ちも良いだろう。

(?)


(さっきの所よりもこちらの方がよく見える)


 コケもさることながら、普段あまり目にしない植物が結構、目に入るようになる。樹に群生しているキノコは何だろう。そして、繊維質がそのまま固まったような大型のフン、小型動物の骨の欠片、……。みー猫さんの解説を聞いては納得する。

(倒木が続く)


(何というキノコなのか)


(カタツムリみたいだ)


(これもまた?)


(象に見えたし、角度を変えればマンモスにも見えた)


 樹の根の張り出しが出てきて、前をふさぐ倒木も多くなってくる。その都度、巻いては踏み跡とテープを見失ったりする。落ち着いたところでゆるゆると登って行く間に2018m標高点は通過していたようだ。すでに半分は終わっている。


(ここで乾杯)


 また下って登り、ようやく落ち着いたところで休憩。ここは食事を兼ねた休憩だ。お二人ともにノンアルビールをご持参だが、自分は普段持ち歩くこともないので、とくちゃんから分けていただいて乾杯! 分けて食べられる果物くらいは持ってくるつもりでいたが、途中寄ったコンビニにはバナナすらなかった。今日はいただきっぱなしになってしまった。食事をしながら、4日前のヒライデ沢の話を聞く。とくちゃんには初めての沢歩きだったようだが、子供の時から沢で遊んでいたらしく、なかなか果敢なお歩きだったようだ。そして、雪の積もるところのご出身らしく、スキーにも親しんでいたとのこと。山スキーもたまにやるらしい。
 なお、この場で、みー猫さんに、ホームセンターでノンアルブラックを置いているか調査依頼を受け、翌日に見てきたが、なかった。ネットで調べると、各社ともに扱いはやめているようで、小樽ビールの瓶330mlが唯一のようであった。

(踏み跡が不明になってしまった)


 あとは2001m標高点を経由して湯沢峠に出るだけだ。一時的に周囲の煩雑さから解放されていたので、この状態が続くものと思っていたが、ちょっと下りかけると、倒木とヤブで先が見えなくなった。みー猫さんは左側、自分は中央、とくちゃんは右寄りを巻いて続きを探すが、先を見つけたのはとくちゃんだ。だが、この先はササヤブが続いている。うっすらとなった踏み跡を追う形になった。

(2001m標高点あたり。湯沢峠は右へ)


 2001m標高点付近。ここで湯沢峠は右方向にずれるが、直進左寄り方向にも踏み跡が続いている。この踏み跡は何だろうか。いずれは丸沼と湯沢峠を結ぶ破線路に出るようになっているのか、もしくは、当初、自分が一人なら歩こうと思っていた南西に下る尾根に続く踏み跡なのだろうか。

(まただ)


(燕巣山が間近に見えているが)


(湯沢峠への踏み跡)


(根名草山と大嵐山?)


 ここから湯沢峠まで、一旦下って、少し登る形になる。周囲は胸高のササだが、踏み跡は問題なく追える。正面には間近に燕巣山を望む。あんなに近いのに、峠から2時間半はかかるようだ。相当な覚悟だろう。右手の根名草山の後ろにこんもりしたピークが見えている。あれは2304m標高点のある大嵐山だろうか。

(湯沢峠)


(標識)


 途中の展望スポットを経由して少しのヤブ漕ぎをすると湯沢峠に出た。ここに湯沢峠の標識はないが、「日光沢温泉← →丸沼」下って来た方向には「↑菅沼」を白ガムテープで×印にした手書き標識が置かれている。これからすると、さきほどの2001mの分岐、あの踏み跡を下ると菅沼に抜けられるということか。もしくは、この標識自体がトレラン用のものだとすれば、倒壊小屋から南下すれば菅沼キャンプ村に出ますよといった注意書きなのかもしれない。

(入り込んで、すごすごと戻る)


 予定では、漠然と、余力があるようなら燕巣山まで出る気がなくもなかった。みー猫さんと少し入り込んでみた。予想通りの熾烈なヤブになっていて、2~3m程度に離れて進んだみー猫さんの姿が見えない。ガサガサが聞こえるだけ。みー猫はヤブの下にかすかな踏み跡を見つけたらしいが、結局「う~ん。どうしたものか」で終わった。燕巣山まで行くには、強靭な精神力と忍耐力が必要なことだけは確かだ。この様子では、上りよりも下りで歩いた方が少しはマシかもしれない。だが、転倒の連続であることは確かだろう。

 3人で記念撮影。とくちゃんはポーズを作ったが、我々はただボサーッとしゃがんだり突っ立っているだけ。とくちゃんにたしなめられるが、ピースポーズもままならないのにポーズ作っても表情に無理が出るというもの。

(明瞭な道型があるだけでもさっきまでとは違う)


(ただ、道は荒れている)


(沢が見えてくる)


 丸沼温泉に向かって下る。破線路なりに踏み跡は明瞭だが、悪路とも言える。トラバース道なんかは意外に歩きづらい。標高差もざっと500mはあり、急なところもある。
 沢音が聞こえ、やがて右下に沢(湯沢)が見えてきた。そして、渡したパイプも見える。何かの施設か。ナメのこじんまりした流れが見えたので、堰堤を越えて沢に下りてみた。

(ナメの沢。登山靴で歩こうとしたら滑った)


(こんなのや)


(あんなのが)


(パイプ)


(これが温泉だった)


(とくちゃんが何かを発見)


(この辺で)


 気持ちがいいなぁと思いつつ、つい岸辺を上まで勝手に行ってしまった。さっき見えたパイプのところまで出た。脇に細いパイプで水が出ているが、その下は緑色のどろっとしたものが堆積している。汚い水だろうなと思いながら水に手をあてると、これは何とお湯だった。溜めれば、ちょっと熱めの温泉風呂になる。遅れてやって来た二人も驚いている。みー猫さんのおっしゃるには、おそらく、源泉としてパイプで引いたのだろうが、湯量が少なくなったので、ここは源泉としての役目を終えたのではないかと。
 そのうちに、最初はゴミに見えていた大きな袋が湯舟代わり、そして脇に丸めたホースがあることをとくちゃんが発見。どうも釣り人なりがここに来てはひとっ風呂を浴びて帰るのではと推測する。少し先から石垣を越えて踏み跡を下る。黒いパイプも目についた。

(終点も近い)


(コケの付いた小沢)


(工事用に広げたのだろう)


(名前も知らないのについ撮ってしまう)


 道が広くなり、左側にコケのきれいな小沢が見える。さっきの温泉のボーリングか、堰堤工事で車も入ったのだろう。その際の大きな石が脇に積み上げられ、これまたコケに覆われている。

(終点)


(四郎岳。ハイカーが一人下って来た)


(ハイ、お疲れさんでした)


 四郎岳を眺めながら下って行くと、丸沼温泉の駐車場が見えてきた。いやぁお疲れさんでした。9時間ほどの歩きだった。
 自分の車に身内以外の客人を乗せることは滅多にないのでつい緊張してしまい、急ブレーキ、急ハンドルの荒っぽい運転になりながら金精トンネルを抜けて駐車場に戻る。

 一人だったらやっかいなコースだったろうが、車のデポ有りでスムーズに歩くことができた。そして、とくちゃん参加で、さらに楽しい歩きにもなった。苦行の一人歩きもいいが、こういうのもたまにはいいものだ。みー猫さん、とくちゃん、ありがとうございました。そして、懲りずにまたお誘いくださいな。
 帰路、自分は沼田経由の方が近い。お二人とは逆方向になる。お疲れさんでしたと帰路に就くが、汗もほとんどかかず、温泉通りを下りながらも風呂に立ち寄ることはなかった。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

※写真の掲載にあたっては、みー猫さん写真も使わせていただいた。

引き続き、湯沢峠から燕巣山区間を歩く。

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◎2017年9月15日(金)

丸沼温泉駐車場(7:15)……湯沢峠(8:45~9:05)……2045m標高点付近(10:00)……2083m標高点付近(10:46)……燕巣山(12:33~13:00)……四郎峠(13:45)……丸沼温泉駐車場(14:59)

 3日(日)に温泉ヶ岳と湯沢峠の間の県境稜線を歩いたら、その先の湯沢峠・燕巣山区間をさっさと済ませたくなってしまった。さりとて、あっさりと歩ける区間ではなく、長時間の獰猛なヤブとの戦いになるようだ。そんなことを承知の上で、10日(日)に出向くつもりでいたが、前日にみー猫さんから大岳尾根のお誘いメールをいただき、つい迷ってしまった。結局、翌朝になってから大岳尾根歩きに加えていただくことに決めたものの、5時半バスに間に合わないようなら、湯沢峠にするつもりでもいた。
 当日、まだ夜中の3時だし、近所にガラガラ音は失礼かと、半開きにした門扉のままに車を出そうとしたら、見事に門扉に車をこすってしまった。ガリッとした低い音からしてたいしたことはあるまいと、しっかり確認をせぬままに高速に乗ったが、やけに気になり、PAに入り込み、ライトの下でよく見ると、かなり広範囲のひどいキズになっている。山歩きをする気分はすっかり失せ、先のインターで下りて家に戻ったが、終日、ブルーな気分で過ごすことになった。

 車の修理はまだ終わっていない。急な持ち込みで、代車はなかったが、息子のジムニーは使える。改めて湯沢峠と燕巣山の間の県境を歩くことにする。週末は台風の影響もあるようだしと、金曜日に決行する。

 丸沼駐車場に車を置き、では出発といったところに携帯のJアラーム。北朝鮮がミサイル発射とのこと。またかいな。車に戻ってラジオのニュースを聞いた。散々待たされ、太平洋上に落下したことを確認してから歩き出す。先月の29日に棒ノ嶺に行った時もそうだった。あの時は運転中のラジオで聞いた。破滅に向かいつつある国のやらかすことは滅茶苦茶だ。表現は不適だが、二度にわたって原爆を落とされた日本は標的にもしやすいと思われても不思議ではない。まして北鮮からの距離も近く、命中率も高いだろう。実質、自衛権しか持たない日本、果たして頼りにしているらしいアメリカが本気になってくれるのか。グアムどころか、日本は案外に手頃な攻撃対象国にしやすいのではないのか。それにしても、NHKの発する警告はお粗末だな。窓から離れろか。それも、北海道から北関東にかけての広い範囲だった。その間にミサイルは日本を飛び越えている。今回の歩きの主題でもないので、突っ込みはこの程度におこう。それにしても、三代目が企業を滅ぼすとよく言われるが、北鮮にも当てはまる例えではないのか。

(出発。燕巣山。帰路は、普通は左から下って来るものだろうが、道失いで右側から下って来ることになる)


(先日はこの沢で戯れた)


(結構、しんどい歩き)


 丸沼温泉から湯沢峠の歩き。あっさりしていそうで標高差は530mもある。結構きつい。一人歩きだから余計にそう感じる。先日は下り使用だったが、見覚えのある景色の中の登りもそれなりにつらい。早速、足にきた。太ももに痛みが走って痙攣の兆し。これがまた、太い倒木をまたぐ際に頻発する。ストックを出し、何度も休みながら登った。湯沢峠に近づき、ようやく痛みは治まったが、その先のヤブ越えがかなり気になってしまった。
 燕巣山から湯沢峠までの下り歩きを考えもしたが、どうも、それでは幾分楽そうで、満足感には浸れないような気もして、自分には、ここは登り使用にこだわってしまった。さりとて、逆の場合は丸沼温泉から燕巣山までの標高差も800mほどはある。湯沢峠起点はあくまでも気分的な問題で、体力の消耗は同じようなものだろう。

(そろそろ湯沢峠か)


(湯沢峠)


 湯沢峠まで1時間30分かかった。コースタイムは1時間40分になっていたからこんなものだろう。足の痛みどころか便意で時間をとられもした。ネットで見ると、1時間6分で歩いたというのがあった。まぁ別格だろうな。いずれにしても、先日は前半部でかなりいかれてしまったが、今日は一人歩きだし、いつもの適当に休んでは登るのパターンで、峠から燕巣山までは先人の登り使用の記録を参考に(烏ケ森の住人さんと数件のネット記事しか確認はできず、大方は下り使用か残雪期だ)3時間半から4時間とみている。それでいて、峠から燕巣山までの単純標高差は260m程度のもの。いかに激ヤブかということくらいは数字からも理解はしている。

 ひとまず湯沢峠で休憩。地図上の湯沢峠と、実際の今の湯沢峠の位置は違う。区界線の北側の最初の点部分が湯沢峠になっている。さて、ハイトスさんのおっしゃるヤブ装備が必要というのはよくはわからないが、足はスパイク地下足袋が適当だとそれにしていたが、ゲートルをどうするかで悩んだ。トレパンズボンの裾は中に入れ込み、枝葉クズの入る余地はないようだし、このままでもいいだろう。チタンだかアルミフレームの軽いメガネは外れやすいのでやめにし、締まりのきついサングラスにした。メガネベルトは持参していたが必要あるまい。以前、甲子山、旭岳を歩いた際、旭岳の南尾根でメガネをヤブにさらわれ、見つけられなかったことがあったので、注意だけはしよう。ウィンドブレーカーは着た方がいいだろうし、ストックは収納すると、先がヤブに引っかかるだろうから、このまま持ち歩きで様子見かなぁ。あとはいつもの格好だ。この程度が自分流のヤブ装備だ。軽く腹を満たし、タバコを一本吸う。

 グズグズしていないで、さっさとヤブ入りすればいいのだが、この先のウワサの熾烈なヤブを想像すると、つい尻込みもしてしまう。戻るかといった発想は出てこないが、昨日拝見した、あにねこさんが丸沼ペンション村から四郎岳を往復されていた記事に出ていた唐沢山が脳裏をかすめたりもしている(実際、地図を持ってきていた)。太平洋に落下した北朝鮮ミサイルではやめる理由にもならない。

(ヤブに入り込んでちょっとばかり歩いた後の光景。背丈超えのヤブが続いている。尾根型ははっきりとわかるが、ここまではヤブに埋もれて先が見えなかった)


 先日、ちょっとばかり下見した際、みー猫さんが入り込んだところには踏み跡らしきものが見えたとおっしゃっていた。その右に探りを入れたこちらはいきなり背竹越えのネマガリタケに身動きがとれない状態になっていた。みー猫さんの入り込んだ方を覗いてみる。背丈超えは致し方ないがヤブの密度は薄そうだ。
 コンパスをセットしていざ突入。すぐに身が没した。ササの幹が下向きになっていて容易に進めず、スパ地下でも安心しきっていると、あっさりと滑る。懸命にヤブ薄のところを選んで進んだが、どうも尾根からは左寄りに外れた歩きをしている気配がある。尾根に復帰しようともがいていると、ヤブ下にうっすらとした光明が見えた。踏み跡。これがかつての登山道なのかシカ道なのかは知らないが、遠目で見たところで、そこだけ若干の窪み状が続いているわけでもなく、ヤブに潜らないとわからない代物だ。しかし、これは一種の突破口だろうな。

(苦戦。急斜面になっている。樹があるだけでも助かる)


(右手に根名草山)


(湯沢峠方面を振り返って。下るとなるとしんどいかも)


 ストックは邪魔なので、手首に垂らしたままで、両手で左右のヤブをかき分けながら登る。そのうちに幾分の歩きのコツを覚えた。だが、最初から最後まで倒木や腐った樹がやたらと横倒しになっていて、それを越えると、また踏み跡探しといった状態が続く。がむしゃらにヤブをかきわけるよりも、道筋らしきものを追った方が何十倍も楽に決まっている。10分くらい進んだところで後ろを振り返る(10分経過とはいっても、ほとんど進んでいず、距離にしても70mくらいのものだろう)。これは、下り使用にしても簡単に湯沢峠には戻れないかもしれない。尾根は広く、すでにどこを歩いて来たのかもわからない状況になっている。この辺はGPS頼りとなってしまっても仕方がない。
 太い樹が生きているようなところの周辺は一時的にヤブも薄く、明瞭な踏み跡らしきものも残っている。だが、それを過ぎるとすぐにヤブは密になる。

(まぁ、こんな中の歩きがしばらく続く。ここに同行者の姿でも写っていればわかりやすいが、おそらく頭だけになるかも)


(たまにこんなスポットもあり、この前後には踏み跡らしいものも残ってはいる)


(一応、こんなところを左右にかき分けて登るのだが、写真ではわかりづらいが、ひっそりとした窪みが続いている)


(燕巣山)


(急な登り。左下に黄色のテープが見えている)


 次第に傾斜が増してくる。きつい。前方に燕巣山が見えるようになった。湯沢峠に出るまでの間に見た燕巣山は近いものだったが、ここからは何と遠いことか。ここで古ぼけた黄色のテープを見た。こんなヤブの中にテープがあってもなぁ。こんなところの歩きにセオリーなんかあるわけがない。

(ようやくヤブが薄くなり、右から尾根が来ているのが見えてくる。このレベルなら普通のヤブ山だ)


(2045m標高点付近。何かがあるわけでもない)


 ふんばりながら登って行くと、傾斜が緩みだし、ヤブも薄くなり、腰高程度になった。2045m標高点が近いようだ。やがて右方向から尾根が合流し、方向を西向きに変える。平坦になったとはいえ、ヤブと倒木は続いている。GPSを確認する。この辺が2045m標高点付近か。湯沢峠からの標高差はほぼ80m。55分費やした。ここで休憩したいところだが、区間としてはまだ1/4。まだまだ先が続いている。首筋にくっついた枝葉を落とし、シャツを外に出し、背中のゴミをはたいた。メガネを拭うと、サングラスに2か所ほどキズが付いていた。顔面も3回は打たれた。

(北側の風景。物見山と鬼怒沼山だろう)


(そして、こちらは燕巣山の先。奥が2099m三角点ピーク、手前が2100級ピークかと思う)


 休憩もそこそこに、次の2083mにコンパスをセットし直して歩きを続行。この2045m付近だが、下りで使う場合は要注意個所だろう。素通りしてそのまま東に下ってしまいそうだ。ここに目印らしきものはない。
 ササが低く、疎になった分、とはいっても、通常の山ではヤブ山状態だが、あちこちに踏み跡らしきものが見えるようになるが、先は続かない。実際は、これ、倒木でササが倒れただけのことで、踏み跡に見えるだけのこと。尾根型は広く、自分は、できるだけ北側を歩くようにした。その方が安心だろう。樹間から物見山と鬼怒沼山、そして、燕巣山の先のコブ状のピークが2つ見える。展望地としてはこんな視界の狭いスポットがいくつかあるだけだ。
 この辺から、ホイッスルを15分間隔くらいで鳴らすようにする。2045mまでは密なヤブだったのでクマの心配もなかったが、この先どこかに潜んでいたり、木登りしている可能性はある。針葉樹主体の尾根とはいっても安心はできない。

 この、少しはましな歩きやすさがしばらく続くことを願ったが、実際は気楽に一辺倒で歩き続けて行けるところは少なく、ヤブに隠れた倒木越えや、一時的に密度のあるヤブが頻発し、なかなかやっかいな歩きは続いている。それでも、さっきよりはましだ。
 先の小ピークを乗り越える。このあたりからシャクナゲがちらつくようになるが、歩行の妨げになることもなく、ひっそりと暮らしているといった状態だ。

(2083mへの登り。ここを正面から行ってしまい苦闘した)


(ちらりと白根山)


 2083mへの登りが始まった。また背丈超えのヤブになった。ここでまばらに立っている樹の側を歩けば良かったようだが、ここまで明瞭な踏み跡が続いてわけでもなく、強引に中央突破を図ってしまった。これは失敗。湯沢峠直後と違って傾斜は緩いながらもササはかなりの密状態で背も高い。シカ道すらなく、先にさっぱり進まない。濡れていたらかなりやっかいだったろうが、乾いていたので何とか強引に登りきる。その間、えらく果てしなく感じていた。

(ヤブが低くなると、何となく踏み跡らしきものが薄っすらと見えてくる)


(燕巣山はまだ遠い)


(こんなものが捨てられていた)


(ここでテントでも張ったのか)


 なだらかになり、またヤブは低くなった。ふと、空瓶を目にした。ニッカウイスキーの角瓶。ラベルは剥がれていて、ニッカの銘柄は蓋でわかった。ここまで、最初に見かけたテープ以外に標識も見ることはなく、初めて見かけた人工物といったところだが、ペットボトルならまだしも、こんなものを片付けがてら持ち帰るつもりはない。この先に、ちょっとしたテン場に適したササのない平地があったので、大方、ここでグループがキャンプでもしたのだろう。いつの事かは想像もつかないが。

(2083m標高点付近)


 再び低い密藪を乗り越えると、小高いピーク。おそらく、ここが2083m標高点だろう。ヤブに覆われている。この先は下りになっている。10分ほど休憩し、空腹を満たし、ようやく一服つけた。ここでやっと半分か。吹き付ける風は冷たい。ここまで来てしまったら戻れないし、戻れる自信もない。

(2083mから下る。ヤブはさほどのものではない)


(展望スポットから四郎岳)


(そして、白根山から錫ヶ岳方面)


(尾根が細くなる。どう見ても、これは踏み跡だろう)


 ホイッスルを鳴らして下る。倒木がさらにうるさくなった。ヤブは薄い。左手に展望地。下は急斜面になっているが、四郎岳もさることながら、白根山から錫ヶ岳の先まで見える。眼下には丸沼と大尻沼。ここの展望は、ずっとヤブ続きの中では一級だなぁ。
 このまま左手の展望を楽しみながら歩ければヤブ漕ぎしていても癒されるものだが、すぐに左手のカーテンは下ろされ、四方ヤブの殺風景に変わった。尾根幅は一時的に細くなり、そのせいか、この先は、かろうじて、踏み跡のようなものを拾って歩くことができる。また、この先、地図では読み取れない小ピークが3つか4つほど続く。各小ピークへの登り上げでは決まってヤブが密になる。

(ナゲさんが参戦してきた)


 いよいよ石楠花がササに混じって邪魔になってくる。さほどのものではないが、ストックの輪がひっかかり、ザックのベルトに枝がはさまったりして、余計な時間がとられてしまう。燕巣山もようやく目の前に大きくなってきた。いよいよ後半戦だ。だが、あとせいぜい130mほどの標高差でもヤブが延々と続いているらしいのを見ると、どうしてもげんなりとしてしまう。

(目についた2つ目のテープ。この辺は尾根外しで左寄りに歩いては尾根中央の右に戻ったりしている)


 2つ目のテープを目にした。1つ目から随分と間隔がある。樹に巻かれた古い黄色のテープ。燕巣山までの間に、烏ケ森さんの記録には標識板を3~4回、そして赤テープも見かけたとあったが、自分が目にしたのはこれまでの2つの黄色テープと、その先で、これまた古ぼけたオレンジテープ(かつては赤だったのか)。そして燕巣山直下の黄色テープの計4つ。標識板は気にもなっていたので、これまで頻繁に振り返って見たりもしたが、見ることはなかった。10年の歳月で落ちてしまったのか、あるいは自分がおかしな歩き方をしていたのか、ただの見落としか。標識やテープも、ここを登りで歩いている限りは必要性は感じないが、下り使用だと、かなりの安心感が出てくるだろう。
 ヤブを歩いているうちに、ここでもまた歩き方のコツを会得した。尾根を律義に登って行くと、どうしてもヤブ払いになってしまうが、すぐ下の左手南側はヤブも薄くて歩きやすい。踏み跡もまたそちらにあったりする。これを利用しながら、尾根外れ、尾根合流の繰り返しに心がけるとかなり歩きやすい。

(燕巣山が目前に。この先、右手から回り込むようになる)


(マリモのようなこれはコケか? とくちゃんのブログでも見かけたなぁ)


(そろそろ色づいてもいる)


 燕巣山が目前となった。そのせいか、左右の展望も次第に開けてきた。そろそろ直下だ。最後の休憩で一服したいが、平らなところはなく、むしろ、次第に急になってきている。これはあきらめるしかない。黙々と堪えながら登り続ける。

(次第に開けてくる。だが、高いヤブは依然として続いている)


(また改めての展望。360度とはいかない)


(北側の展望)


 ササもさることながら、今度はシラビソ主体の針葉樹が前進を妨げるようになり、かなりうっとうしい登りになってきた。それを越えると、広葉樹が出てくる。そのせいか、ヤブは幾分おとなしくなった。

(シラカバだかダケカンバが出てくる。ここは比較的に歩きやすいが、見た目以上に急だ)


(ササ斜面が広がる。これでも背丈超え。左手に逃げる)


(燕巣山はすぐそこだが山頂が見えない。フィニッシュはもがきながらの登りになった)


(振り返ると、燕巣山から湯沢峠に下ろうと思う人が先ずは目にするテープ。大方はこの先を見てはひるんですごすごと戻る)


 真上の山頂が見えなくなった。高度計を見ると、2195m。あと30mで終点だ。だが、そう簡単にはいかない。右手が背丈を隠す広いササ斜面になり、そちらには行けないなと、まだ続くまばらな樹のある左側を登ったが、それが途切れると、どうしても、ササ斜面に突っ込むしかなくなった。ここまではかろうじて薄い踏み跡を辿れたが、その先に踏み跡はない。まして、山頂直下だ。人の心理としててんでにあちこちを登るだろうし、歩く人も物好きの部類なら、ここに踏み跡を期待すること自体が無理なこと。

(燕巣山。苦労して登って来ると、三角点があるわけでもなく、ただのシケた山頂にしか見えない)


(くどいようだが、北側の展望。どうしても同じような写真になってしまう)


(そして南側。男体山がかすかに見える)


 滑りまくりでようやく山頂に飛び出した。出迎えしてくれるハイカーはいなかった。これはちょっと残念。同時に二度とこの区間は歩くまいと思った。これが率直な感想だ。付き合って欲しい、案内して欲しいと言われても絶対に断わる。それほどの強烈な印象の稜線区間だった。湯沢峠からほぼ予定通りの3時間半かかった。

 山頂にはだれもいないので、上半身裸になって、木クズをはたいた。足袋はどうなっているのかと、コハゼを外していくと、次々に挟まった葉のカスが落ちていく。中には侵入していず、ゲートル巻きはやはりするまでもなかった。ここまで汗はほとんどかかなかったのが不思議なくらいだ。
 おにぎりを食べ、水を飲み、立て続けにタバコを2本吸う。生き返った感じがするのが何ともうれしい。陽があたって暑い。ここでウィンドブレーカーを脱いでセルフ写真撮り。ついでに踏み跡をつい追ってしまい、物見山の方を見に行く。視界に広がるササヤブは低いが、この先は、別に行かずともにいいだろう。車利用だとアクセスも悪すぎる。今回の区間を下り使用にせよ繰り返すつもりはさらさらない。

(下る)


 一般道を下る。四郎岳に行く気はない。しかし、ここの燕巣山と四郎岳も好き者が歩く山だ。せいぜい、前者は栃木百名山、後者は群馬百名山と、百名山ねらいが目的で登るに過ぎないような感はある。いきなりの急下りになっていた。両山ともに9年前に丸沼温泉から登ったことがある。その時に比べて体力はかなり落ちているが、あの時も休み休みで登った。以前、記したことがあったかもしれないが、四郎岳で、これから燕巣山に登り、湯沢峠に下ると言っていたジイサンに出会った。そのジイサンを四郎岳の下りで追い越し、できれば、自分もまた湯沢峠経由に同行しようかと思いながら、燕巣山でしばらく待機していたが、待てど暮らせどなかなか登って来ない。もうあきらめて登って来た道を下ると、ようやく、ぜいぜいしながら登って来るジイサンに出会った。あの様子では、湯沢峠下りは無理だったろう。

(正面に四郎岳)


(1891m標高点付近。ここでとうとう足が攣る)


 どんどん下る。登山道の状況は決して良くはない。さりとて、さっきまでの歩きに比べたら雲泥の差だ。かくも登山道歩きは何と楽なことか。ここもまた展望がないのが残念だ。下りきり、1891m標高点へのちょっとした登りになる。ここで両足が攣ってしまった。太腿がパンパン。あの急激な下りからいきなりの登りでは仕方もあるまい。木株に腰かけ、一服しながら芍薬甘草湯を含んだ。即効性があるのかすぐに痛みは治まったが、これは薬のせいなのか、四郎峠からの下りでまたしても痛みが走ったから、これは休憩して痛みが一時的に治まっただけのことだろう。

(四郎峠。ここから左に下る)


(北側に続く踏み跡)


 四郎峠に出た。何とも目立たない道型が丸沼方面に下っていた。標識があったので、ここが四郎峠とはわかった。9年前にここに来た際、北側に続く作業道のようなものが気になっていたが、まだ明瞭に残っている。これを使うと、ただ大薙沢に出る道というだけのものなのだろうか。相変わらず気になった。ネットで調べても、これを歩いた記録は見かけなかった。

(ササをかぶった登山道。燕巣山、四郎岳いずれに行くにしても、ここから菅沼の区間が人通りが一番多いはずだが)


(こんなヤブトンネルもある)


 クネクネした、条件の悪い道になった。ところどころでササに隠れたりしている。左右からササが突き出している。四郎峠までの下り道の方がまだ質が良かった。ヤブ漕ぎを延々とやった後には、しっかりした登山道を歩いて下りたいと思うのが人情だろうが、今日の歩きの条件では、この程度のササヤブを見ただけでもううんざりとしてしまう。まして、倒木でその先のテープを探したり、石ゴロで足裏が痛くなったりしてきた。

(小沢に出る)


(標識。4か所くらいで見かけた)


(四郎沢で一服)


 小沢に出た。沢沿いに道が続いている。この沢をテープに合わせて渉ったり戻ったりしたが、そのうちに両側が沢の間の小尾根を下り、左の四郎沢に出た。あとは四郎沢沿いに下るようだが、この四郎沢、ショボい沢のようでいてナメが続いているようだ。上部はどうなっているのか。見ごたえのある滝でもあるのだろうか。確か、コース外れの上流に6m滝だったかがあったと瀑泉さん記事で見た記憶がある。ここで10分ほど休憩するが、地下足袋の布はすでにさっきの沢で水を吸いこんでしまっている。
 沢を渉っている間に次第に道が不明になり、頼りはテープだけになった。倒木の先下に穴のようにヤブの中に続く道があったりする。

(堰堤を越えるオッチャンが見えた)


 スズというよりも、バケツを叩いているような音が聞こえてきた。何だろうか。先に堰堤が見え、その堰堤を乗り越えるオッチャン3人組が目に入った。あの人たちの音だったのか。堰堤でご挨拶。向こうはキョトンとしている。そりゃそうだろう。四郎岳、燕巣山の両方を登ったとしたら、当然、行き会うはずだ。ペンション村から登って来たのかと聞かれた。湯沢峠から登って来ましたよと言うと、大変だったねと言われたが、少しは状況をおわかりの気配。追い越しながらも、バケツを叩くような音は聞こえていたが、別にバケツを持って歩いている様子はなく、あれはいったい何だったのだろうか。あれ欲しいなと思った。

(堰堤を渡ったりもする)


(ここまでは問題なく歩いて来たが)


(道を見失って、こんなところを歩いてしまった。コース外れのハイカーも多いようで、踏み跡はあちこちにあった)


(丸沼温泉駐車場に無事に帰還)


 いくつか堰堤を越えたり、その上を歩いていると、道を失ってしまった。とうとうヤブ歩きになってしまった。沢沿いに歩いているから問題はなく、駐車場も遠くかすかに見えている。道探しはヤメにしてそのまま駐車場に向かうと湯沢峠に向かうゲートの脇に出た。

 何とも気分的に長い歩きだった。湯沢峠と燕巣山の区間、懲り懲りしたといった感じでもう歩くつもりもないが、温泉ヶ岳と湯沢峠の間の周辺はもう一度歩いてもいいかなと思ったりもしている。あの程度の適度なヤブの方がむしろ自分にはふさわしいようだ。ただ、同じコースで歩くのではなく、ちょっと逸脱した歩きをしてみたい。菅沼の半島部にある「八角堂」というのがどんなところなのか、どんな施設なのか、どうも気になって仕方がないのだ。それでいて道があるようにも思えない。
 幸いにも天気に恵まれ、今回はうまく歩けたが、雨が降り出したり、朝露でササが濡れていたら、かなりの泣きが入ったのではないかと思う。その点は満足な歩きができたが、当初期待した満足感に浸れるといったほどのものはなく、登り切った時にはしばらく呆けた気分になっていたし、特別な感動も覚えることはなかった。

 汗もほとんどかかなかったので、前回同様に風呂にも寄らずに帰宅したが、帰ってから風呂に入ると、両足に大小合わせて35か所ほどの打ち身の痕があった。どこかで激打して痛い思いでうずくまったということはなかったのだが、知らない間に倒木に打ち付けていたのだろう。そして翌日、目が覚めるとすんなりと起き上がれない。全身が痛かった。久しぶりに歩いた時でさえ、こんなことは久しくなかったことだったのだが。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

井戸沢から流石山、そして三斗小屋温泉経由で周回。那須の紅葉はちょっと早かったか。しかし、今回はえらく長い歩きだった。

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◎2017年9月24日(日)─みー猫さんとくちゃん

沼原池駐車場(5:55)……湿原分岐(7:16)……三斗小屋宿跡(7:47)……井戸沢入渓(8:16)……稜線(12:46)……流石山(13:01~13:30)……大峠(14:02)……三斗小屋温泉(15:41)……牛ヶ首分岐(16:46)……日の出平登山口(17:40)……沼原分岐(17:53)……駐車場(18:09)
※表示時刻はそれぞれの到着時刻。

 先日、井戸沢に行かれたみー猫さんの記事を拝見したが、足尾の井戸沢ならともかく、那須の井戸沢とはどこにある沢なのか。地理院地図を見ても沢の名前は記入されてもいないのでわからない。記事のGPS軌跡でかろうじて井戸沢を特定できたのだが、自分には地理的にもレベル的にも縁のない沢だと思っていた。
 そもそも井戸沢は、とくちゃんが沢歩きを始めたら、先ずは行きたいと思っていた沢だったようで、一人で行こうとしたが、諸事情で失敗。その後、みー猫さんが行ってしまったいわく付きの沢。おかんむり状態らしいとくちゃんのダム記事にコメントを入れ、「来年」行くようなら、自分も連れてってくれと記したものだが、三人でメールのやり取りをしているうちに(もっとも、最初は他人事の話題で無言のままに見ていたが)、これまた自分の余計な一言「沢なら紅葉でしょう」とつい記してしまい、はずみで24日に行くことになってしまった。みー猫さんには先日行かれたばかりだ。さぞ重荷の沢歩きになるのではないのか。まして道連れは、とくちゃんには失礼だが、素人に毛が生えたレベルの二人だ。

 その後、みー猫さんから簡易ハーネスを我々の分も用意すると連絡が入った。やはり、そんなところを登るのかいなとおののいたが、実はこちら、スワミベルトではいずれ物足りなくなるかもしれないなと、安いクライミング用のハーネスなんぞをアマゾンで買ったはいいが、一年以上前に届いて以来、開封すらしておらず、ここで初めて腰に巻いてみたが、イラストを見てもどうもうまくフィットせずというか、セッティングの仕方がまったくわかっていないのか、何度やってもまさかなぁの繰り返し。結局はスワミベルトを持参する始末で、それとて今回は使うこともなかった。というよりも、土壇場で腰に回しはしたが、ベルトがうまく締まらず(バックルへの通し方を失念していた)、ベルト本体を手で巻いて縛り上げたが、これではやはりヤバいのではないのかと、結局、こんな邪魔な物はいらないと、ややこしく絡んだベルトを解いて外してしまったという情けない話。
 まぁ、今後とも、ヘルメットならともかく、腰に巻いたハーネスにガチャ類を垂らしながらの岩登りや沢歩きには縁がないだろう。そもそも、一人歩きでロープを持って岩場でも登り、自己確保とやらで、どうやって後続者以外の我が身を守るのか不思議でならないのだ。急斜面を樹の幹にでもロープを据えて下るのなら別だが、見た目で四つん這いと立木と太い枝頼りで登れないような危ういところの登りは最初から避ける。これからもハーネスやら登攀用具の類いは使い勝手のわからないままでいたいもの。改めて教わったところで、使いもしなけりゃすぐに忘れもする。長い余計な話だった。

 宇都宮の某所で4時半の待ち合わせ。こちら2時半に起きて3時に出て行ったから、ほとんど寝ていない。お二人ともに早いお着きで、ここで車を2台にするのもムダだと、自分の車1台に乗り換える。沼原湿原駐車場には5時45分に到着。ここの駐車場、何となく記憶にあった。7年前の10月に、紅葉目的でここから白笹山に登って周回したことがある。他に車は2台ほどあったろうか。続いて2台入って来た。沢に向かう感じのハイカーはいない。

 地下タビにするか登山靴にするかで迷った。一旦、タビを履いたものの、周囲のササを見ると濡れている。みー猫さんによると、軽いヤブ漕ぎもあるそうで、登山靴に履き替える。結果としては、ササ露どころか泥濘が多く、いずれにしもタビではすぐに水が染み込んでしまったろう。

(前置きが長くてようやく出発)


(正面に西ボッチ)


(流石山の稜線。あそまで行く)


 沼原湿原方面に向かう。標識には深山ダムも記されているが、そちらは、みー猫さんが前回の起点としたところだ。湿原の木道を歩きながら、7月に行った八幡平を思い出した。左手には西ボッチなる山が見えている。ヤブ山らしいが、群馬からわざわざやって来て、これだけを登るに値する山なのか。正面にはこれから向かう流石山の稜線。みー猫さんの解説が加わる。なるほどふむふむ。右手は白笹山だろうな。とくちゃんはあまり花のことは知らないと言いつつも、小さな花を見つけては撮影する。こちらは西ボッチが気になってしょうがない。
 園地の周囲道から三斗小屋宿の標識方面へ。深山ダムの表記は消えたがこのままで行けるのか。木道から離れると道の状態は悪くなる。水が流れたり、ぬかるんでいたりする。そして石も多い。地下タビを避けて正解だった。

(散乱したトチの実の殻)


(これを見て、上の紅葉を期待した)


 真ん中で割られたトチの実の殻が散乱している。中の実はくり抜かれている。クマかなと思ったりもしたが、トチの実はクマに限らず、サルやらリスも食べるらしい。見上げると、薄い青空をバックに紅葉の色づきがチラリと見える。今日の歩き、紅葉もまた少しは期待に入れている。
 ここは麦飯坂と呼ぶようだ。嫌らしい感じの下り坂がずっと続く。川までは駐車場から300mほど下るようで、ここを登るのは嫌な気分だろうな。

(ちょっとやばそうな丸太橋)


(沢を渉る)


 沢にかかった腐りかけた丸太を並べた渡しを恐々と渡り、また沢を渉ると右手に作業小屋のような物が見えた。覗いてみたいが立入禁止になっている。そして、川に出た。川幅は5~6m程度のものだが、雨上がりのせいか、水流が強く、深みもある。これが湯川だろう。

(これでは向こう岸に渡れない)


 渡しの橋は取り払われていた。後で、ネットで調べると、写真には大石に渡された3基の橋を使って対岸に歩けるようになっているようで、この時点では流されたのかと思ったが、3基ともにあらぬ方向を向いたり、立てかけられていたりで、これでは渡れない。深い急流の上を重荷を背負ってのジャンプには無理がある。
 さてどうしようと、上流に行って、渡渉できそうなところがないか探しても、そんな手頃なところは見あたらずに戻ると、何やら、みー猫さんととくちゃんとで渡しの橋を持ち上げている。こりゃ無理だななんて言っているから、自分も持ち上げてみたがビクともしない。
 これでは戻るしかないなと、頭の中では代替えの西ボッチが浮かんだりしたが、麦飯坂を登り返すのは苦痛の一言。みー猫さんが決断。渉りましょう。渉るって言ったって、急流で腰近くまでの水量があるのに、何とも無謀じゃないのかと思ったりしたのだが…。

(結局、こういうことになった)


 沢靴に履き替える。みー猫さん先頭。ロープを持って、ストックを突きながら流れを横切る。続いてとくちゃん。これまたロープをつかんでストックを使いながら慎重に。最後は自分だが、ロープを回収して渉る。ストックは出さなかったが、ふらつくこともなかった。水は早々に腰下まで浸かった。後でみー猫さんから聞いたことだが、トロ、淵、淀みだったかとカーブがどうのこうのの状態のところが渡りやすいとかおっしゃっていたが、これまでそんな思考を廻らせて流れの急な沢を渉ることはなかったし、みー猫さんの解説をこうしてすでに忘れているくらいだから、まったく頭に残ってもいないということで、ただ必死に渉っただけのこと。ここで20分近くのタイムロス。

 みー猫さんがいなかったら、川を渉ることはなく、指をくわえて対岸を眺めていただろう。とくちゃんの井戸沢遡行の願いをぜひとも叶えてあげたいというみー猫さんの慮っての行動だったのは疑うまでもない。自分なら今回はあきらめてもらうけどね。
 ちなみに、『山と高原地図』には、「増水時、橋が流出する場合あり」と記されているが、どうも何かがあって、大人5人がかりで外したと思えなくもなかった。しかし、沢経験のないハイカーが、周回してここで足止めにでもなったらどうやって沼原に戻るのだろうか。深山ダム経由ではかなり厳しい歩きになる。

(これ道標?)


(林道歩き)


 林道に出た。ここには標識と、寛政年間の道標のような石碑が置かれている。何なのかは字が読めないので不明。ここで二人は沢靴のままでは歩きづらいと登山靴に履き替えたが、自分の今日の沢靴は一昔前のモンベルサワーシューズなるもので、足首の締めが窮屈過ぎて、着脱が力づくにもなって時間がかかるし、ヘタして無理な姿勢で履き替えると足が攣りかねない。中はジャボジャボで不快だが、このままで歩くことにする。

(早速の石仏)


(こんなのも)


(馬頭観音碑)


(石灯篭の後ろに三斗小屋宿跡)


(ここにも)


(鳥居)


(しつこいか)


 林道を歩いて行くと、左手に墓地が見えてきた。そして石仏。実は、以前からこれを見たかった。かつてここに宿場が置かれていたらしい。年代を見ると、寛保、元文、文化、宝暦、文久、文政と並び、明治の馬頭観音。墓碑は目にしたもので明治が新しい感じがしたが、それまでは集落もあったのだろう。古くもない墓もあるから、いまだに墓守をしている家があるのかもしれない。先に行くと、三斗小屋宿跡があり、石灯籠が置かれ、奥に小さな石祠を供えた白湯山神社の鳥居があった。後で調べると、この辺には白湯山(高湯山)信仰というのがあるようで、白湯山は茶臼岳の西斜面にある温泉の噴き出る霊場らしい。修験道の一種だろう。

(この辺から沢に下りる)


 林道のどん詰まりには車が5台。大方、三斗小屋温泉の関係者の車かと思うが、他県ナンバーの車もあり、これは、バイトの従業員の方のだろうか。
 沢に下って行く。途中に倒れた馬頭観音碑。そして立ったもう一基。旧道だった証だ。

(沢は石でゴロゴロ)


 水気のない石ゴロの沢に出た。ここで二人とも沢靴に履き替えるのかなと思ったら、15m滝までそのまま登山靴で行くとのこと。ヘルメットだけはかぶる。左岸側に赤ペンキが見えたが、標識は見あたらない。あれを行くと、三斗小屋温泉に向かい、大峠を越えて会津に至るということか。それが古道の延長なのかは知らない。この辺り、戊辰戦争の舞台にもなったところのようだが、明治維新前後のことは自分にはたいした知識もない。

(水が出てくる)


(堰堤)


(堰堤に上がる)


(ここは結構な難所だったが、さっきの川渉りに比べたらたいしたことはない)


 次第に水流が出てくる。実はここでちょっとした失態。石につまずき、バランスを立て直そうと手をついたら、見事に右手の親指を突き指。この突き指の痛みがこの先もずっと続き、翌日には付け根が腫れあがっていた。
 倒木が少し出てくると、先に堰堤が見えてきた。丸太を積み重ねた堰堤だ。実際は中はコンクリートで固められているが、むき出しの感じがないから、自然に溶け込んだ感じに見える。ここは左手の丸太積みが階段状になっていて、ロープも垂れている。木が滑り、とくちゃん、登るのにちょっと手間取る。
 堰堤上を左岸側に渡り、脆そうなところを河原に下りるという手はずになるが、このまま堰堤から飛び降りたら胸高の水位はある。堰堤からの下りは嫌らしく、ビーバーの巣のように細い枝が堆積していて、果たして足場になるのか心もとなく、慎重に足を乗せるとズブッといくこともなく何とか河原に着地した。この先に堰堤はもうないらしい。こうなると、先が楽しみになってくる。

 ゴーロは続くが、次第に沢幅は狭くなり、水量も増えていく。流れも速く、自分には初めての沢なので何とも言えないが、水量は多いような気がする。それにしても雰囲気の良い沢だ。この先も邪魔になるような倒木もさほど見かけなかったし、どこにでもある危うげなCS滝もなかった。とくちゃんはここで沢靴に履き替える。自分はずっと沢靴だったし、ここまでにしても、意識的に水の中を歩いてきた。ひんやりとしてはいるが心地よい水温だ。

(最初の小滝)


(F1。3m以上ありそうだが)


 ちょっとした小滝。とくちゃんはヒライデ沢以来2回目の沢にしては軽快に越えて登って行く。すぐに、瀑泉さんの記録に従えば3mのF1(以下、瀑泉さん数値使用)。表現は知らないが、幅広の二段スダレ状。ここは右から行きたかったが、水が深そうだったので左から巻いたのだったか。どんどん先を行くみー猫さんの姿はすでに見えない。

(15m滝)


(素手で行けないか偵察に行くとくちゃん)


(ついでに自分も行ってみる。その間、みー猫さんはロープ作り)


 続いて本日の核心となるF2。15m滝と呼ばれているようだが、瀑泉さんの見立ては10m。みー猫さんはすでに沢靴に履き替え、ロープ作りをしている。先日よりも水が多いとおっしゃっている。ここをセオリーの右脇から登るにせよ、残置シュリンゲだかロープが上にあるにせよ、あっさりとは越えられそうにはない。
 とくちゃんはちょっと上の様子を見に行き、ロープなしでも行けんじゃないのと言ったら、みー猫さんにダメだと叱られている。そして、渋々とみー猫さんが拵えた簡易ハーネスを身体に巻き付ける。こちら、その間、冒頭にも記したが、スワミベルトをウソ巻きしてしまい、解くのにイラつきながら、結局は放棄。とくちゃんに、そのジャラジャラ音は何と聞かれたが、恥ずかしくて適当に言葉を濁す。

(待機状態が続く)


 ロープをとくちゃんの代替ハーネスに結わえ、颯爽と登って行ったみー猫さんだったが、何だか上で手こずっている。そのうちに、ロープとは別物の白い帯状の布が下りてきた。専門家のやることは理解に苦しむ。とくちゃんの後ろで中段まで登ったはいいが、みー猫さん作業中につき、とくちゃん待機状態で先に進まない。こちらもただロープを握ってじっと突っ立っている。

(お疲れさん状態。安堵なのか…)


 次第に面倒くせえなと思うようになり、ふと右を見ると、踏み跡のようなものがあった。これで巻けんじゃないのかと、一人、無言でその場を離れる。巻き道のようだが、明瞭なものではない。まばらなネマガリタケの幹が下向きになっていて滑るし、土もまた脆い。頼りの樹の間隔も離れていて、乗り移りながらの登りが簡単にできない。何とかこらえながらズルズルさせて上に出る。泥んこになった。4mほど下でみー猫さんがまだ作業中だったが、すぐにとくちゃんが越えて来た。泥んこになったと言いながらペタリと腰を下ろしたから、かなり応えたらしい。みー猫さんの手こずりは、何でも、自己確保しようとしてそれがなかなかできず、ロープもまた、自分がさっさと逃げてしまったから、回収がスムーズにいかなかったようだ。抜け駆け、大変失礼いたしました。

(ナメの滝になっていく)


 ヤブの中を下って滝の頭に出る。この辺からナメ状になり、傾斜も増してくる。ここで小休止し、みー猫さんはロープを束ね、とくちゃんはハーネスを外す。
 15m滝を越えると、あとはロープは不要とのことでえらく気が楽になり、最早お遊び気分になっている。沢水を飲んでいると、とくちゃんに驚かれた。いつもやってるよと言うと、少しはとくちゃんも飲んだらしいが、甘露の気分はしなかったようだ。

(困難でもない滝が続く)


(気持ちが良い)


(瀑泉さん記事の8m二段)


(ここから移りたかったがどうも滑りそう)


 小滝を越えて行くと、8m二段滝。ここは正面から水をかぶって行きたいところだが、自分には無理。せめて左際から登りたい。とは思っても、いざ近づくと岩がテカテカしてさも滑りそう。結局は左のヤブに逃げる。上に出て見下ろすと、滝壺はおろか途中も見えていない。やはり、傾斜は半端ではない。見上げると通過に簡単そうで、上からは下が見えない滝が続く。この先も何度かヤブの巻きが加わる。ナメの滝は何とも気持ちが良い。

(かなり経験を積んだかのようなスタイルだ)


 水をかぶり、騒ぎながら進んで行く。ふと、下を見ると、二人連れが登ってくる姿が小さくちらりと見えた。みー猫さんの記事を見て、やって来たんじゃないのと言うと、カップル系のコメンテーターは知らぬらしい。アルプス歩きで忙しいハイトスさんご夫婦が登って来ることはあり得ない。

(12m階段状)


(ここも楽そうに見えるが滑ると恐い)


 12mの階段状滝が見えてきた。瀑泉さん記事には、この沢の主瀑とある。ここもせめて水際を行きたいが、安全を期して左のヤブから上に出る。標高が上がるに連れ、南側の展望が開けてくるが、まだ見えるのは白笹山がメインだ。

(まだまだ続く)


(こんなのや)


(こんなのも)


 滝は依然として続く。まだ飽きずにいる。5m滝は水流の間を登りはしたが、それなりのシャワーをかぶる。降りかかる水滴の粒は大きい。すでに下半身はずぶ濡れで、両ポケットに入れた手拭いもたっぷりと濡れている。これもまたポケット入れのカメラのレンズはどうしても濡れるので、かろうじて上シャツの乾いたところで拭って撮るしかなくなる。そのうちに、シャツもまた汗を含み、レンズは絞った手拭いで拭くしかなくなった。ここでまた小休止。二人連れはまだ追いついてこない。

(稜線が近づいてきた)


(何やらやっている方がいる)


 前方に稜線が近づいてくる。あれは流石山の西側ピークか。左手前には岩峰。沢がどんどん狭くなっていくなぁと、ふと目を戻すと、とくちゃんがフィギュア撮影。何だか知らないが、髪の毛がギザギザに立ったキャラクターのようだ。見るのが2回目ともなると自然に慣れる。初めての人なら不思議がる。
 この先、ちょっとのところで二人連れに先行していただく。お二人ともにガチャガチャやりながら歩いている。10個以上もありそうな金具類、全部使うのだろうか。少なくとも、自分は15m滝を巻いたために、一個たりともお世話にはなっていず、スワミベルトに垂らしたエイト環とカラビナを一回、陽にさらしただけだ。

(節理状になってくる)


(見下ろすと、意外に厳しく見える)


 節理状の岩になってくる。水も少なくなってきた感じだが、まだ水をかぶる楽しみは続いている。見下ろす沢筋は結構急だ。尾根歩きなら辟易とするところだが、沢は目先しか見ないで済むし、知らぬ間に標高差も稼いでいる。ところで、肝心な紅葉は?となると、沢筋に関してはほとんど色づきがなく、ちらりと半分赤い葉を見かける程度のもの。みー猫さんがいらした時はさして天気も良くなかったらしく、その時に比べると今日の展望は格段の差らしい。

(振り返ると白笹山)


(水流が次第に細くなる)


 まだまだ楽しめるなと思っていたが、二股を過ぎると、水はかなり少なくなり、沢幅も狭くなってきて、凡な沢風景になりつつあるが、1420mを過ぎたあたりから、ぼちぼちと葉の色づきも目にするようになり、振り返れば、沼ッ原調整池も見え出し、むしろ、じわじわと広がる展望が楽しみになってくる。同時に、撮影タイムも加わったりと、歩みも次第に遅くなり、追い越された二人連れはすでに前方の視界からは消えた。

(トイ状の滝)


(まだ早かったかなぁ)


 両サイドにヤブがせり出すようになり、トイ状の細い滝越えると、石ゴロ地帯になってきた。水もか細くなり、それでも水流は続き、やがて、深山ダムと茶臼岳の一角が見えるようになる。調整池と深山ダムの間にあるピーク、西ボッチが意外な存在感だ。調整池を眺めると、あそこから下りきってここまで随分と歩いたものだなと感慨深くもなる。しかし、楽しみながら夢中になって登っているからか、見下ろす沢筋はかなりの急斜面で、よくも登って来たものだと改めて思ってしまう。これは、別にこの井戸沢に限らない話ではあるが。

(そろそろ終盤かも)


(沼原調整池と深山ダムが見える)


 みー猫さんのおっしゃるように、何となく白毛門沢の遡行を思い出してしまった。ただ、あの沢の山頂直下は岩登りのようなものだったが、ここはそれがないだけましとも言える。
 標高1690mあたりで、水流は一旦消えた。みー猫さんの提案で、ここで休憩とし、登山靴に履き替えることにした。相変わらず履き替えに手間どる。これが嫌だったから、この沢靴、実は4年前にみー猫さんと天女滝、錫ヶ岳に行って以来、履いたことはなかった。しかし、今日は突き指の痛みもあり、脱ぐのにかなり時間がかかってしまった。ついでにヘルメットも外し、ストックを出す。だが、ストックの固定がバカになって空回り。みー猫さんに直してもらう。

(水が消える)


(茶臼岳)


(稜線も目前だ)


 今日は青空だ。これなら紅葉も映えるだろうなと思ってやって来たが、標高が上がって、幾分見られるようにはなったものの、今一つなのが残念だ。さてと、歩き再開。すぐに茶臼岳の全容が見えてきた。こちらに向いている北西斜面は幾分赤くなってはいるか。だが、最盛期までには程遠い。上がるに連れ、茶臼岳の西側の凹凸の連山も顔を出す。
 消えかけた水がまた復活し、またすぐに消え、あとは石ゴロの歩きになった。ここを一番歩きたかったとくちゃんに先頭を譲るみー猫さん。やがてササヤブに突入。ササの窪みで進行方向はわかる。

(稜線に到着済みのお二人さん)


 いつものように遅れがちになった自分が見上げると、二人が稜線に出たのか、こちらに手を振っている。こちらもよっこらしょっと稜線に出た。自分で果たして行けるかなと思っていた井戸沢だけに、何ともうれしい気分だ。ここだったか、この先の流石山でだったか忘れたが、とくちゃんがうれし涙を流していた。意外に繊細な方なんだなと思った次第。

(流石山に向かう)


(振り返る。北側斜面の紅葉が早いようだ)


(どうもくすんでしまう)


(間近に撮るとそうでもないが)


 稜線に出ると、これまでなかった暑さを感じるようになった。微風だ。7年前の9月、紅葉前に三倉山まで歩いたことがあるが、この稜線区間を歩いた時はガスで展望はさっぱりだった。今日の眺望はなかなかのものだ。先のピークで休みましょうという話になったが、結局、井戸沢で追い抜かれた二人連れが休んでいたりと、流石山まで行って休憩する。その間、ちょっと早めの紅葉見物を楽しんだ。この界隈の紅葉、現時点できれいな紅葉は北向き斜面。全山の紅葉はやはりまだ先のようだ。
 どうでもいいことだが、早々にみー猫さんから当日の写真を送っていただいたところ、ことにこの稜線上から見る紅葉、自分のはどうもくすんで見えてしまう。みー猫さんのは、同じシーンを撮ってもきれいな紅葉になっている。どうしてもがっかりせざるをえなくなる。

(流石山山頂)


(山頂から)


(山頂から)


 流石山で大休止。やはり稜線伝いはハイカーも多い。こちらはマイナールートではあるが、何人かと行き交う。単独さんもいれば、二人、三人組もいる。燕山荘のTシャツを着たオッサンにとくちゃんが声をかける。私も同じの持っているよって。山小屋Tシャツの収集か。そういう趣味もあるんだろうな。
 話は前後して恒例の乾杯。前回はとくちゃんからのおすそ分けだったが、今日はノンアルの缶チューを持参した。つまみはとくちゃん提供の生ハム。一人歩きだったらノンアルすら持ってこない。ごちそうさまでした。

 しばらく休憩して下山となるが、みー猫さんが時間を気にしている。そりゃそうだろう。先日の井戸沢をみー猫さんは2時間40分で登り詰め、片や今回は4時間30分もかけている。みー猫さんとしては気になって当たり前。ただ、自分にはこの4時間半も手頃な沢歩きタイムと思っていたし、急いだところで4時間を切るのは無理だろう。とくちゃんが自分のためにと気にしていたが、そんなことはない。休憩の度にゆっくりとタバコをふかしている自分もまた足を引っぱっている。
 今1時だ。三斗小屋温泉を経由してのコースタイムは4時間20分。休憩を入れて、帰還は早くて5時半といったところだろう。日没ギリギリタイムだ。みー猫さんから嫌な話を聞いた。下り一方かと思ったら、三斗小屋温泉前後に200m、100m登りがあるらしい。こりゃ、どうも自分が足を引っぱりそうだわ。
 余談だが、前回のみー猫さん記事にコメントを入れられたきりんこさんの定番コースは、井戸沢から流石山に出、さらに三本槍、峰の茶屋、姥ヶ平を経由して沼原に出るというのだから恐れ入る。

 これから先の帰路は登山道有りのコース歩きだ。余計なことを記してもしょうがないので、ダラダラ記述は避けて端折って記すことにする。そもそも、ここからはずっと斜面のトラバース歩きが続く。紅葉でも楽しめれば別だが、せいぜい焼けて茶色になった葉に穴があいているようなのを見かけるだけで、自分には、アップダウンの繰り返しに音を上げる苦痛の歩きでしかなかった。

(下る)


(あと一週間から10日くらいかなぁ)


(下りきって大峠となる)


 どんどん下る。ここもまた北側斜面の紅葉だ。振り返っては写真を撮り、下りとはいっても、快適には足も進まない。ところがその撮った写真は相変わらず暗い。コンデジなりの露出の調整もあるのだろうが、あちこちいじって撮るのもまた面倒なもの。右先の山腹に三斗小屋温泉が遠目で見える。あそこまで歩いて、さらにその先まで行くのかと、どうも他人事のように思えてならない。

(大峠の地蔵さん)


 米粒に見えていた標識がようやく大きくなって大峠着。下りだったからよかったが、ここの登りはしたくないねぇ。ここにはお地蔵さんが数体置かれている。二体並んでいる方の地蔵さんの帽子とマフラーだか首巻は、昨年、とくちゃんが作って寄贈したものらしい。器用な方だ。ここでちょっと不思議なというか、自分には縁遠いとくちゃんの行動を見てしまった。手を合わすこと。これは、三斗小屋宿跡の石仏や鳥居でも見た光景だったが、その時はあまり気にも留めなかった。ここでつい気にしてしまった。瀑泉さんもこういった石仏やら石祠には手を合わすようだが、どうも自分には…といったところがある。

(三斗小屋温泉に向かう)


(沢を渉って)


 これまでの延長で、先ずは三斗小屋温泉を目標にしつつ、刈り払いされた道を下る。ジメジメして石もゴロゴロした陰気な道だ。青空もそろそろ少なくなり、どんよりしてきたこともあってか、気分的にも次第に滅入ってくる。
 沢を渉る。これは、瀑泉さんが下りで使われた峠沢だろうか。事前の自分の頭の中では、この峠沢と、先の中ノ沢を下って三斗小屋宿跡に出るルートも想定したりはしていたが(この時点では瀑泉さん記事は確認していない)、そうなると、橋が流された湯川を渉り、ダラダラした麦飯坂を登り上げなくてはならなくなる。登山道を歩いた方が無難だろうということになる。

 もう一つ沢(中ノ沢?)を越えると三斗小屋宿分岐の標識が現れた。このルート、先日のみー猫さんが峠沢に沿って下られたところらしいが、地理院地図はおろか、昭文社地図にも載っていないルートで、そこそこのヤブ道らしい。

(また沢を渉る)


 また沢(赤岩沢?)を通過。そろそろ嫌な登りにかかる。ほぼ200mの標高差。だらだらとした登りになった。しかし何とも不思議だ。みー猫さんならいざ知らず、とくちゃんはみー猫さんの後ろにしっかりと付いて歩いている。今回は、みー猫さんに何度かトップを依頼されたりもしたが、その都度に断わっている。ことに後半は身体も重くなっていて、ラストでずっと二人を追い続ける方が楽に決まっている。それにしても、次第に二人について行くのがようやくといった歩きになってきている。まして、こう疲れてくると、身体がニコチンを要求もしてくる。何ともつらい。

(三斗小屋温泉の水場で)


(こちらは煙草屋)


(ちょっと失礼)


 三斗小屋温泉に到着。流れる水をいただく。冷たかったら最高だが、さほどに冷たくはない。今日の宿泊客は少ないのか、それともいないのか、ぶらぶらしている方を見かけただけ。テン場にはテントが4張。睡眠中の方が見えている。

(陽があたっていればどうなんだろうか)


(「沼原40KM」に見えるが、よく見ると4.0KM)


(橋を渡る)


 しばらく平坦なところの歩きになり、下り気味になって橋を渡る。またじわりと登りになった。130mの登り。とくちゃんが先頭になってサクサクと行く。

(牛ヶ首分岐)


 牛ヶ首分岐。標識には「姥ケ平下」とあり、沼原3.1kmとなっている。この辺からは歩いたことがあるはずだ。すでに時刻は4時45分。ここから少なくとも1時間はかかるか。ちょっと休憩し、ようやく一服。みー猫さんが、ここに荷物を置いて、上に偵察に行って来たいと言い出す。別にそれは構わないが、その場合、私は荷物番をしていますよ。結局、時間的なこともあって、この話はナシになる。ただ、この夕暮れ時、一人でここにじっとしいたら、何だか心細くなるような気がする。

(流石山方面)


 ようやく下り一辺倒になる。垣間見る流石山方面は、ガスがかなり下まで来ている。この辺、北西に面していて、紅葉になっているが、この時間だ。陽があたっていないと、どのくらいの紅葉なのか見当もつかない。
 道が荒れてきて、ロープが添えられているところも出てくる。同時に周囲の風景も変わってきた。傾斜が緩くなった分、周囲が開けて見えるといった感じか。これまでは左右がササやヤブで覆われ、視界も狭いものだった。

(大分暗くなってきた)


(点灯)


 茶臼岳分岐を通過。昭文社マップには「日の出平登山口」と記されている。そろそろ日没になりかけている。5時45分、ヘッデンを取り出す。使うこともなく、ザックの中にだけは入れているが、そのためか、電池が弱くなっていて、自分のライトはどうも薄暗い。
 ヘッデンを点けて歩き出すと、急に暗くなった。タイミングが良かったようだ、みー猫さんが先頭になり、ストックを叩き、ホイッスルを鳴らしながら下る。とくちゃん、クマは夜行性であることをご存知なかったようだ。

(駐車場に到着。街灯がなかったら真っ暗だろう)


 湿原と駐車場の分岐。あと1kmだ。暗いから遠望が効かず、その1kmが何とも長い。
 6時を回ってようやく駐車場に到着。本当にお疲れさまでしたといった気分だ。歩きタイムは12時間を優に超えている。

 今日は、一週間前なら思ってもみなかった井戸沢に行って周回することになった。北斜面だけの紅葉にはちょっと心残りもあるが、まぁ楽しい一日だった。一人だったら、まずは歩くことのないコースだろう。お二人には改めて感謝する次第。しかし、帰路が何とも長く感じたことか。
 日曜日のこんな時間だ。明日はお二人ともに仕事だろう。こちらは明日も日曜日だから気にすることもないが、ここで余韻に浸っているわけにもいかず、ザックの積み込みとトイレ、靴の履き替えが終わると、さっさと駐車場を後にして宇都宮に向かう。みー猫さんは、自分がタバコを吸っている間に早々に着替えも済ませていた。何とも行動が早い方だ。
 那須の町を抜けてインターに向かう。昼の間は、町も賑わってもいたろうが、日曜日の夜ともなると、歩く人影を見ることもなかった。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

予報では山日和だったはずの那須の山。なぜか強風、雨、アラレで引き返し。

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◎2017年10月4日(水)

北温泉上の駐車場(6:40)……林道出合(7:17)……スキー場分岐・中の大倉尾根に乗る(7:49)……赤面山分岐(8:59)……スダレ山標識(9:03)……大岩・撤退(9:10)……赤面山分岐(9:17)……スキー場分岐(9:52)……林道出合(10:16)……駐車場(10:43)

 那須に行くにあたってプランを2つほど立てた。
 <Aプラン>…北温泉~中の大倉尾根~三本槍岳~鏡ヶ沼を見下ろせるスポットでランチして戻る~三本槍岳~清水平に寄り道~ついでに赤面山往復~北温泉
 <Bプラン>…北温泉~中の大倉尾根~清水平~朝日岳~牛ヶ首~姥ヶ平~高雄口登山道~休暇村那須~北温泉
 「中の大倉尾根」にこだわったのは、歩いたことがないから。そして、平日とはいえ、この紅葉見頃の那須のことだ。ハイカーごった返しの定番コースを歩くよりも、ハイカーが少なそうなルートを組み込んだ方が賢明な気がしたのがその理由。現に、那須ロープウェイ周辺の駐車が空き待ちの渋滞だったので、北温泉に向かったら、駐車場は余裕だったという最近のネット記事を見てもいた。
 腹案として、きりんこさんから情報をいただいた三斗小屋宿跡の石仏の再探索を兼ねて西ボッチも浮かんだりしたが、あの辺は紅葉もまだ寂しかろうと、今回は却下。というか、紅葉がきれいなところから大きく外れて何やってんのという変人扱いにもなる。
 しかし、これは、あくまでも「天気が良い」という前提での話で、数日前から山の天気を調べると、4日の水曜日は、どのサイトの天気予報を見ても晴れることになっていた。「てんきとくらす」に至っては登山指数Aとなっていたし、GPV気象予報では、前夜までは雨雲がかかっているが、当日は雨、雲ともに消えている。これでは晴天の中の歩きが約束されていると思うのが普通の感覚。A、Bいずれにするかは、現地での紅葉具合と疲労度によって決めることにし、天気次第というのは頭からスッポリと抜け落ち出向いた。
 高速を走りながら、一応、NHKラジオで天気予報を確認する。全国的に西高東低の気圧配置。東北の一部と北海道は雪の可能性はあるが、その地は大方晴れの予報だった。もう疑う余地はない。

(北温泉の旅館)


 北温泉の駐車場には車が6台ほど。人の気配はない。温泉宿泊客の車だろう。寒くてどんよりしている。気温9℃。風も強い。まだ6時半だが、天気は晴れてくれるのだろうかといった心配はあまりない。中の大倉尾根に出てから陽が出てくれれば良い。
 北温泉まで下る。今回の歩き、どこがきつかったかと問われれば、帰りの駐車場までのこの登り坂だったかもしれない。あまり運動しない人なら、温泉に浸かった帰りに大汗かいて息切れするかもしれない。

(これを渡るとすぐに登山道の登り)


(階段が続く)


(こんなのはここだけ。通過に手こずることはない。くぐるかまたぐであっさりだ)


 板を渡した橋で沢を越える。見下ろすと、白濁した水が流れている。登山道に入り込む。整備された登山道だ。道幅もあって、階段や木のステップも続いている。これでは、暗い中で歩いても道間違いはあり得ないだろう。歩幅が合わないので面倒だが、適当なところで利用する。しかし、昭文社マップに「急坂」と記されているのは正解で、ところどころで立ち休みしては登る。最初のうちはクネクネしている。
 この辺の紅葉はまだ半分未満だ。ステップは消え、普通の道になったが、道幅は広いまま。周囲は広葉樹の疎林で、低いササが広がっている。標識もまたあちこちに置かれている。同じような景色は続くが、あまり飽きることはない。ここでチラリと陽光があたった。いよいよかなと思ったが、陽光はすぐに消えた。薄い影が瞬間浮かんだだけ。

(林道を横切る)


 林道が横切る。ここが最初のポイントで、どれくらいの時間がかかったのか気になった。37分か。昭文社マップには40分とある。ほぼコースタイムの歩きだ。何でそんなことを気にするかというと、先日、赤面山に堀川から歩かれたぶなじろうさん記事の「遅い」の記述がひっかかり、コメントを入れたら、昭文社の時間設定が老人向けなのではないかとの返答。
 この場合、37分=40分だろう。確かに自分に見合った老人向けであることは確かなようだが、軽いショックだった。自分の場合、この先、コースタイムで歩きを想定した方が良さそうだ。

(相変わらずに歩きやすい)


(茶臼岳方面)


 部分的にえぐられたところもあるが、整備されているからどこでも歩きやすい。簡単に避けて歩ける。左手前方に見える三角峰は飯盛山か。さらにその先にある鬼面山というのもヤブに手こずる山らしい。確か、みー猫さんの記事にあったような気がする。那須エリアの山はたいして知らない。深入りすれば、あんな山にも行きたくなるのだろう。
 樹間から茶臼岳が見えた。正確に記せば、山頂は雲に隠れ、見えるのは裾野だけ。あちらがああなら、こちらもそうなのだろう。何だが、予報とは違うなと思ったが、晴れるのはこれからだろうと、まだのんきに構えている。

(ゴンドラ乗場からの遊歩道が入り込む)


 ゴンドラ乗場の標識が現れた。地図を見ると、マウントジーンズスキー場のゴンドラ山頂駅から続く遊歩道になっている。今、7時半過ぎ。もう運行している時刻なのだろうか。だが、この先も、先行者を見かけることはなかった。ゴンドラといえば、茶臼岳のロープウェイ案内の放送がこの先しばらくはかすかに聞こえてくる。あれでは、せっかく高い往復券を買って乗って行ってもガスの中では何も見えないだろう。ここから清水平まで3.5km、北温泉は1.5kmとなっている。
 次第に紅葉の色が濃くなってきたが、陽があたっていないのでは、どうも冴えた紅葉には見えない。まして、間近に見ると、葉には穴が開いたり、こげ茶になっていて、かなり荒んだ紅葉だ。

(中の大倉尾根起点)


 「ゴンドラ乗場中間点」の標識。これは、周回遊歩道の中間点と思うが、ちょっと先に行くと、またゴンドラ乗場の標識が現れたから、中間点とはそういった意味合いだろう。ここには、いろんな標識がごった返している。「中の大倉山」の山名板もある。ただ、中の大倉山が1462m標高点だとすれば、ここよりも東側にあるはずで、この標識にある1463m表示の意味が解せなくなる。いずれにしても、ここから中の大倉山尾根に入ることになる。林道出合から一服タイムを含めて32分だから、コースタイム45分の老人向けタイムからは脱したようだ。
 「Uターン この先に進まれるとゴンドラ乗場には戻れません」の看板。さ迷って先に行ってしまうお気軽な方もいるんだろうな。

(だんだん出てきた)


(どんより天気が何とも惜しい)


(これはいい感じ)


 相変わらず歩きやすい歩道が続く。紅葉も色も次第に濃くなってきた。だが、どういうわけかガスが濃くなり、帽子をかぶり、手袋をしていてわからなかったが、気づいたら霧雨になっていた。話が違うなぁ。晴天の実態がこれか。ここで、どうも天気予報に騙されたような気分になってきた。ただ、そのうちに上がるだろうし、まだ8時。9時には晴れ間も出て来るだろうと、もう希望的観測になりつつある。

(やはり赤が主体かなぁ)


(ササヤブ越しに)


(レンズに雨があたっているのに気づかなかった)


(黙々と歩く)


 標高が上がるに連れ、ガスは濃くなる一方で、周囲の展望はおろか、目先の紅葉しか見えていない。これ、本当に晴れるのだろうかと気になり出し、携帯を取り出し、GPV気象予報の画面を見る。昨夜と同じに、雨も雲もない状況になっている。これ、更新されていないんじゃないのか。もはや、晴れ間の期待は遠のいてきた。ただ、撤退するには早過ぎるし、まだ先に行ってみよう。黙々と上に向かう。
 もはや霧雨ではなくなってきた。粒が落ちてくる。ここで、滅多に付けないザックカバーを取り付けようとしたが、両サイドにストックを垂らしているからうまく被せられない。面倒になって、ザックカバーはやめた。合羽はいつものように面倒の一言。着るのはいいが、脱いでからが始末が悪い。

(アップだとよごれた感じ)


(黄色のアップ)


(何も見えていない)


 せっかくの展望の良さげな尾根歩きなのに、置かれた展望板に照らして見えるものは白い世界だけ。そのうちに、メガネのレンズに雨粒があたるようになり、ウインドブレーカーのフードをかぶる。

(近い紅葉に目を向けざるを得ない。これでは、ササがなければその辺の公園歩きと同じだ)


(これもなかなかなのだが)


(これだもんな)


 一応は、それなりに楽しみながら紅葉の間の小道を進んで行く。滑り止めなのか、敷き詰めた石の上には針金を巡らせている。こういう雨の日は助かる。やがてハイマツが出てきた。ハイマツ主体になれば、遠望の紅葉ならいざ知らず、目先の紅葉も楽しめなくなる。そろそろ引き際のようだなと思いつつも、しつこく上に向かう。雨粒が次第に大きくなり、風も出てきた。そして寒い。ついに、合羽の上だけでも着こもうかなと思ったが、どうせ先でUターンだからと濡れたままに歩いて行く。

(晴れていれば、鼻血レベルの斜面かも。もっとも、背伸びするなりカメラを上げて撮ればの話だが)


(これは滑り止めにもなっている)


(赤面山分岐)


 赤面山の分岐にさしかかる。どうしようか。こうなると、AプランもBプランもあったものではない。せめて、赤面山往復でもしようか。少し考えたが、赤面山方面も真っ白で、こちらよりも視界は悪そうだ。それはやめよう。

(何の感情もなく、打ちひしがれながら淡々と登って行く)


(スダレ山標識)


 ちょっと登るとスダレ山の標識があった。ピークらしからぬ山。ただの斜面上にある山なのか。ここで、パラパラという音がした。何だろうとよく見ると、雨に小粒のアラレが混じって落ちてきていた。これはもう絶望的だな。早々に引き返そうと思ったが、何も見えなくとも、せめて清水平くらいに行っておこうか。赤面山分岐の標識には清水平まで0.7kmとあったし、もう少しだ。

(ただ、上へ上へと)


(小粒のアラレ)


(これが大岩だろう)


(清水平方面を眺めてがっくりの撤退)


 今度は強風にあおられた。立っていられないような強い風が吹いている。すぐ先に大きな岩が見える。あれが「大岩」というスポットかも。もうここで終わりにしよう。退散することにする。那須の紅葉を楽しみにやって来たのに、見たいものは目の前の色づきではなく、広い斜面を彩る紅葉だった。それがまったく期待できないのでは、雨の中をとぼとぼ歩いていても意味はない。歩き始めから2時間半。撤退。

(おとなしく下る。それにしてもなぁだ)


 下るとなると、速いものだ。針金のおかげで石で滑ることもなく、たいして疲れてもいない。まして、汗をかくこともなく登っていた。アラレはおさまっているが、雨は相変わらず。

(ポンチョもいれば)


(団体さん)


(傘歩き)


 赤面山分岐の先で登って来る単独氏に出会う。上下カッパ、ザックカバーで覆っている。上の様子を問われる。この方も、天気予報に騙された口だろう。清水平で戻るとおっしゃっていた。続いて、ポンチョの2人連れ。赤面山に行くそうだ。ご苦労さま。
 下山までの間に20人ほどのハイカー、そして、25人くらいの団体さんと出会う。挨拶すら返してこない方もいるが、大概は上の様子を問われる。やはり、皆さん、今日は登山日和と思って登って来たんだろうな。中には、三斗小屋温泉に行くとおっしゃっていた老夫婦もいらした。強風にあおられなきゃいいが。

(あ~ぁか。絶好の紅葉ストリートを楽しめたはず)


(下りの部の紅葉はそろそろフィナーレ)


 下るにつれ、雨は霧雨に戻り、やがては上がったが、相変わらずどんよりしていて、茶臼岳も依然として見えないが、雲の切れ間から那須の町が見えるほどには回復している。

(ゴンドラ乗場に着いてしまった)


(明るくなりつつあるが、茶臼岳はまだ見えない)


(これを渡ると北温泉。逆向きから)


 途中、ゴンドラ乗場分岐で休憩。ザックからタバコを取り出すと、蓋のところに入れていたためか見事に濡れていて、タバコも吸えない始末。
 北温泉に着くと、2人連れに、滝に行くにはどこを行けばいいのかと聞かれた。滝とは駒止めの滝のことだろうが、ここからどうやって行くのか。あの滝は観瀑台から見る滝ではないのか。下から見るルートがあるにしても、スニーカー履きでどうやって行くつもりなのだろうか。ここからでは行けないと思いますよと答えたが、様子を見ていると、温泉の周辺をうろうろしている。もしかすると、観瀑台の存在を知らずに、ここまで下りて来たのか。

(意外にきつい登り坂。舗装しているからなおさらか)


(駐車場に戻った)


(観瀑台に寄って。ここは駐車場にくっ付いている。北温泉の駐車場というよりも観瀑台の駐車場だろう。6年前までは御用邸の敷地内だったらしい)


(駒止めの滝。ここも、周囲の紅葉がすごいらしい。もう少しだろう)


 登り坂に応えながら駐車場に到着。陽が差し、一部青空になってはいるものの、小雨が降っている。気温は10℃と、出がけとさして変わりない。茶臼岳の山頂が隠れて見えないだけでもほっとする。4時間の歩きで終わってしまった。遠路、那須まで来てこれではなぁ。
 普通、いつものパターンなら、晴れるのはこれからだろう。さりとて、今の気分は、さっさと那須から引き上げたいところ。帰り道で青空バックの茶臼岳でも見たらたまったものではない。温泉に立ち寄る気分でもなく、まして、高い高速代を支払うまでの代償もなかった。4時間かけて下道で帰ることにする。

(やはりね)


 お腹も空いていたので、つい那須の町のラーメン屋に寄ってしまった。ラーメンライスを食べ、ライスは余計だったなと思いながら、右手をちらっと見ると、嫌な光景が見えた。雲はかかっていたが、那須連山がくっきりと見えていた。

 この日の夜の某テレビ局の天気予報。天気予報士が「予報が間違ってスミマセンでした」と謝っていたそうな。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

二転三転して、結局は武尊でスリリングな紅葉を楽しむことに。

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◎2017年10月8日(日)─高木と

川場野営場(6:42)……コース分岐(7:16)……川場尾根合流(7:50)……岩峰通過(8:28~9:36)……前武尊(10:33~11:09)……不動岳分岐(12:45)……野営場(13:03)

 当初は3人で中芝新道を使って谷川岳に行くつもりでいたが、情報を集めていくうちに、半端なお気軽気分で中芝新道を歩けないことを知った。まして土曜日の降雨で芝倉沢の増水も予想される。あっさりと中止。元々、中芝新道は岩屋さんたちが下山ルートで使うところらしく、土台、その方面に縁のない自分には到底無理な話だった。
 中芝新道中止で同行予定のお一人が消え、結局、高木と西黒尾根でのんびりと谷川岳歩きとしたが、こうなったら、自分としては混雑を避けて茂倉、武能、蓬峠の周回をしたくなる。ちょうど6年前のこの日に行った茂倉岳の紅葉は素晴らしかった。万太郎もありか。山頂から眺める景色もまた捨てがたい。

 行き先が決まらぬままに、とりあえずは関越道に乗るが、水上インター、越後湯沢インター、いずれで下りるか早々に決めないといけない。その間に、平標はどうなんだ、蒸し返しで中芝新道の下見だけでもするかといった話が出たりする。だが、朝日があたる頃になっても、谷川岳は見えなかった(実際は晴れ渡った一日だったようだ)。それでいて、右手の上州武尊の連山はすっきりと見えている。「今日は武尊にするか」と意見が一致して赤城PAに寄り、地図を広げる。昭文社マップ『谷川岳』の裏面が武尊山になっている。
 高木はカミさんがこちらの出身で、その関係で、武尊の大方のコースは歩いている。ふと、HIDEJIさんの最新記事を思い出した。あの岩峰コースを歩いてみるのもいいか。高木に聞くと、そこは経験済みのようで、20年ほど前、小学生前の三男坊、カミさん3人で歩いたことがあるそうだ。ではそれにしようと、ようやく今日のコースが決まった。ただ、高木は明日、ジイサン、バアサングループを引率して尾瀬に行かなきゃならないらしい。疲れが残るのでは悪いなと、前武尊往復ということにする。こちらも、武尊山頂には2回ほど行ってもいるし、こだわりはない。HIDEJIさん記事の写真を拝見する限り、武尊遠望の紅葉見物だけで十分かなとも思ってもいる。

(登山口。川場カルタが置かれている。「らんらんと下界を睨む武尊像」。格上の上毛カルタにはないのかねぇ)


(ジトッとした感じの登山道。さらに樹林帯で薄暗い)


 駐車場には10台以上の車があり、ほとんどが既に出払っている。隣に朝食の後片付けをしている2人組がいたが、出発する気配はなく、昨日歩いた後に、ここでテントを張って飲み会でもしたのだろう。
 湿って、薄暗い樹林の中をしばらく行くと、標識のない二股になった。この時点では、どちらを行っても、先で合流するのだろうと左に行ったが、帰路に通過した際には、確認はしなかったが、どうも右手はちょっとした広場になっているだけのことのようだった。
 高木は水を持参し忘れていた。登山口で汲めると思っていたらしい。水のない沢を通過して2つ目の沢にかすかに水が流れている。ここで水をペットボトルに入れることになるが、チョロチョロ水で給水に時間がかかる。結局、ここで早々の腰かけ一服。10分ほどのロス。その間、若い単独氏に抜かれる。

 高木はふだんから年配者の引率を引き受けて歩いているので、どうしても足取りは遅くなる。オレの鈍足にすら早いよと言い、この先は高木を先行させて歩く。かなり遅い歩きだなと思ったが、結果的にオレの方が先にバテ気味になった。

(不動岳の分岐)


 標識のある分岐。左は不動岳。南の旭小屋からの川場尾根に先で合流。右は天狗尾根に合流し、いずれも前武尊で合流となる。ここは左に向かう。
 樹林の中の歩きは続く。次第に急登になってきて、汗をかき、ウインドブレーカーを脱ぐ。今日は気温は高くなるようだ。風はまったくない。樹間から右手前方に前武尊が見えてくる。斜面のところどころに赤味はみえるが、元から針葉樹の多い植生か、見栄えのする紅葉ではない。逆光で見づらいが、この先の尾根伝いに岩峰のようなものが見える。高木も厚手のシャツを脱ぐ。

(旭小屋からの道が合流)


(赤城山)


 7時50分、旭小屋から続く川場尾根に乗る。高木の話によると、旭小屋は元々は修験道のための小屋だったらしい。刈払いされた道が下っている。
 ボチボチと赤いのが見えたところで最初のクサリ場。ここは別にクサリに頼るほどのものでもない。左右が灌木になってもいるので、切れ落ちは見えず、さした緊張感もない。登り上げると右手に赤城山。富士山は赤城山に隠れているのか見えない。

(次第に色づきが目に入る)


(前武尊)


(青空だからこそか)


 次第に赤、オレンジを賑わってきたところで休憩。お互いにタバコを吸うから始末が悪く、つい頻繁な休憩タイムをとるようになる。HIDEJIさんの時と違って、今日は静かな尾根だ。さっきの青年に追い抜かれてから前武尊に至るまでの間に誰にも会うことはなかった。
 紅葉を見ながら歩くので、さらに歩きも遅くなる。高木は写真撮りの趣味がないので持参したカメラを出すこともないが、こちらはつい周囲を見ては色づきを撮ってしまう。高木からの距離は離れ、高木が先で待っている状態になる。岩峰が近づきつつあることは確かのようだが、まだその気配はない。

(禅定の窟)


(進行方向に岩峰が見えてくる)


 「禅定の窟 群馬修験」を通過。ここは群馬ではなく上州とすべきじゃないかと思ったりする。岩峰群もそろそろかねぇ。緊張してしまう。こちらは多少のガレ、ザレ場は平気だが、岩場となるとどうにも苦痛でしかない。恐いもの見たさの趣向は持ち合わせていない。おっ、見るからにこちら岩峰ですといった感じのピークが先にある。右手を見ると、日光白根から錫ヶ岳、皇海山が見えてくる。皇海山はつい足尾の山と思ってしまうが、中倉山から見る皇海山よりも、こちらから見える皇海山の方が大きい。沼田が皇海山はオイラの山だと言っても、これでは仕方があるまい。

(最初の岩場)


(日光白根から皇海山方面)


(沼田の町が見える。山腹の紅葉はたいしたことがないが、陰になっているからか)


 ついに岩場登場。先ずは衝立のようなこんもりした岩。ここは岩の間を難なく通過。ここから立て続けに岩場になるのかと思ったが、普通の高度感のある尾根歩きに戻った。この尾根からの展望は最高で、沼田の町の先に子持山が見えている。その後方には榛名、西上州の山並み。

(岩場から進行方向)


(武尊山方面)


(あの尖がりは川場剣ヶ峰か?)


 再び露岩のゴツゴツ、ボコボコ。クサリはない。危ういところはなく、今度は上州武尊、剣ヶ峰が左手に見える。斜面の紅葉は、やはり終わったのか煤けた感じの色合いになっている。左に下って先に進む。この辺は紅葉の色がかなり濃い。

(クサリ場の下り。影の自分は上で待機している)


(どでかい岩)


(巻きながら見上げる)


(カニの横ばい)


 クサリ頼りの歩きになった。もう、岩峰尾根の両サイドは切れ落ちている。右のクサリを使って、一旦下る。見上げると、垂直の岩の脇を巻いて下っていた。次の岩、左から巻いてクサリ。一枚岩のでかい岩だ。そして、トラバース。ここは剱岳のカニの横ばいのミニ版らしいが、自分は早月尾根で日帰り剱岳に登ったからそれは知らないが、早月尾根にもこんなところがあった。霧が巻いていて、下が見えなかったので、高度感知らずに渡れたことだけは覚えている。あの時も高木と一緒だった。

 岩峰のトラバースが続く。実はこの間のこと、しっかりした記憶が飛んでいる。トラバースのクサリ渡りに必死になっていた。上が見えない垂直の真上から、クサリが垂れ下がっているところがあり、ここを進路変更で登るのかなと思ったりしたが、トラバースクサリはまだ先に続いている。登りはしなかったが、あるいは、これが不動岩だったかもしれない。標識も見かけなかったというよりも目に入らなかった。後で他の方の記録を拝見すると、青銅の不動明王のレリーフが岩に埋め込まれていたらしい。これは惜しいことをした。

(この下りは苦労した)


(見上げて)


 この先で高木が笑っていた。何だい?と聞くと、ここを20年前に歩いたことは確かだが、女房はともかく、未就学児の息子をどうやって運んだんだっけかと己の行動を思い出して笑っていたのだが、その先は10mほどの岩場の溝状の間を下るようになっていた。もちろん、半端な角度ではない。高木が先に下る。クサリの乗り換え部分で苦戦している。
 高木が下りたのを確認してクサリに手をかける。1歩下って、登山靴を溝にひっかけ、抜けなくなって。態勢も変えられず、無理矢理力づくで足を引っこ抜いた。そして、クサリの乗り換え。ここで身体の向きを変えたいが、どうもうまくいかず、それでも何とか不安定な格好で着地。参った、参った。

(石柱と石祠)


(振り返って)


(休憩を入れる)


(八ヶ岳方面が見える)


 もうねぇだろうと言う高木の言葉を信じて先に行く。なんだ、まだあるじゃねぇかよ。だが、もうクサリはなかった。神様の名前を刻した石柱と石祠。その先の岩の上にも霊神碑。何の神様かは知らないが、霊神だから御利益のある神様なのだろう。
 ここで休憩、一服。先ほどの岩峰群を振り返る。右手には八ヶ岳。今日は混んでいるだろうな。岩峰の通過にたいした時間をとられたわけではなかったが、かなり気を遣った。さらに武尊山頂まで行く予定を立てていたとすれば、もう前武尊でやめようぜといつものパターンになっている。

 ところでネット記事では皆さん、この岩場を難なくあっさりと通過されている。なかには見るからに70歳過ぎのバアチャンが写った写真もあった。何とも不思議でしょうがない。こちらは、かなり神経が参っているし、高木とて同様。こんなところの綱渡り、20年前、どうやって息子を運んだのか記憶が蘇らないままでいる。彼の息子、自分の息子とは同じ年ながら、ひ弱さの印象があった我が息子に比べてワイルドな面があった。ボク行けるよと、そのまま行ったのではないか。

(ここをトラバースして下って来る人もいるんだろうな)


 休憩が終わり、明瞭な踏み跡のある左から巻いて行こうとすると、高木が「おメェ、どこ行くんだよ。こっちだよ」と、岩の間を指す。そういえば、HIDEJIさんが失敗していたなぁ。狭い岩間を抜け出し、次の岩の右下を危なげなく歩き、上を見ると、クサリがトラバースしている。あんなルートもあったんだなと、もう他人事の思いになっている。
 岩場はもうないようだ。左手にはロープが張られ、落ちないようにガードされている。前武尊の山頂はすぐそこだが、また急登りになりつつある。正直のところ、かなり疲れが出てきていた。今日は暑くて、まったく風がないのも応える。高木に声をかけ、シャリバテっぽいからと休むことにした。小腹を満たして一服。どうしても10分単位の休憩になってしまう。

 ちょっと立ち上がり、靴の泥を落とそうと、地面をトントンすると、下はフカフカ。高木まで揺れて腰を上げた。ここはヤバそうだ。下は隙間だらけの地面ではないのか。

(胎内潜り)


(岩場も終わって山頂へ)


(なかなかの眺め)


 登山道右脇に「胎内潜り」。くぐった先はどうなっているのか気になったが、おそらくはそれだけのものだろうし、泥んこになるだけ損だと見ただけで終わる。
 山頂はもう見えない。ドーム型の山だから見えなくとも不思議ではないが、急登になってきた。ここでストックの助けを借りることにした。ここのところ、ストック利用が多くなってしまったが、高木は出さない。以前は頻繁に使っていて、甲斐駒黒戸尾根の階段でもよく邪魔にならないものだと感心していたが、今は下りでしか使わないそうだ。

(山頂に到着。この日本武尊は自分には初見かも)


 山頂到着。青年が一人休んでいる。ここまで出発から3時間50分か。コースタイムは3時間40分。休憩やら水汲みタイムをいれてのことだから、コースタイムを切ったことにはなるが、足を痛めながらのHIDEJIさんの2時間半に比べたらカヤの外タイムだ。こちらは前武尊が目的地だったし、その先に行く予定はなかったので、意気込みもまた違うだろう。まぁ、体力の差も大きいだろうね。

 だらだらと山頂で過ごす。自分には、前武尊は初めてかと思う。これまでは北西やら南西から登り、武尊山でそちらに下っている。余談だが、30年前に初めて登った時は、登山口で公安らしき刑事から尋問を受けたことがある。過激派がこの辺に逃げ込んだらしいとか言っていた。それはともかく、ここにも日本武尊の像があるとは知らなかった。
 HIDEJIさんのブログにも記されているが、この川場尾根の入口に「旭小屋コースは…クサリ場があります。…一般登山者は川場野営場コースをおすすめいたします」の看板が置かれている。登って来たのも川場野営場コースの一部ではあろうが、そんな言葉のお遊びはともかく、下のコース分岐にこんな看板はなかった。両方に設置すべきものかと思う。もっとも、ハイカーは下調べをして登って来るのだろうけど。

 脇で高木が日本武尊の像の下に置かれた賽銭をかき集めては、100円玉ばかりを積み重ねている。何でそんなことをしてんのか理解できないが、おかしなことをするヤツだ。
 30分ほど休憩し、軽い食事もした。その間、10人ほどオグナほたか、川場野営場の方から登って来ては立ち休みしてそのまま武尊山に向かって行った。オグナほたかから登って来た青年が1時間半かとひとり言を言っている。地図を見ると、コースタイムは2時間45分。「速いじゃないですか」と言うと、「あおられましてね」と言っていたが、楽ちんコースなのだろうか。不動岳の方から登って来るのはだれもいない。しかし、不動岳コースもまた道の付いた登山道だったが、岩場歩きをいとわないハイカーが随分といるものだ。自分は、もう二度と歩くつもりはない。

(川場剣ヶ峰が台形状になった)


(燧ケ岳と至仏山)


 見晴らしが良いかなと、先まで行ってみたが、正面の川場剣ヶ峰、その先の家ノ串山、中ノ岳のピークが見えるだけ。かすかに武尊山の頭が見えるか。やはり、斜面の紅葉も決して見栄えがするほどのものではない。往復4時間かけて武尊山往復するよりも、さっさと下って、温泉に浸かって、冷たいビールでも飲んでいる方が気が利いているかも。右手には頭に雲がかぶった燧ケ岳、至仏山が見えている。

(ガスが上がってきた)


 前武尊に戻ると、もう東側はガスに覆われて視界が悪くなっている。下る。標識では「川場野営場駐車場」「OGNAほたかスキー場」が併記された方面となる。実はここからが紅葉を楽しみながらの下りとなり、かなり時間をとられてしまった。

(大天狗と)


(石仏)


(歩きづらい下り道)


 大天狗と記された寛政年間らしき石祠と石仏を通過すると悪路になった。石ゴロで、滑る。粘土がむき出しのところもあちこちにある。樹の根もじゃま。雨上がりだから余計に歩きにくくなる。滑った跡もかなり残っている。

(スキー場方面。淡い斜面の紅葉)


(出てきましたねぇ)


(ちょっとした紅葉通り)


(軽いクサリ場もあり)


 ガスが次第に上がり、周囲の紅葉がまぶしくなってきた。だが、晴れ間にちらりと見える山の斜面の色づきはやはりくすんでいる。ここは、間近な紅葉を楽しみながらの下りとしよう。
 再び日光白根が見えてきたが、小さな雲が漂っている。クサリ場のある露岩地を通過。ここは無理にクサリに頼る必要もないが、滑るとかなり痛いだろう。

(ボンボンになっていればなぁ)


(後ろから失礼)


 左手に前武尊東尾根が見えてくる。ここも紅葉になっているが、鮮やかさには欠ける。陽があたっていたらどんなものだろうか。キョロキョロと紅葉を見ながら行くと、後姿を向けた石仏が置かれていた。背中には「享和元年 武尊中興開山行者普賢法印?」とある。このルートもまた信仰の道だったようだが、この石仏が見下ろしているのはオグナほたかスキー場だ。

(スキー場)


(下るに連れて見頃になる)


(県境稜線は雲がかかり始めている)


(南側もちょっと色不足)


 皮肉にもスキー場周辺の紅葉がきれいだ。赤、オレンジ、黄色が鮮やかだが、あまりアップでは見ないようにする。ツツジの紅葉もかなり混じっている。そして、スキー場分岐。標識によれば、下って来た尾根は天狗尾根というらしい。大天狗の石祠があったことに由るのか。
 どういうわけか、下に行くに連れて紅葉が濃く、密になってくるような感じ。やはり、上は見頃が過ぎていたか。今、標高1730m付近になる。

(スキー場分岐)


(この辺が、今は盛りのようだ)


(しつこいけど1)


(しつこいけど2)


(しつこいけど3)


(しつこいけど4)


(朽ちた鉄板)


 しばらくゆっくりと下って行くと、倒れた標識には「川場尾根コース」と記されている。いつの間にか天狗尾根を離れたようだが、カーブして回り込んだところがあったから、あそこが尾根分岐だったかもしれない。標識の脇には錆びた上が三角になった鉄板が置かれているが、文字は見えない。うっすらと梵字が記されていた気配がある。この鉄板は前後して2枚ほど見かけた。

(岩峰群)


(前武尊にはガスがかかっている)


 右手に悩まされた岩峰群が見えてきた。あの尖がったのが不動岩だろうか。右手の前武尊は山頂にガスがかかっている。さっさと下ってきたが、もう上はガスが巻いている可能性もある。

(あと一週間だろうね)


 下りはずっと紅葉を見ては写真を撮っていたので、また、先で高木が待っている状態が頻発していたが、1620mあたりで、ようやく、色づきも淡くなり、わざわざ写真に収めるまでもない紅葉になってきた。ただ、これまでに見なかったブナの紅葉が目に付いたが、足元を見ると、かなりの葉が落ちている。ここの紅葉の見頃は東側で1750~1600mといったところだが、これでいくと、天神平の上の紅葉の盛りは、これからということになるかもしれない。素人判断にはたいした根拠はない。

(周囲の景色が一変する)


 周囲の植生が変わってきた、針葉樹中心の自然林。当然、薄暗くもなり、湿気が残り、秋きづらくなる。露岩のロープ場に差しかかる。泥んこエリアだ。ふと、後ろから人の気配。華奢な青年といった感じがしたが、こちらは脇に寄り、下り途中の高木に声をかける。ありがとうございますと言いながら脇を軽く下って行ったのは、長靴の若い女性だった。先で高木が声をかけているのが聞こえる。「今日あたりは長靴が良いやねぇ」。確かにこの下りは長靴がベストだが、登りコースは長靴だったら厳しかろう。今日とて、湿り気がありそうだったから、地下足袋は出発から対象外だった。

(ここで手間どる)


(分岐に戻った)


 木の枝を足場にした岩の間を下る。何とも足をかけづらく、あっさりと滑りそう。ストックを下に投げて下ろうとしたら、ストックの片方がズルズルと沢の方に落ちて行った。途中で止まってくれて回収には問題なかったが、反対側から見ると、最初っから備えの木を頼る必要もなかったようだ。
 不動岳の分岐に合流。この先は、出がけに歩いた道だ。キノコ採りらしい2人のニッカズボンのニイチャン2人とくたびれた親方風のオッサンを見かける。

(普通の道歩き)


(駐車場に着く。いやぁ暑かった)


 駐車場に到着した。まぁ暑かったわい。もう10月だよ。
 車の陣容は朝とさほど変わらず、新規の3台ほどが加わっいるくらいのもの。そりゃそうだろう。大方は武尊山頂まで行っている。車のナンバーを見る限りは、さすがの百名山、地元ナンバーは少ない。この時間まだ1時なのになぜかテントが2張加わっている。さっきの長靴の女性は帰り支度中。目が合って軽くお互いに会釈。見た目の印象と違って、車は神奈川県ナンバーのレクサスSUBのようだ。長靴のイメージとは不釣り合いな感じがしたが、追い越された際にチラ見した長靴は高そうで、ホームセンターやワークマン扱いとは縁遠いブランドものぽかった。舶来物だろう。ミツウマとか、日進ゴム、オカモトなんでないことは確か。横文字が入っていたし。

 着替えもせず、荷物を車に入れ、履物だけ替えて温泉に向かう。温泉とはいっても、HIDEJIさんお気に入りの「花咲の湯」なんて上品なところではなく、高木御用達の温泉旅館。ここには一度連れて行かれたこともあった。温泉旅館とはいっても聞こえはいいが、湯舟は男女入れ替えの一つしかなく、広間には演歌歌手のポスターがズラリと貼られていて、地元のジイサンらしき3人組が、もうクダを巻いている。他に客はいない。
 すぐに風呂に入りたかったが、農家のカミさん風の女将が言うには、さっきまでいた客が水を入れ過ぎ、今、湯を入れ直しているからしばらく待ってほしいとのこと。しかたがない。風呂は先送りして冷えたビールで乾杯。自分は車の運転もあるのでコップ3杯にとどめたが、泡のないキンキンビールは五臓六腑にしみわたった。できるなら、このまま飲み続けていたいもの。高木と2人だけの歩きとなった時点で、山の方はさっさと切り上げ、こうやって飲むのを楽しみにしていたし、今日はとにかくこの時期にしては暑く、微風を若干浴びただけだった。
 ここの温泉旅館には昼のメニューなるものはない。高木が「ウドンか何か適当に作ってくんない」と女将に頼んで出てきたのは餅に大根おろしをたっぷりと入れた雑煮とおにぎり。これがなかなかうまい。腹いっぱいになり、もうどうでもいいやと、横になったらすぐに寝てしまった。
 1時間半ほど経って、まだダラダラと飲んでいるジイサンの大声で起こされてようやく風呂に行く。たっぷりと汗をかき、着替えもしてすっきり。

 沼田インターにつながる120号は渋滞の気配。高木の指示で脇道、脇道でようやく関越に入ると、すぐに伊香保・前橋間渋滞の掲示。こりゃダメだと、赤城インターで下り、ナビは無視して後は高木の指示で高木家に到着した。
 ここで長居すると、BBQになってしまう。まして、明日の尾瀬行きで朝の早い高木にも悪い。飲みなおしとなると泊まることにもなる。高木と荷物を下ろして、そそくさと帰途に就いた。

(本日の軌跡。というほどのたいした歩きはしていない)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

自分の場合、何でこうなるのかわからんが、今日も紅葉目あての平標山でガスに巻かれる。

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◎2017年10月11日(水)

有料駐車場(6:31)……鉄塔下(7:34~7:41)……松手山(8:19~8:31)……平標山(9:51~10:02)……仙ノ倉山(10:55~11:10)……平標山(11:51~11:55)……平標山ノ家(12:23)……林道(13:06~13:15)……昼食(13:51~14:03)……駐車場(14:14)

 もう天気予報はあてにはしていないが、出がけに「てんきとくらす」を見ると、平標山の午前中は登山指数Aとなっていて、午後3時頃からはB、夕方はCとなっている。GPV気象予報では、雨が明け方まで残るところもあるが、平標山にはかかっていず、ここもまた、午前から午後にかけては雲もきれいに消えている予報になっていた。いずれの予報ともに、午前中から午後の早い時間帯にかけては晴れということだ。那須のこともある。現地の麓から自分の目で見て判断するしかない。もう騙されまい。
 月夜野ICで下り、国道17号線で三国トンネルを越えて新潟に入ると、いきなりの濃いガスになった。やはり騙されたみたいだ。
 下って行くに連れ、ガスは収まったものの、やはり白い気配のままに駐車場に車を入れる。有料駐車場のシステムは後払いのようだ。車は8台ほど。2台ほどでごそごそやっている感じで、あとは既に出発か山中泊だろう。ここの駐車場、町営ということらしいが、後で渡された領収証の発行人は「山鳥原公園管理組合」とあった。その公園は、ここからさらに北にあるようだ。
 平標山には過去3回行き、うち1回18年前にここに駐車したようだが、その時の記憶はなく、駐車場代を取られたかどうかも定かではない。他2回は三国峠からと、松手尾根経由だったから、その辺の空地に置いたような気がする。

(駐車場端の登山口)


(ここでコースが分岐。ここは左。帰りは正面から下って来た)


(青空が出てきたところでほっとする)


(松手山コース登山口)


 一旦、林道だか町道を歩いて、改めての登山口。18年前の記憶が蘇った。松手山までつらかったことを覚えている。その時、仕事関係のまるっきりの初心者を平標山に連れて行き、彼が登りの階段で足を痛め、その後一年、整形外科に通う結果になり、会う都度にこちらから謝っていた。もっとも、当日は帰りに温泉に入り、いやぁ、きれいな汗をかきましたよ。また連れて行って下さいなと言われたが、急変したのは翌日からで、歩けずに3日程欠勤したらしい。以降、彼から山の話を一切向けてこなくなった。それでいて、その後に一人で乗鞍岳に行こうとしたらしく、当時は普通に通れた乗鞍スカイラインを運転中にカーブで擁壁に突っ込み、後日、愛車のBMWを松本の修理工場まで引き取りで同行したことがある。こうなると、山にはもう無縁としか言いようがない。

(階段の続く登山道)


(この辺の紅葉はさっぱりだ。これからだとしてもきれいではないと思う)


(歩いたことがあるのに、鉄塔ピークが松手山かと思っていた。地形図を持参していたら、1411m標高点であることは一目瞭然なのだが)


 階段が続く道でクネクネと上に向かっている。雑木の間からチラチラと陽が入り込むようになり、薄暗い登りにならなかっただけでも幸いだ。天気予報どおりになったと安心したりもしている。
 歩き出しから20分もしないうちにネエチャンに追い抜かれる。登山道口の脇のトイレでゴソゴソと音がしていたが、彼女だったかもしれない。しかし速いものだ、そして、オレも鈍足になったものだなとため息が出る。以降、彼女の姿を見ることはなかった。

(向かい側のピークは筍山か?)


(こちらは天丸木山かと思うが)


 きつい登りでいつものように休んでは登る。ストックを出したら幾分楽な歩きになった。休んでは振り返る。振り返りの先に見える存在感のある山がずっと気になっていた。山腹を送電線が通り、山頂には何かの施設がある。苗場スキー場の筍山かもしれない。となると、あの施設はリフト乗場ということになる。左に見えるのは天丸木山? よくわからない。毛無山というのを歩いたことはあるが、この辺からは見えないのかもしれない。苗場山は雲の中なのか見えない。

(半分紅葉)


(赤は濃い。光線の関係? 濃淡が混在している)


 誰も後ろにはいないという気安さもあって、かなりトロい歩きになっている。やがて、正面に送電鉄塔が見えるようになると色づきも出てくる。さらにのろくなった。まだ半分の紅葉のようだが、ここもまたアップには耐えられない。葉に穴があき、茶褐色もまた多い。真っ赤なものはなく、むしろどす黒い。これからだろうとはいっても、これでは期待できないかも。盛りになったとしてもさほどの見事さはないだろう。

(鉄塔)


 鉄塔に到着。ここまで1時間。かかり過ぎか。コースタイム(以下CTとする)は1時間10分。高齢者向けのタイムだとしたら、お仲間入りということになる。ここで、鉄塔の土台に腰をかけようとしたら、ムカデのようなものがかなり這っていて、立ったままで一服する。

(当初、左が平標山で右奥が仙ノ倉山だと勝手に思い込んでいた。右奥が平標山)


 さもピーカンといった中での歩きを続ける。紅葉は依然として淡いが、黄色中心で、目を近づけない限りは紅葉を楽しみながら歩ける。右手先に平標山も見え、天気予報が当たったな、今日は正解だったと、ここでまた安心したりしている。

(松手山)


(松手山山頂)


(山頂から振り返って。女性単独さんが見えている)


(山頂から。南側)


 松手山が近づく。山頂には先行者(その時はそう思った)が一人休んでいるようだ。あの先であの方に抜かれるのは嫌だなぁ。さっさと出発してくれないかなと思った。
 松手山に到着。オジサンが湯を沸かし、カップラーメンを食べるところだった。話を伺えば、昨日、土合から出発し、万太郎山下の越路避難小屋に泊まり、これから下るところとのこと。昨日はガスガスだったそうだが、今朝は仙ノ倉から富士山が見えたとおっしゃっている。もう見えないでしょうとの付け加えが気になったが、確かに、ガスが周囲を急速に流れ、この辺にも及んでいる。して、紅葉は? と問うと、ガスでよく見えなかったけど、オジカ沢ノ頭周辺はきれいだったようだ。避難小屋泊りは一人ではなく、もう一人いらしたとか。
 その間に、女性単独氏、男性単独氏が立ち休みしては通過して行った。男性単独氏は自分と同年配の気配。後で聞くと、新潟市からいらしたとのことでここではNさんとする。「今日は風が強いですね」と言いながら先に行かれた。


(手前が松手山)


(陽があたっているのを遠くから見ると、確かにきれいではある)


 二人の姿が小さくなったのを確認してから出発。女性単独氏はすでに米粒のようになっている。抜かれるのは後ろからあおられている感じで好きな歩きスタイルではない。Nさんと適当に距離を置きながら写真を撮ったりするが、しばらくは平坦道になり、Nさんの後姿が大きくなったりする。

(南側斜面)


(こちらは北側)


(ついでに)


 ガスが露骨に出てくる。平標山頂はかろうじて見えている。平坦道から見える紅葉の斜面はきれいだ。新潟側は多分カラマツかと思うが、紅葉の少し手前の感じで薄い黄色ではあるものの、黄金色からは遠い。群馬側の斜面は鮮やかまではいかないがそこそこにきれいだ。ただ、間近の紅葉は見られたものではなく、もう終わりかといった印象だ。前を眺め、松手山の方を振り返っては色具合を見ながらの歩きが続く。

(松手山が遠くなる)


(なだらかな登山道に見えるがそうでもない)


(? よく見かけた)


 目の前のピークが隠れ、すぐに顔を出す。とにかく雲の流れは音を立てている。ふと、Nさんに追いついてしまった。ガスの平標山を撮影中だった。休憩した後のようで、すぐに出発して行った。入れ替わりにこちらも休憩する。すでに女性単独氏の姿は視界にはない。
 Nさんの姿が小さくなったところで出発。これまでは距離を保っての歩きだったが、斜面の角度が急になると、どんどん引き離されていく。やはりこんなものだろうな。この頃から、下って来るハイカーが目につくようになった。まだ9時前だ。早朝の平標山ピストンもいるだろうし、身軽なトレランもいる。さっきのオジサンのように避難小屋泊りもいるかもしれない。肩の小屋泊りだとすれば、4時出発にしても無理があるところだろう。

(しつこいが、また松手山。ガスの流れは速い)


(この辺で、平標山の位置が間違っていたことに気づく)


 階段登りが出てきて、余計にきつくなった感じ。実は、勘違いをしていて、目先のピークが平標山、その右手のピークが仙ノ倉山だと一時的に思っていた。登り詰めた小ピークには何の標識もなく、ただ、先に登山道が続いているだけのことで、内心はそんな気がしていたが、さっきまで仙ノ倉と思っていたのが平標山だった。振り返ると、松手山はガスの中。

(色づきの気配なし。平標山の上に雲)


(ここをスキーで下ってみたい)


(平標山が近づく)


 もう色づきのないササ原の間の登山道を行く。ここから見えるヤカイ沢南側の尾根の斜面の紅葉はすでに終わったのか、鮮やかさがまったくない。ヤカイ沢は急斜面でもなく、スキーで下ったら快適だろうなと思ったが、ネットで見ると、やはり、ここをスキーで滑る人は多いようだ。山スキーをすることはもうないだろうが、頭の片隅に入れておこう。

(振り返って)


(平標山山頂)


(平標新道)


 平標山の山頂がガスで見え隠れを繰り返し、ようやく山頂に着いた頃には、どうにか晴れてはいたが、東側の視界はない。何だ、これでは仙ノ倉も見えないじゃないか。山頂にはカップラーメン調理中の方が一人だけ。Nさんはもう先に行かれたようだ。確証はないが、仙ノ倉だろう。この辺をよく歩かれている感じだったし。
 ここまで3時間20分。休憩を除けば3時間。CTは3時間10分。微妙なところだが、CTタイム歩きだと考えることにし、単独女性氏もNさんも速足だと思うことにしよう。できれば2時間半で歩きたかったのが本音だ。そんなことはどうでもいいが、北側にある平標新道が見える。湿原の中を登山道が通っていて、いい感じの風景が続いている。かねてから吾策新道と合わせて歩いてみたいと思っているし、今年もまたそれを考えていた。CTで14~15時間。今年の歩きはもう無理として、松手山のオジサンの話だと、越路避難小屋はきれいだったというから、それもありか。

(仙ノ倉山に向かって下る)


 ここで白い景色を見てボーっと突っ立っていてもしょうがない。一服して、そのものが見えていない仙ノ倉山に向かう。まだ午前中の10時だ。少なくとも午前中は雲はなく、登山指数Aの予報だ。雲の流れも速いし、そのうちに晴れ渡り、仙ノ倉山からは富士山も遠望できるはずだと信じている(本当は那須で騙されて以来、天気予報はまったく信じてはいない)し、鈍足は「天気の回復を待ちながらゆっくりと登ってきました」の都合の良い理由にもなってはいる。
 少々寒いのでウィンドブレーカーを着、帽子のベルトをきつくした。これまでも帽子が飛ばされそうになっていた。

(下りの先の鞍部)


 階段道をどんどん下る。ここからまた戻り返すのかいなと思うとうんざりもするが、鞍部との標高差は80m程度のものでしかない。脇を太めの女性がヒーヒー言いながら登って行く。一眼レフのカメラを首に下げ、さぞ絶景を撮れたろう。
 途中のベンチで、靴ずれ予防にバンテージを左足首に巻く。登山靴を新調し、これで3回目の使用になったが、前2回ともに同じところが痛み、今回もまた、ここで我慢ができなくなってしまった。貼ると幾分楽になった。

(鞍部から。左肩に仙ノ倉山の頭がうっすらと)


(こちらは平標山)


 登り返しも階段が続く。ガスの中ながらも、たまに左手前方に仙ノ倉山が頭を出しては消える。後ろの平標山もまた見えたり隠れたりだが、見える時には青空バックになったりで、何ともあきれた天気だ。

(これもよく見かけた)


(東芝ランプ)


 「東芝ランプ」を通過。これが秩父方面では「マツダランプ」だが、電気の通わぬところでこんな宣伝をしてどんなものだろう。気になって調べると、マツダランプは元々はアメリカ物のネーミング(つまり松田でもマツダでもなく、東洋工業のMAZDAとは別物の米語のMAZDA lamp)で、日本では東芝グループがライセンス契約をして電球や真空管を生産していたようだ。それがいつの間にやら東芝ランプに名称を変更したらしい。つまり、両ランプともにイコールだ。

(ガスが濃くなっていく)


(一面茶色と白の世界)


 また東芝ランプ。これは標識らしく「肩ノ小屋ヨリ10000m」とある。何とも殺風景な景色の中を歩いている。ぼんやりの中に色のあるものはなく、茶色が深まったカヤトとササが風になびき、その間を木道、階段が続いているだけの光景。逆方向からのハイカーと出会う。あれっ、この方、松手山で追い抜かれた女性単独氏じゃないの。やはり速いねぇ。

(仙ノ倉山山頂)


(Nさんに撮っていただく。別にお気に入りの写真というわけではないが)


(展望盤の先に見えるものは…)


 ピークを2つほど越え、登り返して仙ノ倉山。予想どおりにNさんが休んでいた。昭文社マップには「360度の大展望」とある。ここは28年前に来ているが、その時はどうだったのだろう。記憶はすでにない。360度の視界に見えるのは白いガスだけ。これからのこともあるし、紅葉は後回しにしても、山並みが続く景色を見ておきたかった。まったく残念。
 Nさんは、仙ノ倉もよくいらしているようで、ここ、晴れるのは滅多にないですよとおっしゃっているが、こちらはそんなものかと思いはしても、残念無念がどうしても先に立つ。ここでNさんに写真を撮っていただく。今度は私がと言うと、もうセルフ撮りしましたからとのこと。Nさんは先に平標山に戻って行った。
 菓子パンを食べて、一服。天気の回復を待っていても仕方がない。晴れ上がるわけがない。平標山に戻る。

(仙ノ倉山からの下り)


(背後に気配を感じて振り向くと仙ノ倉山。今なら富士山も見えたりして)


 途中で2人組がやって来て、山頂の様子を聞かれてがっかりしていたが、このお2人、後でNさんの話では、時間の許す限り先に行くつもりでいたようで、果たしてガスの中、どこまで行けたのやら。
 ぜいぜいするとは思ったが、階段状のところは斜め歩きにすれば楽で、さほどに苦労せずに平標山に戻った。後ろの仙ノ倉山は、往路と同じに頭をチラッと一回見ただけ。何とも情けない。

(平標山山頂は賑わっていた。Nさんが湯を沸かしていた)


 山頂に着くなり、休んでいるトレラン風の2人連れに「仙ノ倉はどうでした?」と聞かれ、「ガスで何も見えませんよ」と答えると、2人で「やっぱりやめようか」なんて言っている。
 山頂にはグループを含めて15人くらいいて賑わっていた。さっきよりもさらに白くなっている。傍らにNさんが腰かけて湯を沸かしている。慣れたところとはいえ、Nさんとてがっかりだろう。同じ新潟でも、新潟市では、沼田からあたりよりも遠いはずだし。

 Nさんに挨拶をして下ろうとし、「平標小屋の方に下るんですよね」と聞くと、「いや、松手山経由にします」とのこと。先に2、3歩進んで、やけにその言葉に引っかかり、半身戻って「小屋方面に何か不都合でもあるのですか?」と聞くと、「いやぁ、あっちはあまり面白くなくてね」。なるほど。松手山コースに比べれば、確かに下り一方で風情も何もないかもしれないな。でも自分はここから小屋方面に下る。小屋から下へは歩いたことがないからだ。

(平標山ノ家に向かって下る)


 「天国への階段」ならぬ「下界への階段」、いや、これはよそう。「現実への戻り階段」を下る。余計な話だが、よく「下界は、今日はさぞかし暑かろう」と言う人がいる。本人に意識はなくとも、「下界」という言葉は見下しのようにも思え、自分にはどうも好きになれない言葉だ。

(ガスっているからきれいに見えるのか)


(湿原ぽくって良い感じだが)


(天国への階段)


(左手斜面にポツポツと見える)


(これは惜しい)


(平標山ノ家が見えてくる)


 ササ原の中に赤いのが見えたりする。そしてカヤトらしき茶色。ガスでよくは見えないが、晴れていれば、それなりのレベルできれいかと思う。向こう側の尾根の斜面もまた同様。どうしてもササ斜面になっていて、風景の中に色物そのものが少ない。ガスはかなり下まで降りてきている。歩いていると、そのままガスの中に吸い込まれていきそうな気分になる。登って来るハイカーはもういない。
 平標山ノ小屋が見えてくる。ここは素泊まり小屋かなと思っていたが、賄い付きもあるようだ。外のベンチでバアチャングループがお食中。垂れ流しの水をいただく。おいしい。ここでウィンドブレーカーは脱ぐ。かなり蒸し暑くなっている。雲の動きも止まってしまったようで、微風すらない。

(山ノ家)


(こちらを下るのは初めてだ)


 ここから駐車場までは歩いたことがないと記憶している。以前、こちらが側から平標山に行った時は、三国峠から三国山、大源太山、平標山のピストン歩きだった。休憩するには落ち着かず、一服だけして下る。

(下り道で。その1)


(下り道で。その2)


(下り道で。その3)


(下り道で。その4)


(下り道で。その5)


(下り道で。その6)


(下り道で。その7)


(下り道で。その8)


(下り道で。その9。これは晴れていれば確実にきれいだったろう)


 何ともすごい紅葉が続いていた。ただ、葉をよく見ると、まっとうな紅葉には程遠く、ガスをバックにしている割には色具合が鮮やかではあるものの、焼けて、穴あき、ブツブツ、変色となっている。上の紅葉が終わったとしても、小屋の標高は1660mほどのものだ。もう終わりということはあるまい。どうも不作といった感じだが、ここの下りだけはガスがうっすらと巻いていて、むしろ幻想的な雰囲気の下りだった。
 つい、写真をベタベタと貼ってしまったが、この紅葉も、ガスがかかっていたから幻想的にも見えるというもので、上が青空だったら、目もあてられないものだったかもしれない。

(もう終わり)


(林道出合い)


 標高1400mあたりになると、もう濃い色はなくなり、植林の中に淡い色が見える紅葉になった。ということは、やはり、紅葉の盛りのところを下っていたのだろう。それにしてもここは蒸し暑い。サウナの中のようで、頭から汗が顔に落ち、メガネも曇り、身体はベトベトで何とも不快。
 階段が終わったと思ったら、また復帰して、林道に接する登山道入り口に出た。何だかほっとした感じがする。林道は開けているし、さほどの蒸し暑さは感じないだろう。まして、左は沢のようだし。

 石に腰をおろして一服していると、山頂にいたトレランカップルが下りて来た。さすがに走りはしないが、颯爽と林道を下って行った。ここの林道、車はここまで入れるのか。先に車が2台駐車している(実際は、大分先の分岐に「通行止め」の看板がある)。

(林道歩き)


 長い林道歩きがはじまった。CTでは55分とある。距離がどれくらいあるかは知らない。途中で見かけた目印用の標識には2.2kmと記されていたが、その前後に同じ標識を見ることはなかった。ここは最後まで未舗装林道だ。途中で砂利撒きの作業をしていた。林道はいくつか分岐するも、標識が置かれているので、選択を誤ることはない。

(ここから遊歩道に)


(沢沿いのハイキングコース)


(トレランのオバチャン2名。山頂では見かけなかったから、この周辺でただのマラソンか)


 途中に「登山口駐車場→」の標識。右手の沢筋にハイキングコースが続いているようだが、この時点では林道が離れていくので、ここに標識を置いたのかと思った。石がゴロゴロして歩きづらい歩道。すぐに、後ろから女性の大声で「こっちよー、こっちよー」と声がした。標識を見つけて入り込んだのか。
 しばらくそのまま歩いたが、背後直近に声が聞こえてきたあたりで先行していただく。何と、トレランのオバチャン2人だった。トレランをするオバチャンを見たのはこれが初めてだ。ともに脂ぎっている様子はなく、むしろ乾いた感じ。
 ちょとした坂があり、上がったところで左を見ると、林道が接していた。知っていたら、わざわざこんなところを歩かずとも、林道をそのまま歩いたのに。勝手な想像だが、この辺は別荘地になっているようで、ハイキングコースは敢えてずらして設置したのかもしれない。

 ちょうどお腹も空いていた頃だったので、林道脇のマンホールの上に腰かけて昼食。終点はもう少しだ。食後の一服をしたら、タバコのフィルターに血が付いていた。リンゴを食べた際、頬の内側を噛んでしまっていたが、血が出てしまっていた。

(朝の分岐に出た)


(そして終点)


 ハイキングコースに復帰して駐車場に向かう。その間、隣の林道ではハイカーのスズの音が間近に聞こえ続けていたから、林道をずっと下っても問題はなかったようだ。
 登山口の手前で、松手山コースに合流。そちらからオバチャングループが4人歩いて来た。そして、目の前にはオジチャンの単独。登山届を回収している。こちらは、提出そのものを忘れていた。
 靴を洗い、トイレに寄って車に戻る。もう車は7~8台くらいしかないが、平標山の山頂で見たハイカーからして、その間の車の入れ替えがかなりあったのではないか。

 さて、帰りの温泉はどうするか。ここで探すよりも、三国峠を越えて群馬県に入ってからにしよう。スマホで日帰り温泉を調べて、ナビに入力する。
 車を出すと、Nさんが駐車代を支払い、自販機で飲料を買っていた。声をかける。温泉探しをしている間に戻って来たようだ。「お疲れさんでした。またどこかの山でお会いしましょう」と挨拶し、三国峠方面に向かう。あのタイプの方なら、再会することがあったとしも、逃げ隠れする必要はない。
 ここは、でんさんのようなヒッチハイカーも通るだろうと思い、周囲に目を配りながら運転したが、歩いているハイカーはだれもいなかった。三国トンネル手前は工事中で、ここには三国山、稲包山コースがある。駐車場にはそれらしき車が2台あった。どっちに行っても、午前中に見えた紅葉の景色からして、今日の紅葉はたいしたものではなかったろう。標高的にはこれからの山だと思うのだが、やはり天気予報次第か(笑)。

 ナビでセットしたのは猿ヶ京温泉の共同浴場『いこいの湯』だった。ここは新しく、入浴料が300円とのことだったのでこれに決めたのだが、近づくと、右折して細い道にUターン気味に入らなくてはならず、すぐ後ろに車がいたのでパス。ナビは次の入口を案内したが、これもまた同じ。そもそも道そのものが路地のようになっている。
 いこいの湯はあきらめ、国道沿いに立てた『まんてん星の湯』の幟に引かれて行った。ここは3時間670円の設定だったが、3時間もダラダラと横になったり、風呂に入り浸るつもりはない。入ったら、そそくさと出る。そんな300円コースはなかった。ここは初めての気がしていたが、風呂に入ると、2回目であったことに気づいた。

 途中、高速代をケチって、月夜野のもっと先のインターから入るつもりでいたが、結果的には越後湯沢からずっと17号で帰ってしまった。運転時間は3時間だった。渋滞もあったりして、かなり疲れた。目覚ましのつもりのタバコも吸い過ぎてしまった。

(本日の軌跡。皆さん、同じような歩きをされている。ありきたりの歩き)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

(西上州)立岩から荒船山周回。まさか帰路のルート探しで手こずるとは。~その1~

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◎2017年10月18日(水)

線ヶ滝先駐車場(7:42)……東西立岩コル(8:54)……西立岩(9:29)……荒船山分岐(10:15)……立岩分岐(11:06)……行塚山(12:02)……山頂分岐(12:17)……荒船山艫岩(12:47)……山頂分岐(13:30)……星尾峠(13:42)……左岸コース分岐(14:17)……威怒牟幾不動分岐(15:00)……威怒牟幾不動滝(15:08)……威怒牟幾不動分岐(15:22)……駐車場(15:56)……線ヶ滝観瀑台(16:08)……駐車場(16:13)
※表記時刻は到着時刻です。あちこちでかなりの休憩時間をとって歩いていますので遅いタイムになっています。参考にしても意味がありません。

 西上州の山はさほどに歩いていない。ボチボチとは思っているが、サボテンのような岩峰群を思うだけでどうもなぁと尻込みしてしまう。それでいて、一昨年の10月末に烏帽子岳からの帰り道で見た桧沢岳が気になっていて、次の西上州の歩きは桧沢岳のつもりでいた。
 水曜日は天気も良さそうだし、行ってみるかと昭文社マップを広げると、立岩というのが目についた。数年前に南牧村から取り寄せていた観光ガイドパンフを確認する。そして、ハイトスさんあにねこさんの記事もチェック。ここも面白そうだ。立岩に荒船山を加えたルートで歩いてみようか。コース途中に威怒牟幾不動(イヌムキフドウ)という名前のおどろおどろしい感じのスポットと滝があって、これが気に入った。他にもイモリの滝、線ヶ滝という滝も見られるようだ。今回の紅葉は、標高も低いし、度外視だろうな。

(行く途中で。奥が西立岩、手前が東立岩だろう)


 下仁田インターから県道で南牧村星尾に向かう。この県道、先に行くに連れて狭くなり、待機スペースもあまりない所を通過するようにもなり、民家も連なっているので神経をやたらと使う。軽で来れば良かったと後悔。対向車と出会うことはなかったが、線ヶ滝の駐車場に着いた時には心底ほっとしたものの、帰りも同じところを通るのかと思うと、このまま帰りたくなった。

(駐車場に置かれた石仏)


(登山口)


(丸太のハシゴ橋。奥にも2つ目の橋が見えている)


(登山者守り地蔵)


 駐車場、ハイトスさんの記事には、バスの回転場所につき云々の看板があるようなことが記されているが、もう路線は廃止されたのかそんな看板はなく、石仏と登山の標識があるだけ。車10台は置けるか。もちろん、他に車はない。朝だからか気温は12℃。冷たい風有りで寒い。防寒対策はしていなかった。間に合わせのトレパンのジャージのみ着込む。歩いていれば暖かくなるだろう。
 標識は「荒船山登山口」と「立岩登山口」の2種が並んでいた。丸太渡しのハシゴ橋を渡ると「登山者守り地蔵」。一応、手を合わせる。今日は岩峰歩きだし、クマの気配もある。よろしくお願いしますよと。

(左直進は星尾峠経由で荒船山。右は立岩経由。ここは右)


(童子の石碑)


(この2つ目の橋でやらかした。帰りは上流を渉った)


 矜迦羅童子と制吒迦童子を併記した石碑には「是よりふどう道十八丁」とある。後で調べると、二童子ともに不動明王の使者らしい。そういえば、桐生の山で三十六童子の石碑探しに夢中になったことがあったなぁ。信仰の道ということか。この先で分岐する威怒牟幾不動に至る道のことを指すのだろう。
 そんなことよりも、次の丸太ハシゴ橋がやばかった。さっきよりも長いが、丸太が一本少なく、造りが粗雑っぽい。さらに雨上がりでツルツル滑る。半分まで慎重に渡ったところで滑ってしまった。バランスを崩したところで、左足が丸太と渡しの間をスポっと腿まで抜けてしまった。足を引っこ抜き、あとは膝突きの四つん這いになって渡った。沢に落ちなかっただけでも幸いではあるが、登山者守り地蔵に参拝した割りには幸先がよろしくない。賽銭をあげなかったからか。帰りにここをまた渡らないといけない。絶対に橋は使うまい。その時はフィニッシュ部だから、濡れてもかまいわしない。しかし、周囲にだれもいなくてよかった。他のハイカーにこのとんだ赤っ恥を見られていたら、先々で後ろ指をさされて歩くことになる。

(分岐。立岩は右。左下直進が威怒牟幾不動道)


(標識はこんな具合だ。どこの山でも見かける光景だが)


 ここで威怒牟幾不動道と立岩との分岐。立岩までは1.8km。中級者向きとある。このところ、「中級者」のレベルがわからなくなりつつある。「中級以上」と言われた谷川岳中芝新道に至っては、自分は「超初心者」になってしまうし。この先もそうだが、この登山道、一部区間を除いて古い標識が豊富にあるものの、上に行くにしたがい、クマらしきものに粉砕されていて、支柱だけといったものもある。確かにクマは多いようだ。現に真新しい足跡やフンも見た。栗のイガやドングリがあちこちに落ちているところからして、クマがうろついていても不思議ではない。

(植林の中の道)


(ロープが出てくる)


 道はしっかりしている。植林の中をクネクネと登る。傾斜はさほどに急ではない。階段を敷設したところもある。雨後のためか、むき出しの道はかなり滑る。
 広葉樹が混じり込む。紅葉の気配はまだまだ先。うっすらとした色づきだ。この道、トラバース道といったところで、脆くなっているところにはクサリやロープも出てくるが、手をかける程でもない。ただ、次第に急になってきたので、ストックを出すことにする。

(魔界に入り込む感じ)


(そしてクサリ場を登る。あれで終わりではなく、岩を回り込んで付いている)


 いよいよお出ましかといった感じで、円柱型7~8mの岩が目に入ると間もなく、左右大岩の回廊といった風情になり、次第に緊張もしてくるし、ずっと続くクサリにもつい手が出てしまう。ここで、ストックは収納する。恐いもの見たさという感覚はなく、むしろ、さっさと済ませて先に行ってしまいたいといった気分の方が強い。
 ザレた岩峰の際を行くと、「立岩登り口⇒」の標識。見上げると、岩の際が急なクサリ場になっている。こういうのはバンドというのか、通路は細く、ちょっとばかりヒザがガクガクする。緊張しながらクサリに手をかけて登る。

(側面から。西立岩?)


 見上げて長いなと思った割りには短いクサリ場だった(実際は20mらしい)。まぁ、これからが本番だろう。目の前に切れ落ちた岩峰が見えている。まさかあれが、これから登る西立岩というのではあるまいな。余談だが、ここには、昭文社マップを見る限り、東西、北の立岩が記されている。登山道が通っているのは西立岩のみ。ネット記事を見ると、東立岩込みで登っている方もいるが、自分の場合、岩峰登りはそれほどの関心事でもないので、西立岩のみに行く。ハイトスさんも行かれていないし、東立岩は西上州ファンのHIDEJIさんにお願いすることにしよう。

(東西立岩の鞍部。枯れきったスズタケが繁茂している)


(ベンチがあったりして)


 で、これからは岩場続きかと思ったが、クサリは若干続くものの、スリリングなところはなく、普通の山歩きスタイルになってしまった。周囲が木立になり、紅葉が期待できるかなと思って歩いている。そして、これを折ってしまったらそれきりだろうなといったスズタケの小道になったりする。たまに大きな岩を見るくらいで、麓から見たあの岩峰の中を歩いているとはどうも思えない。
 鞍部のようなところに出た。ベンチがあって、標識には「立岩0.5km」とある。ここが東西立岩の分岐だろうか。0.5kmとは随分あるなぁ。やはり、まだ際どいのはこれからだろう。さっきのクサリ場は際どいレベルではなかったし。

(西立岩へ。岩峰の中を歩いている雰囲気ではない)


(ここを登ってみると)


(西立岩が間近に)


 腐りかけの階段を登って下る。起伏が多い。左手に踏み跡が見えたので追ってみると、ちょっとした岩峰になっていて、登り上げると、さっき見かけた岩峰が間近に見えた。やはりあれが西立岩か。とすると、ここが東かなと思ったりしたが、左手にはしっかりと岩峰が見えている。あれが東立岩か。山頂まで木立が続いているから、むしろ西よりもやさしいかも。後で調べると、ここは西立岩の南峰というらしい。それにしても、ここから下の眺めは壮絶といった感じの絶壁になっている、ノドカラにならないうちにさっさと引き返す。しかし、あの西立岩、あんな険しい岩場になっていて行けるのだろうか。だけど、破線ルートでもないし、あっさり行けるんだろうな。

(踏み跡を追うと、先には行けなくなった)


 踏み跡があちこちに出てきて、テープも消えてわかりづらくなった。とりあえず濃い踏み跡に行ってみると、先は岩場でクサリなし。その先に行けないこともないが、横からトラバース気味に登るようになり、下は切れているから回り込むのはかなり厳しい。ここで撤退か…。しかし、考えてみると、ここまで丁寧にクサリがあったのに、急に消えることはあり得ない。このまま行くとなると破線未満の危険マークになってしまう。これは確実に道間違えだなと、すごすごと戻る。
 なんだ、テープがあるじゃない。改めて正当な方向に行く。踏み跡に騙されて早々に見切りをつけて戻るうちはまだいいが、頭の中が一方通行になっていたら、踏み込んでしまってから命からがらに戻るか落ちるかのパターンだろう。

(またクサリ場の登り)


(手前が南峰で、奥が東立岩かも)


(まだ上がある)


 またクサリが出てくる。ここは滑りやすくて急だからの配慮だろう。上ではロープも加勢する。見上げると、青空が開けている。あそこからかなりヤバくなるのだろうか。心構えをしてクサリ頼りに登ると、ぽっかりと見晴らしの良過ぎるところに出た。もしかして、これ、西立岩の山頂か? さっき登った南峰と東立岩らしき岩峰が脇にそそり立っている。だがまだ上が続いている。

(西立岩山頂)


(木彫りの仏様)


(山頂から1。真ん中の尖がりが行塚山だったようだ。その左にうっすらと浅間山)


(山頂から2。山頂から北西方面になる。あの乳首山が大変気になった。兜岩山かねぇ)


(山頂から3。これは北東方面)


(山頂から4。南西側)


(山頂から5。これは南側だったか)


 ベンチと標識が見えた。もしかしてこれが山頂かねぇ。半信半疑で見渡すと、例の、だれのレポにも載っている木彫りの仏像があり、立岩の標識もあった。勇んでやって来た割りにはあっさりした到達感だ。山頂とはいっても、むき出しの岩峰らしからぬところがあり、右手東側は木立になっているので高所恐怖症のレベルではないが、左はやはり景色が良いものの、見下ろしは避けた方が無難だろう。遥か下、国道254号線を走る車が見える。
 しばらく絶景の展望を楽しむ。木立がある分、360度とはいかないが、225度ほどの展望だ。岩峰がニョキニョキと並んでいるから、地図と照らしてもどれが何山、何岩なのか見分けがつかない。はっきりとわかったのは雲に覆われた浅間山だけ。これから向かうつもりの行塚山がどれなのかもわかっていない。すごい眺めだなといったど素人の楽しみ感覚だ。

(西立岩からの下り)


(威怒牟幾不動の標識)


 では下る。進む方向からして、あの、肩肘張って威張っている感じのピークが行塚山っぽい。それでいて、その先の荒船山の高原状の地形が見えない。ここからでは例の、クレヨンしんちゃんの作者が8年前に転落して亡くなった艫岩は見えないのだろうか。それはともかく、周囲は絶壁の下だから、これからどういうルート取りで肩肘張りの山に行くのだろうか。地図では、しばらくは尾根伝いにはなってはいる。下りかけで浅間山が雲から顔を出した。改めて東立岩を見る。登った南峰は見えない。南峰はささいなギザギザの一部にしか過ぎなかった。
 登った分もったいないなぁと思いながらもどんどん下る。「イヌムギ不動⇒」の看板があった(ここでは「キ」ではなく濁点付きの「ギ」だ)。ここで、分岐かなと思って地図を確認する。分岐ではない。このままの標識下りで良いようだ。

(尾根の歩き)


(見えづらいがクサリが3本垂れている)


(振り返って立岩。海坊主と大入道みたいだ)


 明瞭な尾根状の歩きになり、鞍部にさしかかると、2人組のハイカーが逆方向から登って来た。うち一人はサイクリング用のヘルメットをかぶっている。まさか、こんな平日にと思っていたからびっくりした。コンニチワで素通りしたが、時間的に、駐車場に他の車はなかったし、自分の予定コース逆回りとは思えない。ということは、黒滝山の方から来たのだろうか。それにしても、まだ10時前だ。時間的には早過ぎないか。
 岩峰が目の前に立ちふさがる。散々下った後の岩峰だから、西立岩の一部ではあるまい。クサリが3本垂れている。ここは左に2本を左右の手を使いながら登った。無理に使わずとも登れるが、岩が濡れている時はクサリ使用だろう。振り返ると、立岩が陽光を背にして見えている。

(荒船山分岐の標識)


 後はずっと尾根伝い。部分的に細くなっている所もあるが、左右切れているわけでもなく危険は感じずに歩いて行ける。
 分岐になった。ここが南牧村マップにある荒船山分岐で。左の下りは威怒牟幾不動に至るようだが、おそらくはあったであろう標識はない。粉砕された標識に「←トモ岩方面」と手書きされているので直進する。この辺、不思議な現象で、上の木々の葉は緑だが、地面に落ちた葉は紅葉になっている。第二段の紅葉がこれからあるということだろうか。

(うっすらとした紅葉がきれいになってくる)


(ここも賑やかだ)


(尾根が細くなってもこの程度)


(1305m標高点ピーク)


 急斜面になっていく。さっきのお二人、さんざん下りで滑ったのか、その跡が結構残っている。落葉で道型は不明瞭なところもあるが、散発的なテープもあるので、これは助かる。この辺から先は大きなドングリがあちこちに落ちている。クマもいそうだ。ただ、クマの好みは緑色のドングリらしく、落ちて茶色になったドングリはあまり食べないようだ。
 自分としては順調に歩いている。荒船山に行くのはヤメにしようか、行塚山は巻こうかなとちらっと思ったこともあったが、このまま行塚山に行くことにする。艫岩に行くかどうかは未定だ。1305m標高点ピークに出て休む。ここには図根点が置かれている。

(ヤブ道標識)


(階段の下り)


(チラリと右手に無無岩?)


 また下ってちょっと登ると標識。立岩方面の確認標識だ。それには「ヤブ道」と記されている。ここまで、少なくともテープもあったし、迷うようなところはなかったが。かつては、スズタケ充満のヤブだったのかもしれない。
 また余計な廃れた丸太階段の脇を下って行く。なだらかになった道を行くと、ここもまた落葉紅葉になっている。色づきがあるという点では確かにきれいだが、上の葉は半分の紅葉だ。ここで東の毛無岩方面からの道が合流する。立岩分岐。標識には「黒滝山不動寺8.4km」とある。行く方向には「星尾峠1.2km」。その下にも標識があったようだが、残骸も見あたらない。黒滝山方面の尾根を見ると、ポコンとしたピークが見える。あれが毛無岩だろうか。

 昭文社マップ(2005年版)を見ると毛無岩とこちら側・相沢越区間は「ナイフリッジ 危」とある。昨年、そこを歩かれたHIDEJIさんは楽勝で通過されているが、自分には毛無岩は縁なしのままでいたい。気になったのは、HIDEJIさん記事に掲載されたマップには「ナイフリッジ」が消え、南側に「ナイフエッジ」と書き込まれている。2005年版にはそれがない。そもそもリッジとエッジはどう違うのか。ridgeは尾根、edgeは鋭さを意味するから、険峻さからいえばエッジ>リッジとなるのか。となると、「キレット」はどのレベルなんだ?

(自分好みの紅葉の色づき)


(下ると、右からピーク迂回路。余計な歩きをしてしまった)


 紅葉がきれいになった。全体が淡い。この辺はこれからだろう。落葉紅葉はない。樹々の間から正面に肩肘張り型のピークが見える。やはりあれが行塚山のようだ。なだらかになってまた上りになった。ここでストックを出す。テープが見えなくなったが、尾根通しに行けばいいだけだろうが、急な登りに踏み跡はなく、登り切ってから呼吸整えがてらに一服する。
 せっかく登った小ピークだったが、下ると、右から明瞭な道が現れて合流した。どうも余計な登りをしただけのことだったようだ。

(良い感じ。ここも以前はスズタケ通りだったのだろう)


 また起伏のあるなだらかな道。階段もある。この辺が一番紅葉はきれいだったが、あと一週間から10日は欲しいだろうな。ここもまたスズタケが壊滅状態。
 そして分岐。標識はない。正面は上りになっているから、行塚山への直通ルートで、左は星尾峠に向かう道だろう。ここは直登ルートを選ぶ。

(行塚山への登り)


(行塚山山頂)


 青空の下の紅葉を見ながら登って行く。のんびりながらも結構きつい。石がゴロゴロしてくると、左手に立岩が見え出す。こういう光景がなかったらつらいだろう。
 山頂に到着した。これが行塚山。注連縄を張り、石祠が置かれている。この石祠、「平成七年・内山氏子中」とあるから新しい。二等三角点と「佐久市炬火採火の地 国民体育大会」と記されたよく意味のわからない碑が置かれている。山名板には「経塚山」と記されている。棒状になっていて、他にも何か記された板があったのだろうが、これもまた粉砕。展望は木立に囲まれてよろしくない。

 ここで、余計なことを記す。荒船山とこの行塚山、別の山かと思っていた。32年前に友人と荒船山ついでにここにも来た記憶がある。内山峠から登った。その時は「経塚山」として覚えている。今回、調べると「行塚山」というのもある。帰ってから気になって山名事典を調べると、「京塚山(経塚山、行塚山)。1423m。荒船山の最高点」とあった。「荒船山」を調べると「1423m。頂上は南部の京塚山(経塚山・行塚山)で、北端に艫岩と呼ぶ170mの崖がある。山名は、荒波に浮かぶ船の意からきている」となっている。地理院地図に京塚山等の山名の記載はなく、三角点マークがあるだけで、このエリアとして「荒船山」と記されている。ちなみに三角点の点名は「荒船山」。昭文社マップでは「行塚山(経塚山)」の表記だ。ここでは行塚山として通すが、行塚山=荒船山とは知らなかった。これを知らなかったために、後でとんだ笑い話を起こすことになる。
 これを調べた際、「経塚山」という山は全国に多いことを知った。桐生にもある。経塚とは経典を土中に埋納した塚のことらしい。この行塚山も含め、それぞれの山も、そういった意味合いのある山かと思う。

 長い蛇足だった。その分、山頂では長い休憩になっていたが、その間、これまで荒船山の山頂と思っている艫岩まで行くかどうかでずっと悩んでいて、地図を見る限りは平坦になっているし、行ってみるかと、重くなった腰を上げて下る。

(艫岩に向かって下る)


(行塚山頂分岐)


 尾根を巻きかげんでずっと下って行くと、標識。昭文社マップでは「山頂分岐」、南牧村マップでは「行塚入口」とあるところだ。左は「星尾」、手前は「行塚山」、直進は「荒船山絶壁」となっている。すでに荒船山に入っているから、「荒船山山頂」としないのが不思議に思っているが、帰りはここに戻り、星尾方面に下ることになる。

(平坦な道が続く)


(落葉紅葉)


 ずっと平坦な高原遊歩道といったところを歩く。ここもまた落葉紅葉。これを見なけりゃ、紅葉はこれからだろうなと思ってしまう。去年までの落葉ということはあり得まい。変色して茶色になっているはずだ。
 のんびり歩いて行くと、2人連れが来る。やはり、内山峠起点なのか、その後も8人ほどの個人ハイカーと行き会ったか。ここの標識には、消えかけてはいるが「自然歩道」とある。

(本日一番の鮮やかさ)


(クリンソウ自生地)


(石祠。荒船不動尊関係だろうか。南向き)


(近づくと終わりかけっぽい)


(皇朝最古修武之地の案内板)


 しかし、艫岩までが長い。途中、「クリンソウ自生地」というのがあったので寄り道したが、この時期に咲いているわけがない。茶色の葉があちこちにあるだけ。祠も道端に2基ほど見た。「皇朝最古修武之地」の石碑の看板を見かけもしたが、これは帰り道に寄ることにする。

 こんな良い雰囲気で歩いているところに、10人ほどのGB隊が大騒ぎしながらやって来て、気分は一時的に台無しになった。こちらが水溜まりで一行の通過を待機していたのに、半分以上が無視。ラストのGに至っては、スミマセンネ、アリガトウゴザイマスの挨拶すらしてこなかった。こんなのがリーダかサブをやっているのでは、もう、山に登るなよって言いたいわ。
 ここで、さっきの蛇足話に戻る。艫岩の方からやって来た単独氏に「荒船山の山頂はどこですかね。このままずっと平らなままですか?」と問われ、「ずっと平らですよ。山頂は艫岩じゃないですか」と答えてしまった。すると「山名板もなかったけど」。これに対して、ふと思いつき、地理院地図を広げて見せ、さらにおかしなことを言ってしまった。「この辺では、1356m標高点が一番高いところになっていますけど、さっき通ったら何もなく、周りより高いといった感じもなかったし。途中に大きな石祠がありますから、山頂はそこかもしれませんね」。「どれくらいで行けますか?」。「5分くらいですね」。「じゃ、そこに見てきますよ」。考えてみれば赤面もののトンチンカンな会話だ。山頂は行塚山であることを知らないからこうなる。また艫岩に戻って帰るとおっしゃっていたが、会うことはなかった。おそらく、他のハイカーに山頂がどこか改めて教えてもらったのだろう。

(あちこちから登山道が入り込み)


(艫岩に着く)


(艫岩から1。普通の山の景色といったところ)


(艫岩から2。西側斜面)


(艫岩から3。浅間山)


(艫岩から4。八ヶ岳方面。蓼科山か?)


 ようやく艫岩。だれもいない。傍らに休憩舎。ちょっときたない。改築延期の看板が置かれているが、改築はあり得まい。発行元は下仁田町役場。何で下仁田?と思ったが、地図を見ると、行塚山から北側は南牧村から離れ、佐久市と下仁田町との県境になっている。どうりで、南牧村観光マップには荒船山の案内が記されていないわけだ。京塚山から北は消えている。
 風が出てきて、じっとしていると寒くなる。ここからの展望はたいしたものではなく、八ヶ岳から、浅間山、草津白根と180度の展望だが、空も大分白くなっているし、遠望は効かず、八ヶ岳も頭が見えるだけ。こちら側からでは西上州らしい岩峰は一つも見えない。斜面の紅葉も西側を除けばまだまだだ。薄い緑が主体になっている。長居して楽しいところでもなく、さりとて、下を覗き込むつもりもない。おにぎりを食べたら帰るとするか。

(皇朝最古修武之地の碑)


(さっきの一瞬、山頂と思っていた1356m標高点付近。荒船山山頂と思ったりしていたところだ)


(行塚山分岐に戻る)


 さっきの方々とまた出会う。何でかなぁ。行塚山に行ったにしても、行く価値のある山にも思えないし…。その時はそう思っていても、行かなかったら、ロープウェイで天神平を往復して谷川岳に行った気分でいるようなものだろう。山頂を知らずに荒船山に来たのは、自分と、質問の単独氏だけだったようだ。
 皇朝最古修武之地の碑を見物で立ち寄る。あっという間だった。昭和九年製の棒状石碑。何と記されているのか読めず。ぶらぶら行くと星尾峠方面分岐に戻った。内山峠方面から入ったらしいハイカーが、ここもまた艫岩に戻って行った。荒船不動尊の方を経由して周回しないのか何とも不思議だ。

その2に続く)
※今回はちょいバリエーションな歩きだったため、見栄えもしない、どうでも良いような写真を多く入れ過ぎてしまいました。そのため、一日写真アップ数の制限を超えてしまい、今回の歩きの記事は二部構成にさせていただきます。

(西上州)立岩から荒船山周回。まさか帰路のルート探しで手こずるとは。~その2~

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◎2017年10月18日(水)

その1)からの続き。荒船山から星尾峠に向かっての下りから。

 さて、ここから長くて精神的にしんどい下りとなる。威怒牟幾不動ルートは、昭文社マップでは実線扱いだったから、南牧村マップでは「荒れている」とはあるが、たいしたこともないだろうと考えていた(最新版の昭文社マップでは破線ルートになっていた)。実線であろうが、破線にしても、そんなのは歩いた筆者の主観の判断であって、目安にする必要もないことだが、尾根通し、沢伝いとはわけが違い、ここからはずっと小尾根と沢をまたいで行く不明瞭なトラバース道だっただけに、余計に苦労することになった。

(2段式の階段。使う人はいまい。滑ってケガをしかねない)


(行塚山巻き道分岐)


 星尾峠に向かって下る。踏み跡はしっかりしている。ここもまた、使いもしないというか、使えばやっかいそうな積み上げの階段が置かれている。当然、その脇を下る。丸太は滑りかねない。何で2段式にしているのか不思議だ。その分、何年も経て土が流されたのか。
 階段から解放されると標識が見え、ここが星尾峠に到着かと思ったら、行塚山巻き道の分岐で、往路の行塚山直下で分かれた道の延長だろう。その方向には「黒滝山不動寺9.4km」とある。ここの標識は珍しく健在だ。確かに栗もドングリも周囲には見あたらない。

(危うい感じの橋)


(星尾峠。後で調べると、やはり上州と信州を結ぶ古道が通っていたようで、上州側は威怒牟幾不動道ではないもう一本の直通道で、石仏やら石の標識が置かれているようだ)


(星尾峠に置かれたコース案内板。威怒牟幾不動は存在せず、「南牧村に至る」のみ)


 荒れた道になった。崩壊したところに斜めの金属製の渡しがある。これは危なさそう。踏み跡に合わせて崩れたところを安全に渡ったりする。トラバース道をそのまま行くと、星尾峠に到着した。
 やたらと標識がある。ここは三叉路になっていて、集約すると、A荒船山頂 B荒船不動尊・国道254号線 C兜岩・田口峠の三種になるが、肝心の威怒牟幾不動方面の標識がない。行こうと思っている方向にはC標識が向いてはいる。それはそれでいいのだが、その時点では別コースと思っている。コースマップの看板を見ると、ここにも威怒牟幾不動は記されていない。これを設置したのは佐久市になっている。群馬県側ルートは省略なのだろう。余計なことだが、この看板、荒船不動尊と兜岩山の間にクマの絵が描かれている。要注意の説明はないが、いるから入れたのだろうな。

(標識があった)


(下る)


 首を傾げながらC方向の踏み跡に入ると、すぐに控え目に「星尾 線ヶ滝」の標識があった。安心してここを下れそうだが、それならそうと星尾峠に置いて欲しいものだ。
 ロープが据えられた踏み跡をクネクネと下っていく。これまでと違って、この先は踏み跡程度のものになっている。落葉が堆積しているので、見分けがつかないところもあって、神経を軽く使う。テープもあるし、遠目で見れば、踏み跡も幾分明瞭だ。

(窪みで何とか判別する)


(左岸から右岸、右岸から左岸へ)


 沢が出てきて、左岸に渡ったり、右岸に戻ったりを繰り返す。この辺から、踏み跡は河原の間に入り込むようになり、石も出てきて、軽い神経レベルでは済みそうにもなくなってきた。ただ、テープもケルン(とはいっても手製の石積み)も置かれているので、テープで立ち止まって、次のテープを探す歩きになっていく。基本は沢沿いなので、路頭に迷うまでにはならない。まだ幾分の気分的な余裕もあったが、沢が複数現れるようになると、どれが本流なのかと首をかしげながらのテープ探しになる。次第にヤバいところを歩いているような気分になっいる。

(この辺は間違えない)


(つい、向こうに行きたくなってしまうが、これは×)


 そのうちに、テープが見えなくなると、あらゆる窪みが踏み跡のように見え、行ったり来たりをするようになった。これでは迷いの可能性がありだなと、戻ることも考えたり、威怒牟幾不動コースはやめにして、この先で分岐するはずの登山靴直通コースにしようかと思ったりするが、果たしてそこまで行きつけるのか。星尾峠から下ってさほどの時間は経過していないのに、早々に気弱になっている。テープを見ればほっとする状態が続く。
 これまでザックの中に入れていたGPSを胸のポケットに移した。ここまでの軌跡を確認する。登山道の点線に重なってはいない。テープを追って来たのに、ところどころで大きく外れていたりする。これでは、GPSの点線に沿って歩くのは現実的に無理そうだ。この状態で、果たして駐車場に戻れるのだろうかと心配になってきた。

(鍋。ナベと記されていた)


(威怒牟幾不動の分岐標識)


(置かれた案内図板)


 沢の間の木に鍋が結わえられていた。おかしな物を見てほっとする。こんな物をこんなところにと思ったりはしない。秩父にはバケツの目印もあった。鍋の先はどっちなのか。5~6m先のケルンが目についた。ケルンとはいっても、2~3枚重ねのもので、注意しないとよくわからない。まして沢だ。他の石と同化もしている。ここの沢、左右、いずれかが崖になっていれば、マークがなくとも安全な方を選ぶが、始末の悪いことに、両岸ともに安全地帯になっているから、どこでも歩ける感じになってしまう。
 一本化してくれた沢の左岸側にかろうじて踏み跡が見えた。そこを辿ってみると、また沢に戻って消えた。ふと右岸側の高台を見ると、朽ちかけた標識があった。これでは、河原の両側に踏み跡があちこちに派生していて迷う人も多いだろう。

 ヤレヤレ、ここまでは何とか来られたか。星尾峠からほぼ30分。かなり疲れた。南牧村マップに記されたコースタイムで歩いている。昭文社マップにはこの辺に「ローソク岩」なんてのが載っているが、見つける呑気な気分にはなれない。標識の前には腐りかけのベンチ。座る気にもなれず、地図を広げる。ここの標識は「田口峠」「線ヶ滝3.4k」に分かれている。
 田口峠とはどこなんだ。さっきも標識にあったなぁ。兜岩山の南西側の取り付きにある峠であることはわかった。地図では、確かに、この先から林道のような道が続いているようになっているが、これを行けば登山口には戻れまい。ここは線ヶ滝3.4kが正解だろうけど、威怒牟幾不動に行くのか、直通で登山口に戻るのかは不明。こうなったら、できれば威怒牟幾不動を経由せずに駐車場に戻りたい。南牧村マップでは、ここが「左岸コース分岐」になっていて、直進とイモリの滝方面に分かれている。どっちになってもいいかと、線ヶ滝方面を選ぶ。実は、後で、ここに置かれていた案内図板の写真をアップで見てみると、駐車場への直通ルートは、ここから田口峠方面に行き、ちょっと先で分かれて下るという形になっていた。気持ちの余裕がまったくない状態になっていた。

(岩峰が見える。そちら方面に向かう)


(雰囲気が良いところもある)


 沢に下って左岸側に渡る。左には立岩かもしれない大岩が聳え立っている。沢から離れたので踏み跡は判別できるが、このトラバース道、どんどん上に登って行く。そして、下っては登るの繰り返し、沢型もいくつか渡る。石がゴロゴロしたところも出てきて、こうなると踏み跡は消えてしまう。
 この分岐道に入り込んでから、テープはめっきり少なくなり、見かける古い赤テープは枝に巻き付けてあり、接近しないとわからず、たまにヒラヒラテープを見てはほっとする。明瞭な尾根道では目障りだと撤去するが、こんな、どこを歩いているのかわからないようなトラバース道ではテープだけが頼りだ。

(支柱だけ残っている)


(イモリの滝)


 広葉樹の疎林を通過。歩いているのがコース上の踏み跡なのかケモノ道なのか判別がつかない。ここは広くて風景がきれいなところだ。支柱だけが残った標識があった。
 確かに踏み跡を歩いている。疎林を抜けると沢に出た。左手に滝が見える。「イモリの滝」だろうか。滝壺は倒木が集積していて、見栄えのある滝には見えない(落差8mらしい)。さっさとスルー。というか、この道でいいのだろうなといった思いの方が強く、ゆっくり滝見している気分にはなれないのだ。ふと思った。星尾峠からの下り、これは視力の良い人を同行させた方がいいだろう。ここの歩きは、テープとケルンが決め手になる。

(下っているように見えるが登っている。分岐からはとにかく上りが多い)


(これはパス)


 石ゴロになってまた不明。目を凝らし、何となく道型っぽいところを進むと、沢に丸太が3本渡されている。これを渡れるわけはなく、沢に下りて這い上がった。
 徐々に道がはっきりしてきたが、丸太3本を見てから、これは登山道ではなく作業道ではないのかといった疑念がわいてきた。GPSを確認すると、田口峠分岐からはきれいに破線に沿って歩いている。ずっと疑心暗鬼ながらも、正解ルートを歩いていることだけは確かだ。

(ようやくわかりやすくなってきた)


(利用者がいるとは思えない東屋)


 トラバース道が続いたところで、逆方向に「水飲み場100m」の標識。さっきの沢だろう。そして、大きな東屋があった。ここまで来れば、もう神経をすり減らすことはあるまいとほっとして、東屋のベンチに座り込む。立て続けに2本吸う。
 しかし、この東屋はいったい何なのだ。ここを歩くハイカーはあまりいまいし、東屋を設けるほどのことでもないだろう。きっと、村で一大観光ルートにしようと企んだものの、意外にハイカーは少なくてほったらしというところだろう。現に、あちこちにある標識はクマの訓練場になっている気配だ。

(齧ったか爪とぎか。しかし、ベンチが多い)


(苔むした一帯)


 大休止後に下る。踏み跡は道になりつつある。迷うところもない。逆方向に「荒船山2.2k」の標識。これも下が齧られている。相当な力だ。
 植林に入った。もう明瞭な道だ。作業道だったとしても問題はない。いつかは車道に出られる。こんなところにもベンチ。ベンチもまたクマの獲物なのか。サイドのヘリは削られている。傷口は比較的に新しい。石が苔むした地帯を通過。

(威怒牟幾不動の分岐)


(行者、ここに眠る)


 ようやく威怒牟幾不動の分岐標識が現れた。0.3kmか。すでに本日の歩きの終盤だから行ってみよう。
 ポツンと「大沢一?墓」と記された墓石が置かれていた。そして「荒船山近道→」の標識。これはどこに出るのか。地図にその線はない。さっきの東屋あたりにでもつながっているのか。自分が行く方向は、立岩の北側にある荒船山分岐に続いているが、歩き方のルートとして、この近道、立岩からではあまり意味のないショートカットのような気がする。ぜひともイモリ滝を見たいというのなら別だが。むしろ近道の出口に「威怒牟幾不動近道→」があった方が重宝するだろうに。

(威怒牟幾不動の東屋。東屋も多いなぁ)


(案内板)


 左手に踏み跡が分かれ、これを行くと東屋に着いた。ここに威怒牟幾不動があるようだ。案内板がある。そうか、線ヶ滝の駐車場に来る際にナビの目標にした吉祥寺の江戸時代の坊さんがここで修業を積んだわけか。阿闍梨と記されているから相当な立場の方だったのだろう。ここに行者・大沢一心という方の名前が出てくる。ということは、先ほどの墓は大沢一心の墓ということになるのか。

(威怒牟幾不動の滝)


(滝の中段下のお堂)


(お堂側から見た滝。これだけでは集中豪雨だ)


(お不動様)


(護摩壇の碑かと思う)


(脇から)


 沢伝いに先に行くと、勢いよく飛沫をあげた巨大な滝が見えた。これが威怒牟幾不動滝か。『なんもく滝めぐり』には落差40mとある。こういう滝も珍しい。滝の岩棚にお堂のようなものがあり、あそこに不動明王が祀られているようだ。そこまで行けるのかどうか近づくと、回り込んで行けそうだ。
 お堂とはいっても崩れかけた小さな小屋なのだが、不動明王が安置されていた。右の洞窟ぽい岩のすき間には「千座護麻?」と記された石碑がある。これは護摩壇だろう。300m歩いてわざわざ来た価値はあったようだ。
 もう一つ丸い上が欠けた石碑があった。それには「●●供養塔」と記されている。

(ナメ沢になっている)


(ここにも童子の碑)


 分岐に戻り、あとは駐車場に向かう。危なげな木橋を渡り、植林の中を歩き続ける。途中、崩れかけた作業小屋のようなものを右手に見る。そして、また童子の石碑が置かれている。これは師子慧童子と阿婆羅底童子の併記になっている。八大童子とか三十六童子のことはほとんど知らないが、威怒牟幾不動までが信仰の道だったとすれば、往時は最低16基の石碑が置かれていたことになる。

(また橋)


 またベンチ。右手に結構長いナメ滝が見える。下は見えていない。いよいよフィニッシュになりつつある。また、ハシゴ橋が出てきた。丸太4本ハシゴ型。ハシゴが半分なくなっていたがこれはクリア。右下に堰堤が見えてくると、立岩に登る道と合流し、例の足滑りの橋が現れた。
 ここは絶対に渡るまいと思っていたし、沢に下りて石を伝いながら渡渉した。予定通りに左足は水没してしまった。

(マツダランプ)


 出発時には気づかなかったが、ここにマツダランプの看板が置かれていた。そして、上には協賛の形か国鉄の名前が出ている。この看板には「尾沢村星尾」の地名が入っている。尾沢村が他二村と合併して南牧村となったのは昭和30年のことらしい。つまりは、この看板60年以上前に設置されたということになる。これ、あってもなくともハイカーの歩きに差しさわりがあるとは思えず、取り外して持ち帰りたくなった。念のため、実行には移してはいない。小沢岳が旧尾沢村エリアだったとしたら、元の山名は尾沢岳だったかもなんて思ったりして。
 ところで、このマツダランプの看板、逆から歩かれたみー猫さん記事にも別口のが出ていたが、あれでは尾沢村と違って年代の想定もできないから持ち帰れないなぁと、つい笑ってしまった。

(駐車場)


 登山者守り地蔵に「おかげさまで無事帰還できましたが、早々に橋から沢に落ちるところでしたよ」と報告し、駐車場に到着。しかし、いろんなことがあったわ。GB隊に遭遇して不快な思いをしたり、荒船山の山頂がわからずだったり、下りで半ば道迷いになりかけたりと。

(線ヶ滝の上で。これはお不動様ではない)


(線ヶ滝)


(滝壺)


 駐車場は出発した時のまま。車が入って来ることもなかったろう。荷物を車に入れ、カメラだけ持って、線ヶ滝を見に行く。上からだけで十分だったが、観瀑台まで下った。これもまた見ごたえのある滝だ。『滝めぐり』には落差35mとある。見惚れてしまうきれいな滝だ。雨上がりで水量が多かったからかもしれない。

 駐車場に戻って帰り支度。もう4時13分だ。予定では風呂にでも寄って帰ろうかと、艫岩の休憩舎にあったポスターの風呂屋の電話番号を控えてきたが、もう薄暗くなりつつある。下道で帰るのもやめにして、風呂なしの高速帰りになってしまった。

 後日談だが、先日の平標山と同じく、今日もまた同じ左足首に靴ずれを起こしてしまい、いずれバンテージ貼りと思いながらも、帰路の半ばでパニック気分の中、痛みも忘れてそのままで下ってしまった。帰ってから靴ずれ部分にはキズができ、皮もむけていたので、たいしたことはないだろうとオロナイン軟膏を塗るだけで済ました。ところが、翌朝起きると、左足首、特にくるぶし部分は異様に赤く腫れあがり、触ると激痛。歩いても痛く、医者に診てもらおうとしたが、地元の医院は水曜日、木曜日の休診が多いので、面倒になって、手持ちの抗生剤の軟膏を塗って間に合わせた。そしたら、翌日にはかなり腫れと痛みがひき、事なきを得たが、これからは、横着せずにバンテージをしなきゃなと思った次第である。


(今回の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」


(参考にした『なんもくトレッキングガイド』から)

飽きもせず神子内から禅頂行者道へ。今回は南側の唐梨子山と大岩山を周回。

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◎2017年11月2日(木)

安産地蔵尊前駐車場(8:20)……(皇海荘前)……1136m標高点付近(9:51~10:00)……1239.5m三角点付近(10:35)……唐梨子山(11:04~11:14)……大岩山(11:42~11:50)……1330m尾根分岐(12:09~12:18)……1183.7m三角点(12:44)……林道(13:15~13:28)……駐車場(14:09)

 神子内川左岸側の稜線上にある禅頂行者道(薬師岳~行者岳区間)には、地蔵坂から分岐する小保木沢林道を利用して登ったのを除き、神子内側から直接登ったのが2回ある。昨年の11月今年の5月。いずれも稜線上としてはハガタテ平の北側エリアだ。未踏の南側エリアから歩いて神子内川左岸側の地味尾根歩きは終止符を打つつもりでいたが、想定可能な尾根は幾多もあるものの、神子内川の渡渉は避けられない。これが不都合なところだ。
 唯一、渡渉をせずに済むのは、林道歩きを除けば皇海荘に至る輝水橋の利用だ。5月の帰りに下見もして来た。だが、どうも施設の前を通るのではなぁと気後れがしていた。さりとて、5月にふみふみぃさんが歩かれたように、それを避けて神子内川を渡渉したくもない。となると、やはり、目をつぶって施設の前を通らせていただくしかないか。

 朝起きて、だらだらとあちこちのサイトで天気予報を見ながら、今日行くのはどうしようかと迷った。「てんきとくらす」は登山指数Aになっているが、GPVも、でんさんご紹介のYamaYamaGPVでも、終日に渡って雲量が100%近い。これでは紅葉も冴えないなと一旦やめにしたが、明日からの3連休に山には入りたくない。まして、この時点で、翌日の天気予報はよろしくない。決断が鈍り、結局、家を出たのが6時半。さらに、低速車がずっと先までトロトロと走っていたので、着いたのは8時過ぎ。現地は陽が出ていて、青空も覗いている。正解は「てんきとくらす」だったようだ。

(輝水橋から1136m標高点ピーク)


(構内に入り、右手の林の中にさっさと逃げる)


(この辺を馬車鉄道の軌道が走っていたのだろうか)


 122号線沿いのトイレと安産地蔵尊が置かれた広場に車を置く。自分は知らなかったが、皇海荘近くに「足尾ゴルフガーデン森の家」というゴルフ場があったらしい。おそらく、橋を渡ってすぐの所に砂利敷きの駐車場があるから、そこが駐車場だったのではないだろうか。そこにも車は勝手に置けそうだ。
 着いた時間帯が悪かった。皇海荘に通う方の車の出入りが多く、人の姿も結構目に付く。登山姿でこんなところを歩くのは気が引ける。さっさと裏手に回って、植林の中に入り込んだ。何となく不思議な檜の植林だった。空地を無理に植林にした感じだ。普通は雑木林だろう。事前に『足尾の風景』で知ってはいたが、この辺を馬車鉄道の軌道が地蔵坂まで敷かれていたようだ。一帯がその名残だろうか。

(沢を渉る)


 地図を見て、沢があるのは知っていた。裸足になって渉るつもりでいたら、両岸に階段が有り、幅の広いコンクリート敷きの沢になっていた。靴底だけ濡らして渉れた。この沢、このまま登って行きたいなと思ったが、1239.5m三角点を通過するのも今日の目的の一つだったし、沢を登れば遠回りにもなる。何という沢なのかは知らない。上流に堰堤が見えたので、そこに埋め込まれているはずの銘板を見に行きたかったが、そんな時間的余裕もなくあきらめた。地味な沢は、どうもその名前が気になる。尾根のように名前を付けないでもらいたい。

(ここを取り付きにした)


(紅葉はこんな感じで、ちょっと淡いかも)


 尾根の取り付き予定は2ポイントあったが、目の前の斜面を適当に登る。地図には見えない尾根状にもなっていたからだ。すでに檜の植林は終わり、広葉樹の自然林になっている。じわりと急になったのでストックを出す。地図を見てもわかるが、1136m標高点の手前ピークまでは急登に耐えるしかない。その後は楽なようだ。
 左右ともに小尾根が並行に走り、その間に低い沢型も続いている。むしろ、沢型を歩いた方が楽かなと思ったりもしたが、左手に予定していた北西側から続くメイン尾根が見えてきたので、いずれ合流されるだろうと、このままで行くことにする。
 この辺の紅葉は色が淡いなぁなんと思いながら登って行くと、樹にピンクテープが結わえてあるのが目についた。赤ペンキもある。決してうるさいものではないが、これは作業用のテープだろう。こんなところを歩くハイカーがいるはずもなく、まして、ここだけ集中的にあり、やがて尾根に乗るとじきに消えてしまった。

(こんな標石があった)


 ここでピンクに巻かれた何かの標石を目にする。側面には「山」とあり、反対側には何やら文字が彫られているが「●點」にも見える。上面は赤ペンキが落ちて「+」だか「×」が入っている。標高905mあたりだ。でもこんなのが傾斜地にあるというのもなぁ。ふみふみぃさんが林道から小保木沢林道から尾根に入り込んで見られたのもこれと同種のものかもしれない。

(本尾根に合流する)


(快適な尾根だが急ではある)


(巨岩もあり)


 半月山を左手にちらりと見、振り返って神子内川右岸側の紅葉した山肌を見て本尾根に合流した。これまでの雰囲気が一変した。さも尾根といった感じ。そして幾分明るくなった。石がゴロゴロし、巨岩もあるが、歩行の妨げにはならないし、登って越えられもする。そして樹の根がはびこっている。倒木はない。樹が密になったり、尾根が一時的に細くなるところもあるが、概ね快適に歩ける。ただ、紅葉は少なく、南側が陽にあたって、時たまにキラキラと見えるレベルだ。そもそも、ここの尾根に紅葉を求めること自体に無理があるかもしれない。
 クマのフンが目立つ。新しい物はないが、ところどころにシカではない大きな足跡も残っていて、これは、近日中、もしくは今朝方のものだろう。この先、要注意だ。つい、樹の上を見る歩きになってしまう。ふみふみぃさんの件以来、周囲だけではなく上にも注意を払わないと。

(1136m手前のピーク)


(紅葉が賑やかではある。向かう稜線が見えている)


 明瞭な尾根を登り上げて行くと、平らなところに出た。ここは1136m標高点の手前ピークだ。ここはちょっと広くて、立ち休みして水を飲む。
 そろそろ、目の前に稜線が見えてきた。樹間からだからすっきりはしないが、右手に見えるのが唐梨子山だろう。ところで、この「唐梨子山」だが、これまでずっと「からりこやま」か「からなし(こ)やま」と読むものとばかりに思っていた。帰ってから調べると「けなしやま」だった。「唐」の字に「け」のヨミはないが、何かの当て字でこうしたのか。毛無よりも唐梨子の方が密教的な臭いはするし、一部の反発を喰らうこともない。いずれにしても、人名も地名も間違って覚えても仕方はないが、またすぐに忘れてしまいそうだ。
 下って1136m標高点への登り。この辺の紅葉は、黄色はこれからだったり茶色になっていたり、赤はもう汚くなって混在している。わざわざ写真を撮りに尾根離れする気にはなれない。

(1136m標高点付近)


(写真ではきれいだ)


(これも。鼻血はでないしむせることもない)


 1136m。さきほどのピークがまだ感じが良かったか。地形図では、ここからさらに緩やかになっていて、唐梨子山までの標高差は215m。直線距離としては、ここがほぼ中間点になる。とりあえずここで休憩して初めての一服。
 次第に色づきも目立ってきたが、陽もあたっているのに、依然として目を見張るようなものがない。総じてここは早いのだろう。むしろ、見物に時間をとられないから、淡々と歩いて行けるメリットはある。

(男体山)


 登りつめた1180m級小ピークから男体山がようやく見えてくる。この辺を歩いていて、男体山を見ないとどうも落ち着かない。
 樹の間隔が広がり、地面が細かな落葉片に覆われるようになり、右手から合流する尾根が見えてくると、この尾根のハイライト部分となるが、つい、クマの足跡らしき物やらクマフンを見てしまうと、のんびり歩きもできなくなる。先を急がざるを得ない。

(ササが出てくる)


(三角点はどこにやら…)


 低いササになり、その間をシカ道が通っている。これを追って行くと、そろそろ1239.5m三角点(四等、点名:神子内)になるのだが、肝心の標石がどこにあるのか見あたらない。GPSをアップにしても、その位置にいる。周囲は斜面途中ではあるが、少し平らになっている。あるならここだろう。ササも這っている程度のもので、見えないのがおかしい。白っぽい石を掘り返すとただの石。半端な倒木をどかしてもない。改めて下から登ってみたがない、ない、ない。あきらめた。ちなみに、後で写真をアップで見てみようと、あちこちを撮ってみたが、やはり写っていなかった。同じことが、去年だったか奥武蔵の山を歩いていてもあった。ネット記事では、ササに隠れていたのをようやく見つけたというのがあったり、自分のように見つけられなかったというのもあった。ここの標石に関しては、自分の記事を見て、見つけ出しに行くような物好きな方はいるまい。そもそも、こんなところを好んで歩くのは自分とふみふみぃさんくらいのものだ。

(カラマツを見上げる)


 尾根が広がってくる。見上げるとカラマツ。どうも鮮やかさがないし、そもそも葉が少ない。下は枝だけになっている。この辺に来ると、ドングリも落ちていず、クマフンも見かけない。自然とゆっくり歩きになる。ようやく赤いのを見つけたが、葉はカラカラになっている。

(平坦になって)


(唐梨子山)


 尾根型が不明瞭になってきた。かすかに先に稜線らしき形が見え、そちらに向かう。すでに稜線との高低差はなく、空き缶が捨てられていたり、なぜか布切れが樹に巻き付けられていたりする。キジ場の可能性有りだなと注意して行くと唐梨子山山頂に出た。
 ここに来たのは初めてではない。8年前に古峰原から周回したことがある。行者岳南の大天狗之大神までなら、足尾の向原から破線尾根伝いに来たこともある。神子内から来たせいか、どうも山頂といったイメージが薄く、ただの高地の一点にしか思えない。
 休憩して、菓子パンを食べながら、この山、何て読むんだろう。「からなし? からなしこ? とうなしではないだろうな」なんて思っている。ここでストックがじゃまになってきたので収納する。

(次は大岩山に向かう)


(足尾の盟主様。失礼ながら遠くから)


(大岩山)


 高低差のあまりないアップダウンが続く。道は明瞭。そして、紅葉は全体がくすんでいる。しかし、だれにも会わない。これが北側の地蔵、夕日、薬師だったら、平日とはいえ、他のハイカーに出会ったろう。
 だらだらと歩いて大岩山。また休憩一服。ちょっと暑くなってきた。頭からメガネに汗が一滴。今日は1リットルの水だけだが、それでもまだ3口くらいしか飲んでいない。汗ばんできたので、今日から着るようになったフリースを脱ごうかとも思ったが、面倒でそのままにした。
 黄色のテープに「キケン注意」と、足尾側に下らないように巡らされていたりする。間違って下ってしまった人がいるのだろう。確かに、地形図とコンパスも持たずに足尾側に下ったら危険ではあろうな。ラッキーなら林道に出られる。

(登山道は直進。自分の場合は右の尾根へ)


(主三角点とのこと)


 1267m標高点を越えてしばらく行くと、右手に北側に下る尾根が見えてきた。あれが下り予定の尾根だ。分岐の1330m級小ピークでまた休憩。この先を地図でしっかり確認しておかないと。
 ここにも標石がある。ペンキはなく側面の字もあるのかどうか不明(しっかりと見ていなかっただけのこと)。頭には「+」。登り時に見かけた?の標石は「+」か「×」がわからなかった。それは、横縦線ともに角に向かっていたためだが、ここは辺に向かっているから+だろう。この標石が気になって後で調べると。やはり載っていましたねぇ。熊鷹さんの今年の5月のブログに。林野庁の主三角点だそうだ。気になると、自分もやりそうだから、さらっと切り上げることにしよう。

(横道に入り込む)


(小ピークから左折して)


(もう数日だろうな)


 地図どおりに明瞭な尾根。緩く下って登り上げると1310m級小ピーク。ここは雑然としている。北東方面からこれまた緩い尾根が合流している。それを下れば、最初に渉った沢に出られるだろうが、ここは西に下る。次の目標は1183.7m三角点。1239.5m三角点を見逃しているからこれだけでも確認しておきたい。
 コンパスを西にセットして下ったが、紛らわしいところはまずない。ここは淡いが、まずまずの紅葉だ。これからだろうが、これ以上のケチをつけるのはよしておこう。気持ちまで紅葉の気配と同じに荒んでくる。

(行者岳だろう)


(岩が出てくる)


(次第に巨岩に)


 ゴツゴツした岩が出てくる。それなりに変化があって、これは皆さんにご紹介したい尾根だなと思ったのはそこまでで、左手南側に植林帯が顔を出すと、これはお薦めから離れてしまった。尾根に沿って、植林が続くようになる。尾根上は広葉樹続きだからまだ救われるが、左手の展望はきかなくなってしまった。樹にも赤ペンキが散発的に付きだし、岩は巨岩帯が出てきて、巻いたり、すり抜けて先に行くようになった。

(ケモノが踏み荒らした跡。ヌタ場ではない)


(1183.7m三角点)


 何かのケモノが広範囲に動き回ったかのような足跡が無数にあるところを通過。おののきの気分で1183.7m三角点(四等、点名:大内)に到着。標石の側面には「四等三角点」、「国地院」、「02●848」とある。数字の意味はわからない。ケモノの足跡群を見てから落ち着かなくなり、休憩もせずに先に行く。実は、ここから先が本日の難所だった。事前に地図上に引いて来た尾根通しのマーカーの如くにすんなりとは下れなかった。
 余談だが、古い地形図には、往路で見逃した三角点は記されているが、ここの三角点は記されていない。同じ四等、登録も2014年4月1日付けなのに何でだろうか。ふと疑問になった。

(間違いルートを下っている)


(こんなところにも)


 三角点から林道着地を目指して北西にコンパスを合わせたのにもかかわらず、早速、北尾根に引き込まれてしまった。北西方向に尾根が延びているはずなのに気づかなかった。いずれ北西に戻るだろうと思っていたが、すぐに尾根型が不明瞭になった。GPSで確認すると、林道末端にはこのまま行けそうだが、ややこしい地形を歩きそうだ。西にトラバースして行くと、それらしき尾根が見えて無事に復帰。
 復帰した尾根には大岩があり、見上げると岩稜帯になっていた。三角点から尾根に忠実に下ろうとしてもおそらく無理な話だったろうから、尾根ミスは怪我の功名と思うことにしよう。

(さらに急になり)


(林道に)


 尾根型を下って行く。いつしか植林尾根になっていた。こういうところは例外なく急斜面だ。足のかかとに力点を移し、滑らないように注意して下る。ここにも大岩がゴロゴロしている。GPSを改めて確認すると、予定尾根から大きく北側にずれている。コンパス合わせが微妙に狂っていたようだが、あっちはこっちよりもさらに急だろうと思うことにしよう。いずれにしても、このまま下れば、林道には出られるはず。
 かなり手こずって荒れた急斜面を林道に降りた。ほっとした。場所は地図上の林道終点手前。予定ポイントよりも100mほど先だった。道端に腰かけて大休止。この先はミスしないように行かないとなぁ。この先の予定ルートは、林道終点から北にある尾根に這い上がり、西北西→北に下るというものだ。

(林道歩き。終点で右の尾根に上がらないといけないが…)


(林道終点)


 この別口の小保木沢林道を先に行くと、右手に取り付き予定の尾根が下って来ているのが見えた。まだ高い。あれに登り上がるのはきついなと思いつつ、地図上はすでに終点を過ぎているはずの林道は、運良く、その尾根をぶった切って終わっていた。終点はこじんまりした広場で、その先に踏み跡らしきものはない。ただの車の回転場所のようだ。曲がったカーブミラーまである。

(同じような写真が続く。ラストの植林急斜面)


(これは良かったが、写真がどうも)


(ここにも標石)


 さて、またここでしくじった。コンパスをセットしたのは言わずもがなだが、林道で削られた尾根を意識するあまり、尾根型にのみ気にとられ、延長らしき尾根を下って行った。植林内とはいえ、踏み跡はなく、赤ペンキが目についたので、つい確信もしてしまった。GPSで確認すると、その北側の小尾根を下っている。もうここまで来たら、どこを歩いても着地できるだろうと、そのまま下った。
 えらく急な斜面だった。ここは絶対に登りたくない。四つ足歩きになってしまう。林道終点からの標高差は170m。下るに連れて緩やかになりほっとしたが、ここでも830m付近に赤ペンキを塗った「山」の標石があった。頭は明らかに「×」。何だか、これまで意識はしなかったが、足尾の山を歩く度に、標石が気になりそうだ。のめり込まなきゃいいが。しかし、強く意識したのは今日に至ってのことで、この手の標石は、足尾の地味な尾根を歩いていて、何度も見かけていた。

(もう終点だ。前面の白いのはビニールハウス)


 ゆるりとなったところで、左下に静かな沢が流れていて、沢に下りることにした。もう植林のすき間から、ビニールハウスのようなものが見えている。一服し、ここでスズを外した。スズは2個付けていた。人の気配もするので、何食わぬ顔で通り過ぎたいもの。

(石垣)


(上小畑沢)


(これは明らかに軌道の石垣と思うが)


 このまま駐車場に直行ではもったいない。実は『足尾の風景』で見た馬車鉄道軌道跡というのを見ておきたかった。西側にぶらぶらして行くと、石垣が目に入った。軌道跡はこれだろうか。さらに行くと沢。さっきの沢とは違って大きめ。この沢は石垣積みの段状になっているからやはり軌道とは違うかなぁ。沢を渉って振り返ると、城郭の石垣のようなものが見え、沢の対岸の位置には石積みに使ったらしき石が集中して残っている。やはり、軌道跡はこれだろうか。だが、『足尾の風景』に載っている写真の橋台のようなものは見あたらない。対岸を攀じ登って確かめようかとも思ったが、崩れるかここに至って泥んこになりそうなのでやめた。ただ、皇海荘の裏手に回った際に不思議な植林だなと感じたのは、やはり軌道跡だったからだろう。

(どうしても皇海荘の中をあるかないと戻れない)


(輝水橋を渡る)


 ぼちぼち帰るかと、ビニールハウスの脇をそろりと抜ける。中では作業をしている声が聞こえる。ついでに堰堤を見ると「上小畑沢」とあった。となると、さらに南にある地図上の水線付きの沢は「下小畑沢」とでもいうのか。ついでながら、着地したところの小さな沢は「大内事」とある。これは近くの地名にもあるから、沢の名前かどうかは不明。
 できるだけ皇海荘エリアから離れるようにして歩いたが、それは避けられず、最後はゴミ処理場の脇を通って輝水橋に出た。正面に神子内川右岸側の山肌が見えたが、どうもぱっとした色づきではない。昨年の11月3日に来た時は今は盛りにキラキラしていたけどなぁ。

(改めて。左から登って奥に行き)


(こっちから下って来たといったところだ)


 実は余裕があったら、この後で昨年の紅葉スポットを見に行くつもりでいたが、気持ちの余裕もなくやめにした。来年でも改めて見に行くことにしよう。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

(参考。これまでに歩いた神子内側からのルート)

同じ場所の紅葉がどうしてこうも違うのか…。腐って歩いた3時間。林道、国道沿いの紅葉がきれいだったのは何とも皮肉な話。

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◎2017年11月5日(日)

小保木沢林道入口(7:57)……林道離脱(8:19)……1406m標高点(9:16~9:25)……稜線下り(9:29)……紅葉スポット見晴らし場(9:42)……林道(10:08)……駐車地(10:44)

 いきなりの結論となるが、冒頭の写真は本日のもの。そして、下の写真は昨年の11月3日に撮ったものだ。2日のズレはあるが、何でこうも紅葉の具合が違うのだろう。

(昨年の紅葉スポット)


 2日の山行記事に添付した過去歩きの軌跡図に「紅葉スポット」と記したが、そこの紅葉を見たくなり、昨年よりは3日遅れではあるが行ってみた。
 実は、今年の5月にその周辺を歩いたのは、あれだけの紅葉なら、さぞアカヤシオも咲き誇っているのではないかといった素人的な発想からだったが、これにはあっさりと振られた。見るほどのツツジの開花はなかった。やはり、ここは紅葉だけなのだろうなと思ったものだ。たまたまアカヤシオが不作だったのかどうか、自分にはわからない。

 今日は連休の最終日。帰路の122号線もさぞ混むだろう。さっさと切り上げて帰るつもりでいたが、せめて、旧道の地蔵坂下から東に向かって林道に乗り上げる沢沿いに歩くくらいはしておきたい。沢靴持参で出向いた。
 足尾に入る。今日の天気は良好どころか雲量もかなり低いはずが、なぜか薄ぼんやりしていて、風景の全体が白っぽい。旧道入口先に車を置いて外に出るとかなり寒い。風も強い北風。沢の水もまた冷たそうだ。あっさりと沢沿い歩きのプランは放棄して、旧道を上に向かう。この寒い中、昨夜テント泊したらしい方が外で食事をしていたが、よくやるものだと感心する。決して暖かそうな食事スタイルには見えず、むしろこちらが震えてしまった。
 林道入口先の広いところに車を置く。地下タビにささっと履き替えて出発。林道入口には「小保木沢林道(焼山沢)」とある。別口の小保木沢林道は、おそらくこの()内の表記が違うのではないだろうか。いずれ確認する必要があるようだ。

(林道歩き)


 林道は現役に復帰したようだ。これまで数か所の土砂崩れや倒木で車が通れる状況にはなかったが、補修工事をしたらしく、危険なところはまったくない。以前よく見かけたシカの死骸すら見あたらない。関係者以外の車両の進入禁止はそのままだが、バイクが乗り入れて来ていたので、チェーンもかかっていないし、その気になれば、終点まで車で行けるだろう。

(半月山方面)


(予定通りに沢を登っていればここに出られた)


 右手に半月山が見えた。上には黒い雲がかかっている。まさか雪は降っていないだろうが、あの暗雲が今の天気をぱっとさせていないのだろう。向かう方向に陽は出ているがかなり弱い。予定では林道終点まで行き、すぐに1151.7m三角点から上がって紅葉スポットに出るつもりでいた。この天気具合では、もう少し時間つぶしが必要になりそうだ。稜線の1406m標高点経由で回り道で行くことにしよう。そこは歩いたこともないし。

(取り付き)


(尾根に出る)


(シカ道がしっかりとある)


 右手に1103m標高点らしい高台が見えてきた。その正面から登るのはまず無理。人工的に削られているから45度はある。手前の斜面から登る。ヤブをかき分けて尾根に出た。
 尾根に出ればすんなりいくかと思ったが、急斜面になっている。そのうちにササヤブが出てくる。ヤブにはシカ道が通っているので、特別に難儀せずに歩いては行ける。ここ、あまり良い感じの尾根ではないな。逆光で登っているという状況があるかもしれない。

(下り予定の尾根側)


(はてこれは? サツマイモかと思った。2個見た)


 傾斜が緩み、ヤブも少なくなったところでワイヤーが出てきたりする。落ち着いたところで観察すると、この尾根、紅葉どころか晩秋の風情になっている。色の悪くなった葉がかろうじて残っているといった具合だ。右手の谷越しに下る予定の尾根が見える。日陰ですっきりとは見えていないが、その尾根にも色づきは見あたらない。例の紅葉スポットは、あの尾根の向こう側だ。そこなら確実だろうなと、根拠のない期待をいまだに持っている。今のところの不安は、スポットにさしかかった時点ですっきりと陽が昇ってくれているかどうかだ。

(1406m標高点に出る)


(図根点)


(男体山方面)


 1406m標高点に到着。取り付きからほぼ1時間。禅頂行者道に入った。林道活用は意外な近道ルートにもなる。あとはコースの工夫の仕方だろう。何も、細尾峠にこだわることもあるまい。ここを少しだけ歩くことになる。男体山が見えた。山頂は隠れている。動きの速そうな雲に囲まれている。あれでは、日光の山は荒れているだろう。こっちにまで影響がこなければいいが。数日前のでんさんのブログ記事に、日光は雪?のようなことが記されていたなぁ。
 さて出発と立ち上がると、標石が目に入った。落ち葉の上に「図」という字が読み取れるから図根点だろう。

(三ツ目方面に少し歩いて)


(すぐに西に下る)


 左手に夕日岳を見ながら行くと、すぐに予定の西尾根が分岐する。この西尾根は先で二分するが、その尾根に囲まれたエリアが昨年の紅葉スポットだった。両尾根ともに歩いたことはあるが、今日は右、北西に向かう尾根を下るつもりだ。前回は1151.7m三角点に至る尾根側から紅葉を楽しんだから、今回は反対側からということで。

(ボチボチと出てはくる)


(去年、この辺はこうだったが)


(今年はどうも寂しい。光の加減もあるだろうけどね)


 低いササの尾根を下る。ここは急でもなく歩きやすい。左側にちらほらと黄赤が出てくる。まだ淡い。それでいて茶色になっているのもある。下るに連れて不安になってきた。去年、ここを下った時は、紅葉ももっと賑やかで、スポットの手前で得をした気分になっていた。今は色物を探す状態で、ベースになっている色はササの緑だ。心配になってきた。

(そして待望のスポット見下ろしに立ったが…)


(アップで見てもどうもなぁ)


(尾根分岐の左側。そのまま下ると1151.7m三角点を通過して林道へ)


(あきらめきれないでアングルを変えてみたりして)


(その向こう側がまだ良いか。とはいっても先日歩いたばかりだ)


(ススキの中の下り)


(去年はこんな紅葉の中だったところを今下っている)


 色が消えたササの中を下っていくと、スポットが見えてきた。やはり…か。心配になっていたというよりも、薄々はそんな感じもしていたのだが、斜面全体が保護色に覆われているといった感じになっている。遠目では淡く、これからかなとも思えるが、曇り空の中でも国道沿いの紅葉は盛りだったことを思うと、それよりも標高の高いスポットがこれからということはあり得ない。やはり、終わったか、なかったかのいずれかだ。今年は、ここまで目を見張るほどの紅葉を見ていないから、せめてここだけでも楽しむつもりで来たのにこの結末か。まして、自分だけの紅葉スポットのつもりでやって来ただけに、何とももどかしくてやるせない気分だ。
 カメラを2台持ってきていた。コンデジを一眼レフに代えても色が付くわけではない。ダメなものはダメだ。場所を変えても同じ。どのアングルからにしても、目立った黄赤の世界はない。
 がっかりして下る。周囲はススキが生い茂り、もう晩秋の景色になっている。ため息が出た。

(急な下りになった)


(こんなのもあるにはあるが、密になっていないのが寂しい)


(沢に降り立つ)


 色合いのない尾根は次第に急になってくる。前回は上り使用だったが、どうやって登ったんだっけ。尾根から外れて、やや緩やかな左、左へと逃げる。下を沢が流れている。傾斜の緩い沢に出た方が安全なようだ。樹に抱き着き、細い枝を頼りに沢に降りた。林道はすぐそこだ。ふと予期せぬエンジン音。バイクだ。一台、終点のほうに向かって行った。視界から消えたのを確認して林道に出た。こんな沢にいるのを見られたら、相手もさぞびっくりするだろう。ところで、後でルートを確認すると、上り使用の時も、沢から尾根に登っていた。やはり、あそこしかなかったようだ。

(林道歩き)


(林道で。その1)


(林道で。その2。薬師岳の南斜面)


(林道で。その3。改めて半月山)


(林道で。その4)


(林道で。その5。もうやめておこう。林道歩きに来たわけでもないし)


 まだ寒々として風は冷たいが、ようやく陽がすっきりと出てきて、林道沿いの冴えない紅葉もそれなりにきれいに見えている。むしろ、山の方よりも見栄えはしているし、薬師岳西側のカラマツもまた陽があたってキラキラしている。日光方面はまだ荒れている。高台に登って眺めていると、バイクが戻ってきた。ここなら出会っても驚きはないだろう。お互いに頭を下げあう。

(旧道に出て駐車地へ)


 林道を抜けて、駐車地にあっけなく戻る。こうなったら、この周辺、どこを歩いても同じだろう。今日は皇海荘も休みだろうしと、周辺を探索する予定でもいたが、その気もなくなり、もうさっさと家に帰ることにする。実は、これからが何とも皮肉なハイライトだった。

(水準点)


(地蔵坂で。その1)


(地蔵坂で。その2)


(地蔵坂で。その3)


 地蔵坂を下るに連れて、紅葉はきれいになり、車を止めては写真を撮る。1023.3mの水準点もわざわざガードレールを乗り越えて見に行った。これなら、今日はここに来なくとも、庚申林道の紅葉を楽しんでいた方が賢かったかもなと思った。というのも、大間々からずっと後ろについていた車が、左折してかじか荘の方に向かって行ったからだが、その時は、庚申山か、この天気ではどうだろうなと思っていたが、この時間なら、天下見晴からの眺めも良かったかもしれない。
 国道に出ると、もうすっきりした青空になっていて、道路沿いは盛りに色づいている。今年の紅葉はさっぱりだなと思っていたところだけに、この見事な紅葉続きには複雑な思いになった。途中、何度も車を止めて写真に撮りたかったが、後続車がぴたりとくっついていたし、山の紅葉を見に行ったのに車道の紅葉を撮ってもなぁと、車窓から眺めながらのドライブだけにしておいた。

 途中、石倉山下の赤法華梅林公園の紅葉はどんなものだろうかと路地に入りこんでみたが、ここはそんな紅葉見物の公園ではなく、車から降りることもなくUターンとなった。そういえば、石倉山の紅葉の方がきれいだったかなと未練がましく思ったりした次第である。

(付録。草木ダムから。この付近の渡良瀬川左岸側もそろそろだろう)


(これを撮っていたら、周りの人たちが携帯で撮り始めた。中にはバックで写真撮りをしているカップルもいた。もう終わりで汚いのに…)


(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

今度は転じて奥武蔵の紅葉へ。武川岳から伊豆ヶ岳歩き。こちらは気持ちの方が早かったみたい。

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◎2017年11月9日(木)

芦ヶ久保・道の駅(7:30)……二子山・雌岳(8:55)……雄岳(9:05~9:20)……焼山(9:55~10:06)……鳶岩山・1004m(10:50~11:00)……武川岳(11:19~11:36)……前武川岳(11:47)……山伏峠(12:29~12:37)……伊豆ヶ岳(13:23~13:33)……小高山720m(13:54)……正丸峠(14:08)……正丸駅(14:55)

 ぶなじろうさんが5日に小持山からウノタワ周辺を歩かれた記事を拝見し、奥武蔵も800~1000m標高付近の紅葉が見頃であることを知った。自分は武川岳という山には行ったことがなかったし、これを機に行ってみることにした。ただ、ぶなじろうさんからいただいたコメントには、武川岳の周辺は杉林が多いのでいかがなものかといったようなことが記されていた。紅葉は運が良ければというレベルにしておこう。出会えたら幸い。あくまでも目的は未踏の武川岳ということで。
 今回のコース、芦ヶ久保から二子山、武川岳、伊豆ヶ岳、正丸峠、そして正丸駅から電車で戻るという歩き方はオーソドックスなもので、大方がこのルートで歩いているようなので、詳細な記事は避けることにし、写真中心の掲載ということにした。まして、結果的には素晴らしいまでの紅葉でもなかったし。
 当日は北西からの冷たい風が強烈で、出発から帰着までずっと寒い中での歩きであった。

(芦ヶ久保駅下のトンネルをくぐってハイキングコースに入る。陽があたらず陰気な感じがする)


 実は、このルートではなく、並行して二子山・雌岳につながる浅間神社経由のコースを歩きたかったのだが、道の駅のハイカー向けの第二駐車場に車を置くと、すぐに目先のハイキングコースの標識が目に入り、それにつられてこのコースを歩くことになってしまった。

(沢沿い歩き、沢を何度か渉る)


(こんなLESSON看板があちこちにある)


(作業道みたいだ)


(横瀬町の看板は丁寧に置かれているが、かなり古い)


(沢から離れて尾根に向かう)


(左は自然林だが、基本はやはり植林の尾根)


(右手に武甲山が見えてくる)


(良い感じの尾根)


(二子山への急登)


(二子山・雌岳。ここを巻く道もあった)


(そろそろ出てきたなぁと思いながら)


(二子山・雄岳に到着)


(ここからは武甲山の眺めが良い)


 これまで武川岳を敬遠というか、登ったことがないのにはわけがあり、それは、この二子山が西上州の二子山のイメージと重なっていたためだ。自分は、ずっと、この二子山も岩峰とばかりに思っていて、武川岳に行くルートはいくつもありながらも、歩くのならこのルートだろうなと決めていた。岩峰でないことを知ったのは、つい最近のことで、ただのラクダの背の山だった。
 二子山に出るまでは、今日は風が強いな程度のんきな気分だったが、山頂近くから風がビュービューと吹き荒れ、ここまで汗ばんだ身体も一気に冷え込んでしまった。植林の中でも、見上げると、樹々は音を立てて左右前後にしなっていた。

 今日は伊豆ヶ岳を含め、最後まで終始アップダウンの連続だった。後で、歩いた軌跡をカシミールで読み込むと、累積標高差は2000mを超えていた。定番コースだからと抵抗なく歩いてみたが、実のところ、休憩タイム込みで、何とかコースタイム未満で歩くのは、正直のところきつかった。このコースをポピュラーなコースとして歩いているハイカーは健脚な部類だろう。

(次のピーク)


(振り返って二子山)


(おっ、上は見頃かなぁと期待している)


(黄色がメインだ)


(赤もチラチラと出てきて)


(焼山。武甲山も正面になる)


(下っていくと、左から林道が近づいてくる)


(こんなのを見ては時間をとられ)


(さっきの林道がハイキングコースを横切った)


(のどかな感じだが、冷たい風が右後ろから吹いている)


(あの平らなのが武川岳のようだ)


(この辺は真っ盛りのようだ。標高1000m近く)


(1004m鳶岩山。岩というよりも大きなゴツゴツが山頂付近にあるだけ)


(武川岳のカラマツ紅葉はこれからだろう)


(これが一番の赤だったかも)


(武川岳への登り。山頂近くでゆるやかだ。ここでハイカー2人連れが反対側から下って来た)


(武川岳山頂。山頂は広い)


 山頂にはだれもいなかった。ここでおにぎりを一個食べて一服。山頂からの展望は南西側が開けているだけでたいしたことはない。ここまで休憩タイム込みで3時間50分。コースタイム(以下、CTとする)では通しの4時間25分だから35分の貯金ができた。
 CTはGB向けタイムとすればそれだけの話だが、初めてのエリアだから勝手も知らず、CTを基準にするしかない。頭の中では、正丸駅に出ずとも、このまま伊豆ヶ岳を経由して丸山、日向山まで行って、芦ヶ久保まで行こうかなんて思ったりしている。

(ちょっと黄色が淡いかなぁ。実のところ、見上げる紅葉ではなく、目の前の紅葉を見たいのだが。首が疲れて)


(前武川岳)


(標識の主は名栗村に変わった)


(どんどん下る。やはり、ぶなじろうさんのおっしゃるように植林帯歩きは切り離せないところのようだ)


(標高800m付近。地図にない立派な林道が通っていた)


(伊豆ヶ岳が見えてくる)


 伊豆ヶ岳には30年前に一度、職場の仲間とグループで行ったことがある。その時は、正丸駅だったか西吾野駅から歩いた。すぐに山道に入ったイメージだけが残っていて、どんなルートどころか山頂の記憶すらない。ただ、仲間の一人が、小学生の息子を2人連れてきて一緒に歩いたから、何となくうっとうしく感じたことだけは確かだった。以来、伊豆ヶ岳=ファミリー登山の山のイメージになっている。

(山伏峠だが、どこが峠なんだかといった感じ。特別な標識はなく、おそらく、車道側のどこかにあるのか)


 山伏峠の標高は手持ちの高度計で605mとなっていた。武川岳から450m近く下ったことになる。ここから伊豆ヶ岳への登り返しは245m。この標高差、ここに至っては何とも恐ろしく感じた。それでいてCTは50分。これはまず無理だろう。ここまでも、結構足腰にきている。山頂までに実際にかかった時間は4分オーバーの54分だった。貯金がこれで目減りした。

(この祠の前には鳥居としめ縄があった)


(杉林の中の急登り。これは応えた)


(いくらか癒される)


(伊豆ヶ岳の紅葉もそろそろ。というか、見頃は来週だろうね)


(上は赤が主体で、こんなのにも時間をとられてしまう)


(やはり、来週にしておけば良かったと思ったりして)


(上がきれいなのはあたり前だが。近づいて見に行くのはやめにする。がっかりすることも多いし)


(山頂が見えてきて)


(伊豆ヶ岳山頂)


 山頂には、男女それぞれの単独氏が休んでいた。ここの風はこれまで以上に強い。震えながらオニギリ1個食べる。食後の一服は、Windmillのターボライター使用だから、強風とはいえ着火に問題はない。
 そのうちに、ニイチャン、ネエチャンの4人組がやってきて、うるさくなったので山頂から少し離れたところに移動する。
 ここからの展望はそれなりだが、知らない山ばかりだから、景色を眺めていても楽しくもない。それよりも寒いわ。

 さて、この先の予定を地図を広げて確認する。そして、携帯を出してCTを足し算する。甘くみていたが、ここから旧正丸峠、虚空蔵峠、大野峠、丸山を経由して芦ヶ久保に出るには少なくとも6時間はかかるじゃないの。今1時半だから、まさか、いくら何でもなぁ。これはダメだ。寒いし、さっさと正丸峠から正丸駅に出ることにしよう。旧正丸峠まで行ったところで、何かがありそうな感じもしないし。
 ところで、例の30年前に来た時には、岩場を登って伊豆ヶ岳山頂に出た記憶がかすかにある。下りかけると、ロープ張りで男坂だか女坂だかよく知らないが、歩けるルートは一本しかなく、それを下ったが、途中で、先にさっさと下って行った4人組が岩場の下で大騒ぎをしていた。ということは、その岩場ルートもあったのだろう。それには気づかなかった。

(ロープ張りの下り道)


(定番の植林ルート。微妙なアップダウンがあった)


(武川岳から気になっていたピーク。ここでは北側に見えている。ピークには電波塔らしきものがある。何という山だろうか)


(小高山)


(標識によると、ここが正丸峠らしい。坂の途中にあって、さっきの山伏峠以上に峠らしくない)


(これでも関東ふれあい道。こんな沢沿いの陰気な道をずっと下る)


 途中、旧正丸峠と合流するところで、GB3人組が大声おしゃべりで休んでいた。「道はどうだった?」と聞かれたので、「荒れた道でしたけど、迷うようなところはなかったですけど」と答えると、「そうなんだよ、ここはしっかりしているんだよ」と、だったら聞くなよといった感じなのだが、この辺は歩き慣れた方々なのだろう。「そうですね」とだけ答えておいた。あの方々は旧正丸峠から下って来たのだろうが、その様子を知りたかったが、聞く気にはなれなかった。

(神社だろうな。解説板が置かれていたけど)


(里が近づいた。もう出口だ)


(ここに「げんきプラザ」の標識があった。山伏峠の手前にもあったような気がする。HIDEJIさんのブログでプラザの存在は知っていたが、今一つ、位置関係がよくわからない)


(標識の後ろにあった馬頭尊。こんなところにも、那智山青岸渡寺のお札があった)


(道端の石碑。よく見ようと上がりかけたら、後ろから、例の3人組の大声が聞こえてきたので引き返した)


(安産地蔵尊)


(このポスターを見て、帰ってからその周辺で歩けそうな山はないか地図で探してみたら、地味ながらもあった。歩いてみようかな)


(電車に乗って)


(芦ヶ久保駅)


 正丸駅で時刻表を見ると、西武秩父駅行はまだ30分ほど先だった。やることもなく、近くの売店に入って560円のラーメンを食べたが、醤油ながらもかなりの塩分きつめ。チャーシューは入っていず、代わりに半身のタマゴが2個入っていた。山では寒さもあって、水は3口くらいだったが、ここでラーメンのしょっぱさも加わって、水をがぶ飲みしてしまった。
 その間、3人組が帰って来て、電車に乗るのかなと思って眺めていたら、駅の脇に駐車場に置いてある車に乗り込んでいた。ここにも車を置けるんだ。

 電車が入ってきた。乗客は自分だけ。車内はガラガラ。正丸駅で降りたのも自分だけだった。道の駅の前を通って第二駐車場に向かう。ここの駐車場は、通勤客も利用するのだろうが、駐車代無料の通勤とは何ともうらやましい話だ。自分が通勤している時には、籠原駅とはいえ、月極めの1万円近い自己負担だった。
 予定では風呂付きだったが、いまだに寒い。風呂に入って温まってといった気分でもなく、寄り道もせず、道の駅で秩父ワインだけ買って帰路に就いた。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

本陣山からイモリ山。そして子ノ権現、吉田山経由の遠回りで御嶽神社の紅葉祭りを見に行く。

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◎2017年11月15日(水)

西吾野駅(7:48)……森坂峠(8:14)……本陣山(8:27~8:34)……イモリ山(9:04~9:11)……鉄塔(9:27)……子ノ権現(10:18~10:51)……吉田山分岐(11:11)……小床峠(11:53)……吉田山(12:19~12:43)……御嶽神社(13:00)……吾野駅(13:47)

 先日、伊豆ヶ岳からの帰路で西武鉄道、飯能市等々主催の『おんたけさん東郷公園もみじまつり(11月15日~30日)』のポスターを目にし、行きたくなっていた。12日に行かれた方のブログを見ると、すでに色づいているらしい。
 だが、こういう公園の紅葉狩りだけに行くのもどうか。周辺に歩けそうな山がないかと調べると、イモリ山、吉田山というのがあった。いずれも、HIDEJIさんのブログ(吉田山はこれ)で記憶のある山だ。昭文社マップでは破線ルートになっている。この辺を周回して最後に東郷公園でモミジを楽しむという手が使えそうだ。
 正丸駅に500円駐車場があることを先日知ったが、どこに車を置こうが、周回には西吾野駅と吾野駅の間は電車利用になる。だったら、芦ヶ久保の道の駅を利用すれば駐車代は無料だし、電車代が多少かかってもその方が割安だ。先ずは芦ヶ久保の道の駅に向かう。自宅から正味1時間40分だ。
 芦ヶ久保駅7時34分発の飯能行の電車に乗る。通勤電車に乗るのは久しぶり。この辺では珍しい4人掛けの座席は半分程度の乗車率だが車内は静まりかえっている。今日は登山靴にして正解だった。バスならともかく、長靴や地下タビでは異質な存在になる。先日もそうだったが、電車に乗る前提でのスパイク地下タビ履きはどうもためらわれる。気が小さいせいか。

(吾野駅から車道に下る。あれが本陣山のようだ)


 西吾野駅で降りたのは自分だけ。眺めると、本陣山らしき山が目の前に見えている。今日は午前中は雲が多いようで、すっきりするのは午後からの予報だ。秩父市内では霧が立ち込め、一時はどうなるかと心配したが、横瀬に入ると、ガスは消えた。明け方まで雨が降っていたようで、路面は濡れている。
 車道を歩いて行くと、反対側からゴミ出しの帰りらしいオバサンがやって来た。「おはようございます」と声をかけると、「気をつけて行ってらっしゃい」と言われる。こんな風景はいいねぇ。「子ノ権現約90分 高山不動尊約90分」の標識を目にする。この辺の地理感覚はまるきしない。ともに名称だけは知っている。地図を広げて確認する。なるほどそういう位置関係か。どうせ晴れるのが昼からなら、子ノ権現まで足を延ばそうか。例の金草履もいずれ見たいなと思っていたし。

(車道から右に入ると、橋の先にゲートが見えている)


(これでも下はアスファルトになっている)


(写真ではかすかだが、中央の樹の下にプレートがあり、これを見て右上に登って行く)


 車道から外れ、橋を渡ると目の前には閉ざされたゲート。脇をすり抜ける。かつて林道だったのか、アスファルトが敷かれている。今は使われている気配はない。雨に濡れたツルツルのアスファルトは滑る。
 すぐに終点になって作業道。とはいっても、周囲は草ぼうぼうで、林道が狭くなってしまったのか、アスファルトの痕跡は残っている。この脇から押し寄せる草の露でズボンと靴はすぐに水を吸ってしまった。
 明らかに作業道になった道を行くと、植林に入り込んだ。やはり、この辺の山も例外なく植林帯歩きは避けられないようだ。地図を見ても針葉樹マークだらけだし、山での紅葉は期待していない。

(森坂峠。右が本陣山で、左はイモリ山。直進下りは伊豆ヶ岳方面となる)


 「本陣山 森坂峠 イモリ山」の標識が置かれている。最初は大岩がゴロゴロしたりしているが歩行に差支えはなく、すぐに上に峠らしき地形が見え、あっけなく森坂峠に到着した。標識がいくつか置かれ、右に本陣山、左がイモリ山方面だ。手書き標識には、峠を突き抜けて伊豆ヶ岳に向かうルートは「バリルート」と付記されているが、地図を見ると、南側の林道コースではなく、「バラガ平尾根(東尾根)」のことを言っているのだろう。HIDEJIさんの記録を改めて拝見すると、確かにやっかいな尾根のようだ。

(こんなところを登って)


(本陣山山頂)


 先ずは右手の本陣山。道は払った枝が多く歩きづらいが、尾根伝いだし明瞭だ。ちょっと視界が広がったところに、これは、UHFだか地デジの共同アンテナがあり、脇の黄色の塩ビポールにはNHKとある。その先にも、今度はBSアンテナとUHFアンテナが建っていた。よほど電波の受けが良くない地域なのだろう。それともただの遺物だろうか。
 こんもりしたピークに「本陣山442メートル」の標識だけが置かれている。周囲は植林で視界はない。一服する。今日は冬型歩きの格好で来たから、これだけの歩きでも汗をかいた。気温そのものは低いので、じっとしていると寒くなる。ここの本陣山、名前と場所からして北条氏がらみの陣でも張られていたのか。周囲にそれらしき跡形はない。これは後半の話だが、吉田山の北側にも、昭文社マップには「城址」と記されている。そことの関係もあるだろう。城攻めの本陣だったとか。
 ここの山名標識の脇には「SHCI 61・11・24」とある。昭和61年か1961年かは不明だが、勝手にSHCは埼玉ハイキングクラブとして「I」とは何の略だろうなんてどうでもいいことを考えていた。

(森坂峠との区間で、ここともう一つのアンテナ場所だけは展望がある。方角としては東側の展望)


(結局はこんなところを歩くことになる)


 下って森坂峠に戻り、イモリ山方面に向かう。破線路ならではの細い踏み跡は明瞭だ。言わずもがなで、植林帯の歩きはずっと続いていく。たまに見かける何だかよく知らない葉っぱは薄い黄色で、これからの色づきとなるのだろう。

(下から歩いて来て左曲がりの踏み跡が破線ルート。右手に木の塊りが見えるが、そこを越えて直進した)


(見えづらいが、正面は岩峰になっていて、踏み跡は直下まで続いている)


 さて、これからが本日のハイライト(笑)か。ここは尾根通しの歩きだが、踏み跡は進行方向左に尾根から外れてトラバース調になっている。それでいて正面にも踏み跡は続いているが、木の枝を数本かき集めて横たえてある。ここを直進するなとでも言いたげな感じだ。しかし、踏み跡があるので入り込んでみる。
 いつしか踏み跡は薄くなり、正面に40mほどの岩峰が立ちふさがっていた。大方はここで戻るのだろう。だから踏み跡も濃くなる。じっと見ていると、かすかな踏み跡は途中まであるし、上は樹を頼りに登れなくもない。あとで思うと、この岩峰そのものがイモリ山ということになる。コースに合わせて歩いていれば、ただのしょっぱいピークにしか感じなかったろう。

(ひとまずの休憩スポットで。これでもかなりの傾斜だ)


(こんなところをよじ登ったり)


(ようやく安心できるところに着く)


 そう簡単にはいかなかった。地面はフカフカで、やせた樹も腐っているのが多く、つかむとあっさりと根元から抜ける。不安定なところに足を置くとズルっとくる。改めて記すまでもなく急斜面だ。ここまで来れば安心だと思ってもまだ上が続いている。この繰り返しが3回はあった。まったく気が休まらぬままに岩峰ピーク(岩峰とはいっても岩がむき出しになっているわけではない)に着いた時には、心臓バクバク、ノドはカラカラになった。今日のコース、こんなところはないだろうと、水も500mlしか用意していなかったが1/3ほどここで消費した。

(ところが、まだこんな岩場があって)


(イモリ山の異色ルートはきつかった)


 ひとまず安心してペタリと座りこんだが、尾根の続きにはまだ岩があった。これは4mほどのものだが、まさか、先は切れ落ちてはいないだろうな。ここをまた戻るとなると、いよいよロープを出すしかない。不安になった。
 岩を登ると、そこにはイモリ山の山名板があった。ほっとした。休憩しながら、この山、そう簡単に来られる山ではないなと思いながら地図を見ると、破線路はしっかりと岩峰を湾曲していて、東側の412m標高点手前で戻っている。地図をしっかり見ていなかっただけのこと。後で知ったが、迂回路上には石祠やらがあったらしい。惜しいことをした。迂回始点の枝の積み重ねはバリケードだったか。この先もそういうところがいくつかあったが、これで凝り、踏み越えることはしなかった。

 ハイライトはこれで終わり。後は地味尾根の地味歩きがずっと続き、いつものように時たまルートを間違えたりする程度のものだった。
 イモリ山からの展望はさほどに良くはないが、立木越しに北から西にかけての山並みは見える。どれが何山なのか自分にはわからない。山頂周辺には紅葉がちらほらあるが、この感じではやはりまだまだだ。
 イモリ山を下って鞍部らしきところに出ると、「イモリ山→」の標識があった。これが破線ルートのコースで、岩峰を登るわけではないと改めて認識する。
 尾根伝いに、下り登りを繰り返す。作業道としていいのか登山道としていいのか判断に迷うが、尾根伝いの踏み跡は明瞭だ。そのうちに、安曇幹線のポールが出てきた。確かに地図にはそろそろ送電線に出会うことになっている。

(送電線が撤去された鉄塔)


(イモリ山)


(奥の中央右寄りが伊豆ヶ岳だろう)


 右手に迫ったピークらしきのが見えてくるが、子ノ権現ではないだろう。ほどなく行くと、鉄塔が見えてきた。電線のない鉄のモンスターが置き去りにされている。やはり、この辺の安曇幹線は撤去されたのだろう。
 鉄塔の周辺は伐採されていて、周囲の風景はさっぱりしている。そろそろ雲も薄くなりかけ、青い空も見え360度の展望だ。周囲は植林帯ながらも、ここだけは、これからの紅葉が楽しみなスポットかもしれない。

(峠ノ前。左の樹に石が隠れているが、これが十二丁石だったかも。この時点では気づいていない。左右に通じている明瞭な道は小床口参道コース。ここを右に行く)


 鉄塔から下っていくと、明瞭な道にぶつかった。地図を見る。この道は吾野の小床橋から子ノ権現に通じている実線道のようだ。『奥武蔵登山詳細図』によれば、小床口参道コースとなっていて、この合流したところは「峠ノ前」というスポットになっている。「峠」とはどこを指すのか。先の柿ノ木峠にしては距離がある。この『詳細図』だが、新聞紙大の二回りも大きく、持ち運びには不便なので、周辺部だけコピーして持ってきていたが、コピーが薄く、等高線も読めず、ほとんど役に立たなかった。ちなみに、ここで標識の類はまったく見かけなかった。

(天寺十一丁の道標。「天寺」とは?)


 参道コースに入ると、もう踏み跡を追うといったレベルではなくなり、林間のしっかりした道になった。くねくねしながら標高を稼ぐ道だ。歩いていると、左手に出来損ないといった感じの穴のあいた石碑が置かれているのが見えた。字が彫られていて「天寺十一丁」? マップを見ると、手前の峠ノ前に「天寺十二丁目石」とあり、この先に「八丁目」というのがある。十二丁目石にはまったく気づかなかったが、どうやら小床口参道コースは古道で、ほぼ100mおきに丁石が置かれているのだろう。これを知ったのは帰ってからのことで、そんな知識があれば、他の丁石を探しながら、退屈な歩きも楽しめたろうにと思うとちょっと残念だ。

(柿ノ木峠)


 峠のようなところに出た。「柿ノ木峠」のようだが、峠を示す標識はなく、「子ノ権現 西吾野駅」の標識があるだけ。ここに八丁目石があるはずだが、気づいていない。『詳細図』には、北から南川口参道が合流することになっている。確かにそちら方向に踏み跡がある。そして、地図上の同参道には「十三丁」「拾四町」の記載がある。つまり、古道の参道コースがあちこちにあるということだ。さりとて、後日、改めて古道歩きを楽しんでみたいといった思いにかられるようなところでもない。

(こんなしっかりした参道を歩く)


 小床口参道を進んでいくと、左の樹に結わえられた「吉田山 吾野駅→」のプレートが目に入った。先は尾根状になっている。子ノ権現からの帰りはここを下ることになる。通り過ぎないようにしっかりと周囲の風景を頭に入れておく。
 次第に急になり、すでに尾根伝いからトラバース道になって久しい。尾根は右手の高いところになった。道筋に合わせて歩いているつもりだったが、いつしか、道は消えた。自然消滅といった感じ。どこかで間違えたのか。この辺は植林の作業道も交差している。

(やがて、いきなりこうなって)


(うどん屋からの道を使って車道に出る)


(車道を歩いてもいいが、お地蔵さんの脇に道があって、そこから登る)


 ここは適当に歩ける斜面を行くしかないかと、かすかな踏み跡のあるところを登り上げて行くと、右上に車が走っているのが見えた。車道だ。あれに出さえすれば問題なく子ノ権現には行けるだろうが、帰路でしっかりと戻れるのか心配になってきた。ふと、左下にしっかりした道が見えた。何だ、あれが正解だったのかとその時は思ったが、道に出て地図で確認すると、この道は「うどん名物 浅見茶屋」なる方から登って来る道で、まったくの方向違いコース。いずれにせよ、この道を上に向かえば済むだけのこと。
 車道に出て、少し行き、地蔵脇の道を登っていくと子ノ権現のエリアに出た。

(赤い鳥居。手前には土産屋。一軒だけ営業中。たいしたものを扱っているわけでもなく、記憶にあるのは銀杏とキーホルダーだけ)


(山門。その先の左右仁王像が見えている。とってつけたような安っぽい仁王像だった)


 すぐ左に「阿字山 打木村治文学碑入口」とある。この阿字山は後で寄ることにするが、『詳細図』には、この山名は「阿宇山」とある。いずれが正解なのか。一帯は「子ノ山」というらしいが。
 「子の権現」の解説板を読む。正確には「天龍寺」とのこと。寺なのに足腰の神様というのが解せないが、神仏習合なのだろう。「子」としたのは、子の年、月、日、刻に生まれた聖(権現様)を祀ってあるかららしい。館林にも子の権現神社があるが、ここも同じ系列なのか、足腰の神様としている。ここで、ややこしく足腰が出てくるのは、権現様が開山の際に、鬼に火を放たれ、腰下を痛めたので、火災を除き、腰下を病んだ者が祈れば加護されようといった主旨からのようだ。

(天龍寺本堂。扁額には「子聖大権現」とあった)


(ワラジ。金ピカ)


(奥に行く)


(鐘撞堂)


(ここに集めたのだろう)


(釈迦堂)


(ここの紅葉はこんなもの)


(スカイツリーは見えず)


(ワラジの隣にこんなゲタもあった)


(阿字山の石仏)


 参道をぶらぶらしながら上に向かう。本堂の境内に例のワラジがあった。なるほどこれか。重さ2トンの鉄製らしい。さして感慨もないが、見ただけでも価値はある。
 さらに上の奥の院に行けばスカイツリーも見えるようだが、あいにくの薄雲で遠望は効かない。むしろ、鐘撞堂の裏手にある石仏やら石碑が気に入った。今日は平日で、見かけたハイカーは2人ほど、車で来た観光客も5~6人ほどでゆっくりできる。
 阿字山に寄ってオニギリを食べて休憩。ここに打木村治文学碑がある。自分は知らない作家だ。東松山の出身らしい。さてと下山にする。

(吉田山分岐)


 しっかりした踏み跡があるとばかりに思って浅見茶屋方面に下りかけたが、分岐などはなく、結局、元に戻って来る時に歩いた薄い踏み跡をたどって小床口参道コースに入った。つまりは、これが正規のルートだったらしい。首を傾げるばかりだ。尾根に向かって車道に出るような踏み跡もあったから、あれだったのだろうか。
 吉田山方面分岐に出た。ここからは尾根伝いだ。明瞭な道は踏み跡になった。古いテープが見受けられる。このテープが曲者で、作業用のピンクテープも途中から加わり、吉田山までの間に尾根の分岐では間違って方向違いに入り込むことが2回ほどあった。ここを歩く時は12500分の1ほどに拡大した地形図が必要だろう。20000分の1にしたのが甘かった。

(465m標高点ピーク)


(ここからもうどん屋に行けるようだ。5分で行けるなら、おにぎり持たずに食べてから復帰も可能だろう)


 465m標高点通過。何もない植林の中の小ピーク。ただの通過点といったところだ。赤テープが樹に巻かれている。もう踏み跡は鮮明ではないが、基本は尾根伝いに行けるし、尾根分岐にしても、ピンクテープに惑わされずに行けば間違えることもないだろう。
 半端な感じなところに標識が3枚あった。地図を見ると、こんなところに破線は他に通っていない。分岐破線はもう少し先だ。右に伝う踏み跡は朝見茶屋5分となっている。反対側は小床峠。『詳細図』を見ると、茶屋方面に実線が入り込んでいるが、実線らしき道ではない。

(左下に林道)


(小床峠。引き続きがあの階段となる。階段は続いていない)


 右に木の積み重ねのガードを見ながら踏み跡伝いに尾根を行くと、左下に林道が見えてきた。いずれはあの林道に合流するらしい。ここでミスをした。どこかにしっかりした分岐があったらしいが、それを見逃し、そのまま尾根伝いに行き林道に出た。林道を少し行くと、右に丸太階段付きの道が下ってきていた。本来なら、ここに出るはずだったわけだ。ここが小床峠。

(吉田山山頂。奥武蔵エリアの典型的な冴えないピーク)


(左右に堀切跡か?)


(これが「城址」だろう。この岩々が砦に使われていたのかもしれない)


 林道をまたぎ、吉田山方面の木の階段を登る。相変わらずの林間道のアップダウンを30分歩いて吉田山に到着した。ここもまた冴えない感じの山だ。山名板と標識があるだけの見通しの悪いピーク。それ以外にも樹には「吉田山」と削られ、他にも「通行止●●(急坂)」とあったが、これではどこが通行止めになっているのかわからない。ここにじっとしていても仕方もないので、北側にある城址に行ってみる。
 ゆるやかに下っていくと、かすかに堀切のようなものが部分的に残っている。その先は岩がゴロゴロした一帯。こんなところに城があったのか。看板も何もない。城というよりも砦でもあったのか。グルリと回り、下から上を改めて眺めて見る。どうも城跡には見えない。吉田山に戻る。

(キズだらけの山が右手に見えた。しかし、緑の世界はまだ夏の風景だ)


(御岳山山頂かと思う)


 後は東郷公園のもみじ祭り会場に下るだけ。「秩父御嶽神社→」、「吾野→」の標識が出てくる。植林の合間にちょっとばかり南面が開けたところから向かい側の山が見えるが、武甲山のようにあれもまた石灰採掘場なのか、赤茶けた山肌の縦横に工事用道路が通っている。何という山だろう。この辺の紅葉はまだ淡い。
 尾根を下っていくと、ロープが出てくる。このロープは下に荒れた林道が見えるから、そこに入らないようにというガードかもしれない。ロープが消えると、ここもまた陰気な感じの小ピークに出た。2本の樹に「諏訪八幡神社飯能氏子一同」などと記されている。標識には休暇村への分岐表示。山名板はないが、おそらくここが御岳山のピークなのではないか。

(御嶽神社)


(神社のモミジはまだまだ)


 すぐに神社の屋根のようなものが真下に見えた。正面に出ると、秩父御嶽神社。参拝する観光客の姿がちらほら。早速、モミジが目に入った。6分の紅葉といった感じか。上がこれでは下はどうだろう。やはりまだ早かったかなぁ。もみじ祭りを見るために岩峰に登ったりして遠回りしたのに。まして、午後になっているのにカラっとした陽が出てくると思っていたら、どうもどんよりしている。ここからもスカイツリーが見えるとあるが、近くの山が見えるだけで青空すら見えない。

(こんな神社がごちゃごちゃとある)


(階段)


(色づきが悪くなった)


 神社の境内を上から下に周囲のモミジを見ながら下る。下からの階段は368段もあるらしいが、わざわざ階段を下らずともに、迂回して歩ける道がついている。階段は急だし、特別な意思でもなければ使うこともないだろう。よくは知らないが、御嶽神社を含めた下までを総称して東郷公園としているらしい。東郷とは、言わずと知れた軍神の東郷平八郎のことだ。
 迂回路の途中、途中にいろんな神を祀った神社がある。記したところで、自分も無知だし適当なことも記せないから省略。一旦、紅葉は6分から3分になったりした。見るまでもないなと、小さな神社回りをしながら下ると6分に戻ってきた。これならまだ楽しめもする。黄色はないが、やや薄いモミジが自分好みだ。

(いくらか復活した)


(陽があたっていれば、もっときれいに見えるはず)


 東郷神社まで下ると8分になった。標高は関係ないのか。もしくは、8分とは自分の推測で、実際は5分程度のものだったかもしれない。いずれにしても赤くなったモミジで周囲がにぎやかになった。

(東郷像を背中から)


(まずまずのモミジを見て)


(下に出で東郷像を仰ぐ)


(盛りの時は本当にきれいだろうな。像が良い置物にもなっている)


 半端ながらもきれいなモミジをバックにした東郷像をながめる。この銅像、なんでこんなところに建立されたのか。解説板を見ると、そもそもこの秩父御嶽神社の歴史は浅く、創建が明治28年のようで、あちこちに神社を置きながら東郷神社も構えたといった形のようだ。由緒ある神社というわけではない。御嶽信仰の熱心な信者が自費で建てた神社のようだ。創健者は、その後の時代的なヒーローになった東郷元帥に心酔したのだろう。

(不思議に鮮やかなのがあったりして。一応は満足だ)


(無料にてありがとうございました)


 東郷神社を下ると、赤に黄色がまじってきた。自分にはこれが今季の紅葉の見納めだろう。結局は里の里の紅葉楽しみになってしまったなと思いながらも、一応は満足しながら鳥居まで下る。そこには入山料として「二十才以上は必ず100円以上いれてください」と記された石の投函穴があった。逆から来たから入れることはしなかった。

(進入禁止にはなっている)


(里の方がきれいなみたい)


(吾野駅)


 吾野駅まで距離は意外とあった。鳥居脇の道を行くと、すぐに「スズメバチがいるので通行禁止」とあった。車道に戻って歩く気はない。スズメバチは無視してそのまま行った。ハチの気配はなかった。この時期だからだろう。
 吾野駅までの間に、西武秩父駅行の下り電車が走って行ったから、しばらく電車はないかなと思っていたら、やはり、吾野駅に着くと、14時10分まで20分の待ち時間。先日と違って売店もなく、外のベンチで自販機の温かい茶を飲み、タバコを2、3本ふかして待った。

(先日よりも車がかなり多かった)


 がらがらの電車に乗って芦ヶ久保駅に戻る。歩き始めからイモリ山までは汗もかいたが、あとはずっと寒い状態が続いていた。震えながら車に戻り、すぐにエンジンをかけて暖まるまで帰り支度をゆっくりとやった。
 目当ての東郷公園のモミジ祭りはまだ一週間先の気配だったが、きれいなモミジを見られただけでも満足か。だが、本陣山、イモリ山、そして吉田山の歩きは、地味尾根好きの自分にも、正直のところ、自ら誤りルートとなった岩峰を除けばあまり面白みのない歩きコースだった。せいぜい子ノ権現を楽しんだくらいのものだ。植林の中の歩きがほとんどだったし。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

中武生山から明山を周回。やはりフライング気味の紅葉だったが、それよりも散々なルートミスで参った。

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◎2017年11月21日(火)

武生神社先駐車地(8:08)……林道から取り付く(8:33)……中武生山(8:50~8:56)……444m標高点(9:28)……鞍部・破線路合流(10:54)……340m烏帽子岩(11:06~11:16)……竜神川(11:29)……上山ハイキングコース合流(12:04)……明山(12:50~13:11)……亀ヶ淵(13:45)……破線路合流(14:23)……駐車地(14:48)

 昨年の11月18日に篭岩山、明山周辺を探索して紅葉の盛りに遭遇した。何とも素晴らしいモミジ群をだった。今年も行ってみたかったが、駐車地まで、あの民家の軒下が並んだりの狭い道を延々と車で行くのは何ともおぞましく、軽自動車で行ったら3時間半超えの走りはつらい。もう行くことはないだろうと諦めていた。
 それでいて、あの時に明山側から北に見えた三角形のピークがどうしても忘れられず、そちらならどうにかなるかとネットで調べると、途中から林道になるとはいえ、車がすれ違える余裕のある道幅のようで、だったら、行ってみようかと、すっかりその気になってしまった。
 この三角形ピークだが、一年前のブログ記事に瀑泉さんからいただいたコメントによれば、「中武生山」(中たきゅう山)という554.8mの三角点峰で、中武生山~烏帽子岩への稜線歩きは変化に富み、さらに明山方面に向かうあたりも紅葉がきれいでお薦めと付記されていた。だったら、そのコースを歩いてみることにしよう。一応、他人様の武生神社起点の周回記事を参考に、地図にコースマーカーを入れた。
 ただ、いくつか不安があった。その他人様のGPS軌跡の亀ヶ淵周辺の歩き、破線路、実線路以外の線無し部分が尾根通しとか沢伝いになっていないこと。その辺は踏み跡でもしっかりあるのか。これは現地対応で行くしかない。そして、日にち的には去年の18日より3日遅い程度だし、紅葉は問題ないと思っていたが、19日に篭岩周辺を歩かれたぶなじろうさんやみー猫さんの記事を拝見すると、紅葉はまだ早いような気配だ。それは、ここ数日の冷え込みで一気に加速していることを願うしかない。

 林道入口を素通りしてしまい、先でUターンして林道に入ったが、やはりすれ違いの問題はまったくなく、しっかりと舗装もされている。それどころか、上に行くに連れ、これ一般道じゃないのかといったほどの道幅になり、センターラインまである。これが林道とは不思議だ。去年のあの町道だったか市道は何だったのか。

(武生神社の鳥居)


 地理を知らずに、車の置き場所は神社とばかりに鳥居をくぐって武生神社に入り込んだが、車を置けそうな場所はあったものの、全体が薄暗くて何となく不気味。林道の路肩に止めた方が無難かと林道に戻り、鳥居の前の路肩に車を移動したが、ここは傾斜があって、車止めになるような石もない。準備をして不安な気持ちで歩き出したが、すぐ先に平らな、まさに駐車場といった広いところがあり、車に戻って、そちらに改めて移動する。出発からややこしいことをした。
 この武生神社、その時は調べもしないで出向いたが、坂上田村麻呂が本殿を奉献し、南北朝の時代には北朝側が砦を築いて拠点にしたという由緒のある神社らしい。それを知っていたら、帰ってから寄ったのにと惜しまれる。それにしても、南北朝の争いが常陸の国にまで飛び火していたとは知らなかった。地図を見ると、この神社のある一帯が武生山のようだが、中武生山までは距離がある。どういう関連で「中武生山」としたのかは郷土史家の世界だろう。改めて出発。

(展望台が随所にある)


(左に見えるのが中武生山だろう)


(右に上がっていく階段)


(林道沿いの紅葉)


 幅広の舗装林道(林道武生線)を長々と歩く。これでは退屈と、旧林道らしきところに入ってみたりしたが、結局は新林道に出てしまう。展望台らしきものがあれば登って景色を眺める。視界に入るエリア全体の紅葉は陽があたっているのでいい感じだ。ただ、周辺の樹々の色はあまりよろしくない。展望台からは中武生山らしきピークも間近に見えている。
 林道右手に登る階段があった。尾根伝いに林道に並行して行けそうな気がしたが、フィニッシュで崖にでもなっていたら戻ることにもなる。まして擁壁にもなっている。ここは自重し、林道の周囲の紅葉を楽しみながら林道をひたすらに歩いた。いうまでもなく、まだ舗装道で、せいぜい、センターラインが消えたくらいのもの。

(ここから登る)


(道は斜めになっていて歩きづらい)


 人が住んでいるとも思えない民家(もしくは集会所か?)の脇を通ると、ネット記事の写真で知っていた擁壁が左に現れた。ガードレールも途切れている。登山口はここからのようだ。標識の類はなく、見落としそうな赤テープがあるだけ。入り込むと、踏み跡が続いていた。
 踏み跡は、落ち葉に覆われ、明瞭というほどのものではないが見落とすことはない。ただ、土が乾いていて、その上の落ち葉歩きだから結構滑る。まして、尾根に直登かと思っていたら、トラバース気味に斜めにゆるりと上っていて歩きづらい。

(尾根に乗って)


(紅葉を見たりしながら)


(行くと)


(中武生山山頂。左に落ち葉に埋まった三角点)


 尾根が近づき「中武生山→」の手書きテープを見ると、じきに尾根に乗った。穏やかな尾根だ。左斜面の紅葉はきれいだが、まだ半端。緑のままも多く、全体の色が淡い。期待はこれからだろう。
 あっけなく中武生山の山頂に着いた。三角点があるだけの素っ気ないピーク。山名板もない。広さは5畳一間くらいか。展望無し。この山はやはり遠くから眺める山なんだなぁと思ったりしている。地味尾根、地味沢を好んで歩いても山頂は360度に越したことはない。
 まだ先は長いが、一応の儀式としてまず一服。この程度ですでに汗をかいた。出発時の冷え込みは相当なものだったが、それに合わせて、上下はヒートテック、厚いシャツ、トレーナー、フリースといった着こなしだから汗もかく。トレーナーは脱いだ。下のヒートテックも脱ごうかと思ったが、これはまだ先でいいか。まだ蒸れた感じもないし。

(いい感じ)


(540級ピーク)


(男体山)


 南西の540m級ピークに向かって下る。去年対岸から眺めたこの中武生山、角度によって三角形の単独峰に見えたり、双耳峰に見えたりしていたが、後者の場合は、その540mピークが片耳だろう。右に奥久慈男体山が見える。あの山には電波塔でもあるのか。それらしき人工物がかすかに見えている。
 倒木を越えて540m級ピークに出た。赤ペンキの色が落ちかけた標石があるだけのピーク。ここは中武生山よりも15mほど低い。この標石だが、この先でも随分と見かけた。

 さて、ここまでは踏み跡頼りに来られたが、短区間ながらも、歩かれているルートのわりには踏み跡が不明瞭なところもあったり、さらにテープ類がまったく見られない。ここからは南東に下る尾根に乗るから用心してコンパスを出して合わせる。ここは特に紛らわしい分岐尾根もなく、直進はササヤブになっていて、踏み跡も左寄りに付いている。不安なのは、尾根先でやや南寄りになり、等高線が広くなっているところだ。その鞍部から尾根を乗り換えるような形になる。踏み跡はしっかりしているだろうか。

(光の加減で黒く見えるのか)


(この辺はあと一週間か)


(いつしかスズタケヤブに入り込んでいた)


 黒ずんだり緑の混じった変な具合の紅葉を見ながら下って行くと、やはりやらかした。微妙な南分岐を気づかずに通り過ぎると、スズタケのヤブに入り込んでいた。周囲を見ても踏み跡らしきものはない。ミスに気付いて戻ろうとしたが、余計な歩きになりかねないなと、コンパスに合わせてトラバースを試みる。スズタケをかき分けて行くと、444m標高点に通じる尾根が見えてきて、何とか乗り移った。

(444mとばかりに思い込み、写真を撮ったりしている)


(しっかりした踏み跡優先で行く)


 それでいて、尾根に乗ると、すぐの小ピークを根拠もなく444m標高点と思い込み、コンパスをセットし直す。ここからは南下と、南に向かいかけたが、明瞭な踏み跡が南西方向に向いていて、いずれは南向きになるのだろうと、これを優先して辿る。早々に、かなりいい加減な歩きになりつつある。

(444mの岩峰)


(振り返って。あれは中武生山先の540m級ピーク)


(444mから1)


(444mから2)


(この辺は賑やか)


 前方に岩峰が見えてきた。GPSを取り出し、ここでようやく、あれが444mピークだと知る。振り返れば、先ほどの540m級ピーク。あそこから迂回しながらここに来たことになる。
 正面の岩峰、あれどうやって越えるんだいと思いながら行くと、巻くことなく正面からあっさりと登れた。ピークにあるのは標石と樹に巻いた黄色テープ。ようやく設定ルートを歩いていることに安心し、頭もリセットさせたが、この先も紛らわしそうな尾根がやたらとあるので、無事に南にある東西をつなぐ破線路に出られるのか次第に不安になってきた。それでいて、踏み跡はあるしなといった人頼りの安心感があった。

(ここを下ろうとしていた)


(下から。左右いずれからでもあっさり巻けた)


 そんなことを思っている直後にまたやらかした。ここで南西から南に進路変更するから、改めてコンパスをセットし直しするのが筋なのに、さっきセットしたからと、そのまま南西尾根に引き込まれて下っていた。というのも、何も考えずに踏み跡もあるしこちらだろうなと南の方に向かったら岩があり、こちらじゃないなと南西に下っただけのことで、すぐに胸高のササヤブの世界になり、あちこちに踏み跡を求めたがあるわけはない。ふと見上げて右手を見やると、穏やかな尾根が南に続いている。444mに戻り、首を傾げながら妨げられた岩を見ると、しっかりと巻いている踏み跡があった。先入観を持つと、見えるものも見えなくなる好例だ。
 だが、こんなミスがこれで終わるわけはなく。その後も続く。
 ヤレヤレと思ってほっとしていると、後方から女性の声が聞こえてきた。少なくとも2人以上のグループだ。これはヤバイ。平日にこんなところを歩いているのは自分だけだと安心しきっていた。姿を見られないうちにさっと行かないと。

 左手に植林が現れ、雑木との間を下るようになる。この先の小ピークでまたややこしい歩きになるはずだ。南東に下り、すぐに南、さらに南西に方向転換だ。その間に別尾根があって、どうも怪しい気配になっていそうだ。慎重に行かないことには。そろそろ踏み跡もかなり薄くなっていることだし。

(3度目のミス。植林の中をしばらく下っていた)


 立て続けの3回目をやらかす。小ピークに登ると、これまでになかったピンクのヒラヒラテープが目についた。先にも見えている。踏み跡もある。ようやくほっとした気分で、コンパスも見ずに尾根を下って行ったが、大分下ったところで植林の中の下りになり、こんなに下るのはおかしいとコンパスを見れば別方向を指し、GPSを見れば、やはりやらかしていた。南ではなく南東の尾根を60~70mほど下っていて、このままでは、地図の上では水線のある沢にすぐに出てしまう。大汗かいて戻った。

(この辺の赤味は良かった)


 かなり時間をロスし、正規ルートに再び乗った時には、これで後続者も先に行ってくれたろうとほっとした気分も出た。もう尾根分岐はじっくりと確認して歩くことにしよう。これが上りなら高いところに行けばいいだけのことだが、下り基調だから始末が悪い。すべての尾根が下っている。ややこしくなって間違えもする。何で少なくとも尾根分岐にテープやら標識もないのだろう。そういえば中武生山の山名板もなかった。自分のミスを棚に上げ、つい常陸太田市の観光行政に声を荒げたくなる。それにしても、ここを歩く人は器用だねぇ。こんなミスを繰り返すのは自分だけだろう。

 先に行くと、ちょっとばかり展望の良いところに出た。もうそろそろコンパスも南固定でいいだろう。後ろにはもうだれもいないはずだしと、休憩に入るべく、石に腰かけてタバコを取り出して口に咥える。と、後方から追手の声が聞こえた。何をモタモタして歩いてんだよ。せっかく、わざわざ先行を譲ってやったのに。タバコを箱に戻し、腰を上げた。
 ここで、自分は休んで先行してもらうという手があったが、その気になるのも姿が見えていたらの話で、声だけのうちはどうしても先に行っていたいという思いになるもの。まして先行してもらうと、今度はこちらが追い越したり、追い返されたりでわずらわしい関係にもなる。

(また岩峰)


 西側の山肌の紅葉を眺めながら歩く。良い気分だ。それもつかの間。また小さな岩峰が出てきた。これは簡単に登れそうだしと直登したが、今度は下るのがきつい。何とか切り抜けて先に降りたが、しっかりと岩峰巻きの踏み跡が下から合流した。大分、気持ちの余裕がなくなってきているようだ。これも追手のせいか?

(370m級ピークから)


(ここからの眺めは良い)


 すぐに登りになって370m級のピーク。岩場にはなっているが、展望良好。振り返ると、中武生山(実際は540m級ピークだろう)が良く見える。周囲の展望もなかなかのものだ。耳をすますと追手の声は聞こえない。どうも自分よりも歩きは遅いようだ。開き直って、ここで一服休憩。実際は、さっきからこちらの姿と状況は丸見えになっている状態かもしれない。ましてチャリンチャリンしながら歩いている。
 さて、370mを惜しみながら下る。なだらかな尾根は、今年の紅葉巡りのよろしくない経過の自分にとっては満足な色づきだ。ただ、ツツジ系なのか葉が小さいのが難点。その種のピンクのツツジの花も見かけた。
 そして、本日最後のミス。二度あることは三度あるどころか、三度の後は四度目だった。ここもまた小ピークを若干南西に下るべきところをつい南東に入り込んでしまった。地図を見て、次の要注意スポットと思っていたところだ。ここはすぐに引き返した。しかし、今日は散々だ。

(青空バックの黄色もきれいだった)


(そして明山。左に烏帽子岩)


 明山が見えてきた。あの象のような周囲を睥睨している姿は特徴的ですぐわかるし、左で小象のようにかしこまっているのは340m峰の烏帽子岩だろう。予定では、烏帽子岩に登り返すことは考えていなかった。何せ風が強くて冷たい。岩峰らしいし、風も吹きさらしだろう。そのまま破線路を辿って明山に行くつもりでいる。
 破線路に出るまでの難関はまだ2か所残っている。いずれも尾根分岐だ。尾根が屈曲しているから曲者だ。このやや南西方面に向かっている尾根の先350m級ピークの分岐、そして次の280級ピークの分岐だ。ともに左寄りに下ると、早々に竜神川に出てしまう可能性がある。これまでも慎重に歩いたつもりでいてあっさりとだまされている。

(下るに連れ、次第に少なくなってきた)


(烏帽子岩)


 薄い踏み跡を目を皿にして探しながら下ると、2か所ともに無事に通過。GPS確認でもOK。ただ、気分的に破線路が近づくと懐疑的になった。というのも、全体の景色が薄暗くなったからだ。それでいて正面には烏帽子岩らしき岩峰が見えている。

(烏帽子岩との鞍部。薄暗くて寒い)


(地図上の西側破線路)


 ヤブめいて急なもろいところを下ると鞍部に出た。薄暗くて陰気な峠だ。この左右が破線路か。随分と不明瞭な道らしからぬ踏み跡が続いている。参考にした他人様のGPS軌跡で地図上の破線路と実際の踏み跡とは離れていることは知ってはいた。鞍部の位置はずれても、一応は、ここまで来れば安心だ。登り返さずともに東に踏み跡をたどれば武生神社に無事に戻れる。この辺の地理に詳しい方なら、何をそんなに脅えずともと思うだろうが、奥久慈はまだ2回目の初心者マーク。ビクビクしても仕方がない。しかし、ここまで自分には難路だったわ。

 今思うと何ともお笑いになるが、ここで何を考えたかというと、愚かなことに逃亡者さながらに追手のことを深刻なレベルで考えていた。よほどに料簡が狭くなっていたのだろう。これも、ここまでのルートミス4回が背景にあることは確かだ。
 このまま明山に向かえば下って登りにもなるが、下りきった竜神川からだと明山への単純標高差は260mはある。いずれは追い越されるだろうから、A.ここで待機して追手にあっさりと追い越してもらう。 B.先行してもらうためには、ここは時間稼ぎで烏帽子岩に登るべきだろう。 C.万一、相手が烏帽子岩に登ってきたら、烏帽子岩で昼食でもしながら長居して、先に行ってもらう。 D.Cの腹案で、烏帽子岩に登ってきたら、相手も当然休憩もするだろうから、一服だけしてさっさと下る。 E.なすがまま。
 5ブランを想定し、烏帽子岩への登りがどんなものかは知らないが、ここはC、Dプランで烏帽子岩に登ることにする。こうなると心療内科通院の世界だろうが、こんなマニアックルートで、相手が複数、こちらは単独といったシチュエーションになると、文章化すれば笑えても、だれしもが思うことだろう。用足しするにしても、いくら緊急事態とはいっても、他にハイカーがいれば、いきなりヤブの中に入り込むわけにもいくまい。かかる時間を勘案し、他と安全圏の距離を置いてからするものだろう。だが、結果は5パターン以外の予想外のものだった。むしろEに近かったか。

(烏帽子岩山頂)


(ここからは双耳峰に見える)


(明山はヤブに隠れている)


 ともあれ、あまり気が乗らないままに烏帽子岩に登る。日陰と風ですこぶる寒いし、上は風がうなっている気配がする。見た目通りに急斜面の登りになったが、途中から巻き道になった。結果として10分少々で山頂に出てしまった。これでは時間つぶしにもならない。もうEプランに変更し、おにぎりを食べて一服つけた。やはりここは風が強い。展望は良いが、木立が邪魔になる。明山はすぐそこに見えている。できるなら、ここから直接行きたいものだが、ここから西に下る尾根がどんなものなのか、どうも岩峰という意識があって、確認はしなかった。

(慎重に下る)


 滑らないように慎重に下って行くと、鞍部の峠で休んでいるらしき人の声が聞こえた。結果はアチャー。袋のネズミだった。オバチャン2名。烏帽子岩から下って来たことに驚いている気配はなく、おそらくずっとこちらの行動は上から目線で筒抜けの状態だったのだろう。言い訳がましく「中武生山から下って来たんですが、尾根分岐で散々間違えましたよ」と言うと、「あらっ、こちら初めて? 私たち、ここよく歩いているから迷いはしなかったけど。以前ね、テープがいっぱいあったのに、だれかが全部取っちゃったのよ」。すぐに瀑泉さんのことが浮かんだ。しかし、尾根分岐のテープまで掃除することはあり得まい。まして、瀑泉さんがこの辺を歩かれたのは7年前のこと。その記事には「目印の赤テープは信頼できるものなので追っていけば尾根を乗り違えるとこはありません」とある。そんな瀑泉さんが裏腹な行動に出るはずもない。自分が見たテープは444mの巻き付けと外し忘れの尾根上の2か所くらいのものだった。あとはだまされた60m下りの作業用テープのみ。今度改めて来たとて、絶対に同じところで繰り返しのミスをするだろう。
 余計なことだが、テープがゴチャゴチャ付いていて景観を損ねるから外す。然りと思う。ただ、下から登って来れば、尾根分岐には目が行き届かないからすべてが外す対象になってしまう。だが、上から下って行けば、紛らわしい分岐も出てくる。外し方にも良識のあるやり方というものがあるのではないのか。足尾の山で外し回っている立場の人間の見識だ。

 オバチャンたちはまだ休んでいる気配なので、いずれ抜かれるだろうが先行することにする。一応「この踏み跡を下れば明山のハイキングコースに出られますよね」と念押ししてから下る。
 何だ、あのオバチャンたちだったら、極度に緊張することもなかったかと思いながら下る。それにしても、あんな薄暗く寒いところでよく休憩できるものだ。

(荒れた沢型を下り)


(竜神川に出る。後の祭りだが、この辺の紅葉が良かったようだ)


 ここは倒木が多くて踏み跡も薄く、歩きづらい。ほどなく竜神川に出た。ここの紅葉、みー猫さんブログの速報版に写真が載っていたが、さして紅葉は進んでいず、むしろきれいなモミジを見ることはなかった。
 川の水は少なく、あっさりと対岸に渉り、破線路の続きに入る。ここの破線路、やはり地図上の破線路とは大分違っていて、無理に辿ろうとすれば迷うかもしれない。実際に踏み跡があるかどうかも怪しいところだ。

(ようやくきれいになってきた)


(烏帽子岩)


(緑混じりがちょっと残念)


 ここに来て、ようやく紅葉が始まったといった感じがする。中武生山からの下りでも紅葉は続いていたが、まだ6分程度のもので、赤とてオレンジっぽく、鮮やかさに欠けていた。こことてこれからだろうが、色づきの比較は良くなっている。振り返ると烏帽子岩が見えている。見る限りは西尾根伝いに下って来られる感じはする。岩場が見えていないだけかもしれない。

(植林に入り)


(上山ハイキングコースに出る)


(やはりちょっとフライングか)


(色濃くないからな)


 上に行くと緑が多くなり、植林の中に入った。紅葉は樹間遠くに離れた。傾斜がきついわけではないが、ちょっと息切れがし出したのでストックを出す。そして、間もなく上山ハイキングコースに出た。標識が置かれ、来た方向には「至竜神川→」とある。この先、明山までは昨年歩いている。紅葉はこのコースの手前がハイライトだったし、ぶなじろうさんのブログを見ているから、その2日後の今日では、この先の期待は薄いかもしれない。
 植林を抜けて行くと、やはり…か。まだまだ。せいぜい今度の週末以降だろう。中には焼けてしまっているのもある。それでも色はあるので、周囲を見ずに黙々と歩いているよりはまだ気分も良い。

(明山)


(その1)


(その2)


(その3)


 明山が正面に見えてくると、次第に紅葉が賑やかになった。アンテナのある町道分岐周辺が本日のハイライトだったが、昨年の派手さはなく、むしろ地味な紅葉に落ち着いている。しかし、これだけでも楽しめれば来て良かったようだ。ということは、ちょっと一枚岩の方まで引き返せば良かったか。もうあのオバチャンたちのことを気にするまでもないことだし。そういえば、あれから話し声がまったく聞こえなくなったが、明山に向かったわけではなかったのだろうか。竜神川周辺の探索だったのかなぁ。声が聞こえてこないのがむしろ気になってくる。

(この先はもうないだろう)


(一応、まだあったのを)


(しつこく)


 紅葉の短いハイライトスポットは抜けた。赤いモミジも徐々に少なくなった。明山の色具合は結構深かったのに周辺の紅葉は淡い。

(三葉峠)


 亀ヶ淵・竜神峡分岐のある三葉峠にさしかかる。帰路はここを下ることになるが、看板を見ると、「増水時は通行できないかも」なんて記されている。何沢というのか知らないが、さっき渉った沢の水量からして問題はないだろう。
 オジサンが下って来てこんにちは。ヘルメットをかぶっているが、これは用心のためだろう。案外、岩登りで来たのかなぁ。今日の歩きで、出会ったのはオバチャン組とこのオジサンだけ。この時期だから、平日とはいえ紅葉の時期だし、結構入山しているのかと思っていた。

(登って)


(明山山頂)


 直登コースを登る。ロープには手を出すまいと思ったが、ストックを収納せず、そのままダラリと提げていたからついロープ頼りになってしまった。模範登りをするなら、ストック収納が常道だ。
 明山山頂でしばらく休む。ポットを持ってきていたからニュウメンスープを飲んだが、このスープ、賞味期限から3か月経過している。そのせいかまずかった。

(山頂から1)


(山頂から2)


(山頂から3。歩いた林道が見えている)


(山頂から4。中央下の小高いのが烏帽子岩だろう)


 だれもいないのでのんびりとした。風は相変わらずに冷たい。周囲の景色を楽しむ。竜神大吊橋は今日あたりは混雑だろう。富士山はぼんやり雲で見えない。ここから見る中武生山は双耳峰だ。歩いて来たルートを目で辿る。ここから見える顕著な分岐尾根はやはり三度目のミスポイントで60m下ってしまった尾根だ。あとは、目で追う限りは問題なく下れるようなのだが…。

(下る)


 セルフを撮って下る。帰宅してから昨年の明山から撮った写真と見比べたが、やはり、全体的に昨年よりも紅葉の色具合は淡かった。
 反対側から下り、三葉峠に出る。ここから亀ヶ淵まではどんな具合なのか。しっかりした踏み跡でもあるのか。地図上には破線もない。不安な下りでもある。

(亀ヶ淵へ)


(期待はしていなかったが、色づきがあった)


 大分歩かれている感じの踏み跡が続いているが、整備されているのは標識だけで、2、3か所で倒木が道をふさぎ、跨いだりくぐったりした。落ち葉が堆積して不明瞭なところもあるが、全体としては迷わずに歩けるし、テープも見かける。

(雰囲気は良い)


 ここは山陰になっているせいか、これからの紅葉が控えてはいるが、スポットと呼べるほどの場所ではなさそうだ。亀ヶ淵に出るまでに5枚の標識を見かけた。いずれも新しく、ここ数年の間に設置されたのだろう。

(スズタケの間を下り)


(亀ヶ淵に着いた)


 人の声がし、車が見えて亀ヶ淵に着いた。手すり付きの階段を下ると、左に小滝が見える。ちょうど川を渉ったあたりの河原の広場に男女5人の観光組がいた。その真ん前を通ることになり、ちょっとためらったが、この先、どこをどう行くのかも知らず、このまま下るしかない。その際、対岸側に北に分岐する道があった。もしかすると、あれかもと思いながら亀ヶ渕橋を渡り、看板がありげなところに行ってみた。看板を見るとやはりあの道だった。その進行方向には武生神社とある。
 あの若いうるさい連中から離れたく、この辺の探索もせぬままに分岐道に入り込んだ。騒ぎ声はしばらく聞こえていた。

(小滝を眺め)


(沢の景色は左に離れて行った)


(山道歩き)


 ここから林道までは登り一辺倒になる。標高差250mはある。この期に至っての登りはちょっとうんざりする。ここもまた地図には破線のない明瞭な道で、「水府村」が設置した標識が続いている。村は2004年に常陸太田市に編入合併されたようだ。
 最初のうちは変化に富んだ沢の景色を眺められたから良かったが、そのうちに沢が左に離れ出すと、ただの山道になった。植林ではなく、周囲は針広の混合樹林だ。この登りがジワリと急で、結構、身体に応える。休み休みの歩きになる。

(中武生山を見て)


(破線路に合流した)


 武生神社1kmの標識が出てきて、左に中武生山や烏帽子岩らしきピークが見えてくる。この先に向かっているような尾根があるが、あれが破線路尾根だろう。
 尾根上に出た。ここが破線路との合流らしい。石のベンチがあったので腰かけて休み、菓子パンをほおばる。尾根の西側を見ると、心細いような踏み跡になっている。一服し、もう一頑張りだ。そろそろ行こうかと腰を上げると、その西側から声がかかった。「ようやく追いつきましたね」。オバチャン組だ。どこを歩いていたのか。やはり、竜神川周辺を探索していたらしい。そして「きれいな紅葉を楽しんできましたよ」とおっしゃる。この辺に精通されている方々だ。よほどにきれいだったのだろう。川を渉った時にはさほどに感じなかったが、やはり、少しはうろつくべきだったようだ。

(先に行っていただく)


 「お先にどうぞ」と言われたが、こちらはかなりくたびれていたので、先で追い越されるに決まっている。「いや、私、もう少し休んでいきますから」と、腰かけ直し、吸いたくもない2本目のタバコをゆっくりとふかした。何ということはない。そろそろ距離も離れたからいいだろうと歩きかけると、100mほど先のベンチで休憩していた。気恥ずかしく「お先に」と先行することになってしまった。

(道をふさいだ倒木)


(あちこちにあるベンチ)


 不思議な道だ。石のベンチがあちこちに置かれている。南側の展望はないが、北側の景色とてたいしたものではない。そしてしっかりした道。今は亀ヶ淵からの道がメインになっていて、破線路通しのハイカーは少ないようだが、この具合では、石のベンチも古いし、破線路沿いに竜神川まで続いているのかもしれない、

(林道直下の分岐標識)


(右手は竹が続いている)


(林道に出た)


 緩い傾斜が続き、もう林道らしきものが上に見えてくると、分岐の標識が現れた。左は「武生林道0.3km」、右は「武生神社0.6km 展望台0.3km」。展望台とは、林道沿いに神社手前にあったアレだろう。林道までは同じ距離だろうと、右を選択。
 細くなった道を行くと、また近年設置の標識。もうガードレールは見えている。右に細い竹林が出てきて、道の真ん中に新しいクマ糞。やはり、こんなところにもいるんだと思っていると、ガサリと音がした。竹林の斜面を覗き込むと、それらしき動く黒いモノは見えなかった。
 林道に出た。脇に看板が置かれている。亀ヶ淵まで1.5kmとある。ドライブで来て展望台に登っているらしい人が2人。郵便屋さんがバイクで林道奥に走って行った。こんなところにも郵便を受ける人が住んでいるのか。

(駐車地)


 ここで武生神社のことを知っていれば、そのまま神社に足を向けたが、この時点で歴史的な情報は知らず、朝の薄暗いイメージしかなかったので立ち寄ることがなかったのが悔いる。もう来ることはまずないだろう。
 車に戻って帰り支度をしていると、オバチャン2人組が戻って来た。林道0.3kmの方を選んだようだ。こちらよりも上に止めた車に向かって行った。他にも車が1台あったが、自分と同じように尾根ミスしながら歩いているのだろうか。
 来る際に竜神峡のもみじ祭り開催中の幟を見ていたので、帰りに寄ってみるつもりでいたが、それなりの紅葉を見たことだしとやめにした。まして、そちら方面に往来する車も多かったし、もういいかといった気分だった。

 自宅まではかなりの距離だ。平日の高速代は高い。往路は通しだったが、帰路は上三川インターで出て新4号線を使って50号線に出た。
 しかし、今日は散々に迷って、気分的にも疲れたし、最後の登りもつらかった。瀑泉さんのおっしゃる「変化に富んでいる」は、自分には「変化に富み過ぎ」だった。紅葉のタイミングは悪かったが、明山手前で、素晴らしいほどではないがきれいな紅葉に接しただけでもマイナス面はいくらかカバーされた。奥久慈も男体山はおろか月居山にも行ったことはない。瀑泉さんのコメントには白木山というのもあった。次はそれらの山の中からということになるだろうが、自宅からの距離がどうもねぇ。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

どんより天気の中、足利、桐生で紅葉探索をした。

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◎2017年11月27日(月)

 もう紅葉は里に下りてきている。今期の山の見事な紅葉はすでにあきらめている。昨日歩いた栃木の太平山も、きりんこさんブログの写真とは裏腹に、一週間も経てば、これからなのかすでに終わったのかよくわからないような状態の紅葉だった。
 ということで、里に目を向け、家から30分もあれば行ける埼玉・滑川町の森林公園にでも行くつもりでいたが、考えてみれば、高い駐車代と入園料を払ったところで素晴らしいモミジを見られる保証はない。だったら、地元に目を向け、足利、桐生でも適当に回ってみるかとなった次第。
 思い立ったのが時間的に遅かった。正午前。足利が近づくと陽は隠れだし、桐生に至った時には夕暮れ時のどんよりした空模様になり、いつ雨が降ってもおかしくないような薄暗さになっていた。
 陽を浴びた紅葉が理想ではあるが、まぁ、参考までに、みー猫さん流の速報版ということで。とはいっても、現地からではなく自宅からの発信だが。

◎まずは【織姫公園のもみじ谷】から

 情報もないままに出かけた。そろそろ見頃になっているかなと思って。平日だから人はまばら。結果として一週間早かったといった感じだったが、真っ赤なモミジもあって楽しめた。

(やはり早かったかようだ)


(でもこんな盛りなのもある)


(いずれ真っ赤になるのかなぁ。それともこういう種類なんだか)


(こうなると、やはりまだだね)


(良い感じのところもあったり)


(アップで)


(こんなのも咲いていたり)


(一応、神社に寄る)


(やはり、これでは早かったか)


◎続いて【鑁阿寺】で

 友人の整骨院の駐車場に車を置いて徒歩2分。昼休み中で、友人には声をかけなかった。声をかけたら、これで紅葉巡りはおしまいにもなる。

(鑁阿寺に入る)


(本堂)


(鑁阿寺といったらこれでしょう)


(塔を背景に)


(イチョウをバックに)


(ここは、今盛りだったようだ)


(ただ公園風でちょっと寂しいか)


(堀のカモと鯉)


(足利学校を覗くと、真っ赤なモミジが見えた)


◎桐生に場所を移して【崇禅寺】へ

 ここは昨年行ってすごい紅葉だなと思っていた寺だ。他の寺ももう何か所か回りたかったが、雲行きが怪しいので、ここだけにした。桐生の川内。ハイトスさんお薦めの紅葉スポットの寺だ。

(門前で)


(門の前の通りの色づき。つい期待もしてしまう)


(中も予想どおりだった)


(やはり、ここはきれいなモミジスポットだ)


(寺の境内は今が盛りといった感じ)


(陽が出ていればなあ)


(本堂の裏手で)


(奥はこれからだね。吾妻山からの下りルートにもなっている)


(緑も残っていて、週末は期待できそう)


(池を入れて。まぁ、庭師も入って整備しているのだろうけど)


(黄色もなかなかだ)


(名残惜しい。コンデジで撮ったこれの方がきれいに写っているかも)


(駐車場の後ろで。これもコンデジ)


 ということで、2/3の満足度な紅葉巡りだった。惜しむらくは陽が出ていなかったこと。それでいて、この曇り空でも紅葉を楽しめた。鑁阿寺はたいしたこともなかったが、モミジ谷と崇禅寺は陽が出ていれば週末は素晴らしいモミジに出会えるかも。

太平山のモミジを見がてらに晃石山と馬不入山を周回。

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◎2017年11月26日(日)

大中寺駐車場(7:44)……謙信平(8:24)……太平山神社(8:42)……太平山(8:53)……無線中継所(9:02)……晃石山(9:28)……桜峠(9:51)……馬不入山(10:19)……車道(10:44)……清水寺(11:21)……駐車場(11:59)

 もう5年前のこと。11月18日だった。太平山の紅葉を期待し、K女ら4人で出向き、半端な紅葉を見て名物の卵焼きを食べた思い出がある。紅葉も今はもう低山エリアに入りつつある。太平山ももみじ祭りをやっているようだ。それだけを見て帰るのもなんだし、ついでに晃石山、馬不入山を加えた定番コースを歩いてみることにした。
 今日は日曜日でもあるし日和も良い。混雑を予想して早めに家を出て大中寺の駐車場に車を置いたが、この時点ではまだ10台にも満たず、ちょっと予想外。この時間帯、ここから太平山神社まで歩いて行くほどの人は少ないようだ。

(山門をあとに出発)



 冒頭からミスをした。大中寺の門の内側から北東に向かう道がついているが、これは謙信平に通じていない(あるいは勘違いか)。なぜか謙信平のモミジはきれいだろうといった固定観念があり、この謙信平を経由して紅葉探索をしようと、地図上の実線、破線をつなげて歩くつもりでいた。
 門から出た早々に、ここは、左のこの細い道(つまり実線部)を行くのではないのかと思いはしたが、それは瞬時のことで、そのまま行って、左の道に入ってしまった。念のため、畑仕事をしているオバチャンに声をかけ、ここを行けば謙信平に行けますよねと聞くと、否定はせず、この先を左に曲がって云々と言われた。ここで、「この先」の解釈を誤り、つまりは、それが実線路に復帰する道だったわけだが、気づいた時には「この先」を「大分先」まで歩いてしまい、車が行き交う県道を歩く羽目になった。

(林道沿いの紅葉)


 ここまで来たらしょうがない。県道を歩き、直に破線路に向かうことにした。県道を謙信平分岐に入る。「林道ふれあい施設」の看板がある。林道とはいっても車の通行は可能で、ふれあい道のお仲間といったところだろう。
 舗装道を7分ほど歩くと大中寺からの道が左から入り込む。これが予定歩きのコースで、余計な歩きを10分以上はしてしまったようだ。

(落ち葉の積もった道)


 まもなく、左に上がる道が現れる。標識には「太平山神社2.4km」とある。上がって行くと、落ち葉に覆われた平坦な道になった。その下はアスファルト。オジサンが先行されていて、あっさりとかわす。こんなところでも息切れをして汗をかいている気配だ。
 左に階段が出てきて、標識はなかったが、迷いもなく階段を上がる。実はここ、初めての歩きではなく、過去に2回ほど歩いている。だから迷いもしなかったわけだが、この先で、また繰り返しのミスをしてしまった。道が分岐し、そのまま左に行けばいいのに右に入り込み、ちょっと行くと、先ほどのふれあい林道に出てしまった。戻る。その間に、息切れのオジサンに抜かれていた。何ともバツが悪いので、追い抜きもせず、距離を保ってゆっくりと歩いて行く。この辺はふれあい道のようだ。看板があって、年季の入ったベンチ、テーブルが置かれている。

(謙信平に着く)


(薄い雲がかかっている)


 謙信平に出た。確か関東平野一望の展望台があったはずだがどこだっけ。すぐに展望台のことは忘れた。早いとこ真っ赤なモミジを見たいと気が急いている。というのも、最初に目に入ったモミジは、真っ赤が1本、緑半分が1本の半端な状態だったためだ。頭の中は赤いモミジでしかなく、今回は神社下の見晴らし台にすら寄るのを忘れている。
 さっきのオジサンはここで休憩に入った。では先に行きましょうと、階段を登りかけると、今度は単独のネエチャン。狭い階段だし、真後ろを歩くわけにもいかず、距離を保つしかない。しかし、このネエチャン、結局、気づくと常に前を歩いていて、自分がストーカーハイカーのような気分にもなったが、行く人もあまりいない浅間神社の方まで先を歩いて行くので、たまらずに途中で抜いてしまった。こんなところは、自分には器用さがない。ただ、追い越しの際にコンニチワと声をかけたが返事なし。何か屈託でも抱えながらの歩きだったのか。

(その1)


(その2)


(その3)


(その4)


(その5)


(その6)


 話は前後したが、紅葉エリアに入った。この辺一帯が謙信平とでも言うのだろうか。だとすれば、自分は何か大きな勘違いをして歩いて来たような気がする。店がズラリと並んでいて、写真を撮るにしても、場所を選ばないとどうしても店の一角や幟が入り込んでしまう。紅葉はといえば、一週間前にここにいらしたきりんこさんの写真に見合ったモミジを拝むことはできなかった。やはり数日遅かったのかもしれない。
 この先の紅葉に期待はない。これで今日のメインの目的はあっさりと終わり、後はさらっと流し歩きということになる。

(太平山神社)


(奥宮)


(浅間神社)


 太平山神社に出る。20人ほどの人たちがいるが、見るからにハイカーの姿はまばらだ。神社の周囲にはモミジもほとんどないのでお参りだけして奥宮に向かう。苦痛げに階段を登って行く無荷物のジイサンを抜くと、前には例のネエチャンがいる。
 ネエチャンは奥宮に寄らないので、こちらは寄って時間稼ぎ。さりとて、それほどの時間稼ぎにはならない。コースに復帰すると、先に姿が見えている。浅間神社下の晃石山方面の分岐路に入る様子もないので、たまらずに追い越した次第。
 ここには何度も来ているので目新しく感じるものはない。神社裏手のピークを踏んで、そそくさと晃石山の方に向かう。ここで、そういえば展望台に寄らなかったなと思い出す。まぁいいか。この先にも展望地はある。

(晃石山へ)


(林道が左から入り込む)


(後ろに無線中継所)


(展望地から筑波山)


 浅間神社を下り、ハイキングコースを歩いて行くと、どこから歩いて来たのか、ハイカーの姿が目に付くようになる。この先、桜峠まで随分と出会ったが、その多くは逆方向からの歩きだった。トレランも3人ほど見かけた。
 左に林道のような道が現れ、並行し、やがて合流した。そして、また分岐。ハイキングコースは左下に向かっているが、今日は、右手に行ってみた。まもなく上に無線中継所が見えた。塔の真下に数人の姿が見えたので、寄るのはやめにしてそのまま直進。グズグズしたところを下ってハイキングコースに復帰する。
 前をオニイサンが歩いている。何だかもぞもぞとしている。どうしたのかと先を見ると、ご夫婦らしき二人連れが歩いていて、抜けずに我慢しているような様子だ。ついこちらも急迫してしまい、オニイサンと二人連れを追い越す。ここでようやく後ろのオニイサンにも気づいたのか立ち止まる。オニイサンを解放させてやり、先に行ってもらう。何だ、結構、元気な歩き方してんじゃないの。気が小さいんだね。彼女いるのかなぁと余計な心配をした。他人のことは言えないか。
 サクサクと歩くオニイサンを追いかけるように歩いたが、途中の展望地でオニイサンは休憩に入った。

(ここを登りきって)


(晃石山)


(かすかに富士山)


(日光方面)


 道が分岐して右に登ると晃石山。山頂には3人ほどいた。温度計が置いてあり、8℃を指している。風がないのでむしろ暖かく感じる。展望は全体が白っぽくて良くない。さっきの展望地でも雲上の筑波山がぼんやり見える程度だった。腰かけて休んでいたオジサンが、富士山見えるよと言うので、目を凝らすと、確かに薄っすらと見える。北側を見ると、日光連山の頭はみんな白くなっている。
 一服したかったが、周囲にハイカーがいるのでは吸えもしない。結局、今日は、馬不入山を下るまでタバコは吸えなかった。一服できないのでは仕方がない。腹も空いていないし、水も欲しくない。桜峠に向かってさっさと下る。前後して、南側の神社の方からハイカーが数人登って来た。

(ちらりと)


 下りながら、左手にチラリと黄赤の色づきが見えた。太平山を過ぎたので紅葉は期待していない。まして、よく歩きハイキングコースだ。つい、ハイカーの観察に目がいってしまう。あのオニイサンはその後どうしたのか、それきりだ。上下白の柔道着のようなものを着て黒帯を巻いた方が下って来る。足はスニーカーで何ともアンバランス。さらに走っているから、何かの修行でもしているのか。低山ならではのユニークなところだ。単独のオバチャン、オジチャンも結構いる。離れて歩いている2人が他人どうしかなと思うとご夫婦のようだったり。これはよくあることだ。

(次のピーク)


(きれいな尾根)


 桜峠手前の展望地。西側隣の尾根の色づきが良い。なぜかそこだけがダントツにきれいで、周囲も色はあるもののくすんで見える。ここから遠望する白いピークは浅間山だろう。

(下って)


(桜峠から)


(峠の東屋)


 桜峠への下りにかかる。階段付き。何だ、ここからも北側の紅葉がきれいに見えるが、どうも光線の加減のようだな。どうしても緑のあるところは余計に濃く見えてしまう。
 桜峠に着く。標識からすると、紅葉がきれいなのは村桧神社5.2km方面だ。東屋では3人ほど休んでいる。景色をチラリと眺めて馬不入山に向かう。清水寺の方からもハイカーが登って来る。時間的にこれからハイカーも多くなって、大方は太平山に向かってモミジ狩りといったところだろう。

(馬不入山へ)


(この辺は短いが変化のある歩きが楽しめる)


 馬不入山だが、向かいながら下り道のことを考えていた。馬不入山まで過去2回行ったことがある。1回目は南東に下る破線路を下るつもりでいたら、何だか入口が不明瞭で、桜峠に戻って下った。2回目は大明神山の方からやって来て、南西への破線路を下った。この時はさらに岩船山まで行ったからいいが、そちらを下ると、大中寺までは大回りになり、車道歩きも長く、一部、県道歩きは避けられない。今日は南東尾根伝いの破線路を辿るとしよう。以前のように入口が不明なら、ヤブこぎになっても構わない。まして、これまでずっとハイキングコースを歩いて来たから、この辺で変化をつけてもいいだろう。
 こちらもふれあい道になっていて、すぐにそれとわかる標識が置かれている。こちらの紅葉はこれからのようだが、モミジ系の赤いのはない。トレランのオバチャンに抜かれる。山頂まで0.4kmの標識を過ぎると、小岩が点在して変化が出てくるが、これもあっという間に過ぎ去る。

(立花ルートの標識)


(馬不入山山頂)


 そろそろ目的の破線路尾根だなと思っていると、「立花ルート」という標識が置かれている。その時は、これが破線路入口かなと思ったが、覗き込むと先は尾根型にはなっていない。ちょっと首を傾げ、左手に下る尾根型を探しながら行ったが、見つけられないままに馬不入山の山頂に着いてしまった。きっと、あの立花ルートが破線路だろう。
 欠けた古い石碑には明治時代の硬貨が賽銭で置かれていた。さっき追い越されたトレランオバチャンもいないし。一服つけようかと思ったら、南西ルートからガヤガヤと3人組が登って来た。タバコが吸えないのでは長居は不要。その破線尾根で改めて吸うことにしようと下る。

(ロープが張られている)


 やはりどうも破線尾根ルートはわかりづらくというか入口がわからずに、立花ルートに入り込んでみた。落ち葉の積もったコースだ。それでいて、ここではあやふやな尾根に登り上げするような雰囲気もなく、そのまま下っている。滑りそうなところには手すりロープもあって、その先には改めての標識。今度は「立花沢ルート」とあった。ここはやはり尾根コースの破線路ではなく沢筋ルートだった。
 踏み跡は明瞭で、そのうちに右を見上げると尾根筋が見える。おそらく、あれが地図上の破線路なのだろう。もう古い話になってしまうが、だれかのブログで、破線路のヤブを下った記事を見た記憶がある。尾根には登らずこのまま下るとする。

(ごちゃごちゃした感じだが、迷うところはない)


(立花沢ルートの出入口)


 立花沢ルートの様子はまったく悪くはない。ロープも引き続きで、迷うところはない。ちょっと荒れ気味の沢伝い(沢とはいっても水はない)に下っていくと、やがてはごちゃごちゃした景色になり、フェンスの先に車道が見えてきた。
 フェンスには出入口があり、ヒモを解いて車道に出た。振り返ると、標識があり「馬不入山入口→」と記されている。もう一般的なルートになっているのか。こうなれば、さらに尾根を下ればよかったかなといった気持ちも出てくる。次回は強引に尾根を下ってみよう。とはいっても、たかが知れた時間の歩きになるだろうけど。

(立花園を覗いて)


 ここでようやく一服する。ここの黄色の樹々はきれいだ。隣に、これまたフェンスに囲まれた「立花園」という看板があったが、そちらの紅葉はこれからで、見えるモミジはまだ7分くらいか。ここの立花園、フェンスで中に入って行けないが、それもそのはず。後で調べると、個人のブドウ園のようだ。

(車道歩き)


(また筑波山)


(車道沿いで)


(池もあったり)


 ここからが長い。舗装の車道歩きになる。まばらとはいっても、通過する車もある。適当に淡い紅葉やら関東平野の一角を眺めながら歩いたので、特に長いといった感じはなかった。こちらから眺める晃石山方面の山肌は、南からの陽射しのせいか、きれいに見えている。

(清水寺で)


(清水寺の前。これはきれいだった)


(正面に回って)


 途中のスポットは清水寺しかない。入ってみる。モミジがあった。色は真っ赤からはすでに過ぎ、黒ずんだ赤といった感じか。いくつか赤の残りがあって、それは楽しめた。ただ写真で見る限りはきれいで、そんなのを見ても不満足かと言われそうだが、今期は素晴らしいモミジを見ていないので(ブログ記事は前後したが、翌日に桐生の崇禅寺で見事な里のモミジを見た)、これは致し方もない。

(大中寺)


(駐車場隣の園地で)

 大中寺に戻って来た。駐車場はいっぱいになっていた。やはり、里に近い紅葉見物は、陽が高くなっているこの時間帯が最適なのだろう。
 駐車場には寄らず、そのまま大中寺に入った。ここは別にモミジの名所でもないが、庭師が脚立を使って松の剪定をしている。ベンチに腰掛け、何も考えずに仕事をじっと眺めていた。傍から見れば、こういう仕事もいいだろうなと思ってしまう。ただ、無造作に枝切りをしているわけでもなく、その立場での造形美もあるのだろう。それ以前に、植物の知識も相当なものだろうなと感心しながら見ていた。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

根本山を沢コースから中尾根で周回。所期の目的は達成できず。

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◎2017年12月3日(日)

駐車場(8:15)……沢コース分岐(8:18)……男坂・女坂分岐(10:10)……男坂の石祠(10:17)……分岐戻り(10:24)……根本山神社本社(10:38)……獅子岩(10:58)……奥社(11:10)……行者山(11:19)……行者山に戻る(11:56)……中尾根コース分岐(12:13)……根本山(12:22~12:44)……中尾根分岐(12:49)……根本沢林道(13:29)……二十一丁(13:40)……不死熊橋(13:46)……駐車場(13:50)

 4月に歩かれたハイトスさんのブログレポで、根本山の沢コースが整備されたことを知った。大分以前に、ここを一回だけ歩いたことはある。もう25年以上も前のことだ。沢沿いの雰囲気の良いコースだったが、ところどころでわかりづらく、神社への登りがクサリ付き急斜面できつかったことだけは覚えている。記事を拝見し、いずれ改めて行ってみようと思ったものだが、その中に記された「角力(すもう)場」なるスポットに興味を持った。行く際は、これも含めて歩くことにしよう。幸いにも、ハイトスさんの記事にはGPS軌跡も掲載されているので見当はつけられた(実は「つもり」だったが)。
 以降、それきりになっていたが、先日、瀑泉さんが沢コースを歩かれ、角力場に行くか時間的に躊躇され、結局行かずのままで終わった記事を拝見し、じゃ、オレが行ってみるかといった気分で今回行くことになったわけである。

 梅田奥の狭い道に入ると、いかにもハンターといった感じのグループや、路肩に止めた軽トラやらワゴンタイプの車を5、6台は見かけた。やはり、猟解禁を待ちかねていたのだろう。ぶっそうなものだ。ほとんどが地元群馬ナンバー。示し合わせて集合しているようだ。それでいて追い犬の気配はない。

(駐車地の後ろを見るとひっそりと)


 駐車場には他に車が1台。準備をしているともう1台入って来た。オニイサンっぽい感じ。今日の足は沢も渉るだろうと、久しぶりにスパ長(知らない方もいるだろう。改めて「スパイク付き長靴」のこと)にした。そして、瀑泉さんのブログにあった写真、各所に配置されている「周辺地図」。これを刷り出しして持ってきた。1/25000地形図に丁石やら古の石造物が書き込まれたマップだ。これは、根本沢の沢コースを歩くに際しては、貴重なガイドだろう。

(詳細な案内図板。結果的には、これを見ながら本記事を作成した)


(いつもの不死熊橋。沢コースは左上に行く)


 林道を歩いて不死熊橋。その手前にコース看板が置かれ、見ると「根本沢ルートは急峻で…危険。…自己責任で…」と記されている。そして隣には詳細な案内図。こちらは刷り出しで持参したものよりも詳しいが、角力場は敢えて記さなかったのか、スポットにはなっていない。いずれにしても、こんなものを見ると、その筋人ハイカーなら、危険であろうが中尾根ルートを予定変更して歩きたくなるのではないだろうか。
 橋を渡るとすぐに林道ゲートがあり、その手前左に「根本沢(上級者)→」という標識がある。「上級者」ならまだしも、これが「熟練者」だったら尻込みだ。この沢コースの入口、なぜか帰路でここを下って来ることになるとは何ともお笑いの後日談。

(こんな感じ。スパ長には最適な歩きができる)


(最初の整備された橋)


(二十丁石)


 スパ長のためか、登山靴なら慎重になりそうなところもサクサクと歩ける。まして、この時期だ。落ち葉の下は凍てついて滑る用心も必要だ。しばらく歩いて、その心配も今日に関してはスパ長を履いている限りは不要のようだ。そして、確かに目印も豊富で、かつてのように踏み跡頼みも必要なさそう。
 早々に沢徒渉。橋がかかっている。長靴だから橋を使う必要もないが、新しい橋のようで渡ってみる。滑ることもなく快適に歩ける。なぜかバケツがあったりして。これがもっと奥にあったら名物になるかも。すぐに二十丁の石を見る。案内図にない二十一丁と思ったが、よく見ると、「一」ではなくしっかりと「丁」の字になっている。
 ここで余計なことだが、1間≒1.82mとして、1丁=1町=60間≒182mとなるから、根本山神社本社まで20丁だとすれば、ここから3.64kmということになる。やけに短い感じのイメージにはなる。

(根本沢を見下ろすほどの高巻き)


 かつての標識と新しい標識が入り乱れて続く。スパ長で歩いている限りでは、こんなところ、沢通しに行けるのになと思っていても、道筋はかなりの高巻きになっていたりする。むしろ、その高巻き、ロープを敷設されていても恐く感じるところもあるが、ここは、律義に道筋を辿る。まして、この時期だし、水も少ない。多い時なら、沢通しで行けないかもしれない。
 ロープといえば、この大分先で、ロープを頼って岩トラバースをした際、固定されていると思って、頼りきって下りかけると、ロープがズレ動き、危うく岩から滑り落ちるところがあった。ロープが新しいと信頼しても、その辺は要注意だ。

(赤塗りの橋と石垣)


(こんな看板を目にするだけでも安心して歩ける)


 話が前後したが、先に赤いペンキ塗りの橋が見えた。ここは、橋よりも階段状の積み石に興味を覚え、階段を見ながら手前で沢を渉ったから、この橋は渡らなかった。この石積みは横に長いものだったが、針金が巻かれていたところからして、往時の遺物かどうかは怪しい。
 「根本山3.5km」の標識。これは従来の標識。紅葉後のかけらすらない。樹々の葉はもう落ち、沢の広い両岸ともに落ち葉が堆積している。その間を根本沢が流れている。これが、25年前に見て記憶のある風景だ。自分には懐かしくもあり、気持ちを新たにしても好きな光景だ。視界は広いから、動く黒い異物がいればすぐに大分先から用心もできる。そういえば、ここを初めて歩いた時にカモシカを見た記憶がある。

(簡単そうだが真下には行けなかった)


 左手に岩穴が見えた。何かありそう。もしかして石仏でも祀られているのかなと思い、岩に上がって覗き込もうとしたが、もう2歩の登りが無理。手がかりがなく滑りそうで退去したが、腕を伸ばして撮った写真を後で見る限りは中は黒く写り、ただの穴だったかもしれない。

(ここも高巻きだが恐怖感はない)


(十四丁石)


 明瞭な落ち葉の踏み跡を律義に沢を巻きながら歩いて行く。十四丁に出る。ヒラキデ沢の出合い。ここで瀑泉さんが撮られた周辺図を刷り出して持って来たことになる。ここは看板類の賑やかなところで、保安林やらコース標識もある。
 また橋を渡り、キツトヤ沢出合い。ここに十三丁石があったはずだが、写真では残っていなかったので見忘れていたのだろう。改めて不死熊橋手前に置かれていた案内図を見ると、十三丁石は「キツトヤ沢出合を過ぎた大岩の下」とあった。自分が持参した「周辺地図」よりも、こちらの方が解説付きでやはり詳しい。

(別に橋を渡る必要もないが)


(不可解な石積み)


(シオジ橋)


(十丁石)


(続いて九丁石)


 また橋。手書きの標識には「シオジはし」とある。左岸に渡ると苔むした石積みのようなものがあって、この辺は「シオジの森」と呼ばれているようだが、森というよりも岩壁沿いになっていて、この先で十丁石を確認。十一、十二丁石は流されたのだろうか。九丁石を見て、根本山2.5kmの標識。
 こういう見通しの良い沢沿いの風景が続くのもいいが、次第に飽きてもくる。ずっとなだらかな沢沿いの歩きだ。変化も欲しくなる。丁石もさることながら、もっと別の石造物を見たいもの。そういえば、後続のオニイサンは出発以来見ていないが、中尾根歩きだったのだろうか。こちらはゆっくり歩いている。振り返っても姿は見えない。

(実は次第に飽きてきている)


(六丁石)


(「魚止めの滝」か?)


 大割沢を通過。そろそろ沢コースの後半部にさしかかっている。六丁石。先で沢が左から入り込む。小割沢。本流には小滝が流れている。せめて、これくらいの風景の変化は欲しい。実はこれが「魚止め滝」のようだ。ここは橋を右岸に渡って高巻く。この滝の手前に五丁石があったらしくまた見逃している。

(振り返って。ここで、ロープのたわみで危うく沢に滑り落ちそうになった)


 ここの巻きは縦横にロープが張られていて、先ほど触れたが、ここで滑り落ちそうになった。むしろ、水量が少ない時は沢伝いの方がスパ長履きでは安全といえるかも。

(キノコ型の置物)


(そして円柱ポール)


(最初の石祠)


 ようやく、ここで石造物が現れた。コケに覆われたキノコ型の積み石。触りはしなかったからしかとはわからないが、積み重ねではないかもしれない。周辺地図にも、入口案内板にも、この石のことは触れていない。流されたかもしれない丁石代わりに置いたものだろうか。こういうところに来ると、ちょっとコケむした物でも遺物に見えてくる。
 この先には円柱状の石。岩の上に乗ってあるから、これもまた何かだろう。さっきのキノコ型と共に、案内図板には記されていない。ここには平たい石がある。ふと石祠が2基あるのに気づいた。ようやくお出ましか。案内図には「文政七年に寄進」とあったが、「文化」の間違いだろう。文「政」には読めない。柱も残っているから、石祠であっても神社だろう。ここで休憩し、菓子パンを食べて一服つける。

(二丁石)


(沢が合流する)


(平らな石と、意味ありげな石塔)


(岩の上の石塔)


 沢の空間が狭くなって二丁石。ここに木根畑沢が流れ込むが、水はチョロチョロだ。周辺地図には二丁石の先の一丁石はなく、次のスポットは「籠堂跡」となっている。これらの丁石は足尾の庚申山のように、個人の寄進のようだ。二丁には「桐生四丁目なにがし」の名前が彫られている。
 石段のような平らな石が出てきて石塔が現れる。彫られた字は消えている。そして岩の上にも石塔。雰囲気の変化が大分忙しくなってきた。これには「奉献根本山神宮 大天狗 小天狗」とあり、頭はなぜか窪みになっている。
 沢は石ゴロになりかけたが、ここにも低い巻き道が通っている。コンクリのような石柱があったりするが、これが古い物ではないだろう。

(石段があって)


(また石塔)


(この上に何かが乗っていたのだろう)


 十八段の石段を昇るとしっかり残った石塔。この辺が籠堂跡のようだ。石塔の側面には梵字とは違う篆書のような三文字が刻まれている。何と読むのか。なぜか錆びた鍬が立てかけられていたりしている。そして、これも石塔が載せられていたらしい台座だけが残っている。

(籠堂跡。横になった鉄梯子が見えている)


 籠堂跡にはいろんなものが配置されている。石塔以外にも石積みの跡、石灯篭らしきもの。そして男坂にあった天保十二年製の鉄梯子。これは昨年の8月に登山道整備の際に掘り出されたものらしい。置かれた案内板にそう記されている。
 そんなものを時間をかけて見ていると、オニイサンが上がって来た。やはり、こちらのコースを選んでいたか。先に行く。向こうも、ここで先行者がいたのに気づいたのではないか。

(男坂と女坂の分岐。まずは右の男坂に入ってみる)


(これが「不動の滝」か)


(しかと写っていないが不動明王像)


 男坂と女坂の分岐に差しかかる。コース標識は左の女坂を誘っているが、男坂には不動明王が置かれているらしく、先ずはそれを見に行く。「不動の滝 不動明王石像 →」の標識がある。
 不動の滝とはいっても水は浸み出ている程度のもので、滝のある気配はない。不動明王像は洞窟のようなところにあるのだが、そこに至るまでが足場は悪く、ロープが張られている。像を拝見する。ここは水量のある時は滝の中ということなのだろうか。

(さらに少し行くと石祠)


 ここで、普通は引き返すようだが、ちょっと上の様子を見に行くと、ここを登って行くのはしんどそうだなと思いながらも、新しいロープが張られていたりしているから、男坂を登り上げるのは無理でもないのだろう。見上げると、石祠のようなものが見えた。近づく。神社のようだ。この神社、案内図には出ていない。もしかすれば、男坂から角力場に行き着くルートがあるのかもしれない。

 結果的には、想定としてこのまま登って行けばよかったが、引き返して女坂に入る。さて、ここで記した「女坂」だが、同じ桐生の吾妻山のように女坂、男坂がコースとして分かれているわけではない。標識は基本的に女坂一通で、男坂不動明王像のあるコースから先に標識はなく、分岐に戻って左に向かうようになっている。さっき見た鉄梯子の説明板には「主参拝路は男坂(表坂)」に対し、「今も使われている女坂(裏坂)」という形で記されているから、表坂は険しいので、巻きの裏坂を使うようになり、今に至っていると解釈できる。男坂に果たしてどんな石造物があるのか予想もできないが、戻って女坂を歩いたところでは、石造物もあったし、江戸期の頃から女坂がメインで使われていたことが想像はできる。

(女坂の鉄梯子)


(石塔が続く)


 先ずは鉄梯子。この梯子も天保期の物のようだが、今なお現役で使われているとは、当時の鋳造技術もすごかったのだろう。とはいえ、全面的に信頼して使うにはためらいもあり、かなり神経を使いながら登る。こんな古い鉄梯子、どこかにもあったが忘れた。
 滑りそうな岩場(とはいっても傾斜は緩い)をロープ伝いに登って行くと、また石塔。案内図の解説によると、田沼講中から寄進された、根本山の最大の石塔だそうだ。頭には何か知らないが、鉄の四角いのが載っている。これにも大天狗と小天狗の文字が彫られ、飛駒の地名も彫られている。

(烏天狗像かと思ってしまった)


(そして根本山神社が右上に見える)


 その上には首欠けの地蔵。これ、安政年間の薬師如来像だそうだ。右手に杖だか錫杖、左手には丸い物を持っている。これが薬壺(というらしい薬箱)だとすれば、確かに薬師如来だろうな。こちら、その時はただの地蔵さんとばかりに思っていた。
 右手にようやく神社らしきものが見えてきた。この風景だけは記憶がある。あるいは、ハイトスさん記事で見たことがあるから頭に残っているのか。

 長々と記したのでこれからはあっさりと。それでいて失敗談はいつものように続く。

(クサリ場がでてきて)


(鐘楼堂)


(根本山神社本社)


(本殿)


(鐘楼堂の足場)


 日陰のためか霜柱が残る岩場の斜面にはクサリが垂れている。これも年代物か。ここは別にクサリを使わずともに登れる。目の前には鐘楼、奥には神社。これが根本山神社の本社らしい。危なげな板床を渡って本殿まで覗きに行ったが、ここは分岐したヤセ尾根の上にあり、何とも落ち着かないところだ。鐘撞堂の足場にしても、いつ崩れてもおかしくない状態だ。鐘撞堂といえば、だれかのブログに、鐘を叩きたかったが叩くものがないのでやめたと記されていた。よく見れば、しっかり木槌があるじゃないか。戻って樹の根に腰かけて一服。谷を挟んで向こうに見えるのが地図上は破線になっている尾根の一角だろう。

(知らずに男沢に下りかける)


(男沢を覗く)


 さてと腰を上げる。実はこのまま正面の尾根続きに乗れば良いだけの話だったのだが、尾根を離れた右下に踏み跡があったので、これがルートと勘違いして下る。ましてロープもあった。下ると、あれっといった感じで、右下に踏み跡とロープが続いてはいるものの、谷間の下りになっていて、左上には踏み跡すらない。ここを下るのはまずかろう。ふと思った。男坂を登ればここに出るのかと。
 正解尾根を見上げるとさっきのオニイサンが登っている姿が見える。籠堂跡で長時間休憩をとっていたのだろうか。探索していたにしては神社にも寄らないのもまたおかしい。人様の歩きのことはどうでもいいが、元に戻るのも何だから、正解尾根に直登して攀じ登ることにした。

(こんなところを四つん這いで登って)


(正規ルートに復帰)


(獅子岩)


(獅子岩から。三角山と奥に日光白根山)


 足場が悪く、かなり手こずったが、何とか、クサリが置かれた尾根に這い上がった。余計なことをしてしまったものだ。戻れば良かっただけのことなのに。
 獅子岩通過。岩の上に登ってみると、穴の開いた箱型の石造物があった。ここから正面に三角形の山が見える。この山は瀑泉さんのブログによると三角山(1091m)だそうだが、後で地図を見ると、桐生とみどり市の境界線上にあるピークだ。おそらく、あの辺はまだ歩いたことがないと思う。ここから見る限り、そして地図を見る限りは、根本山直下で迷わない限りは行けそうな気もする。ネット情報では、クサリやロープが設えているようだ。

(急斜面を登りながら)


(日光連山を眺める)


(途中に根本山神社の奥社)


 急斜面の鎖場を登って行く。ちょっと緊張する。積極的には歩きたくないところだ。登りながら男体山や白くなった日光白根を眺める。
 根本山神社奥社が置かれていた。傍に丸みを帯びた石を載せた台座のようなものがある。石灯篭でも置かれていたのか。

(行者山)


(これを突破して角力場に向かう)


 さらに登って行者山に到着。小高い丘といったところだ。さて、ここからが本日のメイン目的となる歩きになる。角力場は地図上の破線路を一旦下ることになる。不確かなのは、ハイトスさん軌跡では破線路から北東方向に分岐しているポイントだ。地形図では、何となく尾根になっている感じのところに向かうらしい。その分岐がわかればいいが。
 角力場の方向にはロープが張られ、通行止めになっている。間違って直進してしまう人もいたのだろう。本ルートはここで南向きから東に方向転換している。

(写りは悪いが明瞭な尾根筋)


(踏み跡もある)


(途中で。袈裟丸方面。右に三角山)


(次第に急な下りになり)


(ここで尾根が分かれる。この写真ではわからないが、左の直進尾根、間の谷間、右の小尾根となっている。実は写真がすべてピンボケでこれしか載せられなかった)


 明瞭な尾根は地図破線に合わせて西から北に向かう。部分的に荒れて細いところもあるが、概ね危うげなく歩いて行ける。踏み跡もあるし、ピンクテープもある。下り基調で部分的に登って下ると、次第に急になってきた。そろそろ破線路が尾根から外れて沢型に向かうあたりに着いた。ここにもピンクテープがある。
 尾根が二分していた。直進は明らかに北に向かって根本沢に出るだろう。そして右の尾根はどこに出るんだろう。男坂に向かっている感じもする。そして、その間の窪みが、おそらくは破線路の続きだろう。ここで悩んだ。ハイトスさんの軌跡を地図にマーカーを入れてきたが、拡大されたルート図でもないため、こんな感じだろうと書き込んだマーカーだった。ちょっとだけ破線路に入り込むのか、右尾根をそのまま下るのかまったくわからない。テープはこの先には目に入らない。そもそも何のためのテープなのかも不明なのに追うわけにもいくまい。それとも、もう少し直進尾根を下ってから方向転換するのか
 折衷案で、間の沢型を降りてみようか。というのも、直進尾根も右尾根もこの先がおそろしく急になっていたためだ。少し下ると、その先も見えてくる。ここも先がかなりヤバそうだ。むしろ、樹のある右尾根を下った方が無難のようだが、見た目、樹々は痩せている。登るには問題なかろう。四つん這いになるだけのことだ。あれを下るとなると、自分にはロープが必要だ。地形図を見る限りはそんなに急斜面とも思っていなかったので、お助けロープ10mしか持参していない。やめるか。オレには無理だな。あっさりと行者山に戻ることにした。

(行者山の南西尾根)


 途中、ハイトスさんが下った南西尾根も観察したが、ここもまた、自分には対象外の感があった。急斜面じゃないか。ここも無謀だな。しかし、ハイトスさんはすごいね。たいした方だ。真似できませんわ。

(根本山方面に向かう)


(中尾根十字路)


 今日は角力場が目的で来たから、当初から根本山に寄り道するつもりはなく、中尾根から下るつもりでいた。行者山の下りには太いクサリ場になっている。つかめば手袋が茶色になりそうだ。道は明瞭になり、左手から道が合流する。そして中尾根十字路に着いた。
 あ~ぁとため息をつきながら一服し、おにぎりでも食べて下るかと、石に腰かけると、考えてみれば何とも不自然。こんなところで食事をしているスタイルはちょっとおかしいんじゃないのか。

(結局、根本山に登ることになった)


(石祠)


(根本山山頂)


 仕方なく根本山に登って、山頂でランチにするか。もう紅葉の跡形もなくなり、樹々の葉はほとんど落ちている。胴体のなくなった石祠を見ていると、ネエチャンが下って来た。山頂には例のオニイサンがいるかもな。
 山頂にはだれもいなかった。風もなく、食事を済ませ、リンゴを食べながらぼんやりと陽だまりの中でくつろいだ。銃声が立て続けに2発聞こえた。勢田東方面からだった。それっきり。

(中尾根で帰路に就く)


(久しぶりの中尾根は、これまでのイメージと違っていた。葉が落ちたからだろうか)


(また石祠)


 下る。中尾根はヒノキの植林の中の下りが続くといったイメージがあったが、意外に開けていて雰囲気も良い。自分の記憶もあてにならないものだ。右手に行者山からの南西尾根が見えた。こうして見るとなだらかな尾根だけどなぁ。急なのは取り付きだけだったのかもね。

(植林に入り)


(林道に出る)


 オッサンを追い越し、石祠。じっくり観察したかったが、オッサンの姿が見えて来たので先を急ぐ。植林に入り、林道に出た。
 ここで錯覚をしていた。標識が置かれ、この写真もまたしっかりと撮っているのに、右に行ってしまった。標識には左「登山口 石鴨林道 不死熊橋」、右「根本沢コース」とあったのにだ。右に行くのは石鴨林道に出てからのこと。これも先入観。もっとも、左から女性が歩いて来たので、こちらもまたてっきり熊鷹山からの帰りだろう程度に思っていた。

(この標識できょとんとなっている)


(林道終点)


 林道が上りになっていておかしいと思ったが、そのまま行った。振り返ると、すでに女性の姿は見えない。それでいて間違っていることに気づいてもいない。「注意 この下登山道有」の標識。何だかわけがわからなくなってきた。そうしているうちに林道は終点になり、ここで初めて林道を左に下るべきところを右に上がってしまったことを知った。標識はないが、左に下る踏み跡とテープが見え、まぁいいかとここを下ることにする。それでいながら、沢コースに戻るとはまだ思わずに、いずれ不死熊橋に出る別ルートがあるんだなと思ったりもしている。こうなるとお目出たい。

(何だかよくわからずのままに沢に向かって下っている)


(何ということはなく二十丁石の橋に出てしまった)


(再び同じところを歩いて)


(不死熊橋)


 沢がどんどん近づいてくる。そのうちに左から踏み跡も下ってくる。おそらくさっきの「この下登山道」の道だろう。結果的に河原に出、橋を渡ると二十丁の標石があった。何ということはない。遠回りして下ることになっただけのこと。ここでようやく自分のやった事態を理解した。朝歩いた踏み跡を逆に辿って行くと、朝には気づかなかった「中尾根コース→」の標識を見て不死熊橋に出た。

(歩きながら、何でこうなったんだろうなんて思っている)


(帰着)


 橋の先には車が1台。埼玉県ナンバーの車だ。駐車地に戻ると他に車が2台。自分より早々に置かれていた車とオニイサンの車はすでにない。他の2台のうち1台は追い抜いたオッサンのだろうなと思い、帰り支度をしていたら、不死熊橋に置いてあった車が下って来た。何と、運転はそのオッサンで、助手席には林道で見かけた女性が座っていた。つまり、女性がさっさと下り、なかなかオッサンが下りて来ないので登山口に様子を見に戻ったという構図だったのだろう。この女性を見なかったら、遠回りの下りにもならなかったのかもしれない。
 帰りの車道、細いところもあって神経を使ったが、対向車はおろか、ハンターの車ももうなかった。早じまいしたのだろう。改めて角力場に行くことはないだろうが、今度行くのなら、男坂を登り上げてみたいなと思った。
※今回は記事のアップが遅れてしまっが、9日にハイトスさんが男坂経由で角力場に向かわれた記事が載っていた。やはり、同じようなことを考えてしまうようだ(そのレポは⇒これ)。これは後でじっくりと拝見することにしよう。

(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

飽きもせずに根本沢。男坂から角力場に向かってみたのだが…。

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◎2017年12月17日(日)

駐車場(8:03)……籠堂跡(9:43~9:53)……角力場尾根(10:25)……行者山西ピーク(10:52~11:02)……根本沢(11:36)……沢コース合流(11:43)……二十丁(11:55~12:01)……不死熊橋(12:07)……駐車場(12:11)

 3日に根本山に行った際、行者山から角力場に下ろうとしてあまりの急さにたじろぎ、さっさと退散してしまったが(もっともどこに「角力場」があるかは自分でも判然とはしていなかった)、実のところ諦めきれずにいて、下るのではなく登る分には問題なかろうと、いずれ下から歩くつもりでいた。おそらく取り付きは男坂がベースになるだろう。
 その男坂だが、難易度は高いと思っていた。先日、根本山神社から誤って男坂上部に下ると、見下ろす男坂は半端ではない傾斜に見えた。きっと無理だろうなとこれもまた諦め半分の気分。そんな折り、ハイトスさんご一行が9日に男坂をあっさりと登られた記事を拝見した。こんなことを記しては失礼だが、ハイトスさんならともかく、おK3さんまで登らるのなら、オレでも行けんじゃないのか。
 かくして、今回の目的はハイトスさんとは中身が違うが、同様に三つにした。①男坂から角力場に登り上がる。 ②ハイトスさんが残した川講中だったかの石柱の目印を見つけ、その石柱を探してみる。 ③行者山南西尾根を下ってみる。 以上。根本山と神社、女坂は今回は用なしとする。

 ハイトスさんブログの画像では根本沢もうっすらと雪がついていた。ああいう風景になっていたら嫌だなと思いながら準備をする。今日もまたスパ長だ。話は前後するが、今日もハンターらしき車が2台、前回と同じところに置かれていた。ただ、今日は最後まで銃声を聞くことはなかった。昨日はどうだったのだろう。
 駐車場には車が他に2台。うち1台から2人連れが出発し、遅れてこちらも出発。なぜか2人はすぐに戻って来た。挨拶はしたが、あるいは用心して軽アイゼンでも取りに行ったのか。今のところ、一時的な雪も消えたのか、白い物は見えていない。

 以降の歩き、籠堂跡までは2週間前とまったく同じ歩きなので、敢えてたいした写真も掲載しないし、歩きを改めて記しても意味がないだろう。前回見逃した十三丁石と五丁石も確認した。ただ、今回の目的の一つでもあったハイトスさんの川講中の木組みの目印だが、これをコース途上で目にすることはなかった。残念ながら、強風で離ればなれに飛ばされてしまったようだ。せっかくの楽しみが一つ消えた。
 今日は雪もずっと降ったりやんだりしていたが、雪が残っているところは角力場尾根(勝手にそう名付けさせていただいたが)だけだった。

(雪がちらついている)


(前回見逃した十三丁石)


(沢には氷柱があちこちにあった)


(これも見逃していた五丁石。十三丁石とともに、特別なところにあったわけでもなかった)


(魚止めの滝)


(2週間の間に随分と落ち葉が堆積していて、膝下まであった)


(前回、これは階段のステップかと思っていたが、倒れた石塔と思えなくもない。現に、もはや読み取れない文字の窪みがあったりする)


(籠堂跡)


 ということで、籠堂跡に到着。実は、男坂に入り込む以前に角力場尾根に取り付いた方がいいのではと周囲を物色しながら登って行ったのだが、確かに、ここなら何とかと思うところもあった。しかし、男坂を登ってみたいという思いも強く、この時点では、男坂の途中から角力場尾根に向かうことにしている。結果として、次に角力場に行く機会があったとしたら、おそらく手前から登るだろう。まして、その方が無難かとも思う。

(男女坂の分岐。今日は右の男坂をさらに上まで)


(やはりここも凍結している)


(不動様。今回はご尊顔を少しはクリアに撮れた)


(固定ロープは続いている。これを頼りに登る限りは問題なく登って行ける。上から見て)


(石祠。2週間前はここで引き返して女坂を登っている)


 籠堂跡を少し登ると大きな岩尾根をまたいで左右に水無し沢が分岐。左は女坂。そちらは目もくれずに右の男坂に向かう。左岸側の斜面は凍りついている。試しにスパ長のスパイクをあててみると、どうも滑り止めには頼りない。用心してかかるしかない。
 不動様に手を合わせて上に行く。そして石祠。ここまでは先日確認したことだし、ロープもしっかりとあった。この石祠をはさんで、沢型はまた二分する。本来の男坂がどちらかは知らないが、左を覗き込むと、ロープが続いているから、今の男坂は左側なのだろう。どちらにしても、見える視界全体が露骨な岩場になっている。

(男坂の先。まだロープはある。結局はここを歩くことになるが、この時点では覗いただけのつもりでいた)


(ここを攀じ登る。写真ではたいしたこともないが、実際は手ごたえがあり過ぎた)


 今日も角力場見物が目的だから、ここは右。すぐに沢型は消えた。この右側斜面をとにかく登ってみよう。無難そうなところから取り付いた。かなり厳しい。しっかりした手がかりと足場がない。5mほど登ったところで断念。手にかける岩がポロポロと割れてしまうし、上は急斜面がずっと待ち受けている。自分の技術では無理だ。
 しかし、たかが5mとはいえ、下るのが恐かった。足元が不安定で、全体重をかけられない。よほど、一か八かこのまま腹ばい45度でずり落ちようかとまで思ったほどだ。何とか這う這うの体で石祠に戻っ時は、とりあえずは助かったといった心持ちだった。

(結局、男坂に復帰して登る)


(これがハイトスさんの言う「滝」だろうか)


(左手に神社が見える。今いる場所を挟んで対岸尾根に角力場があるはずなのだが)


 仕方ない。ロープのある男坂を登るしかあるまい。ロープを頼りに登って行くと、すぐ上に見覚えのある風景が見えた。先日、見下ろしたところだ。男坂は意外にあっけないなと思いながらも、このまま男坂を登ってしまったのでは角力場からどんどん離れてしまう。
 ふと、右手にナメっぽい滝状の沢型が出てきた。ハイトスさんからいただいたコメントにあったなぁ。「右側に迂回するように滝を登れば角力場への尾根に突端にいけそうだった」って。このことか。そこを少し登ると、左上に根本山神社が見えてくる。テープも見えているから、男坂からはあまり離れていない。

(ここの登りはさほどでもないが、ただの登山靴では滑るだろう)


(角力場尾根が見えた。あそこの台地がてっきり角力場とばかりに思ってしまった)


 沢状の路地を登って行くと、右手に尾根らしきものが見える。もしかしてあれが角力場尾根? GPSを見ると、神社から大分南側に出ている。ハイトスさんの軌跡図では、角力場は神社の真西だった。ということは、尾根に乗り上げても大分また北に下って行かないといけないようだ。まぁ、ここまで来てしまったら、目の前の壁を越えて尾根に登るしかあるまい。
 さっきの5m岩場よりはやさしい登りだが、別の厳しさがある。急斜面であることは相変わらずで、岩場でないだけでもまし。手がかり、足がかりはあっても、樹の間隔は広く、手も頼れない腐った樹も多い。こんなところにもシカフンがあったりで、なぜか安心したりもするし、気を落ち着ける場もいくつかある。さっきの岩場に比べれば極楽だ。

(目指した台地はこうなっていた)


 小ピークを目指して登り上げる。実は、その小ピークが角力場と思って登っている。登り切って角力場尾根に出ると、石祠のガレキらしいものはなかった。あるのはゴロゴロした岩。やはりさらに下か。あと標高50m下りといったところだろうか。

(ちょっと下ってみる。かなり急だが、まだ樹を頼りに下れる)


(先はこうなっていて、ヤセた尾根センターに樹はない。さらに激斜面で頼りない樹が続く。引き返す)


 落ち着いたところで尾根を下ってみる。先日の見た目の予想どおり、やはりヤセの急斜面が続いている。そしてすぐに先がすとーんとなった。尾根上は岩場ではなく道型っぽくなってはいるが、ここも樹の間隔が広く、樹につかまりながらの下りは抱きつきをやってもかなりきつい。まして、地面は凍っている。下手すれば左右いずれかに転落する。それでいて、冷静になって見分する限りは下からの登りだったら四つん這いで何とか登れるだろう。問題は目先の下りだ。今日は20mロープも用意して来ていたが、そこまでしてガレキ跡を見に行く価値があるのか疑問になってきた。しばし見下ろしながら思案した。危険を理由にヤメにするか。つまり、自分には無理という結論。

(袈裟丸は隠れている)


(角力場尾根を登る)


(かなり荒れたところもある。全体として角力場尾根は悪相の尾根だ)


(分岐が見えて来た)


(右が角力場尾根)


(今季初の雪を見る)


(行者山西側ピーク)


 断念して急なヤセ尾根を登って行くと、右手に尾根、下には沢地形が見えてくる。先日、いずれを下るかで迷ったところだ。そして、分岐に到着。まぁ、いいか。死ななかっただけでも幸いだ。いずれ、下から改めて、なんて気が起きなければいいが。そんなことをするよりも、根本沢を沢通しに歩いてみる方が、地味沢歩きで自己満足に浸れる気がしないでもない。
 行者山の西側ピークに到着。南西に下る尾根をよく観察すると、先日の南西尾根と見当つけた尾根は違う尾根だった。あれは北西尾根だった。あれをよくハイトスさんは下ったものだと恐れ入った次第だが、正解の南西尾根は見るからになだらか。ここでちょっと休憩。

(南西尾根を下る)


(こんな景色が続く)


(この辺はなかなか良い雰囲気でお薦めルート)


 単調と言えばそれまでだが、広い尾根で、さりとて尾根型は明瞭。倒木はあるが、のんびりと気分良く歩ける。目印の類は皆無。たまに大型動物の新しい足跡が残っていたりする。みー猫さんがこの尾根に興味を持たれたようだが、この時点では確かにお薦めしたい尾根だ。

(植林がちょっと入り込む)


(そして次第に急になり、先の見通しが悪くなってくる)


(早々に右に逃げる)


 左が植林のようで、その境目を歩くようになると、標高800m付近で一時的に植林に入り込むが、すぐに抜け、今度は針広樹が混在するようになる。しかし、全体としては明るい中の下りだ。
 安心しきって下っていたら、次第に急になってきた。沢が近づいている証拠だ。このまま下って行くのは危ないような傾斜になり、尾根から外れ、右手の斜面に逃げることにした。右手を選んだのは、ジグザグにシカ道らしいのが見えたことと、その斜面が広かったからで、左手斜面の様子は知らないが、後で思うと、そちらに逃げるか、しばらく下った方が良かったかもしれない。

(根本沢が見えてくる)


(そして根本沢)


 いつしかシカ道は消え、歩きやすいところを下って行く。根本沢はもう真下に見えている。だが、こことて急で、スパ長だったから滑らずに済んだが、登山靴ならチェーンスパイクくらいは必要だろう。

(南西尾根突端の左はこうなっていて、ここなら楽に下れたかも)


(そして、尾根の突端部。ここからではまず無理)


 沢に出て、しばらくは沢を下る。長靴だから、水に浸かっても問題はなく、歩きやすいところを選びながら歩く。そのうちに、南西尾根の突端が現れる。やはり、岩場がストーンと落ち込んでいるが、その左側はゆるやかな斜面になっているから、むしろ、我慢して尾根を下り、右手に逃げる手は使えそうだ。ハイトスさんは左手・南側のカヤデ沢の方に下ったようだ。

(沢コースに復帰)


(ここで一休み)


(今日も前回もまったくゲートを越える歩きをしていない)


 沢コースに復帰する。そのまま沢を下るかと、コースを無視して下ってみたが、左岸側30mほど上にコースが見え、このまま沢を下るとヤバいことになるんじゃないのかと、あっさりとコースに戻ってしまった。
 二十丁で休憩を入れる。また雪が落ちてきた。陽も隠れ、次第に冷え込んできた。腰を上げて不死熊橋に降りる。ここ2回続けて根本山周辺を歩いたが、ゲート先の石鴨林道を歩いていない。こんな歩きも珍しいか。

(帰着。うまく写ってはいないが雪が結構降っている)


 駐車場には他に3台。とはいっても、1台が消え、2台追加といったところだ。4時間歩き。あっさりとしたものだが、恐い思いは何度もした。
 梅田の居住地区に入ると雪もやんだが、山の方は雪も続いているのだろう。南西尾根から見えるはずの袈裟丸も雲にすっぽりと隠れていた。手持ち無沙汰を紛らわすため、里に出るまでの間に目に入った石仏やら石碑の写真を撮りまくりながら帰路に就いた。5か所くらいあったか。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

(付録1)


(付録2)


(付録3。ここは古道伝いの車道のようだ。意外に珍しい)

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