◎2017年3月20日(月)
春めきの三連休が保証されていたが、初日は出勤、二日目は庭木を切ったりで半日をつぶし、三日目は墓参り。今年に入って、内容はともかく週一のペースで歩いていただけに、歩けないのは何とももどかしく、墓参りに出かける前にちょっと足利に出向いてみることにした。
目当てはあった。こういう時間半端な時用にストックしているところがある。一つは越床峠の旧トンネル跡、そして、樺崎八幡宮の裏山・八幡山。一遍に回っても、家を出てから3時間半後には戻れるだろう。
どうでもいいことだが、体調はすこぶる悪く、ここ一週間、風邪がぬけずのままだし、昨日の作業で両肩から腕にかけて筋肉痛になっていて、身体をよじると痛みが走る。墓参がなく時間がフリーだったとしても、満足な歩きはできないだろう。まして翌日は仕事日。今日はちょうど良い散歩といったところだ。
【越所隧道跡】
古道はともかく廃墟、廃村の類にはあまり興味はないが、明治に築かれ、80年近く前まで使われていたトンネル跡ということなら見てもいいかなといったところがある。このトンネル跡の前にすでに知っていた須花峠の明治トンネル、大正トンネルを見ておきたいが、そちらはいずれまた行く機会もあるだろう。
このトンネル、「越所隧道」というらしい。存在を知ったのはでんさんからのコメントだが、ネットで調べると、かなり詳細な記事があった。結局、この記事をアップした方の記録をもとに向かうことになる。
隧道の工事は明治12年着工、28年竣工、昭和13年にトンネル中央部の落盤で閉鎖。全長195mとある。その後に、今は閉鎖されている旧道が開通し、通行はそちらに移行したようだ。16年の工事からして、メインは手掘り作業で、その間の資金難があったことも予想される。何せ個人の有志による施工のようだし。
そのネット記事によれば、足利側の出入口は見つからず、佐野側のみ残っているらしいが、敢えてここで足利側を探索するほどの好奇心はない。今回は、その方が9年前に辿ったところを見当づけて歩くだけのこと。
(旧道のゲート)
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旧道分岐のハイキングコース入口の駐車場に車を入れて歩き出す(8:27)。この時点で他に車はない。トンネルの中は水たまりになっているらしいので、足は長靴にした。通行禁止のゲートを越えて旧道歩きになる。この旧道、閉鎖になって20年程経っているようだが、整備すればそのまま使えそうだ。もう少し経てば、廃れるままになるのだろう。
(ここから「鳩の峰」方面に行くのだろうが、どこで尾根に合流するのだろうか)
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(市境のゲート)
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旧道はクネクネしているが、ショートカット道があって、ロープが張られたそちらを行く。再び旧道に出ると、「大小山・大坊山」の手書き標識があった。そして、左に未舗装の道が分岐し、そちらには「鳩の峰、塩坂峠」方面の標識がある。先月、番屋の方から越床峠まで下って来て、その先、鳩の巣方面には適当に登って行ったが、正式なハイキングコースとしては、峠からここまで下るということだろう。
ほどなく佐野市との境にあるゲートに着く(8:35)。佐野側からならここまで車で入れるということではなく、佐野側にも293号線の分岐にゲートはまた別にある。つまり3段構えの侵入禁止。
右手に大小山方面の道を分けると、道路を遮る倒木、続いてまた右に登山口。先日はここに下りて来た。
(落葉に覆われた旧道)
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(放置されたままの不法投棄のタイヤ)
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旧道が落葉で覆われるようになると、右手に不法投棄のタイヤの山が現れた。ネット記事によると、トンネル入口はこの付近のようだ。反対側を見ると、なるほど西に向かって窪み状の地形になっている。これをずっと行けばいいらしい。
ということは、話がややこしくなるが、順序立てると、旧道設置のベースになった峠越えの道が元々あって、峠部分をショートカットすべく、途中に隧道を設け、この付近に出るようにした。その後、落盤でトンネルが使えなくなり、以前からの峠越えの道を拡張し、やがて国道293号線に昇格した。そして、越床トンネルの開通とともに旧道になった。敢えて記すまでもないことだろうが、そんなところだろう。
(道型が先に続いている)
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(間もなく荒れてくる)
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(そして、ここに突きあたる)
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(その下にぽっかりと穴があいていた)
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窪みはかつての道型のようでもあり、幅は2mほどあるが、先に行くと倒木とヤブがうるさくなる。同時に道型らしき姿もなくなり、ただの荒れた沢状になってしまった。
倒木をくぐって進むと、正面が崩れた岩盤になった。先は土砂で見えていないが、土砂の上に立つと、岩盤の下に洞窟のような穴が覗いている。これがトンネルの入口のようだ。ここまで旧道から離れて3分も歩いていない。
(穴に入る)
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(入って奥を覗く)
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(突きあたり。異質の土壌が流れ込んで塞がれている感じだ)
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(さっさと出口に向かう)
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中に入り込んでいる間に地震でも起きたら生き埋めだなと躊躇してしまったが、好奇心の方が勝った。身をかがめて中に入ると、意外に広い空間になっている。もちろん水たまりができている。幅4m、高さ3mほどか。確かに当時の馬車なら通れるだろう。
土が出ているところでもかなりズブズブになっている。粘土質だ。ちょっと奥に入ると、もうその先は崩れていて、強い懐中電灯で照らしたが、隙間の穴すら見えない。前述のレポでは30mほどの長さだったらしいが、自分の目測ではせいぜい20mあるかどうか。その間に東日本大震災があったから、縮まったのかもしれない。
行き止まりに支柱にしたらしき木が散乱している。ひんやりした感じもない。ここまで見れば十分だ。さっさと戻る。出口の直前で、水に足を入れてみると、ズボッと膝上まで入り込んでしまった。余計な観察をする必要はなかった。おかげで左足は泥んこ。
(このザマだ)
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ここから適当にさらに西の尾根に上がり、これまた適当に西に下るというアイデアがないわけでもないが、時間もないし、たいして面白味のある歩きが出来るとも思えないので、そのまま来たルートで旧道に戻る。せいぜい、倒木エリアを迂回しただけだが、旧道を車が通っていた時にはこの辺に入り込んでくる人も結構いたのか、古いゴミがトンネル跡近くまで落ちている。
旧道に出て、落葉でズボンの泥をこすった。落ちるわけはないが、少しでも乾きは早いだろう。峠の方からジイチャンが下って来た。散歩のようだ。泥んこになったのがおかしなところから出て来たので、それなりのことを言われるかなと思ったが、挨拶を交わしただけ。ジロジロされもしなかった。峠に出ると、次のジイチャン。こちらの足元には目もくれず、いろいろと尋ねてくる。景色のいいところは知らないかと。峠から右に行くか、左に行くかで悩んでいるらしい。よく聞くと、いずれ雲海を見に来ることにしているが、今日はその下見だとか。どうも東の展望が広がっているところに行きたいらしい。こちらもさして詳しいわけでもないので、こっちに行って、大坊山か大小山にでも行ったらと無難なアドバイスをしたが、その通りに登って行った。あのジイチャンのことだ。大坊山に行ったとしたら、足利鉱山の下では確実にシルバーコースだろう(笑)。襟元から、首元のボタンまでかけた白いワイシャツが覗いていたのが印象的だった。
(緊張したわりにはあっさりと駐車場)
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駐車場に到着(9:13)。往復一時間もかからなかった。車が6台くらいに増えている。準備中の方々を見ると、全員、ジイチャン、バアチャンばかり。ここから歩くのは、そういう方々が優先して選ぶコースなのだろうか。
木っ端を見つけてズボンの泥をこそぎ落としてみたが、泥は生乾きで、かえって面積が広がってしまった。
【八幡山&琴平山】
(樺崎八幡宮。まいど、といったところか)
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車で5分程走って樺崎八幡宮。ここの駐車場に車を置くのは、今年に入ってからもう3回目ともなる。
八幡宮の裏手にある八幡山は、一月に山王山から下って来た際、北関東道に尾根が寸断されていて行けなかった山だ。特に魅力ある山とは思えないが、以来、気になっていて、いつか手持無沙汰な時にでも行ってみるつもりでいた。
(ここから)
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(入口標識。パワースポット)
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靴を履き替えて出発(9:26)。以前、裾野を通った時、「パワースポット登山道入口」という何だか俗っぽい標識を見かけていて、そこを行けば、八幡山に登れるようだ。神社から南に回り込み、民家の間の車道をちょっと行くと、標識が出てきた。
(ヤブめいている)
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(すぐにこうなる)
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(この標識がずっと続く)
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最初はヤブめいた感じだったが、次第に明瞭な道になり、クネクネと上に続いている。カーブごとに「パワースポットコースNO.●」の標識が短間隔に置かれていて、このNOは山頂直下で16になる。
この標識、下に樺崎八幡宮の名入りだから、神社で設置したのだろうが、どこが、果てまた何がパワースポットなのか、自分にはよくわからなかった。もちろん、山頂にその解説があったわけでもない。よくは知らないが、アニメの舞台になったらしく、その時のパワースポット扱いそのままなのか。
(八幡山山頂)
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滑りやすい道を登って行くと、あっけなく八幡山山頂(152.8m三角点)に到着してしまった(9:43)。展望は西側が見えてはいるが、さほどの風景ではない。「足利百名山・八幡山」の板が置かれている。ここに「史」と記された標石が置かれている。琴平山にもあったが、これは何を意味するのだろうか。「歴史」の「史」の意味だろうか。
(北に向かう)
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(琴平山)
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(これの石標が気になった)
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引き続き北側に向かう。平らなところをずっと行くと、神社型の石祠が置かれている。ここが琴平山というのは知っているが、琴平山の山名板はどこを探しても見あたらない。八幡山も同様で、ネット記事で見かけた立派な山名板はなくなっている。
琴平山は展望はない。さらに北側を通る自動車道の騒音だけ聞こえる。ここに「神山コース思い出歴史」と記された標識があるが、これは帰ってから調べてもその意味はわからなかった。
定番コースでこのまま北に下ってもいいが、確か車道になっているはずだし、また自動車道の側を通って歩くのもどうかと思い、来た道を下ることにして八幡山側に引き返す。
(足利氏御廟跡だそうな)
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(改めて)
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神社経由で駐車場に戻る(10:10)。途中、乾いたズボンを手で叩いたが、手を茶色に汚しただけだった。ここもまた一時間どころか40分で終わってしまった。合わせて1時間半の歩き。これでは歩いたことにもならないほどのものだが、春めいた中での歩きだったせいか、それなりに気分は良かった。心地よい軽い汗もかいた。
※前半部のトンネル跡探索、ここは危険ゾーンです。上の岩盤は崩れています。佐野市で立入禁止にしていないのが不思議なくらいです。前例記事があったので、ここに記事は載せましたが、行く以上は相応の覚悟が必要です。
春めきの三連休が保証されていたが、初日は出勤、二日目は庭木を切ったりで半日をつぶし、三日目は墓参り。今年に入って、内容はともかく週一のペースで歩いていただけに、歩けないのは何とももどかしく、墓参りに出かける前にちょっと足利に出向いてみることにした。
目当てはあった。こういう時間半端な時用にストックしているところがある。一つは越床峠の旧トンネル跡、そして、樺崎八幡宮の裏山・八幡山。一遍に回っても、家を出てから3時間半後には戻れるだろう。
どうでもいいことだが、体調はすこぶる悪く、ここ一週間、風邪がぬけずのままだし、昨日の作業で両肩から腕にかけて筋肉痛になっていて、身体をよじると痛みが走る。墓参がなく時間がフリーだったとしても、満足な歩きはできないだろう。まして翌日は仕事日。今日はちょうど良い散歩といったところだ。
【越所隧道跡】
古道はともかく廃墟、廃村の類にはあまり興味はないが、明治に築かれ、80年近く前まで使われていたトンネル跡ということなら見てもいいかなといったところがある。このトンネル跡の前にすでに知っていた須花峠の明治トンネル、大正トンネルを見ておきたいが、そちらはいずれまた行く機会もあるだろう。
このトンネル、「越所隧道」というらしい。存在を知ったのはでんさんからのコメントだが、ネットで調べると、かなり詳細な記事があった。結局、この記事をアップした方の記録をもとに向かうことになる。
隧道の工事は明治12年着工、28年竣工、昭和13年にトンネル中央部の落盤で閉鎖。全長195mとある。その後に、今は閉鎖されている旧道が開通し、通行はそちらに移行したようだ。16年の工事からして、メインは手掘り作業で、その間の資金難があったことも予想される。何せ個人の有志による施工のようだし。
そのネット記事によれば、足利側の出入口は見つからず、佐野側のみ残っているらしいが、敢えてここで足利側を探索するほどの好奇心はない。今回は、その方が9年前に辿ったところを見当づけて歩くだけのこと。
(旧道のゲート)

旧道分岐のハイキングコース入口の駐車場に車を入れて歩き出す(8:27)。この時点で他に車はない。トンネルの中は水たまりになっているらしいので、足は長靴にした。通行禁止のゲートを越えて旧道歩きになる。この旧道、閉鎖になって20年程経っているようだが、整備すればそのまま使えそうだ。もう少し経てば、廃れるままになるのだろう。
(ここから「鳩の峰」方面に行くのだろうが、どこで尾根に合流するのだろうか)

(市境のゲート)

旧道はクネクネしているが、ショートカット道があって、ロープが張られたそちらを行く。再び旧道に出ると、「大小山・大坊山」の手書き標識があった。そして、左に未舗装の道が分岐し、そちらには「鳩の峰、塩坂峠」方面の標識がある。先月、番屋の方から越床峠まで下って来て、その先、鳩の巣方面には適当に登って行ったが、正式なハイキングコースとしては、峠からここまで下るということだろう。
ほどなく佐野市との境にあるゲートに着く(8:35)。佐野側からならここまで車で入れるということではなく、佐野側にも293号線の分岐にゲートはまた別にある。つまり3段構えの侵入禁止。
右手に大小山方面の道を分けると、道路を遮る倒木、続いてまた右に登山口。先日はここに下りて来た。
(落葉に覆われた旧道)

(放置されたままの不法投棄のタイヤ)

旧道が落葉で覆われるようになると、右手に不法投棄のタイヤの山が現れた。ネット記事によると、トンネル入口はこの付近のようだ。反対側を見ると、なるほど西に向かって窪み状の地形になっている。これをずっと行けばいいらしい。
ということは、話がややこしくなるが、順序立てると、旧道設置のベースになった峠越えの道が元々あって、峠部分をショートカットすべく、途中に隧道を設け、この付近に出るようにした。その後、落盤でトンネルが使えなくなり、以前からの峠越えの道を拡張し、やがて国道293号線に昇格した。そして、越床トンネルの開通とともに旧道になった。敢えて記すまでもないことだろうが、そんなところだろう。
(道型が先に続いている)

(間もなく荒れてくる)

(そして、ここに突きあたる)

(その下にぽっかりと穴があいていた)

窪みはかつての道型のようでもあり、幅は2mほどあるが、先に行くと倒木とヤブがうるさくなる。同時に道型らしき姿もなくなり、ただの荒れた沢状になってしまった。
倒木をくぐって進むと、正面が崩れた岩盤になった。先は土砂で見えていないが、土砂の上に立つと、岩盤の下に洞窟のような穴が覗いている。これがトンネルの入口のようだ。ここまで旧道から離れて3分も歩いていない。
(穴に入る)

(入って奥を覗く)

(突きあたり。異質の土壌が流れ込んで塞がれている感じだ)

(さっさと出口に向かう)

中に入り込んでいる間に地震でも起きたら生き埋めだなと躊躇してしまったが、好奇心の方が勝った。身をかがめて中に入ると、意外に広い空間になっている。もちろん水たまりができている。幅4m、高さ3mほどか。確かに当時の馬車なら通れるだろう。
土が出ているところでもかなりズブズブになっている。粘土質だ。ちょっと奥に入ると、もうその先は崩れていて、強い懐中電灯で照らしたが、隙間の穴すら見えない。前述のレポでは30mほどの長さだったらしいが、自分の目測ではせいぜい20mあるかどうか。その間に東日本大震災があったから、縮まったのかもしれない。
行き止まりに支柱にしたらしき木が散乱している。ひんやりした感じもない。ここまで見れば十分だ。さっさと戻る。出口の直前で、水に足を入れてみると、ズボッと膝上まで入り込んでしまった。余計な観察をする必要はなかった。おかげで左足は泥んこ。
(このザマだ)

ここから適当にさらに西の尾根に上がり、これまた適当に西に下るというアイデアがないわけでもないが、時間もないし、たいして面白味のある歩きが出来るとも思えないので、そのまま来たルートで旧道に戻る。せいぜい、倒木エリアを迂回しただけだが、旧道を車が通っていた時にはこの辺に入り込んでくる人も結構いたのか、古いゴミがトンネル跡近くまで落ちている。
旧道に出て、落葉でズボンの泥をこすった。落ちるわけはないが、少しでも乾きは早いだろう。峠の方からジイチャンが下って来た。散歩のようだ。泥んこになったのがおかしなところから出て来たので、それなりのことを言われるかなと思ったが、挨拶を交わしただけ。ジロジロされもしなかった。峠に出ると、次のジイチャン。こちらの足元には目もくれず、いろいろと尋ねてくる。景色のいいところは知らないかと。峠から右に行くか、左に行くかで悩んでいるらしい。よく聞くと、いずれ雲海を見に来ることにしているが、今日はその下見だとか。どうも東の展望が広がっているところに行きたいらしい。こちらもさして詳しいわけでもないので、こっちに行って、大坊山か大小山にでも行ったらと無難なアドバイスをしたが、その通りに登って行った。あのジイチャンのことだ。大坊山に行ったとしたら、足利鉱山の下では確実にシルバーコースだろう(笑)。襟元から、首元のボタンまでかけた白いワイシャツが覗いていたのが印象的だった。
(緊張したわりにはあっさりと駐車場)

駐車場に到着(9:13)。往復一時間もかからなかった。車が6台くらいに増えている。準備中の方々を見ると、全員、ジイチャン、バアチャンばかり。ここから歩くのは、そういう方々が優先して選ぶコースなのだろうか。
木っ端を見つけてズボンの泥をこそぎ落としてみたが、泥は生乾きで、かえって面積が広がってしまった。
【八幡山&琴平山】
(樺崎八幡宮。まいど、といったところか)

車で5分程走って樺崎八幡宮。ここの駐車場に車を置くのは、今年に入ってからもう3回目ともなる。
八幡宮の裏手にある八幡山は、一月に山王山から下って来た際、北関東道に尾根が寸断されていて行けなかった山だ。特に魅力ある山とは思えないが、以来、気になっていて、いつか手持無沙汰な時にでも行ってみるつもりでいた。
(ここから)

(入口標識。パワースポット)

靴を履き替えて出発(9:26)。以前、裾野を通った時、「パワースポット登山道入口」という何だか俗っぽい標識を見かけていて、そこを行けば、八幡山に登れるようだ。神社から南に回り込み、民家の間の車道をちょっと行くと、標識が出てきた。
(ヤブめいている)

(すぐにこうなる)

(この標識がずっと続く)

最初はヤブめいた感じだったが、次第に明瞭な道になり、クネクネと上に続いている。カーブごとに「パワースポットコースNO.●」の標識が短間隔に置かれていて、このNOは山頂直下で16になる。
この標識、下に樺崎八幡宮の名入りだから、神社で設置したのだろうが、どこが、果てまた何がパワースポットなのか、自分にはよくわからなかった。もちろん、山頂にその解説があったわけでもない。よくは知らないが、アニメの舞台になったらしく、その時のパワースポット扱いそのままなのか。
(八幡山山頂)

滑りやすい道を登って行くと、あっけなく八幡山山頂(152.8m三角点)に到着してしまった(9:43)。展望は西側が見えてはいるが、さほどの風景ではない。「足利百名山・八幡山」の板が置かれている。ここに「史」と記された標石が置かれている。琴平山にもあったが、これは何を意味するのだろうか。「歴史」の「史」の意味だろうか。
(北に向かう)

(琴平山)

(これの石標が気になった)

引き続き北側に向かう。平らなところをずっと行くと、神社型の石祠が置かれている。ここが琴平山というのは知っているが、琴平山の山名板はどこを探しても見あたらない。八幡山も同様で、ネット記事で見かけた立派な山名板はなくなっている。
琴平山は展望はない。さらに北側を通る自動車道の騒音だけ聞こえる。ここに「神山コース思い出歴史」と記された標識があるが、これは帰ってから調べてもその意味はわからなかった。
定番コースでこのまま北に下ってもいいが、確か車道になっているはずだし、また自動車道の側を通って歩くのもどうかと思い、来た道を下ることにして八幡山側に引き返す。
(足利氏御廟跡だそうな)

(改めて)

神社経由で駐車場に戻る(10:10)。途中、乾いたズボンを手で叩いたが、手を茶色に汚しただけだった。ここもまた一時間どころか40分で終わってしまった。合わせて1時間半の歩き。これでは歩いたことにもならないほどのものだが、春めいた中での歩きだったせいか、それなりに気分は良かった。心地よい軽い汗もかいた。
※前半部のトンネル跡探索、ここは危険ゾーンです。上の岩盤は崩れています。佐野市で立入禁止にしていないのが不思議なくらいです。前例記事があったので、ここに記事は載せましたが、行く以上は相応の覚悟が必要です。