◎2017年8月22日(火)
雷電神社──高鳥天満宮──群馬の水郷──三県境──渡良瀬遊水池
一昨日、ぶなじろうさんが板倉町の雷電神社に行かれた記事を目にした。折しも、本日の予定はない(昨日とて雨樋を修理していただけのことで、毎日こんなものだが)。神社の彫り物だけでも一見の価値はあるとのこと。早速、行ってみることにした。記事には「夏向きではない」とも記されてはいたが、ぶなじろうさんの場合はご自分の足で歩かれての話であって、こちらは車利用だ。さほどに汗をかくことはあるまい。
実は、板倉町そのものをよく知らない。隣の大泉やら邑楽、千代田町同様に、さして見どころがありそうな町とも思えなかったが、念のため、ネットで板倉町の観光案内を確認してみた。無知だったが、渡良瀬遊水池が入り込んでいた。ここも行ったことはない。
ということで、雷電神社の後は、板倉町の観光スポットである高鳥天満宮、群馬の水郷(谷田川)、三県境、渡良瀬遊水池、行人沼を回ることにして出かけた。
(弁財天とタマゴ)
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(その脇に)
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(ナマズ様。小鬼がナマズを抱えている)
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(こちらの鬼はナマズに乗っかっているが、角がない。河童じゃないよなぁ)
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まずは雷電神社。駐車場のすぐ隣に真新しい弁財天と卵が祀られている。解説板には「鶏の卵を供え、これを食せば種々の霊感ありとつたえられる」と記されている。道路を挟んだ向かい側に「なまずさん」の幟が見えたので行ってみると、小鬼たちに守られた銅製のナマズが横たわっていた。両方ともに見逃しても問題はないようなものだろう。
(雷電神社。見づらいが、雷マークとともに葵の御紋が見える)
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(葵の御紋をアップして。ここでは3か所)
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(龍と)
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(花)
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神社の正面に回る。八幡宮稲荷神社社殿は国指定重要文化財とあった。この八幡宮は正面の社殿ではないようだ。なるほど、社殿の頭には葵の御紋があるわ。ぶなじろうさんのコメントでこれを知った時、舘林藩主だった綱吉がらみではないのかと思ったが、やはりそのようだ。
確かに、龍や花、波、駿馬、鳳凰の彫り物が精巧で年代を感じる。これは十分どころか十二分に一見の価値有りだ。事前調べでは、左甚五郎10代目の親方、石原常八の作となっていたが、左甚五郎は知っていても、10代目ともなると、どの程度の技術者だったのか。まぁ、それはいい。その師匠の技なのだから、相応の彫刻家だったのだろう。
(弁財天社)
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(伊奈良の沼)
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(万葉歌碑。妻として迎えた今、以前、遠くから眺めていた時よりも強い思いが募ってきている。といった内容のようだが、今の世には通じないだろうね。普通は逆だから)
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(公園を一周してみた)
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隣の弁財天社の脇に道があり、その先が薄暗くなっている。この辺がどうも気になった。どうせ時間もあることだしと、こちらを先行することにする。ひんやりしたところを抜けると板倉中央公園の看板があって、中に入ってみた。ここにも弁財天社があり、周囲には沼地が広がっている。看板には「伊奈良の沼」(今は縮小して雷電沼と言うらしい)とあった。万葉集にも詠まれている云々と記されている。
沼を一周してみたが、見るべきものは特になく、蚊に刺されて汗をかいただけ。また神社前に出た。門前の食堂には「なまず天ぷら」の幟。沼地続きだからこの辺の名物なのだろう。
(雷電神社に戻る)
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(その1)
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(その2)
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改めて神社の由来説明板を読む。聖徳太子が通りかかった伊奈良の沼で禊をすると、雷神様の声を聞いた。太子はここに祠を建てて神を祀ったとある。弘法大師ならともかく、聖徳太子が何をしにわざわざ東国の地にやって来たのか気になった。余談だが、後で調べると、聖徳太子には飛翔伝説なるものがあるらしく、神馬に乗って天高く飛び、富士山を越えて信濃の国に至り、3日後には都に帰還したといったものだ。この話は西暦598年のことらしいが、ここの説明板にも祠を建てたのは奇しくも598年となっている。ということは、同年縁起で各地に太子伝説が残ってもいそうだ。
雷電神社を回った。やはり彫り物がすごい。絵画的で、それぞれにストーリーがあり、それを彫ったかのようだ。
(奥宮)
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(奥宮の彫り物)
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(八幡宮)
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(座敷童子に似た狛犬)
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(八幡宮の彫り物。ちょっとタワシを使って水洗いしたいところだ)
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(本殿に戻って。その3)
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(その4。右下の金ピカが葵の御紋)
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裏に回ると、奥宮があって、大雷神を祀っている。そして、国指定文化財の八幡宮稲荷神社があった。群馬県最古の建造物と説明されている。社殿の素晴らしい彫刻を見た後だけに、今一つ感慨がわかない。狛犬も何だかなぁといった感じだし。
神社をもう一周して、高鳥天満宮に向かう。雷電神社は満足した。
(高鳥天満宮)
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(ここの彫り物。天神?)
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(詳しくは知らないが、牛を持って受験に臨むのかと思ったが、身体の不具合を牛に託すといったもののようだ)
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(裏の池。きれいとは言えない)
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(天神の滝)
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前知識はなかったが、神社をさらっと見たところ、やたらと合格祈願の札が目についたので、由来解説板を読むと、やはり菅原道真を祀った神社だった。読む以前に、天満宮ならそうと思うものだが、まだまだ修行が足りないねぇ。ここにも龍の彫り物があったが、これも石原常八とあった。中の天井画に百人一首が描かれているということで、入って見たかったが、勝手に入るべからずとあり、これは残念ながらということになった。
裏手に回ると、「努力一貫」と記された石碑があり、その下には池があり、脇には澱んだ感じの水路が通っている。ちょっと歩いただけでまた蚊に刺され、汗びっしょりになった。天神の滝を見て神社に引き返す。ここは、今さら学業成就でもないのでさして用事はなかったようだ。
(釣り堀エリア)
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(水郷の揚舟)
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続いて群馬の水郷。何も知らぬままに行ったのだが、板倉町の案内図には、谷田川が流れ、「揚舟 谷田川めぐり」とあったから、ぶなじろうさんも行かれたところだろう。
駐車場から歩き出す。公園のようなところに入ると、大きな沼があり、これが水郷かと思ったりしたが、先にも大きな沼があり、そこに行くと、釣り堀になっていて、沢山の釣り人が竿を並べていた。これじゃ面白くもないなと、迂回して車道に出ると、反対側に川が流れている。これが谷田川だった。岸辺に5艘の舟がもやっているだけで、人の姿はなく、今日は営業もしていないのだろう。
こんな時期でなかったら、川辺をずっと歩きたいのだが、汗がダラダラと流れていて、もう手拭いもびっしょりになっている。まして、水が清流というわけでもなく止まっている。写真だけ撮って引き返すことにしたが、後で写真を見ると、釣りのジイさんが立ちションしている姿が映ってしまっていた。
三県境とは、群馬、栃木、埼玉の県境が接するところ。平地で見られるのは全国でも珍しいようだ。ナビを「道の駅きたかわべ」にセットする。道の駅そのものは埼玉県加須市になっている。
(三県境へ)
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(ご丁寧に)
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(あそこらしいが、掲示板に記された竹林のある家は見えない)
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(三県境)
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(水路で区分けされている)
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(こんなのも埋まっていた)
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道の駅に車を置いて歩く。手書きの標識が置かれている。途中で一回曲がって栃木市に入り、400mほどは歩いたろうか。周囲が田んぼの中に標識が置かれていた。
それぞれの県境の間に田んぼの用水路が通っている。栃木の田んぼは休耕田だが、群馬と埼玉の稲穂を見ると、埼玉側の伸びが良いようだ。
いい物を見たといった思いで道の駅に戻る。上の車道の県境も入り乱れている。標識が栃木県栃木市、群馬県板倉町、埼玉県加須市となって道の駅に戻った。
お腹も空いたので、ここで昼食にでもしようかと思ったが、食堂入口にメニューがない。入ったら、カツどんしかないとなったらげんなりもするので、入るのはやめたが、すぐに手打ちうどん、そばの幟を見てしまい、戻ろうかなと思ったりもしたが、暑くて食べることそのものが面倒な気がして、車に戻って水を飲んで空腹感をごまかした。
次は、渡良瀬遊水池だが、ここからなら歩いても行ける距離ではあるが、車で行くことしか眼中になかった。もう上下ともにびっしょりだ。
(谷田川)
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駐車場にJAFの車が置かれ、スタッフが一台の乗用車をいじっていた。駐車場は閑散としている。
くどいが、それにしても暑い。車の外に出たくはないが、渡良瀬遊水池は初めてだ。足尾銅山がからんだ谷中村、そして田中正造のイメージしかない。
看板には「渡良瀬貯水池(谷中湖)」とある。まさに、草木ダムに水没した草木集落と同じか。地図ではハート形の池になっている。橋を渡る。下を流れている川は谷田川のようだ。
(渡良瀬遊水池)
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(橋に上がり、途中で引き返す)
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(三毳山、大平山だろう)
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びっくりした。こんな広大な遊水池とは想像もしていなかった。これでは、ちょっとした湖じゃないか。東洋大学かどこかは知らないが、ボートの練習もしている。しばらく眺めていた。ここは確かに夏向きではないな。ずっと歩いてみたいが、この日照りでは無理な話。岸沿いの道を橋まで歩いてみた。遠くに、あれは、方角からしてぶなじろうさんが見られた三毳山と大平山だろうか。確かにそうかもしれないな。
このまま歩き続けたかったが、橋の途中で戻る。脇を颯爽と自転車で行くオバチャンたちをうらやましく思った。いずれまた来ることにしよう。対岸は、栃木市はおろか、小山、野木、古河とも接しているらしい。今度は向こうから来てみるのもいいか。
汗だくで戻る。車に着替えはない。このまま背中に汗を垂らしてエアコンつけて家に戻るしかない。行人沼も見ておきたかったが、いずれ、汗をかかない時期にということにしておこう。
来た時に見かけたJAFの車、結局、レッカー移動に入っていた。キィをなくしたとか、そういうことではないようだ。故障車の主が助手席に乗っていたが、JAFもそこまでのサービスもするんだなと感心してしまった。
途中で佐野ラーメンを食べに食堂に寄る。家まで歩ける距離なら、車を置いて、ためらわずに生ビールを飲みたい。注文待ちの間に歩数計を見ると、車移動とはいっても、1万歩ほど歩いていた。先日の小滝の里のぶらつきは3千歩もなかったろう。
今日の歩き、印象に残るのは、やはり、雷電神社、三県境スポット、遊水池といったところか。しかし、暑かった、明日はもっと暑くなるらしい。今日、歩いておいて良かったようだ。板倉町もいずれは館林市に合併か。そうなると、板倉もさらに暑いところになるだろう(笑)。
雷電神社──高鳥天満宮──群馬の水郷──三県境──渡良瀬遊水池
一昨日、ぶなじろうさんが板倉町の雷電神社に行かれた記事を目にした。折しも、本日の予定はない(昨日とて雨樋を修理していただけのことで、毎日こんなものだが)。神社の彫り物だけでも一見の価値はあるとのこと。早速、行ってみることにした。記事には「夏向きではない」とも記されてはいたが、ぶなじろうさんの場合はご自分の足で歩かれての話であって、こちらは車利用だ。さほどに汗をかくことはあるまい。
実は、板倉町そのものをよく知らない。隣の大泉やら邑楽、千代田町同様に、さして見どころがありそうな町とも思えなかったが、念のため、ネットで板倉町の観光案内を確認してみた。無知だったが、渡良瀬遊水池が入り込んでいた。ここも行ったことはない。
ということで、雷電神社の後は、板倉町の観光スポットである高鳥天満宮、群馬の水郷(谷田川)、三県境、渡良瀬遊水池、行人沼を回ることにして出かけた。
(弁財天とタマゴ)

(その脇に)

(ナマズ様。小鬼がナマズを抱えている)

(こちらの鬼はナマズに乗っかっているが、角がない。河童じゃないよなぁ)

まずは雷電神社。駐車場のすぐ隣に真新しい弁財天と卵が祀られている。解説板には「鶏の卵を供え、これを食せば種々の霊感ありとつたえられる」と記されている。道路を挟んだ向かい側に「なまずさん」の幟が見えたので行ってみると、小鬼たちに守られた銅製のナマズが横たわっていた。両方ともに見逃しても問題はないようなものだろう。
(雷電神社。見づらいが、雷マークとともに葵の御紋が見える)

(葵の御紋をアップして。ここでは3か所)

(龍と)

(花)

神社の正面に回る。八幡宮稲荷神社社殿は国指定重要文化財とあった。この八幡宮は正面の社殿ではないようだ。なるほど、社殿の頭には葵の御紋があるわ。ぶなじろうさんのコメントでこれを知った時、舘林藩主だった綱吉がらみではないのかと思ったが、やはりそのようだ。
確かに、龍や花、波、駿馬、鳳凰の彫り物が精巧で年代を感じる。これは十分どころか十二分に一見の価値有りだ。事前調べでは、左甚五郎10代目の親方、石原常八の作となっていたが、左甚五郎は知っていても、10代目ともなると、どの程度の技術者だったのか。まぁ、それはいい。その師匠の技なのだから、相応の彫刻家だったのだろう。
(弁財天社)

(伊奈良の沼)

(万葉歌碑。妻として迎えた今、以前、遠くから眺めていた時よりも強い思いが募ってきている。といった内容のようだが、今の世には通じないだろうね。普通は逆だから)

(公園を一周してみた)

隣の弁財天社の脇に道があり、その先が薄暗くなっている。この辺がどうも気になった。どうせ時間もあることだしと、こちらを先行することにする。ひんやりしたところを抜けると板倉中央公園の看板があって、中に入ってみた。ここにも弁財天社があり、周囲には沼地が広がっている。看板には「伊奈良の沼」(今は縮小して雷電沼と言うらしい)とあった。万葉集にも詠まれている云々と記されている。
沼を一周してみたが、見るべきものは特になく、蚊に刺されて汗をかいただけ。また神社前に出た。門前の食堂には「なまず天ぷら」の幟。沼地続きだからこの辺の名物なのだろう。
(雷電神社に戻る)

(その1)

(その2)

改めて神社の由来説明板を読む。聖徳太子が通りかかった伊奈良の沼で禊をすると、雷神様の声を聞いた。太子はここに祠を建てて神を祀ったとある。弘法大師ならともかく、聖徳太子が何をしにわざわざ東国の地にやって来たのか気になった。余談だが、後で調べると、聖徳太子には飛翔伝説なるものがあるらしく、神馬に乗って天高く飛び、富士山を越えて信濃の国に至り、3日後には都に帰還したといったものだ。この話は西暦598年のことらしいが、ここの説明板にも祠を建てたのは奇しくも598年となっている。ということは、同年縁起で各地に太子伝説が残ってもいそうだ。
雷電神社を回った。やはり彫り物がすごい。絵画的で、それぞれにストーリーがあり、それを彫ったかのようだ。
(奥宮)

(奥宮の彫り物)

(八幡宮)

(座敷童子に似た狛犬)

(八幡宮の彫り物。ちょっとタワシを使って水洗いしたいところだ)

(本殿に戻って。その3)

(その4。右下の金ピカが葵の御紋)

裏に回ると、奥宮があって、大雷神を祀っている。そして、国指定文化財の八幡宮稲荷神社があった。群馬県最古の建造物と説明されている。社殿の素晴らしい彫刻を見た後だけに、今一つ感慨がわかない。狛犬も何だかなぁといった感じだし。
神社をもう一周して、高鳥天満宮に向かう。雷電神社は満足した。
(高鳥天満宮)

(ここの彫り物。天神?)

(詳しくは知らないが、牛を持って受験に臨むのかと思ったが、身体の不具合を牛に託すといったもののようだ)

(裏の池。きれいとは言えない)

(天神の滝)

前知識はなかったが、神社をさらっと見たところ、やたらと合格祈願の札が目についたので、由来解説板を読むと、やはり菅原道真を祀った神社だった。読む以前に、天満宮ならそうと思うものだが、まだまだ修行が足りないねぇ。ここにも龍の彫り物があったが、これも石原常八とあった。中の天井画に百人一首が描かれているということで、入って見たかったが、勝手に入るべからずとあり、これは残念ながらということになった。
裏手に回ると、「努力一貫」と記された石碑があり、その下には池があり、脇には澱んだ感じの水路が通っている。ちょっと歩いただけでまた蚊に刺され、汗びっしょりになった。天神の滝を見て神社に引き返す。ここは、今さら学業成就でもないのでさして用事はなかったようだ。
(釣り堀エリア)

(水郷の揚舟)

続いて群馬の水郷。何も知らぬままに行ったのだが、板倉町の案内図には、谷田川が流れ、「揚舟 谷田川めぐり」とあったから、ぶなじろうさんも行かれたところだろう。
駐車場から歩き出す。公園のようなところに入ると、大きな沼があり、これが水郷かと思ったりしたが、先にも大きな沼があり、そこに行くと、釣り堀になっていて、沢山の釣り人が竿を並べていた。これじゃ面白くもないなと、迂回して車道に出ると、反対側に川が流れている。これが谷田川だった。岸辺に5艘の舟がもやっているだけで、人の姿はなく、今日は営業もしていないのだろう。
こんな時期でなかったら、川辺をずっと歩きたいのだが、汗がダラダラと流れていて、もう手拭いもびっしょりになっている。まして、水が清流というわけでもなく止まっている。写真だけ撮って引き返すことにしたが、後で写真を見ると、釣りのジイさんが立ちションしている姿が映ってしまっていた。
三県境とは、群馬、栃木、埼玉の県境が接するところ。平地で見られるのは全国でも珍しいようだ。ナビを「道の駅きたかわべ」にセットする。道の駅そのものは埼玉県加須市になっている。
(三県境へ)

(ご丁寧に)

(あそこらしいが、掲示板に記された竹林のある家は見えない)

(三県境)

(水路で区分けされている)

(こんなのも埋まっていた)

道の駅に車を置いて歩く。手書きの標識が置かれている。途中で一回曲がって栃木市に入り、400mほどは歩いたろうか。周囲が田んぼの中に標識が置かれていた。
それぞれの県境の間に田んぼの用水路が通っている。栃木の田んぼは休耕田だが、群馬と埼玉の稲穂を見ると、埼玉側の伸びが良いようだ。
いい物を見たといった思いで道の駅に戻る。上の車道の県境も入り乱れている。標識が栃木県栃木市、群馬県板倉町、埼玉県加須市となって道の駅に戻った。
お腹も空いたので、ここで昼食にでもしようかと思ったが、食堂入口にメニューがない。入ったら、カツどんしかないとなったらげんなりもするので、入るのはやめたが、すぐに手打ちうどん、そばの幟を見てしまい、戻ろうかなと思ったりもしたが、暑くて食べることそのものが面倒な気がして、車に戻って水を飲んで空腹感をごまかした。
次は、渡良瀬遊水池だが、ここからなら歩いても行ける距離ではあるが、車で行くことしか眼中になかった。もう上下ともにびっしょりだ。
(谷田川)

駐車場にJAFの車が置かれ、スタッフが一台の乗用車をいじっていた。駐車場は閑散としている。
くどいが、それにしても暑い。車の外に出たくはないが、渡良瀬遊水池は初めてだ。足尾銅山がからんだ谷中村、そして田中正造のイメージしかない。
看板には「渡良瀬貯水池(谷中湖)」とある。まさに、草木ダムに水没した草木集落と同じか。地図ではハート形の池になっている。橋を渡る。下を流れている川は谷田川のようだ。
(渡良瀬遊水池)

(橋に上がり、途中で引き返す)

(三毳山、大平山だろう)

びっくりした。こんな広大な遊水池とは想像もしていなかった。これでは、ちょっとした湖じゃないか。東洋大学かどこかは知らないが、ボートの練習もしている。しばらく眺めていた。ここは確かに夏向きではないな。ずっと歩いてみたいが、この日照りでは無理な話。岸沿いの道を橋まで歩いてみた。遠くに、あれは、方角からしてぶなじろうさんが見られた三毳山と大平山だろうか。確かにそうかもしれないな。
このまま歩き続けたかったが、橋の途中で戻る。脇を颯爽と自転車で行くオバチャンたちをうらやましく思った。いずれまた来ることにしよう。対岸は、栃木市はおろか、小山、野木、古河とも接しているらしい。今度は向こうから来てみるのもいいか。
汗だくで戻る。車に着替えはない。このまま背中に汗を垂らしてエアコンつけて家に戻るしかない。行人沼も見ておきたかったが、いずれ、汗をかかない時期にということにしておこう。
来た時に見かけたJAFの車、結局、レッカー移動に入っていた。キィをなくしたとか、そういうことではないようだ。故障車の主が助手席に乗っていたが、JAFもそこまでのサービスもするんだなと感心してしまった。
途中で佐野ラーメンを食べに食堂に寄る。家まで歩ける距離なら、車を置いて、ためらわずに生ビールを飲みたい。注文待ちの間に歩数計を見ると、車移動とはいっても、1万歩ほど歩いていた。先日の小滝の里のぶらつきは3千歩もなかったろう。
今日の歩き、印象に残るのは、やはり、雷電神社、三県境スポット、遊水池といったところか。しかし、暑かった、明日はもっと暑くなるらしい。今日、歩いておいて良かったようだ。板倉町もいずれは館林市に合併か。そうなると、板倉もさらに暑いところになるだろう(笑)。