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Channel: たそがれオヤジのクタクタ山ある記
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(再び)足利ブラブラ歩き

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◎2017年3月20日(月)

 春めきの三連休が保証されていたが、初日は出勤、二日目は庭木を切ったりで半日をつぶし、三日目は墓参り。今年に入って、内容はともかく週一のペースで歩いていただけに、歩けないのは何とももどかしく、墓参りに出かける前にちょっと足利に出向いてみることにした。
 目当てはあった。こういう時間半端な時用にストックしているところがある。一つは越床峠の旧トンネル跡、そして、樺崎八幡宮の裏山・八幡山。一遍に回っても、家を出てから3時間半後には戻れるだろう。
 どうでもいいことだが、体調はすこぶる悪く、ここ一週間、風邪がぬけずのままだし、昨日の作業で両肩から腕にかけて筋肉痛になっていて、身体をよじると痛みが走る。墓参がなく時間がフリーだったとしても、満足な歩きはできないだろう。まして翌日は仕事日。今日はちょうど良い散歩といったところだ。

【越所隧道跡】
 古道はともかく廃墟、廃村の類にはあまり興味はないが、明治に築かれ、80年近く前まで使われていたトンネル跡ということなら見てもいいかなといったところがある。このトンネル跡の前にすでに知っていた須花峠の明治トンネル、大正トンネルを見ておきたいが、そちらはいずれまた行く機会もあるだろう。
 このトンネル、「越所隧道」というらしい。存在を知ったのはでんさんからのコメントだが、ネットで調べると、かなり詳細な記事があった。結局、この記事をアップした方の記録をもとに向かうことになる。
 隧道の工事は明治12年着工、28年竣工、昭和13年にトンネル中央部の落盤で閉鎖。全長195mとある。その後に、今は閉鎖されている旧道が開通し、通行はそちらに移行したようだ。16年の工事からして、メインは手掘り作業で、その間の資金難があったことも予想される。何せ個人の有志による施工のようだし。
 そのネット記事によれば、足利側の出入口は見つからず、佐野側のみ残っているらしいが、敢えてここで足利側を探索するほどの好奇心はない。今回は、その方が9年前に辿ったところを見当づけて歩くだけのこと。

(旧道のゲート)


 旧道分岐のハイキングコース入口の駐車場に車を入れて歩き出す(8:27)。この時点で他に車はない。トンネルの中は水たまりになっているらしいので、足は長靴にした。通行禁止のゲートを越えて旧道歩きになる。この旧道、閉鎖になって20年程経っているようだが、整備すればそのまま使えそうだ。もう少し経てば、廃れるままになるのだろう。

(ここから「鳩の峰」方面に行くのだろうが、どこで尾根に合流するのだろうか)


(市境のゲート)


 旧道はクネクネしているが、ショートカット道があって、ロープが張られたそちらを行く。再び旧道に出ると、「大小山・大坊山」の手書き標識があった。そして、左に未舗装の道が分岐し、そちらには「鳩の峰、塩坂峠」方面の標識がある。先月、番屋の方から越床峠まで下って来て、その先、鳩の巣方面には適当に登って行ったが、正式なハイキングコースとしては、峠からここまで下るということだろう。
 ほどなく佐野市との境にあるゲートに着く(8:35)。佐野側からならここまで車で入れるということではなく、佐野側にも293号線の分岐にゲートはまた別にある。つまり3段構えの侵入禁止。
 右手に大小山方面の道を分けると、道路を遮る倒木、続いてまた右に登山口。先日はここに下りて来た。

(落葉に覆われた旧道)


(放置されたままの不法投棄のタイヤ)


 旧道が落葉で覆われるようになると、右手に不法投棄のタイヤの山が現れた。ネット記事によると、トンネル入口はこの付近のようだ。反対側を見ると、なるほど西に向かって窪み状の地形になっている。これをずっと行けばいいらしい。
 ということは、話がややこしくなるが、順序立てると、旧道設置のベースになった峠越えの道が元々あって、峠部分をショートカットすべく、途中に隧道を設け、この付近に出るようにした。その後、落盤でトンネルが使えなくなり、以前からの峠越えの道を拡張し、やがて国道293号線に昇格した。そして、越床トンネルの開通とともに旧道になった。敢えて記すまでもないことだろうが、そんなところだろう。

(道型が先に続いている)


(間もなく荒れてくる)


(そして、ここに突きあたる)


(その下にぽっかりと穴があいていた)


 窪みはかつての道型のようでもあり、幅は2mほどあるが、先に行くと倒木とヤブがうるさくなる。同時に道型らしき姿もなくなり、ただの荒れた沢状になってしまった。
 倒木をくぐって進むと、正面が崩れた岩盤になった。先は土砂で見えていないが、土砂の上に立つと、岩盤の下に洞窟のような穴が覗いている。これがトンネルの入口のようだ。ここまで旧道から離れて3分も歩いていない。

(穴に入る)


(入って奥を覗く)


(突きあたり。異質の土壌が流れ込んで塞がれている感じだ)


(さっさと出口に向かう)


 中に入り込んでいる間に地震でも起きたら生き埋めだなと躊躇してしまったが、好奇心の方が勝った。身をかがめて中に入ると、意外に広い空間になっている。もちろん水たまりができている。幅4m、高さ3mほどか。確かに当時の馬車なら通れるだろう。
 土が出ているところでもかなりズブズブになっている。粘土質だ。ちょっと奥に入ると、もうその先は崩れていて、強い懐中電灯で照らしたが、隙間の穴すら見えない。前述のレポでは30mほどの長さだったらしいが、自分の目測ではせいぜい20mあるかどうか。その間に東日本大震災があったから、縮まったのかもしれない。
 行き止まりに支柱にしたらしき木が散乱している。ひんやりした感じもない。ここまで見れば十分だ。さっさと戻る。出口の直前で、水に足を入れてみると、ズボッと膝上まで入り込んでしまった。余計な観察をする必要はなかった。おかげで左足は泥んこ。

(このザマだ)


 ここから適当にさらに西の尾根に上がり、これまた適当に西に下るというアイデアがないわけでもないが、時間もないし、たいして面白味のある歩きが出来るとも思えないので、そのまま来たルートで旧道に戻る。せいぜい、倒木エリアを迂回しただけだが、旧道を車が通っていた時にはこの辺に入り込んでくる人も結構いたのか、古いゴミがトンネル跡近くまで落ちている。

 旧道に出て、落葉でズボンの泥をこすった。落ちるわけはないが、少しでも乾きは早いだろう。峠の方からジイチャンが下って来た。散歩のようだ。泥んこになったのがおかしなところから出て来たので、それなりのことを言われるかなと思ったが、挨拶を交わしただけ。ジロジロされもしなかった。峠に出ると、次のジイチャン。こちらの足元には目もくれず、いろいろと尋ねてくる。景色のいいところは知らないかと。峠から右に行くか、左に行くかで悩んでいるらしい。よく聞くと、いずれ雲海を見に来ることにしているが、今日はその下見だとか。どうも東の展望が広がっているところに行きたいらしい。こちらもさして詳しいわけでもないので、こっちに行って、大坊山か大小山にでも行ったらと無難なアドバイスをしたが、その通りに登って行った。あのジイチャンのことだ。大坊山に行ったとしたら、足利鉱山の下では確実にシルバーコースだろう(笑)。襟元から、首元のボタンまでかけた白いワイシャツが覗いていたのが印象的だった。

(緊張したわりにはあっさりと駐車場)


 駐車場に到着(9:13)。往復一時間もかからなかった。車が6台くらいに増えている。準備中の方々を見ると、全員、ジイチャン、バアチャンばかり。ここから歩くのは、そういう方々が優先して選ぶコースなのだろうか。
 木っ端を見つけてズボンの泥をこそぎ落としてみたが、泥は生乾きで、かえって面積が広がってしまった。

【八幡山&琴平山】
(樺崎八幡宮。まいど、といったところか)


 車で5分程走って樺崎八幡宮。ここの駐車場に車を置くのは、今年に入ってからもう3回目ともなる。
 八幡宮の裏手にある八幡山は、一月に山王山から下って来た際、北関東道に尾根が寸断されていて行けなかった山だ。特に魅力ある山とは思えないが、以来、気になっていて、いつか手持無沙汰な時にでも行ってみるつもりでいた。

(ここから)


(入口標識。パワースポット)


 靴を履き替えて出発(9:26)。以前、裾野を通った時、「パワースポット登山道入口」という何だか俗っぽい標識を見かけていて、そこを行けば、八幡山に登れるようだ。神社から南に回り込み、民家の間の車道をちょっと行くと、標識が出てきた。

(ヤブめいている)


(すぐにこうなる)


(この標識がずっと続く)


 最初はヤブめいた感じだったが、次第に明瞭な道になり、クネクネと上に続いている。カーブごとに「パワースポットコースNO.●」の標識が短間隔に置かれていて、このNOは山頂直下で16になる。
 この標識、下に樺崎八幡宮の名入りだから、神社で設置したのだろうが、どこが、果てまた何がパワースポットなのか、自分にはよくわからなかった。もちろん、山頂にその解説があったわけでもない。よくは知らないが、アニメの舞台になったらしく、その時のパワースポット扱いそのままなのか。

(八幡山山頂)


 滑りやすい道を登って行くと、あっけなく八幡山山頂(152.8m三角点)に到着してしまった(9:43)。展望は西側が見えてはいるが、さほどの風景ではない。「足利百名山・八幡山」の板が置かれている。ここに「史」と記された標石が置かれている。琴平山にもあったが、これは何を意味するのだろうか。「歴史」の「史」の意味だろうか。

(北に向かう)


(琴平山)


(これの石標が気になった)


 引き続き北側に向かう。平らなところをずっと行くと、神社型の石祠が置かれている。ここが琴平山というのは知っているが、琴平山の山名板はどこを探しても見あたらない。八幡山も同様で、ネット記事で見かけた立派な山名板はなくなっている。
 琴平山は展望はない。さらに北側を通る自動車道の騒音だけ聞こえる。ここに「神山コース思い出歴史」と記された標識があるが、これは帰ってから調べてもその意味はわからなかった。
 定番コースでこのまま北に下ってもいいが、確か車道になっているはずだし、また自動車道の側を通って歩くのもどうかと思い、来た道を下ることにして八幡山側に引き返す。

(足利氏御廟跡だそうな)


(改めて)


 神社経由で駐車場に戻る(10:10)。途中、乾いたズボンを手で叩いたが、手を茶色に汚しただけだった。ここもまた一時間どころか40分で終わってしまった。合わせて1時間半の歩き。これでは歩いたことにもならないほどのものだが、春めいた中での歩きだったせいか、それなりに気分は良かった。心地よい軽い汗もかいた。

※前半部のトンネル跡探索、ここは危険ゾーンです。上の岩盤は崩れています。佐野市で立入禁止にしていないのが不思議なくらいです。前例記事があったので、ここに記事は載せましたが、行く以上は相応の覚悟が必要です。

館川両岸尾根で堂平山、笠山、ついでにタカハタに登ってみたが、さすがに9時間半歩きは厳しかった。

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◎2017年3月24日(金)

右岸尾根下駐車地(7:16)……古寺山△280.1m(7:51)……士峰山△289.8m(8:19)……△328.4m(9:20)……金嶽△539.4m(10:15)……車道(10:42)……山道へ(10:46)……再び車道・堂平山登山口(11:20)……堂平山(12:21~12:38)……七重峠(12:54)……笠山(13:23~13:44)……△616.8m(14:05)……車道(14:48)……タカハタ△407.6m(15:34~15:44)……民家の上に出る(16:32)……駐車地(16:55)

 今回の歩きのネタ元はぶなじろうさん記事で、それをつなげただけのことに過ぎず、オリジナリティはまったくない。ぶなじろうさんの記事を拝見してから、いずれ通しで歩いてみたかった。まして堂平山、笠山という奥武蔵のポピュラーな山は、3年前に<外秩父七峰縦走ハイキング大会>に参加し、コースの通過地点として登ったことはあったが、あいにくのガスに巻かれ、どこをどう歩いたかさえしかと覚えていない。改めて行ってみなきゃなとは思っていた。
 今回のブログのタイトルを便宜的に「館川両岸尾根」とはしたが、左岸尾根の方は東秩父村と小川町との町境になっている。下の館川からは距離もあるが、川の流れと同方向の一本調子の尾根はこれしかないので、左岸尾根としても特に問題はないかと思う。
 ぶなじろうさん(記事はコレコレ)以前に、仮面林道ライダーさん(記事はコレコレ)が両尾根を分けて歩かれていた。HIDEJIさん(記事はコレ)もまた今年に入ってから右岸尾根を歩かれている。皆さんの記事を参考にさせていただくことにした。しかし実際は記事コピーを持って歩いていたわけでもなく、場あたり的に歩くことになったし、同じようなところでミスもしている。
 結果的に、HIDEJIさんが目論んだ両岸尾根の通し歩きを先行してしまった形だが、相応に距離は長く、一月の日が短いうちはどうしようもなかったかもなと思ったりもする。

 通しの歩きは最低9時間はかかるだろうと見込んでもいたし、早いところ出発したかったが、駐車目あての<パトリアおがわ>に着くと駐車場が閉まっていて中に入れない。時間は7時を過ぎている。事前にパトリアのHPを見ると、「パトリアおがわを拠点に、ハイキング等で自然を満喫してみてはいかがでしょうか?」なんてコピーがあったから、早起きハイカーに利用しやすい施設とばかりに思っていたが甘かった。やはり公共の施設では制約もある。周辺をグルグル回り、結局は、橋を渡ってすぐの、仮面林道ライダーさんが置いたらしき右岸尾根下の路肩に車を置くことにした。ここに車を置いてとがめられるのも何だしと、急いで準備してさっさと出発する。

(ここから入る)


(石垣っぽいが半端ではある)


(尾根に乗って)


 末端部左に踏み跡らしきものがあって、これを使うとすぐに「地籍調査」標が目についた。これからずっとこの地籍調査標やら「国調多角」、さらに小川町の測量標が加わって続くことになる。色も赤、黄、青、白とそれぞれににぎやかだ。
 放置アンテナを目にして尾根に乗る。石垣の一部らしきものが残っている。ここに何か建造物でもあったのか。取り付きはヤブめいていたが、尾根伝いに道型は続いている。そしてテープも目立つが、このテープは作業用のものらしく、あてにはできない。たまにハイカーの忘れ物らしきテープも見かけるが、作業用テープに埋没して特定はできないし、頼るには無理がある。

(280.1m三角点)


(古寺山という山らしい)


 右手遠方に笠山らしきピークが見える。あそこまで行くのかと初っ端からげんなりした。尾根の傾斜は緩やかで、岩場めいたところを通過してほどなく最初の三角点ピークに到着。樹に「古寺山」と山名が削られている。ここの三角点、前回の城峯山の時にも見かけたが、標石がストーンサークル状に石で囲まれている。この先で見る三角点の標石もまたこの形式が多かった。
 ここからの下りで、ぶなじろうさん、HIDEJIさんらと同じ間違いをしてしまった。コンパスをセットし直したのに、よく見もしないで道型に沿って下ったら、南西ではなく南に向かっていた。右手に尾根型のようなものが見えてミスに気付く。戻るのも面倒で、植林下のヤブをトラバースして復帰したが、復帰した尾根には踏み跡はなく、これでいいのかなと気にもなったが、作業テープはあるし、やがて踏み跡らしきものが出てき、その先の大岩を巻く時には、右手への誘いも明瞭だった。

(たまにこんなアクセントもあるが)


(基調はこんな歩き)


 地図ではこの右岸尾根に南側から破線が何本か入り込んでいる。それぞれ、地図に合った状態で確認できるわけではないが、やはりどこかで合流していたのか、踏み跡はまた道型に戻り、小ピーク下を巻くようなところではこれを利用もする。

(畠山重忠の墓所)


(中を見ると)


 上りにかかると、左寄りに物置のようなものが見えた。近づくと瓦屋根になっている。あれが畠山重忠の墓所と言われているところらしい。そもそもこの右岸尾根を歩きたかったのは、この墓所のお堂を見たかったためだ。
 ここは289.8m三角点。樹に巻かれたテープには「士峰山」と記されている。これどうやって読むのだろう。「しみね」だろうか「しほう」?。最初「土」と「士」を間違えたのかなと思ったりもしたがそうでもないらしい。「武士」の「士」だとすれば、畠山重忠との関連もうなずける。
 お堂の扉を開けてみると、中には三段に白い石が重なっている。外の石碑を読むと、ここには重忠の首塚を祀った五重塔があったというようなことが記されている。なるほどと思いながら、東の京田というところからここに破線が延びているので覗いてみたが、明瞭な道型は確認できない。三角点の脇でまずは一服して、菓子パンを食べる。

(315m標高点付近)


(鉄塔から笠山、笹山、堂平山)


 植林の中の歩きがずっと続く。古寺山を過ぎてからこうなった。ところどころに広葉樹が加わったりするが、杉の植林が主体になっている。改めて気になることでもないが、最初の三角点280.1mから次の289.8m、そしてこの先の328.4mと、距離が長いわりには標高を稼げない状態でいる。それでいて起伏は続いているので、上った分下るという展開になっている。これでいくと、539.4m三角点への上りは結構つらいんじゃないだろうか。
 315m標高点から下ると鉄塔に出会う。ここを通る送電線「西上武幹線」は、帰路のタカハタの先でも頭上を通っていた。周囲は刈られ、笠山がよく見える。手前が笹山で、その奥が堂平山だろう。まだまだ遠いし、837m程度の笠山がえらく高く見える。その笠山よりも高いはずの堂平山875mが低く見えるのは、ここからの距離的なものだろうが、この時点では、HIDEJIさんが堂平山をカットしたことに気づきもしなかったし、外秩父七峰縦走ハイキング大会のコースの印象が強く、笠山は堂平山を経由して行くものだという先入観もあって、この景色を眺めてはため息をついている。

(こんな明瞭な道もある)


(328.4m三角点)


 明瞭な道、上り下りが続いて338m標高点。ここから方向が南に転じる。案の定、そのままの方向の尾根伝いに明瞭な踏み跡が下っている。間違いやすいところかもしれない。腹も空いたし、ここで一服したかったが、風が次第に出てきて、歩いていないと寒い。先の少しばかり日なたになっていた328.4m三角点で休憩する。

(大岩は右から)


(こんな歩きになってほっとする。束の間だが)


(八克山)


 やはり、この辺からジワリと登り気味になってくる。それに合わせるように、尾根の様相にも変化が見られ、大岩が出てくるとちょっとした岩ゴロも現れ、それが消えると、一時的に植林から抜け出し自然林の中の歩きになる。右手に相変わらず笠山方面と周囲は見えるが、すっきりした景色になっていないのが残念だ。
 ちょっと傾斜が急になって小ピーク。ここは460mの標高だ。ここに「八克山」の名称がある。古寺山同様に樹に彫っている。同じ人の手によるようだ。その上に巻かれた黄色のテープのメモ書きを読むと、ここから不明瞭ながらも館川ダムに下りられるとある。
 「八克山」。何やら意味深な山名だ。近くに八克の地名は見あたらない。八つの煩悩を克服するといった精神的、密教的な意味合いでもあるのかと邪推するのは考え過ぎか。

(林道に出る)


(金嶽)


 すぐに林道に出た。ここは地図どおりだ。この続きは尾根通しを正面突破で行けなくもなかったが、先端部の左側に上がる踏み跡があった。この先は本格的な登り作業になりそうなので、やせ我慢はせずにストックを出して頼ることにする。ついでに風が一時的にやんだので、手袋と帽子を脱いだが、すぐにまたセットすることになる。
 また植林に入り込む。今度は整然としている植林帯だ。質素な佇まいの三角点に到着。539.4m三等三角点「金嶽」の山名版。ここはあちこちからルートが入り込んでいるところらしく、5月20日土曜日にランニング大会があるとの張り紙があった。昭文社マップを見ると、この下の南側を「ときがわトレッキングコース」というのが通っているようだ。ランニング大会ということだから、コースを一部手直ししてトレランコースにするのだろうか。ゆっくりハイカーは当日の歩きは避けた方がいいだろう。

 この金嶽まで、歩き出しからちょうど3時間経過しているが(HIDEJIさんは2時間半でその差は歴然だ)、マイナールートから解放されて、ようやく予定コースの核心部に入ったといったところだろう。地図を見る限り、この先、車道と破線、実線が右往左往しているエリアになっている。むしろ、こういうところの歩きが手こずるし、ミスしたらそのまま下るしかない状況になってしまう。地図にマーカーしたところをGPS見ながら行くしかないだろう。

(植林の一本道)


(ちょっとばかりの林道歩き)


 また損した感じで484m標高点を通過して西に下ると、下に車道が見え、軽トラが走って来て車を止めた。こちらは上から覗いているだけだが、軽トラからこちらの姿が見えたのか、すぐに走り去った。荷台に荷物を載せてシートをかぶせている。まさか不法投棄ではあるまいな。
 その車道に出る。ここからは平日とはいえ、ハイカーもそれなりにいるだろうと、チリンチリンの鳴りが小さい鈴にチェンジした。車道は下っていたので方向感覚が早速おかしくなった。次のポイントの堂平山からは離れて行くような気配。地図とGPSを合わすと問題はないようだが。地図とGPSに出る等高線の形が微妙に違うのがもどかしい。

(林道から分かれる)


(崩れかかった斜面を登る)


(ハイキングコースと合流したようだ)


 すぐに左手に未整備の作業道らしきものが分岐したのでそれに入る。そして左から同じような道が合流する。こちらが正解だったかもしれない。どこを歩いているのか不明になるが、取りあえず、この道に合わせて目の前の小ピークに上がって、また下る。崩れた感じの斜面を登って尾根に上がり、下りかけると標識が2つ出てきた。一つはHIDEJIさんの記事写真で見て覚えていたマツダランプの標識。「笠山から慈光寺コース」とあり、その下に「赤木沢」と記されている。ここは赤木沢というスポットか。そしてもう一つの標識には「慈光寺方面 天文台方面」。天文台とは堂平山のことだろうが、合流した道はハイキングコースになっているようで、どうも最初の車道に出てから余計な歩きをしてしまったらしい。反対方向に行っていれば、このコースに出たのだろうか。

(正規の堂平山コースは直進のようだが右手の尾根に入る)


(車道から。笹山だろう)


 休憩舎のある車道に出た。右手に笹山が見えている。「ときがわトレッキングコース」の石標が置かれたりしている。堂平山には、ここから分岐する車両通行止めの林道を行けばいいらしいが、別の標識に「笠山峠」方面が記されている。昭文社マップを見ると、七重峠の先に笠山峠というのがある。車道歩きで1時間50分。堂平山をカットするコースだと思うが、車道歩き主体にそんなに時間をかけるのでは考えものだ。予定どおりに堂平山に向かうとしよう。

 標識に合わせて堂平山に行くとすれば、しばらくは林道歩きということになりそうだが、ここは仮面林道ライダーさんルートに合わせて町境尾根を行くことにする。どこをどう歩いても、堂平山までの標高差は300mもある。ダラダラ登りよりも急登速攻にかけたい。ましてここで休憩していたら11時30分になろうとしている。時間も押してきている。予定9時間ではきつくなる。

(枝のヤブがすごい)


(こんな作業道も入り込む)


(おとなしくなってくれた)


 荒れた植林尾根だった。枝ヤブがひどい。なかなか先に進まない。ふと話し声が聞こえた。こんなところを歩いている人もいるんだなと思ったが、人の姿は見えず、話し声は消えた。不気味な感じがしたが、この理由は後でわかった。
 左手に明瞭な尾根型が見えたのでそちらに移動すると、ヤブはおとなしくなった。そして、左から作業道が出てくる。出どころ方面を窺うと、車道から出ている気配。ここを辿って登って失敗したライダーさんの記事を思い出し、これは無視する。

(直下の登り。突破口が見えてくる)


(見下ろして)


 淡々と登る。たまに開ける右手に見える笠山だか笹山はようやく射程内に入ったといった距離感になってくれたが、このまま進む堂平山は壁のようになっている。やがて急坂になった。ここまで来ると、踏み跡もいつしか明瞭になっている。休み休み登ると、山頂直下らしきところでさらに傾斜が増したが、上にぽっかりと隙間が見えてきた。ほっとしたがきつい。先日の城峯山の時の鐘掛城への登りのようだが、こちらの方が長い。

(ハイキングコースに合流)


(山頂に向かう)


 ぜいぜいしながらポッカリに顔を出す。いきなり明るくなった。左から登り上げる道が合流する。標識を見ると慈光寺方面からの道のようだ。木を渡した階段状を登ると建物群になっていて、その先に天文台が見えた。どうやら堂平山に着いたようだ。
 風は相変わらず冷たい。周囲をうろつきながら山頂のある天文台に向かった。途中で「平成28年10月7日に笠山に熊が出没したため通行禁止」のバリケードを見かけた。熊がいたから通行禁止かいな。笠山に行けないいい理由になるかもしれないが、短絡的過ぎやしないか。山に熊は付き物だろうて。もしかして、来月の外秩父ハイキング大会はこれで中止になったりして。

(堂平山山頂)


(白い浅間山が見えていたが)


(両神山方面)


 山頂に向かったら、三角点標の撮影をしているオッサンが見えた。下の天文台敷地に入って、ベンチに腰かけて時間をつぶす。ここの山頂は360度だ。景色を眺めているだけでも間はもてる。オッサンがいなくなったので改めて行くと、今度は入れ替わりの犬連れのオッサン。何やかやと3人ほどハイカーが前後した。ワンコ連れのオッサンは自分が上がって行くと、三角点の周りの私物を整理してくれた。それだけこの一等三角点標を撮る人は多いのだろう。このあたり、外秩父ハイキング大会の時は真っ白で、天文台もガスの中でシルエットになっていて、三角点標を撮る人すらあまりいなかった。

 360度の展望を楽しむ。すでに12時半を過ぎている。ここまで5時間以上経過し、まだコースの半分残っている。ここで、この先の情報が気になってスマホで改めて見ようとしたが、ザックの中に携帯はない。充電させたままに持って来るのを忘れていた。ちょっと焦った。何かあったらヤバいな。いつもなら、自分の机の上に歩くコースを書き留めて置いて出かけるが、今日は意識もせずに記していない。家族はそれを見たこともないようだが、念のためだ。出がけにどこに行くと言い残しもしなかったから、また足尾の山にでも行っているのだろうと思われているはず。これはまずい。まして、ここは携帯可能エリアでもあるだろう。いきなり弱気になった。笠山からの下りは昭文社マップの赤実線コースを下った方が無難だろうか。まして熊の出るエリアのこと、こちらも根は俗物ハイカーだ。さっきまでの気の強さは失せていた。熊に襲われたり、捻挫でもしたら連絡ができないじゃないか。こんな情けない気分がしばらく続いた。

(下る)


(下りきったここが七重峠だろうか)


(さらに続く)


(下に車道)


 笠山に向けて下る。しばらくは外秩父ハイキング大会の逆ルートになるが、標識が続くし、ハイキングコース歩きで何も迷うこともない。むしろ、さっきまでの植林帯歩きから解放されて、携帯忘れへのこだわり以外はすっきり気分で歩いている。
 どんどん下る。振り返ると堂平山にはもう戻りたくなくなる。ここでまた標高200mほど損をした気分で七重峠に降り立って車道とクロスする。峠の標識があったかは気づかなかった。右手に見える山は笹山か。あそこも360度の展望とあるが、そうでもないらしい。ガードレールの切れ目に笠山方面の手書きを目にし、またさらに下ってハイキングコースになった。右下に車道を見ながら歩くと、また車道に下る。ここが笠山峠かと思ったが、標識の笠山峠はすでに通り過ぎた方向に向いている。

(笠山へ)


(ロープが廻らされていたが、雨の時は泥んこだろう)


 ここから笠山への登りかと多少はうんざりするが、標高差は150mもないから何とか耐えられるだろう。この時点で、ここが最後の登りかと安心しきってもいる。ここにも熊注意の警告文書が置かれている。
 急な斜面を登って行くと、単独のオバちゃんが下りてきた。歩いているハイカーを見たのは、今日はこのオバちゃん一人だけ。ここを下った記憶だけはかすかにある。そういえば、あの大会の時、笠山の山頂には目もくれずに手前下で曲がってここを下る人がほとんどだった。何とも余裕のないハイキング大会だったのだろう。改めて、あの大会は経験一回で十分だと思う。あれでは周りの参加者の流れ次第で、黙々の競歩大会になってしまってもおかしくはない。

(笠山山頂)


(笠山神社)


 笠山の山名板のある山頂に着く。ここは三角点も標高点も何もない。取りあえずそのまま笠山神社に行く。ここは由緒のある神社のようだ。だれもいないので鈴を鳴らしてお参りをする。バス時刻表が置かれている。バス停名は「切通し」となっている。地図を見る。ここからも下れるらしいが、そちらを覗き込むと急斜面になっている。ここは下りたくないなと、手前ピークに戻る。町境ルートを下らないのなら和紙の里に出るコースを下るつもりになってもいる。休憩してドラ焼きを食べる。すでに1時半だ。町境尾根を下るにしても厳しいところかもしれない。ポットにお湯も入れてきたことだし、ここでゆっくりランチタイムにしたいが先行きが不透明ではのんびりもできない。

 帰ってからHIDEJIさんの記事を改めて拝見すると、自分よりも2時間20分遅れ出発のHIDEJIさんにこの笠山で追いつかれる時間になっていた。4時半には暗くなる時期だったら、後の持ち時間は3時間だ。俊足のHIDEJIさんだったら問題なかったろうになと思うが。

(チタンテープを足首に貼ってみる)


 ここでなぜかみー猫さんが登場する。別にご当人にここでお会いしたわけではない。先日の城峯山に行った記事にいただいたコメントにチタンテープのことが書かれていた。足の攣り用にとチタンテープを購入したが、それきりになっていて、持っていることさえ忘れていた。ちょうど、ここの登りで左足首が痛くなっていたので、両足に貼ってみた。貼るほどの痛みでもなかったが、試しにということで。効果のほどはわからない。元々たいした痛みでもなかったことは確かだが、以降の痛みはなく知らずのうちに消えた。それ以上のことを書くのは控えておこう。足が攣った時に改めて。

(下る)


(616.8m三角点)


(この目印が続く)


 標識に合わせて萩平方面に下る。林道に出た。さて、ここからどうしよう。やはり予定どおりに町境尾根ルートにするか。熊の出たところは笠山だったし、もういないだろうという安心感もある。携帯不所持の不安、そんなものは払しょくすることにしよう。慎重に下ればいい。
 萩平バス停方面の標識を分けるとすぐに616.8m三角点。踏み跡は続いている。下ってまた林道をまたぐ。そして植林の中へ。「境界 小川町」の杭が手頃な目印になるし、森林作業の人も入り込んでいるようで、間伐の切り口を見ると比較的に新しいものもある。

(473m標高点付近)


(尾根は下に続いている)


 下り基調で歩いて行く。473m標高点。この左岸尾根もまた標高差を稼ぐのは難しいようだ。また林道に出る。はて、この先はと悩む前にガードレールに赤ペンキで記された矢印を目にする。尾根がガードレール下に続いている。

(前方に407.6m三角点峰。タカハタ)


(伐採地)


(リュウゴッパナ)


 正面右寄りにぼんやりと何だか大きな山が見えてきた。まさかあの山を越えるわけではあるまいなと地図を見ると、407.6mの三角点峰がある。どうも、この先の鞍部から100mの登り返しになっているようだ。笠山でラストかと思っていただけにかなり落胆した。もしかしてあれがタカハタという山だろうか。左岸尾根周辺の地図はよく見てもいなかった。
 伐採地を登り詰めると330m標高点。ここから左の谷越しに存在感のある山が見えている。地図を見ると493.8m三角点峰らしいが、昭文社マップには「リュウゴッパナ(竜ヶ鼻)」とある。険しそうな山だが、あそこもまた山頂直下を林道が通っているようだ。

(ミス。330mに戻るのはきつく、左に逃げてトラバース)


 特に何も気にせずにそのまま下ると、407.6mピークが右手に見えた。ここは正面に見えなくてはまずいだろう。下る尾根を間違った。だが登り返すには見上げる状態になっていて、ここはトラバースで正解尾根に戻る。踏み跡らしきものがあちこちにあって、これを利用してすんなりと事が運んだ。

(タカハタへの登り)


(タカハタ山頂)


(山名板)


 ラストの100m登り。さすがにきつい。一旦平らになり、緩い斜面を登ると「タカハタ」の山名板があった。三角点標石をあちこち探したが、ヤブに埋もれているのか目にすることはできなかった。標石は見つけづらくとも、その脇にある「大切にしましょう三角点」の杭は気づくものだとは思うのだが。
 腰を下ろして休憩。相変わらず風は強く、風でしなった樹が不気味な音を立てている。ここで気づいた。堂平山への登りで聞いた人の声はこれだったようだ。ギシギシという音とともにチャッ、チャッといったささやきにも似た音も伝わってくる。この揺れ具合では、いつ樹がしなって倒れてくるのかと落ち着かない。

(街並みが見える)


 3時半を回っている。あと1時間もかからないだろう。この先の右手にやたらと破線、実線が入り乱れて付いているが、どこに入り込んでも、里には出られかと思う。この時間、城峯山に行った時には、もうバス停脇で腰をおろしていた。今日はいまだに歩いている。
 道がしっかりしたと思ったら巡視路がかぶっている。開けたところに出ると、送電線が上を走り、近くに鉄塔が見えている。街並みもちらりと覗く。

(二俣は左に行った)


(ここで終わりだろう。街歩きスタイルにチェンジ)


 道がちょっと不明瞭になると308m標高点付近。尾根型もわかりづらくなる。ここで東側にある278.2m三角点も見て行くという手もあるが、今日の三角点探しはもういいだろう。植林を下って行くとまた道は明瞭になり、二俣になる。ここは左を選んだ。
 ここまで来たら後は成り行きだ。末端に出るのは無理かもしれない。民家の庭先に出る可能性もある。傾斜がなだらかになったところで鈴を外す。そしてストックも収納する。

(フェンス脇を下る)


(こんなところに出た)


 コンクリートブロックを積み重ねたのが目に入った。その外側をフェンスの囲いが続いている。このフェンス、よく見ると有刺鉄線も巻かれている。ここでフェンスを右に巻くか直進にするかで迷ったが、意識として末端寄りに出たいという思いもあって直進したが、後で考えると、ここは右が正解だったかもしれない。
 フェンスはなかなか終わらない。中に何か施設があるようで、ちらちらと中が見えるが、何の施設なのかよくわからない。石灯籠や石像のようなものも見えるので神社だろうか。中に入ってみたかったが、フェンスは続いているし、何かトラブルにでもなったらまずい。
 タンクのようなものが目に付き、その脇に出ると下に民家と道が見えた。道に下りる。だが、この道は他の民家に続いているし、反対側には畑仕事をしている女性がいる。もう仕方がない。正面突破でそーっと前の民家の玄関先を失礼して車道に出た。

(里に出て)


(県道)


(矢岸橋)


(笠山から堂平山)


(駐車地)


 下るとバスの通る県道。車の往来は多い。「切通し」のバス停を通り、腰中公衆トイレの隣の東屋のような休憩舎で休む。もう陽が落ちかけている。
 矢岸橋を渡ってちょっと行くと駐車地に着く。その間、今日歩いた山並みを眺めながら歩いた。堂平山と笠山シルエット状になっているがやはり遠い。よく歩いたものだと感心する。

 長い歩きだった。それでいて、帰ってからカシミールで見てみると、城峯山の時よりは1km少ない19kmちょっとの歩き。累積標高差は210m多い1,962mとなっていた。この累積標高差、参考程度のものだろう。外秩父七峰縦走ハイキング大会の時は2,540mもあった。そんなにあるとは思えない。いずれにしても、えらくくたびれ、予定コースを歩いた満足感は残ったものの、充実感というものがない。おそらく、植林の中の歩きが続いたからだろう。しかし、堂平山とタカハタへの登りはきつかった。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

赤城の船ヶ鼻に向かったが、重雪のラッセルに音を上げて敗退。結局、スノーハイクになってしまった。

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◎2017年3月31日(金)

登山口駐車場(7:54)……「動物たちへの合図の鐘」(8:47)……撤退(9:53)……鐘(10:24)……大峯山取り付き(10:51)……大峯山△1136.3m(11:18~11:37)……林道合流(12:24)……駐車場(12:42)

 長岡出張が入ったので、ついでに米山に行くつもりで準備していたが、どうにも時間が取れなくなった。しかたなく今週も近場でごまかすかと、ここのところの降雪で雪山に逆戻りしたらしい赤城山に行くことにした。だが、人気の黒檜山、駒ヶ岳周回では面白味に欠ける。そんな時、高木から船ヶ鼻(1466m標高点。「船ヶ鼻山」)に昭和村側から登るとツツジがきれいだという話を聞き、ツツジの季節には早過ぎるが、前倒しで船ヶ鼻に行くことにした。
 情報を集めると、昨年の8月に村で登山道を開通させたらしい。とはいっても、これまでにも歩いている人はいたらしく、40年前には登山道もあったようだし、東電の巡視路もある。つまりは村で登山道として整備したということだろう。定番で大沼の方から行くのもいいが、これまで昭和村とは縁がなかったので、この登山道を歩いてみるつもりでいる。

 今回の歩きに際し、早速これを10月に歩かれたあにねこさんの記事を参考にさせていただいた。あにねこさんは野坂峠までつなげていらしたが、雪もあることだろうし、通常の周回コースにしておくのが無難だろう。

(第一ゲート)


(ゲートから船ヶ鼻)


 今日は朝からどんよりしていて、赤城山も薄ぼんやりで、いったいどの程度の白さなのか皆目見当がつかないままに昭和村に入った。ナビの指示に従い高速利用でやって来たが、登山口が近づいてから通行止め、迂回やらでナビが騒ぎ出し、勘を頼りに雪道を通って、第一ゲートの前になんとか到着した。
 「鹿柵ゲート」となっている。ここは自分で開けて中に入るようだ。正面には巨大な鉄塔を乗せた船ヶ鼻が横たわっている。なんだか予想以上に白っぽい。ゲートを抜けて400mほどの舗装道を行くと、右手に広い駐車場があった。村がこの登山道にかける意気込みを感じるし、駐車場の上には重機が置かれている。後で知ったが、ゲート脇に「昭和村ビューポイント(四阿)整備工事」の看板が立っていた。確かに、ここからは谷川岳連峰も正面に見えていてビューポイントだ。ぼんやりした景色なのが残念。これからの時期に合わせ、公園化の工事も進むだろうが、今日はひっそりとしていて人の気配もない。

(コース案内図の看板。アップ版は⇒こちら


(楢水コースの方に)


 林道歩きが長いようで、ましてこの時期だし泥濘続きが予想される。足は長靴にした。スパイクなしの長靴。背中にワカン。設置された真新しいコース案内図を確認。この時点では、今日のコースはそう長くもないし、ついでに、歩きのルートもないような大峯山に立ち寄るつもりでいるから、上りは楢水コース、下りは牛石コースにする。だが、これは後で考えると誤算だったらしく、牛石コースは林道、作業道が基調のコースのようで、あるいは山頂に達することもできたかもしれない。今さらのことだが。

(第二ゲート)


(林道。ここはまだ雪も締まっていた)


 林道を行くとすぐに第二ゲート。ここもまた開けて閉める。入ると、右手に作業小屋のようなプレハブがあり、そちらからも林道が合流する(帰路で使用)。さっきまでのほんの少しの区間、地肌が出ていた林道はこの先ずっと雪で覆われ、轍すらない。最初のうちは長靴で正解だったなと思っていたが、次第に沈み込むようになると、歩きづらくなる。表面は硬いが、一歩入れるとズブッとなる。ここでワカンを早速履いた。ついでにダブルストック。多少は歩きやすくなった。

(鈴ヶ岳。左が船ヶ鼻)


(振り返って、こんもりと三峰山)


(こちらは大峯山)


 しばらくは快適だったが、ワカンとて万能ではなく水気のある雪では沈む。歩程はかなり遅い。植林から開けたところに出ると、林道先に三角形の鈴ヶ岳が見えてきた。この山、最後までずっと見えていた。船ヶ鼻という赤城連山の端くれを歩いていながら、見えるのは鈴ヶ岳だけとはちょっと寂しいが、山頂からでもそうだったのだろうか(ハイトスさんはじめの記事を拝見すると、船ヶ鼻は展望に恵まれない山らしいが)。振り返って後方にテーブル状の山がぼんやり見えている。あれは三峰山だろう。そして、前方右手至近にあるのが大峯山ということになる。簡単に行けそうだが、雪が多そうだ。

(温かみのある手書き標識が続く)


(林道の雪が深くなってくる)


 再び植林の中の林道歩きに戻る。雪が深くなり、絶えず沈むようになった。それでも20cmほどの沈みか。「山頂→」の手書き標識が出てくる。この先もまた、この標識にはお世話になる。

(動物たちへの合図の鐘)


 黙々と林道を歩いて行くと、鐘が置かれている。「動物たちへの合図の鐘」とあり、「安全登山」と記されている。標識によると、ここから林道を離れることになっているが、ここまで1.7km。1時間近く費やしている。大峯山に立ち寄ったりしている場合ではないようだ。まして、そのうちに雪が落ちてきてもおかしくない空模様。大峯山はあきらめるとしよう。だれもいないので鐘を5回叩いた。結構鳴り響く鐘だ。ちなみにこの鐘、案内図には「幸福の鐘」とある。あにねこさん曰くの両者ともにハッピーということだろう。

(右が沢になっていて、しばらくはこれに沿って行く)


(別の沢を渡る)


 標識に合わせて船ヶ鼻に向かう。登山道らしき薄っすらとした窪みは続いているが、だれもずっと歩いていないのか不明瞭。これでは迷うかもなと心配になったが、ピンクのテープやら「山頂→」の標識が続くので助かる。これが吹雪いたりでもしたら果たして確認できるだろうか。右が沢状になっているようで、しばらくはこれに沿って登る。

(作業道のようなものが出てくる。ロープが張ってあるが、ここは直進)


 やがて、登山道標識は突き当たって左に折れる。ピンクテープもまた左に続いている。ここで沢をまたぐ形になるが、雪の薄いところを越えればさして問題はない。渡って登ると、左から作業道らしき窪みを合わす。だがこれも一瞬で、その先がどうなっているのかはまったくわからない。
 後で考えると、この時期なら、ここを左の枝尾根に上がった方がよかったみたいだ。その尾根に登ろうとして退却もしたわけだし。

(ここからが本番になる)


(標識には「ガンバろう」とある。がんばれなかった)


(こう見えても、雪はかなり深い)


(楽な方に移動を試みたがすごすごと戻る)


 植林から抜け出し、雑木の斜面になった。地図では等高線が一時的に密になっているところだ。見た目はたいしたこともないようだが、植林帯ではないだけに雪が一段と深くなった。左上に明瞭な尾根型が見え、テープを無視してそちらに移ろうとしたが、ヒザ超えの雪で先に進まない。夏道に戻って登るしかないようだ。
 登山道側の雪はさらにズボズボになっていた。太股まで入り込み、部分的に腰まで浸かる。支えのストックは突き抜けて役に立たない。ということは、ワカンはそれなりに効果もあるのだろうが、2mの標高を稼ぐのに1分近い労力を費やすようになってしまった。後ろ足がすんなりと前に出ない。雪から出すのに、雪も重いためになかなか足が抜けてくれない。力づくで前に進むと、身体が前かがみに雪に埋まってしまう。この繰り返しになってしまった。いらついたのは、すっぽ抜けのストックがワカンの前部に入り込み、つんのめること。

(ここであっけなく退却)


 雪がなかったとしても急に思える斜面だ。地図を見れば、これは一時的な斜面で、後は50mも登れば緩斜面が待っているはずではあるのだが、これでは緩斜面に出ても状況は変わるまい。まして、コースを無視して枝尾根に向かい直したところで同じだろう。目の先、たかが50mの登りなのに、このまま一人ラッセルではきついし、限界も見えている。船ヶ鼻までのコースタイムは2時間ちょい。もう2時間経過しようとしているのに、まだここでジタバタしている。
 何も、この時期に楽勝コースを四苦八苦して登ることもないだろう。登山道設置のキャッチフレーズは「子どもから高齢者まで楽しめる」だった。その高齢者が先に進めずにもがき苦しんでいる。むしろ、ツツジの時期にでものんびりダラダラと登った方が楽しいんじゃないのか。そんな気持ちがもたげた。
 地図を見て、牛石コースまでトラバースして再挑戦という手も考えたりしたが、この雪の状態では腰ラッセル続きもあり得る。あっさりと撤退。

(自分のトレースを頼りに下る)


(鐘撞き場に戻る。林道を左に行く)


 そうと決まればいさぎよい。行動も早い。さっさと下山にかかる。だが、そう簡単には下れない。自分のトレースを下ろうとしてもあっさりと踏み抜いてしまうし、足がとられてつんのめりもする。平らなところに出てほっとして一服。
 この時期の船ヶ鼻は縁がなかったなぁ。ツツジ見物の下見と称して高木を連れて来て、ヤツにラッセル先導させた方が賢明だったよと、作戦失敗を後悔する。しかし、赤城の北側はいつもこんなに残雪が多いのだろうか。平年よりも雪が少ないとはいっても、この時期までだらだらと降雪があれば、結局は平年並みということではないのか。

 鐘撞き場に戻った。下りに30分。登りに1時間以上かけた。まだ10時半にもなっていない。せめてあと一時間くらいは往路の途上でいたい。鐘を3回叩いて大峯山に向かう。大峯山とて同じように雪深で、今日はスノーハイクで終わるかもしれないが、高速使って昭和村まで来て、このまま帰るのではいくら何でもなぁということになる。

(向こうからこちらに来た。ここもまたロープの意味が不明)


(左の植林を通ってショートカット)


(こちらもまた深い)


 林道を先に行くと、沢で途切れていた。その先は続いている。ここを突っ切るのはきつい。ちょっと下って、段差の少ないところから渡る。大峯山の下を通る林道は別林道で、ここは植林を通ってショートカット。こちらもまた雪が豊富な林道に出た。
 この大峯山だが、登る人も稀だが、この林道に車を乗り入れ、真下に車を置いて、往復10分もかからずに登った記録を見たりもしている。林道に車も入らず、巨大なかまくらでも作れそうなこの時期には無理な話で、地道に歩いて登るしかない。

(この辺から)


(意外に急だった)


 登りやすそうな斜面に取り付く。こちらは雪解けの状態だが、その分雪が緩く、湿り気もたっぷりだ。ズルズルになって登りづらい。自然に、樹に抱きつきながらの登りになった。途中で休んで見下ろすと、意外に傾斜がある。

(傾斜が落ち着いて)


(登りきってから山頂まで結構あった)


(大峯山山頂)


 小尾根に乗ると楽になった。樹間から船ヶ鼻と鈴ヶ岳が大きく見える。すぐに北からの尾根に合流する。この先は平らだ。GPSを見ると、三角点はまだ先。苦痛を感じない山ではあるが、雑木がうるさいところだ。

 すかいさん氏の山名板があったので、ここが山頂だろうが、三角点標は雪の中に埋没し、どこにあるのかわからない。腰かける場もなく、湿った切り株にシートを敷いて腰かけて休憩する。大峯山だけでも登ったから、今日のところは良しとしようじゃないか。限界越えの危険を冒して登るまでもない。

(下りはワカン+アイゼンで。カラフルになった)


 特別な理由も意図もなくワカンにアイゼンをセットしてみた。アイゼンとはいっても6本爪の軽アイゼンだ。ワカンのバンドの間隔もうまく合って、セッティングに支障はない。アイゼン巻きを先行し、その後にワカン付ける。シャキッとした気分だが、ここまでの間に長靴の中はかなり湿っていて、足も冷たくなっている。靴下も履き替えたいところだ。長靴から足を出すと湯気が出ている。

 そのまま反対側に林道に出てもいいが、少しはルート外しをしてみたい。途中で合流した北からの尾根を下ることにしよう。末端付近でうまく林道に合流してもいるし。

(船ヶ鼻)


(そして鈴ヶ岳。いずれもすっきりしない展望)


(尾根を北に下る。ハイカーとしては初歩きだったりして)


(いい感じ)


(左に植林のアクセント)


 地図通りにゆるやかな尾根だ。踏み抜きもたまにある。紛らわしい尾根もあるが、基本は直進→左→右だ。自然林の中の歩きで、左、右に植林がかすめたりもする。12時のチャイムがどこからともなく聞こえてくる。そろそろ正式な食事をしたいところだが、雪で手頃な休み場もない。

(窪みに出る。突きあたりにバリケードのようなものが見えた)


(ここに除草剤が埋没しているとあった。猛毒か?)


 尾根通しに下って行くと、窪みが出てきた。これは作業道だろう。左からも作業道の窪みが合流して右の植林に下っている。その先は林道のはずだ。それに合わせてもいいが、まだ直進するのに不都合はない。まして、窪みが延びてもいる。

(足型に合わせて下って)


(林道に出る)


(そしてこれに合流)


 そろそろ林道に下ろうか。末端まで行くと林道を戻ることになる。大きな足型があった。いつのものかは見当がつかないが、古いものが広がったのだろう。それに合わせて下ると林道に出た。この林道をちょっと行くと、向かい側から轍のある林道が合流して右にカーブする。ここに土管が放置されていたので、これに座って休憩。この林道だけは、この時期でも車が通っているようだ。ワカンとアイゼンを外す。

(プレハブ小屋。左にゲート)


 林道を先に行くと、出がけに見たプレハブの小屋。車が2台置かれている。小屋の煙突からは煙が出ている。車には「利根沼田森林管理署」と記されている。小屋の前を通ると、出発時の林道に合流して第二ゲートの前に出た。

 駐車場には相変わらず自分の車だけ。こんな時期に歩くハイカーがいるわけもない。備え付けの水道で長靴を洗う。長いホースもあったので、ついでに洗車もしようかと思ったが、さすがにそれは気が引けた。

(駐車場の上から上州武尊)


(子持山)


(谷川連峰。手前に三峰山)


 石に腰かけてランチ。ポットの湯でスープを飲んでおにぎりを食べる。天気の良いのどかな日和だったら谷川岳を眺めてゆっくりもしようが、寒い。暖まった身体もすぐに冷え込む。早々に切り上げる。

 帰路は渋川まで出て17号で帰ることにする。最近、バイパスが熊谷・渋川間で全通になったようだ。かなりの時間短縮らしいが、50号合流までの区間は一車線になっていて、大型の通行も多く、たいした短縮のお得感はなかった。

(本日の軌跡)


「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

ツツジ見たさに赤雪山、まではよかったが、穴切峠越えに往生する。

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◎2017年4月15日(土)

皆沢八幡宮前駐車地(7:10)……尾根取り付き(7:29)……仙人ヶ岳・赤雪山稜線合流(8:48)……赤雪山(9:05)……三角山下尾根分岐(10:13)……穴切峠(12:44)……車道合流(13:08)……県道合流(13:19)……駐車地(13:33)

 ツツジは見たいが人はあまり見たくない。さりとて近辺の里山でアカヤシオの秘密のスポットも知らない。無難なところで、間違いなくツツジを見られるところとなると、ハイトスさんやらみー猫さんが先日行かれた仙人ヶ岳周辺ということになるだろうが、松田川ダム側からの一般ルートではハイカーも多かろう。せめてここは南側ではなく北側から登ることにしよう。
 地図を眺めると、赤雪山の北にある尾根が目に付いた。526m標高点を通る尾根だ。これはどんなものか。ちょっと調べると、さすがに瀑泉さんは抜け目なくその尾根を一年前に歩かれていた。可もなく不可もなしか。ということで、今回のコースは、その尾根を経由して赤雪山。その先は仙人ヶ岳に向かいつつ、途中で穴切峠に下り、さらに高戸山。高戸山からは適当に東に皆沢八幡宮に下るということにする。
 ここで穴切峠にこだわったのにはワケがあって、あにねこさんの記事を拝見し、そこにある三体の石仏をこの機会に見たかったからである。常時混雑の仙人ヶ岳には無理に行かずともにいいだろう。まして、今日は午後から雷雨も予想されている。雲行きが怪しくなったら、高戸山もカットしよう。今回の目的はアカヤシオと石仏ということにし、それに徹することにする。

 皆沢八幡宮はロープに囲まれて中に入り込めず、向かいの空き地に駐車する。境内の桜は満開だ。この「皆沢」、帰って来るまで「みなざわ」と思っていたが「かいざわ」だった。どうりでカーナビで検索できなかったわけだ。地名と人名は間違えても仕方がない。
 今日は今年初の地下足袋歩きにしてみた。サクサク歩きを期待したためだが、サクサクまではならなかったものの、久しぶりの地面を踏んで歩いているという直接的な感覚が何ともいえずに気持ち良かった。ただ、最後の砂利道林道歩きには足裏が痛くて辟易としてしまったが。

(目指す尾根が見えてくる。鉄塔が乗っかっている)


 県道を20分ほど歩く。途中、小川に竿を垂らしたオッチャンに挨拶をする。廃屋が随分と目立つところだ。右に砂利を作っているような工場が見え出し、先はもう県境になっていて、栃木県佐野市の標識がある。
 工場はすでに稼働していて、目的の尾根には駐車場の脇から入った。後で改めて瀑泉さんの記事を拝見すると、鉄塔巡視路を使えばすんなりだったようだが、この時点ではまったくそれに気づいていない。

(尾根に乗る)


(鉄塔から西側)


 上には鉄塔が見えている。斜面を適当に登る。右手は大岩になっていて、その脇を登る。それなりの急斜面。右手の植林からステップ付きの階段が上がってきた。やはりそういうことなのか。これを使わせていただき、5分ほどで鉄塔。秩父の山では巡視路歩きを重視するが、こちらではついその手を失念していた。
 鉄塔からは一部の展望が開けている。自分にはどれが何山なのか特定できないでいる。北西に見えているのは高戸山だろうかといったレベル。

(下部は荒れた感じ)


(ここで終わりかけのアカヤシオ)


 鉄塔を過ぎると、踏み跡程度のものになったが、尾根型は明瞭なので、迷うようなところはない。まして、右植林、左雑木の半分開けた尾根だし、栃木県の境界線標石もずっと続いている。テープの類いは古いのを散見する程度だ。
 早速、アカヤシオ。目的はこれだったからほっとしたが、もうくたびれかけている。この辺、来るのが一週間は遅かったようだ。上に行けば新鮮どころに出会えるだろうと期待する。ツツジは決して群生ではないが、しばらく点々と続き、つい足取りも遅くなり、きれいなのが目に入れば、斜面を下って寄り道になったりもする。やはり、くたびれていても青空をバックにすると新鮮にも見える。

(歩きやすい尾根)


(焼けた感じもする)


(高戸山)


 岩混じりでゴツゴツしたところが出てくる。倒木箇所もある。迂回したところもあるが、概ねは直進できる。部分的にしっかりとした道型になったりもする。ここは意外に歩かれている尾根なのかもしれない。

(赤雪山)


(526m標高点付近)


 次第に暑くなってきた。シャツ一枚になり手袋も外した。ここは雰囲気の良い尾根だ。この先もずっと雑木が続き、526m標高点付近では左手に赤雪山らしいピークが見えてきた。ここで、この尾根の半分になるが、なぜかツツジは消え、視界にはポツリとしたものしかなく、殺風景な尾根歩きになりつつある。まさか、くたびれただけのをかろうじて目にし、以上でおしまいというわけではあるまいな。

(稜線に合流。向こうから登って来た)


 途中で菓子パン休憩をとりながらも、周囲の色彩がないままに稜線に出てしまった。この先に期待をかけていいものだろうか。赤雪山方面から話し声が聞こえた。やはり、今日はこんな早い時間からハイカーがいるようだ。

(何ら色付きなし)


(山頂が見えてきた)


 赤雪山に向かう。何だこっちも色の気配がないじゃないか。標高が上がっているのにやはりあれで終わりかとちょっとがっかり。オッチャンが2人下りて来た。さっきの声の主だろう。これから仙人ヶ岳に向かうようだ。ツツジ情報を仕入れようと思ったら、目ざとくこちらの地下タビに目が向いて、地下タビの具合をいろいろと問われた。適当に答えていたが、結構、鋭い質問をしてくるので、長くなりそうで、適当に切り上げたが、結局、ツツジ情報は聞けず。やはり、ズボンの裾は中に入れずに外出しして、さも地下タビ歩きですといった履きこなしスタイルは避けた方がいいかもしれない。だけど、自分は中入れの方が気分もシャキッとするんだけどなぁ。

(赤雪山山頂)


(山頂から。ここにも色物はない)



 結局、殺風景な景色の中を歩いて、東屋の置かれた赤雪山に到着した。2人連れと単独のオッサンがいた。オッサンは松田川ダムから来たとのことで、下の桜はきれいだったが、ここまでのツツジはたいしたものではなかったとおっしゃっていた。地下タビの話は出てこない。
 タバコを吸いながら、仙人ヶ岳までの稜線上でツツジが期待できないのでは老越路峠に下って、多高山経由で帰るかと思ったりもしたが、穴切峠の石仏も魅力だし、やはり予定通りの歩きだな。腰を上げる。
 ちょっとタイミングが悪かった。ほぼ同時にザックを担ぐとオッサンが「お先に」と仙人ヶ岳に向かい始めた。ここはもう一本吸うしかないかと思っていたら、オッサンが足を止めて東屋に置かれたノートを開き出した。フェイントをかけられた感じで、ザックをまた担いで脇をすり抜けた。ところでこのオッサン、今日は午後から雷雨かもしれないと言うと、怪訝な顔をしてそうですか?と言っていたが、山を歩く時、天気予報もチェックしないのだろうか。

(仙人ヶ岳の方に向かう。そろそろあきらめかけていると)


(出てきた)


(原仁田の頭)


(何とか間に合ったが、お祭りは終わった後のようだ)


 2人連れを追い越す。上がって来た尾根との合流点を過ぎて585m標高点付近を通過。そろそろ穴切峠への分岐だ。この分岐、「原仁田の頭」というらしい。そこを下って峠に出るのも選択肢の一つでいたが、折悪しくというか折好くとでもいうか、またボツボツとツツジが出てきた。先に行くに連れ、密度が高まっていく。そんなことで、深追いすべく、原仁田の頭は素通り。念のため確認すると、明瞭な道型が峠の方に続いていた。歩きたい衝動にかられたのだが、ツツジ見たさの気分の方が勝ってしまった。
 結構なアップダウンを繰り返す。ツツジはあと数日の命を何とか必死で咲かせている。この健気さがいじらしい。立ち止まりが自然に多くなる。背後から声が聞こえる。姿は見えないが気持ちはあせる。追い越した2人連れにも思えるが、どうも両方ともに男の声だ。まさか地下タビに鋭い質問を浴びせたオッチャン連だろうか。追い越した記憶はないのだが。いずれにせよ、もっとゆっくりとツツジ三昧の歩きをしていただきたいという希望には沿わない歩きをしている。

(仙人ヶ岳)


(道中で1)


(道中で2)


(急激な下り)


(小ピークで)



 仙人ヶ岳が左前方に見え、谷底に向かうかのような下りになった。これは登り返しがきつそうだ。ゼーゼーして登り上げると、左に623mの三角山。背後の声は振り切ったようだ。ヤセ尾根や岩場になったりもする。さほどの危険さは感じないが、低いアップダウンは相変わらずだ。

(三角山が近づく)


(神楽場の石祠)


 岩場小ピークに石祠があった。ここは「神楽場」というところらしい。大正らしい年号が読み取れる。ひとやね冠の下に「中」が入った屋号だかマークも確認できる。

 さて、この時点に至り、穴切峠には県境線で下るつもりでいる。三角山はこの先で左に折れるが、そちらから下ってくる県境線が、地図上ではその反対方向に続いている。だが、それがどれなのか地形から読み取れない。地図を見る限り、尾根伝いがここで沢地形を下って、また尾根型に復帰する。沢というか、植林側が谷の地形になっている。あそこを下るとなると、かなり厳しそうだ。さりとて目印も見あたらず、あっちやらこっちやらを見回す。そのうちに、背後から振り切ったはずの声がまた迫ってきた。余談だが、この県境線、二日前に逆方向から歩かれたきりんこさんは四つ足歩きで登られたらしい。下りとなると、ルートがわかったとしてもロープが必要だったろう。
 北側に下れそうなところは目の前にある尾根しかない。仕方ない。この尾根を迂回して、県境線に復帰することにするか。当初の予定では、穴切峠を南北に通過するつもりでいたが、原仁田の頭に戻るわけにもいかず、西側から穴切峠に出ることにする。

(尾根を下る)


(最初のうちは歩きやすかった)


(こちらにもあることはある)


 尾根の入口には、○囲みに「塩」のペンキ文字が木に記されている。この塩は菱の塩ノ瀬という地区のことだろうか。
 地図どおりになだらかな尾根だった。ここは植林の尾根で、右手の斜面には間伐が放置され、最近伐ったばかりのような切り株も目にする。作業用のマークも多い。左手は急斜面で、こちらは雑木で下に落ち込んでいる。そちら側にツツジがちらほらと見えるが、危ない思いをしてまでも近づく気にはなれないし、やはり、稜線から外れると密度も低く、ツツジはいずれ自然消滅しつつある。

(423m標高点方面に下る)


(ここはいい感じだった)


 このままダラダラと下っても意味もなく、右手に分岐尾根が見えたので、これを下ることにする。湾曲して423mを経由して県境線に出られるはずだ。
 尾根を乗り換えると、急になった。間伐やら倒木が歩行の邪魔になり、ところどころに岩混じりも出てくる。荒れた尾根を下って行くと、下に道が通っているような気配がある。423m標高点を下りきるとやはり道。木を渡した橋を渡る。橋の下にはチョロチョロした流れ。ここが県境線らしい。

(作業道)


(炭焼き跡)


 後はずっと作業道が続いている。ここにも間伐放置は目立つ。右手に炭焼き跡のような穴を見たりして沢沿いを歩いて行くと、林道に出た。
 実はこの先はもう安泰と思っていた。11年前に桐生川ダムから高戸山に登り、穴切峠を経由して穴切集落に抜けたことがある。高戸山下で迷いはしたが、峠を過ぎてからはしっかりした道を歩いて苦労した覚えはない。峠まではその時の逆歩きをするだけだ。

(ここの一画だけは整然としていた。休憩)


(首なし地蔵)


 倒木に腰かけて一服。この辺はきれいで整然とした植林だ。間を走る林道もまた整備されている。あにねこさん記事の刷り出しルートマップを取り出す。これに記された「首なし地蔵二体」、「墓石」、「石仏三体」は見ておこう。首なし地蔵は戻り方向か。林道を逆方向に行くとほどなく見つかった。随分と苔むした地蔵だ。文字が彫られているが、自分の能力では読めない。11年前にも見ているのだろうが記憶にはない。もっともその頃はこういう物に興味がなかった。
 ところで、首欠け地蔵を廃仏毀釈の運動の一環としてとらえる向きがあるようだが、自分は懐疑的だ。地方の山奥までその動きが及ぶとは思えない。大方は地震やら倒木、伐採、イタズラに由るものと思っている。

(仙牛大和尚の墓石)


(百庚申の石碑)


 元に戻って、先に行くと、左に丸っこい石が見えた。後ろに回った。これが「仙牛大和尚」の墓石のようだ。天明八年とある。ここに当時、寺でもあったのか。これで2つ見たから、後は石仏だけ。
 左手に小尾根の突端が見え、その脇に踏み跡らしいのが続いていたので、林道から離れてこれを追ってみると、石碑のようなものが見えた。これが、あにねこさんが見落とした「百庚申の石碑」のようだ。「百庚申供養」とあり、これもまた天明。

(徒にムダ歩きをして石仏を探し回る)


 この小尾根を登って行くと、結局は林道に出てしまった。続いて、次の小尾根を登ってみる。散々登るが何もない。踏み跡らしきものはあちこちにあって、どれが古道跡なのかはわからない。あにねこさんマップに合わすと登り過ぎているようでもあるので別尾根筋に下る。どうもこの踏み跡は濃い。古道かなと思ったが、どんどん下っても何もなく、やがて林道が下に見えた。登り返す。きつかった。
 ここまで苦労するなら石仏はあきらめようかと、最後のダメ押しであにねこさんマップを目皿にして見て、自分のGPSと照らす。どうも尾根を間違えたようだ。このさらに先の小尾根のようだ。ムダに体力を消耗した。

(こういうのって、こんな場所で簡単に履き替えできるものなのだろうか)


(石仏三体)


 林道を先に行くと、左に尾根先が見え、これを登る。登ると重機のキャタピラが放置されているところに出た。傍らに作業道。この先は急になっていて、石仏が置かれているような風情ではない。作業道を下りかけると、石仏が三体、木の下に安置されていた。ようやく出会えたか。あにねこさん記事には「地蔵菩薩二体と如意輪観音で、女性の墓塔ではないかとのこと」とある。年代は明和になっている。まずここで見るものも見たので休む。ついでに軽く腹を満たして一服。後は作業道やら林道を歩くだけだろう。

(間伐ふさがり。この先はかなり荒くれた状況になっていた)


(ここにも)


 だが、この先、穴切峠までの道のり、かなりの認識が甘かった。作業道の下に林道のようなものが見え、間伐を乗り越えて林道に出た。林道伝いに行けばいいだけだろうと左に向かうと、すぐにひどい横倒しの間伐で先に進めなくなった。コンパスを見ると、方向違いに歩いている。どうも別林道のようだ。左ではなく右に下ると、最初に出たらしき林道に合流。その先は荒れてはいるがしっかりした道のようでこれに入る。ここで、念のため、林道合流地点からほぼ東に向かえば穴切峠だしと、改めて合流点を起点にコンパスをセットすると、これ方向が違うじゃないの。むしろ、方向はさっきの間伐林道っぽい。

 何度か行ったり来たりした。これではいつまで経ってもここから逃れられず、穴切峠にすら行けないのではないのか。知らずの間に陽は隠れ、風が出てきて辺りは薄暗くなりつつあった。

(結局、こんなところを強引に登る)


(ようやく見えてきた)


 最後の手段を使う。GPSに現れている破線路をアップにして突き進むしかない。むろん植林の急斜面で、踏み跡すらない。ここもまた間伐を越えて登って行くと、上に作業道のようなものが見える。あそこに出て右に行けば、案外楽かも知れない。だが、その作業道はそこが起点になっていて、左方向はあれど右方向に道はない。そのまま続行。ようやくぽっかりとした空間が見えた。あそこが穴切峠だろう。ほっとした。同時に斜面もおとなしくなった。

 穴切峠に着いたとはいえ、到達地点は尾根上のかなり離れたところだった。その時はGPSマップの破線を忠実に辿ったつもりでいたが、後で地図に落としてみると、ちょっとずれていた。また、考えてみれば、林道もまた直線であるわけでもなく、クネクネしているものなのだから、その時は見当違いの方向であっても、そのまま行っていれば、すんなりと峠に着けたのかも知れない。抜け出せなかったらどうなっていたか。林道を穴切に出て、ダム脇を通って戻るしかなかったろうが、ここには作業道や林道が複数あるようだ。正解林道を探すのに苦労したろう。

(穴切峠の神社)


(道型を下る)


 雨がポツリと落ちてきた。本降りはまだ先かもしれない。高戸山に行っている場合ではないようだ。まして、この破線路、東に下る側はどうなっているのやら。まずは神社にご挨拶。西に下る踏み跡はしっかり判別できる。11年前はこれを使って林道に出たはずだ。東側を覗くと延長の踏み跡が見える。正確には東ではなく北東に向かっているが、ここでは些細なこと。尾根やら沢の地形でないただの斜面では、踏み跡だけが頼りだ。

(作業道に出る)


(もう使われていないのか、イバラの道になっていた)


 踏み跡は途中で分岐したりしていたが、行き詰ったら戻るを繰り返した。時間もかからずに幅広の作業道に出た。これを林道と言うべきかは難しいところだ。いずれにしても穴切峠のエリアから抜け出してほっとした。
 沢沿いの荒れた作業道を下る。穴切峠までの憂鬱な気分に比べたら、ポツリポツリの雨も気にならない。
 開けたところに出た。そしてイバラに攻められる。右からも作業道が合流し、その先で、これまた右から林道が合流する。ここは現役で車が通っているようだが、砂利道で、地下タビだと足裏が痛くなる。近くでホトトギスの鳴き声が聞こえる。曇天でもまさに陽春だ。

(林道に出て)


(県道に出る)


 砂利(とはいっても庭砂利のようだが)工場が見えて来る。林道は工場の間を通って県道に出た。こうなるのなら、もっとこちら側に車を置くべきだったが、こうなるとは想像もしていない。里の桜を眺めながら、皆沢八幡宮に向かう。本降りにならずに助かった。八幡宮の石に腰かけ、花見ついでに遅いランチタイムにした。

(皆沢八幡宮)


 今日はツツジを見終わってからの後半がえらくきつかった。ツツジも終わりかけの満開で、ちょっと消化不良気味なところもあるが、今季初のツツジ見でもあるし、まして石仏も見られたし、それなりに満足だったと言えようか。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

山名板交換で塔の峰。足尾の山のツツジはまだまだ先の気配。

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◎2017年4月28日(金)

林道ゲート前駐車地(7:11)……笹ミキ沢右岸尾根取り付き(7:48)……舟石新道合流(10:02)……尾根取り付き(10:53)……稜線(11:34)……塔の峰(11:56~12:34)……日ヶ窪峠(12:58)……丸石沢右岸尾根の頭(13:02)……林道(14:02)……寄り道戻り(14:41)……駐車地(14:50)
※かなり遅い歩きタイムです。参考にはなりません。

 四月に入ってから、土日は仕事も含めて何やかやと用事があり、今月は赤雪山しか行っていない。明日の土曜日もまた出勤だ。塔の峰の山名板の件があり、新たに作ったはいいが、裏に[2017.4]と記してしまっている。制作年月と思えば済むだけのことだが、そういうわけにもいくまい。普通は登った日を記すだろう。どん詰まりで出かけることにした。
 できればツツジの開花に合わせて行くつもりでいた。今日あたり、上はともかく、下の方は盛りになっているかもしれない。そんな期待も少しはある。実は、足尾であそこはアカヤシオがきれいかもしれないなと思うところがあって、そちらに行ってみたかったのだが、今回は山名板取り付けの方を優先することにした。

 かじか荘の上の駐車場の入口にはロープが張られ、駐車禁止の札が下がっている。銀山平のキャンプ場駐車場を利用してくれとのこと。切り替えしも面倒で、先のゲート前に車を置いた。すぐに準備に入る。大間々からずっとトロトロ走行の大型の後ろになり、追い越しもできずにかなり時間がかかってしまった。かなりあせり気味になっている。
 ここでワカンを持参するかで悩む。数日前に中倉山に登った方のレポの写真に写った塔の峰には雪がなかったが、ちょっと心配だ。なけりゃないでどうにかなるだろうと結局は持って行かなかったが、これが正解で、持って行っていたらただのお荷物になっていた。
 今日は久しぶりに笹ミキ沢右岸尾根から入ることにしている。塔の峰の南側に未踏尾根が2本ほどあるので、いずれかから登り、下りはツツジの咲き具合で判断という予定でいる。何はともあれ、目的は山名板交換とツツジの具合チェックというところだ。

(いつもの見慣れた光景)


 ブランクができるとやはり足も重くなる。林道を歩いているだけなのに早速、息切れ状態になった。すぐに丸石沢右岸尾根に上がった方が良いのじゃないのかと思ったが、ちょっと見たいところもあり、そのまま行く。まして自分には、笹ミキ沢右岸尾根、舟石新道を経由して南側から塔の峰に至るルートが他に比べたら楽だ。

(寄り道して覗く)


(雨降沢)


(坑夫滝。上だけ)


 寄り道をしてちょっと覗く(後述)。時間はとれない。未舗装になり左手に雨降沢が見えてくる。あそこから小法師岳に登ってみたいが、改めて様相を眺めると、両岸の尾根ともに半端な歩きでは行けない気配だ。きりんこさんは歩かれたようだが。坑夫滝も上部がちらりと見える。あの滝も正面から見てみたいもの。そんなことを考えながら歩いている。余談だが、坑夫滝の淵を泳ぎ渡ろうとした方が水中から足を引っ張られた感じで溺れかけ、メンバーのロープで助かったというネット記事を読んだことがある。魔物がいても不思議でもないような雰囲気の滝だ。これからは、林道からは音しか聞こえない滝になる。対岸斜面にはピンクのツツジが少しばかり見えるが、ほんの数株だ。

(取り付く)


(早速ゼーゼー)


 笹美木橋を渡って、その先から取り付く。すぐに左の植林から小尾根が交わる。石がゴロゴロと出てくる。本尾根に出るまでに100m以上登り上げないといけない。周囲は平穏な斜面になっているが、見下ろすと結構な急斜面だ。30分ほどの林道歩きで体調も戻ったように思えたが、依然として身体は重い。今日はまともな歩きはできないな。山名板の取り付けだけだからゆっくり行くことにしよう。

(尾根に出る)


(最初の急登)


 何度も休んで本尾根に出た。ここから一時的に急登りになる。やせ我慢せずにストックを出した。ところどころにシカ道らしき踏み跡があり、できるだけ岩場の正面突破は避けて踏み跡を辿ったが、この踏み跡も標高は稼げない。結局は尾根に登り上げるのに四苦八苦し、以降は尾根通しの歩きになる。雪融け間もないせいか、土がボロボロで歩きづらい状態がずっと続く。

(ボチボチ)


(これが続くかと期待した)


(こちらの斜面にはあるのかと覗いたが、この下には何もなかった)


(The End …)


 ようやくアカヤシオが出てきた。標高1185m付近。だが、ふみふみぃさん流には気の早いヤツなのか終わりかけのようでもある。気まぐれに出てくる。右手に塔の峰が見えてくる。せっかくだからツツジを楽しみながら歩きたいところだが、1255m付近でツボミ状を見かけて、尾根上のツツジはこれで終わりになってしまった。随分とあっ気ない。やはりまだ早いということだ。この日に熊鷹さんが備前楯に行かれたようで、やはりチラ見だったようだし、1000m以上はまだまだだ。ちなみに、同日の薬師岳に行かれた方もまたツボミしか見ることができなかったとネット記事にあった。1400m超えでは仕方あるまい。

(1261m標高点付近)


(次の急登)


(視界が開ける)


 ヤセ尾根を通過して標高1261m付近を通過。この先でまた急になるはずだ。塔の峰の斜面に白い雪の筋が見えるのが気になる。相変わらず元気が出ないままに急斜面をこなすと笹原に出た。ここのツツジもまた芽が小さく固いまま。素人判断では、開花まで2~3週間先ではないだろうか。その頃に来ることはないな。
 しかし今日は暑い。水は1リットルしか持ってきていないが大丈夫だろうか。汗も出ている。風がないからか余計に暑く感じる。今のところ天気が悪くなる気配はないが、ツツジを楽しめないのでは、早いとこ用事を済ませてしまいたい気分になってきた。

(1462m標高点付近)


(塔の峰)


(下って)


(舟石新道に合流)


(こんなところに)


 なだらかになって左手に袈裟丸山が見えてくる。こちらはまだ雪混じりだ。1462m標高点付近を通過。ここでスパッツを付ける。今日はトレパンを履いているため、どうしても靴の上が開いたままの状態で、そこから小枝や葉クズが入り込む。ついでに菓子パンを食べる。塔の峰は真横の位置になっている。あの斜面の下部にも色付きのものは見あたらない。繰り返しだが、やはりかなり早かった。
 下って登る。舟石新道に合流。ここまで3時間近くかかっている。いつもよりオーバータイム気味。もう10時を回っている。11時には山頂に立ちたいと思っていたが無理のようだ。スピードを上げたいが、身体がついてこない。さて、ここで色物のなさに首を傾げた。合流点には確か赤いブリキの標識があった。舟石新道プレートはある。左に回ってみると落ちていた。前橋営林局の「林班界」標識。これは垂れ下がっていたはずだが、針金部分が切れている。飛ばないように木の洞の中に納めた。

(何も考えずに先に行っていればよかったのに、さっさと右下の沢に下りてしまった)


(笹ミキ沢に出る)


(いい加減に登っている)


 この時点では、ここまで来れば、しばらくは舟石新道を通って、目的の尾根の取り付きまで行けるから楽だなと思ったのだが、そうでもなかった。
 笹ミキ沢に降り立つ。さっきまで水の流れが尾根にまで聞こえていたが、すでに水は消えている。沢を渡る。プレートはどこにいったのやら。またやってしまった。以前にもここで同じミスを犯している。沢の下流部に向かったがプレートは見あたらない。仕方なく踏み跡を辿る。戻ればいいだけのことだが、地形は何となく読めるのでそのまま行く。
 踏み跡は消えた。ヤブ漕ぎになった。とはいっても、この時期だからまだ低い。こうなったら、ムダな歩きはせずに、この先の尾根から登るしかないか。この尾根はすでに歩いたことがあり、稜線上、1662m標高点の西側に出る尾根だ。沢沿いに歩いていたため、尾根に出るのに60mほど登らないといけない。これがまた結構なアルバイトになった。

(再び合流)


(沢を渡る)


(こんな沢ならこのまま上に向かってみたい)


(カラマツ紅葉がきれいだろうな)


 尾根に乗って先に行くと、プレートが見えた。新道は上を回り込んでいた。つまり、すぐに笹ミキ沢に降りず、そのまましばらく沢沿いを上流に行くのが正解だった。目印プレートにぶつかった以上は、このまま新道を辿って目的尾根に出ることにする。
 またすぐにプレートを見失う。踏み跡は続いている。プレートの間隔が開いているのだろうか。ではなかった。先に行くと、上に見えている。以降は2つ先まで確認してから歩くようにする。沢を3本ほど渡る。いずれも笹ミキ沢に流れ込む沢だ。

(いい気分で歩いている)


(あの尾根を登る)


 尾根が見えてくる。候補尾根は2つだが、もう手前の尾根を行ってしまおう。

(いい気分)


(庚申山)


 地形図どおりになだらかな尾根だった。広葉樹が間隔も広く植わっている。ここはツツジが盛りならきれいなところだと思う。のんびり歩ける。シカの死骸が一つ。雪融けとともに出てきたようだ。左に庚申山が大きく現れた。こちらも雪はなさそうだ。ただ、山頂の樹林帯の中はどうだろうか。ケルンを積みたくなったが、ここに大きな石はない。

(ヤブはかなり低く、快適に歩いて行ける)


(残雪が出てきて)


(そろそろ鞍部に到着か)


 シカ道がずっと上に続いている。これを辿って登って行く。右手に沢音。この沢に出れば、塔の峰もより近くなるような気がするが、そちらを見ると、沢までの落差は結構ある。
 残雪が出てくる。ヤブは腿くらいの高さになった。雪の上を歩くと適度に固まっていて歩きやすい。雪はところどころにある程度。

(鞍部からオロ山)


(塔の峰への上り)


 稜線に出た。1662m標高点の東側鞍部。ここは平原に似た、感じの良いスポットだ。正面にオロ山が見える。あちらに行きたい衝動が起きたが押さえた。行ったとて、今日の体調では沢入山への登りに耐えられない気がする。

(袈裟丸)


(皇海山と庚申山)


(日光白根)


(男体山)


 ここから塔の峰までの区間はすこぶる眺望が良いところだ。登るに連れて、袈裟丸連峰、庚申山、皇海山が見え、先に行くと、日光白根、錫ヶ岳、大平山、中倉尾根、男体山と次々と見えてくる。まったく飽きない。白根と錫はまだ白い。歩程もさらに遅くなった。これに周囲の花の色が入れば最高だろうが、ない物ねだりをしてもしょうがない。
 北側の樹林の中を歩けば楽だろうが、ヤブの中を歩いている方が気分も良い。ここもまた腰高の笹ヤブになっている。途切れがちなシカ道を乗り換えては歩く。

(山頂が見えてくる)


(五代目)


 山頂に到着。誤って白ペンキを吹きつけ、そのまま放置して2か月。山名板は無残な姿になっていた。何はともあれ山名板の交換。新板はねんごろにニスを塗ったからしばらくはメンテナンスも必要あるまい。これで五代目になる。取り外しの四代目は3年前の11月だったから2年半持ったが、2月におかしなミスをせずに吹き付けニスでメンテしていたら、もっと持っただろうに。
 それ以前のこととして、これまでの山名板の作り方に問題はなかったか。手の込んだことはせず、むしろあっさりと彫ったまま、ニスも絵具も塗らない状態の方が長持ちするのではないのか。今回の板も要メンテとなっている。同じ手法で作って架けているのが他に3枚ある。いずれ年内に見回りに行かないと。また、すでに手間をかけて作ってしまったのが後2枚ほどあるので、以降はどうにか工夫しないといけない。何がおもしろくてこんなことをやっているのかと問われたら、返す言葉はない。自己満足に過ぎないのだから。

 大福を食べてゆっくりする。知らぬ間に風が出てきていた。雲も多くなっている。高度計を見ると、1462m標高点ではほぼ合っていたのに、今は30mほど実際よりも高くなっている。気圧が下がりつつある。まさか天候悪化ということはないだろうが、どんよりしてきたことは確かだ。水は心配していたが、まだ2/3は残っている。元々、真夏と危ういところを歩いた直後でない限りは水をあまり飲まない質だ。
 さて下りはどうしよう。もう一本の未踏尾根を下ってもいい。ただその尾根もだいぶ前に歩いたことがあるような気がする。ツツジが盛りなら1528m標高点経由で熊の平に下る手もあるが、その楽しみは数週間先だ。むしろ、丸石沢右岸尾根あたりにひっそりツツジが咲いているかもしれない。取りあえずは日ヶ窪峠に下る。

(北側斜面の残雪)


(下る。風が出ている)


(日ヶ窪峠)


 やはり北側の斜面には残雪が結構あった。まして樹林帯だし日陰にもなっている。こちらはしばらく歩けそうにもない。雲が多くなり、陽も隠れているが、空の青味は残っているし、雲もまた薄い。悪化することはないだろう。
 上りの時とは違って、こちらの展望はさほどのものでもなく、その分時間を取られることもないためか、あっさりと日ヶ窪峠に下りてしまった。尾根ミスをすることもなかった。下りの足だけは快調だ。ここで、ふと今朝がたの寄り道を下見レベルまで高めようかと思い、丸石沢右岸尾根ではなく、このまま南に下ることを考えたが、上りならともかく、下り使用で擁壁の上に立ってしまったのではなぁと、やはり無難な丸石沢右岸尾根を下ることにする。下見は逆戻りで行くことにしよう。

(丸石沢右岸尾根を下る)


(作業道に出る)


 舟石新道をちょっと歩いて右岸尾根のピーク。丸石沢の頭とでも言いたいところだが、頭とするのはむしろ1528m標高点かもしれない。
 2月にここを登って来たが、雪の有無で相当に印象も変わっている。イノシシの掘り返しも目につく。また急な下りにも思える。それでいて冬枯れのままの殺風景な風景が続いている。
 ここの下りもまたあっさりと植林脇の作業道に出てしまった。反対側に植林を抜けると、対岸の尾根斜面にピンクが数株。標高は1000mあたりか。向かい側ではどうにもならない。

(こちらにもツツジの気配はない)


(小滝に出る)


(ここでようやくといったところだ)


 色彩のないままに下って行く。そろそろ出てくるかなと思っていても、右下の沢にさえ色づきはない。いつもの小滝に出てしまった。やはりこちらもダメだったかと沢を渡って別尾根に乗り換えると、ようやく生きの良いアカヤシオに出会えた。標高935mだ。わずかに1株ながらも、今日はこれで満足ということにしておかないといけない。

(出口)


 林道に出る。今朝の寄り道スポットまで戻る。10分ほどの歩き。今朝は覗いただけだったが、時間もあるし、ちょっと先まで行ってみるつもりになっている。実はここ、地図を見る限り、林道から庚申川に下るにはここしかないなと思っていたところだ。以前、庚申山からの帰りに、ここで休んでいると、川の方から上がって来た方がいた。キノコを採りに来たが、例年に比べて今年はダメだったとおっしゃっていた。その時は、こんなところにキノコがあるのかなと思った程度のものだった。意識しはじめたのはその後のこと。

(今度は下見)


(河原が見える。堰堤の上。写真ではここから下りられそうだがほぼ垂直が隠れている)


(踏み跡先にはこんなところもあった)


 小尾根伝いに踏み跡が続いていた。釣り人が利用するのか工事関係のかは知らない。先で踏み跡は小尾根を右から左に巻くように付いていて、やがて下に河原が見えてきたが、急なところを下るにはロープ必携だろう。踏み跡をそのまま尾根の反対側に辿ってみる。朽ちた木が3本、渡しの役目にもならずのままに残っている。つまり、現役の踏み跡ではないようだ。
 先に行って見下ろす。こちらはかなりの高度感になっている。20mほどの断崖だ。ここは川がカーブしていて、真下が堰堤になっている。こちら側から下りるのはまず無理。もういいだろう。自分の限界超えだ。戻る。途中、改めて川の上流を眺めてみた。樹間越しではっきりとは見えないが、上流部は河原が消えて淵状になっている気配。あれでは巻くにしても、その筋をやっている人には難なしだろうが、素人では無理だ。河原に下りるにはあそこだなと一応の見当はつけたが、そのまま淵まで行かずにすんなり右岸尾根に上がれるようには思えないし、まして右岸尾根では面白味もないだろう。あるいは坑夫滝をあきらめ、さらに上流から下りるか…。実際に歩いたわけでもないから、解説はこの辺にしておこう。

 下見のつもりでいたが、できれば河原までのつもりでいた。本当に下見どころか覗き込みだけで終わってしまった。これで雨降沢も正面からの坑夫滝見物も見通しはつかなくなった。たぶん、行くことはないな。いずれ、ふみふみぃさんあたりの記事アップ時の楽しみということにしておこう。ところで、キノコの件だが、こんなところに出る特殊なキノコでもあるのだろうか。うまくカモフラージュされたのかもしれないな。

(林道戻り)


(そしてゲート)


(銀山平周辺は山桜が見頃だった)


 引き返す。朝は気づかなかったが、庚申川の対岸の岩肌にアカヤシオが群れている。いくら何でもあそこには行けないなぁと思いつつも、つい地図を広げて見てしまう。そして、行けなくもないかと。
 駐車地には他に車が2台あった。栃木県のナンバーだ。庚申山だろうか、釣りか。かじか荘周辺には工事関係の車以外に他県ナンバーの車を数台見かけたが、この辺はツツジよりも山桜が盛りの状態だから、それが目的で来ているのかも知れない。

 今回は山名板の交換が目的の第一であったから、それを達成しただけでも満足とはいえるが、つい下の方でアカヤシオに出会えるかと期待していただけに、かなりがっかりな思いになってしまった。足尾のアカヤシオもこれから追々ということだな。いずれまた山名板を持ってということになりそうだが。

アカヤシオを求めて沢入の地味尾根を歩く。

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◎2017年5月2日(火)

林道空きスペース駐車地(7:30)……1082m三角点……1164m標高点……1209m標高点……1260m小ピークから南西に下る……塔ノ沢登山道に出る……塔ノ沢登山口(11:30)……般若の滝……不動の滝……駐車地(12:40)

 ふみふみぃさんのレポによると、アカヤシオは4月30日時点で標高1100m付近が見頃らしい。それから2日経過はしているが、1200mまで達しているかは微妙なところだ。渡良瀬川右岸側なら進度はどこも同じくらいだろうと想定する。沢入の西側にある尾根はどんなものだろうか。地図を広げて気になったのは、1082m三角点を経由して県境尾根に至る尾根だ。ここは部分的に2度ほど歩いたことがある。雰囲気の良い尾根だった。そこを歩いてみようか。今回は山名板も何もない、アカヤシオを求めての歩きとなる。ただ、ツツジの咲く尾根なのかどうかはわからない。広葉樹の尾根だったから、咲くとは思うのだが。

 以前から大澤寺の裏手から登ってみたいと思っているが、駐車の都合がどうにも悪い。寺の駐車場に置ければいいが、檀家や地元住民でもないのでは置くわけにもいくまい。小中西山線に入ってすぐの所に車を置こうとしたが、どうも落ち着かない雰囲気だ。適当な駐車地を探しながら走っていると、いつの間にか付かれた後続の車にあおられ気味になった。仕方なく、先に行き、路肩に車を止めて後続車をかわして地図を見る。この先からでも行けそうだ。1082m三角点に南から直登するルートだ。今日はこれにするか。
 取り付きの真下にある広い路肩に駐車して準備をしている間に車が2台上がって行った。すごい頻度だ。折場登山口にでも向かうのだろうか。アカヤシオ目当てなら誤算だろう。塔ノ沢かなと思ったりもしたが、帰路に登山口で見かけた車ではなかった。人様のことはどうでもいいけど気にはなる。

(取り付きの尾根)


(ブル道が交差)


(緩やかな尾根)


 すぐに取り付く。植林尾根でないことがありがたい。幸先が良い。と思ったのはそこまでで、目先の小ピークを越えると、右下からブル道がのし上がって来ていた。まったくの興ざめ。尾根の一部を削っている。見れば、尾根に沿っているようなのでこれを行きかけたが、やはりためらいもあって、尾根に戻った。これは最近出来た感じの作業道だ。

(赤いのが出てくる)


(鉄塔到着)


 シカ角が落ちていた。持って帰ろうかなと思ったが、それで何するわけでもない。しばらく持って歩いていたが、結局、樹の下に立てかけた。そのうちに右手の作業道は遠ざかった。ほっとするとヤマツツジが出てくる。標高710m。これはこれできれいだが、今日の探索はアカヤシオだしな。まだツボミの株もある。
 去ったはずの作業道が戻って来て鉄塔に着いた。周辺はカヤトの景色になっている。先に行くとまたヤマツツジが出てくるもすぐに終わる。もう色物はなくなり、ピンクの煤けた花びらがあちこちに落ちているだけ。
 作業道は再び離れていった。もう出会うことはあるまい。地道に尾根を登る。方向が北から北東に変わったあたりで右手に草木湖が見えてくる。

(また赤)


(紫)


(ピンクは残り物といった感じ)


 短い植林帯を抜けると紫の花が出てきた。860m付近。これはミツバツツジと思われる。オシベの数が多いから、トウゴクミツバツツジというやつか。アカヤシオも数株。樹に花びらをチラチラと残し、大方は下に落ちている。いよいよこの上かなと期待がある。すぐにでも出てきて欲しい。いずれにしてもツツジの咲く尾根のようでほっとする。

(植林の急登)


 植林帯に復帰すると長い急坂になった。これはきつい。ここは、大方はそうであろうが、広葉樹を倒して植林にしているところで、切り株はすべてが広葉樹で、雑木もかなり混じった植林帯だ。地形は変化があって、左側に大きな岩盤がむき出しになっていたりする。植林でなかったら怖い。横倒しの巨木も目に入る。
 間伐帯を抜けると元の雑木の世界に戻り、同時に巨岩帯に入った。大きな丸みを帯びた岩が点在している。大澤寺から登ると、この辺で合流するはず。

(ようやく出てきた)


(これを期待したい)


(草木湖がチラリ)


 970mでアカヤシオが本格的に咲き出した。本格的とはいっても、お祭りコースというには寂しいもので、そこそこに見られるといったレベルで、田沢奥山あたりに比べるまでもない。だが、こんな滅多にハイカーも入らないような尾根でアカヤシオを一人で愛でられるのも気分が良いものだ。

(大岩の巻き。結局、下まで降りた)


(大岩を振り返って)


 巨岩とアカヤシオを眺めながら先に行くと、何やら先が落ち込んでいる気配の岩場に出た。脇から見ると、行けなくもなさそうだが巻いた方が無難だろう。すぐに巻きの準備に入ると、その先が崩れ加減になっていて、さらに戻ってその下を巻いた。巻きの高低差は20mほどだろうか。尾根に復帰して振り返ると、やはりそのまま行けたようだ。しかし、アカヤシオを見に来て岩場で転落というのも様にならない話だ。

(こんなところに出た。色はないけどいい感じ)


(眺めの良いところだ)


 なぜかアカヤシオが消えた。下草はシカに食べ尽くされたのか、原っぱ状になっている。ここも防火線だったところのようで、樹が整然と続きカーブしながら向こうの尾根に続いている。展望の良いところだ。ただ、名のある山が見えていないのは残念で、大萱山あたりは見えているとは思うのだが、位置関係が釈然としない。

(巨岩が目立つようになり)


(頭上に再び)


(瀑泉さん風に三角点にタッチ)


 本尾根に合流。ここもまたしばらくは巨岩見物のみになった。いい雰囲気ではあるが、古い錆びついた空き缶が捨てられているのが残念だ。ようやく頭上にアカヤシオが出てきてほっとしながら1082m三角点に到着。ここで休憩。
 以前、楡沢右岸尾根を歩いた際にこの尾根に合流したが、合流点はこの先の1120mあたりで、この三角点を見てはいない。R.Kさんの標識もない。この三角点は基準点名「春場見」の三等三角点となっている。

(ニョッキリ型)


(本日のメイン会場に入る)


(これはいい)


(ダラダラと)


(続く)


 実はここからが村祭りのメイン会場といったところで、小規模ではあるが、尾根上を右往左往してはアカヤシオを楽しんだ。咲き誇りの短いストリートがあったりもする。気分的には「オッ、オッ!」になっている。欲望はきりもないが、自分にはこの程度で十分に楽しめる。今日は暑いくらいの陽気で、空の青さも抜けている。何とも心地よい。

(お祭り会場の外れになりつつある)


(二子山)


(大石が点在)


(寂しくはなったが盛りもある)


(1164m付近)


 1130m付近で男体山が見えてくる。そろそろ疎らな咲き具合になりつつある。これからといったところだ。やはり、同じ尾根とはいっても、微妙に標高に左右されているようで、ちょっと下るとまた復活したりする。1164m標高点では消えた。下りかけるとまた出てくる。えらく繊細な花のようだ。
 前方に二子山が近づいてくる。今日は目的から外れるのでわざわざ行きはしない。また改めてということで。二子山をバックにアカヤシオを撮りたいが、どうも咲きが良くない。

(花が小さくなった)


(巨岩帯は続いている)


(1170m付近)


(赤城山)


(改めて草木湖)


(1180mへ)


(1180mの大岩)


(富士山)


 1170m、1180m小ピークではツボミになってしまった。後2、3日後だろう。1180mで休憩。今日は富士山も見えている。赤城山の雪ももう細い筋状になっている。登山道がぬかるみになる頃ではないのか。

(1209mへ)


 この先、アカヤシオを期待するのは無理があるかもしれない。下山路をそろそろ考えている。塔の沢登山口からここまでスズタケの間をぬって上がったことがある。そこを下ってもいいが、念のため1209mの先まで行ってみようか。
 これは後日談だが、帰ってから、その時の記事を改めて見ると、この1180m小ピークには大きな尖がりの岩があった。それを目印にしてスズタケヤブの中を登ったものだが、今回はその尖った岩を見ていない。何枚か撮った周辺写真にも写っていない。あの特徴的な岩だ。すぐに目につくはずなのだが、どこに行ってしまったのだろう。単に気づかずに見逃していただけのことだろうか。この時点ではまったく気づいていない。

(そろそろ終わりの気配)


(おむすび型を見て)


(1209m標高点)


(これを最後に)


(消えてしまった。この先はいずれの楽しみにしよう)


 1209mまでの間に咲き誇り1株とツボミの株を見かける。1230mで再び出てきたが数は少なく、花も小さい。むしろ、この辺は下斜面が見頃になっている。1250mになると、もう完全に消えてしまった。そろそろ潮時だろう。さらに上に行って無い物ねだりをするよりも、下りながら見る方が賢明だ。1260mから南西に登山道に向かって下ることにする。

(下る)


(こちらも普通に楽しめた)


(カエル岩というかモッケ岩といったところか)


 不明瞭な尾根だったが、コンパスを信じて下ると明瞭な尾根になった。切れかかった所に出ても、脇を見ると、尾根は静かに別方向に続いている。やはり、こちらも1200mラインのようで、下るに連れて出てくるが、これまで登って来た尾根に比べると、かなり数は少なく、1050mで終わってしまった。

(塔ノ沢)


 アカヤシオはもう見ることはあるまい。懸念がなくなると、この尾根が一体、どこに出るのかが気になってきた。まして急斜面になりつつある。沢音が近づき、塔ノ沢が真下に見えてきた。この時は、登山道は沢の右岸側にあるものと錯覚している。

(登山道に出る)


(橋を渡る)


 沢を濡れずに渡れそうなところを目指す。足元が悪くなってきた。左に植林が見え、そちらに逃げた。作業道のようなしっかりした道に出た。これならいずれ、橋のようなものがあって、右岸側に渡れるだろう。だが、しばらく歩いて、これが登山道であることに気づいた。
 もう緑がきれいになっている。これからは新緑の時期か。2年前に来た際、林道に渡る木橋は腐れかかっていたが、すでに新調されていて、不安なく渡れる。

(塔ノ沢登山口)


(般若の滝の看板)


(般若の滝)


 登山口には車が1台。先の駐車場には2台。沢入駅までは5kmとある。とすれば、駐車地までは3kmほどの歩きか。
 林道を300mほど下ると「般若の滝入口」の看板があった。この林道をまず歩くことはないので、この看板にはこれまで気づかなかった。入ってみる。かなり荒れている。見に行く人も稀だろう。手こずりながら滝の前に出た。岩の割れ目から筋状の滝が流れている。これが般若の滝のようだ。帰ってから調べると落差10mとあった。名瀑というほどの滝ではないが、今年初の滝見となる。

(鳥居と墓?)


(石碑だった)


 そういえば、不動の滝というのもあったな。どの辺にあるか不明だが、いずれ看板が出てくるだろう。林道をさらに下って行くと、左下の沢に滝のようなものが見えた。あれが不動の滝だろうか。それにしても看板がないと行きようもないなと思っていると、林道沿い左手に鳥居と墓のようなものが見えた。おかしな組み合わせだなと思いながら近づくと、墓ではなく石碑だった。「大山祇之命」とある。明治二十五年だ。
 そのまま林道を下る。そして小中西山線に出た。滝の看板を見ることはなかった。残念だなと思いながら下ると、左に何の施設かは知らないが、家屋があって、車が2台止まっている。右手にはトイレ。ここに看板があった。「塔ノ沢不動滝遊歩道」とあり、これを行くと不動の滝を見られるらしい。

(階段を登って行く)


(お地蔵さん?何となく行くのが怖い)


 家屋の裏手から踏み跡を辿ると、杉の葉の堆積が深く、えらく歩きづらい。ガードのチェーンが出てきたりするが、ここを歩く人はあまりいないようだ。沢に出ると、滝は枝葉に隠れてよく見えない。戻って階段を上に行くと、右手にお地蔵さんが見えた。不気味な感じがしたので、近づかずにそのまま登ると、さっきの大山祇之命が置かれた林道に出てしまった。何だそういうことだったのか。余計な歩きをしてしまった。

(不動の滝上段)


(下段)


(お不動さんだった)


 さっきの地蔵さん辺りが怪しいなと近づくと、これは不動明王像だった。明和五年とあるから古い。ここからもろい斜面を下って、不動の滝を見た。2段15mとのことだから。段の間から眺めたことになる。上と下を覗いただけで終わってしまった。全容は撮れず。

(山桜を見て)


(駐車地に)


 林道に戻ってぶらぶらと下る。塔ノ沢登山口にあった車が下って来て路肩に止め、沢の方に歩いて行った。ハイカーではなく釣りだったようだ。
 林道やら作業道が左右からいくつも入り込む。そして、東電巡視路の踏み跡もある。地図にはイボ沢線と塔ノ沢線しか出ていない。林道沿いでマニアックな歩きをしようとすればややこしいことになりそうだ。

 駐車地に到着。5時間ちょいの歩きだった。夕方から用事もあったし、時間的にはちょうど良かった。アカヤシオの盛りも見たし、滝見もできて満足だった。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

再びアカヤシオを求めて。今度は足尾の薬師岳。

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◎2017年5月5日(金)

857.9m水準点駐車場(7:14)……1151.7m三角点(8:19)……1406m標高点南(9:12)……薬師岳(9:59)……小保木沢林道(10:39)……1103m標高点付近(11:10)……旧道(11:36)……駐車地(11:58)

 昨年の11月に神子内川左岸の尾根を歩いた際、たまたま下った1151.7m三角点東側の紅葉が素晴らしいものだった。この時の印象が残っていて、もしかすると、あのあたりのアカヤシオはきれいなのではないのかと勝手な想像をし、その時期に改めて行ってみたかった。
 5日前に丸山から夕日岳の間を歩かれた方のレポに、薬師岳はツボミ、丸山は三分咲きとあった。わざわざ稜線に出るまでもないとは思うが、せっかくだし、どのレベルの咲き具合かも見て来よう。昨年の4月30日にふみふみぃさんが稜線を歩かれてアカヤシオを満喫されていたようだが、それに比べたら今年は随分と遅いようだ。
 コースとしては、前回、無名沢の左岸側の尾根を歩いているので、今回は右岸側の尾根を登って小保木沢林道に出るつもりでいる。下山ルートは状況次第ということにする。

 857.9m水準点のあるチェーン着脱場にはすでに車が3台置かれていて、いずれも出払っている気配。ここから山歩きを想定する人はまずいないだろうから釣り目的だろう。そういえば、黒沢のゲート前には車が1台あった(帰りには2台になっていた)。これは釣りか沢歩きかはわからないし、天空回廊かもしれない。

(取り付き。「栃木平」のバス停がある。逆光につき帰りに撮影)


(登る)


(見下ろす。国道が見えている)


 取り付きはもろい斜面になっていた。結構、急だ。登りだからいいものの、下りとなるとかなりの気が引ける。浮石も多く、頼りの木は腐ったのも多い。完全に四つ足歩き。上に石垣が見えている。土留めかとは思うが、手を加えるとあっさり崩れそうだ。10分ほどで植林の中に入り込み落ち着いた。ここなら転んでも途中で止めてもらえる。さっきまでは国道から見上げると丸見えになっていたので、早いとこ離脱しようといったあせりもあり、気持ちに余裕はほとんどなかった。

(植林の中の歩き)


(時たま開ける)


(そろそろ明るくなって)


 植林の中の歩きが続く。たまに開ける左下斜面にちらりと薄紫の花が見える。この尾根、関係者が入っているようで、樹に赤ペンキが付いていたり、作業用らしきテープも目にする。
 1050mあたりで自然林が交じり、下に低いササが出てくる。南側が植林で、北側は自然林。自然林側の展望が良くなり、半月山が間近に見え、男体山も覗いてくる。

(前回の下り尾根と合流する)


(林道終点。正面奥の小高いところに1151.7m三角点がある)


 1090mで前回下りに使った尾根に合流。そういえば、ここまで登って来た尾根、あの時、下りかけて危うく感じて逃げた尾根だった。今日の上り使用では丸見え斜面以外は特別な怖さはなかった。どちらがお薦めかということになると難しいところだが、両方ともに敢えて使って楽しむまでもない尾根だろう。1151.7m三角点に出るのなら、尾根を使わずともに林道使用が無難だ(後で、これは無難でないことを知ったが)。この先は展望もあって、雰囲気は多少良い。アカヤシオの花を2つばかり見て林道終点に到着した。さぁ、いよいよここから上が本番か。目を開けたら花盛りの森になっていたなんて風情だったら最高だが…。
 林道の終点とはいっても、これは地図上の終点で、反対側に続いている。覗きに行ったことがあるが、大きな間伐だらけで歩けるような代物ではなかった。どこに続くか気になったままなのだが、今のところはそのままでいい。いずれもないか。

(1151.7m三角点標石)


(出てくる)


(男体山をバックに)


 尾根切れの壁を攀じ登ると、しなびかけのアカヤシオ。ちょっと行くと1151.7m三角点。この標石を見るのは3回目となる。
 そろそろ出てくる。青空に映えてきれいなピンク。よく見ると、花びらが大分下に落ちている。こちらはもう終わりかけなのだろうかと気になったが、登るにつれて新鮮な花になっていき、見頃を迎えている。だが、尾根を見上げると、期待していたほどの密度ではない。花を付けた樹と樹の間が離れていて、密集していない。つまり散発的だということ。花盛りの森はただの夢想だった。

(広く撮ろうとすると、色つきの花は映らないほどだ)


(それでも出てくるとうれしくなる。お祭り騒ぎも良いが、こういうのも一興か)


 勝手に群れた感じのイメージでいた。やはり紅葉の素晴らしさとは関係なしか。先日の沢入の尾根に比べて寂しいところもあるが、ここまで来たのだから、今日はこれで満足することにしよう。登ってはほっとして見るといったパターンか。
 一本北側の尾根を眺める。そちらにもピンクが見えているが、視界に入るのは10株程度だ。あっちもそんなものか。何だか、この時期にしては普通の尾根歩きの雰囲気になっているのが気分的につらい。

(これなんかは見ごたえはあった)


(北側の尾根と合流)


(そろそろ稜線に出る)


 むしろ景色を楽しみながら登って行く感じになってしまった。半月山あたりは駐車場も見えている。男体山、大真名子山、小真名子山、女峰山か。やはりここは紅葉だなぁ。
 1280mあたりで北側の尾根に合流。アカヤシオも花が小粒になり、花数も少なくなってきた。こちらはこれからということだろう。1340mあたりになると消えてしまった。殺風景な景色になって、1390mで稜線に出た。

(稜線歩き。やはり咲いていないか)


 木株に腰かけてタバコを吸っていると、薬師岳の方から声がした。やはり、この時期のこの稜線だ。アカヤシオ目あてのハイカーも多いだろう。二人連れだった。タバコも終わりかけだったので、腰を上げたところだったが、いろいろと話しかけられる。ここを歩くのは初めてらしい。型通りの、あれが地蔵岳で、手前のあれが三ツ目、左のピークが夕日岳だと最低限のことを教えてあげた。今日はアカヤシオ目あてでかっかりしたらしく、近くにきれいなところはないかと聞かれた。口でいろいろ説明もできず、さりとて広範囲の地図も持っていないので、これからは塔ノ沢から小丸山あたりがきれいではないですかと、あたり障りのないスポットで答えた。その辺は時季外れに歩かれたことがあるらしい。10分の足止めとなった。

(咲いてはいるが、どう見てもこれからだ)


(一応、それでも楽しみながら歩いている)


 薬師岳に向かう。地蔵岳と夕日岳はハナから念頭にはない。何だ、あのお二人、アカヤシオはさっぱりだったと言っていたが、そこそこの咲きじゃないか。盛りまではまだ先だが、今日あたりでツボミから開花した感じだ。何分咲きなんて言ったら期待されるだろうから、敢えて何も言わないが、連休明けだろうな。

(いつものを見る)


 寡黙な感じのオニイさんがやって来た。コンニチワの返事はないが、こちらが下りなのに立ち止まってくれた。そして間をおいて次の方。この方、営業職だろうか。愛想が良い。どこから歩いて来たのかから始まった。国道から上がって来たと答えたら、粕尾峠からかと問われた。あそこ国道だっけ?いくら何でも粕尾峠からでは遠すぎる。何とか理解してもらえたようだが、そういうバリ的な歩きを楽しみたい予備軍らしく、地下タビも買ったはいいが履く踏ん切りがつかないとおっしゃっていた。ここで、一応の地下足袋の解説をする。現物は足元だ。いかに強固でいかに弱いかと。これでまた10分。ついでに細尾峠からの道がどうも解せないとの疑問にも答える。納得されていたようだが、下りで間違えたりしないだろうな。ちょっと心配になった。ここを歩く方、大方は細尾峠ピストンだ。

(薬師岳の肩)


(これもいつもの)


(薬師岳山頂)


(山頂のアカヤシオ)


 薬師岳が近づき、肩で団体さんが下りて来た。典型的なGB隊。Bが圧倒的に多い。元気だねぇ。薬師岳山頂には入れ違いの単独氏だけ。すぐに一人になった。
 稜線に出てからここまで、アカヤシオも寂しいものだったが、山頂にも小さなピンクは咲いている。やはりどう考えても連休明けの賑わいだろうな。
 さて、どこを下ろうか。地図を広げる。このまま細尾峠までの一般道、車道コースが楽だろうが、その気はない。地下タビで延々と車道を歩いていたらワラビ採りかと思われる。カーブ続きをテクテクというのも想定外だ。
 薬師岳の肩から小保木沢林道に出る。林道を歩いて1103m標高点から北西に下るコースが無難か。林道に下ったことはある。合流部で地図の起伏に合わせて下らない限りは問題ない。1103mからは未踏だが、地図の傾斜は緩やかだ。これにしよう。

(盟主様を見て下る)


(来る度にヤブ化しつつあるようで)


 肩からしばらくは、尾根筋に一般道を下る。この一般道、黄赤のプレートが打ち付けられているのだが、細尾峠からほとんどの方が山頂直登ルートで来るため、利用者はほとんどいないようで、踏み跡レベルになっている。実は、このことを営業職の方に問われていたのだ。

(この下り尾根ではこれが一番だったか)


(結構な急斜面)


(旧道に出る)


 下るに連れてアカヤシオの花が大きくなる。だが、花盛りの森コース同様に賑やかさはない。1350mあたりで一般道が尾根を右に外れ、こちらはそのまま直進。前回はちょっと荒れたところを通過して林道近くになってややこしい歩きをしたが、今回はスムーズに下れた。ただ、着地は林道ではなく旧道で、そこには「細鈴橋」があり、欄干には「峠沢」と書かれていた。水が滲んだ程度の沢だ。

(林道の崩壊1)


(その2)


 小保木沢林道をこちら側から歩いたのはちょうど4年ぶりになる。この小保木沢、神子内の南側に小保木沢というのがあって、そこにも林道が通っている(調べると、こちらも小保木沢林道と言うらしい)が、この林道と途切れながらもつながっているのだろうか。ずっと気になっている。もしくは銘板には平成3年起工とあるから、将来的には結ぶつもりでいたのか。
 それはあり得ないだろう。この4年の間の林道の崩壊はすさまじく、廃道レベル以上のものがある。とにかく、東側斜面からの土砂崩れは半端ではなく、すでに車は通れず、歩行ですらきついところがある。いずれ、松木川沿いの旧林道のような状態になるのだろう。
 左からの落石に気を遣いながら歩いて行くと、何やら強い腐臭が漂ってきた。シカの遺骸が一つ寝転んでいた。これは滑落したのだろう。融けかかっている。こんな高さでは銀バエもいないのか、普通のハエが群がっている。

(1103m標高点は右に上がる)


(標高点付近)


 1103m標高点が右に近づく。左手は崩れた斜面。ここもまた攀じ登り、スズタケヤブを越えて登ると小ピーク。ここが1103mだ。人為的と思える踏み跡がかすかにあり、古い空き缶も落ちている。人が通れる尾根なんだなと安心するし、これまでの崩壊道から逃れられてほっともする。

(ちらほら)


(ヤセもある)


(国道が見え出す)


(ブル道が横切る)


(旧道に出る)


 アカヤシオがちらほらと咲いている。さりとて知らない尾根だから気は休まらない。たかが200mほどの下りだが、途中でヤセになって穴ぼこになっていたり、左斜面は急になっていたりする。尾根先が見えなくなると果たして切れていないかと気にもなる。
 結果としては、特別な危険はなく下りられた。右に沢音が聞こえ、先に国道が見えてくるとブル道が横切っていた。これを行けば安心だなと思いながら先送りすると、カーブしたブル道にまた合流。終点はすぐそこだ。これを辿ると、ブル道の終点広場になって、難なく旧道に下りられた。

(不明な石像)


 沢に出て石に腰かけて休憩。ここでおにぎりを食べる。さて、後は帰るかと、旧道に入ろうとすると、瓦の囲いのような物が目に付き、近づくと、仏様の石像のようなものが中に安置されていた。比較的に新しい物かと思うが、賽銭も入っていたりで、これはいったい何だろう。二子山に行く途中で見かけた石像にも似ている。

(国道)


(駐車地)


 旧道を歩く。国道はひっきりなしに車が通っている。やはり連休だ。
 駐車場に戻ると、残っている車は朝のまま。大間々での渋滞に巻き込まれないうちにさっさと帰ろう。今日は暑い。エアコンを入れての帰路になった。

 今日はアカヤシオ期待で再びといったところだったが、おかしな発想で期待を持っただけに結末はがっかりだった。紅葉=アカヤシオというわけにはいかなかった。だが、自然体でポツリポツリのアカヤシオを眺めながら歩けただけでも幸いだったか。
 連休の後半、土日はアカヤシオ目あてで薬師岳の稜線歩きを楽しみに来るハイカーも多いだろう。期待して来れば、きっとがっかりするかもしれないな。

(ちょっと寄り道。橋を渡って、先に行ってみた。1136m標高点ピークあたりかと思う。いずれその気になったら歩いてみたい)


(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

井戸湿原のアカヤシオはきれいに咲いているようだったが、花がよく見えなかった(笑)。

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◎2017年5月12日(金)

前日光ハイランドロッジ(7:52)……横根山……井戸湿原……象の鼻展望台……ロッジ(10:02)

 井戸湿原のアカヤシオは絶品らしい。拙ブログにもコメントをいただいたことがある。この時期に井戸湿原を歩いたことはない。ネットで情報を探ると、5月5日に二分咲きだったようで、ここもまた例年よりも遅いようだ。一週間後の今日ではどうかとも思うが、気まぐれな花だ。見頃になっているかもしれない。午後から用事もあるので、アカヤシオ見物のみを目的にして行ってみることにした。2~3時間もあれば回れるだろう。
 だが、お手軽歩きコースの出発点となる前日光ハイランドロッジまでが遠い。高速も使えず、自分の場合、足尾側から入ることになる。足尾の町の上を走りながら、行くのはやめにして、足尾のその辺でも歩こうかと頭をよぎる。でも3時間では無理か。地図なしで歩けるところといったらせいぜい備前楯山。これはパスだな。井戸湿原のアカヤシオを一度くらいは見ておかないとなぁ。

 ロッジの駐車場には先行車2台。すでに人の気配はない。こちらもすぐに歩き出す。今日は地図もない。歩いたことはあるし、標識も豊富だ。横道に逸れる歩きはしない。それでいて荷物はいつも同じで、使うこともないお助けロープやら合羽、ヘッデン、薬類まで入ったままでいる。

(標識にしたがって)


(横根山)


 早速、井戸湿原への標識が置かれている。何も考えずに歩ける。こういうのもたまには良い。古峰神社から登ったらこうもいかなくなる。標識はあってもロングで地図必携だ。
 さて、先ずは横根山に向かっているが、茶系以外の色彩はない。樹にシロヤシオだのアブラツツジといった名札がぶら下がっていたりするが、芽は極めて小さい。設置された階段を迂回しながらすぐに横根山到着。三角点のみ撮って素通り。
 湿原荘跡0.6km」の標識が気になった。何の施設だったのだろうか。ここは寄り道はしない。まずはアカヤシオだ。

(木道に出る)


(水芭蕉か)


(井戸湿原に出る)


 中継局の横を通過。相変わらず色のあるものを見ないままに木道になった。傍らに水芭蕉の葉らしきものが顔を出して群生している。シカ除けフェンスを開けて中に入る。
 左に東屋、井戸湿原を見渡せるところに来たが、向こう側にピンクがちらりと見えるだけ。そんなことはないだろう。木道をまっすぐ行こうとしたが、2人連れが休んでいるので左に回る。

(アカヤシオ1)


(アカヤシオ2。マイカメラではこれが限度)


(アカヤシオ3。カメラでもよく見えんわ)


 何だ、やはり咲いているじゃないか。枯野にピンクの点々が見えている。結構咲いている。だが、ロープが廻らされていて中には入って行けない。どの程度の咲き具合かはとんとわからない。湿原の中でああなら、周辺に咲いていても当たり前。と普通は思う。
 高台で写真撮っている方がいた。写真好きな方なのだろう。望遠レンズで撮っている。自分も近くで撮ったが、こちらは標準の一眼だ。アップにしたとて花はツブでしかない。気恥ずかしくもなり、先に行く。

 しかしながら、ネット情報で知る井戸湿原のアカヤシオはまさに広く群生しているといった感じで、確かに見事だろうなと思えるが、遠くに見えているアカヤシオを見る限りは、何もここまでわざわざ来ることもなかったかなといった印象で、結局のところ、時期が早かったといったところだろう。とにかく、もっと間近に咲いているのを見たいものなのだが。

(これで終わりかねぇ)


(侵入を試みるがフェンス)


(一応、アップしてみたが)


 先に行くと、中に入れそうな感じのところがあった。歩きづらいところを越えて行くと、やはり網のフェンスでしっかりとガードされている。それでもフェンス先5mほどのところに見ることはできた。

(数日内に落ちるだろう)


(五段の滝)


 五段の滝に向かう。大きな石の上に花びらが結構落ちている。見上げると、しおれた花を残したのがあった。これは終わりかけだ。花は先にも落ちていて、こちらはすでに花を残してもいない。
 五段の滝に水量はなく、ただ眺めただけで戻る。三段にしか見えなかった。これを滝と言うのもなぁと思ったりもする。

(反対側から。その1)


(反対側から。その2)


 対岸側に至っても、アカヤシオは湿原の中心部にあって遠い。ロープ寄りの株はツボミのままに、むしろ、それがじゃまになって、中のアカヤシオがよく見えない状態になっている。むろん柵外にアカヤシオの存在はない。

(こんなのや)


(こんなのや)


(こんなのは間近に撮れるのだが、こんなのを撮ってもなぁ)


 軽く周回してしまった。結局、間近にアカヤシオを愛でることは叶わなかった。遠巻きに眺め、中が満開だったのかもわからずのまま。いつもなら、木道のそばにまで咲いていて楽しむことができるのかもしれないが、今日のところは小田代ヶ原の貴婦人を見るような具合だった。まだ一週間先かもなぁ。またタイミングがずれてしまった。

(もう帰りますよ)


 もう帰るかと、象の鼻に向かう。途中、また「湿原荘跡」の標識を見た。そちらに向かった。何かの建屋の跡らしきところには気づかずに元のコースに戻ってしまった。

(仏岩)


(象の鼻)


(展望台から)


 仏岩を見て象の鼻展望台に着く。霞んでいて、赤城山はおろか男体山も見えない。近くのベンチに座って、おにぎりを食べて一服する。平日とはいえ、人出が多いようで、ハイカーが車道伝いに次々に上がって来る。

 砂利道を歩いていくと、背後で等間隔に歩いてくるオッチャンがいた。早いとこ追い越してくれないかなと思ったが、相変わらずにヒタヒタと足並みが揃っている。ようやくコンニチワと声をかけられほっとしたが、追い越しはせずに話しかけられた。
 この館林のオッチャン、これから夕日岳に行くとのこと。お元気だねぇ。直登ルートを聞かれ、口で説明するのももどかしく、携帯に入れた地図で説明した。わかりやすい、大滝から尾根伝いに行かれたらどうかと案内する。道はあるのかと聞かれた。これでは無理でしょう。まして地図も持っていないとのこと。そういう場合は、地蔵岳を経由して行くしかないだろうと、古峰神社からの一般ルートを説明する。ご当人は行者岳経由で行きたいようだったが、夕日岳目的ならきつい歩きになる。足利の山を専門に歩いているとのこと。あるいは、でんさんあたりとお知り合いかも。先週の大小山のヤマツツジはきれいだったとか。

(駐車地に着く)


 2時間の長めの散歩だったが、何だか疲れた。ロッジの駐車場にはもう20台近い車があった。皆さん、アカヤシオを楽しみに来たのだろう。

(古峰神社で。その1)


(その2)


 帰路は、用事の都合で古峰神社経由にする。県道に出る途中、路肩に車を止めて写真を撮っている人が随分といたが、あれは何を撮っているのか。来る際にも同じところで3人ほど撮影していた。
 途中の地蔵岳の登山口には、しっかりとさっきのオッサンの車が置かれていた。冗談かなと思ったが本気だったらしい。20人くらいの団体さんが歩いて来る。地蔵岳に行くのだろうが、10時半では歩き出しが遅いのではないだろうか。

バラ沢峠から二子山。雨量計付近のアカヤシオは見頃に咲いていた。

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◎2017年5月19日(金)

バラ沢峠(6:45)……1549m標高点(8:25~8:40)……弓の手コース合流(8:47)……二子山(9:23~9:35)……雨量計・1607m標高点(10:07)……この辺で戻り(10:24)……折場登山口(11:45)……バラ沢峠(12:20)

 10年以上も前のことになる。バラ沢峠から袈裟丸山方面に行ってみようと出かけたが、肝心の峠の場所がよくわからず、結局、折場登山口から歩くことになってしまった。いつか改めてと思いながら10年経過してしまった(実のところ忘れていた)。この尾根は破線路の一本調子の尾根で、1549m標高点を経由して、弓の手コースに合流している。
 先日、みー猫さんがこの1549mの南側から西に下られた記事を拝見し、記憶がよみがえった。ツツジもさることながら、バラ沢峠から歩いてみよう。目的はこの尾根歩きだが、その先は、せめて小丸山くらいには行くつもりでいる。車道歩きが長くなるのは覚悟のうえだが、帰路は、みー猫さんが上りで使われたルートを折場橋まで下るのもいいか。
 余談だが、一昨日、みつまんさんのグループがバラ沢峠から登るつもりでいたところ、雨でそのまま引き返し、温泉に直行となってしまったようだ。今日の天気は良いようで、雨の心配はあるまい。まして、平日だ。そんなにハイカーが入り込むとも思えない。

 今回は問題なくバラ沢峠がわかり、広場にブルが入り込んでいたので、広い路肩に車を置いた。準備している間に車が3台上がって行った。平日なのにこの天気だ。結構、入っているのかなぁ。

※以下、諸般の事情で、写真中心で流します。

 特別にクセのない尾根だ。変化を楽しむ向きには物足りないかもしれないが、適度に岩場が出てきたりして退屈はしない。

(バラ沢峠から。どこをどう辿るのか、これでは窺い知れず)


(平凡な尾根だが)


(こんな所もいくつかある。直登なり軽い巻きで先に行ける)


(振り返って。鉄塔のあるのがバラ沢峠。向こうのピークは1164mピークか)


(南東と南南西からの尾根が合流して、ここで北東から北向きに変わる)


(左が1480m。右が1549m標高点ピークだろう)


(伐採地から東側)


(1549m標高点ピーク)


 1549m標高点のアカヤシオはすでに花が大分散っていた。やはり、見頃はみー猫さんの時だったか。その時の雨や引き続きの雨で終わってしまったようだ。やはり旬を見るなら雨傘でか。

(1549m標高点。破線路だけあって、ここまで古い鳥獣保護区の看板がいくつかあった)


(袈裟丸連峰を望む)


(樹の下には花かなり落ちている)


(下る)


(とはいっても、花が大きい。これで少しはカバーか)


 登山道に合流すると、ハイカーに出会うようになった。やはりアカヤシ目あてだろう。平日だからと安心しきっていたがアテが外れてしまった。これでは、小丸山も混んでいるだろうと、小丸山はやめにして二子山に向かった。

(一般道に合流)


(ヤグラの展望台。登りはしなかった)


(賽の河原)


(気が変わって二子山へ)


 二子山方面のアカヤシオの咲きはよろしくない。というか、株自体が少なく、花も落ちている。台石山に行っても同じだろう。

(こんな程度で終わりつつある)


(二子山山頂)


(下りではそれなりに楽しんだ)


(一般道に復帰)


 登山道に戻ったはいいが、ちょっとは先に行ってみるか。

(なかなか、いいじゃないか)


(続いて)


 ぬかるみがやたらと出てきて、地下タビの布が水を吸う。次第に気を遣うような歩きになり、この頃からサングラスにチェンジしたためか、度も合わないためか、足元がしばらく見ずらくなり、うっとうしくなる。

 雨量計(1607m標高点)に来ると、随分と華やいでいた。だが、ピークは過ぎたようで、花も落ちかかっている。しかし、見た目は見事だ。

(雨量計手前)


(雨量計)


 先まで行って戻る。実は明日からちょっと旅行に出かけるので、その準備もあって、今日は早いとこ帰りたいのだ。まして、混んでいそうな小丸山まで行ってもしょうがないな。
 アカヤシオはロープ外の方が群れているようなので、ロープの切れ目から外に出て、東側のヤブを歩いて行く。

(この辺で戻る。一時的に空が暗くなった)


(脇歩きで。その1)


(その2。雨量計ピークの下がすごいようだ。あそこにこのまま行こう)


(後夜祭といったところか)


(ついでに、みー猫さんが登って来た尾根を覗く。さらに下は終わっているようだった)


(そろそろ登山道に復帰するか)


 予定では1607mから折場橋のつもりでいたが、冷静に考えると、ヒライデ沢で行き詰まることもあるだろうし、上りを体験してからの方がいいだろうと今回は見送る。弓の手コースをそのまま下る。

(団体さんがやって来た。脇に寄っても、コンニチワの挨拶は一人としてなし。こんなものだろう)


(岩場に登って1549mピークを見る)


(ここからの景色は四季を通じて絶品だ)


(まだまだ登って来る)


(振り返って)


(現実に戻されるような登山道)


(折場登山口)


(車がずらり。折場橋の方まで続き、車はざっと40台はあったようだ。平日なのにね)


 折場登山口に到着。ここで地下タビからスニーカーに履き替える。車道歩きが長い。
 途中、車3台に追い越され、4台目で「乗っていかないか」と声をかけられたが、ゴールまでは200mもないところだった。ご親切ありがとう。熊谷ナンバーのオッサンだった。そういえば、ずらっと駐車している車、他県ナンバーが随分とあった。かなり遠くのも。

(ここからなら、折場登山口まで確実に20分の登りになる)


(バラ沢峠)


 バラ沢峠に着くと、他に車が2台あった。うち1台は桐生のオッチャンで、パンクでタイヤ交換をしていた。このオッチャン、いつものように折場橋から雨量計に向かったが、途中で具合が悪くなったので、さっさと帰って来たとおっしゃっていた。

 写真中心の慌ただしい記事になってしまった。歩きもまた同じようなものだった。一応、満足のいくアカヤシオも見られたし、柄にもなく花追いはそろそろやめて、そろそろ普通の歩きに戻すことにしようかなと思ったりして。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

ちょっとスリランカに行ってみたりなんかして<その1>

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5/20(土)成田11時20分発スリランカ航空─→コロンボ……アヌラータブラ……ボロンナルワ……キャンディ……コロンボ─→5/25(木)成田着7時40分

 スリランカはずっと以前から行きたいと思っていた国だ。若い頃、海外旅行のパンフレットで目にした横たわった大きな金ピカの仏陀像と異様な形をした岩山の写真はいまだに強い印象として残っている。新婚旅行ではスリランカを所望したが、結納やら指輪で貯金は消え、旅費そのものが出せない立場だったため、口も出さず、今の女房の意向のままにカナダに行った。以来、スリランカとは縁が切れた。もっとも、今回行って改めて感じたことだが、インドを挟んで南西にあるモルディブならともかく、スリランカは新婚旅行で行くような国ではない。まして数十年前の自分のような感覚でいる若いのが今でもいたとしたら、アンタ変わっているね、よした方がいいよと言うところだ。

 2月中旬のこと。勤務先の近くにある旅行代理店のチラシを眺めていると、<海外一人旅>企画ツアーなるものを見つけた。ツアーとはいっても一人で気軽に参加できる雰囲気だ。これはいい。「地球の歩き方」的な歩きをするのでは頭と時間、さらに言葉も使う。不本意ながらも、お仕着せにくっついて歩くのは至って楽だ。まして寺院やら廃墟の世界遺産回りに苦痛はない。連休明けだろうし費用も安い。即、参加申し込みをした。

(一日目・5月20日)
 成田発11時20分のスリランカ航空。事前にスリランカ航空のオンラインチェックインをし、同時に、ここなら少しはましだろうと思える席を指定している。さも海外の一人旅には慣れています風な感じで成田を飛び立った。座席の列にはだれもいず、エコノミーながらも楽な姿勢でコロンボ空港に着く。現地時間17時20分。ほぼ定刻のフライトタイム。その間、2回の機内食では、ホワイトワインを頼んだのに赤いのがきたりして苦笑いして黙って飲んだりしている。言葉はテキスト通りには通じない。フライト時間は9時間半。時差は3時間半逆戻りだ。新着映画を観たり、成田でちょい読みのつもりで買った西村京太郎を読んだりと、さほどの長さは感じなかった。

(成田にて)


(機内食はカレー)


 話が前後する。成田空港で、こちらはオンラインチェックイン済みだったから、ビジネスクラスの列に並んでさっさと荷物も預けることができたが、エコクラスの行列を眺めながら、あのカップル、ネエチャン達と同じツアーなのかなと不安に思いつつ、いずれにしても、このオッチャン一人ではさぞ浮いた存在になるだろう、もしかすると家に帰るまで口を開くことはないんじゃないのかと懸念しはじめると、思考は次第に萎縮し、やがて、今回の海外一人旅、これは失敗したかななんて後悔も出てきている始末だった。
 ちなみに、スリランカ航空の乗客の4/5は浅黒い顔をした人たちで、これがまたどでかい段ボールやらスーツケースを一人でいくつも預けていたが、これは爆買い土産なのかどうかは窺い取れない。日本人観光客は20人はいたろうか。実際のところ、コロンボ空港は中継で、さらにアラブの方に乗り継ぐ人が多かったようだ。
 さらに前後した話だが、コロンボ空港に着き、入国審査の手続きになると、事前に取っていたビザを挟んでパスポートを出すと、一瞥もせずにビザを返してよこした。せっかく取ったのになぁと思いはしたが、おそらく、パスポートNOでビザの有無は登録されているのだろう。前の日本人娘は何やら滞っていたが、スマホの画面を提示してパスしていたから、彼女も直前にビザを取得したのだろう。

 空港では現地のガイド氏が手書きのプラカードを持って待っていた。なぜか他にツアー客はいず、すぐに日本語で「●●さんですか? では行きましょうか」と言われた。つまり、このツアー参加者は自分一人ということ。現地での5日間、最初から最後まで、同じガイド氏、ドライバー氏、そして自分と、3人での観光巡りになった。余談だが、このガイド氏、おばさんが日本人と結婚し、千葉に住んでいると言っていたが、そのおばさんと、テレビでおなじみだった<ワンポイント英会話>のウィッキーさんとは友達とかで、日本に旅行した際に会ったこともあるそうだ。
 ガイド氏の日本語レベルはまあまあ程度。独学で覚えたらしい。そのためか、ローマ字で日本語を記せばわかってくれるものの、かな、漢字、カタカナはてんで読めない。難しい日本語、とはいっても例えば「たむろしている」といった程度のものだが、「TAMURO?」と首を傾げ、「gather without purpose」と適当な英語に直して説明する。それを彼がローマ字でメモをしては覚えるというシチュエーションが何回か続いた。そのやりとり、それはそれで自分にはおもしろいものだった。
 空港の外に出ると、熱気でムッとした。メガネがすぐに曇った。迎えの車はカローラのアクシオ。現地では日本円で700万円もするそうだ。なぜか、あと一年は残っている日本の陸運局の車検ステッカーが窓に貼ってあったりしている。ここも以前はイギリス領土。日本と同じに車は左通行・右ハンドルだ。

(ホテルのロビー。翌日撮影)


 車を1時間ほど走らせて今夜の宿に着く。結婚式を2組やっていて賑わっている。部屋はすぐそこだったので、荷物を自分で運ぼうとするととがめられた、ベルボーイなんてスマートなものではないが、ヒゲのオッサンに運ばれた。ここでチップ100スリランカルピーを払う。
 夕食は機内食だったし、腹も空いてはいない。浴槽もあり、まずは風呂にでも入るかと、蛇口をひねったが、何分待っても水は湯にならなかった。水のシャワーを浴び、半端なすっきり気分でホテル内をブラブラしてみると、早速、蚊にさされた。部屋に戻る。成田の免税店で買ったウイスキーをストレートで一杯飲み、明日の予定地をガイドブックで読み、テレビでトランプが中東に行ったらしきニュース番組をダラダラと見ていたら、そのうちにコテッといってしまった。

 それにしてもこのホテルはきれいとは言い難い。翌日、明るくなって気づいたことだが、長い髪の毛があちこちに落ちていたし、足拭きマットも汚れている。来た時にはトイレにペーパーが浮いていた。格安の海外一人旅はこんなものか。

(二日目・5月21日)
 翌朝、起きてトイレに行くと、何やら、水槽の脇にハンドシャワーがある。昨夜は気づかなかった。これ、尻洗いのシャワー。必要もないのに試してみた。着ていたシャツが水浸しになった。これは前ではなく、後ろから回さないといけないようだ。しかし、外国だからと、携帯ウォッシュレットを持参してきていたが、外のどんな汚いトイレでもこの尻洗い機は備え付けてあり、持参ウォッシュレットに水を入れることはなかった。
 そういえば、この尻洗い、ネットで、歯磨きに使ったという話を見たことがある。いくら何でも、上の口に使うものではないだろう。

(海)


 昨夜はさっさと寝たので薄暗いうちから目が覚めた。濡れたシャツも乾かしたく、散歩に出かけた。海も見たかった。外に出ると、早速、メガネが曇った。湿度が半端ではない。ハンカチで拭ってもすぐにまた曇る。カメラのレンズはさらに曇りっぱなし。
 この散歩で、あろうことか、気の良い日本人ぶりを早々にやらかしてしまった。

(こんな沼に連れて来られた)


 ボーイさんに言われるままにホテルのプール脇を通って海辺に行く。さほどきれいなインド洋ではなかった。波も高い。サーフィンにはベストかもしれない。向こう側に工場地帯も見えているからロケーションも悪い。こんなものかとホテルに引き返そうとしたら、30代前半と思しき男に英語で声をかけられた。こちらが日本人だとわかったらしい。写真を撮ってやると言う。背景がきれいでもないので断わったが、あまりにしつこいので撮ってもらった。こいつ、カメラを返さないのでないかと警戒したが、あっさりと返して寄こしたので、少しは警戒も解いていた。もっときれいな海を見せてやると言う。ついて行った。やけに親切な男だ。今日は日曜日だからヒマなのか。ゴミの散乱するヤシの林を通ってちょっとした集落に出ると沼が現れた。その間、その辺でうろついている人たちとあいさつを交わしたりしているから、彼はここに住んでいるのだろう。
 この沼を先に行くと、海がきれいなスポットがあると言い出す。そこまでしてたかが知れた海を見たくもないので、ホテルに帰ろうとすると、ボートに乗せてやるそうな。ちゃちな泥だらけのボートだった。これではボートというよりもボードだろう。櫂はただの板キレ。まぁこちらもヒマつぶしになるからいいやと乗り込む。

(どこにワニがいるんだい)


 きたない沼を一周しただけのこと。沼は海に切れてもいなかった。途中で、林の中にワニがいると見せられもしたが、そんなもの見えやしない。まさか沼に突き落とされやしないだろうなと警戒感が再び出てきたが、その危険はなく沼からは無事に解放された。

(こんな演出もあった)


 こんなところに長居は無用。ムダな時間を費やした。朝食の時間だからホテルに帰ると言うと、そこまで送ると言いつつ、ヤシの木に器用に登ってヤシのジュースを振る舞ってくれるサービスぶり。そして、ダメ押しでJapaneseは大好きだと言い出す。結局、こちらにしてみれば有難迷惑なことだったが、こんなに余計な親切にしてくれたのでは2000ルピー(日本円で1500円ほど)も払おうと差し出すと受け取らない。
 これは本当に親切心でやったんだなと大甘に思っていたら、いきなり家族の話をしはじめた。子供が3人いて、親が入院しているそうだ。こちらにしてみれば、あっそうといったところだが、ここで険しい顔をして7000ルピーを要求してきた。やはりこれか。旅行に先だって、現地のこんな事前情報は得ている。毅然として断ればいいだけのことだが、ここは彼のテリトリー。たやすく仲間を呼ぶだろう。その結末は丸裸。しかたなく7000ルピーを払うと、今度は別途、チップ代1000ルピーを要求してきた。本当にタチが悪い。都合8000ルピー。日本円で6000円。30分足らずのタカリ仕事。まっとうに働いて家族を養ったらどうだと説教をたれたかったが、命令形でWorkと言おうとしたが、堅実に、地道にとは英語で何だっけ、steadyか? はてまた、ここはYou shouldにするか、mustにするか、had betterでは弱すぎてわかりゃしないなと悩んでいるうちにタイミングを逸してしまった。こいつ、当初は米ドルを要求してきたから、日常的にこんなことをやっているのだろう。始末が悪い。
 Richになって愛想良くホテル近くまで送って来て、別れ際に図々しくも握手を求めてきたが、無視して睨みつけてやった。
 コロンボ空港で1万円を13500ルピーに両替していた。ゴミだらけのきたない所で半分近くをあっという間に捨ててしまった。こちらにもノコノコくっついて行った落ち度はあるが、スリランカの印象がここで悪くなった。以降、あちこちの観光スポットで物売りに声をかけられても、目を合わせないようにした。
 この件、迎えに来たガイド氏に車の中で話すと、さすがにタチが悪いと思ったのか、ホテルに電話して問い合わせをしていた。どうも、海への行き先を教えてくれたホテルのボーイとヤツがグルになっているのじゃないのかということで終わったが、帰ったらメールで写真を送ってくれというので、30分の間に撮ったヤツの顔写真を3枚ほど帰国後に送った。その後、ホテルに写真を持って行くと返信はあったがどうなったのか。ホテルで、この男にカモられたJapaneseがいるから要注意の張り紙でもしてくれるのか。とんだ海外一人旅の始まりだ。

 気を取り直して朝食。あまり食欲もなく、鶏肉のカレーで簡単に済ます。
 さて、スリランカはチップ天国のようで、空港での両替はチップ代とビール代のつもりでいたが、8000ルピーも捨ててしまったので、また5000円をホテルで両替する。結局、以降、両替することはなかったが。

(英領であっただけに鉄道網は整備されている。ただ、電車ではない)


 今日の予定は、日程表によればアヌラータブラ観光をしてシーギリヤに泊まるということになっている。シーギリヤのホテルは2泊だ。くつろげそうだ。
 長いドライブ。行き交う車は、インド車と日本車が多い。日本車は中古車が結構走っていて、□□レンタカー、〇〇幼稚園、△△工業なんてボディに記したままのを目にする。面白いなと思ったのは三輪自動車。トゥクトゥクというのか、道路を走っている圧倒的多数がこれだ。自動車を含めて運転は概して荒っぽく、すぐに追い越しをかける。また、ウインカーを点滅したままで走っている車が多く、ガイド氏に聞けば、ウインカーの点滅音が出ないため、戻さないままで走っている車が多いのだそうだ。これでは危なくて現地でレンタカーなんぞ借りて自分で運転するなんてことは考えない方が無難だろう。
 さらに、たまに野生の象が道端をノソノソと歩いていたりするし、ウロウロしている犬が多いのにも驚く。飼い犬なのかノラなのかも定かではない。そしてサルも横切るし、人も多い。ずっと人家が途切れることもなく続いているためだろうが、あちこちにヒマそうにたむろしていたり、道路工事をじっと眺めているような人もいる。
 自分にはインド人と、スリランカの圧倒的なシンハラ人との区別はつかなく、大方が哲学者の顔に見えるが、現地の人には、少数のタミル人も含めて識別はできるらしい。このシンハラ人のガイド氏、タミル人のことを良く思っていないようで、タミル人のことをずっと「テロリスト」と言い続けていた。

(その1)


(その2)


(その3)


(その4)


(その5。これは不動明王)


 4時間かけてアヌラータブラに到着。寺院回りが始まる。実際のところ、何という寺に行ったのかは覚えぬままに歩いていて、後で写真とガイドブックを照らし合わせ、この先もまた、そういえばここに行ったなといった感じになってしまった。元々、スリランカの雰囲気、空気、自然に触れてみたいというのが目的だったから、世界遺産だの寺院の仏像や彫刻などを事前に調べて出かけたわけでもなかったし、苦にはならないが、それほどに見たいと思ったわけではない。したがって、記憶もまたその場限りのようなものだ。頭の中に地図もない。

 最初はイスルムニア精舎。これは寺院の大方はそうなのだが、中に靴で入るのは禁止。さりとて靴下では汚れもする。サンダルを借りて、裸足になった。仏陀の涅槃像があった。あちこちの寺院に涅槃像と寝ている像があって、目をつむっているか、足指の位置がずれているかで見分けがつくそうだが、こんなのをダラダラ記していてもつまらないだろう。
 続いてスリー・マハー菩提樹、ルワンウェリ・サーヤ大塔。どこに行っても、犬とサル(ハイイロオナガザル)がいる。たまにリスと九官鳥も見かける。ガイド氏に「犬猿の仲」という言葉を教えると、スリランカでも同じように仲が悪く、犬は仏様の使い(あるいは逆だったか?)だというようなことを言っていた。日曜日だからか、熱心に礼拝する人々がいる。

(蓮池)


(ここにも)


 ドライブの途中でタバコタイムを取ってもらったが、スリランカの人に喫煙する人はまずいない。そして、メガネをかけた人も見かけない。たまたまガイド氏はメガネだったが、これは、以前勤めていたゴム加工工場でガスにやられたとのこと。タバコを吸っている間、ガイド氏がその辺に捨てられた空のヤシの実をひっくり返していた。何をしているのか尋ねると、開け口を上にしたままで捨てると、雨水が入り込み、そこから蚊が発生してデング熱を引き起こすのだそうだ。

(昼のカレー)


 ランチタイムをはさむ。地元のライオンビールを飲む。食事はカレー。朝晩と続いた。

(サルの親子)


(その6)


(その7)


(その8)


(その9)


 ホテルに着くまでの次のメニューは柄にもなくエステ。何遍ともなく仕事で行っていた台湾なら足裏マッサージとなる。アーユルヴェーダというスリランカエステなのだが、これは今回のツアーで行って失敗した例だ。エステは何でも体験とばかりに、あぁいいですよと、ここまで来る途中で気安くオプションに入れてもらった次第だが、日本円で12000円ほど払ったかと思う。ガイド氏にどれくらいのキックバックがあったのか、つい後にしてみれば考えてしまうのだが。
 連れて行かれたエステの施設、きれいな建物ではなく、日本なら築50年見当のボロいもの。裏長屋といった感じだ。これからフランス人の観光客40人の団体が来るからと、急かせられ、まずはさっさと入った。
 事前にマッサージ師を男女のいずれにするかと聞かれ、陽が出ているのに下心丸出しにするわけにもいかず、男の方が強くやってくれるというので男のマッサージ師をチョイスする。
 個室に入ると、オッサンにパンツ一丁になれと言われる。パンツとはいっても自前のもので、昨夜、冷たいシャワーの後に履き替えたとはいえ、ここまで汗もかき、薄汚れてもいる。何となく不快な感じになりそうな気配。足裏マッサージですら、パンツ込みで全部あてがわれるものだし、普通、エステの後なら心身ともにすっきりしたいものだ。何だか、その辺に違和感がある。
 全身にオイルを塗りたくられ、うつぶせで頭のてっぺんから足指先まで揉まれる。男のくせに力が弱い。尻は外すのだろうなと思っていたら、パンツに手を入れて両臀部を揉まれた。もちろんオイル付き。続いて仰向け。さすがにパンツに手は入れない。やられたら立場もない。
 身体がオイルでテカテカし、ヌルヌルで気色が悪い。まして頭もマッサージされているから、抜けた毛が肩に複数本へばり付いているのが感触としてわかる。自分の手で取りたいが、手を出せる状況にはない。個室から出され、温いサウナルームへ。2人しか入れない。次の人は外で待機。隣にフランス人のオッチャン。別に不快な顔はしていない。
 サウナで汗をかき始めると、隣のオッチャンが連れ出され、次のフランス人オッチャンが入る。そのうちに、半端な状態でこちらも出された。自分が来る前に団体さんはまだ来ていなかったから、彼らは低料金のショートコースかねぇなんて思ったりしている。
 次は蒸し風呂のようなところ。ヤシだかバナナの皮で作ったような囲いに首だけ出して入れられるのだが、フランス人のオバちゃんがそこから出たところで、間髪入れずに放り込まれた。トドみたいなオバちゃんだったが、さすがに女性は上下のタオルをあてがわれている。囲いの中にはハーブを敷きつめている。とはいっても敷き方はまばらで、バナナの皮床が半分さらけ出ている。赤の他人が出た直後だ。せめて、敷き物のハーブを交換くらいはして欲しい。
 このスチームバスに5分ほど横たわり、個室に連れ戻される。手も出せず、オイルが目に入って痛かった。自前のパンツはオイルと汗で汚れがひどくなっているはずだ。これでコースはお終い。オッチャンにシャワーを浴びろと言われ、隣のトイレに案内され、ここでシャワーを浴びる。シャワーそのものもすごい場所にあるが、これで少しはすっきりすると思っていたのは甘く、シャワーからは少量のぬるま湯がポタポタと流れているだけ。もちろん、ここで汚れたパンツは脱ぎ、変色したタオルを初めてあてがわれはした。
 着替える。パンツはシャワーで一時的に脱いだが元のものをそのまま履く。南国だから嗅覚も鈍ってはいるものの、せめてパンツをタオル代わりにして洗えばよかった。石鹸を使ってもオイルは半分も流せずに下着のシャツとズボンにベタベタ感が移り、極めて不快。頭の髪もどういうことになっているのやら。クシやらブラシすらなかったし、シャンプーしたつもりでも何だかベトベトしている。
 ざっと1時間半コース。ガイド氏に、オッサンに500ルピーばかりのチップをはずむように言われていたので握らせたが、外に出た時は何だかなぁといった感じになっている。かなり覚めていた。フランスの団体さんは賑やかに待っていたが、しょんぼりした顔はなく、皆、こんなのに慣れているのだろうか。

 後のツアーメニューは何もなく、ホテルに入るだけだからいいものの、とにかく、確実なシャワーを今すぐにでも浴びてオイルを落としたかった。
 このアーユルヴェーダ・エステ、東京あたりでやると4万円ほどするらしい(本当かねぇ)とガイド氏が言っていたが、当然、着替えもあって、タオルや湯もふんだんに使え、自前のパンツ一丁で通すということはまずないだろう。スリランカの片田舎でやるからこうなのか、まさか大都会のコロンボでやってもこのスタイルというわけではないだろう。失敗したとはいっても、これが本物かもしれないな。本物なら、この一回ぽっきりの体験でいいわ。それにしても、男客の場合はこうだったが、女客の場合はどんなやり方になるのだろうか。潔癖な女性ならいたたまれなくなるだろう。

(九官鳥)


(道端を象が歩いている)


(夕暮れのシーギリヤロック)


 ホテルに向かう。途中で夕暮れのシーギリヤロックを眺める。これが、自分の若い頃に魅きつけられた岩山か。感慨はあるものの、まだ外は暑く、身体のオイルが汗をはじいてズボンのベルトあたりに溜りそうだ。さっさと車を出してもらい、ホテルに到着。
 とにかく、すぐにシャワーを浴びたかったが、ここは浴槽もなくシャワーだけ。まっとうに湯が出てくれればいいが、ずっとぬるま湯のままで、しまいには水になった。それでも日本から持参のアカこすりを使ったから、少しは気分も良くはなった。

 このホテルは2泊。スーツケースの中味をさらけ出して荷物整理。セフティボックスがあったので、パスポートくらいは入れようとしたがマニュアルはない。日本式に数字を入れて適当にボタンを押して開け閉めしていると、そのうちにけたたましいアラーム音が鳴り響いた。これはやばいと、フロントに電話しようとしたが、内線案内の電話表なんかどこを探してもない。5分ほど鳴らしっ放しにすると、ようやくアラーム音は消えたが、その間にホテルスタッフが気づいて駆け込んで来ることはなかった。こちらとてボーっとしていたわけでもなく、電気作動かなと思ってボックスを持ち上げて電気コードを探してみたり、毛布をかぶせて、音の鳴りを少しは低くしようと必死だった。

 何食わぬ顔をしてレストランへ。今日は客が少ないというので、セットメニューしかない。ライオンビールを頼み、適当に選んだメニューは魚介ながらもこれまたカレー。カレーからは逃れられないようだ。まぁ、好きだからいいが。
 食事の間に蚊に刺され、部屋に戻ってキンカンを塗りたくる。明日の行き先の予習をガイドブックでと思ったが、昨日の続きが気になって、西村京太郎であっという間に睡魔に襲われる。今夜もまた10時前の就寝。つけっ放しのテレビ、CNNでは昨日と同じトランプの中東訪問をやっていた。
 しかし、今日は朝から、そしてこのホテルに着いてからも波乱だったわ。

その2に続く>

ちょっとスリランカに行ってみたりなんかして<その2>

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その1からの続き>

(三日目・5月22日)
 凝りもせずに散歩に出かける。ホテルマン以外とは目を合わせまい。道に迷い、別のホテルに入ってしまった。こちらのホテルはやけに客がいる。嫌なものを見てしまった。Chineseの団体。相変わらず大声を張り上げている。この人たちとは会いたくなかったが、避けられないだろうなと思い、これまで会わずにいたのが不思議なくらいだ。スリランカの前政権が親中派で、無条件に高利の経済援助を受けたらしい。そのため、今になって、返済で首を絞めることになり、これが経済を圧迫しているとのこと。Chinese観光客が我が物顔で入り込んでもおかしくはない。

(ホテルからシーギリヤロック)


(五月の花)


 ホテルに戻って朝食。バイキング形式のため、カレー抜きのメニューにする。カリカリのベーコンに目玉焼きとパン。カレーも昨日一日でそろそろ飽きてきた。せめてコメの粥を食いたいが、そんなものはメニューになかった。
 親子、友達どうしの日本人宿泊客4人見かける。昨夜は気づかなかった。他にフランス人グループが5人ほどか。ここに中国人はいない。

 ガイド氏が迎えに来る。今日はシーギリヤロックに登る。登るとはいっても、標高差は200mほどのもの。正直のところちょろいと思っている。
 散歩をして隣のホテルに迷い込み、中国人がやたら多かったと言ったら、ガイド氏は苦い顔をした。というのは、当初、中国人観光客の担当をしていたら、彼らは行儀、マナーが悪く、撮影禁止のところも平気で写真を撮り、ゴミも平然と捨てる。そのため、公から与えられてガイドポイントがどんどん減っていき、これはヤバいと、日本人観光客担当にしてもらったのだそうだ。

(改めて)


 こんなことも言っていた。シーギリヤロックにはスズメ蜂の巣がやたらとあり、入場者には刺されないように注意を促しているようだが、決まって刺されるのは中国人だそうだ。理由は大声を出すから蜂が寄って来るらしい。さもありなんか。もっとも、ガイド氏によると、マナーが悪いのは中国人だけではなくインド人もそうだとのことだったが。

(博物館にあった壁画)


 先ずはシーギリヤロックの博物館に入ってちょっとした知識を仕込む。壁画やらも展示されている。このMuseumは日本の援助で建てたらしく、銘板には前総理の立場で福田康夫の名前が記されている。
 8時15分に国歌が流れた。ガイド氏もスタッフもその場で頭を垂れている。これが自然な愛国心だろう。どこぞの国のように、修身教育を復活させたり、教育基本法の改訂を目論んでいるようなお国柄では偽りの愛国心すら生まれまい。自分には、日の丸を持って海外にスポーツ観戦に行き、大騒ぎしている日本人の姿がみっともなく思えることがある。

(こちらは花が開いている)


(これが例のトゥクトゥク)


(下の宮殿跡)


 蓮の池を見てロックに向かう。余談だが、ここの入場料、Foreignerは3300円ほどとバカ高い。現地の人とは一桁以上違っている。ここに限らず、この現象はスリランカの観光スポット全体に言えることで、批判も相当にあるようだ。それにしても、記念になるはずの入場券の半券をガイド氏はこの先も渡してくれなかったが、これには何か裏でもあるのだろうか。つい疑ってしまう。

(正面から)


(登る)


(先はこうなっている)


 ゲートをくぐり、前にロックが出てくる。そこでカメラマンが現地のカップル相手に撮影をしている。ガイド氏によると、どこの家でも結婚後初の里入りが大きなイベントらしく、儀式の名前は何だか忘れたが派手にやるのだそうな。その撮影らしい。
 いろんな遺跡を見ながら登る。階段が続く。次第に急になる。フランス語を話すネエチャン達の短パンから出た足が気になってどうしようもない。写真にしっかりと収めることも忘れない。これにドイツ語のネエチャンが加わる。何とも長い足。そのうちにチャイの大声が加わってきた。興ざめになって先に行くが、しばらくは耳にこびりついている。女はニワトリのざわめき、男は腹の底から声を出す。これではスズメ蜂にも襲われる。
 直進して、岩肌伝いに登る。こんなところで転落の事故が起きないものか不思議だが、ガードはしっかりしている。だが、鉄板を敷いているところもあり、やはり雨の日は滑るらしい。

(途中から)


 頂上が近づくとつかえてくる。階段の幅が狭いので一列歩きになっている。さらに脱落するのも出始める。そんなのはちょっとした広場スポットで待機となる。ピタッと止まったので、先を見ると、チャイのファミリーがとっかえひっかえでピースしながら写真を撮っている。これだもんな。再評価されている孔子様も苦笑いだろう。

(ライオンの足。ライオン像はなくなっている)


(見上げる)


(見下ろす)


(到着)


(森が続いている)


(池もある)


 高所恐怖症の自分には200mとはいっても高度感抜群に感じられた。風通しが良く、涼しい。周囲は密林になっている。その昔、ここに宮殿があったという。汗だくでいっしょに登ったガイド氏に、ここの王様、複雑な家庭環境下、骨肉の争いをして、弟に攻められて自殺し、王宮は滅んだそうですねと言うと、ガイド氏は驚いた顔をしていた。何でそんなことを一介の外国観光客が知っているのかと。ガイド本に出ていますと返すと、これは国の恥でもあるし、地元の歴史の教科書にも記されてはいるが、外には出さないように教育を受けているとのことだ。後でガイド本を見せてくれというので、戻った車で見せたが、もとより日本語を読めないガイド氏、その頁をただ眺めているだけだった。

(こんなところにも)


(赤、白の五月の花)


 涼しくなったところで下る。部分的に下り専用ルートがある。それでも、チャイの写真撮りでつかえる。いい加減にして欲しい。チャイのオバちゃんが、じっと待っている自分にけたたましく大声を上げてきた。何を言っているのかわからない。こちらも日本語でつい「うるせえんだよテメェは。邪魔なんだよ」と言って、脇をすり抜けた。しかし目に余る。

 車に戻って、次の遺跡エリアに向かう。ボロンナウラ。シーギリヤロックに登ったからどうでもいい気分でいる。道端に咲いている白い花、スリランカに来て以来ずっと気になっている。ガイド氏に花の名前を聞くと、何ともあっさりと「五月の花」とあっけない。こちらは正式名称を知りたかった。白い花とは別に紅い花があって、こちらもまた「五月の花」だ。白いのは英語、赤いのはシンハラ語でそれぞれに「五月の花」で区別しているようだが、何ともアバウト。

(その1)


(その2)


(その3)


(その4)


(その5)


(その6)


(その7)


(その8)


(その9)


(その10)


(その11)


(その12)


 風化しつつあるレンガ建ての遺跡。いくつかハシゴした。具体的にはガル・ヴィハーラ、パラークラマ・バーフ宮殿、クワドラングルなのだが、どこをどう歩いているのか。石の彫刻と狛犬ライオンだけが印象に残った。ここも裸足になった。ガイド氏の説明は左から右に抜けている。ローマの遺跡を見に行ったことがあるが、その小規模版といったところか。カンボジアにもこんなところがあった。自分にはその違いはよくわからない。同じ仏教をベースにしているのだろうけど。
 昨日見た丸い塔のミニチュア版を見てまた涅槃像。これがガル・ヴィハーラ。仏さまに合掌していたら視線を感じた。インド人観光客グループの中にいた少年がじっとこちらを見ている。場所を移動してもまだ見ている。よほど日本人が珍しいのだろう。だが、ああいう彫りの深い顔で見られると、まして仏陀の前にいる。何だか罪深いことをしているかのような錯覚になる。

(つい気になる)


(水量が例年の半分未満だそうだ)


 ランチはカレー。ご飯は赤飯のようなのを選んでみたが、雑穀の類ではなく米だそうだ。こちらの米、小粒でパサパサして、味付けをしないとおいしくはない。日本の米にこちらのカレーは合わないだろうなと思っていたが、ガイド氏によると、日本の米との組み合わせがスリランカでは評判なのだそうだ。ここでもまたライオンビールを1本飲む。暑いから、すぐに汗になり、酔いもしない。

(スリランカの女の子)


(その13)


 木彫りの店に寄る。買うものなんかないが、しつこいのでヒンズー教っぽい面を買った。先日、大きな何十万円もするイスを買った日本人観光客がいて、船便で送ったそうだがそういう人もいるんだねぇ。

(これで)


(牛らしい)


 オプションはMinneria National Parkでの象見物。四駆に乗って動物公園を回る。別に象が珍しいわけでもないが、もしかすると、ワニやら豹も見られるかもなといった期待はあった。四駆の車種はすでに30年以上の前の三菱ジープだったが、運転席は改造を施し、原型をとどめていない。それでも走りは確実なようで、これがインド車の四駆になると、頻繁に立ち往生だそうだ。

(群れから離れた象)


(いるいる)


(草を食べている)


 Parkの湖は昨年の8月以来、雨が降っていず、日に日に湖が小さくなっているとのことだったが、この時間帯はちょうど象が密林から出て来て草を食べる頃で、二つ目の湖畔では30頭ほどの群れが草を食んでいた。この時期のオスは発情期にあたり、5本足になっているオスもいて、ファミリーで来ていたら子供への説明で苦慮する。そのまま絵にでもされたら、親の立場も複雑になるだろう。一つ目の湖畔には水牛らしきものが群れでいたが、こちらは近づけず遠望。
 途中でカメラのバッテリーが切れる。後で見もしないようなビデオ撮りになんかしたせいだ。豹やらワニが出てきたら撮れないなと気になったが、いずれも現れず、せいぜいクジャクを目にしただけだった。
 このオプション、予約制のようで、ガイド氏が四駆ドライバー氏に電話で予約を入れた際、先方で100ドルだと言っていると言ってきたが、そんな米ドルの持ち合わせなんかないので、ここもまた日本円12000円となったが、ガイド→四駆ドライバー→公園事務所の構図がどういうことになっているのだろう。

 シルク地のショップに寄る。余計なものは買わない。日本で買ったシルクのシャツにせよ、洗いっぱなしでは着られもせず、アイロンかけたりと手間がかかる。値段を聞くと結構高い。観光客向けの価格なのだろう。ノーアイロン、ノーアイロンとしつこく言うので、つい1枚買ったが、帰ってから洗うと、アイロンなしでは着られないものだった。

 ホテルに戻る。明日は別ホテル。ツアー最後の宿泊ホテルになる。簡単に荷造りをする。テレビは相変わらずにトランプの中東訪問だ。同じ画像が続いている。アニメのチャンネルに変えると、色彩も内容もどぎついアニメ。テレビは面白くもない。
 今日の夕食は、昨夜に引き続き、客が少ないのでセットメニュー。昨日とは違うものを頼んだが、こちらもまた何とかカレーだった。

(四日目・5月23日)
 今日はキャンディに行く。ホテルから車で3時間。スリランカできれいな海を見たいなと思っていたが、北か南に行かないとダメなようだ。せいぜいコロンボの一角がきれいだとかで、今回はせっかくの島国なのに海とは縁のないツアーになっている。
 ガイド氏が迎えに来て、ホテルとの用事が済むまでしばらくボーイさんと話をしていた。ガイド氏が戻り、車に乗り込むと、おかしなことを言い出した。あのボーイさん、言っていましたよ。珍しいJapaneseだって。大方のJapaneseは、こちらから話しかけようとするとさっと離れて行ってしまうものだけど、あの人とはいっしょに話をすることができたって喜んでいましたよ。そんなことを言われてもねぇ。ボーイさんが迎えのカローラを指さして、TOYOTA、NISSANの車のことを言い出すから、日本では今はSUBARUが一人勝ちのようなものですよ。四駆の車ならSUBARUですわと言っただけのことだったのになぁ。スリランカの人はSUBARUのことを知ってはいても、実際に走っているのは、トヨタ、日産以外にホンダ、スズキ、いすゞだけだった。まぁ、どうでもいいことだが。

(金ぴかの大仏)


(タンブッラ石窟寺院へ)


 ホテルを出て、すぐにGOLDEN TEMPLEとかいう、金ぴかの大仏さんが置かれた寺の前を通って階段を登って行くと歴史を感じさせる寺院があった。これがダンブッラ石窟寺院。これまでの寺院と違って荘厳な感じがする。ここに置かれた仏陀の涅槃像の写真がずっと印象に残っていたようだ。石窟をいくつか回り、壁画やら仏像を楽しんだが、薄暗いところだったためか、帰ってから写真を見ると、ほとんどがピンボケになっていた。

(途中で)


(ここが石窟寺院)


(その1)


(その2)


(その3)


(その4)


(その5)


(その6)


 寺院もさることながら、ここは高台にある。見下ろす景色は素晴らしい。眼下に広がる密林は眺めているだけでも飽きない。ここならフリーで来たら、昼寝もまじえて日がな居てみたいところだ。

 ハーブガーデンに寄る。こんなところにたいして興味はないが、ツアーのセットメニューではどうしようもない。
 上半身裸になり、頼みもしないオイルを塗られ、マッサージを受けた。500ルピーでも払ってやってくれと言われたが、細かい持ち合わせがなく300ルピーを払う。
 身体がまたベトベトになったが、メンソレータムを塗られたに近いものがあり、決して不快感はなかった。続いて売り込み。ガン、糖尿、血圧、コレストロール、脱毛、育毛…何でもありだ。スリランカの人にガンになる人はいないの?と聞くと、苦し紛れに「いますけど、少ないですね」の返事がかえってきた。
 昼食はここのガーデンで食べた。ガイド氏に、いっしょに食べましょうと誘い、お願いがあるのですがと、カレーを手づかみで食べていただいた。普通、外国人の前ではスプーンで食べるが、日常的には手づかみだそうだ。手もまた右手と決まっていて、そのために、スリランカ人の右指の爪はいつも短くしているとのこと。昨日のシルク屋の女性は爪が長かったけどと言うと、若い人や女性はスプーンを持つようになっているとのことだった。

(学校が終わったらしい。送迎の車で混んでいた)


 次の買い物スポットは宝石博物館。日本語のビデオを見せられる。ここに至ってはまったく興味がない。店員に声をかけられる前にさっと次のコーナーに行き、浅く見回し、ガイド氏に、じゃそろそろ行きましょうかと声をかける。女性ならそうはいかないだろう。つい買い得といった感じになってしまうはず。その結果が高いキャッツアイか。

(市場)


(市場2)


(キャンディの町)


(日本と違って、クラクションがけたたましい)


 キャンディが近づく。人がごった返している。騒音もすごい。この後は仏歯寺とキャンディアンダンスという民族舞踊を鑑賞するのだが、6時からの開演とかで、まだ3時間もある。ガイド氏も時間を持て余し気味に市場やらデパート、英領当時のホテルを案内してくれたが、こんなところをブラブラしているのがむしろ楽しい。

(仏歯寺)


(仏歯寺その1)


(その2)


(その3)


(その4)


 仏歯寺は、その昔、仏陀の歯をセイロンに持ち込み、やがてここに奉納されたという寺だが、歯を見られるわけではない。裸足になって見て回る。
 ここもまた由緒ありげな寺で、信者が大勢入っているし、ヨーロッパ系の観光客も多い。やはり中国人観光客はどこに行っても目立つ。一人で静かにというのはあり得ないようだ。隣にキリスト教の教会があるのは、何だか知らないが、バランスをとるために置かれたとかガイド氏は言っていたが。

(ダンス)


 キャンディアンダンスとはいっても、この種の民族舞踊はどこに行っても見る。最後は大抵、火を使ってのフィナーレになる。自分はこういうのにさほどの興味がない。プログラムを見ると、ここもまた1時間10部構成で、最後が火祭りになっている。まずはトイレに行くと、出る際にチップを暗に要求された。20ルピーを渡す。自分は手も自分のハンカチで拭い、何もサービスは受けてはいない。まぁ、そういうお国柄だ。
 ガイド氏が気を遣って舞台寄りの指定席にしてくれていたが、その席は左右上下に挟まれ、途中から出づらい席になっている。当初から最後まで見るつもりはないので、後ろのフリーの席に行って踊りを眺めたが、舞台に、典型的なスリランカ美人と思しき女性が出ていたので、ちょっとばかり見えづらく後悔はした。予定通り火祭りも見ずに30分で切り上げる。

 今夜の宿は山の中にあるホテルだった。もうスリランカ最後の夜になる。ガイド氏の実家はキャンディにあるらしく、実家に帰って行った。ドライバー氏は下の宿だ。
 この宿、ようやくまっとうな湯が出た。浴槽もあったので、湯を湛え、持ち込みのバスクリンを入れ、これまた持参のアカこすりを使って二回続きのオイルを丁寧に落とす。
 夕食は相変わらずのカレーメニューだが、レストランは中国人が10人ほどいて、えらく騒がしい。まったく落ち着かず、早々に部屋に戻る。
 テレビではイギリスのテロ事件をやっている。すごい騒ぎのようだが、ここのテレビの国際放送チャンネルはBBCとアニメだけで、あとは地元テレビと中国語放送。他に見るものがなく、プロレスをだらだらと見ていた。

 さて、このホテル、Wi-Fiが部屋では使えない。スポットがいくつかあるのだが、そこに行くと、決まって日本人の女性がスマホをいじくっているか、中国人がたむろしている。仕方なく5分程歩いてフロントまで出かける。これを3度ほど繰り返す。目的は明日の帰国便のオンラインチェックインをするためだが、何度やってもメンテナンス中と出るのであきらめる。そのうちに雨も降り出し、走って部屋に戻る。

(五日目・5月24日)
 5時に大声で起こされた。言わずと知れたチャイのおしゃべり。2つ隣の部屋からの声らしいが、これが、壁伝いではなく、音声が一旦廊下に出て、こちらの部屋に吸収されて響いてくる。男どうしだから余計に始末が悪い。
 もう寝られなくなった。パジャマを脱いで着替え、Wi-Fiスポットに行き、スリランカ航空のHPを見る。まだメンテナンス中になっている。24時間前から可能なオンラインチェックインだ。大分時間も経由している。もしかして日本語ページだからかなぁと思い、英語のホームページを探すとすんなりとチェックイン画面が出てきた。何だこれ。ろくな席はなかったが、いくらかましな席を指定した。とはいっても、実際のところ、成田だから長い列になっているだけのことで、こちらでチェックインする際には並ぶこともなく、空いている窓口にすんなんと入れた。

(スリランカ猫)


(これも五月の花か)


 部屋に戻る。チャイのおしゃべりは依然として続いている。湯を沸かし、カップうどんと米の粥を食べた。このまま持ち帰るのは嫌だった。かさばってもいた。さりとて、朝夕食付きのツアーだ。もったいないので、レストランに行って、果物を食べ、コーヒーだけは飲んでおいた。ここで初めてスリランカの猫を見た。ツアー中にあちこちで見かけ、顔だけは見知っている日本人観光客も4人ほど。シーギリヤのホテルでもいっしょだったか。
 ドライバー氏一人で迎えに来た。彼は日本語は知らないが、英語は普通に話せる。スリランカでは英語の授業を小学校からやっている。なかなかのハンサムだが、御多分にもれず、典型的なスリランカ人、お腹ポッコリが何とも気の毒だ。
 ガイド氏の実家の近くでガイド氏を拾う。今日はコロンボに向かいつつ、観光スポットに立ち寄りということになる。観光スポットとはいっても、今日のメインは象の孤児院しかないし、あとは紅茶工場くらいのものだ。

(紅茶工場)


 まずは紅茶工場。ここもまた工場見学をしてお土産買いという流れになる。土産に紅茶くらいは買って行くつもりでいた。工場スタッフがいろいろと説明してくれるが、こちらはほとんどうわの空。別に紅茶をここで買う必要もないのだが、空港で探し回るのも面倒で、ここで紅茶を買う。試飲した紅茶は薄く、あまりおいしくはないなとは思ったが、自分で飲むわけでもなし、土産は気持ちの問題だからとつい多めに買ってしまった。
 途中、皮工芸の店に寄った。キィホルダーでも買おうかと見てみたが、皮そのものは良質のようだが、金属部分にサビが付いているものばかりだ。これではきたならしいので、せめて自分用のスリランカ土産にとサンダルを買う。

(象の孤児院のトイレ。左に尻洗いシャワーがある)


(象。居残っている象はケガをしているらしい)


 そして象の孤児院。元々はケガをしたり、親から離れた子象を保護した施設だったようだが、今では、ここで生まれた象も育て、野生に返すということはしていないらしい。見た目は普通の象ばかりだ。
 ここの入場料もまたおかしな具合になっている。スリランカを含めたインド周辺の国々(SAARC)の人は700ルピー、その他外国人は2500ルピーで、子供はそれぞれの半額になっている。
 園内は広いが、見られるところは限られていて、たまたまこの時間は水浴びに出ていて、問題のある象が何頭か居残っているだけ。あっさり回って、道路を挟んで反対側を川の方に行く。ずらりと土産屋が並んでいる。

(象の水浴び)


(これも)


(孤児院に帰る)


 川ではざっと40頭ほどの象が水浴びをしている。観光客も多い。この水浴び、日に2回はやるようで、そのたびに園の方から多数のスタッフが連れて来るようだ。
 ちょっとした疑問が残った。今回は時間的にそうではあったが、象のいない園に行かずとも、ここにまっすぐに来れば、水浴びの象をただで見られたのではないだろうか。

 カレーの昼食を食べる。最後のダメ押しカレー。これまでで良かった鳥肉のを選んで食べた。

(市内観光1)


(その2)


(その3)


 コロンボ市内に入る。ドライブで流しながらの市内観光。なかなか近代的な町だ。高層ビルも並んでいる。町もきれいだが、ちょっと路地に入ると、やはりバラックのような家が続く。

 ガイド氏、もう回るネタが尽きたのか、苦慮している気配。とにかく、こちらは食事がさっさと済んでしまうから、時間の配分がとれなくなるのだろう。フライトは19時15分だったが、もういいですよと、空港に行ってもらった。5日間、ありがとうございました。おかげさまで、スリランカ旅行を満喫できましたよ。ありきたりのツアーの中の一人客だったら、こんなに自由な雰囲気での旅行も楽しめもしなかったろう。

(コロンボ空港にて)


 さて、空港に入ったら、タバコを吸いながらネットで時間つぶしをするつもりでいた。あっさりとチェックインをして、中に入る。出国手続きも並ぶことはなかった。だが、中に入ると、タバコは吸えなかった。軍人みたいな人にタバコの吸い場所を聞くと、あっちだと言うので行ってみると、喫煙場所なんかない。今度は空港のインフォメーションに座っていた男性に聞く。そんなものはないよと笑われた。
 せめてネットだけでもと思ったが甘い。Wi-Fiの電波は弱く、自分のタブレットでは電波を拾わない。出発まで何とも長かった。ビールでも飲もうとしたが、ビールを飲めばタバコも吸いたくなる。我慢した。
 免税店で時間つぶしをしようにも興味のひくものはない。タバコを買おうとすると、マイルドセブンはあるものの、自分の吸うタバコは置いていない。

(帰国の途に)


(六日目・5月25日)
 帰りのフライト時間は8時間30分。寝られたのでさほどに長くは感じなかったが、隣のスリランカ青年がやたらと棚の荷物を出し入れするので、そのたびに起こされた。
 成田着7時40分。先ずは喫煙場に向かった。一服でクラクラっときた。立て続けに2本吸う。
 バスは9時15分発。1時間半待ちだ。外は雨が降っている。
 がらがらのバスに乗る。乗客は4人。館林で1人降り、あとは3人とも太田のバスターミナル。大泉も邑楽にも止まらなかった。
 家に着き、チューハイを飲んで横になっていたらそのまま寝てしまった。今夜は口直しのカレーライスにしてもらおうか。

※旅行から帰って知らずにいたが、帰国した翌々日にスリランカで豪雨があったらしく、数百人の犠牲者が出たようだ気ままな旅行をしてしまったが、何だかお詫びを申し上げたい気持ちになっている。

船ケ鼻の昭和村ルートは赤ペンキで賑やかなコースだった。

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◎2017年6月4日(日)

駐車場(7:11)……動物たちへの合図の鐘(7:38)……大楢の木(8:23)……つつじ平(8:45)……鉄塔(8:51)……牛石コース分岐(8:55)……船ケ鼻(9:06~9:14)……崩壊地(9:40)……沼田通り分岐(9:58)……1366m標高点(10:32)……林道合流(10:57)……牛石コース合流(11:36)……作業道分岐(11:42)……駐車場(12:31)

 土曜日にちょっと長い歩きをするつもりでいたが、直前になって都合が悪くなり、終日、家で留守番をしていた。さりとて翌・日曜日にロング歩きをするわけにもいかず、3月末に積雪が多くて途中で撤退した船ケ鼻の昭和村ルートのリベンジ歩きをすることにした。
 実は、一週間前に高木から船ケ鼻を誘われ、その気になっていたのだが、前日に詳細を聞けば、群馬県山岳連盟主催の山行で、彼はそのスタッフのようで、コースは大沼側からのピストン、さらに参加者は80人とのこと。どうも自分には似合わない歩きなので、行くのはヤメにしていた。

(今日の船ケ鼻)


(反対方向。谷川岳は雲の中)


 シカ除けのゲートを開いて駐車場に向かう。7時になるというのに、車はおろか、人の気配がまったくない。昭和村がせっかく整備したハイキングコースなのに、利用者は少ないようだ。
 地下タビを履くのに手こずった。いつもならコハゼがさくっと収まるのに、今日は勝手が違う。厚い靴下を履いたせいだろうか。無理矢理に差し込んで出発したが、ちょっとばかり嫌な予感がする。

(オシダが生い茂る。)


(鈴ヶ岳が見えてくる)


 3月の風景との違いは雪の有無程度のものだが、周辺にはシダの仲間がやたらと繁茂している。これ、オシダというのだそうだが、子供の頃には、喰えないワラビがこうなるものとばかりに思っていた。オシダはこの一帯の裾野に延々と暮らしていて、さながらオシダの森といった感じになっている。霧雨でガスが濃い時は不気味な光景になるかもしれない。

(「幸福の鐘」に難なく着いた)


(明瞭な道が続いている)


(湿っているだけの沢を渡る。まだペンキのうるささは感じていない)


 「動物たちへの合図の鐘」(幸福の鐘)に到着。鐘を3回叩く。前回はここまで50分。今日は30分もかからなかった。ただの林道歩きなのに、雪の有無でこうも違う。
 この先、明瞭な道が続いていた。3月の時には赤ペンキ、テープ頼りに歩いていた。こうもはっきりした道になると、むしろこんなに目印ペンキが必要なのかと思うようにもなる。これが山頂まで続き、しまいにはうっとうしくなってしまった。ペンキの塗り方もまたバカ丁寧というか、ベットリとぶ厚く塗っている。とにかく、目に付くものには先ずはペンキ塗りといった感じで、これでは、静かな山歩きを楽しむといった気分からは程遠いものになってしまう。
 今日は、往路は楢水コース、帰路で牛石コースの一部を歩いたが、少なくとも歩いた既成コース区間には赤ペンキが延々と続いていた。

(ガンバろうの岩)


(3月の時にはこの辺で苦戦して撤退した。これではちょっと信じがたい)


 冬枯れと、この新緑の時期とでは森の風景も違うが、点在する岩を見て、3月の歩きを思い出す。「ガンバろう 山頂→」の標識も健在だ。前回撤退した場所にさしかかる。手がかり、足がかりもなく先に進めなかったが、今は苦も無く道通しに登って行ける。少し急になってきたが、要所にロープも張られているし、クネクネと上に向かい、急登であえぐといったほどのところはない。

(次第にペンキが気になりはじめた。道はしっかりとしていて迷いようもない)


(大楢の木)


 「大楢の木」に到着。標識には「推定樹齢100年以上」とある。これがナラの木として巨木の部類に入るのかどうか、自分にはよくわからない。ここは何となく落ち着くところだ。これまでのちょっとした登りから解放されるといった気分的なものもあるのかも知れない。

 大楢の木を過ぎるとゆるい登りになった。さすがにオシダは少なくなった。単調な風景が続く。たまに奇怪な鳥の鳴き声を聞いてはびくりとする。さて、今日は肌寒い。気温計を見ると13℃くらいしかない。上に行くにしたがって風も出てきているから、余計に寒く感じる。今日は上に被るものも持ってきていない。合羽を着ようかなと思ったりしたが、結局は面倒でそのままで歩いた。やはり薄いシャツだけでは足りなかったようで、家に帰ったら、鼻がつまり、風邪気味になってしまった。

(こんな標識には、地元の熱意も感じるのだが)


(こんなのや)


(こんなのではべタ塗りと同じだ。いくら何でも山がかわいそうだ。切り株はそのままにしておけばいいのに)


(ペンキさえまばらなら気持ちの良い歩きができるのに…)


(不平タラタラで歩いていると、突如としてこんなのが出てきた)


(群生になっている)


(いいねぇ)


(上に標識があった。「つつじ平」とある)


 「ガンバレ ガンバレ 山頂→」の標識を見て、ほどなくして森から抜け出すと、突然、赤い花の群落が目に入った。ヤマツツジか。今日は期待もせずに来ただけに、これには正直うれしかった。ツボミも結構あるので、ここはこれからか。道標には「つつじ平」とある。なるほど。伐採地だったようで、展望が良い。榛名方面の山並みが見えている。一回、こういうツツジを見てしまうと、欲望も限りなくなるものだが、結局、まっとうなツツジを見たのはここだけだった。

(巨大な鉄塔)


(ここは鐘の鳴る丘といったところだ)


 先に行くと、左手に鉄塔が見えてきた。あれが巨大鉄塔か。東電東群馬幹線57。あにねこさんの記事には、高さ122mとある。下から眺めている限りは、せいぜい50~60mにしか見えない。ずっと上を眺めていたら、首が痛くなった。
 ちょっと賑やかなところに出た。ここで牛石コースと合流する。ここにも鐘がある。ふと左手を見ると、さっきの鉄塔の近くに軽トラが1台。何とも興ざめなシーンだが、地図を見ると、下から実線の道が上がって来ている。それがつまりは牛石コースで、車道利用ということのようだ。

(「わらび平」から)


 軽トラは無人。作業か山菜採りか。その傍らに「わらび平」の標識があったので行ってみると、ここもまた伐採地跡らしい。北から東にかけての好展望地だ。ただ、今日は雲が低く、遠望がきかない。鐘のところに戻り、切り株に腰をおろして菓子パンを食べる。

(そして船ケ鼻山頂。何だかごちゃごちゃしている。中央奥が山神様)


 ここから船ケ鼻山頂までは500mとあったが、せいぜい300m程度のものだった。そのためか、ここが山頂か?と通り過ぎるところだった。
 山頂には、木製の山神様と真新しい社が置かれている。いずれも、昨年歩かれたあにねこさんと仮面林道ライダーさんの記事写真には載っていないから、ごく最近設置されたものだろう。いずれも、この場にそぐわない浮いた存在に見える。山頂まで赤ペンキで賑やかにして、ここでまた村祭りにしているのではどんなものかなぁと思ってしまう。

 さて、ここから車道を兼ねた牛石コースを下るつもりはない。野坂峠までは行かないが、あにねこさんとライダーさんの真似をして、この先の破線路を下るつもりでいる。この破線路、「沼田通り」という古道らしい。この沼田通り、北側で二俣になっているが、いずれが正解かは自分にはわからない。ともに林道に吸収されている。

(立入禁止区域に入る)


(期待するほどではない)


(ゴツゴツしてくる)


(白いツツジは地面で見た)


 平坦な尾根を先に進む。尾根幅が狭くなり、岩が出てくる。赤ペンキはこれまでと違って大幅に減少。ところどころにヤマツツジを見るが、かろうじて残っているレベルで、ピンクも含めて大方は下に落ちている。たまに白いのを見つけて見上げると、これが緑の葉にかくまわれ、写真に撮ったところで、光で白はまったく映えていない。
 北面道路を走るバイクのエンジン音がうるさくなってくる。向かう方向から二人連れがやって来た。船ケ鼻ピストンだそうだ。ダンナさんは息を切らせているが、奥さんの方はお元気で、今日のコースをいろいろと聞いてきた。
 たまに右手の展望が開ける。鈴ケ岳も間近になっている。右側は急斜面になっている。このまま崩壊地に続いているのだろう。

(宮標石)


(崩壊地から。地蔵岳は自分ですら電波塔で識別できる)


(崩壊地。右を下って来たが、左下は削れている)



 宮標石があった。利根郡、勢多郡の文字は読めたが、もう一つが読めない。ここは渋川市と昭和村の境界だ。
 ロープが出てくる。小ピークに出て下りかけると、ここが崩壊地。崩壊は右。左は問題なく通れるので、通過に危険が伴うほどのものではないが、上から見ているよりも、先に行って上を覗いた方が崩壊の激しさが窺い知れる。ここは展望地でもあり、地蔵岳も見えてくる。
 この辺にある小ピークが和久土也山と言うらしい。以前、和久土也山(北面道路を挟んだ東側ピーク。1400.4m三角点峰)に行こうとして、ネットで調べると、この付近にも和久土也山というのがあった。しかし、ありきたりな山名ではない。併存するというのもおかしい。どちらかが間違っていよう。

(後で考えると、ここの町境をそのままに下ればよかったかも)


 その先、赤ペンキの目印とともに、左に踏み跡が続いている。地図を見ると、1460mから北に下る尾根になっていて、昭和村と沼田市の境界線が通っている。どうせ同じところに出るのだから、これを下るのもいいかなと思ったが、それでは沼田通りがなくなってしまう。行きかけて戻った。

(1480m小ピーク。ここから北に下る)


 正面に野坂峠と薬師岳が見えてくると、1480mの小ピーク。ここから北に下る。地図に破線路があるとはいっても、地形的に尾根伝いとか沢沿いになっているわけではない。必然的に踏み跡、テープ類の追いかけとなる。コンパスを合わせて下る。

(初っ端からえらく薄い踏み跡)


(ササのないところでは一時的に明瞭になったりする)


(ペンキもあってまだわかるが、すでに古道の破線からは外れている)


 しばらくはうっすらとして踏み跡と古い赤テープ、ペンキが残っていて追うことができた。だが、GPSを見ると、すぐに破線路から東に外れてしまっていた。破線路方向に戻ろうとしたが、そちらに確実なルートが残っているとも思えない。このまま行くことにした。これで沼田通りはあっ気なく終了。

(おかしな方向に下っていた。写真では撮れていないが、右先は谷底になっていて、かなりヤバい状況になっている)


(這い上がる)


 どこでどう間違えたのか、踏み跡のつもりで窪みを追って行くと、急峻な谷間に入り込み、さらに下ろうとしていた。目印を見ることもなくなって久しい。コンパスを出すと、90度違いの方向に向かっている。北に行くべきを東に下っていた。軌道修正して登り直すが、斜面はもろく急だ。四つん這いになって幾分平らな尾根上のところに出た。ここでペンキが復活した。ここなら安心と、GPSで確認すると、予定外の1366m標高点下にいた。下から60mほど登り上げたようだ。

(1366m標高点付近。まさかライダーさんの後追いになるとは)


(目印に合わせて下る)


(左に作業道のようなものが覗いている)


 1366mで休む。ライダーさんはここを通過されているから、もう問題はないだろう。しかし、沼田通りからは大幅に東にずれてしまった。
 結局は尾根筋を下ることになった。踏み跡も目印もある。左・西側を見ると、ここよりも低くなっているところに作業道らしきものがチラチラと見えるが、どうせこのまま行っても林道に出るだろうと、そちらには行かなかった。後であにねこさんの記事で確認すると、その作業道は沼田通りが二俣になった東側の破線路のようだった。

(林道に出る)


 林道に出てほっとする。今日もムダな歩きをしてしまったか。こうなるのなら、地形がはっきりした境界線を下るべきだったようだ。
 林道に出て歩き出す。すぐに先ほど見えた作業道が左から合流。その先、カーブのところで二俣の西側の破線路入口を覗いてみる。テープがあるところに入ると、テープはすぐになくなり、うっすらと道型が残っている。しかし、これは方向違いで南に向かっている。南東側を調べると、こちらにも道型のようなものは見えたが、すぐに消えている。つまり古道は残っていないということだろう。ということにしておく。

(振り返って。左からやって来た。右から牛石コース。間の岩はあにねこさんによると牛石らしい。気になって戻って見直したが、どの角度からも牛には見えなかった)


 林道はいつしか舗装道になって、左から牛石コースの分岐道が入ってくる。道標には登山口まで3.7kmとある。あと1時間は歩かないと。このまま舗装道を歩くのはつらい。持参したスニーカーをザックから出すと、左足のソールがガバガバに剥がれていた。これでは小石も入る。地下タビのままの方がまだましだ。

(作業道に入る)


(三つ目の鐘)


 結果として余計な心配だった。牛石コースは先で林道から分岐し、作業道のような道をずっと行くことになり、足の痛みを危惧することはなかった。しかし、この作業道に入ってからもうるさい赤ペンキをあちこちで見かけた。
 途中でまた鐘を見た。楢水コース、牛石コース合わせ少なくとも3か所に鐘が置かれている。考えようによっては、ペンキも含め、賑やかな歩きが好きな方には向いているかもしれない。

(雰囲気の良い歩き。轍があるのが気に入らないが)


(ここでまた出口のドアを開ける)


(子持山が正面に。ちょっとした尾瀬の風景)


(車が増えてはいるが、何だか寂し過ぎないか)


 シカ除けゲートを出ると真正面に子持山。辺りは広々としている。駐車場に戻った。
 駐車場には、まさか自分の車だけということはないだろうと思っていたが、他に4台の車があった。いずれも群馬ナンバーだ。計5台か。日曜日だというのにやはり寂しいコースなんだなぁ。

 外のゲートは開いたままになっていた。ここを締めるべきか迷ったが、もし地元の方がやったことだとしたら余計なことをしてということにもなる。そのままにしておいた。
 時間は早いが、他に用事もないので高速でさっさと帰る。今さらながら、あにねこさんのように、薬師岳まで行けば良かったかなと少々後悔している。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

滝沢から小法師岳へ

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◎2017年6月10日(土)

庚申ダム駐車場(6:42)……滝沢入渓(7:06)……1090m二俣分岐(9:13)……巣神山分岐(10:11)……1425m標高点(10:34)……1526m標高点(11:08)……小法師岳(11:40~12:07)……巣神山分岐(12:50)……1326m標高点(13:00)……夜半沢(13:30)……車道(14:25)……駐車場(15:01)

 梅雨の時期とはいってもここのところの暑さ、長い尾根歩きには抵抗もある。さりとて本格的な沢歩きやら滝見となると本業でもなく、お仲間がいない限りは満喫の沢歩きは無理な話で、地味な沢の探索が無難といったところに落ち着く。その地味沢だが、以前から目を付けていた沢がある。<滝沢>。地形図にもしっかりと名前が記されている沢だ。名前だけは立派だが、沢歩きの方や、釣り人には見向きもされない沢のようで、典型的なショボい沢の類いだろう。ネットでの遡行記録は皆無。それでいて庚申川にそそぐ一連の沢として名前だけは登場する。
 3月に庚申川西側の未踏尾根(ここでは以下「滝沢左岸尾根」とする)を使って小法師岳に向かった際に記したブログに、足尾のRRさんから「滝沢にも明瞭な作業道が源頭迄続いていますが…」とのコメントをいただいた。以来、その作業道が気になっていた。きりんこさんも同様のようで、足尾優先歩きの自分としては興味津々で、差し出がましくはあるが早々に歩いてみるつもりでいた。
 この辺の地味な沢、今倉沢、畑沢、巣神沢と一通り触れてはいるが、あたり前ながら、滝見以外で「充実」、「満足」に似た気分を味わったことはない。巣神沢に至っては小滝すら目にすることもなかった。この滝沢とて同じだろう。しかし、巣神山の南東部側、歩きのネタがないのもまた然りで、滝沢左岸尾根すら苦肉の策といった感がある。この滝沢遡行も何とか見つかったネタといったところだ。

 庚申ダムの駐車場で準備をしていると、3台ほど車が上がって行った。庚申山とは限らない。かじか荘工事で入る人もいる。コウシンソウはまだ早いか。いつものように地下タビを履きかけたが、考えてみれば、これ、まずくはないか。ショボい沢とはいえ水の中を歩くこともあるだろう。ラッキーにいきなり作業道にめぐり会えるとも思えない。布の地下タビではあっという間に足もふやける。登山靴に履きなおした。この登山靴とて布製だが、少しはマシか。

(浄水場に向かう道に入る)


(「足尾町南部簡易水道浄水場)とある)


(パイプとトラロープを伝って渡る)


 滝沢にかかる橋の下からすぐに入渓するつもりはない。ましてすぐ上に堰堤が見えてもいる。左岸側にある浄水場に向かう道を利用し、沢の様子を窺ってからの入渓とする。実はこの道、立入り禁止になっている。
 浄水場の前を通過。舗装から未舗装になり、道幅も狭くなったがまだ先まで行ける。これが上まで続く作業道かなといった淡い思いになったりしているが、やがて斜めの踏み跡になる。右手(沢の左岸側)は急斜面になり、石がゴロゴロとしたところになっていて、前回歩いたところもそうだったが、かなり広い範囲の石ゴロ地帯になっているようだ。
 これは浄水の施設か、鉄の階段、そして網状の渡しが出てくる。階段はともかく、渡しが鉄とはいえ怖い。いつ足がすっぽ抜けるか気が気ではない。4mもないものだが、手すりロープと太い水管に信頼をおいて必死に渡った。真下の沢からは3mほど上になっている。渡りきって沢に出ると、正面に堰堤が見えてくる。まだあったか。

(堰堤があった)


(ふんばって降りる)


(ショボい沢にふさわしく、何だかきたなそうな沢だ)


(上の写真に覗いていた小滝というか流れ)


 沢に下りて、右岸側の作業道を行く。この時点で左岸側はすでに石ゴロ帯から垂直の岩壁続きに変貌している。
 この堰堤、その先の沢が見えていたので、ただの障害物程度に思っていたが、堰堤上に立つと、その先には階段も鉄のステップもない。段差2m以上はある。飛び降りは厳しい。巻くしかないかと、左手の草付き岩場を登ってみたが、どうも足元が悪く、先には行けそうもなくさっさと退却。この時点で、必要もないだろうとヘルメットもしっかりしたロープも持ってこなかったことを後悔した。
 この堰堤を越えたら、元には戻れまい。躊躇したが先に行く。覚悟を決め、ザックを下に落とし、両足を左右に突っ張って下りる。両手はヘリにかけていたから、実際に飛び降りた落差は40~50cm程度のものか。ザックを回収し、さらに滑りながら沢に出た。見上げると、あのままトラバースして越えられたかなと思ったりしている。

 早々にノドカラになり、この沢、舐めてかかったなと後悔なんかしたが、まだほんのさわり部分だ。この先の沢の様子はどうもきれいとは思えぬ荒んだ風景になっている。倒木が目の前にある。ぬるめながらも水量はありそうだ。このまま登山靴では行けまいと、使うことはないと思っていた沢靴に履き替える。この先、適当なところで滝沢を切り上げ、右岸か左岸の尾根に逃げた方が無難か。さりとて、左岸が断崖続きではなぁ。両岸ともになだらかに思っていたが、地図を改めて確認すると、左岸側、等高線が50m分そっくり消えているところもある。しばらく左岸側に期待はかけられない。

(下段の滝)


(上段部)


(見下ろして。8mもないか)


 沢靴になっても、ヌメリがやけに滑る。苔付きを拾って歩くことにする。先に行くと4mほどの滝が現れた。だが近づくと、その上にも滝があり、2段8mといった感じで、さながら滝沢大滝といったところか。
 ここは右岸側から越えられそうだが、いざ取り付くと、ズルズルと滑る、こりゃやっかいだなと一旦下に戻って眺めると、何やらトラロープのようなものが上に垂れているのが見える。魚がいそうな沢にも思えず、おそらく作業用のものだろうが、これを使わない手はない。何とかズルズルをこらえてロープの先っぽをつかんだ。ちょっと不安の残るロープだった。信頼1/3にして一段目の滝をクリア。続いて二段目越えにかかる。ここにもロープが用意されていて、頼らずにクリアしかけたが、やはり滑ってロープでの小巻きとなった。

(それなりの景色)


(ボケ撮りで残念)


 ヤレヤレ。この先もこんな滝が頻発するのではと不安にかられたが、あとは小滝の連続で、あるいは小滝と呼ぶほどのものでもなかったか。いつしか左岸の断崖も消え、急な斜面ながらも、左岸側にも逃げ場は見い出せる状況になった。ちなみに、左岸側はスギの植林、右岸側は自然林になっている。

(左岸側の踏み跡)


(何の目的か、今は役立ってもいないのだろう)


(左岸側の植林)


(振り返って明瞭な道)


(たまに小滝も出てくる)


 その間、今回の目的の一つ、滝沢歩道の探索を進めたが、自分にじっくり追うという姿勢が欠けているため、左岸側にそれらしき踏み跡を見つけて追いかけたが、崩壊やら沢に消えては右岸側に移ったりと、右往左往の歩きになっている。そのうちに右岸側にブルーのネットを見かけ、行ってみると、踏み跡はないといったパターンが続く。基本はやはり植林帯の左岸側だろうとは思うが、中には上に向かうものもあって、これでは3月に歩いた尾根に出てしまいそうだ。結局、沢に戻っての遡行となる。たまにナメのところがあったりし、そこで遊んでみたくもなるが、足をかけるとやはりヌメリで滑ってしまう。

(地図上の水線切れのあたり)


(大石ゴロゴロ)


 8時4分、地図上の水線切れのところに差しかかる。水は依然として続いている。そして大石がゴロゴロしてくる。せまっ苦しい沢ではないので、適当に水のない岸に上がって難なく先に進むことはできる。

(これはしばらく続いた)


(コケも付き出した)


(古い一斗缶)


 どこから現れたのか、これまでとは違う明瞭な道型が左岸側に出てくる。990m付近。右後ろ上から下って来る作業道を吸収したりしている。もしかして、RRさんのおっしゃる作業道はこれか? 左岸尾根を歩いた際、急登を避けるべくテープに導かれ、結果的に危うい思いをすることになった時に見た作業道は、案外、他の細かい作業道も含め、ここに至っているのかも知れない。
 ここからしばらくは左下すぐに沢を眺めながらの歩きになる。きれいそうな流れがあれば、沢に下りてパチっといったところだ。沢の水は水量を減らすことなくダラダラと続いている。ところで、この作業道周辺、普通なら作業用のテープで賑やかなと所だろうが、たまに赤ペンキを見かける程度のもので、整然とした静けさが漂っている。間伐もまたさしてない。それでいて、真新しい大型のフンや皮ハギを見ると、やはりここにはいるんだなと、つい「タカギー、オメェ、ドコニイルンダヨ。グズグズシテンジャネェヨ!」と一人大声を出さずにはいられなくなる。スズを2個鳴らしているとはいえ、その音は沢の音でかき消されている。ふと気づいたが、谷間のハルゼミの鳴きがすさまじい。これが小法師岳山頂まで続く。沢を離れてもスズの音は出番のない状態だった。

(左岸側の崩壊地)


(しつこく)


(また復活)


 右手に崩れた斜面を見ると、明瞭な道型も消える。あとは気まぐれに道型が復活したり、残置ワイヤーが出てきたり、ピンクテープを見たりする。ただしテープはこれきり。他に薬莢、茶碗のカケラ、捨てられた古いペットボトルといったところか。真新しい足型も見つけた。クマかと訝しんだが、靴型になっている。間もないものだ。ハイカーとは考えづらい。これはすぐに消えた。こんなのを目にしながら登っている。また明瞭な道型が復活しては消える。

(沢の二俣。上が本流。下を辿る)


 沢は1090mで二俣になった。休憩を入れて地図を見ながらこの先を検討する。左俣が本流のようで、右俣は水が滲んでいるレベルだ。ここまで来たら、滝沢歩道の探索はもういいか。あまり意味のあることをやっているようにも思えなくなってきている。左俣を進めば、巣神山歩道合流近くで道型が復活し、やがてきりんこさんが見られた赤ペンキに至るのかもしれない。自分としては、むしろ右俣から左岸尾根の防火線に出たい気分になっている。右俣を選択するか。余談だが、ここで休む際、腰かける手頃な石や倒木がなく、たまに乾いた石を見ると、いずれにもシカフンが載っていて、結局は苔付きの石の上に座ったが、たちまちのうちにズボンはぐっしょりになってしまった。ヒザ下はすでに濡れているので気にするまでもなかったが。

(こんな感じ。すでに植林帯ではなくなっている)


(徐々に沢型が消えかかる)


(右俣部はこれで終了)


 1125mあたりで水は消え、沢型もしだいに両サイドの高さに同化しつつある。ここでまた足型を見る。そして、また、薬莢と、ここでシカをさばいたらしき跡。古い骨と毛の塊。臭いすらない。道型がすーっと通っている。これはシカ道かもしれないが、沢型を辿っている方が歩きやすい。いつの間にか左岸側の植林は消え、全体が自然林になっている。
 傾斜がなだらかになり、1300mあたりで沢型も消えた。そこはちょっとした広い空間になっていて、手頃な幕営適地に思えるが、水場はかなり下らないといけない。

(シカ道を辿る)


(すでにアップでは堪えられなくなっている)


(防火線に出る)


 ここまで来れば、左岸尾根延長の防火線もすぐそこだが、意識的にその先に出ようとする。おそらく、自然林から抜け出せば日が照って暑いことだろう。少しでも長く日陰の中を歩きたい。地形はすでに尾根も沢も区別がつかなくなっていて、方向だけを合わせて歩くが、ちょうど、先ほど見かけた道型が先に続いていて、これを辿ると、左岸尾根上の防火線に出た。10時6分。出発から3時間半近くかかってしまった。遅いのか並みなのか、ここを歩いた記録を見ることはないのでどんなものなのか。
 余計なことだが、防火線に出るまでは平らな斜面が続いていて、逆にここから沢に下ろうとすると、かなりやっかいなことになるかもしれない。GPSを見っぱなしの歩きが無難だろう。

(巣神山分岐)


 ハルゼミの鳴き声が一段と高まり、やはり尾根は暑いなと感じながら歩いて行くと巣神山からの歩道に合流。ヤマツツジが残っている。かなりの色あせ状態。ここに来るまでにもいくつか見てはいたが、残っている花よりも落ちている花の方が多い。足尾のひっそり山も、もう花よりも新緑の時を迎えている。
 小法師岳に向かう。林の中から飛び出し、一気に暑くなったせいか、何だか身体がだるくなり、足が重くなってしまった。このまま巣神山経由で帰ろうかとまで考えたが、それでは3月の二の舞になってしまう。ここは我慢のしどころで、ノロノロ歩きになっても仕方ない。とにかく小法師岳まで行こう。今日のメインの目的は小法師岳に行かない限りは達せられない。

(ここは好きな所だ)


(踏み跡を忠実に)


 ヤブこぎはせずに忠実に踏み跡を辿った。すでに休み休み状態の歩きになっている。ストックも出した。カラマツが続く。てっきり自然林とばかりに思っていたが、先で古い杭が目に入り、それを見ると、昭和46年、カラマツ苗4千本と記されている。4千本といったら半端な数ではないだろう。ということは、それ以前はだだっ広い防火線だったのか、それとも針葉樹かの植林だったのだろうか。
 1425mを経由して1526m(雨降り沢の頭)に登り返す。何とも嫌らしい登りだ。ツツジでも目に入れば少しは気も休まるだろうが、たまに見かけるツツジは大方が花を落としている。時すでに遅しで、当初から期待はせずに来ているからいいが、期待の気持ちがわずか数パーセントあったことは確かだ。

(1526mの標識)


(上の標識の矢印が差す方向に続く尾根)


 1526mに出る。ここに白ペンキブリキに黒文字の「小法師岳へ⇒」の古い標識が置かれているが、この矢印の向きが、反対側の北東を向いている。つい、深慮もせぬままにそのまま行きかけたが、こんなにヤブだっけ? の思いが出てき、コンパスを確認すると正反対。誤ったまま行ったら庚申川に下ってしまう(こんなところを歩くハイカーが間違うこともないだろうが)。標識を正しい向きに置いたが、風に飛ばされてしまうかもしれない。この標識とて、以前は樹に釘打ちされていたものだ。

(小法師岳が見えてくる)


(盟主様。この時点ではすっきりしているが、一時間も経たずに消えてしまった)


(みっしりと小ピークを覆っている感じだった)


 下ると、どこから来たのか、はっきりした踏み跡が現れた。これを辿る。マダニがヒザの上を歩いていた。指ではじいたらかなり遠くまで飛んで行った。小法師岳が近づく。小ピークに出た。ワラビがみっしりと生い茂っている。ただ、もうこうなると食べられない。収穫が一か月は遅い。ワラビを採るなら、ここに来れば一回で済むだろう。ワラビを好むわけでもないが、自分としてはちょっと残念だ。ただ、足尾界隈の放射線量はもう問題なしなのだろうか。釣りも普通に解禁されているようだが。

(手前の主三角点)


(そして主三角点側の山名板)


 主三角点の石標が埋まっているところは素通りして先に行く。地図上の三角点に到着。山名板がないことを確認して、山名板の取り付けにかかる。本日のメインの目的は小法師岳の山名板の取り付けだ。
 ここの山頂、過去に5回ほど訪れている。その際の写真を見る限り、2005年の5月には山部さんと「栃木の山紀行」氏の山名板が2枚取り付けられていた。そして2007年、山部さんの板のみ立てかけ。2008年、山名板なし。2013年、山部さん板が復活し、新たに「日光山紀行」氏の板。後者は抑えなしの立てかけ。昨年も寄ったが、写真には写っていないので、これまでの3種ともになくなっていたのだろう。
 それでいて、主三角点側の2枚は健在で、先ほど雨降り沢の頭で見た「小法師岳⇒」やら、随所にある白地に黒文字の標識と同じ手による山名板が半分に千切れながらも残っている。余談だが、この方の標識、草刈スキー場やら、県境稜線の小法師尾根分岐、さらに法師岳まで続いている。2005年のこの標識に「ここは主三角点。三角点峰はこの先80m」といった書き込みもあったが、今はきれいに消されている。

(地理院三角点に山名板を設置する)


(まぁこんな感じだが)


 何やかやと記したが、ここに山名板がないのは自分には幸いで、早速取り付ける。いつまで持つかは知らないが、主三角点側の山名板だけが残っているのが不思議な話だ。山名板の取り付け、自分にとっては、これまでのお歴々に対して「僭越ながら。差し出がましく」といった思いはある。実のところ、主三角点側の2枚を勝手にここに移動したいところだった。

 山名板を取り付けてほっとする。まずは休憩して腹をちょっと満たす。ふと、取り付けに集中していたあまり、落ち着くと、これまでの雰囲気と違うことに気づいた。セミの鳴き声がぴたりと消えている。こういう場合は天候悪化の兆し。見上げると、薄い青空の中に黒い雲が漂っている。さっきまで見えていた皇海山の姿は隠れ、庚申山も薄くなっている。これは確実に雨になる。ちなみに、この頃に国境平付近にいたふみふみぃさんは激しい雨に見舞われていたようだ。

 「実は何々するつもりでいたのだが…」という表現は、実行の伴わない後付けの飾りのような感じで好きではない。それでいて自分の場合はどうしても多用してしまう。つまりは無理な計画を立てるということにもつながることだろうが、今回も使うことになる。実は、帰路は庚申川に下るつもりでいた。具体的には、さっき、雨降り沢の頭から誤って足を踏み入れた尾根を下り、笹ミキ沢出合いあたりへ。しかし、これも地図上で行けんじゃないか程度のもので、庚申川沿いの林道を何度も歩いたことはありながら、対岸の様子をじっくりと眺めたことは一度もない。天気も悪くなりそうだし、今日はやめておこう。雨はおろか、ガスに巻かれでもしたら最悪の状態になる。まずは逆歩きをしてからだろう。いざ庚申川が真下に見えてから下れないではどうにもならない。
 となると、さっさと下れるルートは夜半沢ルートか。車道歩きが入り込むが、山中で雨に降られるよりはまだ安心だ。
 急いで靴下を交換し、登山靴に履き替えて下りにかかる。

(巻き道に入る)


 先ほどのはっきりした踏み跡を辿って下ると、鞍部で1526mではなく東に向かい出した。これまで気づかずにいたが、もしかしてこれは巻き道か。やはり、すんなりと1526mからの下りに合流したが、そこに付けられたテープは古い目立たないものだった。この分では1425mの巻きもありかなと期待したが、さすがにその踏み跡は見あたらず、しっかりと登りコースに導かれた。
 この1425mへの登りで、やはり天候は崩れだし、霧雨になってきた。この程度ならまだいいが、次第に雨粒が大きくなり、本降りの気配。ザックから合羽の上とザックカバーを取り出し、着込んだ途端に雨はやんだ。取りあえずザックに戻す。

(巣神山分岐を突っ切り)


(1326m標高点付近)


 急ぎ足で下り、巣神山分岐。防火線をそのまま下る。また降り出した。これは本降りだなと改めて合羽を着込む。幸いガスが出てきていないのが救い。ただ、方向を変える1326mで地図を出すと、地図はすでに濡れていて、パソコン刷り出しの地図、所々でインクが滲み、見えなくなっていた。それでも何とか使える。これ以上は濡らすまい。

(夜半沢に下って行く)


(白いのが)


 この夜半沢ルート、過去に下りで使ったことはある。しっかりした踏み跡と目印が夜半沢まで続いていた記憶があるが、その時とは違ったルートを歩いてしまったのか、今回は黄色のテープを1本目にするだけだった。ちなみに、夜半沢ルートを先月の20日に烏ケ森の住人さん、翌21日にtaka0129さんが歩かれていた。お二方が歩かれたのでは、これから後追いする人もいるだろう。個人的には、象山と1167.3m三角点、隧道体験を含めない限りは面白味のないコースと思っている。
 夜半沢に下りかけて白いツツジを見かけたが、これもまた終わりかけの段階に入っていて、見られるほどのものではなかった。

(夜半沢に出る)


(自分の記憶時よりも荒れている)


(ルートもはっきりしない)


 沢型が現れ、夜半沢に出た。一服つける。雨はすでに気まぐれ降りになっていたが、これから強まる気配もなく、まして沢沿いの薄暗い中の歩きになるので、合羽は脱いだ。着ている間、結構な汗をかき、沢通しに流れる風が心地よい。
 左岸側基調に下った。ここもまた踏み跡は消えたり復活したりだ。以前に比べてかなり荒れている。ルートを失い、左岸の尾根の高台に出てしまった。その先は急斜面になっているようで、ここを2~3回歩いたことはあるが、そもそもこんなところを歩いた記憶はない。沢に戻り、崩れかけを先に行くと、道型が復活した。

(実はこれを見かけてほっとした)


(門があるから役宅か何かの施設だったのか)


(こんなのが続き)


(階段を下ると)


(車道の上に出た)


 そのうちに塩ビのホースが目に入ると、あちこちに石垣が出てくる。かつての社宅跡に出たようだ。ここは典型的な廃墟となっている。そして定番の茶碗のカケラ。自分がその昔に住んでいた通洞の社宅周辺は足尾銅山観光になっているが、半世紀以上前にここで暮らしていた方々は、この苔むした石垣を見て何をどう思うだろうか。
 社宅跡のあちこちからやって来る踏み跡を集めながら車道の上に出た。ここからは階段で下りられる。

(小滝の里を通り)


(駐車場に到着)


 車道歩きはほぼ30分。また雨が降ってきたりしたが、もう濡れてもかまわないとそのまま歩く。雨はすぐに上がった。途中で古足尾橋、梅橋を渡る。

 駐車場に到着。着くまでの間に車が3台ほど下って行った。
 駐車場に他の車はない。これで巣神山の南東部側に歩きのネタはなくなった。今回の滝沢は先で右俣に入ったが、改めて左俣を試すまでもないだろう。しばらく間を取ることにしよう。

※記事をアップしてから気になって岡田敏夫氏の『足尾山塊の沢』を読むと、「滝沢」は「滝ノ沢」として登場する。ここで自分が記した「さながら滝沢大滝」だが、岡田氏は「4m+8m」の2段12mとしている。自分は当初「5m+5m」の10mとしたが、これでは大き過ぎやしないかと、記事中の「4m+4m」に訂正した。2段目は8mもなかったと思う。ただ、GPSの標高差のデータでは、この区間12mの標高差になってはいた。素人判断につき、実際にどの程度の落差なのかはわからない。なお、岡田氏は二俣を左に向かい、イラストによれば、草刈スキー場経由で巣神山歩道に出ている。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

仁田元沢から1255m標高点を経由して中倉山に行く。

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◎2017年6月17日(土)

銅親水公園駐車場(6:46)……中倉山登山口通過(7:32)……スリットダム前(7:51)……仁田元沢入渓(8:14)……沢離脱(8:40)……大岩(8:58)……1255m標高点(9:42~9:58)……中倉山尾根合流(10:53~11:12)……中倉山通過(11:17)……林道合流(12:37)……駐車場(13:13)

 仁田本沢から尾根伝いに沢入山に直登したことはあるが、その手前(下流)側から中倉山の稜線に出たことはない。スリットダム手前から断崖が続き、沢に入ると直瀑が落ち込み、こんな険悪な左岸側の風景からして、これでは禁断のエリアだろうなと思い、こちらからの中倉山尾根への上がりは一顧だにしたことはなかった。
 ところが、ふみふみぃさんが昨年の3月に、中倉山先の鞍部から南に尾根を下り、件の直瀑脇に出られていた。かなり無謀というか暴挙にも似た感じがしないでもなかったが、改めて地図を見ると、直瀑はともかくとして、その先からなら何とか登れるのではないか。しかし、それほどの危うい所を登ってまでといった気分の方が強く、やはり自分には縁のないエリアだと結論づけたつもりでいた。
 それでいて、昨年の5月に塔の峰のドンピシャ尾根(北尾根)を登った際、仁田元沢を遡行しながら、どうも気になって左岸側を眺めながら歩いたりしている。岩場が切れても急斜面だ。しつこくも、ドンピシャ尾根を登りながら、下の仁田元沢が見えるわけでもないのに対岸の様子をじっくり窺いもした。
 今年の一月、発作的にもう一度確認に出向いた。果たして本当に行けないのか、けじめだけでもつけておかないと。結局、雪もあって、それこそ無謀な話となり、スリットダムまでも行けずに撤退し、どうでもいいこじつけルートで中倉山に登って終わった次第。
 そろそろ改めてやってみるか。どうも気になってしかたがない。適当な取り付きの場所を見つけられなかったら、そのまま沢通し歩きにして瀑泉さんの後追いに切り替えればいい。とにかく、地図上の等高線の並びと、記憶の風景を頼りに地図にポイント候補をいくつかチェックする。これでダメならもうこだわるまい。

 親水公園の駐車場にはざっと20台以上の車があった。大方がすでに出払っている。この時間だから観光客のものではあるまい。足尾の山も混みだしたものだ。大間々からずっと前を走っていた車も銀山平の方に左折した。庚申山方面も今日は賑わっているだろう。滝沢あたりに入る物好きはいるまいが。
 準備をしていると、単独のオッチャンが道水管橋の方に向かってすぐに戻って来た。久しぶりに来たのだろう。しかしこの橋も、以前はだれも渡っていなかったのに、ネットに情報が出た途端に渡るのが当たり前のようになっていた。自分もその一人だが、慣れてしまうと、迂回するのも面倒になるのが本音のところ。

(キューゾー)


(いったい何をしようとしているのか)


 久しぶりにキューゾーの鳴き声が聞こえる。河原でカメラマン氏がそれを撮っている。違う方向からも鳴き声が聞こえる。少なくとも二羽はいるようだ。
 足尾の山も小さな花でカラフルになっている。黄色、白、いつもの紫の小袋状の花がそこいらじゅうに咲いている。林道伝いにずっと続き、見上げると、横場山の斜面もまた賑やかになっている。

(中倉山の登山口マーク)


(奥へ)


(一か八か沢に架かる橋)


 中倉山の登山口を通過。真新しい黄赤の丸いマークが樹に打ちつけられている。今やポピュラーな中倉山だ。せめて<中倉山登山口>程度の道標があっても良いような気がする。あとは、道型もしっかりているし、余計なテープとマークは不要だと思うけど。
 その先、色づきのものは消えた。さっきまで賑やかだった小花も見えなくなった。もう緑一色だ。仁田元川橋を渡って振り返る。1月に苦し紛れに登ったルート、今はもう緑がかぶって地形がよくわからない。その左手の尾根型もはっきりせず、ガレ場も隠されてしまっている。ここで「仁田元川橋」ついでだが、通称「一か八か沢」の名前にしている沢の名前も正式にあるのではないかと、その大方は橋の欄干に記されているものだから、気になって見たが、沢に架かる橋には名前も建設日も記されていなかった。やはり一か八か沢のままか。

(スリットダム)


(出どころ不明のロープだが、あの枝引っかけが頼りない)


 スリットダムに着く。いつものように左岸側から巻く。水は少ないようで、渡渉時に地下タビを濡らすことはなかった。
 今日、初めて気づいたことだが、巻きの途中、長いロープというか細引きのようなものがダムに直接下りていた。これは釣り人が設置したものか知らないが、さらに巻きをするよりは良い。引っ張ってみた。途中で枝に結わえていて何とも心もとない。これで高さ2m以上をコンクリに足を踏ん張って下るのでは危うい。結局、いつものようにゴロゴロ区間を先に行って沢に下りた。

(入渓する)


(水少ないなぁ)


(これはお気に入り)


 河原で菓子パンを食べ、一服。沢靴に履き替え、ヘルメットをかぶる。そして出発。
 やはり水が少ない。わざわざ沢靴に履き替えるまでもなく、しばらくは飛び石で行けたかなと思ったりした。先に釣り人がいるのかどうか、これでは石に水の足跡も残りはしない。まぁせっかくだからと、わざわざ水に入って遡上する。適温で、温くも冷たくもない。

(直瀑が右手に見えてくる。真っ直ぐ先が最初のポイントだった)


(直瀑の水はタラリ)


 ほどなく右奥に直瀑が見えてくる。いつもならほとばしる水も、今日は岩壁伝いに垂れている。難なく、直瀑手前の小滝に出た。見上げる。ふみふみぃさんは、よくもこんなところに下って来たものだ。ましてノーロープで。やはり無謀としか思えんわ。ここはいつもなら右側を通って直瀑の水をかぶるパターンだが、瀑泉さんの情報どおり、適当な足場はなく腰までつかりそうだ。別に、通しの沢歩きで来ているわけでもないので、左の小滝を越えることにする。
 水量は少ないながらも、這い上がるのにヒザを使ったため、結局は腰まで水をかぶってしまった。以前、ここを通った時はロープを伝った記憶があるが目に付かなかった。このままでいけば、次のハイトスさん斜瀑は左側をロープを伝って上へとなるが、今日は直瀑左の溝状のザレ地に用事もあるので、直瀑下に移動する。
 溝地の上を覗く。最初の取り付きポイントだった。湿っぽくて薄暗い。やはりチョロ水が流れていてズルズルいきそうだ。ここはダメだな。

(ハイトスさん行かないの~滝。ここは滑った)


 ハイトスさん斜瀑を左岸側から巻こうとしたが、沢靴に泥が付いていたため、危うく滑り落ちそうになり、必死にこらえて越える。

<中略。この先、取り付き部の詳細な記載は省略>

(ここを取り付きにしてみる)


 やがて水量のある滝が出てくる。ここは一丁、濡れたついでに勢いづけで左から水をかぶって越えようかと思ったが、右手に巻き道があるようで、ふと見上げると、ここから上に出られやしないか。急斜面だが、そう長くは続くまい。次のポイントはもう少し先にあったが、ここから登ってみることにしよう。沢遊びはあっけなく終わり、ここで仁田元沢から離脱する。

(見下ろす)


 巻き道はまた沢に戻るがそのまま上に登る。大きな石がゴロゴロした急斜面だ。湿気を帯びたグズグズ斜面。安定していない。ヘルメットがうっとうしくなってくる。ちょっと平らになっている所で脱ぐ。靴も履き替えようかと思ったが、そんなスペースはなく、ましてまだ安全圏でもない。沢に戻ることにもなりかねない。

(巨岩帯が現れる)


 しばらくは樹を伝って登った。間隔のあるところは飛び移った。尾根型はまだ出てこない。見下ろすと当たり前の急斜面。そのうちに前方に大きな岩盤が見えてきた。立ち塞ぐ格好で鎮座しているが、右から巻けそうだ。その右は谷状になっているようだが、落ち込んではいないから、転落の危険はあるまい。
 大岩の下の平らなところで休み、地図を広げる。この辺にコブ状の崖マークが垂れ下がっているが、これか。ここを右にすり抜ければ尾根型が現れてきそうだ。

(右を巻きながら見下ろす)


(上に尾根型のようなものが見えてくる。あれに乗るとしよう)


 大岩の右を登る。相変わらず立木頼りの登り。四つん這いの余裕はない。大岩を抜け、1160m付近になると傾斜が幾分緩やかになり、右下から踏み跡が出てくる。これはシカ道だろうが、今度はこれを頼りに登る。GPSを見ると、すでに尾根型になっているはずなのだが依然として不明瞭。
 間もなく、左手に尾根型が張り出してきた。どうも大岩の上から続く尾根のようだ。ともあれ尾根に乗り移る。傾斜も幾分落ち着いた。

(登って行くと、こんなところに出た)


(仁田元沢奥)


(こんなのがあった)


 これまた石混じりの尾根を登って行くと、少しばかり開けた所に出た。西側の展望が効き、仁田元沢を挟んで、塔の峰、オロ山の一角が見えている。ここで休憩。と、あろうことかケルンが積まれていた。こんなところを歩くのは足尾のRRさんかふみふみぃさんしかいないが、ふみふみぃさんはここを通過していないはずだ。やはりRRさんか。ふみふみぃさん記事のコメントに、この辺にいくつかケルンを置かれたことが記されていたなぁ。そういえば作業道がありげなことを記されていたが、さっきのシカ道が作業道? ではないだろうな。

(明瞭な尾根になった)


(確かにこんなところもある)


(微妙な二俣。上から)


 尾根に乗ったらしめたもの。足尾の山域にありがちな普通の尾根だ。ただ、ふみふみぃさんの記録では、この尾根、ガレが続いているような気配があった。用心するに越したことはあるまい。まだ安心しきっていないので沢靴のままで先に行く。
 途中で石だまりのようなところを通過。歩行に支障はない。むしろ歩きやすい。それを抜け、振り返ると、尾根は微妙な二俣になっている。地図ではわからない小尾根。1230mあたりだ。ふみふみぃさんはここを左に下ったのか。

(1255m標高点付近)


(標高板を取り付ける)


(中倉山の稜線)


 1255m標高点が見えてくる。斜面にあるただの通過点かと思ったが、ちょっとした小ピークになっていて、その先は若干の下りになり、引き続きの登り上げになっている。この時期だからかさほどの展望はない。正面に中倉山尾根が壁になって見えるだけ。
 では、先週に引き続き、作業開始といたしましょう。標高板の設置。塔の峰の改訂山名板を作った際、自分の目標がてら、小法師岳の山名板と1255mの標高板もついでに作った。これで手持ちはなくなった。ここに標識を置いたとて、自分がまた来るとはどうも思えない。山中のゴミのような気もするが、残置のテープよりはマシだろう。何人かの目に触れるかもしれないし。その時は、いっしょにうるさいほどの真新しいピンクテープも加わっているかもしれないなぁ。沢渡渉もあるから、それはあり得ないか。

 それにしても、後で改めてふみふみぃさんのブログを見ると、1255m周辺の景色がどうも違う。3月と6月の新緑期ではこうも違うものなのだろうか。だとすれば、この辺歩きの適期は冬枯れ時だろう。いずれにしても、この先の下りで、ふみふみぃさんは左へ左へと行き、最後は直瀑の上という展開になるわけだ。やはり、こういう未知尾根はまず登りで歩いてみるのが自分には無難。ふみふみぃさんルートを信じて逆から登っていたら、今頃どこかの岩場で春ゼミになっている。
 休憩もし、菓子パンも食べたところで北に向かう。この先、地図通りなら紛らわしいところはないはずの一本尾根だ。

(1255mを振り返る)


(タコ足)


(ケルンを積む)


 前方が見えないのが何とも残念だが、尾根型は明瞭で、左右ともになだらか。気分の良い尾根歩きだ。たまに岩が出てきたりもするが、進行の妨げになるものでもない。RRさんにならって、こじんまりしたケルンを積んでみたりする。

(尾根が広がる)


 次第に尾根が広がり、クマの痕跡が目に付くようになる。引っ掻きもさることながら、クマ糞も結構目につく。ただ湯気が出ているようなものはない。念のためスズをもう一個追加。中倉山尾根がブナの木のおかげで騒がしく、クマが尾根伝いにこの辺に下りて来ていても不思議ではない。

(オロ山。盟主様は見えない)


 樹林の中が明るくなってきた。依然として周囲緑の中を歩いているが、たまに左側が開け、沢入山とオロ山を覗き見できるようになる。ただ、長くは続かず、すぐに視界は閉ざされる。冬なら丸見えだろうに。

(いい感じになって)


(沢入山方面)


(塔の峰)


(静かに語りかけるような岩。哲学的な岩だ)


(備前楯山方面)


(稜線が近い)


(まとめて)


(尾根の名残りを惜しんで休憩)


 一面のササ斜面、かなりなだらかになってきた。大きな岩も点在する。今度は左手だけではなく右手に備前楯も見えるようになった。もっともまだチラ見だ。
 右手前方のすき間に中倉山から続く稜線が見えてくる。合流か。さっさと出てもいいが、そこはもはやハイカーが行き交う街道だ。もうちょっと静寂に浸りたく、ちょうど左手が開けたところでもあったので、腰を下ろして休憩する。

(合流)


(ちょっと登るとこの位置に)


 目の前を中倉山ショートカットの踏み跡が横切り、高台に登ると稜線に出た。すぐそこに例のブナの木がある。噂で知ってはいたが、ロープで囲われている。名もないブナの木を足尾の山のシンボルとして売り出し、ハイカーがわんさと押しかけると、今度は保護を理由に通せんぼか。まぁ勝手なものだ。だったら最初から静かにさせておけばいい。これまで気にもしないで脇を通っていた足尾歴の長いハイカーですら好奇の目を向けるようになる。
 石に腰かけてしばらく休む。ここでようやく沢靴から地下タビに履き替えた。オッチャンが沢入山方向から下って来た。あのオッチャン、出がけに導水管橋の方に行きかけて戻って来た方じゃないか。沢入山まで行って来たそうだ。
 晴れてはいるが、展望は今少しだ。男体山も皇海山も隠れている。これから悪くなるのだろうか。

 さて、これからどう下ろうか。下りのルートは井戸沢右岸尾根と一般道以外に選びようがないが、ここのところ一般道選びが続いているし、仕方ない。あまり好きではない井戸沢右岸尾根下りにするか。

(中倉山)


 その前にちょっと中倉山でお昼にしようかと思ったが、さっきのオッチャンがどかっと山頂に腰を下ろしていたので、お先にと声をかけて素通り。内心舌打ち。すぐにご老体2人連れが上がって来た。山中で出会ったのはわずか3人。今日は中倉山も静かだったのだろうか。

(しばらく続く。男体山見えず)


(石塔)


(井戸沢右岸尾根下り)


(黄色の小さな花が一面に)


 井戸沢右岸尾根は最近、利用するハイカーが増えたせいか、やはり濃い踏み跡が目立つようになっている。ただ、ヤブの周辺ではあちこちを歩くのか、一時的に踏み跡は消えては復活する。石塔の上のケルン、RRさんがどうも石を継ぎ足したようだな。

(林道に出る)


(林道歩き)


(駐車場)


 林道に出る。井戸沢で顔を洗い、ようやくここで遅い昼食をとった。
 キューゾーとその他一羽の鳴き声を聞いて駐車場着。駐車場は満杯だ。バスも2台。バスは小学校の名前の札が置かれていたから、ここの公園だろう。他に観光客も目立つ。名古屋ナンバーの車がないか探したが、その頃、名古屋ナンバーは銀山平だったようだ。それにしても、この中に瀑泉さんのお車があるとは知りもしなかった。かつてのミラ号だったらすぐにもわかったろうが。

庚申川から通称ハンター尾根で雨降り沢の頭・1526mへ。下りの地味沢で手こずる。

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◎2017年6月23日(金)

銀山平駐車場(6:55)……笹ミキ沢出合いへ下降(7:35)……ハンター尾根に取り付く(7:50)……1526m雨降り沢の頭(10:30~10:47)……巣神山分岐(11:23)……1167.5m三角点(12:02~12:12)……沢下降(12:29)……庚申川(13:04)……銀山平駐車場(13:21)

 いずれ庚申川側から小法師尾根に出たいと思っていたが、先週、ふみふみぃさんがそれをやられていた。尾根の方はこちらに回していただき、自らはナゲカクシ沢を歩かれている。保留のままにしておくのでは申しわけなく、こちらも早々に尾根の方を済ますことにしよう。
 笹ミキ沢の向かい側にあるこの尾根、ふみふみぃさんの表記に合わせてナゲカクシ沢右岸尾根とするつもりでいたが、足尾のRRさんからコメントをいただき、ハンターが小法師尾根に出る際に使うらしく、通称・ハンター尾根というのだそうだ。踏み跡が明瞭のようで、ちょっと興ざめしてしまったが、踏み跡が無いよりは有るにこしたことはなく、まして未知のエリアにつき、むしろ有った方が助かるというのが本音のところ。ただ、そういう事実を知っていたら、おじけづくことなく、早いとこ歩いていたのになぁとちょっと残念。やはりハンター情報も無視はできないか。足尾の山に限らず、こんなマル秘ルート、いっぱいあるんだろうな。

 平日だけあって、銀山平にはすでに出発の車が一台だけ。ひっそりとしている。沢靴を履いて出発。庚申川をちょっと渉るだけだからと、古いズック靴を出しかけたが、一昨日の雨で増水しているやも知れず、まして、今日は下りでもう一回、庚申川の渡渉がある。面倒くささは命取り。侮ってはいけないなと沢靴にした。

(水道工事とあるけど、水道工事をする場所ではないような気がするが)


 庚申山に向かうこの林道、いつもダラダラと歩いているが、銀山平から一の鳥居までの標高差は250m近くあり、笹見木橋までにしても140mはある。いつもながらに歩き出しからゼーゼーする。
 この林道界隈、かじか荘も含めて工事箇所があちこちにあり、その関係か、その昔、駐車場のあった所の先のゲートも何十年かぶりに遮断機が下りている。途中でユンボが置かれているところもあって、この辺も騒がしくなったものだ。

(ガードレールを越えて踏み跡。笹ミキ沢が見えている)


(笹ミキ沢)


(庚申川)


 ふみふみぃさんの情報に従い、笹見木橋の手前でガードレールを越えると、踏み跡が続いていた。ちょっとばかり緊張する。この先は未体験ゾーンだ。それにしても、やはり地形図どおりで、庚申川にはここから下るのが無難だったようだ。
 踏み跡は笹ミキ沢に続き、その下を庚申川が流れている。正面の尾根末端は岩壁状になっていて、とても近づけない。まずは笹ミキ沢を渉って、庚申川に出る。出合いだ。水量が多いのか少ないのか知らないが、とにかく庚申川を対岸に渉らないといけない。周囲は大きな岩が点在し、薄暗く、魔境の雰囲気があって、あまり長居したいところではない。

(朝日を浴びた下流部)


 水の少ないところを選んで渡渉したが、それでも流れは強く、水位は軽く腿まで届いた。特別な意図もなく対岸を大岩を越えながら上流に向かう。下流部は渡渉対象外といった雰囲気になっている。しばらく行き、はて、このままではナゲカクシ沢に出てしまうな。何をやってんだかと戻る。再び大岩越え。

(ここから入り込んでみる)


(踏み跡が続いていた)


 一服して、適当なところから取り付くことにした。とにかく尾根に乗りさえすればいい。フカフカガレのところをちょっと登ると、右手上流の方から明瞭な踏み跡が現れた。左の尾根方向に向かっている。これだな。ハンター尾根の踏み跡というやつは。意外に早く巡り会えたものだ。後はハンター気分で小法師尾根を目指せばいいか。ハンター尾根というのも頷ける。最後までシカの姿を一頭見かけただけだったが、あちこちにシカフンが豊富にあるところからして、猟期の冬場はこの周辺に集まるのかもしれない。

(尾根に乗る。やはり地図どおりに急斜面だ)


 結構、急だ。尾根に乗り、真下に庚申川が見えなくなったところでストックを出す。後は、展望のない、普通の地味な尾根になった。沢靴を履き替えようと思ったが、このままでも支障がないので、傾斜が緩んだあたりで履き替えよう。
 この尾根、本尾根というよりも支尾根だろう。この先も、あちこちからの支尾根を合わせて小法師尾根に出るようになる。本尾根とすべきは、1224m標高点を経由する雨降沢の左岸尾根ではないだろうか。

(ハンター尾根はこんな感じ)


 尾根に乗ったとはいっても明瞭な尾根型が続いているわけではない。広い斜面になると踏み跡は散らばり、またどこかで集約されて道筋といった展開になるが、明らかに尾根に乗っているし、上に向かえばいいだけのこと。登っている分には紛らしいところはない。
 不用意に口を開けて登っていたためか、小さな羽虫が口の中に入り込んだ。ノドにひっかかっている。むせた。咳きこんで、羽虫を出そうともがいた。涙が出てきた。しばらく咳はとまらなかったが、結局は飲み込んでしまったのか、ようやく咳はやんだ。こんなのはコリゴリだ。その間、立ち止まって、両手ストックで身体を支えていた。飲み込んでほっとするまで5分のロス。

(グズグズになって)


(ナゲさん現る)


(ナゲロードがあったとは。裏をかかれた)


 クズ岩のゴチャゴチャしたところを越えると、アズナゲさんが出てきた。やはり、尾根にもいたか。結構、はびこっている。中央突破で行くつもりでいたが、踏み跡が逸れている。踏み跡に従う。巻き巻きでアズナゲ園の上に出ると、あれっ、太い道筋がナゲ園の真ん中から出て来ていた。これには気づかなかった。アズナゲさんはこの区間で終わるが、それでも結構な距離はあった。

(依然としてこんな感じで)


(突如としてこんなのが横切る)


(横断路からテープが出てくる。作業用ではなく尾根伝いに登っている)


 1190mあたりで東西に明瞭な踏み跡が横断する。これは作業道かと思うが、ちょっと西側に追ってみると、かなり先に続いている。草がかぶっているわけでもなく、まだ現役使用の気配だ。この辺はずっと自然林になっている。作業道だからといって植林とはかぎらないだろうが、ここから尾根伝いに古いピンクテープも出てくるところからして、この作業道を使ったルートが通っているのかもしれない。興味のあるところだ。しかし、出どころと出口はどこだろうか。ナゲカクシ沢もまたいでいるのかと思うが。

(ゴロゴロしてきて)


(平安なところに出て休憩。ここから植生も変わってくる)


(1500m台地だろう)


 尾根が狭まり、尾根型が明瞭になってくると、次第に荒れた感じになり、大石も出てくる。傾斜もきついが、危険なところはない。
 黙々と登っていると、ふと上が開けている。これまでずっと展望のない樹林というか林の中を歩いてきた。雨降り沢の左岸尾根に合流かと思ったが、その手前の1270m付近だ。ぽっかりした空間に出た。ここはいい感じのところだ。正面に見えるのは、雨降り沢の頭の手前にある1500m台地だろうか。近づいたな。9時10分。ここでしばらく休み、沢靴から地下タビに履き替え、腹も満たして一服。
 ここで嫌な物を見た。捨てられた乾電池2本。こんな小さなもの、持って帰れるだろうに。ハイカーではないな。ハンター尾根か…。回収しなきゃと思いつつ、忘れてしまった。この先も、錆びた飲料缶を数本見かけた。

(いい雰囲気)


(あっさり越えられる)


(防火線跡かなぁ)


 10分ほど休憩して出発。この先、等高線はゆったりしているが、1350mから1400mにかけてがきつそうだ。1300mで雨降り沢左岸尾根に合流。地図上で、等高線がびろーんとなっている所だ。ここで方向が南西から西向きになる。上から下ったら、ここはそのまま通過してしまいそうだ。
 傾斜が緩むと、ちょっとした風景もきれいに見えるもので、ルンルン気分で歩いていたら、目の前に大岩らしきものが出てきた。これは巻くしかないかなと思ったが、意外にあっさりと越えられ、その先は、低いササにカラマツが点在する幅広の尾根になっていた。もしかすると、ここもまた防火線だったのだろうか。そんな感じの植生だ。すでに踏み跡はかなり薄くなっている。ハンターの獲物探しはここまでの間に終わってしまうのか。そういえば、ハンターがシカを丸ごと背負って山を下りて来るはずもなく、どこかで解体もするのだろうが、残した骨やら皮を見ることはなかった。

(1350mからのちょいとした壁)


(やはり防火線だよなぁ)


 そろそろ1350mに差しかかる。ここは広い斜面になっている。そのためか、50mの斜面はさほどに急な感じもなく、あっさりと越えられたようだ。それでも、あとでGPS軌跡をおとしたカシミールでチェックすると、10分近くかけている。
 さっきまでの防火線風景は消えた。普通のササヤブの尾根だ。だらだらと登って行く。ふみふみぃさんはこの辺りで尾根に出られたのだろう。ササはヒザくらいに高くなり、どうもこの辺にシカは来ないのか、やはり踏み跡が薄くなったのもうなずける。しかし、ここもまた、左右の植生からして、やはり、防火線だったのかなと思ってしまうところだ。周囲が防火線だらけの所だからか、ついそういった目で見てしまうのだろうか。

(巨木が倒れている。不思議に、倒木はここまであまり見かけなかった)


(塔の峰だろう)


 どでかい倒木を目の前にする。倒れながらも、枝の葉はしっかりと緑で息づいている。
 右手が開けてきた。ここから見える右手といったら塔の峰方面だろう。右手のピークが塔の峰だろうが、なだらかに左に庚申山方面に稜線が続いている。

(1500m台地)


(台地から先の風景)


 1500m台地に到着。展望が良いわけではないが、左がカラマツ林の斜面、右は自然林。やはり防火線の名残りだろうな。周囲が開けてはいるが、さほどにゆったりとできるような場所ではない。ササがうっとうしく感じる。

(この景色は圧巻だなぁと思った)


(笹原を越えて近づく)


(振り返って)


(また振り返って)


 ようやく、雨降り沢の頭へのラストの登りだ。ちょっと下りかけてまた登る。ゆるゆるに登って行くと、正面に雨降り沢の頭が見えてきた。その手前に明瞭な防火線が続いている。ここからの景色はなかなかだ。これを見るだけでも登って来た価値はある。防火線は一面にびっしりとササに覆われている。
 ササは腰までくる。その間にシカ道か踏み跡が続き、漕ぐまでもない。ちょっとした展望地で、左手前方の山並みは県境尾根の方だろう。二子山も視界に入っているかもしれない。

(雨降り沢の頭)


(休む)


 何度も振り返って雨降り沢の頭・1526mに達した。2週間前と変わらない。腰を下ろして休憩。大福とウイロウを食べる。ふと、ここもワラビの生産所だったようだが、ここのワラビは細く、食用ではないな。

 さて、ここから法師岳に出て六林班峠から下るという元気も時間もない。わざわざ2週間前に行った小法師岳に行くまでもない。このまま下ることにするが、前回同様に夜半沢を下ったのでは、銀山平までの車道歩きが上りにもなっているのでつらい。さりとて、すんなりと下れるような尾根は地図を見る限りは存在しない。一か八か沢のようなショートカットルートはないものかと思っていたが、たまたまネットで禁断っぽいルートを見つけてしまっていた。
 これはヤマレコ記事で見つけたルートだから、詳細なものではない。ご当人は履物で失敗して何度も滑ったらしいが、とにかく使えることだけは確かのようで、これを下れば、銀山平にドンピシャということになる。得体が知れない気はしたが、今日はこれを下ってみよう。ただ、着地ポイントがダム湖の下だ。庚申川の渡渉がどうなるのか不安はかなり残る。記事では水位が「スネ~膝位」とあるが、これは9月下旬の話だ。
 見上げると、雲が黒ずんできている。先々週の二の舞かなと危惧したが、セミの鳴き声はずっと続いている。しばらくは持つだろう。これで雨になったら、ドンピシャ沢も一か八か沢になってしまう。

(下りの風景1)


(下りの風景2)


(下りの風景3。巣神山分岐)


(下りの風景4)


(下りの風景5。崩壊地から)


(そして1167.5m三角点)


 いつものルートを下り、いつものルートから先に行き1167.5m三角点。その間1時間15分。それをダラダラと記しても仕方あるまい。この三角点、4年前に何とかファミリーで象山をかけて歩いた際に見てはいる。
 三角点で休憩。しばらく苦慮する。ここからなら夜半沢にまだ逃げられる。いつしかセミの鳴き声は消えたが黒い雲はない。持ちそうだ。予定通りに件の沢を下ってみるか。

(沢に向かって下る)


 コンパスを沢の起点にセットし、不明瞭な地形を下る。後で考えると、わざわざ沢の起点にセットせずとも、北北東向きに尾根伝いに下ればよかっただけのことだった。
 どうもおかしな方向に向かっている。コンパスに合わせて下っている。もう一度セットし直す。やはり、意図する方向と違う方に向かってしまう。前をシカが逃げて行った。シカ道があるかなとそちらの方に向かうと、踏み跡があった。コンパスはあてにせず、GPSを見ながら下る。それにしてもややこしい地形だ。

(踏み跡が二分する。左は尾根コース。深入りはしなかったが、岩でスパッと切れた感じだった。右下に尾根巻きコース続いている。まずは尾根コースに行ってみた)


 踏み跡を追うと、左側に尾根が見えた。正面は沢の地形になっているから、これが予定の沢ということになる。この尾根にしようかなと移り気も出てきたが、その先のナマコ状のところに出るのに、スパッと切れた岩場を通過しないといけないようで、これはダメ。実はこの小尾根、先日、林道を歩きながら、目の前の岩場ピーク越しにアカヤシオが見え、いずれは歩いてみないとなと思っていた尾根で、林道に入って間もなく左下に見えてくる丸石沢から登れそうな尾根だ。すんなりと尾根を下るのは無理のようだが。
 踏み跡が二分する。尾根直登と巻きコース。直登コースは無理がある。尾根巻きに変更したが、踏み跡は次第に薄くなり、これもまた険悪そうな感じになった。沢コースはなかったが、どうせ沢に出るのだろうからと、沢に下った。だが、今日の場合は、尾根に復帰して、尾根筋を下った方が正解だったかもしれない。

(沢を下る。これでもかなり急。前にストックを突き突き下っている)


 沢を下る。水無しの涸れ沢。傾斜は急。ガレていて、かなり下りづらい。石に足を引っかけては石を転がしてしまう。浮石はかなり不安定。さらに、落葉が堆積してフカフカ。条件の悪い下りになった。ただ、このままだったら、ゆっくり下れば何とかなるかといった気持ちもあった。
 そのうちに水がどこからともなく出てきて、沢を流れ出した。970m付近。これはかなりヤバい。ちょっと想定外だった。こんなところに来てしまって失敗したなと本心から後悔した。

(こんなのがあるとは知らなかった)


 4mほどの小滝になる。これはそのまま下れず、ストックを収納して、脇を何とか四つ足でスルー。こんなのが続いたのではたまったもんじゃないなと、沢靴に履き替える。沢もナメ系になっていて、一度でも通っていれば快適だろうが、この傾斜では滑るかもと気が気でない。この時点で、両サイドの小尾根に逃げるという手もあった。容易く登れそうだ。だが、恐いもの見たさといったものもある。それでいて、頭から冷や汗がぼたぼたと落ちてきて、メガネも曇り出す始末。

(写真を見る限りは気持ち良さげだが)


(こんなのがずっと続いていると、この先がどうなっているのかえらく不安になる)


 恥ずかしながらのことだが、確かに沢靴ではまったく滑らないが、いつコケるかも知れず、どうせ濡れるのだからと、巻けないところは尻をあてがって下った。

(ようやく庚申川が見えてきた。いつしか水は消えていた。ここでも不安。まさか落ち込んではいないだろうな)


(左手にダム)


 庚申川の水の音が聞こえ、かすかに庚申川が見える段になって、ようやくほっとした。こうは記してはいるが、最初っから滑ることも懸念せずに立ち足で下っていれば、せいぜいちょっとうるさい沢だな程度で終わってしまうだけのことで、これが二回目なら、尻をあてがうこともなかったろう。
 左手にダムが見える。ダムから吹き出す水勢は強い。両岸の尾根もまたここで終結するから、結局はどこを通っても同じということ。このダム、小滝川ダムというらしいが、先々週、夜半沢からの下り林道歩きで、庚申川ではなく小滝川という標識を見かけた。地図上は庚申川だが、この付近は通称の小滝川としているのだろう。

(ここをドキドキしながら下って河原に出る)


 さて、庚申川を見下ろす位置には来たが、河原に出るまで7~8mの高さがある。左手のダム湖側に登るのは賢明ではあるまい。それでいて簡単には下りられそうもない。周囲をうろつき、古いテープを見つけた。えっ、こんなところを下るのかいな。だが、確かにここしかない。細い樹に抱き着いて下って河原に出る。
 ここでもまたうろついた。簡単に川を渉れそうにない。底が見えないところもある。事前情報のヒザ位置では無理。当初は右岸側をしばらく下ってと思っていたが、岩壁の下は淵になっていて全身浸かりそうだ。

(第1候補。右淵はまず無理。ストレートに行きたいが、軽く胸まで浸かりそうだ)


(そして第2候補。あそこを攀じ登るしかないか)


 対岸を見ると、候補は2ルート。先ずは下流の途中まで行くと、先はかなり深そうだ。戻ってもう1ルート。正面から渡った。流れで腰がふらついた。目の前の岩に抱き着き、何とか渡った、それでも水位は腰越え。

(左手の小滝川ダム)


(目の前にして意気消沈)


 目の前は岩。これを登るつもりでいたが、正面にするとおじけづいた。最初の候補ルートに下りかけると、やはり淵になっていて無理。ここを登るしかあるまい。手がかりと足がかりもあったので、登りきってほっとする。こりゃきつかったわ。水位がヒザ程度なら何も感じなかったろう。

(擁壁沿いに下流方向に行く。レンズが曇ってしまった)


(やはり象山だよなぁ)


(遊歩道)


(歩く人もいないのか苔むしている)


(キャンプ場に着いた。まっすぐに東屋に向かう)


 上に遊歩道が通っているらしく、しばらく高い擁壁が続いている。いずれ終わるだろうと、擁壁の下を歩いたが、これがまた長い。ようやく切れたところで遊歩道に這い上がった。本当にヤレヤレだった。シカの屍をまたいでキャンプ場に出た。
 東屋に座り込んだ。ぐったりした。放心状態。タバコを立て続けに2本吸う。駐車場の方から物音が聞こえ振り向くと、オッチャンが水筒の水を頭からかぶっている。来た時にすでにあった車の主だ。那須の方からご苦労さま。コウシンソウは見られましたか?
 車は都合4台。明日はコウシンソウ目当てでいっぱいだろう。下半身はびっしょりと濡れたまま。東屋の腰掛がある程度は水を吸ってくれはした。すべて着替えた。

 今日の目的は庚申川から小法師尾根ルート。それを達成できた。雨降沢周辺の歩きは依然として残っているが、引き続き来週来るわけにもいくまい。そして、苦戦したドンピシャ沢の下り。この時期を外せば難のない下山ルートかもしれないなぁ。
 仁田本沢、庚申川とマニアックな歩きが続いた。そろそろ松木奥にでも足を向けてみようか。瀑泉さんの記事に、ついその気になってしまった。また、ふみふみぃさんの後追いになりそうだが…。いずれ検討することにしよう。


八幡平でぶらぶら歩き。まずは滝見を二本。7月19日。

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 毎日が日曜日になった。群馬から東京まで30年通った。この辺で終わりにしてもいいだろう。これからは通勤定期を使って電車に乗ることはない。もっぱらSuicaへのチャージ頼りになる。そして、用事がなければ東京に出向くこともない。
 本を買い、店員さんに「カバー付けますか?」と問われ、いつものように「お願いしますと」返答し、直後に「いや、結構です」と言い直し、苦笑いしてしまった。もう、通勤電車の中で本を読むこともなくなったんだよなぁ。これまで、年間90冊前後の本を読んでいた。大半が電車の中だった。これからは寝床だけの読書になる。
 しばらくは休暇消化の時を過ごすが、9月からはハローワークに通うことになる。サンデー毎日とはいっても、ブラブラしているわけにもいかない。山歩きにしても体力的に週一が限度。ましてや、この暑い時期に退職したことを今になって少々後悔しているところもある。
 一人慰安旅行にでも行ってみたい気分になった。北関東は暑過ぎの日々が続いている。ふと、八幡平に行きたくなり、とりあえず後生掛温泉を20日から2泊で予約した。その先は未定だ。白神山地の山にも行きたいし、名瀑も楽しみたい。帰りに墓参りだけはしておいた方がいいか。
 ところが、22日からの天気予報が雨になってしまった。これでは八幡平も一日歩きしかとれない。19日出発の前倒しにしたら、宿の空室が高い料金設定しか残っていない。一人旅で贅沢する気分にもなれず、別の温泉宿に変更した。一時は、後生掛温泉の自炊棟に一週間ほど泊まってブラブラするのもいいかなと考えていただけに、後生掛温泉に泊まれないのはちょっと残念だ。
 さて、6月23日に足尾の山を歩いて以来、せいぜい地元の金山を歩いただけで、まっとうな歩きをしていない。暑さで、金山すらバテバテで歩いた。暑い中を歩く気力も体力も持ち合わせてはいないが、八幡平なら、涼し気なイメージもあるし、少しはロングな歩きもできるのではないのか。その時は多少なりとも期待はしていたのだが…。

【岩手山山麓・七滝】
駐車地(11:40)……七滝コース入口……七滝(12:20)……駐車地(13:13)

 そんなことで、19日(水)5時に八幡平に向けて出発する。長距離の運転になるが、せっかくだし、どこかに立ち寄りたい。地図を眺めていると、岩手山の山麓に「七滝」という滝がある。岩手山を登る時間はないので、この滝だけでも見ておこう。岩手山に松川温泉から登ったことはあるが、七滝コースというのがあるのは知らなかった。七滝はそのコース上にある滝だ。
 途中、紫波SAで給油する。レギュラーが1リットル143円もしたのには驚いた。下に出てから給油すべきだったと後悔する。まずは500円ほどの無駄遣い。松尾八幡平ICで下りて七滝コースの入口付近に着いたのは11時半。涼しさを期待したが、カンカン照りでえらく暑く、さらに無風。せっかく避暑に来たのにとがっくり。往復2時間程度のものだろうと、小型のザックに水とカメラ、昼食だけを入れて出発。足は地下タビ。

(七滝コース入口)


(その辺の道と変わりない)


 ちょっと行くと、七滝コース登山口があり、駐車のスペースもあって、車が1台置かれている。ちょうど日陰にもなっている。知っていれば、ここまで車で来たものを。
 幅広の登山道を先に進む。至って平坦な歩きだ。緑がまぶしい。標識には岩手山9.5km、野鳥観察舎0.7kmとある。その観察舎だが、左手に見え出すと、帰りにでも寄ろうかと思いながら、結局、たいした施設でもないだろうと、パスしてしまった。

(ここを右に行ってみた。帰りは直進でここに出た)


(暑い林道歩き)


 標識に七滝が加わる。1.89kmとある。単調な歩きが続くと、分岐にさしかかる。直進は「七滝(登山道)」とあり、右は「七滝(林道)」。ここは林道コースを選んでみたが、これまでの日陰の登山道と違って、直射日光を浴びる歩きになってしまった。頭から汗がポタポタと落ちてくる。
 オバチャン2人組がやって来た。軽装だし、時間的にも滝見だったのだろうか。

(こんな道になった)


 林道はまだ先まで続いているが、先ほど分岐した登山道が近づいてきたので、登山道に戻ることにする。登山道はいつの間にかえぐられたような道になっていた。粘土で滑る。ここは雨の日になると、水が流れ込むのではないだろうか。

(七滝の分岐)


(お不動様が置かれていて)


(七滝が見えてくる)


 普通の道に戻ってちょっと先に行くと、七滝の分岐。岩手山まで7.7kmとあるから、2kmほど歩いたことになる。この暑さでは手頃な距離だろう。
 不動様を祀った石祠があり、その先に七滝が見えている。ここから見る限りは2段滝だが、微妙に3段になっているか。『岩手の滝』によると、落差は30mとある。見るからに普通の滝といったところだ。

(下から)


 沢に下りてみる。夜中に雨が降ったのか、ロープ伝いに下ったが、やたらと滑る。七滝を前にして休憩して撮影。ついでに菓子パンを食べた。
 滝の水量はどんなものだろうか。『岩手の滝』掲載の写真と比べると大差はない。コンデジでの撮影だ。シャッタースピードを遅くすれば真っ白になるし、複雑な組み合わせもできないので、せいぜいISOを100にして撮るしかないが、見栄えのある写真にはとうていならない。こんなことを記せば笑われるか。

(どういう仕組みになっているのやら)


(登山口前の駐車場)


 さっ、戻るとするか。ここから八幡平までどれくらいの時間がかかるかもわからない。
 帰路はそのまま登山道を下った。途中、これから登る単独氏に出会う。テント泊かなと思ったが、ザックは小振り。やはり滝見だろうか。駐車場に戻って、菓子パンを食べ、八幡平に向かう。1時間半の滝見だった。

(左側の尖がった山、畚岳というが、明日は、あれに登ることになる。センター奥に秋田駒)


【八幡平・曽利の滝】
駐車地(14:33)……曽利の滝(14:48)……駐車地(15:20)

 八幡平に入ったが、時間に余裕がある。「曽利の滝」を見て来よう。予定には入れていたが、今日の滝見2本は無理かなと思っていた。八幡平を通り越し、玉川温泉に続く国道に入る。バス停を見ながら走ると、秋北バスの「曽利滝」停留所があった。その前に駐車地がある。
 ここもまた八幡平の一角だろうが、八幡平周辺のクマ目撃情報は日常化している。話は前後するが、泊まった宿には、油物の料理を出す翌日には決まって残飯あさりに来るようだし、湿原歩きをした宿泊客のオバチャンがクマが目の前を歩いていたと騒いでもいた。せめてスズだけは欠かせない。
 七滝同様に軽いザックにし、特別な意味もなくスパ長にした。明日は山歩きになりそうだし、地下タビ歩きにして、さっき水を吸いこんでしまった地下タビは乾かそうと思い、外に出しておいた。こんなもの、持って行く人はいまい。

(曽利滝への標識)


(踏み跡は明瞭)


 谷地沢橋を渡る。左に「十和田八幡平国立公園」の石碑。その脇に「曽利滝0.5km」の小さな標識があった。踏み跡は明瞭だが、すぐに下りになった。後でGPS軌跡をカシミールで見ると、沢まで150mほどの急降下になっていた。当然、帰路はつらくなるはず。

(急なヤセを下ると)


(右手に曽利の滝が見えてきた)


 要所にロープが張られてはいるが、注意して下れば、ロープの世話になることもない。まだかまだかと小尾根を下っていくと、右手下に滝が見えてきた。この小尾根、左右ともに沢になっているようで、曽利の滝は、てっきり左手にあるものとばかりに思っていた。

(正面の観瀑台から)


(下に降りて)


 滝見台に到着。瀟洒なというかお上品な感じの滝だ。上の沢の流れが落ち口まで糸を引いて下って来て見えるのが何ともいえない。『あきたの滝』には、推定落差30mとある。
 沢に下りる。ここもまた七滝同様に滑ってしまう。滝は正面に見えるが、落ち口の上は見えない。やはり、さっきの滝見台の方が良かったか。

(きつい登りが待っていた)


(駐車場)


 滝を前にして一服。今日の予定はこれで終わりだが、明日はどうするか、ずっと迷っている。こだわりの滝に行ってみたいが、自分にはどこをどう歩いても実力オーバーな気がする。クマを3頭見て、出だしでさっさと戻った方もいるようだ。これとは別に、歩いてみたい秋田・岩手の県境ルートもある。それでいて、瀑泉さん記事に余計なコメントを入れて、雪田爺さんともどもに、件の滝のアドバイスを受けてしまってもいる。いい気になって、行けもしない滝のコメントは入れなきゃよかった。
 明日の予定が決まらぬままに帰路につく。だが、のんびりと、明日はどうすんべぇと考えるほどの余裕はなく、短時間の150m登りはえらくきつく感じ、駐車地に着いた時には汗みどろになっていた。

 アスピーテラインを宿に向かう。そして宿に着く。すぐに部屋に入ったが、部屋にエアコンはない。あるのは暖房ストーブだけ。窓を開けると、涼しい風がスースーと入ってくる。これでは確かにエアコンは要らないだろうな。
 温泉に入って、まずは自販機で200円の缶チューを一つ買う。ようやく一息ついた。横になってBSの「必殺仕事人」を見ていたら眠くなったが、夕食までは間もない。必死にこらえた。
 夕食で生ビールと冷酒を飲み、また風呂に入って、9時には寝てしまった。滝見よりも長距離の運転に疲れてしまったようだ。
 明日の予定は未定のまま。それでいて、22日は午後からの雨のようだし、その前に田代岳にでも行こうかと、21日は大館のビジネスホテルの宿泊予約を入れてしまった。

八幡平でぶらぶら歩き。畚岳から嶮岨森。7月20日。

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駐車地(7:48)……畚岳(8:12)……諸桧岳(8:54)……前諸桧岳(9:30)……嶮岨森(10:04)……前諸桧岳(10:51)……諸桧岳(11:41)……駐車地(13:19)

 朝4時半に目覚めて風呂に行った。オッサンが2人入っていた。露天で腰をおろして、酒の抜けた頭で冷静に考えた。やはり、今日は尾根歩きにして、明日は大館に行きがてら、大湯の滝巡りにしようか。その滝巡りも、車道沿いにあって、車を止めては次の滝訪問の繰り返しで、どうも風情も何もないが、例の滝に行くよりは身分相応かもしれない。翌日の田代岳で気分を挽回すればいいか。例の滝は紅葉の時期にも改めて検討するこにしよう。
 いつものように早く起きたし、そうと決まれば、さっさと出かけたいが、ここの朝食は7時から。それまで身動きはとれず、宿恒例のラジオ体操に参加したりして時間をつぶし、朝食を終えると、速攻で出かけた。
 今日の歩きは、昨年、目論んだルートだが、畚岳(もっこだけ)から大深岳(おおぶかだけ)を経由して松川温泉に出る県境尾根を歩いてみたかった。これは、いずれ、松川温泉を起点にして三ツ石山なり大白森を大周回する前段階歩きといった意味合いなのだが、畚岳から松川温泉に出た場合、バスの便が悪く、どうしても途中で泊まるか、2人で行って、車デポをしない限り、日帰りはまず無理。今回、せめて、その一部区間だけでも済ませておきたかった。そうすれば、大周回の時も気持ちの負担は少なくなるはず。

(大深沢展望台から畚岳。左・岩手山、右・秋田駒)


 畚岳から、せめて大深岳までピストンしてしまいたいところだが、昨日の滝見にしても、陽があたると無性に暑かった。暑さは足尾の山とさして変わりはない。熱中症になってまで歩きたくもない。せめて嶮岨森(けんそもり)までの往復ということにしておこう。その嶮岨森だが、山名からして、針葉樹の生い茂った薄暗い山頂といったイメージがつきまとう。
 このコース、昭文社マップを見ると、下り基調になっている。つまり、復路に負担がかかるということだ。前半、飛ばしたら、後半はバテる。だが、折良くというか、曇り空が広がっている。流れる風も涼しい。宿の前の寒暖計は18℃を指していた。場合によっては大深岳まで行ってもいいかなと夢想したりもしている。

(歩き出す)


(森吉山が見えている)


 狭い駐車地には青森県ナンバーの車が一台。どこまで行かれているのか気になるところ。左手には、雲海の上に岩手山が浮かんでいる。目の前には畚岳が特徴ある山容でたたずんでいる。
 さも八幡平といった雰囲気の山道を歩いて行くと、「畚岳0.9km」の標識。高原状の尾根を歩いていると気持ち良く、右手に森吉山のシルエットが見えている。視界はうっすらとしている。

(ハクサンボウフウ?以下、花の名前は手持ちの図鑑で似通っていると思っただけのことで、ほとんど自信なし)


(ミヤマキンポウゲ?)


(こんな回廊もあった)


 向こう側からスズの音が聞こえた。タバコを吸いながら歩いて来る単独氏。「畚岳の先には行かなかったのですか?」と問うと、怪訝そうな顔をして「これから八幡平に登りますから」という返事。自分と違って、県境尾根を歩くといった趣向はないようだ。

(分岐から畚岳へ)


(?)


(岩手山をバックにニッコウキスゲ)


(クルマユリ?)


(畚岳山頂)


(山頂から八幡平)


 畚岳の分岐。そのまま県境尾根を歩くのかと思っていたが、畚岳そのものは秋田県側の領域のようだ。きつい斜面を登る。終わりかけのニッコウキスゲとユリを見て山頂。風が吹き抜けて涼しい。秋田駒ヶ岳が薄く姿を出している。確かに、ここでゆっくりして、後は八幡平に登るというのも手かもしれない。この先とて、周囲の景色に大差はないだろう。

(これから向かう方面)


 腰をおろしてタバコを吸おうとしたら、別の単独氏が登って来た。タバコをしまう。言葉からして地元の方らしいが、ここは初めてらしく、駐車場が真下にあるとは知らずに、八幡平登山口から歩いて来られたとか。今日の目標は大深岳とおっしゃっていた。正直のところ、すごいなぁと思った。次第に晴れてきて、陽が出はじめている。大深岳は自分にはかなりしんどいだろう。どうせ、途中で抜かれるだろうなと思いながら、お先にと、畚岳を下る。

(畚岳を振り返る)


(クマの目撃情報)


 分岐に戻り、南下する。そこに忽然と、黒い塊が登山道を横切って、ヤブの中に入って行った。登山道がカーブするあたりだ。あれは確実にクマだろう。ケモノ臭が漂っている。やはりいるか。スズを2個に増やした。この先にハイカーはいない。余計に不安になってくる。さっきの単独氏に先に行ってもらいたいが、振り向くとまだ姿は見えない。景色が広がっている所ならまだしも、基本は左右にネマガリタケのヤブが続いている。後の話だが、このクマ目撃のことを帰ってから宿のオヤジさんに話したら、やはり、人の話し声が一番の効果とおっしゃっていた。オヤジさんは、山菜、キノコ採りの際にも、常にひとり言を大声で立てながら歩いているそうだが、これは、果たして、たまたまクマが周囲にいなかっただけのことなのか、本当に効果があったのかはわからない。

(沼を見て)


(つい畚岳を見てしまう)


(ササ原の一本道)


(また沼)


(諸桧岳山頂)


 登山道に石がゴロゴロしてきた。地下タビで歩いているから、足の裏が痛くなり、たまに脇を石にぶつけると痛みが走る。
 木道が現れ、左に沼が出てくる。その先は泥濘になり、一面ササの原の一本道を行くと、諸桧岳(もろびだけ)に着いた。登山道はここでカーブしているが、前後の傾斜からしてピークといったものではない。それだけなだらかな山容といったところなのだろう。ところで、この山名の「モロビ」だが、子供の頃から、アオモリトドマツのことを指すことは知ってはいたが、この「諸桧」の字をあてがうとは知らなかった。
 標識に「嶮岨岳3.1km」とある。昭文社マップの嶮岨森ではなく嶮岨岳だ。森と岳ではイメージが大きく違ってくる。そもそも「嶮岨=険阻」なのか。一服する。単独氏はまだ来ない。

(こんもりした諸桧岳)


(薄暗いが、正面が前諸桧、右が嶮岨森か)


 振り返ると、畚岳が遠ざかり、諸桧岳はこんもりしたピークになっている。秋田駒はさっきから見えたり見えなかったりしている。岩手山下の雲海は消えない。あれでは下からでは見えないだろう。正面には、これまたこんもりとしたピーク、あれが前諸桧で、右の三角形ピークが嶮岨森だろう。そのさらに先に見えるのが大深岳ということになるか。

(石沼。光の具合で帰路に撮影)


(前諸桧山頂)


 石ゴロになり、また木道。そして沼。この沼には名前があって、「石沼」とある。なるほど、大きな石がいくつか顔を出している。
 その先にも沼があり、ほどなく前諸桧に着いた。ここもまたピークらしからぬピークで、さっきからずっと同じ風景の中を歩いているような錯覚になってくる。ここの標識だが、なぜか「桧」の字が「檜」になってしまい、嶮岨岳が嶮岨森に戻ってしまっている。

(岩手山と雲海)


(嶮岨森を目指して下る)


 ここからようやく変化のある歩きになった。たいした距離でもないが、大きく下って、大きく登る。これまで単調なアップダウン続きだったため、復路のことが気になりだした。まして、次第に陽が出てきて、暑くなってきている。この暑さ、ダメなんだよなぁ。自分には天敵だわ。

(左手に残雪と沼)


(嶮岨森への登り)


(山頂はあちら)


(嶮岨森山頂)


 どんどん下って、鞍部から登り返す。左下には小さな雪渓と沼が見える。風があるから救われるが、風が止むと、途端に蒸せる暑さになってくる。
 嶮岨森はちょっとした双耳峰の岩峰だった。これでは嶮岨岳のイメージが似合っているだろう。手前がピークかと思ったが、先がピークだった。ここには標石が2つある。一つは主三角点だろうか。

(大深岳方面。中腹に大深山荘が見える)


 大深岳の方を眺める。なだらかな尾根が続いている。そして、手前に大深山荘が見える。ここから大深岳を往復してコースタイムで3時間20分か。やはり、ちょっときついかなぁ。熱中症になっているよりも、さっさと宿に帰り、温泉に入って、缶チューでも飲んでいる方が賢いかねぇ。
 来た方向を見ると、いつの間にやら、例の単独氏が手前ピークで休んでいた。遠慮して、こちらにやって来ないのか。じゃあ、迷いがあるうちに下るとするか。単独氏は予定通りに大深岳まで行かれるとのこと。ここで引き返すと言ったら、「大深岳まで行けますよ」と言われてぐらついたが、やはりやめておこう。

(帰路。右奥のピークが気になってしょうがなかった。茶臼岳のようだが)


(暑さでへたり込んだ感じのナゲさん)


(このゴロ道が地下タビ足に負担となった)


(嶮岨森を振り返る)


(さも八幡平)


(これも)


(最初の沼に戻って来た)


(?。自信なしで名前は敢えて記さない)


(?。まぁ、黄色の花と言ってしまえば済むことだが)


(今日、最後の登り。畚岳には行かずにそのまま下る)


 予想どおりに暑い中の歩きになり、帰路は応えた。往路よりもバテた。畚岳を登らずに済んだだけでも幸いだ。ことに、前諸桧への登りは汗ダクになった。諸桧岳を過ぎたあたりで、青年がやって来た。花目的なのか、接写して撮っている。何を撮っているのか、脇を通っても、こちらにはわからない。

(熱くて暑いラーメンは熊本ラーメン)


 今日は、ラーメンなんか持参して来ている。こう暑くてはラーメンなんか食べていたらさらに暑くなるだけだが、腹も空いているし、畚岳分岐を過ぎ、下り一辺倒になったところでラーメンを作って食べる。おいしくも何ともなかった。ただ腹を満たし、汗がボタボタと流れ落ちただけのこと。畚岳から下りて来た老夫婦がこちらを見て笑っていた。何なんだろう。手拭いを頭に巻いていたからか? 地下タビには気づいていないはずだけどなぁ。

(帰着)


 駐車場には他に一台。岩手県ナンバー。靴を履き替えていると、その車の主が戻って来た。さっきの青年だった。

 このまま八幡平にでも登ろうかと思ったが、暑くて、40分登りですらつらい。明日にしておこう。朝の涼しいうちにさくっと登って、大湯の滝巡りをして大館か。さりとて、このまま宿に帰るのではもったいないし、時間もある。「黒谷地」なるところに行ってみよう。湿原のようだ。
 嶮岨森の下りからずっと気になっている山があった。八幡平山頂の東側にあるピークだ。地図を見ると、茶臼岳という山らしい。その茶臼岳には、黒谷地からでも行けるようだ。いずれ来た際に登ってみることにしよう。

(黒谷地のニッコウキスゲ)


(ワタスゲ)


(これもハクサンボウフウか?)


(?)


(沼というよりも池塘か)


(ハクサンチドリ?)


(きりがないのでここで引き返す)


(熊の泉)


(黒谷地の駐車場)


 黒谷地には自分の知っているところでニッコウキスゲとワタスゲが咲いていた。調べれば他の花の名前もいろいろわかるだろうが、大方はすぐに忘れてしまうから、ある意味、無駄な作業ともなる。
 暑い中、木道を果てしなく歩いていても仕方がない。茶臼岳分岐で切り上げる。同じところを戻ると、水場があった。さっき気づいてはいたが、グループがここでワイワイやっていたから素通りしていた。「熊の泉」とある。飲んでみると、ほてった身体には冷たくて甘露だ。がぶ飲みしてしまった。さて、ここで、さっきの青年とまた出会う。やはり花を撮っていた。

 宿に戻り、風呂に直行する。だれもいない。風呂上がりに缶チューを2本飲み、また「必殺仕事人」を横になって見てしまった。そして引き続き「はぐれ刑事純情派」。こんなのんびりも、これまで2泊以上の出張の時にしか味わえなかった。
 アルコールが汗で抜けたところで食堂に行く。昨日と同じ席で、周囲にはこの宿の常連さんがずらりといらっしゃる。常連さんも半端な宿泊ではない。中には、世田谷にお住まいのオバチャンがいらして、6月から10月の長期の滞在とのこと。失礼ながら、高くつくでしょうと問うと、基本は15泊で10万円だそうな。自分なら、後生掛温泉か玉川温泉の自炊棟にしますけどねと言うと、10月からは後生掛温泉の自炊棟に移って、年越しをされるそうな。よほどに八幡平がお好きらしい。
 まぁ、そんな感じで、今日はクマを見たとかの話になり、脇から、宿のオヤジさんがひとり言・大声が効果有りの話となった。つい、昨日と同様に、生ビール+冷酒1本のつもりが、冷酒2本になってしまった。
 酔ううちに、ずっと頭の中で悶々となってきていたが、例の滝を済ませてしまいたい気分になってしまった。やはり行くか。<茶釜の滝>に。大湯の滝見で茶を濁すのでは何とももったいない。正直なところ、「行ってやろうじゃねぇか茶釜の滝へ」と怪気炎を上げていた。
 宿のオヤジさんに聞いてみた。明日、もう一泊できます? 千葉からの団体さんが入るから、部屋移りで良かったらOKですよ。ここでもう一泊するのは無理もない。茶釜の滝を見たら、おそらくは疲れ果て、大館まで行く気力は失せるだろう。
 部屋に戻って、明日の大館のビジネスホテルをキャンセルし、ここでのもう一泊をお願いした。そのまま、酔いにまかせて寝てしまった。

八幡平でぶらぶら歩き。茶釜の滝。7月21日。

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大場谷地駐車場(7:45)……夜明島渓谷の沢に出る(9:39)……前衛滝(9:50)……茶釜の滝(9:58)……沢に復帰(10:10)……雲上の滝(10:25)……沢離脱(10:50)……下り開始(12:44)……駐車場(13:23)

 昨夜はちょっと飲み過ぎた。頭が重い。追加の冷酒1本は余計だった。5時に風呂に行く。今日はだれもいない。
 ラジオ体操はやめにして、外を軽く散歩した。寒暖計は22℃。昨日よりも4℃高い。今日の「茶釜の滝」、クマの生息地だとか、三大難攻滝の一つだとかの形容がつき、さらに垂直のハシゴを登らないとたどり着けないらしく、ずっとひるんでいたし、こっちに来てからも行くべきかどうか悩んでいた。
 気持ちとしては、夜明島渓谷を泊滝から歩いてみたいところだが、そこに行くまで、荒れた林道を10km以上も走らないといけないようだ。これではストレスもたまるし、自分の運転では無理。それ以前に、林道が通行止めになっていたり、崩壊している可能性もある。
 となると、山越えルートで大場谷地から行くしかないが、この山越えルートも、大場谷地そのものがクマの生息地で、水芭蕉の花を食べに出没するらしい。クマを3頭も見て、滝見をあきらめた人もいる。さらに、往路は標高差200mの登りで済むが、復路は400mの登りになる。この400mはこの時期としてはつらい歩きになりそうだ。昨日よりも暑いのが気になるところ。朝食もとらずにさっさと出かけたいが、早ければ早いほどにクマとの遭遇率も高くなるだろう。昨夜、酒の力で怪気炎を上げたわりには、今朝はちょっとしぼんでいる。

 一昨日の曽利の滝駐車場の前を通り過ぎ、大場谷地の駐車場に着くと、すでに暑くなっていた。昨日の出発時のような曇天ではなく、真っ青な空に陽がギラギラと照っている。案内図板を見ると、「至茶釜の滝(難路)」とあり、「単独での入山は大変危険ですのでご遠慮ください…ガイドを同伴するように…」と記されている。まぁ、自分の場合、今さらながらといったところだから、これは見なかったことにするしかない。

(大場谷地に入る)


(ここは「展望台」となっている。大方の行楽客はここで引き返す)


(あの山を越えることになる)


 湿原の中にしばらく木道が続く。ところどころで木道は崩れ、左右から大型の葉が覆い被さり、木道を隠している所もある。この荒れようからすると、奥まで入り込む人はあまりいないのだろう。周囲は開けているので、クマがいればすぐにわかるだろうが、念のため、ホイッスルを鳴らしながら歩く。

(前日と同じで?)


(これも自分には?がふさわしい)


(大分焼けた感じの葉が多い。そういう種類なのかは知らない)


(木道終点。左から来た)


(登り開始)


(繰り返しの沢渉り)


 ここの大場谷地湿原、干からびた感じの湿原で、枯れた葉が繁茂しているし、当然、水芭蕉には花もない。10分ほど歩くと、一直線の木道は消え、林の中、か細い踏み跡が上に続いている。この踏み跡、沢沿いに付いていて、沢を何度も渉ることになる。沢の水量は少なく、水没することはない。ちなみに、今日は布製の登山靴を履いて来ている。

(これでも結構急だ)


(注意深く歩かないと踏み跡を見失う)


 次第に傾斜が急になったので、ストックを2本出して支えにする。無論、クマと出会ったら形ばかりの防御の役割もある。クマといえば、こんなことは滅多にしたことはないが、クマ撃退スプレーをザックの脇に括り付けている。果たして、いざという時に、スムーズにスプレーできるかどうかは疑問が残る。身が固まってしまうのがオチのような気がする。ヘタすれば、冷静さを失い、自分に向けて噴射する可能性すらある。
 踏み跡が消えかかっては復活する繰り返しとなり、上がるに連れ、倒木が道を隠したり、葉に覆われて道型が不明瞭なところが出てくる。慎重に歩いたため、今回は一度として踏み跡を失うことはなかったが、暗い時に歩いたら、まずは迷うだろう。

(ギンリョウソウ。これは確定でしょう)


(? ブドウみたいだか)


 200mを登りきる。すでに汗が吹き出していた。今、1160mあたりにいる。ちなみに、大場谷地の駐車場には965m標高点がある。地図を見ると、この先しばらくは緩い下り傾斜になるはず。本格的な下りは1124m標高点西側を巻いたあたりからで、さらに過激な下りになるのは1050mあたりからのようだ。下りきった沢付近に731m標高点がある。したがって、400mの下り(=登り)とはいっても、正確には430mほどということになる。
 この地図、ヤマレコにアップされた軌跡図を刷り出してルート図として持参したもので、実際の歩きとはずれてもいるだろうが、数値の目安に大きな差はないだろう。

(徐々に下っている)


 スズは2個付け、ホイッスルも相変わらずに5分間隔くらいでけたたましく鳴らしている。今日はひとり言はつぶやかない。大声を出す分、体力も消耗しそうだ。直射日光はたまにあたる程度のものだが、風が通わず、とにかく、無性に暑く、すでに手拭いは一本使えなくなっている。

(こういうところは、その先の続きに要注意。巻かずに突っ込んだ方が良い)


(太いブナの倒木)


 太いブナの樹が続く。木肌に彫った落書きも目にする。新しいものはなく、字は読み取りづらくなっているが、昭和の字がかろうじて読める。ここのルート、おそらく、以前は多くのハイカーに使われていたのだろう。その頃は道型も明瞭だったろう。今は廃道化しつつあり、たまに古いテープを見かけるといった具合だ。いずれにしても、倒木を避けただけで簡単に道を失ってしまいそうだ。

(急になるが、しばらくはジグザグの踏み跡になっている)


 次第に急になってくる。尾根通しの下りのうちはよかったが、北東から北西に方向転換するようになると、傾斜はさらに増す。ここで念のために手袋を履き、ストックをしまう。だが、樹に抱きつきながらの下りといったほどのものではなく、実は、先人の記事を読みながら、相当にひどい急坂だろうと思っていただけに、この時点ではちょっと拍子抜けの感がある。まぁ、普通の急坂といったレベルだ。まして、この先にある崩壊地(これもまた実際は崩壊という言葉が適当かどうか疑問になった)までは、道型もしっかりと復活していて、クネクネとし、傾斜を緩めた道になっていた。沢音も次第に近づいてきている。ここまでは、楽観的になっていた。何だこのなものだったのかって。

(足元にトラロープ。これでは気づかない)


(あの白いロープに向かう)


(振り返って。ここが崩壊地らしいが、よくわからない)


 倒木、枝折れ、ヤブが加わってくると、足元にトラロープが現れた。下葉に隠れ、注意していないと気づかない。大分、水が流れ込んでいる。もしかして、ここが崩壊地か。だが、周囲には大きなフキやらが繁茂して、全容が見えない。ここで進行方向を間違いそうになった。トラロープがおかしな方向に張り出してあったりする(もしかすると、崩壊地をそのまま下るロープだったかも)。正面にボンボリ状になった白いロープが見え、そちらに行くと正解だった。踏み跡復活。

(ヤセ尾根下り)


(クサリも有り)


(沢は見えているのだが、ここからが超難関&危険エリア。滑りまくる)


 一旦、ヤセた尾根を下る。これは今まで以上の傾斜だが、ロープとクサリがあって助かる。これがなかったら、相当にきつい。ロープ頼りに下っていたら、気持ちの余裕も失せていたのか、右下に見えるはずの雲上の滝も見逃してしまっていたが、この時は、この時期だし、緑が深いから見えないのだろうと思っていた。

(このヤブの中の下りが最悪だった)


(沢に出る)


 崩壊地から先はかなりきつい状態になったが、小尾根から崩壊地の下に移ってからがさらに面倒だった。沢はすぐそこに見えているのに、すでに楽観気分は飛んでいる。ズルズルの急斜面になった。水気も相当にある。そこに頼りないトラロープが添えてある。周囲に木枝の類はなく、つい、すがるものがなくフキの茎に手を出してしまった。ポキッと折れてズルッと滑った。このトラロープを使うしかないようだ。両足を突っ張って、何とかふんばりながら沢に出た。

 沢で石に腰かけ、最初に思ったことは、滝見を済ませたら、このまま夜明島渓谷を下ってしまおうかということだった。だが、そうもいくまい。いくつかの滝を越え、崩壊林道を10km以上歩き、その先に光明があるわけでもない。ここを戻るしかないのだ。
 ぐったりしていた。沢の水もがぶ飲みした。まして、ここはジリジリと暑い。落ち着いたところで、沢靴に履き替え、汚れた手拭いを洗って頭に巻いてヘルメットをかぶった。ストックと登山靴、帽子はこの場に置き、まずは下流の茶釜の滝へ。

(これと)


(これの脇を下る)


 まさかと思ったが、予定外の5~6m級の小滝を2つ越える。いずれも、脇にロープがあったので、しっかりと利用した。なかったら、先には進めない。

(そして、あの小滝のテラスに上がる)


(茶釜の滝の前衛滝。左に垂直ハシゴ)



 3つ目の小滝の上にすり抜けると、左から沢が合流してくる。これだな。先に行くと、茶釜の滝の前衛滝が見えた。そして、左の岩壁には、ウワサの垂直ハシゴ。上はヤブになって、その先の様子がよくわからない。

(こんなところを登る)


 ハシゴに取り付く。自分はこういうのは大の苦手で、庚申山のハシゴですら嫌いなのに、ここは垂直で、途中でハシゴの乗り換えが何度かある。ハシゴもまた、足先に余裕スペースがなく、岩にベッタリとくっついているところもある。とにかく、下だけは見ないように一歩一歩足をかけて登った。

(滝名板)


 傾斜が緩み、周囲も広くなったが、ハシゴは消えない。ヘタに勝手に歩いたらとんでもないことになりそうなので、そのままハシゴを伝って登り上げると、「茶釜ノ滝」の手書き標識があった。ようやく茶釜の滝に出会えた。ここは2人で立っているには狭いが、1人なら余裕だ。確かに、自分には難攻の滝であった。

(茶釜の滝。狭いところからの撮影につき、このアングルしかない)


(滝の上部)


(滝の下部。滝に打たれている人の姿のようなのが見える)


 豪瀑だ。『あきたの滝』には推定落差100mとある。そんなにあるとは思えないが、ズルズルさせながら見にやって来ただけの価値は十分にある滝だ。しばらく眺めていたが、滝の頭が南側にあるため、どうしても、写真を撮ると頭が白くなってしまう。これは残念だ。後で見る雲上の滝もまた同じ条件になってしまった。
 ところで、どこが「茶釜」だったのか、眺めながらいろいろと思考錯誤したが、とうとうわからずじまいだった。

(下る)


 ゆっくりして、ハシゴを慎重に下る。登りと違って、下りの方が足元が見えないので、乗り換えに気を遣う。着地した時にはほっとし、ノドがカラカラになってしまった。

(雲上の滝)


(上)


(下)


(改めて)


 引き返して、荷物デポ地を素通りして雲上の滝へ。こちらの方は予期せぬ障害もなくたどり着いた。こちらは品の良い滝だ。『あきたの滝』推定落差20m。茶釜の滝がこれの5倍の落差があるとも思えないが、実際のところはどんなものなのだろうか。
 茶釜の滝と雲上の滝を比較し、自分の好みは雲上の滝の方になるが、豪瀑としての良さは茶釜の滝だろうな(何を言っているのか自分でもよくわからない)。とにかく満足できた。

(登り返し区間にはペンキの目印等がいくつかある。大方が下にあり、この時期は要注意か)


 そろそろ戻るか。靴を登山口に履き替え、ヘルメットは外す。チェーンスパイクを巻こうと思ったが、思っただけで終わった。ここからの登り返しの400m、特に、このすぐ先は嫌だなぁといった気分的なものもあるのか、もしくは炎天下をほっつき歩いたせいか、熱中症の気配を感じる。頭もぼーっとして、どうでもいい気分。身体も熱い。気分的なものだろうが、念のため、ワークマンで買っておいた塩熱サプリなるものをかじった。
 では出発。今度は最初からトラロープ頼りに登った。とにかく、崩壊地までの半端でない急斜面だけは無理してでも早いとこ済ませてしまおう、後は千鳥足の登りになっても構わない。

(小尾根から雲上の滝)


 小尾根に立つと、左に雲上の滝が見えた。何だ、やはり見えたじゃないか。よほどに気持ちの余裕がなかったようだな。ここからの眺めなら、紅葉の時期が秀逸だろう。
 崩壊地を通過。この先は、完全に登っては休みの繰り返しになり、トータルして休みタイムがオーバーになってしまった。風がまったく通らず、沢で入れ替えた2リットルの水も、登りきるまでの間にあっさりと1リットルは飲んでしまった。

(ブナの樹の落書き)


(変化のないところをずっと歩くので、こんなのがちょっとした変化にもなる)


(200mの下りになる。かなりほっとしている)


(休憩)


 ほぼ2時間近くかけて上り部分を歩き通し、ようやく下りになった。後は道を間違えたり、この期に及んでクマに出会わなければいい。途中、沢辺で腰をおろし、冷たい沢水をゴクゴク。あぁうめぇ。

(モミジカラマツ?)


(木道歩きに復帰)


(この辺まで来る人はまれだろう)


(サワギキョウ?)


(この湿原もまた良い展望だが)


(ワタスゲ。今回は出番が多い)


(帰り着く)


(ちなみに今日のクマ対策グッズ)


 木道をテクテク歩いて大場谷地湿原入口の東屋で休んだ。ここは日陰で少しは直射から解放される。ベンチがたちまちのうちにズボンの汗で濡れた。どうせならと、ここでまたラーメンを作って食べた。周囲には、湿原にちょっと入り込む行楽客が4~5人。皆さん、100mも歩かずに戻って来る。暑いだけで、たいして見る物もなかったのだろう。

 宿に帰って部屋替えとなったが、移された部屋は安いとはいえ条件が悪く、西日の射し込む部屋だった。風通しがなく、えらく暑い。温泉に入り、扇風機を強にし、横になって缶チューを飲んでいても汗がダラダラと流れる。たまらずに「必殺」だけを見て、もう一度風呂に入り直し、後はロビーでアイスを食べたりコーヒーを飲んだり、本を読んで夕食までの時間をつぶした。
 さすがに疲れていたのか、夕食では生ビールと冷酒を1本だけで済ませ、部屋に戻って、メールなんかしていたら、8時過ぎには寝てしまった。

(本日の軌跡。右側に一昨日の「曽利の滝」)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

【そして後日談】
 翌日22日。早く寝たせいで、2時半に目が覚めた。風呂に行くと、同類のお早い目覚めのオッサンが入っていた。
 夜が明けるまで、寝床で本を読んでいた。
 6時に散歩に出かける。気温は20℃。今日の予定は、まずはサクッと八幡平歩きだったが、上空の雲が黒く、今にも雨が降りそうな気配になっている。部屋に戻ってテレビで天気予報を見ると、今日明日と前線が秋田、岩手に停滞して大雨・雷・洪水警報が出ている。午後からの雨どころか、すぐにでも降り出すだろう。こりゃダメだな。昨日のうちに情報収集しておけばよかった。
 もう、このまま帰るか。
 だが、母親から、叔父の見舞いに行って来てくれと頼まれていたので、北秋田市の病院に行かざるを得ない。だったら、墓参りもしないわけにもいかないな。
 朝食後、精算を済ませてすぐに出発、ここから鹿角八幡平インターまで出ることになるが、高速に乗った途端に土砂降りになり、大館に着くと、周囲は真っ暗で、ひっきりなしの雷鳴が轟いていた。コンビニで見舞い袋を買おうと、傘も出さずにほんの5~6歩ダッシュだけでずぶ濡れになった。
 早いとこ帰らないとまずいことになるんじゃないのかと危惧したが、ここまで来たら行くしかない。予定通りの行動を急いでとることにする。
 見舞いに行ったオレの存在がわかっているのかわからないのか、こちらには不明な様子の、天皇陛下と同じ年の叔父を見舞い、阿仁に寄って墓参り。この雨では線香なぞ立てられるわけもなく、手を合わせただけで終了。
 そのまま田沢湖経由で盛岡インターに向かった。雨は一時的に小止みになったりしたが、基本は豪雨。さて、インターに入る前に給油をしないとまたムダ銭を使うことになると、スタンドを探し回ったが、盛岡方面左側にスタンドはなく、ようやく見つけたのがインター直前のスタンド。ここはリッター120円のセルフだった。安すぎるので気になったが、JAでやっているスタンドだから混ぜ物はないだろう。
 岩手県を抜けるまで土砂降りは続いた。ワイパーは忙しく、ライトは点灯のまま走った。
 宮城で雨は上がったが、その後も集中的に降るところがあって、郡山と宇都宮でも豪雨となり、ノロノロ運転になった。
 雨に追いかけられながらの帰宅。あと2~3日は秋田で適当に遊ぶつもりでいたが、これはできなかった。後一日でも出発が遅れていたら、山どころの話ではなくなり、秋田県から出られない状態になっていたろう。まぁ、毎日が日曜日だから、切迫感はなかったろうが。

 取り残し分は、いずれまた、紅葉の時期にでも行きたいものだが、果たして、その時の自分がどういう立場になっているのか。それが問題だわなぁ。相変わらず日曜日続きということもあり得るし。

那須の茶臼岳に行ってみたが、体力の衰えを自覚しただけのことだった。

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◎2017年8月2日(水)

ロープウェイ山麓駅(9:00)──山頂駅(9:05)……茶臼岳(9:38)……牛ケ首(10:30)……峰の茶屋跡(10:55)……山麓駅駐車場(11:30)

 山歩きと温泉をセットでやりたくなった。那須を選んだのに特別な意図はなく、涼し気な感じがしただけのことで、赤城山と那須を天秤にかけたらそうなった。
 朝起きると霧雨になっていた。ネットで峠の茶屋駐車場のライブカメラを覗くと、陽が照っていて、駐車場の車には影までできている。こうなったら、さっさと出かけたいが、意に反し、女房が出張に出かけるため、駅まで送って行かないといけない。那須とは正反対方面の駅に送り届け、自宅前を素通りして高速道に乗った。ずっと曇り空だった。日光の山も那須の山もまったく見えない。この時は、雲の上は晴れているだろうと思ってもいた。
 今日は最初からまっとうな歩きをするつもりはない。そもそもできない。仕事を辞めてから不摂生な毎日が続き、歩ける自信はまったくない。八幡平の歩きにしても、不本意な歩きになってしまった。それでいて、8月に入ったら、北アルプスにでも行こうかと、だったら少しは暑い中でも歩いておかないといけないな、なんて身の程知らずのことを考えていたりもする。
 躊躇することもなくロープウェイ山麓駅に向かった。今の自分にはこれしかないだろう。茶臼岳に登って、周辺をブラブラする。体力があればせめて朝日岳か。歩いたという事実だけ作ってさっさと温泉に直行しよう。頭にはこの展開しかなかった。

(ロープウェイ山麓駅)


 山麓駅の周辺は真っ白で視界も30mといったところ。ロープウェイが動いているのか怪しく、警備の方に聞くと、通常に動いているとのこと。すぐに9時発のがあるようだ。車に戻って準備してチケット売り場へ。片道分(950円)のみ買うと、渡された乗車券は往復分になっていた。今日は下りサービスディのようだ。いくら何でも、往復ロープウェイになるほどの体たらくではないつもりだ。

(何も見えんわ)


(歩き出す)


 わずか4分の乗車。周囲は何も見えない。乗客は4人。山歩きスタイルは他に1人のみ。山頂駅に着くと、視界は幾分良くなったようだが、それでも50~60m程度のものか。着実にガスは薄れていく気配があり、時たま、青空が一瞬見えたりもしている。
 歩いて5分もたたずに大汗をかいた。動悸がして、息切れもひどい。吐き気すらした。やはりなぁ。こうなることは予想もしていたが、早々になるとは。これでは、これまでの積み重ねの歩きも帳消しだ。休んで、ウインドブレーカーを脱ぐ。外気はひんやりしているのに、身体だけは熱い。
 周囲にはだれもいない。ロープウェイ同乗のオッサンは牛ケ首の方に歩いて行った。もう適当に休みながらノロ足で歩くことにする。それにしても、歩きやすいというか、ロープに沿って歩くだけのことで、視界が悪くとも迷うようなところはない。たまにはこんなところを歩くのもいいが、本当にたまにはだ。

(次第に晴れ渡ってきた)


(こんなところを歩くのは実のところ恐ろしい)


 一瞬晴れ渡り、先行の4人組のオバチャンたちが休んでいるのが見えた。実をいうと、歩き出し直後の苦悶の壁を過ぎたら、身体も平常に戻りつつあった。4人組は少なからず20分早いロープウェイに乗ったはず。こちらは、やけに遅い歩きだなと思ったりしている。脇を通って抜く。おしゃべりに夢中だ。これでは抜いたことにもならないか。
 次第に青空が広がってきた。上から5人、下りて来る、一人は単独女性、4人はファミリーのようだ。ファミリーは空身。ロープウェイ往復か。単独女性は峠の茶屋か三斗小屋温泉からか。他人のことを斟酌する気持ちの余裕はできてきたが、本調子になったわけではなく、立ち休みは続いている。
 三斗小屋温泉が出たついで。大黒屋には30m以上前に泊まったことがある。薄暗いランプの部屋で一人、とてつもなく寂しい夕食をとった記憶だけが残っている。その3年後、グループで煙草屋に泊まる予定が、急きょ自分だけ行けなくなり、律義に、翌朝早く、雨とガスの中を朝日岳を越えてグループと合流し、三本槍岳まで往復した。あの頃は体力もあった。今では、那須そのものが遠い地だ。

(大岩)


(朝日岳)


 大岩の脇を通過。右手に朝日岳が顔を出した。アルプス的な端正な形をしたピークだ。これも昔のことだが、朝日岳に登った際、何かの行事があったのか、アルプホルンを演奏している一団に出会ったことがある。あの風情は、この周辺の山の景色にえらくマッチしていた。そういえば、強風にあおられ、ピッケルを支えに30分ほど身を小さくして固まっていたこともあった。そんなことを思い出して朝日岳を眺めていたら、わざわざ体力を消耗して騒がしい北アルプスに行くまでもないかといった気分になってしまった。

(山頂)


 山頂に到着した。こんなに広々として、岩がゴロゴロしたところだったっけ。最近来たのは7年前に3人で来た時で、雨とガスで周囲は何も見えていなかった。あの時は、煙草屋に予約を入れていたが、天気がこうではと、途中でキャンセルを入れたりしている。
 山頂にはだれもいず、適当にのんびりできるのだが、陽射しが強くなりかけてもいるし、風が止むとジワリと暑い。少し下って、岩陰で休んで菓子パンを食べる。山頂にあった寒暖計は22℃を指していた。
 ここからどうしよう。朝日岳は予定外だし、今さら向かっても、すんなりとは登れまい。またゼーゼーしながら登って、己の体力の衰えに嫌気が差すだけのことになるのではないのか。ガスが出てきて、朝日岳がまた消えた。いい理由ができたとほっとした。だが、このまま峠の茶屋に下って山麓駅に戻るのでは物足りなさ過ぎる。せめて、牛ケ首あたりまで往復しようか。さりとて、南月山まで行く気にはなれない。

(山頂を見上げる)


(茶と緑と白の世界だ)


(峰の茶屋跡が見えてくる)


 ぐるりと回って(お鉢周りというらしい)、お釜口というところで分岐となり、峰の茶屋跡に向けて下る。ハイカーが多くなってきた。やはり、自分とは違って、峠の茶屋から登る人が圧倒的のようだ。その中に、駐車場で見かけた小学生連れのファミリーがいた。楽ちんコースを歩き、余裕あり気な顔をして下っているのが恥ずかしくなってきた。

(牛ケ首へ)


(噴煙)


(牛ケ首の向こう側も良さげだが)


(牛ケ首)


 峰の茶屋跡の上を牛ケ首に向かう。あまり面白味のない斜面道だが、巨大な岩があったり噴煙が上がっていたりする。周囲は硫黄の臭いがする。ここが無限地獄というスポットらしい。以前、歩いたことはある。途中で、ロープウェイで一緒だったオッサンに会う。
 牛ケ首に到着。ここもだれもいない。ベンチに腰かけて10分ほど休む。地図を広げる。ここから大丸温泉というところに下ると、車道歩きが20分ある。これはやめとこう。小周回して沼原分岐というところに出る手もあるな。だが、コースタイムを見る限り、中盤から上り基調になっている。どうも積極的になれない。結局、ここで打ち止めにして、さっさと温泉という当初の予定どおりにしておこう。戻る。

(岩峰を見上げて)


(戻る)


(峰の茶屋跡)


(消えていく朝日岳)


 朝日岳がまた出てきた。もう気持ちが揺らぐこともなくなっている。しかし、いい景観だ。アルプス情緒もさることながら、赤岳から見る阿弥陀岳に似たところもある。
 峰の茶屋跡で休もうと思ったが、オバチャン2人が騒がしくしていたので素通りとなった。あとはひたすらに登山道を下る。平日なのに随分とハイカーと出会った。また雲が下りてきたのか、朝日岳は消え、周囲もガスに覆われてきた。この雰囲気も悪くはない。まして、道を失う心配もない。

(ガスの中の下り)


(一応、花も撮ったりしている)


 下りがてらに、那須の高山植物の案内板がいくつか置かれている。その中にエゾリンドウとオヤマリンドウというのがあった。リンドウだから、紫の花を咲かすのだろう。ここまでその色彩を見ることはなかった。
 さも火山帯の登山道の周辺が緑になってきた。何やら知らぬ枯れた感じの花らしきものをずっと撮ってきた。後で調べることもあるまい。先日の八幡平は特別だった。図鑑で調べもした。3人組のオバチャンが登って来た。コンニチワと言った直後、オバチャン達が脇道に逸れて「わっ、すごい、群生よ」と言い合っている。振り返って、その方を見ると、紫の花の群生が見えた。いずれかのリンドウだろうか。戻っていっしょになって見るのもなんだし、そのまま下ったが、やはり、その筋に目ざとい方には、すぐに目に入るのだろうな。

(山の神)


(狛犬)


(石畳を下って)


 山の神、狛犬、鳥居をくぐると、左に峠の茶屋の駐車場が見えた。出がけにネットのライブカメラで見た駐車場だ。もう霧で白く、車はシルエットだ。あとはずっと車道に接しながらも石畳の道を下る。
 ガスの中をどんどんどんどん下る。錯覚なのか、右後ろにロープウェイの案内アナウンスが聞こえてきたりする。ついGPSを取り出してみると、まだ先。ようやく、アナウンスは前方から聞こえてきた。そして小雨になってきた。

(駐車場に戻る)


 左に駐車場が見え、とりあえずザックを車の中に入れ、山麓駅に行った。お目当てはラーメン。出る時、何となく、ここのラーメン、600円ながらもおいしいのかなと期待していた。食べてみた。まずくはないが、ロープウェイの片道料金950円と相応の味か。

 ガスのおかげでというか、確かに陽が出ると暑くなるのは仕方のないことだが、総じて涼しい中の歩きが出来たようだ。やはり那須の山は涼しい。これで体力に不安がなければ、もっと快適な歩きができたのにと少々残念。今回のことで、登山道がしっかりしているところでは、多少のガスの中の歩きも苦にならないことを知った。当分は陽がカンカンと照る中での歩きは避けたいが、少しはガスの中での歩きを楽しんでみたいものだ。

 来た時よりもガスは濃くなり、クネクネ道をライトを点け、断続的なブレーキ踏みで下った。前の東京ナンバーの車は運転に不慣れなようで、ブレーキを踏みっぱなし。広いところになるとカーブと思って右往左往したり、余計な停車を繰り返す。こちらはじっと後ろについていたが、そのうちに後続車にクラクションであおられた。ようやく気付いたのか、車を左に寄せたので追い越そうとしたら、すぐに右にウインカーを出す始末で、こちらも急ブレーキ。また後ろからクラクション。オレが悪いわけじゃないんだよ。


(ここの温泉に立ち寄り)


 下調べしていた温泉があった。下に出ると、ガスは消えたが、急な左折路を素通りしてしまった。戻るのもなんだしと次の候補。しばらくインター方面に向かう。ここも通り過ぎたが、難なくUターンできた。入浴料は870円と高めだが、ヒノキの湯舟で広い。改装間もないのか、お湯もまたきれいに感じた。
 元々、温泉にダラダラと入っている趣味はない。身体を洗う前後に湯に浸かるだけで、2回目は露天と決まっている。腰かけてゆっくりと上半身を風にあてるようなことはしないが、つい、露天でしばらく湯舟のヘリに腰かけて涼しい風にあたった。それだけで贅沢な気分になってしまった。

 来る時は高速で行ったが、高速代3,110円はもったいなく、ましてエアコンをつけなくとも走れる。4号、新4号、50号、407号と国道を乗り継いで帰った。3時間半ほどかかったか。山を歩いたのはほんの2時間半ほど。ちょっとしたドライブで終わってしまった感じになってしまった。

ガスの中の歩きを楽しみたくて、今度は赤城山に。

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◎2017年8月4日(金)

鳥居峠(9:08)……駒ヶ岳(10:25)……黒檜山(11:12)……覚満淵(12:46)……鳥居峠(13:03)

 一昨日の那須の山歩き、自分には、ガスの中の歩きもなかなか乙なものだなといった印象が残った。日照りの暑苦しい歩きから解放されるのが良い。梅雨時の歩きだったら、無風でベットリとして不快なものだろうが、今の時期なら少しは湿気も薄れているし風もある。近場でどこか手頃な山はないか。すぐに浮かんだのが赤城山。ここのところ、赤城山の姿を見ることはない。きっと、ガスに覆われた毎日をお過ごしなのだろう。これはねらい目かもしれないな。
 暑い時期だし長時間歩きは無理。あっさりと定番の黒檜山、駒ヶ岳コースの歩きでもいいが、いずれ鳥居峠から歩いてみようと思っていたし、今回、それをやってみることにする。ただ、昭文社マップに記された「篭山」がどのピークにあたるのかよくわからない。1430mピークだとすれば、尾根伝いにここを通過するということになる。
 鳥居峠から北上する桐生市と前橋市の境界ルート、諸氏のネット記事を拝見すると、道はあるようだ。2年前のでんさん記事にも、しっかりした道型の写真が掲載されていた。ガスの中の歩きだ。ヤブこぎになったのでは余計な歩きになってしまうし、危険でもある。

(今日もまたガスガスでスタート。鳥居峠)


 大沼が近づくにつれ、期待通りにガスが濃くなってきた。ビジターセンターで改めて道路を確認し、鳥居峠に来るとまさに濃霧といった感じになっていて、ここは地形的にそうなのか、周囲よりも霧の発生が多いところのようだ。駐車場傍らにある食堂だかレストランか知らないが、開店準備の人声と雨戸を外すような音が聞こえるだけで、家屋も人の姿も見えない。

(あそこから入ってみよう)


(踏み跡は明瞭だがかなり歩きづらい)


 雨上がりのようで、草木がかなり濡れている。足は登山靴にし、スパッツを巻く。早々にダブルストックで歩くことにする。さて、どこから取り付くのか、正面の岩場ルートではあるまい。「熊出没注意」の看板がうっすらと見え、そこに森の中に入って行くような道型が見えた。これからだろう。入り込んでみる。
 大石ゴロゴロながらもしっかりした踏み跡になっていて、テープがずっと続いている。足場は悪く、濡れている石は滑りそうで、かなり気を遣う。この踏み跡、当初、尾根末端の岩場を避け、一旦北西寄りに迂回し、すぐに北東の尾根に登り上げるものとばかりに思っていたが、しばらく歩いても、踏み跡とテープはどんどん北西に向かう。迂回し過ぎている。これでは覚満淵の上に出てしまうのではなかろうか。もしかしたら、篭山に向かうルートとばかりに勝手に思い込み、間違い歩きをしているようにも思える。

(最初に見た標識。これを正面に後ろ側に歩けば良かったのだろうが、予定尾根からどんどん離れていくような気がして、写真の正面側に入り込んだ)


 尾根に出ると標識があった。歩いて来た方向には鳥居峠まで150mとあり、このまま踏み跡の続く方向には、どこに至るかの地名も記されていない。やはり、どうも間違ったようだ。峠で篭山らしきピークに合わせたコンパスを頼りに、強引に北東方向に進んでみる。

(踏み跡が散らばっている。すべて半端に終わっている)


(急な斜面をズルズルと登ったり)


(足元はフカフカで、やたらと踏み抜く)


 最初のうちは踏み跡も散らばり、それらを追いかけてみたがすぐに消える。意を決してヤブに突っ込む。倒木、大石が隠れていて、コケのようなところに足をかけるとズボッと踏み抜く。ササヤブに全身すっぽりと隠れもする。上に尾根のようなものが見え、急斜面をズルズルと登ると、尾根は南東側に下っている。どうも篭山周辺をうろついていることだけは確かだ。だったら、この場所を地図で特定しようと、樹間を覗き込むが、ガスが濃く、登り上げた尾根は北東向きの尾根型になっている気配もなく、先は谷間のようになっている。

(これだな)


 どこにいるのかさっぱりわからなくなった。無駄な歩きをしているようにも思え、鳥居峠に戻って、普通のコースで駒ヶ岳に行くことにしよう。登山道のしっかりしたガスの中の歩きは期待したが、ルーファンをしてまで歩きたいとは思わない。何度も転んでは引き返そうとすると、右上にまた尾根が見えた。念のため上がってみると、しっかりした踏み跡というか道が北に続いている。これか。
 どこでどう間違えたのか。標識のあったところを疑いもせずに逆に歩き続ければここに至るようになっていたのか。ヤブの中を20分以上もさまよい、手足とズボンが泥んこになり、さらに全身ずぶ濡れの状態になってしまった。

(次の標識)


 道を先に行くと、また標識。鳥居峠は記されているものの、反対側はどこに向かうのかの記載はない。大方、駒ヶ岳の下山ルート分岐を誤って素通りして来たハイカー向けの標識だろう。ところで、篭山はどこだったのか。後でGPS軌跡を見ると、1430mピークは通過していたようだ。ガス巻きは恐るべしだ。

(ガスも手頃でいい感じだ)


 ルーファンで大汗をかいたら、憑き物が落ちたかのように足取りが軽くなった。だが、全身が濡れているのは極めて不快。地下タビだったら、さらに足元もグショグショだったろう。歩きやすい道になると、手ごろなガスもかかっていて、いい感じになってきた。欲をいえば、道ではなく踏み跡レベルだったらなお理想だ。サクサクと登って行く。だが、このガスも、間近にクマでもいたらと想像すると、少々恐いところもある。実は、一回、ケモノのうなり声を聞いたりもした。

(陽射しが入ってきたりして)


(明瞭な道が最後まで続いている。急なところもない)


 森の中に、たまに陽射しが入り込むと、やはりむっとする。そして、シャツからは湯気が出る。しかし、陽が陰ると涼しい。あれ以来、標識を見かけることはなくなったが、テープ巻きの手書きは見かけた。これにも鳥居峠はあるものの駒ヶ岳はない。どうも、ここを登ってもらいたくないという当局のお気持ちが伝わってくる。上から間違って入り込んでしまったら、このまま下れ。さすれば鳥居峠に出るから安心せよ。だけど、登る分には責任持てないよといったところか。

(駒ヶ岳登山道に合流)


(この標識に「サブコース」とあった)


 大沼分岐に到着。意外と時間はかからなかった。手間取りタイムを含めて1時間程だ。ここで標識を見ると、登って来た道には「サブコース」と記されていた。何だ、コースとして表示されているんじゃないか。余計なことを考えてしまったが、やはり上り使用は避けてもらいたいルートなのだろうな。

(駒ヶ岳へ)


(あれが駒ヶ岳かも)


(山の頭がボコボコ出ていれば雲海なのだが)


(駒ヶ岳山頂)


 立ち休みをしていると、オッチャンが大沼の方から上がって来た。挨拶をして先に行く。登山道が広くなり、ところどころに木の階段もある。間もなく駒ヶ岳に到着。単独氏が休んでいた。黒檜の方から来たようだ。失礼ながらと、脇に寄っていただき山名標識を撮る。下には雲海もどきに雲が広がっている。ここは陽があたって暑い。
 単独氏が去り、菓子パンを食べていると、カメラを2台持った単独女性が登って来た。うら若き活発そうな女性といったところ。所望されたので、コンデジの方で、山名板をバックに写真を撮ってあげた。縦、横各一枚。

(下る)


(大タルミ)


(黒檜山。見えていない)


 ここから黒檜山までは40~60分と標識にある。その中間の50分を目標にするか。階段道をどんどん下る。こんなに下るのかと不安になる。大タルミの標識のあるところに着く。ここが鞍部のようで、黒檜山までの標高差は220mとも記されている。肝心の黒檜山は見えていない。むしろ見えていないから、220mがどんなものなのか視覚的に理解できていないだけでもましかもしれない。おそらく、見えていたら嫌になって駒ヶ岳に戻るだろう。ここまでも、この先も数人のハイカーと行き会ったが、みんな黒檜の方からだ。定番ルートも、黒檜山先行が圧倒的なのだろう。

(登り返し)


 さすがにサクサクとはいかなかった。ちょっと歩いては立ち休みの繰り返し。これはいつもの歩き方だから、特に体調が悪いわけでもない。少しは体力の衰えも戻りつつあるようだ。

(花見ヶ原分岐)


(60歩先から)


(少年グループ)


(黒檜山神社)


 花見ヶ原キャンプ場からのコースが合流する。そちらから少年が4人、登って来た。「絶景スポット60歩」とあったので行ってみたが、何も見えるわけはない。戻って、少年たちの後ろに続く。黒檜山神社の前で手を合わす。参拝は初めてかも。

(黒檜山山頂)


 少年たちは、しきりに無線で交信している。林間学校ででも来ているのだろうか。そんなことを思っていたら山頂に到着。ここまで駒ヶ岳から40分だった。山頂には少年10人ほどと引率の大人数人がいたが、騒がしいので、そのまま素通りしてここもまた「絶景スポット2分」に行って休んだ。

(絶景スポット2分から)


 言わずもがなに雲しか見えない。陽があたって暑い。先着はオッチャン1人だけだったが、そのうちに、さっきの少年たちや他のグループもやって来て賑やかになった。オッチャンが少年から聞き出しているのが聞こえた。少年たちはボーイスカウトの集まりのようだ。
 端でタバコを吸っていると、少年が4人ほど後ろに来て座り込んだので、「ここは煙いよ」と言うと、中の小賢しい感じの子が「ああいう言い方は、ここには来るなということなんだよ」と仲間に言っている。別にそんなつもりで言ったわけでもなかったから苦笑いしてしまった。深読みするのもいいが、少年らしくないヒネクレさだなと思った。

(ボルトとコマネチ)


 山頂に戻る。だれもいないかなと思ったら、駒ヶ岳で見かけた女史がいた。何やらセルフで撮ろうと、ミニ三脚をセットしている気配があったので、また撮ってあげる。こんなのいつものパターンだと思っていたが、この先の展開がちょっとばかり違った。言いづらそうに「コマネチポーズで…」と言い出すので、そういえば、ネットの記事でよく見かけるなと思いつつ、ハイポーズ。これだけでは終わらない。ついでにボルトポーズ。こちらもついその気になって、といっても、我が身のコマネチを撮ってもらうわけにもいかず、女史に改めてポーズを願い、我がカメラにも収めた。これ、自分のブログで出していいよね? 顔出しでいいの? いずれも問題なしの返答だが、ここでは顔隠しにしておこう。もっとも、自分のブログのタイトルを伝えたわけでもなく、女史がこちらのブログに気づくことはあるまい。
 女史と話をすると、岐阜からいらしたとのことで、以前、黒檜山は雪のある時期に来たことがあるらしい。群馬は掃部ヶ岳と水沢山だったかに行ったことがあるとか。今回は白馬岳に行く予定が中止になったので赤城山にいらしたそうな。これから軽井沢の丸山珈琲に寄って帰るとおっしゃっていたが、もしかして、こちらと同じに毎日が日曜日の生活なのかなとつい思ったりした。

 しかし、下卑た話だが、岐阜といえばすぐにチョンマゲを思い出してしまう。岐阜の人間から聞いた、宴会での破廉恥なパフォーマンスだ。言語道断のセクハラだが、女性もニコニコして写真に収まったりしているらしい。信じがたいことをするものだなと思ったものだが、これは岐阜に限らず東海地域全域でのことなのか、ふみふみぃさんに確認したいところでもある。そもそもこれは過去の風習なのか、いまだにやっていることなのか。
 それにしても、この女史のコマネチポーズ、見知らぬオッサンに写真撮りを所望するとは、やはりパフォーマンス好きな県民性というか、地域性なのだろう(もっとも、こんなポーズ撮りはどこの出身者でもやることだ。群馬県の女性とてしかり。オバサンのは見たくもないが)。田舎に行くと、いまだに結婚式もド派手にやったり、嫁入りの家具をトラックに積んで町内を回ったりするらしい。これが過去の話だったら、岐阜の方には大変失礼なことになる。事前にお詫びしておくが。

(下る。いきなり岩ゴロになっている)


(こういうところを歩くのは嫌いなのだが)


(まだまだ続く。道もあやふやになる)


 駒ヶ岳下で会ったオッチャンがやって来たのを機に下山する。石ゴロのひどい道だった。考えてみれば、ここの登り、積雪期の登りしか記憶なく、地面が露出している時に歩いたのはほんの数回だ。ここを登って来るのはさぞきついだろう。まして、大石がゴロゴロしているから、それを避けてあちこちに道がついていて、テープを絶えず気にしていないと、おかしなところを下ってしまいそうだ。
 これから上がって来るハイカーも結構いる。子供をおんぶしたパパが余裕あり気に登ってきたが、空身同様のママが「ここでまだ半分ですよね」と聞いてきたから、「そうですね。あと200mの標高は上がらないと」と言うと、大騒ぎしていた。こんな風景もまた楽しい。

(猫岩から大沼方面。ニャンにも見えん)


 猫岩に到着。休んでいた単独氏、「ここから大沼が見えるはずなのにがっかりですよ」と言ってきたから、「予想して来たから、私なんかそうでもないんですけどね」と答える。まさか、本当に晴れると思ってやって来たのではないだろうな。こちらは、雷雨の兆候さえなければ、これを楽しみでやって来ている。

(歩きづらさは最後まで続いて)


(登山口)


 10人ほどと出会って黒檜山登山口に出る。ここでストックを収納し、スパッツも外すが、ストックの先のゴムが一つ無くなっていた。こんなことしょっちゅうだが、強力に固定する形にできないものだろうか。なければないで、つい気になってしまうものだ。

(大沼)


(左に覚満淵に入る)


(遊歩道で1)


(遊歩道で2)


(遊歩道で3)


(遊歩道で4)


(遊歩道で5。池塘がかすかに見える)


(部分的に新しい木道も)


 車道を歩いて行く。ここでようやく大沼を見た。駒ヶ岳登山口の駐車場には岐阜ナンバーの車が置かれていた。女史のだろう。途中から覚満淵に入る。ガスで沼も湿地帯も見えない。向こうからジイチャン、バアチャン6人のグループがやって来た。ここの歩道は一人通行だ。脇に立って通過を待った。先の2人のオバチャンはこちらに気づいてありがとうございますとさっと通過したが、3人目のババアがこちらに気づいているのにスマホで写真を撮って立ち止まる。4人目から6人目にかけては、さも博学らしいポーズのジジイに花の名前を教わったりして立ち止まっている。通過する時にも挨拶すらなかった。このヤロウと思って怒鳴りたくなったのは正直なところ。

(鳥居峠へ)


(鳥居峠)


 脇道に逸れて鳥居峠に着いた。相変わらずのガスに巻かれている。それでもここで食事をとる方がいるようで、店から客が出て来たのだけは見えた。

(この看板を読んでみた)


 周辺の石碑を見に行った。傍らに解説看板が置かれていた。読んで見たが、途中で嫌になった。意味がさっぱりわからない。「神々の聲説明」というタイトルだ。記されているところ、行者が御神水の祓いをしたら、神々が行者に乗り移り、神々の声を残して去った。この声を碑として残してあるが、ここは神々の宿る地で、その瑞気が漲っている。祓い浄められたこの霧深いこの地には、オーっと神々の声がこだまする。といったところか。英文をぎこちなく訳した感じだ。看板の発行人は塩山市の文殊院。横に赤城山御神水の会の看板もある。それなりの宗教法人的な組織だとすれば、ここは聖地ということになる。文殊様と神々を祀るのなら、一種の修験道だろうか。
 ふみふみぃさんがここに戻って来て聞いた雄たけびは、おそらく、ここに記された神々の声「名峰競いて聳ゆる 上州の天 …」、もしくは「オー」ではなかったか。ここの峠は周囲よりも霧が深く集まるところだ、そんなところから聖地とされたのではないだろうか。それにしても、見た目はそんな感じはしないけどな。ガスの中では、パワースポットといった感じすらない。

 鳥居峠を過ぎるとガスは薄くなった。だが、先日の那須と同様に、ブレーキを踏みっぱなしで下るドライバーはいるものだが、こちらがあおりを加えたわけでもないのに、ほとんどが路肩のある所に寄せて道を譲ってくれる。下るに連れてじわじわと暑くなる。

 来る途中で「あいのやまの湯」という立ち寄りを見つけていたので、ここに寄る。天然温泉とある。総合レジャー施設といったところだ。入場料は510円。車が多く、駐車スペース探しに苦労した。やたらと、地元の年寄りらしい方々が目についた。
 きれいな広い風呂ではあったが、露天側はジイサンが10人ほど腰かけて歓談している。さすがに、その仲間に加わるつもりはなく、大人数で狭くなった露天には行かずにさっさと引き上げ、ソファに腰かけて自販機のアイスクリームを食べた。

 今日の歩き、最初こそ手こずったが、短時間ながらも楽しい歩きだった。コマネチやボルトにも接した。これからはますます暑くなるだろう。ガスの中の歩きもいいが、そろそろカラッとした空の下で涼しい歩きをしてみたい。やはり、標高のある山に行かないとだめかなぁ。これまた、今の自分には鬼門でもあるのだが。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
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