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Channel: たそがれオヤジのクタクタ山ある記
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何だかよくわからないままに歩いた篭岩山だったが、紅葉はすこぶる楽しめた。

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◎2016年11月18日(金)

つつじヶ丘駐車場(7:30)……不動滝(7:44)……抱き返しの滝(8:22)……釜沢越分岐(8:59)……釜沢越(9:03)……釜沢越戻り(9:42)……篭岩山(10:17)……ルートミス戻り(10:44)……明山分岐(11:13)……一枚岩(11:45)……明山(12:56)……町道(13:44)……駐車場(14:30)

 奥久慈の山の紅葉はすごいらしい。いつかは見に行かなきゃと思っていたが、いかんせん遠すぎる。登山口まで車で3時間半はかかりそうだ。栃木と茨城の県境にある雨巻山に行った時ですら遠く感じていた。だが、紅葉の魅力には負ける。一週間くらい早いかもしれないが、この時期に無理してでも行って、紅葉狩りを楽しんでこよう。
 奥久慈といったらメインは男体山になるのだろうか。だが、混みそうな山は控えたい。となると、篭岩山ということになる。以前から行きたいとは思っていても、何ら内容のある下調べはしたことはない。ネット記事を読んでも、地理的な感覚がないから頭に残らない。せいぜい水戸の北、袋田の滝の方だという程度のもの。袋田の滝は物見遊山で行ったことがある。滝を正面から見るのに金を払ったのが心外だったが、泊まった宿でアンコウ鍋を食べ、翌日、那珂湊の市場で魚介を買って帳消し気分にした。
 『山と高原地図』にも奥久慈編は収録されていない。ブログ仲間の皆さんの奥久慈歩きの記事を拝見してもぴんとこない。仕方がないので、ヤマレコの記録に自分にもわかりやすい歩きが載っていたので、その記事と地図を刷り出して出かけることにした。丸写しの歩きをするつもりだ。奥久慈入門としては、こんなメインルートぽいところでいいだろう。ただ、しばらくは尾根通し、沢通し歩きといったパターンから外れているのが気にかかる。

 ずっと高速を使い、つつじヶ丘駐車場に着くまでに3時間。予定より30分早かったが、国道から離れて県道に入ると、これが県道かと思うほどの狭いところがいくつもあり、これがまた民家の玄関先を通ったり、長かったりする。始末の悪いことに待機スペースも少ないときている。対向車が来ないものかとずっとひやひやし、駐車場に着いた時にはかなりげんなりしていた。ナビがところどころでショートカットさせたのじゃないのかと思い、帰りは忠実に県道を辿ろうとしたが、結局、やはり来た道と同じで、こんな気分になるのでは、もう二度と来られないなと思ったほどだ。

(あれが奥久慈男体山だろう)


(篭岩山かねぇ)


(となると、あれは篭岩か)


 駐車場には車が一台。渋い感じの品の良い単独氏が朝焼けの男体山を一眼で撮影中。撮影目的かと思ったが、脇にザックがある。どこに行かれるのか知らないが、ここからのルートは大方似たようなものだろう。挨拶はしたが、物静かな方のようで、余計なことは詮索しない方がいいだろう。戻って来た時には、まだこの方の車があった(瀑泉さんの根本山記事にコメントが入っていたが、この方、まさか雪田爺さんではあるまいな。宇都宮ナンバーだが、車が違うような…。⇒やはりそうだった)。こちらも少し離れて眺める。コンデジでは格も落ちる。男体山はすぐにわかる。左のピークは地図を見ると長福山というのかなぁ。篭岩山はあれで、篭岩は右のあれだろうな。この時点では篭岩山も篭岩も両方同一のコース上にあると思っている。こんなレベルでの歩き出しだ。さっさと出発。

(ちょっと失礼。通らせていただきます。これは定番の写真)


(不動滝)


(滝の上に出る)


 奥久慈パノラマラインを下る。こんないい道があるのに、途中のあの県道は何なのだと思ってしまう。目印の民家の前を入る。標識は「不動滝・篭岩・竜神峡」となっている。竜神峡はよくわからないが、これでいいのだろうが、駐車場のトイレ脇にも「篭岩」標識があった。こことは別方向だった。あちこちから行けるということなのだろう。この先も各所で「篭岩」標識を見かけ、しまいには標識そのものが篭岩山と篭岩がごちゃ混ぜになっているのではないのかと疑問を抱くようになる。地理院地図には三角点峰が「篭岩」になっている。これは「篭岩山」でしょう。確か、瀑泉さんの記事でもこのご指摘を見かけたような気がする。
 薄暗い沢沿い(この沢は湯沢というらしい)を行くと、間もなく不動滝。鳥居と安置されてそんなに古くないような不動明王像があった。紅葉をバックに滝の写真でもと思ったが、紅葉はいまいちの淡い色づき。ロープを伝って上に出る。その先にクサリ。これは使うほどのものでもない。

(これも定番の例の淵。最後はジャンプしたが難なく左の溝を行ける。)


(その先は大石がゴロゴロ)


(淡い紅葉が出てくる。ここはモミジ谷というほどでもないか)


(篭岩の方かと思うが)


 続いてネットでよく見かける淵のスポット。ここはヘツリをして通過のようだ。写真で見て記憶していた左側のクサリはない。ふみふみぃさんが歩かれた6日前は、水量が多くて右岸に渉れずに巻いたようだが、何も問題なく通過できた。緊張もしなかった。ちょっと拍子抜け。後で写真を見ると、確かに巻き用のロープが右に写っていた。
 大きな石がゴロゴロしだした。そして「篭岩・上山→」の標識。このまま沢の先を示す案内はない。どうせ後で篭岩を通るのだろうし、ここは沢をそのまま登って行く予定でいるから、この標識は無視して沢通しにする。
 大石がずっと積み重なっている。どうすればこんな状況になるのか。石には赤ペンキやロープがあったりする。巻く際には、ところどころにテープもあって、無言の親切というか配慮というか。テープを見落とすと、通過に手こずるところもある。紅葉はまだまだ淡い。右を見上げると、篭岩らしき岩が見えるが違うかなぁ。

(抱き返しの滝)


(色づきも次第に濃くなる)


(いい雰囲気の谷)


(朝陽のあたるところの黄色は燃えているようだ)


 大石越えにもそろそろ飽きた頃に「抱き返し滝」に到着。滝だと言われなければそういう見方をしないような滝だが、水が多い時は見ごたえもあるのだろう。ひしゃげた鉄ハシゴを使って脇を登る。
 滝を越えると沢の様相が一変した。大石がめっきり少なくなり、静かな渓谷の風情になった。周囲の色づきも増してきた。こうでなくてはなぁと思っても、ここは谷合いで光が射し込まない。朝陽のあたった鮮やかな紅葉は拝めず、撮る写真もまた結果的にピンボケ続きとなる。
 沢の水は続いている。落葉がすっぽりで水が見えないところもある。注意して足を運ばないとドボンだ。しかし、この辺は好みだねぇ。ナメも続くし、ちょっとした水流も感じが良い。ここもまたモミジ谷といったところだが、盛りはもう少し先かなぁ。陽があたっているところの黄色はかなりきれいだが。

(注意して歩けば濡れることはない)


(沢をここから離脱。左に「←釜沢越」の標識がある)


 良い感じの歩きがしばらく続くが、目の前に植林が出てきてちょっとがっかり。だが、すぐに植林の風景は消えてくれた。沢は二俣になり、水気の多い方に行く。なおも同じ風情は続いているが、どうしても植林が目に入り込むようになってくる。
 杉の木に赤テープ巻きを見た。周囲を見ると「←釜沢越」の標識があった。ここで沢から離脱のようだ。持参のヤマレコ記事を確認する。だが、ここの理解の仕方が誤っていた。記事には「釜沢越え分岐を右折」とある。これを「釜沢越というところで右折」と解釈してしまった。地理に不案内ではしかたがない。後の祭りだが、ここが「釜沢越分岐」であった。

(釜沢越)


 件の記事に出ている右手に作業小屋なんか見えてこない。気づかなかっただけかと先に行くと、十字路風の場所に出て、標識がある。ここが「釜沢越」だろう。ここの右折方面は「鷹取岩」と記されている。それでいて、篭岩山は戻る方向に記されているが、記事にはここを「右折」とあるから疑わない。鷹取岩は篭岩山に向かう途中にある岩だと思っている。頭の中に?マークがなかったわけではないが、せいぜい20%くらいの不安だ。記事には「沢沿いを歩く」となっているのに実際は尾根伝いになっていて、作業小屋を見つけられなかったことと合わせて20%の不安といったところだ。ここでまずは菓子パンを食べて一服。標識には「不動滝に下るのは危険」とテープ書きが垂れている。下り使用では確かにそうかもね。

(間違いルートを行く)


(西側の展望)


(あれは鷹取岩かも。ぶなじろうさんの「爺さん岩」とかもあのあたりか)


 釜沢越十字路を右折して登る。上がるたびに色づきが良くなっていく。陽あたりのせいもあろう。赤はないが黄色でむせてしまいそうだ。時間がとられる。小ピークに達し、下りにかかる。樹には「タカ取岩→」の手書きテープ。不安になってくる。どうも「篭岩」方面に向かっている気配はない。自分の居場所が不明で、コンパスを出すと、東ではなく北に向かっている。不安度は50%を超えた。
 西側の展望がちょっと広がった。山並みが一面に色づいている。なるほど、これが奥久慈の紅葉か。登り上げると峠のようなところになった。ここにも標識があって、来た方向に向いて「篭岩 釜沢越」とある。これでルートミスは確実なようだ。念のため先に下って行くと、樹間越しに鷹取岩らしき岩峰が見えた。これはお呼びではなかった。峠に戻る。このまま釜沢越まで行かずに、直進して尾根通しに行けやしないかと思ったりもしたが、地図を広げたとて自分の居場所がぴんとこない。やはり釜沢越に戻って仕切り直しか。
 下りかけるとオジサンが上がって来た。挨拶を交わして話をすると地元の方らしい。佐中から登って来たとおっしゃっている。恥を忍んで胸の内を伝える。釜沢越を左に行けばいいと言われた。そちらから登って来たのですけどと言ったが、どうも、いただいた適切なアドバイスも、自分の頭の中の地図では違和感がある。作業小屋が右手に見えるとも言われた。一応、納得したような顔をして釜沢越に戻る。頭の中は「??」のまま。

(釜沢越の石祠)


(作業小屋か)


 それどころではないのだが、釜沢越にあった石祠に気づき時間をまたとられる。字は何も刻されていない。ここも古道だろうか。そんなことはさておき、しっくりしないままに同じところを下り、植林の赤テープのあった標識を前にしてまた悩む。やはり篭岩は抱き返しの滝と同じ方向になっている。そんなことはあるまいと、ここは左の踏み跡のある方を見てみると、右手に小屋が見えた。これがヤマレコ記事のいう作業小屋。ここでようやく「釜沢越」と「釜沢越分岐」の違いを納得した。この間、50分のロス。まぁ何となくではあるが、男体山、鷹取岩、篭岩山の配置関係がわかったからいいか。

(尾根に向かう。本日一番の冴えない景色の場所)


(尾根に出る)


 沢沿いのちょっと汚い景色、植林混じりのところを行く。ここはテープと踏み跡頼りに歩く。先に尾根型らしきものが横に続いている。あれに上がればいいのか。沢から離れると手製の標識が2枚。来た方向に「釜沢越」と「カマサワ下り」とある。湯沢がどこからカマサワになったのか疑問があるが、正解ルートを歩いているようだから気に留めないことにしよう。
 尾根に出た。賑やかな紅葉になっている。今日来て良かったなぁ。尾根を右に行けば篭岩山だろうが、尾根通し左に延びる踏み跡が気になる。これか裏縦走路というのは。ふみふみぃさんご一行が歩かれていたなぁ。ここに至り、この辺の地理に随分と詳しくなったような気がする(笑)。だが、トラブルはまだ続く。

(スズタケ通りを通過)


(篭岩山山頂)


(展望地から)


 枯れたスズタケの間を通って行くと篭岩山に到着。やれやれだ。三角点に腰かけて一服。ここは展望がよろしくない。男体山が見えるだけ。ふと、人の声が聞こえた。こちらにやって来る。半分も吸っていないタバコをあわててもみ消した。残りはまた後で吸おう。だがなかなか近づかない。こちらから出向くかと、先に行くと好展望地があった。二人連れが休んでいた。何だこんなところがあったのかと、こちらも休みたかったが、単独のオッサンならまだしもどうも落ち着かない。色付きの山並みを数枚撮っただけで下る。二人連れもまた立ち上がったところだ。自分の頭の中は、次は篭岩になっている。あの岩場の穴ぼこに安置された石仏を見たいという思いがある。

(篭岩山)


(ヤブこぎで寄り道)


(ここで引き返す。左の三角峰がずっと気になった)


 振り返って篭岩山を眺める。先ほどの二人連れがこちらを向いて何か言っているのが気になった。踏み跡に合わせてどんどん下る。その踏み跡は、ハイカーが多い割には薄く、ちょっとヤブになったりしている。途中で紅葉が密になったところがあって、踏み跡から外れて斜面を下ったりした。先に行くと、谷間の光景になった。どうも間違えたようだ。ヤマレコ地図とGPSを合わせる。篭岩山直下で右に行くべきところを直進したようだ。戻る。踏み跡はまだ下り続けている。ここで20分ほどのロス。展望地でゆっくりしたと思えばいいか。

(ロープ頼りの下り)


(途中で。奥久慈の山並みの景色は意外にも飽きないことを知った)


 テープ書きの標識に合わせて、篭岩山とは反対側に篭岩方面に下る。急な斜面のようで、ロープが設えている。こんなところで滑ってもしょうがないので、ロープをしっかりと使わせていただく。下りきると、正面に大きな岩場だろうか、急斜面登りになっている。これを巻くのかなと、巻けそうな右手を見ると踏み跡はない。ここを素手で登るのは無理。近づくとロープが隠れている。使って上に行く。

(これでも十分だが、あと数日で見頃といったところか)


(結構、変化のあるハイキングコースだ)


(また撮ってしまった)


 ここもまたいい眺めだ。また下る。斜面に頃合いのモミジが出てくる。オレンジ色。一週間もすれば真っ赤になるのか。緑葉がちょっと出遅れた感じで残っている。またロープを使って岩場を登る。標識は「篭岩山に至る→」「←篭岩展望台」とある。今、展望台の方に向かっている。問題なし。
 退屈しない歩きが続く。稜線の紅葉は見頃で飽きることがない。紅葉のトンネルを歩いている感じだ。前を歩く二人連れの声が聞こえる。さっきの二人連れだろう。出会ったら気恥ずかしい。言い訳を考えたりなんかするが、追い越すと別口の二人連れだった。

(明山への分岐に入る)


(たまりませんね)


 分岐にさしかかる。標識には、直進が「篭岩展望台」、左折が「明山・亀ケ渕」。今日の歩きは明山まで想定しているから、ここは左に曲がって明山を目指すが、どうもすっきりしない。この「篭岩展望台」の方向が気になる。ヤマレコ記事を改めて読むと、この方、明山までの間に篭岩なんて通過していない。携帯を取り出して篭岩をネットでチェックしてみた。まったく別ルートじゃないの。展望台の方向だ。勝手に途中にあると思い込んでいただけのこと。石仏を見たりしていたらそのまま下山になってしまう。何だ、そうなのかとがっかり。もう帰り支度態勢ではあっけない。ここは明山を優先する。また改めて訪れる機会があるかどうか。あの県道は車で通りたくはない。軽で来たとしても同じだ。
 まっいいかと、明山方向に向かう。こちらもまた退屈しない歩きになった。途中で植林が入り込んだりするが、さほどの範囲でもない。「上山ハイキングコース」の標識が現れた。この標識がこれからずっと続く。紅葉も依然として続き、カエデの黄色もきれいになった。
 そのうちに標識が気になりだした。分岐でもないところに標識があって、二枚重ねになっていて、上下に「←上山ハイキングコース」「上山ハイキングコース→」になっていたりする。ここは一枚「上山ハイキングコース⇔」でいいのではないのか。紅葉満喫の歩きになっているから、こんなものが目に入るとつい批判の対象になる。

(一枚岩)


(一枚岩から)


(あれが明山だろう。)


(今日来て正解だったようだ)


 一枚岩にさしかかる。寄りましょう。ここにも二人連れ。篭岩山直下の方々ではない。余談だが、二人連れもオッサン、オバサンの世界になると大方は夫婦だが、そうでないパターンもあるし、実際にそうとは見えないカップルもいる。だから、つい夫婦連れという表記は避けて、二人連れとしてしまう。潜在的に嫌らしい気持ちがあるのかもしれない。いずれにせよ、自分には二人組はあっても、二人連れの歩きなんてものは、今後ともにありえないだろう。
 そんなことはともかく、二人連れのオバサンは元気で一枚岩の上に乗って楽しんでいる。オッサンの方は下で携帯電話中。あの岩に登ることはできまいと先に回り込んで展望を楽しみ、つい岩に乗ってしまった。北東方向に見える三角錐の山が気になった。さっきから気になっていた。帰ってから調べると554.9m三角点峰、中武生山という山らしい。左下裾野に何かの施設が見える。今向かっている明山はどれなのか特定できていないが、方向からして、あのゴツゴツした山だろうか。

(明山が近づく)


(またかいな。気になり過ぎる)


(あのピークが帰路の分岐だろうか)


 二人連れは下る準備。なら、ここでゆっくりと食事でもと思ったが、先行したくなり、さっさとコースに戻る。上山ハイキングコースは続いている。迷うこともなく歩いて行ける。ずっと尾根通しの歩きになっていて、地図を見ても自分の居場所はわかる。
 小ピークに出るとまた反対側から登って来た二人連れ。今日はよく二人連れに出会う。下ると鞍部に分岐標識。左は竜神峡、右は町道上山線。ここに赤いタバコの吸い殻入れがある。こんなものを使うスモーカーがいるのだろうか。覗くと吸い殻が入っている。だれが片付けるのか。自分で持ち帰るのが当たり前だろうに。

(ようやくここまで来たといったところだ)


 登り返すと、正面に明山が迫っていた。つい気になってしかたがない中武生山を振り返ってみてしまう。下ってまた登る。いささかうんざりしてきたので休憩しておにぎりを一個。ここにも町道に下る分岐標識があった。そしてアンテナが数本。ここから電波を受けて引っ張ってくるのか。ようやくラストステージに入ったようだが、明山からはここに戻って町道に下ることになる。紅葉を見ながら飽きることもなくここまで達したが、正直のところ半分は惰性歩きの状態になっている。ここまで来て明山に行かないのでは具合も悪かろうと、重くなった腰を上げる。

(明山に向かう)


(三葉峠)


(明山は岩峰のようだ)


(直下の登り)


(明山山頂)


(吊り橋が見える)


 下って登ってまた下る。途中、吸い殻入れ付きのベンチを見かける。鞍部は左方向に亀ヶ渕、竜神峡の標識。そして三つ目の吸い殻入れ。ここまでの下りを後で登り返しかと思っただけでがっくりくる。ここが三葉峠というらしい。
 明山の直下。直進はロープの垂れた急な登り。右は迂回路らしき道がある。先ずはさっさと着いてしまいたいからと直登。長く感じて山頂。狭い山頂だ。展望は良い。男体山の頭が見える。そして中武生山。篭岩山は特定できないがたぶんあれだろう。反対側には吊り橋のような橋が見えている。他の山の名前は知らず。ここから筑波山は見えているのだろうか。
 横たわった石に腰かけておにぎりを食べたが、この石、よく見ると「三角點」と記されている。埋められた石標は「三角点」。新旧交代でこのまま放置ということだろう。わざわざ交換するようなこともないような気がするが。

(迂回路下り)


 あの登り返しは嫌だなと思いながら下る。今度は迂回路を使ったが、これとてロープが張られていた。急斜面はなかったものの安上がりの道ではなかった。
 ヤレヤレと町道分岐のピークに戻った。これとて、途中、ショートカットを図って余計に体力を費やしていた。ともかくこれで今日の登り作業は終わりだろう。また一服。

(ここから町道に下る)


(ここは黄色が主体)


(町道)


 ここもまた気持ちの良い歩きの下りが続いた。下降するに連れて紅葉は淡くなるが、この時期でなかったら、この10分ほどの下りも飽きるだろう。町道に降り立つ。後はずっと車道歩きだろう。今日はこれを想定して地下タビではなく登山靴にした。
 登山口にはハイキングマップの看板が置かれている。男体山の北西側に白木山なる山が記されている。その山が写真に収まっているのか後で確認してみよう。

(里のモミジ)


 山里の風景の中を歩く。モミジの赤とイチョウの黄色が目につく。柿を収穫している家もある。ネットで、駐車場までずっと車を見かけることがなかったと記された記事を読んだことがあるが、少なくとも地元以外ナンバーの車を5台ほど見かけた。袋田の滝見物の帰りの寄り道だろうか。

(ここを左)


(標識完備)


(道端で)


(これが今日の最後か)


 このまま車道歩きかと思っていたら、道路端に5基の墓石のあるところでハイキングコースは逸れた。田んぼのあぜ道のようなところを歩き、民家の前を通る。白いサザンカの花と時季外れのツツジ。道標のつつじヶ丘、西金駅に向かって歩いて行く。標識はちょっとうるさくなった。

(殺風景な中を歩いて)


(パノラマラインに出た。正面の細い道はつつじヶ丘駐車場への道)


 色気のないササの間の道、植林を通過すると、パノラマラインを見下ろす階段の上に出た。ちょうどつつじヶ丘駐車場分岐だ。

(改めて男体山から篭岩山)


(ここのくたびれたツツジ)


 つつじヶ丘駐車場に近づくと下りてくる車がいる。ここの道もまた狭い。乗っているのは二人連れ。おそらく山中で出会った四組のいずれかだろう。朝は逆光で暗くしか見えなかった正面の山並みの展望も今はすっきりしてはっきり見えている。今度はあの男体山に登ってみたいものだ。今日はルートミスのトラブルが2回ほどあったが、紅葉の中、すっきり歩きができて満足だ。

 来る時と同様にびくびくしながらの運転で国道に出てほっとしたが、那珂インターに向かう国道はずっと混んでいた。平日なのに袋田の滝の行楽帰りでもあるまい。工事渋滞だった。通りがかりの案内看板、常陸大宮市で「やまがた宿芋煮会」が日曜日に開催されるらしい。この「やまがた宿」の「宿」とは何だろうか。宿場があったのか。気になった。

(今回の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

そろそろ終わりだろうと、ちょっと近所で紅葉探索。高津戸峡と桐生の寺まわり。

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◎2016年11月23日(水)

ながめ北駐車場……要害山……高津戸峡……里見兄弟の墓……駐車場 ── 宝徳寺 ── 崇禅寺

 今日の北関東は冷え込んで夜から雪らしい。スタッドレスタイヤへの履き替えはすでに済ませているが、軽の方は自分でもできると、まだそのままにしていた。雪の降る前にやらなきゃならないが、午前中は晴れ間がもつようだ。もったいないので近場の紅葉狩りに行くことにした。
 大間々の高津戸峡に行ったことはなかった。ネットで調べると、ここに標高270mほどの要害山という山があるらしい。ここも含めて朝の散歩コースとしよう。自宅からながめまでなら40分くらいのものだ。

 ながめ北駐車場に車を置く。車から出ると、風が冷たかった。早速、赤城おろしだろうか。手袋を履く。8時を過ぎたばかり。探索に歩き出す方が2人ほど。この辺は初めてなので、みどり市観光課の発行した「高津戸峡周辺マップ」を持って歩き出す。北に回り、はねたき橋を渡って要害山遊歩道入口、そして要害神社(要害山)。高津戸峡遊歩道に下って駐車場戻り。一時間程度のものだろう。今日の格好は山歩きスタイルではなく、普段着にスニーカーだ。

(駐車場脇の神明宮)


(高津戸峡をチラ見)


(はね瀧道了尊)


 はねたき橋(鱍瀧橋)を渡る手前にお堂のようなものが見えた。「はね瀧道了尊」。不動明王かと思ったが、縁起が記された石碑には、烏天狗が白狐に乗っているとなっている。像そのものは2003年製のようだ。

(はねたき橋。右に要害山)


(渡ってモミジ)


(ここから入ってみる)


 橋を渡りながら高津戸峡を見下ろす。やはり紅葉は終わったのか、全体の色がくすんで見える。古い話だが、学生時代に池袋の文芸地下(映画館)で『各駅停車』という映画を観たことがある。森繁久彌と三木のり平が当時の国鉄足尾線の蒸気機関車の機関士と助手役という設定だった。ストーリーは忘れたが、最後のシーンで、三木のり平が川に飛び込み、ふんどしを流され、水から出られずに苦笑いしていたシーンだけは覚えている。足尾線で通学していたこともあって、ああ、これは高津戸峡だなと思ったものだが、どこから飛び込んだのか、それらしきところはいくつもある。
 目の前の渡良瀬川、上流の足尾側と違って、淀みはかなり深そうで、寒々としている。
 橋を渡ると車道に出た。マップには、このまま北に向かって遊歩道入口から登るようになっているが、車道を歩くのは何だしなと思っていると、ふと、手すりのついた歩道が上がっているのが見えた。ここから入ることにする。

(途中のモミジ。淡い)


(鳥居)


(要害神社)


(神社のモミジ。かなり濃い)


(結構、きれいだった)


 ちょっときつい感じがしたが、すぐになだらかになった。しっかりした歩道もあまり歩く人はいないようで、荒れる方向にある気配。そもそも高津戸峡に来ても、要害山に登る人はごく少数だろう。だからといって要害山のみに登るのでは腹三分目といったところかもしれない。
 散発ながらもモミジが続く。もっと見たいと思いながら、すぐに一つ目の鳥居が見えた。右下からも歩道が続いている。鳥居は三基あって、あっけなく山頂に着いた。ここに要害神社がある。
 境内は一面に落葉。ここ数日の堆積には思えない。神社そのものも瓦が落ちたりして荒れている。由来板があった。難しくてよく理解できない。平安時代、ここに山田氏によって高津戸城が築かれ、室町時代には桐生氏系の里見氏にとって代わった。その後、上杉謙信に攻められる。里見氏は桐生氏に属しながらも、子供二人を謙信に託していたため、父親は内通の嫌疑を受けて桐生氏に詰め腹を切らされた。親の仇を射とうと、兄弟が高津戸城に忍び込むが、城主を取り逃がしてしまう。この城主が、何でここに出てくるのか由良氏配下であったため、由良の怒りを買って、反撃を受けて討ち死にする。
 ふーっ、ここまでのあらすじを組み立てるだけでも精一杯だった(こういう展開ではないのかもしれないが)。山田氏は山田郡の起こりであることくらいは想像がつく。で、肝心の、この神社の創建はいつの頃のものなのかは記されていない。ただ、周りの石灯籠の年代を見ると、宝暦や文化の年代が刻されているから、古い神社であることは確かだろう。
 さて、討ち死にした兄弟の墓が下の阿弥陀堂にあるとのことなので、マップを見ると、「山田氏及び里見兄弟の墓」のスポットがあった。話の展開はさっぱりわからないが、見るだけでも見ておこう。

(展望台から大間々の街並み)


(高津戸峡に下る)


(きれいなモミジになった)


 南側に下る。途中、車道に出る。車が一台、駐車場に置かれている。薄くだが陽が出てきたせいで、モミジも映えて見える。
 下の車道に出た。車が何台か通る。探索する人の姿も見えてきた。「高津戸橋近道」の標識が見えたので、そちらに入ったが、結局ははねたき橋に戻ることになる。高津戸峡が近づくと、行楽の人の姿が一気に増えた。みんな、紅葉目的だろう。他県ナンバーの車も通る。遠くは川越、練馬。わざわざ水戸からの車もある。

(遊歩道が川沿いにある)


(高津戸峡)


(玉子石を探し回る)


(ゴリラ岩。まぁそういえばといったところか)


(高津戸橋)


 歩く方向を間違えたのか、大方は下流から上流に向かうが、自分だけ反対に歩いている。別にルールはないだろうが。
 「ポットホール(甌穴)」の案内板があった。看板から30m。穴の中に擦られて摩耗した丸い玉子のような石があるようだ。岩場を探し回った。見つからなかった。丸い石は見つかるが、甌穴の中ではない。あきらめて歩道に戻る。後で写真を見ると、案内板には「矢印に従ってお進みください」と記されてあった。そんな矢印あったのか。失敗した。もう来ることもないだろうに。
 どう見ても晩秋の景色だ。ここの紅葉は完全に終わっている。
 続いてスケルトン岩。対岸だろうがわからない。自分はこのスケルトンを透明という意味合いで解釈して探したが、本来の「骨格、骨組み」ととらえれば、また探し方も違っただろう。枯れ木のような岩だったのかもしれない。
 高津戸橋の下に出てしまった。このコースは短い。もっと歩きたかった。

(橋の下の紅葉)


(山田氏および里見兄弟の墓)


(すぐ隣にも)


(阿弥陀堂を入れて)


(要害山)


(高津戸橋の上から)


(菊花大会をやっている)


 高津戸峡探索もまたあっけなく終わってしまった。橋を渡る前に5分ほど歩くと里見兄弟の墓のある阿弥陀堂に出て。一族の墓なのか、墓石がずらりとサークル状に並んでいる。どれが兄弟の墓なのかは特定できない。墓石の文字もすり減ってほとんど読めない。相当に古いものだろう。
 そろそろいいかと引き返す。結構、混みだしたようだ。関東菊花大会をやっている。このせいか。警備員が車や歩行者の誘導をしている。菊にはあまり興味がないぁ。タダならと思ったが、大人400円につきやめる。
 駐車場に到着。9時35分。1時間20分のぶらぶら探索。この程度だろうと思っていたので、この後は、笠懸の連山を歩くつもりでいた。だが、寒い。風が少しはおさまったが、里山をのんびり歩くには寒すぎる。
 腹案はあった。桐生の寺の紅葉見物。昨日、ネットで見つけた紅葉スポット。二つの寺ともに川内にある。大間々からなら近い。これに切り替えよう。

 まずは宝徳寺。今日まで紅葉まつりをやっている。ここのモミジは期間中に公開される広間というか、座敷というか、何というのか、ホールでないことは確かだが、庭のモミジがその床に映って見える「床もみじ」が有名らしい。
 ここもまた車を誘導していたが、駐車場に空きはあった。拝観料は無料。有料だったらパスしたろう。門前から見えた中のモミジはさほどの色づきではなかったからだ。

(宝徳寺)


(これが件のモミジ。確かに、手前の板の間に映っている。センターに入れたかったが、撮影する方が多くて、何かと障害があって)


(裏に回ると、普通のモミジ)


(この辺がきれいだった)


(本堂を入れて)


 この宝徳寺、造りが新しいので古刹ではないのかなと思った。見たところ由来板のようなものもない。帰ってから調べると、550年以上の由緒ある臨済宗の禅寺らしい。
 この寺もまた栄枯盛衰で、元々は室町時代の宝徳年間に桐生城(柄杓山城)の裏手に創建された寺らしい。桐生氏(=桐生佐野氏)の庇護を受けたものの、例外なく由良氏に滅ぼされ、保護者を失った宝徳寺は衰退する。これを江戸期に入ってから再興されたとのこと。この川内の場所に移ったのがいつの頃なのかはわからない。
 地元も地元、川内にお住いのハイトスさんに、機会があったら要害山の事情を含めて伺ってみよう。まぁ、すぐに忘れてしまうかもしれないが。

 この宝徳寺の紅葉だが、ケチをつけるのもおこがましいが、次の崇禅寺のモミジを見てしまったら、わざわざ「紅葉まつり」のノレンを上げるほどのものではないのかと思ったのが本音のところだ。映像関係のプロダクションらしきのが入っていて、機器をセットしたり打ち合わせをしたりしていたが、確かに夜のライティングで照らされたモミジはきれいだろう。
 寺のHPを見ると、着物大会やらロケ地提供とかもやっている。禅寺でありながら、こんなこともやっているのかと、少々、違和感があった。

 次は崇禅寺。
 陽のあたりが良くなって、風も止まったからだろうか、宝徳寺以上に紅葉の盛りを感じた。
 この寺もまた臨済宗の寺だ。800年の歴史があるようだ。開祖の智明上人は北条時頼にも慕われたとか。この寺とて、桐生氏と由良氏の争いに巻き込まれなかったわけでもあるまい。その辺はわからない。

(駐車場の裏手から賑やかになっていた)


(門前のモミジ)


(後ろの山並みをバックに)


(観音堂)


(本堂の裏から)


(探索する人も多い。宝徳寺で見かけた方もいた)


(なかなか幻想的な紅葉を味わった)


(これもまた)


(落葉に埋まった池。実はもっとうまく撮れたつもりの写真があったが、ジイちゃん、バアちゃんが写ってしまった)


 名残惜しく崇禅寺を辞去する。ここから小倉山経由で吾妻山に行けるのは知ってはいるが、そんな山歩きの格好もしていない。

 帰路につく。まだ午前中なのに、陽が陰りだし、南方面には黒い雲が立ち込めていた。短時間の探索ハイクだったが、もう終わりかけの紅葉を楽しめた。明日は雪で、里山の紅葉もおしまいだろうか。

冠岩沢両岸尾根を使って大持山

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◎2016年11月26日(土)

浦山大日堂前駐車場(7:45)……巡視路入口(7:54)……17号鉄塔732m標高点(8:35)……325号鉄塔(8:54)……1142m標高点西尾根合流(10:00~10:14)……大持山(10:47~10:55)……妻坂峠分岐(10:59)……横倉山1197m標高点(11:09)……ウノタワ(11:29)……左岸尾根分岐(11:51)……870m標高点付近(12:16)……326号鉄塔(12:24~12:35)……冠岩集落跡(12:46)……沢辺で食事(13:08~13:29)……駐車場(13:46)

 今回の冠岩沢両岸尾根歩きは、そもそもぶなじろうさんの腹案のパクリである。大塚山に行った時のブログに、ぶなじろうさんから大持山の南尾根と東電ポール(巡視路)に関するコメントをいただき、自分にはまったくの発想外のルートであったため、えらく気になった。引き続き十津川村さんからもそのルートにつき、下り使用時の難儀さをコメントいただいた。それに関しては、行くとすれば上り時使用のつもりだから問題はないだろうと返信させていただいた。
 大持山の南西尾根(通称「西尾根」)の1142m標高点から枝分かれして南下する南尾根。これを上りに使用したとして…。地図を良く見ると、稜線上1197m標高点(横倉山)の南東側に、870m標高点を通過して南西に向かう尾根が派生している。これを使えば、鳥首峠にわざわざ出なくとも冠岩集落跡に下れるのではないか。ここもまた送電線が通っているし、下部は巡視路を使えるかもしれない。
 ネットで調べる。それらしき尾根を歩いた記録は数件あったが、どうも詳しくはない。しつこく調べると、地図の冠岩から北上する水線は「冠岩沢」という沢であることを知った。ここは滝も多く、その筋の方が結構入る沢らしく、冠岩沢の遡行後は大方が870m経由の尾根で下っているし、南尾根を下る方もいた。ただ、沢登りの方の記事は概して沢の状況は詳しくとも、尾根に関してはあっさりしたものだ。
 いずれにしても、両尾根を歩けることはわかった。ぶなじろうさんには失礼とは思ったが、これもまた、ちゃっかりと先に歩かせていただくことにした。なお、両尾根については便宜上、冠岩沢両岸尾根(右岸尾根、左岸尾根)とさせていただく。

 浦山の方も結構な積雪だったようだ。路面に雪はなかったが、周囲の木々にはかなりの雪が残り、日陰ゆえ余計に寒々とした光景になっている。大日堂前のバス停脇の駐車場に車を置く。先に行ってもいいのだが、スペースがあるかどうかわからない。まして広河原逆川線の林道はずっと通行止めのままになっている。駐車場には、他に高崎ナンバーの車が一台だけ。すでにだれもいない。自分のことはさておき、雪の中ご苦労さまといったところだ。
 雪を見て今日は革靴にする。いつもよりちょっと重い。というか、車に積んだ山荷物を整理した際に、軽い革靴は物置に入れてしまった。これは失敗。最後の車道歩きで足が痛くなることになる。防寒対策としては上下、中(パンツ)のヒートテックにフリースだ。スパッツは持参してはいるが、嫌いなのでつけない。結局、上で積雪になっていても、裾は濡れるがままにして歩いた。

(歩き出す。白い世界になっている)


(雪にモミジ。もう紅葉は終わりだろう)


(このポールから入る)


(巡視路は逆方向の北西に向かう)


 路面は凍っているところもあって注意しながら歩く。10分も歩かずのうちに、左に巡視路入口が見えた。ポールには「奥秩父線17号、安曇幹線325号入口」とある。どうせ右岸尾根末端部は擁壁で、登れるとは思っていなかったから、この先、冠岩に分岐する林道側から入るつもりでいたが、ポールに記された鉄塔ナンバーは控えていた鉄塔と同じだし、ここからでも入れるのだろう。
 いきなり薄暗い植林に入った。この辺の巡視路はこんなものだろう。踏み跡は明瞭で、一旦北西に、本尾根とは逆方向に向かったのであれれっと思ったが、この踏み跡、ジグザグになって南西に下る枝尾根に乗り上げた。巡視路はこの枝尾根を登るようだ。なるほど。
 自然林になって明るくなったが傾斜はきつい。おまけに雪解けの土は緩く、積もった枯葉もまた滑る。早々にストックを出した。かなり楽になった。今日は最後までダブルストック歩きをすることになる。

(尾根に乗って)


(数週間前まではきれいだったろう)


(東側からの巡視路と合流)


 一本調子の尾根だ。巡視路らしく、とことどころに土留めを兼ねた板立ての階段が続いている。足元のグズグズも、この好天でいずれすっきりするだろうなと思いながら急斜面を登っている。右手に南尾根の本尾根らしき尾根型が見え出した。そして合流。右岸尾根に乗った。

(17号鉄塔)


(大平山と三ツドッケを眺める)


 やはり、予定の東側入口からも巡視路が続いていたようで、巡視路ポールがある。踏み跡も見える。巡視路もここで合流か。先が明るくなって、ちょっと行くと奥秩父17号鉄塔に出た。ここまで紛らわしい所はなかった。
 展望は良好。南側の都県境の稜線がきれいに見えている。両神山もちらりと覗く。ふと気になった。南側の斜面、鉄塔はあるが送電線のない鉄塔がいくつか点在している。廃止になった幹線があるのだろうか。
 ここでちょっと休憩したが、風が強くて一向に休まらない。先に行く。「安曇幹線325号に至る」のポールが引き続き尾根伝いに立っている。

(次は325号への巡視路)


(植林の中の登り)


(強い風が吹けば倒れそうな325号。電線はない)


(両神山が右端にちらり)


 すぐに植林に入り、寒い植林の中の巡視路を登ると、左先に西尾根らしき尾根が見えてくる。まだ遠い。ほどなく鉄塔325号に着いた。あれっ、ひしゃげた感じの鉄塔には電線がない。ただの鉄骨のヤグラだけが残っている。安曇幹線はどうなったの? ぶなじろうさんの記事にも、鳥首峠あたりの鉄塔が取り払われていたという記載があって、気にはなっていた。安曇幹線は廃止か? 帰ってからネットで調べた。やはり、その筋の話題に詳しい方がいて、その記事には、西上武幹線とかが新設され、一部の安曇幹線(319~366号)が撤去されたとあった。いつのことなのかは記されていない。なるほどとは思ったが、撤去されたのは送電線だけで、この鉄骨のヤグラはどうするつもりでいるのか。東電の敷地内とはいえ、支えをなくした鉄塔が倒れるにまかすつもりなのだろうか。マイナー歩きのハイカーには、倒れた鉄骨が歩行の妨げにもなるだろう。ところで、撤去の送電線はどうやって移動、撤退したのだろう。やはりヘリでやったのだろうか。気になった。人力ではあるまい。
 相変わらずの冷たい風で一服する気にもなれない。別に急ぐわけでもなかったが先に行く。実はここで見た展望が、結果的に本日最後のものとなる。

(引き続きの尾根。これでも急だ)


(それなりに変化はある尾根)


(シカ道で巻く)


 この先、尾根幅が狭くなった分、明瞭な尾根型になっていく。赤い杭が尾根伝いに登っている。狭いとはいってもヤセでもなく普通の尾根だ。単調といえばそうかもしれない。ただ、左斜面は急になっていて、転んだら、かなり落とされてしまいそうだ。尾根は地図ではなだらかだが、気まぐれの急斜面が続いていたりする。ところどころにシカ道らしき跡が見え、これを尾根巻きに使えば比較的楽だ。尾根から離れそうになったら尾根に戻ればいい。ところどころで植林が入り込むが、長くは続かない。この先も展望はない。先ほど2か所の開けた鉄塔付近だけ。黙々歩きといったところだろう。だが、広葉樹の中の歩きは気持ちがよく、嫌いではない。
 1020m付近で休憩。風が渦巻き状態になっている。基本は東から西。その風のせいで、樹についた雪がつぶてになって飛んでくる。幸いあたることはなかった。赤い杭は950m付近で消えてしまった。

(こうなることは予想していなかった)


(だが、雪の上は歩いていて気持ちがよい)


(西尾根に合流)


 1040mあたりに来ると、雪が続き、尾根は雪ですっぽりと埋まってしまった。まだ11月末だ。雪国ならいざ知らず、奥武蔵の山でこうだ。積雪は5センチ程度だろうか。雪の上には色づいたモミジの葉が点々と続いている。雪の上だがいい気分で歩ける。右の稜線を見上げると、何だかガスが巻き出している。明日は雨だが、今日は晴れのはずだったが。
 雪は一旦まばらになり、ようやく西尾根が左に迫ってくる。一気に登って西尾根に合流した。ここは1042m標高点付近だ。風がやわらぎ、休憩する。ここでようやく一服する。この先もまた雪の稜線の気配で、まさかこうとは予想もしなかったが、念のためチェーンスパイクを巻いた。チェーンパイクはいつも持ち歩いている。寒いのに変わりはないが、まだフリースのままでも歩けるだろう。15分ほど休む。
 ここまでの右岸尾根、すんなりとは来たが、下り使用の場合、見下ろすと急斜面が続き、尾根の分岐も2つほどあって、その辺は要注意か。また、十津川村さんの記されていたように、下部の巡視路は踏み跡も入り乱れているので、とにかく先々の黄色のポールにできるだけ気をつけることだろうか。上り使用に関しては何ら問題ない。

(西尾根で大持山に向かう)


(大持山山頂)


 とうとう雪道になってしまった。積雪は10センチ近くはありそうだ。シカの足跡と、ワカンクラスの大きさの窪みが続いている。ここにもやはりクマはいるのだろう。それでいて、この程度の積雪の上を歩いているのは楽しいもので、さっきまでの苦行に似た気分とは全然違った気分で歩ける。ただ、次第に視界が悪くなっているのがすっきりしない。
 石がごろごろしたところを通って大持山山頂。だれもいない。ガスでぼんやりしている。雪で座る場所もなく、三角点に腰かけて地図を広げる。こんな天気では、このまま横倉山まで行って、さっさと左岸尾根を下ってもいいが、そこまで行って、ウノタワの雪の風景を見ないで帰るのもなぁ。まして、ウノタワといったら先ずはぶなじろうさんのイメージだ。輪をかけてぶなじろうさんに礼を失するのもなぁとも思ってしまう。ただ、等高線を追うと、ウノタワから左岸尾根分岐までほぼ100mの登り返しになる。これもまたなんだよなとも悩む。決めかねるままに先に行く。

(雪の上にはしっかりしたトレースがあった)


(妻坂峠分岐。ここは鳥首峠方面に直進)


(いやらしい下り。ここを登り返すことはないからいいが)


 ガスの中を下る。昨日あたり歩いたハイカーが結構いるのか、雪の上の踏み跡は明瞭だ。妻坂峠方面への分岐手前で登って来る単独氏とすれ違う。分岐到着。妻坂峠ルートの方から複数の声が聞こえる。この先、鳥首峠方面は足跡はないかなと思ったが、こちらも歩いている。あっさり記してはいるが、ずっとガスの中の世界は続いている。
 下る。この下りはいやらしい。とにかく長い。ここを登り返せとなると、この状況ではためらってしまう。雪が解けて、どろんこになり、かなり滑る。両ストックで支えながらヨチヨチ歩きで下っている。

(横倉山通過)


(ちょっと下って)


(これが左岸尾根へのマークか)


 鞍部に出て、さほどの登り返しもなく横倉山(1197m標高点)に到着。横倉山には失礼だが、ここはあくまでも通過点のピークでしかない。その先に行くと、左岸尾根の分岐付近。目印があるのではと思って探すと、やはり細い樹に赤テープが巻かれていた。その先は尾根状になっている気配。下山ルートを確認してしまうと、安心してついウノタワまで行きたくなってしまう。ここまでずっとどうするか悩んだままだったが下る。100mの登り返しは後の祭りにしよう。

(ウノタワへ。ここの登り返しがつらかった)


(ウノタワその1)


(ウノタワその2)


 ひどい泥んこ混じりの坂を下る。チェーンスパイクがなかったらズルズルだろう。下のウノタワの方から騒ぎ声が聞こえる。若い男女4人。道標を囲んで休んでいて、道標の写真は撮れない。異性がいると、ついはしゃいで騒がしくなるのは、高齢者グループとて同じだなとつい思ってしまう。男は男で、そこいらのジジィ、オニイチャンとオレは違うんだと主張もしたくなるものだろうて。
 その肝心のウノタワだが、予想通りにガスで視界は悪い。ただの窪地の風景になっている。いろいろ煩悩はあったが、ここに来る程のことまでもなかったか。グルッと回ってさっと探索を終える。ここに、名栗の山中というところから直通でウノタワにつながっているルートがあって、そこから単独の青年が上がって来たが、休むこともなく大持山の方に登って行った。

(分岐に戻り、ここを左に下る)


 さて、ここからの登り返しが、自分には本日一番の難所だった。予想はしていた。何度も休み、後ろから4人グループに追いつかれないか、つい気になって見下ろしてしまう。先行の青年を追いかけようと思っても距離は開く一方だ。前門のウルフ、後門の猫連中といったところか。
 分岐に戻ってヤレヤレ。息を整えたところで地図を広げてコンパスをセットする。後ろを4人グループが通過する。入り込むところまで見られた。不審なオッサンと見られたろう。そんなことはどうでもいい。オッサンの後をついて来るかい?

(左岸尾根に入る)


(倒木が出てくる)


 最初のうちは、なだらか、周囲が自然林、たまに大きな石が点在といったごくありふれた尾根だったが、そのうちに倒木が目立つようになる。荒れている。周囲を見ると、左右を小尾根が平行して下っている。今日は赤テープからストレートに下ったので迷うことはなかったが、自力で起点を見つけようとすれば、尾根を迷う可能性もあるだろう。
 尾根はゆるりと右向きになる。ところどころで尾根先が見えず、その先が切れているのでは気をもんだところもあるが、手こずることもなく尾根型のままに下れる。
 始末の悪いことに、雪混じりの枯葉の斜面を下って行くと、右足のチェーンスパイクにやたらと雪ダンゴができてしまう。高いものですぐに10センチ。これでは危ないので、しきりに落とすが、左足にダンゴがさっぱりできないのが何とも不思議。

(これがずっと続けばいいと思ったが)


(870m付近)


 1000m付近で杉の植林が出てきた。この植林もまた深い。尾根は左植林、右雑木の中を下るが、これも70mも続かず、930m付近ではすっかり植林に吸収され、ひんやりとした歩きになってしまった。870m標高点付近は植林の平らなところにある。

(この辺りが尾根型不明瞭。ただ、植林側の左斜面は急になっているからわかりやすいかと)


(モンスターのような鉄塔残骸)


 ここまで無事に下ったはいいが、ここから尾根型が不明瞭になっていく。斜面はだだっ広くなり、歩く方向を特定しづらい。つい右手に下ってしまいたくなる。870mからコンパスを鉄塔地点にセットしたので、それに合わせて下ったが、左が植林の急斜面になっているので、かろうじて尾根通しに歩いているようだ。GPSで確認しても問題はない。この辺はGPSがないと不安になってしまうかも。
 突然、明るくなって鉄塔が現れた。これが安曇幹線326号。この鉄塔もまた骨組みだけになっている。鉄塔を通して見える南側の風景は、もうすでに低い雲が立ち込めている。鉄塔の周辺は荒れている。間伐が放り出され、切り株が無造作に並んでいる。周囲はバリケードを築いたようにもなっている。シートを広げ10分ほど休む。この先には巡視路があるだろう。ここまで来れば大丈夫だろうといった心持ちだ。

(巡視路を下る。踏み跡はしっかりしている)


 一瞬、どちら方面に下ればいいのか混乱した。三方ともに植林だ。改めて尾根末端にコンパスをセットして疑心暗鬼に下ってみると、ほどなく巡視路が見つかった。巡視路は尾根伝い、もしくはそれを巻くように設置されている。
 左からの巡視路と合流。ポールには「327号」方面と記されている。どうもしっかりした記憶はないが、これは鳥首峠に向かう登山道ではなかっただろうか。

(お堂の屋根が目に入った)


(冠岩集落跡の妙法地蔵と板碑)


(廃屋は3棟ほどか)


 板碑と地蔵が置かれたところに出た。ここが冠岩の集落跡。確か妙法地蔵だ。お堂の屋根はそのまま脇にさらされている。この板碑を調べた人がいて、古いのは応永十年(1403年)の年号が刻まれているとか。この集落も平将門一族と関係があったらしい。集落跡にも寄ってみたが、心ない文言を記した落書きがあちこちにあった。
 ここまで左岸尾根分岐から実質45分だった。2回目に下るとすればもっと早いだろうが、ここを上り使用で歩くと、地形が複雑なところがあって、迷うところがありそうだ。ことに鉄塔付近の上は尾根の判別がつかない状態になっている。今日の下り使用は正解だったかもしれない。

(冠岩沢。ここを見る限りはショボ沢だ)


(冠岩の標識)


(ここでランチ)


 薄暗い道を通り、冠岩の道標を見て林道に出る。当初の予定の巡視路入口を確認。風はもう収まっている。ここまでちょくちょく休んでは菓子パンやらを口にしたがお腹が空いている。沢に出て小滝を眺めながら大休止。せっかく持参したポットの湯で味噌汁をつくって飲む。冷めかかっていたが身体が暖まった。
 ここのところ東電巡視路がやたらと気になる。秩父あたりは、この巡視路をうまく活用すればおもしろい歩きもできる。沢の左岸側に鉄塔18号、19号の巡視路があった。地図を見る。これは鳥首峠の少し南に出る奥秩父線だが、マイナー歩きのハイカーにはあまり利用価値はなさそうだ。

(県道に出る)


(ここから右岸尾根に入った)


(浦山大日堂前の駐車場に帰還)


 県道(秩父上名栗線)に出る。入口に地元ナンバーの車が一台。朝と違ってどんよりした空模様になってしまった。林道、県道沿いの紅葉はすっかり終わっている。舗装道に入ってから足の痛みが出てきた。久しぶりに履いた固い革靴だった。車置きの革靴は忘れないうちに交換しておこう。今朝の巡視路入口を改めて確認。
 駐車場に到着。車は増えていない。高崎ナンバーの車はそのまま。どこを歩かれているのかちょっと気になった。ぬくもり号がやって来た。それに合わせて、どこからともなく単独ハイカーが現れた。バスに乗るのだろうが、運転士が乗客を待たせ、車のキィをかけて近所に使いに行ったので、バスの中に入れない様子だ。

 今日のコース、両岸尾根歩きにばかり気にとられて歩きはしたが、やはり今回のように、上りは右岸尾根、下りは左岸尾根使用がいいだろう。西尾根もまた、大神楽に下る分岐尾根が気になったままだ。いずれ歩くつもりでいるが、今日の稜線の積雪からして、春過ぎといったところだろうか。

 この時期、秩父に何があるのか知らないが、紅葉も過ぎたことだし、道も空いているだろうと思ったが、やはり市内通過には時間がかかってしまった。

※今回歩いた冠岩沢両岸尾根には、ハイカー向けのリボン、テープ等の目印になるものはありません。右岸尾根には、2つ目の鉄塔まで山林、電力関係者の目印が多々ありますが、その先に目印はなく、1142m直下に南尾根を識別するための古いテープが2本巻かれているだけです。また、左岸尾根には、記事内でも紹介した稜線上に入口を示すテープと、870m標高点にピンクテープがあるのみで、326号鉄塔に至るまで目印はありません。本記事を参考にして歩かれる奇特な方がいたとして、その点を含んで歩くようにしてください。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

小鹿野の釜ノ沢五峰で勘違い歩きをし続ける。

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◎2016年12月3.日(土)

法性寺駐車場(7:43)……文殊峠方面分岐(9:02)……五ノ峯(9:07)……一の峰(9:36)……駐車場(11:25)

 そろそろ秩父の品刕に行こうかと思っていたが、地図やらネットで調べると、十津川村さんご推奨の天宮尾根下りもさることながら、いろいろおもしろそうなルートがとれるようだ。品刕の山頂そのものはしょぼい感じだが、東西南北からマニアックな歩きが楽しめそうなのも興味が湧く。そこで気になったのが小鹿野の<釜ノ沢五峰>の存在だ。足尾の山にも釜五峰(正確には釜ノ沢五峰か)なる険峻な岩峰群があって、「釜ノ沢」という名称のイメージとしては簡単には歩けないものがある。だが、実際はハイキングコースのようで、岩峰の連続というほどのものでもないようだ。
 気になったからには歩いておきたい。そこで、先ずは<釜ノ沢五峰+品刕>でセットにしてみた。ルートとしては、法性寺→釜ノ沢五峰→文殊峠→品刕→ちょい南下→市町境尾根を北東に下る→車道→法性寺といったところで、机上の計画では難はない。ただ、帰路の車道歩きがちょっと長いのが気にはなる。チャリデポ向きルートだろう。車に積めるチャリを持っていないからには歩くしかない。
 釜ノ沢五峰と品刕の歩きについては、電車とバス利用なら北から南、東へとコースもいろいろ取れるのではと調べたが、出発地点となる法性寺の最寄りバス停は小鹿野町営バスの長若中学校前で、本数が一日5往復と少ないうえ、さらに2kmほど歩かねばならず、釜ノ沢五峰を優先する以上は車の方が都合も良いようだ。そのため、長い車道歩きで寺に戻ることになる。
 ところで、この釜ノ沢五峰の一般周回コースだが、手持ちの山と高原地図2008年版には載っているが、1994年版にはない。新しいコースのようで、実際に歩いてみてその理由がわかった気がした。秩父ならではといった感がある。
 いつものような長い枕。こう、いろいろと練って出かけたつもりだったが、結果的には間違い歩きをして、予定の半分歩きもできずにあっさりと撤退という体たらくで終わってしまった。

(法性寺山門。逆光につき帰りに撮影)


 般若山法性寺(秩父札所三十二番)の駐車場にはすでに車が一台あったが、エンジンをかけたままで寝ている様子。ハイカーではないだろう。準備をしていると一台入ってきて、二人連れが早々に出発した。法性寺とは反対方向に向かったので、あれっと思ったが、すぐに寺に向かった。この二人連れの車は高崎ナンバーだった。先日の大持山といい、このところ高崎ナンバーの車には縁がある。
 今日は、携帯に入れている「山と高原地図」を初めて活用しようと思っているが、表示させると、込み入った地形のところではあまり役に立ちそうもなく、GPSの軌跡線もまた太く、細くしても等高線2本分ある。つまり表示される地図の標高40m分もあって、赤線に沿って歩いているようだといった安心感を持てる程度のものかもしれない。帰宅してカシミールで取り込んでみたが、軌跡も随分と派手に動き回っていた。

(般若さま)


(上に観音堂)


(愛らしい石仏)


(観音堂裏の石碑、石仏。てろてろしている)


 法性寺の仁王門をくぐると「これより花浄土」とある。花がきれいな寺なのだろうが、この時期は何も目につかない。本堂の般若の面が目をひく。石碑や石仏が続く。大きな岩があるところからして、この寺は岩山の間に建てられたようだ。お堂が階段を伝って上に続いている。観音堂の下に来ると、先ほどのお二人さんが観音堂から下るところだった。ここは注意をしないと滑る。目の前で女性の方がツルリと滑った。観音堂の岩屋は鍾乳洞のようになっていて、岩肌にはハチの巣状の穴ぼこが広がっている。

(龍虎岩の穴。クサリを伝って行ける)


(中の、木の社)


 岩の間をくぐると山道になった。枯葉が堆積し、歩道がよくわからない。クサリが出てきて、岩に足置きが穿たれている。右を見上げると穴があって、女性と入れ違いに上がると木の社が置かれていた。この穴もまた溶けかかったような形状になっている。これが龍虎岩。この先にまだ奥の院があるようだ。

(月光坂)


(岩屋の石仏)


(お船観音。右を巻いて行ける。左は切れている)


(次は大日如来)


(仏様)


(岩からの眺め)


 荒れた感じの月光坂を登って突きあたると、ここも岩屋になっていて、石仏が13体。なぜか茶色になっている。そして右に「お船観音」、左に「大日如来」の分岐。先ずはお船観音。お二人はザックを置いて往復されているようだ。長い岩の先端には観音様。岩に乗って下るのは怖いので巻いて観音様のところに行ったが、戻りは岩の上を歩いた。一応、手を合わせたが、古い像でもないようで、あまりありがたみは感じない。岩の上からの眺望はたいしたものではない。紅葉もすでに焼けている。
 続いて大日如来。ここは大岩のクサリ場登りになる。ここにもさほど古そうでもない仏様が鎮座している。ここは狭い。お二人連れ合わせて3人でなんとかといったところ。眺望はさっきのお船岩よりは良い。男性が、あれは御荷鉾山で、あれは城峯山だとおっしゃっていたが、自分にはさっぱりわからない。方角すら不明瞭で、太陽があっちだから、面しているのは北西方向かいなといった程度のものだ。見下ろすと落ち着かないので、先にさっさと下りることにした。ところで、この寺の奥の院というのは、大日如来なのかお船観音なのか、それらを合わせてのことなのか。ついでに、このあたりの一帯が般若山と呼ぶらしい。

 お二人さん、今日のコースは周回だとおっしゃっていた。自分はそれに品刕を加えるつもりだと言ったが、以降、お会いすることはなかった。それもそのはず。この先でお二人は正規というか、定番のコースをしっかり歩かれたのだろうし、こっちは途中からうやむやな歩きになって、釜ノ沢五峰を上から下ることになる。しかし、それだと、五峰の途中で再会してもおかしくはないはず。逆コース歩きでもしたのだろうか。まさか自分と同じということはないだろう。

(ここを直進すると、すぐに鉄塔がある)


 すぐに道が分岐した。道標は右・柿の久保、左・釜の沢とあった。逆らって直進すると鉄塔があり、その先はテープで進入禁止にされている。尾根伝いに行けると踏んでいたし、地図上は破線も続いている。歩き出しから間もない。ここで散々な目に遭いたくはない。戻って釜の沢の方に下る。実は、ここで釜の沢に下っていいものかと思っていた。他人様の記録とコースをよく読んで覚えもせず、地形図に適当にマーカーを入れて歩いているだけなのだが、何を勘違いしているのか478m三角点(四等ゆえ地図には出ていないかも)に行くつもりになっている。実は、分県登山ガイドの「般若山・釜ノ沢五峰」のページをコピーして持ってきてもいた。すでに忘れている。

(下り使用にはハシゴへの移りがしづらく、ちょっときつい通過になる)


(これでも問題なく渡れる)


(これがあちこちにある)


 気温が上がっている。暑い。汗をかき出した。上下のヒートテックは不要だった。上はフリースを脱ぐだけで済むが、下を脱ぐにしても、後続との関係がある。5分ほどの間隔はあけたい。先を急ぐ。
 ところで、先ほどの道標の脇に黒部幹線の東電ポールがあった。この先もポールを頻繁に目にする。つまり、鉄塔巡視路を利用したハイキングコースになっているわけだ。この辺が、新しいコースというよりも、邪推かもしれないが、山と高原地図に組み込むのがはばかられたのではないだろうか。巡視路の上にハイキングコースを重ねたりしたものだから、場所によっては植林作業道も加わって踏み跡も入り乱れる。だから間違える。自分もまた何か所かで間違えた。
 山腹を巻く、まさに巡視路を下って行くと、ハシゴやコケの付いた木橋が渡されている。そして標識。「釜ノ沢ニ至ル」。右上向き。ということは、さっき行こうとした鉄塔上の尾根に復帰するのか。自分には意味不明に思えた。ここもまた巡視路を登る。

(鉄塔。この先の進路でミスしてしまった)


 チリン、チリンと鈴の音が下から聞こえる。先ほどのお二人連れだろう。あの近さではまだヒートテックを脱げそうもない(結局、最後までパンツ一丁になってヒートテックを脱ぐことはなかった)。鉄塔に出た。ここは好展望地だ。武甲山だけは忘れない。いや、左に二子山。武甲山の右に小持山と大持山も知っているか。目の前の長く低い尾根が気になった。山と高原地図を見る。長尾根と言うらしい。とりあえずフリースだけは脱いだ。
 鈴の音が近づいたので、いざ出発。後でここのGPS軌跡を見ると、5mほど戻って、西に進んで北側の尾根に向かっている。最初の鉄塔の先の尾根に復帰するのだといった感覚でいる。今日のそもそものミスはここ。

(こんな尾根を歩いている)


(両神山が見えた)


(478m三角点)


 尾根に復帰して歩き出すが、アップダウンの多い尾根だ。どういうわけか、おっ、これが釜ノ沢五峰の尾根かなんて思っている。もう頭の中の地図はゴチャゴチャだ。スズの音は聞こえなくなった。お二人はあの鉄塔で大休止か。
 ピークに立つたびに、ネットで見た「○ノ峰」と刻まれた石を探すが見あたらない。まだまだ先かな、もしかして、標石が撤去されたのかなと思ったりする。伐採地のピークに出た。両神山が見えた。後ろに、こちらは西上州の二子山か。展望を楽しんだはいいが、ここも五峰の一つではない。代わりに三角点の標石らしきものがある(これが478m三角点)。

(アップダウンが続く。半分、釜ノ沢五峰歩きと勘違いしている)


(分岐に出た。右の方からやって来た)


 その後もアップダウンが続き、久しく見なかった標識があった。この標識に気づく前に、先からモーター音と話し声が聞こえていた。標識は、この先の延長は文殊峠・金精神社、左は釜ノ沢五峰になっていた。ということは、これまでのアップダウンは釜ノ沢五峰ではなかったのか。頭の中では、順路として釜ノ沢五峰(下から1、2、3、4、5峰)を終えてから文殊峠となっている。このまま文殊峠に向かうのはまだ早い。ここまでも地図は案外に信じられなかったから、この先もそうで、ここの分岐はショートカットのようなものではないのだろうか。目をつむることにしよう。何やら工事をしている中に入り込みたくもない。頭の中は、すでに方向感覚からしておかしなことになっている。

(五ノ峯)


 下りかけたのには驚いた。どんどん下っている。平らなところに「五ノ峯」という標石が置かれていた。ここでようやく間違い、錯覚、思い込みに気づいた。こうなったら、釜ノ沢五峰は反対側から歩くしかないだろう。今日のメインは釜ノ沢五峰だから、文殊峠分岐に戻って、品刕に行くというのでは意に反する。今日は品刕をあきらめよう。そのまま下る。

(終わりかけの紅葉を見ながら)


(どんどん下っている)


(四ノ峰ピーク)


(クサリ場を登って)


(三ノ峰)


(兎岩が見えている)


(これは二ノ峰)


(そして一ノ峰)


 「四ノ峰」「三ノ峰」「二ノ峰」「一の峰」(「ノ」と「の」、「峰」と「峯」については、石標に刻されたままに表示)と続く。だれかがいたずらで加えたのか、二が三に、一が二に見えたりしている。三ノ峰はクサリ場登りで、山頂から南側の尾根に長い岩が見えた。後で調べると、あれが兎岩というらしい。目を凝らすと、両サイドにクサリが続いているのが見える。あの間を通るというわけか。ちょっと残念だ。二ノ峰もまたクサリ場で、一ノ峰は長い岩状のところにある。終わりかけの紅葉を楽しみながら下った。

(道をロスト)


(巨大な岩)


(この地域の岩の特徴なのだろうか。レンコンのようだ)


(向こうから下って来た)


 ピンクテープが目につくようになった。確かに道型は不明瞭なところもある。気づいたら踏み跡を見失っていた。テープのあるところに行ってみると踏み跡は復活したがすぐに消えた。このピンクテープは作業用なのか。あてにせず、適当に滑る斜面を木につかまりながら下る。いずれにしても、正規のルートからは外れてしまったようだ。沢状のところに降り立つと、右手に巨大な岩が現れる。また出てきた踏み跡を追うと、標識が置かれていた。やはり、自分が下って来た方向に標識は向いていなかった。普通とは逆歩きをするとこういうことになる。

(しばらく読めなかった)


 沢筋に行くと、やがて墓地に出た。民家の屋根も見える。ここにも標識があって、向かうつもりの方向には「スーコ山若般」と書かれている。これは何だと首を傾げたが、「般若山コース」と読むのが正解。愚かにもしばらくわからなかった。こういうことはよくある。ここの標識、左右読みがまちまち。「社神精金」に至っては、怪しげな金集め企業の道場でもあるのかと思った。

(後ろに雨乞岩)


 ここからは登り返しになるようだ。上から元気な若い3人組が下りて来た。これから五峰を通って兎岩下りだろう。ここもまた巡視路利用のコースになっている。傍らにポールがある。左側に「雨乞岩洞穴」とあったので寄ってみた。木の社が2基。後ろの岩裾に穴があったが、入り込むのはきつそうだ。ほふく前進だろう。

(亀ヶ丘展望台だろう)


(けったいな岩)


(武甲山。下に長尾根)


 丸い岩が出てくる。クサリを使って登り上げると鉄塔。ここもまた好展望地だ。反対側には亀のような岩が横たわっている。ここは亀ヶ岳展望台というらしい。ということはあの亀岩は407m標高点の亀ヶ岳ということか。何とも情けない話だが、ここに至ってようやく地図読みができるようになった。

(またさまよった。鉄塔が見えてくる)


(ルートミス始発点の鉄塔に戻る)


 階段付きの道を下る。沢に出た。ここでまた迷った。標識はあるが、どこを見ても明瞭な踏み跡はない。またコース外れをやってしまったようだ。大方、こちらは今は利用されていない旧道なのだろう。しかし気づかなかったなぁ。ヤブこぎまがいの急斜面登り、そして間伐放置を乗り越えて高台に出ると見覚えのある鉄塔に出た。そして、反対斜面側に明瞭な踏み跡が続いていた。ここでようやく、本日の失態の原因がわかった。何ともはや、今さらだ。こちらに来るべきものを反対側に行っていた。

(もう迷うことはあるまい)


(法性寺に到着)


(付録)


 3人組が上がって来たのと入れ違いに下る。後は来た道だ。迷うことはあるまい。
 寺が近づくと、ハイカーとは思えないような方々が上がって来る。奥の院までなら問題はないとは思うが、途中に岩場があったり、湿った枯葉で滑ったりもする。他人事ながらつい大丈夫だろうかと思ってしまう。
 駐車場に着くと車が6台。何台かは参拝客だろう。高崎ナンバーの車はまだあった。

 何とも冴えない歩きをしてしまったが、当初の目的の釜ノ沢五峰を歩いたからもういいだろう。改めて兎岩のある尾根をといった気にはどうもなれない。気になるところを歩いたから、もういいか。途中で、これでは歩き足りないので城峯山にでも行こうかと考えたりもしたが、下から歩くのでは時間が遅いし、さりとて直下まで車で行くのもなぁと、結局、やめにした。明日、近場の山を軽く歩くことにしよう。

(本日の失敗歩きの軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

笠懸の低山巡り

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◎2016年12月4日(日)

岩宿遺跡駐車場(8:24)……琴平山(8:30)……稲荷山(8:56)……道帰り山(9:41)……弥右衛門山(10:10)……御嶽山(10:14)……雷電山(10:18)……うさぎ山(10:31)……駐車場(11:18)

 あにねこさんがレンゲショウマとかが咲く時期に周回された記事が印象に残っていて、琴平山だけは足尾の山に行く際の駐車場のトイレ利用で知ってはいたが、笠懸辺りにもこんな連山があったのかと、いずれ一通り歩いてみようとは思っていた。その後、足尾の山を歩いた際、石集めの方から、その辺の山は赤城山の噴火活動でできた山であることも聞いていた。
 暑い時期には不向きな低山だし、今の時期ならちょうど良いかもしれない。赤城おろしが吹きさらす前に歩いておこう。昨日は不甲斐な歩きをし、これでカバーできるとは思ってもいないが、合わせて一回分の満足感にはなるだろう。
 今回の歩き、途中での車利用はせずに、琴平山、稲荷山、道帰り山、鹿田山の通しとしたが、予定ではこれに天神山を組み込むつもりでいた。ところが、途中で見えた天神山は意外にも遠く、鹿田山の付録のウサギ山で打ち切りとした次第である。ちなみに、鹿田山については、弥右衛門山、御嶽山、雷電山(=八王子山)を合わせての総称らしい。

(最初は琴平山へ)


(もう山頂が見えている)


(琴平山山頂)


(大間々扇状地展望台)


(展望台から)


(鳥居があるから神社でしょう)


 いつもの駐車場に車を入れる。ここには頻繁に来るわりにはトイレ以外に足を向けたことがない。駐車場には車が8台ほど。隣の車ではカップルが寝ていた。こう寝顔が外から明瞭な寝方というのも困ったもので、こちらが後ろめたくもなるのでそそくさと出発。まずは琴平山。
 琴平山は山というよりも丘陵状だ。黄色の葉の残る広々とした樹々の間をゆっくり歩いて行くと、あっ気なく三角点のある山頂に到着した。もっといい気分でいたかっただけにフェイントをかけられたような感じだ。このまま戻るのも何だしと、回り込んで先に行ってみると、展望台があった。「大間々扇状地展望台」とある。真下を50号線が通っている。ここには鳥居があって、石祠が置かれている。脇には留魂碑なるものもある。題字は陸軍少佐とあるから戦没者のだろう。

(下る)


(気になった標識)


(下に沼が見えている。鹿の川沼というらしい)


 そのまま下る。途中の道標に「岡上景能公の墓(国瑞寺)→」というのがあり、どういう人物か知らないので気になった。

(稲荷山へ)


(山頂の神社)


(反対側に下ると公園になっていた。というよりも、この辺一帯が公園のようだ)


 稲荷山もまた駐車場の前に入口がある。上に鳥居と正一位稲荷大明神の赤い幟が続いているので、山頂に稲荷神社があるのだろう。途中の石灯籠には文化の年号が彫られている。やはり神社があった。琴平山同様に、ここにも山名板はない。この辺はカタクリの群生地らしい。あちこちに進入禁止の看板が置かれている。
 西側に踏み跡が続いているので下ってみる。ちょうど、地図の破線路のようだ。下は公園になっていて、散歩やらジョギングする人の姿が見える。

 次は道帰り山。何でこんな山名になったのか。後で知ったが、読み方は「どうがえりやま」だそうだ(琴平山についても「こんぴらやま」と読むらしい)。ここに行くには、一旦、車道を歩くしかない。地理がよくわからないままに歩いたせいで、もう一本西側の車道に出たかったが、気づいた時には民家が軒を並べ、裏に回れるすき間がなくなっていた。ようやく葬儀会館を見つけ、ここならと、フェンスの隙間から脱け出す。大量のどろぼう草が付いてしまった。

(車道から離れ、鹿田山と道帰り山の間に向けて歩く)


(左側が鹿田山のようだ)


 こちらが鹿田山で、あちらが道帰り山だろうと見当をつけて歩いているが、実はあやふやなままに歩いている。山の間に、向こう側に抜けているような歩道があったので入ってみる。一服しながらどろぼう草を叩いていると、反対側から散歩のオジサンがやって来た。道を教えていただいた。このまま行くと、養護学校と鹿田山の間に出られるらしい。正解であった。
 「ここはフットパスの終点です」という看板が続けて2つあった。フットパス? Foot Path? 遊歩道? まあどうでもいい。抜けると畑が広がっていた。左に鹿田山と駐車場が見えている。

(路傍の庚申塔)


(道帰り山)


 右に折れると庚申塔があった。文政年間のもの。特別支援学校の前を通ってしばらく行くと、左に小道を見つけた。念のため、たまたま車で乗りつけた、これから作業といった感じのオジサンに「ここから山に行けますよね?」と確認して入り込む。この先に建岩というのがあって、これも行っておかなきゃと地図に書き込みまで入れていたのだが、すっかり忘れていた。建岩に行くには、さらに先まで行かないといけない。

(道帰り山へ)


(石祠が2基)


(道帰り山の三角点)


(炭焼き跡か。こういうのを見ると、自分でも炭作りをしてみたくなる)


 踏み跡はずっと続いている。石祠を2基目にする。近年のものだろう。ヤブの中に三角点がかろうじて見えた。ここが山頂か。その先に踏み跡を追うと下りかけている。ここもあっけない山だ。通りすがりの山道といったところ。遠くから見ると、確かに山の形になっているのだが。ベンチがあったので、ここで菓子パンを食べて一服する。刈り払った斜面を適当に下って行くと石組みが目に入った。これは炭焼き跡だろうか。

(赤城山)


 続いて鹿田山。西側に電波塔のような鉄塔が建っている。振り返ると、赤城山の眺めが良い。また「←鹿田山フットパス」の標識があった。駐車場の車が多いが、ここは公園のようになっているようだ。歩いている人もかなりいる。ところで、鹿田山の読み方は「しかだやま」でいいのだろうな。
 余談だが、建岩や鹿田山一帯には南北朝の頃、砦が随分と築かれたようだ。

(ここにも沼。清水新沼)


(整備されたフットパス)


(弥右衛門山)


(御嶽山)


(八王子山通称雷電山とある。いずれもどこが山なの?といった感じになってしまうのだが)


 「鹿田山フットパス散歩コース」の案内看板があった。うさぎ山だけは離れてコース外になっている。まさか行けないわけではあるまい。正面の左から回るとしよう。
 ここもまた丘陵状になっていて、まず、息が切れるということがない。弥右衛門山、御嶽山、雷電山(八王子山)とあっという間の縦走で終わった。これではハイキングにもならない。まさにお散歩。散歩気分で歩くにはちょうどいい公園だ。途中、「雷電様→」の標識があったので入りこんでみたが、踏み跡が右往左往して、よくわからないままに戻った。

(ここにも駐車地があった)


(わざわざ鉄塔を見に行く)


 このままうさぎ山に向かってもいいが、ここまでのすべての山があっ気なく、間がもてないといったところがあり、意味もなく鉄塔の下まで行ってみたが、得るものは何もなく、ただどろぼう草のお世話になっただけのこと。

(うさぎ山へ)


(最初は歩けたが、すぐに猛烈なヤブになる)


(うさぎ山山頂。テープの一本もない)


 車道をちょっと下ると、右手に鉄棒で仕切られたところがあり、別に立入禁止も何もなかったので、ここから入った。箱ワナようなものがあり、その先は猛烈なヤブ。伐った木を積み重ねたところがいくつかあったが、木は腐り、かなり古い。人も入っていないのだろう。ヤブをかきわけ、うさぎ山の山頂らしき高みに立って、さっさとおさらば。ここのヤブ、トゲ状のものも混じり、ズボン2か所に穴があいてしまった。

(ここに戻って入る)


(雷電様)


(車道歩き)


 このまま車道を下るのも何だから、さっき見そこなった雷電様分岐のところに戻る。今度はすぐに石祠の雷電様に出会えた。安永年間の祠だ。急な斜面を下ると車道に出た。

(爪引観世音)


(石仏)


(岡上景能公の銅像)


(こういった説明なのだが読みづらいか)


 車のほとんど通らない車道を行くと、病院の脇に出た。今度は車の往来の多い車道になった。弘法の爪引観世音を覗き、岩宿博物館が近づいた。そこに件の岡上次郎兵衛景能公の銅像があった。業績を記した説明書きを読んだ。なるほど、これならこの地開発の偉人だろうな。そして明治に入ってから名誉回復か。興味を引いたのは、この代官氏がこの地に赴任する前に足尾銅山奉行にいたということ。特別意識をしたことはなかったが、当時の天領内で、こういった転勤というものがあったんだなと思いながら大福を食べた。
 ついでにこの方の墓を見に行こうかと思ったが、足を向けると寺らしき建物は視界に入らず、かなり先のようなのであっさりやめにした。

(琴平山)


 駐車場にさしかかる。入口の脇に「史跡岩宿遺跡遺構保護観察施設(岩宿ドーム)」なる施設があり、中を覗くと無料とあったので入ってみた。中にはだれもいず、ここでビデオを見るらしい。用はないなと立ち去ろうとしたら、事務所からオバチャンが出て来て、ビデオを見て行けとおっしゃる。古代や先史時代にはあまり興味はないのだが、無下にお断わりするのも失礼かと思い、10分ほど勉強させていただいた。後は博物館に行かれ、さらに造詣を深めてくださいということだった。
 駐車場に戻ると、隣の車ではまだ寝ていた。もう11時を回っている。まさか死んでんじゃないだろうなと、ちらっと見ると、女の方が目を開けていた。隣に駐めたばかりにおかしな関わりになりたくもないので、早々に立ち去った。

(来迎阿弥陀三尊笠塔婆。ピンボケではない)


 天神山には行けなかったが、その麓の「来迎阿弥陀三尊笠塔婆」を見て帰った。案内には鎌倉後期と記されていた。

(本日の歩きルート)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

伊豆沢左岸尾根~品刕~天宮尾根下り。アップダウンが半端でなく泣きが出てしまった。

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◎2016年12月9日(金)

両神郵便局前バス停(8:14)……神社(8:28)……左岸尾根(8:47)……483m標高点付近(9:09)……476.7m三角点(9:58)……541m標高点付近(10:40)……536m標高点付近(11:09)……560m標高点付近(11:51)……616m標高点付近(12:26)……品刕639m三角点(12:57)……644m標高点付近(13:23)……天宮尾根分岐(13:59)……521m標高点付近(14:48)……稲荷神社(15:29)……日野鷺橋(15:54)……武州日野駅(16:01)
※表記時刻はそれぞれのスポットでの到着タイムです。これに休憩が加わっての滞在時間になります。

 「品刕」(しなしゅう)とは何とも不思議な山名だ。「刕」の字を調べると「リ、レイ、ライ、サク、さく」とは読んでも「シユウ」の読みはない。この二等三角点の基準点名は「品藾」となっていて、4年前にここに山名板を取り付けた方の記事を拝見すると、これは「ひんしゅう」と読むようだ。「藾」の字にも「シュウ」の読みはなくライだけ。両字ともにライではなくシュウの読みをあてがっている。このピーク、品刕以外に「白井指」という呼び名もある。西に「大指」という地名があり、両神山の登山口には「白井差」がある。「差」と「指」もからんだ疑問も改めて出てくるが、ここではまずはどうでもいいことにしておこう。こんな疑問をすっきりさせてから山に登るという人もいまい。
 この品刕、標高640mほどの山ながらも、どうやって歩くか、いろいろとコース取りに悩んだが、結局、伊豆沢左岸尾根(西側)から登り、天宮尾根で下ることにした。天宮尾根下りはルーファンも楽しめるようで、十津川村さんのご推薦でもある。伊豆沢左岸尾根については、末端から登りたかったが、バスの便やら、後での車の回収を考えるとどうもすんなりと事が運びそうもなく、三峰口駅から小鹿野町営バスを利用し、地図上の上大胡桃あたりからの枝尾根利用で乗り上げることにした。

 当初は熊谷から秩父鉄道利用で行くつもりでいたが、出がけにネットで、熊倉山で白骨遺体が発見されたニュースを見てしまい、関連記事を探したりしていたら出発が遅れ、高崎線の乗り換えを含めると電車時刻には間に合いそうもなく、そのまま車で秩父に向かった。秩父鉄道の場合、併行して走る車の方が早いこともある。気になる白骨遺体、結局、ニュースの詳細は知れず、日野コースから離れた、標高1200m付近、40度ほどの急斜面での発見だったそうだが、40度といったら半端な斜度ではなく、今日は落葉で滑らないように注意しないとなぁと思ったりした次第だ。

(閑散とした車内)


(両神郵便局。ここから歩く)


 武州日野駅の駐車場に車を置く。気温は-1℃。秩父は寒い。駅舎に駐車代を払いに行くとスタッフの姿が見えない。トイレに寄ったり、準備をしていたらようやく構内にそれらしき方が現れた。駐車代は310円。駐車場に他の車はない。7時39分発の下り電車に乗る。3両編成で乗客は自分を含めて4人。このうちの一人はハイカーのようだ。次の白久駅で小学生が15人ほど乗り込む。大方、地元の学校が三峰口駅の方に統合されたのだろう。ランドセルに鈴をつけている児童もいるが、クマ除けだろうか。日常的なものだとすれば恐ろしい。
 三峰口駅から両神庁舎行きの小型バスに乗る。乗客は他に一人。秩父線に乗っていたハイカーだ。まさかこんな平日に偶然、同じコースということはあるまい。バスはトロトロと走る。時速30kmもない。後続の車をどんどん抜かせる。「薬師の湯」で停車すると、ここはバスターミナルになっていて、しばらく停車した。もう一人のハイカーはここで日向大谷口行きのバスに乗り換えた。両神山だろうか。終点の両神庁舎一つ手前の両神郵便局前で下車。乗車賃は荒川地区ゾーン200円+町内ゾーン200円で400円。町内ゾーンでの乗り継ぎは無料になるようだ。

(両神山。手前右側の山は472.5m三角点の明神山というらしい)


(八坂神社)


(稲荷神社)


 バス停から50mほど戻って橋を渡る。橋の名前は大平戸橋とある。渡って北に向かうと、左手先、川越しに両神山が見え、しばらく行くと右手上に八坂神社。神社とはいってお堂というよりも物置仕様だ。この先、地図にはさらに2つの鳥居マークがある。下調べでは稲荷神社と愛宕神社ということになるが、予定では愛宕神社の先から入るつもりでいた。それにはわけがあり、左岸尾根と送電線がクロスする390m付近の展望が良いらしいという情報があったからだ。
 右手にいわくありげな道があり、入ってみる。赤い鳥居があった。これが稲荷神社かと思ったが、鳥居には「宇賀魂神社」という厳めしい名前の額がかかっている。奥に入ると稲荷大明神の幟が出てきて、稲荷神社があった。まずは参拝する。だれもいないからやる。だれかがいたらやらない。たいして信心深いわけでもない。

(神社の脇から上がる)


(伊豆沢左岸尾根に出た)


 神社の脇にピンクテープがあって、上に踏み跡が続いている。予定を変更してここから登ることにする。ここから左岸尾根に入るハイカーがいるとは思えない。続いているピンクテープも歩きの目印かどうかは怪しいものだ。雑木と植林の混合疎林を登って行く。さほどの急斜面ではないが、雑木のところはどうしても落葉で滑る。踏み跡は落葉で消えてしまったが、上を目指すだけだから迷うことはない。神社から20分ほど登って、杉の植林帯に入り、左岸尾根に出た。
 この先、品刕まで、標高差もさしてない平坦な尾根に思えるが、地形図を見る限りは17ほどの小ピークがある。これを甘くみていた。実際には、地図上には表れていない小ピークがいくつもあり、これが結果的にはうんざり歩きになってしまい、品刕直下では試練尾根に思えるほどでもあった。

(胴体部が没した石祠)


 この尾根、しばらくは右下に両神の町を眺めながらの歩きになる。両神山が見えてくる。やはりこの辺に来ると両神山も大きい。早速、石祠が現れた。伊豆沢両岸尾根を歩かれた方の記事を読んだら、都合20基ほどの石祠を見かけたようだ。それを楽しみにしていた。屋根部のみかと思って、ちょっとがっかりしたが、よく見ると、胴体部は土の中に埋もれていて、回りは杉の葉がかぶっている。掘り出したいところだが、まだまだ先は長い。修復作業に時間を取られるわけにもいかず、ここはこらえることにしよう。

(大平戸山)


(何だろうか)


(大平戸山から。展望スッキリはここだけだった)


 右に下る踏み跡が見える。この後もこんなのが出てくるが、しばらくは高いところを歩けばいいだけのことで、迷うところもない。一登りすると伐採地らしき高みが先に見えた。周囲も明るくなっている。483m標高点到着。周囲が開けていて展望スポットだ。二子山もくっきりと見えている。このピーク、大平戸山という名前があるらしい。何のマークなのか、正方形の屋根型のコンクリートが据えられている。ここは大規模伐採地ではなく、周囲のみ刈られているといったところだ。気持ちがいいので、ここで休んで菓子パンを食べて一服。出がけは寒かったが、陽が上がり、そろそろ暑くなるような気配を感じる。この先を眺める。平坦な尾根続きかと思っていたが、視界中のあそこのピークと次のピークはうまくつながっているのかなと思うようなところが先々にあり、これは安易に考えていたかなと、ちょっと不安になる。品刕は視野の中にあるのか知らないが、どれがそれなのかさっぱりわからない。

(東電ポール)


(文化年間の石祠)


 下ると安曇幹線のポール。297号と29?号の巡視路分岐。巡視路が尾根を横断している。巡視路を使えるものなら使いたいが、横断しているではどうにもなるまい。
 2基目の昭和の石祠を見て、5分ほど行くと今度は文化年間の石祠。確かにここは石祠が多い。古道が通っていたのだろう。どこに続いていたのかわからないが、文殊峠の方ではないだろうか。金精神社というのもあるし。

(伐採の作業道がクロスする)


(476.7m三角点)


 また下って登り返す。鞍部には車が通れそうな作業道が通っている。これに気をとられて方向感覚がおかしくなったのか、次のピークでミスをする。尾根を間違えて東に下っていた。コンパスを改めて見るまで気づかなかった。戻る。
 ここを歩く方は、大方が476.7m三角点と先の541m標高点に立ち寄るようで、自分もまた例外なく立ち寄るつもりでいた。三角点のある尾根はすでに左に見えていたので、本尾根からショートカットを企てたが、シカ道を使っても落葉で滑り、かえって体力を消耗してしまった。実は、ここまでのアップダウン続きが、最初のうちはまたか、またかといった程度のものだったが、次第にうんざりしてきていて、少しでも楽をしようとショートカットをした結果がこういうことになる。
 三角点峰は植林のピークでもなく見晴らしはいいが、たいした景色が目に入るわけでもなく、雰囲気として落ち着けるスポットではない。山名板はない。点名は伊豆沢。一服して戻る。余計な登り返しを増やしてしまったかといった気分。

(神社)


 尾根を下ると、今度は小さな木の社が置かれている。発泡酒の空き缶とワンカップの空き瓶が供えられている。随分と安上がりの神社だ。地図を見ると、ここには大久保というところから破線路が上がって来ているが、確かに明瞭な道があった。この神社で道は終わり、この先の続きはない。

(下っては登る。そしてまた下る。これを繰り返す)


(541m標高点ピーク)


(ピークには何かがあったのだろう)


 だらだらとアップダウンが続く。うんざり感は惰性気分になり、次第に何も感じなくなってきた。身体も汗ばんでくる。真下に民家の屋根が見えたりする。541m標高点はわざわざ登るまでもないピークだが、ここは地形的にトラバースして先に行くことができず、小高いピークに一旦上がらないと進めないようになっている。ここから541mはすぐ先に見えているので、断わるわけにもいかずといった具合に541mに登ることになってしまう。ここには以前何かがあったのか、石造物を壊したように石やコンクリートの破片が散乱している。

(町を見下ろしながらの歩き)


(放置されたアンテナ)


 尾根道も大分明瞭になってきた。人の出入りも多いのだろう。その証拠に、もはや現役ではないだろうが、テレビ視聴用のアンテナが横倒しになっていたりする。ずっと疎らな植林の中を歩いている。たまに雑木が混じるといったところだろうか。決して気持ちの良い歩きができるといった尾根ではない。登っては下り、下りきっては登り上げる。全体の標高は少しずつ上がってはいるようだが、それが実感として沸いてこないからつらいものがある。

(これは明治のもの)


(武甲山が見えてくる)


(こんなヤセも出てくる。長くは続かない)


 明治の石祠を見て536m。休憩。ようやく往路の後半戦か。何だか疲れたなとぼやく。大福を食べ一服して下る。11時を過ぎたばかりだが、意外に時間がかかっている。この分では品刕に着くのも1時はきついかも。となると、天宮尾根で迷っていたら、暗くなってやばいだろうな。そのまま白久駅まで下ってしまおうかなんて弱気な考えも出てくる。
 次第にアップダウンの標高差がきついものになってきた。暗い植林の中を通ったり、ヤセ気味な尾根になったりもする。変化のある尾根といったら聞こえはいいが、これまでの足取りを思うと、ここで変化をつけられると応えてしまう。左手樹間のすき間から天体観測所らしきものが見えてくる。

(フタをしたような石祠)


(品刕はあの中にあるとは思うが)


 560m標高点は石祠のあるピークだ。屋根がなくなったのか、その辺の手頃な石を乗せたような格好をしている。字がかすれて読みづらいが明治四十二年ぽい。江戸期のものは3番目に見た文化物だけか。ここのピークからようやく、あれが品刕じゃないかといったピークが見えてくる。その左側には武甲山。木立ですっきりしない眺望だ。

(616m標高点で休憩)


 森林公社の杭が出てきて、正午の時報のオルゴールが聞こえてくる。淡々とした尾根に戻る。アップダウン以外の変化のない尾根に戻って616m標高点。ここまで来れば品刕も近い。休憩。ここにもアンテナが3基置かれている。1基は倒れている。地図を見る。この先で北からの破線路に合流するはずだが、さっきの560m標高点過ぎにあるはずの破線路らしきものも見ることはなかった。おそらく、これも怪しいだろう。この先、品刕との間に小ピークがある。地図上はたいしたこともないが、その先で550mまで下降して639mの山頂に至るといったところだが、この90mの登りが地獄かもしれないなぁ。

(神社の屋根だろうか)


(90mを登りつめて)


(品刕山頂に到着)


 木の社でもあったのか、トタン屋根だけが残っている。下って平坦になったところを行くと、植林の間の正面に品刕のピークが見えてきた。やっと山頂というよりも、ようやくこれで上り下りの連続から解放されるといった安堵感の方が強い(実際には復路でも続くことになるが)。休み休みで登って山頂に到着。1時前には何とか着いた。ここまで少なくとも20回の登っては下りを繰り返した。
 薄暗い山頂だ。陰気な感じいうか…。さして広くはない。道標には、北側に文殊峠、釡ノ沢五峰、南側に荒川方面と記されている。ここはただの「三角点」だったらしいが、冒頭で記した方が4年前に「品刕」の山名板を追加したのだろう。ここで久しぶりにラーメンを作って食べる手はずでいたが、夜に用事があり、どうしても5時半には家に着いていたい。ここまで予想外の時間がかかったので、先が見えない状況になっている。どうせ長居する気分にもなれない山頂だし、タバコを一本吸い、ミカンを食べ、15分の休憩で退散。

(下る。植林の中で景色がしばらくきたない)


 ここから南下する。一時は白久駅に下りる気弱なことも考えていたが、予定通りに天宮尾根下りにする。また下って登りになった。何だ引き続きのアップダウンかいな。もう楽観歩きはなしにしよう。小ピークを越え、きつく感じる登りを上がると標高点644m。本日の最高峰だ。この辺から赤テープが出てくる。これまでも目印がなかったわけではないが、作業用なのか紛らわしいものだった。この赤テープはハイカーの目印だろう。

(明瞭な巡視路。使えばいのに、どこに出るやら不安で尾根伝いに行く)


 続いて、送電線の巡視路も入り込む。ポールが立っている。天宮尾根も含め、下りルートでは2幹線の3か所で送電線と接することになっている。最初に現れたのが「新秩父線83号・84号」のポール。ここで、鉄塔のNOを調べておけばよかったと後悔した。巡視路は尾根裾を巻いて歩けるので、くたびれたハイカーにはホットな情報のようなものであるが、鉄塔のNOが分からなければどうにもならない。巡視路がどこに向かうのか想定できないからだ。この83号、84号については、地図に合わせると西に続く破線路に重なっているから、これは使えないだろう。
 細かい尾根が左右に分岐していく。天宮尾根の分岐までは品刕からほぼ南下だから、まめにコンパスを見ながら下る(とはいっても、相変わらずの上り下りだが)。しっかりしはじめた踏み跡も、場所によっては消えたりで不安になることもある。赤テープは不明瞭なところにはなく、明瞭なところに付いていて役に立たない。

(巡視路を使ってみるが、崩れかけのところもある)


(NO.82)


 「82号・83号」が出てきた。83号は来た方向に向いた矢印だから、先の尾根上にある鉄塔が82号かもしれない。これを辿ってみようか。巡視路を辿ってピークを2つほど巻いたが、まだ疑心暗鬼なところがあり、無理にピークに出てみたところが2か所。案の定、ピークを下って巻き道に合流すると、さも、お待ちしておりました、ご苦労さまですと言いたげにポールがつっ立っている。
 「81号・82号」となって鉄塔に出た。これが82号だろう。ここで休憩がてらに鉄塔の周辺を回ったものだから、いざ尾根に復帰しようとしたら、わけがわからなくなってしまった。山稜が複雑になっている。コンパスの向きはまだ生きているので、合わせてあれかなと目星をつけて小高い尾根に上がると正解だった。

(天宮尾根分岐)


(天宮尾根に入る)


(滑りそうなところにはロープがあったりする)


(ここの通過にはヒヤリとした)


(大天狗)


 尾根沿いの巡視路を進むとそろそろ天宮尾根の分岐。天宮尾根というのはここからだろう。白久駅に行くにはこのまま南下する。この分岐でちょっと悩んだ。地図にない尾根がある。だが、ここには「81号」を示すポールがある。81号はこの先にある鉄塔だろう。入り込みにさして迷うことはなかった。
 落葉でズルズルと滑る。これは作業する人向けのものだろうがロープも張っていたりする。先のピーク越しに鉄塔が見えてくる。あれが81号か。斜面に取り付けられた、腐りかけの板を通した渡しを慎重に渡ると、右手に社があった。登ってみる。社の裏に「大天狗」と彫られた丸い石碑があった。この情報は知らなかったが、大天狗があれば小天狗もあるのではないのか。巡視路迂回をするようになってから、省略したピークがいくつかある。あるいは、その中の一つに小天狗があったのではないのか。もしくは、この先にあるかもしれない。これからの巻きはやめにしよう。だが、帰ってから調べると、あるのはどうも大天狗だけのようだ。
 大天狗はガケ状のところに立っているようで、街並みを間近に見下ろせる。この尾根は南東に下っているので、この後、下るに連れて町が近づいてくる。

(ゴルフ場だろう)


 81号鉄塔の下でチェーンスパイクを巻く。最後で滑って白骨遺体になっていたのではどうにもならないし、尾根が植林ではなく雑木になったため、自力での滑り止めもそろそろ限界だった。装着すると下りが大分楽になった。こんどは「80号」のポールが出てくるが、この幹線はここから南に向かうので、巡視路はもう使えない。

(521m標高点)


 踏み跡がしっかりした尾根道が下って行く。こちら向きに「80号・81号」のポールが続いて521m標高点。また植林が混じってきた。この先でミス。知らずのうちに南に下る尾根に引っ張られていた。そのまま下っても破線路(すぐに実線になる)にぶつかるようだが、ここまで来た以上は神社まで律儀に下りたい。さっきからゴルフ場らしきものが見えたりしているのだから余計にそう思う。

(見晴らしスポットから。何とか明るいうちに戻れるか)


 引き続き紛らわしい尾根が分岐する。ヤブめいた巻き道を通過して行くと、先に鉄塔が見えてきた。鉄塔の下には「三峰線41号」のポールがある。次の40号鉄塔がすぐ左手上に見えている。ここまで来ればもうフィニッシュだ。おとなしそうな尾根を南東に下って神社に出る。後は道歩きだろう。

(こんなのが現れた)


(お炊上所)


(稲荷神社)


 間もなく忽然と物置のような建屋に出た。中には木の社が3基。下は神社のようだから、さしずめ奥の院といったところか。案内板も何もない。この先に尾根は続いているが、ヤブで入り込めない。後は、ここから続く小径を下るしかないようだ。
 神社の上に出た。簡素なお堂があり、これが奥社だった。中には陶器のキツネが並んでいる。お稲荷様か。「お炊上所」とある。金刀比羅宮前を通って、本殿の稲荷神社に出た。人の気配はまったくない。よくは知らないが、一般的にお稲荷様とはいっても、正式な神社名があるのではなかろうか。この神社に稲荷神社以外の名称は見あたらない。

(巡視路歩き)


(首欠けの石仏)


(この先に男釜女釜)


 舗装道を少し歩くと、右に「三峰線43号に至る」のポール。巡視路だが、地図に出ている破線路はこれだろう。通行止めになっているのが気になるが、気づかなかった、もしくは車が通行止めと解釈して入り込む。車が入れるような道幅はないが。
 落葉道が続く。左に石碑が倒れている。「皇太子殿下御成婚記念」とあって大正十三年の建立。そして首欠けの石仏。「政」の字が残っているから文政か(⇒寛政であった。あんぱんさんのブログの写真には欠けた部分が乗っている)。そして荒川村指定天然記念物「男釜女釜入口」。沢水はチョロチョロしたもので、この時期は滝ではないだろう。
 岩に乗っかった鉄の橋は見るからに不安で、道側を歩く。もしかすると、この辺が崩壊して通行止めということだろうか。出口にも通行止めの看板があり、出ると、ほどなく日野鷺橋に出た。

(日野鷺橋を渡って。薄暗くなってきた)


(武州日野駅。中学生2人にあいさつされた)


 7分ほどの車道歩き。武州日野駅の駐車場に着いた。そろそろ薄暗くなりかけている。今日は随分と歩いたような気がする。アップダウンの連続だったから余計にそう感じるのかもしれない。天宮尾根に入ってから、右膝がちょっと痛くなってきた。以降、注意しながら歩いたのでそれ以上のものにはならなかったが、下り時はやはり痛く、今日の歩き尾根は膝に負担のかかる尾根だったんだなと改めて思った。
 肝心の天宮尾根だが、細かいミスを含めて4回ほど間違いルートに入ったが、路頭に迷うミスはしなかった。一部区間だけだが、ここもまた秩父の山らしく、巡視路の有効活用といったところだろう。

 もう4時を回っている。5時半までに帰るのは微妙なところだが、着替えもせず、お腹も空いたままに帰路に着く。渋滞で秩父市内通過に手間取り、家に着いたのは5時50分だった。

(本日の歩きルート)



「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

引き続き今度は伊豆沢右岸尾根。意外に楽で拍子抜け。

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◎2016年12月24日(土)

金園橋手前民家駐車地(7:38)……465.4m三角点(8:26)……458m標高点付近(9:04)……502.9m三角点(9:27~9:43)……522m標高点付近(10:20~10:28)……521.9m三角点(10:33)……釜ノ沢五峰からのコース合流(11:00)……文殊峠(11:25)……538.6m三角点・竜神山(11:48)……兎岩(12:13)……林道(12:23)……(昼食)……法性寺(12:59)……大日峠(13:26~13:32)……林道(13:53)……(休憩)……駐車地(14:08)

 年内の山行もせいぜいあと2回か。締めは足尾の山にでも行くとして、先日歩いた伊豆沢左岸尾根を終えると、どうしても右岸尾根の方が気になってくる。左岸尾根の様子からして、右岸尾根とてアップダウンが多いだけの面白味のない尾根であることは想像できるが、両方を歩いておかないとどうも気分的に示しがつかない。早いとこ片付けてしまおうと、ここのところ足向けが続く秩父にまた出かけることにした。
 余談だが、前記事で仮面林道ライダーさんからコメントをいただき、この期に及んで「累積標高差」なるものが気になり、調べてみると左岸尾根歩きは1,373mだった。地形図を見る限り、右岸尾根の方が起伏は多いようだ。結構、苦労するかもしれないが、破線の逃げ道はかなりある。泣きが出てきたら、これを利用してさっさと下ることにしよう。
 今回のコース、品刕はカットし(もう行かずともによいだろう)、釜ノ沢五峰でおかしな歩きをして行きそこねた兎岩のある尾根を体験し、大日峠を経て戻るという算段だ。車道歩きが長そうな気がするが、駐車地に歩いて戻るとなるとこれしかあるまい。

 事前にストリートビューを確認すると、赤平川にかかる金園橋手前にちょっとした広場のようなものが見え、車をそこに置くつもりでいたが、着いてみると、広場どころか休耕畑だった。これでは車が置けない。橋の先の林道には車を置けそうな路肩もなかったし、橋の下の河川敷に下れそうだったので、様子を見に行くと、道の崩れを石で補強したりで車を持って行くにはかなりつらい。それどころか、自分の車の場合、途中で勝手にブレーキがかかってしまい、先に進まなくなってしまいそうだ。仕方ない。取り付きの尾根を変えるかと、地図を広げていると、脇を犬の散歩のオバちゃんが通った。「すみません。山歩きなんですが、この辺に車を置けそうな空地あります?そこに置けると思って来たんですけど」。「いやぁ、ないわね。そこは畑だし。どれくらい置くの?」。「7~8時間くらいになるかと思うんですけど」。「じゃ、いいわよ。ウチのとこに置いて」。「それじゃ、いくら何でも…」。「そこの門の前に置いて。私が通れる分あけてもらえばいいから」。「いいんですか。ありがとうございます。じゃお借りします」。気のいいオバちゃんで幸いしたし、タイミングが悪かったら、こうはいかない。その間、こちらは黒い大きな犬にじゃれられていた。

(金園橋。尾根末端は右側)


(ズルズルの斜面を登る)


 尾根の末端は岩場で川に落ち込んでいるので先に回る。荒れた感じの急斜面から取り付く。やたらと滑る。立ち木につかまって登るも、腐りかけの木が大半だ。四つん這いになっていると、下から声が聞こえた。見ると、ハイカーが3人。まさか同じことを考えてんじゃあるまいなと思ったが、そのまま林道奥の方に向かって通り過ぎて行った。木立に身が隠れ、何かに憑りつかれたようなこちらの痴態は気づかれなかったようだ。彼らは大日峠から法性寺、釜ノ沢五峰といったコース歩きだろう。もしくは巡礼道ハイキングか。

(尾根に上がる。眼下に小鹿野町)


(いい感じの尾根になった)


(何の残骸か。神社でもあったのかと思ったりしていたのだが)


 10分ほどジタバタして尾根に出て、小鹿野の町を見下ろす位置に立った。何の変哲もない尾根だが、右手の北側は切れ落ちている。前回の左岸尾根は植林尾根といったイメージが強く残ったが、そのうちに左が緩斜面になり、広葉樹も広がり、のんびり尾根といった風情になってくる。小さな社のトタン屋根だったのか、それだけが放り出されているのが目についた。何の残骸だろう。
 下って登る。やはりここも早々に起伏が出てきた。小鹿野の町が離れていく。心づもりはあったが、左岸尾根で経験していただけに、その後も上り下りの繰り返しに関してはさほどのプレッシャーはかからなかった。そういう尾根伝いなのだと思えば、またかとうんざりすることもない。今日は最後まで苦痛の感覚は出てこなかった。

(465.4m三角点ピークにある石祠)


(傍らのこれが気になったのだが)


 最初の三角点、465.4mに到着。北西方向から踏み跡が続いているような気配。石祠があった。年代は元文となっているから古い。それでいながらコンクリート製に見えるはどうしてだろう。小鹿野の中心部を向いている。「古田(吉田?)和泉守政重御代小鹿…」という字も見える。その先は消えかかっている。帰ってから調べると、吉田政重は後北条氏の家臣だったらしい。息子と孫は直江兼続、結城秀康に仕え、後に小鹿野に住み着いたようだ。名胡桃城主だったという説もある。地図を眺めると、秩父周辺の地名に吉田が付くところが多いが、この吉田政重と関係があるのだろうか。
 この石祠だが、伊豆沢両岸尾根を歩いた方が、石祠を20基ほど見かけたとネット記事に記されている。先日の左岸尾根で見た数からして、この右岸尾根では少なくとも10基以上は見られるかなと楽しみにもしている。

 定番の両神山と二子山が北西側に見えてくる。これに武甲山を加え、ここのところずっと同じ景色の中の歩きになっている。またかと少々飽きもきているが、やはり両神山の存在感は他の山を圧倒している。奇怪なお姿は何とも立派だ。あれを見ていると、足尾の盟主様のお姿が懐かしくなる。

(何かが乗っかっていたんだろうけど)


 意味不明の鉄製の支柱が8本。何の残骸か。南西側から破線が入り込むところで、方向は南西から南向きに屈曲する(というか、別尾根に乗り換えるといったところだ)。間違いやすいポイントで、ボーっとして歩いていればそのまま通過してしまいそうだ。南西側の破線とはいってもしっかりした道になっているわけではなく、尾根が下っているだけのこと。今歩いているところとて、さっきの三角点からずっと破線路にはなっているが、道型が通っているわけではない。長年にわたって歩かれ、踏み固められているといったところだろう。

(458m標高点へ)


(458m標高点付近)


 植林に入り込む。間伐放置が目につく。この先ずっと通しても、植林の中の歩きはさほどなく、その植林もまたすぐに終わる。大方は雑木林が続いている。登り上げて458m標高点付近。この辺から、岩というほどのものではないが、コケ付きの大きな石が集中しているところを目にする。

(巡視路らしき木の簡易階段)


(502.9m三角点直下。右からゴチャゴチャしたところを登った)


 植林のヘリを歩いていると東電ポールがあった。黒部幹線650号とある。今日は巡視路活用をモットーにしているので地図には鉄塔ナンバーを書き込んでいる。ポールの指し示す方向は西に下る破線路にあたる。ということは、歩いているところもまた巡視路を兼ねているということになるのか。先に下ると、階段状に木が埋め込まれている。やはりだ。
 先の小ピーク手前で巡視路は迂回した。ここまでのアップダウンにさほどの嫌気がさしているわけでもないのでここは巡視路の利用はしない。もしかして石祠があるかもしれないし。何もなかった。引き続き、502.9m三角点への登り。ここでも巡視路が迂回している。直進する。間伐が重なり、えらく歩きづらく、ピークに達した時には全身、木クズだらけの状態になっていて、背中にも入り込み、落ち着いたところで下着の裾を出し、背中に手を這わせて叩いた。

(三角点ピーク)


(歩いて来た尾根が手前に見えている)


(これから向かう尾根続き)


 三角点峰は伐採地のピークで、ここは展望が良い。菓子パンを食べてしばらく休憩する。ここにも石祠はない。何だか話が違うなといった気分がそろそろ出てくる。この先、文殊峠までの間に慌ただしく9基の石祠が出てくるとは思えないのだ。この辺がネット情報の一方通行といったところだろう。
 方向がまた変わる。地図を確認すると、三角点からは南西方向の尾根伝いになる。ここまでと同方向に歩くと、大日峠に下ってしまう。地図を確認しないままで歩き出していた。ちょっと方向感覚もおかしくなり、あれが左岸尾根だなと眺めていたのは、これから進む尾根続きだった。同行者がいたら笑われている。

(この中に基準点が置かれている)


(黒部幹線・鉄塔651号)


(ここのところのいつもの風景。両神山を眺め)


(反対側には武甲山)


 この先にもピークがあり、巡視路があるのにわざわざ行くまでもないのだが、気になって行ってみると、小鹿野町の図根点が置かれ、傍らに「公共基準点」と記されたマンホールの蓋のようなものがあり、蓋を持ち上げて覗くと、中には小鹿野町基準点。大事なものなのだろう。この先も図根点標やマンホールの蓋をよく目にするようになるが、いずれも最近の設置のようだ。
 ヤブをかき分けて下ると、階段付きの巡視路に出、その先に鉄塔651号。黒部幹線は現役のようだ。周囲は刈り払われている。東側に武甲山がよく見えている。この先の尾根は鉄塔設置で削られたのか、引き続きは攀じ登るようで、ちょっとばかり慎重になる。先の開けたピークには地籍図根三角点。初めて聞く用語。これもまた小鹿野町。5分ほど休憩。ここも伐採されている。

(頻繁にこの標柱を見た)


(522m標高点には直進して左か)


(522m標高点付近)


 落葉で滑る斜面を慎重に下って登る。ここは植林帯。登る先には左側に平らな尾根が覗いている。地図を見ると、南向きから南東に変わって522m標高点に至る。あの平らな尾根に乗ればいいのだろう。ピークから実際は平らでもない尾根を下ってまた登る。522m標高点ピーク。ここにも地籍図根三角点が置かれている。地理院三角点やら地籍図根三角点があちこちに置かれ、鉄塔に着く度に周囲は開ける。それはそれでありがたい。休憩スポットが多いということにもなる。だが、見える風景はアングルを変えただけの両神山といったところで、仕方なく二子山をアップで撮ってみたりする。改めて見ると、向かい側の山腹の鉄塔の数に圧倒される。

(521.9m三角点)


(安曇幹線・鉄塔302号)


 安曇幹線302号のポールが出てきた。521.9m三角点の南側でクロスする鉄塔が302号のはずだ。反対側に301号→の手書きが付記されている。先に見えるピークが三角点ピークで、その後ろに鉄塔が見えている。ここもまた巡視路を使わずに三角点ピークに登る。
 521.9m三角点の標石はヤブの中にひっそりとあった。四等三角点の標石があるだけで、小鹿野町の基準点は置かれていない。写真だけ撮って鉄塔に下る。302号鉄塔。送電線は撤去され、高い火の見櫓のようになっている。この鉄塔もいずれは撤去されるのだろうか。秩父の山に関しては、目印テープ類よりも鉄塔、電線が最高の目印にもなるのだが。
 今日は地図を2枚にして持ってきた(前回は4枚だった)。①、②、③と書き込み、①と③は共通図面だ。右岸尾根に関しては後半部に入っているので、ここで地図②を取り出す。後はずっと南下だ。コンパスも文殊峠分岐まではセットせずともいいだろう。

(町有林地標柱)


(撮るものもなく二子山をアップで)


(これが先々でやたらとあって)


(休憩)


 またヒノキの植林に入る。小鹿野町町有林地の標柱が置かれている。伊豆沢宇東沢と地名が書かれているから、西側から宇東沢というのが突き上げているのだろう。伐採地ピークに出ると、ここにも地籍図根三角点。何やら三角点だらけの尾根を歩いている。図根点は、歩きのマークにもならず、自分にはどうでもいい存在だ。
 さて、事前の地形図チェックで問題だったのはここのところで、521.9m三角点から先、釜ノ沢五峰からのコースが合流するあたりまでの区間は尾根型が消えている。ここはトラバース区間で、問題なく歩けるものなのかと疑問だったが、その辺は地図読みの甘さだった。この区間は東西から標高線が突き上げていて、自然と尾根状になっている。問題なく尾根型を辿ってコース合流点下まで歩くことができた。

(釜ノ沢五峰からのコースにあのピークで合流する。後は一般道歩きになる)


(合流点の標識)


 目の前に合流点ピークが見える。ここも伐採地になっていてハイカーの姿が見える。スズを2個付けて歩いているから、音も聞こえたろう。こちらに気づいているようだ。
 右に「金精神社」、左は「鉄塔を通り伊豆沢へ」の手書き標識が目に入った。自分が登って来た方向を指しているのか、釜ノ沢五峰方面が「鉄塔を通り伊豆沢へ」なのか微妙なところだが、前者だとしたら、わざわざ標識をつけるほどの歩くハイカーがいるのかいささか疑問だし、後者だとすれば、布沢峠経由ということになるのか。それだとして、どこから伊豆沢に下るのか疑問も残る。やはり、自分の歩いて来た方向を指しているのだろうか。ここまで標識はまったくなかった。手書き以外にもしっかりした標識が置かれ、それには釜ノ沢五峰、文殊峠の方向が記されている。
 ここにも小鹿野町の基準点が置かれている。のんびりと休憩したかったが、ハイカーは若い二人連れで、これから休憩に入ろうとしている様子にも見え、妙に落ち着かなく、標識を数枚撮っただけで金精峠に向かう。展望が良かっただけにちょっと残念だ。それにしても、ここは北風が音を立てて吹きさらしになっている。

(下る)


(ぼろぼろの石祠)


 ここからはいわゆる登山道というかハイキングコースの歩きになる。釜ノ沢五峰を登って、兎岩を経由して下る場合はこのコースになる。鞍部に石祠があった。バラバラになったのを集めて組み立てたのか、屋根の支えは塩ビのパイプになっている。胴体をビニールテープで巻いている。それでも賽銭が置かれている。ここでようやく本日2基目の石祠となったが、以降、文殊峠まで石祠を見ることはなかった。石祠は左岸尾根に集中していて、20基というのは真に受ける数値ではなく、それほど多くの石祠を見かけたという表現だろう。どうも不思議だなとは思ってはいた。
 クマだかイノシシのフンがあった。ここまでシカのフンを数か所で見かけただけだったから、むしろハイキングコースの方が遭遇率は高いかもしれない。
 一般コースなのにおかしなミスをした。小ピークをそのまま直進して下ってしまった。ここは地図でも微妙なところで、乗り上げたら左に行かないといけないのだが、そのまま下っていた。元に戻るのが面倒でついトラバースしてしまったが、このトラバースはなかなか厳しく、ヤブの急斜面で、復帰するべき尾根が見えた時には心底ほっとした。戻れば良かっただけのことなのに、余計な労力を使うことになってしまった。後日談だが、自分がトラバースした区間のコース上に「モミの巨木」という名物があったらしい。見逃してしまった。やはり、ピークに戻ってコース通りに歩くべきであった。

(中ノ沢分岐。ここで一旦、金精神社に向かう)


(金精神社)


(文殊峠)


(天文台)


(天文台から。手前に伊豆沢左岸尾根)


 中ノ沢分岐。このまま兎岩の方に向かってもいいが、ちょっと下るだけだから金精神社に寄り道する。この時点では、文殊峠は神社のさらに先とばかりに思っていたから、金精神社のあるところは文殊峠になっていて、天文台(長若天体観測所。私設)まで峠にあったのには得をした気分だった。神社の脇に荷を下ろして周辺をぶらつく。舗装林道がここまで来ている。天文台はちょっとした高台にあり、左岸尾根を歩いた際に小さく見えていた。360度とまではいかないが、西と東側の展望は良好だ。ここにもマンホール型の公共基準点が置かれている。神社の由来板には、日光の金精神社を勧請したとある。ご神体は残念ながら覗けないが、後で同じようなご神体を拝むことになる。

(間違いやすいところはないと記したいが、自分は手前でミスをした)


(538.6m三角点。竜神山)


 分岐に戻って中ノ沢、竜神山方面に向かう。竜神山とは538.6m三角点ピークの山名のようだ。しばらく植林の中を下る。途中の伐採地には地籍調査三角点。こう三角点だらけになると、もううるさい感じになる。中ノ沢に南下するコースを右手に分け、さらに下ると竜神山山頂の標識。ここだけは開けて明るい。本日4つ目の地理院三角点だ。小鹿野の三角点は置かれていない。
 この兎岩尾根はスポットが多くて飽きることはないが、基本的にどんどん下っているから、いずれ登り返しとなるラストの大日峠のことが気になってくる。70~80mほどの標高差があるはずだ。前回の品刕への登り返しの気分と似ている。

(あそこを登るのといった気分だったが)


(大岩出現)


(賽ノ洞窟)


 広い伐採地に出ると目の前に鉄塔があった。送電線無しだから安曇線。どうもあの鉄塔に出ないといけないようだが、土壌がむき出しで不安定。恐い感じがしたが、あそこをだれでも登っているんだろうと思うと尻ごみもできない。恐々と何とか登った。この先は岩場やら、足元が不安定なところが続きそうな気配。フィニッシュが兎岩ということだろう。
 大岩が立ちはだかった。右下に巻きがある。岩の基部に凹んだところがあって、これが「賽ノ洞窟」。岩肌がハチの巣状にボコボコになっている。この手の岩の内部の形状は、釜ノ沢五峰を歩いた際に法性寺にも間違いルートの大岩にもあった。ロープを伝って、大岩から抜ける。

(大岩ゴロゴロ)


(兎岩下りの入口)


(途中から釜ノ沢五峰)


(出口。下から)


 この先も丸い大きな岩がいくつかあって、その間を下るのだが、通過にちょっとばかり緊張する。左手には釜ノ沢五峰の尾根が見えてくる。
 雑木の落葉斜面を下って行くと兎岩。こういうところを下るのはあまり好きではないが、怖いもの見たさの気持ちだけはあった。左右にポールとクサリが続いているので、見た目ほどの恐怖心は出てこないが、下りになっているので、滑ってコテッといったらそのまんまといったところだろう。幸いにも滑りもせずに無事に通過した。岩の表面はザラザラしていて滑り止めの役割を果してくれる。この尾根は見どころがあって、短時間ながらもなかなかおもしろかった。それだけ伊豆沢右岸尾根の方は退屈だったとも言えようか。

(林道に出る)


(文殊峠分岐)


(石仏や石碑を見ながら)


(釜ノ沢五峰入口)


 尾根を避け、ダラダラと踏み跡を追って下ると林道に出た。ほっとしたが、後は法性寺に置いている車に戻るだけといったパターンではないだけに解放感はない。陽のあたった林道わきに腰をおろしてランチタイムとする。スズはとりあえず外す。
 車道をテクテク歩く。左手に林道布沢線が分岐する。ここから文殊峠まで歩いて90分と記した標識。石仏や字の読めない石碑、古い墓地が道端に続く。そして釜の沢五峰登山口。法性寺から来ると、途中から車道に出て、ここから登るのが正解コースなのだろうが、無駄な歩きに思えなくもない。長若山荘とかいうこぎれいな旅館がある。
 法性寺方面に左折。ここに「巡礼道」という標識が置かれている。その時はさして気にはならなかった。

(弁財天碑)


(秩父大神社)


(法性寺)


 秩父大神社を探索して法性寺駐車場。車が12台。山歩きの車が何台かはわからないが、兎岩を下っている時、釜ノ沢五峰で休んでいるハイカーが見えたし、途中で出会った二人連れの車もまたこの中にあるのだろう。
 門前のトイレ横のベンチに腰かけ、地図③を取り出して眺めながら一服していると、トイレの中からバタンとドアを閉める大きな音がして、女性が出てきた。ちょっと警戒気味の顔で見られた。おかしな性癖を持った男と見られたら不本意なので、さっさと腰を上げて大日峠に向かう。ここに案内の張り紙があったが、それには大日峠まで0.7kmとある。意外にも近い。

(巡礼道を大日峠へ)


(この辺は巡礼道っぽい)


 車道から離れて山道に入る。標識には「大日峠を経て小判沢地区へ1.9km」と記されている。分岐にはかなり古い地蔵が置かれている。すぐに巡礼道の札が垂れている。ここが巡礼道であることをようやく気づいた。スズを再びつける。
 しっかりした山道を登る。急なところはないが、着実に登っている。これが本日最後の登り道かと思い、かみしめるようにゆっくりと歩く。と言うと聞こえはいいが、実際はかなりくたびれていてさっさと歩けない。この巡礼道、図根点やら境界杭が点々と続いていて、ちょっと興ざめなところがある。

(大日峠)


(ちょっと頼りない)


(こちらは作業道といったイメージ)


 大日峠には石仏が2体。ここで峠の「大日」は「大日如来」であることを知る。傍らに大正時代に置かれた石柱があって、「小鹿野道」「從是東南秩父郡長若村」と記されている。峠の西側には尾根伝いに踏み跡が上っている。地図を見ると、これが502.9m三角点に続く破線路だろう。東側にも425.8m三角点があるが、ここから標高差30mほどのものながらも、三角点ついでに行ってみたいという気持ちはまったく起きない。
 ここから北に下る。しばらく北風が吹き上げてきて寒く、外していた手袋を履きなおしたが、5分ほどで風はあたらなくなった。
 大日峠から先は道が細くなり、ずっと沢沿いになる。沢を渡るところもあり、橋は設けられてはいるが、渡らずに沢に下りた方がいいような橋もあるし、架け替えの橋もある。沢の流れはチョロチョロだ。一帯は植林で、巡礼道というよりも作業道といった感じで、橋のないところでは、その先に首を傾げるところもあるが、南無観世音菩薩の赤い旗が目印にもなる。薄暗い時に歩くにはちょっとした勇気が必要な峠越えの巡礼道だ。

(小判沢集落に出る)


 左上に民家の屋根が見えてきた。小判沢地区に出たようだ。車道に出るところに石仏と弁財天の碑(「辯才天」となっていたが)、石祠が置かれている。その後ろは古い墓地。出たところは小判沢集会所の前。向かい側に広場があって、何だここに車を置けたじゃないかとちょっとがっかり。ストリートビューでは、この広場に黄色のポールが並び、中に入れないようになっていた。今、そのポールはない。今さらと思いながらここで休憩。スズを外して残った菓子パンを食べる。
 今日もまたラーメンセットを持ってきていたが、作って食べたいという気持ちにはなれなかった。つい先を急ぐ歩きになってしまっていた。つまり、余裕のない歩きをしている証しだろう。
 休みながら、終点が近づき、このまま手ぶらであのオバちゃんにありがとうございましただけの挨拶でいいのかといった思いが改めて出てくる。一期一会の一方通行では失礼だろう。とはいっても、遠回りしてコンビニで気の利いたものを買うのもおかしいし、現金ならさらに失礼だ。ここは丁重な挨拶だけで済ますしかないか。

(こんせい宮。性神という範疇に入るらしい)


(金園橋を渡って終わり)


 道端に「こんせい宮」という小さな神社があった。ご神体が真ん中に鎮座している。文殊峠の金精神社とのつながりがどうなのかは知らないが、後で調べると個人の神社のようだ。ちゃっかりと丸い石が左右に置かれている。今さらお参りしても…ということで、眺めるだけにした。
 金園橋が近づく。今朝がた無理に登った取り付き斜面を見上げたが、何もそこまでせずとも、もっと先に行けば楽に尾根に出られるところがあった。これもまた余裕のない歩きといったところだろう。
 駐車地をお借りしたオバちゃんに挨拶に行くと、開口一番「あら、早かったわね」。ちょうど柚子を採っていたところらしく、持って行かないかと言われたが、ウチにも柚子の木があって、冬至に使ったこともあったので、これは心苦しくもお断わりさせていただいた。今度は犬に吠えられてしまった。「ここでよかったらいつでも車を置いていいわよ」とまで言われたが、ここからあちこちに行くベースキャンプにするには、さほどの魅力あるエリアとはいいがたい。

 これで伊豆沢の両岸尾根歩きは終わった。こんな尾根にこだわるのも何だが、満足感だけは残った。右岸尾根を歩いてみて、やはり品刕を加えなかった分、そして、起伏の多さを覚悟していただけに、さほどの疲れは残らなかったし、泣きも出なかった。むしろ、左岸尾根に比べて楽だったともいえる。ちなみに、今日の累積標高差は1,186mで左岸尾根歩きに比べると200mほど少なかった。それでいて、出だしの標高は地図に記された241mで、最高点はハイキングコースと合流する地点の570m。これだけの標高差ではせいぜい330mほどのものなのだが。
 小鹿野のこの周辺も一通り回ったからもういいだろう。
 
 帰路、利根川を渡ると赤城山がすっきり見えた。一角が白くなっている。黒檜山もそろそろ雪山の季節か。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

北西尾根から石倉山。後半は林道調査になってしまった。

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◎2016年12月29日(木)

足尾銅山観光駐車地場(7:45)……足尾双愛病院前取り付き(7:58)……973m標高点付近(9:16)……西南西尾根合流(9:34)……1109.2m三角点(10:02)……石倉山(10:09~10:20)……南尾根から外れる(10:50)……林道(11:05)……県道(12:03~12:15)……駐車場(13:10)

 以前から、砂畑の方から石倉山に登ってみたいものだと思っていたが、地形がちょっと複雑で、下部は急斜面のようだしと、これはどうも現実的とは思えず、一年前に大屈沢の左岸尾根から登ったのがせいぜいだろうなとあきらめてもいた。
 これもまた一年前のことだが、ふみふみぃさんが石倉山からの帰路、砂畑に向かって下られた記事を拝見し(途中、尾根から外れて沢を歩いたりもしたようだが)、以来、もしかすると砂畑側から歩けなくもないかなと思うに至っている。
 通洞大橋の南側、砂畑から石倉山に行けそうな尾根は4本ほどあるが、2本は擁壁の上からになっている(実際には擁壁脇から入れるようだが)。これは対象外として、他の2本、973m標高点、1024.4m三角点を通る尾根を今日はいっぺんに歩いてみるつもりでいるが、1024.4m三角点は大屈沢左岸尾根を登った際に立ち寄ったこともあるし、気分次第では東の久良沢の方に下ってもいいだろう。これもまたふみふみぃさんの後追いになるが、破線路のさらに先まで林道が続いているという事実に興味があり、自分の目で確かめてみたいもの。いずれにしても、973m標高点通過の北西尾根を先ずは登ってみよう。短時間で終わりそうだが、暮れの歩きだ。無理はしないことにする。

 銅山観光の駐車場に車を置く。寒い。気温は-3℃。風は冷たく、陽が昇りきっていないから余計に寒い。ここの銅山観光のすぐ近くの社宅で暮らしていた頃、足尾の冬は何とも日が短いところだなと思っていたが、8時近くになっても薄暗い。山の上は別だろうが。

(では出発。上の橋にはこの脇から階段を使って行ける)


 車道を歩いて双愛病院に向かう。近くの路肩に車を置けそうなスペースはあったが、やはり不安なところもあって、銅山観光の駐車場にした。この時間だし、国道の車の往来はさほどでもない。

(10分ちょいで病院)


(ここから入り込む。高瀬沢。この時点では、右に上がって、左から下る予定でいる)


 左に擁壁上に出る階段や砂畑上沢の堰堤続きを見ながら病院前に着く。ちょっと先に沢状の地形が出てくる。今日はここの右側から尾根に登り、左に下って来る予定でいる。沢の名前は高瀬沢というらしい。堰堤プレートに記されている。この先に7段ほどの堰堤が続いている。水流は上にかすかに見える程度。沢の名前を知った以上、ここは高瀬沢両岸尾根とすべきかもしれないが、これでは余計にピンとこないだろう。何せ水流があるのかもわからないような沢だ(ふみふみぃさんはこの沢で大滝に出会っているらしい)。

 周囲をあちこち見ていて時間をとられた。122号のバイパスが開通するまでは、この辺にも社宅長屋が続いていたはず。生活の残骸らしきものが奥までに転がっているが、あるいは捨てられたただのゴミかもしれない。肝心の下り予定の尾根、見る限りはこの辺、さほどの急斜面でもなく下れそうだ。

(取り付く)


(鉄塔に着く)


(ピンボケになってしまったが下り予定の尾根。ストーンとなっている)


 尾根末端からと思ったが、そちらには岩が見え、脇から入り込む。やはり急斜面だ。土は凍っていて、湿っぽいグズグズよりは登りやすいが、どうしても一歩一歩が慎重になる。足を置いてから次のステップといったところだ。しっかりした踏み跡はなく、痩せてはいるが折れそうもない樹を頼っては上に向かう。四つん這いになったりしながら7分ほどで尾根上の送電鉄塔に出た。送電線は国道沿いに延びている。初っ端からゼイゼイした。ほっとするのも束の間、この先もしばらくは急斜面が続いている。ことに等高線は700mまで密になっている。チェーンスパイクはまだしも、ストックを出してしまった。

(見た目ほど安泰でもない。ほっとして下を覗く)


(こう続いている)


(どこから延びていたのかフェンスにふと気づく。このまま西に向かっているようだ)


 これから越えるべきピークが見えている。地図上にそんなものはない。おそらく、あれが700mラインの壁だろうか。とにかくあれを目指せば、後はほっとした歩きになりそうだ。右に折れ曲がったシカ除けフェンスが現れて遠ざかる。
 なかなかの急斜面が続く。もうなしにしたかったが、ここで撤退したら今日一日を棒に振ることになる。左側に下り予定の尾根が見えてくる。途中から急な傾斜になっている。向こうからこちらを眺めても、ここもまた同じかもしれないが、あそこを下るのは無理な相談といった感じがする。ふみふみぃさんは途中から南の沢に逃げたようだが、その方が確かに賢明だろう。

(袈裟丸の雪状況はマダラのようだ)


 逃げ場のない状態の中を登っている。さっき見えていたピークはとうに過ぎているのにまだ落ち着かない。男体山やら袈裟丸山が枝越しに見えてくる。周辺を見回すが、この辺、無防備で下りられそうなところはない。古いクマ糞が目についた。ここにもいるのか。幸いにも発砲音は聞こえないが、黒いフリースを着てきたことを後悔した。

(かすかな踏み跡が向こうに続いている)


(FURUKAWAマークの石標)


 少し落ち着いた。傾斜が緩くなり、尾根も広がり出した。転がっても加速がつく前に止められそうだ。だが、まだ気が抜けない。ふと目の前に踏み跡が左右に通っている。これまでのシカ道とは違う。右はしっかりしている。左は、ちょっと先まで覗きに行くと、ジグザグに斜面を下っている。作業道跡だろうが、大方、その先は自然消滅だろう。正面の樹に赤ペンキマーク。人間の足跡を確認しただけでもほっとする。もっとも足尾の街はまだ眼下におさまっている。
 傾斜が緩く、尾根幅が広くなると、気分もまた一気に良くなってくる。このままの歩きをずっと続けたい。黄色の巻きテープが目に入った。自分が歩いた尾根からの続きではない。おそらく、973mを西に下っている尾根型不明瞭なルートからだろうか。テープにはこの先出会うことはなかった。山一の古河マークが入った杭がそろそろ出てくる。この辺の山からも坑木を伐り出していたのだろう。

(ようやく落ち着いて)


(973m標高点付近。台地状)


 尾根はそろそろ左旋回になって973m標高点に着くはずだ。広葉樹に植林が混じってくる。基本は右が植林帯だろうか。もう林業関係者が入り込んでいるエリアなのだろう、尾根上は道のようになっている。
 右に迂回する踏み跡から離れて登りきると973m標高点付近。ここで一服。陽が上がっていないせいもあってやたらと寒い。じっとしていると余計に冷え込むのでそそくさと切り上げる。

(この辺は右から下ってくると迷うかも)


(846.6m三角点からの尾根の合流部。ここを登って来た)


 ようやく安心して歩ける平穏な尾根になった。少なからず尾根左右の急斜面は遠のいた。なだらかな斜面が広がり、二重どころか三重の尾根が左から交わる。ここは下りではないので悩むことはないが、下り使用で迷い込んだら抜け出しがかなりきついだろう。どこを下ってもいずれは急斜面になるはずだ。
 846.6m三角点から続く尾根に合流。ほっとため息。この先は準一般ルートだ。正面に石倉山が見えている。休憩したいが寒いので歩き続行。

(迷うことはないといったところだ)


(そろそろだ)


 道型というよりもしっかりした踏み跡が続く。地図上のいくつかの突起を乗り越えて行くとぼちぼち岩混じりになってきた。1109.2m三角点峰はそろそろだ。何を隠そう、この尾根を上りに使ったのはそれなりにわけがあり、下りに使うと南西の岩場でがんじがらめになる危険性があったからだが、上り使用だと何も問題はない。ちょっとヒヤヒヤがあるだけだ。

(1109.2m三角点)


(石倉山へ)


(石倉山山頂)


(新旧並べて)


 右手の岩場を見ながら三角点峰に到着。ここもまたほっとする。石倉山はこの先だからと休まずにこのまま歩く。下って上って石倉山。あれっ、ハイトスさんの山名板以外に新手の山名板がある。薪を半分にし、カンナで平らにし、さらに燻してから書き込んだような山名板だ。ハイトスさんの山名板と合わせての存在感がある。ここ一年のものだろう。裏を見たが、作者名とかは記されていないが、こんな足尾の脚光を浴びないような山に愛着を持って山名板を取り付ける方のお気持ちは我ながらうれしく思ってしまう。だが、一つの山に2枚の山名板は不要かと思うが。
 しばらく休憩。ようやく陽が出てきてぽかぽかになって暖かくなった。

(大平山に雪はない)


(こちらの御大も少ないねぇ)


 さてこの先どうすんべぇということになる。来る途中に見た1024.4m尾根の末端は急下降になっていた。やはり、ふみふみぃさんのように南の沢に逃げるか別尾根沿いに北に行くしかないだろう。ここは悩まずに東の久良沢に下るとするか。林道調査に切り替えてもいい。こんな機会でもなければわざわざの調査もできない。
 菓子パンとおにぎりを食べて下る。三角点峰はトラバース。県境稜線に南下するが色とりどりのテープで騒がしい。ここは新しいものを主に年末の掃除とさせていただく。石倉山のようなひなびた山に派手なテープは似合わない。ひっそりテープだけで十分なのではないのか。

(この雰囲気が好きなんだわねぇ)


(地蔵岳を目の前に別尾根に下る)


 間もなく下り予定尾根にさしかかる。念のため先に行って地形を確かめてから戻って下る。ふみふみぃさんの軌跡は地図にマーカーしてきている。地蔵岳が正面に見えてくる。落葉で滑りそうな広い尾根を慎重に下る。いい尾根の雰囲気だ。

(これがずっと続けばいいなと思っていたが)


(すぐにこれだ)


(そしてさっさと林道に出てしまった)


 あっという間に植林帯に入った。樹々に白いビニールテープが巻かれている。そうか、そのための作業道が通っているんだなとすぐに理解した。沢沿いの間伐放置がすごい。このまま尾根通しに下ろうかと思ったが、左下の谷側の下に道が見えた。あれは作業道というよりも林道だ。谷側に間伐をかきわけて下る。こうなったら早いとこ林道に出たい。石倉山の最短ルート見ーつけっといったところだが。
 間伐を踏み越えながら下ると、左上にも道型があった。林道分岐だろう。これに這い上がる。下道といずれ合流だろう。奥を見ると、ここが起点のようだ。ざっと幅2.5mの林道。霜柱でザクザク。荒れたままに放置され、今このままに車を通すとなればかなり厳しいだろう。段差のあるところもかなりあり、切ったままの倒木も覆いかぶさっている。一時的な使用なのか、自然に戻るのを待機といった状態になっている。

(左から下って来た。そのまま折り返しではつまらない。手前に辿ってみた)


(終点の先に踏み跡が続いている)


 右からさっきまで見えていた林道が合流する。このまま下ってはまずいだろうと、この合流林道を戻ってみる。こちらもまた荒れていて、道そのものもヤブになりつつある。やがて直進と左に分岐。直進は斜面下で消滅。その先に踏み跡なし。戻って左に入る。ここもまた沢への斜面上で終点を迎えたが、トラバースする道型が先に続いている。これを辿ればどこに至るのか気になったが、ここで引き返して分岐に戻る。左の尾根に赤ペンキが続いている。これもまた気になったが黙殺。林道に戻るだけのことかもしれない。そこまでのこだわりはない。

(地蔵岳を眺めながらの林道歩き)


(ちょっとした広場に出る)


(ここからは右岸歩き)


 二俣に戻って林道を下る。あきれるほどにしっかりした道だ。地蔵岳を前にしていると、このまんま直進で行けそうな感じになってしまう。
 沢の左岸側を歩いていると広場のようなところに出た。ここが破線路の終点かもしれない。後ろに堰堤がある。ここで沢をまたぎ、以降、右岸歩きになる。道はさらに、今度は車の通行も問題のない状況になり、現に最近のタイヤの轍まで見える。こうなるとあまり面白味のない歩きになるが、今日は初めてのところの歩きだから、さほどの苦にはならない。

(破線路はこうなっている)


(ここで休憩)


 右から枝沢が入り込む。ここだけはちょっとえぐれて車はきついかなと思ったが、タイヤ痕は前後して続いている。あーぁっとのんびり歩きの気持ちよさを感じ、左からの沢に小滝が見えたので、河原に行って休んだ。
 左手に大きな堰堤が見え、この工事のためなのか、左岸側にも林道が走っている。どこまで行くのか、歩いている林道とクロスすることはなかった。この先で右に林道が分岐したりする。追いかけはもういいだろう。いずれ県道に出るだけのことだろうし。

(林道起点)


(傍らの石祠)


(住居跡だろう)


 県道に出て休憩。林道入口には石祠があった。年代は廃れて確認できない。ここになぜかオレゴン州のナンバープレートが放り出されていて、いい土産だなと思い家に持ち帰ると、置き場所もないままに、結局家の脇に洗って立てかけておいたら、早速家族からそんなゴミを拾って来てと文句が出た。
 県道の左には住居跡。これもまた鉱山の社宅だったのだろうか。しっかりと整地されている。そんなのを眺めながら県道を下る。車がたまに通る。あの人、こんなところで何をしてんだろうと思われているに違いない。

(あとは車道歩き)


(ここからは町の中に入る)


 銅山観光までは4キロほどの車道歩きだったろうか。町に入り、その昔から知っているソバ屋にでも寄るつもりでいたがやはり昔の面影は消え、銅山病院のあった所はアパートになっていて、ソバ屋を見つけられぬままに銅山観光に着いてしまった。年末ゆえか、レストランは休みだった。

(通洞の鉱山神社で。今年もありがとうございました)


 これで年内の歩きは終わりだ。初っ端の急斜面には参ったが、973m標高点過ぎの歩きは至って楽で、陽も上がって、陽だまりハイクといった感じだった。石倉山の尾根もこれで一通り済み、敢えて未踏を探し出して歩くこともないような気がするが、いずれもう一回、砂畑側から歩いてみることにしよう。どうも1024.4m三角点の北西部が気になっている。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

田島川両岸尾根。登り初めは足利でヤブ尾根歩き。

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◎2017年1月3日(火)

田島町自治会館駐車場(7:10)……212.7m三角点(7:45)……227m標高点(8:40)……267m標高点(9:11)……281m標高点(9:49)……展望地で休憩(9:55)……291m標高点(10:18)……関東ふれあいの道合流(10:59)……381m標高点付近(11:09)……388.0m三角点(11:22)……ふれあいの道から離れる(11:30)……261m標高点付近(11:58)……251m標高点(12:15)……203m標高点(13:27)……トンネル上(13:54)……車道(14:04)……駐車場(14:15)

 田島川の左岸、右岸尾根。田島川がどこを流れる川なのかすら知らなかった。仮面林道ライダーさんの暮れのお歩き記事を拝見し、正月の歩きはこれだなと決めていた。地味で少々のヤブは自分の好みでもあるし、足利のこの辺なら家からも近い。
 ライダーさんの元ネタは山とんぼさんの記事のようだが、そちらも合わせ拝見した。山とんぼさんは右岸尾根を歩かれていない。今回の歩き、結果的にはライダーさんとは逆向きで、大方は同じコース。違うところは、コース外の438m標高点には立ち寄らなかったくらいのものだが、なぜか累積標高差はこちらの方が15mほど高かった。
 余談だが、同じ日にふみふみぃさんが北西側から南下、北上し、自分のコースと一部重複したところを歩かれていた。やはりそちらも同じような風景が続いていたようだ。

 田島町の自治会館に駐車する。自治会館とはいっても集会所だが、正月の寄合があったらまずいなと裏手の隅に車を置く。とちぎナンバーならともかく、軽とはいえ群馬ナンバーではうさんくさい車に思われるだろう。
 周囲を眺める。今日は東側の左岸尾根から登ることにしているが、今日歩くことになる両岸の尾根はあれだろうなと見当をつける。ここから大方は見えていない。
 この辺の地理はまったくわからない。来たのも初めてだ。地図をあてがっても、ぴんとこないし、取り付き予定の尾根の破線路は212.7m三角点の南側で切れている。確証はないが、ココ・ファーム・ワイナリーとかの施設に向かって行けば何とかなりそうだ。

(林道をちょっと歩いて)


(この辺りから向こうの尾根らしきところに取り付くとする)


 ここは行道線のバスが通っているのか、ココファームバス停があり、山側に向かうと、林道のようなものがあった。林道はすぐにココファームの駐車場らしきところで終わったので、この辺から適当に斜面に取り付く。

(尾根に出る)


(早速の石祠)


 ヤブの斜面に上がると、北関東道のトンネルが眼下に見え、早速、石祠(これは神社だろう)が現れた。南東に神社マークがある。この関連だろう。年代は不明だが、寄進者の名前の上に一金一円半と記されたりしているから、明治のものかと思う。

(この辺は道になっている)


(名草川左岸の山)


 明瞭な尾根筋を登って行くと、高見に出てちょっと下った。ぴんとこなかったが、予定尾根を歩いているようだ。右手北東方向に存在感のある山が見えている。足尾の山と違って安蘇の山はとんとわからない。登った山でも、後で離れたところから見ると、あれが何山かといつも特定できないでいる。これは仕方あるまい。足尾の名のある山の数は安蘇に比べるまでもないのだから。地図を見る限りは名草川の左岸尾根のピークだから、名前があるほどの山でもないような気がする。

 ここもまたアップダウンの多い尾根だ。今は150mラインだが、これからの両岸尾根歩きの高いところとてせいぜい438m標高点分岐の390m程度のものだ。これが結果的には1,156mの上り歩きになってしまうから、上り下りの繰り返しがこれから続いてしまうことになる。

(212.7m三角点)


(行道山の稜線)


 212.7m三角点に到着。確認してすぐに下る。途中で左手西側の高い山並みが見え、小休止してヤッケを脱ぐ。ハンター対策で目立ち色のを着てきたが暑い。山並みは、地図を見ると行道山から大岩山にかけての稜線だ。標高430mほどの山でも、ここからではかなり高い山に見える。

(尾根は右側。脇に広い道型が沿っている)


 左から溝のような道型が入り込む。地図では西からのクネクネ破線路だ。工事用の道だったのか意味不明な長い鉄パイプが何本か放置されている。何かが建っていたのだろう。この道型、しばらく尾根沿いの左に続いているのを無視していたが、尾根上のヤブがきついところもあって、つい道型の方を歩いてしまった。この道型とて今は歩く人はいないようでヤブ化はかなり進んでいる。
 この辺りから、古い赤テープを見かけるようになる。どこまで行くのかずっと気になっていたが、一時的に消えはしたものの、最終的に下り右岸尾根の203m標高点先まで続いていた。テープの間隔は短く、次第にうっとうしくなるが、わざわざ掃除はしなかった。ただ、付け方がヘタなのか、迷った時に、あっ、あそこにある、ほっとした、と役立つようなテープではなく、失礼ながら、自分にはただのうるさい目印でしかなかった。やがて南東の方からも道が上がってくる。これは植林の作業道か。もう現役ではないだろう。

(不思議なスポットに着く)


(石仏)


(立派な石祠。これも神社か)


 陽があまりあたらない平らなところに出た。南から219m標高点を通る破線路が交わるちょっと先の南北に長い小ピーク。薄暗いせいか、他と違った雰囲気と空気が漂っている。やはりか。石祠が3基と石仏が置かれている。さらに台座にしたような石があって、あるいはここにも石祠があったのか。不動明王の石仏の台座には「天玉山」と刻されている。ここの山名なのだろう。ここに集中しているのは、信仰の場でもあったのか。石祠の2基は南を、1基は南西を向いていて、1基の寄進者の名前や南猿田、北猿田の地名、そして明治六年は読み取れた。他の2基は字が読めない。調査休憩後に歩き再開。

(ササヤブに突入)


(抜けると左にゴルフ場)


(ツツジ)


 いきなりササヤブに突入した。やはりこのままおとなしく歩いて行けると思ってはいなかった。ササを払いながら進んでいくと、途中からケモノが通ったと思われる細い道が続いていたのでこれを追う。ヤブは次第におとなしくなり、次第に視界のじゃまにならなくなった。時間にして4分くらいのヤブ。
 左手にゴルフ場が見えてくる。かすかに声が聞こえる。227m標高点付近に着いた。狂い咲きなのかその種のものなのかツツジが開花している。よく見れば茶色がかってきれいとは言い難い。

(人工的に削り取ったような跡が目に付く)


 この先に東の沢筋から破線路が上がって来ているはずだが、明瞭な道は確認できず、自然に戻りつつある道型らしきものは確認できた。さっきから気になってはいるが、人工的に掘られたような窪みがあちこちに目につく。さっきの鉄パイプ同様に、何かの施設でもあったのだろうか。場所によっては尾根を削ったような跡もある。この先に砦跡があるとのこと。あるいはその堀切跡だろうか。
 267mピークに行く前に東のピークに寄り道する。石祠でもあるかなと期待したが何もなかった。

(砦跡。土塁跡がぐるりと)


 267m標高点。ここに名草城の砦があったらしい。案内板も標識も何もない。土塁跡が巡らされた空間だ。砦だから見晴らしが良かったと思われるが、今は木立で展望は悪い。後で調べると、名草城は南北朝の頃の古い城らしい。ここで一服するが、東側の下から発砲音が聞こえてくる。声まで聞こえる。尾根の方まで上がって来なけりゃいいが。
 下りかけるとすぐに次の小ピークが先に控えている。景色が良好ならともかく、すっきりする展望地はない。たまに左下にゴルフ場がはっきり見えるのではおもしろくもない。それゆえ余計に次のピークの姿にうんざりしてしまう。

(まただ)


 また丈長のササヤブが出てくる。こちらはまだ始末が良い。最初から突破口が見えている。こんな安心が失敗した。ササは元気で、さっき以上にビシバシとくる。顔をかなり叩かれてしまった。途切れるとこれまで見かけたことのない赤い布きれを見つけたが、先には続いていない。何の目印なのか。ちょっと登ると少し平らになった。これが281m標高点あたりだろうが、ヤブが広がっているだけ。

(これを登ると)


(少しは展望地。388.0m三角点峰かと思う。右尾根から回り込んで至るのだろう)


(割れた石祠)


 植林の中を歩き、次の北西側ピークで休憩。この一角だけは展望が良い。ここは何だか岩峰の上っぽい。地図ではこのまま方向を変えずに北西方向に続けて歩くのだが、実際にはこのピークの直下で微妙に北進になるのでつい行き場を失ったような錯覚に陥る。目の前、つまりは西側は急斜面で、谷越しに高いピークが見えている。地図をあてがって、ようやくあれがこの先で通過する388.0m三角点峰であることを知った。ここから右手に回り込んで正面のピークに出てくるということだ。右ルートをカットし388mへの直登という案はなくもないかもしれない。現にこの先に谷沿いに南西に下る(つまりは田島川源頭部付近)破線路がある。だが、ここから下るのは斜度からして現実的ではあるまい。
 地図合わせの地形にようやく納得して一服。ふと脇の下を見ると石祠。この石祠は胴体と屋根が割れ、傍らに置かれている。胴体には花が彫られていてモミジと菊だろうか。モミジは花札の模様に似ている。

(5叉路付近)


(ここはきつかった)


 下って行くと踏み跡のようなものが出てくる。地図では5叉路の破線になっているところだ。とはいっても踏み跡、道型が縦横に入り乱れているわけではなく、まして標識もない。地味な植林の中の歩きが続き、ここから先までの区間がかなり疲れた。だらだらした上りで、間伐の切倒しでさらに歩きづらいとくる。植林のわりには明るいのがせめてもの救いだが、291m標高点を過ぎ、先の平らになったところに着いた時にはほっとしてへたり込んでしまった。途中から踏み跡が明瞭になっていた。ここにもツツジの花。

 さて、ここからがちょっと複雑な歩きになるかなと気になっていた。地形は単純だが、一時的に尾根やら沢を追うような歩きにはならずにトラバースになる。歩き方の意識としては、北の438m標高点に向かうふりをして、さっと西に向かうといったところだろう。西に行けばふれあいの道に合流するはず。

(踏み跡を辿ると)


(こんなのが右下から上がって来る。ふれあい道なのかはわからない)


(ここでふれあい道に合流する)


 休憩して出発。いざ北寄りに向かったら、西側に明瞭な道筋が続いていた。何だ踏み跡があるじゃないか。そのまま行くと、右下から林道とまではいかないが、作業道のような幅広の道が現れた。もしかして、これがふれあいの道だろうか。それにしては出て来た方向が違う感じ。植林地の中を通って上がって来ている。よくわからぬままに目先のピークに上がると、先の方から道が回り込んで来た。これがふれあいの道だろう。よく確認はしなかったが、もしかしてあの作業道の延長だろうか。
 ようやくここで折り返しといったところ。11時ちょい前。出発から4時間近く経っている。一服していると、今度は北西の方から銃声が聞こえてきた。別口のハンターだな。近い。そそくさと立ち去る。


(関東ふれあいの道の標識)


(これまでとは違った明瞭な道)


(足利市街が覗く)


 標識が置かれていた。名草巨石群4.1km、行道山浄因寺4.4kmか。ちょっと下れば中間点だ。楽な道が続く。ヤブの381m標高点は登らずに右下から見上げた。足利の街並みもちらりと見えてくる。
 このふれあい道、小ピークは迂回して行く。別にこだわりがあるわけではないが、388m三角点の手前のピークも迂回していたので登ってみた。ここにも何もない。木立がじゃまで展望はない。またツツジかいな。きれいなツツジならいいけどね。

(388.0m三角点)


 こんな感じで、388.0m三角点も迂回すると思い、左手のピークに登ると、そこには三角点なんかない。下ると、ベンチがあって、その脇に三角点が置かれていた。道標の数値は名草巨石群4.7km、浄因寺3.8kmになっている。
 休んで菓子パンを食べていると、また銃声。こんどは機関銃のような連射音だ。入り乱れて撃っている。錯覚かもしれないが、弾の流れるヒューンといった音も聞こえてくる感じだ。この先に行くのが怖くなったが、いくら何でもふれあい道の近くで乱射はしないだろう。いずれにしても、追い立てられるような感じで、休憩は早々に切り上げる。ふみふみぃさんのブログに足利常設射撃場のことが記されてあったが、場所は行道山の向こう側だし、こんなに至近感覚で銃声が聞こえるものなのだろうか。狩猟はもはやレジャーなのだろう。

(ここからふれあいの道を離れる)


(尾根筋が明瞭になる)


 388.0m三角点の南で破線路は左右に分岐する。地図上の左がふれあい道の続きで、右が田島川の水源らしい池に向かっている。ここでふれあい道から離れ、中間の尾根を南下することにしているが、その目印となる分岐の破線路が出てこない。これかと思っても、どうも延びている方向が違う。あてにはらないな。適当に見当を付けて下るか。
 植林の中だ。当初は尾根型が不明瞭で、これでいいのかと合わせたコンパスを何度も確認したが、そのうちに尾根型もはっきりしてきてほっとする。刈り払われて道のようになっているところが出てくるがすぐに消え、また件のテープが現れる。かつてのうるさいテープはふれあい道で中断し、ここからまた続くことになる。どうせなら、ふれあい道の分岐から付けて欲しかった。尾根筋にヤブが出てくる。

(落葉の下は道になっているのだろう)


 下りの右岸尾根伝いルートで、やはり気になっているのがゴルフ場西側上にしばらく続く人工のボコボコ印だ。これが261m標高点を過ぎるまで続いている。明らかに尾根の一角が削られてもいる。近づくにつれ、そこの区間の歩きが不安にはなってきている。仮面林道ライダーさんはヤブ以外にさほどの苦もなく歩かれているようだったが。

(またゴルフ場が接してきた)


(先に261mピークが見えている)


 ゴルフ場が見えてきた。歩いているところは破線なしの尾根筋だ。下り基調とはいえ、ここもまた起伏があって、先のピークを見てはうんざりしている。尾根筋は落葉に埋もれてはいても下はしっかりした道型が隠れているようで、かつては歩く人も多かったのではないかと想像してしまう。
 ゴルフ場に接しての歩きになった。往路時も含め、ゴルフ場だけはくっきりと下に見えているのが何ともしゃくにさわる。尾根がカーブした先に261m標高点ピークが見えてきた。見たところ、難なく行けそうなピークに見えている。ボコボコ印はすでに始まっているが、歩行に支障はない。尾根上が細くなっているだけのことのようだ。

(長いヤブだった。最初のうちはトンネルがあったが)


(最後はこうなった)


 結構、熾烈なヤブがはじまった。一気にヤブの中に埋まり込んだ。最初のうちはイノシシあたりが通っている回廊を行けたが、そのうちに四散し、後はただの空しか見えないヤブこぎになってしまった。失敗した。まだ薄いうちのヤブをこいで261mに登れば良かっただけなのに、つい目にした回廊に入り込んで苦戦している。ヤブを見上げて登るしかあるまい。尾根に戻ってほっとするまで突入から8分かかった。GPSの軌跡では261mを経由しているかのように見えているが、実際は先の南側に復帰している。

(行道山も大きくなってくる)


 尾根に戻っても少しは軽くなったヤブが続き、叩かれる顔が痛くなる。ヤブ越しに次の251mピーク。右肩にもコブが見えている。あれはその次のピークかねぇ。ヤレヤレだ。鞍部からの登りが50mほどあるから、そろそろ疲れ出した身体にはきついかなと思ったが、それほどにもなく251m着。
 もう12時も過ぎている。ここまで休んでは適当に菓子パンなんぞ食べていたが、お腹が空いてきた。今日こそはとラーメンセットを持参しているが、風が強くて、これでは湯も沸かせないし、じっとしていると寒い。先の203mで食べることにしよう。西側には地図上の青沼の集落が見えている。ゴルフ場を過ぎ、里に近づいているためか、銃声は遠くから散発的に聞こえる程度になった。

(石祠が3基)


 岩がちになってきた。歩くのに支障はない。むしろ、ちょっとばかり変化を求めたい気分だ。わざわざ岩に乗ってもしょうがないか。
 いくつかの小ピークを越えて下りかけると、斜面上に南向きの石祠が3基。久しぶりにお会いしましたねといったところだ。何せ、歩いているところがずっと古道とばかりに錯覚しているから、なかなか次の石祠が見えずに気をもんでいた。何やら字が彫られているが、自分の読解力では年代すら読み取れない。

(ピークがしつこく続く)


(石仏がぽつんと)


 左右に尾根が張り出し、ちょっとわかりづらくなってくる。どこを下っても里には出られそうだが、ここまで来たからには右岸尾根を末端まで下りたい。もう高み、高みで歩くしかないかと思っていると、前方に203mピークらしきものが見えてくる。これもまたやけに高く感じる。いや、あれはその前の小ピークだ。
 石仏がぽつんとあった。ここには東西からの道でも通っていたのか落葉のかぶった窪みが続いている。ここでラーメンでも食べるかと腰を下ろすと、日陰になっていて寒い。やめ。

(203m標高点付近)


 ペットボトルのゴミが目につくようになる。結構散乱している。それもまた新しい。心無い方々がここを随分と歩いているようだ。あえぎ気分で203mに到着。13時27分。ここはさらに風が強くてラーメンスポットではないな。もう面倒になってきた。
 203mピークには電波塔のようなものがある。そして樹に巻かれた白いビニールテープが続いている。そして、ここに至るらしき踏み跡があちこちにある。残りの菓子パンを食べ、一服してラストの下りにつく。北関東道を通っている車のエンジン音が次第に大きくなってきた。

(こんな道もすぐに消える)


 踏み跡があるから問題はないかと安心していたが、どれが尾根末端に続くものなのかわからない。そのうちにヤブも軽く復活してきた。こんな時に例の赤テープが見えない。そういえば、261m下の熾烈なヤブにも赤テープはなかったなぁ。肝心な時に視界に入らない役立たずの目印だ。やはり自分の歩いた証だけが目的だったのか。

(こんなのが続いて)


(最後の上り)


(上の小社)


 岩場がまた出てきて上りになる。203mで登り作業はおしまいとばかりに思っていた。地形図に表れない10m未満の標高差だからあっさりと上に出た。ここはトンネルの真上になっている。中味がからっぽの小社がある。これは麓の神社(示現神社というらしい)の奥社といったところだろう。

(下って)


(車道に出た)


 南に下って行くと、一時的に植林に入るが、その先に民家の屋根が見えた。このまま下ると庭先かなと心配したが、区画のフェンスが回っていて、フェンス沿いに歩くと車道に出た。

(示現神社)


(田島川と右岸尾根。右岸、左岸と呼ぶほどの大きな川でもないが)


(田島町自治会館に到着)


 後は駐車地に戻るだけ。神社の前を通る。入口に三十三夜の石碑がある。これが示現神社だろうが、鳥居にかかっている額の文字は見えないし、本殿には大明神とあるだけ。初詣の対象にもならないのか戸締りもされているので、階段下でお参りを済ませた。
 車が結構通る。ココ・ファーム・ワイナリーというところは人気スポットなのだろうか。里に出ても風が冷たい。田島町自治会館に着くと何も催し物なんかはやっていず、駐車場に自分の車がぽつんとあるだけ。車は土ぼこりだらけになっていた。

 仮面林道ライダーさんの記事を拝見し、ヤブ歩きになるだろうなと覚悟はしてきたが、コース上に特別な刺激がなかっただけに、ひどいヤブのところはむしろ楽しめたといったところかもしれない。正月の歩きにして、いくつかの石祠やら石仏に出会えたのもまたうれしいものがある。しかし、ここの両岸尾根歩き、後半は結構きつかった。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

再び足利でちょいヤブ祭り。樺崎八幡宮から鳩ノ峰、山王山。

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◎2017年1月7日(土)

樺崎八幡宮駐車場(7:33)……城山・200m……255.6m三角点……鳩ノ峰・317m標高点……249m標高点……301.4m三角点……山王山・370m(10:54~11:10)……退却……林道……山王山登山口……264m標高点……228.9m三角点(12:46~13:20)……203m標高点……車道……八幡宮(14:29)

 先日、田島川左岸尾根を歩いた際に、名草川を挟んだ東側にある長い尾根が気になっていた。帰ってから地図を確認すると、下に樺崎寺跡というのがあり、一部に破線も続き、苦も無く歩けそうな感じの尾根に見える。あの尾根を歩くだけでは面白味がないだろうと、周辺の情報を調べると、さらに東の尾根に鳩ノ峰とか山王山があった。いずれも登ったことはなく、山王山に至っては、みー猫さんの記事を拝見して以来、漠然と行きたい山だなと思ってはいたが、地理に不案内では具体的にどこに位置する山なのか調べもしないままでいた。12月に瀑泉さんが歩かれた記事に接してもしかりで、つまりは、何かのきっかけがなければ縁のない山だろうなといった存在であった。
 これらの山を回って、件の尾根を下れば面白いだろうなとネット記事を確認すると、しろうと山やさんの記事が目についた。件の尾根こそ歩かれてはいないが、鳩ノ峰方面から樺崎八幡宮というところに下っている。なるほど、このルートを使えば周回できそうだ。
 ところで、この山王山から樺崎八幡宮の西上152.8m三角点につながる尾根だが(表現が面倒なので、以降は「山王山南西尾根」と記させていただく)、北関東自動車道に尾根末端部が寸断されている。この辺をどう歩くかは、現場に近づいてからの判断にしておこう。目前にして進退窮まるという状態にはならないだろう。
 この山王山南西尾根、帰ってから調べると、野球親爺さんもななころびさんも歩かれていた。あまり関心の向かないエリアだったため、記憶にも残っていなかった。この時点ではネット情報にない尾根と思っている。両氏の記事を改めて読み直ししたが、事前に読んで理解していたら、もっと違う歩き方もできたのになぁと少々残念なところもある。それにしても、同じようなことを考えるものだとついおかしくなってしまった。

(樺崎八幡宮)


(ここを行き)


(フェンスの中に入った)


 樺崎八幡宮の広い駐車場には車が一台もなく、さらに周辺は工事が入っているようで工事事務所や重機も置かれている。ここに車を置いていいものか迷ったが、駐車禁止でもないようなので利用させていただく。
 住宅地を歩いて行くと、文字の消えかかった標識が置かれていた。来た方向の樺崎八幡宮は読めるが、反対側は塩坂峠と読めなくもない。それに合わせて路地を行くと、突きあたりにフェンス。「出入口」と記されている。ここから入ればいいのだろう。このフェンス、持ち上げ式で、元に戻すのがひっかかって厄介だった。

(下向きになっている標識)


(ヤブめいている)


 さてここからどちらに行けばいいのだろう。出たところは原っぱのようなところで、地面はフカフカで靴に早速、泥が付いた。これを避けて明るい左に行くとまたフェンス。しかたなく元に戻ると、上に踏み跡のようなものが見え、これだろうと見当をつけて辿る。
 疑心暗鬼のままに登って行くと、古い標識があり、行く方向に城山、山王山、大坊山とある。これで正しかったようだが、標識は下向きになっている。下方向に踏み跡はない。これは釘が抜けてそうなっているだけのことで、持ち上げると上を向いてくれた。その先はどうも頼りないヤブ道が続いている。歩く人も少ないようだ。これでいいのだろうと信じて先に行く。

(2コブの山が気になった)


(城山山頂)


 倒木があったり、かなり古いテープがあったり、周囲にヤブが出てきたりと、登って行くと正面にピークが見える。あれが城山だろうか。右手遠方に2コブの奇怪な姿の山が見える。あれは何という山だろう。
 城山の標識があるだけの平らな山頂。雑木に覆われている。かつてここに樺崎城という城があったらしい。だから城山なのだろう。山頂からの展望は悪いが、山頂下からの眺めは良かった。これから向かう255.6m峰方面が朝日をバックにしてしかと見えない。

(ここは2段になっている)


(鳩ノ峰かと思うが)


(255.6m三角点峰)


(255.6m三角点標)


 下ると2段の段差があった。これは郭の跡のようだ。ズルズルと越えて登りにかかる。左手に見えるピークが鳩ノ峰だろうか。だとすれば意外に近いようだが。
 目の前のピークが三角点峰かと思っていたら、さらに続きがあった。踏み跡はしっかりと続いている。下ってまた登って255.6m三角点。ここに山名はないようだ。三角点が素っ気なくあるだけ。

(ハイキング道に合流する)


 ちょっと先に標識があり、南方向には大坊山、越床峠、山頂番屋と記されている。ここからは一般道のようで、快適な歩きができるだろうなと期待している反面、早々にこれではなと、ちょっと残念な感もある。別に好んでヤブを漕いでいるわけでもないのだが。
 ここは狩猟禁止区域のようだ。さりとて流れ弾が飛んでくる可能性もあり、こういう狩猟区と隣り合わせのところは安心もしていられない。赤い看板には銃猟禁止とあり、ワナや網はいいのだろう。

(鳩ノ峰)


 快適なハイキングコースだ。だれも歩いていない。今日は風も弱い。歩いているうちに汗をかきそうだ。正面に三角形の山が見えてくる。先ほど鳩ノ峰かと思った山だ。
 切通しのようなところを通過。さっきの城山やら先日の砦跡を見た後だけに、つい城跡の堀切かと思ってしまう。登り上げると鳩ノ峰、ではなかった。ここにもまだ先があった。こんなフェイントかけがこれからも続きそうだ。

(赤城山が見え)


(富士山)


 小ぶりの岩が出てくる。尾根上からの展望は良好で、まずは赤城山、そして八ヶ岳。赤城山も少しは白くなったか。富士山が見えやしないかと目を凝らすが、どうも255.6m三角点峰がその先の視界をふさいでいる。
 ロープが出てきた。ようやくここで富士山。樹にカメラを横付けしてピンボケにならないようにしてシャッター。今度は浅間山もはっきりと見え出す。このコース、なかなかの眺望じゃないか。

(鳩ノ峰山頂)


 一登りすると鳩ノ峰。へーっ、これが鳩ノ峰か。神社マークがあるので、たかが石祠ではあるまいと思ってはいたが、神社跡だ。立派な神社だったようだ。コンクリの階段まである。しばらくの休憩とする。
 神社の屋根瓦をそのままに集めて積み重ねているという趣向はここに神社があったという証だろうが、集めきれない瓦があちこちに散乱している。石祠の銘には赤見村中。置かれたままのバケツとちり取り。石碑の前後ろにずらりと刻された寄進者の名前…。赤見村の人々がここに神社を奉納したのだろう。つい往時を想像してしまう。再建されることもなくこのままに廃れていくのか。そういえば、山王山にも古い地図には神社マークがあるが、新しい地図にはない。どういう状況になっているのだろうか。

(古い標識が続いている)


 下りかけると鳩峯山神社の境界標があった。これもまた寄進されたものだ。先に行くと右手方向に寺久保の集落に行く分岐。ここは直進して塩坂峠方面に向かう。
 また標識があった。ここは標識の多いところだが、みんな古ぼけて新しいのは目にしない。標識には樺崎八幡宮も記されているが、南西に下る破線路か。そういえば、その破線路に鳩ノ峰からも西に下る破線路が合流しているが、山頂では気づかなかった。割れた標識があったが、あれだろうか。
 また下っては登る。右下から明瞭な道が合流する。その方向に合わせた標識はないが、地図を見ると、これもまた寺久保に向かっている。


(ハイキングマップの看板。山王山から先は出ていない)


 そしてハイキングマップの看板が登場。ここが塩坂峠らしい。ここから山王山までは105分とある。1時間45分か。意外にあるもんだ。今9時半だから、山王山に着くのが11時15分。ちょっと微妙なところだ。というのは、実は今日の山行、山王山で折り返しではなく、さらにその先の名草山まで行くつもりで来ている。今日のメインは山王山南西尾根だが、できれば、名草山まで往復しておきたい。自分の場合、いずれはさらにその先を目指すとか延ばす、結ぶといった思いはないが、やがてはその気になるかもねといったレベルで、ついでに歩けるところは歩いておきたい。問題は山王山から名草山までどれくらいの時間がかかるかだ。
 メインは決まっているので慌てた歩きはすまい。今歩いているところとて自分には初歩きのところだ。しばらくハイキングマップを眺めてから歩き出す。すぐにベンチのあるところに出ると、見慣れたふれあい道の標識が置かれていた。ここは東西をふれあい道が通っている。そういえば「マンサクの花咲くみち」と看板にはあったが、これか。

(行道山方面)


 古い標識がまた現れた。山王山が記されていることを確認する。アップダウンは多いものの、依然として歩きやすい道が続き、また展望の稜線歩きになっている。富士山も現役のまま。登り詰めると北関東道も見えている。今日は3連休ということもあって車の数も多いようだし、その分、騒音もひっきりなしだ。
 次の標識で寺久保山が現れた。この時点では山王山と同方向だ。寺久保山はお手軽ルートで南側から登ったことはあるが、なぜこんなところの標識に寺久保山が記されているのか正直のところ不思議で、地図を見ると、確かにこの大分先に東の寺久保山に向かう破線路がある。

(301.4m三角点標)


(依然として明瞭道が続く)


 地図を見て、まだこんなところかよと認識を新たにする。名草山に行くのならもうちょっとあせった方がいいみたい。なぜかある道路公団の基準点を見て、アンテナも確認。そして、余計な301.4m三角点も見て休憩。菓子パンを食べて一服。結構、汗をかいた。しかし、だれにも会わないねぇ。ネットの情報で、マイナー系の方々も含めこの辺は賑わっているのかなと思っていたのだが。
 ロープが張られたところを通過。滑落というよりもこの先に入るなということだろうが、間違って入り込んだとて集落か大網林道に出てしまうだけのことで、さほどの危険性はないとは思うが、途中で岩場でもあるなら別だ。

(山王山が見えてくる)


(山王山南西尾根)


 そろそろ正面に山王山らしき山が見えてくる。そして右下にゴルフ場。その上に見えているのが300m標高点ピークか。寺久保山は木立で見えない。そして左手には下り予定の山王山南西尾根が下っている。あそこもまた起伏がありそうだ。その先に名草の街があって、さらに先日の田島川左岸尾根。

(山王山が近づく)


(寺久保山分岐)


 登り下りを繰り返すと山王山が近づく。どうも手前のピークがじゃまくさい。
 だらだらと記していても仕方がない。その手前ピークに達し、標識が賑やかなところに出た。ここが寺久保山分岐か。寺久保山だけなら、わざわざここまで来る人はいないだろうが、ゴルフ場一周コースならここを通るか。

(下に大網林道)


 ちょっとした植林を下って行くと、大網林道が下に見えてくる。ここで林道に降り立つ。ここまで来たら、標識に合わせて林道を歩いて西側の破線路から律儀に登るというのもどんなものか。尾根が続いているのだから、正面から登った方が手っ取り早い。

(ちょいヤブを越えて)


(山王山山頂)


(北西側)


 上に向かう踏み跡は入り乱れている。歩きやすいところを拾ってジグザグに登る。ここまでにない急な斜面になっている。空が見え、ヤブに入った。ザックに括り付けたストックの先が引っ張られる。すぐに石祠のある平らなところに出た。山王山到着。10時54分。
 石祠の上には文字かすれの山名板があり、387mとなっている。地図の等高線では370m。380mのラインはない。ヤブに覆われた広場だが、ここにも神社があったのだろうか。まさか、この石祠が神社マークというわけではあるまい。隣のピークに行ってみる。さらに何もない。鳩ノ峰のような瓦の残骸すら目に入らない。

 干芋をかじって一服。さてと、これから名草山往復だが、どれくらいの時間がかかるものやら。ここからの下りが嫌らしそうだ。ふと思い出してスマホで先月の瀑泉さん記事を確認する。往復3時間か。自分なら優に3時間半。山王山南西尾根に2時間半かけるとして都合6時間。これでは日没過ぎで無理。とりあえず下って12時退却という手もあるし、次の258m標高点まで行くという手もある。まずは下ってみるとする。

(名草山に向けて下る)


(ここで退却)


 下りはそう簡単には事が運ばなかった。周囲がヤブで先が見えない。コンパスをセットしているのに、そちら方面は急斜面に見え、方向違いのところを下って戻る。さらにうろついてコンパスを信じてヤブに入ると何だ緩斜面じゃないか。そしてテープまである。
 ところどころ明瞭ながらもヤブがあったりする。岩混じりを通過して植林。植林に入ってもヤブがあって歩きづらい。何だこの尾根はといらついてくる。どうも自分の好みではないと理由づけして早々に切り上げる。後でGPS軌跡を確認すると、北西ではなく南西の尾根に引き込まれていた。どうりでどんどん下っている気配があったわけだ。自分のミスに気づかずに苛立っていただけのこと。

(さらにひどいヤブをかきわけて下る。林道が見えた)


(こんなところから出て来た)


 このまま80m登って山頂に戻るのもどうかと、楽な林道に出ようと画策する。強烈な篠竹のヤブだった。さっぱり進まない。ストックも引っかかる。時には滑って転ぶ。林道のカーブが見えた時にはほっとしたが、何やらガードが置かれている。有刺鉄線が張られた柵だった。端のすき間からガードレールを越えて林道に出た。こんな悲痛な思いをするのなら、山頂に戻って破線路を下るべきだった。

(林道脇の庚申塔群)


(山王山登山口)


 林道をテクテク歩く。路肩にある庚申塔群を眺めていると、後ろから車が上がって来た。トロトロ走っている。仕方ないので庚申塔の写真を何枚も撮った。ようやく追い越して行った。高齢者マークの軽だった。
 破線路登山口に座って休憩。この先の南西尾根の末端がそこにあるが、よく見ると、やはり林道で寸断された形になっている。取り付きはヤブめいている。余談だが、山王山の山頂で瀑泉さんの記事を拝見した際、瀑泉さんがこの南西尾根をいずれの課題にされていることを知った。その時は悪いかなと思ったが、前述のように、野球親爺さんやななころびさんも歩かれていたので、まぁ、問題はないでしょうということで。

(南西尾根取り付き部。ササヤブ)


(この辺は快適尾根)


(たまにこんなヤブも)


 ササヤブの中に踏み跡らしいものがあちこちにある。ちょっと倒木が多いか。倒木は大方が腐っている。ピンクのテープが垂れ、そのうちに古い赤テープが目についた。歩いている人もいるようだ。ピークが近づくとササヤブは消えた。
 ちょっとヤブめいたところもあるが快適な尾根だ。尾根型も明瞭。下り時使用で注意すべきところといったら、最初の310mピークからの南西方向の下りで南の尾根に引き込まれないこと、そして、264m標高点手前ピークで西側の尾根に下らないといったところだろう。尾根分岐に細い雑木やヤブが繁茂し、先が見えづらくもなっている。
 ただこの尾根、しばらくは250m前後での起伏が続くので、下りなのに先に高いピークが続いているのを見ていると、げんなりとしてくることは確かだ。しかし、さしたる標高差のある上りにはならない。あまり役立ちはしないが、赤テープもずっと続いている。

(264m標高点付近)


(この先)


(先日歩いた両岸尾根)


 右手の展望が開けたところを歩いて下る。さして見どころのある山は見えないままに264m標高点に着いた。ここから先に228.9m三角点峰が見えている。ここに来ると行道山やら、先日歩いた田島川沿いの尾根も見える。街並みも覗き、グンと里に近づいたといった感じになってくる。
 地図上ではここから破線路が出てくるが、際立った道型といったものはない。これまで同様、明瞭な尾根歩きが続く。この辺からヤブが次第にうるさくなってくる。場所によっては背丈超えの篠竹が続くところもある。

(228.9m三角点で昼食)


(雑煮ラーメン)


 228.9m三角点で大休止。時間も12時45分を過ぎているので、久しぶりにラーメンを作って食べる。ハイトスさんのような山で豪華なお雑煮とはいかないが、これとて餅入りだから雑煮とも言えよう。今日は風は冷たいが弱いのでこんなこともできる。すでにフリースの下は汗だくになっている。

(伐採地から。下を道が通っている)


(山王山)


(男体山、皇海山方面遠望)


 気分も満足して下る。ちょっとしたヤブは続く。西側斜面が伐採されたところに出た。ここは上り。小規模伐採地ではあるが歩きづらい。伐採したのは大分以前のようで、尾根上はそのまま放置されていて、伐った灌木の枝葉が歩行の妨げにもなる。下を観察すると、すぐここの真下から作業道が出ていて、そのまま里の道につながっている。もしかすると、東側の実線が西につながっているのかも。横倒しの木で気づかなかったが。
 伐採地ピークに立って振り返ると、山王山がこんもりと見えている。そして、ようやく男体山から皇海山の山並みが見えた。足元はなおも放置の木で歩きづらい。

(203m標高点付近)


(八幡山が正面に。下を高速が通っている。それができるまでは左から尾根通しだったのだろう)


 ヤブをかきわけて203mに到着。そのまま尾根分岐まで南下する。目の前に北関東道を挟んで152.8m三角点ピーク(八幡山というらしい)が見えている。ここからが問題だ。一服して、この先のルートを検討する。
 当初の予定ではここから破線を離れ、南東に八幡山を目指して下るというものだったが、それは北関東道が開通する以前の地図を見ての予定であって、高速道が通っているのでは手も足も出ない。それでも下ってみるかとおかしな考えがまだ残っている。さりとて、中腹まで車道が続いているあの山に登ってもあまり面白味もないのではないのか。ここは、破線路のままに下って街に出てしまった方がいいかもしれない。

(直進して鞍部)


 ヤブの間を南西に下る。八幡山の西側にあるピークとの鞍部に出た。ヤブはないが、時間的な関係か、陽が入り込まず全体が陰気な感じのところだ。目の前のピークに登ってもさして面白くもないだろう。ここは地図上の破線を南東に行くしかないか。西に下れば、車道歩きが長くなる。

(きついヤブに入り込む。本日のラスト)


(こんなところに出た)


 猛烈なヤブだった。抜け出し所用時間は5分。こんなところにかつては破線路が果たしてあったのだろうか。それはともかく、畑の上に出た。畑はフェンスで囲まれ、ここを通って行けない。畑の両隣りに家が各1軒。まずはスズを外す。1軒の上の端まで行ってみたが、車道にそのまま出られる突破口はない。こちらも相当なヤブで、車道との間にフェンスもありそうだ。
 民家の前を通って車道に出るしかないな。早速、行動をとろうとしたら、もう1軒から人が出てきて、車に乗り込んだ。なかなか発進しない。出て行くまでヤブの中で待機した。長かった。エンジンを暖めたりなんかしている。さらに一服して待った。ようやく車が遠ざかってから、そーっと玄関先から車道に出た。これが玄関前だったから良かった。裏手だったら、居間やらベランダから丸見えだったろう。

(車道歩き。例の2コブの山)


 車道に出て高速道路の下トンネルをくぐる。出たところで八幡山に登ってみようかなと思ったが、なんだかもうどうでもいいような気分になっている。通る車はほとんどない。八幡山の裾野の車道を歩いているが、正面先に今朝がた見かけた奇怪な形のコブ山が見えてくる。方角的には越床トンネルの真上のようだが。

(パワースポット入口)


 車道を歩き始めてから、妙にお尻の上がチクチクしてきた。首筋から入り込んだヤブの木クズが下に降りてきたようだ。樺崎八幡宮0.5kmの標識が現れ、先に行くと、手書きの「パワースポット登山道入口」の標識。上に向かう道が続いている。ここで素直に八幡山に登ればよかったのだが、パワースポットという、何やら怪しげで安っぽい言葉に引かれることはなくパス。おかしな宗教団体があったということもある。
 八幡宮まで0.1kmのところでまたもやパワースポット登山道入口。気分的にえらく不快になった。これで八幡山への登山道だということはわかったが、八幡山が俗化された山なら行ってもしょうがないだろう。秘密めいた言葉ではなく、八幡山と記せばいいだろうに。とはいっても、自分のことだ。今度来た時にはそのパワースポットにいそいそと行くだろう。

(八幡宮にお参り)


 地形図に池が記されたところで重機が2台、整地をしている。公園化の整備でもあるようだし、もしかした樺崎寺の遺跡発掘作業の一環なのかもしれない。目の前に見えるピークは城山だろう。意識もせずに登っていた。
 樺崎八幡宮に到着。せっかくだからお参りをする。ここもまた古い、由緒のある神社のようだ。トイレに入り、背中にたまった木くずを叩く。結構、落ちてきた。
 他に2台の車しか見あたらない駐車場に戻って来た。正月ももう7日だ。初詣でする人もいないのだろう。

 予定の名草山までは行けなかったが、目的の山王山南西尾根を歩いただけでも十分だ。矛盾した表現だが部分的にヤブが密集した快適尾根だった。さて、取りこぼしの名草山はどうするか。いずれ近いうちに歩いてみよう。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

山王山から名草山。まさかその筋の大先輩にお会いしてご一緒することになろうとは…。

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◎2017年1月14日(土)

名草中町集会所(7:56)……破線路南東に……蛍の里……破線路……大網林道……山王山(9:41)……258m標高点……264m標高点……須花トンネル上……258.4m・名草山(10:53)……264m標高点……201m標高点……車道……集会所(13:23)

 年が明けてから足利の山ばかりを歩いている。こだわりがあるわけではなく、飽きないうちにある程度は歩いておきたい。何といっても、里山らしい安心なヤブ歩きが手軽に満喫できるという楽しみがある。ということで、今日は足利続きの3回目。引き続きの佐野市との市境尾根歩き。佐野側からといった思いもあるが、足利側がアクセスが近く、つい横着して足利側からのルートを探してしまった。
 今回は、前回、途中放棄した山王山と名草山の間を歩き、状況によっては345m浅間山かその先の破線路合流点まで行く予定でいる。午後から雪が降るかもしれないのでロングな歩きをする気にはなれない。往路はホタルの里の方から入り、復路は浅間山先を南西尾根か、名草山の南西尾根を下るつもりでいる。となると、駐車地は名草公民館か中町集会所が手頃だろう。

 小学校裏の公民館に行くと、ここは何となく車を置きづらい雰囲気で、しかたなく中町集会所に移動したが、集会所は県道に面していて、ちょっと気後れもする。下町の集会所よりは歩く都合は良いのでここをお借りする。

(参考・明治40年の地図)


(山の方に向かい)


 このまま車道伝いにほたるの里に向かってもいいが、上での歩きタイムはスムーズにいけばさほどのものではない。寄り道がてら、地図上の「宿」と「大坂」地区を結ぶ破線路歩きを選択した。これはかつての峠越えの道だろう。別に破線路でなくても手頃そうな尾根を選択するのは可能だが、この辺の破線路は古道の可能性もある(実際に100年前の地図にも記されていた)。当たり外れもあるが、自分には魅力ある古道=石祠or石仏=お宝発見なのだ。

(ここから入る)


(こんなのがあって)


(上には神社)


 小学校の脇を通って路地に入ると、民家も山際になって尾根の先端が見えてくる。何か目印でもあるかなと思ったら、上に手すりが続いている。これが破線路入口のようだ。
 手すりが終わると、早速、ヤブの中に庚申塔、石仏、石祠が現れた。散らばっていたのをここに集結させたといったところだろうか。年代を見ると、天明や享保。その上にはこじんまりした社があり、産泰神社と多頭神社の合祀になっている。それぞれ延喜元年建立、藤原鎌足建立とあるが、それはここの神社のことではなく本家のことだろう。中には簡易な社殿が2基。まぁいい感じだ。これがこの先の破線路に続くことを願ったが、後は何も見ることはなかった。半分外れだった。

(出だしはしっかりしている)


(こうなる)


(尾根に出る)


 しばらくは道型も続いていたが、次第に細々となり、狭くなってはうっすら斜めの踏み跡になった。テープもあって、一応、破線路を歩いていることは確認できる。尾根状のところに出た。もうササヤブになっている。ここを帰路で通過することになるが、この先のテープは消え、道型もなくなった。破線路はここを乗っ越して東の枝尾根を下るようになっている。その枝尾根が見つからない。ここで先ずは右往左往した。なぜか明瞭な尾根筋を南西に向かうと、上に小ピークが見え、そんなはずはないと引き返す。ここでつまずいたら洒落にもならない。もう一度よく見るとかすかな踏み跡。辿るとすぐにヤブの中を下る尾根があった。ここでしっかりとGPSで確認できていればトラブルもなかったのだが、今日は普段あまり使わないGPSを持ってきていたため、設定がおかしなままなのか、画面が薄暗く、自分の歩いた軌跡のみがクリアで、肝心の地図がほとんど暗くて見えなかった。

(右からこんな道が来ていた。破線路延長は左から)


 すぐに踏み跡は消え、もういいやと破線路は放棄して尾根をそのまま下る。ここにこだわっていたら先に行けなくなってしまう。間伐だらけの歩きづらい尾根。下に作業道のようなものが見える。降り立つと、十字路のように作業道が通っていた。左側から来る道は、おそらくうまく破線路を歩いていたら、これを下って来られたのだろう。寄り道にしてはちょっとしんどい峠越えだった。

(ホタルの里)


 民家の間を通って車道に出る。やがてホタルの里。広い敷地だ。駅に向かう途中の通勤路に別府沼公園というホタル観賞のスポットがあるが、その何十倍も広い。駐車場も3か所に完備されている。これだけ広ければ、ホタルを見逃すことはあるまい。
 道が二俣になった。ここは左かなと思って入ったが、コンパスを確認すると方向違い。引き返して右手寄りに進む。あのまま左に行けば、地蔵の置かれた大坂峠に向かったようだ。

(馬頭観音碑。ここを右に)


(続いて)


(十九夜塔)


(青面金剛?)


 蛍遊窯という、これは焼き物工房だろうか、これを過ぎると、また二俣。間に馬頭観音碑がある。ここは沢沿いの右だろう。すぐに物置のようなものが見え、中には石仏と石碑が置かれている。石碑には十九夜塔と刻され、石仏は詳しくはないが青面金剛という類のものだろうか。石碑には女人講中とあり、石仏には天保の字が読める。ここで雪が落ちてきた。やはりかと思ったがすぐにやんだ。今日の天気は不安定で、この繰り返しになるかもしれない。

 道は未舗装になり、作業道っぽくなった。沢沿いに行けば問題ないだろうと、植林に入り込む最初の分岐は見過ごす。そのうちに、作業道は踏み跡になった。散弾の薬莢も落ちている。その踏み跡も次第にあやふやになってくる。これでいいのかとGPSを確認した。電源を入れなおすと、一時的に画面が明るくなって地図が2秒間ほどはっきりと見える。沢の左岸側から離れたところを歩いている。ということは、さっきの分岐した作業道の方だろうかと引き返す。

(ここを5回も通った)


(やはりこれだろうね)


 そちらの作業道に入ると。こちらもまた沢が続いていた。これでいいのかなぁと、ちょっと先でGPSを確認すると、何だ、これも方向違いじゃないか。また引き返す。前のところに戻っても、やはりGPSの示す位置は同じで、もしかして、さっきの作業道との間に見逃した沢の地形があるのではと思い、再び引き返す。そんなものはなかった。尾根が上に続いているだけ。
 はてこれは困った。地図も確かなものとはいえない。つい、GPS情報にこだわりもしていた。最初の沢沿いでいいのだろうと、結局は戻ることにした。同じところを5回通っていた。しかし、やはり頭を傾げるところもあって、見落としがあるのじゃないのかと、今度は沢の右岸側の高いところを歩いて行くと、左岸側からガサッと音がした。瞬間、イノシシかシカかと思ったが、まぎれもなく人の姿が見えた。

 自分のことはさておき、この単独氏、相当な好き者とお見受けする。こんなところを歩いて山王山に行くというのもまた珍しい。大方は反対側の須花坂公園の方から往復する。その筋のギョーカイ関係者だったりして。あの方が歩いているのでは、このルートでいいみたいだな。2往復半もしてちょっとばかり暗い気分でいたこともあって安堵もした。こんにちはと声をかけて近づく。以降、しばらくはXさんとさせていただくが、Xさんも私同様に山王山から名草山方面に行かれるとのこと。この先のどこかで取り残されるかもしれないが、少なくとも林道に上がるまではご一緒できそうだ。聞けば、Xさんは下町の集会所から車道沿いに来られたとのこと。

(あれを越えれば林道に出るだろう)


 踏み跡はさらに怪しくなった。沢を右に左に、そして右にと移動して行くと、沢もやがて消え、古い赤テープが目についた。この先も続いていているわけではない。次第にすり鉢状の急斜面になってくる。
 右手前方に低くなっているところが見え、あそこに向かえば逃げられるかと思ったりしたが、それではちょっと早急過ぎのようでもある。左側に尾根型が現れ、Xさんがあれでもいいのじゃないかというようなことをおっしゃったが、そちらもまた急に見え、ヤブもありそうだ。こちらは実際には消滅している破線路にこだわってもいるし、このまま登る。Xさんとは前後して歩いたが、その後姿を見た時、Mさんのブログの写真で見たような気がするなと思ったがまさかなぁ。

(山王山登山口)


 腐った木もあって、頼れる木は少ない。また地面もズルズル。いくらか落ち着いたヤブの緩斜面に出ると、ゴミがかなり散乱している。おそらく上の林道から投擲されたものだろう。やはりすぐに林道に出た。山王山の登山口はすぐそこだった。
 ちょっと休憩。軽く立ち話。Xさんは樺崎八幡宮の方から南西尾根を使って登られたことがあるそうだ。もしかして…と思った。あの尾根、野球親爺さんやななころびさんだけではなく、あの方も歩いたことがあることは後で知っていた。でも、俗なネットの世界とは一線を画し、すさまじい歩きをする隠者のような方もいる。まぁ、おかしな詮索やら邪推はしないことにしよう。ヤブや道ナシも慣れた方のようだし、この先もご一緒できれば一人で黙々と歩くよりも気持ちも楽だ。口も開けられるから楽しいじゃないか。いろんな情報を聞けるかもしれないし。

(山王山に向かう)


(山王山)


 正統ルートからの山王山までの道のりは、クネクネしてはいるが、南東側からの尾根伝いに比べると格段に楽だ。とはいっても、息切れは何度かある。道型も明瞭で、障害物もない。前回、反対側から林道に逃げてしまったが、おかしなことをしないで、これを下れば良かったと後悔した。ヤブを越えて石祠の待つ山頂に着いた。Xさんに先行して登ってしまったが、Xさんにお疲れのご様子はない。先のピークで休む。

(山頂から寒そうな景色)


 寒々とした風景が覗いていた。近場の山並みは見えても赤城山は隠れている。雲は雪降り前の前兆か、暗雲垂れ込めるといった状態になっている。そういえば、ハイトスさんご夫婦は赤城山に行かれているはずだが…。これではもしかして吹雪かも。

 さて、この先は改めてということになるが、本日の鬼門に入る。瀑泉さん情報では、まっとうに歩いていればヤブが二段構えで、北東側の尾根に引き込まれやすいとのこと。Xさんは、この先はどうも歩かれたことはないようだ(あるいはあったのか…)。1/25,000の地図を広げて見ていらっしゃる。しかし、後で知ったことだが、肝心の「足利北部」の地図は車にお忘れだったとのことで、おそらくここで別地図を広げて間違いに気づかれたのだろう。以降はGPS地図とこちらの刷り出し地図をちら見する程度のもので、頭の中に地形がほぼ入っているようだし、方向感覚もしっかりされていた。自分は絶えず地図を見ての歩きだったため、やはり相当な方だなと改めて思った次第。これはその筋の嗅覚といったものだろう。

(最初のヤブを抜けてこの辺は歩きやすい)


 まぁ、その時点ではそうとも知らず、失礼ながらヤブの中を先行して下った。前回も途中までは歩いていることだし、少しは勝手も知っている。ヤブの中の尾根型ははっきりしていて、テープを見ては安心する。前回は気づかなかったが、テープは意外に多い。岩場脇を通過。
 前回、間違って下った枝尾根分岐にさしかかる。Xさんに「先日、ここを左に下ってしまい、上に行くのが嫌で、強引に林道に下ったんですよ。ヤブがひどくて」なんて、余計なことを話す。よく見ると、先にテープが見えている。今のような冷静さがあったら、間違って引き返すこともなかったろう。瀑泉さんが引き込まれた尾根も確認できた。この辺はやはり間違いやすいのかテープも多い。これもまたXさんがいるから気分的に楽になり、周囲が見えているのだろう。

(どんどん下っている)


(テープも随分にある)


 落ち着いたところでXさんに先行していただく。それにしてもどんどん下るものだ。Xさんに「かなり下りますね」と言ったら、「そう、130mくらい下りますよ」と返ってきた。ここ歩かれたことあるのかなと思いつつ、地図も見ずによくわかるものだなと感心してしまう。普通、ここまで下れば、その先が不安になってくるものだ。

(石祠)


(振り返って山王山)


(東側の集落がすぐそこに見える)


 所々で薄いヤブは続くが、さして迷うこともなく258m標高点付近に着いた。素通りの状態で下って登りかけると石祠。胴体は落ち葉に埋もれかかっている。周囲の葉を除いてみたが、文字らしきものは見えない。振り返ると、山王山が高く見えている。
 篠竹ヤブがまたうっとうしくなってくる。ここは通路のようなものがあり、これを辿れば問題はないが、ずっと続いているわけではなく、たまに払いながら歩く箇所もあるが、先が見えないほどのことはない。ヤブを抜けると、北側がよく見えた。集落との距離は近く、見たところ、標高差もさしてないのにはちょっと驚いた。ヤブ漕ぎを30分もせずに田んぼに出られるかもしれない。

(地蔵と石仏)


(石仏のアップ)


(切り通し)


 地蔵と石仏があった。ここが大坂峠か。この地蔵さんを見たかった。やさしい顔をしている。石仏は頭の上にひょっとこのような面がのっている。文化の文字が見える。
 この先は切り通しのようになっていて、それを越えて尾根を乗り換えるような形になっている。切通しは南北をつなぐ古道かと思う。確かに100年前の地図にも点線が通っている。
 植林が入り込み、自然林との境目を歩くようになる。また雪が落ちてきた。そしてすぐに上がる。確実に冷え込んできている。上り下りを繰り返し、先の破線路には気づかずに、前に小ピークが見えてくる。あれが264mだろう。

(264mへの上り。こちら側は明瞭だ)


(切り通しがあって。というかここが須花峠か)


(真下)


 264mに軽く登り上げ、どんどん下る。車の音が近づく。真下は須花トンネルのようだ。ここにも切り通しがあり、Xさんは須花までの区間を歩かれたことがあり、ザゼンソウをご覧になったとかおっしゃっていた。

(鎧地蔵尊趾)


 手すり付きの階段を登ると鎧地蔵尊趾。地蔵様はどこかに安置されているのだろうが、鎧を着た地蔵なのだろう。さっきの地蔵はひょっとこ被りだから、鎧を身に付けている地蔵がいても不思議ではないな。ここにはベンチもある。
 植林の中に入っての登り。ふと思い出して、Xさんに、下の公園にあるソバ屋(須花坂公園の憩い館)のことを伺った。やはり食べたことがあるらしい。そして、店のスタッフの女性とハイカーが歩きそうもないところで出会ったとも。どうもこのXさん、ますますもって怪しいなぁ。きりんこさんのブログのコメントに、ソバ屋情報を入れていらした方がいるのを知っている。この時点でほぼ80%の特定になっている。後は決め手だな。

(手すり付きを登って)


(名草山)


 ここにも鉄パイプの手すりが続き、大きな松ぼっくりが目に入る。名草山に到着した。大分寒いし、この先には行かず、ここで切り上げようか。座り込んでXさんと世間話をする。どちらからいらしたのか伺ったら、千葉のN市からとのこと。これで決まりだ。Xさんはやはりノラさんだった。ノラさんもまた、自分が山王山の南西尾根やら、ヤブ漕ぎ林道の話をして以来、こいつ、たそがれオヤジじゃないのかと疑惑を抱かれていたようだ。
 ノラさんとは、過去に何度かみー猫さん企画のツアーに誘われ、お互いに都合が悪かったりでご一緒したことはなく、せいぜい、みー猫さんブログで後姿の写真と、足尾のかじか荘上の駐車場で車を拝見したことがあるだけだ。

 ということで、ここでノラさんと知った以上は、下までお付き合いしなけりゃ損をしたことになるだろう。下山の予定コースを確認させていただく。ご迷惑でなかったらご一緒させてくださいよ。
 自分の予定はここからなら南西尾根下りだったが、ノラさんは264mに引き返し、南の尾根末端部予定とのこと。自分のルートは取って付けたようなものだからあっさりとしたもので変更自在だ。やはり、その筋のベテランとなるとルート取りも込み入ったものになる。地図を見ても、一本では結べそうもない。201m過ぎからごちゃごちゃしている。自分ならまずは考えつかないようなルートだ。

(264mに戻って)


(ここを南下)


 ということで264mに戻るが、こちらは早とちりでその手前ピークから南下しようとしてノラさんに指導を受ける。改めて264mから南下。この先はノラさんに先行依頼。この時点で地図をお持ちでないことを知っていたら、大丈夫かなと心配になってしまうが、そんなことは知らないし、態度にも出ないからまったくのお任せになっている。ちなみにこの264mだが、大坂山という山名があるようだ。山名板もあるらしいが、それには気づかなかった。

(山王山)


(201m標高点付近)


 明瞭な尾根だった。下りきると左・東側の展望が開け山王山が見えてくる。それなりに存在感のある山容だ。あの山も、もう2回も登ったからもういいだろう。今度は青空が覗いていたりしている。
 途中、南東に引き込まれたところもあったが、すぐに気づいて主尾根に復帰。分岐から20分もかからずに201m標高点付近に到着。その先で右手から尾根に踏み跡が上がってきている。地図で須花から東向きに途中まで実線があるが、その延長だろうか。白い犬が前をスーッと通って行った。首輪が付いていて狩猟犬かと思ったが、その所有者のハンターを見ることはなかった。ただの地元の犬の散歩ということもあり得る。こちらには目も向けなかった。

(ここで休憩)


 山神様の石祠のあるところでちょっと休む。失礼かとは思ったが、こちらは一服させていただく。この辺まではミスは一回あったものの無難に下って来た。そろそろ面倒そうな尾根型に入り込む。
 実はこの先、ノラさん任せで歩いていたため、どこをどう歩いたのかしかと記憶がない状態になっている。

(往路で右往左往した尾根)


(ヤブをかぶった道)


 ヤブが次第に濃くなり、あちこちに踏み跡が出てくる。その踏み跡も、所によっては作業道のような広さになったりするが、どこに出るのかも知らず、まして使われることもなく荒れていたり、先が消えていたりしている。基本、尾根伝いに行くしかない。しかし、その尾根もまたヤブで先が見えず、トラバースで復帰したりもした。もちろん簡単にトラバースできるはずもなく、かなりきつい作業だった。
 見覚えのある尾根になった。それもそのはず。今朝方、越えようとしてうろうろした尾根だ。その時は、小ピークを前にして間違いに気づいて戻ったが、今、その小ピークに向かっている。

(ヤブがかなり密になる)


 小ピークを越えると、もはや尾根通しの歩きは必死の覚悟の状況になった。とにかく篠竹のヤブがすごい。うまく、ここにも作業道のようなものがあり、これを利用すると、何だかグルグル回っているような感じだ。確実に下に向かっているようではあるが、居場所がわからない。
 またヤブをかき分け、尾根に戻っては作業道歩き。次第にうんざりしてきた。しまいには、この作業道で下りましょうよと尾根から逃げてしまった。ノラさんは末端まで行かれるつもりでいらしたらしいが、自分には持て余し気味で、結局、最後のピーク越えは果さずのままに下る。

(こんなところに出た)


(フィニッシュの関門)


(ヤレヤレ)


 ヤブの被った作業道を下ると植林に入り、やがて傾斜がゆるんで水溜りのような沢に出た。ここまで来ればもう出口も近いだろうが、さらに倒木+ヤブがあり、この障害を越えて、ようやく休耕田のようなところに出た。もう民家が見えている。いやぁお疲れさんでしたといったところだが、無理にでも最後のピーク越えをすべきだったろうか。案外、ヤブもおとなしくなっていたかもしれない。しかしながら、里山のヤブは下に向かほどにひどくなるものだわ。

(予定ではあそこからの下りだった)


 車道歩きになった。青空になってはいるが、風は冷たく、雲が依然と黒いのは不気味でもある。途中でノラさんと別れる。今日はお付き合い、ありがとうございました。勝手ながら、こちらは楽しく歩かせていただきました。

(南の空は夕暮れ空になっている)


(集会所に到着)


 明日は明日で名草奥のお誘いをいただいている。2日続きで名草の山を歩くのもどんなものだろう。まして明日は確実に雪のような気もする。やはり改めてお断わりということにしておこう。

 何となく歩き足りない感じがしないでもなかった。このまま前回パスの八幡山にでも寄ってから帰ろうかと、登山靴のままで車を運転した。だが、樺崎八幡宮が近づくと、何だかその気もなくなり、靴の履き替えもせぬままに帰途に就いた。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

引き続きで秋葉山から名草山

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◎2017年1月20日(金)

名草上町集会所(7:34)……△431.7m秋葉山(8:28~8:36)……稜線合流(8:58)……449m標高点付近(9:38)……419m標高点付近(10:00~10:14)……369m標高点付近(10:31)……345m標高点付近(10:51)……浅間山(10:53~11:04)……△258.4m名草山(11:20~11:25)……標高200m付近(11:51)……県道218号線(12:08)……集会所(12:30)

 出がけに瀑泉さんの社山記事を見てしまった。あんな深雪、自分じゃ歩けやしないとわかっていても、いいなぁとうらやましく思った。足利のヤブ漕ぎもそろそろお開きにして他に目を向けないとなぁ。もう、今年に入って3回続けて足利詣でをしている。あくびも出てくる頃だ。足利の山は皆さんに比べて後発だったがために、これからもたいしてユニークな歩きは期待できず、結果は後追いとなってしまう。それがまた心苦しいところでもある。今日は予定どおりに秋葉山に行くとして、後は頃合いをみてまた歩けばいいか。と記しながらもまた歩いていたりして…。
 土日月と出張が入っているので金曜日の歩きになった。今日もまた雪の気配だ。午後からは確実に降るだろう。歩き予定は前回の延長で名草山と秋葉山の間だが、どうも449m標高点付近の岩場がやっかいらしい。そこを下り通過のつもりでいたが、雪が降ったり、凍結でもしていたら面倒なことになるだろう。ここは安全を期して上りで行くしかあるまいか。ということで、秋葉山から回ることにする。

(あの末端から登りたかったのだが)


(道沿いにフェンスが続く)


 集会所の駐車場利用が続いている。今回は名草上町の集会所を使わせていただく。場違いのような石の門があった。橋を渡って様子を見る。できれば破線路に合わせて登りたいが、民家が奥まで建て込んでいる。先日、ここから登ったみー猫さんとななころびさんは地元の方に話を通してほぼ破線路入口から歩かれたようだ。そんな器用さは自分にはない。まして一人だ。回り込むしかないな。だが、その先に行っても、フェンスが続いていて入り込めるすき間が見あたらない。

(ヤブ斜面を登って)


(破線路尾根に出た)


 破線路が遠ざかる。しかたない、ここからだなと、フェンスが一時的に途切れたところから入る。入ってはいけないところだ。あまり記したくはないが「立入禁止」とあった。上に植林が続き、すぐに竹の混じったヤブになった。さほどに密ではないが、やたらと滑る。尾根はすぐ上に見えている。結果的に破線路入口にあったらしい石祠は見逃した。

(石祠)


(普通の尾根)


(頭を出した秋葉山)


(左は深高山だろうか)


 尾根に出ると、落葉の上に窪みが続き、古い赤テープもある。ほどなく石祠が出てくる。文字らしきものはかすれているのか見えない。石祠を過ぎると傾斜も緩くなり、特徴のない普通の尾根になった。右手には谷越しにいずれ歩く尾根が見え、左手には遠く両肩を怒らせたような格好をした山が見える。後で調べると深高山らしい。そして、先に秋葉山の頭らしき盛り上がりが見えてきた。ネットの写真で見ては面白い顔をした山だなと思っていた。山頂部分だけが樹に覆われているようだ。

(449mはアレッぽい)


 さっきからずっと件の449mピークが気になっている。対岸側に見えるはずで、特定はできないが、多分あれだろう。すごい角度の岩場っぽいのがある。あれでは確かに手ごわいかも。無理なら戻るしかないだろう。

(秋葉山)


 植林の中に入り込むと、あっさりと秋葉山に着いてしまった。石祠が一基と屋根のない石祠。何の部分だったのか斜めになった石がある。山名板はない。三角点の石標に腰かけて一服。山頂だけは植林が切れている。広いのに、降雪前のどんよりした天気のせいか、寂しく感じる山頂だ。

(こっちを下ってしまった)


(秋葉山を振り返って)


(比較的に新しいが、みー猫さん達かねぇ。プロレス談義をしながら歩いたようだし)


 さて、ここで早速の失敗。秋葉山から向きが北東から北に変わるのに気づかず、そのまま北東に下ってしまった。えらく急斜面で、底なしに見えもした。おかしいのではと左を見ると、方向違いに普通の尾根が続いている。またしても尾根ミスのトラバース。ここのところこればかりやっている。ここで10分はロスしたか。

(古い標識)


(市境尾根に合流)


 ちょっと登って振り返ると秋葉山は台形状の山に見えている。植林と雑木の間を歩く。ほぼ平坦だ。来た方向に向けて「秋葉山・名草方面」の手書き標識があった。ちょっと先に行くと、だれも歩いているわけではないのだが、雰囲気的に賑やかなところに出た。塩ビの境界杭やらコンクリ杭が出てきたからそう感じたのかもしれない。市境の稜線に出たようだ。ここは北に行きたいところだが、今日は東、南へと下る。いずれは赤雪山に出てみたい。赤雪山と仙人ヶ岳との間は歩いたことがある。のんびりと3回も歩けば赤雪山に行き着くだろうか。考えてみれば、正月早々の田島川両岸尾根の歩きが、どうも無駄だったような気になってくる。最初から市境歩きをやっていれば、今日あたりは1ステップ先を歩いているはずだ。両岸尾根もあれはあれで楽しかったけど。

(秋葉山は良い目印になる)


 こちらの方まで来るハイカーは稀なのか、登山道は荒れている。横たわる倒木の枝も邪魔になる。倒木といえば、先日来気になっているが、この辺の樹は腐ったのが多い。斜面でうかつに手をかけると折れてしまう。痩せた土地のせいなのか、雷の影響なのかはわからない。
 秋葉山が真横になってくる。あの山はどこからでも判別できそうで、いい目印になる。

(449mが近づく)


(見上げて)


(見下ろして)


 そろそろ449m標高点の岩場だ。知らないからなおさら緊張もする。今日の歩きの神経はそこにばかり向いている。岩が出てきて、449mピークの下に出た。
 何ということはなかった。上りで使ったからだろう。下りで使うとなると、下の鞍部が見えにくいので、緊張もするだろう。ピーク下に岩場を巻くような踏み跡があったが、そこを下ると、手がかりも少なくて危険のような気がする。まして、立木は腐ってもいる。ここは岩場をストレートに下るべきだろうか。ここの通過にばかり気をとられていたから、ちょっとばかり拍子抜けしてしまった。

(一本すっぽ抜けていた)


 ピークに立つと、ちょっとした展望地。西側が開けている。地図上の449m標高点がここなのか、この少し先にあるピークなのかは知らないが、先の方のピークで休む。荷を下ろすと、括り付けたストックの三段式の先端ポールが抜けていた。秋葉山からの下りのトラバースで蔓にでも引っかけて持っていかれたか。これでは使い物にならない。嫌な出費になってしまった。無事な1本の方を改めてきつく締めた。ストックは滅多に使わずお飾りだけで持参しているが、これもまた考えものだなぁ。

(岩混じりが少し続いた)


(そして荒れている)


(秋葉山と深高山)


 岩っぽいところはまだ続き、倒木地帯も続く。太い樹があっさりと転がっていたりする。地図上は単調な登り下りの繰り返しだが、鞍部からの登り返しがちょっときつく感じながら419m付近に到着した。この先に石祠がある情報を知っていたので休憩は石祠でとしよう。

(419m先の石祠)


 こじんまりした石祠の胴体部を見ると、何だかおかしい。彫られた字が上下逆になっている。だれかが修復の際に何も考えずにやったのだろうか。屋根を外して元通りにした。享和の年号が見えている。
 菓子パンを食べて休憩。地図ではこの先の東西に破線路が通っている。そういえば449mにもあるが、それらしき踏み跡には気づかなかった。今日はちゃっかりと、あにねこさん記事の地図を刷り出して持って来ている。それには破線路とぶつかるところ3か所のうち2か所に「峠」と記されている。これまで3回の歩きからしても、明瞭な峠になっているところは少ない。どんどん消えていっているのか、あまり期待はできまい。まして、今日下り予定の名草山南西尾根には、今でこそ破線路も記されてはいないが、100年前の地図には破線が通じている。

(軽いヤブになる)


 峠らしきものを意識しないまま、左手に植林が出てきてちょいヤブが混じる。しばらく行くと369m付近だ。ピークを感じない平坦なところ。この辺から、塩ビの赤丸と赤黒の四角い杭が再び続く。そして、倒れた銃猟禁止区域の看板。ここも破線路の交わるところだが、左手の植林の中に薄っすらと踏み跡がある程度で、反対側に踏み跡は見えない。

(これもまた古い標識だ)


(浅間山山頂)


(浅間山からの展望)


 登ると年季の入った「彦間浅間遊歩道」の標識が出てきた。その先はもうこれまでの踏み跡とは違って道になっている。ここを左に行けば浅間山か。行ってみる。ほとんど起伏のないままに浅間山。この浅間山だが、余計なことを記すと、彦間浅間山、須花浅間山、田沼浅間山という三通りの名称があるらしい。それぞれに思惑があっての命名だろうが、浅間神社が祀られているから浅間山なのだろう。置かれた標識はただの「浅間山」になっている。
 展望は良い。東面を中心にほぼ270度といったところか。今日の天気はどんよりで残念だが、視界の中に大小山も鳩ノ峰も、そして山王山も入っているのだろう。自分にはどれが何山なのかわからない。せいぜい目先の名草山はあれだろうと特定できる程度だ。
 ここでザックを下ろした際に、またアレッとなった。今度は無傷のストックの先端キャップがなくなっていた。さっき449mできつく押し込んだはずなのに。今日は使わないストックが受難の日になっている。

 山頂でのんびりして名草山に向かう。ふと、焼け焦げた木が2本ばかり目に入った。火災でもあったのか。どうりで火元注意の看板があちこちに目についたわけだ。先日はホタルの里に「山に入ったらタバコは吸わない事、厳守して下さい」の看板が立っていた。だが、つい吸ってしまっている。

(岩割の桜)


(ここは感じが良かった)


(伐採地上から田沼方面)


 分岐に戻ると、大岩があった。そこに「岩割の桜」の看板。なるほど、岩の間に桜の樹がある。この桜、どんな咲き具合になるのか見てみたい(来ることはないだろうが)。
 ハイキング道を下る。「野鳥の尾根」の看板を見て伐採地の上を歩く。皮肉なことだが、ここの歩きが一番雰囲気が良かった。先に市境尾根の連山も見えている。この野鳥の尾根には、みー猫さんが見たフクロウは飛んでこないだろうか。カラスも見ることはなかったが。

(石祠)


(名草山山頂)


 石祠を見て植林帯になって江保地坂。軽く登って名草山到着。先日は、ノラさんとご一緒だったこともあり、周辺探索はしなかったが、展望もなく、回ったところで特記すべきものは何もない。

(南西に下る)


(ちょっと不気味)


 さて、ここからが唯一のオリジナルルートといったところになるか。尾根伝いに南西、北西に下る。ここまで雪も降らずにいてくれた。名草の町に出るまでせいぜい1時間もかかるまい。
 低いヤブのある植林に入り、その端を下る。部分的にヤブが高くなって密になったりもするが、苦労することはない。尾根の先もヤブ越しに見えている。傾斜も緩やか。かつて道があったとはいっても、その跡形はない。ただ、比較的に新しいペットボトルがいくつか放り出されているのが気になる。方向を変えるところで迷うことはなかった。その間、一瞬遠雷が聞こえたが、それきり。

(標高200m付近)


(次第にヤブが濃くなる)


 標高200m付近はただのヤブの平地。ここからはどこを下っても行けそうだが、一応はかすかな尾根型に合わせて下る。案の定、きついヤブになった。背丈も超える。里が近づくに連れて濃いヤブ。これは足利の山に限らず、道のないところを歩く限りは里山の定番だろう。ヤブの薄い方、薄い方を選ぶから大回りにもなっていく。それにしてもよく滑る。

(これはきつい。抜け出せなかったら、高木か足利で整骨院をやっている友達にでも電話して踏み台を持ってきてもらうしかなかった)


 ヤブの先に家屋の屋根が見えた。庭先着地だけは避けたいので、これを避けるべく、ヤブの密な方に向かった。身体を抑えられながら移動するとすぐに道が見えた。フェンスが目の前にある。微妙な高さで、自分の足の長さでは跨げない。隙間もなく、左右を覗くと、ずっと道に沿って張り巡らされている。よほどフェンスを踏み倒そうかと思ったが、力づくに押しても容易に傾きもしない。どうしたものかと思案すると、ヤブの中に倒木が見えた。これを引っ張って来て足場にした。何とか跨ぐことはできたが、着地側に足場はない。フェンスの先でズボンの尻がカギ裂きになったうえ、股ぐらに痛い思いをした。今日は引退間近のズボンを履いてきた良かった。
 しかし、今日はフェンスで始まってフェンスで終わったといった歩きだったなぁ。

(車道歩き)


(途中で見かけた道祖神)


(集会所に到着)


(金蔵院の石碑)


 ここから駐車場までは1.5kmほどのものだ。秋葉山を正面に見ながら20分ほど歩いて集会所に着いた。
 ふと、金蔵院で例の鎧地蔵を見るんだったと思い出した。金蔵院はかなり古い寺のようだ。中をぶらぶら歩くと、石仏やら石碑、地蔵、庚申塔はずらりとあるが、肝心の鎧地蔵は見あたらない。あったのだろうが気づかなかったというべきか。まさか本堂の中だろうか。そこまでして見るのもなあと思っていたら、雪が降りはじめた。もういいやと帰路に着く。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

イレギュラー歩きの中倉山には結構手こずった。

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◎2017年1月28日(土)

銅親水公園駐車場(7:35)……林道Uターン(8:36)……斜面取り付き(8:42)……南尾根合流(10:20~10:40)……一般ルート合流(10:55)……中倉山(12:21~12:37)……一般ルート林道(13:50~14:11)……駐車場(14:57)

 別に瀑泉さんから暗に催促されたからというわけでもないが、そろそろ雪の足尾の山に行かなきゃなとは思っていた。手っ取り早いところで中倉山か。備前楯山ではあっけなさ過ぎる。
 銅親水公園には車が10台ほどあり、一台を除きもう出払った後だ。この時点では、中倉山も今日は混んでいるかなと思ったりしている。準備に手間取った。持ち物が多い。ザックには12本爪アイゼンを入れ、ピッケル、ワカン、ストック、そしてチェーンスパイク。全部使うとは思えないが、雪の状況を知らないからこうなる。ザックに吊るすのに時間がかかった。締めのベルトが足りず、ワカンはブラブラになってしまった。
 足は普通の長靴。これには訳がある。スパ長にしたかったのだが、昨夜、スパ長にアイゼンをあてがってみるとどうも相性が悪い。仕方なく、普通の長靴にチェーンスパイクを巻くことにした。アイゼンの時はチェーンスパイクと交換になる。自分の長靴は固いので、アイゼン装着に問題はなかった。
 衣類は上下ともに雪山仕様。これが雪山歩きのうっとうしいところだ。今日あたりは、いずれ暖かくなるだろうと思うと、ザックに収納するスペースはない。ザックの選択を誤った。着たきりではかなりの汗をかいてしまいそうだ。

(中倉山は真っ白け)


(大平山もこうだ)


(林道にも雪が積もっている。下は凍って固い)


 例の導水管橋は通れないようなので、遠回りになってしまった。ちょっと残念だが仕方がない。導水管橋を渡ってショートカットするという手段を知る以前はこうして歩いていたのだから。
 林道は凍り付いていてもしばらくはそのまま歩けたが、圧せられた轍を頼りに歩くようになると結構滑り、チェーンスパイクを巻く。どうも今日は自分以外に先を歩いている人はいないようだ。雪の上にケモノ以外の足跡が見えない。ということは、駐車場の車の大半はアイスクライミングか社山といったところなのだろうか。大平山というのはないと思う。
 シカが原型を留めぬままに死んでいた。サルかなと思ったが、シカとわかったのは足が残っていたからだが、斜面に急なところはなく餓死だろうか。死骸の風景を見るにしてはちょっと早いような気がする。
 今日はこのまま林道を行く。井戸沢右岸尾根も歩かないし、その先の井戸沢にも入り込まない。途中から右岸尾根に通じるいくつかの枝尾根も登らない。

(中倉山登山口はケモノの足跡だらけ)


(さらに先に行く)


 仁田元沢右岸の様子を眺めながら歩いて行く。ふみふみぃさんが舟石峠の方から越えるのに使うルートはあれだろうか。それ以外に容易げなところはない。中倉山一般道の入口にさしかかる。様子を見ると、踏み跡は結構あるが、そのほとんどがシカの足跡だ。雪の時期に歩く人はあまりいないのだろう。帰路はここに出る予定でいる。

 先に行く。今日はこのまま仁田元沢のスリットダムを越えるつもりでいる。沢の水量やら凍結が気になった。だから長靴履きにこだわった。
 橋を渡ると、轍はここでUターンしている。この先に轍はない。シカの足跡が点々とあるだけ。進むに連れてズボズボになった。深いところでは股までくる。ワカンに履き替えようかと思ったが、その前に頭が冷静になった。それ以前から、林道を歩きながら葛藤も続いてはいた。ここに至って、やはりそうだよなということになった。何と愚かなことを考えていたのだろう。1255m標高点を経由して中倉山に登るつもりでいた。

(あえなく、すごすごと戻ってくる)


 過去2回、仁田元沢を遡行した際、ここから行けやしないかと、左岸側の景色を何か所か写真に収めていた。支流の直瀑の脇から登ることは考えていない。その先から1255mに至るルートを想定していた。先まで行って無理な様子だったら、代案として一か八か沢から塔の峰に行ってもいいかとも。一か八か沢の入口はまだ先だ。その手前で、やはりな…となってしまった。
 この雪の時期、自分には到底無理な話だ。ましてダムを越え、無事に沢に入ったところで直瀑のところまでも行けはしまい。これはどう考えても無謀だよな。やめよう。

 やめるはいいが、ここまで来て一般ルートから登るつもりはない。橋に戻って中倉山の南斜面を眺める。適当なところから登れやしないか。一般ルートが途中で乗り上げる南尾根の末端からというのはまずは無理だ。残酷そうな岩場になっている。その堰堤を挟んだ東の沢型からなら登れそうだ。ああ行ってこう行って岩場上の南尾根か。ただ、ガレていそうだから、雪付きのこの時期は避けた方がいいかも。その右横に道っぽいのが見える。東に平らに続いている。あそこに行けば、他の手掛かりがあるかも。先ずは行ってみるか。この時点で、あわよくば作業道が上に通じているかもなと期待したりしている。

(ここを登ってみようか)


(道に見えたのはこうなっていた)


 橋を渡って、取り付いてみる。上がると、遠目の道は平らな幅広の道の形状になっている。雪があるから道なのかは判別できない。ただの原っぱかもしれない。右に行けば、一般道に接するだろうと左に行く。だが、岩場にぶつかってそれきりの終点。それを越えると、当初行けそうと思った沢型にぶつかるようだ。道だとすれば、堰堤工事用の道だったのかも。鉄の杭のようなものも残っている。

(作業道が通っているのかと思ってしまった。これでも急だ)


(尾根型が次第にはっきりしてくる。ぜいぜいしながらも登っている)


 となると、目の前のこの斜面を登るしかないか。よく見ると濃い踏み跡が上に続いている。これはラッキーと辿ると、すぐに散り散りになった。ただのシカ道だった。これでは黙々と上を目指すしかない。ここまで来たら、ためらわずにこれを登って南尾根に出よう。
 濃いシカ道を選んでは上に行く。地面は水気を含んでかなり歩きづらい。まして斜面は急でちょっと登ると息切れになる。これを繰り返すから、対岸の仁田元沢の左岸尾根の高さはちっとも低くならない。幸いにも、痩せた灌木続きで陽射しだけは良い。汗が出てきた。上着を脱いで薄手のフリースだけで歩きたいが、ザックに収納スペースがないのではどうしようもない。手拭いを出しては頻繁に顔の汗を拭う。

(一か八か沢と、その先に熊の平。左は向山。右に塔の峰方面となる)


 ちょっとした展望地に出た。正面に一か八か沢と、その先の熊の平を望む。目線で熊の平の高さはこことほぼ同じになっている。熊の平から塔の峰への尾根は突き上げているようにも見える。今日あそこを歩けばどうだったろうか。うまく事が運んでいたろうか。まだ一か八か沢で往生していたかもしれない。

(岩が出てくる)


(写真では感じないが、ここの通過が難所だった)


 岩が出てきた。そしてリョウブ主体の灌木が密度を増す。ヤブはない。この先、しばらくは岩稜帯が続く。今、長靴にチェーンスパイクのままで歩いている。両足のかかとが痛くなってきた。いずれ、休憩時にテーピングするつもりでいたが、結局は気にしながらもそのままで歩くことになる。
 大きな岩場が現れた。一枚岩ではない。大きな岩が積み重なっている。ここは右手を行けば容易かなと、悪い足場を通って真下に出て登ろうとすると、その先に足場と手がかりがなくあっさりと振られる。一旦下って、左に転じて岩の隙間を攀じ登ろうとしたが、雪で滑ってあえなく敗退。結局、右手の岩裾の急斜面を巻いた。
 歩いているところは、地図には表れてはいないが、登るに連れて小尾根状になっている。左手には南尾根の本体がちょっとばかり離れて見えている。乗り移るにしても、その間は谷状になっていて無理。その南尾根越しになだらかで平和そうな尾根が見えている。あれは庚申山からオロ山に至る尾根だろうか。

(右手・東側に尾根が見えてくる)


(雑木林の間に備前楯山)


 岩稜帯はおとなしくなったが、まだ続いている。すでに障害にはならず、問題なく通過できる。尾根幅も広くなっている。うるさい灌木の間から、右手に南尾根から分岐する南東尾根が見え、振り向くと備前楯山の高さとほぼ同じくらいになっていた。
 岩が消えると、一気に雪が深くなる。これまでは歩行に支障のない雪の量だった。ピッケルを出す。斜面はまだ急だ。ここはピッケルを頼りに歩いた方がいいだろう。

(雪が深くなって、左からの南尾根に合流した)


 ようやく左からの南尾根に合流した。今、標高1240m付近だ。たかが310m程登るのに1時間40分も費やしてしまった。神経も身体もかなりいかれている。休憩。

 ここには新旧2本のテープがひらめいている。何でこんなところにテープがあるのか。一般ルートとの合流はまだ先だし、この先にもテープは続いていた。ここまでの区間にテープはなかった。ということは、南尾根に導くテープなのだろうか。それは極めて危険だろう。南尾根を意識的に下ろうとするようなハイカーがテープを付けるはずもない。ここまで来て、あらっ間違ったとテープを置き去りにでもしたのか。だとすれば、無責任極まりない話だ。実は、自分自身、かつてここまでテープに導かれて下って来たことがある。来過ぎたことに気づき、元に戻ればいいのに、一般ルートに復帰しようとここから直に南東に下った。岩場続きでかなり苦労した。非常識なハイカーのテープ付けには本当に困ったものだ。尾根外れの歩きのような、場所によっては、テープ頼りに下る場合もあるのだから。
 雪も深くなったので、チェーンスパイクは外してワカンを履き、ストックを出す。だが快適とは言いづらく、気温が高くなり雪は重い。傾斜が緩やかになってもさっぱり進まない。一般ルートに合流すればトレースもあるだろう。それまでのほんの少しの辛抱だと楽観する。

(仁田元沢両岸の景色が良い)


(一般ルートが右から入り込む)


(こうなっていたのでワカンを外した)


 この尾根からの西側の展望は良好だ。仁田元沢の先にオロ山、手前に沢入山南尾根の岩峰。左手には塔の峰。予定していた1255m経由の尾根も見えているはずだ。やはりいつか歩いてみないとなぁ。
 15分も四苦八苦して歩いていると、ようやく右から一般ルートが上がってきた。この先には踏み跡もあるはずとほっとしたが、人間の物はなく、ここもまたシカだらけの足跡だ。かなりがっかりしてしまったが、雪が急に少なくなって地肌が見えてもいる。これではワカンでは歩きづらく、チェーンスパイクに戻す。

(中倉山を前にして、またワカンに履き替える)


(雪が深くなって)


(どうしても塔の峰に目が向いてしまう。あの山名板、この冬越せるかななんて気になって)


 判断が甘かった。ここ一帯はシカなりイノシシが身体に付いたダニやらノミを雪にこすりつけて落とすところのようで、その分、雪も消えているだけのこと。結局、以前、「前山」の山名板のあったところで再びワカンに履き替える。ここで11時30分。
 気分的に中倉山がとてつもなく遠い山になっている。目の前に見えているのに12時までに到着するのは困難だ。雪が深くなり、さらに進度が遅くなり、息切れも頻発する。一気に10mの高さを上がるのがやっとの有様。できるだけ西側の尾根の端を歩き、展望を楽しみながら歩くようにする。そうすれば、いくらかでも気が休まるというもの。雪のある風景は格別だ。殺風景なものも一変する。しかし、どうしても塔の峰が気になってしまう。あの山、仁田元沢側からは、スリットダム先の小尾根と山頂直下のドンピシャ尾根しか歩いていない。

(あそこに出れば、いくらか楽だろうが、もう青色吐息になっている)


(こんな景色が待っているんだもんな…)


(山頂に向かう)


 ようやく稜線が目の前に入った。ここは律儀に直進して小高いところを目指す。ここで12時。先ずは半月山、男体山、社山、大平山が目に飛び込んだ。ため息も出る。こうでなくちゃ。しばらくうっとりと眺める。このまま休んで下りたい程に体力は消耗しているが、ここまで来たら、足尾のご本尊というか、盟主様にお会いしなくてはなるまい。頭だけはさっきからチラチラと見えてはいるが、それでは失礼だ。重くなった足を引きずるようにして山頂に向かう。

(ようやく中倉山の山頂)


 山頂直下は深いところで膝が埋もれる。足もパンパンになってくる。そして、地肌がさらされた山頂が見えてきた。ここまで5時間近くもかかってしまった。雪のある時でさえ、どう歩いてもせいぜい3時間から3時間半程度のものだ。体力減退もあろうが、雪もいつもより多いのではないだろうか。

(その1)


(その2)


(その3)


(その4)


(その5)


(その6)


(その7)


(その8。これくらいにしておくか。ヘタな写真だし)


 ともあれ、360度の展望を楽しむ。大げさかもしれないが、言葉では表現しづらい神々しいものがある。盟主様にもお会いした。これで満足。まったりもしたいところだが、風が強くてじっとしていられない。タバコに火をつけるのもようやくだ。腹も空いている。菓子パンを無理矢理腹に詰めて退散。例のブナを冷やかしに行きたいところだが、身体が言うことを聞きそうにもない。名残惜しい展望を楽しんで退散。ここからの雪景色を楽しむことだけが目的だったら、わざわざ遠回りもせず、井戸沢右岸尾根でも登って来れば賢かったが、紆余曲折もあった。初めてのところを歩いただけでも良しとしよう。

(ゆっくりもできず、早々に下る)


(いい感じだった)


 下る。右岸尾根を下るかといった考えは浮かびもしなかった。
 ワカンでの下り、日向の雪はかなりぬかる。これが日陰では下が固まって結構快適なところもある。雪が付くと、尾根型も明瞭になる。尾根型が左に分かれるのが見えた。あれっと思い、地図を出して行く末を確認すると、何だあのヤブ尾根か。あそこは下で苦労する。間違って下るところだった。

(一般ルートへの下り。これはすべてシカの踏み跡)


(次第にルートがよくわからなくなる)


 一般ルートのままに下る。上り時と違って、あっけなく尾根外れのポイントに出た。ここからは谷型を下ることになる。人の足跡はないが、シカが通っている。その部分は雪も消えているだろうし、道型もしっかりしているはずだと高をくくったのは早計だった。
 しばらくは迷うこともなかった。テープもあった。だが、シカの跡も右往左往して、道型は雪混じりで不明瞭。ましてだれも歩いていないから尚更だ。ここはクネクネした下り道だが、カーブらしきところに立ってはその先を見る。うっすらと道型が見えている場合もあれば、テープが助けにはなったりもする。さりとて、ここのテープもまた、東側の尾根に導いてくれるものもあるから、カーブなしで東にずっと直進しているようなら、そのテープは無責任テープと思った方がいいだろう。ロープが張られているところを通過するとほっとする。

(尾根を突っ切ると、ここだけは雪がない)


(林道に出る)


 遠目で道型とテープを確認しながら下る。見慣れた最後のロープを目にして小尾根を突っ切る。じきに林道に出た。一般ルートとはいえ、結構、神経を使ったなぁ。明日歩く方がいたとしたら、自分の足跡ですんなり歩けるだろう。下りの分岐でそのまま南に下るトレースには要注意だが。

 林道の傍らの倒木に腰を下ろして休憩。そして昼食。ポットの湯で味噌汁を飲む。そしておにぎり一個。これが精いっぱいだった。食欲は失せている。

(雪はだいぶ緩くなっている)


(導水管橋の入口に黄色の立て札が)


 林道を下る。かなり暖かくなっていて、轍の凍結はすでにない。上着とフリースのチャックを開放して、だらしない格好で歩く。ワカンは外して雪で泥を落とす。もうこの先、チェーンスパイクも要るまい。足跡を目にした。朝はだれのもなかったが、往復の足跡が雪の上に付いている。何の目的かは知らないが、中倉山ではなかったのだろう。
 導水管橋にさしかかる。敢えて上がりはしなかったが、黄色の立て札が見えた。「立入禁止」とでも記されているのだろうか。バリケードがあるわけでもなく、それを無視すれば渡れるようではある。そこまでして時間を稼ぎたくもない。

(駐車場の上で)


 親水公園に着いた。車は17台に増えている。周囲に人の姿は見えない。みんな、どこを歩いているのだろう。車のナンバーもまた地元組は1、2台しかなく、遠方ばかりだ。やはりアイスクライミングなのだろうか。

 今日はかなり疲れた。腰から下も痛い。車のエンジンをかけると、駐車場の日向の気温は12℃表示になっている。やはり、雪山スタイルでは暑いわけだ。今日あたりは赤城山やら社山もかなりのハイカーが入ったろう。かたや足尾の中倉山にはだれもいずか。せっかくのあの展望を楽しめるのに何とももったいないことだ。

社山に向かうも、装備不良であえなく撤退する。

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◎2017年2月3日(金)

銅親水公園駐車場(7:42)……南尾根……1182.4m三角点……駐車場(11:44)

 社山も、雪の時期に南尾根から歩いたことはない。せいぜい3年前の3月末に登ったら、山頂直下に深い雪が残っていて苦戦したといった程度のもので、下からずっと積雪の中の歩きというのは体験していない。以前からこの時期に歩いてみたいと思っていた。
 土曜日は出勤だし、日曜日の天気は心もとないので、金曜日に出かけた。当初から山頂往復の自信はなく、今回は様子見といった感じで、敢えて山頂を目指すことはせず、適当なところで戻るつもりでいる。楽しみにしているのがスノーシュー歩きで、最近はいつ使ったかの記憶もなく、少なくともここ3、4年以上はワカンのみで通している。南尾根も中盤はなだらかな尾根が続くので、スノーシュー歩きなら快適だろう。少なくとも天気が良ければの話だが。

 親水公園の駐車場には平日なのに車が3台だか4台。うち1台が準備中の2人連れで、束ねたロープが出ているからアイスクライミングだろう。こちらはその方面に興味も知識もないし、どちらに行くのかと聞くことはしなかった。向こうとて同じだろう。

(寒々として風が強い)


(今朝の中倉山。やはり荒れている感じ)


 今日はやたらと風が強い。林道ゲートを抜けるといきなり正面からの突風にさらされた。一瞬、前に進めなくなり、あっという間に口の中がザラザラになった。下でこうだから、尾根に上がったら、もっとすごいだろうなと嫌な予感がする。晴れてはいるが、奥の山々は白煙の中の存在になっている。やはり強風か。

(凍結した林道)


(ここから入り込む)


 南尾根には安全を期して久蔵沢側の一般ルートから登ることにする(一般ルートとはいえ、改めて登ってみると、こちらの方がきつい感じがした)。林道は凍結している。今のところツボ足のままで行けるが、下りにかかるとかなり厳しい。アイゼンはザックの中だ。ザックの上にさらにスノーシューを入れた袋を担いでいるので、取り出すのも面倒で、ストック頼りにぎこちなく歩いた。
 取り付きでようやくアイゼンを装着する。雪は薄っすら程度だが林道の様子からして、この先凍結している可能性もある。すぐに歩き出す。

(雨量局への標識。都合2枚見かけた)


 登りにかかると、アイゼンの前部がすぐに外れてしまった。これでは役に立たない。ベルトを締め直してもすぐに外れる。それも左足だけ。軽アイゼンにすればよかったと後悔し、こいつはとため息もつく。改めてアイゼンを外してチェックすると、前後のサイズ調整が長いままになっていた。これでは外れもする。昨夜いじった時にはずみでずれたか。詰めたら外れなくなった。こんなことで時間をとられてしまった。

(尾根は明瞭)


(あれ社山?)


 次第に急になってくると尾根型もはっきりしてきた。雨量計に続くらしき踏み跡は多少残っているようだが、シカがこれを荒らしたのか、あちこち踏み跡がある。この尾根はススキ尾根のようで、今でこそススキは倒れて少ないが、ネット記事で、下山した時にはたんまりとマダニに取り付かれていたという記事を目にしたことがある。この時期にまさか活動はしていまい。ところで、雨量計標識には「行き」「帰り」と別方向になっていたが、何か意味があるのか。この小尾根伝いに登れば、雨量計は本尾根に出てから下ることになるし、帰路はそこから沢筋に下れといったころなのだろうか。

(ここで合流かと思ったらまだ先。吹きさらしになっている)


(左からの南尾根)


 何だかきつい尾根になった。Wストックなのに先になかなか進まない。右手にも並行した小尾根が見えていて、あっちを歩けばよかったかなと思ったりする。見上げればエンドレスといった感じで、空がキレたのを見てはほっとしてGPSを確認するとまだまだ先がある。適当な踏み跡を拾ってはジグザグに登って行く。

 上がるに連れて左側の展望が良くなる。とはいっても強風のために全体が白く霞んでいる。まず目に付くのは備前楯山だ。あの山はやはり足尾のシンボルだろうな。山容が立派だ。そして中倉山。こちらは先日よりも雪が多くなったような気配。その間に岩峰群が見えている。
 左手に、雪をかぶった太い道型のようなものが見えたので行ってみると、途中でうやむやになっていた。ただのシカ道か。この小尾根、こういったダマしの踏み跡が多い。楽しようとしない方が無難だ。

(こちらは社山側尾根)


(南尾根との合流部が近づく)


(備前楯山を見て)


(南尾根に合流)


(中倉山方面。やはり荒れているねぇ)


(逆光の赤倉山)


 右手に先に続く南尾根が見えてきた。ここまで来れば、どうせ山頂を目指すわけでもないしと、展望をゆっくり楽しみながらの歩きになっている。赤倉山から続く半月山も見えてくる。後ろの男体山は見えない。周囲は吹きさらしになっていて、相変わらずに突風が気まぐれに通過する。ストックを収納し、ピッケルを突きながら登る。
 本尾根に到着した。ここはちょっと広くてなだらか。風よけになる太い樹も続いている。ここで一服しようとしたが、風でライターの火が点かずにあきらめ。アイゼンを外してスノーシューを出す。靴を入れてベルトを巻く。1本目はすんなり固定したが、2本目は穴が裂けた。調整して次の穴に引っかけたらまた裂けた。これは無視して3本目。フックにかけると亀裂が入った。連鎖反応のように、後ろ固定ベルトに至っては粉々に割れた。もはや使えない。
 何でこんなことになったのか。昨夜、久しぶりに履くからと、ベルトの穴位置を調整したりしている時は何ともなかった。素材は硬質のゴムだろうか。ただ、こんなに硬かったっけと気にはなっていた。劣化か。何せ12年前に購入したスノーシューだ。しかし揃って次々に切れるとはなぁ。

(先に行ってみる)


(風に飛ばされて着雪は少ない)


(1182.4m三角点で折り返す)


(この先と半月山。見たかったのは社山だったんだけど)


 風も強いし、もうこのまま引き返そうか。ワカンはないし、アイゼンだけで先に行くのは無理だろう。だが、ちょっと先まで行ってみたい。せめて延長線上にある社山を遠くからでも見ておきたい。
 樹林を出ると強風が吹き荒れていた。西から東にビュービューだ。これでは雪も飛ばされる。積雪は深い所で膝越えで、大方は30センチくらいのもの。1182.4m三角点標石で折り返すことにした。社山はここからでは見えていない。ワカンなりスノーシューがあったところで、この強風の中、果たしてどこまで歩いて行けたことやら。一応の目安としては1568m標高点まで行くことを想定していたが、まっ無理だったろうな。これが天気の安定した明日ならどうだったか。明日が仕事ではしょうがない。

(大平山方面)


(オロ山とオロ北の上にかすかに皇海山)


(ここだけは風よけになった)


(戻ると、ようやくすっきり景色になっていた)


 この先、どう下ろうか。末端近くまで行ってもいいが、強風にさらされて下るのは嫌だしな。結局、同じルートを下ることにする。


(ススキ尾根の下り)


(アイゼンに付いた左・ススキダンゴ)


 下りかけると風は和らぎ、周囲の山々もすっきり見えるようになった。ただ時折の強い風は続いている。登りで苦労したわりにはあっさりとした下りだが、枯れたススキの残骸がアイゼンに引っかかり、これが雪と土を誘う。すぐにダンゴ状になってしまう。樹で叩いては落とす。何とも歩きづらい下りだった。

(林道に出る)


(振り返って)


 林道に出る。ここで一服し食事タイムにする。まだ12時前だ。時間的には備前楯山にも行けるが面倒くさくなってしまった。冷たい強風はまだやまない。こんな強風の時にぶらぶら歩いているのも土台無茶な話だ。ほんの4時間の歩きだったが、実際には3時間ちょっとしか歩いていない。アイゼンやスノーシューにかまけている時間が長かった。
 駐車場に戻り、さっさと帰り支度。間藤駅が近づくと、60リットル級のザックを担いだオッサンが2人歩いて来る。離れて歩いているからお仲間ではないようだ。親水公園の方に向かっているから、テン泊してどこに行くのだろう。皇海山というのは厳しいだろうし、みー猫さんの後追い?よくやるわと思いながらも、この時間だ。今日はどこに泊まるのか気になった。

(帰ってからベルトのボロボロを確認)


 帰りがけにICIに寄ってみたが、スノーシューの部品類は置いていなかった。ネットで検索すると、MSRの代理店をやっているモチヅキというところでしか扱っていないようだ。型が古いため、ベルト(正確には交換ストラップと言うらしい)が1本756円もする。都合8本になるから痛い出費だ。ホームセンターで売っている材料で間に合わせした記事も見たが、何かあったらどうにもならないし、新しい物を買っても、ワカンを優先して使っている以上はさして頻繁に使うわけでもない。仕方がないか。

桝形山でスノーハイク。長い雪の林道歩きにはまいった。

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◎2017年2月11日(土)

山の駅たかはら駐車場(7:44)……桝形山(9:44~9:58)……林道ゲート(11:22~11:45)……八方湖(12:13)……駐車場(13:06)

 先日の社山目指しで破損したスノーシューの交換ストラップが届いた。痛い出費、あるいはムダな出費だったとでも言えようか。早速、調子見がてら桝形山に行くことにする。戦場ヶ原でもいいのだが、メジャー系は避ける。この桝形山、ここ3年ほど、この時期の歩き予定リストには必ず入れている山なのに、場所も遠いので延ばし延ばしにしていた。
 桜沢、スッカン沢の氷瀑の方にも興味があったが、こちらは軽アイゼンまたはスパ長でも行けそうで、スノーシューを持って出かけるとかえってじゃまになるらしい。今回はスノーシューを使うのが目的ゆえ、ここは桝形山を優先。それでいて、歩きの趣旨からは反するが、起伏もさしてなさそうだからスキーでも行けんじゃないのかと、車に久しぶりのスキーまで積み込んだ。このスキー、物置からしばらくぶりに外に出したが、シールがどこにいったのか見あたらない。どんなものかは知らないが、その場合はシールなしで歩くということになる。
 この時点では、桝形山はさっさと済ませ、引き続きの滝見に向かう気分もあった。

(山の駅たかはらを出発)


 雪道走行は苦手だ。凍結した県道をゆっくり走り、山の駅たかはらに着いた時にはほっとすると同時に、早々に下りの不安が出てきた。下りの方がむしろヤバいんじゃないの。ここには5年前の3月に来ている。その時はスノーシューで剣ヶ峰まで登っている。車は6台ほどだ。
 さてと、スキーにするかスノーシューにするかで決めかねている。向かう方面の視界を眺める限りはスキーでも問題はないが、周囲に準備中の方が何人かいて、車からスキーを取り出すのを躊躇する。クロカンのスキー板なら違和感はないが、山スキー板では目立ち過ぎだ。結局、スノーシューにすることにして、先ずはアイゼンを履く。
 隣の車の御仁が「この時期、林道に出ちゃうと後で大変でしょうね」というようなことをおっしゃる。状況がよくわからないから、しばし無言でいたが、この方、氷瀑見物のようだ。つまり、大方が氷瀑と思っていらっしゃるようだ。さもありなんだろう。氷瀑ではなく桝形山に行くんですよと言うと、桝形山のことはご存知ないらしい。標高差がかなりあるのかと聞かれてしまい、答えようもなく適当にごまかした。
 自分が北に向かったからだろうか、御仁もつられてか北に向かった。声をかける。スッカン沢は逆方向ですよと。きょとんとしていたが、後で振り返ると姿が見えなかったから、正解がわかったのだろう。

(スノーモビルの跡がしばらく続く)


(東側。牧場だろうか)


 林道をしばらく歩くようだ。スノーモビルの跡が残っている。これを活用すれば歩きやすいのだろうが、アイゼンではどこをどう歩いても歩きづらい。踏み抜きがないだけでも幸いだが、この程度ならチェーンスパイクにしとけばよかった。15分も歩くとスノーモビルの跡は消えてしまった。

(この先は一時的にノートレース。結構深そうだ)


(スノーシューを履く)


 アイゼンのままで行くと、雪にヒザまで入り込んだ。アイゼンでは役立たずと、引き返してスノーシューに履き替える。だがスムーズにはいかない。おかしな位置にストラップの穴を固定していたため、すべてやり直し。久しぶりに履くということもあり、もたもたして15分もかかってしまった。これで済むはずもなく、10歩ほど歩いたら、後ろのストラップが遊んでスノーシューが片足外れてしまった。またかけ直し。これだから雪の山は嫌なんだよと叫びたいところだがどうにもならない。幸いにも以降は外れることはなかった。
 最初の標識。直進は「展望台」で、右手の「ストーンサークル」の方から林道が合流し、スノーモビルの跡が復活。今さら気に留めても仕方がないので、敢えて轍を避けて歩くようにする。下は固まっているので、さほどに踏み抜くことはない。

(「山」の書き込み)


(展望台)


 進行左手の樹に赤ペンキで「山」と記されている。どういう意味なのだろう。このまま林の中に入って行くという手もあるかもしれないが、林道とずっと並行しているようだし、敢えてここで林道から離脱する必要もあるまい。この「山」ペンキ、先でも見かける。
 スノーモビルの轍は気まぐれに消えたり復活したりしている。消えているところの雪は深い。とはいっても、スノーシューでふくらはぎくらいのもの。右手が駐車場らしき広場になり、展望台が建っている。展望台までは登らなかったが、下から見える景色は牧場らしきものと、周囲の平らな山並みくらいのものだ。雪のない時期は、ここで食事でもすれば気持ちも良いだろう。

(雪紋を見たりして)


 雪紋を楽しみながら先に行く。たまに振り返っても、後続者はいない。やはり桝形山はマイナーな山なのだろう。ネットでアップするような方しか登っていないのかも。ネットといえば、この桝形山に行くにあたって、みー猫さんと瀑泉さんの記事を改めて拝見したが、今日は瀑泉さんルートをベースにして歩くつもりでいる。起伏のないところのスノーハイクだし、どこをどう歩いてもさして変りもないだろうが、地図を見る限り、林道もしくは歩道の線が新旧地図で随分と違っていて、コースプランも面倒だし、瀑泉さんの後追いとし、後は現地対応ということにしている。

(電波塔が見え)


(この辺から林道を離れる)


(歩道が脇を通っている)


 右手に電波塔のようなものが見えたところで、左に何かのタンクのようなものがあり、ここから林道を離れて林に入る。自然林の疎林だ。ここに入って、ようやくほっとしたというか、いかにもスノーハイクといった気分になった。先にトレースはなく、いい加減にも歩いて行ける。雪のちょっとした凹凸はあるが、スノーシューで歩いて行く分にはさして問題はない。ただ、たまに、右脇を通る歩道の道型の窪みを見るとがっかりする。ここまで来ると、さすがにスノーモビルの跡はない。
 ネットでは、「目玉のおやじ」という樹のコブが定番としてよく見かけるが、みー猫さん、瀑泉さん記事ともにこのコブは登場しない。結局、自分も最後まで見ることはなかった。あと、「巨ブナ」というのもあったらしい。夏道があるのかどうかは知らないが、それを辿っていたら巡り会えたろうか。

(この時点では、あれが桝形山の西側ピークかと思ったりしていたのだが)


(あれは前黒山だろう。看板からしてシカは狩猟可のようだが、シカの足跡はまったく見なかった)


 だらだらとした自然林の中の歩きが続く。陽が陰ると風が強くなって、一気に寒くなり、陽が出るとまた暖かくなる。この繰り返し。傾斜はほとんどなく、ずっと緩い。そのためか尾根型もはっきりしないが、行く方向に迷うことはない。たまに古いスノーシューの跡を見かけるが続かない。

(尾根型明瞭のところもある)


 単調な歩き続きに次第に飽きてくる。たまに西側の展望が開けるところもあるが、山の名前を知らないので楽しめもしない。登ったことのある前黒山も視界に入っているのだろうが、位置関係からして自分にはどれが前黒山なのか特定できないでもいる。
 さて、スッカン沢の氷瀑のこともあって、桝形山の帰路に、烏ケ森さんのお歩きのように、適当なところから桜沢に下ってもいいかなと思ったりもしていたが、西側の沢筋を適当に覗き込むと、何とか下れそうではあるが、この雪だまりでは危険そうだ。曇り出したこともあって、吹雪くことにでもなったらなと、余計に危険度も増す。今日のところはやめておこう。やはり予定通りに周回が無難だな。

(桝形山が見えてくる)


(目玉のおやじの代わりにこんなのは見たが。ありふれているか)


 スノーシューのヒールを上げることもないままに桝形山らしきピークが見えてきた。時間がかかっているわりには、山登りをしているという実感がない。後続者がいたとしたら、随分と迂回歩きのトレースに感じるだろうが。
 突然、腹部に異変を感じた。冷えたからだろう。ただ、出がけと出流原PAでの立ち寄りではすっきりしたものではなかった。林の中にかけこむ。用足しの最中に強風が吹きつけ、木の枝の雪が上から落ちてきてもろにかぶった。尻がえらく冷えてしまった。雪をはたき、ほっとして戻ると、だれも来ないのはわかっていても、つい本能的にか、林の中への踏み跡を隠したく、周囲を踏んで、さもそこで休憩したかのように装った。

(そして山頂)


(前黒山らしき山をバックにもう一枚。つまり、失礼ながら山頂の景色に見るべきものがないのだ)


 何くわぬ顔をして山頂に出た。内心はかなりほっとしてすっきりしている。山頂もまた山らしくない風情だ。前黒山らしき山が白くくすんで見える。やはり風が強いのだろう。ここもまた同じで、太い樹を見つけ、風除けにして休む。菓子パンを頬張って一服。桝形山に期待を寄せていたわけでもないが、これで、ようやくここ数年のリストから外れた。近場でもないので、もう来ることはあるまい。スキーで来ていたらどうだったろう。ここまでは林道区間もそれほど長くも感じなかったし、シールなしでもあっさり来られたかもしれないなぁ。

(東に下る)


(撮るものもなく自分のトレースを撮ったりして。この時は歩きに勢いもあった)


(林道のようなところに出た)


 東に向かって下る。相変わらず尾根型は不明瞭。ただ、おかしな下り方をしない限りは林道に出られるという安心感がある。気分の良い歩きを楽しみながら下っていくと、あっけなく10分ほどで林道らしきところに出た。これが林道なのかどうかは判然とせず、横切って先に行くと、また出会った。やはり林道のようだ。後はずっと林道やら先でぶつかる歩道歩きとなるのだが、何とも長く感じる歩きになってしまった。元々、林道歩きは苦にもならない質だが、この雪の林道歩きは応えてしまった。せめて起伏のある林道だったら、どんなに楽だったか。

(結構深い)


(林道の本線に出る)


 道型の窪みがずっと続く。左から窪みが合流。この林道は部分的に雪が深いところがあって、ヒザまで埋もれるところもある。まるでラッセルの感覚。そんな区間はさして続かず、大方は20~30cmほどの沈み具合だ。
 カーブがいくつか続き、やがて、左から幅広の道型が入り込む。どうやらこれが林道の本線のようだ。地図を見ると、この林道は東に向かって、大きく迂回して北に向かっている。雪は深くなり、ラッセル区間が長くなる。10年ほど前、於呂俱羅山からの下り、山王林道で腰まで浸かって歩いたことを思い出す。あの時、往路では樹林の中の歩きだったため、さほどの積雪は感じなかったが、林道は吹き溜まりになって、雪は意外に多いものなのかもしれない。

(瀑泉さんはこの辺から林道を左方向に離れたようだ)


 瀑泉さんが横道に逸れたあたりを通過。どうもその気にはなれずにパス。ここまででもかなり嫌気がさしていて、途方もなく長い感じになっている。おかしなところを歩いて、いつの間にやら暗くなっていたのでは、帰路の県道も凍結してしまう。それだけは避けたい。地道に目先の林道を歩くしかあるまい。

(右から道型が合流)


 気まぐれラッセルを続けて行くと、右上から道型が下って合流している。手持ちの地図にそんな林道はなく、GPSを見ると、ここは往路のコースと最接近する場で、この道型そのものは使えないが、このまま、往路の自分のトレースに戻ろうかなと思ったりした。その方が歩くにしても幾分は楽だろう。ただ、そう思っただけで終わった。短いとはいえ余計な歩きになる可能性もある。

(林道ゲート)


(ここでランチタイム)


 やがて「林道交通安全」の緑色の旗が見え、ゲートらしきものが先にある。ゲートは半端な状態で開いている。日なたのせいかさほど埋もれることはない。ゲートの脇に短い鉄柱があり、腰かけにちょうど良い。ここで食事タイムにする。来る途中のセブンで買った乾燥にゅうめんスープをポットの湯を入れて飲んだ。おいしくも不味くもないが、身体は暖まる。
 ここに来て、スノーモビルの騒音が気になった。近くで走らせている。サーキット場のような、エンジンを吹かす金属音が絶え間なく聞こえる。こんなところに来たら、自分の足で歩けばいいじゃないか。平坦なところで走らせ、何が楽しいんだろう。おそらく、スノーハイクしている人には、そこノケ、そこノケなのではないのか。傾斜のある広々としたスキー場でやればいいだろうに。

(広々としたところに出た。つい、♬広い荒野にぽつんといるよで…とナツメロを口ずさんでしまったりなんかして)


(スノーモビルも復活)


(ちょっとした雪庇になってしまったが、強風の雪煙を出したかったのだが)


 ここは桝形山林道というらしい。看板がある。視界の広いところに出た。そして間もなくスノーモビルの通った跡。この辺を回って騒いでいたのか。このまま八方湖に向かうつもりでいるが、スノーモビルの跡も続いている。嫌な気分だったが、今は昼時のせいか、連中も昼ご飯だろう。音はすでに消えている。

(右が前黒山で、左は大入道、釈迦ヶ岳の方だろうか)


(八方湖)


 「このさき進入禁止」の手書き看板があった。傍らには雨量観測所。ゲートがあるわけでもないので、そのまま先に行って八方湖に着くと、スノーモビルが1台とまっていて、その傍らで青年が食事をしている。八方湖とはいっても、ここはただの用水池のようなところらしく、雪の平原にしか見えない。後で矢板市観光協会のHPを見ると、この辺、紅葉がきれいなようだ。ここに瀑泉さんが行かれた「嶽山箒根神社(奥の宮)1.2m」の標識があって、行ってみたいところだが、そこまではいいか。1.2mとはいえ軽く往復1時間はかかるだろう。スノーモビルの跡が続いていたから余計に行きたくもなくなった。この林道は沼代シタブ線というらしい。

(放牧場)


(いい感じ)


(振り返る。間違ってあそこを登っていた。雪がなかったら振り返りもしないだろう)


 放牧地の上に戻った。雪の牧場を見てもしょうがないが、やはり何が見えるわけでもなく、さっきからずっと続いている景色だ。ここでミス。これまでになかった傾斜を南の方に登っていた。地図を見て引き返す。これを行っても戻れるらしいが、どうも距離感がある。瀑泉さんはこちら経由でたかはらに戻られている。
 放牧地を回り込む。もう雪の深いところはないが、こちらはカチンカチンのところもある。風が吹きさらしなのだろう。たまに強い風も受ける。標識が出てくる。このまま行けば「林間散策コース」で、出がけに見た展望台に出るのだろう。こちらの散策路は無視して、しばらく並行する林道側を行く。

(標識が賑やかになり)


(いろんな踏み跡も多くなる)


(たかはらの標識も出てくる)


 「草原の丘」、「ストーンサークル」、「見晴し広場」と標識は続く。どこに行っても、この広い雪景色は同じだろうと立ち寄りはしない。林道歩きに大分くたびれてきているところもある。
 そろそろ新しいスノーシューやらワカンの跡を見るようになり、ファミリーでソリ滑りをしている姿も見るようになった。別荘地らしき建物が見え、ようやくたかはらも見えてきた。スノーモビルが3台連なって脇を通って行った。騒音と臭気が残る。

(ここはショートカットでまっすぐに行ってみた。なぜか踏み跡がないためか、引き返す足型ばかりだった。障害は何もなかったが)


(ヤレヤレと駐車場)


 スノーシューを履いたままたかはらの駐車場に到着。何とも長かった。車は30台近くに増えている。何台分の方がスッカン沢の方に入ったか知らないが、正直のところ行かなくてよかったと思った。大勢の中の歩きは性に合わない。隣の車の方も氷瀑見物から帰って来たところなのか帰り支度をしている。様子を知りたかったが、こちらもお疲れのご様子なのか、そそくさと下って行った。後日、この日にスッカン沢の氷瀑見物に行った方のレポを読むと、結構な積雪だったようだ。
 滝見から戻るハイカーが続く。桝形山に行ったのは自分だけだったか。まして、大入道や剣ヶ峰に行った人もいたのかどうか。
 緊張しながら県道を下った。後ろに1台付いた。最悪のパターンだなと思ったが、そのうちに見えなくなった。カーブの凍結が気になったが、幸いにもカーブは陽あたりで凍結はない。むしろ直線での凍結が多少あったくらいだ。集落に出てほっとした。もう凍結の心配はない。

 今日の桝形山、あわよくば氷瀑見物もなんて思ったりしていたがかなり甘かった。周回せずにただの往復だけだったら可能だったか。でもないか。しかし、雪の長い林道歩きはきつかった。ずっと平坦な歩きなのに立ち休みを繰り返した。たいした距離を歩いたわけでもないのに疲労感が残った。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

塔の峰まで行ったはいいが、何ともお粗末な結末にがっくり。

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◎2017年2月18日(土)

かじか荘上駐車場(7:38)……丸石沢右岸尾根……舟石新道(10:01)……塔の峰(11:33)……舟石新道(12:42)……熊の平(13:45)……林道(14:40)……駐車場(15:10)

 塔の峰の山名板のメンテナンスに行かなければと思いつつ延び延びになっていた。5日に塔の峰に行かれたふみふみぃさんからもニス塗りが必要ではとコメントいただいた。スプレーニスはいつも車の中に入れているが、今日はザックに移し替える。
 この時期の塔の峰歩きは、舟石新道経由で登り、下りは丸石沢右岸尾根が無難だろう。未踏尾根なんかを絡め、雪の中を立ち往生したり未帰還者になっているわけにもいくまい。今回の目的はあくまでも山名板のメンテだ。余計なことは考えないことにしよう。
 目的といえば、実はもう一つある。スノーシューに相変わらずなじめず、ワカンを裏返しにしてアイゼン装着を試してみたりしたが、今一つしっくりこない。そこにふみふみぃさんの記事を見て、モンベルのアルパインスノーポンなるものを知った。便利そうだ。これならワカンの延長ぼくっていい感じだ。ただ、そんなに金もかけたくないので、安いライトアルパインスノーポンにした。カジタのアイゼンでないとダメらしいが、今は使っていないカジタックスがあるので、これを使えばいいだろう。ということで、この使用感も今回の山行の目的に追加している。

 改装工事中のかじか荘を左に見て、駐車場。車は一台もない。この先の林道凍結が恐ろしく、ここに車を置いて舟石峠の方まで歩くつもりでいたが、それは登りの林道2キロ歩きでもあるし、やっかいな作業だとは思っていた。幸いにもここまで凍結はなかった。大丈夫だろうと、道路に横たわった太い枝をどかして先に行く。
 すぐに凍結が出てきた。四駆ロックにせずとも2回ほどクリア。これは楽勝かと思ったら、カーブの先に日陰ながらもテカテカに光った獰猛そうな凍結が出てきた。かなりのデコボコになっている。そのまま突っ込んでみると、途中で車が尻を振ってタイヤは空回り。ここでようやく四駆ロックにした。車は後ずさりしそうな気配。アクセルを踏むと車が泳いだ。ちょっと進むとすぐにズルっと下る。思いっきり両ブレーキを踏んで止めた。止めたままで外に出る余裕はあった。周辺を様子見でうろつく。ガードレールはなく、ヘタすれば下の沢に落ちそうだ。これはJAFかなと思ったが、ここで携帯は使えない。取りあえず先に行って、帰りは本山側に出ようかと車に戻ったが、相変わらずアクセルを踏んでも先には進まない。尻を振るだけ。もうあきらめだ。幸いにも下のカーブの手前が待避場になっている。前進から後退に。このバックもまた手こずる。ましてカーブだ。滑ってすんなりとはいかず、擁壁にぶつかりそうになった。前進し直し、ハンドルを切り替える。ハンドルはやけに軽く回り、タイヤの向きがどうなっているのかも知れぬままに、擁壁への激突は避けて退避場にようやく持って行った。ここで4、5回切り替えて下る。下り途中の凍結が気になったが、スリップもせずにかじか荘上の駐車場に車をおさめた。運転技術が巧みだったらあっさり突破もできたろうが、こちらは何十年車に乗っていてもこのレベルだ。山登りの前にぐったりし、えらくノドがカラカラになってしまった。凍結路がさらに嫌になった。これでは赤城山も中禅寺湖にも行けやしまい。
 ここで、げんなりしながら準備をし、予定コースとは反対に、丸石沢右岸尾根を上りルートにすることにする。気分だけではなく身体も重くなってしまった。

(仕切り直しで駐車場から象山)


(ちょっとばかりの林道歩き)


(橋から)


 こちらの林道もまた凍結している。ツララがあちこちに垂れている。滑るのをしばらくこらえたが耐えきれずにチェーンスパイクを巻く。サクサク歩きになって、いつもの丸石沢右岸尾根取り付きに着いた。沢の小滝は凍ってはいないが見るからに寒々としている。

(雪は少ないが岩場だから緊張はした)


(植林の中はこれくらいの雪)


(雪がなくとも下はガシガシになっている)


 小尾根を登って沢を渡る。こちらの溜りは凍っている。昨日の高温で雪がだいぶ少なくなったのか、斜面はむき出しになっている。下は凍り付いているがチェーススパイクで問題なく登れる。岩場の登りは要注意。足元に用心しながら植林の中に入った。ここまで来れば後は淡々とした登りになる。
 作業道が交差する。この作業道、左に行ったことはあるが右に行ったことはない。どこに通じているのかいつも気になっている。いつか歩いてみないと。ここはそのまま植林尾根を直登。残った雪の上に足型があった。下り向きだ。もしかしてふみふみぃさんのだろうか。だがすでに2週間前だしなぁ。この足型、塔の峰までの区間、ところどころに残っていた。その後に降雪も降雨もなかったら、窪みが残っていても不思議ではないか。
 次の作業道交差。ここもまた右に続いている。左は去年、主目的にして追っかけた。途中で危険を感じて尾根に乗ったが、いずれは先を歩いてみないことには。右もまたしかりだ。ただ、林道に下るだけだったら意味もないので、下り時に確認だろう。

(1286m標高点ピークだろう)


 植林をぜいぜいしながら登ると、西側が開けたところに出た。1286m標高点らしきピークが左に望む。その後ろになだらかげな小法師尾根。おそらく見た目以上にラッセルを強いられるだろう。
 植林を抜け出し自然林になった。そういえば、この尾根、下り専用で使っていたが、上り使用は初めてかもしれない。それだけに景色も新鮮に映ってくる。この先はずっと自然林になる。たまに左から植林が入り込むこともあるが、自然林との間を登ることになるはずだ。

(やがてこうなった)


(東側、舟石新道が横筋に見える)


 右側の視界も開け、視界といってもたいしたものではないが、斜面の間に舟石新道が山腹に筋状直線に見えている。意外に危ういところに付いているように見えるが、別に断崖絶壁の際を歩いているわけでもないし、緑もないので余計にそう感じるのかもしれない。

(ここで履き替え)


 雪が締まっていて、チェーンスパイクでしばらく歩いたが、自然林も疎林になってくると次第に雪が多くなり、ヒザまでくるようになった。ここでとっておきの武器を試してみることにする。チェーンスパイクを外して、12本アイゼンに代え、例のライトアルパインスノーポンを履く。やけに軽いが、こんなちゃちな道具で大丈夫なのか。休みついでに上着のヤッケを脱いだ。気温は-5℃だが、身体は暑くて汗ばんでいる。

 このスノーポン、前部は上にカーブしていて機能的だが、ワカンに比べ後部の遊びが気になる。そのためか、しばらく先に歩いていくと、かかとへの負担が大きく感じるようになった。これは登り下りともに同じだろう。下りでは脛に負担を感じるかもしれない。また、ワカンに比べてパイプが細い分、ガシガシ歩きはできず、やわらかい雪の上では安定感に欠けそうだ。すぐに、これはどんなものかなと思ったが、アイゼンを付けているからそうなのかもしれないし、単体で使ったらもっと機能的かもしれない。さらに、7千円高い「ライト」なしだったら、難点も見つからないかもしれない(もっとも、スノーシューを持っているのにわざわざライトなしを買うのもどうかとは思うが)。ただ、謳い文句が「ワカンとアイゼンの良いとこ取り」ということなら、単体使用ではワカンが優るということか。いずれにしても、今日はこれに履き慣れるしかないようだ。

(先人の足型。写真は前後している)


(丸石沢右岸尾根の終点ピーク)


 先人の下り足型、この辺はワカン以外のスノーシュー系を履いていたようだ。おそらく植林手前で脱いだのだろう。塔の峰に至る間に長い足型を散発的に見かけた。それにしても、この時期にここを単独で歩く物好きは足尾のRRさん、ふみふみぃさん、そして自分以外にいるとは思えず、まして鳥獣保護区ではハンターのものでもないだろう。とすれば、ネットに関わりを持たない隠者ハイカーでない限り、やはり2週間前のふみふみぃさんの足型としか思えない。もしくは知らない間に瀑泉さん?

(舟石新道。シカの踏み跡なし)


(そのまま直登)


 出発から2時間20分かけて舟石新道に合流した。雪が締まってきているとはいえ、雪の上の歩きはやはりしんどい。ここまで来る間に、塔の峰に行くのはやめにして、舟石新道に出たら、新道をそのまま下ってしまおうかと何度思ったことか。ここで休憩している間にも退散誘惑は続き、天気が悪くなってくれないかなと期待なんかしている。しかし、その気配はなく、薄日とどんよりした天気は続いていて、風もさしてない。
 舟石新道を突っ切る。日ヶ窪峠まで出るつもりでいたが、新道にはシカの踏み跡すらなかった。正面の枝尾根でも問題はないだろう。ところどころに例の足型も見えるし。ここは確か歩いたことがないはずだ。

(男体山が見えてくる)


(振り返る)


(一息ついて南側)


(袈裟丸山も)


 なだらかに見えていたが、結構急だった。20歩も歩かずに休む繰り返しになった。雪が硬いところを歩いているつもりだが、見た目ではわからずについ踏み抜いてしまう。これが続くとげんなりし、正面が無情な壁続きのように見えてくる。フカフカ雪でないだけまだましだ。日ヶ窪峠からの尾根に合流した時にはほっとした。傾斜も若干緩くなり、これなら何とか塔の峰まで行けるかと。
 右手に男体山と半月山が見えてくる。塔の峰に続く東尾根が正面に見え、その後ろに中倉尾根がちらっと覗く。さらに後ろは中禅寺湖南岸尾根か。稜線がいくつも重なっている。それにしても男体山の存在感はあるなと改めて感じてしまう。
 風が強くなってきた。次第に吹きさらしになってきたのか、踏み抜きはあまりない。足型も消えている。ふだんならヤブだろうが、別に苦もなく進んで行けそうだ。ただ、身体は追いつかないままだ。岩場が出てくる。左から巻いた。ずっと高度計を見ながら、あと200m、100m、ようやく2桁…と歩いている。気力だけでの歩きになりつつある。

(この辺はヌタ場だが、この時期は吹きさらしなのだろう)


(大平山は真っ白だ)


(たまにこんなところも)


(もう少しだ)


(もう死んでいるとは思うがプライドだけは生き残っているのか)


 大平山がはっきり見えるようになると、またしても踏み抜き。それでいて足型は残っている。そちらに移動すると、多少は楽だ。着雪の薄い林に入る。もう一歩のところだ。

(塔の峰到着)


 塔の峰は強風が吹き荒れている。雪は飛ばされ、周辺の地肌がむき出しになっている。これは長居は無用だがやることはやらないと。ザックを飛ばされないように倒木の前に置き、早速、スプレー缶を出して山名板に吹き付けた。
 まさか山名板が真っ白になるとは思わなかった。ニスのスプレーかと思っていたら、白ラッカースプレーだった。百均で買ったスプレー。以前も白と無色ニスを間違えて使い、見た目が同じ缶だから慎重になってもいたし、昨晩もまた新聞紙に吹き付け、これは透明だと信じきっていた。ザックから慌ててペーパーを出して拭ったが、板のささくれだったところは白が定着してしまい、落とせない。全体に白っぽくなってしまった。何という失態。そんなはずはないと倒木に吹き付けたらやはり白になった。よく見ると、缶には、小さなシールが貼ってあって、「ホワイト」と記されていた。帰ってからまた新聞紙に吹き付けると、やはり白にはならずに文字がそのまま読めた。このスプレーはいったい何なのか。簡単に間違ってしまった方が悪いが。

(皇海山とオロ山)


 もうこうなったらどうにもなるまい。今日の結末はこのザマだ。板を汚しただけ。板に対する愛着もあったのでとてつもなく悲しくなった。このままでは山名板もみすぼらしいものとしてさらされる。それでは気の毒だ。今度来る時は新規の山名板持参だな。次は五代目か…。もう百均で間に合わせはすまい。そもそもここの山名板、元々あったのが飛ばされ、ハイトスさん設置板も飛ばされた。こんな隠れた名山に山名板がないのはかわいそうだと、5年前から余計なお世話で付けてきた。由緒も歴史もない山名板だ。その間、手書きから手彫りにしたり、他の大きな存在感のあり過ぎる山名板が登場したりもしたが、自分の板だけは生き残った。白っぽくなってしまった山名板、春のツツジの頃まではそのままで耐えてもらいたい。ゴメンな。
 何とかあきらめがつき、通常の神経に戻ると、なぜかサングラスの視界が悪いのに気付いた。メガネを外すと、左右のレンズ一面に白いブツブツが付いている。風で流されてきた細かい雪かと思ったが、手ぬぐいで拭っても取れない。よく見ると、白スプレーの飛沫だった。板に吹き付けた際、逆風であたったのだろう。さらに、着ているフリースの胸元にまでブツブツが付いている。メガネは特別に支障もないのでそのままかけた。

(下る)


 吹き荒れる寒風の中、じっとして震えながら懺悔を続けるわけにもいかないので下る。風のないところで休憩して食事にしよう。自分のトレースを辿って下る。
 自分のさっきまでのトレースとはいっても、下るとなるとズブズブと入り込む。登り下りの体重のかけ方でこうも違う。当初は北側の、熊の平につながる尾根を下るつもりでいたが、こうもぬかるのでは四苦八苦しそうだ。今日のところは舟石新道経由が無難だろう。さりとて、このまま来たルートを下るのでは面白くもないので、途中からそのまま東に下る尾根を使うことにする。

(東に下ってみる。なだらかに右にカーブしている)


(舟石新道に出る)


 自分のトレースに別れて東に。この尾根は来る途中にも見えていて、下るには無難な尾根に思えた。おそらく、ここも初歩きの小尾根かと思う。実際にもなだらかな疎林で、しばらく行くと、ゆっくりとカーブする尾根先も見えている。下りきると舟石新道に合流するはずだ。風が止まったところで休憩。ポットの湯でスープを飲み、おにぎりを食べる。そして一服。
 そろそろ舟石新道かと思えるところで急斜面になった。下には新道らしき道型のようなものが見えている。このまま尾根を下ったのでは危うい。樹に抱きついたにしても間隔が開き過ぎ。ここは無理せず、緩斜面の左手沢側に下る。見えていなかったが、新道もまた沢側に迂回して延びていた。まずはドンピシャというところか。

 実は、尾根を下る際に、ちょっと転倒した。これは左足のアイゼンの後ろ歯がスノーポンのパイプを噛んだためにひっくり返ったのだが、そもそも、このカジタックスをしばらく使わなかったのは、靴に合わずにしょっちゅう緩んだり外れたりしていたためで、これはスノーポンのせいではない。トラブルが急斜面のところでなくてよかったと言えよう。
 舟石新道は雪も少なく、地肌が出ているところもある。もうスノーポンも必要あるまいと外し、アイゼンバンドを改めて締め直す。結果的にはチェーンスパイクでも問題はなかったが、熊の平先の例の谷筋が凍結しているのかもしれないので、アイゼンはそのままにした。

(相変わらずの舟石新道)


(熊の平)


 舟石新道もこの辺になるとシカ道となる。プレートも続くし迷うこともないはずだが、一か所、下るプレートを見失ってしばらくさまよう。関係のないシカ道を追っていた。いくら先に行ってもプレートが出てこないのでそのまま戻り、下に見えたプレートで復帰する。ここは、間違ったら、尾根にぶつかったら下れば新道に出られるものだが、新道が上にあったらやっかいなことになる。やはりプレートを律義に追うしかないだろう。こんな、しっかりしたプレートが続きながらも、プレートの脇にピンクテープがヒラヒラしていたりする。こういうのは目障り以外の何物でもない。プレートの間隔が開いたところにでも付ければいいのに。

(中倉山と男体山を樹間に見て休憩)


(谷越え)


 熊の平に到着。ここまで来れば時間的にも安心だ。樹間に男体山と中倉山を見ながら休憩をとる。だが、山頂での失態がどうも頭から離れない。あ~ぁとため息をつくばかりだ。
 例のところは凍結もなくあっさり通過でちょっと拍子抜け。向山と1200m級ピークの鞍部でアイゼンからチェーンスパイクに履き替える。もう雪もないに等しいが、落葉の下が凍っている可能性もあるし、林道に出てからも凍結は続いている。用心だ。

(明瞭になって)


(林道に出る)


(鳥獣観察舎)


 道型が明瞭になったところで最後はあやふやになる。林道が下に見えたところで適当に下って、鳥獣観察舎の東屋の少し上に出た。ここで休憩。「かじか荘休館のお知らせ」が貼ってある。9月末まで改修工事か。山歩きと温泉がセットの方には、知らずに庚申山にでも来たらがっかりだろう。

(朝のトラブルスポット)


 林道を下る。ところどころで凍結はあるが、陽があたったせいか、朝のガチンガチンはない。自分が立ち往生したところとて、デコボコも目立たず、今なら通れるかといった状態になっている。ただ、ここは日陰になっているから、素人ドライバーではしばらく朝の通行は厳しかろう。

(駐車場に着く)


 駐車場に到着。車は他にない。今日は自分だけか。庚申山にもだれも入らなかったか。あちらは雪も深いのではないだろうか。
 片づけをしていると、舟石峠の方からパジェロが下って来た。典型的なハンター姿のオッサンだ。歩いている間に巣神山の方から銃声が聞こえていたが、備前楯山の方にもいたようだ。

 かなり疲れてしまった。7時間半とはいっても、出だし前からトラブルがあったり、目的を達せずの気落ちもあった。この時期の歩きとしては満足な山行のはずではあるが、どうも気分的にすっきりしない山行になってしまった。次に行くとすれば、ツツジの頃になってしまうだろうか。
 もう一つの目的、ライトアルパインスノーポンの使い勝手だが、今回の歩きだけでは何ともいえない。別条件下では威力を感じるかもしれないし。ただ、自分はワカンの延長としてとらえているが、そういう類の道具ではないかもしれない。

(足利)越床峠周辺ブラブラ歩き

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◎2017年2月24日(金)

樺崎八幡宮駐車場(7:50)……雷電山157.3m三角点(8:40)……足利鉱山ピーク(10:05)……越床峠(10:23)……255.6m三角点(11:13)……城山(11:28)……駐車場(11:45)

 土日が出勤となったので金曜日の歩きとなったが、今週に入ってから、首から指先にかけての痛みが再発し、寝返りもきつい状態になっている。ちょうど一年前にも同じ状態になり、病院をあちこち回り、最終的にはペインクリニックで改善した。今度も早いうちにペインクリニックに行っておいた方がよいだろうと、金曜日は通院優先にせざるを得ず、山歩きはその合間のことになる。取れる時間も少なくなってしまった。
 実は、でんさんから、越床峠の旧トンネル跡の探索を暗に提示されていたこともあって、その探検にでも行こうかと思ったりしたが、それだけでは何とも寂しい。ついでに回るとすれば、未踏区間の越床峠と北の255.6m三角点区間か。当初は大小山の北側一帯を含めて歩いてみようとも思ったが、ストリートビューで見ると、道路沿いにはフェンスが続いているようで、これはボツにした。雷電山(157.3m三角点)経由の周回が無難そうだ。
 余談だが、この雷電山、この周辺には少なくとも他に2つの雷電山があるようだ。塩坂峠南西尾根上の220m級ピークと寺久保山の南。それぞれにいわれはあるのだろうが、こう雷電山だらけになると、口頭で説明すると混乱してしまいそうになる。

(樺崎八幡宮から出発)


(結局は避けた国道沿いの歩きになってしまった)


 樺崎八幡宮の駐車場に車を置き、車道歩き。今日はかなり冷たい強風が吹いている。地図を見る限り、そのまま国道に向かい、国道沿いを歩けばいいのはわかっているが、それを避けたいがために迂回した。これが余計な歩きになり、途中で歩いている方向がわからなくなったり、あらぬ方向に行ってしまったりと、しまいにはGPSと地図を照合する始末になった。早々にムダな時間を費やしてしまった。

(ここから。もう尾根は見えている)


 結局、騒音の国道わきの歩道を通って寺に出た。門には蜜蔵院とある。この先にある神社マークのところから取り付きたかったが、すでに路地に入り込んでいて、この先に行くのもどうかと、目の前にあるヤブっぽい斜面を登った。すぐ尾根に出るはずだ。

(神社らしき建屋)


(しっかりした道)


(市街の展望は良好。富士山が見える)


(石祠)


 滑る斜面を登るとあっさりと尾根に出た。しっかりした道が通っていた。右下には神社のような建物も見えている。この道は使えるのか。尾根からかなり外れてはいるが、迂回しながらも上に向かっている気配。これを追って登ると、ベンチが転がり、石祠のあるところに出た。石祠は下の寺で設置したようだ。ただ、石門は「蜜」の字になっていたが、石祠に彫られた文字は「密」になっている。展望は良い。富士山も見えている。じっとしていると寒いので、先に行く。

(255.6m三角点。雷電山)


 255.6m三角点に着いた。足利百名山雷電山の山名板が置かれている。周囲は木立とヤブで、展望はさっきのところの方が良かった。しっかりした道もここまでで、あとは小道になった。
 左はゴルフ場。そのヘリを歩いている。意外に起伏が多く、岩混じりにもなった。歩行に支障があるようなものではない。浅間山も見えてくる。風が強くなければ気持ちよく歩けそうな尾根だ。それでいて、汗が出てきて、身体が冷え込んでくる。

(こんな感じだが)


(こんな岩も出てくる)


 189m標高点通過。ここを歩かれた仮面林道ライダーさんの記録を後で拝見すると、ここに標高板が置かれていたらしい。これには気づかなかった。もしくは飛ばされたのか。
 南からのハイキングコースに合流した。この先越床峠までは、以前、長林寺から大坊山に行ったので、歩いたことはある。ハイキングコースに入ったところで、こんな風の強い平日に出会うハイカーはいない。

(ハイキングコースの歩き)


(大坊山)


 次第に早いとこ済ませてしまいたいという思いが出てき、自然に足も速まっている。ベンチのある小ピークは素通りし、大坊山が右手近くに見えてきても、行ってみようかなといった気持ちすら起きない。とにかく寒い。

(変化はある)


(鉱山のピークへ)


(鉱山ピーク)


 足元が不安定なところを通過していくと、先に足利鉱山のピークが見えてきた。あそこを登る気にはなれず、迂回路を歩くつもりでいたが、その迂回路の標識が「シルバーコース」となっていたのでヤメにした。せめてただの「迂回路」や「楽チンコース」標示だったらためらいもしないが、シルバーコースでは足も止まってしまう。仕方なくピークに向かった。
 やはり風がビュービューで、ロープが張ってあるから何とか救われるといった感じだ。そそくさと下ったが、ここは見晴らしが良いところだ。下りかけると、しばらく焼け焦げた臭いが続いた。鉱山は稼働しているから、そこから発する臭いだろう。

(山頂番屋)


(ここを逆に歩いたらきつかった記憶がある)


 無人の山頂番屋をうろつき、越床峠に向けて下る。途中、「ちょいやさしいコース」なる迂回路標識を見かけた。このレベルなら迂回してもいいかなという気にはなるのだが、シルバーでは烙印を押された気分にもなる。

(越床峠)


(閉鎖された旧道)


 旧道へのショートカットは素通りして越床峠。ここから先が未踏区間となる。標識には「現在地越床峠」とあるから、下の旧道上ではなくここが峠なのだろう。
 旧道に出る。時計を見ると10時23分。ここから未踏区間を歩いて八幡宮まで1時間半くらいだろうか。となると12時。病院の午前中の受付は12時半まで。去年行った病院は足利にある。何とか行けるか。午後からだと受付も3時からになって時間のムダ遣いになる。これなら午後からは映画も観に行けるだろう。先日映画に行って予告を見ながら、これ観たいなと思った映画がある。スマホで上映時間を確認すると楽勝のようだ。
 ということで、トンネル跡の探検はキャンセルしたが、ここは全体に薄暗く、陰気な雰囲気になっていて、この周辺をうろうろする気にはなれないなといったところもあった。日を変えて出直そう。ただ、夏になれば、青葉でさらに薄暗くなるかもしれないなぁ。こんなスポットに興味を持つ人はいないだろうし、自分とて積極的に見たいわけでもない。たまにそんなのもアリかなといった程度のものだ。

 ここから先の尾根に取り付くのに、瀑泉さんとでんさんとのコメントのやりとりがあったのを知っていた。確か左に行って右とかということだったな。ちょい左に傾斜の緩そうな、踏み跡もありげなところがあったが、もっと楽なところがないかと、倒木を潜って先に行くともうゲート。やはりあそこしかないか。

(未踏区間の歩き)


 戻ってちょっとヤブめいたところを上がると、右下から明瞭な踏み跡が上がって来ていた。この感じからすると、この踏み跡の出どころは左ではなく右からのような気がするが。まあいいやと先に行く。

(振り返って。足利鉱山のピーク)


 足利鉱山のピークが遠ざかり、下に鉱山の敷地が間近に見えてくる。重機が動いている。この辺は焼け焦げの臭いが強い。風があるから強いのか、もしくは、風が強いからいつもより弱いのか。振り返ってピークを見ているうちに、先月鳩の峰に行った際、こちら側に威圧感のある2コブの山が見えていたが、あれはやはり鉱山ピークだったか。そうではないかなと思ってはいた。

(最初の石祠が見える。峠になっている)


(2基目)


 ここもまたのんびり歩きにはよい尾根道だ。少なくとも風がなければの話。展望もいい。
 越床トンネルを真上を通過して一つ目の石祠。ここは峠のようになっていて、西側に踏み跡が続いている。馬坂という地区に続いているのか。石祠の文字は読み取れない。
 次の石祠は小ピークの上。側面の文字で読み取れるのは「●野領 赤見村」だけ。だれが納めたのか、中に焼き物の像が入っている。主意違いの仏像を無理に入れなくてもいいのになと思うのだが。

(255.6m三角点)


 岩が出てきて255.6m三角点に到着した。予定区間はこれで歩いた。この先は、城山に向かって、北西尾根を下れば近道か。三角点石標に腰かけてタバコを吸っていたら、突然、後ろから声をかけられた。「コンニチワ」。心底びっくりした。2人組のオッサンハイカーだった。まさかこんな日に同類がいようとは。
 お二人、樺崎八幡宮から塩坂峠に出て、下っている途中だったらしい。自分の下るコースを聞いてきたので、上りでの使用があるので説明したが、彼らはどうも、最初に見た例の石祠のある峠から下るようだ。駐車場で一緒になったら、様子を聞いてみるつもりでいたが、会うことはなかった。

(城山)


(終点ゲート)


 城山から北西の尾根の様子を見にいくと結構なヤブになっていた。時間が迫っている時にヤブで真っ白けになっているわけにもいかず、踏み跡をそのまま下り、集落に出てから八幡宮に急いだ。ほとんど急ぎ足になっていた。

(道端で)


 4時間の慌ただしいハイクだった。しかし今日は寒かった。先日、社山に向かった時も強風にあおられた。あれも金曜日だったか。
 病院には間に合ったが、すんなりと診察ということにはならず、終わった頃にはすでに映画どころの時間ではなくなっていた。

(今回の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

小法師岳のつもりで出かけたが、ズボズボ雪であっさり退散。

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◎2017年3月4日(土)

庚申ダム管理事務所脇駐車場(7:16)……659m標高点からの尾根に乗る(7:36)……1030m標高点付近(8:45~8:58)……1326m標高点付近(10:50~11:00)……1425m標高点・雨降沢の頭(11:37~11:54)……巣神山(12:38~13:00)……(破線路下り)……1120m標高点付近(13:26)……駐車場(14:36)

 久しぶりに夜半沢ルートで小法師岳に行くつもりでいたが、地図を見ていると、庚申ダムの先、659m標高点から北西に延びる尾根が目に付いた。一本調子ではないが、うまく歩けば1030m標高点と1326m標高点を経由して小法師尾根に出られるのではないか。
 ただ、地図を見る限りは難点が3か所ほどある。一つは659mの取り付きの状態。二つ目は標高1000mから1050mにかけての区間の等高線が波打っていて締まりがない。これは何なのか。そして三つ目は1150mに接して東側に崖記号が入り込んでいる。無事に通過できるのか。取り付きの件は、ストリートビューで確認すると擁壁が続いていて、本尾根の末端からでは無理のようだ。となると、北の小滝側の枝尾根か、庚申ダム管理事務所のあるあたりから続く不明瞭な斜面利用となるか。滝沢遡行という案がなくはないが、涸れた沢ならともかく、確か流れがあるはずだ。残り2つの難点は現地で確認するしかないだろう。通行できないようだったら、南側の枝尾根に逃げるしかあるまい。

(滝沢。帰りに撮影)


 滝沢にかかる橋から滝沢を見ると、水が勢いよく流れていた。滝沢案は早々に却下。ショボい沢であってもこの時期の沢遡行は無謀というもの。取りあえず管理事務所先の駐車場に車を置いたが、目の前からでも取り付けそうだ。小滝の方まで見に行く必要もあるまい。駐車場の前から小滝の方に擁壁が設置されていて、上にフェンスが続いている。そのすき間をずっと行けば、659mの上まで行けそうだが、そこまで末端からの歩きにこだわることもないだろう。

(ピンボケだがお稲荷様の頭。典型的なイヌ科のキツネの表情だ)


(石ゴロゴロ)


(石ゴロから抜け出すが、ここもまた急だ)


 取り付きには、かつてここにお稲荷様があったのか、キツネの頭が台座の上に載せられている。いつも車で素通りしていて、こんなものがあったとは気づきもしなかった。この裏手から入り、右手、北方向に向かうとする。
 斜面には大量の石がゴロゴロしていた。ここを登って行くのには抵抗があり、石の合い間を縫って渡ると、落葉の堆積した急な斜面が待っていた。明瞭な尾根型にはなっていない。結構滑る。右手先が植林帯が見え、植林に入れば少しは楽かと、植林に逃げ込む。

(植林に逃げ込むが、ここもまた急斜面)


(本尾根に乗る)


 ここもまた見上げるような急斜面になっていたが、ところどころに作業道が通っている。さりとて、この作業道が本尾根に向かっているとは思えない。別方向に下っていたりする。作業道を使っても、肝心なところは急登に耐えるしかないようだ。
 大岩を越えると本尾根に出た。傾斜もいくらか緩やかになり、尾根型も明瞭になっている。ここまでかなり体力を費やしてしまった。こんなに急とは思ってもいなかった。ぜいぜいしながら一休みする。

(出どころはどこなのか、作業道が入ってきたりする)


(見下ろす)


 本尾根もまた植林尾根だが、次第に北側の展望は樹間越しながら覗いてくるようになる。真っ白なところからして、あれは中禅寺湖南岸尾根だろう。こんな景色がせめてもの救いといったところで、安心していたら急斜面は断続的に続いていた。ここであれっと思ったのは、落ちた杉の枝や倒木に燃えた跡が一面にあったこと。これはこの程度で済んで幸いだったろうが、だれも気づいていないのか。
 傾斜が落ち着いたところで石標やらピンクテープが目に付いた。標高830m付近だから南からの枝尾根の方から続いていたのか。ということは、自分が入り込んだルートを西側に回り込んで本尾根に上がるルートがあるのかもしれない。テープを見た瞬間、先人がいたのかとがっかりもしたが、いつもの余計なお世話テープなのか、作業用のものなのかはこの時点では不明。ピンクテープはこの先しばらく続いたが、あらぬ方向にも付いていたりするから、作業用テープの可能性の方が高い。

(忽然とケルン)


 大石4枚重ねのケルンがあった。今回の歩き唯一のケルン。ついあの方かなと思ったりするが、RRさんがこんなところを歩くとは思えない。また形状からしてRRさんのものとはほど遠いが、この辺は、見回すと手頃な石がないことは確かで、大きな石しかなかったのでこのケルンかと思えばうなずけもする。

(ようやく落ち着いて明瞭な尾根)


(南岸尾根がちらり)


 明瞭な尾根が続く。いつの間にやら植林は消え、自然林の中の歩きになった。右手がすっきりした展望スポットになったりもするが、名のある山は目先の無名峰の連なりに隠れてしまっている。

(下ると)


(これでもかなり急斜面になっていて、ここは回避し)


(こんなところを登ってしまった)


 脆そうな危うげなところを下り、岩混じりの登りになった。見上げる。これはちょっと手強い。地図上は、登り上げれば950m等高線のベローンとしたところに出るようになっている。登れなくもないが、転落する可能性もありだな。ふと、左手にピンクのヒラヒラが見えた。呼ばれているような気分になり、巻きルートを期待して追いかけると、ずっと先に向かっている。これではダメ。やはり作業用テープか。ここで元に戻ればよかったが、安易に脇から適当に尾根に出る算段をしてしまい、これがまた悪戦苦闘で尾根への復帰に10分以上を費やした。ここは慎重に尾根通しが正解だったろう。

(広角ではないのでこの程度だが、ここは多重稜線で雰囲気が良かった。進行方向は手前から左)


(1030m標高点付近)


(男体山と)


(塔の峰)


 幾分なだらかな尾根になった。東側からも尾根が入り込み、多重稜線といった感じで、これがまた美しい眺めになっている。車道を先に行って707m標高点あたりから登れば最短でよかったかなと思えど、庚申川を渡るのでは無理な話だろう。1030m標高点に到着して休憩する。男体山と社山、塔の峰が見えてきた。
 ここまで装備もなしに歩いてきたが、そろそろ雪も出てきたし、地面むき出しもまた硬くなってきている。チェーンスパイクを巻く。しばらくはこれで大丈夫だろう。

(岩が出てくる)


(前方右手に崖マーク地点)


 大きめの岩も続いて出てくるようになるが、歩行に特別な支障はない。傾斜もないに等しいところだが、これはあっという間に終わり、そろそろ等高線ふにゃふにゃゾーンに入りつつある。前方に小ピークが見え、その右側には、あれは崖マークのところか、岩盤がむき出しでスダレ状になっている。この感じでは、あの小ピークまでの間に岩盤が割り込んでいる気配はないようだ。

(ピンクと黄色)


 尾根上に雪が出てくる。なぜかここに来て古い黄色のテープが交じる。滝沢遡行をすれば、その先は尾根上になってここに出るはずでもあるが、その目印だろうか。つい意識が先人ハイカーの有無にこだわってしまうが、こういったテープもまた結果的には作業用のようで、長くは続かないし、いずれは南の植林の方に続いて行く。それはともかく、ここで微妙な尾根の乗り換えがあった。そのまま直進すると、尾根先はスパッと切れ崩壊していた。左側から別口の尾根が合流し、そのままの態勢でそちらに乗り移るといったところだろうか。
何となくふにゃふにゃ等高線の意味がわかった。つまりは尾根らしくない小尾根が雑多にあるということだろう。迷うようなものとか、地形が凸凹といったようなものではなかった。

(右が崖マークかと思ったが)


(実際は先の右にちらりと覗いている。ここもまたかなり急なのだが)


 右手に岩場が現れた。その時点ではこれが崖マークの正体かと思ったが、さっき見た距離からしてちょっと早いような気がしないでもない。
 急斜面が待っていた。これが最後のダメ押しであることを願いたい。この辺は斜面も広く、樹を頼って行けるし、場合によっては抱きつきでの登りもできる。ちょっと安定したところで右の様子を見に行くと、ここに崖マーク部があった。地形図では窮屈な尾根に崖が接しているかのようになっているが、実際は崖を見ずともに登れる。見たかったら右端を歩けばよい。

(ようやく本格的に雪が出てくる)


(こんな感じで防火線風)


(何日か前のワカン跡)


 急斜面を登りこなすと、その先は雪原になっていた。登るに連れて緩やかになった。ここで休憩して一服。さて、ワカン+アイゼンを試してみようかと思ったが、雪質からしてわざわざアイゼンを装着するまでもない。ワカンのみにする。
 雪は締まってサクサクと歩ける。踏み抜くところもない。たまにワカン跡を見かけるが、いずれは左右に移動しているのでハンターのものだろう。犬の足跡のようなものも見える。ここは狩猟可能エリアだが、今のところ銃声は聞こえない(後で知ったことだが、狩猟期は終わっているようだ)。しかし、雪の上にシカの足跡はまばらだ。ここまでの間に見かけた動物はシカ1頭とサル3頭のみ。この先も見かけることはなかったし、警戒音も聞こえなかった。

(せめて立木が半分だったらなぁ)


 気持ちのよいスノーハイクが続く。すでにテープ類は消えて久しい。ここもまた防火線だったのか、遠目で見ると、一本線上の空間が続いているようにも見える。ここでせめて右手・北側の展望が開けていれば最高なのだが、どうしても樹間越しになってしまうのが残念だ。このままの調子なら、小法師岳まで難なく行けるなぁなんて、この時点では思っていたりしている。
 だれもいない静かな雪原の尾根、とてつもなく満足感を覚える。

(1326m標高点付近)


(振り返って)


 1326m標高点付近で一服。夜半沢ルートで来ていれば、この辺に上がってくるはずだ。不思議なことに、上に出るに連れて、雪が少なくなってきているようで、地面が顔を出しているところが目立つようになっている。ただ、雪質は変わらずにサクサクだ。
 間もなく巣神山からの破線路に合流。そちら側からの踏み跡や窪みはない。ここには鳥獣保護区の看板が立っている。環境省では保護区にし、栃木県では狩猟可能となっている。有名無実化、建前と本音といったところか。

(以前来た時、ここは雪庇状になっていた)


 さて、なぜかここから雪質が悪くなった。陽当たりのせいなのか、雪がズブズブになった。しばらく地面むき出しのところも続き、先が雪なのでそのままワカンで歩くが、雪が復活すると、今度はやたらと踏み抜く。おそらく時間的なこともあって、数時間前ならこれはなかったかもしれない。次第に急登の疲れもぶり返してきて、今日は未踏尾根も歩いたことだし、無理に小法師岳まで行かずともにいいかといった気分になってしまった。

(雨降沢の頭)


 1425m標高点(雨降沢の頭)に到着し、ちょっと先に行ってみると、やはりズブズブ。さらに残雪も多いのでやっかいそうだ。この辺でやめておこう。そうと決まれば、倒木に腰かけてゆっくり休憩。小法師岳にさほどの未練は感じなかった。これが、歩いたことのあるルートで来ていれば別な感慨も出ていたろう。さて、ここから見えた庚申山、まさかこの時、サクラマスさんがあそこを歩かれているとは思いもしなかった。自分なら、塔の峰や小法師岳には行っても、この時期の庚申山は思いもつかない。あの雪の着いた岩場続きの歩きは恐怖そのものだ。とはいっても、20年以上も前に、大晦日に庚申山荘に泊まり、翌日、ラッセルして庚申山まで登ったことがあるが、その時は恐怖も感じなかった。相方が2人もいたからだろうか。
 下りの予定は巣神山経由だが、どこを下るかといった具体案はない。まずは巣神山だ。そこで考えよう。
 下る途中で改めて気づいた。自分のワカンはカーブなしの平らなものだが、下りでは妙に先が雪に引っかかる。これまで意識もしなかったが、やはりワカンはカーブしている方がいいのだろうな。

(下る)


(巣神山へ)


 分岐に着いて標識を探す。なくなっている。以前は原向駅方面の標識が置かれていた。標識といえば、実は小法師岳、巣神山ともに山名板の有無の確認があった。なくなっていたら設置しようかと。よく来る山だからそう考える。めったに来なければ考えもしないし、他人様の山名板があればわざわざ出しゃばるつもりはない。小法師岳にあったのは知っているが、冬もそろそろ明ける頃だから、どうなっているかと気になっていた。

(雪がめっきり少なくなる)


(巣神山)


 巣神山方面に入ると、やはり雪質は同じでベトベトになりつつある。こちらの積雪は少なく、地面も出ていて、わざわざ雪のあるところを選んで歩いたが、むしろこれが歩きづらく、途中からワカンを外し、念のためのチェーンスパイクにした。もう雪のないところを歩いた。とはいっても、残っているところは膝まで踏み抜く。
 巣神山に到着。山名板はあった。あるなら余計な仕事はすまい。ここでランチタイム。つい、岩の上に寝そべってしまったりしたが、そろそろ風が出てきているようで、動かずにいるとやはり寒い。

 下りは破線路基調のコースだろうか。ただ、あの破線路コースの通しは、植林に入ってからが暗くて陰気でどうにも好きになれない。おまけに沢でクマを見たこともある。となると、せめて、1120m標高点から南東に下る尾根でも使おうか。945m三角点先から北に回り込むといったプランもあるが、どうも自信はない。そのまま東に下って庚申川にぶちあたり、下るに下れない展開になりそうだ。駐車場のことを考えると、やはり破線路だろう。

(巣神山からの下り。大きな岩が転々と置かれている。自分には卑猥に見える岩もあった)


(実はこれがその岩なのだが。こだわりなくさらっと)


 下山にかかると、いきなり踏み抜いた。腿まで入り込んだ。やはり山頂直下の雪は深いが、ラッセルするほどでもなく、じきに雪はおとなしくなった。安心してダラダラと下っていると、今度は地面が凍結していてスッテンと腰をしたたかに打ちつけた。しばらくうめいた。気を抜くとこうなる。最後まで用心するに越したことはない。
 破線路の踏み跡は雪があったりでしっかりとは判別つかないが、樹に赤ペンキの矢印がところどころにあるので、これを拾えば間違いも少ないが、このペンキ、公認のものなのだろうかと気になった。考えようによっては任意のテープ代わりということもあり得るし。

(ルートを外してトラバース。ここはちょっとばかりラッセルした)


(しっかりした道型)


 尾根を北東にカーブすべきところをそのまま尾根伝いに南東に下って行った。テープもあったので気づきもしなかった。何か変だなと思い、GPSを見ると下り過ぎていた。ここでトラバースをして復帰はしたが、間違ったところ、テープはさらに先に続いていた。もし尾根伝いだとすれば、先で急斜面の沢に落ち込むのではないだろうか。
 太い道型が現れて1120m標高点付近。快適に下って行くと、左手に尾根分岐。例の下り予定の尾根だ。そちらに足を向けると、何ということはない。そのまま植林に吸い込まれていた。何だ植林尾根か。ここから植林では最後まで植林だろう。これはやめておこう。結局は破線路を忠実に下るしかないか。このまま尾根伝いの道型を下って行っても原向の方に出られるが、フィニッシュがやっかいで、駐車場に戻るのがつらくなる。

(植林帯に入り込む)


 テープの目印を見て、左の植林に入る。ここからうっとうしい歩きになる。部分的に細い作業道歩きだ。
 ちょっと下って、雪の残った上を歩くと滑った。チェーンスパイクの歯を立ててみた。効かない。かなり硬い。カーブになった。いきなり細いトラバース道になっていて、その上には雪が残っている。これはチェーンスパイクでは無理だろう。地面の凍り付きを踏んで平らにし、12本爪アイゼンに履き替えた。ここの通過、ストックも収納してピッケルを出した。こんなところでピッケルとアイゼンでは笑ってしまうが、これで何とか切り抜けた。やはりガチガチになっていた。

(ここは直進だが、雪がかぶってわかりづらい)


 こんな凍てつきがしばらく続いたが、下るに連れて凍結箇所はなくなった。ちょうど、アイゼンの歯が、杉の枝を拾ってしまうものだから、足にひっかかってひっくり返りそうになるのが頻発していたので、アイゼンからチェーンスパイクに交換。この時、両者に泥が付いていて手が真っ黒になってしまい、ずっと不快感が続いた。とにかく手を洗いたい。手袋は外してしまった。
 泣きっ面にハチか、気づいたらスパッツのゴムが切れていて、左右から垂れ下がっていた。

(下るにつれて迷うところはなくなる)


 この破線路、久しぶりに歩いたが、かなり状態が悪くなっているような気がする。落ちた杉の枝がかなり多くなっても道型は何とか追えるが、沢を横切る際に、注意して先を見ないと、その続きが迷いそうだ。また、トラバース道では他の踏み跡が入り乱れ、カーブでも折り返しが不明なところもある。今回は、破線路を外すことはなかったが、それなりに神経を使いもした。特に下り使用では要注意だろう。

(石積みの上を歩いて)


(車道に出た)


 沢に降り立ち手を洗ってすっきりし、沢を渡ると保安林の看板が出てくる。そのまま行くと、針金組みのヤワなフェンスが立ちはだかる。ここは通せん坊だろうと左に折れると石積み。その上を歩くと墓地に出た。墓地の前を下るとすんなりと車道。
 ここから駐車地まではさほどの距離でもない。管理事務所の前を通って駐車場に戻った。

 小法師岳までは行かなかったわりには、随分と長い距離を歩いたような気がする。結局は前と後の負担ということだろうか。前としては、尾根に取り付くまで、そしてその先での急登、そして、最後の破線路での神経使い、これが長い距離を歩いたかのような錯覚を招いたのだろう。

(小滝寄り取り付き予定ポイントの下にあった石塔)


 着替えをして、車道を先に行ってみた。まずは659m標高点。やはり、自分が車を置いた駐車場から擁壁が続いていて、途中での切れ目はなかった。そしてその先の小滝寄りのポイント。ここは脆そうな急斜面で、脇からでも自分にはとうてい登れそうにもない。
 ここでまた意外な発見をした。下に石塔が一基。絵柄が彫られているようだが、かなり見づらくなっている。どうも仏様を彫っているような感じがするのだが。いつも車で通過するだけのところだが、こんなを見ると、新たな発見でもしたような気分になってうれしくなってしまう。

 帰り道、例のきりんこさんの魔王山に行ってみようと、細い道を原小学校に乗り入れた。その時点では、校庭にでも車を入れられると思っていた。ところが、校門にはバリケードが置かれて中に入れない。まして車返しのスペースもない。そのままバックでそろりそろりと国道に出た。細い坂道を100mも下ったような疲労感を覚えた。これはこれで改めてということにしておこう。

城峯山(北武蔵)。人様と違った歩きを目論んだら、時間に追われてしんどいことに。【その1】

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◎2017年3月4日(土)

長瀞町役場駐車場(7:11)……出牛峠(8:01)……平沢峠(9:13)……横隈山(9:37)……平沢峠(9:53)……住居野峠(10:12)……尾根取り付き(10:36)……風早峠(11:57)……778.7m三角点(12:19)……奈良尾峠(12:52)……鐘掛城跡・1003m(13:49)……石見峠(14:02)……城峯山(14:15~14:24)……石見峠(14:29)……西門平バス停(15:34)──(バス15:54)──皆野駅(16:28)

【その1】
 城峯山は、奥武蔵の山を歩く都度、その姿を眺めてはいずれ行かなきゃなと思っていた山だが、地図を見ると、群馬県寄りの神川町と皆野町が接するところにあって、地理的には奥武蔵というよりも、最近よく目に入る北武蔵なるエリアに含まれる山のようだ。
 ネットでいくつかの記事を拝見すると、山頂近くまで車で乗り入れるHIDEJIさんのあっさりルートもあれば、ハイトスさんのような石間交流学習館からの歩きごたえのありそそうな周回ルートもある。やはり人気の山のようで、他にもいろんなコースがあった。
 当初は、そのハイトスさんルートで歩くつもりでいたが、これに何か付加できないものかと地図を見ていると、横隈山(「よこがいさん」と読む)が目に入った。この山もまた歩くつもりでいた山だが、両方一遍に歩けないものだろうか。地図の上では簡単だ。皆野町と神川町の町境尾根を歩けばいいだけのこと。
 ネットで調べると、横隈山と城峯山を通しで歩いた記事があった。ただ、この方は、住居野峠と風早峠の間は町境から離れ、西側の車道をずっと歩いている。何で尾根を歩かないのか。どうも、町境をまたいでいる砕石場らしきものがネックになって、町境尾根はすんなりと歩けないらしい。だが、砕石場エリアだけを避ければ、どこからでも尾根に復帰できるはずかと思うが。
 ということで、今回は、横隈山から町境尾根を通って城峯山に至るということをメインに置いて歩いてみたが、やはり肝心の砕石場付近でかなり手こずることになろうとは、この時点では予想もしていない。
 帰路はちょっとばかりきつい歩きになるかもしれないが、城峯山からは破風山経由で皆野駅に出てもいいかなと思った。無理のようなら、城峯山登山口の西門平からバスで皆野駅へ。ちなみに、バスの最終は15時54分。その前は13時49分。これは無理だろう。

(県道13号線)


(ここは右に入る)


(ゴルフ場方面から分かれて)


 一日310円の野上駅に駐車するつもりでいたが、無料で済む長瀞町役場に駐車する。帰りは電車で野上駅まで来ることになろうし、駅から歩いてせいぜい5分ほどだ。
 140号線を少し熊谷方向に戻り路地を左に入る。すぐに田園風景になって県道に出た。この県道、13号前橋長瀞線となっている。おそらく本庄経由で前橋に出るのだろう。交通量は多く、大型車両の通行が目立つ。
 長瀞ゴルフ倶楽部の看板を見て右折。車道が急に静かになった。登り気味の車道をしばらく行くと、ゴルフ場を右に分けて直進。ここからは山道っぽくなる。間もなく右に大きな堰堤。軽なら通れなくもない道が続いている。

(ここをずっと行くと)


(遺物化した石門が現れる)


 右に「長瀞高原ビレッチ」と記された石門が現れ、ここで道は分岐する。本道は右手ビレッチ方向だが、かなり荒れている。石門にも草が絡みついている。何の施設だったのかは知らないが、ちょっと様子見で右手に入ってみる。目的は別のところにある。ハイカーの姿は見えず、横隈山に登るのは自分一人だけだろうが、念のため。荒れて人も入らないようなら都合が良い。

(ごちゃごちゃした感じ)


(出牛峠から反対側に下る)


 石門に戻って歩きを続行。道は細くなりハイキング道になった。秩父鉄道主催のハイキングコースになっているのか、足元注意の張り紙がある。気分の良い道だが、周囲の雰囲気は倒木も含めて雑然としていてあまりよろしくない。部分的に竹林の中の歩きになったりする。ロープを張ったところもある。
 石門から15分ほどの歩きで車道に出た。出牛峠(じうしとうげ)らしい。峠らしくないところで、GPSを見ると、今、破線路の北側にいる。峠は南側にあるのかと車道を歩いてみたが、峠のような感じのところはなかった。この先もずっとそうだが、峠の名前の付くところは大方車道に接した場所になっていて、峠の風情はなくなっている。出牛峠は、ここから車道を挟んで下りになるから峠ではあるのだろう。ここに古い標識があって、来た方向には野上、車道北方向に陣見山となっている。

(道標)


(こちら側は比較的に歩きやすい)


(梅を見て)


(寺の前で)


 下るとすぐに「天盃拝受記念 大正六年」と記された道標。「左山道」は道型にはなっているが倒木でふさがれている。来た方向には「野上樋口道」。下って行くとのどかな風景の中に小規模の梅林、神社があって、出牛地区に入ると、寺の前で車道に出た。この車道は先ほどの前橋長瀞線だ。

(本庄市に入っている)


 車道を北に向かうと本庄市に入った。以前は児玉町だったはず。横隈山山行のネット記事を読むと、必ず「いろは橋」というのが出てくる。そこを左折して市道に入るということらしいが、自分はこのいろは橋には覚えがない。おそらく、左に光福寺が見えたので、そちらに入ってショートカットしたためだろうが、その時の小川に架かった橋は大門橋だった。

(ショートカットしてみたが)


(横隈山)


 市道を歩いていると汗が出てきた。風はなく、むしろ暖かい。ここで手袋と帽子を脱いで汗を拭う。市道は上りの傾斜になっている。走る車はないが、車道歩きは退屈にもなるので、途中で脇道のような荒れた道が見え、そこに入り込むと、あっけなく元の車道に出てしまった。
 右手に横隈山が見えてくる。ここからでは裏山といった感じの特徴のある山ではない。わざわざハイキングコースを行かずとも、その辺から適当に取り付けるのではないかと思ったが、この辺、民家が高いところに建っていたり、畑が上まで続いていたり、まして逃げ込める植林もない。ハイキングコースを歩くしかないようだ。

(市道の終点)


(ようやく標識が出てくる)


(ここもまた荒れ気味)


 ロウバイを見て市道の終点。ここで横隈山の標識が初めて出てくる。8時51分。スタートの役場から1時間40分。ステンレス製のタンクのようなものがあり、その脇に腰をおろして菓子パンを食べる。典型的な里山ハイクの風情になっている。横隈山だけのハイクの場合、下りでは平沢峠を突っ切り、住居野峠から更木に下る方がほとんどのようだ。
 植林の中の歩きになった。ここもまた周囲は間伐放置の状態になってはいるが、ハイキング道そのものはしっかりして、標識類もまたうるさいくらいに整備されている。これでは間違いようもなく横隈山に行けるだろう。そういえば、手持ちの2008年版の『山と高原地図』には、「山慣れた人向きコース」と記されていながらも実線ルートになっている。自分には、この先も下りも含めて初心者問題なしコースにしか思えなかった。

(平沢峠)


(古い道標)


 平沢峠に到着。平沢峠の道標があるわけではないが、ここの道標に、マジックで「ここは平沢峠」と書かれている。ここに「立太子記念」と刻された古い道標があるが、年代が不明で、昭和天皇か大正天皇なのかは不明。
 ここのハイキングコース、東電の巡視路になっている。ポールには「新岡部線」。この新岡部線は帰路の最後まで続いていた。それだけに踏み跡は明瞭だ。

(ありふれたハイキングコース)


(自然林の中は気持ちもいいが、考えてみれば、今日はここだけだったかも)


 植林から自然林になって、また植林が交じる。特別に急なところはない。地図にもわかるように、未舗装、舗装の車道が3か所ほどでクロスする。気分はよろしくないが、そういう山域だと思えばさほどの落胆もない。

(山頂の稜線に出た)


(鬼石、藤岡方面)


(雨降山のようだ)


 横隈山の稜線に出ると、冷たい風がビュービュー吹いていた。これ、赤城おろしだろうか。手袋を付け、帽子をかぶりなおす。神様の名前を刻んだ石碑がいくつかある。武尊と御嶽は読めるが、もう一基は割れている。西側が展望地になっていて、寒かったが眺めた。下はゴルフ場だがその先に群馬の藤岡の街並み。バックにはうっすらと群馬の山々。北西に双耳のように見えている山は御荷鉾山だろうか(この時はそう思ったが、後で城峯山頂から撮った写真を見ると藤岡の雨降山のようだ)。

(山頂の途中にも一基)


(ここは感じが良かった)


(横隈山山頂)


 御嶽大神の碑を見て山頂に向かう。山頂はぽっかりと開けているが、展望は先ほどのところが良い。あるのは三角点と山名標識。一服してセルフを撮ってさっさと下る。何せ寒い。
 平沢峠まで10分程度の下りだったが、随分と長く感じた。道を間違ったかなとGPSで確認までした。周囲を見ないで登って来たから不安にもなる。

(鉄塔から)


 平沢峠からすぐに鉄塔。ここから城峯山が見えた。城峯山の山頂には電波塔があるので遠くからでも識別できる。やけに遠く感じる。そして右手に神流湖も見えてくる。しかし、この辺、「神」の字がつく地名が多過ぎやしないか。神川町、神泉村、神流湖、神流湖の南に神山、その昔、横隈山も城峯山も神山と呼ばれていたらしい。

(こんなところの歩きがこの先もずっと続く)


(491.4m三角点)


 504m標高点を下って登ると、ハイキングコースからちょっと外れたところに491.4m三角点。ここの三角点標はストーンサークルのように丸っこい石で囲まれている。ここで軽く日向ぼっこ。横隈山の稜線は寒かったが、下れば風がやむと思っていたら、依然として冷たい風になってしまっている。

 横隈山を終えたばかりで、今日の行程はまだまだ序盤戦だが、ここの尾根道、随分とアップダウンが続いていて、ちっとも標高を稼げない。この先も、登り上げた分下るを繰り返す。これでは城峯山への登り返しがきついのではないか。今のところはいいが、そのうちに必ずバテ始める。不安が頭をもたげている。

(ここは尾根を行かずとも右の林道を行くのが正解か)


(住居野峠に着く)


 次の鉄塔を通過。その先、右に林道が見えた。おかしなところに行ってはと、そのまま尾根伝いに行ったら、結局は、この林道が回りこんでいて、林道に下ることになる。ここが住居野峠(すもうのとうげ)のようだ。林道は更木線というらしい。
 林道はここでカーブしている。左が更木(ばらき)、皆野に向かう。直進方向は、標識には矢納(Yano)となっているが、この直進方向に開いたゲートがあり、ここに「これより先は砕石場…立入を固くお断りします」と書かれた看板があった。ここまで来て、スゴスゴと予定変更いうわけにも行かない。まして、地図ではこの林道は先で分岐して、一方向だけ砕石場に向かっている。
(【その2】に続く)

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

城峯山(北武蔵)。人様と違った歩きを目論んだら、時間に追われてしんどいことに。【その2】

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【その2】
その1】の続きです。そろそろ危険地帯に足を踏み込みます。

(ここで改めての通行止めになると解釈した。ここは右。尾根の直進は無謀だろう)


(がっかり気分で鉄塔下で休憩)


 さもダンプが往来するといった感じの土埃っぽい車道を進むと、やはり道は分岐し、左側はゲートで閉じられて立入禁止。林道の間には町境の尾根が続いている。ここを強引に尾根伝いに行けばどういうことになるのか。最初のピークは越えられても、そのまま砕石場に突っ込むことになる。賢明ではないといったレベルではなくこれは愚かなこと。やはり右の林道をずっと歩いて風早峠に出るしかないだろうな。かなりがっかりした。
 左の尾根を見ながらの車道歩き。右に鉄塔が見えたので、その下に腰かけて一服した。そろそろ疲れてきた気配。休憩の間合いが短くなり、その都度の一服で、タバコ吸いが多くなっている。傍らを軽トラが2台通過。ハンターのようにも見える(埼玉県は3月15日まで狩猟可)。さっきから絶え間なく銃声が聞こえてきていたが、長瀞の射撃場の発砲音にしては音が近かった。やはり今日あたりいるようだ。

(やはり、この辺で尾根に取り付いてみようか)


 先に行くと、低い尾根が見えた。地図に照らすと、この尾根は砕石場の上の町境尾根に合流している。これ、行けんじゃないのか。あくまでも町境尾根にこだわりたい。このこだわりが、後で体力と時間のムダ使いということになってしまう。

(野放図の尾根)


(鉄塔までは出た。正面に冴えない感じの岩峰が)


(砕石場の上に出た)


 ヤブをこいで尾根に出る。かなり荒れている。間伐の枝が邪魔をして登りづらい。鉄塔に出る。ここに神泉村二等基準点がある。そんなことはともかく、この先が岩峰のようになっている。嫌な予感がした。なぜかそれきりのピンクテープがあったりしたが、下ると砕石場の敷地上に出た。掘削エリアが地図よりも広がっている。砕石場を覗くと、今日は稼働していない。これがそうでなかったら騒がれる。

(巻くはいいがしんどい)


(こうもなったり)


(崩れ斜面のトラバース)


(ここの直進は無理。左が砕石場に落ち込んでいる)


 岩峰と思ったのは、尾根が削られてそうなっただけのことだが、直登はできず、右手から巻く。この巻きもまたひどいもので、間伐(というか、砕石のための伐採だろう)が野放図になっていて、遅々として先に進まない。ようやく上がると、次の岩峰が控えていた。
 ここもまた右から巻くが、尾根に出るとその先が倒木地獄で進めずに撤退。さらに回り込むと、今度はもろい急斜面。土砂が随分と流れ落ちている。というか崩れている。慎重に渡って、どうにか尾根に復帰はしたが、今度は、左側の砕石場寄りのヘリ部分がかなり落ち込んでいた。こんなところ歩けやしないと、また回り込んで先に行く。

(安全圏に入ったようで)


(614m三角点。バックは715mピーク)


 何とか安全地帯に達したが、こんなところで足止めくらって悠長なことをやっているようでは、城峯山まで行けるのかいなとかなり不安になってきた。最悪、1003m標高点の鐘掛城跡から下って最終バスに間に合わせるしかないか。間に合わなかったら、バス停から皆野駅まで12km歩かねばならない。やはり、郷に入れば郷に従えで、余計なことを考えずに車道歩きに徹するべきだったか。まぁ、なるようになるか。
 砕石場から離れ、ようやく安泰になったかと思ったら、今度はイバラ付きの枝ヤブだった。ここもまた通過に手間どる。614m三角点で水をガブ飲みし、三角点標石に腰かけてまた一服となったが、目の前には715m標高点らしきピークが見え、あそこまで登り返しかとうんざりもする。ただ、これまでと違って、着実に標高を稼いでいるようで、少しは上向きになりつつあってほっとはする。ここで、靴を脱ぎ入り込んだ木クズを叩いた。

(その先も楽勝とはいかない)


(715m標高点ピーク)


(展望は良い)


(城峯山)


 標高差100mほどを登る(実際は一旦20mほど下る)。さすがにきつかった。歩きタイムも押し寄せ、急がねばと焦りはするが、身体がいうことを聞かない。ちょっと歩いてはゼーゼーとなる。そのうちに、右足の股に痙攣の兆し。今さら効きもしないだろうがと芍薬甘草湯をおまじないで服む。これが珍しく効いて、以降は兆しも起きなかった。
 横倒しの木をまたぎ、枝を払い、さらにはトゲに刺されて715m標高点ピーク。アンテナがあった。ここは周囲が刈られていて、西側は開けている。奥に白い峰々が連なっている。アルプスの一角かもしれない。だが、この景色を眺めて一服している場合ではなくなっている。すでに11時50分だ。見えた城峯山はちっとも近くなっていない。町境尾根にこだわって足踏み状態が続いてしまったようだ。
 この715m標高点ピーク。後日知ったことではあるが「金沢城山」という山らしい。詳しくは知らないが、ここにも城か砦があったのだろう。

(距離感不明の標識)


 登った分損をした感じで下って行くと、久しぶりに標識に出会った。ちょうど、東西から破線路が続き、この尾根と合流しているところだ。標識には、なぜか「風早峠9.0K」と記されている。これはどこからの距離なのか、峠はすぐそこのはず。下に落ちた片割れには「浜ノ谷・鳥羽11.5K」とある。地図を見ると、西側に「浜の谷」という地名がある。それでおかしなことに、この標識の柱の下には「風早峠・神泉村」と記されている。ここが風早峠とも思える記し方だ。

(風早峠)


 わけがわからないままに登って行くと、人がたむろしている。オレンジ色のヤッケを着たジイチャンが数人。軽トラ数台。荷台の犬の吠え声がけたたましい。にやにやしたジイチャンに声かけられた。どこへ行くんだいと聞かれ、城峯山だと答えた。聞かれたついでに猟ですかと聞くと、イノシシだそうな。上には行かないと言っているが、やけに気安い感じなので、雑談しながら様子を窺うと、鉄塔下で休んでいる時に通り過ぎた軽トラに乗っていたジイチャンのようだ。あれから1時間半も経っている。どうも1時間はムダ使いした気配がある。砕石場上の通過に大した満足感もないだけに泣けてくる。追い打ちをかけるように、こうやって来たと話をしたら、そのままこの道を来ていたら早いのにとあっさりと言われてしまった。

 地図では車道から離れて実線、破線でここに至る形になっているが、軽トラとはいえども、ここまで破線路で来られやしまい。現に舗装道になっている。何だか騙された気分がしないでもない。ここが風早峠と思い、一服入れるつもりでいたが、そそくさと目の前のヤブめいた急斜面を登って立ち去った。

 落ち着いたところで倒木に腰かけて昭文社マップを広げる。ここからさらに奈良尾峠を通過して鐘掛城跡に至るのだが、実線も破線もないコースを歩いているから、参考タイムも記されていない。いったい、城峯山までどれくらいかかるのだか。時計を見ると12時。遅くとも14時までに鐘掛城に着いていないと、城峯山を往復できないのではないのか。どんどん焦ってくる。

 焦っていながらも早速、776.7m三角点に立ち寄って休んだりしている。地図を改めて見る。鐘掛城跡までの標高差は単純に引き算すると230m程度のものだが、その間に6つほどの小ピークがあり、これはそれぞれ下っては登り返しということだろう。嫌になってしまうが、交通の便を考えると、鐘掛城跡まで行かないことには下ることもできない。

(幅広の道が出てくる)


 植林の中の歩きがずっと続いている。この辺はヒノキが主体のようだ。尾根からちょっと外れたあたりに幅広の道が現れた。これを歩けば楽かとそこを歩いたが、尾根から外れていくような気配があり、元に戻りはしたが、結局はその幅広の道に合流してしまった。これまでと違って格段に歩きやすくなった。
 832m標高点付近、12時46分。このタイムがどんなものかは知らないが、風早峠からこの辺までずっと右下に林道が見え続けている。つまり、少しの傾斜を我慢すれば、林道のどこからでも尾根に取り付けるということになるが、こちらはアップダウン繰り返しで歩いているというのに、すまし顔の林道を歩けば早いに決まっている。複雑な思いにもなるというもの。

(奈良尾峠で向かいの尾根に)


 やはり奈良尾峠で林道とクロスした。林道名は「奈良尾線」となっている。下りの勢いもあったので、休まずにそのまま向かいの尾根に取り付く。岩が少しばかり出てきたが、すぐに消えた。置かれた標識には「城峯山2.8K」。平坦地なら早足で30分なのだが…。隣り合わせに「秩父華厳の滝 ♨日帰り温泉 ⇒」の案内板があった。温泉に浸かってバス待ちという手も使えるなと頭をかすめたが、そのイメージは捨てることにしよう。

(唯一の石祠)


(休むハイカーがいそうもないベンチ)


 新しい感じの石祠を見て鉄塔。そしてまた右手真下に林道。皆野町が設置した「城峯山奈良尾コース」の標識が出てくる。林道に駐車してここから登るということか。これまでのことを考えると、それは楽だろうな。ベンチなんか置かれているが素通り。
 この辺が公園風になっているのは後で気づいたことだが、目の前の825mピークに登って下ると、林道からそのまま公園経由で入れる道に合流してしまった。損したとか得したといった感覚はもうなくなりつつあり、これを知ったところで何も感じない。

(つらい登りになった)


(少しはなだらかになったか)


 もう一つピークを越えて下る。後は鐘掛城後まで登り続きになるはず。この登りが結構つらい。激斜面にも感じる。すぐに立ち止まってしまう。右手から破線路が入り込む。ちら見の城峯山は指呼の間と言いたいところだが、まだまだ先じゃないか。

(ようやく鐘掛城跡に着いた。長かった)


 鐘掛城1003n標高点着。13時49分。遅くても14時着目標は達成。改めてこの先の時間配分を考える。お腹は空いているし、城跡探索もしてみたいが、そんな余裕はない。で、ここからバス停まではコースタイムで1時間。下り一辺倒だろうからそのままのタイム採用で1時間。城峯山往復で45分か。かなりバテているのでこれは1時間とする。トータル2時間。バスは15時54分。ここに14時45分までに戻るとすれば…時間が5分足りないじゃないか。バス停までの下りで一部区間は走るしかないようだ。ここまで来たのなら城峯山まで行くしかあるまい。ただ、城峯山での持ち時間はナシということになる。

 城跡の案内板だけは読んだ。そうかここは武田が西上州を攻めた時の出城だったのか。それだけの確認。最近、角川文庫の『関東戦国史』というのを読んで、少しは往事の状況がわかるようになった。戻って時間があったらゆっくりと見たいが、それは無理だろう。

(城峯山に向かう)


(下った階段を振り返る)


 いきなりの階段下りに圧迫を感じた。下りきって見上げる。ここを後で登り返しか。きついなぁ。ここが復路のネックになりそうだ。先に行くと、左に道が分岐し、標識には「城峯山・まき道」とある。これは幸いと入り込んだが、ふと思った。まさか城峯山本体を巻いて先に行く道ではないだろうな。どうも素直な気持ちになれない。戻ってまた登る。そして下る。すると、さきほどの巻き道がニヤニヤした顔で合流した。

(石間峠)


(直下の登り)


(ようやくシンボルタワーが目の前に)


(城峯山山頂)


 石間峠に出た。車道クロス。東屋+トイレ付き。車、ハイカーの姿なし。また階段の登り。正面に電波塔が見えた。ヤレヤレと山頂に到着した。城跡から25分。5分の余裕ができた。

(急いで展望台から)


(その2。両神山だけはわかる)


 山頂にはジイチャンが腰かけて休憩している。電波塔に上がれそうなので、「上は展望いいですか?」と聞くと「360度だよ」と返事が返った。上がらなきゃ損だろう。展望台に登ると青年が2人いた。確かに360度だが、感慨を抱きながらゆっくり味わっている時間はない。四方に置かれた展望パネルを撮っては、その先の山並みを急いで撮った。その間、青年たちは立ち去った。

 この城峯山、こんな急ぎ足になろうとは思いもしなかったが、予定では山頂周囲を探索し、城峯神社やら将門隠れ岩にも行くつもりでいた。こんなに展望の良い山なら、また改めて来ることにしよう。電波塔を下りると、もうだれもいなかった。大きな一等三角点の標石を前にセルフ撮影をして下ることにする。

(西門平への巻き道。まさに快適)


 階段の下でジイチャンをとらえて石間峠。この先で例の巻き道を行くとして、その先、城跡下の階段登りは避けられない。最後の登りと思えば気も楽だと思うようにした。
 こちら側からでは「まき道・鐘掛城」となっている巻き道を歩き、先に行くと、来る時は気づかなかった分岐が右にあり、ここに「まき道・西門平」の標識があった。これはまさに天啓だ。時間があったら城跡見学の考えはあっさり捨てた。ここでも、また来ればいいじゃないかと先送り思考になった。

 傾斜なしに下りルートに合流。14時39分。時間に余裕ができてしまった。これなら山頂でもっとゆっくりできたのになぁと思っても、巻き道が2本もあったのは想定外だった。

(退屈な下りだったが、アクセントもあった。この程度だが)


 どんどん下る。ここもまた巡視路になっているが、ふれあい道にもなっている。したがって道標もあちこちに置かれている。斜面が急なためか、クネクネした道になっている。

 途中、鉄塔のコンクリに座って遅い昼食タイムにする。少しばかりの時間的余裕はできたが、コーヒーやらスープを飲むような時間はなさそうだ。せっかくお湯を持ってきたのに残念。一服しながら、頭に浮かんだ新たな問題は極めて俗っぽいことだった。この先、破風山経由で下るなんて考えはすでに頭から遠ざかっているし、無理な話だ。そんなことではなくバス代のこと。事前調べで290円であることは知っていたが、ちょうどの金額の持ち合わせがない。ふだんバスには乗り慣れていないし、各地で乗る勝手が違う。支払い箱の脇の両替機を使えばいいだけのことだが、どのタイミングで両替をすれば恥をかかずにすむのか。些細なことがえらく気になった。

(林道に出る)


(ふれあい道でなかったら、朽ちた橋のままかと思う)


 荒れた林道に出た。林道をそのまま行ってもいいようだが、道標が微妙な方向を向いている。目をやると林道を挟んで植林の小道が続いていた。沢には新しい橋なんか渡されている。さすがふれあい道といったところだ。

(神社を見て)


(石碑)


(バス停)


 再び林道。ここは「門平線」。左に神社が見えて立ち寄ったが、何神社というのかはわからなかった。お稲荷様のようではある。

 民家が出てきて一般の車道に合流。バス停はどこだ。右手にはなさそうだ。左に下ってカーブを曲がるとバス停があった。何だまだ20分もあるじゃないか。バス停の上には東屋があり、そこで待とうかと思ったが、山歩きスタイルの青年2人の姿が見えたので、バス停脇のつぶれたベンチに腰かけた。あの青年達、城峯山で出会った方々だろうか。顔はろくに見もしなかったが、自分には外人の顔と同じで、最近の青少年の顔は皆同じように見える。特徴がなければ特定もできないだろう。
 町営バスにはこの3人でしばらく乗ったが、華厳の滝、満願の湯でハイカー、写真が乗り込んできて立ちも出た。30分ほどの乗車で皆野駅に到着。悩んでいた両替は、降車時にさっとやって目立つような事態にはならなかった。

(長瀞町役場に戻った。もう夕暮れ時だ)


 今日はとんだところでトラブルに遭い、途中で時間も読めなくなる歩きになって慌ててしまった。予定の城峯山までは行けたものの、360度の山頂で時間もとれずにそそくさと下る始末になった。いずれハイトスさんコースで改めて歩いてみよう。
 しかし、今日のアップダウンの連続はきつかった。距離が長ければどうしてもそうなる。帰ってからカシミールで見てみると、累積標高差は1750mになっていた。

 さて、長い一日はこれで終わらない。皆野駅では20分後に上り電車があった。だが、この駅のホームは上り下りの共用。ホームに電車が入ってきた。ホームで待っている人の大半が乗り込んだ。この時間帯だ。大方は上り線に乗ると思ってしまう。平日と土日の時刻表を読み違えたのかと思い、自分もつられて乗り込んだ。何駅か先に行って気づいた。上下線を間違っていた。乗る予定の電車はすでに行ってしまい、寒いホームで待つことになった。

(要所の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
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