◎2017年8月20日(日)
ブランク続きの歩きが頻発すると、山に行きたいという気分も失せてくる。ここのところ雨降りが続き、その合間に法事があったり、半端な生活にもそろそろ飽きてきて、予定よりも早く就活に入ったりもしている。人様のブログを見ては、相変わらずよくやるなぁと感心したりもしているが、毎日が日曜日状態だというのに、どうも山歩きをしたい気分になれないままになっている。一時は行くつもりになっていた北アルプスもすっかり遠のいてしまった。
これでは足腰も衰えるばかりだ。少しは歩かないとなぁと、苦し紛れに探し出した歩きの理由づけが山名板のメンテナンス。みー猫さんの記事写真で拝見した銀峯の板は何ともみすぼらしかった。ついでに庚申山にでも登って来ようか。くどいようだが、これでもあまり乗り気にはなれず、運動不足をカバーすることだけがメインの目的になっている。
出がけにGPV気象予報を確認する。今日は雨にはあたらないようだ。むしろ、雨予報だったら行かずに済んだのにとちょっとがっかりした気分で出かける。
大間々で霧雨になり、草木ダム近くになると、小粒の雨となって、霧も巻き出した。これはラッキーとばかりに途中で引き返そうかと思ったが、足尾に入ると雨は上がった。だが天気は不安定。いつ降り出してもおかしくはない(と思うようにしたといったところだが)。こんな天気では、山名板にヤスリをかけ、ニスを吹き付けて乾かすこともできやしない。銀峯に辿り着く前にヤブの露で全身グッショリにもなるだろう。思っただけでげんなりした。
元々、銀峯、庚申山だけでは半端な歩きの感じがあって、帰りがけに、先日、きりんこさんが歩かれた爺ケ沢をちょっとばかり覗いてみるつもりでいた。どうせ濡れるなら、チョイ沢歩きで濡れていた方がまだマシかと、銀峯の山名板メンテはあっさりと放棄する。
小滝の里の公園に車を置き、庚申川を覗きに行く。雨降り続きのためか、水量が多く、ゴーゴーと勢いよく流れている。こりゃ、ダメだな。念のため、先まで行って、爺ケ沢の出合いを確認する。こちらもまた急流になっている。庚申川の対岸に飛び石伝いに行くのはまず無理で、周辺を見回したが、腰まで浸かるのは必至。この水の勢いではヘタすれば流されかねない。爺ケ沢も今日は放棄だな。
仕方がないので、今さらながらとは思ったが、周辺の廃墟跡をうろつく。敢えて登山靴に履き替えもせず、スニーカーのまま。カメラだけの手ぶら。だが、これも石垣だけずっと見ていては飽きるというもの。小学校跡を見て引き返すことにした。ちょっと歩いただけで、湿気でシャツがベットリとなった。
元々、それ程の熱入れもなく、とりあえずはと足尾にやって来たはいいが、この体たらくで終わりとなった。少しでもやる気が出ていたら、ためらいもなく爺ケ沢にも入ったろう。帰りがけ、いつもなら、魔王山を見ては、いつか登ってみないとなと思うものだが、今日は、何も感じなかった。それでいて、これもまたきりんこさんの記事をネタ元に、雨にあたらなかったら、庚申林道から坑夫の滝に出る尾根を下ってみるとか、庚申七滝から庚申川に下りてみるつもりでもいたのだからあきれてしまう。
足尾トンネルの出口にあった一軒家。今は撤去して更地になっている。以前、脇の尾根から二子山に行ったことはあるが、途中気になって、あの一軒家の裏手に古道の遺構らしきものは何かありはしないかと探し回ったが、何もなかった。あったのは短い作業道だけだった。
足尾トンネルを抜けると、雨が降り出した。土台、今日は山歩き日和ではなかったのだと、とりあえず納得することにしたが、積極的に歩く気分にもなれない状態がいつまで続くものかと、ちょっとばかり不安にもなった。
(いつも見ている昔の小滝案内図看板だが)
![]()
(注意して見ると、左上に爺ケ沢を挟んで爺ケ沢地区があり、そこに「興亜寮」が記されている。この公園は広道路地区と呼ばれていたらしい)
![]()
(庚申川を覗く)
![]()
(爺ケ沢出合い。この写真では大した水量ではないが結構な勢いだった。上にチラ見の小滝が気になった)
![]()
(鉱盛橋の古い欄干。以前、ここを通っていたのだろう)
![]()
(だれもが見る坑夫浴場跡。これを見ていたら、ハイカーらしき車が下って来た。早々に引き返した口だろう)
![]()
(階段を登ってみた)
![]()
(選鉱か精錬所の施設だろう)
![]()
(崖っぷちの小道を行ってみたが、先は崩壊していた)
![]()
(結局は、こんなところを見るだけ。社宅跡だろう)
![]()
(これも精錬所跡か)
![]()
(小滝小学校・第三中学校跡に続く階段。第三ということは、当時は通洞、本山、小滝にそれぞれあったのだろう)
![]()
(校門だろうか)
![]()
(基礎のコンクリだけが残っている。ガラスの破片がやたらと多かった。割と広い敷地)
![]()
(学校裏の階段。先ほどの地図では鉱夫社宅に続いているようだが、そこまで行く気にはなれない)
![]()
(文象橋)
![]()
(文象沢。ここの右岸側を備前楯山まで行ったことはあるが、この道をずっと行ったことはない。どうせ行き止まりだろう)
![]()
(ここにもこんなのが。地図に合わすと発電所のようだ)
![]()
(明治四十二年、南無妙法蓮華経●とある)
![]()
(ここの砂防ダムの銘板にもぶんぞう沢とあった)
![]()
(旧古足尾橋。アーチ橋。昭和9年に架けられたらしい)
![]()
(ネットで調べると、専念寺小滝説教所跡らしい)
![]()
(朝鮮人強制連行犠牲者慰霊碑。先日寄った際にはなかった碑だ。裏の日付を見ると今年の八月五日建立となっていた。近くにハングル文字の卒塔婆が束になって立てかけられている)
![]()
(足尾トンネル前の石碑群)
![]()
(元あった一軒家の裏に回って探索したが、見たのはこれだけ)
![]()
ブランク続きの歩きが頻発すると、山に行きたいという気分も失せてくる。ここのところ雨降りが続き、その合間に法事があったり、半端な生活にもそろそろ飽きてきて、予定よりも早く就活に入ったりもしている。人様のブログを見ては、相変わらずよくやるなぁと感心したりもしているが、毎日が日曜日状態だというのに、どうも山歩きをしたい気分になれないままになっている。一時は行くつもりになっていた北アルプスもすっかり遠のいてしまった。
これでは足腰も衰えるばかりだ。少しは歩かないとなぁと、苦し紛れに探し出した歩きの理由づけが山名板のメンテナンス。みー猫さんの記事写真で拝見した銀峯の板は何ともみすぼらしかった。ついでに庚申山にでも登って来ようか。くどいようだが、これでもあまり乗り気にはなれず、運動不足をカバーすることだけがメインの目的になっている。
出がけにGPV気象予報を確認する。今日は雨にはあたらないようだ。むしろ、雨予報だったら行かずに済んだのにとちょっとがっかりした気分で出かける。
大間々で霧雨になり、草木ダム近くになると、小粒の雨となって、霧も巻き出した。これはラッキーとばかりに途中で引き返そうかと思ったが、足尾に入ると雨は上がった。だが天気は不安定。いつ降り出してもおかしくはない(と思うようにしたといったところだが)。こんな天気では、山名板にヤスリをかけ、ニスを吹き付けて乾かすこともできやしない。銀峯に辿り着く前にヤブの露で全身グッショリにもなるだろう。思っただけでげんなりした。
元々、銀峯、庚申山だけでは半端な歩きの感じがあって、帰りがけに、先日、きりんこさんが歩かれた爺ケ沢をちょっとばかり覗いてみるつもりでいた。どうせ濡れるなら、チョイ沢歩きで濡れていた方がまだマシかと、銀峯の山名板メンテはあっさりと放棄する。
小滝の里の公園に車を置き、庚申川を覗きに行く。雨降り続きのためか、水量が多く、ゴーゴーと勢いよく流れている。こりゃ、ダメだな。念のため、先まで行って、爺ケ沢の出合いを確認する。こちらもまた急流になっている。庚申川の対岸に飛び石伝いに行くのはまず無理で、周辺を見回したが、腰まで浸かるのは必至。この水の勢いではヘタすれば流されかねない。爺ケ沢も今日は放棄だな。
仕方がないので、今さらながらとは思ったが、周辺の廃墟跡をうろつく。敢えて登山靴に履き替えもせず、スニーカーのまま。カメラだけの手ぶら。だが、これも石垣だけずっと見ていては飽きるというもの。小学校跡を見て引き返すことにした。ちょっと歩いただけで、湿気でシャツがベットリとなった。
元々、それ程の熱入れもなく、とりあえずはと足尾にやって来たはいいが、この体たらくで終わりとなった。少しでもやる気が出ていたら、ためらいもなく爺ケ沢にも入ったろう。帰りがけ、いつもなら、魔王山を見ては、いつか登ってみないとなと思うものだが、今日は、何も感じなかった。それでいて、これもまたきりんこさんの記事をネタ元に、雨にあたらなかったら、庚申林道から坑夫の滝に出る尾根を下ってみるとか、庚申七滝から庚申川に下りてみるつもりでもいたのだからあきれてしまう。
足尾トンネルの出口にあった一軒家。今は撤去して更地になっている。以前、脇の尾根から二子山に行ったことはあるが、途中気になって、あの一軒家の裏手に古道の遺構らしきものは何かありはしないかと探し回ったが、何もなかった。あったのは短い作業道だけだった。
足尾トンネルを抜けると、雨が降り出した。土台、今日は山歩き日和ではなかったのだと、とりあえず納得することにしたが、積極的に歩く気分にもなれない状態がいつまで続くものかと、ちょっとばかり不安にもなった。
(いつも見ている昔の小滝案内図看板だが)

(注意して見ると、左上に爺ケ沢を挟んで爺ケ沢地区があり、そこに「興亜寮」が記されている。この公園は広道路地区と呼ばれていたらしい)

(庚申川を覗く)

(爺ケ沢出合い。この写真では大した水量ではないが結構な勢いだった。上にチラ見の小滝が気になった)

(鉱盛橋の古い欄干。以前、ここを通っていたのだろう)

(だれもが見る坑夫浴場跡。これを見ていたら、ハイカーらしき車が下って来た。早々に引き返した口だろう)

(階段を登ってみた)

(選鉱か精錬所の施設だろう)

(崖っぷちの小道を行ってみたが、先は崩壊していた)

(結局は、こんなところを見るだけ。社宅跡だろう)

(これも精錬所跡か)

(小滝小学校・第三中学校跡に続く階段。第三ということは、当時は通洞、本山、小滝にそれぞれあったのだろう)

(校門だろうか)

(基礎のコンクリだけが残っている。ガラスの破片がやたらと多かった。割と広い敷地)

(学校裏の階段。先ほどの地図では鉱夫社宅に続いているようだが、そこまで行く気にはなれない)

(文象橋)

(文象沢。ここの右岸側を備前楯山まで行ったことはあるが、この道をずっと行ったことはない。どうせ行き止まりだろう)

(ここにもこんなのが。地図に合わすと発電所のようだ)

(明治四十二年、南無妙法蓮華経●とある)

(ここの砂防ダムの銘板にもぶんぞう沢とあった)

(旧古足尾橋。アーチ橋。昭和9年に架けられたらしい)

(ネットで調べると、専念寺小滝説教所跡らしい)

(朝鮮人強制連行犠牲者慰霊碑。先日寄った際にはなかった碑だ。裏の日付を見ると今年の八月五日建立となっていた。近くにハングル文字の卒塔婆が束になって立てかけられている)

(足尾トンネル前の石碑群)

(元あった一軒家の裏に回って探索したが、見たのはこれだけ)
